あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅰ-N] お知らせ(はじめに、ブログ構成と意図、他)

ブログの構成と意図② 第七部-新聞事件簿(カテゴリー「Ⅶ1-Ⅶ22」) *2017.3/7更新

 
 <DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。 ブログの構成と意図-主要記事一覧-(2016.5/21更新)
第七部 新聞事件簿(カテゴリー「Ⅶ1-Ⅶ22」)

 ブログ「面前DVの早期発見・早期支援。あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか*」における「第七部 新聞事件簿(カテゴリーⅦ1-22)」の位置づけは、ブログの“礎”となる『DV被害者支援、1年間の記録。ドキュメントDV。恐怖で家に縛られ、卑下・侮蔑された11年(カテゴリー「Ⅱ」)』、『暴力の影響を「事例」で学ぶ。DVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(カテゴリー「Ⅲ1-Ⅲ9」)』を“補完”するものです*。
ブログでは、新聞や雑誌等のプレス記事の他、講演録や論文を分野別に載せています。
* ブログ「面前DVの早期発見・早期支援。あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか」は、DV被害支援室poco a pocoの活動、ならびに、DV、児童虐待、性暴力、ハラスメントなど暴力に関する情報を提供しています。ブログの位置づけなどについては、「はじめに」にてご確認いただければと思います。
* 論文や講演録では、「画像」や「表組み図表」などブログ掲載にあたって割愛させていただいていますので、別途、「原典」を検索していただければと思います。

 また、第七部 新聞事件簿(カテゴリーⅦ1-22)では、「こういう考え方にもとづかなければならないといった意図的にリードするのは避けたい」、「ものごとの捉え方や見方はひとつではない」との理由から、下記の<「DV被害支援室poco a poco」のDV被害者支援の立ち位置>、<「DV被害支援室poco a poco」は、DV問題をどう捉えているか>に準じた論文や新聞記事だけでなく、この立ち位置に反した(真逆の考え方)論文や新聞記事であっても掲載しています。
 そこには、支配のための暴力のある環境下では、「支配者や指導者(父親や母親、近親者など)の考え方や価値観以外は認められない」ことから、複数の代替案が提示されると困ってしまい、「これだけ」とか、「こうしなさいと決めて欲しい」といわれる被害者の方も少ないことから、“支配のための暴力のない環境”では、どのようにものごとを捉えてもいいし、どのような考え方をしてもいいということ受け入れる“歩み”としての意図があります。
 一方で、「きっと、~違いない」との考え方にもとづく価値観を押しつけられていることに心が強く反応し、“ものごとを決めつけて解釈されること”に強い拒否反応(反発)を示すこともあります。そのとき、自らへの指摘には強い拒否反応を示す一方で、加害者に対しては主観にもとづいた決めつけをする両極端な考え方をする癖(私はOK、あなたはNO)がでていることが少なくないことから、ものごとは、善か悪か、好きか嫌いかといった二元論(二者択一)的に解釈したり、判断したりするのではなく、多くのひきだしを蓄えとする“歩み”としての意図があります。
 そして、「新聞事件簿」として扱う多くの新聞記事は、主として、犯罪行為を多くとり扱っていますが、「犯罪そのものを捉えるのではなく、犯罪に及ぶ加害者の言動や考え方に思いを馳せる」ことによって、「犯罪行為に至る人物性(特性)がどう育まれていったのか(生育環境がどのようなものだったのか)を読みとること」、さらに、「暴力のある環境(広義として戦争や紛争地、大震災などの被災地で生活するなどを含む)が、人の(心身の)成長にいかに大きな影響を及ぼす、結果として、社会インフラとして“負”の影響を生みだしてしまうかということ」まで“考察する素材”として掲載しています。
 考察する素材として新聞記事を読み解いていくと、大きな流れや大まかな傾向といった“ある一定の法則性”を観つけることができます。その一定の法則性に、裏づけのある根拠(知識)を結びつけることができれば、それは、DVや児童虐待、性暴力を個々の特定のできごとではなく、人とはなにか、根本の原因はなにかを考える基礎となるナレッジ(知識、付加価値のある情報)とすることができます。
 ブログでとりあげる新聞記事を考察する素材として活用していただければと思っています。


 「第七部 新聞事件簿」では、新聞や雑誌に掲載された記事を22のカテゴリーに分けて載せていますが、それらは、冒頭で記述した「ブログの“礎”となる2つのレポートを“補完”するものであることから、「DV被害支援室poco a poco」のDV被害者支援の立ち位置、DV問題をどう捉えているかなどの“概念”と深くかかわっています。そこで、22のカテゴリーそれぞれの説明の前に、「はじめに」に乗せている記述を一部引用しておきたいと思います。


<「DV被害支援室poco a poco」のDV被害者支援の立ち位置>
 「DV被害支援室poco a poco」では、「ひとりでも多くの子どもたちが、DVを目撃する(面前DV)など暴力のある家庭環境で傷つかないようにしたい」、そのためには、「まず、子どもの母親が、暴力のある家庭環境から離れ(逃れ)、暴力に支配される関係を断ち切り、安全で、安心できる環境で成長する必要がある」との考えにもとづき、「離婚調停でのDVの立証」と「暴力のある環境に順応した考え方の癖の修正(学び直し)」などのDV被害者支援をおこなっています。
 父親から母親が暴力をふるわれているのを見たり、聞いたり、察したりしている子どもが、暴力で傷ついた心身をケアするには、安全で、安心できる環境で生活を再建していくことが必要不可欠です。また、子どものいない夫婦関係、交際関係においても、夫や交際相手から暴力をふるわれることは、心身に大きなダメージが及び、その後遺症が長期にわたる可能性が高いことから、速やかに、暴力に支配される関係を断ち切る必要があります。しかし、慢性反復的(日常的)に暴力を受けてきた被害者(母親と子ども、もしくは、妻や交際相手)は、無自覚であっても、「暴力のある環境に順応した考え方やふるまい」を身につけています。したがって、暴力に支配される関係を断ち切るには、この「暴力のある環境に順応した“考え方の癖(認知の歪み)”」に対するアプローチが不可欠です。
 「DV被害支援室poco a pocoのとり組む離婚調停などでDVを立証するサポート*」は、最優先課題として、被害女性の「暴力のある環境に順応した考え方の癖(認知の歪み)」に“フォーカス”し、同時に、被害女性のPTSD症状などの精神的な負担を配慮して最短の解決を目指します。
 慢性反復的(日常的な)なトラウマ(心的外傷)体験をしている被害女性の多くは、医療機関で診断・治療をしていなくても、PTSDの症状(侵入(再体験)・過覚醒・回避・狭窄、身体化など)が認められる中での家庭裁判所での離婚調停や警察署や地方検察庁での事情聴取は、大きな精神的な負担(苦痛)を伴うものです。第三者にDV被害を正確に伝えるために、どのような暴力を受けてきたのか、暴力がどのような状況で、どのようにして暴力がおこったのか被害状況を書面にまとめて臨んだとしても、その事実や双方の主張を繰り返し確認し合うなど、離婚調停や事情聴取が長期化することは、被害女性を精神的に疲弊させて追い詰めていきます。
 したがって、DV被害者支援者や弁護士などのアボドケーター(援助者)は、被害女性の精神的負担(苦痛)を配慮し、早期の解決を目指すことを再優先に考えなければならないのです。しかし現実は、DVや性暴力を受けた被害女性に対して、PTSDなどの症状に配慮したアボドケーターの役割を認識できていない弁護士が少なくないのです。それだけでなく、弁護士の中には、DVを立証するためにまとめた現在に至る事実経過、暴力の状況が録音された音源、メールやLINEに残された文面、暴行痕を撮影した写真、「・・の行為により、加療を必要とする傷害を負った」と明記された診断書などの証拠は、「離婚調停は不調にして提訴(裁判)後に事実を明らかにすればいい」と考え、長期化することを前提に代理人契約(委任契約)を受ける者もいます。ここには、「調停、裁判はそれぞれ別事件となる」ことから、弁護士は、「費用を2回得られる」というメリットがあります。
 離婚調停は、当事者間では合意することができなかった離婚について、調停委員を交えて合意をめざすものですから、当然、合意に至ることができずに不調になることはあります。しかし、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停では、最初に、反論(いい逃れ)の余地がないように周到に準備した、①DVを立証するためにまとめた現在に至る事実経過、②暴力の状況が録音された音源、③メールやLINEに残された文面、④暴行痕を撮影した写真、⑤「・・の行為により、加療を必要とする傷害を負った」と明記された診断書などの証拠を提出することが早期解決には必要なのです。なぜなら、加害者側(特に加害者側の弁護士)に、「最初に、調停を不調にして裁判で争っても勝ち目がない」と認識させる(突きつける)ことが重要だからです。
* 「立証する」には、「第三者に、DVの事実を正確に伝える」と意味が含まれています。
 そして、「第三者の“誰”に対して、DVを立証するのか」という問いは、第一に、「婚姻破綻の原因はDVにある」として、家庭裁判所に「夫婦関係調整(離婚)調停」を申立てる離婚調停では、“調停”における2名の調停委員(幼い子どもがいて、親権・監護権が争われているときには、2名の調査官が加わる)に対してであり、調停が不調になり、審判移行、あるいは、提訴(裁判)となったときには、審判官(裁判官)に対してということになります。第二に、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法、いわゆるDV防止法)」に準じて“一時保護”を求めるときには、女性センターの職員、あるいは警察署の生活安全課の警察官に対して、同法に準じて“保護命令”を地方裁判所に申立てたときには、裁判官に対してということになります。第三に、配偶者は交際相手(ともに元を含む)から「DVを受けている」と警察署に相談したり、暴行を加えられて傷害を負ったと警察署に被害届(あるいは、告訴状)を提出して刑事事件として捜査を依頼したりするとき、前者は生活安全課の警察官、後者は刑事課の刑事に対して、あるいは、地方検察庁の検事に対してということになります。
 なお、「配偶者や交際相手(ともに元を含む)に対して暴行を加え傷害を負わせた」として逮捕・起訴され、懲役刑の判決が下り収監されたとしても、それは、刑法及びに刑事訴訟法にもとづくものであり、民法にもとづく離婚が成立するわけではないこと、加えて、暴力により上下の関係性、支配と従属のか関係性を成り立たせてきた加害者の中には、たとえ民法にもとづく離婚が成立したとしても、その関係性の維持・継続を信じて疑わない者が存在する、つまり、常識的な考え(法やルール(規制)や倫理観・道徳観といった規範)は通じない者がいることを付記しておきます。
(補足)
 「婚姻破綻の原因はDVにある」として、家庭裁判所に「夫婦関係調整(離婚)調停」を申立てる離婚事件(民事事件)とは違い、同じDV事件であっても、刑事事件(「刑法」などの法律にもとづいて逮捕、立件される事件)では、報道機関は、「刑法」に準じた殺人(罪)、暴行・傷害(罪)、「・・法違反」として報じます。
 このことから、DVや児童虐待、ストーキングなどの行為は、民事事件か、刑事事件か、そして、刑法のどの犯罪に該当するかにより表記が違うことから、わかり難く感じる原因となっていることがあります。
 DVは、配偶者(交際相手を含み、ともに元を含む)により殺害されたときは、殺人事件として扱われ、暴行を加えられ傷害を負ったことを、警察署に相談し、警察署は、被害者から被害届(あるいは告訴状)を提出されたことを受けて捜査をおこない、逮捕に至ったときには暴行・傷害事件として扱われ、「背景にDVがあり、警察署に相談していた」などと報道されます。また、元配偶者や元交際相手に復縁を求められ、執拗につきまとわれたり、嫌がらせを受けたりして、警察署に相談したとき、「ストーカー行為等の規制等に関する法律」、「リベンジポルノ被害防止法(私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律)」にもとづき「逮捕した」と報道されたり、つきまとい・ストーキングの果てに殺害されたときには、DV同様に殺人事件として扱われます。
 同様に、児童虐待は、親(マムズボーイフレンド、つまり、シングルマザーの交際相手を含む)が、子どもに暴行を加えて殺害したときには殺人事件として扱われ、子どもの治療にあたった小児科医や歯科医が、暴行痕などから虐待が疑われるとして警察や児童相談所に通報したり、大きな物音とともに「ごめんなさい!」と大声で泣き叫ぶ子どもの声を聞いた近隣住民が警察や児童相談所に通報したりしたことが契機となり、子どもへの虐待が発覚して親(保護者)が逮捕されたときには、暴行・傷害事件として扱われ、「日常的に児童虐待がおこなわれていた」などと報道されます。なお、「児童虐待が疑われる事実を知りえたときには、警察や児童相談所に通報する」ことは、「児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)」に“通報義務”として定められています。



<「DV被害支援室poco a poco」は、DV問題をどう捉えているか>
-基本認識-
(面前DV、子どもがDVの最大の被害者)
 DV被害支援室poco a pocoでは、DVとは、殴ったり蹴ったり、怒鳴りつけたり、侮蔑したりするなどの行為(ふるまい)だけにフォーカスするのではなく、「本来対等な関係である夫婦や交際相手との関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使することである」と、“人と人との関係性”で認識することが必要と考えています*。
 そして、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」と認識しています。
 「子どものために」「子どもに手がかからなくなるまで」との思いで、暴力に耐え続けてきた被害者の方たちには受け入れ難いことかもしれませんが、DVを子どもが目撃することを「面前DV」といい、「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」では、“精神的(心理的)虐待”と定めているのです。「DV被害者であるにもかかわらず、私も加害者と非難するのですか?!」と声を荒げる被害者の方たちも少なくないのですが、理不尽なことであっても、子どもの立場に立てば、母親が父親からのDVに耐え続ける姿を見せることは、精神的虐待を加えていることになってしまうのです*。
 これらの問題は、DVの当事者だけでなく、日本社会そのものが、その事実を認識していないことです。そして、社会そのものが事実と認識していない、つまり、あるテーマや問題に無知であることは、人に、知らないこと(異質なこと)に対する区別や差別、排除をもたらします。
 一方のDVを目撃して育ち、後遺症としての多くの問題を抱えている人たちの中には、「自分は親に虐待されて育ったこと」、「被虐待者と呼ばれること」に対し、強い拒否反応を示します。なぜなら、親が子どもを虐待することは、親が子どもを拒否しているメッセージであることから、自分が親に拒否された、受け入れられなかった事実を認めたくない思いが強く働くからです。
 ここには、暴力で育ったことによるツラさや苦しみ、葛藤を抱えていても、「親に虐待されて育った人=親に愛されずに育った人=不憫な人、かわいそうな人」と“烙印”を押され、“区別される(色眼鏡で見られる)”ことへの懸念、不安があることを忘れてはならないのです。
 私たちは、特別なこと、一握りの人たちでのことと区別する(色眼鏡をかける)ことで、「自分たちには関係ないこと」として排除し、考えることを止めてしまうことがあります。一方で、私たちは、偏見や差別感を持って特定の人を排除しようとしたり、見て見ぬふりをしたりしていることに、少なからず後ろめたさを感じたり、心を傷めたりします。また、特定の人を排除しようとしたこと、見て見ぬふりをしたことに対する後ろめたさや罪の意識から解放され、罪悪感に苦しまないように、なにも感じないようにしたり、逆に、より過激に排除や差別をしたりすることもあります。
 これは、とても怖いことです。
 事実を知ることは、厳しい現実を突きつけられ、深く傷つくことになりかねないわけですが、その事実と向き合わなければ、心の問題の解決の途につくことができないのも現実です。知らされたくない事実もあるわけですが、事実を知りたい被害者、事実を知りたいDVのある家庭環境で育ち生き難さを抱えてきた被害者も少なくないわけです。DV被害支援室poco a pocoは、後者の方たちには「事実を知る権利がある」との立ち位置をとっています。
 “DV被害”は、「どちらかの配偶者(あるいは、どちらかの交際相手)が被害者である」と限定的に捉えるのではなく、「DVと児童虐待は密接な関係にある」と捉えることが重要なのです。DVの直接的な被害者である母親だけでなく、DVを目撃する子どもの心までも破壊する可能性があります。つまり、DVのある家庭環境は、胎児期を含めて脳の発達に大きなダメージを与え、将来にわたり心身の健康を損なう要因となるのです。
* DVの本質は、本来対等であるはずの男女(夫婦間、交際者間)の関係に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使することですから、“関係性”で理解する必要があります。つまり、「上にたとう(支配しよう)とする者」と「下におかれる(支配され、従属させられる)者」という”関係性”であることから、①カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-3.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか(1)-(6)」、②同「Ⅰ-4-(2)デートDVから結婚に至る経緯」に目を通していただければ、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法、いわゆるDV防止法)」第二条の三にもとづいて作成される「都道府県(市町含む)基本計画」の中で「対象とする暴力として、身体的暴力、性(的)暴力、精神的暴力、経済的暴力がある」との記載が意味するものについて理解を深めていただけると思います。
 なお、対象となる暴力、身体的暴力、性(的)暴力、精神的暴力(ことばの暴力。子どもを利用した精神的暴力、社会的隔離を含む)、経済的暴力については、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-3-(3)DVとは、どのような暴力をいうのか」で詳しく説明しています。
 加えて、暴力のある家庭環境で子どもを育てることは、面前DVとして、「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」では“精神的虐待”とみなされることから、暴力のある家庭環境で育ち、再び、交際相手や配偶者から暴力を受けることになった被害者も併せて、⑦「Ⅲ-2」「Ⅰ-1.虐待の発見。DV家庭における子ども」、「Ⅲ-4」「Ⅱ.暴力のある家庭で暮らす、育つということ(6-12)」において、子どもへの心身への影響についての理解を深めていただければと思います。


(脳の機能は、生まれ育った家庭環境に合うようにつくられる)
 DV被害支援室poco a pocoが、子どもがDVのある家庭環境で育つことの影響についてフォーカスしているのが、「人の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられる」、つまり、「人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させない」ということです。乳幼児期にある特定の入力(インプット)が欠けていると、そのインプットに関連する情報を感じ、気づき、理解し、判断し、それに従って行動するという脳のシステムの発達に異常(問題)が生じることになるのです。
 この事実は、「子どもも、大人も正しいことを学び、正しい選択をするわけではない」という“人の本質”を理解することに通じるものです。「人が生存する環境に順応する」という意味は、人はその環境で生き延びるための“術”を身につけ、生き延びるための選択を優先するということです。つまり、人は、生き延びるためには、その時代、そのコミュニティで正しいとされている価値観(ルールや法(規制)、倫理観・道徳観といった規範)に反することを学び、反する選択をするということです。
 暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントの損なうことになったが起因となり、本来対等な関係である夫婦や交際相手との関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使する者が、自己存在を感じられる(承認欲求が満たされる)のは、相手より優位になっていると感じられるときだけです。そのため、幼い子どもであっても、父親である自分はお前とは立場が違う、つまり、俺の方がお前より立場は上であることを誇示しなければならないのです。つまり、パワー(力)で、子どもを抑え込もうとします。そうしたDV加害者である父親のふるまいは、時に、子どもが「パパ、子どもみたい。」と口にするほど、幼い子どもから見ても、ただ駄々をこねているようにしかみえないものです。
 問題は、ただの駄々っ子ではなく、顔つきや身ぶりで威嚇し、威圧感を植えつけたり、太く低い声(中には、甲高い声)で怒鳴り散らしたり、殴ったりして、妻や交際相手の心に恐怖心を刻み込むことです。そのふるまいは、自分に絶対服従する状況をつくることで自尊心を満足させるだけが目的です。俺の気分を害したのは、「お前(妻、両親、上司、同僚、そして、社会など)が悪いからだ!」と、責任は自分にはなく、自分は悪くないという考え(自己正当化)を貫きます。しかも、自分の感情の赴くまま、そのときの気分次第で態度が変わり、また、怒鳴りつけたかと思うと急に優しくなったり、世間体や上辺だけの格好よさを気にして、家の中と家の外では話す内容や態度が別人のように違ったりするなど、ふるまいはコロコロ変わり、一貫性はないことから、なにが気に障ったのか、地雷がどこにあるのかわからず、混乱と不安状態に苛まれることになります。その結果、こうした環境で暮らす者は、不安感と恐怖心から、つまり、暴力的なふるまいを回避するために、機嫌を損ねないように顔色をうかがい、意に添うように先回りをしてふるまうのが習慣になります。
 閉鎖された家の中で、こうした状況が、毎日あたり前のように繰り返される中で育つ子どもは、父親の力の弱い者を抑え込むためのパワー(力)の使い方、力の強い者にパワー(力)で抑え込まれたときの母親の身の守り方を、見て、聞いて、察して、学び、身につけていきます。つまり、子どもが、暴力のある家庭環境に順応するということは、大人が被害者になるのとは違い、親のふるまい、つまり、パワー(力)で抑え込む方法とパワー(力)で抑え込まれたときの身を守る方法を、青写真のようにゆっくりと時間をかけてコピーしていくということです。
 このことの持つ意味は、重大です。

(PTSD、人と暴力の関係)
 本来、対等である夫婦間(恋人間)の関係性に、上下の関係、支配と従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使する、つまり、DVというふるまいによって、被害者が受ける心身の大きなダメージは、身体的な暴行による加療を要する傷害(受傷)だけでなく、うつ症状やパニック症状を伴うPTSD(主症状は「侵入・過覚醒・回避・狭窄」、加えて「身体化」)、解離性障害、頭痛、背部痛などの慢性疼痛、食欲不振や体重減少、機能性消化器疾患、高血圧、免疫状態の低下、自殺傾向、不安障害、解離性障害、身体化障害を発症するなど、その後遺症は多岐に及びます。加えて、多くの被害女性は、繰り返された暴力により自尊心が損なわれ、自己肯定感が奪われるなどの被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)が見せる傾向に苦しみます。つまり、被害者のその後の人生に多くの悪影響を及ぼすことになります。
 にもかかわらず、日本では、被害者本人はもちろんのこと、被害者の家族、友人、そして、援助者たちは、配偶者や交際相手、親から暴力を受けた被害者の心のダメージは、「時間がすべてを癒してくれる」とか、「暴力のあるかかわりを断てば、すぐによい方向にむかう」と楽観的に考えることが少なくありません。実家に逃げ帰った被害者に対して、「気持ちの持ちようで、なんとかなる」と精神論で頑張ることを強いられたり、「子どもの前で泣くな!」、「立ち直れないのは、お前が弱い(根性がない)からだ!」と非難されたりすることは決して珍しいことではありません。
 それだけでなく、暴行を受けて診察を受けた医師の「夫婦ケンカはほどほどに。」のひとことで、“誰も私を助けてくれない”と絶望的な思いをさせられた理、「婚姻破綻の原因はDVである」とする離婚調停で代理人となった弁護士から「カウンセリングを受けて、症状がひどくなったのですか?!」と嘲笑されたり、相談に訪れたDV対応の書籍を書いている弁護士から記憶が途切れ途切れで、話している最中にパニック発作をおこすなど情緒が不安定な被害者には、「調停に耐えられる精神状態ではないようです。治療を先にされたらどうですか? こちらではお引き受けできません。」と断られたりすることもあります。
 こうした被害者の親や近しい人たち、医師、弁護士、時には行政の被害者支援の窓口での心ない言動は、暴力行為そのものの、そして、晩発性というPTSDの特性などをまったく理解していない“無知”によるものです。
 ここに、暴力行為がもたらす悪影響、つまり、慢性反復的なトラウマ(心的外傷)体験によってもたらされる多くの心的障害、特に、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」について正しく理解することが、いかに重要なのかの理由があります。
 DV被害支援室poco a pocoでは、「DV、児童虐待、レイプなどの性暴力の被害者が受ける強烈なストレス(危機)は、戦地・紛争地に赴く兵士たちや被災者(国民や住民)たちに匹敵する」という認識にもとづいています。戦地や紛争地から帰還した兵士の多くが発症するPTSDなどの症状、行動特性に着目することで、「人と暴力の関係性」と「慢性反復的なトラウマ体験がひきおこすPTSDの症状と傾向」を正しく理解することができると考えています。
 この視点に立てば、有史以降、人類が「人が人を殺す」戦争や紛争を繰り返し、争い(暴力)が人々の心を傷め、そのストレスによって傷んだ(脳の萎縮などのダメージ(後遺症)を与えた)結果、新たな暴力を生みだしてきたことが理解することができます。
 つまり、人類の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられるという「脳の発達論」の見地に加え、人を殺したり傷つけたりすること(殺人・障害・暴行・強姦など)、嘘や偽りの話で人を騙したり、力づくで人のものを奪ったり、のしあがったり、牛耳ったり(略奪・搾取、権力・支配)すること、異なるものをとり除こうとしたり(差別・排除)することといった人の行為の捉え方について、自ら「賢い人」「知恵のある人」という意味のホモサピエンスと名づけた人類は、進化の過程で、“人を殺す人”として幾つもの原型種を滅ぼしたり、交配したりして凌駕・駆逐したりしながら歩んできたという「人類の歴史観」、さらに、法の支配の確立などの「文明の発達論」を合わせることによって、「人と暴力の関係性」の“本質”を理解することができます*。
 したがって、この「脳の発達論」の見地と、人は人を殺しながら歩んできたという「人類の歴史観」により、「人と暴力の関係性」の“本質”を知ることが、DVという問題と、DVによる後遺症という問題の本質を理解することにつながると考えています。
* DV被害支援室poco a pocoでは、このテーマは重要であると考えていることから、カテゴリー「Ⅲ-1」の「「暴力の影響を「事例」で学ぶ。DVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(はじめに)」の中で詳しく説明しています。

(外から見え難く、社会に認識されていない暴力)
 虐待には、「子どもが両親間のDVを目撃すること」が含まれます。子どもが両親間のDVを目撃することを「面前DV」といい、子どもは精神的(心理的)虐待を受けていることになります。この精神的虐待には、「~してはいけない」、「親のいうことをきいていればいい」といった“禁止と否定のことば”を用い、子どもに過剰に干渉したり(過干渉)、過剰に甘やかしたり(過保護)するふるまい、「こんなこともできないなら、~になれないぞ(俺(・・家)の子どもじゃない)!」、「それもこれもすべてお前の将来のためなんだ!」と親のエゴとして目標を達成させるために厳しくあたる「教育的虐待」も含まれます。
 子どもの将来のため、教育熱心という名の下で正当化されかねない「教育的虐待」は、親の期待した結果でないとき、激しく怒鳴りつけたり、楽しみにしていることを禁止するなどの罰を与えたり、殴ったり、蹴ったりすることは、精神的虐待に加え身体的虐待と伴います。勉強ができないことに関して厳しすぎる態度をとったり、子どもの要求やニーズを無視した一方的な教育を押しつけたり、きょうだいと比較し、著しい差をつけたりするなど、子どもを追い詰めるように教育を強いるふるまいは、「教育的虐待」となります。場合によっては、いきすぎた早期教育や英才教育も教育的虐待になります。なぜなら、児童虐待の判断基準は「子どもにとって有害なこと」であることから、親のいい分が「将来的に子どものためになる」であっても、子どもがツラく苦しいと強いストレスを感じていれば、それは虐待になるからです。しかし、こうしたふるまいは、社会から虐待であるという認識をもたれず、親が子どもの人生をコントロールすることも踏まえて社会的に容認されてきただけでなく、「厳しいしつけ」は、昔から美徳として扱われるなど、慣習として見過ごされてきました。
 教育的虐待には、ことばの暴力(精神的虐待)だけでなく、期待した成果を得られなかった子どもに対し、“罰”として楽しみをとりあげる行為(精神的虐待)、叩いたりする体罰(身体的虐待)、「いうことをきけないなら、(塾や習いごと、進学)金は払わないぞ!」と脅したり(精神的虐待(経済的暴力))、「途中でやめるなら、これまでかかった金を返せ!」と罰として金をとりあげる(精神的虐待(経済的暴力))行為などが含まれます。
 問題は、脳にはしっかり傷を残すものの体に見える傷を残さない精神的虐待は、子ども自身が「これが普通」と感じていることが少なくないことです。「お前の将来のために」ということばを伴われていることから、子どもの心には「自分が悪いから怒鳴られた」との考え方がすり込まれてしまい、本人が虐待を受けて育ったという認識に辿りつくことができない状況がつくられることです。
 過干渉や過保護、そして、教育的虐待をおこなう親は、倫理的で、コミュニケーション能力があり、教育熱心で、経済的に余裕があるという“ポジティブ”な特徴を有しています。子どもが、こうした親の期待に応えられないとき、「悪いのは自分だ」、「自分は親の子どもである資格がない(存在価値がない)」と自己を否定しながら育ちます。自己肯定できずに成長した人に共通するのは、「イライラして感情のコントロールができない」、「自分に自信が持てない」、「イヤなのに断れない」、「モヤモヤして、やりたいことができない」、「不安でたまらない」と口にすることです。こうした自尊感情や自己肯定感の低さに起因することばは、親の養育のあり方の問題なのです。自尊感情や自己肯定感の低さを示す人たちの親の特徴は、自分は正しいと思い込んでいたり、毒舌や罵倒で子どもを傷つけたり、子どもがトラブルをおこすと悲観的になり辛そうにふるまったり、思い通りにならないことがあると過剰に反応して周囲を巻き込んだり、かいがいしく献身するという名の下で子どもを支配したり(過干渉・過保護)、「子どものやりたいように、自由にさせてきた」ということばを伴う無責任な放任主義であったりすることです。
 世間を驚愕させる凄惨な殺害事件の背景には、親の価値観を押しつけ、親の思い描いた、あるいは、親が達成することができなかった人生を歩むことを子どもに強い、できなければ罵倒したり体罰を加えたりする教育的虐待、禁止と否定のメッセージが込められたことばによる過干渉・過保護という子どもの生きる力を奪う暴力が存在し、その支配にもたらされた強烈な抑圧が犯行の重要な動機のひとつになっています。
 凄惨な殺害に及ぶのはごく少数ですが、この“見えにくい”教育的虐待、過干渉・過保護の問題は、先に記している通り、子どもの自己肯定感を奪ってしまうこと、つまり、自己否定感の高い子どもになってしまうことです。親の抑圧、つまり、親の期待に応えられない子どもの悲鳴は、早いときは児童期、遅くは受験の失敗など大きな挫折がきっかけとなる思春期後期-青年期中期に心と体に表れることから、子どもの日常行動に異変が見られたり、チック症状が表れたり、精神的に変調をきたしたり、暴力的になったりするといった子どものサインを見逃さないことが重要です。

(家制度。跡継ぎの男の子、そうでない女の子という“区別”という問題)
 親が希望する職業に就くなど、親の期待に応えなければならないストレスは、子どもの心の発達に影響を与えます。
 そこで、忘れてならないのは、家制度と密接に結びついた親や親族の“期待感”の中で忘れてならないのは、明治政府による「富国強兵キャンペーン」以降(今日に至るまで)、待望の第1子に跡継ぎとしての男児を期待する風潮です。
 これは、明治政府が富国強兵キャンペーンにより、家が軍人を支える仕組みをつくりあげる必要があったからです。なぜなら、江戸時代の武家の人口は5%に過ぎず、国民の95%は農業や林業、商いに従事していた(「士農工商」という身分制度は、明治政府が、「江戸時代の身分制度をなくした」とアピールするために、意図的につくりあげたもので、実際は、武士とその他の区分しかなく、「えたひにん」は武士の奴隷という位置づけでした)ことから、明治政府が、富国強兵制度をつくりあげるためには、95%の農民に対し、武士に必要とされていた“内助の功”などの思想を教え込む必要があったからです。武士では、男児が生まれ家の跡を継ぐことができなければ、お家断絶となったことから、男児が跡取りとして不可欠だったわけです。その仕組みが、「富国強兵キャンペーン=95%の武士以外の国民に、軍人を支える家としての役割を担わせる=武家と同じ風習を身につけさせる」ことだったのです。そして、「読み書きそろばん」ができた元武家の男性や女性が、学校の教師となり、その担い手となりました。つまり、藩校のプログラム+αが、小学校などの教育プログラムとなったわけです。その結果、端午の節句や雛祭りなど、さまざまな武家の風習が、武家以外の95%の国民の風習として広がることになりました。
 将来の労働力として役割を担う子どもが多く生まれることが、子孫の繁栄であった農家などでは、武家ほど、男児を期待する風潮はなかったわけですが、「富国強兵キャンペーン」にとり、その状況が一転することになったのです。なぜなら、跡継ぎとしての男児としてよりも「男児=軍人」であることが重視されるようになりました。第二次世界大戦後、日本では、「男児=軍人」という考えはなくなりましたが、武家の風習としての男児=跡継ぎという概念だけが残ることになりました。
 その結果、第1子が女児であったとき、母である女性が、“嫁いだ家”の中で肩身の狭い思いをする風潮だけが残ることになりました。
 そうした風潮下では、子どもが生まれたとき、「女の子だったのか」とため息交じりに吐かれる心ないことばが暴力であるという認識が欠落します。
 母である女性に向けられる心ないことばの数々は、母と生活をともにする乳幼児も浴びることになります。それだけでなく、第2子が跡継ぎとなる待望の男児であった場合、家族に留まらす一族をあげて誕生を喜び、祝福の数々を見せつけられる長女は、二次的なダメージに晒される日々を送ることを強いられます。そうした家庭環境で育った長女には、「男に生まれていれば」と“女性性”を受け入れられず、スカートを着たり、髪を長くしたりするといった女性性の特徴的な“いでたち”を受けつけなくなることもあるのです。
 女性であることを受け入れられない思いは、異性である男性観や結婚観をどう認識していくかにも多くの影響を及ぼします。当然、セックスをどう捉えるかにも表れることになります。中には、女性としてセックスを受け入れることに嫌悪感を抱くことさえあります。
 セックスに嫌悪感を抱く、セックスを受け入れられない思いは、性虐待を受けていたり、レイプ被害にあったりした性暴力被害にあった女性によくみられることです(逆に、「再演」としての性暴力被害を繰り返したり、性搾取の被害を受けながら自己存在(わたしがここにいる)を確かめ続ける場合もあります)。そして、男の子で生まれなかったことを受け入れない家制度の中で育つことになった長女にもみられる傾向です。なぜなら、出生時に家族から女性性を望まれなかったことは、生存を受け入れなれなかった、認められなかった、つまり、暴力(DV)のある家庭で育つ子どもと同様に、「強烈な拒絶のメッセージを受けた」ことに他ならないからです。
 その強烈な拒絶のメッセージは、いった者、つまり、両親や祖父母、近親者が自覚していなくとも、いわれた者は、出生時に排除された子どもとして生きる、母親が肩身の狭い思いをさせられながら発育しなければならないといった重い十字架を背負わなければならないのです。
 胎児期、女性脳を男性脳にする過程で問題が生じたことが原因となる性同一性障害とは異なり、貧困なうえに高く売れるようにと男児を女児として育てることによって精神も後天的に女性化させてしまうタイの農村部にみられる現象とは趣は違うものの、出生直後に、女性性を受け入れられない環境下、つまり、「女の子だから、~してはいけない」としたいことがさせてもらえなかったり、「女の子だから、~しなさい」としたくはないことを無理強いされたりしながら成長することは、人格形成、そして、価値観や人生観の構築していくうえで大きな影響を及ぼすことになります。
 当然、逆の「男の子だから、~でなければならない」という押しつけも同様に、抑圧されて育った生き難さを抱えたり、そして、いつ爆発するかわからない無邪気な子どもでいることを許されずに育った憤りや怒りを抱えたりする事態を招きます。
 いま、日本社会の抱える多くの(社会)病理は、「富国強兵キャンペーン」にもとづく虚像を信じ込まされてきた、つまり、明治政府に思い込まされたものではなく、ずっとそうであったとの思い込みによる家族のあり方や男女認識を背景として、戊辰戦争以降約75年に及ぶ紛争・戦争後、敗戦国として「国の復興」という掛け声で築きあげた経済優先社会は、人類(ホモサピエンス)が20万年かけてつくりあげた女性同士が育児と労働を助け合う「共同養育システム*」を捨て去ることになるなどの“歪み”と生じさせ、同時に、約75年に及ぶ紛争・戦争で傷ついた国民の心のケアをないがしろにしてきたことが、親と子どもとの不適切なかかわりをつくりあげられたものです。
* 育児中に次の子どもを妊娠し出産することを可能にしたのは、ホモサピエンスが現れ20万年かけてつくりあげた女性同士が育児と労働を助け合う「共同養育」というシステムでした。つまり、コミュニティで子育てをし生き残る確率をあげることで、狩猟、農耕の生産性を向上させることができたのです。このことは、人は進化の過程で共同養育(保育)するようになり、必要なときには子どもを預けられるようにできていて、誰の助けもなく子育てするというようにはつくられていないことを意味しています。それが、戊辰戦争(1869年)以降約80年続いた戦渦、そして、敗戦からの戦後復興、第1次産業から第2次産業に就業労働がシフトするなど産業構造が激変する高度成長を経て、第三次産業へのシフトとともに核家族化、そして、少子高齢化が進む中で、「共同養育」というコミュニティで子育てをする人類特有のシステムを捨て去り、崩壊させることになりました。

(人は、なぜ暴力的な行為に及ぶのか)
 「人は、なぜ暴力的な行為に及ぶか」の“解”として、重要な捉え方を示しておきたいと思います。
多くの人は、人は「こういうふるまいをしたら、どのような事態を招くことになる」といった判断ができると考えています。しかし、それは、人の本質を美化した幻想にすぎません。
 「こういうふるまいをしたら、どのような事態を招くことになる」といった抑止となる考え方(思考パターン)は、出生後に社会や家族環境のもとで獲得しなければ、身につけることができないのです。なぜなら、人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達するからです。人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させないのです。その結果、暴力のある環境に合った脳の機能がつくられることから、承認欲求を満たし、心の安定を求めるために、暴力による関係性を成り立たせようとすることになります。
 そして、「人は理性的にふるまうことができる」と信じている人たちの多くが、理性で本能をコントロールできない者を弱いとか、異常と認識し、自分たちとは異なる者と区別して安心しているのです。人とはそういう生き物です。
 乳幼児期に受けた暴力による抑圧(不安や恐怖、怒り)、尽くしても報われない思い(不満)を抱えている人たちに共通しているのは、「強い渇望感を抱えている」ということです。つまり、「アタッチメント(愛着形成)の獲得に問題を抱えている人たちは、渇望感を埋めるために“承認欲求(自分の存在を確認する)”を強く求めて、心の安定(バランス)をとろうとする」のです。その結果、少しでも優越感を得られる行為に及ぼうとします。優越感を得られる行為とは、征服・支配欲を満たす行為ということです。
 痴漢や盗撮、体液をかけたりする性暴力(もっとも高い優劣感が得られるのがレイプ)、万引き、いじめ、差別(ママカーストなど含む)、ネット内での誹謗中傷、井戸端会議で愚痴、そして、借金や性風俗で働くなどして金を工面してブランド品を購入したり、ホストに入れあげ貢いだりする行為は、“承認欲求”を満たす行為で心の安定をはかろうとしたものです。子どもの万引きは、渇望感を満たす“承認欲求”であるだけでなく、「わたしがここにいる(存在している)」ことを確認するために気を惹こうする「試し」の意図を持ち、「(親がどうふるまうのかを見て)わたしへの愛情の深さ(関心の高さ)」を確認することで“承認欲求”を満たそうというふるまいです。
 乳幼児期に“承認欲求”が満たされていなかった者が、“承認欲求(心地よさ=快感)”を欲して、脳が中毒症状下にある(脳が暴走した)ときには、人は、法やルールによる規制だけでなく、道徳・倫理感(モラル)といった規範、そして、血を分けた者の絆さえも無力なのです。そして、暴力により得られる高揚感・恍惚感・優越感は、“快楽”を司る中枢(脳内報酬系)が刺激される中毒性によるものであり、暴力をエスカレートさせていく原因となります。このことが、暴力の強烈な刺激欲求に対しては、「人とどうかかわるかといった“認知の歪み(考え方の癖)”に対するアプローチ(加害者更生プログラム)」だけでは対応できない要因となっています*。
 乳幼児期に、親に守られて安全で、安心感にあふれた心地よさ(快感)という承認欲求が満たされず、渇望感を抱えている人たちは、ちょっとした抑圧(ストレス、危機)、報われない感に対し、怒りの感情をコントロールすることができず、衝動的に人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙したり、奪ったりして優越感に浸ろうとしたりします。以上が、怒りを他者に向け優越感を得ることで、征服・支配欲を満たす暴力行為です。
 人は、殺戮本能、征服・支配欲をコントロールできずに暴力に及ぶとき、“狩りのセオリー”として、他のコミュニティに属する者、傷ついた者、老いた者、幼い者(子ども)、力(立場を含む)の弱い者をターゲット(標的)にします。そして、人は、殺戮本能、征服・支配欲が満たされるとき、高揚感・恍惚感・優越感に浸ることになります。強い者や立場が上の者が、弱い者や立場が弱い者という構図(関係性)のもとで、力(パワー)が行使される、つまり、虐待、DV、いじめ、差別、体罰、パワーハラスメント、セクシャルハラスメントなどの暴力には、人類の残虐性、サディスティックなふるまいに快感を覚える(優越感に浸る)という側面があります。人は、人を屈服させること、つまり、自分の力を誇示することで、渇望感が満たされる(承認欲求が満たされる)のです。なぜなら、優越感に浸ることで、自尊感情や自己肯定感を高めることができるからです。そして、乳幼児期に“承認欲求”が満たされていなかった者、つまり、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なった者たちは、この傾向が強く表れるのです。
 逆に、ちょっとした抑圧(ストレス、危機)に傷つき、これ以上傷つかないように人とのかかわりを避けたり(回避)、リストカットやOD、過食嘔吐などの自傷行為に走ったり(自己存在の確認)、人とのかかわりをなかったことにしようと死を選択したりします。以上が、怒りを心に押し込めたり、自分を抹殺したりする、つまり、無にすることで征服・支配欲を満たす行為です。
 したがって、暴力的な行為には、「外(他者)に向ける暴力的行為」と「内(自分)に向ける暴力行為」があり、暴力行為のエネルギーやモチベーション(動機)は、ともに、暴力により抑圧された渇望感と怒りの感情です。原因は同じで、外に向けられるか、内に向けられるかの行動の違いとなって表れるだけです。
 そこで、「人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達する」わけですから、現代社会において、私たちが、人類の脳の暴走を防ぐ主な手段は、戦争や紛争をおこなったり、巻き込まれたり、暴力のある家庭環境や社会環境に子どもを留めたりして脳に傷(神経伝達物質の分泌に異常をおこしたり、萎縮させたり、PTSDを発症させたりすること)を残さないこと、そして、血液脳関門を通過する中毒性のある物質(食品や薬物)、環境汚染をもたらす農薬、ダイオキシンやPCB、PM2.5などの化学物質をこれ以上体内にとり込まないことです。
 この中で、いま私たちが、私たちの意志で、直ぐにとり組むことができるのが、虐待とDVの早期発見にとり組むことであり、適切に介入し支援することです。
* 凄惨なストーカー事件が繰り返し発生していることから、加害者に対してのアプローチ(加害者更生プログラムの実施など)のあり方が注目されていますが、それは、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)に対しておこなわれるものです。
 DV加害者、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントの加害者、体罰の加害者たちに共通するのは、“ある条件下”であれば暴力を容認してしまう考え方です。それは、自身の暴行や暴力を正当化するために、例えば、「被害女性の態度」を女性への暴行の理由づけとして用いることです。そして、こうした“ある条件下”であれば暴力を容認してしまう考え方は、日本社会のコミュニティの多くの場でみられるものです。しかし、日本社会で、“ある条件下”であれば、暴力を認めてしまうような考え方が常態化しているとしても、「暴力行為は、どのような関係においても、どのような場所においても、なんらかの条件があったとしても、等しく許されない」という考え方に立たなければならないのです。そして、この「被害女性の態度」を暴力の理由づけとする“認知”に対し、「DV加害者更生プログラム」では、「暴力の責任に関して、飲酒やストレス、被害女性の態度が暴力の理由づけに用いられるが、それらのことがあっても暴力を用いない人が多いこと、あくまでもそうした方法を選択しているのは、DV加害者の自己に都合のいい考えでしかないことを示し、暴力を選択した責任は100%加害者にあることを示す。」として、こうした理由づけをいっさい認めないのが基本姿勢となっています。
 ストーカー規制法にもとづく文書警告をだされ、治療の一環としてカウンセリング(加害者更生プログラム)を打診された加害男性249人(女性は35人)のうち「受けたい」と応えた加害男性はわずか9人(3.61%)であったという報告があるなど、加害者更生プログラムに参加している加害男性はごくわずかです。しかし、「加害者更生プログラムの受講を自らの意志で示す加害者に対し、プログラムを提供する意味は、なにもしないで手を拱(こまね)いているより建設的である」という考え方があるように、「加害者更生プログラム」の存在価値はあります。
 性犯罪の前科がある男が、平成16年に奈良県で起こした女児誘拐殺人事件がきっかけとなり、平成18年、刑務所で「性犯罪の再発防止プログラム」が導入されましたが、平成27年1月、福岡県豊前市で小学校5年生(10歳)の女児が連れ去られ殺害された事件で逮捕され、平成28年10月3日、福岡地方裁判所小倉支部で無期懲役の判決(求刑死刑)が下った内間利幸(47歳)は、過去にも小学生女児を狙ったわいせつ事件を起こし、12年間の服役中に半年間受けた「性犯罪の再発防止プログラム」で学んでいました。そして、“性衝動の制御方法”について、公判で「覚えていない」と回答しているように、その有効性は疑問視されています。子どもを狙った性犯罪は再犯の可能性が高いことから、「日本では13歳未満を対象にした性犯罪者に限り、法務省が出所時の情報を警察庁に提供し、警察が所在確認し、面談などをおこなう」ことができるようになっていますが、強制力がないことから、平成27年12月末で、全国に815人いる刑期を終えた性犯罪者のうち41人(5.03%)の所在しか確認できていません。つまり、刑期を終えた性犯罪者の774人(94.97%)は、自ら性犯罪を繰り返さない抑止のために、自ら警察に所在を知らせ、面談を受ける思い(意志)はないことになります。その刑期を終えた性犯罪者の774人のうちのひとりが、内間利幸でした。
 この「性犯罪の再発防止プログラム」は、犯行に至る行動と思考パターンを省みさせる「認知行動療法」を施し、性衝動をコントロールできるようにすることを目的に開発されていますが、この加害者の“歪んだ認知”に対してのアプローチは、DV加害者やストーカー加害者を対象にした「加害者更生プログラム」と基本的に同じです。
 したがって、DV被害支援室poco a pocoでは、カテゴリー「Ⅲ-8」の「Ⅳ-25-(4)DV加害者の治療と更生。「変わってくれる」との期待感は捨て去る」の中で述べているとおり、被害女性が離婚を回避したり、復縁をしたりする条件として、交際相手や配偶者に対して加害者更生プログラムの受講を望む、つまり、根拠のない期待することに対しては、「No」と考えています。「根拠のない期待感」とは、被害女性が抱くことが少なくない、「結婚したら」「子どもができたら」「男の子(後継者)を生んだら」「こんなに謝ってくれているのだから」ということばを伴って、「きっと変わってくれる」「もう暴力をふるわなくなる」と“思い込む”期待感のことをいいます。この“思い込み”は、暴力を受けながらも、被害者自身の“いまの立ち位置”を捨てたくない思いを正当化する考え方の癖(認知の歪み)に過ぎないわけです。なぜなら、“いまの立ち位置”は、ひとりになって底なし沼のような寂しさに苦しまずにすむ、つまり、「見捨てられ不安」を払拭することができているからです。このような心の問題を抱えている被害者が、加害者に対して抱いている「加害者更生プログラムを受講すれば、変わってくれるに違いない」といった根拠のない期待感は、被害者自身が捨て去る必要があるのです。
 「加害者更生プログラム」は、“これまで”人とのかかわりに暴力を持ち込む考え方の癖(認知の歪み)による過ちを繰り返してきた加害者が、“これから”かかわる人たちに同じ過ちを繰り返さない(再犯防止)ために、加害者自らの強い意志にもとづいて学び直す場です。そして、この学び直しをおこなっている間は、暴力によるかかわりのあった人たち、つまり、加害者と被害者である妻(交際相手)や子どもとはいっさい接触を持ってはいけないのです。
 なお、加害者更生プログラムについては、同「Ⅴ-31.DV加害者更生プログラム。「ケアリングダッド」を実施するうえでの原則」において詳しく説明しています。

-追記-
 「いじめ」被害が発端となり、不登校になったり、自殺してしまったりした事件が公になるたびに、「いじめることは許されない」ことを教える「いじめをなくすためのとり組み(教育)が議論されます。
 しかし、「ある危機下(ストレスがかかる状態)では、人は、自分よりも弱い者、つまり、年老いた者、障害がある者(ケガや病を抱えている者を含む)、女性や子ども、力や知恵が劣る者、他のコニュニティの者などを排除してでも、生存する(危機を乗り越えたり、回避したりする)ために自分を少しでも優位な状況におこうと試みることが“本能”である」から、子どものいじめという行為に及ぶ機会を少なくするためには、「子どもに危機が及ばないこと、つまり、子どもが安全で、リラックスできる環境で生活していること」が必要最低限の条件です。
 子ども大人にかかわらず、人類にとっての「危機的な状況」とは、「死の恐怖」を味わう状況です。人類にとっての「死の恐怖」、つまり、「危機的な状況」とは、古代の人類が肉食獣に襲われ、捕食されることに怯えて暮らしていた状況です。安全で、心穏やかに安心できない環境は「死の恐怖」と隣り合わせ、つまり、「危機的な状況」になり、「強烈なストレス下におかれる」ということです。人類にとって、いつオオカミやコヨーテ、ヒグマ、トラ、ヒョウなどの肉食獣に襲われるかわからない環境、いつ地震や川の氾濫、飢饉など災害にみまわれるかわからない環境、いつ砲弾や銃弾が飛んでくるのかわからない環境、そして、いつ暴力がおこなわれるかわからない環境は、ともに不安と恐怖に怯え、心穏やかに安心できる環境になく、安全が約束されていないという意味でなんら変わるものでない、つまり、人類にとって「危機的な状況」ということです。
 「人類の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられる」ことから、暴力のある家庭環境で育つ子どもの脳の働きは、古代の人類が肉食獣に襲われていた時代と同様に「理性よりも本能優位となる」のです。
 したがって、暴力が常態化している家庭環境で育ち、思春期後期-青年期に達している子どもたちに対し、社会通念(倫理観・道徳観といった規範)、法律上「悪い」行為(ルールは法(規定)に反する行為)であることは明らかであっても、「悪いことだから、止めなさい!」と叱っても、教育的な指導をおこなっても、こうした正論は心に響くことはなく、「俺にとやかくいう前に、まず(虐待を繰り返す)親をどうにかしろや!」、「テメエは親にはなにもいえねえ癖に、なにを偉そうにいってやがるんだ!」と反発するだけです。こうしたときの児童の反応は、大人の本心(汚さ・狡さ)を見透かし、「とるに足らない、くだらないヤツ!」と愛想を尽かしていることに他ならないのです。善悪でものごとを捉え、それを盾(温旗)にして指導することは、子どもの改善の目を摘んでしまいかねないわけです。
 子どもに暴力を加えている親(暴力のある家庭環境で育てている親)、いじめ(暴力)をおこなっている児童や大人に対し、等しく「法に反している」として罰することが必要なのです。「等しく」とは、子どもに大人の狡さや汚さを感じさせないことが重要ということです。それは、同じことをしても誰かが許され、誰かが許されないという“えこひいき(優遇される)”がないこと、つまり、「フェアである」ということです。なぜなら、人は、生き延びる力(権力を含む)や知恵のある者に、とり立てられたり、優遇されたりすることを望んでいるからです。人は、自分以外の誰かではなく、自分が“えこひいき(優遇される)”されたい思いがあることから、「フェアである」ことにとても敏感です。そのため、フェアでないことに、不満、苛立ち、怒りの感情を表しやすいのです。
 「フェアである」ために、大人自身が、フェアでないおこないを律するコミュニティをつくりあげることができなければ、どのような政策であっても、子どもたちにとって、それは「絵に描いた餅」でしかないのです。

(DV環境下で離婚を考えるとき、「片親にしたらかわいそう」との考えを持ち込まない)
 「離婚によって、子どもが情緒不安定になったらかわいそうで、離婚を躊躇してしまう。」と口にする被害者の方がいますが、両親の離婚による子どもへの影響の多くは、離婚そのもの(離婚した事実)によってもたらされるものではなく、離婚に至る“これまで”の家庭環境、つまり、母親と父親(ときには、祖父母を含む)の“負の関係性”を見て、聞いて、察して育ってきたことにもたらされる心の反応です。
 「子どもの手がかからなくなるまで」、「子どもには父親が必要だから」と夫からの暴力に耐え続けてきた被害者の方たちには、受け入れ難いことかもしれませんが、先の通り、子どもが暴力を目撃して育つことは精神的な虐待になるわけです。つまり、両親が離婚した子どもに表れる情緒不安定などの症状は、子どもが“これまで”育ってきた家庭生活で傷ついてきた心の問題をそのままにしてしまった(きちんとケアしなかった)結果によって生じることなのです。
 家をでて、離婚が成立したあと、子どもが対人関係でトラブルばかりをひき起こしたり、対人関係を起因として不登校になったり、万引きや家出を繰り返したりするなど非行的なふるまいがみられるようになったり、リストカットや過食嘔吐(摂食障害)などの自傷行為を繰り返すようになったりしても、それらの問題行動は、離婚そのものが原因なのではなく、また、父親がいない母親(片親)だけで育てていることが原因でもなく、家をでるまで、暴力のある家庭環境で暮らしていたことによる心の傷が原因になっているのです。なぜなら、これらの行為は、暴力のある家庭環境で育った子どもたち(被虐待児童)に共通してみられる傾向だからです。
 そして、残念ながら、暴力に耐え忍ぶ日々では、母親として、そうした子どものふるまい、あるいは、「助けて!のサイン」に気づくことができない(気が回らない)のです。
 したがって、DV環境下では、①「子どもが学校をでるまで、私ひとりががまんすれば」などと問題の本質はなにかを見間違えてしまったり、②「子どもには父親が必要だから」、「子どもは父親に懐いてみえるから」と誤った解釈をしてしまったり、さらに、③「子どもが新しい環境に慣れられるか不安だから」とか、「どうして家をでたの(離婚したの)? 友だちと離れたくなかったのに!」、「(暴力による心の傷が、問題行動を起こしはじめ)こうなったのはお母さんのせいだ!」と子どもから“責められたくない”との思いから、暴力のある環境に留まる判断をしてしまったりしないことが必要なのです。なぜなら、暴力のある環境に留まる、つまり、子どもにDVを目撃させる家庭環境に留まる判断は、子どもに対し精神的な虐待を与える環境に置くという選択に他ならないからです。
* 「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚(民事事件)については、カテゴリー「Ⅲ-7」の「Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚(21-26)」で詳しく説明しています。

(常識的で一般論的な考えは持ち込まず、求められる「身を守る」という選択)
 離婚の方法には、①夫婦が同意して署名し、協議離婚届書を戸籍係に提出する方法(協議離婚)、②家庭裁判所の調停の場で離婚の合意をする方法(調停離婚)、③調停でまとまらず、家庭裁判所が離婚の審判をする方法(審判離婚)、④家庭裁判所の判決で離婚が命じられる方法(判決離婚)*の4つがあります。しかし、激しい身体的な暴行が繰り返されている夫婦関係(同棲関係を含む)では、離婚という戸籍法上の手続きの前に、同棲相手や配偶者の暴力から逃れる、つまり、自身の身(命)を守ることが考えなければならないのです。そして、「離婚しても、子どもの父親としての義務を果たして欲しい」などいった常識的で一般的な考えを持ち込んではいけないのです。なぜなら、常識的で一般的な考え方ができる人物は、どのような理由があっても暴力をふるわないからです。
* 平成15年2月5日、法制審議会は「離婚訴訟を家庭裁判所の管轄にする」という法案要網が発表され、これにもとづいた法改正により、④地方裁判所でおこなわれていた離婚裁判も家庭裁判所でおこなわれるようになりました。
 DV被害者支援の現場では、「被害者は、第三者にいわれたから家をでる、離婚するのではなく、自分の意志で、覚悟を持って家をでる、離婚することが重要であることから、被害者の心が固まるまで待つこと」とされています。なぜなら、長く暴力のある環境に留まってきた被害者には、加害者の上辺だけの優しいことばに心が揺さぶられたり、「子どもから父親を奪ってよかったのだろうか」と自責感の高まりがおきたりするなど、加害者の思いが燻り続ける可能性があることから、被害者の思いに「人にいわれたから、そうしただけ」といった余地を残さないことが重要だからです。
 とはいっても、DVには、身体的な暴行が加えられ命が奪われる怖れがあることから、DV被害者支援として、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等に関する法律(いわゆるDV防止法。以下、配偶者暴力防止法)」にもとづいて、被害者の“一時保護”の決定をしたり、加害者が被害者に対して6ヶ月間接近することを禁止するなどの“保護命令”を発令したりすることで、「加害者の暴力から被害者の命を守る」ことを最優先にしなければならない対応が求められるケースがあります。それは、交際相手や配偶者が別れ(離婚)を切りだしたときに危険の度合いが高まったり、実家で別居している被害者に対して復縁を求めて執拗に接触を求めてきたり、母子寮(母子生活支援施設)などの保護施設(シェルター)などの避難先を探しだして、力づくで連れ戻そうとしたりするケースであり、そして、加害者から逃げ、身を隠して生活するときには、健康保険証を使用したり、転居後に住民票登録したり、GPS(全地球測位システム)機能のあるスマートフォンなどを使用したりしたことが、加害者に居所が知られる事態を招くケースであるなど、加害者から身を守るDV事件ならではの対策が必要になることがあります。
 DV事件において、最も重要な考え方は、「まさか、こんなことはしないだろう」との考えは捨て去り、身(命)の安全を第一に考えなければならないということです。「身(命)の安全を第一に考える対策」とは、「配偶者暴力防止法」にもとづいて、女性センターなどのDV相談機関や警察署を通じて①「一時保護」を求めたり、②地方裁判所に「保護命令」の発令を求めたり、③「一時保護」を経由するかは別として、身を隠すために知らない土地で家屋を借り、生活の再建をはかったりすることを考えるということです。
 特に、③の選択は、これまでの価値観や人生観、歩んできた人生であたり前と思ってきたことが、あたり前ではなくなることを意味します。いまの平和な日本では考えることはほとんどありませんが、それは、国を捨てて他国へ救いを求める選択(難民)と変わりなく、家族や親族、友人や知人とつくりあげてきたかかわり、築いてきた仕事のキャリアなどよりも、自分の身(命)や子どもの命が大切であると考えられるかという同じレベルの問題です。つまり、「命を守ることを最優先に考える」という選択は、家族(親族)や友人との安易な接触はできなくなったり、仕事を続けられなくなったりします。
 どれだけ理不尽で、不合理なことであっても、命を守るということは、“これまで”大切にしてきたものを捨て去って、生活(生き方)の再建をはかっていかなければならないのです。知らない土地で、住民票を移すことができなかったり、新たに銀行口座を開設でき難かったり多くの制約条件のある中で、新しい仕事を探し、生活そのものを一から再構築していくのは並大抵のことではありません。大きな負担を強いられる選択をしなければならないわけですから、必要なことは、揺るがない覚悟です。
* 交際相手や配偶者(ともに元を含む)に対し、「復縁を求めた話し合い」ために、「待ち伏せをする」「居所を探しだす」「力づくで連れ戻そうする」といった“つきまとい”行為に対しては、「配偶者暴力防止法」の他に、「ストーカー行為等の規制に関する法律(以下、ストーカー規制法)」で対応することができます。「配偶者暴力防止法」では、配偶者(事実婚、ならびに、元を含む)だけでなく、同じ居住地で生活を同じくする者(元を含む)も対象となっています。詳細は、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-21.一時保護の決定、保護命令の発令。「身を守る」という選択」で説明しています。さらに、ストーカー行為そのものについては、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-4-(4)ストーカーの特性」、「同-(5)SRP」のストーカー類型、ストーカーの背景や特徴・介入」で、加えて、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-24-(7)被害者宛のメールからストーカーリスクを把握する」で詳しく説明しています。
 なお、「婚姻破綻の原因はDVにあるとして、“離婚を前提に家をでる」ときに、事前に、知っておかなければならないことはなにか、なにを準備しておかなければならないのかについては、同「Ⅳ-23.DV離婚を考えたとき、事前に確認しておくこと」で詳しく説明しています。




Ⅶ-1.<DV・虐待・性暴力被害データ。支援・対応の現状>新聞事件簿。
 DV・児童虐待、レイプなどの性暴力は、被害者にPTSDなどの後遺症を発症させるだけでなく、加害者と被害者(殺人の場合、被害者遺族)という構図が伴います。こうした行為には、親やきょうだい、親族、友人、上司や同僚、担任など、当事者以外の者が多くかかわり深い傷を残します。また、児童虐待や面前DV被害が、次の世代で、虐待の加害者、デートDV・DVの加害者や被害者となる可能性が高くなることなど、公表される統計データから読みとれる事実は重要です。
 なお、公表される数字には、対象となる年齢層の人口の増減が配慮されていないなど、被害の状況の深刻さや改善されている効果を示すための意図的な論点表記がされていることがすくなくないことから、数字の読みとりについては、公表される数字だけでなく、「対比(%)」や「人口10万人あたりの人数」を別途算出するなどして正確に把握していくことが必要です。
 そして、それぞれのデータの“行間を埋める”のが正確な知識です。


Ⅶ-2.<DV>新聞事件簿。あなたの隣の女性を救おう!
 ドイツ出身の精神分析学・心理学者エーリッヒ・フロムは、『愛するということ(1956年)』の中で、人を愛するのに必要な能動的性質として、「配慮」「尊重」「責任」「理解(知)」の4つをあげています。
 最初の「配慮」とは、相手の気持ちや立場を考えること、つまり、他人に対する気遣いのことで、人間関係を成り立たせるためには欠かせないものです。有効な対人関係を築くには、相手がなにをすれば喜んでくれるのかとか、なにをすれば嫌がられるのかを配慮することが不可欠です。しかし、アタッチメント獲得に問題を抱え、自己と他の境界線があいまいなまま成長したことから、自己中心的であり、一方で、渇望感を埋めるための承認欲求が強いDVや虐待、性暴力、ハラスメントなど、本来対等な関係性に対し、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使する加害者は、人の気持ちに思いを馳せることができません。したがって、一見、優しく感じたり、気遣っていたりするように見えるDV加害者のふるまいは、優しくされ、気遣われていい気分になっている相手の姿や言動に対し、自らの影響力に酔いしれているだけなのです。つまり、自分が満足をえる(承認欲求を満たす)ためのふるまいでしかないということです。
 次に、「尊重」とは、“お互い”に相手の気持ちや意志を大切にし、相手も1人の人間であり、自分と平等に価値のある大切な存在であると認めることです。お互いに配慮し合い、お互いを敬い、お互いを慈しむ気持ちがあれば、気持ちのいき違いや多少の対立があったとしても、それを乗り越えることができます。しかし、「お互いを尊重する」という考えは、詮索・干渉し、束縛し、意に反するふるまいを決して許さないDV加害者が求める夫婦の関係性では、決して成り立たつものではないのです。
 三番目の「責任」は、お互いに支え合うために、前もって心構えをしておき、相手の求めに応じておこなう姿勢そのものを指します。お互いに困ったときには助け合う、つまり、親子や夫婦の間での「扶助義務」という考えは、この責任という行為にもとづくものです。アタッチメントの獲得に問題を抱え、自己と他の境界線があいまいなまま成長したDV加害者は、ものごとを自己中心的、つまり、一人称でしかものごとを認識することができないことから、自分のおこないはすべて正しいと解釈します。この考え方の癖(認知の歪み)が、全能感を生みだします。そのため、自己のミスや過ちを認めることができず、他人に責任を押しつけることで自己のふるまいを正当化し、非を逃れる必要がでてきます。自己のふるまいを強引に正当化するためには、やはりパワー(力)を行使する必要があります。DV加害者の「謝る」という行為は、自己利益にもとづくための行為であることになります。自己に不利益な(鬱陶しい)状態を収める(回避する)ため、つまり、自分にとって平穏な元の状態に戻すための“術”でしかないことから、元の自分にとって平穏な元の状態をとり戻すことができたときには、「もう二度と暴力はふるわない」といった約束は、なんの意味も持たないのです。
DV加害者は、自己利益にもとづかないできごとに対して、責任を果たさなければならないとか、約束を守らなければならないという“概念そのもの”を持ち合わせていないのです。
 最後の「理解(知)」は、相手を理解するということだけではなく、相手を知ることによって自分自身を知るという意味を含んでいます。
 「他人は自分を映す鏡」ということばがありますが、向かい合った人の瞳には、必ず自分の姿が映っています。人は、自分のことをわかっているように思っていても、実は、まるでわかっていないということが少なくないのです。私たちは他人とのかかわりの中で、はじめて自分自身のことが見えてきたり、気づかされたりすることがあります。人は、他人の仕草や表情、ふるまいを通して、その根拠を探ろうとします。そして、それを自分自身に投影することで、自分の欠点や長所を知る手がかりにします。しかし、主語が“俺が”“俺は”と一人称しか獲得できていないDV加害者は、自分の描いている理想の世界観、夫婦観と異なる概念、そして、意に反するふるまいを受け入れることができません。つまり、自分のふるまいはどこも悪くない、悪いのは相手(あるいは、社会)であるとしか認識することができないことから、他人のふるまいを見て、我がふるまいを考えたり、直そうしたりする必要性という概念が存在していません。なぜなら、そうした思考回路を獲得することができずに育ってきているからです。
 このように、DV加害者は、フロムが述べている人を愛するのに必要な能動的性質、つまり、「配慮」「尊重」「責任」「理解(知)」の4つすべてを持ち合わせていないのです。
(補足)
 「もしかして、DV被害にあっているのでは?」と意識することができているときには、「主人が」、「旦那が」といった“夫の呼び方(口にすることば)”を見直していただきたいと思います。
 「主人」に対応することばは、「僕(しもべ)・下僕」「従じる者」ということになります。夫のことを主人と呼ぶ夫婦関係は、ことばの意味そのまま適用すると、「主たる者(支配する者)」と「従じる者(支配される者)」という関係を示すことになります。つまり、夫婦の関係に主従、上下と立場を受け入れている、認めてしまっている言動ということになるのです。
 あなたの存在は、夫の「僕(しもべ)・下僕」、あるいは、夫に「従じる者」なのですか? あなたは、「私は夫の下僕です。」、「私は夫の僕(しもべ)です。」、「私は夫に絶対服従している者です。」と自己紹介しますか? それとも、「私は夫の下僕ではない」、「夫の奴隷ではない」、「夫に従じる者(支配されている者)ではない」と、あなたが正しく認識できているのなら、いま直ぐに、夫のことを「主人」と呼ぶのをやめる必要があります。
 次に、「旦那」という呼称ですが、「旦那」とはサンスクリット語の仏教語ダーナに由来し、“与える”“贈る”といった「ほどこし」「布施」を意味し、もともと僧侶に用いられてきたことばです。その後、一般にも広がり、「パトロン」のように“生活の面倒をみる人”“お金をだしてくれる人”という意味として用いられるようになりました。つまり、「お妾や生活の面倒を見てくれる人のこと」を旦那様と呼び、「奉公人が生活の面倒を見てくれる人、住み込みで仕事を与えてくれる人のこと」を旦那様、ご主人様と呼ぶようになっていったのです。
 その妾や奉公人が使っていた呼称を、夫婦間の呼称として使っていることは、嫁という概念や妻という立場が、家庭の中、夫婦の間でそれ同等の解釈(扱い)のもとで成り立っていることを意味します。
 あなたが、「たとえ専業主婦であり、夫が働いてきた給料で生活をしているからといって、夫婦の関係そのものには主従の関係はおかしい、立場は平等であるはずだ。」と正しく認識できているなら、夫のことを「主人」とか「旦那」と呼ぶのをやめなければならないのです。なぜなら、精神的な問題として、DV環境から逃れる、暴力に支配される関係性を断ち切るにあたって、夫のことを「主人」とか、「旦那」と呼んだり、表現したりすることは望ましくないからです。
 「夫」と呼ぶところからはじめましょう。「俺が妻子の生活の面倒をみているのだから、文句をいうな! 黙って、俺に従っていればいいんだ!」といった“支配するもの”と“支配されるもの(従属するもの)”といった上下関係を示唆(意味)する「ことば」を使わない、発しない(口にしない)ことが大切だからです。人の脳は無意識であっても、ことばを発することによって、そのことば通りに、「自分は、夫の支配下にある位置づけである」と認識してしまうのです。つまり、夫ではなく、主人とか、旦那と呼ぶことは、「自分自身でその関係性を受け入れます」と“自己宣言”していることになるのです。
* DVの本質は、本来対等であるはずの男女(夫婦間、交際者間)の関係に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使することですから、“関係性”で理解する必要があります。つまり、「上にたとう(支配しよう)とする者」と「下におかれる(支配され、従属させられる)者」という”関係性”であることから、①カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-3.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか(1)-(6)」、②同「Ⅰ-4-(2)デートDVから結婚に至る経緯」に目を通していただければ、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法、いわゆるDV防止法)」第二条の三にもとづいて作成される「都道府県(市町含む)基本計画」の中で「対象とする暴力として、身体的暴力、性(的)暴力、精神的暴力、経済的暴力がある」との記載が意味するものについて理解を深めていただけると思います。
 そのうえで、「相反する拒絶と受容のことばやふるまいを繰り返される」ことにより思考混乱をおこし、暴力の恐怖により機嫌を損ねないように意に添うようにふるまうなど、暴力に順応することで生活を続けざるをえなくなった、つまり、「暴力のある環境で生活を続けること=マインドコントロール下におかれてきたこと」についての理解には、加害者特性の理解、つまり、DV加害者がどのようにふるまうのか、その支配するための暴力により、被害者はどのような“負”の思考パターンに陥っていくことになるのかに目を向ける必要があります。そこで、③カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-24.DV加害者に共通する行動特性」に目を通していただきたいと思います。加えて、その中で説明している「感受性訓練に似通った言動パターン」にもとづき、④カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-5.被害者心理。暴力で支配、マインドコントロールされるということ」に目を通していただくことによって、“人との関係性”のいう捉え方でDVを認識することがいかに重要なことなのかを理解していただけると思います。
 また、生活を共にしていた交際相手(元を含む)、あるいは、配偶者からの暴力から逃れるために女性センターや警察を通して施設への一時保護を求めたリ、地方裁判所に保護命令の発令を申立てたりすることについては、⑤カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-21.一時保護の決定、保護命令の発令。「身を守る」という選択」で、さらに、⑥「婚姻破綻の原因はDVにある」として、家庭裁判所に離婚(夫婦関係調整)調停を申立てるときには、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚(21-26)」において、DV事件特有の問題、そして、それに準じた考え方の重要性などを理解していただけると思います。
 加えて、暴力のある家庭環境で子どもを育てることは、面前DVとして、「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」では“精神的虐待”とみなされることから、暴力のある家庭環境で育ち、再び、交際相手や配偶者から暴力を受けることになった被害者も併せて、⑦「Ⅲ-2」「Ⅰ-1.虐待の発見。DV家庭における子ども」、「Ⅲ-4」「Ⅱ.暴力のある家庭で暮らす、育つということ(6-12)」において、子どもへの心身への影響についての理解を深めていただければと思います。


・DV相談ナビ(内閣府男女共同参画局)
0570-0-5521(全国共通)
発信地等の情報から最寄りの相談機関の窓口に電話が自動転送されます。

・警察相談専用電話
♯9110
緊急性のないDVやストーキング、悪質商法や近隣や職場などでのトラブルなどの普段の生活の安全の問題について相談に対応します。
* 所轄の警察署の生活安全課で、配偶者や交際相手(ともに元を含む)によるDV、つきまといなどのストーカー行為に対して相談し、携帯電話や固定電話の電話番号と住所を登録すると、110通報(発信)により、直ちに登録されている住所に駆けつけてもらうことができます。ただし、緊急性を伴う110通報が、登録した住所以外のときには、「家ではなく、いま・・にいます」と駆けつけてもらう場所を伝える必要があります。

・急な病気やけがの際に救急車を呼ぶべきかを相談する窓口
♯7119
電話で、東京都など全国7地域で専門家に相談できます。

** DV被害支援室poco a pocoでは、「婚姻破綻の原因は配偶者によるDVである」とする離婚調停(夫婦関係調整調停)において、妻への暴力を認めなかったり、「離婚する理由はない」と頑なになっていたり、逆に、「暴力を受けていたのは私の方だ!」と被害者を装ったりするケースで、DV加害者である夫ではなく、2名の調停委員(夫婦間に15歳以下の子どもがいるケースでは2名の調査官が加わることがあります)、審判官(調停の場には直接顔をだすことはありません)に対し、「妻が夫になにをされてきたのか」、「夫の暴力により妻はどのような状況におかれてきたのか」を正確に理解してもらう、つまり、「夫からの妻へのDVがいかに深刻なものであったかを伝える(立証する)」ために、DV被害の状況を「現在に至る事実経過」としてまとめるお手伝いをしています。詳しくは、カテゴリー「Ⅰ-I. 活動方針、問合せ・相談方法など」の「<メール・電話相談、面談>Ⅰ.夫からの暴力にもう耐えられないので、「話を聴いて欲しい」「どうしたらいいのか相談にのって欲しい」、または、「確認のための質問をしたい」という方へ」、「<メール・電話相談、面談>Ⅱ.離婚調停で、DVのことを理解してもらえず、どうしたらいいのかわからないので、離婚調停に向けてのサポートを希望される方へ」にて確認いただければと思います。


Ⅶ-3.<デートDV。ストーキング・リベンジポルノ>新聞事件簿。嫉妬・執着
 ここ1-2年(2011-2012年)、デートDV・DV被害から逃れた元交際相手や元妻に対し、執拗に復縁を迫り、拒まれると殺害し、その後、自死して“自分のもの”にしてしまう凄惨なストーカー事件が続いています。それは、血肉を自身にとり込む意味以上に、魂の結合を目的とする病理性の高いふるまいです。また、別れ話がでていた大学生に「お願いだから死んでくれ。」、「手首切るより飛び降りれば死ねるじゃん。」とLINEでメッセージを送られ、2日後にビルから飛び降り亡くなるといった哀しい事件も起きています。
 DV被害者の多くは、交際時、相手から執拗な詮索や干渉、強い束縛を受けていたり、否定され、非難・批判され、侮蔑され、卑下されたりするといった心ないことばの数々を浴びせられていることから、ふとしたときに「この人を怒らせたら(機嫌を損ねたら)、なにをされるかわからない」と感じています。また、その恐怖感を心の奥にしまい込み、「結婚したら、きっと変わってくれる」、「子どもができたのだから、きっと変わってくれる」と根拠のない期待感を自分にいいきかせていることもあります。そのため、DVから逃れたいと思い第三者の専門機関に相談したとき、はじめて「デートDV」にあっていたことを指摘されて驚くことが少なくありません。
 また、家をでて、離婚が成立できたとしても、「やっぱり子どもたちのことを考えると両親が揃っていた方がいい。もう一度、やり直さないか!」と執拗に復縁を迫られたり、養育費の支払いが滞ったとして連絡すると、「話し合おう」とよびだされ、暴力をふるわれたり、レイプ被害にあったりすることさえあります。さらに、復縁を求められ、執拗なつきまとい(ストーカー行為)のあとに殺害されてしまうこともあります。
 「そこまで考えなければ(制約されなければ)ならないの?!」と思われるかも知れませんが、SNSに投稿した写真にはGPS情報(位置情報)が残っているため、そこから居所を特定されるリスクがあることから、別れを切りだし、家をでたあと居所を特定され復縁を強く求められるなどのつきまとい被害を防ぐためには、SNSへの写真投稿には細心の注意が必要になります。DV事件では、家をでて身を隠して生活をはじめても携帯電話の電源を入れることでGPS機能が働き、居場所を特定される怖れもでてきます。配偶者や交際相手からのDV被害から逃れるときには、理不尽な思いをさせられますが、身(命)を守ることを第一に考えなければならないことがあります。
 そして、デートDVを考えるうえで忘れてならないのは、リベンジポルノという問題です。
 自撮りしたヌード写真や動画を交際相手にわしたり、交際相手や配偶者に撮られていたりしたものを、別れた腹いせとして、元配偶者や元交際相手が画像や動画をインターネットにアップするのが“リベンジポルノ”で、その被害が深刻化しています。
 映画『リベンジポルノ(2014年)』では、交際相手の要求に応え、自身の裸(下着姿を含)の画像や動画を渡した“こころのあり方(真理)”と、別離後、リベンジポルノの被害に合うという“歪んだ愛のあり方”を描いています。そして、「20-30代の女性の16%が、交際相手にヌードを撮影された経験がある」との調査結果があります。しかし、この数字には、ペン型や100円ライター型、腕時計・置時計型といった器具を用いた盗撮画像や動画については、本人が知らないところで撮影されているため、当然、含まれていません(盗撮サイトには、リベンジポルノという趣旨だけではありませんが、本人が知らないところで投稿され、拡散されていることがあります)。
 アメリカでは近年の被害増加にともない、2013年カリフォルニア州で罰則を科す改正法が成立し、日本においても自民党がリベンジポルノ被害防止法案を取りまとめ、今国会に提出する準備を進めています。この法案が成立すれば、加害者には、最高で「懲役3年以下もしくは50万円以下の刑が科せられる」ことになります。しかし、リベンジポルノは、「デジタルタトゥー」といい表されているように、一度インターネットに流されてしまうと、次々にコピーされ保管されたり、拡散されたり、永遠に画像や動画を消し去ることができなくなります。5年、10年経過したあと、その画像が動画を見た身も知らない第三者から脅され、更なる被害に発展してしまうリスクさえ残すことになります。
 性暴力(妊娠リスク(レイプ被害(72時間ピル)、性病リスク、リベンジポルノ)、薬物リスクなど、人生を破滅させる怖れのあるものとして、更なる「デートDV」に対する教育啓蒙が必要不可欠です。
 婚姻後のDV被害を防ぐには、まず「デートDV」を防がなければならないのですが、そのためには、人を見極める力(目利き力)を養っていくことが必要なのです。それは、知識だけで補えるものではなく、子どもに正しい愛情を与えているかが問われていくことになります。つまり、親としての子どもとのかかわり方、コミュニティ社会としての子どもたちとのかかわり方で、後に加害者の親になったり、被害者の親になったりするということを忘れてはならないのです。
 最後に、「デートDV」における支配のための暴力の対象は交際相手ですが、それは、男性から女性、女性から男性だけでなく、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダー(LGBT)といった同性愛者同士を含むものです。LGBTについては、社会的認知が少しずつ進んでいるものの、以前として偏見、差別の対象になりやすい状況には変わりはありません。そして、社会的に弱い立場であるがゆえに、誰にも相談できずに事態が深刻になりやすいことを記しておきます。
 したがって、元交際相手や元配偶者によるつきまとい行為であったとしても、家族、加害男性と同性である男性の上司や同僚、そして、友人などが間に入った話合いで解決できるとは考えず、DV被害者支援機関や警察による介入が必要です。
* 交際相手や配偶者(ともに元を含む)に対し、「復縁を求めた話し合い」ために、「待ち伏せをする」「居所を探しだす」「力づくで連れ戻そうする」といった“つきまとい”行為に対しては、「配偶者暴力防止法」の他に、「ストーカー行為等の規制に関する法律(以下、ストーカー規制法)」で対応することができます。詳細は、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-21.一時保護の決定、保護命令の発令。「身を守る」という選択」で説明しています。さらに、ストーカー行為そのものについては、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-4-(4)ストーカーの特性」「同-(5)「SRP」のストーカー類型、ストーカーの背景や特徴・介入」で、DV加害者のストーカーリスクについては、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-24-(3)妻が家をでたあと、DV加害者が送るメールやLINEに認められる特徴」、「Ⅳ-24-(7)被害者宛のメールの文面からストーカーリスクを把握する」で詳しく説明しています。また、被害者自身が無自覚であっても、交際のきっかけとなった出会いそのものがつきまとい行為によるケースも少なくないことから、「Ⅰ-4-(2)デートDVから結婚に至る経緯」でとり扱っている事例で詳しく説明しています。
 それだけでなく、つきまとい・ストーカー行為については、リベンジポルノという問題も含みますが、「Ⅰ-4-(1)デートDV。人生に大きな影響を及ぼすリベンジポルノとレイプ」で詳細に説明しています。
 加えて、別れを切りだしたことがきっかけとなり、凄惨な事件に発展したケースについては、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-4-(3)デートDVとストーカー殺人事件」で詳しく説明しています。
 これらの記事は、カテゴリー「Ⅴ」の「「デートDV」誌上講座(「ストーカー被害の防止」を含む)」として再編・新規構成し、別途投稿しています。


・ストーカー被害の相談窓口
 警視庁(電)03・3581・4321など全国の警察
 法務局「女性の人権ホットライン」(電)0570・070・810

** DV被害支援室poco a pocoでは、DVに耐え切れず、別れを切りだして家をでたものの、復縁を求めるために、DV加害者である配偶者(元を含む。同居していた交際相手(元を含む))が、職場や学校園で待ち伏せをしたり、電話やメール(LINEなどのSNSを含む)を繰り返したりするなど執拗に接触を試みているケースで、警察や女性センターなどの機関に相談したり、あるいは、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等にかんする法律」にもとづく“一時保護”を求めたりするとき、「被害の状況やつきまとい行為の深刻さを的確に伝える」ために、DV被害の状況を「現在に至る事実経過」としてまとめるお手伝いをしています。詳しくは、カテゴリー「Ⅰ-I. 活動方針、問合せ・相談方法など」の「<メール・電話相談、面談>Ⅰ.夫からの暴力にもう耐えられないので、「話を聴いて欲しい」「どうしたらいいのか相談にのって欲しい」、または、「確認のための質問をしたい」という方へ」、「<メール・電話相談、面談>Ⅱ.離婚調停で、DVのことを理解してもらえず、どうしたらいいのかわからないので、離婚調停に向けてのサポートを希望される方へ」にて確認いただければと思います。


Ⅶ-4.<逆DV>新聞事件簿。女性から男性への暴力、女性の心に潜む病理
 新聞や雑誌で「逆DV」という用語が用いられているので、分類上「逆DV」としていますが、本来、こうした用語は存在しません。
 「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法。いわゆるDV防止法)」において、女性を擁護的に扱っているものの、“配偶者(法改正により、同じ家で生活を営んでいる交際相手まで対象を広げています)”と記載されている通り、「夫」「妻」の双方が対象となっているものです。ところが、多くのメディアでは、女性から男性への暴力を「逆DV」とか、「逆パワハラ」「逆セクハラ」といったいい方(表現方法)がされています。こうした表現方法こそが、本来、性差別や偏見を如実に表すものに他なりません。
 配偶間の暴力において、「夫が加害者で、妻が被害者」となる比率は、“相談レベル”では98.4%対1.6%(平成26年度)と圧倒的に女性が被害者になっています。しかし、平成19年の横浜市がおこなった調査では、交際経験がある人の中で「デートDVの被害にあった」と回答したのは、女性371人中144人(38.81%)で、男性は204人中56人(27.45%)、同年神戸市がおこなった調査では、「デートDVを受けたことがある」と回答した女子が38%、男子が29%で、横浜市と神戸市でおこなわれた調査ではほぼ同じ結果がでている一方で、平成26年、交際相手からの暴力被害の相談件数3,300件のうち、女性からの相談が3,233件(97.97%)、男性からの相談は67件(2.03%)と、婚姻関係における相談比率と変わらない結果になっています。以上のことから、配偶者間の暴力のうち25-35%は、「妻が加害者で、夫が被害者」というのが実情だと思われます。
 「本来対等な関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使すること」という暴力の構造(DVの本質)としては、男女の違いはないものの、女性から男性への暴力の背景には「大切にされない」「報われない」思い、「見捨てられ不安」を起因とする“試し”の要素が、男性よりも強く表れる傾向があります。それに対し、男女の違いが顕著に表れるのが、子どもへの虐待について「親だから、子どもへの暴力は許される」と暴力を正当化しようとする間違った認知(価値観)が働くように、DVにおいても、「男だから女性への暴力は許される」「女性は男性の暴力に耐えなければならない」といった間違った認知(価値観)が強く働き、それを、親の世代、そして、社会がそれを容認している(後押ししている)事実です。この問題は、加害男性だけの問題だけでなく、社会的な背景が色濃くかかわり、世代間で受け継がれやすい価値観(認知)にもとづいているということです。つまり、DVという問題は、「男のくせにめそめそするな!」、「女のくせに生意気だ!」といった数世代にまたがる“ジェンダー観”抜きには考えられないのです。
 したがって、このブログでは、「被害者」を主に“女性”としているのは、「男だから女性への暴力は許される」、「女性は男性の暴力に耐えなければならない」といった間違った価値観(認知)にフォーカスすることなしに、DV問題を考えられないこと、そして、暴力を防ぐ施策を講じることができないからであって、「被害者」としての“男性”を軽視しているわけではありません。


Ⅶ-4.<虐待>新聞事件簿。あなたの隣の家の子どもは大丈夫?子どもを助けてあげて!
 新聞に「子どもの頬に平手を張った父親が暴行罪で逮捕される」といった記事が載ることがあります。こうした記事を通じて、日常的に繰り返されている家庭内の暴力であっても、警察に被害届を提出することで、暴行罪や傷害罪として刑事事件として扱われるわけです。あなた(とお子さん)の身を守る、つまり、配偶者からの暴力・DVから逃れるには、状況によっては、配偶者の逮捕を辞さない、子の父親の逮捕を辞さない覚悟が必要です。
 「虐」という字は「虎」が「爪で傷つける」という意味があります。虐待の定義は大人が子どもに不当な権力行使をし、その結果、子どもの心身に重大な影響が生じることをいいます。「しつけ」との違いは、「子どもの側から見て、親との間に不適切な関わりがあり、結果、子どもの心身になんらかの障害が認められるかどうか」ということになります。つまり、子どもの人権を無視した大人の誤った力の行使はすべて虐待とみなされることになります。子どもに対して殴ったり、蹴ったりする身体的暴力がなくとも、両親の間で暴力がおこわれているなら、たとえ、子どもが暴力を見たり聞いたりすることがなくとも、暴力があった気配を感じる状況にさえあれば、子どもに対して「精神的虐待」を加えていることになるのです(児童虐待防止法)。この状態のことを「面前DV」といい、子どもの脳の発達に大きなダメージを与え、将来にわたり心身の健康を損なう要因となっています。
 虐待が子どもに及ぼす影響は、a)子どもの身体生命への危険に加え、b)子どもの心に深い傷を残したり、c)将来の犯罪に繋がりやすくなったり、c)次世代にも虐待をひきおこしたりする(虐待の連鎖)ことです。
 「子どもの愛し方がわからない」、「どう接したらいいのかわからない」、なぜなら、「私は親から殴られ、罵倒されて育った」と、親からされてきたことでしか接することができないなど、虐待の背景のひとつには、親から暴力を受けて育っていたことがあります。「親に与えられたやり方でしか、子どもに与えられない」ように、暴力で支配する親子関係は、暴力で支配する親子関係を青写真のようにゆっくりと時間をかけ、確実につくりあげてしまうのです。加えて、DVを受けている母親が「子どもには父親が必要だから」、「子どもが学校をでるまで」と耐え続ける生活は、子どもにDVを目撃させ続ける(精神的な虐待を与え続ける)、つまり、子どもを虐待環境で暮らすことを強いることになるのです。
 「あんな親のようになりたくない」と固く誓った被虐待児童が、成長し、親となったとき、親と同じやり方でしか子どもに接することができない悲劇が、DV・虐待問題の背景に少なからず存在しています。
* 平成29年3月7日、政府は、児童虐待対応への家庭裁判所の関与強化を柱とした児童福祉法などの改正案を閣議決定し、平成30年度の施行を予定しています。これにより、子どもを親から引き離して施設入所などをする前に、親子関係が改善するよう促すなど、児童相談所が保護者を指導するように家庭裁判所が勧告できるようになります。
現法では、保護者の同意なく子どもを施設などに入れる場合は、児童相談所の申立てを受けて、家庭裁判所が審判していますが、新制度では、家庭裁判所における審判の前に、児童相談所による指導を勧告できるようになります。勧告は、都道府県を通じておこなわれ、指導内容は、生活環境の改善や児童相談所のプログラム受講などで、期間はケースごとに定められ、勧告は保護者に通知されます。これらは、現法においても、指導はできるものの、児童相談所に対して保護者が反発するケースがあることから、家庭裁判所が関与することで指導の実効性を高めることを目的としています。
そして、指導を受けても改善が認められないときは、家庭裁判所が施設入所などを承認します。一方で、改善が認められ、施設入所などを却下する判断が下されたとしても、家庭裁判所がひき続き指導が必要だと判断したときには、再度勧告することができます。
また、児童相談所の判断で、虐待を受けた子どもを保護者からひき離す「一時保護」が2ヶ月を超えるときには、家庭裁判所の承認が条件とされます。これは、現在、都道府県の児童福祉審議会に意見を聴くことになっているものの、実態は、児童相談所の判断を追認することが多いことから、一時保護の長期化を抑制することを狙いとなっています。
さらに、保護者に子どもとの接触を禁止する都道府県知事による接近禁止命令の対象も見直されます。これにより、現在は「保護者の意に反した施設入所など」に限られていますが、同意にもとづく入所や一時保護中などにも拡大されることになります。


(虐待の影響、後遺症)
 虐待は、死に至らなくても深刻な影響を及ぼします。後遺症を子どもに残し、そして、過酷な人生を子どもに背負わせることになります。被虐待者の怒り、恥辱、絶望が内に向かう場合には、抑うつ、不安、自殺企図、PTSDを生じ、虐待の影響が外に向かう場合、攻撃性や衝動性が高まり、非行につながるリスクが高まります。
 虐待を受けた子どもたちは、思春期には、被害念慮(自分だけが愛されていないという考え)が強くなります。そして、非行(とくに性的逸脱行動)、家庭内暴力、学校不適応(学習困難)、物質使用(とくにアルコールや喫煙)という問題行動が現われます。脳神経系の「依存の神経回路」が乱れることから些細なきっかけで、激しい怒りが込みあげてきたり、パニックが生じて大暴れしたりします。これは、トラウマ記憶のフラッシュバックと表裏一体のもので、思春期以降にPTSDと解離症状が明確になり、青年期には、解離性障害や行為障害(成人後、反社会性人格障害)へ展開していくことになります。
 青年期以降に発症する精神疾患としては、うつ病や統合失調症(精神分裂病)、アルコールや薬物依存、PTSD、そして、解離性同一性障害(多重人格)、境界性人格障害(ボーダーライン)、自己愛性や妄想性、反社会性などの人格障害(パーソナリティ障害)などがあげられます。つまり、虐待は、子どもの脳の発達過程において、人格の変化をもたらすということです。虐待によって生じる行動面や精神面の特徴は、「発達性トラウマ症候群」として、下記のようにまとめることができます。
 行動面の特徴は、異常な警戒心、過食、排便・排尿障害、異常に素直、頑張り過ぎ、多動、過度の乱暴、虚言、詐欺的行動、性的逸脱行動などで、精神面の特徴は、さまざまな発達の遅れ、抑うつ・無表情・かん黙、学業不振(集中力の欠如)や宿題忘れや学習用具の忘れ、パニック、チック(瞬き、顔をしかめるなど)、見捨てられ体験による被害念慮などがあげられます。思春期を迎えるころには、不登校、家出、夜尿、拒食や過食などの摂食障害、自分で自分の体を傷つける自傷行為、万引きなどの問題行動がみられるようになります。
* 「児童虐待」については、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス」の中でとりあげている事例2(厚木男児監禁遺棄致死事件).事例3(江戸川区岡本海渡くん事件).事例4(狭山市羽月ちゃん事件)、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅱ-9-(14)子どもに手をあげる背景。幼児期に抑圧された怒り」の中でとりあげている事例79-84、同「Ⅱ-9-(15)回避的な意味を持つ子どもの「非行」」の中でとりあげている事例86(大阪2児餓死事件)において、児童虐待の“本質的な問題はなにか”を把握することができます。また、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-1.虐待の発見。DV家庭における子ども」の中でとりあげている事例5-27、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅱ-10-(5)性暴力被害と解離性障害」の中でとりあげている事例102-130において、虐待を受けた子どもたち(被虐待者)が、“どのような後遺症に苦しみ続けているか”を理解することができます。

(虐待可能性に対しての「匿名」での通報)
 虐待という問題は、他人事ではなく自分事として、「虐待が疑われる(夫婦間にDVがあるときを含む)なら通報する」ことが、子どもの命(心の命を含む)を守ることになります。そして、暴力・虐待が行われている事実を知った(察した)ら、警察や児童相談所に“通告する義務”があるのです(児童虐待防止法)。警察や児童相談所に通報すると、「あなたのお名前と連絡先を教えてください」と訊かれますが、「「あなたが通報したんじゃないの?」と詮索されたりしたくないので、匿名でお願いします。」と応えることで、通報に対する障壁を下げて欲しいと思います。
 次の文章は、チルドレン・ソサエティ著『虐待とドメスティックバイオレンスの中にいる子どもたちへ。ひとりじゃないよ(明石書店)』の「扉のことば」です。
この本はあなたのためにあります
もし、おとながあなたをたたくようなら、
もしおにいさんやおねえさんがあなたをたたくようなら、
もし、自分がはなすことばや、自分がすることに、いつも気をつかわなければならない、そんなおうちに、あなたが住んでいるとしたら、
おうちの人が、だれかをたたいたり、けったり、なぐったりする、そんなおうちに、あなたが住んでいるとしたら、
もし、おとうさんか、おかあさんの恋人が、おかあさんをたたいて、おかあさんが、しょっちゅうけがをしたり、青あざがあったり、骨折したりするようなら、
もし、おとうさんが、おかあさんに暴力をふるって、あなたたちが、おうちに安心して住めないようなら、
この本はあなたのためにあります!
もし、友だちにこのようなことで困っている子がいたら、
この本はその友だちのためにあります!
 私たちのコミュニティにおいて、「いま、暴力のある家庭環境で暮らす子どもたち」に対して、“このようなことば”でなげかける機会が早く訪れて欲しいと思います。子どもの心身の健全な成長を守るには、暴力のある家庭環境から子どもを離すことしかないのです。そして、重要なことは、暴力のある関係から離れた(関係を断ち切った)母親と子どもに対して、福祉・医療など連携したサポートです。
* 子どもたちを日々接している学校園の教職員が、児童虐待・面前DVが子どもに与える影響や、子どもが発している『SOS』のサイン等について基本的な知識があれば、早い段階で発見することができ、関係機関への介入、そして、支援につなげられる可能性が高くなります。詳細は、カテゴリー「Ⅲ-5」「Ⅲ.学校の現場で、児童虐待・面前DVとどうかかわるか」で説明しています。

※ 匿名での通報⇒<リンク>児童虐待防止対策(厚生労働省)→悩んだらここに相談(児童相談書一覧と全国共通ダイヤル(0570-064-000))→全国の児童相談書一覧

※ 平成27年6月30日、虐待通報は『189(いちはやく)』と3桁なりました。


Ⅶ-6.<性暴力>新聞事件簿。自尊感情を奪われさ迷うことになる卑劣な行為
Ⅶ-7.<性的逸脱>新聞事件簿。パラフィリア。抑圧、稚拙で抑制不能な性衝動
Ⅶ-8.<性的搾取・ネットに潜む闇>子どもたちがはまり、大人がつけ込む
Ⅶ-9.<ハラスメント・体罰(暴行)>新聞事件簿。優越感の充足、構造的暴力
 性暴力、性的虐待、セクシャルハラスメントがおこなわれる状況は、「相互の関係性に、本来対等であるという“概念”が欠落している」ということを理解することが重要です。つまり、上下の関係性、支配と従属の関係性のもとでおこなわれる卑劣な行為です。
そして、夫婦間におけるセックスの問題は、いろいろな心のあり方が組み紐のように複雑に絡み、他人に話し難いデリケートな問題です。しかし、思春期(10-15歳)以降のデートDV被害、そして、婚姻後のDV被害として、「断ったら嫌われる。別れたくない」との“見捨てられ不安”を起因とする思考パターンを持ち込み、「嫌でも応じるのがあたり前」と思い込んでいるときには、性暴力が絡んでいる可能性が高くなります。例えば、「コンドームをつけると、気持ちくないから」と自分勝手な考えで避妊に応じないとき、このふるまいは、「望まないセックスを強いる行為」としての性暴力に該当するわけです。
 「避妊に応じない行為」は、望まない妊娠が複数回になる可能性が高まり、その都度、人工妊娠中絶をすることになれば、身体にかかる負担は大きくなります。また、交際相手や配偶者が、風俗で遊んだり、不特定多数の人と性的接触をしたりしているときには、性感染症に罹患するリスクも高まります。
 そこで、重要なことは、「コンドームを装着することを嫌がる」ことは、「俺がそうしたいのだから、従うのがあたり前」といった“自己中心的(自分勝手)”な考え方をする人物であることを認識することです。

(リベンジポルノとストーカー被害の関係)
 裸の写真を撮ったり、セックスの様子を動画に撮ったりすることを嫌がると、不機嫌になったり、怒ったりするので、仕方なく(嫌でも)応じなければならない状況にあるときには、その状況そのものがDV環境にあると認識する必要があります。
 それだけでなく、裸の写真やセックス動画は、知らない間に愛好者向けのネットに投稿されていたり、別れ話がでたときに脅されたりすることになるなど、リベンジポルノ被害のリスクを抱えることになります。リベンジポルノは、デジタルタトーともいわれ、一度、ネットに投稿されると削除する(消し去る)ことは不可能とされています。

(レイプ被害の実態)*
 女性は8人に1人、男性も15人に1人が性暴力の被害にあっているとされていますが、レイプなど性暴力の85%以上は、顔見知り(よく知っている人)の犯行です。父母・祖父母・叔父叔母・従兄弟(11.9%)、配偶者・元配偶者(9.9%)、そして、友人や知人(先輩・同級生・仲間・クラブやサークル指導者・教職員・同僚・上司・取引先に関係者:67.1%)によるもので、合せると88.9%になります。
 しかしこの数字は、本人が性暴力を受けたと自覚している人たちの数値でしかありません。暴力のある家庭環境で暮らし、AC(アダルト・チルデレン)を抱える被虐待者やDV被害者となった方々へのカウンセリングでは、近親者による性暴力被害、配偶者による性暴力被害は、自覚されていないことが少なくないのです。話を伺いはじめた当初、「私は、性暴力(性的虐待)を受けていない。」と応えていた方の多くが、カウンセリングを進めるうちに蓋を閉じていた記憶の扉が開き、「そういえば、お父さんとお風呂に入ると小股がヒリヒリするから嫌だった。」、「お父さんの大きくなったおちんちんを握らされ、誰にも話してはいけないと口止めされていた。」などと話しはじめることが少なくないのです。
 また、夫婦間においても、望まないセックスを強いられることが性暴力と認識できていることが少なくわけです。その結果、「~しなければ、~するぞ!」とか、「~に応じなければ、~してやる!」といった“脅しのことば”を伴うセックスの強要(レイプ)であっても、「嫌でも、夫婦だから応じなければならない」と思い込んでいる女性は相当数にのぼります。夫婦関係はそういうものと耐え続けている人たちに、疑問さえ感じない無自覚な人たちを含めると、実態はもっと多いことになります。
 性暴力の真実は、「身近な家庭の中にある」のです。そして、性暴力被害の多くは、家庭内で逃れることもできずに繰り返されているのです。
* 平成29年3月7日、政府は、「性犯罪の厳罰化をはかる刑法改正案を閣議決定しました。これにより、「強姦罪」「強制わいせつ罪」の法定刑が、以下のように強化されました。被害者の告訴がないと起訴できない「親告罪」の規定がとり除かれ、改正案は付則で、改正法施行前の時効が成立していない事件についても、告訴なしに原則立件可能と定めています。そして、強姦罪は「強制性交等罪」と改められ、被害者を女性に限らず、強制わいせつ罪に含めていた一部の性交類似行為と一本化されました。
強姦は被害、加害両者の性別に関係なく処罰可能となり、法定刑の下限を懲役3年から5年、致死傷罪の場合も5年から6年にそれぞれひきあげられ、強盗や殺人と同等となります。懲役6月以上10年以下の強制わいせつ罪の一部もこれに含められ、刑罰は強化されます。準強姦罪も準強制性交等罪に改められ、懲役4年以上とされている集団強姦罪の規定は削除されます。
また、強盗を伴う場合の刑罰が統一されます。現行法では、強盗が先だと「強盗強姦罪」として「無期または7年以上」が科される一方、強姦が先なら強姦と強盗の併合罪で「5年以上30年以下」でしたが、改正案では、新たに「強盗・強制性交等罪」を設け、犯行の前後にかかわらず「無期または7年以上」となります。
さらに、家庭内の性的虐待も厳罰化され、親が監護者としての影響力により18歳未満の子と性行為をした場合について、新たに「監護者性交等罪」「監護者わいせつ罪」が設けられ、暴行や脅迫、被害者の告訴がなくても処罰対象とされることになりました。


(「夫婦間レイプ」について)
 望まない肛門への性器挿入、口腔への性器や性具等の挿入等の行為は、被害女性にとっては暴力であり、加害者がいうところの単なる性癖ではありません。顔や口腔に射精された被害女性が、食事や水分が摂取できなくなったり、自分の顔やからだへの幻臭に苦しんだりすることがあるなど、被害女性にとって、性交類似行為は深刻なトラウマになりうるのです。そして、この性交類似行為は、強姦罪で処罰される男性器の女性器への挿入以外の性的行為として、「強制わいせつ罪」で処罰されることになります。
 夫婦間における強姦(セックスを強いる行為)や望まない性交類似行為は、被害者の心身に与えるダメージは深く、長く苦しむことになるにもかかわらず、警察に「夫からの強姦被害」を訴え、仮に、夫が逮捕されたとしても、「暴行罪」で起訴されるに留まったりします。配偶者からの暴力事案の検挙状況(平成25年度)のうち、強姦による検挙はわずか2件に過ぎず、強姦への警察対応はできていないのが現状です。この警察の対応は、「望まない性行為を強いる」ことが、「配偶者暴力防止法」の定める「性暴力にあたる」と啓蒙していることに反しています。
 強姦(レイプ)の手段として、暴行または脅迫の存在が必要であるとされています。判例によれば、強姦罪の暴行・脅迫については「相手の反抗を著しく困難にする程度のものであれば足りる」として、「強盗罪の場合のような、相手の反抗を不能にする程度までの暴行・脅迫でなくともよい。」としています(最判昭24年5月10日刑集3巻6号711頁)。現在の判例・解釈の主流は、この判決を基本にしています。つまり、夫婦であっても、嫌がる妻に「大声をだすな! 子どもが起きてもいいのか?!(~したら、~だぞ(してやる))」と“ことば”で脅し(威嚇し)、セックスを強要するのは、レイプ(強姦)になりうるということです。
 加えて、昭和62年6月18日、広島高等裁判所松江支部は「夫婦間での強姦罪の成立を認める」判決を下しています。この裁判は、婚姻関係が破綻しているのに暴力をふるって妻と性交渉をもとうとする夫に対する婦女暴行罪が成立するかどうかが争われ、それまでの「夫は妻に性交渉を要求する権利があるから、夫の婦女暴行は成立しない」という通説を覆すはじめて司法判断がおこなわれ、「婚姻関係が破綻している場合、夫婦間でも婦女暴行は成立する」と有罪判決(懲役2年10月)を下しました。広島高等裁判所松江支部の控訴審では、「法律上は夫婦であっても、婚姻が破綻して名ばかりの夫婦に過ぎない場合に、夫が暴行または脅迫をもって妻を姦淫したときは、強姦罪が成立する」と控訴を棄却しました(昭和62年6月18日)。
 一方で、強姦罪は親告罪(控訴時効は撤廃されています)であることから、起訴することは稀です。控訴時効は、暴行罪3年、傷害罪10年(以上、刑事事件)で、不法行為にもとづく慰謝料請求は、犯罪があったときから20年(民事)、犯人を知ったときから3年です。そのため、子どもが親から性的虐待を受け、心身の健康を損なったとして、のちに親を訴えたいと思ったときに公訴時効の壁がたちふさがります。しかし、平成26年9月25日、「控訴時効20年以上経過後に、幼児期に性的虐待を受けた被害女性が、加害者のおじを提訴し、「30年前の性的虐待の損害を認定」し、加害者に対して治療費(性的虐待行為により被った過去及び将来10年間の治療関連費)919万余円、慰謝料2,000万円他の支払いを命じるという画期的な判決を最高裁判所が下しています。そして、平成28年9月、強姦罪の法定刑の引き上げる、性的虐待などを罰する罪も新たに設ける、「強姦」の定義を拡大し、性の区別なく処罰の対象とするなど、性犯罪の厳罰化に向けた答申がおこなわれるなど、刑法改正に向けて動いています。
* どのような行為が、DVとしての「性(的)暴力」に該当するのかについては、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-3-(3)DVとは、どのような暴力をいうのか」で詳しく説明しています。
 また、望まない性暴力を強要されるなど「夫婦間レイプ」については、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅱ-11-(8)パラフィリア(性的倒錯)の夫による性暴力」、同「Ⅱ-11-(9)性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力」で詳しく説明しています。


(性犯罪の動機は、性欲よりも支配感に浸り自尊心を満たすこと)
 痴漢や盗撮、露出、小児性愛、そして、盗んだ下着などを収集するフェテシズム、自身の体液をかけたりするなど、パラフィリア*を有する人たちの異常と思われる性的嗜好は、単に異常だというだけでは、パラフィリアとはみなされることなく、「この刺激なしには勃起やオルガスムがおこらない」など、「その興奮パターンが性的機能になくてはならないもの」になり、「不適切な相手(小児や合意の成立していない成人など)を巻き込み、顕著な苦痛や社会的、職業的、その他重要な機能領域に支障をもたらす」とき、そのパターンは病的(性嗜好障害)とみなされることになります。
 こう記すと、上記のような行為は、性欲を満たすための行為に過ぎないと思えますが、「ある特定の刺激を求める行為」にフォーカスすると、「自分に危害を加えないであろう者を支配している快感に浸る行為」、つまり、「自尊心を回復するための承認欲求を満たす行為」であると捉えることができます。そして、承認欲求を満たす行為は、“快感中枢”を刺激することから、中毒性がある行為、つまり、繰り返しその刺激を求めることになるわけです。
 人が「自尊心を回復するための承認欲求を満たしたい」との衝動がおきるときは、家庭や学校、職場といったコミュニティの中で、自尊心が満たされていないときです。つまり、親や教師、同級生(上級生や下級生を含む)、上司や同僚から禁止や否定のことばで侮蔑されたり(バカにされたり)、卑下されたり(見下されたり)、無視されたりして、「自分の居場所はどこにもない」と孤独感にみまわれたり、不当な扱いを受けるなど「自分は報われない」と不満感を募らせたりしているとき、つまり、強いストレス(危機)を感じる環境にあり、「自分は、この環境から逃れる(脱する)ことができない」と無力感に苛まれているときです。
無力感が絶望感にまで発展してしまうと自殺に至るリスクが高まることから、人は、その前に、“承認欲求(自分の存在を確認する)”を強く求めてバランスをとろうとします。その結果、少しでも優越感を得られる行為に及ぼうとします。優越感を得られる行為とは、征服・支配欲を満たす行為ということです。
特に、乳幼児期に、親に守られて安全で、安心感にあふれた心地よさ(快感)という承認欲求が満たされず、渇望感を抱えている人たち、つまり、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっている人は、ちょっとした抑圧(ストレス、危機)、報われない感に対し、自己のコントロールできず、衝動的に人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙したり、奪ったりして優越感に浸ろう(征服・支配欲を満たそう)としやすい傾向があります。加えて、そうした行為に及んだとき、「このくらいでいい」「このくらいで止めておこう」といった“程度(ころ合い、いい加減)”という感覚を獲得していないことから、その行為をエスカレートさせていくという特徴があります。
したがって、「“承認欲求”を満たし、心の安定をはかろう」という意味では、痴漢したり、盗撮したり、体液をかけたり、レイプしたりする性暴力と、万引き、いじめ、差別(ママカーストなど含む)、ネット内での誹謗中傷などの行為も同じです。違うのは、快感を伴う優越感を“なに”で得ようとするかの「対象(者、物、行為)」です。
 そして、快感を伴う優越感を性暴力で満たそうとするパラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)たちは、再発性の(常習的で)強い性的興奮をもたらす空想、強い衝動、または行動で、苦痛や障害を伴い、無生物、小児、その他合意の成立していない成人を巻き込み、または自分自身や相手に苦痛や屈辱をもたらすわけですが、重要なことは、「性的興奮のパターンは思春期前の幼児期・学童期、つまり、10歳前に発達し、いったん確立されると、その多くは一生続く」ということです。
* 「パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」については、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅰ-11.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」で詳しく説明しています。

** 頭で嫌だと強く拒否する意志を持っていても、人は触れられたら反応します。なぜなら、脳の解釈と、皮膚が「痛い」「痒い」「くすぐったい」「心地よい」と反応することはまったく別の問題だからです。
 レイプ犯が「嫌だと叫んでいたが感じて濡れていたじゃないか! 合意のセックスだ!」と自分だけに都合のいい解釈でもって自己のおこないを正当化しようとします(いわゆるレイプ神話)が、その発言は、自分勝手ないいぐさでしかありません。一方の被害者もまた、嫌なのに感じてしまった“わたし”は穢れていると自分の“からだ”を呪い、責め続けることが少なくありません。こうした“穢れ感”を呪うようになると、自らの下腹部を刺したりして傷つける行為をしてしまう性暴力被害者もでてきます。性暴力被害は自尊心を損ない、自己肯定感が奪われることによって、アイデンティティが崩壊しまうほどのダメージを受けます。その結果、自らの命を傷め、自死という形で呪われた“からだ(わたし)”を消し去ろうとしてしまうことがあります。
 したがって、“穢れ感”、そして、恐怖のあまり「嫌だ!」「やめて!」と口にだせなかったことなどを含めて、性暴力被害者を専門にサポートする援助者の助けを受け、暴力で傷ついた心のケアにとり組むことが重要です。
 とはいっても、人は暴力ふるう(ふるわれる)という強い刺激を脳は忘れないため、時々、周期的に強い刺激を脳が求めることがあります。セックスでの快感も、激痛も麻薬と同じ強烈な刺激として、脳幹など古代脳と呼ばれる部位が覚えています。ひどいアブノーマルな性的倒錯(パラフィリア)の世界に封じ込まれた被害者が、その関係性は断ち切ることができたけれども、脳が覚えている強烈な刺激を求め続け、麻薬中毒者と同じように、さらなる性暴力被害を受けてしまうことがあります。そして、脳が刺激を求める“わたし”を呪い続け、アルコールや薬物に深く依存するなど2次3次被害に発展させてしまったりします。
 こうした状況にあっても、専門の第三者のサポートを受け、“わたし”を認めてあげ、肯定してあげることがなによりも必要なのです。
 そこで、性暴力被害に関して支援するための訓練を積んだ医療者、警察、検察、相談員、援助者などの多職種の専門家による連携体制(SART、日本では「ワンストップ支援センター」)が普及することによって、夫婦間における強姦事件も正当に扱われるようになることが重要です。
 「警察」では、a)産婦人科の医療費を公費で支出する制度を受けることができますし、b)精神的被害を受けたとき臨床心理士から無料でカウンセリングを受けることができます。また、「被害者支援センター」等のサポートも利用できるということを多くの人に知っていただきたいと思います。

 性暴力被害を受けた被害者は、誰にも話せず、つらい思いをひとりで抱え苦しんでいます。そして、自身や家族、友人や知人が性暴力被害にあってしまったとき、いつまでに、誰に相談したらいいのかについて学ぶ必要があります。

・全国共通の短縮ダイヤル「♯8103」
各都道府県警に設置されている被害相談の電話番号です。

<性暴力被害ワンストップセンター>
 女性がレイプ被害にあったときには、望まない妊娠を避けるために、まず、「72時間以内(3日以内)」に「(72時間)ピル」の服用することが重要です。
 そこで、下記のような「性暴力被害ワンストップセンター*」に連絡をし、いまなにをしたらいいのかを相談して欲しいと思います。
* 日本における「性暴力被害ワンストップセンター」の活動については、カテゴリー「Ⅲ-8」の「Ⅴ-30.性暴力被害者支援の連携体制-SART(性暴力被害支援チーム)-」で詳しく説明しています。
・SACHICO(サチコ)(性暴力救援センター・大阪) 072-330-0799
・SARC(サーク)とうきょう(性暴力救援センター・東京)03-5607-0799
 *「女性専用」の性暴力被害ワンストップセンターで、24時間、研修をつんだ相談員が電話対応している。また、被害直後に必要な医療や法律のサポートを受けられるかどうかは確認してください。
・レイプクライシスセンターTSUBOMI(ツボミ) 03-5577-4042(月曜-金曜 午後2時-午後5時)
 *10代専門の性に関する相談窓口
・サチッコ 06-6632-0699 (水曜~日曜 午後2時~午後8時)
・性暴力被害者支援センター北海道 SACRACH(さくらこ)  http://sacrach.jp/
・SACRAふくしま  http://www.vsc-fukushima.net/sacra
・レイプクライシスセンターTSUBOMI(東京)  http://crisis-center-tsubomi.com/support.html
・ハートフルステーション・あいち  http://www.pref.aichi.jp/police/soudan/heartful/
・性暴力救済センター・ふくい(ひなぎく)  http://www.fukui-saiseikai.com/image/top/hinagiku.pdf
・性暴力被害者総合ケア ワンストップびわ湖(SATOCO)(滋賀)  http://satoco3105biwako.jimdo.com/
・性暴力救援センター和歌山 わかやまmine  http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/031501/mine/index.html
・性暴力被害者支援センター・ひょうご  http://1kobe.jimdo.com/
・しまね性暴力被害者支援センター(さひめ) http://sahime.onnanokonotameno-er.com/
・性暴力被害者支援センター・ふくおか  http://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/seibouryokuhigaisha-shien.html
・性暴力救援センター・さが さがmirai  http://www.avance.or.jp/mirai.html
・強姦救援センター沖縄(REIKO)  098-890-6110(水:19:00-22:00 土:15:00-18:00
・社団法人被害者サポートセンターおかやま(VSCO)  http://vsco.info/seihigai1301.html
<性犯罪被害者への支援における協力病院>
・神奈川  http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/715418.pdf
・福島  http://www.vsc-fukushima.net/sacra
<性的搾取被害者の救済>
・特定非営利活動法人 人身取引被害者サポートセンター「ライトハウス」 0120-879-871(月-金 10:00-19:00) soudan@lhj.jp

<予期せぬ妊娠などで困ったときの相談先>
・「全国妊娠SOSネットワーク」で検索→各地の窓口にリンク
サイト http://zenninnet-sos.org/
・BOND(ボンド)プロジェクト
サイト http://bondproject.jp/

** DV被害支援室poco a pocoでは、性暴力被害を警察に告訴する(「被害届」の提出は捜査の強制力はなく、「受理=捜査」とするためには「告訴状」を提出する必要があります)ために、所轄の警察署、あるいは地方検察庁、弁護士に対し、「性暴力がどのようなもので、どのような状況でおこなわれたのか(性暴力の立証)」、「その性暴力がいかに深刻なもので、どのような後遺症(PTSDなど)を発症しているか(精神的苦痛)」を正確に伝えるために、性暴力被害の状況を「現在に至る事実経過」としてまとめるお手伝いをしています。
 サポートの手順は、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停において、DV被害(性暴力を含む)を立証するプロセスとほぼ同じであることから、詳しくは、カテゴリー「Ⅰ-I. 活動方針、問合せ・相談方法など」の「<メール・電話相談、面談>Ⅰ.夫からの暴力にもう耐えられないので、「話を聴いて欲しい」「どうしたらいいのか相談にのって欲しい」、または、「確認のための質問をしたい」という方へ」、「<メール・電話相談、面談>Ⅱ.離婚調停で、DVのことを理解してもらえず、どうしたらいいのかわからないので、離婚調停に向けてのサポートを希望される方へ」にて確認いただければと思います。


(児童ポルノ)
 日本は、「性的搾取(性の商業的利用)」について繰り返し国連から改善を求められています。そして、「人身取引」「密入国」「銃器」の三議定書からなる国境を越えた組織的犯罪に対する「パレルモ条約」が、2000年(平成12年)11月15日、国際連合総会において提起されました。パレルモ条約の「人身取引に関する議定書」には、女性と児童の人身取引を防止・抑制し、罰する規定には明記され、2015年(平成27年)4月現在、147ヶ国が著名し、185ヶ国が締結しています。しかし、日本は、平成15年5月14日の国会において、「人身取引」「密入国」の2つの議定書について承認した(「銃器」は非承認)ものの、批准していません。
 そのパレルモ条約を批准していない日本では、多くの人たちが「風俗を利用した」「風俗に行ってきた」ということばを使用し、「女性を買った」「未成年者を買った」と“性”を売買する、つまり、“性”を商品(物)として売買することばを使用しません。このことが、“性を売買”した者の後ろめたさや罪悪感を薄め、“性”を商品(物)として売買すること、つまり、「性的搾取(性の商業的利用)」という問題認識を曖昧にしたり、目を逸らしたりする重要な役割を担っています。性を売買している、性を商品としている認識のない日本は、平成8年(1996年)にストックホルムで開催された「第1回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」において、日本人によるアジアでの児童買春やヨーロッパ諸国で流通している児童ポルノの8割が日本製と指摘され、厳しい批判にさらされることになりました。
 日本において援助交際(買春)が社会問題化していたことから、平成11年11月1日、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児童ポルノ禁止法)」が施行しました。平成18年、「単純所持規制」と「創作物規制」の検討を盛り込んだ与党改正案が提出され、平成21年、「児童ポルノの定義の変更」および「取得罪」を盛り込んだ民主党案が提出されましたが、いずれも衆議院解散に伴い廃案となり、5年後の平成26年6月、「単純所持禁止」を盛り込んだ改正案が衆議院で可決成立し、平成27年7月15日から適用されています。「児童ポルノの8割が日本製」と指摘され、厳しい批判にさらされてから、ここに至るまで、実に19年の月日を要しました。しかし、「児童ポルノにしか見えない商品」が普通に陳列され、大量に売られている日本の児童ポルノに対しての感覚は、グローバルスタンダードとはかけ離れています。ジュニアアイドルの握手会などが頻繁におこなわれている東京の秋葉原では、毎週のように、小学校低学年の女児の撮影会やサイン会や、女子中学生の水着姿の撮影会がおこなわれています。しかし、一般の人たちの多くは、この様子を、「女児に対して、大人の性的欲望を満たすための性的搾取に他ならない」と問題視することはほとんどありません。
 そして、ここには、「親自身が子どもを商品として、性的搾取している」、つまり、性的虐待をおこなっているという重大な問題が潜んでいます。にもかかわらず、懸命に大人の要求に応えている女児に対して、「頑張っている」とか、「かわいい」という印象のもとで、素通りしたり、応援したりしています。明らかに“ポルノ”として消費(性的搾取)され、その背景には、性的虐待が絡んでいるのにもかかわらず、多くの大人が“アイドル作品”であるかのように認識しているのです。
 日本社会、国民1人ひとりが、「性的搾取(性の商業的利用)」という問題に寛容であることは、「性的虐待」、「性暴力」に対しても寛容にしてしまいます。寛容であることは、真実を見誤るなど、事実認識を歪めてしまうことになります。
* 性暴力としての「児童ポルノ」の問題は、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅱ-11-(6)小児性愛(ペドファリア)」で、詳しく説明しています。

※性虐待に苦しむ子どもたちに呼びかけるアニメーションを、児童虐待防止対策に関わる若手研究者のグループ(医学や公衆衛生を研究する27-31歳の5人でつくるグループ「子ども虐待対応たん」)がつくり、YouTubeで公開しています。YouTube動画は、『性暴力を受けている子どもたちへ』で検索すると見ることができます。
 この動画の中で、『性的な場面を見せられること、体を触られること、写真を撮られることなどに「ひとりで悩んでいないかな……?」とテロップで問いかけ、「自分じゃないみたい」と思うなど不安になったら「SOS」のサインだとして、病院や児童相談所、学校などに相談するよう勧めています』が、こうした動画や本などを見て、相談してきたり、助けを求めてきた子どもたちを、病院や児童相談所、そして、小学校や中学校などがきちんと受け止めることがなかったり、適切な対応がとられなかったりして、大人に失望し、被害をより深刻なものにしてしまわないことがあってはならないことです。
 私たちは、コミュニティにかかわる大人として、子どもたちが相談してきたり、助けを求めてきたりしたときに適切な対応をとることができるような体制の整備、そして、正しい知識の修得に努めて欲しいと切に願っています。

※以上、「Ⅶ2-9」のカテゴリーすべては、なんらかの“性暴力”とかかわるものです。「性暴力(性的虐待、性搾取を含む)」は、特別な状況下ではなく、先に記している通り、家庭や学校、習いごと、そして、職場など身近な相手が加害者になっていることが多く、決して滅多におこらないものではなく、身近な問題です。身近な卑劣な問題であるからこそ、他人ごととして目を背けたり、臭い物に蓋をしたりするかのように触れないようにしてしまうのではなく、自分ごととして捉えることが重要なのです。
 性暴力被害者の方たちは、加害者だけでなく異性そのものへの恐怖感によって、社会・コミュニティとのかかわりを避け続け、心が闇の中をさ迷い続けてしまうことが少なくありません。自己性だけでなく、存在そのものを否定し、強い“穢れ感”に自暴自棄になり、さらなる性暴力被害を受けたり、自ら傷めつけ、身を亡ぼすかのように性搾取の世界に飛び込んでいったり、薬物に手をだしてしまったり、自分を大切にしたり、自分を守ることを捨て去ってしまう悲劇さえ招いています。
 そして、これらの2次、3次被害ともいえる悲劇は、家族や友人、知人、そして、私たちの社会・コミュニティそのものが、被害者の方を色眼鏡で見たり、偏見を持って接したりすることが招いている(一因になっている)ことを知らなければなりません。
 自分の味方(従う者)か、自分の的(排除する者)か、を見定めるためにカマをかけて落ちた者(選ばれた者)に対し、その関係性を維持するために駆使するDV、児童虐待、いじめ、パワーハラスメントは、支配欲・征服欲を強烈に刺激する“性(セックス)”と密接にかかわるものです。そのため、無自覚であっても、その多くは、性暴力被害(ことばによる誹謗中傷を含む)を受けていることが少なくありません。
 無自覚なのは、「交際相手との間や夫婦間では嫌でもセックスには応じなければならない」と間違った認識をしていたり、性(セックス)そのものの認識や考え方、そして、根本となる性知識が間違っていたり、性暴力との認識が欠如していたりしていることが背景にあります。そのため、“性暴力”がなぜ起きるのか、そして、どう防ぐのかといった正しい知識をえることが重要なのです。


Ⅶ-10.<C-PTSD・心の傷と闇>新聞事件簿。DV・虐待、被害者の苦しみ
 職場では、成果をあげることができる人たちと、成果を損なうようにしかふるまうことができない人たちがいます。その違いはなんなのかを「行動科学」による人の行動原理に則って分析し、さらに、分析結果として得られた成果をあげることができる人たちの行動特性を組織の基本行動につくりあげていくのが、私がおこなってきたコンサルティングでした。その基本行動を理解してもらい、行動に移せるように教育・指導していくのがコンサルテーションです。
 ところが、こうした組織活動に馴染めない人たちが少なくなかったのです。
 組織活動とは、同僚や上司、そして、取引先とのかかわりで成り立つものですが、その組織活動に馴染めない人たちは、他人との関係をうまく育むことができないのです。他人との関係をうまく育むことができない人たちは、以前は、「空気をよめない」、「人の話を聞かない」、「気が利かない」、そう3Kの困った人たちと指摘されてきました。最近では、「叱ったら直ぐに凹んでしまい、打たれ弱くて困る」とか、「職場には出勤できないが、好きなことをするときには外出できる。本当にうつ病なのか?(仮面うつ病(非定型うつ病))」と指摘されています。実は、これまで指摘されずに大人になり、社会人となったADHD(注意欠陥多動性障害)などの発達障害を抱える人たちです。診断を受けていないけれども発達障害を抱えているとされている人は、実に大人の30%以上にのぼるという指摘もあります。
 「ADHDなどの発達障害を抱える人の40%以上は、親(養育者)とのアタッチメント(愛着形成)の獲得が損なわれたり、乳幼児期のトラウマ(心的外傷)体験をしたりしてきた人たちである」という報告がされています。そして、重要なことは、今日でも、愛着障害と発達障害の診断の見極めは難しいということです。
 つまり、他人との関係をうまく育むことができない人たちの問題は、生育期のアタッチメント獲得に問題を抱え、「自己と他の境界線があいまいなまま成長している」ことから、「自分と他人との適度な距離感がわからない」ことが原因となっているのです。自分と他人との適度な距離感がわからない人たちの特徴は、母子分離前の0歳-2歳ころの乳幼児のように、いつも一緒べったりとかかわるか、人と一定の距離を置き、できるだけかかわらないようにするかです。ここに共通しているキーワードは、「不安」という感情です。前者は他人の意志や気持ちは関係なく、自分が不安だから離れずべったりとくっつき、後者は他人の気持ちがわからず、自分がどう思われているか不安になり、一定の距離を置いたり、時には、人とのかかわりそのものを避けたりします。後者の「不安」は、「他人の真意を知ることで、自分が傷つくことを避ける」といった回避行動となって表れ、「解決の道標が見つけることができない」という“葛藤”を伴うことから「生き難い」「苦しい」という新たな感情を生みだします。
 暴力のある家庭環境に暮らす子どもは、父親が母親に対して暴力をふるうのを見聞きし続けたとき、父親をひどい父親だと憎み、嫌悪するかもしれません。逆に、暴力を受け続ける母親を見て、情けない、非力な母親だと軽蔑したり、かわいそうな母親だと同情を募らせたりする場合もあります。また一方で、そういう父親の姿を見て、要求や欲望は暴力で解決すればいいのだと学習したり、母親(女)は暴力でいうことをきかせればいいと思ったりして、女性蔑視の考えをすり込んでいきます。子どもは、父親が母親を大声で怒鳴りつけ、罵倒し続けるのを見聞きすることで、親(大人)を信頼できず、失望感を高めてしまったり、感情的な安定感が損なわれていったりしていくことになります。
 親の庇護のもとでしか生きていくことができない乳幼児にとって、父親が母親に対して「いうことがきけないなら、でていけ!」と怒鳴りつけることは、“死”を意味する危機(恐怖)です。なぜなら、乳幼児は「自己」と「他」の境界線が曖昧である(母子分離ができていない)ことから、父親から母親が暴力を受けているのを、自身が暴力を受けていると受けとってしまうからです。つまり、乳幼児にとって、母親が、父親に「でていけ!」と怒鳴られたら、それは自分がいわれたことになるのです。そのため、乳幼児は、いつ父親に見捨てられるかという恐怖心を心の中に刻み込んでしまうことになります。また、幼い子どもが口にしたことばやふるまいをきっかけに、父親が母親に暴力をふるいはじめたときには、幼い子どもは自分のせい、自分が悪いと自分を責め、自己肯定感が損なわれ、自己否定を積み重ねていきます。
 こうした暴力のある家庭は、子どもが安心して過ごせる場、穏やかに生活できる場から縁遠いものです。話したいことを受け止めてもらえたりする場も少なく、自分の気持ちを素直に表現することができなくなります。
 なにかのきっかけで暴力がおきないように、おどおどした日々や緊張した生活を強いられます。いつも父親や母親の顔色を伺い続けるうちに、伸び伸びした屈託ない明るさを持った無邪気な子どもの時代を生きることができなくなります。日々の生活は、親を喜ばせ、親の仲介役や世話役に勤しむことになります。つまり、「親にとって都合のいい従順ないい子である」ことが求められ、親に受け入れられる、認められるために一生懸命努力を重ねるうちに、自分の気持ちを素直に表現することができなくなるのです。
 友達同士でおしゃべりしていても、自分の家のこと、両親のことを口にしないように、暗黙裡に自己規制をしたり、心理的防衛をしたりするようになります。家族のことや両親のことは外で口にしてはいけない秘密のこととして、自分の心の奥にしまい込み(蓋をして)、孤立感や疎外感を味わっていることも少なくありません。
 最後に、作者不詳(スウェーデン人)の詩を紹介したいと思います。
私たちは全員が 愛されることを望んでいる
さもなければ、賞賛されることを
さもなければ、恐れられることを
さもなければ、憎まれることを
さもなければ、軽蔑されることを望んでいる。
私たちは、他者のように どんな感情であれ 掻き立てたいと思う
私たちにとって 他者の反応がないことが最も恐ろしい
だから、打ち震える魂は どんなことをしても 他者とコンタクトを取ろうとする。
 この詩は、人は、承認欲求を満たすためには、受容されるだけでなく、拒絶されても反応があることを望むという人の本質を的確に示しています。つまり、家族、教室、職場、知識というコミュニティとのかかわりで生きる人にとって、「無視されるという行為を怖れる」のです。なぜなら、コミュニティに無視されるという状態は、コミュニティから排除される状態になり、それは、人類にとって「死」を意味する危機だからです。この死を意味する危機的な状態は、強烈な恐怖心を及ぼすことになります。
 詩に示されている状態を、親から虐待を受けている子どもの心理、クラスでいじめを受けている子どもの心理、DVを受けている妻の心理、職場でハラスメントを受けている人たちの心理に照らし合わせてみて、「拒絶されても反応があることを望むという状態が、いかに残酷な状態であるか」ということに思いを馳せて欲しいと思います。
* 大人になったいまの生き難さ、底なし沼のような寂しさ、マグマがあふれでてくるような怒りの感情は、ときに苦しみは葛藤となり、思春期・青年期と成長する過程の中で自覚し、進学、就職、結婚、妊娠出産、育児など社会コミュニティとのかかわりなど、その後の人生に重くのしかかります。その時々の苦しみ、葛藤、そして、怒りの感情は、“育った家庭環境(学校生活を含む)”にその原因があることから、子どもが暴力のある家庭環境で育つことが、胎児期以降の脳の発達にどのような影響を与えるのかなどを理解することが必要です。
 「慢性反復的なトラウマ体験が、脳の発達にどのような影響を及ぼすのか」ついては、カテゴリー「Ⅲ-1」の「はじめに」、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-1.虐待の発見。DV家庭における子ども」、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅱ-6.脳と子どもの発達」、同「Ⅱ-7.トラウマと脳」、同「Ⅱ-8.慢性反復的トラウマの種類(児童虐待分類)と発達の障害」、同「Ⅱ-9-(1)-(11)で詳しく説明しています。そして、「暴力のある家庭環境で育ったことを起因とする生き難さや葛藤」については、同「Ⅱ-9-(12)思春期・青年期の訪れとともに」、同「Ⅱ-9-(13)問題行動としての“依存”」、同「Ⅱ-10.PTSDとC-PTSD、解離性障害」で詳しく説明しています。
 また、暴力で傷ついた心のケアについては、カテゴリー「Ⅲ-8」の「Ⅴ-27.DV被害者の抱える心の傷、回復にいたる6ステップ」、同「Ⅴ-28.暴力被害女性と子どものためのプログラム(コンカレントプログラム)」で詳しく説明しています。
** 東日本大震災の被災体験により発症したPTSDなど心の問題について、カテゴリー「Ⅶ-22.継続情報<大震災・地震/火山>ストレスとトラウマ、命と心を守る。」、同「Ⅶ-22.継続情報<原発被爆・放射能汚染>不安。命と心を守る知識と技術。」で掲載しています。


** DV被害支援室poco a pocoでは、「自身がいま抱えている悩みや苦しみ、感情をことばにする」ことで、「自身の課題はここにある」と認識し、「これからの自分にとってなにをしていくことが必要か」という方向性を明確にしていくためのサポートをしています。「自身がいま抱えている悩みや苦しみ、感情をことばにして、自身の課題はここにあると認識する」ためには、①慢性反復的トラウマ体験となる虐待やDV被害、つまり、加害者に“なにをされてきたのか(どのような暴力を受けてきたのか、暴力がどのような状況で、どのようにして暴力がおこったのか)”、その暴力により“どのような状況におかれてきたのか”をことばにする(話をしたり、文字にしたりする)ことで再現し、文字にして再確認していく作業(トラウマの再体験)に加え、②暴力による後遺症に対する知識を持つこと、特に、慢性反復的トラウマ体験となる虐待やDV被害を起因とするうつ症状やパニック症状を伴うPTSD(心的外傷後ストレス障害)について正しく理解していただく必要があります。このサポートの位置づけは、“ACカウンセリング”としていますが、「医療機関での治療に支障がでない」ことを優先します。そのうえで、受診している医療機関では、「心療内科(精神科)を受診しているが、心内をうまく話せない」「診療時間が短く、話したいことも話すことができず、疑問点などが解消できない」部分に対し、幾つかのワークシートへの書き込みを通じて補完していく役割となります。
 したがって、DV被害支援室poco a pocoのサポートは、「ワークシート(Word文書フォーマット)」とメール(状況・希望に応じて電話、面談)と通じて、「自身の心の問題と向き合い、心の問題と向き合うための知識を自身で得る」といった『気づきと学びのプログラム』です。
 詳しくは、カテゴリー「Ⅰ-N」の「<メール・電話相談、面談>Ⅲ.「暴力のある家庭環境で育ち、ずっと生き難さを感じていた」「心療内科(精神科)を受診しているが、心内をうまく話せない」「診療時間が短く、話したいことも話すことができず、疑問点などが解消できない」という悩みを抱えている方へ」にて確認いただければと思います。なお、「私は、こういった傾向や症状を苦しみ悩んできましたが、それは、育った家庭環境が影響しているのでしょうか?」、「ずっと、厳しく育てられてきたと思ってきましたが、親のこうしたふるまいは、暴力(虐待)にあたるのでしょうか?」といった疑問に対してもお応えしています。



* 支配のための暴力・DV(子にとっては虐待)にある家庭環境で暮らすことを余儀なくされ、親からのアタッチメント(愛着形成)獲得ができなかった被虐待児童が抱える心の闇が、思春期・青年期と成長していく中でひきおこしやすいトラブルや問題行動を、a)家族問題。親殺傷・ひきこもり。性同一性障害(Ⅶ-11)、b)いじめ・差別・貧困(Ⅶ-12)、c)殺傷事件。詐欺・恐喝、少年犯罪(Ⅶ-13)、d)薬物・アルコール依存。環境汚染の影響(Ⅶ-14)、e)怖いカルト、宗教への傾倒(Ⅶ-15)の5つのカテゴリーにまとめています。


Ⅶ-11.<家族問題。親殺傷・ひきこもり。性同一性障害>新聞事件簿。どう向合う
 子どもが対人関係、男女の関係を学ぶのは親からです。子育てには、「投げない、捨てない、あきらめない心」が求められ、子どもからは親としての力量をはかられています。古来、子育てにあたって、ア)赤ん坊のときは、肌を離さない、イ)幼児のときは、手を離さない、ウ)子どものときは、目を離さない、エ)少年のときは、心を離さないと教えられてきました。
 私たちが、子どもと接するうえで勘違いをしてはいけないことが二つあります。ひとつは、「手厚く育てる」といっても、“わがまま”を放任してしまったり、甘やかしたり、「過保護」では、その後、対人関係に問題を抱えることになりかねないということです。もうひとつは、「過干渉」や「厳しい」だけ、つまり、“我慢させられているだけ”では、本当の<やる気>は身につかないということです。なぜなら、親にとって都合のいい考えやおこないを強いたり、押しつけたりするための禁止と否定のことばを浴びせている、つまり、支配のためのことばの暴力に過ぎないからです。それは、親が、子どもの“わたし”を生きること、自立して生きることを奪ってしまうことを意味します。

(養育者のあり方を「盲導犬の育成」から学ぶ)
 クロマニヨン人の流れを汲むホモサピエンス(人類)と600万年前に分化し、遺伝子の99%を同じくするチンパンジーは、仲間のチンパンジーを、棒などを用いて集団でリンチして殺戮し、肉を食らうことがわかっています。チンパンジーの食事の5%は、動物を捕食し、殺戮能力の高いチンパンジーの握力は200kgに及びます。一方のベジタリアンであり、身体が大きく力が強いゴリラは、胸を叩いて威嚇することで、オス同士の争い(殺し合い)を避けることで命をつなげてきました。
 こうした人類と遺伝子が近く、多くの共通点を持つ、群れをつくって生きるサル科の生態学は、私たちに多くのことを教えてくれます。
 そのひとつに、日本サルの子どもが親からひき離されて育つとどうなるのかというものがあります。
 生まれたばかりの赤ちゃんが、母親に抱かれ、授乳を受けないと死んでしまうことは誰にでもわかります。母親代わりとなる飼育員が手袋などをしていっさい肌(皮膚)を触れず(肌を通した触れ合いをすることなく)にミルクを与えても、まもなく死んでしまいます。また、授乳期に人の手によって育てられた子どものサルに、肌が触れ合うことなく物越し(大きなしゃもじのような板)に餌を与えられ育ったサルは、その後、群れに入れずにひとり孤立してしまうグループと、コトあるごとにちゃちゃを入れ、ケンカをしかけ、トラブルをおこすグループにわかれてしまいます。そして、なんのケアも受けることなく餌だけ与えて育てたサルは、自分に子どもができたとき、子どものケアがあまりできないのです。
 他に、犬や猫といったペットのブリーダーが、赤ちゃんを母親から早く離してしまうと、噛み癖がついてしまうことがわかっています。
 子どもが社会的な刺激を受けながら成長するとき、脳では神経細胞同士が接続し、グルタミン酸などの神経伝達物質の受けわたしがおこなわれます。ラットを使った研究では、「隔離されて育ったラットの脳は、社会行動に重要な領域である内側前頭前野では、ストレスホルモンの増加により、神経細胞同士の接続部にグルタミン酸を受けとるたんぱく質が移行し難くなっている。」、「細胞の骨格を制御する物質の作用で、脳神経回路の形成異常や強い攻撃性につながる。」ことが明らかにされています。
これらは、親とのアタッチメント(愛着形成)の獲得が損なわれると、後々コミュニティ(群れ)の中で生きていくうえで様々な障害を抱えることを教えるものです。
 次は、盲導犬になるためには、人とのゆるぎない信頼関係ができあがっていなければならないというものです。
 盲導犬の候補となる赤ちゃん犬は、1歳(大型犬なので人の12歳に相当)になるまで里親のもとで愛情をたっぷり注がれて育ちます。「愛情たっぷり」というのは、“甘やかして、育てる”ということではありません。里親(養育者)と犬との信頼関係を築けるようにきちんと育てるということです。
 人と犬との信頼関係を築くために、養育者(里親)は、盲導犬の候補となる赤ちゃん犬に対し、「人」は、わたし(赤ちゃん犬)に安全と安心をもたらしてくれる、つまり、「わたしを決して傷つけたりしない、決して裏切ったりしない、家族としてのわたしを尊重し、大切にしてくれる存在である」ということを、しっかりと心に刻み込まれるように接していかなければならないのです。
 そのため、里親には、「叩いて躾ける」、「怒鳴って躾ける」、「否定・批判することばを使って躾ける」、「罰を与えて躾ける」といったおこないは認められていません。なぜなら、盲導犬には、人は“わたし”に危害を与えない、裏切らない信頼できる存在であるとの思いが育まれていなければならないからです。
 つまり、赤ちゃん犬を1歳(人の12歳に相当)になるまで育てる(人でいえば乳幼児期、思春期(10-15歳)に入るまでのプロセスに該当する)中で、叩いたり、怒鳴りつけたり、否定・批判することばを浴びせたり、罰を与えて従わせようとしたりするふるまいは、養育者と犬との信頼関係を損ない、人を信じることができなくなってしまうのです。
 盲導犬は1歳までに、里親のもとで「人は信頼できる」と心に刻み込んでいるからこそ、その後の厳しい訓練に耐え、目の不自由な人の命を守ることができる高い技術を身につけることができるのです。そして、厳しい訓練を乗り超えてきた盲導犬だからこそ、目の不自由な人が安心して身を委ね、命を預けることができるのです。
 盲導犬と人(目の不自由な人だけでなく、その人が属するコミュニティにかかわるすべての人たち)との関係性は、お互いを信頼できる、信用できるかかけがえのない存在と認め合うことができなければ、成り立たない関係なのです。
 養育者を「親」、犬を「子ども」と置き換えてみると、このことが教えてくれる意味は、実に重いものです。盲導犬を育成するプロセスは、私たちに、親としてどう子どもに向き合ったらいいのか、人とのかかわり方について実に多くのことを教えてくれるものです。それは、子どもとの信頼関係を奪うふるまいをしている親が、いかに多く存在しているのか、その結果、コミュニティにかかわるすべての人たちを信頼・信用できない子どもたちがいかに多く存在しているのかを教えてくれます。


Ⅶ-12.<いじめ・差別・貧困>新聞事件簿。傷ついた子どもの悲鳴
 「差別」「区別」という問題は、暴力(いじめ、体罰、各種ハラスメント、虐待・DVなど)の問題とは切っても切れない関係にあるとともに、その後の人生において精神的なトラブルを抱えるリスクを考えると社会病理そのものの問題です。
 明治政府が、前政権との違い(成果)を国民に訴えるために意図的につくりあげた江戸時代の身分制度(「士農工商」だけでなく、「えたひにん」まで含みますが、実際は、武士とその他という区分しかなく、えたひにんとされる人たちは、武士の奴隷という位置づけでした)は、「家」という問題、同和という問題として残っている、いまの問題です。そして、家自体が差別を受け、その心の問題が何世代にもわたって家庭内で暴力を生みだしていることが少なくないのです。
したがって、学校や社会ではいじめという差別や偏見を受け、同時に、家庭ではDVがあり、虐待も受けて育ってきた人たちの心の問題は深刻です。
 東日本大震災後、東京電力福島第1原発と第2原発の所員が、第1原発の事故後に、「所員であることを理由に他者から差別的な扱いや中傷を受けた場合、精神的な問題を抱える確率が2倍になる」との調査結果を、愛媛大と防衛医科大学校のチームがまとめています。署員であることを理由に、アパートの賃借や病院の受診を断われたり、避難所で暴言を浴びせられたりするなど差別や中傷を受けた所員は191人(12.8%)にのぼっています。
 医療の最初の入り口は、患者のからだの状態、顔色、舌、排泄物をみる<望診>や脈を診て、腹部などに触れる<切診>、<問診>では自覚症状だけではなく生活の仕方や家族のことを訊き、<聞診>で声、呼吸を聞き、匂いを嗅いでいくことですが、この基本プロセスさえ、拒否していた医療現場を目にしたことがあります。それは、平成20年、緊急一時保護センター(東京都と都内23区の「路上生活者自立支援事業(ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(平成14年、10年間の時限立法))」)、医療更生施設(薬物(依存)での服役を終えた者、医療施設でアルコールや薬物依存の治療を受け家族で引き受け者がいない者、緊急一時保護センターに保護された精神疾患を抱える者など、社会復帰をめざすための更生施設)などで、機能不全家庭で育ち、アダルトチルドレンを抱える人たち(被虐待者)とかかわっていたときでした。
 緊急一時保護センターからバスに揺られ到着した社会福祉病院の内科では、入居者(ホームレスで自立支援を受けている者)の顔を一度も見ることはなく、脈をとることも、瞼を捲ることも、ベーと舌をださせることも、首のリンパの腫れ具合を確かめることもしませんでした。傍で見ていた私には、ホームレスなど触れたくない存在だと思っているように映り、社会福祉事業法による規定はなんなのかと目を疑った瞬間でした。
 原発の関係者だけでなく、原発被害から逃れるために県外に避難された人たちの多くが、原発事故による差別的な扱いや中傷を受けることになりました。その瞬間に被爆体験をした女性との結婚に支障がでるような差別や偏見を受けることになるかもしれません。
 その状況から想像してみてほしいと思います。何世代にわたる身分による差別を受けてきた人たちの抱える心の問題はとても深刻であるということです。その深刻な問題をつくりあげてきたのは私たち社会です。
 人は心が傷つき、心の拠り所を失うとき、人を思いやることができなくなり、自分たちとは少しでも違うとレッテルを貼った人たちを容赦なく傷つけることがあります。「自分たちとは少しでも違うとレッテルを貼った人たち」とは、肌の違い、民族の違い、信仰の違い、男女の違い、住んでいる地区(出身)や場所(高層マンションでの住居の階)の違い、職業(勤務先など)や出身校の違い、学歴の違い、年次の違い、上記の場合では、原発に勤める所員(家族を含む)と所員でない者の違いなど、「自己」と「他者」との境界線にわずかな“違い(差)”を見いだしたとき、人は“区別”したり、“差別”したりして、「排除する」ことが少なくないのです。
 人類が獲得してきたことば、文字という文明を通じて、区別し排除することを道義的に許さない成熟した社会が必要なわけですが、その実現には、わからないままにすることなく、「知る」ことへの努力を惜しまないことです。なぜなら、人は知らないことを疑い、わからないことに不安を覚え、不安(恐怖)を拭い去るために排除する(消し去る)という暴力行為にでるからです。
 日本航空123便墜落事故から20年経過した平成17年、ボイスレコーダーに録音されていた機長や機関士の肉声が特別番組の中で公開され、「墜落の最後の瞬間まで懸命に着陸を目指そうとしていた乗務員の奮闘」が、生音声によって明らかになりました。その結果、「投げやりな態度で乗客を死に至らしめた」として社会的に糾弾されていた乗務員に対する社会的評価が180度変わりました。17年間、慰霊登山で遺族から怒鳴られることがあった機長の家族が、生音声放送後は、「最後まで頑張ってくれて、ありがとう。」とことばをかけられるようになったのです。
 人はものごとがわからないままになっているとき、疑ったり、不安がったり、いらいらしたり、憤ったり、怒ったりするなど負の感情があふれてきます。「考えるとは、脳に記憶されていることばと関連することばを探しだして解を導きだすこと」をいいます。つまり、「わからない=知らない=ことばが記憶されていない」わけですから、負の状態から脱することはできないだけでなく、思考が混乱したままの状態が続くことになります。
 一方で、わからないことがわかるようになったとき、つまり、新しい知識を得たり、事実を知ることができたりしたとき、はじめて考えることができる素地ができます。ものごとを認識できるようになり、負の状態から脱するきっかけをつかむことができるようになるのです。
 そして、新しい知識を得たり、事実を知ったりすることで、落ち着きをとり戻しはじめたとき、暴言を浴びせた人たちもまた「あのときどうしてあんなことをいってしまったのだろう。申し訳ないことをした。」と悔やみ、罪悪感に苛まれるなど心を傷めることになります。そのとき、心から謝り、感謝のことばを口にすることで、罪悪感を解き放つことができるわけです。
 中には、そうした後悔や罪悪感と向き合うことから逃げるために、自身のおこないを正当化しようと試みる人たちも少なくありません。暴力的なふるまいを続けることになる人たちは、新しい知識を得たり、事実を知ろうとしたりすることから逃げていることを意味しています。
 差別、偏見という問題、つまり、受け入れられず排除していこうとする心の問題は、知らないこと、知ろうとしないこと、受け入れようとしないことを起因としています。
* 差別・貧困については、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-2.差別と女性の貧困、そして、児童虐待とDV」で詳しく説明しています。

(いじめなど、相談窓口)
・児童相談所全国共通ダイヤル
 189(年中無休、24時間)
・24時間子供SOSダイヤル
 0120-0-78310(年中無休、24時間)
・チャイルドライン(18歳まで)
 0120-99-7777(月-土曜日、16:00-21:00)
・子どもの人権110番
0120-007-110(平日、8:30-17:15)




Ⅶ-13.<殺傷事件。詐欺・恐喝、少年犯罪>新聞事件簿。歪んだ心が引き起こす
 懲役刑を受け刑務所に収監される者の22%が、知的障害や精神障害があり、犯罪を繰り返す人(累犯障害者)たちが、刑務所をでたあと、おにぎりなど食べ物を窃盗(万引き)して逮捕される一時過ごす場所になっているケースも少なくありません。
 例えば、中学卒業後に大工見習として就職して2年目にバブルが弾け、人員整理にあい、その後は、寮のある工事現場を転々してきた人(当時50歳)は、自閉症で知的障害があり、その日の気分が色となって見えていました(本人は「自分はオーラが見える」と信じていました)。工事現場の寮の金庫に預けておいた保険証、年金手帳を持ち逃げされ、知らない間に何度も結婚を繰り返され、多額の借金を背負わされ、実に6つの名前を持たされていました。この問題を解決するために、弁護士や警察などの専門の第三者に相談するという考えが及ばなかった彼は、多額の借金をとり立てにくるヤクザから逃れるために、ホームレス生活を9年続けていました。彼に幸運が訪れたのは、知人に頼まれ、預かっていた銅線が盗難品だったことから、窃盗の共犯として逮捕されたことでした。なぜ、彼にとって幸運だったのかは、20日間の拘留の後、釈放され、福祉事務所を経由して「緊急一時保護センター」に入居(控訴猶予処分を証明する「更正保護施設カード」を、大切そうに折りたたんでお守り袋に入れて身につけていました)し、市役所に依頼された弁護士が間に入り、筆跡鑑定等々を経て借金問題、重婚問題はひとつずつ解決され、そして、戸籍も復権したからです。そして、迎えにきた福祉事務所のケースワーカーに「もうあんな思いはさせないからな。安心して、身体休めような。」といわれ、医療更生施設に移って行きました。
 知的障害や精神障害を抱えているものの家族が認識することなく成長し、高校に進学せずに就職し、その後、犯罪に利用されたり、巻き込まれたりしたとき、どこ(誰)に助けを求めていいのかわからず、問題を解決する(回避する)のがホームレスであるケースもあるわけです。
 (18歳未満)の非行などには、親との関係、つまり、養育環境が大きくかかわっていることは周知の通りです。
 新聞記事などでは直接触れられることは稀ですが、人とのかかわりにおいてトラブルをひき起こすなど、非行問題を抱える子どもたちの食事のあり方(どのような状況でなにを食べているか、どのような食べ方をしているか、箸をきちんと使えるかなど)に目をむけることによって、心が充たされなかったり、心が廃れたり、心のバランスがとれなくなったりする状況を読みとれることがあります。
「緊急一時保護センター」では、3食きちんと食事をとること、入浴すること、睡眠をとることなどの生活習慣を身につけることが重視されています。60-70歳の方が6割以上を占める緊急一時保護センターでの食事で驚かされたのが、箸をきちんと使えない、醤油や七味を大量にかける、味噌汁の中にご飯やおかずを入れて食べる(ネコまんま)人たちが多いことでした。中には、1回の食事に、大さじ1-2杯もの七味をかける人もいました。
 ホームレス生活をしている人たちは、人とのしがらみに疲れたり、人と適度な距離感を保つことができずにトラブルを起こして職を転々せざるをえなかったりした人たちが圧倒的に多いわけです。幼少期を戦中戦後で過ごした彼らが、上記のように箸をきちんと使えないなどの傾向は、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントの獲得に問題を抱えている以外に、“当時の社会情勢”が深くかかわっていることは明らかです。
 ここでは、箸をきちんと使えないなど食のあり方は、子どもが育っている家庭環境と深くかかわっていることから、「6つのこ食」という切り口をみていきたいと思います。
 「6つのこ食」とは、ア)孤食(ひとりで食べる)、イ)個食(家族がそれぞれ好きなものを食べる)、ウ)固食(決まったものしか食べない)、エ)粉食(粉を使った主食(特に、カップ麺やインスタントラーメン、菓子パンなど)を好んで食べる)、オ)小食(食べる量が極端に少ない)、カ)濃食(調理済食品など味の濃いものばかりを食べたり、さらに、調味料や香辛料を加えて、極端に味つけを濃くしたり、辛くしたりする)といったものです。
 ここに、「炭酸飲料やジュースなどをお茶や水代わりに飲んでいる」、「ジャンクフードやチョコレートなど甘い菓子類をよく食べる」といった食習慣を加えます。
 「6つのこ食+αの食習慣」がみられる家庭環境で育った子どもには、人の目を気にしない、どう思われるかを察することができない(協調性を気にかけず、行動する)といったことから、勝手気ままな生活になりやすく、社会性やマナーを身につけていなかったり、人から注意されると直ぐに感情的になったり(ムカつく、キレる)する傾向がみられるとされています。
 離乳食を経て、食事の習慣をどう身につけるかという問題は、親(養育者)とのかかわり方を如実に示します。この問題は、アタッチメント(愛着形成)の獲得になんらかの支障が生じている可能性を示すもの、つまり、虐待発見の手掛かりとなるものです。「6つのこ食+αの食習慣」に該当する子どもは、その後、思春期、青年期と成長するにしたがい問題行動となって表れる可能性があるという視点で捉えることができれば、早期発見、早期支援につなげられる可能性が高くなります。
* 「6つのこ食+αの食習慣」など食のあり方は、法に触れるおこないをする加害者がどのような家庭環境で育ってきたかを知るうえで重要な手がかりとなることから、カテゴリー「Ⅲ-3」の「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」の中で、「ⅠⅡ共通(A)-(10)夫は、炭酸飲料やジュース、チョコレート、スナック菓子ばかりを飲食したり、ハンバーガーやカップ麺などを特に好んで食べたり、から揚げ、ハンバーグ、トンカツ、カレー、ラーメン、牛丼ばかりを食べるといった「偏食」がみられますか?」と問いを設けるなど、「同(A)-(11)夫は、深夜までゲームにふけっていたり、血が吹きでるような暴力シーン(レイプやSMシーンを含む)の多い映画などを大音量で繰り返し見たりしますか?」のと問いとともに重視しています。この問いに対しては、カテゴリー「Ⅳ-2.ワークシート(Ⅰ)(Ⅱ)共通(A)(B)(C)設問の一般コメント」の中の「血が飛び散る暴力シーンのある映画やゲームを好むのは、激しい暴力のある家庭で育った脳が強い刺激を求める証」でコメントしています。
 また、凄惨な殺傷事件、少年事件については、カテゴリー「Ⅲ-4」の「Ⅱ-9-(15)回避的な意味を持つ子どもの「非行」」、同「Ⅱ-9-(16)「キレる17歳」、理由なき犯罪時代」、同「Ⅲ-9-(17)アタッチメントを損ない、抑圧がもたらした凄惨な殺害事件」、同「Ⅲ-11-(9)性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁・殺傷事件」で、事件をおこした加害者の生い立ち(成育歴)や犯行にいたる経緯についてはできる限り詳細にまとめています。
 なお、「別れの切りだし」が、交際相手や配偶者(ともに元を含む)による凄惨な事件につながりかねないストーカー事件については、別途、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-4-(3)デートDV とストーカー事件」で、詳細にまとめています。


◇いじめに関する相談、主な窓口
 いじめに関する相談は、各団体が電話でも受けつけていますが、主な窓口は次の通りです。
・チャイルドライン(0120・997777、月~土曜の午後4~9時、一部地域は日曜や深夜も相談可)
・いのちの電話(0570・783・556、午前10時~午後10時)
・こころの健康相談統一ダイヤル(0570・064・556、土・日曜は休みの地域もある)
・子どもの人権110番(0120・007110、平日午前8時半~午後5時15分)


Ⅶ-14.<薬物・アルコール依存。環境汚染の影響>新聞事件簿。心身を脅かす
 50年近く昔の話で、いまでは考えられないことです。私の母方の実家では“治験用のうさぎ”を飼っていましたが、そのうさぎには片方の耳がなかったり、足が曲がっていたりしていました。治験薬による奇形です。母方の実家に帰省すると、治験による奇形のうさぎに餌を与え、治験はなんのためにおこなわれているのかといった話を聞かされていました。正月や盆に親族が集まる夜の宴席では、日本の医療や教育、国際社会の情勢などさまざまな議論がされる環境でした。
 小学校中学年になると、四日市喘息、水俣病やイタイイタイ病など公害問題が教科書に載っていました。小学校4年生のとき、軍艦に乗れる機会があり、名古屋港を出港し、四日市辺りの海域に近づくと海の色が黄土色に変わっていきました。軍艦がどうだった記憶は残らず、黄土色の海の色をまのあたりにしたショックの記憶が刻み込まれました。
 また、岐阜県の犬山モンキーセンターでは、奇形のサルが増えていました。それは、大量に農薬が使われた餌による影響でした。小学校6年生で、「ゴジラ対ヘドラ」が公開されるなど、さまざまな公害問題が社会問題となっていました。煤塵と硫黄酸化物あるいは光化学オキシダントが複合すると被害の症状が激しくなるなどの環境汚染は、有吉佐和子が毎日新聞に「複合汚染」を連載(昭和49年-50年)し、一般に知られるようになっていきました。
 それから39年経ったいま(平成25年現在)、「廃棄ガスの規制により、空気がきれいになり日常的に都心から富士山が見えるようになった」と思っている人が多いようですが、“朝靄”といわれる水滴が高層ビルに付着することによる空気の乾燥化によるものです。つまり、ヒートアイランド現象が進んでいることが、都心から富士山を見えるようにしたのです。
 私たちの周りには、ちょっとした間違った認識(フィルター)を通してものごとを見てしまうことで、真実がなにか、なにが本当の問題なのかを見えなくしてしまうことが多々あります。薬や農薬、水銀、化学物質などが人体に及ぼすさまざまな影響をまのあたりにしてきた私たちですが、同じ過ちは犯さないだろうと過信をしていたり、事実を知ろうとしていなかったりしていないのか疑問を感じます。
 全身の1/5という大量の血液が流れている大脳では、脳に害をもたらす物質(薬物やウイルスなど)が簡単に入り込めないように「血液脳関門」という器官でブロックしています。血液脳関門を通過できるのは、低分子、しかも脂溶性で電荷のないものです。低分子で脂溶性の物質は、PCBやダイオキシン、アルコールやニコチンにカフェイン、覚醒剤などです。人工のあらゆる化学物質は、そもそも人体にとって異物、毒物でしかなく、微量でも体内に侵入すると、身体は毒物が入ったことを強烈なストレスとして感知します。その結果、アドレナリンが分泌され、敵を排除しようとします。毒蛇の3倍も毒性が高い怒りのホルモン「アドレナリン」が、イライラ感や不快感といった症状を表すのです。そのイライラ感や不快感を他人にぶつけてしまうのが、暴力になるのです。
 環境公害として知られるPCB、ダイオキシンなどの化学物質は、甲状線ホルモンを撹乱したり、血液脳関門を通過し、神経伝達組織を撹乱させたりします。その結果、ADHD(注意欠陥多動性障害)と似通った症状を示すなど、さまざまな障害をひき起こします。
 予後が好ましくない疾病や障害を抱えることによるストレスとともに、農薬などの化学物質を吸引することが暴力の原因となっていることがあるのです。
 また、決して疎かにしてならないのが、血液脳関門を通過する薬、つまり、頭痛薬にはカフェイン、精神治療薬には覚醒剤と“類似した分子構造”のものが使われているということです。なぜなら、そうしないと血液脳関門を通過しないからです。昨今、問題になっている「脱法ハーブ(脱法ドラッグ・危険ドラッグ)」についても、覚醒剤や大麻などの成分と“類似した分子構造”にしたものをハーブに沁み込ませています。そして、分子構造をちょっとだけ変えることで、規制薬物から逃れることができることから、摘発が追いかけっこになってしまうわけです。つまり、覚醒剤と類似したものが精神治療薬なのです。精神治療薬も同様に、血液脳関門を通過させるために分子構造をちょっと変えているのです。分子構造をちょっと変えることで効果を改良し、新薬として販売しています。これは、血液脳関門を通過させる必要のある頭痛薬(カフェイン)も同じです。
(付記)
 薬物依存症やアルコール依存症、ギャンブル依存症は「病気(精神疾患)」であることから、ダルクなどの更生施設では、「自分の意志で止めることができない(自分の意志は無力である)病気である」ことを、本人や家族、そして、社会に理解してもらう活動にも努めています。しかし、「自分の意志で止めることができなくなる病気(精神疾患)に陥った」のは、“自らの意志(暴力を加えられ、強制的に違法薬物を摂取させられるケースを除く)”で覚醒剤などの違法薬物に手を染めたからです。「病気(精神疾患)だから、覚醒剤は、自分の意志で止められない」と、止めることができない理由として欲しくないのです。自らのおこないを正当化するために、利用して欲しくないのです。「病気(精神疾患)である事実」を知ってもらうことは重要なことです。しかし、「違法薬物に手を染めて病気(精神疾患)になった事実」から目を逸らしたり、うやむやにしたりして欲しくないのです。解釈(問題)をすり替えることは、“更生する”ことに反します。更生するには、なぜ違法薬物に依存することになったのか、自身の心の問題ときちん向き合うことが必要不可欠です。


Ⅶ-15.<怖いカルト、宗教への傾倒>新聞事件簿。心の危さにつけ込む
 “スピリチュアル性”“ポジティブシンキング”を銘うった「自己啓発セミナー」や「生き方講座」、「占い」の中には、新興宗教やカルト集団としての活動の隠れ蓑に使われることが少なくありません。日本では、キリスト教やイスラム、仏教など国の政(まつりごと)と深く結びついていないことから、カルトなどの“異端”を見破ることができにくいといった現状があります。
 新興宗教やカルト集団の隠れ蓑とされる自己啓発セミナーや生き方講座、さらに、セミナーや講座参加者におこなわれる個別のカウンセリングの特徴は、ア)ありがたいことばが書かれたものやパワーをえられるといった「物品販売」に力を入れていること、イ)家族や友人、同僚たちにその効果(いかに優れているか)を「宣伝」し、「洗脳的なアプローチにもとづいた勧誘行為)」があること、ウ)突然、全財産(預貯金や不動産などの資産)を“お布施”として「上納」し、家族や親族、友人や同僚との間で「金銭トラブル」をひき起こすようになることがあげられます。
 新興宗教やカルト集団の勧誘、修行として用いられる「自己啓発セミナー(感受性訓練)」は、閉ざされた空間で課題(ゲーム)や自己告発(シェア)を繰り返して一体感や高揚感を煽り、心の中にとり込んでいくものです。自己告発とは、「わたしのここが悪い。これからは、わたしはこうしていきます!」と意図的に思い込まれたメッセージを声高々に宣言させ、心にとり込ませていくことであり、マインドコントロールには欠かせないプロセスです。感受性訓練(ST:Sensitivty Training Method)は、「地獄の特訓」で知られる「自分の気持ちに素直になれる(心の壁(防衛機制)を取り除く)」という名目のもと、主体的態度の変容をめざして(自己改革が可能となるとして)、非日常という状況下(合宿形式)でおこなわれるものです。密室の家庭内(同じ屋根のもとで寝食をともにする)で繰り返される支配のための暴力もまた、“非日常という状況下”でおこなわれるものに他ならないのです。X-JAPANのTOSIが、HOH(ホームオブハート:全身レムリアアイランド)に陶酔し、マインドコントロールされ、広告塔として利用された挙句、億単位の借金を抱えることになったことは記憶に新しいと思います。「自己啓発セミナー」といった名称でおこなわれるこの類のものは、閉ざされた空間で課題(ゲーム)や自己告発(シェア)を繰り返して一体感や高揚感を煽り、とり込んでいくのが特徴です。
 また、高齢者をターゲットに健康器具を売りつける「ハイハイ商法」は、「豊田商事グループの詐欺事件」の手法と感受性訓練の手法の要素を取り入れたものです。健康セミナーとして集客し、まず、a)商品がどれだけ優れ、使うことによって得られる効能(メリット)を「~先生が開発した」とか、「臨床データをみると、~といった改善がみられる」などと話し(理想描写と理論提供)、b)これまでのおこないを否定・批判し、健康不安を煽り(現状把握)、c)「~すれば、改善され、元気に暮らせると思いませんか?」となげかけ、サクラの職員が「はい。はい」と大声で先導し、高揚感を煽り(目標設定と支援表明)、冷静な判断力を奪い、「せっかくだから」「わざわざきたのだから」の思いにつけ込み、高額な商品を買わせていくわけです。これらの「ハイハイ商法(詐欺商法)」もまた、上記の「自己啓発セミナー」とまったく同じ手法をとり入れたものです。
 重要なことは、DVやハラスメント、いじめなどの理解に欠かせない“関係性”で捉えると、本来対等な関係にある者に対して、上下の関係性、支配と従属の関係の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使するわけですが、このことは、相手のパワー(力)を奪い、屈服させ、絶対服従(忠誠)を誓わせることから、「暴力による恐怖で心を支配する試み」として、DVやハラスメント、いじめの加害者の行為(試み)と、新興宗教やカルト教団の行為(試み)と変わらないということです。
 そして、イ)の「洗脳的(神秘性や運命論(必然性)を強調する)なアプローチにもとづいた勧誘行為(話)」に惹かれやすいのが、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントの獲得に問題を抱え、渇望感を満たすための強い承認欲求を求めている人たちです。つまり、確固たる“わたし”がなく、地に足がついていないふわふわした危うさが、スピリチュアル性の神秘性や占いの運命論を呼び寄せ、前向きになりたい思いがポジティブシンキングといった考えに惹かれてしまうのです。
 近しい人(ペットを含む)亡くなるなどの哀しくツラいとき、転勤や転校、転職など不安なとき、事故にあったり病気になったりして不安で心細くなっているとき、トラブルがおきて困っているとき、つまり、心が弱くなっているときに、フッと表れ、急接近してきた人が、心が躍る神秘性や運命論(必然性)を雄弁に語るなど楽しい時間を与えてくれたり、逆に、「いまの状況はこうだから、こうしなければ、もっとひどくなる」と不安感や恐怖心を煽ってきたりしたとき、導かれるように心の扉を開き、招き入れてしまうのです。つまり、神秘さと運命を感じさせてくれる刺激的で楽しい話、あるいは、「この人だけが私を救ってくれる(救世主)」と感じさせる切迫した話を隠れ蓑として近づいてくる者に、その後、暴力による恐怖に支配され、絶対服従(永遠の忠誠)を誓わせられることになるのです。
 暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっている人たちは、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感と底なし沼のような寂しさを抱え、それが、強烈な「見捨てられ不安」となっていることから、この“心の問題”に対して適切なケアをしていないと、交際相手や配偶者からDV被害を受けることになったり、出会い系(コミュニティ)サイトで優しく話を聴いてくれた人から性暴力被害や性搾取被害にあったり、新興宗教やカルト集団、占いの世界に傾倒したり、周期的にブランド品を買い漁り財産をなくすことになったり、薬物やアルコールに溺れてしまったりするなど、様々なリスクを抱えることになります。
* 「暴力による恐怖で心を支配する試みとして、DVやハラスメント、いじめの加害者の行為(試み)と、新興宗教やカルト教団の行為(試み)と変わらない」わけですが、重要なことは、人は、「相反する拒絶と受容の態度や言動を繰り返される」ことにより“思考混乱”を起こし、思考混乱下ではマインドコントロールされやくなることを理解することです。詳細は、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-5.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で説明しています。



* 「Ⅶ11-15**」の5つのカテゴリーは“人の行為”にフォーカスした分類で、次の「Ⅲ16-18」の3つのカテゴリーは、“人が属するコミュニティ(組織)”にフォーカスした分類になっています。したがって、コミュニティ(組織)に所属する者が、「Ⅶ2-15」のカテゴリーに関する行為によりコミュニティ(組織)から処分(倫理規定違反など)を受けたことについては、「Ⅶ16-18」のカテゴリーに掲載しています。
**主に「わいせつ行為により逮捕された」ことを伝える記事は、その逮捕理由により、「Ⅶ-6.<性暴力>新聞事件簿。自尊感情を奪われさ迷うことになる卑劣な行為」、「Ⅶ-7.<性的逸脱>新聞事件簿。パラフィリア。抑圧、稚拙で抑制不能な性衝動」、「Ⅶ-8.<性的搾取・ネットに潜む闇>子どもたちがはまり、大人がつけ込む」で掲載し、主に「パワーハラスメントやセクシャルハラスメント、体罰などの行為が表面化したり、訴訟を起こしたりした」ことを伝える記事は「Ⅶ-9.<ハラスメント・体罰(暴行)>新聞事件簿。優越感の充足、構造的暴力」で掲載しています。
 加えて、「Ⅶ16-18」の各カテゴリーにおける特有のテーマや諸問題に関しても掲載しています。


Ⅶ-16.<教育・学校(いじめ対応含)新聞事件簿。教育現場だけで考える問題か
* 児童虐待が疑われる児童に対しての初期対応のあり方や児童相談所への通告後の児童への対応、そして、DV加害者からの追及と対応のあり方などについては、カテゴリー「Ⅲ-5」の「Ⅲ.学校現場で、児童虐待・面前DVとどうかかわるか」で詳しく説明しています。
**「大川小訴訟」など、東日本大震災後、学校の防災対策のあり方等については、カテゴリー「Ⅶ-22.継続情報<大震災・地震/火山>ストレスとトラウマ、命と心を守る。」で、また、福島第1原子力発電所の被害による避難生活を強いられることになった児童の状況などについては、カテゴリー「Ⅶ-22.継続情報<原発被爆・放射能汚染>不安。命と心を守る知識と技術。」で掲載しています。

Ⅶ-17.<職場>新聞事件簿。職場環境のあり方。仕事・対人関係への悩み。
Ⅶ-18.<児童福祉・行政・司法、介護、育児>新聞事件簿。母子を取巻く環境
* 「施設における高齢者や障害者に対する虐待行為」、「老々介護の果ての殺害事件」を伝える記事については、「Ⅶ-5.<虐待>新聞事件簿。隣の家の子どもは大丈夫?子どもを助けてあげて!」、あるいは、「Ⅶ-11.<家族問題。親殺傷・ひきこもり。性同一性障害>新聞事件簿。どう向き合う」ではなく、当「Ⅶ-18.<児童福祉・行政・司法、介護、育児>」に掲載しています。


* 「Ⅶ19-22」の5つ(22は2分割)のカテゴリーに対する説明(コメント)は、そもそも「人とはなにか?」という問いについて、人の行為にフォーカスしてきたこれまでのカテゴリー(Ⅶ2-18)に対しての“総括”として、カテゴリー「Ⅲ-1」の「暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(はじめに)」を引用、編集しています。


Ⅶ-19.<人種差別、紛争・テロ、性売買>新聞事件簿。
 近代以前(中世)のヨーロッパや日本の人びとは、年がら年中、戦争を繰り返していました。当時はまだ国家というものが形成されていないので、部族同士、村同士といった小さな単位でも戦争をし、殺し合いをしていました。戦わなければ殺される状況の中で、自分の身を守るためには集団ごとに武器を持って戦っていました。しかし、現代に生きる私たちは、武器を持たずに人ごみの中を無防備に歩くことができます。それは、法の支配が確立されているからであって、実は見ず知らずの人びとの中を丸腰で歩けることのほうが歴史的にみれば奇跡的な状態なのです。現在も多くの紛争地では、武器を持たずに無防備で歩くことができないことは承知の通りです。
 法秩序が存在しない自然状態では、人間は常に自分の利益だけを考えて行動します。放っておくと戦争をひきおこしたり、コミュニティを破壊したり、自国を滅ぼしたりする暴挙に巻き込まれると、生存や存続さえ危うくなってしまうことから、命や一定の権利を守るために、人間は相互にルールを守るという契約を結ぶことになりました。それが、国家(政府)になっていったわけです。しかし、人は、どのような高度な教育を受けていても、いまだに法やルール(規制)、誰かに見られている他人の目(監視)、つまり、道徳観・倫理観(モラル)といった規範といった自己規制が働かない状況下では、途端にズルを働いたり、嘘をついたり、騙したり、欺いたりして、自分だけの利益(有利)を得ようとします。それが、人の本性です。
 現代社会では、法やルールによる他者規制と道徳観・倫理観(モラル)といった規範にもとづく自己抑制により「やりたい」「欲しい」という欲求は、コントロールされることになります。他者規制を自己抑制でコントロールできなくなった状態のとき、つまり、個々人の脳が中毒状態に陥り暴走したときには、他者規制は意味を持たず無力です。それは、親子、兄弟、配偶者同士など「親族間」の殺人が、検挙件数858件のうち473件(55.13%、平成25年)に及ぶことで明らかなように、脳が暴走したときには、法やルールによる規制、道徳・倫理感(モラル)といった規範だけでなく、血を分けた者の絆もまた無力です。
 したがって、警察官や教員といった立場にある者がわいせつ行為で逮捕されたとき、新聞などのメディアでとりあげられ、警察署長や学校長が謝罪会見を開き、「2度とこのような事件をおこさないように指導を周知徹底していきたい。」と頭を下げる機会をよく目にしますが、先に記している通り、指導や教育では対処できる問題ではないのです。
 また一方で、この法やルール(規制)、監視は、人にとって大きな抑圧(ストレス・危機)になるわけですが、なければ秩序のない無法と化すわけです。他者規制が強すぎると個人レベルでは反発、集団・コミュニティレベルでは暴動や反乱を招くことは、過去の歴史が示しています。そして、個々人が感じた抑圧、報われない感(不満)は、強い渇望感を心に残すことになり、“承認欲求(自分の存在を確認する)”を強く求めてバランスをとろうとします。その結果、少しでも優越感を得られる行為に及ぼうとします。優越感を得られる行為とは、征服・支配欲を満たす行為ということです。
 特に、乳幼児期に、親に守られて安全で、安心感にあふれた心地よさ(快感)という承認欲求が満たされず、渇望感を抱えている人たちは、ちょっとした抑圧(ストレス、危機)、報われない感に対し、自己のコントロールはできず、衝動的に人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙したり、奪ったりして優越感に浸ろう(征服・支配欲を満たそう)とします。痴漢や盗撮、体液をかけたりする性暴力(もっとも高い優劣感が得られるのがレイプです)、万引き、いじめ、差別(ママカーストなど含む)、ネット内での誹謗中傷、そして、井戸端会議で愚痴などによって、“承認欲求”を満たし、心の安定をはかろうとします。子どもの万引きは、渇望感を満たす“承認欲求”であるだけでなく、「わたしここにいる」ことを確認する気を惹くための“承認欲求”としての「試し」の意図を持つものです。
 乳幼児期に“承認欲求”が満たされていなかった者が、“承認欲求(心地よさ=快感)”を得るために脳が暴走したときには、法やルールによる規制だけでなく、道徳・倫理感(モラル)といった規範、そして、血を分けた者の絆もまた無力です。
 コミュニティ・国家の安定・治安の維持という視点では、抑圧となる規制のころ合い、つまり、取り締まる範囲(幅)と許容(深さ)によります。問題は、その時代、その国家、統治者で、規制は異なるということです。規範に収まらない者、もしくは、従わない者は、反乱者、犯罪者、異常者というレッテルを張られることになりますが、その規制、規範もまた、第2次世界大戦前(戦中を含む)と戦後では激変したように、治める(統治する)者の意図が反映されるもので、実に危うく、儚いものです。
 例えば、1993年、南アフリカのアパルトヘイト(1948年、人種差別思考のうえに成り立つ様々な差別立法を背景に確立された政策方針)の撤廃に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ(大統領、ミドルネームのホリシャシャはコーサ語で「トラブルメーカー」の意味)は、反アパルトヘイト運動に身を投じてきたことから、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、1990年に釈放されるまでの27年間、獄中生活を余儀なくされてきたことはよく知られています。
 時代が変わったり、治める者が変わったりしたとき、英雄が一転して犯罪者になり処刑されたり、犯罪者が一転して英雄になったりすることを繰り返してきたのが、人間社会です。そして、過激であっても高揚感が得られる(心地よく快感を覚える)ことばに惹きつけられ、先導され、英雄をつくりだし、一方で、自分たちがつくりあげた英雄が虚像であったと気づいたとき、過激で高揚感が得られることばや行為を伴ってひきずりおろしたり、処刑したりするのも人の特性です。
 脳には、二重の意思決定回路があります。ひとつは、「速いシステム=直感的に解を導きだす」もので、普通は目の前の情報に対して、迅速に対応するため「速いシステム」がメインに働きます。しかし、「速いシステム」は、迅速に対応するがゆえに粗っぽく、間違いを検出する作業は不得意です。“直感”というのは、単なる脳の習性にもとづく判断でしかないことから、基本的に粗っぽいものです。その“感覚”には、そこに矛盾があっても、迅速なシステムによって一度は受け入れるという性質があることから、確信に満ちた人の態度を見ると、一度は納得して受け入れてしまうことになります。一度納得して受け入れたのちに、もうひとつの論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」が発動します。「あれ? なにかおかしいな?」、「よく考えるとなんか変だぞ!」という感覚は、「遅いシステム」が、一度納得して受け入れたものを「遅れて」検証をして、警告を発したものなのです。
 したがって、自分の話に巻き込むことに手慣れた者、そして、マインドコントロールを仕掛けるカルト集団の指導者や詐欺師に騙されないためには、論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」を働かせることが重要になります。つまり、直ぐにその気になったり、騙されたりしないためには、「遅いシステム」が発動するのを待って、判断を下すこと、つまり、心を落ちつけて、自分を内省する時間を持つことが必要です。
 そこで、重要なことは、「遅いシステム」を発動させるには、子どものときから、忍耐力の必要な問題にとり組んだり、粘り強さが必要になる課題にチャレンジしたりすることを習慣づけていなければならないのです。
 しかし、戦争や紛争地で暮らす子どもたち、飢餓や貧困のある地域で暮らす子どもたち、そして、暴力のある家庭で暮らす子どもたちは、論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」を発動させることなく、体験に裏づけられた“直感”という「迅速なシステム」で、すべてを受け入れてしまう傾向が顕著です。この状態は、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力、つまり、自分の能力を監視する知識、自分が知っているということを知っていること、自分が認知していることの認知、自分の理解していることを理解することといった自分の認知行動を正しく知るうえで必要な心理的能力を身につけることができないことを意味します。
 人が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識することを「メタ認知」といい、それをおこなう能力を「メタ認知能力」といいますが、上記の状況で暮らす子どもたちは、メタ認知能力を身につけ難いのです。
そのため、こうした人たちは、カルト集団や新興宗教、テロリスト集団を先導する者が発する過激であっても高揚感が得られる(心地よく快感を覚える)ことばに惹きつけられ、示される過激な思想に陶酔しやすいのです。こうした人たちが抱える不平不満、憤りや怒りを利用して、自己利益だけ満足させようと試みる者が、ときに英雄となってきたのが、人類の歴史です。
 そして、狙いを定めた相手にとっての“絶対君主”、“英雄”になろうとするのが、DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者たちです。霊感商法など詐欺行為をおこなう占い師や詐欺師たちと同様に、DV加害者たちが、狙いを定めた者に対して最初に見せる優しいことばや夢を厚く語ることばは魅力的で、高揚感が得られる(心地よく快感を覚える)ことから、被害者は一緒にいると楽しい、そして、その夢(人生)をともにしたいと強く願いやすい状況がつくられます。しかし、DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者たちは、“絶対君主”“英雄”になる力量を持ち合せていないことから、上辺だけ(虚像)の力量を見破られないために、本来対等の関係に、上下の関係性、支配後従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使することになります。DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者たちは、被害者に対し、自分への永遠の忠誠を誓わせる意図を持った法やルールを定めます。しかし、その法やルールは、加害者のそのときの気分やそのときに都合のいい状況にするための解釈で罪状や裁量が決まることから、他の者には琴線に触れる基準がわからず混乱し、不安感が強くなり、得体のしれない者に対する強烈な恐怖心を抱くことになります。その結果、常に顔色をうかがい、意に反しないように先々に気を配るなど、意に添うようにふるまい少しでも琴線に触れないように怯えながらの生活を強いられることになります。
 ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724年-1804年)は、「人間の本性は邪悪で、戦争すること自体が人間の本性だから、特別な原因がなくても戦争はおこる」「戦争は、相手が自分に対してなんらかの利害対立や敵意を持つからこそおこるのではなく、戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない」としています。そのカントが生きた18世紀のヨーロッパでは、多くの国が王権や資源を巡る争いや植民地獲得のための競争に明け暮れていました。
 現代においても、コミュニティ・国家間のパワー関係をあらわす経済活動、つまり、コミュニティ・国を豊かにするためには、他のコミュニティや他国を滅ぼすこと、他のコミュニティや他国を犠牲にすることを余儀なしとしています。つまり、国際法では国同士の争いごとの最終決着として、戦争を<合憲>としています。戦争という行為がいけないというのは、倫理上、道徳上、人道上の問題であって、現代の国連加盟国での経済活動のもとでは、「戦争をしてはいけない」とは法制化(規制)されていないのです。その中で、日本国憲法第9条において、「戦争の放棄(第2章)」としているのは、世界で唯一のものです。
 民族間の殺し合い、異宗教間での殺し合いは、異なる者を排除しようとする人の殺戮本能を根底にした征服・支配欲にもとづく行為です。問題は、戦争・紛争下で育った子どもたちは、戦争・紛争を継続していく担い手になっていきますし、人を殺すこと、暴力で傷つけること、レイプすること、人の財産などを奪うことなどに対する罪悪感は希薄になっていきます。なぜなら、人の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられるからです。つまり、暴力のある環境では、暴力をすり込み、学習し身につけるだけで、暴力のない環境で生きる“術(すべ)”は身につけられないのです。
 カントの「人間の本性は邪悪である」という指摘は、戦争という行為だけでなく、ローマ時代コロッセオでおこなわれていた格闘、つまり、奴隷を戦わせ、殺し合うのを見て<狂喜>し、男の奴隷が入れられている折の中に女の奴隷を入れ、集団で犯す、犯されるのを見て<狂喜>してきた事実に認められます。
 これらのおこないは、弱いものを脅したり、暴行・リンチを加えたり、レイプしたり、からかいひやかしたりして、悲鳴をあげたり、怯えたり、痛みで苦悶の表情を見せたり、謝らせ許しを請わせたり、嫌がったり困ったりする姿や表情、声、態度に対し、面白がり、優越感に浸る、つまり、<歓喜(このうえない高揚感に浸る)>するのと同じです。人は、殺戮本能、征服・支配欲をコントロールできずに暴力に及ぶとき、“狩りのセオリー”として、他のコミュニティに属する者、傷ついた者、老いた者、幼い者(子ども)、力(立場を含む)の弱い者をターゲット(標的)にします。そして、殺戮本能、征服・支配欲が満たされるとき、高揚感・恍惚感・優越感に浸ることになります。
 強い者や立場が上の者が、弱い者や立場が弱い者という構図(関係性)のもとで、力(パワー)が行使される、つまり、虐待、DV、いじめ、差別、体罰、パワーハラスメント、セクシャルハラスメントなどの暴力には、人類の残虐性、サディスティックなふるまいに快感を覚える(優越感に浸る)という側面があります。人は、人を屈服させること、つまり、自分の力を誇示することで、渇望感が満たされる(承認欲求が満たされる)のです。なぜなら、優越感に浸ることで、自尊感情や自己肯定感を高めることができるからです。
 暴力により得られる高揚感・恍惚感・優越感は、“快楽”を司る中枢(脳内報酬系)が刺激される中毒性によるものであり、暴力をエスカレートさせていく原因となります。このことが、暴力の強烈な刺激欲求に対しては、「人とどうかかわるかといった“認知の歪み(考え方の癖)”に対するアプローチ(加害者更生プログラム)」だけでは対応できない要因となっています。
 古代オリンピックがおこなわれていた時代とは違うものの、その競技(学力や演奏など含む)で一番は誰かを競い、その一番の者はどこの国かを誇らかに自慢する(優越感に浸る)ことは、仲間意識(国家、民族、主義)を高める、つまり、「士気高揚」ということばの通り、一体感や団結心を強化する役割を担っているわけです。
 「戦いを好む種」「戦いに歓喜する種」である人類は、怒りや不満の感情を「筋肉を動かすことによるエネルギーの消費」や「戦いに歓喜する」ことによって解放します。そのため、書物、映画などの映像で、「正義と悪」「グループとグループ」という構図で戦うのを読んだり、見たり、あるいは、戦ったり競ったりするゲームで遊んだり、囲碁などで戦うことは重要な役割を担ってきました。特に、直接体を動かす、つまり、筋肉を動かす農作業や家事、そして、スポーツは「苛立ち」「怒り」のエネルギーの解消には不可欠です。例えば、骨折や障害、疾病によりからだが不自由になったとき、これまでできたことが思うようにできなくなったとき、イライラが募り、大声をあげたり(声帯の筋肉を動かす)、物を投げたり、叩いたり、蹴ったりするのは、筋肉を動かすこと(射精行為も含まれます)ことで苛立ちのエネルギーを放出するためです。
 この理解は、「なぜ、人は殺し合うのか」ではなく、「どうすれば、人は人を殺し合わなくなるか」「どうすれば、人は人を傷つけなくなるか」という視点、つまり、「殺戮本能、征服・支配欲に満ちた人間の本性をどうしたら抑制・抑止することができるか」、「どういう状況下で、人は人間の本性が抑制・抑止できなくなるのか」という視点・考え方に通じるものです。それは、第一に、「文明」として、コミュニティの中での秩序をもたらすための「ルール」「法」をつくること、第二に、人類の殺戮闘争本能を抑制するための「歓喜することができる楽しみ(スポーツ、観劇などの娯楽)」を造りだし提供することでした。
 ルールや法(規制)は、破った者、つまり、コミュニティを危機にさらす者、危険を招く者として罰するためにつくられていきました。コニュニティを危機にさらす者、危険を招く者とは、人を殺したり傷つけた(殺人・障害・暴行・強姦)者、嘘や偽りの話で人を騙したり、力づくで人のものを奪った(略奪・搾取)者、そして、働かない者や働けなくなった者などです。このとき、本来、効果的に狩猟をおこなうための道具として発達させてきたナイフ、槍、弓といった武器は、同時に、ルールを破った者を罰する道具となっていきました。20人、50人、200人と統治できるコミュニティの大きさ(人数)は、逃げだそうとするルール破りの者に対してナイフや槍を投げつける、弓を飛ばすという行為に比例したのです。つまり、人類が武器を発達させてきた歴史は、狩りで負傷するリスクを軽減させ、効果的に狩りを成功させるためだけでなく、コミュニティの統治としても必要不可欠なものだったのです。そして、人類は、鉄砲、大砲、ロケット爆弾、そして、原子爆弾を開発していきました。
 一方で、殺戮・征服・支配欲の満ちた本能に満ちた無秩序な社会や家庭環境、つまり、戦争や紛争、飢餓、差別のある社会、虐待やDVのある家庭環境で、子どもが育つことは、脳の発達経緯、つまり、脳機能の獲得に大きな影響を及ぼすことになりました。その差は、暴力に順応した脳機能を獲得するか、暴力に頼らない脳機能を獲得するかです。そして、その影響は、殺戮・征服・支配欲に満ちた本能を抑制・抑止する脳機能を奪うことです。虐待やDVの目撃など、日常的に恐怖にさらされ、親に守られていないと、自分で自分を守ろうとすることから、恐怖、危険から逃れるためのその場限りの反射的行動が主になってしまいます。その結果、「コミュニケーション能力」や「感情コントロール」を司る前頭葉の機能の発達が損なわれることになるなど、脳機能の獲得に多くの障害を及ぼします。
 そこで、日本社会で深刻な問題になっているストーカー殺人事件、そして、監禁事件、凄惨な無差別殺人事件をおこした加害者像は、「暴力のある家庭環境で育ったことによって心を蝕まれ、人格の歪み、認知の歪みにもとづいたふるまい」=「脳機能の獲得に支障が生じ、現代のコミュニティで、安全で安心できる生活環境を脅かすリスクを回避する法・ルール(規制)や道徳・倫理観といった規範を獲得できなかった者によるふるまい」、あるいは、「法やルール(規制)や道徳・倫理観といった規範は理解しているものの、ある刺激に対して脳が暴走しコントロールができない者によるふるまい」と認識することができれば、デートDV・DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者は、“同じグループ(範疇)に属する”ことを理解できると思います。つまり、デートDV・DV、虐待、殺人、レイプ、監禁、いじめ、差別、体罰、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントなど、本来対等であるはずの関係性に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるために“力(パワー)”を行使する人物に共通するのは、程度の差はあれ、暴力のある家庭環境(過干渉・過保護、教育的虐待を含む)で育っているということです。なぜなら、人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達する、つまり、人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させないのです。その結果、暴力のある環境に合った脳の機能がつくられ、暴力による関係性を成り立たせることによって承認欲求が満たされ、心が安定できるのです。
 このような捉え方によって、加害者の人物特性を明らかにし、理解することによって、こうした特性を持つ人物への対策を講じることができます。「どうすれば、人は人を殺さなくなるのか」「どうすれば、人は暴力で人を傷つけなくなるのか」に対する明確な解を示すことができるのです。それは、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」との認識下では、戦争・紛争のある国や地域で子どもを育てないこと、暴力ある家庭環境で子どもを育てないことです。つまり、暴力のある家庭環境で暮らす子ども、貧困下にある子どもを早期に発見し、一刻も早くその家庭に介入して支援することです。


Ⅶ-20.<ことば>プレス。道徳・教養、思考。心の肥やしを「知識のひきだし」に
 暴力のある家庭環境では、ふるまいや言動だけでなく、人そのものを否定し、非難・避難し、侮蔑し、卑下することば、大声で罵倒する汚いことば、自分のふるまいや言動だけを正当化するための嘘や偽りに塗り固められたことば、自分の楽しみを満たすためのからかいひやかすことば、人を貶めたり騙したりすることばなどを日常的に見聞きして暮らし、人を敬い、慈しみ、労わることばを見聞きする機会が奪われてしまいます。親の豊かな感情を表現したことば、親の幅広い知識にもとづいたことばが、子どもになげられているかという問題は、子どものことばの獲得に大きな影響と差を及ぼすことになるという意味で重要です。子どもは、親が使っていることばを真似て覚え、使うのです。そして、いまの自分の気持ち(感情)や考え、つまり、いま自分がどう思っているか、どう感じているか、いま自分がどうしたいのかを表すことばの語彙数は重要な意味を持ちます。なぜなら、いまの自分の気持ちや考えをことばにすることができないと、人の脳は強烈なストレスを感じ、その苛立ち(イライラ)は、癇癪(暴力)とつながるからです。その暴力は、他者に向けられるものだけでなく、リストカットや過食嘔吐、ODといった自傷行為として自身にも向けられることになります。
 戦争や紛争後、その国や地域ではインフラとして最優先課題となるのが、子どもたちが学ぶ学校をつくり、子どもたちにことばを教える、つまり、子どもたりに教育をすることです。なぜなら、子どもたちが、いまの自分の気持ち(感情)や考えをことばにし、人に伝える技能を身につけることが、戦争や紛争後、争いのない社会をつくる礎になるもっとも重要なとり組みだからです。
 子どもを持つ親や子どもと接する大人がどうあるべきなのかを示す“真”が述べられているドロシー・L・ノルテの「子どもはわたしの鏡」という詩を紹介したいと思います。
子どもは批判といっしょに住めば、人を批判することを学び
敵意といっしょに住めば、反抗することを学ぶ
子どもは嘲笑といっしょに住めば、引っ込み思案になることを学び
恥辱といっしょに住めば、自分を責めることを学ぶ
一方、子どもは励ましと一緒に住めば、自信を持つことを学び
賞賛といっしょに住めば、感謝することを学ぶ
子どもは公正といっしょに住めば、正義を学び
安全といっしょに住めば、人を信じることを学ぶ
子どもは容認といっしょに住めば、自分を愛するようになり
受容といっしょに住めば、周囲に愛を見いだすことを学ぶのだ
 私たちは、自分の気持ちを人に伝えるための多くのことば、人との関係性を豊かにするための多くのことばを身につけることで、考える幅や深さが広がります。つまり、多様なことばを身につけることは、人生を広げることにつながります。


Ⅶ-21.<脳とからだ・人類の発達。医療の最新治療>プレス。
 多くの人は、犯罪や暴力事件がおきるとその原因や理由を解明しようと努めます。それは、平和な状態こそが人間にとってあたり前(自然)で、犯罪や事件は異常な状態だという認識を持っているからです。
しかし、この認識は本当に正しいのでしょうか?
 人を殺したり傷つけたりすること(殺人・障害・暴行・強姦など)、嘘や偽りの話で人を騙したり、力づくで人のものを奪ったり、のしあがったり、牛耳ったり(略奪・搾取、権力・支配)すること、異なるものをとり除こうとしたり(差別・排除)することといった人の行為の捉え方について、自ら「賢い人」「知恵のある人」という意味のホモサピエンスと名づけた人類は、進化の過程で、“人を殺す人”として幾つもの原型種を滅ぼしたり、交配したりして凌駕・駆逐したりしながら歩んできました。
 したがって、こうした「人類の歴史観」と、人類の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられるという「脳の発達論」の見地から、この問題の本質を提示しておくことは重要です。
 「人類の歴史観」や「脳の発達論」を理解することの重要性は、第一に、「人が人を殺す」、「人が人を傷つける暴力(戦争などを含む)という行為が、いつ、どのような状況で生まれ、その結果、人の脳に多くの影響を及ぼしてきたことです。そして、第二に、明治維新、日清日露・第1次世界大戦を経て第2次世界大戦に突入し、本土空襲、沖縄戦、広島と長崎への原爆投下を経て終戦を迎えた日本は、戦後の70年で産業構造は激変し、この40-20年で情報化、飽食化が著しく進むなど、人類史上いまだ体験したことがないほど社会に中毒性のある物質(食品や薬品)や刺激が溢れかえり、そのことが、人類の脳に異常な状況をもたらしていることです。
 人類(ホモサピエンス)の長い歴史をふり返ってみると、人は生き延び、種を繋げるために、人を殺し、人のもの(領土、食料、人など)を奪い、異なる人種やコミュニティ、そして、異なる考えを排除してきました。
 15万年ほど前に東アフリカで細々と捕食者(肉食獣)に怯えながら暮らしていたサピエンスは、7万年ほど前になると、地球上のあらゆる場所に進出し、他の人類を絶滅に追い込んでいきました。解剖学的には、太古のサピエンスと現代の人間には大きな違いはなく、7万年前を境にサピエンスの“認知的能力”に劇的な変化が生じ、脳の構造が変わったと推察されています。
 その認知的能力とは、想像的にものごとを認知し、仲間に伝え、行動に移す力のことです。例えば、「気をつけろ、ライオンだ!」ということばを操れる人類は他にもいましたが、「ライオンは、わが部族の守護霊だ。」と話すことができる人類はサピエンスだけでした。関連性を想像するといった認知的能力を備えた脳の構造に変化したことにより、サピエンスは、複雑な社会を形成することが可能になったとされています。
 そして、1万年ほど前に植物の栽培と動物の家畜化がはじまり、人類は定住生活をするようになり、土地や地域を所有する概念が生まれました。
 とはいっても、狩猟採集民は1日わずか数時間の労働で十分な食料を手にできるなど自然の様々な食材を手にできましたが、一方の初期の農耕民は、単一、あるいは、少ない種類の作物に依存していたため、飢饉にみまわれるなど劣悪な生活環境でした。農耕民は、長い歴史の多くの期間を飢饉の恐怖と栄養不足、そして、重労働という苦みに直面し続けなければなりませんでした。しかし、生存率があがり、コニュニティの拡大、つまり、多くの人口を賄い、コミュニティを安定させ、維持していくためには、植物の栽培と動物の家畜化は必要不可欠でした。このとき、重大な役割を担ったのが、中東のごく限られた地域に自生する弱い立場の草にしかすぎなかった「小麦」の栽培でした。
 小麦は、いうまでもなく「炭水化物(ブドウ糖=糖質)」で、糖は脳の唯一のエネルギー源です。しかし、この炭水化物(ブドウ糖=糖質)は、コカインが作用する脳の同じ部位に刺激を与える物質です。脳には、側坐核や腹側被蓋野の部位に快楽(幸せを感じる)を司る中枢(脳内報酬系)が存在します。ここでドーパミン放出を促し快感が生じると、それが刺激となり、依存症や中毒状態となります。そして、この糖質の甘さの方が、そのコカインよりも脳内報酬系を刺激するのです。つまり、糖質(炭水化物)はコカインよりも中毒性が高い物質ということになります。
 人の脳は、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激によって多幸感を感じたり(正の強化効果)、不安や苦痛から解放されたり(負の強化効果)すると、再び、その物質(食品や薬物)の摂取や刺激を探し求めます(薬物探索行動)。つまり、人の脳は、ある種の物質(食品や薬物)や刺激がもたらす正の強化効果や負の強化効果を求めはじめると、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激の要求には、自分の意志でコントロールすることができないのです(自己抑制の破綻)。結果として、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激の獲得を繰り返すことになるのです。そして、常用(連用)するにしたがい、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激に対する欲求はますます激しくなり“強迫的な使用(精神依存)”へと拍車がかかってきます。
 ここでいう“刺激”には、乳幼児が養育者(親など)に守られる安全で、安心感にあふれた心地よさが含まれます。もし、乳幼児期、養育者に守られる安全で、安心感にあふれた心地よさという“快感”を味わうことができなければ、脳は、この“心地よさ(快感)”に対して、常に渇望状態になり、満たされなかった心地よさを求め続ける、つまり、強烈な承認欲求を満たそうと試みることになります。思春期後期-青年期前期になると、親から得られなかった「守られ、大切にされる心地よさ(快感)」を、自分が乳幼児だったころ親の年代の異性や大人に対し、やり直しを求めるようになるのは、強烈な承認欲求を満たす試みです。乳幼児期に満たされず、思い残しが燻る「心地よさ(快感)」や「承認される」といった“欲求(刺激)”の追及は、自分の意志でコントロールできるものではなく、心の底からマグマが噴きあがってくるかのような激しいものです。そして、乳幼児期に、この承認欲求が満たされない、つまり、存在を認められない、受け入れられなかった「見捨てられ不安」として、生存している限り、果てがないもので決して尽きることはないものです。
 小麦を栽培し常用する術を手に入れた人類の脳は、コカイン中毒者と同様に、小麦が得られないとき、快楽を求める渇望(中毒症状)をひきおこしてしまうことになりました。その結果、コニュニティの安定をはかり、維持していくためには、小麦を栽培する農地を拡大し、生産量を増やさなければならなくなくなったことから、人類は、豊かな土地を求めたり、農地改良や品種改良、そして、精製技術の発達に必死にとり組んだりするようになったのです。これが、人類が「より豊かな生活を求める」「より楽に手に入れる方法を求める」という欲求の原型です。今日では、この欲求を満たすプロセスに対して惜しまない努力のことを“向上心”と呼びます。
人類は、ドングリなど木の実に加え、果物やハチミツなどの一糖類、稗や粟、蕎麦、そして、小麦や米の栽培(農耕)により、脳の新たなエネルギー源であるブドウ糖(多糖類)の日常的な摂取を獲得したことにより、人類の大脳を劇的に発展させました。その一方で、快楽を司る中枢が刺激されることから、快感を求めて無意識に炭水化物(ブドウ糖=糖質)を求め、摂取が途切れるとイライラ感や無力感などの禁断症状を示す脳をつくりあげました。
 このことは、小麦の安定供給を求めて他の農耕地や生産物を力でもって奪い合う、つまり、コミュニティとして、狩りの方法や技能を戦いに生かし、逆に、守りを固める防御の技能を高めることになりました。さらに、より効果的に体内にとり込もうとする(少しでも早くブドウ糖に転換し血糖値をあげ、脳に多幸感を与える)欲求(モチベーション)は、石器で砕き焼くなど加工して食べるといった“精製技術”を劇的に向上させていきました。精製技術の発達により、白米や白砂糖(二糖類;黒砂糖を精製したもので、食品ではなく薬品分類)が使われた加工食品などを口に入れた瞬間に甘さを感じ、「おいしい」と多幸感に満たされる状況がつくられていきました。
 本来、赤道直下の熱帯地域で栽培されるサトウキビ(黒砂糖)やタロイモなどは、体を冷やす物質です。本来生息していない寒冷地域や温暖地域で生活する人にとって、食物の摂取による冷えは、体にとって危機(危険のシグナル)であることから、アドレナリンを放出させ、一方で、カロリー過多を生じさせます。逆に、寒冷地域で生活する人は、多くのエネルギー(熱量)が必要となることから肉や乳製品など動物性タンパクを必要としますが、温暖地域や熱帯地域で生活するには、寒冷地域ほどのエネルギー(熱量)は必要ないことからカロリー過多となり肥満を生みだします。
 この状況が巷に溢れている今日、脳は、快楽を司る中枢が常に激しく刺激され中毒状態、つまり、「脳が多幸感と渇望感を繰り返す(加えて、アドレナリンにより危機と安定を繰り返す)=精神的にアンバランスな状態になる=感情の起伏が激しくなる状態」になりました。精神(脳)の安定には、多幸感と渇望感の差(ふり幅)は小さく留めることが望ましい、つまり、できるだけ時間をかけてゆっくり糖が吸収されるように、元来あるミネラルやビタミン、食物繊維などが精製(精白)されず、浸透性の遅い食品を供給することが望ましいのです。
 約400万年前に分化し、人類と遺伝子の99%を同じくし、果物や種子などを主食とする一方で、他の哺乳類(捕獲量の80%はアカコロブスというサル)を集団で襲うなど5%の肉を食し、肉食獣と同じく猛獣と分類されるチンパンジーは、仲間と食料を分かち合う一方で、グループ内での権力争いや他のグループとのテリトリー争いでは、300kgに達する握力と発達した犬歯を武器に戦うだけでなく、棒など道具を用いて「集団リンチ」で撲殺し、その肉を食らう残虐性を持ち合わせています。新たにボスの座に就いたオスは、前のボスの子どもを殺し血脈を断ち、時に殺害した子どもを食します。
 それより前の約1000万年前に、人類の祖先は、ゴリラから分化したとされていますが、森の王者と称えられてきたベジタリアンのゴリラは、胸を叩いて威嚇して力を誇示し合うことで雄同士の争い、つまり、殺し合うという行為を避けてきました。それは、“種”を絶やさないための自制に他ならず、ゴリラが数百万年もの時を経て今日まで生き延びることができた大きな要因となっています。
 人のゲノム(全遺伝情報)の15%は、チンパンジーのものよりもゴリラのDNAに近く、チンパンジーのゲノムも、その15%は人よりゴリラに近かいことがわかっています。このことは、霊長類は長い期間をかけ、緩やかな段階を経て分岐していったことを示唆するものです。つまり、人類は、チンパンジーのように多種や同種を殺傷する、つまり、「人を殺す人」としての“残虐性”に加え、ゴリラのように種を絶やさないために自制する“術”を持ち合わせていることになります。人類の種を絶やさないための自制する“術”は、法やルール(規制)であり、倫理・道徳観といった規範ということになります。
 人の高揚感や多幸感は、第一に、自己利益のために人を殺したり、富を奪ったり、力を誇示したりすることで得られ、第二に、想像的にものごとを認知し、それを仲間に伝え、行動に移す能力によって農耕や飼育の生産性を飛躍的に高めることができ、結果としての“報酬”を獲得したとき、新しい技術を生みだしたり、工夫や改善をしたり、中心的な役割を担ったりするなど貢献したことで得られます。つまり、自分の力を自分自身で確認できたときと、自分の力を周りの者やコミュニティが認めることで確認できたときに、人は多幸感を覚えるわけです。
 ゲノムでは、チンパンジーよりもゴリラに近く、7万年前に想像的にものごとを認知し、仲間に伝え、行動に移す力を獲得するなど脳の構造を劇的に変化させることになった人類の祖先は、その後、一定の権利を守るために、ルールをつくり、相互にルールを守ることで、種を滅ぼす争いを避けてきました。しかし同時に、小麦の栽培をはじめ農耕の発達、食への追及は、特定の物質(食品や薬物)や刺激に対して中毒症状を示してしまう脳の構造をつくりあげました。その結果、人類は、小麦の栽培に適した土地を、人を殺したり、騙したりして奪い、または、生産性を高める工夫と努力をして増やしてきました。このとき、快楽(幸せを感じる)を司る中枢(脳内報酬系)が、炭水化物(ブドウ糖=糖質)の摂取により刺激され、常用されることで、より炭水化物(ブドウ糖=糖質)の摂取を求めた脳の働きは、神経伝達物質のβエルドルフィンが大きな役割を担ってきました。
 そこで、神経伝達物質βエルドルフィンと中毒性のある物質(食品や薬物)や刺激との関連性について、少し理解しておく必要があります。
 βエルドルフィンは、内在性鎮痛系にかかわり、多幸感をもたらす神経伝達物質で、脳内の「報酬系」に多く分布するものです。つまり、“快楽”の神経伝達物質として働いています。そして、βエルドルフィンは、麻薬のモルヒネ同様の作用を示すことから、脳内モルヒネ(脳内麻薬)といわれています。βエルドルフィンには、強直な鎮痛作用の他、抗ストレス作用、忍耐力増強、免疫増強などの効果があります。体内に大きな病気があると、脳は快楽物質であるβエンドルフィンを大量に放出してストレスを和らげようとします。
 モルヒネは“身体依存”に陥らせることから、依存した状態で薬物を中断すると、呼吸停止や痙攣を含めた激しい禁断症状が現れます。この不快な禁断症状から回避・離脱するために、再び、薬物(モルヒネ)の摂取を試みるようになり、脳に依存が形成されます。つまり、人類は、小麦の栽培により、常用的に炭水化物(ブドウ糖=糖質)を摂取するようになったことで炭水化物中毒になり、同時に、βエルドルフィンの分泌により、炭水化物(ブドウ糖=糖質)の摂取が不足すると禁断症状がみられるようになったわけです。この禁断症状にみまわれる人類の脳は、以降、より強い刺激(快楽)を追い求め続けてきました。
 βエルドルフィンは、おいしいものを食べたときや性行為のとき、そして、肉体的な痛み、疲労感の高まりなど脳内でストレスを感じるとき、脳下垂体から分泌されます。つまり、人の脳は、心地よさ(快感・多幸感)を感じるとβエルドルフィンが分泌され、その快感・多幸感を高めますが、一方で、過剰なストレスを受け、ノルアドレナリンが暴走したとき、βエルドルフィンを分泌して体を守ろうとします。
 例えば、ギャンブル、リストカット、過食嘔吐、車の暴走などの自傷行為でもβエルドルフィンは分泌され、やめられない要因となっています。マラソンなどのスポーツで、苦しい状態が一定時間以上続くと、脳内でそのストレスを軽減するためにβエルドルフィンが分泌されます。苦しいあと爽快感(快感)や陶酔感を覚える「ランナーズハイ」は、βエルドルフィンの分泌によるものです。つまり、「苦しんだあとの達成感は、危険(ストレス)を感じた脳がβエルドルフィンを分泌させた」ことによるものです。「過剰なストレス(危険)から体を守るためにβエルドルフィンが分泌され、快楽(報酬系)が刺激されることから病みつきになり、止められなくなり、依存していく」ことになるのです。
 からだが外的(危険)を察知したとき、脳内物質のドーパミンが分泌されますが、その直後、麻薬物質のβエルドルフィンが分泌されます。戦い(争い)に挑むことは、死に直面することから、人類は、死の恐怖を緩和するために、麻薬物質のβエルドルフィを分泌します。戦いやスポーツによる激しいぶつかり合いなどで負傷したとき、強い痛みを感じずに戦いやスポーツを続けられるのも、ドーパミンやアドレナリンの分泌よるものでなく、モルヒネの6.5倍の鎮痛効果があるβエルドルフィンの作用によるものです。
 以上のように、βエルドルフィンの働きの特性は、生存(身を守る)のために危害を及ぼす者を排除(殺害、略奪など)したときにも快感(多幸感)を与え、「報酬」による快楽が大きければ大きいほど、再び「報酬」による快楽を求めることです。


Ⅶ-22.継続情報<大震災・地震/火山>ストレスとトラウマ、命と心を守る。
Ⅶ-22.継続情報<原発被爆・放射能汚染>不安。命と心を守る知識と技術。
 平成7年に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件の被害者の約3割は、20年経過した平成27年、いまだにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状に苦しんでいます。自然災害に被災したり、交通事故に巻き込まれたり、レイプなどの性暴力を受けたり、暴行を加えられて傷害を負ったりすると、人は、いままで見ていた景色がある日突然一変し、あたり前だった安全な日常が崩れ落ちていきます。そして、恐怖体験による心の傷(トラウマ)が残ると、悪夢にうなされたり、繰り返しトラウマ体験が思いだされたり、その場所に近づくことができなくなったり、感情が麻痺してしまったりするなどのASD(急性ストレス障害)の症状がおこります。このASDの症状が1ヶ月以上続くと、PTSDと診断されます。
 いつまでも残り続けるトラウマ、凍ったままの記憶を再処理することが、治療の大きなカギとなります。
こうした単回性のトラウマ体験に加え、虐待やDV、いじめなど、慢性反復的な(日常的に繰り返される)トラウマ体験は、解離症状、認知や人格の歪みまでダメージが及ぶなど、さらに深刻な事態を招きます。
 東日本大震災から2年経過した平成25年、各新聞社は「東日本大震災の被災地で、配偶者間暴力(DV)が深刻化しています。狭い仮設住宅に妻たちの逃げ場はなく暴力は激化。先が見えない避難生活が続く中、夫婦関係が悪化するなどし、福島県では2012年(平成24年)、警察へのDV相談件数が過去最多になった。」と報じました。福島県警には平成24年、前年比64%増の840件、宮城県警にも同33%増の1856件のDV相談があり、いずれも過去最高を更新し、一方で、岩手県警への相談は同2%減の298件でした。相談件数が減った岩手県は、震災後、相談の半数以上は内陸の盛岡市内の窓口に寄せられており、被災した沿岸部は支援体制が不十分で、被害者が孤立しているだけと分析されています。全国の警察が把握した件数(平成24年1-8月)の伸び率が25%であることを考えると、福島県の前年比64%増というのは突出していることがわかります。産経新聞では、「東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の東北3県沿岸部、つまり、津波被害を受けた土地で児童虐待対応件数が増加し、その中で、福島第一原発のある“浜通り地方”を管轄する浜児童相談所の管内で前年比2倍以上の増加がみられ、突出している。」と記しています。浜児童相談所・南相馬相談室では「不適切な養育状況にあり、支援が必要と判断した“虐待受付け”件数は前年度73%増」となっている一方で、「被災した沿岸部は支援体制が不十分」と指摘しています。毎日新聞では、「子が親の暴力を目の前で見るといった精神的虐待が全体の6割を占めた。」と記しています。この親のDVなどを見て心が傷つく心理的(精神的)な虐待(面前DV)は、宮城県警で同42%増の155件にのぼっています。これまでの広い家から狭い仮設住宅に移ったことで、被害女性らが隠れ難くなり、より粗暴な事例が増えていると指摘しています。また、失業した夫が東京電力の賠償金を浪費してしまう経済的な暴力も目立っているといいます。同年の児童虐待取扱数は、宮城県警も同34%増の254件と過去最高を記録し、岩手県警は同11%増の144件となっている中で、福島県警で前年比76%増の109件と突出しています。
 以上の状況は、「震災後2年のことであり、これから月日が経てば、増加した児童虐待やDV被害数は減少に転じるだろう」と考える人がいるかもしれませんが、その考え方は間違いです。なぜなら、地震や火災、事故などによるトラウマ体験(単回性)によって発症するPTSDは、2-3年、10年経過してもひとつのきっかけで凍結されてきた記憶が呼び起こされ、フラッシュバックなどのパニックアタックをおこしたり、強いうつ症状をみせたりする可能性のあるものだからです。つまり、PTSDには“晩発性”という特性があることから、時間の経過に伴い、被災地における児童虐待やDV被害の増加は留まるというものではないのです。
 東日本大震災から2年経過した平成25年4月以降、福島県相馬市メンタルクリニックなごみで2代目の院長を務める精神科医蟻塚亮二(69歳)医師は、2000人以上の被災者の診察を続ける中で、「通院により不眠が改善した男性が、北海道旅行にでかけたとき、漆黒の闇夜を目にした瞬間、11年3月11日の夜の記憶が戦慄とともにフラッシュバックし卒倒しかけた。」ケースをとりあげ、「津波にのみ込まれた出来事は、あまりにも強烈で、脳内の意識下に刻み込まれ、似たような場面や音、匂いに反応し、“いまの私の中”に飛び込んできて、その瞬間にひき戻されてしまう。」、「震災から2年ほど過ぎてから、身内やペットの死、緊張がフッと緩んだとき、突然、PTSDの症状が表面化しはじめている被災者が増加しているのが、被災地の現状だ。」と述べています。
 平成7年1月17日におきた阪神淡路大震災においても、兵庫県のDV相談は急増しました。阪神淡路大震災の前年の平成6年度のDV相談は39件でしたが、大震災の翌年は74件で1.8倍、2年後(平成9年)は138件となり、3年で3.5倍になっています。当時、支援にあたった「ウィメンズネット・神戸」は、「震災後の大変な時期は、家庭の問題だからと遠慮する人も少なくなかった。」と述べているように、DV被害に耐え続けたものの、2年3年と暴力が収まることはなく、耐えきれなくなり相談に訪れていることも、DV相談の増加の要因になった分析されています。
 その阪神淡路地区では、16年前に被災した人たちの多くが、東日本大震災直後に繰り返し放映された津波被害の映像を目にしたことで、当時の恐怖心が鮮明に蘇り、フラッシュバックなどPTSDの症状に苦しむことになりました。「長い間、凍結されてきたトラウマ体験が突然表出する」ことがある“晩発性”こそが、PTSDの典型的な特性なのです。そして、平成28年4月14日以降、熊本県と大分県で震度7-震度5の地震が相次いで発生したときには、東日本大震災の“揺れ”を体験した人たちの多くが、テレビで緊急地震情報の警戒音が鳴るたびにドキッとし動悸や不安感にみまわれました。
 PTSDの厄介のところは、瞬間冷凍されたトラウマ体験から10年-30年と経過していても、瞬間冷凍されていた記憶が、なんらかのきっかけで瞬間解凍され、トラウマ体験時にひき戻される(フラッシュバック)可能性がある、つまり、爆弾をずっと抱えているということです。例えば、出勤途中に交通事故を目撃した女性が、交通事故をおこした車から額から血を垂らした女性がでてきたのを目にした瞬間、子どものころに目にした「父親に殴られ額から出血していた母親の顔」が鮮明に思いだされ、それ以降、重いPTSDの症状に悩まされ、出勤することができなくなり、退職せざるをえなくなったケース、結婚して数年経ったある日、夫婦でのセックスの最中、自分のうえにのしかかってきた瞬間に過去のレイプ体験が瞬間解凍されてフラッシュバックを起こし、夫を蹴り飛ばし女性は、PTSDを発症し、夫とセックスできなくなっただけでなく、普通に男性が行き来する道や店舗などが怖く外出することもできなくなったケースなど、過去のトラウマ体験は、予兆もなく突然表出する特性があります。
 そして、阪神淡路大震災後、その虐待や面前DVを受けて育った子どもたちが成長過程で、親の世代とともに心の問題に苦しんだり、凄惨な事件を起こしたり、さらに、被災体験をした子どもたちが親の世代になったときに、虐待やDVを増加させたりする“世代間連鎖”を伴います。
 阪神淡路大震災から19年経過し、震災時小中学校だった子どもが親になりつつある平成26年、兵庫県警がこども家庭センター(児童相談所)に、「児童虐待の疑いがある」として通告された子どものうち、「心理的な虐待の人数は、過去5年で25倍に増加、特に、家族が暴力をふるわれている光景を目撃する面前DVが急増している。」と兵庫県警が報じています。平成26年、兵庫県警が児童虐待防止法にもとづいて通告したのは、過去最多の727人(前年比255人増)で、暴行などを受けた「身体的虐待」が289人(同49人増)と最多、暴言を浴びせられるなどの「心理的虐待」が229人(同126人増)、「養育拒否・怠慢(ネグレクト)」が195人(同76人増)となっています。家族らが暴言を浴びせられたりする場面に遭遇する面前DVは、記録が残る同24年は13人でしたが、2年後の同26年は193人に増え、心理的虐待の84%を占めています。つまり、阪神淡路大震災後に増加した児童虐待とDV被害は、被虐待児童を増加させることになり、被虐待体験をした児童が成長し、自身の子どもを持つ年代に達したとき、再び、児童虐待とDV被害が急増することになったのです。ここに、「震災体験を契機とした暴力の世代間連鎖」の実情が明らかになりつつあります。
 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故に関連する自殺者は、平成23年55人(福島10人:18.2%)、平成24年24人(福島13人:54.2%)、平成25年38人(福島23人:60.5%)、平成26年22人(福島15人:68.2%)、平成27年5月まで、宮城県40人、岩手県33人、福島県69人となっています。同年同月までの関連自殺者数、宮城県、岩手県では各1人と減少している中で、福島県では8人と突出しています。
 また、肉体・精神的疲労が原因とされる関連死は、平成26年3月31日現在1,632人で、福島761人、宮城636人、岩手193人で、約50%が被災後1ヶ月以内で亡くなり、約90%が66歳以上の方です。地震や津波などの直接的な理由とは別に、避難生活のストレスによる体調悪化や過労などの間接的原因で死亡(自死を含む)する「震災関連死」は、被災者が抱えるストレスの程度を示すひとつの指標となるものですが、阪神淡路大震災後、兵庫県は919人の関連死を認定、東日本大震災では、震災後5年経過した平成28年3月時点で、10都県の3472人が認定されています。
 東日本大震災で近親者を亡くしたというだけでなく、瓦礫をのみ込んだ津波に巻き込まれ亡くなった方の傷ついた遺体を目の当たりにした人々が受けた強烈なストレス、さらに、慢性反復的に暴力を受けた人たち、暴力のある家庭環境で育った子どもたちが抱える強烈なストレスは、戦時下で空爆を受け、傷ついた遺体や焼死した遺体を目の当たりした被災した人たち、戦地や紛争地で殺さなければ殺されるといった狂喜な世界から帰還した兵士の人たちと同等です。
 戦時下で空襲を受け、死を目の当たりにした被災した人たちの心痛な丈が、平成21年、大阪大空襲被害から63年を経て国を提訴した「大阪空襲訴訟」で、原告のひとりの「意見陳述」に述べられています。それは、「死者を助ける手立ても機会もなく、一挙に焼き殺されて永遠に引き裂かれた両親兄弟などとの別れ、ある原告は数名もの肉親を一度に失っています。この愛する人々を失った衝撃の大きさは言語に尽くせません。それに重ねて家も財産も、家業も、はたまたは思い出のよすがも失い、二重三重に重なる重複的喪失感と、いつまでも持続する被災の恐怖、戦後放置された冷淡な国の態度への怒り、死者への悔恨と自分の救いの見えない懊悩、孤立感、そして耐え難い寂寞感、突然起こるトラウマによるフラッシュバック、これらの決して消失しない精神的不安定など、とても被害の深淵をいい尽くせません。」というものです。
 そして、東日本大震災から3年を控えた平成26年1月、厚生労働省研究班(研究代表者=呉繁夫・東北大教授)の岩手、宮城、福島3県で東日本大震災当時に保育園児だった子どもへの調査(保育園の3-5歳児クラスに在籍していた児童178人と保護者に対しアンケート・面接を、震災後1年半以降となる平成24年9月-同25年6月に実施)で、自宅が流出・全壊(25.4%)、自宅が部分破壊(25.4%)、避難所生活を経験(30.7%)、仮設住宅に入所(20.0%)、両親と一時離ればなれになった(38.9%)、家族や近い親類が死亡(9.8%)、友人や遠い親類が死亡(18.3%)、津波を目撃(43.9%)、遺体を目撃(2.8%)、火災を目撃(20.7%)といった“被災地での生活体験が原因”と考えられる「暴力やひきこもりなどの問題行動があり、精神的問題に関する医療的なケアが必要とされる児童が4人に1人(25.9%)に達する。」と報告しました。
 加えて、「被災地の子どもたちには、めまいや吐き気、頭痛、ののしり、押し黙りなどの症状があり、このまま医療的なケアを受けずにいると、学習や発育に障害がでる可能性が高い。」と警告しています。それだけでなく、阪神淡路大震災から19年後、児童虐待とDV被害が急増したように、震災体験を契機とした暴力の世代間連鎖の可能性が高いことを認識しておく必要があります。
 したがって、平成23年3月11日に発生した東日本大震災で被災した沿岸部におきている児童虐待やDV、そして、自殺者の増加は、“2次被災”ともいえる現象だという視点に立ち、いま、“これから”の問題にどのようにとり組んでいくのかがまさに問われるテーマなのです。
 沖縄戦から68年を経た被災者がそうであったように、うつ病と診断されているDV被害者や被虐待者は少なくないことから、被災後、うつ病と診断されている被災者の多くがPTSDを発症している可能性が高いと認識することは重要なことです。なぜなら、うつ症状だけでない、PTSD特有の症状に対してのケアが必要だからです。そして、被災地で虐待やDV被害が増加している事実は、その被災地では、「私が悪い」という自責の念に駆られ、自分を極端に責め、自己評価が低くなっている(認知の陰性変化)被災者が増加していることになります。自己評価の低さは、自分は価値のない人間だと思いとなり、非行に走ったり、繰り返し暴力をふるったり、または、ふるわれたり、犯罪に巻き込まれたりするなどあえて悪い方向に進んでしまうことにつながるわけです。
 したがって、私たちは、被災地で、再び、「負の連鎖」をおこさないように、いまできることにとり組まなければならないのです。


2012.5/24.6/20.8/18.9/9.10/9 加筆・修正
2012.9/23-26 新聞事件簿・カテゴリー改編
2012.11/19「はじめに(お知らせを含む)・ブログの構成と意図」を「はじめに(お知らせを含む)」と「ブログ「あなたは、夫からの暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?」の構成と意図」の二つに分け、再編成
2013.4/23 ブログ再構成・再編集による構成変更、加筆・修正
2013.11/25 加筆
2014.7/7 ブログの構成と意図(2014.5/10更新)を、「ブログの構成と意図(2014.7/7更新)」と「ブログの構成と意図②第三部 新聞事件簿(2014.5/10更新)」の二つに分け、再編成
2015.7/27 ブログ再構成・再編集による構成変更、加筆・修正
2016.10/20 ブログ再構成・再編集による構成変更、加筆・修正




もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅰ-N] お知らせ(はじめに、ブログ構成と意図、他)
FC2 Blog Ranking
   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【<DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。】へ
  • 【ブログの構成と意図-主要記事一覧-(2016.5/21更新)】へ