あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅶ-2]<DV(離婚後のストーカー行為含)>新聞事件簿。身近な女性を救おう!

<神戸新聞>ずっと家族がほしかった 家庭内暴力編(4)長年の代償あのころには戻れない でも娘に普通の生活を

 
 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 家庭内暴力編(5)世代間連鎖「親父のようにはならない」 そう誓っていたのに <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 家庭内暴力編(3)親からの重圧深まった夫婦の溝 寂しさから酒あおる
 長机だけが置かれた殺風景な会議室。向かい合った男性裁判官が、DV保護命令の申立書を淡々と読み上げる。「間違いありませんか」と確認を求められ、手続きは半時間足らずで終わった。
 2007年5月1日、神戸地裁明石支部。秋夫さん(48)は2カ月間の自宅退去と半年間の妻子への接近禁止を言い渡された。
 1カ月前、妻と中学2年の長女は家を出た。理由は秋夫さんの暴力。直接手を上げたことは一度もなかったが、長年にわたって怒鳴り、物に当たったことの弁償はあまりに大きかった。
 保護命令の申立件数は01年のDV防止法施行から昨年11月末までで全国で1万9846件。約80%が認められている。
 秋夫さんは新婚のころ過ごした大阪の住まいに戻った。10年以上放っていたため、とても住める状態ではなかった。押し入れから、家族3人で公園を散歩したときに長女が拾った石やシャベルのおもちゃが出てきた。
 「なぜこんなことに」。家族を失う恐怖や絶望感に、酒量だけが増えた。「死んでもいい」と白アリ駆除の薬品を部屋にまいて、酔いつぶれた。夢に幼い長女が出てきて「そこで寝たらあかんよ」とさとされた。翌日、秋夫さんは職場の無料カウンセリングを受診し、DV加害者でつくる自助グループを紹介された。


 「酒はやめた。暴力に頼らないコミュニケーションも学んでいる。だから帰ってきてほしい」
 保護命令発令の1カ月後に始まった離婚調停で、秋夫さんは訴えた。平行線のまま迎えた3回目の調停で、妻は思いがけないことを告げた。絵画を学ぶ長女の作品が認められ、アメリカに1年間留学するという。
 2カ月ぶりに帰った明石市のわが家はがらんとしていた。「1年後にはまた一緒に暮らせる」。そう言い聞かせ、月2回の自助グループの集いは皆勤を通した。
 「人の話は最後まで聞く」「相手を否定しない」―。グループでの約束事は、妻へのこれまでの仕打ちの裏返しともいえた。「つらかったやろな」。初めていたわりの気持ちがわいた。少しでも絵を知ろうと、美術展に足を運ぶようになった。


 08年春、帰国した妻は同居を拒み、長女との2人暮らしが始まった。秋夫さんは毎朝4時に起きて弁当と朝ごはんを作り、夜11時に帰ると、翌日の晩ごはんの下ごしらえをした。最初は他人行儀だった会話が少しずつ続くようになった。
 ふざけた口調で話しかけてきたことがあった。気を許したのだろうが、秋夫さんには分からなかった。「その口の利き方はなんや」。その声に硬直し、長女は家を飛び出した。
 09年春、念願の3人での生活が始まった。妻はよそよそしかった。長女は夏が終わるころ、昼夜が逆転し、学校に通えなくなった。秋夫さんや妻と目を合わさない態度をしかりつけると、また家を飛び出した。
 「もうあの子が生まれたころのような家族には戻れないだろう」
 秋夫さんは自嘲(じちょう)気味に笑った。そして、言い聞かせるように続けた。
 「でも、娘を巻き添えにしてはならない。娘が普通の生活を取り戻すためなら何でもする。何とかせな」
 昨年11月から、長女と日帰りの温泉施設に出掛ける。週1回、片道30分ほどの車内で親子の会話はほとんどない。それでも、一緒に過ごすことに意味を見いだそうとしている。=文中仮名=

(坂口紘美)

2010/01/29



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