あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-4]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ

19.PTSDとC-PTSD、解離性障害

 
 20.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害) 18.抑圧。凶器の刃となり、人を殺める
*新版3訂編集中(2017.12.17)

子ども時代のトラウマによる一種の記憶のすり込みを「Trauma Learning」といいます。
トラウマによって、うつ、不安、パニック、解離、嗜癖、自傷行為、摂食障害などが、ひきおこされます。
長期的にコルチゾールが分泌されることから、免疫力の低下が起こり、身体疾患に罹患しやすくなることもあります。
また、トラウマが固定化し、人格障害のかたちをとることもあります。
ヒステリー(解離性障害)や身体化障害、疼痛や不定愁訴などの症状も認められます。
アルコール依存や薬物依存は、PTSDの過覚醒状態における自己投薬ともいわれています。
PTSD(post-Traumatic stress Disiorder)には、すり込まれた記憶による特有の傾向がみられます。
PTSDにおける記憶の特徴は、再演(回想、断片化、フラッシュバック、強烈な感覚的経験)、反復(再被害化、攻撃者や被害者への同一化)、置き換え(トラウマの加工、異常な性幻想、異常性愛、精神病様反応)の3つに分類されます。
また、PTSD発症が遅延する状態(あとから症状がでてくる)として、a)回避(性行動回避、鎮静系の薬物依存、身体化、抑うつ反応)、b)攻撃(危険な行動、反社会的行為、刺激系の薬物依存、性行動過多)があげられます。
また、C-PTSD(Conbined post-Traumayic stress Disorder)は、慢性反復的トラウマ体験による心的外傷後ストレス障害のことをいいます。Conbinedは複合、複雑という意です。
C-PTSDは、PTSDに比べ慢性的な安全の感覚、信用、自尊心などの損失、再被害傾向などがおこります。
感情的なこと、そして、対人関係の機能の多くの領域における慢性的な困難が特色です。
その症状としては、感情調整の障害、解離症状、身体愁訴、無力感、恥、絶望、希望のなさ、永久に傷を受けたという感じ、自己破壊的および衝動的行動、これまで持ち続けてきた信念の喪失、敵意、社会的ひきこもり、常に脅迫され続けているという感じ、他者との関係の障害、その人の以前の人格状態からの変化などが含まれます。

① ヒステリー(解離性障害)
「解離(dissociation)」とは、連続している心の機能に不連続が生じる現象のことをいい、不連続が生じるポイントや帯域ははっきりしていません。
つまり、記憶、感情、意識などの心の動きのどこかに断裂がおきていることになり、そのことによって、人格そのものの連続性に裂け目ができたり、一定時間だけになにかの失落がおこったりしている状態のことをいいます。
したがって、解離性障害とは、強い葛藤に直面し圧倒されたり、それを認めたりすることが困難な場合に、その体験に関する意識の統合が失われ、知覚や記憶、自分が誰であり、どこにいるのかという認識などが意識から切り離されてしまう障害です。
葛藤についての意識を自分自身から切り離したとしても、葛藤そのものがなくなるわけではなく、また意識からの切り離しがうまくいかないときなどには、その苦悩が体の痛みや機能障害に転換されることもあります。
この場合に生じる身体症状は重いことが多く、明らかに医療が必要であると思われたり、周囲の人の関心をよんだりします。実際に体の病気や外傷が合併していることもあります。
こうした疾病の一般的な訴えよりも、解離性障害者の訴えの方がはるかに強がったり、通常とは違う訴えをしたりします*-55。
解離症状の違いにより、解離性健忘、解離性遁走、解離性同一性障害(多重人格)、離人症性障害などの形態をとり、また、身体症状に転換されて表現されることもあります。
他に、憑依状態になること、悪霊にとりつかれたと思うこと、宗教的なトランス状態になること、体外離脱がおこることなどは、解離性を伴う精神意識の変調とみなされます。
*-55「強がったり、違う訴えをしたりする」については、「Ⅱ-16-(3)-①子どもの心身症」の中で、詳しく説明しています。
a) 解離性健忘..東日本大震災の津波に襲われたとき、避難所にどのようにして辿りつくことができたのかを語ることができないなど、その間の記憶がそっくりなくなっているような解離状態のことです。
外傷的なできごとの強い衝撃のために、それに関する記憶の想起が不可能になった状態であり、通常の物忘れもその範囲は広範です。
b) 解離性遁走..予期していないときに突然、家庭や職場などの日常的な場所を離れて放浪したり、遠く離れた町や土地で別の名前で暮らしていたりして、本人にその間の記憶がないものをいいます。
飲酒や身体疾患による意識障害、痴呆などでは説明できないものをさします。
放浪は、ときに数百キロを超えることもあり、遁走の間は自分が誰であるかわからず、遁走の以前はもとより、その最中に起こったできごとの記憶も失われていることがあります
c) 解離性同一性障害..多重人格とよばれる状態です。
2つ以上のはっきりと区別される人格が一人の中に存在し、それぞれの人格ごとに独立した行動をとります。
通常、主人格はそれ以外の人格による言動を直接には知りませんが、主人格の言動は他の人格に知られています。
主人格の側からみれば、自分の言動に記憶の空白が生じうることになります。
d) 離人症性障害..自分の意識が自分自身から離れ、遠ざかっていると感じる状態が慢性的に続くものをいいます。
自分がまるで夢の中にいるように思い、現実のできごとに現実感がなく、映画の画面をみているように感じられます。
自分が「いま、ここにいる」という意識がなくなり、自分の体も自分のものではないかのように感じられます。
同じような状態は、入眠時、疲労時などには、健常者にもみられることがあります。
また、うつ病、統合失調症(精神分裂病)などの多くの精神疾患の部分症状としてあらわれるので、こうした疾患の診断がなされている場合は、あえて離人症性障害という診断はつけません。

② 身体化障害
身体の不調が数年続くのに、内科的、外科的診察を受けても異常がみられず、心理的症状に影響がでている障害をいいます。身体の4ヶ所以上に痛みがあり、傷み以外の胃腸症状、性的症状、偽神経額的症状もみられます。

③ 疼痛
物質的な刺激や疼痛物質(セロトニンやブラジキニン)による科学的な刺激を疼痛神経が感知し、大脳にある中心後回が痛みとして認識した結果、最初に局所的かつ明確な鋭い痛みが生じ、その後、徐々にじんじんとした痛みを感じると表現されます。

④ 不定愁訴
頭が重い、イライラする、疲労感がとれない、よく眠れないなどの、なんとなく体調が悪いという自覚症状を訴えますが、検査をしても原因となる病気がみつからない状態をさします。


(1) PTSDになると、どうなるか?**
**「Ⅱ-13-(1)PTSDになると、どうなるか?」は、「Ⅰ-5-(7)被害者に見られる傾向」の中の「暴力の後遺症としてのPTSD」の記載文と同じです。性暴力被害の後遺症としての「解離性障害」を理解するうえで、PTSDとC-PTSDの理解は不可欠であることから、ここで、もう一度説明しておきます。
① 基本的信頼感の喪失
圧倒的な心的外傷を経験し、孤立無援感に打ちのめされると、人は基本的信頼感を失ってしまいます。
これは、「この世はOK、私もOK」という、人が信頼関係を築くときに最も必要になる感覚です。
しかし、心的外傷体験後は、その信頼感はもろくも崩れ去り、「この世はNO、私もNO」という感覚に支配されてしまうのです。
被虐待児にとって、人はただおぞましく、愚かで、卑劣で、汚らわしく、生臭く、恐怖に満ちた存在です。
そのような人間の存在するこのような境遇に自分を誕生させた世界で、安心して希望を抱き、誰かを信頼しながら穏やかに生活を営むことなど不可能です。
無意識のうちに、世界を警戒し続け、著しい緊張状態が続くようになるのです。
そして、他人はおろか自分自身さえ信じられず、常に怯えるようになります。

② 自己防衛システムの断片化
人は脅威を察知すると、まず交感神経系が活性化しアドレナリン等の興奮ホルモンの分泌によって気分が高騰し、「警戒待機状態」に入ります。
また、直面している状況にだけ注意を「集中」させます。
ひとつのことに集中すると、人は飢えや渇き、痛みといった知覚まで麻痺させます。な
ぜなら、そうした知覚は危機的状況を切り抜けるためには、不必要どころか邪魔なものだからです。
そして、大きな危機は、怒りと恐怖という「強烈な感情」をおこさせます。
これらは正常な反応で、この反応が「脅威と闘うか」、「脅威から逃走するか」のどちらかに人を駆り立てます。
こうした自己防衛システムによって、危機的状況下にあると、人はほんの少しの刺激でも驚くほど瞬間的に、そして正確に行動します。
自分の命や身体を守るための判断、敵と闘うための行動、逃走のリスク、それらを瞬間に判断し、危機的状況下に適応します。
しかし、闘うこともできない、逃走することもできない圧倒的な脅威にさらされると、この自己防衛システムは圧倒されて壊れてしまいます。
ほんの少しの刺激で直ぐに警戒待機状態に入り、興奮ホルモンの過度の分泌によってめまいがしたり、息切れしたりします。
あるいは、警戒待機状態が「普通の状態」になっても、なぜだかわからないけれどもいつも警戒し、緊張し、焦っている状態が長く続くようになります。
ときに、なんの脈絡もなく急に強烈な感情がわきあがってきて爆発します。
記憶が細切れになり、いつも無意識のうちに「あの瞬間」に集中していることから、ほかのことに意識が集中できなくなってしまうのです。
また、常に興奮し続けるため、交換神経の副交換神経を司る自律神経が失調してしまうことになります。

③ 自己統合能力の無力化
通常は、「感情」「知識」「記憶」、これらすべては自分のものという自己同一性を保持しています。
しかし、生命の危機やあまりに衝撃的なできごとがおきると、人は「感情を感じていた」とてもその状態を切り抜けなくなります。
そのような判断を脳が下すと、生命の保全を最優先するために、感情を遮断してしまうことになります。
「なにも感じない」ことによって、食事をとったり、あるいはパニックをおこしたりして加害者(あるいは犯人)を刺激しないことで、命を維持できるようになります。
そして、その危機的状況下では、苦痛が大幅に軽減されることになります。
なぜなら、殴られても恐怖感、屈辱感を感じなければ、殴られることは「なんともない」ことになるからです。
殴られている最中は、冷静に行動できていても、終わった瞬間にへなへなと腰砕けになり放心状態に陥ります。
殴られている最中は、恐怖という感情をシャットアウトしているからです。
また危機的状況下で、自分の肉体に対して加えられる危害を実感していたら、心が耐え切れなくなる場合もあります。
その場合も、感情という情報だけでなく、「この肉体は自分のものである」という「知識」からも自分を切り離してしまうのです。
なぜなら、「殴られているのは自分の体ではない」と思うことで、痛みも、苦しみも大幅に軽減されるからです。
これらの自分から自分を切り離すことを「解離」といいます。
自己同一性の正常な結びつきが切り離されてしまうのは、外傷体験における激烈な感情反応の結果であり、「強烈な感情の持つ融解作用」が、心の統合的機能を無力化し、事件の記憶を自分の意識に統合する能力を失わせてしまうからです。
では、危機的状況下の「記憶」はどうなるのでしょうか?
本来記憶は、「自分の経験」を記録していきますが、正確に再現することができません。
多くの記憶は、うる覚えであったり、過去の体験を編集した物語になっていたりします。
時が経るにしたがって整理が進み、記憶が編集されていくのが、記憶の性質です。
日常的な記憶は時間経過とともに刻々と変わり、いわば編集されたドキュメンタリーフィルムのように、都合の悪い部分はカットされ、都合のいいプロットや他の場面が挿入されて編集保存されていくことから「物語記憶」と呼ばれます。
しかし、トラウマ性の記憶はそうならずに、同じ映像がいつまでも変わらぬ臨場感でフラッシュバックするのです。
編集されないので強烈で、物語性が加工されることもありません。
これが、PTSD症状のひとつの「再体験(侵入)」です。
そして、トラウマ性の強い記憶を「外傷記憶」といいます。
危機的状況下では、感情や知識と自分を切り離した結果、「体験していること」は自分の体験ではなくなってしまいます。
そのため、記憶は正常なふつうの記憶、身にしみついた経験としては記録されず、どこにも属さない異常な状態で「瞬間冷凍」したようなかたちで記録されることになります。
 そして、危機的状況が終息し、記憶が通常の状態に戻ったとき、異常な形態の記憶は意識から排除され、いつまでも風化せずに瞬間冷凍された状態で、どこかに残り続けるのです。
瞬間冷凍される記憶内容には、痛みなどの身体感覚刺激、その場に存在した視覚刺激、聴覚刺激、嗅覚刺激、そのときの恐怖心などの感情に加え、その体験によって形成された信じ込み(Beliefsystem)も含まれます。
例えば、幼い子どもが、親からの身体的虐待を体験するとき、親の行為をやめさせる力は子どもにはないことから、「自分は無力である」と感じます。このとき、子どもの心には、「自分が悪い子だから、親は自分に痛い思いをさせるのだ」という信じ込みも同時に形成されるのです。
そして、このような信じ込みも、親の鬼のような表情、親の怒鳴り声、血の匂いなどの諸感覚や、怖れ、哀しみ、不安、怒りといった感情とともに、瞬間的に冷凍され、記憶されるのです。
 トラウマの治療にあたっては、この“信じ込み”に変化が生じることが重要とされています。


(2) PTSDの主要症状
① 過覚醒(覚醒亢進)
「過覚醒(覚醒亢進)」で、感覚がやたら研ぎ澄まされてしまったりするのもPTSD症状のひとつです。
トラウマが再現(再体験)されるのを過剰に警戒して身構えていることから、わずかな刺激に対して激しいトラウマ反応をひきおこします。
あの時と同じ危険が、いまこの瞬間、次の瞬間にでも襲ってくるんじゃないか…という感覚に苛まれます。
誰が敵か、どこから敵が現れるか、あの瞬間がいつおこるか、常に緊張体勢にあり、不意の刺激に対して極端に驚きます。
症状としては、知覚過敏、睡眠障害、過呼吸発作、パニック発作、感情の抑制不能などがあげられます。
自己防衛システムが粉砕されたために、ほんの少しの刺激で爆発的な怒り、攻撃や恐怖、逃走に走ります。
なぜなら、常に興奮し続けているため、興奮を抑制するホルモンが枯渇に近い状態になってしまうからです。
ささいな恐怖や怒りも抑えることができず、興奮ホルモン(アドレナリン)の過剰分泌によって、過呼吸発作やパニックアタック(パニック発作)とよばれる恐慌状態(パニック状態:突発的な不安や恐怖による混乱した状態)がひきおこされます。
この状態は、眠っている間も続くため、睡眠障害の原因になります。
過覚醒状態の人はなかなか寝つくことができず、ささいな刺激で直ぐに目覚めてしまいます。
そして、外傷的体験を思いおこすような行動、できごと、音、におい、光、ことば、光景にあうと、外傷体験当時のような著しい反応をおこすことになります。
一方で、PTSDを発症すると、感情や知覚が鈍感(感覚鈍麻)になるのも特徴で、それは、苦痛に対してだけでなく喜怒哀楽といった感情すべてに表れます。
「配偶者暴力防止法」にもとづく“一時保護”として緊急一時保護施設(シェルター、母子棟)に入居してくるDV被害者の方の中には、能面のような無表情な方たちも少なくありません。
苦痛だけでなく、喜怒哀楽といった感情すべてを鈍麻させることで、暴力のある家庭環境を生き延びてきたのです。

② 侵入(再体験)
危機的状況下で記憶された、瞬間冷凍された記憶は、ふつうの記憶に組み込まれようとして、何度も何度も意識にのぼってこようとします。
これが、「侵入」という症状です。
症状としては、睡眠障害(悪夢)、フラッシュバック(侵入的想起)、幻聴、幻覚、再体験(再演)、強迫行動などがあげられます。
目覚めているときはフラッシュバック(突然、事件の映像や音声、感覚の一部あるいはすべてが蘇る)、不意のつぶやき、寝ているときは悪夢としてあらわれます。
これらは無意識の作業であって、自分ではコントロールできません。
そして記憶として、ことばとして思いだせない記憶をなんとか正常な記憶に組み込もうと、あのときの圧倒的は敗北に再び挑戦し、次こそ勝利をおさめて胸を張ろうという無意識の、あるいは意識的な選択によってトラウマの原因となった事件を再び犯そうとします。
戦地や紛争地の前線にあるキャンプ地で、兵士たちは「一度戦場に足を踏み入れた者は必ずそこへ戻ってくる」、「戻りたいという衝動に体が侵されていく。中毒のような症状だ」と語り、戦場に戻っていったり、レイプ後生存者が男性にケンカをふっかけたりするなどが例にあげられます。
それらは自分が望んで、楽しむために選んでいるのはなく、「そうすることでしか、自分の有力さを確認することができない」という悲痛で、強迫的な選択なのです。

(悪夢障害の夢とPTSDの悪夢の違い)
悪夢は、日々ストレスにさらされている大人ではなく子どもに多く、思春期前の6-10歳ころが悪夢を見やすいピークになります。
子ども50-10%は、親が心配になるほど強烈な悪夢をみているとの報告があります。
一般的に成長に伴って悪夢の頻度は減っていきますが、中には、長期間にわたって悪夢が持続し、成人の2-8%は、長期間にわたって悪夢が持続し悩まされています。
アメリカでの報告では、①閉じ込められる、身動きがとれない、②愛する人の裏切り、③死、④迷う、迷子、⑤ケガ、傷つく、⑥歯が抜ける、⑦人前で裸になる、露出する、⑧試験に落ちる、⑨追いかけられる、⑩落下するというのが、よく見る悪夢としてあげられています。
医学的には、悪夢を内容で定義するのではなく、その夢によって眠りがどれだけ妨げられるかで判定しています。
 「悪夢障害」は、①中途覚醒(夜間の目覚め)が繰り返しみられ、そのときにかなり不快な夢が思いだせる、②夢は恐怖や不安、怒り、悲しみ、嫌悪感など不快な感情を伴う、③目を覚ましてからも悪夢の内容をはっきり思いだせる、④悪夢で目が覚めたあと、再び寝つくのに時間がかかる、⑤明け方に悪夢を見るといった基準により診断されます。
 繰り返し「悪夢で目が覚める」ことから、疲労回復感がない、眠気、うつ気分、眠ることへの恐怖などから日常生活に支障がでることも少なくありません。
繰り返す悪夢は、うつ病や不安障害、PTSDを発症した者に多く見られます。
悪夢障害の夢は、明け方のレム睡眠中に多い一方で、心的外傷体験に関連した悪夢が出現するPTSDの悪夢は、レム睡眠だけではなく浅いノンレム睡眠中にも出現するといった違いがあります。
そして、PTSDの重い症状が継続しているときには、悪夢も一生持続することになります。

③ 回避
人は、「状況回避」と呼ばれる行動習慣として、怪しい人物を避けたり、ちょっとした危険を察知したり、事故のおこりやすいところには近寄らなかったりします。
また、「回避行為」として、苦痛がもたらされそうなことや不得手なこと、苦手なことから思わず逃げたくなる感情を持っています。
この「回避行為」が、トラウマ的な体験に過剰に反応してしまうのもPTSD症状の特徴です。
アフガンなどの戦地(紛争地)から帰還した兵士たち、ナチスのユダヤ人の虐殺から国を捨て逃れた人たち、沖縄で地上戦に巻き込まれた人たち、そして、淡路阪神大震災や東日本大震災で被災した人たちのように、トラウマ的な体験となったできごとを黙して語らないようにしたり、それに類する場所に決して近づこうとしなかったりするのも回避行為です。

④ 狭窄
完全に無力化され、どんな抵抗も無駄だと思い知らされたとき、人は「完全降伏」の状態になります。
怒りも、恐怖も、歎きも通り越して、一種超然とした静けさが心にもたらされます。
症状としては、無感覚、感情鈍化、離人症、意欲喪失、将来の想像が不能になるなどをあげることができます。
スローモーションのサイレント映画を脇から眺めているような感覚、加えられている危害は自分にされているのではなく、自分の抜け殻が受けているのだろうという感覚、奇妙に現実感がないからこれは悪い夢で、もうすぐ夢から覚めるんだろうというような感覚になります。
意識はその一点に集中し、他のことに関して向けられなくなります。
自己像は小さくなり、完全に受身の態勢がとられます。
その体験が終わったあとも、そのような意識の狭まりは続き、周囲や自分に対して無関心となり、将来や未来についてなにも考えられなくなり、なにも感じなくなってしまいます。

以上のような「覚醒亢進(過覚醒)」「再体験(侵入)」「回避」「狭窄」といったPTSDの主症状は、自己防衛反応なのです。
危険を避けるための回避、危険を察知するための覚醒は、身を守るために必要な反応行為です。
つまり、「異常な状況に対する正常な反応」ということになります。


(3) C-PTSDの主要症状
PTSDの判断基準は、戦闘、災害、事故、レイプなどの限局された一過性、単発性の事件を想定し、DVや虐待といった慢性的な心的外傷を負った被害者、生活のあらゆる範囲で、長期間、反復的にトラウマを負った存在を想定してはいません。
そのため、慢性反復的トラウマ(C-PTSD:複雑性心的外傷後ストレス障害)の症状は、PTSDと酷似、類似していますが、PTSDの範囲では納まりきれず、PTSDよりもさらに重症で、複雑で、多様な症状を呈します。
PTSDを発症した人たちは、「自分というものに、重大なダメージを負ったと感じる。」と話し、慢性反復的トラウマにさらされた人たちは、「自分の“自己”は失われた。あるいは、もとからなかったのかも知れないと感じる。」と話します。
つまり、C-PTSDは、PTSDの主症状を包含し、各種の人格障害や不安障害、うつ状態、双極性障害(躁うつ病)、自己愛の欠落や解離性障害を網羅するものです。
また、支配のための暴力のある家庭、つまり、機能不全家庭で育った人たちの総称としてのアダルトチルドレンを抱えている人たちが示す傾向や特性としてあらわされたりします。

① 情動、衝動の調節に関する障害
自分の感情を抑制し続けなければならなかったため、情動のコントロールがとりにくくなります。
そのため、抑うつ状態が続き、うつから躁へ、躁からうつへと、「うつ病」や「双極性障害(bipolar disorder;躁うつ病)」、「境界性人格障害(ボーダーライン)」に近い症状があらわれます。
怒りは強く抑制されていたので、突発的に怒りの感情が荒れ狂ったり、向けるべきでない相手に必要もないほど怒ったりしてしまいます。
自分を愛せていない(大切にすることがわからない)ため、自殺願望や自殺念慮があり、行為や行動で自分を傷つけてみたり、自分を破壊したい衝動、危険な状況に自ら飛び込んでみたりする衝動に駆られます。
また、性的なかかわりの距離をとれなくなり、過度で自己破壊的な性行動や性倒錯に苛まれます。

② 注意、意識に関する障害
軟禁生活ともいえるDV・虐待環境の中で、日常的に受けた暴力、暴言、心理的圧力などの虐待から、「魂を守る」ために、人は「思いだしたらとても生きていけない」と思えるようなつらく、苦しい記憶を、自分自身の意識の中から追放します。
PTSDとC-PTSDの違いは、C-PTSDは記憶の隠蔽が、より広範囲にわたるということです。
被害者は記憶を失い、虐待的環境から脱出したあとも、しばしば日常生活の記憶に欠落を生じます。
また、自分の周囲には、透明な膜や壁や檻やベールがあり、自分はその中から人々を見ています。
現実の中で生活している実感がどうもわかりません。
この手は自分の手だろうかと感じて、傷つけてみたい誘惑にかられるなどの「離人症」的な症状が日常生活を静かに覆います。

③ 身体化の障害
ことばでいえない重度のストレスは、ときに身体を冒します。
加えられたトラウマを、ものいわぬ代わりに身体が表現するのです。繰り返しあらわれる痛みは、かつて加えられたケガを暗示するように続くこともあります。
消化器系の炎症、潰瘍など、慢性的な頭痛、皮膚疾患、喘息や過換気症候群、歩行障害、起立調整障害、どもりや失語などの転換症状、性的不能や不感症、あるいは性欲動の亢進に悩まされます。
a)起立調整障害(OD)..中学生の約10%にみられ、特に思春期の女子に多い自律神経失調症のひとつです。
身体的な症状としてはめまい、立ちくらみが一番多くみられ、動悸、息切れ、睡眠障害、食欲不振、腹痛、頭痛、倦怠感など、人によりさまざまな症状があらわれます。
精神的な症状として、疲労感、過換気症候群、不安障害などみられることがあります。
b) 過換気症候群(ハイパーベンチレーションシンドローム)..精神的な不安によって過呼吸になり、その結果、手足や唇の痺れや動悸、めまい等の症状がひきおこされる心身症のひとつです。
発作が生じると息があらくなり(息のあらさを本人が気づかない場合も多い)、両手の指先や口の周りがしびれたような感覚がおきます。
なんらかの精神的な刺激によって呼吸中枢が過剰に刺激され、呼吸を多くし過ぎるために血中に二酸化炭素が減り過ぎ、さらに呼吸が乱れ苦しくなります。
過呼吸状態になると、実際には血中の酸素濃度はふつう以上に高くなりますが、本人は空気が吸い込めないような苦しさ(空気飢餓感)を強く感じます。

④ 自己認識に関する障害
繰り返し味わされてきた敗北感、恥辱感、罪悪感、絶望感、それらによって被害者の自己規定は重大な歪みを生じてしまうことになります。
それは、自分には自分を守ることさえできないという「無力感」、家族、仲間を見捨ててしまった「罪悪感」、自分のうかつな行動によってそれがおきてしまったという「自責感」、本当の自分は醜悪な存在で、人にみせることなどとてもできない「羞恥心」、生きている価値などありえないという「自己卑下」、自分を信じてくれる人などいないという「あきらめ」、そして、癒やすことなど、回復することなどできそうもないほど、自分は壊れてしまったという「絶望感」に囚われ、苦しみ、悩むことになります。
これらは、長期の複雑な外傷によって歪められてしまった自己認識で、被害にあう以前の本来の自己規定ではありません。

⑤ 加害者についての認識に関する障害
長い加害者との生活によって、加害者に対する客観的で、正確な認識はできなくなっています。
加害者と離れたあと、被害者はよく「加害者を傷つけてやりたい(加害者に仕返しをしてやりたい)!」という衝動、願望にとらわれます。あるいは、加害者と同一化したり、加害者の信念を取り入れて、力で人を支配するのはあたり前のことだと考えていたりします。
一方で、長期にわたって性的虐待を受けたある女性は、「パパは私に男というものはなんであるかを教えてくれたのよ」と、父親を告発した妹に対し、怒りをぶつけた訴訟事件がありました。被害者は、加害者をしばしば理想化してしまうことがあるのです。

⑥ 他者との関係における障害
何度も何度も信頼を裏切られ、何度も何度も希望を打ち破かれているうちに、他人を信用するということはどういったことなのか、それ自体わからなくなります。他者は信頼できず、心は開くべき存在ではないと考えます。
また、生活していく中で、他人を犠牲者にしてしまったり、あるいは再び自分が暴力事件やいじめ、性犯罪の被害者になるなどの犠牲者になってしまったりすることがあります。

⑦ 意味体系(世界観)における障害
以前信じていたものは、繰り返された打撃、繰り返された敗北によってその力を失ってしまいます。
生きることを支えていてくれた信念体系が喪われ、自暴自棄が繰り返される可能性が高く、世界は残酷な神が支配しており、絶望がその世界を覆っていると信じ込むようになります。
そのため、占いやスピリチュアルな感覚に魅了されたり、ポジティブシンキング、人生のやり直しをうたった自己啓発セミナーや生き方講座を隠れ蓑にしたカルト、新興宗教に傾倒したりしてしまうことがあります*-56。
*-56「Ⅰ-8-(5)霊感商法、対人認知の心理」、「同-(6)結婚詐欺師の言動行動特性」、「同-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」において、心の隙(危うさ)をどのように突き、どのようにマインドコントロールを仕掛けていくかなど、詳しく説明しています。


(4) C-PTSDと不安障害、人格障害
DVや虐待といった日常生活の中で、長期にわたって何度も何度も極限状態にさらされ、それを生き延びてきた被害者が抱く根深く、執拗につづく「不安」や「恐怖」は、単一疾患としての不安障害(不安神経症、パニック障害、強迫行動など)とは違うものです。
極限状態を生き延びてきた人の身体障害は、ふつうの心気症とは質を異にします。
抑うつ感も、通常のうつ状態ではありません。
人格障害や対人関係障害も、通常の人格障害とは質を異にします。
被害者を囚われつづける不安や恐怖は、理由なくおこるものではなく、そこには加害者の見えない影が存在しています。
被害者の訴える身体的な異常は、かつて加えられた苦痛を再現し続けている可能性があります。
抑うつは根深く、存在そのものすら押しつぶします。
長期にわたって極限状態にさらされたことによって生じた深刻な人格の歪みは、単一疾患としての人格障害と同じものではありません。
慢性的に外傷を受けた被害者は、その多くは「自分の過去の体験」と「現在の症状」を切り離して考えるか、慢性的に心的外傷を受けていた記憶自体を封じ込めているかであることから、仮に心療内科を訪れても、正確な診断名をはじめに与えられることはまずありません。
多くの被害者は、数回通ううちに、多くの人格障害や不安障害、解離性障害の診断名をもらって、うつ状態と診断されてしまっています。
「心気症(ノイローゼ)」は、器質的身体疾患がないにもかかわらず、自身の身体状態に対して、実際以上に過度に悲観的な悩み、心配、思い込みを抱き続け、その結果、身体、精神、日常生活に支障をきたしてしまう精神疾患です。
「身体化障害」、「境界性人格障害(ボーダーライン)」、「解離性同一化障害(多重人格障害)」の3つが、児童期の被虐待者に発症しやすいとされます。
さらに、「不安神経症」、「パニック障害」も患いやすいとされます。
そして、多くの診断名をもらってしまい、絶望すら憶える中で、何年も経ってから、ようやく過去のトラウマ、長期にわたった慢性反復的な心的外傷に気づいていく人も少なくありません。
成人してからの精神疾患としては、うつ病、統合失調症(精神分裂病)、双極性障害(躁うつ病)、アルコールや薬物依存、PTSD、そして、解離性同一性障害(多重人格)、境界性人格障害(ボーダーライン)、自己愛性や妄想性、反社会性などの人格障害(パーソナリティ障害)などがあげられます。
虐待経験者の怒り、恥辱、絶望が内に向かう場合には、抑うつ、不安、自殺企図、PTSDを生じ、虐待の影響が外に向かう場合、攻撃性や衝動性が高まり、非行につながるリスクが高まります。


(5) 性暴力被害と解離性障害
解離性障害は、広義には解離症状を伴う精神・神経性障害のすべてをさします。
「解離」とは、衝撃的・悲劇的体験に対する防衛としておきる自我や人格の変容、消失、交代をいいます。
つまり、PTSDやC-PTSDと同じく、幼児期、児童期の被虐待体験のトラウマ、近親者の死による悲嘆反応、複雑性悲嘆などを起因として発症します。
解離性障害者の多くは女性で、その多くは、近親者の男性による性的暴行をトラウマとして発症します。
また、解離性同一性障害(多重人格)の多くは、子どもが耐えられるレベルを超えた虐待やネグレクトを近親者や大人から受けたときに、自分の中に複数の「別人格」をつくりだすことで発症します。
暴力でしか子どもに接することができない親や大人の方がある種の愛着障害を起因とする人格障害や後発性発達障害と考えられますが、そのような親や大人に対して、唯一の抵抗、数少ない生きる術のひとつが解離性同一性障害であるともいえます。
そういった意味では、PTSDに似ていることになります。
しかし、PTSDは40歳になっても、50歳になっても発症しますが(晩発性PTSD)、解離性同一性障害の発症は10-20歳代に集中しています。
また、不安障害、気分障害、統合失調症(精神分裂病)などとの症状が連続体的とされています。
統合失調症の症状に「幻覚」があります。
脳内環境、特に脳内神経伝達物質のドーパミンの働きに問題が生じたために、知覚に異常が生じ幻を見てしまうわけです。
幻覚には見えないはずのものが見える「幻視」、聞こえないはずのない声が聞こえてくる「幻聴」などがあります。
カルトや信仰宗教の教祖が「超常体験をした」とまるで特別な人間であるかのようにふるまいますが、「超常体験」は「幻覚」でしかありません。
つまり、超常体験をうたいカルトや信仰宗教の教祖となっている人物たちは、統合失調症を罹患しているということになります。
 錯覚とは、視覚、聴覚、嗅覚など、体の知覚器官が受けたなんらかの刺激を、脳が別のものと勘違いして認識しまう現象ですが、落ち着けばすぐに正しい認識ができるようになるのが、脳内環境に深刻な問題が生じている幻覚とは違うところです。
また、心霊現象として「悪霊がとりついた」と表現されるいわゆる憑依現象は、「解離性障害」の範疇に入ります。悪霊にとりつかれたような行動をとる問題については、「憑依という現象がある」という知識が深層心理に働きかけていると考えられています。
例えば、「キツネつき」など動物の霊がつくと信じられている地域では、その文化的背景があるため、実際に動物の霊がついてしまったような症状がでる人が多くなります。

では、「Ⅰ-9-(5)-⑤子どもに表れる影響」でとりあげた事例(事例146-170)の続きとして、近親者による「性的虐待」被害を受けた被虐待者の簡単な成育史と症状を29の事例(事例233-261)でみていきたいと思います。
なお、「判例4(事件研究36)」では、幼児期に性的虐待を受けた被害女性が、公訴時効後に加害者のおじを提訴した事件をとりあげています。

-事例233(性的虐待11、子どもの後遺症25。摂食障害10)-
私の生理がはじまり、胸が膨らみ、体が丸みをおびてくるのを、父はいやらしいことばでからかったり、「一緒にお風呂に入ろう」としつこく誘ってきたりしました。
父の私に対する性的関心が恥ずかしく、時々ベッドを覗きにくる父の視線が怖く、ブラジャーをつけたまま寝ていました。
高校生になると過食と嘔吐がはじまりました(摂食障害)。
また、親しい同性の友人同士で話しているときに、少しでも下ネタ話がでると、どうしようもなく恥ずかしく、思考は停止し、なにも考えられなくなりました。
そして、悪意ではないとわかっていても、そういう話をする友人を避けるようになり、気楽に話をできる友人がほとんどいなくなりました。

-事例234(性的虐待12、子どもの後遺症26。援助4・アルコール依存5)-
父はアマチュア写真家で、私を裸にして、いろんなポーズをさせて写真を撮っていました。
母も父が撮影するときには、光や影をだすのを手伝っていました。
小学校高学年になるまでは、父に「かわいいね」「きれいだよ」といわれるのが嬉しくて、父の期待に喜んで応えていました。
思春期になり、体に変化が表れはじめると恥ずかしく嫌になっていきましたが、喜んで応えていたのに急に嫌といったら、父に嫌われるのでないだろうかと不安になり、いいだすことはできませんでした。
父による私のヌード撮影は、意を決して「もう、やりたくない」と口にすることができた高校2年生の夏まで続きました。
高校3年生のとき、私は、父が撮ったすべての写真とアルバムを焼き捨てて家をでました。
以降4年間、援助交際で稼いだお金で生活をしました。
そして、嫌な思い、ツラい思い、罪悪感を忘れさせてくれることからのアルコールにのめり込み、アルコール依存症になりました。

-事例235(性的虐待13、子どもの後遺症27。摂食障害11・不安障害1)-
父は、私が中学を卒業するまで入浴している私を覗きにきました。
機嫌が悪いときには、「なぜこんなに遅くまで風呂に入っているんだ! いま、何時だと思っているんだ!」と怒鳴りつけ、裸の私を風呂からつまみだした。
母も父のおこないを咎めるどころか、反抗的な娘へのしつけと称し、中学2年生の私を素っ裸にし、16時ころバス通りに面した玄関の外に追いだしたりした。
バスが1台通り過ぎていく中、やっとの思いで裏口から家にもぐりこみ、自室に隠れていました。
中学校でヒソヒソ話をしている人がいると、私が素っ裸で玄関の外にいたことを話題にしているのではないかと気になり、不安で恐怖に怯えるようになりました。
以降、私はそのことを考えるとパニックになり、怒りのコントロールができなくなっていきました(不安障害としてのパニック症状)。
そして私は、その忌まわしい記憶を消し去ることで心の安定をはかれるようになりました。
高校に進学すると過食と嘔吐がはじまり(摂食障害)、自傷行為を繰り返すようになりました。

-事例236(性的虐待14、子どもの後遺症28。援助5・摂食障害12)-
 私が小学校4年生のときまで、私と小学校1年生の妹、2歳の弟の3人は、「おはおう」「いってきます」「ただいま」「おやすみ」など、父親への挨拶としておちんちんを握るのが習慣となっていました。
父親は、大人のおちんちんは子どものおちんちんより大きく立派であり、絶対的な力があるものと誇示していたのだと思います。
小学校の妹が父親と入浴しているとき、妹を浴槽に座らせ、股を覗き込むようにして奥まで洗っているのを、母親が偶然に目撃しました。
母親に「Yちゃんもされていたの?」と訊かれ、「いっしょにお風呂に入っていた去年までされていた。」と話しました。
看護師の母親が、専門の人に相談して、おちんちんを握らされたり、おしっこをするのを見せられたり、するのを見せたり、きょうだいで性器の触りっこをさせられたり、股を開いて奥まで洗われたりすることが性的虐待であることを聞かされ、父親に「もうしないで!」と口にしたことから、父親から母親への暴力がひどくなっていきました。
この母親の訴えで、私と妹は、習慣となっていた父親へのおちんちんを握る挨拶は終わりました。
祖父が所有し、父親が管理しているアパートの一室を父親が自由に使っていました。
小学校5年生のとき、毎週掃除をしに行く母親についていきました。
母親が買い物にでたときに、テレビをつけるとDVDの映像がでてきて、四つん這いの女性には鎖のついた首輪がはめられ、男性の勃起したペニスを咥えていました。
慌ててテレビを消しましたが、以降、私はその場面を思いだすたびに嘔吐するようになりました。
高校生になると援助交際をするようになり、また、過食と嘔吐を繰り返すようになりました(摂食障害)。

-事例237(性的虐待15、子どもの後遺症29。解離3・摂食障害13・自傷4・窃盗2・自殺未遂3)-
 私の家では、ポルノ雑誌やポルノビデオがあふれていました。
下着をつけずに寝ている父のペニスが勃起しているのを見たり、父が自慰をしているのを見たり、母の喘ぎ声がきこえてきたりすることもありました。
私が中学生になると、父は、母との性生活の愚痴を長々と話すようになりました。
そうした話を聞かされるのがうっとうしく、嫌だった私は、聞いているふりをしながら違うことを考えたり、空想したりするようになりました。
いつしか、自分と離れたところに意識を持つことで楽になれることを覚えるようになりました(解離性障害)。
そして、高校生になると過食と嘔吐がはじまり(摂食障害)、自傷行為を繰り返し、同時期に、常習的に万引き(窃盗癖)をするようになりました。
その後、自殺未遂を繰り返しています。

-事例238(性的虐待16、子どもの後遺症30。摂食障害14・自傷5)-
 1歳ずつ離れた3姉妹を、順番に風呂に入れるのが父の役割でした。
毎日、父は「ハイ、次」といい、順番に入浴させ、ワンワンスタイルで尻を突きださせ、石鹸をつけた素手で局部をごしごし洗いました。
父とは小学校卒業するまでいっしょに入浴していました。
中学校に進学後、父は、私が入浴していると覗きにきたり、着替えているときに部屋に入ってきたりしました。
長女の私は結婚し、子ども(長女)が生まれました。
そして、長女が2歳になったとき、私が父にされてきたように、入浴時に子どもをワンワンスタイルにさせました。
すると、その格好では、局部はよく見えるけれどとても洗い難いことに気づきました。
父は幼児性愛者で、私たち3姉妹がその被害者だということを知ったのです。
妹2人は摂食障害で、自傷行為を繰り返しています。

-事例239(性的虐待17、子どもの後遺症31。自傷6・摂食障害15)-
私は、小学校に入る前から自慰をしていました。
1日に何時間もやめられない状態でした。
小学校2年生のとき、家に遊びにきた女の子のパンツを脱がせて、観察しました。
その友だちは、2度と家に遊びにきてくれなかったことで、以降、罪悪感と惨めな思いにずっとさいなまれることになりました。
そして、私は、高校に進学する前に自傷行為を繰り返すようになり(PTSDの再演)、その後、過食と嘔吐がはじまりました(摂食障害)。
私の父は、私が小学校を卒業するまでいっしょにお風呂に入り、私の体を洗い、いつも膣の中に指を入れ念入りに洗っていました。

-事例240(性的虐待18、子どもの後遺症32。アルコール6・薬物2・自殺未遂4)-
よちよち歩きのころから、私は、父の自慰の手伝いをしてきました。
小学校2年生8歳になると、挿入を含むセックスをして、父を喜ばせることができました。
母は父の性的虐待を止めることはなく、「子どもの癖にませた女だ!」と捨て台詞を吐きました。
高校生になると、アルコールや薬物を乱用するようになり、25歳になるまで、5回の自殺未遂を繰り返しています。

-事例241(性的虐待19、子どもの後遺症33。摂食障害16・自傷7・自殺未遂4)-
幼稚園の先生になろうと短期大学に進学した私は、幼児教育の授業で児童虐待について学ぶので、学校の図書館から虐待に関する本を借りて読みはじめました。
突然、4歳から12歳まで、父から性的虐待を受けてきた記憶が頭の中に溢れてきました。
高校2年生のときから過食と嘔吐(摂食障害)がはじまっていた私は、以降、父の自慰を手伝わされていた腕に熱湯をかけたり、穢れた陰部を傷つけたり、さらに、衝動的に車道に飛びだしたりする自傷行為や自殺行為を繰り返すようになりました。

-事例242(性的虐待20、子どもの後遺症34。援助6・摂食障害17・窃盗3・自傷8・アルコール7・薬物3)-
父は、私が小学校を卒業するまで性的虐待を繰り返しました。
フェラチオだけでなく挿入されることもありました。
中学生になり、母にそのことを話しましたが、母はまともに話を聞こうとしませんでした。
そのとき私は、父の性的虐待で片足をもぎとられ、母親の拒絶で残った片足を失ったように感じました。
私は中学2年生になると、家出を繰り返すようになりました。
家出中の生活費は、援助交際をして稼いでいました。
高校に進学する前に過食と嘔吐がはじまり、万引きの常習犯(窃盗癖)になり、自傷行為を繰り返すようになりました。
高校を中退したあと、アルコールと薬物(覚醒剤)を濫用するようになり、自殺未遂騒ぎを起こし、救急車で運ばれ、薬物反応があったことから逮捕されました。
執行猶予付の実行判決を受けた私は、更生施設に入ることになりました。

-事例243(性的虐待21、子どもの後遺症35。PTSD6)-
 私は、校長を務めている父の兄(伯父)から性的虐待を受け、17歳のときにレイプされました。
大学を卒業後、見合い結婚をし一児を授かったものの離婚しました。
勤務先の上司からセクハラ被害を受け、ストーカーまでされて退職に追い込まれました。
その後、私は、父が薦める教師の男性と再婚しましたが、殴る蹴るなどの身体的な暴行を受け、また、セックスを強要され続けました。
ツラくて実家に帰り、私がパニック発作をおこしていると、母が泣きながら背中を擦ってくれましたが、今度は、父が性的接触をしてきました。
すると、母は「仕事もしないで、毎日なにをしているの?!」と非難して責めるようになり、両親と同居している姉にも、「これ以上迷惑をかけるつもりなの?!」と非難されるようになりました。
しかも、父は、母に「あんな暗い部屋に住んでいるから頭がおかしくなるんだ!」といったそうです。
私は、自分が性的虐待をしたことを覚えていないの?!と叫びたくなりました。
もう実家にはいられないと思い、暴力をふるう夫のもとに帰ることにしました。
もう疲れ果ててしまいました。

-事例244(性的虐待22、子どもの後遺症36。自傷9)-
性的虐待と身体的虐待を受けて育った私は、「感情を持ってはいけない。感情をだしてはいけない。私は殴られ、餌食にされるべき存在なのだから」と思って生きてきました。
なぜなら、感情を持つのはツラすぎるからです。
感情がでそうになると、自分の手を切って感情を押し殺してきました(自傷行為)。
30歳を前にして治療を受けることになると、自分の体が感情をだしはじめるようになりました。
すると、これまでに経験のない恐怖感、うつ、虚無感、離人感、絶望感が襲ってくるようになりました。
自分で自分が大嫌いなのに、私のことを周りの人が受け入れてくれるはずがないとの思いが脳裏をかすめると恐怖が襲ってきます。
頭がボォーとしてきて、自分の首を自分で締めあげてしまい(解離性同一性障害)、入院することになりました。

-事例245(性的虐待23、子どもの後遺症37。摂食障害18・自傷10)-
 父は、日常的に母に暴力をふるっていました。
ひどい身体的な暴力を受けた母は、私を置いて、家をでて行きました。
そして私は、結婚生活4ヶ月で離婚し、実家に戻っていた父の妹(叔母)に育てられることになりました。
叔母は、私が小学校6年生になるまでペニスをいじりまわし、舐めまわしました。
そのため、小学校のとき、いつもペニス周りの皮膚炎をおこしていました。
中学校入学して間もなくして、叔母が癌でなくなりました。
中学校では、異性に関心を持つことができず、高校受験の直前に過食と嘔吐がはじまり(摂食障害)、自傷行為を繰り返すようになりました。

-事例246(性的虐待24、子どもの後遺症38。悪夢障害1)-
 私は17歳のときから、母親とさほど歳が代わらない女性に囲われていました。
升席での大相撲観戦や香港のカジノにも連れて行かせてもらえました。
しかし、毎晩のように悪夢に襲われ、汗をかき、大声をあげて飛びおきます。
19歳のとき、隣で寝ている女性を殴ってしまい、家をでることになりました。
新宿の雑居ビルでアダルトビデオの撮影がおこなわれていると聞きつけ、覗きにいったのをきっかけに、顔がでない男優として数本のアダルトビデオに出演しました。
そして、出会い系サイトを運営する一方で、携帯電話で「アダルトサイトを利用した」と高額の利用料を送りつけたりしているとき、渋谷で職務質問を受け、違法ドラックを所持しているのが見つかり、逮捕されました。
私の母親は、飲み屋で働くいわゆるシングルマザーで、客を家に連れて帰ってくることもたびたびあり、寝室から母の喘ぎ声がきこえてきたりすることもありました。
不良グループとつるんでいた私は、中学校1年生のとき、他校の女性の不良グループにつかまり、集団で暴行されたあと、射精しなくなっても繰り返しレイプされました。
日本では男性には強姦罪は適用されません*-57 が、その瞬間、精神が崩壊したと思います。
*-57 平成29年3月7日、政府が閣議決定した「性犯罪の厳罰化をはかる刑法改正案」で、強姦罪は「強制性交等罪」と改められ、被害者を女性に限らず、強制わいせつ罪に含めていた一部の性交類似行為と一本化されました。
 詳しくは、「Ⅰ-3-(2)性(的)暴力」で説明しています。

-事例247(性的虐待25、子どもの後遺症39。摂食障害19・自傷11)-
祖父は、地方の名士で親族の敬愛を集める人格者で、初孫の私を溺愛していました。
私のオムツを替え、小学校を卒業するまで、一緒にお風呂に入り、体を洗ってくれました。
中学校になると、私の体の成長に興味を示していた祖父は、両親の目を盗んで、体をチェックし胸や性器を撫でまわすようになりました。
変だなと思いましたが、私は祖父のことを愛していたので、口にすることはできませんでした。
高校1年生のとき、私は海外に留学することになりました。
そのとき、「やっと家から逃げだすことができる」と思いました。
しかし、留学する直前に拒食症がはじまっていた私は、留学先で頻繁に過呼吸の発作をおこすようになりました。
そして、わずか半年で家に呼び戻されることになりました。
家に帰った私は、拒食から過食と嘔吐に転じ、さらに、自傷行為を繰り返すようになりました。

-事例248(性的虐待26、子どもの後遺症40。自傷12・アルコール8・自殺未遂5)-
 小学校4年生のとき、祖父の家に泊りがけで遊びに行きました。
真夜中に、なんか変な気がして目が覚めると、祖父が布団の中で私の下半身に触っていました。
びっくりし、叫びそうになった私の口を祖父は塞ぎました。
そして、性器に指を入れてきました。
私は怖くて、身動きをすることもできませんでした。
祖父は「絶対に誰にもいうんじゃない」と釘を刺してでていきました。
その後も、私は祖父から何度か同じ性的虐待を受けました。
中学1年のとき、意を決して母に話をすると、母は“聞きたくない”というように首を左右にふっていました。
私が「信じてくれないの?」と訊くと、母は「わかっている。もう二度と田舎に行くんじゃない!」と吐き捨てるようにいいました。
母も祖父から性暴力を受けていたようです。
高校生になると、私は自傷行為を繰り返すようになりました。
そして、アルコールを濫用するようになり、自殺未遂をおこすようになりました。

-事例249(性的虐待27、子どもの後遺症41。自傷13)-
 母が再婚して半年もしないうちに、義父からの性的虐待がはじまりました。
母がパートにでかけている昼間、不登校でひきこもっている私の部屋に義父がニヤニヤしながら入ってきて、黙って体に触りはじめました。
私は恐怖で頭がボーとして体が硬直し、声もだせないでいると、義父は「不感症はかわいそうだなあ」、「治してやらなきゃなあ」といいながら、胸や下腹部を触り、膣に指を入れてきました。
義父は勃起しないので、ペニスを挿入されることはありませんでしたが、私の自傷行為がひどくなり、両腕と左足と乳房が傷だらけになり、義父の前で自傷をするようになって解放されるまでの1年半続きました。

-事例250(性的虐待28、子どもの後遺症42。セックス依存1)-
私はDVのある環境で育ち、親から身体的な暴行、性的虐待を受け、小学校高学年からいじめにあってきました。
高校1年生のときから、妻子のある人と交際をしたり、一方で、援助交際をしたりしてきました。
寂しかった、私を見て欲しかった、抱きしめて欲しかった、人に必要とされたかった、愛して欲しかった、ただそれだけでした。
気がついたら裸でいたました。
陰部を眺められ、「陰部からでた精液が愛おしい。」といい、舐められていました。気持ちよくておもらしした私のことを「かわいい。」といって、飲んでくれました。
私のすべてを愛してくれたと思いました。
また会いたいと思いました。
次に会ったときには、目隠しをされ、ローターで遊ばれました。
膣の中にローターと指を入れられ、喘ぎ、暴れ、気を失いかけたとき、「かわいい。」と抱きしめてくれました。
全身を愛撫してくれ、大きなペニスを入れられ、気を失いました。
愛されている、必要とされていると思いました。
彼にもっと気持ちよくして欲しい、彼だけの私になりたいと思いました。彼が喜ぶので、「もっとして。」とおねだりをしました。
陰部に薬を塗られ、ローターがバイブに代わって、小さなバイブが大きくなって、バイブが、回るタイプになって、弱から強にかわって、リモコンタイプになって、おもらしして、喘いで、何度も気を失いました。
心臓が異常にドキドキして、私が私じゃなくなっていきました。
なのに、「もがく姿が可愛い。愛おしい。」といってくれました。
家庭を放りだして、仕事を放りだして私に会いにきてくれて、悦ぶ彼に、私は夢中になりました。嬉しくて、「もっと」と求めました。
不倫相手ひとりじゃ足りなくて、他に3人の人ともしました。
1日に3人の人と時間差でホテルに行ったりして、セックスばかりしていました。
セックスの相手は、皆おじさんでした。一番若くて45歳で、一番年上の人が60歳でした。
私は19歳でした。
歳の近い人ともつき合いましたが、感じなくて物足りなく関係は続きませんでした。
私は、なんとなく、どこかズレていると感じ、心療内科に行きました。
そこで、同じ話をしました。
私は、薬を処方され終わったと思っていましたが、違いました。心療内科の男性医師が、私に連絡してきました。
そして、病院外で会うことになりました。
男性医師は、「本当か?」と訊き、私をホテルに連れて行き、彼らと同じことをしました。治療しに行ったはずなのに…。
先日、セラピーの特集番組で、「やり直し」として、OLや大学生がオムツをしてもらったり、抱きしめてもらったりしているのをぼんやり見ていて、「いいなぁ~、私もしてもらいたいなぁ」と思いました。

-事例251(性的虐待29、子どもの後遺症43。自傷14・アレキシサイミア1)-
私は14歳から16歳まで、義父の性的虐待を受けていました。
不感症になった私は、男性を不潔に感じ、レズビアンに興味を持つようになりました。
レズビアン専門のウェブサイトで、2歳年下(16歳)の女性と知り合った私は、その女性に、私が義父からされたそっくりに、膣に指を入れてこねまわしました。
女性は実父から性的虐待被害者で、自傷癖がありました。
そこで私は、私の性器には触らせない代わりに、その女性の好きなように私の体に傷をつけさせました。
そのときの私は、ほとんど痛みを感じませんでした(アレキシサイミア(失感情言語症))。
わずか2ヶ月で、私の体はカミソリやナイフで傷だらけになりました。

-事例252(性的虐待30、子どもの後遺症44。援助7)-
母の再婚相手は、覚醒剤を使うと性的に興奮し、暴力をふるいました。
中学2年から3年にかけて、義父は、母の留守を狙い私をレイプしおもちゃにしました。
気づいていたはずの母に「もしもあいつが、いやらしいことをしたらいいなさい。わたしがあいつを殺すから」といわれました。
そのとき、私は、母が義父と別れるつもりがないことを察しました。
母を殺人者にすることなどできるはずもないし、逆に母が殺されるかもしれないと思い、敢えて性的虐待を受けていることを口にすることは意味がないと思いました。
私は、中学校を卒業するとすぐに非行グループに入り、数ヶ月後に家出をし、援助交際をして稼いだお金で生活しています。

-事例253(性的虐待31、子どもの後遺症45)-
カミソリで手首を切って、自分にも赤い血が流れているのを確認するとホッとします。
人って、見かけだけではわかりません。
二番目の父だって、一緒に住みはじめて半年くらいは優しくてすてきな男性に見えました。
しかしその父は、2年間、中学生の私の体をおもちゃにしました。
母が「黙っていたお前がいけない!」といったように、黙っていた私が悪いのです。
あんなことを許した私だって、人間の皮をかぶった化物かもしれません。どうして外見だけから人間だといえるのでしょうか。
知らないうちに緑色の血に変わっているかもしれません。

-事例254(性的虐待32、子どもの後遺症46。自傷15)-
私の体に、両親の血が流れていると思うと吐き気がします。
手首を切り、出血した分だけ、私の中のお父さんの血が減り、お母さんの血も減ります。
だから、お願いだから血を抜きとって、助けてほしいのです。
だけど、そんなこと両親に話すことはできません。
なぜなら、私は、誰からも尊敬されている理想的な両親の自慢の娘だからです。
私が悪いんです。
私がいたから、お父さんが変な気をおこしたんです。
私がもっと賢かったらこんなことになりませんでした。
最初からきっぱり断るべきでした。
私のせいで家族はバラバラになりました。
体中にハリを刺し、血を流したいだけなんです(自傷行為)。

-事例255(性的虐待32、子どもの後遺症47。セックス依存2・摂食障害20)-
私は、小学4年生のときに父にレイプされて以降、自分のことをずっとひびの入った食器だと思ってきました。
中学生になると、こんな傷物は割ってしまうしかないという考えにとりつかれるようになり、左手首と前腕を切り刻み込みました。
高校生になると、行きずりのセックスばかりするようになりましたが、どうやっても、底なし沼のような淋しさを埋めることができません。
同時期に、過食と嘔吐を繰り返すようになりました(摂食障害)。

-事例256(性的虐待33、子どもの後遺症48。自殺未遂6)-
早く死にたいです。
あいつ(父)の記憶が私を苦しめます。
この苦しみを誰もわかってくれません。
私はいつも寂しくて、疲れています。
死んで楽になりたいです。
あしたが怖いです。
そのさきもずっと怖いです。
舌をかみ切って死にたいと思い、やりそうになりました(自殺未遂)。

-事例257(性的虐待34、子どもの後遺症49)-
こんな世界は破壊され、滅びた方がいいんです。
だから、「くそったれ! 全部死ぬんだ。幸せなやつも、笑ってるやつも、孤独なやつも、泣いてるやつも。いまそこを歩いてやがるお前も全部消えて終わってしまえ!」と叫び声をあげるのです。
こんな女の子にしたのは父です。

-事例258(性的虐待35、子どもの後遺症50。離人症2・アレキシサイミア2・多重人格1)-
母は、8歳の私を知人に預けました。
そこで私は、大人のセックスの相手をさせられ、レイプされました。
そして、「母親に話したら殺すからな!」と脅されました。
やがて、私は拷問の苦痛から逃れる術を会得しました。
女が、私の服を脱がしはじめると、直ぐに私は“わたし”の体から離れ、空中に浮かびます(離人症)。
男が乱暴に少女の体を突き刺します。
横たわっている少女の股間から赤い染みがシーツに広がっていきました。
空中にいる“わたし”に痛みはありません(アレキシサイミア(失感情言語症))。
横たわっている少女も目を開けたまま気を失っているようです。
女の子の目は死んだ魚のようでした。
空中にいる“わたし”の目も濁ってきてよくみえなくなってきました。
そして、“わたし”は少女に「あと30分したら、ここから逃れられる。ママに会える。ここであったことは忘れようね」と話しかけるのです(解離性同一性障害)。

-事例259(性的虐待36、子どもの後遺症51。強迫性障害1・摂食障害21・自傷16・自殺未遂7)-
娘は父親が大好きでした。
小学校教諭の夫は、娘をペットのようにかわいがり、いじりまわしていました。
その娘が3歳になると、枕の角を局部にあてて体をゆするようになりました。
母親の私は、娘の気を散らそうと呼びかけたり、それでも止めないときには、枕をとりあげたりしようとすると、夫は「それは古い教育だ。幼児の手淫にはなんの害もない。自然な成長の証だ。」と強く制止しました。
夫は、娘に「もっとやれ、もっとやれ」とはやし立て、性器いじりを煽りはじめていました。
それだけでなく、娘の股間に自分の足を入れて、局部を刺激し続けました。
娘は、「きゃっきゃっ」と叫び声をあげながら喜んでいました。
私は、その遊び(性的虐待)を止めることができないまま、娘が小学校高学年になるまで続きました。
その娘が中学生になると、突然、父親を毛嫌いするようになり、男性をバイキンのように嫌い、手洗いを止められなりました(強迫性障害)。
また、5歳年下の弟にはなにかと難癖をつけ、泣くまで苛めるようになりました。
そして、過食と嘔吐がはじまり(摂食障害)、自傷行為、自殺未遂を繰り返すようになりました。

-事例260(性的虐待37、子どもの後遺症52。援助8・薬物4)-
18歳の娘が錯乱状態で「キューリを膣に突っ込んだ。私は人間じゃない。死んだ方がいい。」と叫びました。
そのときまで、母親の私は、娘が夫(父親)から性的虐待にあっていたこと、レイプ被害にあっていたこと、テレクラで知り合った男性と援助交際を繰り返していたこと、そして、覚醒剤にはまっていたことに気づいていませんでした。

-事例261(性的虐待38、子どもの後遺症53。摂食障害22・援助9、自傷17・アルコール9・薬物5・自殺未遂8)-
中学時代以降、過食嘔吐するようになった長女が17歳のとき、母親の私に「(探しだしてきた病院)入院したい」と訴えてきました。
しかし、私は、夫(長女の父親)が娘に性的虐待を繰り返すといったおぞましい過去を他人に知られることを怖れ、長女の訴えを無視してしまいました。
その後、長女は、援助交際、自傷行為、アルコールの濫用、薬物依存、自殺未遂を繰り返すようになりました。
長女の訴えから4年が立ち、いま長女はボロボロで瀕死状態に陥っています。


(皮膚から心地よい安心感をとり込む女性。性的虐待を受ける残酷さ)
女性は、自分を愛してくれる人や信頼関係で結ばれている人と一緒にいると、一人でいるときよりもリラックスできます。
リラックスしているときでないと、自分の喜怒哀楽を自覚することができません。
特に、悦びを感じることができなくなるのです。
女性は、ふだんから男性よりも緊張しています。
男性から襲われないだろうかと不安と緊張の中で生きています。
男性よりも傷つきやすい女性は、無意識下であっても、人から傷つけられるのではないかと不安を抱きながら生きています。
その不安は、緊張を誘発します。
したがって、女性は自分を安心させ、自分をリラックスさせてくれる人を待ち望んでいるのです。
一方の男性は体も大きく、力も強いことから、女性に襲われるリスクは低くなり、しかも、自分の身体が穢される心配は、女性に比べ比較にならないほど低くなります。
そのため、女性が警戒しながら生きているなんて夢にも思っていません。
中には、レイプ神話*-58と呼ばれる女性は男性から襲われるのを待ち望んでいるはずだ!と思っている輩さえいます。
父親と一緒の食事は、いつ怒鳴られるかわからないとビクビクし、緊張の連続でおいしいと感じられないなど、あらゆる面で、娘(女の子)を緊張させ、嫌悪感を与える父親は失格です。
人は、いいところを刺激されると前向きになります。
そして、リラックスできます。
リラックスできると、心地よいだけではなく、そんな自分が嬉しくなってきます。
父親と、恋人と、夫と一緒にいることで、自分らしい自分になっているから、「あなたと一緒にいると嬉しい」という積極的な気持ちにもなれます。
女性は、自分のいいところを刺激されることで、「私のいいところを刺激してくれる。自信を持たせてくれるあなただから一緒にいたい」と考えます。
逆に、同情や見下して、安心とリラックスを獲得している場合は、「離れたくない(離してなるものか!)」と執着することになります。
離れたくないのは、一緒にいたいからではなく、「いま、自分がえている優越感という快感を手放したくない」という心情がその根底にあります。
これは、男女に関係ない典型的なDV加害者の認知、つまり、支配するものの捉え方ということになります。
「離れたくない」というのは、「見下せる人なら誰でもいい。いまえている優越感で、自我を安静させている。だから、自分の手元から絶対に放さない」のです。
歪んだ愛情のもとでの恋愛、結婚をしないために、女性は自分を好ましいものとして受入れ、女性性を受入れ、さらに、父親を受け入れられることが必要となります。
これがあって初めて女性は、父親以外の男性を受け入れられることができるようになります。
女性は守られて、愛されることで精神が安定します。
しかし、男性には愛されて精神が安定するというメカニズムはもともとありません。
そのため男女は、それぞれセックスに求めるものも必然的に違ってきます。
男性は肌の触れあいを重視しません。
愛がなくてもセックスができるのです。
愛がないセックスをしても傷ついたり、穢れ感を心に留めたりすることはありません。
女性は、皮膚からたくさんの愛情を吸収します。
女性は、肌を通じて愛を受けとります。「話をする」、「手を握る」、「キスをする」、「セックスをする」ことを通じて、つまり皮膚を通して愛を心に取り入れていきます。
そして、心が満たされていると実感できたとき、相手との<心の絆>を感じます。
心の絆を感じられることは、女性の求める悦びの中で、もっとも大切な悦びとなります。
そのためには、襲われたり、危害を加えられる不安による緊張感がなく、軽蔑したり、嫌悪感を抱いくことなく、心が安定し、心地よいリラックス感が満たされていることが必要です。
皮膚から愛情をとり込めるのは女性だけで、男性にはもともとそのセンサーは備わっていません。
そのため、常に、襲われるリスクを抱える女性にとって、乳幼児期に、男性の中で唯一襲わない(危害を与えない)存在である父親から抱っこされ、大きな体に包まれ、“わたし”の身は守られて安全であることを心に刻み込んでいくことが大切なのです。
なぜなら、父親から守られ、安全であることが担保されることで、はじめて心地よい安心感がえられ、精神的な安定が保たれるからです。
乳幼児期の女児は、父親にベタベタし、ちゃんとしたスキンシップをし、皮膚を通じて心地よさを感じ、心地よさから生まれる安心感を心に刻み込んでいきます。
しかし、安全と安心が確保されないと、心からリラックスすることができなくなります。
乳幼児期に心からリラックスすることができていないと、思春期・青年期を経て大人になってからも皮膚から愛情をとり込めず、不感症になったり、セックスをしても心が満たされなくなってしまったりします。
父親から守られ安全であること、守られる心地よさから生まれる安心感、そして、心からリラックスすることを体験できていないと、乳幼児期の父親からの愛情に対しての<思い残し症候群>を補おうとして、キスやセックスを執拗に求めるようになったりすることがあります。
乳幼児期の父親と同年代の男性と援助交際をしたり、妻子がいる人しか愛せなかったりする要因となるのが、父親への思い残し症候群です。
思い残しを抱える女の子が援助交際に求める関係性は、セックスを求めるというより、底なし沼のような寂しさを満たすためです。
底なし沼のような寂しさを満たすために、父親にしてもらいたかった抱っこされて守られる安心感を味わい、不安感を拭い去り、心からリラックスできる体験を求めるのです。
皮膚から愛情をとり込むために裸で抱きしめられたいだけなのです。
しかし、思い残しを求めた男性には、そうした思いは伝わらず、欲望のままセックスを求められることになります。
そのため、底なし沼のような寂しさは満たされず、「他の男性は、私に安心感を与えてくれるだろうか」と援助交際を繰り返し、満たされない思い、底なし沼のような寂しさだけが増し、心の安定が崩れていくことになります。
金銭は、心の隙間を埋められるのが愛情ではなくて、お金、モノだということを親や社会から学習してしまったからに他ならないのです。
また、3歳のころ(父親に恋し、「パパと結婚する」と口にする時期)に、不安と恐怖の中にいた娘(女の子)は、強烈な父性愛欠乏状態になってしまい、“思い残し”を抱え込むことになります。
その緊張や不安、不快をそのままにしてしまうと、大人になってからも心が満たされないため、辛くなって生きていけない感覚に苛まれます。
そのため、幻の父親を必死に探しはじめ、妻子がいる男性しか愛せなくなったりするのです。
なぜなら、父親には必ず妻、自分からみて母親がいて、子どもとしての“わたし”がいる構図が整っていなければ、子どものわたしの父親愛欠乏状態を満たすことができないからです。
つまり、妻子のいる男性から愛されなければならないのです。
20代女性の40%が、一度は不倫を経験しているという調査結果もあります。いかに父親から正しい愛情を受けていないかを示すものです。
未成熟な父親から正しい愛情を受けることのできなかった女性は、「心の隙間を埋めたい」とスキンシップを追い求めてしまいます。
本当は、ただ裸で抱き合っていたいだけなのに、男にとってそれはセックスをすることになってしまいます。
その結果、セックスをするほど寂しくなって、「セックス依存」の状態になってしまうことさえあるのです。
そのセックスを介した依存関係では、お互いを尊重し合い、励ましあうような関係をつくることはできません。
そのため、ケンカばかりの日々を過ごすことになったり、次々に相手を替えたりすることになります。
思春期や青年期の女の子が、知り合ったばかりの男性や交際間もない男性からセックスを求められ、「断ったら、嫌われるかもしれない」との思いに囚われ、嫌でも応じてしまう心にも、底なし沼のような寂しさを満たそうとの思い、つまり、“やり直し”を求める思いが要因になっています。
若年者のデートDV被害には、こうした問題が隠れていることが少なくありません。
*-58 「レイプ神話」については、「Ⅰ-2-(2)-⑦「レイプ神話」という間違った考え」で詳しく説明しています。


(セックスをどう捉えるかは、思春期までに受けた親の影響)
先に述べているとおり、「解離性障害」は、幼児期や思春期に性的虐待*を受けた被害女性の後遺症として発症することが多いとされています。
女性受刑者の70%以上が、18歳までに性的虐待・性暴力を受けているという報告もあります。
その内の30%はレイプ(強姦)など深刻なもの、20%が近親姦です。
そして、その半数近くが小学校6年生までに受け、小学校入学前から繰り返されています。
性暴力被害を受けた女性の多くが、自殺企図、自傷行為、対人恐怖、摂食障害(拒食過食)、パニック障害、うつ病、ひきこもり、アルコール・薬物依存などで苦しんでいます。
セックスへの嫌悪に悩みながら、一方で、心も身も深く傷つけられるような男性に強く惹きつけられ、“私は穢れている”と自己評価を下げてしまう女性も少なくありません。
しかも、相手のいいなりになり、自分を犠牲にしてまで相手の快楽に応えるふるまいをしてしまうことさえあります。
 思春期までに受けた親の影響が一番でるのが、セックスをどう捉えるかという問題です。
母親から虐待を受けたり、愛されなかったりした男の子は、女性をセックスの対象としてしか見ることができなくなってしまうことがあります。
女性にセックスを求めることが、愛情を与えることだと思い込む男性(女性を見たらセックスすることしか頭にない男)になってしまい、娘をみても若いオンナを扱うように接することが、自分らしい愛し方だと考えてしまうのです。
娘(女の子)は小学校3-4年生になると、父親が外ですれ違う女性とかに向ける視線にも注意するようになります。
娘は自身の身体が成長するにつれ、父親から他所のオンナを見る同じ目線が自分に向けられることで、大きなショックを受けます。
まして、生理がはじまり、「お前も大人のオンナになったな!」とか、胸が膨らんできて、「お前もブラジャーをつけるようになったのか!」などといわれたりすると、鳥肌が立つような嫌な思いをさせられます。
そして、自分が女性であることに嫌悪感を持ち、自分そのもの(女性性)を徹底的に否定してしまうことさえあります。
女性が自己受容できなくなると(女性性を受け入れられなくなると)、将来、夫や子どもを受容することも、同姓の友人をも受容できず、正常な家族関係を築けなくなってしまう事態を招くことになります。
つまり、自分の女性性を否定することは、自分自身を否定することに他ならないのです。
女性が受容能力を奪われてしまうと、友情を育むことも、恋愛も結婚もセックスもできなくなってしまいます。
父親の性的虐待・セクシャルハラスメント的な言動が、娘(女の子)の人生の悦びを奪ってしまうのです。
思春期・青年期を経て大人になったときに、本当に人を愛することができなくなってしまいます。
また、兄弟姉妹の暴力的な関係や性的いたずら・性暴力は、深刻な長期的な影響をもたらします。
なぜなら、本来、発育段階で人としてのかかわり合いや問題解決について学ぶ練習になるはずが、間違った人間関係の基礎をつくっていってしまうからです。
性的いたずら・性暴力をされた瞬間から、自分を大切に思えなくなり、自分をとるに足らない価値のないもの、穢れたもの、人を愛せないものとの幻想に囚われてしまいます。
大人になって彼女たちは、口を揃えたように「私は恋愛ができない。恋愛してもいつもうまくいかなくなる」といい続けます。

以上、近親者による性的虐待が及ぼす悲惨さを知っていただくために、29の事例をとりあげ、性的虐待によって安心感を奪われた被害女性が抱えなければならない切なさを理解していただけたのではないでしょうか。
レイプなど性暴力の80%以上は、顔見知り(よく知っている人)の犯行です。
父母・祖父母・叔父叔母・従兄弟(11.9%)、配偶者・元配偶者(9.9%)、そして、友人や知人(先輩・同級生・仲間・クラブやサークル指導者・教職員・同僚・上司・取引先に関係者:87.1%)によるものです。
そして、女子児童の8人に1人、男子児童も15人に1人が性的虐待・性暴力の被害にあっているとされています。
しかしこの数字には、性的虐待被害を受けていながら、無自覚のまま成長し成人になったあとも、本人が性的虐待を受けたと自覚できていないケースは含まれていません。
虐待を受けたり、DVのある家庭環境で育ったりした被虐待者に対するカウンセリング(認知行動療法、特に暴露療法)をしていると、当初は「性暴力を受けていない」と応えていても、カウンセリングを進めるうちに蓋を閉じていた記憶の扉が開き、「そういえば、お父さんとお風呂に入ると小股がヒリヒリするから嫌だった。」、「お医者さんごっこで、服を脱がされて性器に指を入れられた(男児の場合、にぎにぎされた)。」などと話しはじめることが少なくありません。
つまり、幼いころに性的虐待被害を受けていても、カウンセリングをはじめるまではその事実の記憶が抜け落ちていることが少なくないのです。
こういった無自覚の性的虐待被害にあっている児童は、相当数にのぼると感じています。
そして、性的虐待を受けた被虐待者の84%が、のちに解離性人格障害やボーダーライン(境界性人格障害)を発症し、対人関係に悩み続ける人生を歩むことになります。
したがって、教育現場においても、性的虐待の真実は、「身近な家庭の中にある」ということを知っておかなければならないのです。
そして、児童と日々接する教職員は、家庭内での性的虐待などめったにおこらないといった誤った認識を捨て去ることが早期発見につながり、性的虐待被害に遭った児童の心のケアにとり組むことができるのです。

ここで、判例2(事件研究36)として、幼児期に性的虐待を受けた被害女性が、加害者のおじを提訴し、画期的な判決を最高裁判所が下した事件について触れておきたいと思います。

-判例4(事件研究36)-
平成26年9月25日、近親者(おじ)による性的虐待被害を受けた被害女性(提訴時30歳代)がPTSD、離人症性障害、うつ病などを発症し、最後の性的虐待被害を受けた小学校4年生の夏休みから20年以上を経過した平成23年4月、30歳代(提訴当時)の女性が、おじに約4,170万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審がひらかれました。
札幌高等裁判所の岡本岳裁判長は「30年前の性的虐待の損害を認定」し、加害者に対して治療費(性的虐待行為により被った過去及び将来10年間の治療関連費)919万余円、慰謝料2,000万円他の支払いを命じるという判決を下しました。
1審の釧路地方裁判所の河本昌子裁判長は、加害男性(叔父)による性的虐待行為や姦淫行為の事実を認め、PTSDなどとの因果関係も肯定していましたが、「すでに20年の除斥期間が経過している*-59」として訴えを退けていましたが、この札幌高等裁判所の判決は、損害賠償を請求できなくなる「除斥期間」の開始時期を、精神障害の発症時期と解釈するなど、子どもの人権や性的虐待被害者の救済という観点から画期的な判決となりました。
性的虐待被害を受けた子どもたちは、加害者から口止めされたり、性的虐待を打ち明けることで自分が家庭を壊してしまうのではないかと悩んだり、家庭が壊れたら孤立を余儀なくされるのではないかと考えたりして、なかなか虐待の事実を打ち明けることができません。
長年、自分の心に封印してきて、いまも声をあげることを躊躇い、悩み続ける被害者たちにとっても、勇気を与えてくれるものでした。
 そして、平成27年7月8日、最高裁判所第2小法廷は、加害者の叔父の上告を退ける決定をし、確定しました。
昭和53年1月上旬、祖父母宅において、叔父は、3歳10ヶ月の被害女性の体をなで回すなどの行為に及び、以降、叔父は同宅において、毎年1月上旬と8月の2回、被害女性へのわいせつ行為を繰り返し、行為をだんだんとエスカレートさせていきました。
昭和57年8月中旬、叔父は同宅において、8歳5ヶ月の被害女性を布団の中にひき込み、着衣の上着を脱がせたうえ、わいせつ行為に及び、昭和58年1月上旬には、叔父は同宅において、8歳10ヶ月の被害女性に対し、布団の中にひき込み、着衣を脱がせて裸にし、わいせつな行為をおこなったうえで、姦淫するに至りました。続く、同年8月、再び姦淫被害を受けることになりました。
つまり、被害女性が正月や盆に親の実家に帰省するたびに、性暴力被害にあっていたことになります。
これに対し、被告の叔父は、原告の被害女性の身体を触るなどの行為が平成56年1月から平成58年1月までの4回程度あったことは認めたものの、姦淫行為があったことは否認しました。
「準備書面(21頁)」には、『虐待行為のたび、加害者は被害者に対して「他の人にはいってはダメだよ」等といい、口止めをしてきました。
その結果、被害者は「親や祖父母などに知られたら何か大変なことになるんじゃないかとか、家族や親戚中がもめたり、ぐじゃぐじゃになったりして、すべてが崩壊してしまうんじゃないか、自分さえいわれるままに黙っていれば何事もなかったように進むんだろうか、自分さえがまんすればいいということなんだろうかというふうに思いました。」と、当時の被害女性の苦しい心内が述べられています。
現に、大人になった被害女性は、父親に哀しい体験を打ち明けようとしたとき、父親は耳を傾けることなく、「聞きたくない」と拒絶しています。
被害女性の弁護団は、子どもに対する性的虐待については、「損害賠償請求権の除斥期間の起算点を成人時と解すべき」と主張し、その理由を「準備書面(1)(38頁)」で、『性的虐待が親族間でなされた場合、その性質上、未成年者の法定代理人が、未成年者を代理して損害賠償請求権を行使しうることは困難である。権利行使によって、犯罪行為という身内の恥をさらす結果となり、親族関係を破壊する結果を招くからである。』と述べています。
つまり、子どもが親族から受けた性的虐待については、子ども本人が訴えることも、親が代わりに訴えることも難しいことから、被害者が成長し大人になってから権利を行使できるようにすることが必要なのです。
この高等裁判所判決では、この点については認められませんでしたが、今後、被害者救済の政策や法改正を考えるうえで重要なポイントになってきます。
さらに、「準備書面(2)(5頁)」では、『そして成長するにつれ「小学生のころから早く死にたい、消えたいと考え、にやにやして近づいてくる加害者であるおじの顔が急に近づいてくるような気がして、フラッシュバックを週に何度も起こし、悪夢にうなされながら生きてきた。』と、昭和58年1月、小学校3年生の冬休みに姦淫被害にあって以降、被害女性はフラッシュバックに苦しくことになった状況が述べられています。
さらに、被害女性は睡眠障害、回避症状、離人体験に悩まされ、高校生になると摂食障害、自傷行為に苦しむことになります。
被害女性は、小学生から死を願い、悪夢にうなされながら生きてきたのです。
そして、平成18年9月ころから、被害女性(31歳)は、著しい不眠、意欲低下、イライラなどの症状に悩まされ、うつ病の疑いと診断され、平成20年ころになると、仕事がまったくできない状態が続くことになります。
そして、平成23年3月11日の東日本大震災の報道をきっかけに、自らが苦しんできた諸症状がPTSDによるもので、その原因が性的虐待にあることを自覚するに至り、同年4月、医師から「心的外傷後ストレス障害・抑うつ状態」と診断されています。
1審で、被告の叔父側は「自らが行為をおこなってから25年以上が過ぎ、原告の女性がうつ病やPTSDと診断されたのもごく最近である。」として、「原告の症状は、いまの結婚生活など、これまでの生活状況がストレスになっている可能性が高い。」と主張していますが、札幌高等裁判所の判決では、精神科医の尋問を踏まえ、原告(被害女性)は被告(おじ)から性的虐待行為を受けたことにより、昭和58年ころ、PTSD及び離人症性障害、高校在学中に摂食障害を発症し、平成18年9月ころ、うつ病を発症した」ことを認定しています。
一方で、PTSD及び離人症性障害、摂食障害を発症したことを理由にした損害賠償請求権は、被害女性(原告)が訴訟をおこした平成23年4月には除斥期間が経過していましたが、「平成18年9月ころに発症したうつ病は、PTSD及び離人症性障害、摂食障害にもとづく損害とは質的にまったく異なるものである。また、うつ病の損害は、性的虐待行為が終了してから相当期間が経過した後に発生したものと認められるとして、除斥期間の起算点は、損害の発生したとき、つまり、うつ病が発症した平成18年9月ころというべきだ」としました。
「PTSDは昭和58年ころに発症しており、20年が経過しているが、うつ病は平成18年に発症したもので、20年は経過していない。そして、そのうつ病の発症の原因は性的虐待にあったことを本人が知ったのは平成23年2月であり、訴訟を起こした平成23年4月の時点で3年も経過していない。したがって、時効・除斥期間は成立しない。」との考えを示し、被害女性の損害賠償請求を認めたのです。
そして、「控訴人(被害女性)が、被控訴人(加害者の叔父)から本件性的虐待行為を受けたことで、極めて重大、深刻な精神的苦痛を受けたことは、当該行為を受けてから、子供時代、就職、進学、結婚といったライフステージを通じて、…生活上の支障、心身の不調に悩まされたほか、妊娠、出産、育児に対する不安感、恐怖感を感じていたことから容易に想定できる。また,控訴人(被害女性)は、本件性的虐待行為を受けた後、…生活上の支障、心身の不調に悩まされながらも、…やりがいを持って働いていたが、うつ病を発症したことにより、…勤務だけでなく、身の回りのこともできなくなったものである。…現時点では症状が軽快したものの、辛うじて日常生活が営める状態になった程度にとどまるものであり、発症から約8年が経過しても、いまだ相当期間の治療を余儀なくされる状況で、寛解の見通しも立っていない。このような事情のほか、本件性的虐待行為の内容、期間及び頻度、平成23年3月17日における話合い以降現在に至るまで何ら謝罪の姿勢を示していない被控訴人(加害者の叔父)の対応など、本件訴訟で現れた事情を総合考慮すると、控訴人(被害女性)の精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は、2000万円とするのが相当である。」と損害賠償額の根拠を示しています。
さらに、この釧路地方裁判所と札幌高等裁判所の判決で重要なことは、被害女性の供述は、「性的虐待行為の具体的な時期、及び内容について、その記憶のとおりに述べたものとみるのが相当である。」とし、一方の加害男性(叔父)の主張は、「その正確性に疑いを入れざるを得ない。」とし、「概ね被害女性が主張するとおりのものであった。」と、3歳10ヶ月-8歳10ヶ月のときの記憶を間違いのないものと認定していることです。
*-59 除斥期間とは、民法724条後段に記載され、「損害と加害者を知ってから3年で損害賠償請求ができなくなる」、「損害と加害者を知らなくても不法行為のときから20年で損害賠償請求ができなくなる。」としています。
後者の20年の時効期間のことを「除斥期間」といい、普通の時効よりも強力なものとしています。
この規定は、権利行使を限定する目的で定められたものです。社会の安定や予測可能性を重視する発想がその背景にはあります。

近親者による性的虐待被害者には、解離症状の他に、ほぼ14歳-17歳の間に過食と嘔吐がはじまり(摂食障害)、自傷行為に走りやすく、摂食障害や自傷行為を繰り返す人の中には、万引き(窃盗)や家出という非行に走りやすく、さらに、青年期に入るとアルコールや薬物を濫用する傾向が高くなるといった特徴(重複障害を抱えている)がみられることがわかります。
そこで、次のⅡ-13-(6)で「摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)」、続くⅡ-13-(7)で「解離性障害とアルコール依存症」をとり扱い、さらに、性的虐待被害者にみられる自傷行為と密接な関係性がある「パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」については、別途「14節」を設けて詳しく説明しています。


(6) 摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)
 「摂食障害」は、食べない、または逆にむちゃ食いしながら下剤を使うなどして無理に排出し低体重になる拒食症、むちゃ食いをくりかえす過食症などの症状に代表される心理的な要因で発症する障害で、栄養失調や自殺などで亡くなるケースもあり、死亡率は7-10%と非常に高いものです。
日本は、アメリカ、イギリスと並んで患者数が多いといわれているにもかかわらず、海外に比べて、低体重で病院に搬送されても、専門医がいないことから、病院側が戸惑い、受診制限することもあるなど、治療体制は不十分です。
病院側が受診制限してしまうのは、極端な栄養失調の処置の仕方がわからないからです。

-事例262(過干渉9、子どもの後遺症53。摂食障害22)-
私は、商社マンとしてさまざまな国へ赴任する父と、専業主婦の母のもとに生まれました。
幼いころから私は、母から「1部上場企業に勤める男性と結婚することこそが、女性のとっての幸せ。」と繰り返し聞かされていました。
母は、他人の目ばかり気にし、世間の評価にもとづいて、私の人生を決めていきました。
母の希望通りに、中学受験で「お嬢様校」に合格した私は、毎日、東京郊外の新興住宅地から片道1時間半をかけて通学しました。
帰宅して、母に友人の話をすると、母は在校者名簿で、その友人の住所や父親の勤め先・役職まで調べあげる始末でした。
母のお眼鏡に叶わなかった友人に対して、「将来のあなたのためにならないから、つき合わない方がいい。」と口をだす母に、私は不満をぶつけるようになり、徐々に母と溝が深まっていきました。
しかし、中学生3年生になった私は、母が用意する料理を食べなければ、生きていけないという矛盾にぶちあたりました。
そして、食事の量を減らしたり、口に入れたものを戻したりするようになりました。
私の嘔吐により、自宅の下水管が詰まり、修理が必要になったときに、母は私の体を気遣うのではなく、「いくらかかったと思っているの?!」、「いつも汚すからトイレは臭うし、やめてちょうだい!」と非難し、嫌悪感をあらわにしたのです。
大学に進学後、私の(摂食障害の)行為はひどくなり、20歳のとき、拒食症から低体重となり、入院しました。
身長171cmで、体重は30kgを切っていました。
あのとき受け入れてくれる病院、相談に乗ってくれる人がいなければ、きっと私は、死んでいたと思います。

専門医が不足しているだけでなく、事例262のケースのように、摂食障害を発症する背景には、「Ⅱ-17.思春期・青年期の訪れとともに」で述べているように、娘を犠牲にして自分の人生を生き直そうとする母親、母親が敷いたレールを歩ませ、母親のルールに娘を従わせてきた母親による娘への支配が関係していることが少なくないわけです。
したがって、内科的治療だけでなく、精神科、心療内科によるカウンセリングなどで、時間をかけて、患者の話に耳を傾ける必要がありわけです。
摂食障害にかかわる問題は、第1に、数少ない専門医や医療機関に患者が殺到する事態を招いていること、第2に、治療に至っていない摂食障害患者が数多く放置されていることです。
加えて、第3に、精神科で窃盗癖の治療を受けている女性の7割以上が、過食症などの摂食障害であったという調査報告があるという事実です。
窃盗癖のある男女132人を調査したところ、女性92人のうち68人(74%)が摂食障害を患い、男性40人のうち摂食障害が4人(10%)で、女性に顕著な傾向が認められました。

-事例263(摂食障害23・窃盗癖4)-
高校3年のときダイエット感覚で食事制限をはじめ、拒食症になった21歳の女性は、大学入学後、飲み会が続き「会費を払っているのにもったいない」と考えているうちに、逆に過食症になりました。
食費に困るようになり、スーパーの試食品を大量に食べて紛らわすようになりました。
あるとき、店員や他の客から白い目で見られていることに気づき、万引きに走るようになりました。
女性は、「食べたい衝動だけが頭を支配して、お金を払うという考えがなくなった。いつも吐いてから我に返るが、繰り返してしまう。」と語っています。
万引きで3回逮捕され、大学を休学して治療に専念することになりました。

-事例264(窃盗癖5)-
地方の国立大学出身で、高齢者や身体障害者のリハビリなどを指導する理学療法士として働いている31歳の男性が、はじめて万引をしたのは19歳のときでした。
大学受験のストレスからスーパーやコンビニでお菓子などを盗みはじめました。
別に、どうしても欲しいものというわけでもなく、財布には購入できるだけの十分なお金も持っていました。
しかし、万引のスリルが病みつきになり、いつしかお金を使って買い物をすることがばからしく思うようになっていきます。
大学に入学し、ストレスがなくなったはずでしたが、万引は続きました。
行為もエスカレートし、大学生のころは生活用品を盗品で賄うまでになっていました。
もはや、盗むこと自体が目的化していました。
店外にでた瞬間に、万引した物への興味が失せ、ごみ箱に捨てることさえありました。
男性は「万引を成功したときに感じるたまらない高揚感は抑えられなかった。」と語っています。
大学を卒業し、24歳で理学療法士として働きはじめてからも万引はやめられませんでした。
しかし、5年後の29歳のとき、スーパーで酒を持ち去ろうとしたときに警備員に気づかれ、警察に逮捕されました。面会に訪れた家族は泣いていましたが、男性は「留置場にいれば、万引を繰り返さずにすむ。」と安堵したといいます。
同時に、「このままではいずれ破滅するという強い危機感が込みあげてきて、恐怖だった。」と述べています。
保釈後、クレプトマニア(窃盗癖)の患者らが集団で話し合い、罪と向き合うミーティングの存在を知り、通うようになり、医療機関での治療をはじめることになりました。
女性と男性の2つケースをとりあげましたが、女性は渇望感を満たすための摂食障害の延長線上に窃盗癖があるのに対し、男性は渇望感を満たすためにスリルを味わっているところに大きな違いを読みとることができます。
窃盗癖の原因は、他には、ア)過食行動を自己弁護的に代償する行為(タダだから食べ吐きしてよい。あるいは、どうせ吐く食べ物のためにお金を払うのはばかげている)、イ)ある種の達成感を得るための行動、ウ)自己処罰(わざわざ捕まるように万引することすらある)、エ)親の気を惹く試しとしての行動、オ)親への反抗(親が呼びだされ、面目がつぶれる)などあります。
これらに加えて、飢餓状態における精神機能不全、しばしば合併する感情障害(うつ状態、軽躁状態、まれに躁状態)、人格障害、解離症状、使用薬物(処方薬、市販薬、乱用薬物)や飲酒の影響、思春期、青年期の衝動性、社会文化的背景などが複雑に絡み合っています。
摂食障害者には、自殺未遂や自傷行為を体験していたり、解離性障害や物質使用障害(アルコールや薬物依存)を合併していたりすることが多く、その原因は幼児期から思春期にかけての虐待体験(トラウマ体験)であるとされ、同時に、性的葛藤を抱えていることが多いことがわかっています。
幼児期の家庭環境だけでなく、持って生まれた容姿や体質、障害や病気、いじめ被害、性的トラウマ、犯罪被害、交通事故被害、いわれなき差別、家族や親友からの裏切り、報われなかった努力、濡れ衣を着せられ犯人扱いをされた事件など、心の痛みの原因になりうるものはいろいろであります。
摂食障害者に共通しているのは、こうした不遇の体験と心の傷みについて話をし、理解される機会を持ってきていないことです。
不遇の体験と心の傷みを持ち続ける状況下で、大量に食べ物を口に詰め込んで、それをトイレで吐くという後ろめたい行為を繰り返す過食症(摂食障害)という周囲から理解されにくい病気になることは、万引き発症の大きな契機になる可能性を秘めていることになります。
「病気について周りの誰を責めることもできない」、「責任は親にあると責めたとしても理解はされない」、「自分の不幸な運命を考える」というとき、封印してきた古い心の傷が疼きだすのです。
過食のための食料品店、コンビニ店通いの毎日、大量の食べ物に出費を繰り返すという日々に、無意識下の「人生において不利な役割を押しつけられてきた。
そして、十分に報われていない」という思いが、心を突き動かし、衝動的な万引行為に走らせることになります。


(7) 解離性障害とアルコールや薬物依存症
薬物依存症と他の精神障害(例えば、統合失調症(精神分裂病)や気分障害(うつ病や双極性障害(躁うつ病)など)、摂食障害など)が同時に併存している病態を「重複障害」といい、暴力や自殺行動のリスクの高さから、地域保健における重要なテーマになっています。

-事例265(過保護1、子どもの後遺症54。浪費1・薬物6)-
 私の育った家は、母の父親が経営していた会社を継いでいたこともあり、とても裕福でした。
中でも、兄は、祖父母にとって初孫であったことから、母とともに、欲しがるものをなんでも買い与えていたそうです。
 高校生になった兄は、友だちに大判ふるまいをするようになり、専門学校に進学したあとは、一層金遣いがひどくなり、ブランド品を買い、高級車を乗り回すなど、豪遊するようになりました。
専門学校を卒業後は、父のコネで就いた会社を直ぐに辞めて以降、就退職を繰り返しました。
 そして、兄は、興奮状態で、両親や祖父母に金の無心に訪れるようになり、両親と口論になりました。
 両親が、兄を精神科に連れて行くと、「躁うつ病」と診断されました。
このときは、兄が大麻やエフェドリン(交感神経興奮剤)入りのせき止め薬を乱用していたことを知りませんでした。
そして、バブル崩壊のあおりで、父が経営する会社が倒産しました。
当然、母は、兄に金を無心されても、わたす金がありませんでした。
すると、兄は、消費者金融から借金を重ね、両親に暴力を繰り返すようになるなど、兄の生活は荒れていきました。
兄の精神状態は不安定になり、私や妹にも暴力をふるうようになり、やがて、私や妹の家にきて、「お前が、親の財産を盗んだだろう?!」、「財産継ぐのは長男の俺だ。盗んだ金を返せ!」と難癖をつけ、金を要求するようになりました。
 兄の被害妄想がひどくなったのを機に、兄は精神科に入院することになりました。
 この入院をきっかけに、兄が大麻やエフェドリン(交感神経興奮剤)入りのせき止め薬を乱用していたこと知りました。
以降、兄は、退院しては、症状がひどくなり、入院することを繰り返しました。入院中、1日に十数回も、私や妹に電話をかけてきて、「早く、退院させろ!」と騒ぎました。私も妹も疲労困憊、疲れ切っていきました。
 5回目の退院後、兄が覚醒剤に手をだしていることを知りました。
そして、両親と私、妹が話合い、兄を、私たちが住んでいる都市から遠く離れた薬物・アルコール依存症の専門病院に入院させる手続きをしました。
兄は、「俺は病気ではない」、「覚醒剤なんかやっていない!」、「弟や妹が財産目あてで、仕組んだことだ! 騙されるな!」といい、最初は、治療薬を飲むことすら拒んでいました。そして、「退院させろ!」と叫んでいる兄とは、私たち家族は、直接、接することを拒んでいます。
私と妹は、両親とは違い、「兄には、一生、入院していて欲しい」と思っています。

-事例266(分析研究22)-
(虐待9、子どもの後遺症55。自傷18・摂食障害24・薬物7)
20代のFさんは、幼少期に養育者による被虐待歴があり、思春期後期から青年期以降、リストカットをしたり、火のついたタバコを皮膚に押しつけたり、反復性の自傷行為を繰り返しています。
その自傷行為には、自分で自分の首を絞めるなどの奇異ともとれる自殺企図らしき行動も伴っています。
また、拒食や過食嘔吐を繰り返すなど摂食障害を繰り返し、自傷行為をはじめた同時期にアルコールを摂取しはじめ、やがて乱用状態になり、一時、覚醒剤などの違法薬物を乱用しているなど、複数物質に対する使用障害も認められています。
ここ2-3年間は、違法薬物の使用はありませんが、頭痛を理由に市販の鎮痛薬を連日大量に乱用し、複数の医療機関から入手したベンゾジアゼピン系薬剤を過量摂取することもあり、その度に、救命救急センターに搬送されています。
Fさんは、いかにも自己主張が不得手で内気そうにうつむいていたと思ったら、突然、猛烈な勢いで怒りはじめるといった気分変動が激しく、また、「死ね!」「殺せ!」と、自殺や他害行為を示唆する命令性幻聴が現れたり、視野の端に黒い人影がすばやく横切るような幻視が出現したりすることもあります。
こうした症状は、思春期前の8-9歳には現れていました。対人接触は自然で、なげかけにも軽妙な皮肉を交えたりしながら軽快に応じることができます。
しかし、アルコールが入り、酩酊状態になると、別人のように暴力的になり、過去に何回か交際する男性に暴力をふるい、骨折させてしまうなどの重症を負わせ、警察沙汰にもなっています。
ただし、こうした一連の暴力について、本人にはまったく記憶がなく、自分がやったという実感はありません。

Fさんの個々の症状や傾向をみていくと、リストカットや自殺企図、拒食、過食嘔吐、薬物乱用を繰り返していることから境界性人格障害(ボーダーライン)、摂食障害、薬物依存症(物質使用障害)、気分変動が激しいことから双極性障害(躁うつ病)、また、幻聴や幻視といった症状があることから統合失調症(精神分裂病)、もしくは、覚醒剤を乱用していた後遺症によるフラッシュバック、市販鎮痛剤に含まれるなんらかの薬剤成分がひきおこす物質誘発性の障害などにあてはまります。
こうしたFさんの抱える症状や傾向は、暴力のある家庭環境で育ってきた人には、決して稀な症例ではないといえるものです。
しかし、医療者に対する攻撃的になったり、操作的な態度をとったり、“試し”としての度重なる自傷行為を繰り返すなど自己破壊的行為で医療者を翻弄してしまったり(受容)、逆に、愛想をつけられ(拒絶)、ドロップアウトされてしまったりするなど、治療的かかわりは断続的になりがちです。
結果として、医療者や援助者に対して、真の姿を見せることのないまま、目の前を通り過ぎていくことになります。
そこで重要なことは、Fさんは被虐待体験があることから、AC(アダルトチルドレン)であり、被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)の症状や傾向を抱えている前提に立ったアプローチを主に置くことです。
つまり、被虐待体験としての深刻な心的外傷(トラウマ)にフォーカスするために、生育史に深くかかわっていくことが必要不可欠なってくるということです。
被虐待体験を見ていき、解離性障害の症状や傾向に、Fさんの症状や傾向を照らし合わせていくと、顕著な気分変動がめまぐるしい人格変換によるものであり、酩酊時の健忘を伴う粗暴行為は病的酩酊を装った攻撃的な交代人格の行動によるものであり、幻聴は交代人格の「声」であり、幻視は壮絶なトラウマ体験の記憶に関連した解離性幻覚であることに辿りつくことがことができます。
解離性障害が併存する物質使用障害患者には、いくつか特徴的な傾向が認められます。
それは、思春期後期から青年期に物質乱用を発症しており、しばしば多剤乱用の傾向があり、自傷行為や過剰服薬(OD)、あるいは他害的な暴力行為におよぶといった衝動的行動を伴う傾向があるなど、「多衝動性過食症」の病態を呈する者が少なくないということです。
また、市販の感冒薬や鎮痛薬、揮発性の制汗スプレーといった精神病惹起作用がきわめて弱い薬物を乱用しているにもかかわらず、精神病症状を呈したり、さほど大量の飲酒をしているわけではないのにブラックアウト(健忘)を呈したりすることがあるということです。
 頭痛は、交代人格が前にでたがっている状況でさらに増強する傾向があります。
また、原因不明の身体的疼痛が見られることもあり、これは、過去の身体的暴力を受けたときの疼痛がフラッシュバックしたものである可能性があります。
解離性障害で見られる幻聴は、統合失調症(精神分裂病)の「頭の外から」聞こえてくるものではなく、「頭の中から」聞こえてくるものです。
「幼少時から幻聴があった」という告白は、解離性同一性障害(多重人格)の存在を示唆していることがあります。
自傷行為がもたらす身体的疼痛には、解離状態からの回復を促す効果があり、交代人格の顕現を抑えるために、頭部を激しく壁にぶつけるなどの自傷行為が必要とされることがあります。
迫害者人格による主人格を殺害しようとする行動が、自傷行為として認識される場合もあります。
そして、自傷時に疼痛を欠いていたり、自傷時の記憶が曖昧、もしくは完全に欠落していたりします。自らの手やタオルで縊首(窒息プレイ)におよぶ、奇異な自傷行為の様式も特徴的です。
迫害者人格による幻聴を消そうとしたり、ポップアップ(全交代人格が前にでるのを嫌がり、めまぐるしく人格交代をする現象)に対処しようとしたりする中で、向精神薬を短時間に続けざまに追加服用し、結果的に過量服薬となってしまうこともあります。
また、解離性同一性障害では、肥満恐怖ややせ願望から拒食や過食・嘔吐におよぶ者がある一方で、肥満恐怖ややせ願望とは関係なく、挿話性の拒食を呈したり、外傷記憶の恐怖に対処するために過食したり、性的虐待などの外傷記憶に関連する心身症症状として自己誘発嘔吐を呈したりします。
そして、アルコールやベンゾジアゼピン系薬物の摂取は、しばしば「化学的解離」ともいうべき抑制解除をもたらして攻撃的な人格の出現を促し、他害的暴力や自己破壊的行動を呈することがあります。
また、ある一つの交代人格が物質乱用の問題を持っていて、主人格はいっさいアルコールを口にしない、あるいは、人格ごとの好みの物質が異なることもありますし、アルコール・薬物への耽溺が顕著な人格が休眠状態に入ると、まるで“憑きものが落ちる”ように物質乱用が止まることもあります。
解離性同一性障害者の少なくとも3分の1はアルコールや薬物の乱用、依存が認められ、重篤なアルコールや薬物依存症者の55.7%に解離性障害の併存が認められるとい報告があります。
そして、重篤なアルコールや薬物依存症者と解離性障害者の共通点は、“否認の病”ということです。
アルコールや薬物依存症は“否認の病”といわれ、依存症者本人は、ともすれば事態を過小視、矮小化する傾向がありますが、解離性障害者もまた、自分に別の人格があるということをなかなか認めたがらない傾向があります。
既に、交代人格同士はお互いの存在に気づき、ときには情報の交換や記憶の一部を共有するに至っている場合でも、主人格だけは“つんぼ桟敷”にとり残され、自分の能動性・主体性が他の人格に制限されているという事態を受け入れようとしない(否認しようとする)傾向があります。

(アルコール依存とギャンブル依存の相関)
借金を繰り返して仕事や家庭を失ったり、犯罪に手を染めたりすることもあるパチンコやスロット、競馬、競輪、競艇などのギャンブルにのめり込み、健康的に楽しめなくなった依存状態になっている割合が、日本は諸外国と比べて突出して高く、電子的ゲーム機械の設置台数は“世界一”とされています。
問題は、日本では、ギャンブル依存の割合が成人男性の9.06%に達しているということです(成人女性のギャンブル依存の割合は1.6%)。
このことが、「日本全体が疑似カジノ化」していると比喩される根拠となっています。
そして、ギャンブル依存の果てにホームレスになる者も少なくありません。
ホームレスになる者の多くは、ギャンブル依存とアルコール依存を併発しています。
アルコール依存症とホームレスとの関係については、「Ⅱ-15-(12)児童虐待やDVといった暴力も依存症のひとつといいう考え方」の中で、『アルコール依存症になる人は、人づき合いがうまくなくことが多く、しかも、アルコールを飲むことで暴れたりすることから、警察沙汰が多くなったりします。その結果、職を失ったり、配偶者を失ったり、家庭を失ったり、少ない友人を失ったりします。信用、財産、才能とあらゆるものを失い、ホームレス生活になるケースも決して少なくありません。ホームレス者への生活支援として、生活保護を受給しながら更生施設に入居し、アルコール依存の治療をしても、隠れてアルコールを飲んで生活保護を打ち切られホームレス生活に戻り、他市や他県で生活保護を受けながら更生施設でアルコール依存の治療をして、隠れてアルコールを飲んで生活保護を打ち切られるということを繰り返している者も少なくないのです。』と記しているとおり、ギャンブル依存とアルコール依存の併存は、ホームレスへの入り口とも指摘される問題です。

-事例267(アルコール10・ギャンブル1)-
私(男性、34歳)は、深夜まで営業している飲食店に勤務していました。
2時に営業が終わり、あと片づけと翌日の準備を終えて仕事を終えるのが3時半ごろになります。
家に帰る途中、コンビニでビールを買い(規制前、23時-5時の時間帯もビールを買えていたときは自動販売機で購入)、その場で、1本、2本と開けて帰宅します。
しかし、明日(今日)が休みのときは、あと1時間ほどすると始発電車が動きはじめる時間になるので、飲みながら駅まで歩き、始発電車で場外馬券売り場や競艇所などに向かいました。
アルコールが入っているので、気持ちが大きくなって手持ち金がすべてなくなるまでレースにかけ続けました。
消費者金融から借金してギャンブルをしていることが、返済を求める封書だけでなく、電話がかかってくるようになり、そのことが、妻に知れることになりました。
妻は2人の子どもを連れてでていきました。
公営住宅の家賃を1年以上滞納することになり、路上生活することになりました。
借金まみれになったこと、妻が子どもを連れでていったこと、ホ-ムレスになったことに、現実感はありませんが、場外馬券売り場や競艇場などで感じた高揚感を忘れることができません。

-事例268(ギャンブル2)-
私(男性、27歳)は、20歳のころからネットゲームにのめり込み、「働きたくない。パチンコで金を稼ごう」と決意しました。
そして、私は金がなくなると、家族の財布から金を盗み、「勝って返せばいい」とパチンコに没頭しました。
約9ヶ月前にアルバイト先のコンビニから金を盗み、家族に「警察か施設か」と問われ、回復施設に入所することになりました。
「自分に自信がなくて、バーチャルな世界に逃げていた」と悔やんでいます。

-事例269(ギャンブル3)-
私(男性、40歳)は、パチンコ依存で苦しんでいます。
消費者金融からの借金を繰り返しました。
パチンコする金が欲しくて、家族にひどいことをいいました。
32歳のとき、親が借金を返済することの条件として、回復施設に入ることになりました。
一時はパチンコを立つことができたと思っていました。
しかし、4年ほどすると、再びのめり込んでしまいました。
多額の借金を抱えて、「生きることも死ぬこともできない」と追い詰められていきました。再び、回復施設に入りました。


** ①-a)DV・デートDV・性被害に関する相談、-b)家庭裁判所への「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停の申立て、地方裁判所への保護命令の申立て、警察への被害届の提出に向けての支援依頼、②DV被害の状況をまとめるためのWord文書フォーマット(DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート;「Ⅲ-3.暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ)添付資料:ワークシート」の中の「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」)の送付依頼、③カテゴリー〔Ⅲ1-9〕掲載『暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(3部5章42節)*』のPDFファイル送付依頼については、カテゴリー〔Ⅰ-I〕の中の「<DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。http://629143marine.blog118.fc2.com/blog-entry-501.html」をご確認いただければと思います。


2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/24 「第2章(Ⅱ(8-15))」の「改訂2版」を差し替え掲載




もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅲ-4]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ
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