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[Ⅶ-18]<児童福祉・行政・司法、介護、育児>新聞事件簿。母子を取巻く環境

<神戸新聞>ずっと家族がほしかった(5)理想像安心できる場所求め

 
 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった(6)旅立ち届いたメールに笑顔 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった(4)専門里親虐待の傷と向き合う
長女は父に手紙を書いた。「渡すとき、恥ずかしいなあ」と照れた
 「捨て子のくせに。施設に帰すよ」
  とげとげしい里母の言葉に頭に血が上った。何度聞かされただろう。くすぶり続けた感情が爆発した。
  「帰せばいいやん。死んでまえ」
  一九七九年冬、孝さん(仮名)が中学二年生のときのことだった。淡い期待を抱いた里親との生活は五年で終わった。


  生後間もなく孝さんは、神社の境内に置き去りにされた。生まれた日すら分からない。戸籍上の誕生日は、保護時に医師が推測した日付という。
  お盆や正月、親元に戻る施設の友達の背中を見つめた。それだけに小学四年で出会った里親に胸をふくらませた。現在のように、双方の相性を探る「ならし期間」もなく、二、三回顔を合わせた後で引き取られた。
  孝さんを所有物のように扱う里親との新生活は、思い描いていたものとはおよそかけ離れていた。縁日に出掛け、ヒヨコを買ってもらったのが最初で最後の誕生日プレゼント。二度と祝ってもらえなかった。
  五年の夏休み、不信感が芽生えた。里親の親せきの家に連れて行かれ「これからこのうちの子になるんやで」と聞かされてからだ。話は立ち消えになったが、間もなく里親は孝さんを「捨て子」と呼ぶようになった。心がすさみ万引で補導されても、迎えに来なかった。
  「もうだれも信用しない」
  施設に戻った孝さんは心を閉ざした。高校一年の春、次の里親と出会うまでは。


  新しい里親は、以前とはまるきり違った。
  思春期の孝さんと適度な距離感を保ち、あまり介入してこない。以前の里親に比べ年も近く、気楽に振る舞えた。「おっちゃん、おばちゃん」と自然に呼べた。
  一緒に暮らすようになって一年、里親夫妻に男児が生まれた。ある日、里母は乳児を孝さんに頼んで外出した。「乳飲み子をこんなおれに預けとっていいんか」と困り果てたが、赤ちゃんをあやすうち心が満たされるのを感じた。
  「信頼されてるんかな。俺も家族の一員なんかな」。渇望のあまり、理想の家族像にがんじがらめになっていた自分。
  「この人たちなら信じてもいいんかな」


  工業高校を卒業し、会社勤めを経て、農業を営む。「おっちゃん」、「おばちゃん」との付き合いも、もう二十七年になる。あのときあやした乳児も立派な社会人。思春期には兄貴代わりに相談に乗ったこともあった。そして妻と二人の子ども。夢にまでみた家族がいる。
  最初の里親へのわだかまりは水に流した。ただ捨て子だったという生い立ちは消えない。農作業の合間、家族の団らん…。やっと手に入れた家族がある日、消えてしまうのではないか。何の根拠もないのに、そんな不安に駆られる。
  「二度捨てられている僕にとって、家族はずっとかげろうみたいなものだったから」
  五月十二日、孝さんの四十三回目の誕生日。仕事を休み、家族一緒に過ごした。「自分の存在を確認できる大切な日」なのだという。
  小学二年の長女の手紙。「おたんじょう日おめでとう。しごとがんばってね」と書かれていた。
  これからも愛しい家族と生きていく。

(坂口紘美)

2008/05/27



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