あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅶ-18]<児童福祉・行政・司法、介護、育児>新聞事件簿。母子を取巻く環境

<神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(7)深まるきずな「いつか施設で働きたい―」たくましい言葉がうれしい

 
 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(8)ルーツ「怖かった」「会いたいなあ」 小さな胸に正と負の感情 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(6)ハードル「おまえの居場所はどこや」 園長の声は震えていた
バイトが終わって母親にメール。照れくさいから文章はいつも短い。
 「後のことは俺に任しとけ」
 携帯電話の向こうで、児童養護施設の園長は確かに泣いていた。高校一年の豊君は駅に向かって駆けだした。終電の時間が迫っていた。二〇〇六年八月だ。
 その年の春、豊君は十五年間生活した施設を出て、母や祖父母と暮らすようになった。ずっと夢見ていた一家団らんとぎくしゃくする現実の家族。たまらず家を飛び出した。
 日付が変わっても、母は玄関で帰りを待っていた。「何してたん!」。ほおを打とうとする母の腕を無我夢中でつかんだ。祖父に「お帰り」と力強く抱きしめられ、豊君の視界が不意に曇った。母も立ちつくしたままわんわん泣いた。この家に来て、みんながこれほど感情をむき出しにしたのは初めてだった。
 その日を境に、過剰な気兼ねが豊君から消えた。ソファに寝転がってテレビを見たり、休みの日は昼まで寝ていたり。家は初めてくつろげる場所になった。静かだった食卓も学校の話題でにぎやかになり、祖母のおしゃべりが戻ってきた。
 親子のたわいない会話。野菜嫌いの母がつくる弁当は冷凍食品中心で野菜はなく、手作りといえば卵焼きだけ。「料理してや」と愚痴る豊君。「ごめん。うまくなるわ」。言葉とは裏腹に母の顔はうれしそうだった。
 泣いたり、笑ったり、ときにはけんかも。家族の再統合のための最初のハードルを一家は乗り越えた。


 思いがけない再会もあった。
 高校一年のクラス担任は、施設にいたころ、小学生の豊君が空手を教わった先生だった。受け持ちの生徒が無断で休むと家に様子を見に行くような教諭で、家庭復帰をわがことのように喜んだ。
 夏休み後も気持ちが落ち着かず、放課後の相談が夜まで延びたこともあった。車で送られたことも何度かあった。
 「おまえがしんどいのはわかる。でも居場所は家なんや」。先生の言葉は施設の園長のそれと多くが重なっていた。
 園長と担当職員を学校に呼び、豊君を交えて四人で家庭生活について話し合ったこともある。がっしりとした体格そのままに威厳があり、涙もろい一面もある。「お父さんみたいな存在。感謝してもしきれん」。この先生からも多くのものを受け取った気がする。


 卒業後は就職して家を出ると決めている。母親にそれを告げたとき「家から通える所にしたらええやん」と寂しげな顔をしたという。
 いつか、自分を育ててくれた児童養護施設で働きたい。子どもたちの力になりたいからだ。
 初めて口にした一年前、園長は「やめとけ」と取り付く島もなかった。何度も話し合ううちに、熱意が伝わったのだろうか。「まずは働いて学費をためること。保育士の資格をとったら考えてもいい」と〝条件〟をつけてきた。
 今年の母の日。恥ずかしく、何を買えばいいのかわからず、千円札四枚を封筒に入れ、母に手渡した。
 母はそれで息子が好きな男性デュオ「ゆず」のアルバムを買ったが、「おかんが聞いてみ」とCDは母の手元にある。親子で買い物に行くとき、仕事に行くとき、車内に「ゆず」が流れる。
 再び家族になって三年。
 「子どもと思っていた息子はずっとしっかりしていた。家族は私にとってかけがえのない存在です」
 そう話す母親の目は少し潤んでいた。

=文中仮名
(坂口紘美)

2008/08/19




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