あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅶ-18]<児童福祉・行政・司法、介護、育児>新聞事件簿。母子を取巻く環境

<神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(6)ハードル「おまえの居場所はどこや」 園長の声は震えていた

 
 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(7)深まるきずな「いつか施設で働きたい―」たくましい言葉がうれしい <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(5)再統合初詣での湊川神社で祈った「一緒に暮らせますように」
親子おそろいのお守り。「家族が幸せになれますように」。二人の願い事は一緒だ
 ゼロ歳で児童養護施設に入所した豊君(18)。十五年を経て二〇〇六年春、母親由美さん(35)のもとへ帰った。
 同じころ、由美さんは願いがかなうという評判を聞き、京都の鈴虫寺に出掛けた。一つだけ願い事をして、成就したら寺に返すという「幸福御守」を財布にしのばせた。
 施設で大きくなった息子とは裏腹に自分はやっと母親一年生。「この子が期待するような母親に私はなれるのか」
 親子水入らずで暮らせる喜びと立派に育て上げなければという気負いは背中合わせだった。


 十七歳で身ごもった由美さんは夫の家族と同居した。生活は苦しく豊君を託児所に預け働いたが、夫は定職に就かず家族も由美さんの稼ぎを当てにした。耐えきれず家を飛び出した。二カ月後に連絡したとき豊君は施設に預けられていた。離婚し、実家に戻った。
 すぐに引き取りたかったが、一人で育てる自信はなかった。高校を中退し、資格を持たない由美さんには正社員への道は険しく、両親も娘の苦労を案じて乗り気でなかった。豊君と同じように由美さんもまた苦しんでいた。
 〇六年一月、「家族再統合」の準備が始まった。由美さんは施設の職員と子育て支援センターに通い、子育てや生活設計を話し合った。ジーンズにニット帽だった由美さんの服装は誰にいわれたわけでもないのに落ち着いていった。スーツも新調した。
 由美さんの母親のアイデアで、自宅には豊君の部屋がつくられた。和室の畳と天井を張り替え、新しいカーテンを掛け、ベッドと机をそろえた。すべてがうまくいくと信じていた。


 新生活が始まると、由美さんの仕事は今まで以上に忙しくなった。学費を工面するためだ。これまで寂しい思いをさせた分、普通の家庭でありたいと、無理してお小遣いも渡した。家には豊君と祖母が残された。
 一時帰宅のときはあんなにおしゃべりだった祖母が黙りこくり、豊君も緊張して話す言葉が浮かばない。孫にどう接していいか分からない。明らかに祖母は戸惑っていた。たまに由美さんがそろった日も、食卓の会話は弾まない。親子の間もどこか他人行儀で、会話らしい会話はなかった。
 豊君から笑顔が消え、極端に無口になった。毎朝由美さんがつくる弁当を「もういらん」と拒んだのもこのころだった。
 心配した由美さんは施設に相談した。職員は「最初はうまくいかないのが当たり前」と根気強く子どもと付き合うよう助言した。豊君にも近況を尋ねる手紙を出した。一家は最初のハードルを迎えていた。
 本音でぶつかり合うことがないまま夏休みを迎えた。家族の誰もが悶々(もんもん)としていた。
 「もう死にたい。なんで俺(おれ)だけずっとこんなしんどい思いをしなきゃいけないんだ」
 八月の蒸し暑い日、豊君は家を出た。現状から逃げ出したい。それだけだった。向かった先は、幼いころから知っている職員がいる児童相談所だった。
 建物の前でずっと待ったが、夜遅くになっても知った顔は出てこない。終電の時間が近づいてくる。不意に心細くなってきたとき、携帯電話が鳴った。施設の園長からだった。
 「おまえの居場所はどこや。家やろ。今すぐ帰れ」
 その声は震えていた。

=文中仮名=
(坂口紘美)

2008/08/18



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