あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅶ-18]<児童福祉・行政・司法、介護、育児>新聞事件簿。母子を取巻く環境

<神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(5)再統合初詣での湊川神社で祈った「一緒に暮らせますように」

 
 <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(6)ハードル「おまえの居場所はどこや」 園長の声は震えていた <神戸新聞>ずっと家族がほしかった 児童養護施設編(4)親子の糸壁に張った携帯の番号 いつかお父さんが迎えに来る
職員からもらった手紙やメッセージカード。つらいときに読み返して元気をもらう
 夏休みが始まって一週間ほどした七月下旬、児童養護施設の事務所で園長の携帯電話が鳴った。
 「元気にしてるか…わかったわかった…ええよ。待ってます」
 電話を切ると、園長は「まじめやからなあ」と独り言のような口調で言った。
 一時間後、高校生が園長を訪ねてきた。入学を機に施設を退所し今、三年生の豊君。近況報告や進路相談でときどきやってくる。二人は夜遅くまで事務室で話し込んだ。


 後日、豊君に会った。照れ屋で温和。ファストフード店でアルバイト中という。
 生まれて間もなく施設に入った。父親の顔は知らない。母親が半年に一度会いに来ることや家に帰るのは盆と正月。それが当たり前と思って育った。自分の家庭が小学校の友達と違うと知ったとき、無性に腹が立った。「なんでぼくの親は一緒に住んでくれへんの」
 でも言えなかった。母親は仕事を転々とし、ぎりぎりの暮らしが続いていた。自分が帰ると本当は困るはず。子供心にも簡単に想像が付いた。
 中学三年になる春休み。一時帰宅したとき初めて思いを口にした。翌日、施設に戻った豊君に母親から電話があった。「おじいちゃん、おばあちゃんと話し合った。帰ってきていいよ」
 親子の気持ちを職員は分かっていた。ただ、受験を迎える学年だけに、急ぐことを避けた。豊君の気持ちも揺れていた。施設や中学校の友達と別れ、新しい環境に飛び込むことが怖かった。
 二〇〇五年の暮れ、帰宅したわが家は親せきも集まりにぎやかだった。初詣では神戸市の湊川神社。母と並んで手を合わせた。
 「このままみんなで一緒に暮らせますように」


 年が明け、帰宅に向け、母親と施設の職員の話し合いが始まった。離れていた家族が再び一緒に暮らす、いわゆる「家族の再統合」は困難がつきまとう。多くのケースで、思い描いた「温かい家庭像」は長続きせず、子どもは早晩現実を受け入れねばならない。周囲のサポートも必要だ。職員は児童相談所と連携し、家庭訪問や母親のカウンセリングを重ねた。
 豊君の生活も変わった。自分で食器を洗い、洗濯する。これまで親が迎えに来た一時帰宅も、一人で電車を乗り継いで帰るようになった。一人で過ごすことに慣れるため、母親が不在の日に帰宅したこともあった。
 並行する受験でくじけそうな豊君の支えになったのが、職員のメッセージカードだった。学校から帰ると、必ず机の上に置いてあった。
 〈今日は遅くまで頑張らず早めにお風呂入ってねるんだよ。大丈夫〉(受験前日の二月九日)
 カードは豊君が施設を出るまでほぼ毎日、続いた。今も大切な宝物だ。


 〇六年三月三十一日、施設を巣立つ豊君のために、学校の友達や施設の仲間、職員約八十人が花道をつくった。「元気でね」「頑張れよ」。励ましの言葉に必死で涙をこらえた。「最後は笑顔で」。担当職員と約束したからだ。花道の終わりでは、泣き顔の母が待っていた。
 「前向いて行こう!」
 母親の運転する車の中で豊君はつぶやいた。
 しかし、十五年間の空白を埋める作業は親子にとって容易でなかった。

=文中仮名=
(坂口紘美)

(2008/08/16)




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