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[Ⅶ-22] 継続情報<原発被爆・放射能汚染>不安。命と心を守る知識と技術。

<東洋経済オンライン>学校の放射能汚染、暫定基準に安住する政府、不安が増幅するばかりの福島県民

 
 <WEB本の雑誌>「食品には放射線が使われている」という事実~『世界一わかりやすい放射能の本当の話』 <アゴラ>公害のオークション
5月3日(火)18時59分配信

 わが子を学校に通わせていいものか。政府が言うように、本当に健康に悪影響はないのか――。
 福島県内の子を持つ親の心情を思うと、とても胸が痛くなる。
 4月上旬に福島県が県内の小中学校、幼稚園などを対象に行った放射線量の調査で、福島市などをはじめ、一部の学校で高い放射線量が記録されて以来、児童・生徒の学校生活に大きな不安が生じている。
 この結果を受けて文部科学省は4月19日、「福島県内の学校使用についての暫定的考え方」を発表、年間の放射線量が20ミリシーベルト以内であれば学校使用に差し支えがないという判断を示した。この決定が、さらなる不安を募らせている。
 「わが子にできるだけ放射線を浴びさせてたくない」。そんな思いから、父兄らが校舎の洗浄などに取り組み始めた学校もある。また、郡山市など自治体でも、高い放射線量が記録した学校の校庭の土を除去する作業を進めている。
 5月1日には福島県で、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が発足、不安を抱える親たちが結集し、放射線量の自主測定などを実施していくという。
 一部地域では空間線量率もやや低下している地域も出てきた。それでも、「20ミリシーベルト」という基準が、父兄や自治体関係者を、極限にまで悩ましている。
 「20ミリシーベルト」という数字は、国際放射線防護委員会(ICRP)が「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベル」とする年間1~20ミリシーベルトから、「暫定的に」設定したもの。
 「参考レベル」とは、「これを上回る線量を受けることは不適切と判断されるが、合理的に達成できる範囲で、線量の低減を図ることとされているレベル」と文科省は説明する。
 さらに、このレベルは、「16時間の屋内(木造)、8時間の屋外活動の生活パターンを想定すると、年間20ミリシーベルトに到達する空間線量率は、屋外で1時間当たり3.8マイクロシーベルト、屋内木造で同1.52マイクロシーベルト」という計算から導き出されたもののようだ。
 ところが、市民団体や父兄らが自主的に測定した結果は、校庭のある部分では3.8マイクロシーベルトをはるかに超える、あるいは地面では県の測定結果よりもはるかに高い数値が出てきたところもある。
 この暫定基準は、原子力安全委員会の助言を元に決められたが、あまりにも単純な計算で出されたのではという印象を持つ。
 さらに不安を煽るのが、ICRPが1~20ミリシーベルトとしているのに、なぜ最も緩い基準を参考にしたのかという点だ。しかも、原子力安全委員会がどのような議論を経て「20」という数字を出したのかもわからない。すでに信頼を失墜している原子力安全委員会が、さらに信頼をなくす行動をどうしてするのか、まったく理解に苦しむ。
 原子力安全委員会の指針では、年間20ミリシーベルトは「屋内退避」のレベルだ。「健康上の問題はなく、外出時は肌を露出しないようにすべき」としており、それを受けて文科省はじめ政府は「健康に問題はない」とする。
 と言いながら、「できるだけ低く抑えるため」とし、校庭・園庭等の屋外での活動後等には、手や顔を洗い、うがいをする、といった助言を出している。健康に問題はないとするのであれば、このような助言を示す必要はないはず。この点で矛盾を感じる父兄たちも少なくはないはずだ。
 そのような助言までするならば、年間1ミリシーベルトと厳しいほうに基準を置き、できるだけ浴びさせないような行動指針、あるいはこれ以上被曝量を増やさないような施策を福島県や自治体、学校側に徹底して指導すべきなのが文科省の役目ではないのか。
 福島第一原発の事故以来、原子力安全委員会による放射線量の安全基準はすでになじみのものになった。「このレベルだから、ただちに健康に被害はない」という言葉が繰り返されたが、放射線というものは「できるだけ多くを浴びないようにする」のが原則のはずだ。
 放射線による健康被害は、「これだけ浴びればなんらかの病気が発生する」という詳細な科学的実証が充分とは言えない。また、外部による被曝と、口などから入る内部被曝による影響も具体的な実証がなされていない。個人差もある。
 そのため、ある放射線量について、「このレベルだから安心」とも言えるし、「このレベルだから危険」とも言える。政府関係者は前者のほうに比重を置くもの、というのがこれまでの行動を見て判断できる。
 だが、放射線量による判断よりも、前述した「できるだけ多くを浴びない」ということを判断材料にすれば、高い放射線量を記録した学校に通う子どもたちのためにすべきことは、ある程度見えてこないだろうか。
 こういう指摘も出てきた。
 政府が緩いほうを基準に置くのは、仮に後に健康被害が出て訴訟沙汰になった場合(そうならないことを心から願っているが)、「専門からの意見を聞いてこの基準を置いた。その基準からすれば、当時の政府の対応は問題がなかった」と言いたいがためではないか、という声も上がっている。
 過去を振り返れば、訴訟となり、国や企業の責任が問われた公害関連訴訟でも、国からはそんな主張が目立つ。今回も、それをなぞろうとするのかという疑念さえ湧いてくる。
 細野豪志首相補佐官は4月30日の会見で、「原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している」とし、同委員会の判断だから政府はそれに従うべきとの見解を示した。
 また、「できるだけ被曝量を下げる努力をすべき」(細野補佐官)と言いながらも、5月1日の会見で枝野幸男官房長官は、「文科省から示した指針に基づいて対応をすれば、(福島県内学校の校庭の土を)除去する必要はない」と言う。
 政治家というのは、政府内の一組織からの判断だけで動くものなのか。また、自治体が子どもたちを守ろうと“努力”しているのにもかかわらず、「国はそこまで言っていないよ。勝手にやれば」と聞こえるような評価をするのは、これもまた政治家の言動だろうか。
 国民が不安を感じるほどの現実を前に、政治家たちは、単に傍観しているように思える。
 国民にとって政治家に望む行動とは、データの羅列だけではない。「国民を守る」という姿勢が今こそ必要だが、残念ながらそれが見えない。だからこそ、福島県民をはじめ国民の不安は増大する。それが政治家にはわからないのが、非常にもどかしい。
(福田 恵介 =東洋経済オンライン)



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