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[Ⅶ-22] 継続情報<震災・地震/火山/氾濫>ストレスとトラウマ、命と心を守る

<日経ウーマンオンライン(日経ウーマン)>ルポ~被災地で働く女性たち~

 
 <毎日新聞>東日本大震災:食物アレルギーの子、被災地からSOS <東京新聞>避難所の女性守れ 10日からホットライン
4月22日(金)11時27分配信

湊小学校を慰問演奏で訪れた…
未曾有の大災害に襲われ、家や大切なものを失いながらも、地域のために働く東北の女性たち。

未だ余震が続く中、進んで被災地に入り、ボランティアとして駆け回る女性たち。
復興を支える女性たちの姿を、現地インタビューでお届けします。

■男性用作業服を着て、支援物資を仕分けする
 「貼るタイプのオムツ、Lサイズですね、こちらです」
 死者902人、市内62カ所に4240人が避難する、宮城県東松島市。(4月9日現在)。市役所脇の倉庫で、住民向けに支援物資配布の受付をするのが、西村佳代子さん(30歳)だ。東松島市の職員である西村さんは、3月まで市内の保育所で給食を作る仕事に就いていた。
「市内に10カ所ある保育所のうち、6カ所が浸水などの被害に遭ったのですが、私が勤めていた保育所は偶然にも被害を免れたんです。震災後2週間は、被害にあったほかの保育所の復旧を手伝っていました」
 4月1日から市役所勤務に異動になり、最初の仕事が、住民向けの日用品の配布だったという。
 4月とはいえまだ寒い東北で、支援物資を求めて市役所の倉庫を訪れる住民たち。西村さんは柔らかな声と笑顔で、一人一人の要望に対応する。
 「オムツはMサイズですか?貼るタイプとパンツタイプがありますよ」 「生理用品ですね、夜用ですか?」…。
 支給されたばかりの真新しい作業服は男性用。サイズの大きいその作業服に身を包みながらも、女性にしか分からない細やかな点に気を配り、スムーズに物資を分けていく。欠品が出れば、即座に上司に報告する。

■「元の場所には、怖いので住めないです」
 「初めての仕事なので、まだ手探りなんですが…。大変なことといえば、男性に混じって重い物資を運びこんだりすることですね。でも、まだまだ、始まったばかりですから」と、微笑みながら答えた。
 西村さんが働く倉庫から歩いて1分ほど、東松島市役所のすぐ裏の建物に、全国から来るボランティアの受付や登録を行うボランティアセンターがある。そこでデータ入力などの業務を担当するのが、杉山瞳さん(22歳)。
 杉山さんの自宅は、東松島市の隣に位置する石巻市にあったが、震災後の津波で流された。「仕事をしながら家を探しているような状態です」。現在は、介護が必要な高齢者などが暮らす「福祉避難所」で、管理を兼ねて寝泊りし、このボランティアセンターに通っている。「被災しながらボランティアで働いている人は結構いますよ。避難所からひとりで毎日訪ねてきて、道路などに積もった土砂のかき出し作業を全身泥だらけになるまで行い、帰っていく女性もいます。あそこにいる4人の小学生たちも、朝から泥出しを手伝ってくれているんですよ」
 見ると、同じ部屋の中で、この春から新6年生になるというジャージ姿の小学生4人が、作業を終えて休憩していた。
 「どぶさらいしてた!ミミズが200匹出てきたよ!」
 「家にいても暇だから。宿題ないし。学校? 始まんないよー(笑)」
 元の生活に戻れる日は、いつ訪れるのだろうか。「元の場所には、怖いので住めないです。仕事にも通いやすいし、こっち(東松島市役所近辺)に住むほうがいい」と、杉山さんは少し寂しそうに笑った。

■来たくても来られない人もいる。できる限りのことをしたい
 被災しながら働く女性がいる一方、東北以外の地域から被災地に飛び込んだ女性たちも多い。
 宮城県石巻市は、東松島市の東に位置し、海沿いの地域が壊滅的な被害を受けた。特に被害が甚大だった地区の避難所、石巻市立湊小学校で、校舎内の掃除と片付けをするのが山田由美子さん(25歳)だ。この小学校は避難所に指定されているが、震災時は津波が一階の天井まで押し寄せ、多数の死者が出た。この日山田さんは、一階部分に流れ込んだ土砂を出し、トイレを使えるようにし、廊下を靴下で歩けるようになるまで清掃する作業を手伝った。
 山田さんは岐阜県の中津川市から石巻市を訪れた。自営業を営む実家で事務をしていたが、もともと海外ボランティアに興味があったという。「その思いが強まってきた頃、震災が発生したんです。『海外に行っている場合じゃない』と思いました」
 中津川市では震災後、市が主体となって災害ボランティアを募集。現地までのマイクロバスと宿泊テントを市が用意するなど、全面的にバックアップする体制を整え、4日間を一単位とし、数回にわたって代わる代わる人員を派遣。山田さんも震災2日後に、市の社会福祉協議会にボランティア登録し、2週間後に電話で石巻行きを告げられた。「初めての災害ボランティアで不安はありましたが、行ってみなければ分からないと思った」。母と姉は快く送り出してくれたという。
 「知り合いもなくひとりで参加したのですが、参加者は皆『被災地の役に立ちたい』という共通の思いを持っていて、いい人たちばかりです。驚いたのは、友人に石巻行きを告げたら『私も行きたい』という人たちがたくさんいたこと。仕事を休めないだろうと思って誘わなかったのですが、皆似たような思いを抱えていたのだと感じました」
 来たくても来られない人が大勢いるのだから、できる限りのことをして帰りたい。
 そう考えながら作業を続けている。

■女性だからこそ、できること
 「ボランティアの数はここ最近で増えましたね。若い女性も多いように感じます」と話すのは、国際協力NGO・JEN(ジェン)のスタッフとして石巻市で活動をしている、池田景子さん。湊小学校では、被災した人々が地域別に分かれ、2階以上の各教室で避難生活を過ごしている。そこに朝から夕方まで滞在し、避難所運営のサポートをするのが池田さんの仕事だ。被災者を訪ねてきた人に名簿を見ながら教室を案内したり、共同で使う携帯電話充電器や給水所の管理をする。
 一昨年まで東京のインテリアメーカーで広報として働いていたが、会社が社会貢献イベントに協賛したことなどをきっかけに、国際支援や災害時の緊急支援などを手がけるJENに転職。震災時、池田さんは仕事で東京・赤坂のビルにおり、3時間歩いて自宅に帰った。「家に着いた」と同僚に連絡したところ、「明日から現地入りする」と聞かされる。震災から10時間後、3月12日の1時頃のことだった。
 校内を行きかう多数のボランティアや、支援物資を求めて集まる周辺地区の人々。津波が残した瓦礫を撤去するために、多数の自衛隊員や米軍兵がグランドで作業をし、巨大な重機やトラックも頻繁に出入りする。そんな中でも池田さんは笑顔を絶やさない。被災者にもボランティアにも同様に「お疲れ様です」と声をかけ、玄関の靴を整頓し、屋外にある給水所のゴミを拾い、避難者を訪ねてきた人の質問に答えていく。
 瓦礫の撤去などの力仕事は、女性には難しい面もある。その反面、池田さんのように笑顔でその場を和ませたり、相手の話をじっくり聞いてあげたりと、女性ならではの力を生かして現場に尽くしている人も多かった。

■音楽を通して心のストレスを癒すことができたら
 自衛官という立場で湊小学校を訪れた女性、品田真弓さん(38歳)も、その一人だ。品田さんは北海道帯広を拠点とする陸上自衛隊第五旅団にて、第五音楽隊に所属。この日は慰問演奏のために、午後から湊小学校を訪れた。
 約30人の音楽隊で、品田さんは音合わせなどを行うコンサートマスター。グランドで演奏したのは、「アンパンマンのマーチ」「さんぽ(『となりのトトロ』より)」「東京ブギウギ」など、子どもや高齢者にもなじみのある計8曲。校舎の窓から顔を出す人、体を揺らしてリズムを取る子ども…。瓦礫を撤去していた多数の米軍兵たちも作業の手を止め、音楽隊を囲んで一時聞き入った。
 学生時代からクラリネットを習っていた品田さんは、自衛隊員だった父の影響を受けて音楽隊に入隊。主要任務は演奏だが、普段は射撃などの演習にも参加する。「入隊19年目になりますが、これまでは自治体などのイベント・式典で演奏することが多く、所属する第五音楽隊が被災地を訪れるのは初めて。実際に肉眼で見て、被害のすさまじさに言葉を失いました」。被災地に入ってからの約2週間は他部隊の支援や被災者の入浴支援を行い、楽器の練習はほとんどできなかったという。
 実はこの日の演奏中にも、体にはっきりと感じられる余震が起こり、足の下で地面がゆらゆらと動いた。けれど演奏は鳴り止まない。聞いていた誰ひとりとしてその場を立ち去らないまま、演奏終了後、グランドは温かな拍手に包まれた。「音楽を通して、少しでも心のストレスを癒やすことができたらと思います」
 自分にできることは何か。そう考えたとき、仕事で培ったスキルを生かすのは一つの近道だ。

■被災者と被災者以外という線引きがなくなり…
 東京に住む大矢中子さん(38歳)は、4年程前からフリーランスの立場で、ユーストリームなどを使った番組制作、企画、配信などを手がけている。もともと宮城県に知り合いが多かった大矢さん。震災の約10日後に石巻市に入り、市内で支援活動を行う傍ら、ユーストリームを使って災害支援情報番組「+Starters」を立ち上げた。
 「当初、テレビや新聞では地震や津波の規模ばかりが報道されて、被災者の方が今どうしているのか、私の知人や友人は無事なのかが分からずもどかしかった。自分が今まで携わってきたネットメディアを使って、何かできないかと思ったのがきっかけです」。震災4日後から動き始め、志を同じくする人々を自身のフェイスブックやツイッターで集め、3月19日にはオープンミーティングを行った。
 東京の環境系NPOで広報を勤めた経験はあるが、「災害ボランティアは初めて」。現地ではボランティア参加者の名簿を作るなど、事務作業にも積極的に手を挙げる。人脈の広さもフル活用。「知人がヘリコプター愛好家で、災害支援団体に所属しています。石巻市の離島の一つ、網地島(あじしま)にヘリで食料を届けたいのだが肝心の食料がないという話を聞いて、ある別のボランティア団体の方にお願いし、米300キロを倉庫から出していただきました」。その米は無事に網地島に届けられたという。
 「実際に現地に来て実感したのは、彼らも3.11以前は『被災者』ではなく、家も仕事もあり夢もあった、私と全く同じ人々だということ。被災者と被災者以外という線引きがなくなり、同じ日本に住む者として、一緒に被災したのだから一緒に復興しよう、という思いが強くなりました」
 一方で、震災から1カ月がたち、新たな課題も見つかってきたと話す。「それは人々の興味の移り変わりの速さ。今は被災地というより原発の報道が多いように思います。東京で買い占め騒動が起きたときは愕然としました」。今、大矢さんが目指すのは、10年以上かかるとも言われる長い復興期間を通して、被災地を見守り続ける番組を作ること。「『被災地の今』を発信し続けることで、適切な援助の仕方を啓発・提案できるメディアを、被災者の方と一緒に育てていきたいです」
 現地では、ほかにも多くの女性たちに出会った。ツイッターでボランティア募集を知り、ひとりで応募してきた女子大学生。結婚を機に看護師を辞めたものの、「空いている時間とスキルを生かしたい」と、医師会を通じて医療チームに参加した20代の女性…。一人一人にできることは少なくても、多くの人の思いが集まったとき、それは大きな力となって被災地の復興に光を与えるはずだ。

写真・文/久保田智美



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