あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-4]暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ) 添付資料:ワークシート

ワークシートへのチェック、書き込みを終えて。DV被害者支援に携わる立場からのコメント

 
 Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス -「日本社会にひとつの構図」を数字で読み解く-
 いかがでしたか?
 「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」は、病気の症状診断と違い、「何個以上のチェックで、DVにあたるか」というものではなく、(A)16項目、(B)29項目について、1つでも該当するものがあれば、あなたは、配偶者から支配のための暴力=DVを受けていることになります。つまり、あなたの生活は、暴力のある家庭環境=DV環境にある家庭ということになります。
 DV問題を理解するうえで重要なことは、本来対等であるはずの夫婦(男女)の関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)が行使されるということです。つまり、DVとは人とのかかわり方=関係性の問題であることから、構造的に捉え、理解する必要があるわけです。

 暴力の受けとり方、感じ方は人それぞれです。なぜなら、暴力のある家庭環境(過干渉・過保護、教育的虐待、面前DV=精神的虐待を含む)で育っているか、いないかで、「このぐらいなら、がまんできる」といった、暴力に対する耐性もひとりひとり違うからです。つまり、暴力そのものの容認度合いは、その人が育ってきた家庭環境に大きく影響を受けているということです。
 また一方で、「自分が、配偶者から“支配のための暴力=DV”を受けているなんて知らされない方がよかった」ということもあるのかも知れません。アボドケーター(支援者)としての私自身、被害女性に<DVの本質が何なのか>、<加害者(夫)という人物が抱える病理とはどういうものなのか>、<DV環境で暮らすということが、どのような悲劇を被害女性と子どもにもたらしてしまうのか>といった事実を知らせていくことに対し、日々悩み、自問自答しています。
 しかし、何があっても夫からの暴力は、家庭内のことだからとがまんしたり、耐え続けたりしてはいけないのです。
 支配のための暴力=DVを受け続けることで、人は自尊心が損なわれ、自己肯定感を奪われてしまうことになります。その生活は、私が“わたし”であることを許されないことになります。そして、母親ががまんし、耐え続けることは、子どもへの虐待をみて見ぬふりをしていくことになることから(親同士に暴力のある家庭環境は、面前DVといい、その環境にある子どもは、精神的虐待を受けていることになる)、子どもへの影響(AC(アダルト・チルドレン)、被虐待症候群、C-PTSDなどを抱える)を考えると決して許してはいけないのです。
 事実を知る(認める)ことで、あなたは、配偶者と一緒になった悲劇を呪うかも知れません。その結婚生活を、自分自身をも否定し、子どもへの将来を思い悩み、子どもと一緒に逝こうと人生の絶望感に見舞われるかもしれません。
 それでも、アボドケーターとしての私は、あなたにその事実から目を逸らさず、真正面から受け入れることが、暴力で傷ついた心のケアに不可欠なことと認識しています。“いま”“これままで”の状態は、「異常な状態の中での、“正常な反応”」だったと、あなた自身を客観的に理解し、あなた自身の再構築(“わたし”であることをとり戻す)していって欲しいと考えています。
 そして、暴力で傷ついたあなたを、配偶者からの暴力に立ち向かえるように支えてくれる“誰か”はきっといます。

 配偶者(デートDVとしての交際相手を含む)による暴力は、①「女は男に従うもの」「俺の方がお前より偉いんだ」といったジェンダー観(性的役割)、②自分だけがかわいい、自分だけが大切といった自己中心的な病的な自己愛、③自分も親から暴力を受けていた、母親も父親から暴力を受けても抵抗せずにいいなりだった、同じことをして何が悪いと罪の意識がない(罪悪感の欠如)、といった背景があります。
 その結果、「お前も母親と同じ女、黙って俺のいうことをきいていればいい、俺に従っていろ!」と男の俺が“家の主人”、“絶対君主だ”との理想郷に囚われているのです。

 家という密室でおこなわれる妻への暴力は、自分が家の主人だと妻や子どもに思い知らせる、妻や子どもを怖がらせて思い通りに従わせる、支配するための手段です。「力ずくで妻を操る快感はなにものにも代えられない。この世界で自分に跪く人間が一人でもいる、妻といると王様気分になれる」ことが、彼らの自尊心をくすぐるのです。
 急に怒鳴り散らしたかと思うと、一転して優しくなるといった気まぐれな言動に、あなたの頭は混乱し、「お前が悪いから、怒鳴るんだ」などといわれ続けるうちに、「私が悪いから、私がいたらないから怒鳴られる」だと思うようになってしまう。DV被害を受け続けてきたあなたは、相反する拒絶と受容のおこないを繰り返されてうちに徐々に思考をコントロールされ、いつの間にか逃れられなくなってしまっているのかも知れません。そのとき、多くの被害女性が発する最初のことばは、「夫のことは嫌いじゃない。でも、夫のやることにはもう耐えられない。我慢できない。もう限界なんです!」「でも、夫ばかりが悪いんじゃない、私が原因、私が悪いんです」と相反する感情を吐きす訴えです。

 妻に暴力をふるう人の特徴は、人の気持ちがまったくわからない、暴力を強いられる妻や子どもがどういう気持ちになるのかに思いを馳せることはできないということです(共感性の喪失)。そのため、あなたが夫にどんなに窮状を訴えても、何も心に響かないのです。そればかりか、かえって、妻を操っていると王様気分に浸り、自分にはその力が備わっている特別な人間だとの思いを確固なものとするだけです。

 あなたはひとりではありません。
 あなたは何も悪くはありません。
 暴力で脅せば女性や子どもを「自分の思うがままに従わせることができる」と、妻や子どもに手をあげ、罵声を浴びせる夫が悪いのです。
 あなたは被害者であって、夫は妻に暴力をふるった加害者なのです。
 職場で気に入らないからといって、同僚を怒鳴りつけ殴ったり、居酒屋で方がぶつかったからといって、その相手を殴ったり、蹴ったりしたら、立派な暴行、傷害事件の当事者、犯罪者となるのは誰でも知っていることです。
 職場の上司から繰り返し浴びせられる暴言で心を病んでしまったら、パワーハラスメントとして訴えることができます。家庭内のことでも、夫からの慢性反復的な暴力で心を病んで、PTSDやうつ病を発症してしまったら、DV法の罰則よりも重い傷害罪で夫を訴えることができるのです。
 ですから、夫から妻への暴力は、家庭内のことだから、妻へのしつけだから、夫婦のことだから、<他人は口をだすな!>ですましてはいけないのです。

 あなたの辛くて、やるせない、悔しい思いを“誰か”に話してみませんか? 第三者の知恵をかりて、頼ってみませんか? アボドケーターも“誰か”のひとりです。

2010.9/16
DV立証支援と心のケア..DV被害者とともに
DV被害支援室 poco a poco 庄司 薫
poco_a_poco_marine_s@yahoo.co.jp



DV被害者支援に携わる立場から。

1.「DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシート」に、“なにをされてきたのか”を書き込む作業について
 DV被害支援室poco a pocoに相談をいただき、サポートさせていただくことになったDV被害者の方は、『あなたは夫からの暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある中で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか? http://629143marine.blog118.fc2.com/ 』の礎になっている、あるDV被害者との1年間の相談内容を「DV被害状況レポートⅠⅡⅢ」としてまとめた主要記事や、臨床にかかわる人たちの講演録や研究レポート(論文)などによって、①夫からの暴力・DVとはいったいどういうものか、②DV被害によるストレスが、被害者をいかに苦しめるのか、支配のための暴力による怯えが、被害者の心身をいかに蝕んでいくのか、自己を認められず、自己否定感や歪められた思考パターンのダメージがどういうものなのか、そして、③親のもと、乳幼児からDV環境で暮らす子どもたちに、親の暴力(「児童虐待防止法」では、直接、身体的な暴力がなくとも親が暴力を受けているのを目撃すること自体(面前DV)が「精神的虐待」にあたるとしている)が、いかなるトラウマを抱えさせるのか、脳の成長にどのようなダメージを与え、愛着形成、人格形成にどれほどの影響を与えるのかといった理解をしていきます。
 そして、暴力・DVのある環境での生活が、いかに惨いものなのかといった“本質”の部分を理解し、知識を深めるために『DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシート』に、配偶者である夫から“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を洗いざらい書き込む作業をしていきます。 “なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”をひとつひとつ自覚していく作業の結果として、『現在に至る事実経過(証拠としての事実経過をまとめた報告書としての「陳述書」)』がつくられていきます。
 それは、離婚ありきの考えにもとづくものではなく、暴力によって傷ついた心のケアと暴力の中で生き延びるために身につけてしまった認知の歪み(考え方の癖)といった「フィルター」を介して、“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を理解したままになっては、“これまで”の支配のための暴力=DVによる支配と従属、上下関係でなりたっていた加害者とのかかわりを断ち切ることができないだけでなく、支配のための暴力=DVによって傷つけられた心ときちんと向き合い、“これから”の人生を歩むにあたって“認知の歪み(考え方の癖)”を正すための必要なプロセス(暴露療法・認知行動療法の一環としての役割を担う)と位置づけておこなうものです。
 人が、自分のやりたいようにコトを運びたい、思い通りにいうことをきかせたい、影響力を強めたいとき、対象となる相手(妻や子ども、交際相手)の“逃れる力”、“はむかう力”を徹底的に奪わなければなりません。
 妻や子どもは夫の暴力によって、①「逆らったらなにをされるかわからない」と恐怖心が植えつけられ、常に顔色を伺い、機嫌を損ねることを必死に回避することに終始してしまったり、②否定される、非難・批判される、侮蔑される、卑下されるといった“ことばの暴力”によって、人格そのものを徹底的に傷めつけられてしまいます。自尊心が損なわれ、自己肯定感を奪われ、「私が悪いから(私がいたらないから)暴力を受けても仕方がない」と“誤った認識(認知の歪み(考えたの癖))”を自分自身にいいきかせ、支配のための暴力・DVのある環境に留まる((で)生き延びる)ことを正当化してしまうようになるのです。
 さらに、③殴ったり、怒鳴り声をあげていたと思えば、人が変わったように優しくなるといった<相反する拒絶と受容>といった行為を繰り返されることによって、「どちらが本当なの?」と思考が混乱してしまいます。思考が混乱してうちに、①と②によって、ますます認知の歪みが進み、マインドコントロール状態が定着していきます。
 しかも、「ストックホルムシンドローム」とよばれる、同じ屋根のもとで暮らし続け、思想を繰り返し聞かされ、寝食をともに生活をすることによって、徐々に相手の考えや思いに共感し、同調してしまい“悪い人”“決して許してはいけない人”といった判断能力も奪われてしまったり、暴力による恐怖下におかれることで、「学習した無力感」「ミルグラムのアイヒマン実験や囚人実験による拘禁反応」を示すようになっっていたりします。これらの状態は、拉致や監禁された被害者の心理状態を説明するものですが、DV環境下にあった被害女性の多くに同様の傾向が認められるもので、被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)と呼ばれたり、または、侵入(再体験)・過覚醒・回避といったPTSD主症状が強く表れたりします。
 こうした支配のための暴力=DV環境に長くおかれた被害者ほど、暴力から逃れたあと、暴力によって歪んでしまった認知(考え方の癖)に対して、正しいアプローチのもとでケア(治療や訓練)をしなければなりません。なぜなら、「夫のことを心から嫌いになれない」「夫がそれほど悪人だとは思えない」と、暴力のある生活に留まり続けた“わたし”を正当化し続けたいと心のブレーキが働き続けるからです。
 つまり、真実から目を逸らし続けようと心が働くのです(真実と対峙するのを避けようとする回避行動)。
 それは、「支配のための暴力=DVが常態化された異常の世界に留まり続けた“わたし”の人生はなんだったのか」といったアイデンティティを揺るがす問題です。そのため、「失われた年月を呪う」ことにもなりかねないのです。
 さらに、子どもがいる場合、その環境の中で暮らさせてしまった子どもへの影響が将来どうでるのか、夫と同じように暴力で怯えさせ人の心を操り支配するようになったらどうしようといった不安感と向き合わなければなりません。そうした厳しく、苦しい現実と向き合うより、「“わたし”だけががまんして、耐えていればいい」と、自分にいいきかせて生き延びてきたのだから、いま(これまでの)の環境に留まった方が苦しくないと、現実と向き合うことを避けたいと心が働いてしまう場合も少なくありません。
 こうした心が不安定なときに、許しを請うてきたり、優しいことばをもらったりすると、「今度こそは、変わってくれるかも知れない」と心が揺さぶられることになるのです。
 そのため、被害者は、支配のための暴力=DVによって傷めつけられた心の傷を癒し、認知の歪み(考え方の癖)を“解く(正す)”には、配偶者からどんな酷い扱いを受けてきたのか、その惨いおこないを受け続けることによって、“わたし”や“子ども”の心身にどのような影響が起きているのかを正しく理解し、真正面から受け止めなければならないのです。
 それがどんなに苦しく、やるせない作業であっても、この作業(プロセス)なしには先には進めないのです。
 「諦める」ということばがありますが、語源は「明らめる」です。「諦める」とは、徹底的に“明らめ(明らかにして)”、これまでを断ち切り、その結果として、新たなスタートを切ると、本来前向きな意味を持つものです。
 そこで、DV被害支援室poco a pocoでは、“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を、暴力によって身につけてしまった認知の歪みというフィルターを外す試み、つまり、正しく理解するために“明らめる(自覚する)”ことをなにより重視しています。その結果として、惨いおこないを繰り返してきた配偶者である夫が、どういう人物なのかを正しく理解することができ、夫に執着(つながる・かかわる)することで、“わたし”の存在価値を求め続けた囚われを断ち切るスタートに立てるようになると考えています。
 しかし、なにをされてきたかに向き合うことは、とても苦しく辛いことです。
 しかも、逃れ、離婚後数年経ってからでは、この苦しい作業はできません。なぜなら、「いまさら、あの苦しかったできごとなど思いだしたくない」と心が強く抵抗し、心身に強い反応(症状)がでると、もうツラくてできないからです。
 どんなに苦しく辛い作業であっても、現実と向き合うタイミングは、支配のための暴力・DVの環境から“逃れる(別れる)”ことを意識しはじめたとき、そして、決意を固めたときしかないのです。


2. なにがDVにあたるのか? DV被害者支援にかかわる立場の解釈。
 当『DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート』は、病気の症状診断と違い、「何個以上のチェックで、DVにあたるか」というものではなく、(A)16項目、(B)29項目について、1つでも該当するものがあれば、配偶者からDV(ドメスティック・バイオレンス)を受けていると判断するものです。
 つまり、1つでも該当する配偶者との生活は、支配のための暴力・DV環境にあると判断します。
 しかし、支配のための暴力・DVに対する受け取り方や感じ方は人それぞれです。生まれ育った家庭環境によって、「このぐらいのことなら、きっとどの家庭にもあること」とか、「このぐらいならたいしたことない、我慢できる。私だったらうまくやっていける」といった、暴力そのものに対する“耐性の強さ”や“モノサシ(価値観や判断基準)”によって、支配のための暴力・DVそのものの受け取り方や感じ方が違ってくるのです。生まれ育った家庭環境が、夫婦観や性差(ジェンダー)の考え方の礎をつくっていくからです。
 配偶者や交際相手への暴力、特に男性から女性に向けられる暴力には、①「女は男に従うもの」「俺の方がお前より偉いんだ」といったジェンダー観(性的役割)、②自分だけがかわいい、自分だけが大切といった自己中心的な病的な自己愛(相手のことを考える、思いやるといった共感性の欠如)、③自分も親から暴力を受けていた、母親も父親から暴力を受けても抵抗せずにいいなりだった、同じことをして何が悪いと罪の意識がない(罪悪感の欠如と自己正当化)といった背景があります。
 その結果、「お前も母親と同じ女、黙って俺のいうことをきいていればいい、俺に従っていろ!」と男の“俺が家の主人、絶対君主だ”との妄想に囚われているのです。
 つまり、家という密室で行われる妻への暴力は、自分が家の主人だと妻に思い知らせる、妻を怖がらせて思い通りに従わせる、支配するための手段だということです。力ずくで妻を操る“快感”はなにものにも代えられない。この世界で自分に跪く人間が一人でもいる、妻や子どもがいると“王様気分”になれることが、彼らの自尊心をくすぐるのです。
 DV加害者に共通する行動特性としては、①すべて自分中心にものごとを進めようとし、思い通りにコトが運ばなかったり、気に入らないことがあると(子どもたちの前でも)怒鳴り散らすこと、②怒りの感情をコントロールできなくなると、妻が妊娠していても躊躇することなく、投げ飛ばしたり、蹴ったりできること、③あらゆることに詮索し、しつこく干渉し、必ず否定し批判すること、④“からかい”“ひやかす”“はやしたてる”など執拗に嫌がること繰り返すこと、そして、⑤怒鳴り散らした直後であってもなにごともなかったようにふるまうか、拗ねて無視し続けるか、予想していないことをいわれると黙り込んだりすること、⑥別れ話が持ちあがると行いを批判し、家をでて行かれると下手にでてみてなびいてこないと怒りを露わにするか、(普段はセックスレスであっても)セックスに持ち込み、それでも状況の打開ができなくても、しばらくすると、なにごともなかったかのように逃れている実家に会いにきたり、泊っていったりすること(子どもがいる場合には、子どもに会いにきて、勝手に連れだし実家に泊らせたりしながら別居状態をうやむやにして、元の鞘に納めてしまうこと)、⑦実家に逃れたものの、「もう、暴力はふるわない」「嫌がることはしない」と謝られたことを信じて別居からもどってみると、逆らった(裏切った)罰としての“こらしめ”、しつけ直しとしての暴力を強めること、また、⑧(特に子どもに対し)怒鳴ったり、叩いたあと、“くすぐったり”し笑わせ、遊びに持っていき“怖い”と“楽しい”を共存させたりすること、そして、⑨妊娠し、子どもが生まれると暴言が酷くなるなど、子どもの世話をすることに嫉妬し、気を惹くために幼児のように駄々をこね、癇癪をおこすこと、しかも、⑩乳幼児はただ面倒な厄介な存在と極端にかまうこと(接すること、世話をすること)を嫌い、子どもがことばを覚え会話がなりたってきたり、身の回りのことができるようになると必要以上にかまいだし、いうことをきかない(黙らない)とどうなるかを思い知らせるために恐怖を植えつけることといったことがあげられます。
 別のいい方をすると、a)自己中心的で身勝手なふるまいを行って(強いて)も悪いことをしている自覚を持ち合わせていないこと、b)人の気持ちを考える、思いやる、気遣うことといった共感性を獲得していないこと、c)いうことがコロコロと変わったり、話の途中で突然、過去のことを持ちだし否定できる、批判できる話にすり替えてしまうこと、d)“相反する拒絶(怖さ)と受容(優しさ)”の行いを繰り返し、無反応によって思考を混乱させ、思考をコントロールする術に長けているのです。
 こうした特性に加えて、執拗にいたぶることで、嫌がる姿、痛がる姿にこのうえない快感を覚えるといった高いサディスティック性と、嫉妬心や嫉妬心(独占欲)が異常に高く、気持ちを無視した性行為を強い、一度でも、首に手をかけることがあるといった事実が確認されたときには、もっとも危険なケースとして、「まさか、こんなことはしないだろう」といった考えを持ち込んではいけないと考えます。特に、サディスティックさが認められる場合には、性癖や性倒錯(性行動)の状態や傾向と、生育状況の詳細は把握が必要になります。この二点の把握を疎かにしてしまうと、誤った対応をとってしまいかねないのです。離婚が成立するまでといった考えではなく、離婚後についてもひき続き経過を注視しなければならないのです。
 支配のための暴力・DVのある家庭環境では、被害者となる妻や子どもは、加害者である夫(子どもにとって父親)の前では、いいたいことや思ったことを口にできない状態での生活を強いられていきます。それは、加害者が、加害者の父親がしてきたことそっくりに夫婦間、親子間につくりあげた上下関係と支配関係に他ならないのです。
 逆に、支配される妻(交際相手)や子どもは、急に怒鳴り散らしたかと思うと、一転して優しくなるといった気まぐれな夫(交際相手)の言動や態度に、つまり、相反する<拒絶と受容>という行為に、妻(交際相手)や子どもは“どちらが本当の夫(父親)の姿なのか”と思考混乱をおこし、正常な判断力を奪われていきます。しかも、「お前が悪いから、怒鳴るんだ」「お前が怒らすようなことをする(いう)からだ!」などと怒鳴られ続けるうちに、「私が悪いから、私がいたらないから怒鳴られる」と思うようになっていきます。その結果、気がつかないうちにどんどんマインドコントロールされ、いつの間にか逃れられなく、別れられなくなってしまうのです。
 わらにもすがる思いで、行政・民間の相談機関を問わず相談に訪れるDV被害女性の方たちは、最初に「夫のことは嫌いじゃない。でも、夫のやることにはもう耐えられない。我慢できない。もう限界なんです!」「でも、夫ばかりが悪いんじゃない、私が原因、私が悪いんです」と相反する感情を吐きだしながら、辛く苦しい、やるせない心内を訴えてきます。
 妻に暴力をふるう加害者たちの特徴は、人の気持ちがまったくわからない、相手の気持ちを察することができないということです。その多くは、支配のための暴力・DVのある家庭環境に生まれ、育ったことで、親とのアタッチメント(愛着形成)を獲得できず、その結果、相手のことを考えたり、思いやったり、気遣ったりすることを学び、身につけることができなかった(共感性の未獲得)ことを意味しています。人のことを思いやったり、気遣ったり、お互いに慈しんだりする心を育めるか(共感性を獲得できるか)どうかは、2歳10ヶ月までの両親の行いを見て、感じ、真似て身につけられるかにかかっています。ですから、2歳10ヶ月までに親の生育のもとで共感性を獲得できていなければ、DV被害者となっている妻が、加害者となった夫にどんなに窮状を訴えても、なにも心に響かないのです。そればかりか、かえって“妻を操っている”と快感、王様気分に浸り、自分にはその力が備わっている特別な人間だとの思いを確固なものとしていくのです。


3.DV被害者支援に携わる者として、医療・行政・司法に携わる方々に期待すること.
 行政・民間と問わず、DV被害者支援にかかわる立場にあるものは、被害者はなにも悪くなく、暴力で脅せば弱い女性は従わせることができると、妻に手をあげ、罵声を浴びせる(否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下する)夫がすべて悪いという立場にたっています。たとえ、夫婦の関係であっても、親子の関係であっても、暴力をふるわれれば被害者であって、暴力をふるったのであれば加害者と解釈します。
 職場で気に入らないからといって、同僚を怒鳴りつけ殴ったり、居酒屋や道端で肩がぶつかったからといって、その相手に殴りかかったりしたなら、立派な暴行、傷害事件の当事者、犯罪者となるのは誰でも知っていることです。職場の上司から繰り返し浴びせられる暴言や性的いやがらせ(性暴力)は、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントであり、加害者だけでなく会社や行政組織、学校などが黙認(隠蔽)していたことが表にでると、社会的な非難にさらされます。しかも、そのことで心が傷つき、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や不安障害を患うことになったとしたら傷害罪で訴えることができます。ですから、家庭内で繰り返される支配のための暴力・DVを黙認したり、事実を歪めてしまったり、事実そのものを否定したり、しかも、隠蔽するような行いは決して許されないことです。DV被害者(当人だけでなく、親族などの近親者、子どもが通う学校の教師を含む)が、少なくとも結婚しようと思った人(夫)だし、子どもたちの父親なのだから、警察沙汰にしてコトを荒立てたくない、犯罪者にしたくないとの思いにつけ込んでくる卑怯な行いは決して許されることないという立場をとります。
 DV被害者支援に携わっている者として不謹慎な表現になってしまいますが、殴られ、蹴られ骨折したり、外傷による障害(傷や痕)が残るような凄惨な暴力を受け、病院に担ぎ込まれたりするなら、医師や警察、行政の助けをかりて、その段階で逃れる決心(判断)ができやすくなります。結果として、DV被害が長びかずにすむのです。
 しかし、表にでにくい“ことばの暴力”や“性暴力”といったDV被害は、長びいてしまいやすいのです。長びくということは、繰り返し暴力を受け続けることを意味します。つまり、慢性反復的トラウマを抱え込むことになる暴力体験をし続けるということになります。その結果、支配のための暴力・DVのある家庭環境の中で生き延びるために、加害者にとって都合のいい考え方(認知の歪み・考え方の癖)を身につけていきます。
 つまり、多くの心(脳)の問題を抱えることになります。 
 「心の問題といっても、見えない」と思われている方たちがほとんどですが、MRI画像診断によって、視覚野や海馬など脳の一定部分に萎縮がみられることがわかっています。乳幼児期に受けた虐待の影響、思春期にいじめを受け続けた慢性反復的トラウマの影響だけでなく、東日本大震災などの単回性トラウマの影響によっても、脳の萎縮が確認されています。庭内のことでも、夫からの心ない“ことばの暴力”で心を病んで、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)や不安障害(パニック傷害)などを発症したら、判例が示す通り暴力によって「心身の健康を損なった」事件として、DV法の罰則よりも重い傷害罪で夫を訴えることができると解釈しています。
 ですから、支配のための暴力・DVという行いが、妻や子どもに与える深刻な脳に与えるダメージと、たとえ逃れる(離婚の成立)ことができたとしても、支配のための暴力・DVによる自尊心や自己肯定感を損なわれてしまったことによる“苦しみ(人とのかかわり方に問題を生じたり、社会生活の営みに支障がでやすい)”、そして、そうした環境で育った子どもたちが、社会とのかかわりや人とのかかわりの中で加害者になったり、被害者になったりすることを防ぐといった観点からも、「夫から妻への暴力は、家庭内のことだから、妻へのしつけだから、夫婦のことだから、他人は口をだすな!」ですましてはいけないのです。
 “これまで”の支配のための暴力・DVによる支配と従属、上下関係でなりたっていた加害者とのかかわりを断ち切るだけでなく、暴力によって傷ついた心のケアと暴力の中で生き延びるために身につけてしまった認知の歪み(考え方の癖)を正しながら“これから”の人生を歩むサポートが重要になるのです。行政・民間を問わず、DV被害者支援にかかわる私たちに共通した考え方です。
 ところが、司法の場は、「離婚を認めることが正当であるか」と判断を下すことを主とします。“これまで”のかかわりを清算させ、“これから”については、養育費の支払いを命じるにとどまるわけです(役割の違いですから、批判する意図はまったくありません)。ただし、調停の場では、調停委員の方のモノサシ(価値観・夫婦観や判断基準)に大きな偏りがあります。中には、「DVのある家庭環境で子どもが生活しているなら、直接殴るなどといった身体的暴力(虐待)がなくとも精神的虐待(児童虐待防止法)にあたる」といったことを理解されていない調停委員の方がいたり、「この程度だったらDVといえない!」と恫喝する審判員がいたりします。判断を下す場合に、自らの夫婦観、両親や近親者の夫婦観に無理やり押し込めようとしてしまう方たちもいます。もちろん、幅広い見識を持ち、バランス感覚に優れている方たちが多くいることも理解しています。
 しかし、残念ながら、DV被害者支援に携わる私どもと離婚調停など司法に携わる方たちとの間には、多少温度差があると感じてしまう事案があります。
 離婚事件は民事でとり扱われるものですが、婚姻破綻の原因がDVにある事案の依頼を受けた弁護士の方々については、虐待行為として傷害事件として刑事でとり扱う視点、つまり、犯罪者心理、被害者心理に目を向けていただければと思っています。
 配偶者からの暴力から逃れるために家をでて、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等に関する法律」に準じて決定された“一時保護”により一時保護施設に入居するなど身の安全をはかりながら、「婚姻の破綻原因はDVである」とする離婚調停を申立てる被害女性は、その後、県外に転居し、夫が側にいないとわかっていても、被害女性の知らないところで通話履歴を把握しているのではないか、そこから、居場所を特定されてしなうのではないかといった底知れない恐怖心を抱いていることが少なくありません。
 それだけでなく、DV事件では、身体的な暴行被害は認められていない中で、「夫に見つけだされるのが怖くてたまらない」「夫が機嫌を損ねる(不機嫌になる)ことが怖くてたまらない」と繰り返し訴えたりすることがあります。
 こうした被害女性が心に秘める夫に対する底知れない恐怖心は、加害者である夫と同様に、相談者が暴力のある家庭環境で育っているとの前提に立つことができなければ、その状況は、第三者に理解され難いものです。なぜなら、人が「不機嫌になる」ことは、恐怖(怖れ)という感情と結びつくものではなく、嫌だなという感情と結びつくものだからです。
 しかし、暴力のある家庭環境で育ってきた被虐待者は、父親は母親が、不機嫌になる瞬間は、そのあとに待っている恐怖の時間と記憶にインプットされています。したがって、被虐待者(AC)として、再び、配偶者から暴力を受けることになり「被虐待女性症候群」の傾向、「C-PTSD」の症状が表れている被害女性には、過去の心的外傷体験が、いま心的外傷体験を受けているように反応することになるのです。
 被虐待者が、夫と同じ屋根のもとで暮らすようになると、夫の激しく憤った怒りに満ちた怒鳴り声を聞いた(否定され、批判・非難され、侮蔑され、卑下されるといった激しいことばの暴力を受けた)瞬間、恐怖に怯えながら息をひそめ、親の顔色をうかがってなんとかその場をやり過ごすことに必死だった子どものころの思いにひき戻されてしまうのです。こうしたときに感じる恐怖感は、暴力のある家庭環境で育った被虐待者でなければわかりえないものなのです。その結果、「不機嫌になられるのが嫌だ」ではなく、「不機嫌になられるのが怖くてたまらない」と訴えるのです。殺されるような身体的暴力を受けていなくとも、「もし、見つけだされたら“わたし”の人生が終わる(わたしそのもの(アイデンティティ)が殺される)」かのような激しい拒絶反応を示すのです。
 したがって、DV被害を受けた被害女性のアボドケーター(支援者)は、DV被害者の発することばや過剰とも思える反応を理解するには、いまの暴力が、過去に受けてきた暴力がどう反応しているのかを読みとらなければならないのです。
 DV加害者との生活で、一度、恐怖に怯えながら暮らしていた子どもの思いにひき戻されてしまったあとは、加害者である夫の顔色をうかがい、媚を売り、機嫌を損ねないように自分の考えを持たずに絶対服従しながら生活していくしかないのです。幼いころから身につけてきた考え方の癖(認知の歪み)にもとづく行いこそが、両親(夫婦としての男女、祖父母との接し方を通じた家族のあり方)を見て、夫婦のかかわり方を身につけてしまった価値観なのです。
 それは、夫婦として、男女として、他のかかわり方があることを知りようがないということを意味しているのです。
 さらに、2重の暴力被害を受けた被害女性の抱える恐怖心は、上記の通り、恐怖に怯えていた子どもの思いと結びついていたりしているので、過去の心的外傷体験といまの心的外傷体験の記憶と感情が組紐のように複雑に絡み合ってしまい、うまく第三者に伝えることができないことが少なくありません。
 しかも、被害女性に幼い子どもがいるときには、自身の過去の心的外傷体験にもとづく恐怖の感情を子どもの感情に投影させてしまうことが少なくありません。なぜなら、子どもの母親である被害女性は、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント獲得に問題を抱えていることから、「自己と他の境界線があいまい」なまま大人に成長し、自己と他の分離ができないからです。その結果、「子どものために」という表現でありながら、実は母親の理由=“わたしごと”をヒステリックに主張し続ける事態を招くことがあります。

 アボドケーターには、こういった被害女性の抱える心の問題などを踏まえて、DV被害を受けた当事者である母親と子どもの人権が尊重し、安全で、安心できる環境で、生活の再設計をはかることができるように、見識ある判断が求められることになります。

DV被害支援室 poco a poco 庄司薫




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