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[Ⅶ-22] 継続情報<震災・地震/火山/氾濫>ストレスとトラウマ、命と心を守る

<医療介護CBニュース>被災から1か月「ぎりぎりの状態で働いた」-宮城県内の訪問看護師・医師座談会

 
 <東京新聞>避難所の女性守れ 10日からホットライン <J-CASTニュース>東大教授「日本全国どこでも危ない」 地震の場所や時期など予測は不可能
4月18日(月)16時1分配信

 東日本大震災は、東北地方沿岸部のありとあらゆる人の生活を破壊した。医療関係者も例外ではない。自らも被災し、同僚を津波で失いながらも、訪問看護の現場に立ち続ける在宅ケアグループ「爽秋会」(宮城県名取市)の4人の看護師と岡部健医師(同会理事長)に、震災発生からの活動について振り返ってもらった。

■地震直後の患者の死…悩み続ける看護師
-東日本大震災が発生したのは3月11日の午後でした。この日、看護の現場に出向いていた方は、どのように対応されたのでしょうか。
A:わたしは、マンションに住む利用者さんのお宅を訪問している時に被災しました。しばらくは倒れそうになっている家具を支えるなどしていましたが、患者さんは「僕は大丈夫だから。家に帰って子どもさんのことを見てあげなさい」って言ってくれました。それで、地震が一段落してから「すいません。後で必ず連絡します」と言って、いったん家に帰りました。
B:彼女は、自分も足にけがを負いながら、患者さんを守ったんです。
A:その患者さんは翌日に亡くなってしまいました。あの後、わたしが居残って片付けを手伝ったところで、患者さんを助けられたかどうか、それは分かりません。分かりませんが、今でも、11日のわたしの行動は、看護師として絶対的に間違っていたんじゃないか、という気持ちがぬぐい去れないのです。
C:わたしはリュックに必要物資を詰め、歩いて巡回しました。当初からガソリンの確保に不安があったので、車は使わなかったのです。ただ、その分、時間がかかり、患者さんの家への到着も大幅に遅れてしまった。その患者さんは、がんの緩和ケアをしていたのですが、わたしが到着した時は、本人も家族も、半ばパニック状態。特にご家族は「もう、入院させるしかない」と言っていました。
D:震災直後の病院は災害対応で手いっぱいですから、がんの緩和ケアが必要な患者への対応が十分になされるとは思えません。だから彼女は、今、病院に行っても、応急処置だけで、自宅に戻される可能性が高いことを説明した上で、できる限りの処置は施したんですが…。
C:ご家族は納得してくれませんし、患者さんも「もう、死にたい」と言いだしました。最後は救急車での搬送をお願いせざるを得ませんでした。結局、その患者さんは数日後に亡くなってしまいました。
B:とにかく震災発生直後は、いろいろな意味で制約が大きく、十分な活動ができませんでした。医師の指示を受け、みんなで知恵を出し合い、やれることをすべてやった上で患者さんを見送る通常時とは全く違う。電話もメールも通じないから、一人ひとりが自分の判断で動かざるを得なかったのです。彼女たちのように「あの時の対応で本当によかったのか」と悩み続ける看護師は、被災地にはたくさんいるはずです。

■緊急車両用のスタンドに入れなかった事業所も
-医師や同僚と連携して訪問できるようになったのは、いつごろからですか。
A:14日ぐらいからですね。
B:といっても、すぐに通常通りの巡回ができたわけではありません。最大の難点はガソリンでした。途中から緊急用の車両であることを認めてもらえてから、緊急車両用のスタンドを使えるようになったのですが、それでも十分な量は確保できなかった。
C:だから、巡回も緊急性の高い方を優先し、出向く回数を制限しました。利用者の方にも突発的な問題が発生した場合は、救急車を呼ぶよう、お願いせざるを得ませんでした。
D:ガソリン確保が難しかったこともあり、3月いっぱいは、巡回回数を制限せざるを得ませんでした。
岡部:中には、緊急車両用のスタンドに入る許可証をもらえなかった訪問看護事業所もありました。仙台市内の訪問看護ステーションの3分の1くらいは、取れていなかったようです。そうした所は、ガソリンが市内に十分に行き渡るまで、自転車を使って訪問をしていたと聞いています。

■訪問先で津波にのまれた同僚
-皆さんの同僚の遊佐郁さんは、寝たきりの患者を救った直後、津波にのまれてしまったとお聞きしました。
D:彼女の遺体が見つかったのは17日夜でした。それで、わたしたち看護師は遺体安置所まで行って、泥で汚れた体を清めました。本当につらいケアでした。
A:とにかく冷たいんですよ、彼女の体が。顔も手も全部が冷え切っているんです。そして髪には、細かな漂流物がいっぱいこびり付いていました。
D:あの時、体を清める前に見た遊佐さんの顔が、忘れられない。でも、その夜を境に、わたしは気持ちを切り替えられたような気がします。「看護、やらなきゃいけないんだ。へこたれていたら、彼女に怒られる」という気になれたんです。

■「被災者が被災者を看護している」
-地震から1か月余りが過ぎました。皆さんの業務や生活は、震災前に戻ったと言えますか。
B:仕事はともかく、自分自身の生活はまだまだです。
D:みんな家庭を持っています。いまだに水道もガスも復旧していない土地から出勤してくる人もいます。わたしの家族だって、わたしが仕事に行くこと自体を心配しています。
A:実際、大きな余震があった4月7日の翌日には、家族から「こんな時にも仕事に行くのか」と言われました。
C:わたしたちは看護師です。当然、患者のことは第一に考えます。しかし一方で、家族のことが心配でたまらない自分もいる。そういう意味で、この1か月は、みんなぎりぎりの状態で働いてきたと思います。
A:彼女は、お父さんが気仙沼の避難所に避難されています。わたしは子どもの新学期が始まらないでやきもきしています。事業所では、いつも通りの仕事ができるようになってきたとは思いますが…。
岡部:ここにいる全員が、看護師であると同時に被災者なんですよ。今、東北では、被災者が被災者を看護しているのです。

■「また地震が来たら…」看護に集中できない現状
-今、最も必要なことは何ですか。
D:一言でいえば、安全な日常です。
A:訪問看護中でも、「今、ここで地震が来たらどうしよう」と考えてしまう。でも、自分で答えが出せないんです。患者さんに覆いかぶさって、とことん守るか。それとも、逃げるのか。どうしていいか分からない。
B:そうですね。とにかく、忙しくてもいいから、看護の仕事に集中できる状況が欲しい。今は仕事に集中できない。つい、「今、また地震が起こったら…」と考えてしまうんです。
C:わたしは看護をしていない時でも、優しい旋律の音楽を聞いたりするだけで、涙ぐむようになりました。やっぱり、震災で自分の中の何かが傷ついているのだと思います。そんな中でも、患者さんを前にすると、本能的に動いてしまいます。こんな状態であっても、前に進むしかないんだと思います。
A:その点は、わたしも同じです。ただ、どう頑張っても、マンションに上ることができなくなった。7階で被災したからでしょうね。今後しばらくは、十数階のマンションを訪問することはできないと思います。

■「患者と仲間がいるから支えられている」
-今後、被災地の医療関係者に対する精神的ケアが必要と思われますか。
C:既に必要と思います。
B:確かに、ケアを受け、いい言葉をもらうことで前向きになれるかもしれませんが、結局は自分で何とかするしかないとも思います。
A:これだけ巨大な災害ですから、わたしたち自身も傷ついていることを自覚しています。
B:そうですね。しんどいな、と感じた時は、車の中で激しく叫んだりして発散しているし(笑)。
D:患者さんがいるから助かっているという側面もあります。この人を守らなきゃ、この人の前では看護師としていなきゃ、という思いで自分が支えられる瞬間もある、ということです。
C:あと、同じ苦労をしている看護師の仲間がいることも大きいですね。みんな同じような悩みを抱えているから。それについて話し合うことができますから。



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