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[Ⅶ-15]<カルト、新興宗教・思想への傾倒>新聞事件簿。心の危さにつけ込む

<SYNODOS JOURNAL>リスク認知のゆがみ方(2) 考えすぎることも不幸につながる

 
 <医療介護CBニュース>「PTSD発症は過去の震災以上」-「こころのケアチーム」菅原医師 <SYNODOS JOURNAL> リスク認知のゆがみ方(1) 心の「重み付け」によって効率性が左右される
4月6日(水)14時40分配信

◇社会学者が考える「リスク」◇
(以上は、要するに(主に理科系の)専門家によるより適正なリスク把握を分かりやすく周知していくことが必要だ、というお話である。以下は、現在の時点ではあまり重要な話ではないかもしれないので、スキップしても構わない。)
 社会学者によるリスク論は、また別の側面のリスク認知の問題を提起している。先程は、人々は日常生活にくまなく存在するリスクを軽視し、重大な事件に伴うリスクを高く評価する、と言ったが、実はこれによって多くの人々は心理的安定を保っている、という側面がある。要するに、日々存在するリスクについては、それらを心から遮断しないと、安定的な日常生活など不可能になる、ということである。イギリスの社会学者A.ギデンズはこういったこころの遮断機能を、「保護皮膜(protective cocoon)」と呼んだ。
 もし私たちが、常に日常的に存在しうるリスク(特に交通事故や食品のリスク)について考え始めると、それこそ身動きが取れなくなってしまうかもしれない。また、何も食べられなくなってしまうかもしれない。こういったリスクを、「保護皮膜」によってこころの中に入れないようにすることで(要するに「思考をストップ」することで)、私たちはある程度安定した日常生活を可能にしている、という側面がある。「保護皮膜」はたしかに適正なリスク認知の歪みであるが、ある程度は必要悪でもある。
 「重大なリスク」の突発的な発生は、人々のこころの保護皮膜の構造を変えてしまう力を持っている。それによって人々は精神的に不安定な状態に陥り、日常生活に支障をきたすようになる。言い方は難しいが、「こころの強い」人とは、この組み換えを早い時間で完了させて、安定的な精神状態を取り戻すことができるような人である。しかしそうではない場合、人は嗜癖や強迫的行動といったあまり「前向き」ではない方法で安定を維持しようとすることになる。それもできなければ、パニックが生じる。
 要するに、客観的なリスク評価は効率的な資源配分(ひいては人々の幸福)にとって重要だが、実際には多くの人々にとって、リスクの存在を「忘れる」こと、あるいはリスクを評価する活動を停止することが、日常生活の基盤である、という面もあるのだ。
 以上を、語弊をいとわずにくだいた言い方で表現するとすれば、「考えなさすぎると不幸になるが、かといって考えすぎてハマることもまた不幸につながる」となるだろうか。
 ひとつの処方箋としては、客観的なリスク評価については専門家に対して「慎重な信頼」を与え、リスクについて考えることがあまりに心の負担になるような人は、あえてあまり考えずに日常生活のリズムを守る、ということになるだろう。私たちの多くは、不規則な生活に長期的に耐えられるほど強くはないのである。(筒井淳也・立命館大学准教授)



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