あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-7]Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚

25.DV被害者に待ち受ける懸案事項

 
 26.悩ましい面会交流。いま司法はどのように捉えているか 24.DV加害者に共通する言動・行動特性
* 現在、この「手引き」は、第3次改訂の編集をおこなっています。編集終了後、差し替えていきます。

※ 『暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(マニュアル)』は、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」との立ち位置で、「密接な関係にある児童虐待とDVの本質的な理解」に加え、「児童虐待とDVが、被害者である母親だけでなく、子どもの心までも破壊する可能性がある、つまり、胎児期を含めて脳の発達に大きなダメージを与える」ことを理解していただくために、一般的な抽象論ではなく、行動分析や脳科学、人類学、発達心理学などをベースに、前半の『はじめに』、『第1章(Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス)』、『第2章(Ⅱ.児童虐待と面前DV。暴力のある家庭環境で暮らす、育つということ)』は作成しています。
 マニュアル冒頭の『はじめに』では、「社会の女性や子どもへの暴力に対する理解」、「危機的状況がもたらす脳のトラブル」、「「事例で学ぶ」ということ-人類とは何者か、脳の発達論の見地でという考え方-」、「暴力描写や性的表現による「トラウマ反応」表出のリスク」、「第三者の支援を受け、暴力で傷ついた心のケアにとり組む意味」、「被害女性の家族や友人たちのアンカーとしての役割」、「被害者支援に携わる人たちに向けて」、「-付記- 「二重の被災」..東日本大震災とその後の虐待・DVの増加の影響は“これから”の問題-阪神淡路大震災、戦争体験によるPTSD発症、その後の人生に学ぶ-」というテーマで、このマニュアル全般に及ぶ着眼点や論点、問題提起をしています。この行動分析や脳科学、人類学、発達心理学などをベースにした着眼点や論点、問題提起は、その後に続く、『第1章(1-5節)』、『第2章(6-12節)』、『第3章(13-20節)』、『第4章(21-26)』、『第5章(27-31)』とそれぞれと相互する関連性がある、あるいは、説明の前提となっていることから、『第1章(1-5節)』、『第2章(6-12節)』、『第3章(13-20節)』、『第4章(21-26)』、『第5章(27-31)』をお読みになる前に、『はじめに』に目を通していただきたいと思います。
* マニュアル「改訂新版」の上程後6ヶ月が経過したことを踏まえ、アニュアルの一部見直し、加筆修正にとりかかっています。平成28年9月29日、『はじめに』の“加筆改訂”を終えました。「第1章」以降については、スケジュールを調整しながら、随時、“加筆改訂”にとりかかり、加筆改訂を終えた「章」から差し替えていきますが、『原本』では、追加した事例を踏まえて、本文ならびに目次の“事例番号”は修正したことを踏まえ、『ブログ』の“目次”ならびに“小目次”での「事例番号」は修正していますが、『ブログ本文』の加筆修正は、『はじめに』は終えたものの、第1章以降はまだ手つかずであることから、第1章以降の「事例番号」は修正されていません。そのため、目次ならびに小目次に記載されている「事例番号」と異なっています。


25.DV被害者に待ち受ける懸案事項
(1) 妻が別れを切りだし、家をでたあとのDV加害者のふるまい
 ・事例171(分析研究21)
 ・事例172
(2) してはいけない! 当事者間、近親者を交えた話し合い
(3) 母親の“これから”が、子どもには“いまさら”となる理不尽さ
(4) DV加害者の更生。-「変わってくれる」との期待感は捨て去る-
(5) 暴力に順応してきた考え方の癖を調停に持ち込んではいけない
 ・事例173(分析研究22)
(6) トラウマの再体験による事実経過の把握
(7) ストレスの程度は、科学的診断で明らかに


(1) 妻が別れを切りだし、家をでたあとのDV加害者のふるまい
 ここでは、被害者が意を決し家をでたあと、DV加害者がどのような行動にでるのか、夫婦関係調整(離婚)調停でどのようにふるまうのか3つの切り口でまとめました。

① 家では暴力をふるい、外では愛想よくいい人を演じる“二面性”にふりまわされる
 「Ⅳ-23-(4)妻が家をでたあと、DV加害者が送るメールやLINEに認められる特徴」の冒頭で、『多くのDV加害者が家をでた妻に対し送るメールにも、夫婦関係に上下の関係、支配と従属の関係をつくりあげ、維持していくために必要不可欠な“相反する拒絶と受容”の言動パターンが顕著に表れます。それは、家をでていった妻に対し、ⅰ)「受容から拒絶へ」の行動パターンか、ⅱ)「拒絶から受容へ」の行動パターンかで状況の打開(離婚の回避)を企てるということです。』と記していますが、典型的なⅰ)「受容から拒絶へ」の行動パターンを、次の事例166で見ていきたいと思います。

-事例166(分析研究21)-
 私が家をでたあと、DV加害者の夫からの電話にでず、メールに返信しないでいると、「考え直してくれ! 俺が悪かった。」と夫の優しい声が留守電に何件も入っています。メールにも同じ優しいことばがあふれています。“これまで”何度も期待を裏切られてきているのに、「もしかして、今度は本当に変わってくれるかも知れない」との思いが、再び頭をかすめました。
 返信しようかなと心が揺れはじめたとき、低姿勢だった夫が突然、「テメエ。いつまでもそうやって隠れていて、どうなるかわかってんだろうな! ただですむと思うなよ。」と恫喝するメールが送られてきました。やっぱり、夫は変わらないと絶望しました。外で物音がすると夫がきたのではないかと思いが頭をかすめ、一晩中、ドキドキし動悸とふるえが止まりません。警察や女性センター、DV被害者支援をしている人たちから、「二人であったり、近親者を伴っての話し合いにも応じてはいけない。」、「電話にでたり、返信したりしてはいけない。」との助言を受けていたので、連絡をしたい衝動を抑えることができました。優しく甘いことばを信じなくてよかったとつくづく思いました。やがて、電話やメールがピタッと届かなくなりました。今度は、なにもいってこないことが無性に気なり、再び連絡をとりたい衝動に必死に堪えています。
 しばらくすると、DV被害者支援をしている人が助言してくれていたとおり、私と夫の共通の友人から「小さい子どももいるのだから、会って、もう一度話し合ってみたら。近いうちに会って話をしない?」と連絡が入りました。

 近しい関係において、無視されること、反応されないこと、相手にされないことは、とてもツラく、耐え難いものです。外部の人たちとのかかわりを閉ざされてきた被害者にとって、配偶者に無視され、会話をしてもらえないことはツラいことです。暴力で支配される環境では、殴られたり、罵倒されたりすることより、「口をきいてもらえない」ことが耐えられないことになっていることが少なくありません。なぜなら、強烈な“孤独感”に襲われることになるからです。孤独感に耐えられなくなった多くの被害者は、自ら配偶者にすり寄り、媚び、状況の打開をはかろうとします。しかし、このふるまいは強烈な敗北感を味わい、自尊心を傷めつけます。それだけでなく、孤独感(見捨てられ不安)を回避するおこないは、「やっぱり私にはこの人しかいない」との確認行動になってしまいます。この確認行動は、暴力を受け続ける生活に留まっている“わたし”を正当化するために必要なのです。なぜなら、そうしなければ、心が壊れてしまうからです。
 事例166の夫がそうであるようにDV加害者は、無視していれば、向こうの方から連絡があり、謝ってきたり、媚びてきたりすると目論んで(期待して)いたにもかかわらず、なにもいってこないと、心が穏やかではなくなっていきます。その結果、「ふざけやがって。俺が本気になったらどうなるか思い知らせてやる!」と、加害者は苛立ちはじめるのです。
 一方で、事例166の被害者は、多くのDV被害者がそうであるように、夫がなにもいってこないのが不気味で、夫はなにを考えているのだろうか?と不安になります。しかし、DV被害者支援をしている人から、「妻が子どもを連れて家をでて行った。どうしているのか心配で仕方がない。妻から連絡がありませんでしたか?(妻がどうしているのか知りませんか?)」と交友のあった人たちに電話をしたりして、居所を必死に探り回っている間はなにもいってこないときがありますよ。」と聞かされていたので、連絡を入れるのを必死に耐えています。そして、共通の友人から連絡が入ることになりますが、これも、DV加害者の常套手段のひとつで、友人の同情心を使って“おびきだそう”と目論みということになります。
 事例166では、このあと、夫は“これも”失敗したことを悟ると、“離婚されることを怖れていた(そう仕向けてきただけですが)”妻をこらしめる(罰を与える)ために、離婚調停を申立ててきました。
 最初の離婚調停で、夫の意向を確認した調停委員に、妻は「あなたの夫は離婚するといっていますが、あなたはどうお考えですか?」と訊かれ、妻は「離婚します。」と応えました。調停委員を介して、離婚の意思が固いことを聞かされた夫は、離婚を受け入れ、「子どもの親権も妻に」ということで、あっさりと離婚が決まることになりました。被害者は、このときの心境を「DV離婚経験者のプログを読んだりしたときに、婚姻破綻の原因はDVであるとする離婚調停では、話が拗れ、10ヶ月、15ヶ月と長びくこともあると書かれていたので、少し拍子抜けしました。」と述べています。妻は、あとは慰謝料と養育費を決めるだけだと思い、足取りを軽く、第2回調停に向うことができました。しかし、第2回調停で、夫は「離婚はしない。妻に騙され、子どもも連れ去られた。」と、前回の調停での主張を翻(ひるがえ)してきたのです。かみ合わないやり取りが続いたあと、終了間近には、再び「やっぱり子どもには母親が必要だし、養育費も日々の生活を節約して、父親としてできるだけのことをしたい。」といいだしました。一度、強烈に拒み、その後、調停委員の声に耳を傾け、被害者の主張に歩み寄ったりして、その場その場でいうことが変わります。いっていることがコロコロ変わる状況に、調停委員たちが最初に抱いた印象が変わりはじめると、夫は「父親だから子どものことを第一にしたい。」と身を引く発言をしました。その結果、調停委員に対し、自分の発言がコロコロ変わったのは、子どもと離れることの気持ちの整理ができずにいたからであって、子どものことを第一に考える“いい夫”、“理解ある父親”、そして、なにより“とうてい暴力をふるうようにはみえない”というイメージを植えつけることにみごとに成功します。
 DV加害者の夫にとって、「いい父親」、「恰好のいい男」と思われたい思いは、上辺だけの“虚像”であって真意ではありません。暴力のある環境で育ち、アタッチメント(愛着形成)を損なっていることに起因する空虚感を、“いい人であると思われる”ことで満たそうとする“性(さが)”ということになります。その空虚感は、強烈な“見捨てられ不安(恐怖)”となって表れることから、「絶対に俺から逃れること(俺を裏切ること)など許さない」との思いに心が支配されていることになります。この見捨てられ不安を刺激されることが、支配のための暴力のエネルギーの源となるわけです。
 一方で、言動パターンとして「いうことがコロコロ変わる」のは、これまでの状況や話の流れという“前提”を踏まえてことばを選び、話すのではなく、その瞬間に思ったこと、感じたことをそのまま口にするからです。つまり、表面的な格好のよさをアピールしたり、物わかりのいい人をアピールしたりしたいと思ったときには、それに応じたことばを発し、俺を裏切りやがってと怒りが溢れてきたときには、怒りをあらわにすることばや離婚を拒むことばを発することになります。その結果、話を聞かされる側は、なにをいいたいのか、どうしたいのか真意がわからず戸惑い、混乱させられることになります。
 ここまでは、DV加害者の勝ちパターン、つまり、セオリー通りということになります。家庭生活では、この状況まで持っていくことができれば、妻をいい含めたり、謝らせたり、媚びらせたりすることができたのに、家をでていったあとの妻は動じることがないのです。調停では、当初の目論みとは違うおかしな方向になってきています。おかしいと苛立ち、このままではやばくなる、どうしようと不安になり、やがて、憤りとなり、怒りを抑えられなくなっていきます。いい人を演じ続けたばかりに離婚が決まり、子どもが奪われたと怒りがふつふつと表面化し、“絶対に許さない”と憎しみ、そして、やっぱり別れたくない(見捨てられなくない)思いが交錯していくことになります。つまり、“いい人と思われたい”虚像を演じてしまう私と、“逃げられて(見捨てられて)なるものか”という心の声の狭間で、加害者自身が“なにがなんだかわからなくなってしまう”、つまり、思考混乱をおこしてしまうことになります。「相反する拒絶と受容の言動やふるまい」により、相手に思考混乱をおこさせ、思考をコントロールすることができますが、相手の心が惑わされずに動じないと、状況を打開する術(成功パターン)を失うことになり、一転して、どうしたらいいのかわからず、思考混乱をおこしてしまう諸刃の剣となってしまうのです。
 ところが、DV加害者は、思考混乱から脱する術を心得ているのです。それは、自分だけに都合のいい解釈をしたり、自分だけが納得できる解(真実)をつくりだしたりすることです。
 そのため、法律上の離婚が成立しても、「妻も俺といっしょで、本当は別れるつもりがないのに、弁護士や調停委員に騙されて離婚に応じてしまっただけじゃないのか?!」、「だったら、もう一度やり直せるんじゃないか!」との思い込みから、復縁を求めるために執拗につきまとったりすることになるのです*。
* 暴力のある家庭で育ったDV加害者の中には、思春期以降、問題やトラブルをおこすたびに、すべて親が“後始末をしてきた(過干渉、過保護という支配)”というケースがあります。こうした加害者の中には、“ある瞬間”に「面倒なことは止めた!」となり、新たなターゲットを探すことに頭をパッと切り替えてしまう者がいます。ある瞬間に「はい。もう止めた。」と離婚に応じ、慰謝料や養育費を親に払ってもらって(尻拭いをしてもらって)、「あとは知らん。勝手にやってくれ!」と“かかわりを終わらせる”ことで、自分が裏切られたこと、拒絶されたこと、つまり、自己存在を否定された現実から逃げ(回避し)、自分が傷つかないように守りに入るのです。
 ところが一方で、暴力のある環境で育ち(アタッチメントを損ない)、強烈な“見捨てられ不安”に囚われている可能性が高いDV加害者の場合は、病的で、異常な執着心をみせることがあります。家をでて、夫婦関係調整(離婚)調停を申立てた別居中の妻に対し、「子どもの監護権(養育権)はわたさない」と子の監護者の指定調停(審判)を申立て、「子どもと会わせろ!」と子の監護に関する処分(面会交流)調停を申立て、全面的に争う意志を示してきます。

② “巧妙に気を惹く術”で心を操り、迫真の演技で手玉にとる
 「婚姻破綻の原因はDVである」とする夫婦関係調整(離婚)調停では、被害者と加害者が直接顔を合わさないように別々の控室が用意されます。被害者の主張(考えや思い)は調停委員や調査官(親権を争う幼い子どもがいるとき)を介して加害者に伝えられ、同様に、加害者の主張(考えや思い)もまた調停委員や調査官を介して被害者に伝えられます。

-事例167(DV14)-
 調停委員は、私に、『あなたの夫は、お子さんたちと一緒に写った写真を持ってこられ、「このとき初めて立ち歩きをした。」、「一緒に公園で(家で積み木をして)遊んだ。」と熱心に話されていました。そして、突然、涙ぐみ、「“パパまた遊ぼうね”といってくれていたのに・・。その大切な時間を妻に奪われた。」と悲痛な語り口で訴えていましたよ。』と話しはじめました。その瞬間、調停委員は、外面がよく、愛想がよくふるまう夫にすっかり騙されていることを察し、絶望感にうちひしがれました。

 事例167のように、加害者の中には、調停委員や調査官に対し、子どもとその一瞬を過ごしたできごとを、毎日そうであるかのように語りかけるケースがあります。一瞬のできごとを、特別なイベントとして調味料を効かしながら流暢に話をつくり、人の気を惹く“術”を巧みに扱うのは、DV加害者の“十八番” です*。被害者が加害者に出会ったころ、巧みな話術に心を翻弄され、操られたように、調停委員や調査官も、最初は加害者の迫真の演技に魅了され、騙されてしまうこともあります。調停委員や調査官に、“哀しみにうちひしがれている父親像”を見せ、同情心を煽りグッと心をつかみ、子どもを取り返そうとするのが、加害者の典型的な手口ともいえます。
 この行為の背景には、a)子どもをとり返せば、母親を繋ぎとめておける(とり戻せる)との“目論み”と、b)母親にとって子どもを奪われる(子どもと離れて暮らす)ことが一番ツラいことから、俺を裏切った(俺のもとから逃げた)ことへの“こらしめ・罰”を与える力を誇示することができる“自信”があります。被害者と出会ったころ、加害者は自分の不幸な生い立ちを話し、夢をアツく語りかけ、心を鷲づかみにします。「私しか彼の苦しさや哀しみをわかってあげられる人はいない」、「この人の寂しさは私が癒してあげる。私にしかできない」と心を固めました。しかし、不幸な生い立ちや身のうえ話は、加害者が狙いを定めた“女をオトす”ために仕掛けた罠しかありませんでした。オトしたあとは、そのアツく語った夢物語や実態は虚像でしかなったことがバレ、愛想をつかされ別れ話を切りだされないか不安になります。そのため、嘘や虚像を信じ込ませてつかみとった心を逃さないために、暴力(恐怖)で支配しなければならなくなります。その暴力に耐えられない気配を感じるたびに、巧みな話術と時々みせる優しさで心をグッとつかんできました。それは、相反する拒絶(恐怖)と受容(優しさ)のふるまいやことばを繰り返されたことで、思考混乱をおこされ、思考をコントロールされてきた日々だったのです。
 そして、妻の実家では、親や親族の前で、保育園や幼稚園の父兄や保育士の前で子煩悩さを見せ、巧みな話術でいい夫、いい父親を演じる“得意技”を披露してきました。そして、「子煩悩でうらやましい」という評価をつくりあげてきました。そういうやり口で、妻が、両親に夫に暴力をふるわれていることを相談できないように状況をつくりあげ、逃げ道を閉ざしてきました。
 離婚調停で、調停委員や調査官の前で、これまで妻や妻の家族をコントロールしてきた巧みな話術でいい夫、いい父親を演じる“得意技”を披露することになるのです。
* DV加害者のすべてが、口が達者であるわけではありません。逆に、無口で、人づきあいが苦手で、自分の考えはいわず、母親が自分の思いを察して代わりにいってくれる(決めてくれる)ように持っていくのが行動パターンの加害者も少なくありません。つまり、妻が自分の思いを察することができず、期待している通りの働きができないことに苛立ち、幼児が癇癪をおこしているかのように怒りをぶつけてくる加害者です。しかも、大声で怒鳴りつけたり、罵ったりするのではなく、ふるまいをネチネチと執拗に否定し、非難し、侮蔑し、卑下するか、幼児のように拗ねて、黙り込むかです。そのために、DV被害(ことばの暴力、精神的暴力、経済的暴力)を自覚することが難しいだけでなく、それを、離婚調停で、調停委員だけでなく依頼した弁護士にさえ、暴力行為(DV行為)をきちんと説明できず、なぜそれほどツラい思いをしてきたのかが伝わらない事態を招くことになります。

③ 病的な嫉妬心や異常な執着性は、いい人を演じる裏に“つきまとい(ストーカー行為)”の顔を隠している
 加害者の夫がどういう人物で、被害者のあなたに対し「なにをしてきたのか(いかに惨いおこないをしてきたのか)」、「どういう状況に追い込んできたのか」を“正しく理解する”ことなく、かかわりを断ち切る(きちんと縁を切る)ことはできません。なぜなら、DV離婚事件では、いい人を演じ切る(ものわかりのいい夫、子どものことを親身に考える父親)ために離婚に応じたあとも、“油断を許さない”ケースがあるからです。
 それは、意図的に養育費の支払いを滞らせ、期待通りに元妻から連絡があれば、「一度、会って話さないか。」と接触を試みてくるケースです。
 このとき、離婚をしたのだから、もうひどいことはしないだろうとは思ってはいけないのです。なぜなら、接触さえできれば、加害者の元夫は、出会ったころと同じやり口でグッと心をつかめるはずだと思っているからです。「ここじゃなんだから、家で話そう。」といい、抱きしめ、セックスを強要(レイプ)することもあります。また、あなたが、居所を隠している(転居先を知らせていない)ときには、話し合ったあと、後をつけられ、居所を知られる怖れは高くなります*-2。暴力で支配されてきた事実があるときには、逃れたあと、別れたあと、「優しいところもあった」と加害者の元夫のことを、「悪い人」、「許されない惨いおこないをした人である」と考えられるようになっていることが重要です。加害者の夫とのかかかりを断ち切れず、気持ちが“くすぶり続けたまま”になっていると、つけ込まれ、復縁し、再び地獄をみることになります。
 「Ⅰ-4-(1) デートDV。人生に大きな影響を及ぼすリベンジポルノとレイプ」でとりあげた事例45-46、続く「-(2) デートDVから結婚に至る経緯」でとりあげた事例47-50のとおり、執着心が強く、病的な嫉妬心を抱えるDV加害者の場合、被害者が交際をはじめたり、結婚が決まったりすると、突然、“嫌がらせ”や“詮索干渉(束縛)、監視”が強まります。
 離婚後、なにも仕掛けてこないと思って安心していても、一方の加害者の元夫は、常にいまどうしているか探りを入れていたり、定期的に探偵を雇い情報をえていたりと監視を続けていることもあります。被害者と加害者の出会いが、“偶然”を装い、“運命的”と認識させられたところからはじまっている場合、離婚後も、元夫からのつきまとい・ストーカー被害に発展しやすいことになります。なぜなら、“偶然”の出会いこそが、被害者の行動パターンを調べあげ、“綿密に仕組まれた”もの、つまり、つきまとい・ストーカー行為そのものだったからです。しかし、多くの被害者は、出会い、恋愛そのものが巧みに仕組まれていたことに気づいていません。なぜなら、恋愛幻想*-2に陥っていたこと、そして、出会い、恋愛そのものが意図的に仕組まれたものであったと認めることは、被害者のアイデンティティが揺らぐことになりかねないツラいことです。多くのDV被害者が、「そうじゃない」、「そんははずはない」と心が抵抗します。この認められないとの抵抗が、加害者の(元)夫の真の姿をあぶりだす妨げになるわけです。加害者の(元)夫の真の姿をあぶりだし、正しく理解することができなければ、その隙を突かれてしまうことになります。
*-1 本人でなくとも探偵を雇えばよく、しかも、日時が決まっているので、最低金額で探偵に依頼できます。
*-2 「恋愛幻想」については、「Ⅰ-3-(6)被害者に見られる傾向、加害者が持つ特性」の中でとりあげた事例42(分析研究6)の中で、詳しく説明しています。



(2) してはいけない! 当事者間、親族や近親者を交えた話し合い
 DVが原因となる離婚事件は、親やきょうだいが間に入って話し合ったり、仲介に入ったりすることが、返って問題の解決を困難にしてしまうことが少なくありません。したがって、家をでる(転居する)前後にかかわらず、「親やきょうだい、近親者を交えた話し合いは決しておこなわない」のが“原則”です。
 暴力のある家庭環境で育ち、不幸にも幾つかの人格の歪みによる自身の支配欲を満たそうとすることしか考えないDV加害者は、一人称のまま成長していることから、二人称としての相手の気持ちを思いやる、相手のことを考えるという共感性は持ち合わせていないのです。したがって、あなたやあなたの家族が、どんなに「気持ちをわかって欲しい」と訴えたところで、夫の心に通じることは決してないのです。「お願いですから、別れてください。」と訴えても、自分に原因があると認識することはないので、妻に原因がある、妻が心変わりをしたと解釈することになります。その結果、「他に男ができたんだろう。でなければ、別れるなどといいだすわけがない!」と暴力がひどくなったり、事態が悪くなったりするわけです。
 こうした思考回路でものごとを考えることから、親やきょうだい、友人が仲介に入ろうとすると、「あなた方が妻を唆しているのでしょう」といいがかりをいってきたり*、親きょうだいの“情け心”につけ込めると汲んでいるときには、「もう二度と暴力をふるったりしない」、「(いかに愚かなおこないをしたのかと)深く反省している」と必死に訴え、「子どものことを考えると辛くて、哀しくて仕方ありません」とうちひしがれている弱々しさを見せ、親やきょうだいを通じて「あんなに反省しているのだから、許してあげたら」というように仕掛けてきたりします。DV加害者の中には、詐欺師のように、弱々しい自分を見せることで周りから同情される状況をつくりだすことに、自分がそのストーリーをコントロールできている(人の心を操る)ことに悦に浸ることができる人たちがいるのです。数ヶ月で10kgも痩せてげっそりした姿を見せることなど、妻をとり戻すことができるなら苦にはならないのです。都合が悪くなると、具合が悪くなったり、病気をアピールすることが多いときには、こうした心の揺さぶりを仕掛けてくることをしっかり頭の中に入れておく必要があります。
 また一方で、被害者が暴力(過干渉や過保護、教育的虐待を含む)のある家庭環境で育っているときには、相談をした母親が、暴力のある環境に順応する思考パターンでしか考えられないことから、心配しているようなことばを使いながら、実は足をひっぱり、足枷をはめてしまうこともあります。母親は、母親にとっての絶対君主である夫(娘にとっては父親)が、暴力に耐えられないと家に帰ってきた娘のこと、娘の夫の実家のこと、そして、娘が離婚するという世間体のことをどう感じているのかに気を回し、同時に、自身に夫の苛立ちが向かないようにするために、「そろそろ向こうに帰って、謝りなさい。」、「夫婦のことなんだから、二人で話し合いなさい。」、「向こうの親御さんに顔向けができない。あなたは嫁にいったのだからね。立場をわきまえなきゃダメよ!」と夫のもとに帰るように促されることになります。それだけでなく、「黙って、夫のいうことに従っていればいい。」と加害者の暴力を容認し、正当化してしまうことをいわれ、実家に逃げ帰る道が閉ざされていくこともあります。
 こうしたことから、DVや虐待を原因とする離婚の場合、お互いに話し合って、合意のもとで離婚したいといった常識的な考え方は捨て去る必要があるのです。これからのことを話し合ったりせずに、加害者には、代理人としての弁護士を通じて、法の下での離婚の手続きに入ったこと、今後一切直接のやり取りをしてはいけないことを伝えてもらうのが、DV加害者たちに対しての最善の策、調停での交渉を有利に進めるセオリーです。もし、弁護士に頼まないときには、内容証明郵便で同じことを伝えます。
 家をでたあと、「二度と暴力はふるわない。嫌がることはしない。だから、戻ってくれ」と親きょうだいの前で涙ながらに懇願され、家に戻ったとしても、支配するための暴力は決してなくなりません。「今度は変わってくれるかも知れない」と思うことは、地獄が繰り返されることを意味します。夫は常軌を逸した人物であって、あなたのことなど微塵も考えない、自分が王様(絶対君主)になれることだけしか考えない人です。したがって、なにもいわずに家をでて、一時保護を求めたり、転居したりすることが大切なのです。
ここで、夫に「もしかしたら、変わってくれるかもしれない」と根拠のない期待感を断ち切るために、以下のような考え方に徹することが重要になります。
 第一に、「妻と夫、夫婦の関係ではなく、被害者と加害者の関係。子と父という関係ではなく、被害者と加害者の関、孫と祖父母という関係ではなく、被害者と加害者の親、もしくは、加害者の関係でしかない」と認識することです。
 第二に、実家や頼った友人宅に押しかけてきたり、職場に待ち伏せしてきたりして、大声で怒鳴り声をあげたり、玄関を叩いたり、蹴ったりしたり、「話し合おう」と強引に手をつかんできたりしたときには、“躊躇せず”に警察に通報する覚悟を決めておくこと、そして、必ず、実行に移すことです。
 警察に通報したあとは「被害届」をだし、暴行の事実があるのなら、証拠などを整理し「刑事告訴」します。「被害届」は被害を受けたことを警察に知ってもらうという意味でしかなく、捜査をしてもらうためには、「刑事告訴」しておく必要があるからです。調停や裁判の証拠とするために、実家の玄関にはレコーダーやビデオなどを用意しておくようにします。
* DVで実家に逃れ別れ話がでていたり、DVが原因で離婚したものの復縁を求められていたりしている事案で、被害者である妻(交際相手)や元妻(元交際相手)の母親や祖母、姉や妹が殺害される事件がおきることがありますが、親や祖母、姉や妹が余計なことをいわなければ、妻(元妻)や交際相手(元交際相手)は、俺のもとからいなくなることはなかったとの強い思い(強迫観念的な妄想)が殺意の動機になっています。元交際相手、元妻に対してのストーカー行為による殺害事件については、「Ⅰ-4-(3)デートDVとストーカー殺人事件」の中で、4つの事例(事例51-54)をとりあげて詳しく説明しています。


(3) 母親の「これから」が、子どもにとっては「いまさら」となるDVの理不尽さ
① 思春期をむかえた子どもにとって、親の離婚は“いまさら”
 暴力のある家庭環境にある母親が、意を決して「もう耐えられない。お母さんは変わった。家をでて、離婚する。あなたもいっしょにくるよね。」と、思春期を迎えた子どもに宣言したとき、暴力のある環境に順応してきた子どもにとって、母親の家をでる、離婚するという宣言は、「いまさら」になっていることがあります。母親が別れる覚悟を固めたときには、子どもにソッポを向かれてしまう理不尽さ、残酷さを秘めているのがDVなのです。
 保健所や保健センター、児童相談所は、調停や裁判となっている事件の子どもへの介入には及び腰です。保護命令を申立てることができない状況で、家庭内で精神的な暴力を受けているとしても、子ども本人が「父親から暴力を受けている」といった言質(ことばの証拠)がとれない限り、児童相談所が介入したり、一時保護したりすることは困難です。子どもが暴れ、殴る、金属バットで家具を叩き壊すといった家庭内暴力があり、「子どもが手をつけられないほどの暴力をふるう。助けて欲しい。」と警察に訴え、被害届をだせる状況であれば、警察が動き、結果として、措置入院させるといった可能性はでてきます。子どもが、万引きなどの非行行為を繰り返したり、暴行や傷害事件をおこしたりして立件されている状況下では、児童相談所に送致したり、少年院に送致したりすることで、暴力のある家庭から離すことができるかもしれません。とはいっても、DV被害を自覚することができた母親が、子どもが精神的破綻をきたしたり、非行に走ったりするのを待って、行政の支援、司法の介入を期待することは現実的ではありません。
また、暴力のある家庭では、親と子どもの信頼関係が機能不全に陥ってしまっていることが少なくありません。その状況下で思春期をむかえた子どもは、親のことばに反発し、耳を傾けることはなくなってきています。自我がつくられる思春期から青年期、特に中学生や高校生に進級した子どもたちにとって、暴力で傷ついた心のケアを受けることの必要性を理解させ、納得させることは困難です。原因をつくってきた親から「一度、病院で診てもらおう」といわれることは、子どもにとって、「俺をキチガイ(病気)扱いにするつもりなのか!」と感情を逆なでします。このひとことが、家庭内暴力のキッカケになることもあります。
 こうした状況下で、冒頭のように、母親は、子どもに「もう暴力には耐えられない。いいくるめられるお母さんじゃない。家をでる」と訴えるのです。「お母さんは変わったから、家をでる」という悲痛な母親の訴えであっても、思春期をむかえた子どもにとって意味を持たないのです。なぜなら、暴力のある家庭環境での生活、つまり、父親と母親との関係性から学んできたのが、「自分に都合がいいこと」、「自分の特になること」を“判断基準とする”ことだからです。つまり、苦労をしたくないのです。離婚した母親との生活が“これまで”のような生活水準を満たすものでない限り、買ってほしいものが買ってもらえなくなるなど、ツラいこと、がまんすること、新たな苦労が待っていることになります。とくに、知らない土地、新たな生活をはじめ、新たな人間関係を築かなければならないことには強い不安、恐怖さえ覚えるのです。家庭のことがすべてであった幼児期、学童期前期ではなく、思春期をむかえた子どもは、友だちや習いごとなど自分自身の世界観が拡がってきています。学校のクラスメート、習いごと、部活の仲間と「どうして別れなければならないのか」、「どうして転校しなければならないのか」と憤り、「あれほど嫌な思いをさせてきていながら、なにを勝手なことをいっているんだ!」と怒りさえ覚えるのです。母親に向けられる怒りは、a)父親に怒鳴られ許しを請い、b)父親にいわれたことにNOといえず、従うしかできない、c)父親のいいなりになってきていた“これまで”の母親に対してのものです。自分に父親の刃が向けられても見てみぬふり、守ってくれることのなかった母親が、突然、「もう耐えられない」と声をあげることなど、子どもにとって、自分勝手ないい草でしかないのです。
 支配のための暴力を受け続けてきた母親が、自分が被害者であると自覚し、ツラい、苦しい、もう暴力に耐えられないと思い、その関係を断ち切る決断をすることは正しいことです。子どもがいて、その子どもが乳幼児であれば、有無をいわさず手を引いたり、抱き抱えたりして家をでればいいわけです。しかし、その子どもが小学校3-4年生(9-10歳)となり思春期に入ると、もはや有無をいわさずとはいかない状況になっていきます。思春期を迎えるようになった子どもは、時として、DV加害者である夫との関係を断ち切り、家をでることの足枷になってしまうことがあるのです。足枷となった娘や息子が、青年期(16歳-22歳)に達したり、精神的に親から独立するようになったりするまでは、母親のもう耐えられない、がまんできない思いに共感し、「お母さん、もう家をでなよ」と背中を押してくれることは稀です。つまり、子どもは乳幼児期、児童期、思春期、青年期と成長していく中で、母親が暴力から逃れる背中を押してくれるときもありますし、逆に、足枷になることもあるということです。とくに、思春期-青年期前期(10-17・18歳)の子どもは、たとえ、暴力のある家庭環境にあっても、新しいことにチャレンジすることに躊躇します。強い不安感の裏返しとして、“いまさら”ということばで、新しいことにチャレンジできない自分を納得させようと目論むのです。

② 暴力のある家庭環境で、子どもが思春期をむかえるということ
 暴力のある家庭環境で、子どもが思春期(10-15歳)を向えるということは、10-15年もの間、夫婦のあり方を見て、人とのかかわり方を学び、身につけてきたことを意味します。それは、妻という「女性(弱いもの)を支配していうことをきかせる」ためにパワー(暴力)を用いるやり方であり、絶対君主、絶対権力をもつ父親(男性)のもとからは、母親(女性)は決して逃れられない状況を学んでいくことになります。つまり、人とのかかわり方、関係性の基本が、力のある者には屈し、力の弱い者には力で押さえつけるということです。親やきょうだい、保育園や幼稚園、小学校、中学校の同級生や先輩後輩といった関係性において行使され、その体験を積み重ねていくことになります。また、巧妙な嫌がらせの加害者になったり、または、被害者になったりすることもあります。中には、母親に支配され、同一化することによって、母親を自分のものにしてしまう、つまり、「共依存」の関係性を求めてしまうこともあります。
 暴力のある家庭環境で育っている中で、母親が「父親(夫)のようにパワーによって、人を支配することはいけない。だから、私はもうがまんしない。従うことはしない」と声高に宣言することは、子どもにとって、いままで目の前で繰り広げられてきた父親と母親の関係、そして、父と子の関係を覆されるものでしかないのです。つまり、子どもにとって、突然、“これまで”とまったく正反対の路を示されることになります。このことは、“これまで”構築してきた価値観そのものを崩壊させるできごとになるわけです。
 「もっともである考え、正当性のある考え」であっても、生まれてからずっと暴力のある家庭で育つことを余儀なくされてきた子どもたちにとって、そのまま受け入れることではないのです。その前に散々心は傷つき、暴力という方法を身につけることしかできなかったのです。人(同級生だけじゃなく、先生や親戚の大人たち)との距離感をどうとっていいのかわからず、散々悩み、苦しんで、生き難さを感じてきたのに、「いまさら」です。幼児のころから「何度も何度も助けて!」と訴えてきたじゃないかと憤り、怒りを覚えます。眠れなかったり、怖い夢を見たりするから寝ることが怖くて仕方がなかったりしていました。怒鳴られ、罵倒され、叩かれ、殴られたあと、2~3日経つと頭痛や腹痛がしたり、3-8週間に一度高熱をだして(免疫力が低下して溶連菌感染症を発症したり、扁桃腺を腫らしたり)、身体的症状を通してずっと“心の悲鳴”を訴えてきたのです。

③ 子どもの反対で別れるタイミングを逸したあと
 では、思春期をむかえた子どもに、“いまさら”と親の離婚に反対され、暴力のある家庭環境に留まることを決意した母親への影響を考えてみたいと思います。
 母親が第一子を22-32歳で出産したとすると、思春期をむかえた子どもが10歳から17-18歳と成長する7-8年は、母親は暴力を受け続けながら、32-42歳から40-50歳と1年1年と齢(よわい)を重ねることになります。このことは、暴力にさらされ続けたストレスは蓄積し、より心身を蝕んでいくことを意味します。その結果、a)精神安定剤や睡眠薬が手放せなくなっていたり、b)暴力に対し鈍感になっていたり、c)更年期の症状が早く訪れ、しかも、症状が重くでていたり、d)甲状腺機能の異常や免疫機能が損なわれるリュウマチ等の膠原病に悩まされはじめていたり、なにより、e)壮絶な暴力を受けてきた記憶さえも霞んでしまったりします(解離性健忘からアルツハイマー型認知症を発症します)。また、f)耐え続ける現実から目を背けたいという絶望感と無気力感、子どもたちにも苦しさをわかってもらえなかった寂しさと孤独感に襲われ、ぽっかり空いてしまった心の穴にすっと新興宗教やカルト教団が入り込んでしまったり、出会い系サイト(コミュニティサイト)などにのめり込んでしまったりすることもあります。さらに、g)親の介護の問題がおきたりすることもあります。つまり、暴力のある環境の中で1年1年と齢を重ねるごとに、新しい人生を生きるエンジンが奪われてしまったり、新たな問題を抱えることになったり、問題はより複雑になっていきます。

④ 思春期をむかえた子どもにとって“いまさら”でも、そのままでいいはずがない
 子どもは社会のルール(道徳観、倫理感)を身につけなければ、その後、対人関係でトラブルを生み、苦しみ、悩むようになります。それは非行、犯罪とみなされることもあります。実は、社会のルールと反する中での生活を余儀なくされている状況そのものが、暴力のある家庭環境で育つということなのです。つまり、反社会的なおこないを叩き込まれて育つのです。
 暴力のある家庭環境で抑圧されて育ってきた子どもたちは、受験や就職活動の失敗、学校や職場での人間関係の軋轢などをきっかけにひきこもり、ニート生活から抜けだすことができなくなった人たちと同様に、「俺の(私の)人生はどうなるんだ!」との強い憤りを心に秘めています。その強い憤りは、不安の裏返しの感情であり、弱い自分と向き合うのを避ける(回避する)ための理由づくりの意味もあります。新しいことにチャレンジする不安を回避するために、「そのとき、お母さんは気づきもしなかった、見向きもしてくれなかったのに、どうしていまそんなことをいってくるんだ」と憤り、怒りをあらわにするのです。つまり、子どもにとっては、現実と向き合うことはツラく、苦しいので、「もう、いまさら」という意味があるということです。子ども自身の不安感が、「いまさら、家をでる? 離婚するって。俺がどんな思いをしてきたと思っているんだ」、「どっちが親権をもつかだって! 俺はモノじゃないんだ、勝手なことをいって。そんなことに、俺を巻き込みやがってなんなんだよ」との叫び声をあげさせているのです。
 このまま暴力のある環境に留まることは、さらに、子どもの状態を悪くするだけです。母親として、子どものそうした不安との裏返しの感情の苛立ちや憤りを受け止める覚悟をして、家をでるしかないのです。それは、母親として大きな負担を負うことになります。それは、③であげたような自身の心身に表れる症状だけでなく、PTSDの症状に悩まされたり、離婚調停では、暴力を認めない夫と闘わなければならなかったりする状況で、まるで赤ちゃん返りのように駄々をこねたり、癇癪をおこしたりする子どもと向き合わなければならないという意味です。
 とはいっても、“これから”に思いを巡らしてしまうと先に進むことができないので、ただ配偶者からの暴力に耐え、がまんしてきた事実と向き合うことです。子どもの「助けて!」のサイン、叫び声に気づく余裕などなかったとして、“これまで”の自分を責めるのではなく、悪いのは、DV加害者であるという事実にフォーカスすることです。人として許されることのないおこないを繰り返してきたのは、DV加害者であるという事実です。


(4) DV加害者の治療と更生。「変わってくれる」との期待感は捨て去る
 第1章(児童虐待とドメスティック・バイオレンス)でとりあげた幾つかの事例で、DV被害者が「結婚したら」「子どもができたら」「男の子(後継者)を生んだら」、「こんなに謝ってくれているのだから」といった“条件”を設けて、「きっと変わってくれる」、「もう暴力をふるまなくなる」と根拠のない期待を持ってしまうことが、別れるタイミングを逸する原因のひとつになっていることを述べてきました。
第5章(DVのある家庭環境で育った子どもと母親のケア)で、「27.DV加害者更生プログラム。「ケアリングダッド」を実施するうえでの原則」と1節を設けて、DV加害者更生プログラムについて説明していますが、元交際相手や元配偶者に対するストーカー事件の増加に伴い、加害者教育の必要性に注目が集まりつつあります。
 そのため、DV加害者更生プログラムを受ければ、暴力はなくなり、別れたり、離婚したりしなくてもすむのではないかと期待してしまう被害者の方たちの少なくありません。しかし、DV加害者更生プログラムは、被害者が、相手が変わってくれることを期待して受講を希望するものではなく、加害者本人が、自分自身の意志で、自分自身の暴力性や歪んだ認知と向き合うために受講するものなのです*。つまり、プログラムを受けて変わってくれて、暴力をふるわなくなるのであればという期待感で、別れたり、離婚したりするのを「回避」するための切り口にするものではないということです。別れや離婚を「回避」するための切り口にする思考は、被害者自身が抱える、結婚したら、子どもができたらといった“条件”を設けて、「変わってくれる」「暴力をふるまなくなる」と根拠のない期待を持ってしまうことと変わらない考え方の癖(認知の歪み)ということになります。
 したがって、被害者が離婚を回避したり、復縁をしたりする条件として、加害者に「DV加害者更生プログラム」の受講を期待するのは、再び、暴力のある生活という火の中に飛び込むことを理解しなければならないのです。
 そして、第2章(児童虐待と面前DV。暴力のある家庭環境で育ち、育つということ)の中で、人は脳の発達プロセスの中で、その働き(機能)を獲得する時期が決まっている、つまり、それ以降、獲得できなかった働き(機能)を獲得できないことを説明しました。怒り、哀しい、嬉しいなどの感情を爆発させる扁桃体をコントロールする前頭葉の働きは、2歳10ヶ月までに獲得しなければならないのです。つまり、感情が爆発するのを抑制する脳機能を脳の発達過程で獲得できていないときには、間違った考え方を知ったり、トレーニングなど学んだりしても、獲得できなかった脳機能を後から獲得することはできないのです。この事実の持つ意味は、残酷な現実であるとともに、DV事件、虐待事件を理解するうえでは欠かせない視点です。
* 平成26年7-12月、東日本の11警察本部からストーカー規制法にもとづく文書警告をだされ、治療の一環としてカウンセリングを打診された284人(うち男性249人(87.68%))の加害者のうち、「受けたい」と応えた加害者は3.61%(9人)という結果がでています。そして、専門家のカウンセリングを紹介するチラシそのものの受けとりを拒否した加害者が76人(30.52%)で、そのうちの50人(20.08%)は「自分には必要ない」と応じています。また、チラシを受けとった208人(83.53%)のうち、134人(64.42%)は「参考にもらっておく」、「受けるかどうか考えてみる」と応えたのが30人(12.05%)でしたが、「参考に」、「考えてみる」という164人の加害者の反応は“対面上”であると考えられることから、自らの意志で治療にとり組む前向きさはなく、チラシの受けとりを拒絶した50人とさほど違いはないわけです。
 したがって、メディアなどで、加害者プログラムの成果などを紹介されたものは、「受けたい」「治したい」と加害者自らの意志で治療にとり組んでいるものであることを十分に認識しておくことが重要です。


① 育った家庭環境でつくられるコミュニケーションとしての暴力
 突然、怒りを爆発させるDV加害者の多くは、暴力のある家庭環境で育ってきていることから、自分への不満、自分の存在価値を感じることができていません。親から受けた虐待行為により、身近な人から見捨てられるかも知れないという苦しみを抱えています。
 第1章(児童虐待とドメスティック・バイオレンス)以降、繰り返し述べてきましたが、「夫は暴力のある家庭環境で育っていないし、親から虐待を受けて育っていない」と認識している被害者も少なくないわけですが、否定と禁止の意味を持つことばで子どもをコントロール(支配)しようとする過干渉や過保護、親の期待通りに人生を歩ませたいとの強い思いで子どもをコントロール(支配)しようとする教育的な虐待は、親から子どもへの虐待(暴力)行為そのものです。加えて、父親が母親に対して身体的な暴行を加えたり、精神的な暴力(ことばの暴力)をふるたったりするのを見たり、聞いたり、察したりさせてしまう状況そのものが面前DVとして、子どもに対しての精神的虐待です。詮索、干渉、束縛は、人を支配する行為そのものとの認識する必要があるのです。
 また、「私の親は、しつけに厳しかったと思います。」と話す被害者に、“厳しかった”状況を詳しく教えてもらえませんか?となげかけると、叩いたり、殴ったり、罰・こらしめとして家の外にださせたり、押し入れに閉じ込めたり、食事を食べさせなかったり、裸にして水を浴びせたり、髪を坊主(女の子の場合は短髪)にしたり(短くする)する体罰(身体的な虐待)、大声で怒鳴りつけたり、否定や禁止のことばで罵倒したり、やはり、罰・こらしめとして子どものが大切にしているものをとりあげたり(捨てたり)する、遊ぶ友だちを制限したり、見ていいテレビ番組や読んでいい本など、子どものあらゆる行動を徹底的に管理したりする親の姿が明らかになってきます。
 こうした親の子どもへのふるまいは明らかな虐待行為であっても、家庭内では、日常的、常習的なできごとであるとき、子どもは、どこの家庭でもあること、どこの家庭の親も子どもにはそうしていることと認識します。その認知の歪みが、大人になったときも、「しつけに厳しかった」ということば(認識)となっているのです。
 こういった視点に立つことができると、DV加害者が、高学歴であったり、社会的に認知されている職業に就いていたりしても、「親の教育的虐待を受けやすい環境にあり、抑圧されて育っている可能性が高い」という“生い立ち”をに正しく認識することができるわけです。
 したがって、加害者が、「Ⅴ-25-(3)STEP-3.怒りのワークの段階」に記しているような「怒りの感情をマネジメントする(アンガーマネジメント)」ワークで、怒りをコントロールする方法を学んだとしても、怒りの感情の裏にある苦しみと向き合わない限り、治癒は不可能であるといわれています。つまり、自身の虐待体験と向き合い、歪んだ認知に対しての治療が必要になるのです。確かに、DV加害者更生プログラムは、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)に対しておこなわれるものです。しかし、「Ⅱ-11-(9) 性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁・殺傷事件」でとりあげた事例136-141の加害者のように、愛着障害を起因とする「反社会性人格障害」、「妄想性人格障害」、「自己愛性人格障害」を抱えている人がDV加害者であるときには、いかなる治療法がおこなわれても改善を期待することはできないのです。
 暴力は、親から暴力という“ことば”としてすり込まれ、身につけてしまった感情表現のパターンです。暴力という手段に頼れば、簡単に人をコントロールできるということは、親の下で、子ども時代に学び、身につけてきたものです。学習した暴力を実行に移すときの加害者心理は、怒りの感情とともに、怖れや不安という感情が大半を占めています。「怖れや不安を抱いているようには思えない」と思われるかもしれませんが、繰り返し述べてきているように、人が不安や恐怖をうち消す方法は、攻撃して排除すること、かかわりそのものを避ける回避する)こと、不安や恐怖に鈍感になる(なにも感じなくしたり、心を閉ざしたりする)になることの3つです。
 暴力のある家庭環境で育ちアタッチメントを損なっていると、自分の意に添わない言動をされると、“自分の権威が脅かされた”という不安を抱き、脅威を感じます。同時に、“自分の存在価値そのものが否定されたのではないか”という疎外感、孤独感を抱きます。その不安や脅威、恐怖、疎外感、孤独感を悟られ甘く見られたり、見下されたりしないために、怒りの仮面(ペルソナ)を被って、妻や交際相手、子どもをコントロールしなければならないのです*。なぜなら、そうしなければ自身の心のバランスは崩れてしまうからです。被害者である配偶者をコントロールするために最も効果的な方法が、痛みと恐怖によって自分に従わせることのできる、意のままに操れる暴力ということになります。
* 逆に、「Ⅳ-23.DV加害者に共通する行動特性」でとりあげた事例を通じて検証してきましたが、疎外感、孤独感を訴える(情に訴える)ことで、意図的に、私が支えてあげるとの気持ちをひきだすように持っていくことでコントロ-ルするやり口もあります。

② 「暴力を学び落とす」ということ
 怒りの仮面を被って駆使される暴力は、加害者が大人になるまでの間に、親からコミュニケーションとして学習し、身につけてきたものであることから、暴力を止めさせるのは、「暴力を学び落とす」ための最教育が必要となるのです。暴力の背景には、相手を自分の思うようにコントールしたいという欲求と、そのために最も効果的な方法として暴力を正当化する考え方があります。つまり、相手を自分の思うようにコントロールしたいという欲求と、そのための最も効果的な方法として暴力を正当化する考え方がベースにあります。つまり、DV加害者に対する“再教育”とは、「欲求」と「考え方」を変化させるためのものということになります。しかし、“欲求”と“考え方”は、加害者の人格の一部であり、変化させるのは並大抵なことではなく、「育て直し」という意味で、気が遠くなるほどの時間を必要とされます。
 人格に歪みを生じている加害者が「暴力を学び落とす」ためには、DV加害者更生プログラムでおこなわれている内容だけでは足りず、少年事件で、精神鑑定がおこなわれ愛着障害などが認定され、医療少年院に送致されたときには「育て直し」のためのプログラムが実施されていますが、それに匹敵するものが必要となると考えます。
 問題は、医療少年院でおこなわれる「育て直し」のためのプログラムは、脳(特に、前頭葉)の発達途上にある児童(18歳未満)、そして、22歳でほぼ成長は遂げているものの確立は多少余地が残されている可能性がある26歳未満の少年に実施されるということです。仮に、こうしたレベルのプログラムを用意することができたとしても、交際時や結婚後のDV加害により、DV加害者更生プログラムの受講を決意したときには、ほとんどのケースで22歳を超えているということになります。実際に、参加者の50%は30歳代で、20%が50歳代、20歳代、40歳代という順になっています。
 そして、親から受けた心の傷に関しては、確かに癒やしが必要です。しかし、心の傷が癒やされても、身につけてしまった暴力がおさまることはありません。
 したがって、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)に対しておこなわれる「DV加害者更生プログラム」は、“認知の歪みの程度が深刻でないケース”では、ある一定の効果が認められます。しかし、“認知の歪みの程度が人格そのものにまで至っているような深刻なケース”では、DV加害者更生プログラムに限らず、いかなる医療的な治療がおこなわれても改善は期待できないのです*.。「DV加害者更生プログラム」を理解するうえで重要なことは、DV加害者の認知の歪みの程度によって、その「効果は違う」と至極あたり前の視点に立つことです。
* 子どもへの虐待を繰り返す親に対しても、同じ考え方に立つ必要があります。

③ 暴力のうまみ(対象者)と離れることが条件
 DVが常態化していても、離婚を回避するために、被害者が「DV加害者更生プログラムを受けて欲しい」と考えるケース、逆に、加害者が「DV加害者更生プログラムを受けるから、離婚を考え直して欲しい」とお願いするケースがありますが、どちらのケースにおいても、先に記しているとおり、「認知の歪みの程度が人格そのものにまで至っていない」という条件をクリアしたうえで、薬物依存患者と同様に、“欲求 ”の対象となる妻や子どもとの共同生活のもとでは、DV加害者更生プログラムへの参加、精神科での治療はできないことを理解しなければなりません。なぜなら、共同生活は、被害者にとっては、暴力のある環境が継続されることであり、加害者にとっては、支配したいとの“欲求”を満たす者が用意されている状態に他ならないということだからです。薬物依存患者やアルコール依存患者の目の前に、薬物やアルコールを用意して使用したり、飲んだりしてはいけないということばが意味を持たないことは明らかです。
 第2章(児童虐待と面前DV。暴力のある家庭環境で育ち、育つということ)の中で、胎児期から脳がどのようにつくられ、暴力によるストレスが脳に与える影響などを論じてきたように、脳幹などの古代脳で覚えてしまった暴力や薬物、アルコール、セックスのよる“快感”は、前頭葉などではコントロールできないのです。したがって、「絶対にやらない」と強い意志を示しても意味は持たないのです。一度、薬物に手を染め、依存してしまうと脳からその記憶を消しさることはできず、できるのは眠らしておくことだけです。眠りから覚める刺激を側においておけば、再びその刺激を思いだし求めることになります。暴力で覚えた“快感”もまったく同じなのです。
 したがって、加害者が「DV加害者更生プログラム」を受けるときには、家族(配偶者や子ども)と別れ、更生する覚悟と決意がなければならないのです。更生のためには、加害者自らが、配偶者や子どもに暴力をふるっていることを自覚でき、暴力のある家庭で子どもが育つことの影響を正確に理解したうえで、暴力で支配しようとするふるまいを治したい、暴力に頼らない人とのかかわり方を学び直したいとの強い意志が必要不可欠です。なぜなら、加害者に必要なのは、治療ではなく、“更生”だからです。加害者自身が、自分を変えたい、配偶者や子どもを暴力に巻き込んではいけない、離れて暮らさなければ、子どもたちにとり返しのきかない重い十字架を背負させてしまうことを自覚しなければならないのです。
 DV加害者が向き合わなければならないのは、DVには、配偶者を支配している、屈服させている“快感に浸れる”という「うまみ」を捨てると覚悟です。たとえ、加害者が更生を望んでも、「うまみ」をえるための対象が側にいるという状況では、その「うまみ」を拒絶することは難しく、更生を拒む要因となります。つまり、更生には、暴力の火種が燻らないように、その「うまみ」とのいっさいのかかわりを断ち切り、種火を完全に残さないことが必要なのです。
 そのため、被害者が、加害者に「更生するのを待っているよ」といったことばで、“種火が残っていること”を期待させてはいけないのです。そして、夫婦間に子どもがいるときには、被害者は、加害者との共同生活は、暴力のある家庭環境で子どもを育てることに他ならず、日々成長していく子どもたちの心を壊してしまいかねないと正しく認識することが必要なのです。

④ 前頭葉でコントロールできない古代脳が覚えた“快感”
 脳幹などの古代脳で覚えてしまった暴力や薬物、アルコール、ギャンブル、セックスのよる“快感”は、前頭葉などではコントロールできないのです。つまり、暴力をふるったり、ふるわれたりする強烈な刺激は、前頭葉でコントロールできない脳幹などの古代脳が覚えてしまいます。問題は、一度、古代脳が覚えてしまった暴力という強烈な刺激を消し去ることはできないということです。しかも、古代脳が覚えてしまった強烈な刺激は、衝動的に、そして、周期的に求め続けることになります。このことが、薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存、セックス依存などの治療を難しくさせることになっています。このことは、「Ⅳ-23-(6)シェルター、児童相談所に不信感をいだいているのは、加害者だけではない」の中で、『薬物、アルコール、ギャンブル、セックス、暴力による快感が、「生理的欲求」、「安全の欲求」よりも優先されることを示している』、『…(快楽刺激)は、ときに、生理的欲求を凌駕してしまうわけですから、人が、薬物、アルコール、ギャンブル、セックス、暴力で得られる強烈な刺激(快楽)を優先してしまう状況に陥っているとき、「身の破滅させる」、「犯罪者となる」、「家族を破綻させる」といったことばは抑止にはならない』などと記し、説明していますが、この問題を明確に表すものです。
 また、長期間にわたって慢性反復的に激しい暴力を受けてしまうと、暴力のない穏やかな日常を求め続けていても、周期的に強烈な刺激を求める衝動に駆られ、暴力をふるわせる行動にでてしまうことがあります。激しい暴力のある環境で育った人たちが、お互いに激しい暴力を伴う関係性でしか、恋人関係、夫婦関係、親子関係、そして、きょうだい関係、友人関係を維持できなかったり、前述のようなパワーゲームを繰り広げてしまったりするのも、こうした理由からです。このことが、暴力に耐えきれず逃げ、離婚したはずなのに、古代脳のが中で残り火として燻り続け、暴力の刺激を求めてしまう事態を招く要因になるわけです。
 古代脳が覚えてしまった暴力という強烈な刺激による衝動的なふるまいは、ものごとをどう捉え、どう考え、どうふるまうかといった、私たち人類が何千年という月日をかけて獲得してきた文明が詰まった考える脳、つまり、前頭葉ではいっさいコントロールできないのです。周期的に襲ってくる暴力への衝動(渇望)に耐え、打ち勝ち、また、衝動に襲われ、耐え、打ち勝つことを繰り返し、数年、十年との月日をかけて渇望感は収まっていきます。ところが、その収まりは、なにかひとつのきっかけで眠りから覚めてしまう心もとない、危ういものです。薬物、アルコール、ギャンブル、セックス、そして、暴力により得られる強烈な刺激(快感)を覚えた(記憶した)脳は、なにかひとつのきっかけがあれば、その瞬間、マグマが突きあげてくるような激しい欲求を抑えきれず、コントロール不能になるのです。こうした危うい状況は、一生、抱え続けることになります。
 ここに、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)に対しておこなわれる現在のDV加害者更生プログラムの限界があるということです。
 確かに、「認知の歪みの程度が人格そのものにまで至っていない」という前提で、加害者自身で参加する意志と固い決意を示し、暴力の対象者となる家族(配偶者や子ども)と離れ、離婚を回避したり、復縁したりできる条件とすることなく、DV加害者更生プログラムを受け続けることができれば、ある一定の効果はあります。しかし、プログラムを終えたとしても、薬物、アルコール、ギャンブル依存者の治療プログラムとしてのダルクのような機関がないだけでなく、薬物、アルコール、ギャンブル依存者を支え、ときには使用させない(与えない)監視の役目を担う家族が、“暴力の対象者”となることから、ともに生活をしながら、あるいは、別居しながら支えるということができないわけです。アタッチメントを損ない見捨てられ不安を抱え、渇望感と強烈な寂しさを心に抱える加害者が、「交際相手や配偶者、そして、子どもに対して暴力はふるわない」と固く誓ったとして、“対象者”とのかかわりを一生断ち続けることは至難の業です。まして、暴力をふるわなくなることを期待して待つことは現実的ではないと考えます。
暴 力にさらされた人の脳は、一生こうした状況におかれることを理解しておく必要があるのです。


(5) 暴力に順応してきた被害者が、調停に持ち込んではいけない考え方
 婚姻破綻の原因がDVにあるとする離婚調停では、被害者が、DV加害者の心理・行動特性をバックボーンとして状況を読みとることができなければ、足元をすくわれてしまいます。加害者の態度、考えやいい分の変化を、DV加害者の心理・行動特性に照らして推論し、考えなければならないのです。つまり、被害者は、加害者の心理と調停の流れを読みとり、切り崩しを仕掛けていかなければならないことになります。加害者の主張が、a)“(逆らった、裏切ったことへの)こらしめ”なのか、b)調停委員に対し“いい人”という虚像を演じているのか、c)子どもを介して“配偶者とのかかわりを続けよう”としているのかといった流れ(意図)をつかみとり、主体的に調停を進めていかなければならないのです。
 加害者の発言や主張の真意を読みとれず、調停の流れをつかむことができないと、加害者が主導権を握り、後手後手の対応を迫られることになります。一度、後手に回ると、状況を打開するのは容易でなくなるのはいうまでもないことです。
加害者の発言や主張の真意をどのように読みとったらいいのかについては、「Ⅳ-24.DV加害者に共通する行動特性」の(1)-(8)、「Ⅳ-25.DV被害者に待ち受ける懸案事項」の(1)で、ポイントを整理していますので、ここでは、暴力に順応してきた被害者の考え方の癖(認知の歪み)にフォーカスして、離婚調停において、被害者自身の発言や主張によって不利な状況を招いたりしないポイントを整理しておきたいと思います。

① 夫の意に添うようにふるまわない
 離婚調停では、先に記しているとおり、「夫は、私のことを思って~してくれていたのだと思いますが、…」と、夫は“きっとこうしたかったに違いない”と夫の気持ちや考えに思いを馳せて(思いを汲んで)はいけないということです。
 大切なことは、第一に、「私は、夫に~された。」と受動態で思い述べるのではなく、「夫は、私に~をした。」を能動態で、事実を伝えることに徹することです。第二に、思い(意見)と事実をきちんとわける、つまり、状況(事実)を説明し、考えを主張することが大切です。なぜなら、司法に携わる人は、法に照らして説明された事実で可否を判断していきますから、ロジカル(論理的)でなかったり、因果関係のない話であったりすることを嫌う(苦痛と感じる)のです。裏づけのない感情論には辟易してしまったりすることを理解しておく必要があります。依頼した弁護士が「陳述書を書いても、裁判官や調停委員は長い文章は読みたがらないし、読まない。」といったりするのは、こうした解釈によるものです。裁判所の判例を見るとわかるように、その判決文は難解で、とても長い文章です。つまり、彼らが慣れ親しんでいる文体、文章構成であれば読むし、どれだけひどい思いをしてきたのかを嘆き、共感を訴えることばばかりを長々と書き綴ってしまっている文章は、ロジカル(論理的)でないので読みたがらないというだけです。陳述書は、報告書として事実経過とまとめ、因果関係にもとづいて論理的に主張しているものであれば、裁判官も調停委員も、そして、依頼している弁護士もきちんと読みます。たとえ、夫が「権利」として「親権」や「面会交流の実施」を主張してきたとしても、「夫はその権利を行使する資格がない」ことの“根拠”を、論理的(因果関係にもとづいて)に示せばいいことになります。

② 夫の機嫌を損ねないことを考えない
 調停では、調停委員や加害者の発言に、なにか“変化”の兆候がないだろうか、その前にどういうやり取りがなされていたのかと、“流れ(その場、そのとき状況とその都度変わる状況の変化)”を読みとることが重要です。
 いまの状況がどうなっているのかを読みとることは、ごくあたり前の「なぜだろう?」と考えるチェック機能です。しかし、暴力のある環境で暮らしてきた被害者にとっては、ごくあたり前のことではなくなっていることが少なくないのです。なぜなら、暴力のある環境で生活する中で、「いっても無駄」、「いってもなにも変わらない」と思い知らされてきたツラい体験を積み重ねてきているので、疑問を感じること、つまり、“なぜ?”と考えることを封印してきたからです。「いっても無駄」、「なにも変わらない」と思い知らされる前には、「俺にはお前が必要なんだ」と甘いことばをいってくれたりしたかと思うと、突然、「テメエはまだわからないのか!」と大声で怒鳴りつけられたり、“相反する受容(優しさ)と拒否(暴力)”を交互に繰り返され、「どちらの夫が本当なの?」と思考混乱をおこし、「どうして? 夫はこうなんだろう」と、夫のことばかり考えている一定期間があります。その期間を経て、夫にはいってもムダ、夫はいっても変わらないという諦め、つまり、無力さを思い知らされ、絶望感を抱くようになっていきます。それだけでなく、「テメエは痛い目に合わないとわからない!」と“責任はお前にある”との意味を伴ったことばで、加害者自身のふるまいを正当化する発言とともに、怒鳴りつけられたり、殴られたりしていると、「悪いのは自分」と思い込まされていくことになります*。
 こうしたプロセスを通じて、思考がコントロールされていく中で、被害者は、なぜ?と考えることを封印(疑問を感じない、持たないようにする)していくようになるのです。
* DV被害を第三者に話すとき、「夫に暴力をふるわれるのは、私にも原因があるのです。」と表現してしまうと、「原因はあなたにあるというのは?」と訊かれ、応えるという流れになり、あなたの問題にフォーカスされ、詳細な状況を知らない第三者に“原因があるなら仕方がない”と思われ、あなたのふるまいや言動を直していくことをアドバイスされてしまうことがでてきます。
 そして、暴力のある環境で暮らす被害者(妻や子ども)は、思考がコントロールされる中で、夫(もしくは父親)の気分を害しないように、機嫌を損ねないように顔色を伺い、意に添うように先回りをして考え、尽くします。苛立ちや怒りの気配を察知するために全神経を使うことで、心身ともにすり減らし、怯えながら、息をひそめて生き延びてきたのです。“なぜ?”“どうして?”と思うとツラく、耐えられなくなることから、考えることをやめてしまい、感覚を鈍感(感覚鈍麻)にして、心が傷つく(精神が破壊される)ことから守らなければならないのです。人は、心を破壊されることから守るためには、ツラい現実(真実)から目を背け、“なあなあ”“うやむや”にして過ごすか、すべての記憶を消し去るか、“もうひとりのわたし”に抱え込んでもらうしかないのです。
 心は傷つき、疲弊し、「もう耐えられない」と心が悲鳴をあげ、加害者の夫のもとから逃れる決心をしてきたDV被害者の多くは、この思考習慣をそのまま離婚調停に持ち込んでしまいがちです。しかし、調停には、夫がどうするかを考え(どうしたいかと思いを馳せ)、夫の“機嫌を損ねない”ように、“意に反しない”ように考える、暴力のある生活環境で育ち、暴力のある環境に順応するために身につけなければならなかった考え方の癖(認知の歪み)を持ち込んでしまってはいけないのです。被害者の多くは、「こんなことをいったら機嫌を損ねてしまうかもしれない」といいたいことを口にしなかったり、「他人にペラペラしゃべりやがってと夫を怒らせてしまったら、なにをされるかわからない」との思い(恐怖心や不安感)に囚われ、“なにをされてきたのか”を話すことができなかったりします。こうした状況は、“これまで”暴力に支配されていた生活となにも変わらず、夫の土俵で戦うことになります。被害者であるあなたの思考言動パターンが、加害者である夫を擁護することになったり、夫の主張の裏づけをしてしまったりして、自分自身で不利な状況を招いてしまうことになるのです。
 さらに、被害者が、「人に悪く思われたくない」思いや、「こんなことを口にしたら、変な奴とか、そんな話バカげているとか批判されないだろうか」との強い不安感を抱えているときには、たとえ、自分の考えとは違ったり、自分がいいたいことではなかったりしても、調停委員や弁護士の意向に沿った(意に反しない)ことを発言してしまうことがあります。
 事例31で、被害者Fと支援者とのメールのやり取りの中で、Fが「…。N弁護士のメールのことは、わかってもらいたくて色々説明しているところですかね。4月22日23日あたりです。急に距離をつめすぎているように感じました。N弁護士に気持ちをもっと話した方がいいのかなと思ったのと、本当に苦しかったんだと気づいてもらえたら、調停も多少は違う結果になったりするかなと思いました。わかってくれる!と思って飛びついてガッカリ…のような感じです。」と書いているように、Fは、依頼した弁護士に気兼ねして、「なにをされてきたのか」「どのような状況におかれてきたの」という事実にフォーカスするのではなく、弁護士の意向に沿った(意に反しない)ようにふるまおうとしてしまった結果、状況を悪くしてしまったのです。暴力状況を的確に示す「夫に馬乗りになられ、顔を床に押しつけられた」という身体的な暴行の事実は伝えず、細かなお金の使い方まで詮索され、干渉された嫌な気持ちをひきずっているできごと(経済的暴力、精神的暴力)を詳細に伝え続けたことで、深刻なDV事件とは認識されなかったのです。Fが、「夫に馬乗りになられ、顔を床に押しつけられた」身体的暴行を弁護士に、そして、調停委員に話すことができなったのは、自身が夫から受けた暴行は父親が母親を殴ったり、叩いたりしていた状況に比べたいしたことがないと認識し、きっと弁護士や調停委員にもそう思われたり、「大袈裟」とか、「変わった人」と思われたりするに違いないと口を閉ざしてしまったのです。つまり、話してどう思われるかという強い不安感(感情)は、伝えなければならない事実よりを優先されてしまうのです。
 大袈裟な人、変わった人、おかしなこという人、嘘をつく人と思われなくない感情、つまり、「人によく思われたい」という思いは、コミュニティで生きるために、仲間に阻害され、孤立するのを防ぐ機能として、または、人の意思決定(判断基準)において、重要な役割を果たすわけです。しかし、その思いが強過ぎるときには、対等な対人関係を損なう原因になります。なぜなら、この「人に悪く思われたくない」、「人によく思われたい」との感情は、人の気を惹いたり、人を騙したりする“世渡り術(生き抜く術)”して巧みに利用するツールにもなりうるからです。
 人を騙すという悪意としての利用については、マインドコントロールを仕掛ける者は、人の“情”につけ込んでくることを、「Ⅰ-5.被害者心理。暴力で支配、マインドコントロールされるということ」の4項(暴力、洗脳、マインドコントロール)、5項(霊感商法、対人認知の心理)、6項(結婚詐欺師の言動・行動特性)の中で詳しく説明してきました。
 繰り返しになりますが、DV加害者の暴力に耐えられず、「もう耐えられない。離婚する。」と宣言したとき、謝ったことなどなかった配偶者が、泣きながら「ごめん。もう二度と嫌がることはいわない」と何度も必死に詫び、許しを請い続けます。人は何度も「ごめんなさい」「ごめんなさい」と謝られると、それを許さないほど私は非常じゃない、冷たい人間じゃないとの思いが湧きあがります。そして、「こんなに謝っているのだから、きっと変わってくれるに違いない」と根拠のない期待を込めて許すことになります。しかし、DV加害者のこうした行為は、誤りを悔い改めるためのものではなく、人の気を惹いたり、人を騙したりする術としてのおこないでしかなく、目的は、いまの不利な状況や困った状況を打開するためです。つまり、世渡り術(生き抜く術)として、“人の弱み”となる「人に悪く思われたくない」「人によく思われたい」と思い(情)を巧みについてきた行為ということになります。この「人に悪く思われたくない」、「人によく思われたい」という思い強い人、つまり、囚われ、縛られている人は、「人にどう思われているか」と、人の評価を気にし過ぎる傾向があります。「さっき、あんなこといったけど、どう思われただろうか」と心が惑わされ、強烈な不安感に襲われ、場合によっては「消えてなくなりたい」思いに駆られたり、一方で、強烈な不安感が猜疑心となり、場合によっては攻撃してその不安を排除しようと試みたりします。猜疑心が強いばかりに、依頼した弁護士を信じることができず、弁護士を解任し、違う弁護士と委任契約を結ぶことを繰り返してしまう被害者がいます。

③ “私の事情”を持ち込まない
 a)職場で、上司が部下に「君のことを案じていっているんだ。」という発言や、b)学校で、教師が生徒に、そして、c)家庭内で、親が子どもに「お前(君)のことを思っていっているんだ。」といった発言は、そうしてくれないと、社内で、学校で、家庭内で、世間的に、“自分の立場が悪くなる”との思いからの発言です。つまり、自己のふるまいを正当化する言動ということです。そのため、こうしたいい方をする上司、教師、親に対して、部下や子どもたちは「なにいっているんだ。そんなの自己保身じゃないか(世間体が悪いからだろ)! “嘘つき”!」と愛想をつかし(信頼を失い)、以降、耳を傾けなくなります。多くの場合、立場上、それでは威厳が保てないことから、パワー(力)を行使して無理やり威厳を保とう(いうことをきかせる、従わせる)とすることになります。
 集団、コニュニティの中で生活してきた人は、子どものときから“えこひいき”と“自己保身”の発言やふるまいに対して、とても敏感です。なぜなら、その特別な存在であることは、乳幼児が生き延びるために必要な“性”であると同時に“術”だからです。そして、この感覚は、大人の社会、地域コミュニティ、職場、学校、家庭、そして、家庭裁判所でおこわれる離婚調停の場においても同じ感覚が働きます。「被害者」という特別な存在となったとき、調停委員が加害者の主張に対して、被害者寄りのいい方をしてくれない(そのまま伝えてくる)と、否定されているとか、わかってもらえていないと感じ、その瞬間に「どうせなにをいってもわかってもらえない」と口を閉ざしてしまうことがあります。
 調停委員は、本来中立的な立ち位置で、双方の話を聞き、双方の考えや意志を伝えるのが役割です。DV離婚事件では、一方の話を聞いているときには、もう一方は控室で待機するしている中でおこなわれることから、2名の調停委員が、双方の主張や考えを仲介することになります。そのとき、加害者である夫の話を聞き、「夫は~といっていますが、…」と話を切りだすことにさえ、「調停委員たちは、夫の話を聞いている=夫の主張を認めている」と解釈してしまい、「調停委員は私がどれだけツラく苦しい思いをしてきたのかをわかってくれない」と批判し、強く拒絶してしまうことが少なくないのです。暴力のある家庭環境で育っていると、敵か味方か、好きか嫌いか、白か黒か、善か悪かと二元論(二者選択)で考える思考パターンとなっていることから、「自分だけの味方である」ことを求めるのです。調停委員のすべての発言に、「自分だけの味方である」と感じられないと、「やっぱり、私の気持ちをわかってくれない」と拒絶してしまうことになります。つまり、自分のことを被害者としてえこひいき(特別扱い)してくれるなら味方、中立的であっても敵という構図をつくってしまうのです。
 家庭裁判所でおこなわれる調停の場で調停委員などの第三者に伝えなければならないのは、どれだけツラかったのかという気持ち(感情)ではなく、「なにがあったのか」という“事実”です。「どのようなことをされたのか」、「どのような状況におかれていたのか」という“事実”を正確に伝えることができれば、被害者が必死に訴えなくても、第三者は、「それは大変な思いをしてきただろうな」、「ツラかっただろうな」と感じるものです。つまり、日常的にどのようなDVがおこなわれきたのかという“事実”が正確に伝われば、調停委員などの第三者は、自ずとどれだけツラく大変な思いをしてきたのかに想いを馳せることができるのです。調停委員などの第三者が想いを馳せることができない状況にあるときには、「事実を正確に伝えていない」ことになるのです。
 そして、被害者に「親権を相手にとられたくない」との思い、「子どもを相手に会わせたくない(面会交流の拒否)」との思いが強すぎると、「子どものことを思って~」、「子どもへの影響を考えると~」と必死になってしまうことになります。こうした感情的な言動は、自己都合の言動(私の事情)でしかないと思われ、不利な状況を招いてしまうことがあります。そして、「嫌だ」とか、「許せない」と心が拒絶し、感情的になったり、相手の人格を貶めるような誹謗中傷を繰り返したりする事態を招いてしまうことがでてきます。たとえ被害者という立ち位置であっても、相手の人格を貶めるような誹謗中傷は、第三者にいい印象を与えないだけでなく、仮に、相手が「DVなんてするはずはありません。でっちあげです。私のほうこそ被害者なんです。」と主張しているときには、その主張を裏づけてしまう結果に陥ってしまうことさえあるのです。

 ここで、自身のDV被害、子どもの面前DV被害(精神的虐待被害)について正しく認識できていない状態で家をでて、別居した妻が申立てた「婚姻費用の分担請求」を受けて、夫が「離婚調停の申立て」をおこない、「離婚と父親が親権を持つ」ことを求めたDV離婚事件でおきた“おかしな状態”をみていきたいと思います。

-事例168(分析研究22)-
 2人の男の子(5歳の長男はアスペルガー症候群の診断を受けています)を連れて家をでた被害女性は、夫が申立てた離婚調停において、「子どもの親権を譲れない」と主張する一方で、暴力に耐えきれず子どもを連れて家をでたものの、子どもには父親が必要との思いで、父親と子どもとの面会交流に積極的でした。ところが、子どもに父親を会わせてみると、家に迎えに行っても子どもを帰そうとせず泊まらせるなど約束を破り、子どもに「ママがパパを追いだしたんだよ。」と母親の悪口(誹謗中傷)いったり、それだけでなく、子どもの通う幼稚園や保育園、小学校、習いごと先に現れ、子どもを追いかけたり、お菓子をわたしたりするようになりました。
 そこで、被害女性は、これまでの態度を一転させ、夫に「子ども(長男)が不安定になっているので、しばらく面会を控えて欲しい。」とお願いしました。その被害女性の訴えに対し、夫は、調停において、「妻が子どもに会わせなくしている(会わせようとしない)。」と妻のふるまいを非難するようになり、一転して、離婚調停が“拗れていく”ことになりました。そして、調停委員は、調査官は調停が拗れた原因は、被害女性(妻)の方であると認識することになったのでした。

 被害者は、「夫は子どもを迎えに行っても帰らせず、泊まらせたり、私(母親)の悪口を子どもに吹き込んだり、父親が子どもの通う幼稚園(保育園、小学校)の近くで待ち伏せし、子どもにお菓子をわたしたりするので“困っています”。」と窮状を訴えるのではなく、「父親が幼稚園(保育園、小学校、習いごと先)で待ち伏せし、子どもの写真を撮ったり、お菓子をわたしたりするのは“異常だ(おかしい)”!」と父親のふるまいを非難したのです。いてもたってもいられなくなっている被害女性は、続けて、「夫の異常行為によって、子どもが怯え、不安定になっているので、家に行かせたりなどはできない。」と強く拒否し、続けて、「公共の場で、エフピックなど第三者機関に同席してもらうなど条件をつけたい。」と主張しました。つまり、否定と禁止のことばで、夫に対し一方的にさまざまな要求をつきつけるようになったのです。こうした被害女性のふるまいは、調停委員や調査官などの第三者には、これまで話合いは良好に進んでいたのに、突然、父親と子どもが会うことに異議を訴え、あえて拗らせてようとしていると感じさせてしまうものだったのです。
 当初、父親との面会交流を切望したのは、被害女性(妻)の方だったのですが、その主張を突然覆し、夫のふるまいを誹謗中傷しながら訴えたことで、調停委員や調査官には、被害女性の発言は、夫(父親)だけを非難し、人格を貶めようとするものであることから、被害女性が「子どものために」、「子どもにとっては」という理由で訴えるわけですが、被害女性は情緒不安定で、主張に一貫性はなく、ときに支離滅裂との印象を与えてしまいました。「困まっている」と窮状を訴えるか、「異常だ!」とおこないを非難するかによって、聞き手(調停委員や調査官)の受ける印象はまったく違うものになってしまうのです。面会交流を争点とする離婚事件では、被害女性が、加害者である父親と会せたくないために「子どもの将来が心配だ」、「子どもに後遺症がでることが心配だ」と、子どもの“将来(未来)”に対する“仮定”の話を主張することがよくありますが、司法や行政に携わる者は、こうした仮定の話には、明確な根拠(因果関係)を示されなければ否定的な立場で対応します。つまり、調停委員や調査官は、「面会交流をしてみないとわからないよね。」との考えを示すことになります。明確な根拠(因果関係)を示すことなく、感情的に「父親と会わせたくない!」と訴えることもまた「私の事情」と解釈されてしまうことになるのです。
 そして、この事例168も被害女性が家をでる前に、自身がDV被害を受けていることを正確に認識することができなかったことから、加害者である父親と子どもとの関係に、常識的な考え方を持ち込んでしまったことが、のちに自身を窮状に追い込むことになってしまったのです。


④ 「いい負かされたくない」思いを持ち込まない
 孫子の兵法に「彼を知り、己を知れば、百戦危うからず」とことばがありますが、広く解釈すると、「相手(加害者特性)を知らず、自分(被害者心理)を知らずに戦をおこなう(離婚調停に臨む)ことは“危く”、身を滅ぼす(とり返しのつかないミスを犯す)ことになりかねない」ということになります。
 DV被害者の多くは、長い間、配偶者の暴力に怯えてきています。夫の顔色を伺い、意に反したふるまい、機嫌を損ねないように細心の注意をするといった、暴力のある環境で生き延びるための多くの“術(すべ)”を身につけています。しかも、暴力のある生活を続けていく中で、「私が悪い(いたらない)」ので暴力を受けても仕方がないと、自分がその環境に留まる行為を正当化して(受け入れて)います。こうした暴力のある環境に順応するために身につけてきた考え方や思考習慣は、暴力に順応した“認知の歪み”によるものです。そして、被害者の暴力に順応した認知の歪みは、DV加害者にとって“都合のいい考え方”でしかないのです。被害者は、このことに気がつかなければならないのです。もし、このことに気づくことなく加害者と話し合ったり、離婚調停に臨んでしまったりしてしまうと、これまでのいうに、DV加害者に跪き、許しを請うてきた日々となんら変わらない事態が待っています。
 加害者との生活と同じように、離婚調停は、加害者の土俵で進められることになります。被害者であるはずの訴えを信じてもらえないまま堂々巡りが続き、八方塞がりになり、理不尽な思いをさせられ、絶望感に苛まれることになります。つまり、加害者がDV行為そのものを認めず、子どもの親権や面会交流を求める離婚調停に臨む状況は、暴力に支配されていた状況が「家」から「調停」に“場”を変えただけで、なにも変わっていないことになります。しかも、力ではかなわないと思いながらも“相手に負かされまい”と必死にパワーゲームを挑んできた被害者は、そのままの思考回路で離婚調停に臨んでしまうリスクを抱えているのです。
 また、被害者が、加害者の支配下にあった状態の「私は心を持ってはいけない」、「私の考えや意見を持ってはいけない」との縛りから開放されたとき、これまで溜め込んできた怒りの感情をあらわにしやすくなります。一方で、加害者は、外面よくふるまえる“術を熟知”し、“理解のあるいい夫(父親)”を演じることに長けているわけです。
 こうした状態を離婚調停に持ち込んでしまうと、感情をあらわにする妻、冷静に対応する夫といった「構図」になってしまいます。この「構図」は、いうまでもなく、加害者の夫だけに都合のいい状態になることを意味しています。この時点で、勝負が決まってしまうことになります。
 DV離婚事件では、DV加害者の夫が、「妻が家庭放棄をした(家事や育児を疎かにしている)。」と離婚原因をつくったのは妻にあり、「子どもはその犠牲になって、かわいそうだ。」と嘘・偽りを真実であるかのように主張し、いかに悪妻であったのかを一つひとつあげていくなど傍若無人なふるまいに、「いわれっぱなしで悔しい!」との思い、「調停委員に、夫の嘘・偽りを信じられてはたまらない」との思いで、ヒステリックにいい返す過ちを犯してしまいます。感情的になり、冷静さを失った被害者は、加害者と同じ穴の狢(むじな)になってしまうのです。調停や裁判に、感情的なパワーゲームを持ち込んではいけないのです。

⑤ ひと呼吸、間をおく。そして、待たせる勇気をもつ
 多くの被害者は、加害者とのやり取りでは、“パッと”応えないと怒鳴られ、罵倒されてきています。“ひと呼吸をおく(考える間をとる)”ことなど許されない状況におかれています。そのため、離婚調停においても、どうしても“パッと”応えなければならないと強迫観念に駆られやすくなります。
 ひと呼吸、間をおくことは、特に交渉の場では欠かせません。コミュニケーションスキルでは、“沈黙の効果”とよばれるものです。しかし、頭では理解できても、実行することはなかなか難しいものです。なぜなら、間による“沈黙”にどれだけ耐えられるかを試されるからです。待つことは、人を信じられるかを試されていることを意味します。人を信じられることは、自分を信じられることに通じ、それは、アタッチメントを獲得できる家庭環境で育っていることを示しています。
 ところが、間という沈黙が耐えられない人は、相手がなにを考えているのか不安になり、いたたまれず口をだしてしまったり、余計なことまで話してしまったりするのです。こうした不安は、話したことやふるまいをどう思われたか、どう受けとられたか心配している(評価ばかりが気になる)人たちにみられる特徴です。そして、人を信じることができず、疑心暗鬼になる思いを払拭するために、暴力で怯えさせ、跪かせ、許しを請う姿を見ることで、ホッと安堵感をえられる歪んだ感情を抱えるDV加害者ほど、間という沈黙、待つという行為を嫌がるのです。なぜなら、沈黙は、不安を刺激し恐怖となっていくからです。間という沈黙、待つことができないDV加害者の特性を理解しておけば、使い方次第で、調停や裁判で加害者を苛立たせたり、怒らせたりすることで、本性を晒すことができるわけです。
 まずは、調停委員がどう思うかに囚われず、ひと呼吸をおき、いま自分が話したいことはなにかに集中します。結果として、自然と適度な間がとれることになります。ドキドキといつも怯えていたはずの被害者が、一緒に暮らしていたときと違い、地に足をつけ、落ちつき、ひとつひとつ冷静にかつ丁寧に対応している姿(DV事案として、別々に控室が用意されていても)は、加害者には恐怖になります。加害者は、こうした場合にどうするかといったひきだしを持っていないので、苛立ち声を荒げたりしてボロをだす公算がでてくるのです。
 調停は、調停委員や調査員のための場ではなく、被害者のあなた(とお子さん)の将来がどうなるかという“運命を託す場”ですから、あなたが主役です。どうどうと時間をとり、あなたのために時間を使わなくてはならないのです。メモをとり、それを見ながら、「考えをまとめますから、少し時間をください。」、「弁護士の先生と少し話をさせてください。」を回答する“最初のことば”にすればいいのです。ポイントは、私の事情(思い)、私に気持ちをわかって欲しいという感情を伝えるのではなく、事実だけにフォーカスして、「こうした状況を、どう思いますか?」と調停委員や調査官になげかけることです。調停委員や調査官になげかけた返答の内容によって、調停委員や調査官のモノサシ(価値観・判断基準)やいまどのように考えているのかを把握することができます。
 調停委員や調査官、裁判官は、そして、弁護士は、それぞれ立ち位置も役割も違うわけです。そこで、被害者は、調停委員や調査官のモノサシ(価値観・判断基準)を最初に把握し、その都度、調停の流れの中で、いまどのように考えているのかを把握することが重要なのです。


(6) トラウマの再体験による事実経過の把握
 「Ⅳ-22-(5)離婚調停の進行」の中で、『DV離婚事件で、「陳述書(現在に至る事実経過)」を“主”にすることが重要なのはなぜか』について説明していますが、「なにをされてきたのか」、「どのような状況におかれてきたのか」をことばとして話し、言語化する作業は、被害者が、配偶者からどのような暴力を受けてきたのか、暴力がどのようにしておこったのかを再現することになります。それは、トラウマを再体験していくことを意味します。被害者が、「トラウマを再体験する」ということは、認知行動療法(暴露療法)の第1ステップとして、PTSDからの回復には必要なこととはいえ、事例32の分析記述の中で、『DV被害者にとって、トラウマを再体験する作業にとり組むことは、「気が狂うのではないかと思うほど、苦しかった。」、「同居中に夫に非難され、責められているときの夢を見て、怖くて目が覚めた。真冬なのに寝汗をびっしょりかいた。「夢だから、夢だから」と自分にいいきかせ、気持ちを落ち着かせて横になった。」と心境を語るほどツラく苦しいものだからです。』と記しているとおり、ツラい作業です。それでも、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停において、第三者に、DV被害の状況を正しく認識してもらうためには必要なことなのです。
 そこで、「Ⅴ-27.DV被害者の抱える心の傷、回復にいたる6ステップ」と重複することになりますが、トラウマの再体験は、DV離婚事件における「陳述書(現在に至る事実経過)」作成に不可欠であることから、ここでは、DV離婚事件対策として、「現在に至る事実経過」の作成プロセスとPTST回復のためのアプローチとの関係について説明したいと思います。

① 第1ステップ(トラウマの再体験)
 「現在に至る事実経過」は、PTSDからの回復を意図した認知行動療法(暴露療法)の役割を兼ねるワークシート(第1章後の「添付資料」として載せています『DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」』)に、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を書き込んでいただいたものをもとにして、交際をはじめてから現在に至るまでの状況(暴力被害)を時系列にまとめていくものです。
 このワークシートに、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれていたのか”を書き込む第1ステップは、「トラウマ(心的外傷)の再体験」として、どのような暴力を受けてきたのか、暴力がどのような状況で、どのようにしておこったのかをことばにする(話をする)ことで再現し、言語化し、再確認していくものです。
 ワークシートでは、57項目の問いのうち31項目において、被害者心理、加害者特性、面前DVの影響など、暴力のある環境に順応するうえで身につけてきた考え方の癖(認知の歪み)へのアプローチ(視点転換)を目的とした「一般コメント」を読みながら書込みを進めていくことになります。そのプロセスの中で、被害者が、暴力と認識していなかった暴力を暴力と認識できるようになったり、一方で、自由連想が促進され思いだしたくなかった配偶者からの暴力以外のツラく耐え難い記憶、哀しい記憶、つまり、親から受けた暴力が呼びおされたりすることがあります。つまり、このワークシートに“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を書き込む(トラウマの再体験)ことは、加害者から暴力を受けている恐怖が呼びおこされたり、それ以前の封じ込めてきた恐怖体験が呼びおされたりすることになります。
 ただし、問題はそれだけでなく、被害女性が、『気が狂うのではないかと思うほど、苦しかった。』、『同居中に夫に非難され、責められているときの夢を見て、怖くて目が覚めた。真冬なのに寝汗をびっしょりかいた。「夢だから、夢だから」と自分にいいきかせ、気持ちを落ち着かせて横になった。』と、ワークシートに書き込みをしているときの心境を述べるのは、DV離婚事件では、調停や裁判など“期日”が設けられている中で実施しなければならないからです。家庭裁判所が指定した“期日”に間に合わせなければならないプレッシャーは、DVを受けてきた被害女性にとって酷なことです。

② 第2ステップ(否定的な自己を軽減する)、第3ステップ(怒りのワーク)
 DV被害者の中には、ずっとがまんし耐えているものの、ある瞬間に「もういい加減にして、黙って!」とこみあげてくる怒りを抱えていることがあります。この「もういい加減にして、黙って!」とこみあげてくる怒りは、暴力のある家庭環境で(面前DV被害を受けて)育ってきた被虐待者であること、つまり、過去のトラウマ体験に投影され、強い反応を示していることが少なくありません。
 被害者が、暴力(面前DV、過干渉や過保護、教育的虐待を含む)のある家庭環境で育ってきた自覚がなくても、ワークシートには、『父が大きな声で怒鳴り、ものを投げ、母もいい返し、ものを投げ、(2歳違いの)姉は母親をかばい、「お前なんか父親じゃない!」と叫んでいる中で、怖くて一人で布団の中に入り泣きながら過ぎ去るのを待っていた。』、『両親は二人とも、子どものしつけとして、怒鳴ったり、叩いたり、閉じ込めたりした。』と家族、どのような家庭環境で育ってきたのかについて記載していることが少なくありません。問題は、こうした記述をしていても、被害女性自身の育った家庭で暴力があった(虐待を受けて育った)という自覚がないということです。しかし、被害女性が無自覚であっても、前者の状況は、2歳違いの姉とともに面前DV被害を受けている、つまり、精神的虐待を受けて育ってきたこと、後者の状況は、身体的暴行を受けて育ってきたことを意味しています。そして、被害者本人が自覚している以上に、被虐待者として暴力の影響を受けていることを示唆しています。
 暴力のある家庭環境で育ってきた被害女性には、脳の発達形成やアタッチメント獲得への影響、そして、暴力のある環境に順応するために身につけなければならない“考え方の癖(認知の歪み)”を定着させ、思春期後期、青年期を経て、社会人となる中で、人とどうかかわるかといった認知の歪み(考え方の癖)の影響が顕著に表れていることが少なくありません。その結果が、対人関係などで思いもよらないトラブルを招いたり、異性とのかかわり、特に、結婚観や夫婦観大きな影響を及ぼしたりすることになります。そして、被害女性の多くは、被虐待者であることを無自覚なまま、暴力に順応するために身につけてきた“考え方の癖(認知の歪み)”というフィルターを通して、配偶者の言動やふるまいに父親の言動やふるまいを投影し、父親に母親が接してきたようにふるまってきていています。
 夫に日々理不尽なことをいい続けられ、「もういい加減にして、黙って!」と止めようのない怒りがこみあげてくる被害女性には、上記のような、両親や家族の関係(父が大きな声で怒鳴り、ものを投げ、母もいい返し、ものを投げ、(2歳違いの)姉は母親をかばい、「お前なんか父親じゃない!」と叫んでいる中で、怖くて一人で布団の中に入り泣きながら過ぎ去るのを待っていた)を散々見せつけられ続けた“内なる怒り(抑圧されて育った憤り、インナーチャイルドが抱えている怒り)”を投影していることが少なくないのです。
 その内なる怒りは、父親の暴力に対し母親が怒りをぶつけてきた方法と同じように、突っかかっていったり、ものを投げたり、罵り返したりすることになります。つまり、この状態は、DV被害者であるとともに、両親がそうしていたようにパワーゲームを展開しているということです。このパワーゲーム(感情を全面にだした)を、離婚調停や裁判の場に持ち込んでしまうと、誹謗中傷し合い、事態を泥仕合化させていくことになります。
 したがって、「もういい加減にして、黙って!」と止めようのない怒りを抱えている被害女性は、それだけ、暴力で心が傷つき、疲弊していることを認識することが重要になります。そして、その第三者に対し、いたたまれない怒りをぶつける(攻撃的になる)のではなく、感情をコントロールするトレーニングが必要になるのです。この感情をコントロールするトレーニングは、PTSDを抱える被害者が取り組む回復のプロセスの中では、第3ステップ「怒りのワーク」に該当します。
 この第3ステップの「怒りのワーク」は、第1ステップの「トラウマの再体験」の対象を、過去のトラウマ体験、つまり、暴力(面前DV)のある家庭で育ってきたところまで対象を広げておこない、暴力に順応するために身につけなければならなかった考え方の癖(認知の歪み)を理解し、その結果、生き難さを抱えてきたことを向き合うことによって、怒りの感情の源を理解していくことと連動させておこなわれることになります。つまり、トラウマを再体験する第1ステップを進め、人としての価値を喪失したかのように思われる自己(暴力により自己肯定感を損なわれ、自尊心を奪われている)に対して正当な評価をとり戻していく第2ステップ(否定的な自己を軽減する)にとり組むうえで、とても重要です。

③ 第2ステップを阻む思考習慣
 離婚調停では、被害女性が、この第2ステップにとり組むうえで支障になる事態がおこることがあります。それは、配偶者が「離婚を望むほどの理由がわからない」と離婚に応じようとせず、「俺は変わることができる」と自己宣言し、「修復に向けて努力する」からと配偶者の意に添う(自分に従う)回答を強く求め続けたり、「子どもは俺が育てる」といい張り、親権・監護権で争うことになったり、離婚後、子どもと面会交流をさせたくないにもかかわらず、面会交流をおこなう方向で話が進んでいったりすることです。
こうした状況が長く続くと、被害女性は、配偶者の暴力によって奪われた自尊心、損なわれた自己肯定感をとり戻していくためのスタートに立つことができないことになります。なぜなら、暴力のある家庭環境で育ち、自らの意志で道を切り開くことができる確固たる成功体験を積み重ねることができていない被害者の多くは、配偶者の主張や態度によって、暴力に順応するために身につけてきてしまった思考習慣(考え方の癖・認知の歪み)が大きく影響し、離婚を成立させるプロセスの中で、心が揺ぎ、心の安定を保てなくなってしまうからです。
 多くの被害女性は、配偶者の“相反する拒絶(恐怖を感じさせる暴力や無視)と受容(優しいふるまいや甘いことば)”が繰り返される日々の生活にふり回され、深く考えることがムダであることを思い知らされ、疲れ果てています。この相反する拒絶と受容のふるまいは、思考混乱を招き、正常な判断を奪うもので、「Ⅰ-5-被害者心理。暴力で支配、マインドコントロールされるということ」の中で、自己啓発セミナーを隠れ蓑としているカルトやハイハイ商法(詐欺商法)などの感受性訓練の手法と同様にマインドコントロール性の高いおこないであることを詳しく説明してきました。そして、配偶者は、相反する拒絶と受容の言動やふるまいだけでなく、なげかけた意図(聞きたいこと)とは違う解釈をすることから会話が成り立たなかったり、ひとりで勝手に怒りだしたり、非難し責めたり、罵ったりしたあと、なにごともなかったかのように平然とふるまったりすることに、多くの被害女性がそうであるように、底知れない不気味さと恐怖を感じた瞬間に、「なぜ?」とか、「どうしてなんだろう?」と考えることをやめてしまっています。なぜなら、「いっても変わらない、ムダ」と無力であることを散々思い知らされ、機嫌を損ねないように意に添うようにふるまっていた方が楽だというのが、暴力に順応する基本行動だからです。
 暴力のある家庭環境で育ち、暴力に順応するために身につけてきた思考習慣のひとつが、心が折れるような問題に遭遇したとき、真正面から向き合い、きちんと考えようとすると疲れてしまうことから、「どうせ一生懸命にやっても、報われることはない」と“やらない”理由を予め用意しておいて、少し壁にぶつかると考えることを止め、「なにもなかったことにすれば楽になれる」と思ってしまおうとする“思考習慣”ということになります。この思考習慣は、暴力のある環境で育ってきた、つまり、幼い子どもが父親と母親のやり取り、加えて、きょうだい、祖父母など近親者とのかかわりの中で、嫌な思い、ツラい思い、哀しい思いをしないですむように、場合によっては、精神破壊をしないように、その思いから離れよう(避けよう)してきた回避行動ということになります。
 「投げやりな自分と必死な自分がいる」ことを別のいい方で表すと、「“従順ないい子”で、ここからは逃れられないと思っている幼い私と、子どものときには逃れられなかったけれども、大人になったいま、このタイミングで逃れないと元の木阿弥になってしまうので必死になっている私がいる」ということになります。この状態を、事例31の被害女性Fのように“ブレがある”と感じたり、居心地が悪く感じたりするのは、成功体験がないことを起因とする“葛藤”ということになります。成功体験がないので、なにをいってもムダ、なにをしてもムダとなげやりになり、「もういいや」と心が働く(誘惑、悪魔の囁き)わけです。それは、“願い、望みがかなえられなかったときに、自分が傷つくのを避ける”ための理由づくり(正当化)を前もって用意しておく思考習慣(回避)といい換えることができるのです。「私はなにをそんなに必死になってたんだろう」との思いが頭を霞めた瞬間、他の人にどう思われたのか気になったり、急に冷めてしまったり、「私はそんなにほしかったの(やりたかったわけ)ではない」と、望みがかなえられなかったときに傷つかないように、前もって“落ち着き先”を用意してしまうのです。乳幼児期から小さな成功体験を積み重ねていない人ほど、「もういいや」と直ぐに放りだしてしまったり、なげだしてしまったりすることになります(「諦める」は「明らめる」と語源としていますので、ものごとが明らかになるまでという意味ですから、諦めるではなく、「放りだす」、「なげだす」ということになります)。
 そして、もうひとつが、暴力のある家庭環境で(面前DV被害を受けて)育ってきたことを起因とする「解離」症状を抱えていることが少なくないということです。例えば、調停でのやり取りをまとめてもらうと、「弁護士と女性の調停委員が2人で夫の話をしていたが、私は頭がボーっとしていて、それを隣で聞き流していた。」と記載していることがあります。このときの状況を少し詳しく教えてほしいとなげかけると、『自分の夫のことを話しているのになぜか人ごとのような感覚もあったし、疲れてしまって、「どうせこんな話をしても意味ないのに、なにも知らないくせにベラベラうるさいな」と思ったりした。話が入ってこないような、話をあえて聞かないようにしているような。「私ってなんなんだろう」と違うことを考えているような感じもあった。』と応じました。この状態は、解離状態に入っていることを示しています。また、ワークシートに“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”の書込みで、「夫がなにをいっていたか記憶はないが、…」、「そのときのことは覚えていないが、…」とその部分の記憶が途切れている(記憶の断裂)ことを示す記述がみられる場合にも、少なからず解離症状が存在していると考えられます。
 こういった思考・行動習慣は、親から守られている絶対的な安心感を得られずに育ってきていることを意味しています。傷つかないようにかかわりそのものを避けたり(回避)、傷つかないように痛みを感じないように鈍感になったり(感覚鈍麻)、心を離してしまったりする(解離)ことで、暴力に順応して生き延びようとしてきたわけです。そのため、ちょっとしたひとことに傷つきやすい繊細さを持ち合わせている一方で、無意識下で人を傷つけるようなことをいったりする鈍感さを持ち合わせていることになります。この相反する二面性は、暴力のある家庭環境で育った人に共通するもので、DV加害者が「自分の方が被害者だ」と主張することが少なくないわけですが、傷つきやすい一方で、傷つけても気がつかない鈍感さの特性によるものです。そして、ツラく、面倒なことを避ける(回避)ために、別のことを考えている(心ここにあらずの状態)ので、その間の記憶がなくなっていたり、途切れ途切れになっていたりします。
 同居生活で、配偶者のDV行為によって散々苦しめられただけでなく、離婚調停においても、配偶者がいまだに結婚という契約に執着し続ける現実を突きつけられたことで、DV状態でありながら頑なに離婚に応じようとしない母親の姿、夫婦関係に投影してしまい、これからもツラい思い、苦しい思いをするなら、なにもなかったことにして楽になりたいと心が揺らぎはじめることがあります。一方で、それを受け入れてしまったら、それこそ肝心の“わたし”そのものがなくなってしまうと、無意識下であっても“私は違う”と心が抵抗することになります。楽になりたい自分と、逃げてはいけない自分と葛藤している状況です。この状況は、心を不安定にしてしまうのです。
 したがって、第2ステップ(否定的な自己を軽減する)にとり組むには、自らの意志で道を切り開くことができる確固たる成功体験、つまり、夫との離婚が成立させることが必要不可欠ということになります。


 被害者が幾つかの機関に相談することによって、その相談機関の各々の立ち位置からの情報が提供されることから、被害者は消化する(個々の情報を整理する)ことができず、混乱してしまうことがあります。そのため、未消化のひきだしがあまりにも多く、この状況のとき、この瞬間では、どのひきだしを使えばいいのかわからなくなってしまうことになります。
 それは、暴力で傷ついた心のケアを進めていくうえでも同じ状況がおきます。事例31で被害女性Fと支援者とのメールでのやり取りの中で、Fと依頼した弁護士との離婚調停時でのやり取りを通じて、Fが「私、頭おかしかった」、「異常に思った」と表現した感覚と、Fの実際に抱いている感覚に“温度差”があること、「自身が配偶者から受けてきた暴力はモラルハラスメント(精神的虐待)であって、DVであるとこ思うことができない」とイメージ認識に縛られ続け、事実認識が進まないことを説明しています。いずれも、暴力のある家庭環境で育ってきた体験による“考え方の癖(認知の歪み)”が、その原因となっているわけです。
 既に、2度の離婚調停を終え、第3回調停を18日後に控えた1月24日に相談を受けて以降、ワークシートに“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を書き込んでもらい、「現在に至る事実経過」をまとめていく作業の中で、配偶者からの暴力被害の状況が明らかになり、同時に、Fが暴力のある家庭環境で育ってきたこと、PTSDの症状が顕著に表れていることを把握することになりました。書き込みされた記述への疑問を事例31のメールのやり取りのように一つひとつ確認し、状況説明を補足してもらう作業を続けていく中で、事例31のメールのように“温度差(認知の歪み)”を共通認識しながら、ひきだしの蓄積をはかっていきます。事例31のメールは、第4回調停で不調し、その後、提訴(裁判をおこす)のあり方で、依頼してきた弁護士事務所をの考え方の違いにより、解任することになった経緯を確認する意図のメールのやり取りの一部(5月31日と6月1日)です。つまり、最初の問い合わせから4ヶ月半サポートの中で、「なにをされてきたのか」、「どのような状況におかれてきたのか」について、事実認識をしながらひきだしの蓄積をはかってきている中で、メールに書かれた「頭がおかしい」「異常」とのことばの使い方に新たな疑問が生じて確認をすることになったわけです。
 暴力に順応するために身につけなければならなかった考え方の癖(認知の歪み)にもとづく思考・行動習慣については、“どういった部分(ことばの使い方など)”が、暴力のある環境で身につけてきている思考・行動習慣なのかを、メールや電話、面談でのやり取りの中で見つけだし、相互で確認し、共通認識したうえで、これまで使ってきたことばや表現方法以外のことばや表現の仕方を学んでいくことが必要になります。この作業は、暴力のある環境で過ごした時間に比例するほどの膨大な時間が必要となります。つまり、膨大な時間をかけて、反復練習を重ねることで学び直していくことになります。
 反復練習を重ねるというのは、暴力のある環境に順応する“考え方の癖”が「幹線道路」になっている状態を、その考え方の癖が間違ったものであることを認識し、“学び直す方向”に向けて反復練習しながら「路地」をつくり、反復練習をして路地を少しずつ車が通れるように広げ、その「道路」をさらに「バイパス」にしていき、最後に幹線道路の代わりにしていくというプロセスです。このプロセスは、暴力のある家庭環境で身につけてしまった“フィルター(モノサシ(判断基準のことで、価値観に左右される))”や“センサー(感情の察知能力)”をそっくりとり替えることができるものではありません。真っ白な状態の乳児期以降、2歳10ヶ月、6-8歳、10-15歳、16-22歳と脳の発達形成の中で身につけてきた思考習慣の学び直しですから、真っ白な状態の乳児が学んでいくよりも身につけてきた思考・行動習慣が邪魔をしたり、抵抗したりする中で、反復練習しながらひとつひとつ上書きしていかなければならないのです。
 重要なことは、変われるか、変われないかという二元論的(二者択一)に考えるのではなく、なにが間違って学んできた思考・行動習慣なのかを知ること、次に、それに代わる者の捉え方や考え方を学び、乳幼児が身につけるように反復練習をして習慣づけるには、長い年月が必要になることを理解し、学び直しの作業をやり続けることです。そして、乳児を連れて家をでて、離婚調停に臨むことになる被害女性には、「子どもの成長に合わせて、先行する形で学び、きちんと習得し、子どもが間違った考え方の癖(認知の歪み)を身につけないようにしていくのが目標です」と伝えています。つまり、乳児の子どもが18-20歳になるころまでほぼ同時進行で社会性を学び、身につけるイメージです。
 ただし、乳児を連れて実家に逃れてきた被害女性が、両親(DV環境で被害者を育ててきた)の影響を強く受け続ける中での子育てになっているときには、学び直しを進めることは困難です。なぜなら、事例49で、妊娠中に実家に帰り、出産後に離婚調停で離婚を成立させたあと、母親に「体罰を娘にしないから、娘が訳のわからない行動を自分でするんだ!」と怒鳴られることになるケースのように、暴力から逃れるために帰った実家で、両親に子ども(孫)が怒鳴られたり、叩かれたりしてしまったりすることがあるからです。それだけでなく、被害女性自身が、自分が親にされてきたように子どもに怒鳴りつけたり、手をあげてしまったりするなど暴力の連鎖が続いてしまうことも少なくないからです。乳児を連れて実感に逃れたケースを例えにしていますが、育ってきた暴力のある家庭環境(実家)の影響を受ける状況では、子どもの有無にかかわらず、学び直しに支障がでることになります。
 これは、就学前の子どもの情緒が安定せず、暴力(夫婦間のDVと子どもへの直接的な暴力(虐待))の影響がでているのではと役場の子育て支援課や保健センター、児童相談所に相談すると、「お子さんのケアは、まず家をでて、安全で安心できる生活環境が整ってからお母さんといっしょにはじめましょう。」といわれたり、配偶者が「暴力をふるわなくなるように治療を受けるから、離婚は思い留まって欲しい。」といいDV加害者更生プログラムを受けることになったりしても、「暴力(支配)の対象となる妻と子どもと同じ屋根の下で生活している中では治療をおこなうことができないので、別居すること、妻が離婚したいとの意志があるときにはその意志を尊重すること。」などさまざまな条件がつけられたりするのと同じ考え方によるものです。
 したがって、暴力の後遺症としてのPTSDなどの症状に対するケア(治療)や思考・行動習慣の学び直しは、暴力のある家庭環境で育ててきた親の影響が及ばない環境で生活の再建をはかれるかといった「環境要因」、そして、35歳、40歳、50歳と暴力のある環境で年齢が重ねられていると抵抗が強く表れ、予後(学び直し)に影響を及ぼしますので、18歳-24歳、25-29歳、30-34歳、35-39歳、40-44歳、45-50歳、55歳以上と、どの年齢で心のケアにとり組めるかどうかは重要なファクター(要素)です。加えて、本人の年齢だけでなく、暴力のある環境に暮らした年月、子どもの有無、子どもの数、子どもの年齢、既に子どもに発達障害などの症状が表れているかなど、個々人の状況によってそのアプローチのあり方は違い、また、その予後も違うことになります。ただし、大切なことは、学び直しを終えて(変わって)いなければ、人生の再設計を考えられないのではなく、気持ちの持ち方次第で、路は自分で切り開くことはできると信じられるかです。


(8) ストレスの程度は、科学的診断で明らかに
① ほど遠い、被害者が心のケアに専念できる環境を整えるということ
 多くのDV被害者の方たちは、意を決し配偶者のもとを離れ、実家に身を寄せたり、配偶者に見つけだされないように馴染のない土地に移り住んだり、緊急一時保護施設に入居したりして、「いま、とにかく休みたい。そっとしておいて。」との思い、「私の回復を待って」から離婚のことを考えたりしたい思いでいっぱいです。ある一定期間、暴力で傷ついた心のケアに専念できる環境を整えることは、なによりも重要なことです。しかし、配偶者からのDVから逃れるために別居したときには、暴力で傷ついた心のケアのあり方は、配偶者がどういう考えを持っているか、そして、どういう行動をとってくるかに大きく左右されることになります。
 配偶者が“突然”、①離婚を前提とせず、別居期間中の子どもとの面会交流を求める調停を家庭裁判所に申立ててきたり、②下手にでてもなびいてこない妻へのこらしめとして、または、俺に盾突いた罰を与えるために、親権を父親に求める離婚の申立てを家庭裁判所にしてきたりすることを考えておかなければならないのです。被害者の多くは、a)子どもを連れ、実家などに逃れ、やっと少しホッとできはじめた2-3ヶ月後に、家庭裁判所から①②の調停開催の日程を知らせる通知が届き、1ヶ月後の調停にでてみたものの調停委員に状況をわかってもらえないとか、逆に、b)家をでて、直ぐに離婚調停の申立をしたものの、なにも準備していないために、調停委員が、外面がよく愛想のいい配偶者の言動を信じてしまう状況に陥ってしまうことがあります。
 DV被害者の方が恐怖と不安に怯え、ツラく苦しかったできごとなど思いだしたくもない中で、トラウマの再体験となる“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をことばにしていかなければならないなど、配偶者からのDV被害の状況を示すために途方もない労力を費やさなければならなくなるのです。ところが、一方の加害者である配偶者は、自分に都合のいい解釈で好き勝手な主張を繰り返せばいいだけなのです。つまり、DV事件は、その暴力事態が理不尽なものであるとともに、離婚したいと願ったときもまた、理不尽な状況からのスタートになってしまうことがあるのです。

② 被害者に間違った診断が下され、間違った治療を防ぐために
 本来、DV被害を受けているのであれば、PTSD治療の専門機関において、「認知行動療法(暴露療法)」を用いた否定と禁止のことばを浴びせられて育ったことを起因とする考え方の癖(認知の歪み)に対するケアを受けていただきたいわけです。そこで、受診前に、「改訂出来事インパクト尺度(IES-R;Impact of Event Scale-Revised」をダウンロードし、自身のPTSD症状の状況を把握してほしいと思います。「改訂出来事インパクト尺度」は、米国のWeissらが開発したPTSD(心的外傷後ストレス障害)症状を測定するための自記式質問用紙で、東日本大震災で救助活動にあたった消防士や学校の児童に対して、また、救急医療に従事している医療関係者、がんの告知を受けた患者に対し、「アンケート調査」として実施するなど広く使用されているものです。「疑いのある人を拾いだす」ために予めカットオフポイントが24点以下と設定され、25点以上の場合を「ハイリスク者」と洗いだし、適切な治療につなげることを目的としていますが、アンケート調査としても使用できる「自記式質問」であることから、回答者が書き込んだ得点を合計すれば総得点をだすことができ、再体験(侵入)、回避、過覚醒についても、質問番号で決まっていることから回答者で得点をだすことができます。また、東京都では、「配偶者暴力防止法」に準じて緊急一時保護施設(母子棟など)に入居することになった被害者に強い不安感や恐怖心が見られるときには、東京女子医科大などのPTSDの専門医が施設を訪問したときにスクリーニングの目安として使用し、PTSDの疑いのある被害者を拾いだし、医療(治療)につなげているものです。
 そして、心療方針を決めるためだけでなく、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停や裁判で、暴力の立証につなげるために、ア)ストレス状態をみるコルチゾール、ACTH、甲状腺の機能低下をみる(うつ病、慢性疲労症候群を含む)TSH、T3、T4、rT3を検査項目が必要になります。なぜなら、直接的な暴力行為を明らかにすることにはなりませんが、血液検査でストレスの状態を把握することができるからです。イ) 平成26年4月から保険適用できるようになった「光ポトグラフィー検査」を用いた脳血流うつ診断を受けて欲しいと思います。こうしたストレスの状況を視覚化できる検査結果と、暴力の証拠を示す位置づけとなる事実の報告書としての「陳述書(現在に至る事実経過)」との整合性をとることで、DV被害の証拠としての信憑性を高めることができると考えています。
 しかし、DV被害者の中には、家をでる前に、もしくは、家をでた直後に、「眠れない」など体調不調を訴え“心療内科”を受診し、自律神経失調症とか、うつ病と診断されていることが少なくありません。心療内科は、内科・皮膚科疾患の治療(胃腸の不良、動悸・息切れ心臓の痛み、甲状腺やリュウマチ(膠原病)的症状など)において、精神的なストレスが引き金になっていると思われるときにその部分をケア・フォローすることが目的に設けられているものですから、PTSDやうつ病を正確に診断するには不向きということです。したがって、心療内科で、適応障害、不安障害(パニック障害含む)、うつ病など不適切な診断が下されることが少なくなく、しかも、不適切な診断にもとづいた精神治療薬が処方されるリスクがあるということです。
 加えて、誤った診断が下されるリスクは、被害者が診療時に、DV被害の認識ができていないときに、被害者が診察を受けているときには、当然、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をことばにすることができない状況下では、当然、非常に高くなります。
 そこで、配偶者からDV被害を受けてきた被害者に、①感情的距離、②被った暴力は自分自身の過失(自分が悪いから、自分がいたらないから)だと思い込む、または、暴力の責任をよそに転嫁できない、③低い自尊心、低い自己肯定感、④強烈な不安感、⑤強烈な恐怖感、⑥極度な過敏さ、極度な感覚鈍麻(強烈な不安感や恐怖心から敏感に反応する一方で、つらく苦しい体験などを感じないように感覚が鈍感であるといった相反する状態が共存する)、⑦身体的接触、不幸な記憶と結びつくもの(場所、匂い、色など)を避ける(回避)、⑦集中の困難性、または一定時間、極度の集中(覚醒)状態後、虚脱状態に陥る、⑧性欲の低下、性的機能不全などの特徴的な症状と兆候が見られるときには、生活上支配的な立場にある男性から一定期間にわたり、身体的・精神的(ことば)・性的に虐待されていると認識することが重要なのです。これらの傾向は、心理学者のレノア・E・ウォーカーが「被虐待女性症候群(バタード・ウーマン・シンドローム)」と呼び、DV被害を受けた女性に共通する行動的・情緒的な特徴群を明らかにしたものです。
 自己肯定でき難くなっているうつ症状、PTSD、被虐待女性症候群の症状を抱える被害者に有効な治療法のひとつが、認知行動療法(暴露療法)です。繰り返しになりますが、認知行動療法(暴露療法)に準じて、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を自分のことばにしていく作業が、「トラウマの再体験」ということになります。認知行動療法(暴露療法)では、最初に、辛い体験を第三者に繰り返しことばにして繰り返し話す(吐きだす)というところからはじめます。辛い体験を口にしてはいけないとか、思いだしたくないと考えずに、とにかく吐きだすことが大切なのです。確かに、ことばにして話すというおこないは、疑似体験を繰り返すことも意味しますから苦しく、ツラいことです。その苦しく、ツラい気持ちを飲み込んでしまうのではなく、「苦しい」、「辛い」、「哀しい」、「やるせない」と気持ちがどこからくるものかといった“なぜ”“どうして”ときちんと結びつけて(現実と向き合って)、ことばとして吐きだすことが大切なのです。ことばとして吐きだすことを、さらに一歩進めて、あとで“ふりかえり(回復経過を確認)”をできるように文字にして書きだしていくことは有効です。


2016.3/6 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載



もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅲ-7]Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚
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