あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-1]暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き

はじめに(DV理解-1.2.3.4.5)**

 
 1.人の脳の機能は、生まれ育った環境に合うようにつくられる -目 次-
* 現在、この「手引き」は、第3次改訂の編集をおこなっています。編集終了後、差し替えていきます。

「手引き」導入部の「はじめに」は、ドメスティック・バイオレンス(DV)という問題について、DV被害の当事者や関係者として、あるいは、DV被害者支援に携わる者として、どのように捉えたらいいのかを理解していただくうえで重要な24テーマを、5つのカテゴリーに分類して説明するもので、同時に、3部6章38節で構成される『暴力の影響を「事例」で学ぶ。DVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き』の骨子となるものです。

** 「暴力の影響を「事例」で学ぶ。DVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き」の「はじめに」では、49のことば(専門用語を含む)に“*”をつけて説明をしたり、本論となる第1章以下、当該事項をとり扱っている「章・節・項」を告知したりしています。
本文の12ポイントでの記述に比べ、9ポイントの記述であることから読み難いかもしれませんが、文体を崩さないための囲み記事としての説明の意味があることから、飛ばさずに目を通していただきたいと思います。



はじめに
(DV理解-1)
①ドメスティック・バイオレンス(DV)とは
②DV加害者の人物特性
③加害トラウマ。世代を超えてひきつがれる暴力
(DV理解-2.暴力とは)
①自己肯定感や自尊心の回復をはかるための暴力の行使
②人は、なぜ暴力的な行為に及ぶのか
③生存本能に及ぼす危機(ストレス)が、脳をつくるという意味..
④暴力のある家庭環境は、「暴力に順応した考え方の癖」をつくりあげる
(DV理解-3.必要な自己理解)
①暴力をエスカレートさせない。「脅し」のことばには「ノー」と。
②「いいか」「悪いか」と二元論で、ものごとを判断しないことが大切
③相反する拒絶(恐怖)と受容(優しさ)による“思考混乱”が逃げる気力を奪う
④DV被害にあったとき、理想的な被害者の対応と行動を拒む要因
⑤“承認欲求”を満たす親の期待に応えための結婚・人生は、認知の歪みによる
⑥危険な「きっと、加害者更生プログラムを受ければ変わってくれる」との思い
⑦“DV環境下”で離婚を考えるとき、「片親にしたらかわいそう」との考えを持ち込まない
(DV理解-4.難しいけれど、受け入れる)
①面前DV=子どもが、両親間の暴力を目撃すること
②面前DV。子どもがDVの最大の被害者と認識する意味
③「過干渉・過保護」「いき過ぎた教育」「厳しいしつけ」と置き換えられる親からの虐待
④暴力のある家庭環境で育った子ども。大人になり、その事実を受け入れられない…
⑤関心を持ち、疑問を抱き、調べ、事実を知る
(DV理解-5.離婚を実現し、DVを断ち切る)
①DV事件、常識的で一般論的な考えは持ち込まない。求められる「身を守る」という選択
②第三者に、DVの事実を正確に伝える。それは、“思い(感情)にフォーカスしない”こと
③暴力に順応した考え方の癖(認知の歪み)へのアプローチ
④アボドケーターは、被害者の精神的な負担を考慮して最短の解決を目指す
⑤アボドケーターに欠かせない暴力の後遺症への理解
⑥特異な性質を持つDV離婚事件。DV立証に欠かせない用意周到な準備



DV被害者支援の現場では、「被害者*-1は、第三者にいわれたから家をでる、離婚するのではなく、自分の意志で、覚悟を持って家をでる、離婚することが重要であることから、被害者の心が固まるまで待つこと」とされています。
なぜなら、長く暴力のある環境に留まってきた被害者には、加害者の上辺だけの優しいことばに心が揺さぶられたり、「子どもから父親を奪ってよかったのだろうか」と自責感の高まりがおきたりするなど、加害者の思いが燻り続ける可能性があることから、被害者の思いに「人にいわれたから、そうしただけ」といった余地を残さないことが重要だからです。
とはいっても、ドメスティック・バイオレンス(以下、DV)では、身体的な暴行*-2が加えられ命が奪われる怖れがあることから、DV被害者支援として、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等に関する法律(いわゆるDV防止法。以下、配偶者暴力防止法)」にもとづいて、被害者の“一時保護”の決定をしたり、加害者が被害者に対して6ヶ月間接近することを禁止するなどの“保護命令”を発令したりすることで、「加害者の暴力から被害者の命を守る」ことを最優先にしなければならない対応が求められるケースがあります。
それは、交際相手や配偶者が別れ(離婚)を切りだしたときに危険の度合いが高まったり、実家で別居している被害者に対して復縁を求めて執拗に接触を求めてきたり、母子寮(母子生活支援施設)などの保護施設(シェルター)などの避難先を探しだして、力づくで連れ戻そうとしたりするケースです*-3。
また、加害者から逃げ、身を隠して生活するときには、健康保険証を使用したり、転居後に住民票登録したり、GPS(全地球測位システム)機能のあるスマートフォンなどを使用したりしたことが、加害者に居所が知られる事態を招くケースである*-4など、加害者から身を守るDV事件ならではの対策が必要になることも少なくありません。
そして、DV問題でもっとも重大なことは、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」という認識です。
この認識は、被害者自身、被害者の家族や友人など被害者から相談を受けたり、支えたりする可能性のある人たち、そして、被害者支援に携わる者たちには、「被害者が家をでたり、離婚したりする心が固まるのが遅くなれば、被害者と加害者のもとで暮らす子どもは、それだけ、虐待や面前DV被害を受け続けることになる」という視点に立つことが求められるということを意味します。
両親間(交際相手と母親間を含む)のDVを子どもが目撃する(面前DV)ことは、子どもにとって精神的虐待にあたり、子どもの脳の発達に大きなダメージを与え、将来にわたり心身の健康を損なうことになるわけです。
したがって、この『暴力の影響を「事例」で学ぶ。DVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(以下、「手引き」)』は、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」との立ち位置で作成しています。
しかし、内閣府男女共同参画局の「男女の暴力に関する調査(平成24年4月)」では、DV被害を自覚している被害女性が、「配偶者と別れなかった理由(回答者227名)」とした第1位が、130名(57.27%)が回答した「子どもがいるから、子どものことを考えたから」で、第2位の43名(18.94%)が回答した「経済的な不安があったから」とは、38.33ポイントの差が開いています。
DV被害を自覚していても、「子どもがいる」「子どものことを考えて」という理由で配偶者と別れることができない被害女性にとって、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」という認識、「DVの目撃は精神的虐待に該当し、子どもの脳の発達に大きなダメージを与え、将来にわたり心身の健康を損なうことになる」という指摘は、直ぐには受け入れられるものではないという問題を伴うものです。
この「手引き」では、敢えてこの問題にフォーカスし、「密接な関係にある児童虐待とDVの本質的な理解」に加え、「児童虐待とDVが、被害者である母親だけでなく、子どもの心までも破壊する可能性がある、つまり、胎児期を含めて脳の発達に大きなダメージを与える」ことを理解するために、一般的な抽象論ではなく、行動分析*-5や脳科学、人類学、発達心理学などをベースに説明しています。
そこで、重視している考え方は、「人の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられる」、つまり、「人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させない」ということです。
戦争・紛争下にある地域や国、暴力のある家庭環境など、乳幼児期に命が脅かされる環境で育つと、「わたしは、養護者に守られているから安全で、安心して過ごせる」などといったある特定の入力(インプット)が欠けてしまうリスクが高まります。
このインプットに関連する情報を感じ、気づき、理解し、判断し、それに従って行動するという脳のシステムの発達に異常(問題)が生じることになるのです。
戦争・紛争下にある地域や国、暴力のある家庭環境などでは、コミュニティに安定をもたらす秩序、つまり、規制や規範に従うと、逆に、生き延びる確率を下げることになります。
危機下では、人は、生存本能として、規制や規範を破ってでも生き延びることを優先します。
それは、生物としての基本です。
欲望に従い生存本能に則ったとき、人は、人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙して奪ったり、暴行を加え傷つけたり、暴行を加え奪ったり、そして、殺したり、レイプしたりする“人の本能”を抑制(自制=コントロール)することができません。
こうした人の欲望・本能を抑制することができないような脳の発達を遂げてしまうことが、脳のシステムの発達の異常(問題)のひとつということです。
欲望・本能を抑制できないことは、コミュニティの一員として生活していくうえで求められるルールや法(規制)、倫理観や道徳観といった規範に従って行動することができず、しかも、規制や規範に反する行動をとってしまうことに対し、悪いことをしているという自覚を持つことができないことを意味します。
「コミュニティの一員として生活していくうえで求められるルールや法(規制)、倫理観や道徳観といった規範に従って行動できない」ということは、自己の利益、つまり、自己のやりたいことだけを追求して行動するということです。
自己の利益のために人を「利用」し、人を「操作」するのが基本行動となる人物の特徴は、一人称しか存在しない世界観、つまり、自己中心的な考え方にもとづく世界観しか持っていないことです。
自己中心的な人物は、敵か味方か、好きか嫌いかといった極端な二元論(二者択一)でものごとを捉え、俺に従わない者(絶対服従を誓わない者)、俺に屈しない者、俺に媚びを売らない者に対しては、「俺の敵」、「奴は嫌い」と認識し、徹底的に、冷徹に排除する(こきおろし、誹謗中傷し、叩きのめす)ことになります。
つまり、コミュニティの中での対人関係における基本軸は、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使する、もしくは、パワー(力)に屈し庇護下に入る(パワーを利用)ことになるわけです。
このように、善悪の判断ができない脳をつくりあげてしまう環境は、逆に、規定や規範に反する行動の中で、生きていくことができる術を身につけさせることになるという特性があるのです。
人の攻撃性(暴力的な反社会的行動)に関係しているといわれる「MOMA」と呼ばれる遺伝子が、暴力のある家庭環境で育つこととの関係性を調べた研究結果がまとめられています。
この研究は、MOMA遺伝子の活性が低いタイプは攻撃性が高く、MOMA遺伝子の活性が高いタイプは攻撃性が低いとされていることを踏まえ、MOMA活性が低いタイプのグループと、MOMA活性が高いタイプのグループが、それぞれ3-11歳のころの虐待の略歴を調べ、さらに、26歳になったときの攻撃性について、精神科・心理学的な調査や警察の逮捕歴などで調べたものです。
2002年、イギリスのロンドン大学のリサーチセンターのカスピ博士らは、「MOMA活性が低いタイプでも、暴力のない家庭環境で育っているときには、攻撃性は見られず、一方で、暴力のある家庭環境で育っている(子ども時代に虐待を受けて育っている)ときには、高い攻撃性が見られた。」、「MOMA活性が低いタイプの子どもは、虐待を受けることで過度の恐怖を感じ、常習的に虐待を受け続けることで、神経伝達物質システムと呼ばれる脳の働き自体が変わってしまい、強い攻撃性を見せるようになったと考えられる。」、「攻撃性が高いと思われるMOMA活性が低いタイプであっても、虐待を受けなければ、活性が高いグループに比べても攻撃性はむしろ低いくらいであった。」、「MOMA活性が高いタイプは、虐待によって脳の機能を変えられることから、自分を守る力を遺伝的に持っているかもしれない。」との研究結果を発表しています。
  この研究結果は、「子どもが、暴力のある家庭環境で育つ(虐待を受けて育つ)ことによって、“攻撃性(暴力的な反社会的行動)のスイッチ”が入る」ことを示すものです。
  また、子どもに恐怖を感じさせる(スケアード)ことで、子どもに正しい行動(ストレート)ととることの必要性を学ばせようとする教育法のひとつ「スケアード・ストレート」は、一見効果があるように考えられてきましたが、「ランダム化比較試験」などにより、意味がないどころか、逆効果を生むことが明らかになっています。
「スケアード・ストレート」とは、例えば、親が、「早く寝ないとお化けがでるよ!」といい、子どもを怖がらせて寝かしつけようとしたり、「いうことをきかないと、押し入れに閉じ込めるぞ!」といい、怖がらせていうことをきかせようとしたり、学校などで、人が交通事故にあった映像を見せられ、「道路を飛びだしてはいけない」と教えたりする行為を指します。
 こうした子どもに恐怖を与え、従わせようとする行為は、日本社会では、親だけでなく、学校園による教育、部活動などの指導など、大人が、子どもとかかわるあらゆる“場”や“機会”で、日常的に見られるわけです。
  子どもを怖がらせること、つまり、子どもに恐怖を与えることは、プラスに働くことはなにもなく、すべてマイナスに働くことを私たち大人は理解しなければならないのです。
  以上のように、この「手引き」の「はじめに(DV理解1.2.3.4.5)」に加え、「プロローグ(1-4)」、「第1章(Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス)(5-7)」「第2章(Ⅱ.児童虐待と面前DV。暴力のある家庭環境で暮らす、育つということ)(8-15)」で示す内容は、行政・民間を問わず、他のDV被害者支援に携わる機関では触れられることのない着眼点や論点が数多く、異なる視点にもとづく問題提起をしています。
*-1 「配偶者からの暴力」とは、「配偶者」とあるとおり、「夫(男性)から妻(女性)への暴力」、「被害者は、妻(女性)」と規定しているわけではありませんが、この「手引き」では、主となる「被害者」は“女性”としています。
DVや性暴力(セクシャルハラスメントを含む)の「被害者」には、“男性”が含まれ、軽視しているわけではなく、「男だから女性への暴力は許される」、「女性は男性の暴力に耐えなければならない」といった間違った価値観(認知)にフォーカスすることなしに、DV問題を考えられないこと、そして、暴力を防ぐ施策を講じることができないからです。
*-2「身体的な暴行」については、行政法としての「配偶者暴力防止法」ではなく、「夫の暴力は、刑法としての傷害罪もしくは暴行罪にあたる」として、警察に被害届を提出し、加害者を「傷害容疑」で捜査、もしくは、逮捕拘束してもらうこともできます(起訴に持っていくことができ、有罪とできるかは別です)。
*-3 交際相手や配偶者(ともに元を含む)に対し、「復縁を求めた話し合い」ために、「待ち伏せをする」「居所を探しだす」「力づくで連れ戻そうする」といった“つきまとい”行為に対しては、「配偶者暴力防止法」の他に、「ストーカー行為等の規制に関する法律(以下、ストーカー規制法)」で対応することができます。
詳細は、「Ⅳ-21.一時保護の決定、保護命令の発令。「身を守る」という選択」で説明しています。さらに、ストーカー行為そのものについては、「Ⅰ-4-(4)ストーカーの特性」「同-(5)SRP」のストーカー類型、ストーカーの背景や特徴・介入」で、加えて、「Ⅳ-24-(7)被害者宛のメールからストーカーリスクを把握する」で詳しく説明しています。
*-4 「Ⅳ-23.DV離婚を考えたとき、事前に確認しておくこと」で詳しく説明しています。
*-5 行動分析学(Behavior Analysis)とは、行動科学のひとつで、人間または動物などの行動を分析する学問です。ヒトや動物を「行動」という切り口で、「行動の制御変数」を実験的な手法により、主に環境(独立変数)との相互作用の中に見つけていくものです。「制御変数」とは、相関関係で終らず因果関係を見つけることです。「環境との相互作用」とは、行動の“見かけ”ではなくて、環境に及ぼす効果、環境が行動に及ぼす効果、つまり、“機能”に注目するものです。
「環境をどのように変えれば、行動の頻度が変化するのかがわかる」ことから、望ましい行動を増やしたり、望ましくない行動を減らしたりする方法を考える、つまり、行動の「原理」や「法則」を導きだそうとする考え方です。
これを、実験的行動分析(Experimental Analysis of Behavior)といい、これにより、行動の「予測」と「制御」が可能になります。
そして、環境と行動間のこのような分析は機能分析(functional analysis)とよばれ、環境と行動の数量的関係をとり扱う数量的行動分析として、マッチングの法則、行動経済学、行動調整理論などが確立されてきています。
この成果は、人間や動物のさまざまな問題行動の解決に応用され、応用行動分析(Applied Behavior Analysis)といいます。
この応用行動分析は、発達臨床として、発達障害や挑戦的行動、自閉症スペクトラム障害を持つ人に用いられています。
例えば、「行動療法(behavior therapy)」ということばがありますが、それは、「臨床法」のことで、不安症や恐怖症、PTSD、うつ病や摂食障害などの心の問題を持った人たち、自閉症やADHDなど、発達障害や学習障害を持った人たちに対し、主に「学習理論」にもとづいて治療したり、支援したりするいろいろな方法論に包括的につけられている総称で、最近では、「認知行動療法」と呼ばれることが一般的です。
禁煙サポートやソーシャルスキルトレーニングの実施など、生活改善や社会適応の支援もおこなわれます。
他にも、「行動」という切り口で捉えることができるならなんでも対象となることから、一般臨床、医療措置、重篤な精神障害、エイズ予防、老年医学、産業安全、職場活性、学校教育、スポーツ、健康などに活用されています。
行動分析学の基本的な「原理」は、レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ、パブロフ型条件づけ)とオペラント条件づけ(道具的条件づけ)の2つです。
例えば、「オペレント条件づけ」にもとづく実験例は、当「手引き」の「Ⅰ-5-(3)学習された無力感」において、DV被害者がなぜ暴力のある環境から逃れることができなくなるのかを説明する助けになっています。


♯ドメスティック・バイオレンス ♯DV ♯配偶者暴力防止法 ♯DV被害者支援 ♯緊急一時保護施設 ♯シェルター ♯面前DV ♯DVを目撃する子ども ♯支配と従属の関係性 ♯手引き


(DV理解-1)
①ドメスティック・バイオレンス(DV)とは

 DV行為とされる「暴力」は、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法、いわゆるDV防止法)」第二条の三にもとづいて作成される「都道府県(市町含む)基本計画」の中で、「配偶暴力防止法で対象とする暴力として、身体的暴力、性(的)暴力、精神的暴力、経済的暴力がある」と規定されています。
  配偶者暴力防止法で規定する主だった暴力(DV行為)は、以下のとおりです*-6。
・身体的暴力
殴る  叩く  蹴る  つねる  髪の毛をつかんで引きずり回す  胸ぐらをつかんで揺さぶる  体を壁や床に押しつける  腕をしめあげる  首を絞める  噛みつく  頭突きをする  火傷を負わせる  タバコの火を押しつける…etc
・性(的)暴力
望まないのにセックスを強要する  (乳幼児であっても)子どもの前でセックスする  複数や他人との望まないセックスや玩具を使ったセックス、望まない行為を強要される(風俗で働くことや売春行為を強要されることも含む)  避妊に協力しない  中絶を強要する  見たくもないポルノビデオや雑誌を見せられる  裸やセックス時の様子を写真や動画を撮影する…etc
・精神的暴力(ことばの暴力)
無視・無反応  からかい・ひやかす・はやしたてる  罵声を浴びせる(否定する、批判・非難する、侮蔑する(バカにする)、卑下する(見下す)といったことばの暴力を浴びせる)  大声で怒鳴りつける  「俺は悪くない。お前が怒らせるようなことをするからだ!」と責任を押しつけたり、責任転嫁したりする(そのことによって、自分のおこないは正しいと正当化しようとする)  「お前が悪いからだ」、「お前が~をしないからだ」、「お前がケンカをうってきたからだ」と責任逃れのことばで、罪悪感を植えつける  人前でからかう(ひやかす)  悪口をいう  けなす  舌打ちする  不機嫌な態度をとる  威圧的な態度をとる  腕をあげ殴るふりをする(状況によっては身体的暴力に該当する)…etc
・子どもを利用した精神的暴力(ことばの暴力)
子どもに母親が暴力をふるわれている場面を見せる  子どもの前で母親に暴力をふるったあと、子どもに「お母さんが悪いことをしたから」という  子どもに母親の悪口をいわせる(いうことをきかず、母親が叱りつけたあと、「なっ、怒られただろ」と同意を求めたり、皆でにんまり、クスクスと笑ったりなどを含む)   子どもを自分の味方につけ(懐いているようにみせかけ)、妻を孤立させる(ひとりぼっち感、疎外感を味わせる)   お前のせいで、子どもは暴力を受けることになることを思い知らせる(逆に、「子どもがいうことをきかないのはお前のせいだ」と子どもの前で母親を怒鳴りつけたり、殴ったりすることで、子どもに罪悪感を抱かせる)   「もう、暴力には耐えられない」と離婚話を持ちだすと、「お前には、母親として子どもを育てる責任がある(育児放棄をするつもりか)」と自分が暴力をふるうということではなく、子どものことに話をすり替え、問題(責任)の置き換えをはかる(俺のもとで、お前は子どもを育てあげる義務があるとの考えのもと、「子どものことを考えろ」と決断を鈍らせる話を持ちだしてくる)   「でて行くなら、子どもは置いていけ」、「子どもは俺が育てる」、「お前が子どもを連れていって、貧乏にしたら許さないからな」と子どもを(精神的な)人質にとり、でて行くことを諦めさせる…etc
・社会的隔離(精神的暴力として扱われます)
テレビやインターネット、携帯電話などの使用を禁止する(制限する)  交友関係に口を挟んだり、友人や家族の間に不和の種を蒔き、対立させる  妻が里帰りするのを許さなかったり、制限する  「どこに、誰と行くんだ」と人に会うことや、「どこで、誰と、なにをしていたんだ」と外出していたことに詮索し、干渉する。また、「~さんは、お前にいい影響を与えないと思う。あまり会わない方がいいんじゃないか」と交友関係に詮索し、干渉する  退勤時間に迎えにきていたり、出張の送り迎えをしたり家と会社との通勤時間さえ干渉する(行動を監視したりする)…etc
・経済的暴力
給料明細を見せない  収入や財産がどれくらいあるかを知らせない  生活費をわたさない  働きにでることを許さない  妻の買い物はなんでも許可を必要とするが、自分のモノには大枚をはたく  自分の借金の肩代わりをさせる  女性やギャンブル、酒などに生活費を使い込む…etc
*-6 「Ⅰ-3-(3)DVとは、どのような暴力をいうのか」において、判例を踏まえた法的な解釈など詳細に説明しています。

これらの規定は、「どのような行為が暴力、つまり、DV行為に該当するのか」を理解するうえで欠かせないものですが、DVの“本質”を理解するためには、“関係性”の理解と、“構造的”な理解をすることが特に重要になります。そして、“構造的”な理解は、“関係性”の理解との補完関係にあります。
  “関係性”で考えると、DVの本質とは、「本来対等であるはずの男女(夫婦間、交際者間)の関係に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使すること」です。
つまり、「上にたとう(支配しよう)とする者」と「下におかれる(支配され、従属させられる)者」という“関係性”でおこなわれる暴力ということです*-7。
一方で、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの「コミュニケーション・社会性の障害」による特性が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力があります。
この違いを見極めることは、関係性を理解するうえで重要です。
  いずれにしても、重要なことは、いかなる理由があろうと暴力行為を加えた者(加害者)に非があり、暴力被害を受けた者には非はないという理解です。
つまり、暴力に及んだふるまいには、いかなる理由があっても正当性は認められないということです。
 “構造的”な理解には、主に2つの視点が必要です。
ひとつの視点は、身体的な暴力(暴行)や性暴力は、大声で怒鳴りつけたり、否定や批判したり、侮蔑したり(バカにしたり)、卑下したり(見下したり)、脅したりすることばの暴力を浴びせられる中でおこなわれているように、暴力には複合的な要素が絡んでいる、つまり、構造的であるということです。
暴力の複合的、構造的な理解に役立つのが、ミネソタ州ドゥルース市では地域社会の裁判所や警察、福祉機関など9つの機関が集まり「DV介入プロジェクト(DAIP)」を組織し、1984年、被害女性たちの声をもと、暴力を理解する理論的枠組みとしてつくられた「パワーとコントロールの車輪」です。
被害女性の体験から明らかになったのは、第一に、暴力は突発的な出来事でもなければ、積りつもった怒りや欲求不満、傷ついた感情の爆発でもなく、あるパターン化した行動の一部分だということ、第二に、暴力には明確な意図があり、車輪の中心にある「パワーとコントロール」が車輪を動かす原動力となるということでした*-8。
そして、暴行や性暴力の前後に浴びせられている“ことば”が、どのような趣旨(意味)を持つものなのかによって、同じ殴る行為であっても、その意図は違ってきます。暴行や性暴力に及んだ人物のことばに、被害者を否定したり、批判し責任を押しつけたり(責任転嫁をはかろうとしたり)、侮蔑したり、卑下したりすることばが含まれていれば、その人物は、本来対等である男女の関係性に上下や支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使しようとする人物であることになります。
このとき、重要になるのが、その暴行や性暴力の前に、どのようなことばのやり取りがおこなわれていたのかということです。“前のやり取り”には、直前のやり取りだけでなく、出会い、交際以降のやり取りが含まれます。
なぜなら、出会い以降、積み重ねられてきたやり取りにこそ、“関係性”が明確に表れるからです。
もうひとつの視点は、慢性反復的(日常的)な暴力という行為がどのような結果を導くことになるのか、つまり、加害者はなにを手に入れ、被害者はなにを失うのか(どのような状況に追い込まれるのか)ということです。
そして、この理解なしには、「なぜ、被害者は暴力(加害者)から逃げられなくなるのか」を理解することはできません。
被害者が、暴力によりなにを失うのか(どのような状況に追い込まれるのか)ということを理解するには、「暴力により、恐怖心を植えつけ、心と行動を支配する」という関係性、連鎖性を理解することに他なりません。
心理学者のレノア・E・ウォーカーは、慢性反復的(日常的)な暴力を受け続けた女性に共通する特性を「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)*-9」と唱えていますが、被害女性がその状態に至るプロセス、つまり、暴力から逃れられなくなっていく状況を「暴力のサイクル理論」としてまとめています*-10。
一方で、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの「コミュニケーション・社会性の障害」による特性が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力では、例えば、暴力のあとに謝ったり、優しくしたりする相反する拒絶と受容のふるまいが繰り返されない、つまり、ハネムーン期が存在しないなど、上記に記した「パワーとコントロールの車輪」「暴力のサイクル理論」で説明される関係性(状況)に該当しないケースがでてきます。
ところが、「コミュニケーション・社会性の障害」による特性が、暴力行為になってしまうとしても、被害者にとっては、慢性反復的(日常的)に暴力を受けることには違いはないわけです。
そのため、アスペルガー症候群を抱える配偶者を持つ者に見られる共通した傾向は、「カサンドラ症候群*-11」と呼ばれ、先の「被虐待女性症候群」と似通った症状に悩み、苦しむことになります。
*-7 詳しくは、①「Ⅰ-3.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか(1)-(6)」、②同「Ⅰ-4-(2)デートDVから結婚に至る経緯」で説明しています。
*-8.10 暴力の構造性の説明では、「パワーとコントロールの車輪」が引用されています。なお、「パワーとコントロールの車輪」については、「はじめに」「「手引き」の基本骨子」、「Ⅰ-3.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか」の中の「(6) 被害者にみられる傾向、加害者が持つ特性」で詳しく説明しています。
*-9 被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)の傾向」は、「暴力のサイクル理論」を唱えた心理学者のレノア・E・ウォーカーにより提唱されたもので、「Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス」の中の「3-(6) 被害者に見られる傾向、加害者が持つ特性」で説明しています。
*-11 「カサンドラ症候群」については、「Ⅰ-5-(6)」で、また、自己正当化型ADHD、アスペルガー症候群については、「Ⅱ-12-(11)自己正当化型ADHD・アスペルガー症候群とAC」で詳しく説明しています。
 なお、ADHDやLD(学習障害)と愛着障害の判断は専門医であっても難しいことから、合せて「Ⅱ-12-(8)反応性愛着障害(RAD)」で理解を深めていただきたいと思います。


♯ドメスティック・バイオレンス ♯DV ♯身体的暴力 ♯精神的暴力 ♯ことばの暴力 ♯子どもを利用した暴力 ♯社会的隔離 ♯経済的暴力 ♯自己正当化型ADHD ♯アスペルガー症候群 ♯パワーとコントロールの車輪 ♯レノア・E・ウォーカー ♯暴力のサイクル理論 ♯被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム) ♯カサンドラ症候群


②DV加害者の人物特性
DVとは、殴ったり蹴ったり、怒鳴りつけたり、侮蔑したりするなどの行為(ふるまい)だけにフォーカスするのではなく、先に記しているとおり、「本来対等な関係である夫婦の関係や交際相手との関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使することである」と、重要なことは“人と人との関係性”で認識することです。
加えて、人と人の関係性にパワー(力)を持ち込む傾向の強い人物については、第1に、強烈な支配欲・独占欲は低い自尊心を補う承認欲求を満たさなければ、その基盤が脅かされる強烈な恐怖心を抱えていること、第2に、その加害(暴力)行為が衝動的であるときには、脳の発達・機能上の問題として怒りの感情をコントロールできないこと、第3に、その加害(暴力)行為が、長時間に及び、しかも過去のできごとを持ちだすなど執拗であるときには、低い自己肯定感(自尊感情)を補う(承認欲求を満たす)ことで高揚感・恍惚感・優越感を味わうことが無意識下の動機となっている、つまり、暴力による強烈な刺激が、大脳の快楽中枢が繰り返し求める中毒性の行為になっている*-12ことを理解することが重要です。
人と人の関係性にパワー(力)を持ち込む人物の基本行動は、自己の利益、つまり、自分が心地いい(気分のいい)状態になることだけを目的(動機)に、人を「利用」し、人を「操作」しようとすることです。
このことは、主語が一人称、つまり、自己中心的な考え(世界観)しか持っていないということを示すものです。
「自己中心的な人物の世界観」は、自分が絶対的な存在でなければならず、しかも、ものごとの捉え方が、敵か味方か、好きか嫌いかといった二元論(二者択一)であることから、俺に従わない者(絶対服従を誓わない者)、俺に屈しない者、俺に媚びを売らない者、つまり、自分に心地よい(気分のいい)状態に反する行為をした者に対しては、「俺の敵」、「奴は嫌い」と認識し、徹底的にこきおろし、誹謗中傷し、叩きのめすなど冷徹に排除したり、パワー(力)を行使し屈服させ、絶対服従を誓わせたりします。
なぜなら、そうしなければ、いつ危害が加えられる(裏切られたり、逃げられたりする行為も含む)かわからず、不安(恐怖)だからです。
したがって、人とのかかわり方、つまり、心が安定できるのは、べったりと極端に近いか、まったく近づかず極端に遠いかのどちらかです。
自己中心的な人物は、自身に不利益が及ぶできごとが発生したとき、その原因が自身にあったとしても認めることはなく、その責任の原因は、「アイツが悪い」「会社(上司や部下)が悪い」「あの国が悪い」と周りの人たちや社会・国にある責任転換しようと試みます。
なぜなら、絶対的な存在である自分は間違いを犯すことがあってはならないので、「自己のふるまいはすべて正しい」と正当化しなければならないからです。
この自己正当化を試みる行為は、黒を白と認めさせなければならないわけですから、パワー(力)の行使が必要になります。
行動は自己利益にもとづく、つまり、自分の利益になるかどうかが判断基準であることから、「謝る」こと、「下手にでる」こと、「一時、甘く優しいふるまいをする」ことも、自分の利益するための行為ということになります。
謝ったり、下手にでたり、甘く優しいふるまいをしたりするのは、いまの困った状況を打開するための“術(すべ)”に過ぎないのです。
したがって、困った状況を打開するために約束したことは、決して守られることはありません。
なぜなら、最初から守るために約束したり、謝ったりするのではなく、別れを切りだしてきたり、家をでて行ったりした“いまの困った状況”を打開し、やり直したり、とり戻したり(連れ帰したり)することが目的だからです。
やり直したり、とり戻したりすることができれば、再び、パワー(力)を行使して、その関係性の維持に努めることになります。
つまり、DV加害者とは、自己利益のために、人をことばで騙(だま)し、貶(おとし)め、辱(はずかし)め、ことばで足りなければ、力で傷めつけ、力で脅し、力で怯えさせ、力で奪い、力で屈服させ、力で絶対服従を誓わせる人たちなのです。
  ただし、近しい者に対して暴力行為に及ぶ者には、上記のような①脳の発達段階として、感情をコントロールする脳機能を身につけることができなかった者による暴力、②自己愛と反社会性が高いサイコパス的な特質を持つ者(愛着障害を含む)、境界性人格障害(ボーダーライン)を抱える者による支配性の高い暴力の他に、③自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの「コミュニケーション・社会性の障害」による“特性”が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力があります*-13。
そして、その違いの見極めは、関係性を理解したり、対策を考えたり、被害者のケアを考えたりするうえで重要です。
*-12.13 第二、第三、そして、障害の特性の視点に立つと、「DV加害者更生プログラム」でおこなわれる“認知の歪み”に対するアプローチだけでは限界があるということになります。
「境界性人格障害(ボーダーライン)」は、演技性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害と同様に人格障害のB群に含まれますが、「脳梁」の発達に障害が及ぶことが、重要な発症原因のひとつとなっていることから、この「手引き」では、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群など発達障害を抱えている者の“障害の特性”が、近しい人にとっては暴力行為になると考えています。
  つまり、「DV加害者更生プログラム」で効果が期待できるのは、自ら認知の歪みによる暴力性を認識し、自らの意志で、長い期間、苦しい思いをしてでも、少しでも認知の歪みを改善したいと強く願うことができる人物です。それは、認知の歪みが軽度なごく限られた人物です。
なお、「自己愛と反社会性が高い」人物の特性については、「Ⅱ-15-(10)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で、「サイコパス」については、「Ⅰ-8-(4)ミルグラムのアイヒマン実験」の中の「サイコパス」で詳しく説明しています。
また、「自己正当化型ADHD」「アスペルガー症候群」については、「Ⅰ-(6) 被害者に見られる傾向、加害者が持つ特性」、「Ⅱ-12-(11)自己正当化型ADHD・アスペルガー症候群とAC」で詳しく説明しています。


♯加害者の特性 ♯自己中心的な世界観 ♯サイコパス ♯自己愛性人格障害 ♯境界性人格障害(ボーダーライン) ♯自己正当化型ADHD ♯アスペルガー症候群


③ 加害トラウマ。世代を超えてひきつがれる暴力
子どもの問題を遡ると親世代の暴力(配偶者間のDV、子どもへの虐待)、もう1世代遡ると、戦争という集団レベルの暴力に辿りつきます。
敗戦後、焼け野原となった日本を建て直すために、日本国民、特に、戦地から帰ってきた青年たちは、過去をふりかえる間もなく結婚し、昭和22年-24年に第1次ベビーブームが起き、この3年間の出生数は250万人を超え、延べ約800万人の子どもたちが生まれました。
昭和27年の269万6638人は、戦後の統計で過去最多で、平成19年の出生数106万2604人の2.54倍となっています。
のちに、この期間に生まれた世代は、団塊の世代と呼ばれています。
この世代が親になりはじめた昭和26年-49年に第2次ベビーブームが起きています。
戦地で、想像を絶する非人間的な経験を抱えて込んで帰還した青年たちは、どのような家族をつくることができたのでしょうか?
抑え込まれたトラウマ(心的外傷)は、「戦地から帰ってきた父は、毎晩のように悪夢にうなされていました。」と子どもが回顧し、青年たちを迎え入れた一世代上の女性が「戦地から帰った兵隊は皆、家で暴力をふるっていたのよ。」と回顧するように、戦地から帰還し、家族を持った青年たちは、PTSDの症状の再体験(侵入)、過覚醒、回避、麻痺に苦しみ、一方で、「再演(あるいは、攻撃防御の機能不全)」としての暴力行為に及んでいたわけです。
戦地から帰還した父親は、毎晩のように悪夢にうなされ、妻や子どもに暴力をふるい、一方で、家庭を顧みず仕事に邁進していく中で、その家庭で、次世代が育てられ、さらに、次の世代が育てられていくことになります。
  戦地から帰還した青年たちは、家族と絆を結ぶことができないのは、PTSDの回避、麻痺に他ならず、過労死するまで働き過労死するまで働き続け、朝鮮戦争による特需があったとはいえ高度成長を成し遂げ、世界第2位のGNP(国内総生産)を達成するなど奇跡的な経済復興を遂げたのは、まさに、過覚醒に他ならないと考えられます。
1回の暴力は、想像を絶する破壊力を持ち、そして、過去と未来を大きく変えてしまいます。
そして、暴力が慢性反復的(日常的)におこるとき、暴力そのものが、人生の一部分を構成していきます。
当然、マスレベルでおこる戦争や紛争といった暴力は、コミュニティを破壊し、コミュニティのあり方そのものに否定的なインパクトを与えることになります。
戦後の日本のように、この状態が放置されてしまうと、そのインパクトは世代を超えてひきつがれ、社会全体が歪み、社会病理を抱え込んでいくことになります。
  「トラウマ」ということばは、そもそも身体的損傷を指すものでしたが、1894年、ウィリアム・ジェームズが、「衝撃の残りが潜在意識に影を落とし、それは、“催眠”状態においてのみ確認できる。そこに留まったままだと、いわば、魂の中の“精神的トラウマ”の棘のような影響を与える。」と記述して以降、徐々に精神的意味を獲得していきました。
  リフトンによるナチ加害者の研究では、加害において、内的な解離状態が発生すると、一定の条件下で、「部分自分」が形成され、やがて、これが大きな部分を占めるようになり、自律的な自己として機能する、つまり、「二重化(doubling)」が起こるとしています。
  この「第二の自己」が形成されることにより、普通であった人が、“悪”を成すことが可能になるとしました。
  加えて、その後、この「二重化された自己」を“再統合”する心理的作業がおこなわれないとき、加害者は、解離の歪みを抱えたまま生きることになるとしています。
  ジェームズがいうように、「統合されないまま潜在意識にあり続け、否定的インパクトを与え続ける棘のようなもの」であるなら、「第二の自己」として加害者となっているときには、加害者の抱える状態もまたトラウマとなります。
  ここでは、これを「加害トラウマ」と表現し、被害者の抱えるトラウマと区別します。
  そして、加害トラウマ、つまり、「トラウマ」を起因とする暴力は、世代を超えて受け継がれます。

♯戦地から帰還した青年 ♯第1次ベビーブーム ♯第2次ベビーブーム ♯団塊の世代 ♯高度成長 ♯経済復興 ♯社会病理 ♯PTSD ♯第二の自己 ♯加害トラウマ ♯世代間連鎖


(DV理解-2.暴力とは)
①自己肯定感や自尊心の回復をはかるための暴力の行使

暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント(愛着形成)を損なっている者が、自己存在を感じられる(承認欲求が満たされる)のは、相手より優位になっていると感じられるときだけです。
「相手より優位になっていると感じられているとき」とは、人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙したり、奪ったり、駄々を捏ねていうことをきかせたり、気を惹くことをしてかまってもらったり、人よりいい成績(学業やスポーツ、音楽など)を残したり、人より財(収入のいい仕事に就く、多くの資産を得る、うらやましがられるポジションを得る)を成したりすることで、優越感や特別感に浸ることができるときです。
そして、自己肯定感の低い人が、相手より優位になっていると感じられていいないとき(コニュニティの中で、存在感を失ったり、傷つけられたりしたときを含む)、承認欲求を満たすために優越感や高揚感を得るためには、パワー(力)の行使が必要になります。
ここでいうパワー(力)には、例えば、性暴力としてのレイプだけでなく、盗撮したり、痴漢をしたり、体液をかけたりする行為も含まれます。
なぜなら、こうした行為に及んでいるその瞬間、支配欲を満たしているからです。
したがって、レイプ、盗撮、痴漢、セクシャルハラスメントなどの性暴力は、性欲を満たす行為というより、その関係性の中で、支配欲・独占欲を満たす行為と捉えることが重要になります。
パワー(力)の行使には、上記のとおり、他者に向けられるケースと、自分に向けられるケースがあるわけですが、後者のケースでは、リストカットや過食嘔吐といった行為で自らを傷つけたときに感じられる高揚感で、自己肯定感や自尊心の回復をはかろうとしていることになります。
  このような考え方に準じると、本来対等な関係である夫婦や交際相手との関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使することで、相手より優位になっている(優れている)と優越感に浸り、自己存在を感じられている(承認欲求が満たされている)ときには、その者は、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損ない、自尊心と自己肯定感が低いということになります。
問題は、暴力により得られる強烈な刺激、つまり、承認欲求を満たして高揚感、優越感や特別感をもたらす強烈な刺激は、脳の“快感中枢”を刺激すること意味するということです。
つまり、暴力には中毒性があるということです。
このため、自己存在の確認が必要になるたびに、暴力により得られる刺激を繰り返し求めることになるのです。
これが、放火や盗撮などの性暴力など優越感や高揚感が得られる犯罪行為と同様に、交際相手や配偶者、あるいは、部下や同僚、生徒・学生に対する暴力という行為(DV・デートDV(別れ話をきりだされたあとのストーキングを含む)、パワーハラスメント・セクシャルハラスメント、体罰など)を止めることができず(自身の意志ではコントロールできず)、エスカレートしていく原因となっているのです。
一方で、慢性反復的(日常的)に暴力を受け続けている被害女性の中には、繰り返されてきた暴力によって、自己肯定感を奪われ、自尊心が破壊されてしまい、「暴力を受けているときに、いま私は生きていること(自己存在)を確認できる」という深刻な状態に至っているケースもあります。
こうした深刻な状態に至っている被害女性は、哀しい、ツラいといった感情の感覚さえなくし、暴力を受けているのは自分ではない感覚(以上、PTSDの狭窄症状)に陥っています。

♯愛着形成(アタッチメント) ♯自己肯定感 ♯自尊心 ♯承認欲求 ♯高揚感


②人は、なぜ暴力的な行為に及ぶのか
  ここで、「人は、なぜ暴力的な行為に及ぶか」の“解”として、重要な捉え方を示しておきたいと思います。
多くの人は、人は「こういうふるまいをしたら、どのような事態を招くことになる」といった判断ができると考えています。
しかし、それは、人の本質を美化した幻想です。
そして、「人は理性的にふるまうことができる」と信じている人たちの多くが、理性で本能をコントロールできない者を弱いとか、異常と認識し、自分たちとは異なる者と区別(差別)したり、時には、排除したりすることで安心し、安定をはかろうとします。
人とはそういう生き物です。
重要なことは、「こういうふるまいをしたら、どのような事態を招くことになり、結果として、こうなる」といった自身の行動による結果を類推する能力は、好ましくない行為の抑止となりますが、その能力は、出生後の幼児期に社会や家族環境のもとで学び、身につけるということです。
つまり、「自身の行動による結果を類推する能力」を身につけることができる家庭環境と、身につけることのできない家庭環境があるということです。
なぜなら、先に記しているとおり、人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達するからです。人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させないのです。
例えば、子どもが、暴力のある家庭環境で育つと、子どもの脳は、暴力のある環境に合った脳につくられることになります。加えて、親と子どもとの関係性において、アタッチメント(愛着形成)が損なわれます。そのため、特定の条件下で、渇望感(承認欲求)を満たし、心の安定を求めるために、暴力による関係性を成り立たせようとします。
「特定の条件下」とは、思い通りにことが進まない苛立ち、頑張っても報われない憤り、ないがしろにされたり、無視されたり、罵られたりしたとき、つまり、強いストレス(危機)を感じたとき、その思いを第三者や社会(外)に向けたり、自分自身(内)に向けたりします。
自尊感情や自己肯定感が傷つけられたと感じたときには、少しでも優越感を得られる行為に及ぼうとします。
優越感を得られる行為とは、征服・支配欲を満たす行為です。
痴漢や盗撮、体液をかけたりする性暴力(もっとも高い優劣感が得られるのがレイプ)、万引き、いじめ、差別(ママカーストなど含む)、ネット内での誹謗中傷、井戸端会議で愚痴、そして、借金や性風俗で働くなどして金を工面してブランド品を購入したり、ホストに入れあげ貢いだりする行為は、“承認欲求”を満たす行為で心の安定をはかろうとしたものです。
子どもの万引きは、渇望感を満たす“承認欲求”であるだけでなく、「わたしがここにいる(存在している)」ことを確認するために気を惹こうする「試し」の意図を持ち、「(親がどうふるまうのかを見て)わたしへの愛情の深さ(関心の高さ)」を確認することで“承認欲求”を満たそうというふるまいです。
乳幼児期に“承認欲求”が満たされていなかった者が、“承認欲求(心地よさ=快感)”を欲し、「思いが満たされた」といった成功体験を積み重ね、脳が中毒症状下にある(脳が暴走した)ときには、法やルールによる規制だけでなく、道徳・倫理感(モラル)といった規範、そして、血を分けた者の絆さえも無力です。薬物やアルコール、ギャンブル、買い物、セックス(異性との交遊)などの依存者は、家族を金銭的・精神的に破滅させるだけでなく、暴行・殺害してまでもお金を欲するのは周知の事実です。
そして、暴力により得られる高揚感・恍惚感・優越感は、薬物・アルコール、ギャンブル、買い物、セックスなどの依存者が、自分の身(家族を含む)を破滅させることになっても追い求める高揚感・恍惚感・優越感となんら変わるものではないのです。
つまり、暴力がエスカレートしていくのは、暴力により、“快楽”を司る中枢(脳内報酬系)が刺激される中毒性によるものです。
このことが、暴力の強烈な刺激欲求に対しては、「人とどうかかわるかといった“認知の歪み(考え方の癖)”に対するアプローチ(加害者更生プログラム)*-14」だけでは対応できない要因となっています。
乳幼児期に、親に守られて安全で、安心感にあふれた心地よさ(快感)という承認欲求が満たされず、渇望感を抱えている人たちは、ちょっとした抑圧(ストレス、危機)、報われない感に対し、怒りの感情をコントロールすることができず、衝動的に人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙したり、奪ったりして優越感に浸ろうとしたりします。
以上が、怒りを他者に向け優越感を得ることで、征服・支配欲を満たす暴力行為です。
人は、殺戮本能、征服・支配欲をコントロールできずに暴力に及ぶとき、“狩りのセオリー”として、他のコミュニティに属する者、傷ついた者、老いた者、幼い者(子ども)、力(立場を含む)の弱い者をターゲット(標的)にします。
そして、人は、殺戮本能、征服・支配欲が満たされるとき、高揚感・恍惚感・優越感に浸ることになります。
強い者や立場が上の者が、弱い者や立場が弱い者という構図(関係性)のもとで、力(パワー)が行使される、つまり、虐待、DV、いじめ、差別、体罰、パワーハラスメント、セクシャルハラスメントなどの暴力には、人類の残虐性、サディスティックなふるまいに快感を覚える(優越感に浸る)という側面があるということです。
人は、人を屈服させること、つまり、自分の力を誇示することで、渇望感が満たされる(承認欲求が満たされる)のです。
なぜなら、優越感に浸ることで、自尊感情や自己肯定感を高めることができるからです。
乳幼児期に“承認欲求”が満たされていなかった者、つまり、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なった者たちは、この傾向が強く表れるのです。
一方で、わたしそのものの存在を認めて欲しいときには、リストカットや過食嘔吐、ODなどの自傷行為(自分への暴力行為)に及びます。
それは、自分への気を惹くためのふるまいであるものの、「わたしはここにいる、ちゃんと見て!」と命をかけた心の叫びです。
ちょっとした抑圧(ストレス、危機)に傷つき、これ以上傷つかないように、人とのかかわりを避ける、つまり、一時の回避行為で安心を得られても、心には怒りを押し込めたままでいることから、「人とのかかわりを避け続ける者=ひきこもり者」は、時にマグマが突きあがってくるように怒りを爆発させることがあります。
それが、抑圧してきた家族に対し、憤りや怒り*-15をぶつけ暴れるという家庭内暴力です。
したがって、暴力的な行為には、「外(他者)に向ける暴力的行為」と「内(自分)に向ける暴力行為」があり、暴力行為のエネルギーやモチベーション(動機)は、ともに、暴力により抑圧された渇望感と怒りの感情です*-16。
原因は同じで、外に向けられるか、内に向けられるかの行動の違いとなって表れるだけです。
問題は、これらのアタッチメントが損なわれ、渇望感(承認欲求)を満たすことが動機となっている暴力的行為は、“快感中枢”を刺激する中毒性を伴うということです。
そこで、「人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達する」ことから、現代社会において、私たちが、人類の脳の暴走(“快感中枢”を刺激する中毒症状)による暴力的行為を防ぐ主な手段は二つです。
ひとつは、戦争や紛争をおこなったり、巻き込まれたり、暴力のある家庭環境や社会環境に子どもを留めたりして脳に傷(神経伝達物質の分泌に異常をおこしたり、萎縮させたり、PTSDを発症させたりすること)を残さないことで、もうひとつは、血液脳関門と呼ばれる脳の特有の血管を通過する中毒性のある物質(食品や薬物)、つまり、環境汚染をもたらす農薬、ダイオキシンやPCB、PM2.5などの化学物質をこれ以上体内にとり込まないことです。
  この中で、いま私たちが、私たちの意志で、直ぐにとり組むことができるのが、虐待とDVの早期発見にとり組むことであり、適切に介入し支援することです。
*-14凄惨なストーカー事件が繰り返し発生していることから、加害者に対してのアプローチ(加害者更生プログラムの実施など)のあり方が注目されていますが、それは、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)に対しておこなわれるものです。
「DV加害者更生プログラム」については、「*-12.13」、「DVの理解-3-⑥危険な「きっと、加害者更生プログラムを受ければ変わってくれる」との思い」、「Ⅴ-31.DV加害者更生プログラム。「ケアリングダッド」を実施するうえでの原則」において詳しく説明しています。
*-15 このときの怒りは、慢性反復的なトラウマ体験(虐待被害)を起因とするPTSDの症状、つまり、「攻撃防御の機能不全」の症状として捉えることができるものです。
*-16 別の視点として、認知の歪みが人格そのものまでに及んでいる反社会性や自己愛性、妄想性などの人格障害(パーソナリティ障害)を抱える者が、本来対等である異性との関係性に、上下の関係、支配と従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使しようとするのではないケースを考える必要があります。
それは、ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害を抱えていて、「本人がやらなければならないと認識している行動(行動に“行番号”がふられている)が手順通り(その順番通り)にことが進まないときに起きるパニックアタック(パニック発作)」が、DV・児童虐待・パワーハラスメントなどとみられているケースです。発達障害特有の思考・行動特性が、暴力的なふるまいの原因となっているケースでは、加害者とみなされる者が、「その手順通りにことが進まなかった原因が他者にあると思ったときに、その苛立ちや怒り(パニックの方向)を他者に向けてしまう自身のふるまい」について、逆に、「どうしてわかってくれないのだろう?」と“困惑している”ことがあります。
したがって、人との距離感がわからずに軋轢を生んでしまうことに困惑し、なんとかしたいと認識している者に限り、適切なアプローチを心がけることで、暴力的なふるまいは改善されていきます。ただし、このときの適切なアプローチは、「DV加害者更生プログラム」が最適ということではなく、それぞれの発達障害の特性にあった治療ということになります。
加害者とみなされる者のふるまい(言動・行動特性)について、専門の第三者により、正確に見極めることが重要なのです。


♯承認欲求 ♯高揚感 ♯快楽中枢 ♯脳内報酬系 ♯認知の歪み ♯加害者更生プログラム ♯怒りの感情


③生存本能に及ぼす危機(ストレス)が、脳をつくるという意味
 「いじめ」被害が発端となり、不登校になったり、自殺してしまったりした事件が公になるたびに、「いじめることは許されない」ことを教える「いじめをなくすためのとり組み(教育)」が議論されます。
しかし、「ある危機下(ストレスがかかる状態)では、人は、自分よりも弱い者、つまり、年老いた者、障害がある者(ケガや病を抱えている者を含む)、女性や子ども、力や知恵が劣る者、他のコニュニティの者などを排除してでも、生存する(危機を乗り越えたり、回避したりする)ために自分を少しでも優位な状況におこうと試みることが“本能”である」との認識に立つことが重要です。
なぜなら、自分より弱い者を排除したり、危害を加えたりする生存本能をとり除くことは生物としてできないからです。
生存しているコニュニティで共存していくためには、その地域、その時代に則したルールや法(規定)、倫理観や道徳観といった規範を身につけることが必要になります。そのためには、乳幼児期(胎児期を含む)-思春期前期(0-13歳)、思春期後期-青年期(13-18歳)までの成長過程で、生存本能をコントロール(抑制)する必要があるわけです。
つまり、人は、成長とともに(ある年齢に達したときには)、生存本能としての人に危害を及ぼす行為をコントロール(抑制)することができるようになっていなければならないことわけです。
そのためには、「子どもに危機が及ばないこと、つまり、子どもが安全で、リラックスできる環境で生活していること」が必要なのです。
子ども、そして、大人にかかわらず、人類にとっての「危機的な状況」とは、「死の恐怖」を味わう状況です。
人類にとっての「死の恐怖」、つまり、「危機的な状況」とは、古代の人類が肉食獣に襲われ、捕食されることに怯えて暮らしていた状況です。安全で、心穏やかに安心できない環境は「死の恐怖」と隣り合わせ、つまり、「危機的な状況」になり、「強烈なストレス下におかれる」ということです。
人類にとって、いつオオカミやコヨーテ、ヒグマ、トラ、ヒョウなどの肉食獣に襲われるかわからない環境、いつ地震や川の氾濫、飢饉など災害にみまわれるかわからない環境、いつ砲弾や銃弾が飛んでくるのかわからない環境、そして、いつ暴力がおこなわれるかわからない環境は、ともに不安と恐怖に怯え、心穏やかに安心できる環境になく、安全が約束されていないという意味でなんら変わるものでない、つまり、人類にとって「危機的な状況」として、強烈なストレスを与えるものなのです。
このことは、暴力のある家庭環境で育つ子どもの脳の働きは、古代の人類が肉食獣に襲われていた時代と同様に「理性よりも本能優位となる」ことを意味します。
なぜなら、「人類の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられる」からです。
つまり、生存本能としての人に危害を及ぼす行為をコントロール(抑制)することができない脳がつくられるのです。
そして、暴力が常態化している家庭環境で育ち、思春期後期-青年期に達している子どもたちに対し、社会通念(倫理観・道徳観といった規範)・法律上「悪い」行為(ルールは法(規定)に反する行為)であることは明らかであっても、「悪いことだから、止めなさい!」と叱っても、教育的な指導をおこなっても、こうした正論は心に響くことはないのです。
「俺にとやかくいう前に、まず(虐待を繰り返す)親をどうにかしろや!」、「テメエは親にはなにもいえねえ癖に、なにを偉そうにいってやがるんだ!」と反発するだけです。
こうしたときの児童の反応は、大人の本心(汚さ・狡さ)を見透かし、「とるに足らない、くだらないヤツ!」と愛想を尽かしていることに他ならないのです。善悪でものごとを捉え、それを盾(温旗)にして指導することは、子どもの改善の目を摘んでしまいかねないわけです。
子どもに暴力を加えている親(暴力のある家庭環境で育てている親)、いじめ(暴力)をおこなっている児童や大人に対し、等しく「法に反している」として罰することが必要なのです。
「等しく」とは、子どもに大人の狡さや汚さを感じさせないことが前提です。同じことをしても誰かが許され、誰かが許されないという“えこひいき(優遇される)”がないこと、つまり、「フェアである」ということです。
なぜなら、人は、生き延びる力(権力を含む)や知恵のある者に、とり立てられたり、優遇されたりすることを望んでいるからです。
人は、自分以外の誰かではなく、自分が“えこひいき(優遇される)”されたい思いがあることから、「フェアである」ことにとても敏感です。
そのため、フェアでないことに、不満、苛立ち、怒りの感情を表しやすいのです。
「フェアである」ために、大人自身が、フェアでないおこないを律するコミュニティをつくりあげることができなければ、どのような政策であっても、子どもたちにとって、それは「絵に描いた餅」でしかないのです。

♯危機的な状況 ♯ストレス ♯フェアである ♯フェアでない


④暴力のある家庭環境は、「暴力に順応した考え方の癖」をつくる
  自己存在を感じるために、「人より優位になっている」ことが必要となる自己肯定感が極端に低い人たちは、幼い子どもであっても、親である自分はお前とは立場が違う、つまり、俺の方がお前より立場は上であることを誇示しなければならないのす。
このため、顔つきや身ぶりで威嚇し、威圧感を植えつけたり、太く低い声(中には、甲高い声)で怒鳴り散らしたり、殴ったりして、妻や交際相手、そして、子どもの心に恐怖心を刻み込みます。
なぜなら、そのふるまいにより、自分に絶対服従する状況をつくることが、自身の自尊心を満足させることになることだからです。
その根底にあるのは、“不安”です。
弱い者への力の誇示は、“虚栄心”によるものです。
見せかけの虚像の世界観をつくりあげ、自分が絶対君主であろうとします。
俺の気分を害したのは、「お前(妻、両親、上司、同僚、そして、社会など)が悪いからだ!」と、責任は自分にはなく、自分は悪くないという考え(自己正当化)を貫きます。
自分の感情の赴くまま、そのときの気分次第で態度が変わり、また、怒鳴りつけたかと思うと急に優しくなったり、世間体や上辺だけの格好よさを気にして、家の中と家の外では話す内容や態度が別人のように違ったりするなど、ふるまいはコロコロ変わり、一貫性はないことから、周りの者は、なにが気に障ったのか、地雷がどこにあるのかわからず、混乱と不安状態に苛まれることになります。
その結果、こうした環境で暮らす者は、常に、混乱と不安(恐怖)下にあり、暴力的なふるまいを回避するために、機嫌を損ねないように顔色をうかがい、意に添うように先回りをしてふるまうのが習慣になります。こうした習慣を、「暴力に順応するために身につけた思考・行動パターン」といい、暴力に順応する“考え方の癖”のことを、「認知の歪み」といいます。
一方で、パワー(力)で、子どもを抑え込もうとする(母親を恐怖で屈服させている状況を見させることで、口ごたえしたり、反発したりすることは無駄であることを思い知らせているふるまいを含む)父親のふるまいは、ときに、子どもが「パパ、子どもみたい。」と口にするほど、幼い子どもから見ても、ただ駄々をこねているようにしかみえないものです。
父親に対して、こうした印象を抱いている子どもの問題は、表面的には(第三者からは)、父親の恐怖下にあるように見えないこと、そして、子ども自身が、「パパ、子どもみたい」と容認してしまっていることです。
母親がDV環境下にあるにもかかわらず、子どもにこうした印象を抱かせる父親の特徴は、子どもに怖い思いをさせたあと、恐怖の記憶が残らないように(怖い思いをしたことを忘れさせるために)、くすぐったり、じゃれ合ったりする“遊び”を持ち込んでしまうことです。
こうした相反する「怖い思いをさせられた思い(拒絶)」と「いっしょに面白いことをした思い(受容)」を繰り返すことで、怖い父親と優しく面白い父親あのどちらが本当なのだろうか?と子どもの思考を混乱させます。
人は、相反する拒絶と受容の言動やふるまいを繰り返される環境にあると、どちらが真実なのか戸惑い、思考混乱をきたします。
こうした状況下では、人はマインドコントロールされやすくなります。
交際相手や配偶者といった他の家庭で生まれ育った大人と違い、自身の子どもは、マインドコントロールするために、恐怖下で、価値観を徹底的に否定して(破壊して)、新たな価値観を植えつける必要はないわけです。
つまり、自身の子どもは価値観の破壊なしに、日常生活の中でごく自然に、マインドコントロール下におくことができるわけです。
日常生活の中でごく自然にマインドコントロールされた考え方や価値観は、“認知の歪み”を伴うことになります。
暴力のある家庭環境で生活をしている幼い子どもは、その環境で生きるために順応するために、怖い思いをしないように、自らの意志で(自ら率先して)、父親の機嫌を損ねないように顔色をうかがい、父親に気分よく過ごしてもらうために楽しませたり、喜ばせたりするようになります。
暴力のある家庭環境で生活している幼い子どもは、これ以外の家庭環境を知らないので、家庭とはこのようなものだという価値観がつくられ、成長に伴い、この価値観にもとづいた考え方で行動するようになります。
この価値観そのものが、認知の歪みを意味します。当然、その歪んだ価値観にもとづく思考・行動パターンは、好ましいものではないわけです。
そして、幼いときから自ら率先して父親に気分よく過ごしてもらうために楽しませたり、喜ばせたりした記憶は、「私は、子どものころ父親といっしょに遊んだりして楽しく過ごした」という記憶として残ることになります。
なぜ、私が、そうしなければならなかったのかという動機(状況や理由)の記憶は残らなのです。
なぜなら、第一に、言語的な記憶は、ことばの獲得により構築されることから、0歳-3・4歳までの記憶は、自由にアウトプットできる形では残らないからです。第二に、人の脳は、ツラいこと、哀しいこと、つまらないことよりも、楽しいこと、嬉しいことの記憶を残す特徴があるからです。
その結果、子どもには、怖い父親ではなく、面白い(楽しい)ことをしてくれる父親像をつくりあげていくことになります。
そして、閉鎖された家の中で、こうした状況が、毎日あたり前のように繰り返される中で育つしかなかった子どもは、父親の力の弱い者を抑え込むためのパワー(力)の使い方、力の強い者にパワー(力)で抑え込まれたときの母親の身の守り方を、見て、聞いて、察して、学び、身につけていくのです。
つまり、子どもが、暴力のある家庭環境に順応するということは、大人が被害者になるのとは違い、親のふるまい、つまり、パワー(力)で抑え込む方法とパワー(力)で抑え込まれたときの身を守る方法を、青写真のようにゆっくりと時間をかけてコピーしていくということです。
このことの持つ意味は、重大です。
なぜなら、お互いを敬い、尊重し、慈しみ、労わり、思いやるという夫婦の関係性、コミュニティの中で他者と良好な関係を築き保つという社会性を学ぶ機会を失うことになるからです。

♯虚栄心 ♯自己正当化 ♯認知の歪み ♯相反する拒絶と受容 ♯マインドコントロール


(DV理解-3.被害者に必要な自己理解)
①暴力をエスカレートさせない。「脅し」のことばには「ノー」と。

交際相手や配偶者からの暴力は、“なにかのきっかけ”で、突然はじまります。
その暴力は、被害女性には、なぜ暴力がふるわれることになったのか理由がわからず、理不尽なものです。
そして、その暴力は少しずつエスカレートしながら、あるとき一気に沸点に到達したような激しいものになります。
「なにかのきっかけ」による最初の暴力は、殴ったり、蹴ったりする“身体的な暴行”とは限りません。
交際相手や配偶者が、威圧的な嫌な顔をしたり、雰囲気をかもしだしたり、「チェッ、勝手にしろ!」と舌打ちして突き放すようなことばを口にしたり、「テメエは…」、「お前は…」などと名前を呼ばなくなったり、大きな音を立ててドアを閉めたり、物を投げたり、ゴミ箱やいすを蹴ったり、ドスをきかせた威圧的ないい方をしてきたり、「どうなるかわかっているんだろうな!」脅すようないい方をしてきたり、あからさまに無視したり、「俺と…のどっちが大切なんだ!(「…」は家族、友人、仕事、部活や習いごとなど)」と選ばせたり、友人や家族と過ごすことに詮索干渉したり、職場や学校の終業時間に近くに迎えにきていたりするようになったりするなど、交際相手や配偶者を尊重し、敬い、労る気持ちがあれば、できないようなことを気にすることもなく口にすることができたり、ふるまうことができたりする人物であるとき、以降、“DV行為がひどくなる兆候”と解釈することが必要になります。
なぜなら、第1に、「DV行為」と記しているとおり、これらのふるまいは、すべて「精神的な暴力」に該当するからです。
つまり、既に、交際相手間、夫婦(配偶者)間にDVがおこなわれているということになります。
第2に、こうした言動やふるまい(態度)をしたとき、相手がどのように反応するかを確認している(試している)からです。
「試し(確認)」と記しているとおり、ひとつの行為に「No!」のサインがなければ、「これらの行為は、受け入れられている(しても問題ない)」と認識されることから、暴力のレベルを一段ずつ確認していく、つまり、少しずつ暴力がエスカレートしていくことになります。
ここで、重要な確認作業となるのが、「俺の嫁が…」、「俺の女が…」といったいい方を受け入れるのか、受け入れないのかを見極めることです。
なぜなら、「俺の嫁が…」、「俺の女が…」といういい方は、家意識が高く、男性が上で女性が下という価値観を持っている、つまり、ジェンダー観(性差、性の役割)が表れていることばだからです。
こうしたいい方に「No!」をつきつけない相手は、「家意識」、「ジェンダー観(性差、性の役割)」に似通った感覚を持っている、つまり、似通った考え方の家庭環境で育ってきていることを意味しているからです。
このことは、男性が上で女性が下という上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を使いやすいことを意味します。
「パワー(力)を使いやすい」ことは、「パワー(力)を受け入れやすい」と認識したということです。
それは、この人物はパワー(力)に恐怖心を感じやすく、パワー(力)に屈しやすい、つまり、この人物は支配できると確証することになるのです。
一方、思わずビクッとしてしまうような、そういう態度を交際相手や配偶者にとられたとき、「わたしになにか落ち度があったのだろうか」、「仕事でなにか嫌なことがあったのだろうか」と考えてしまうことがあります。
しかし、交際相手や配偶者が、そういう態度をとることを“肯定してしまう”ことは、いいことではありません。
間違いは間違いであって、誤りに気づき、反省すればいいわけですが、恫喝や脅しのようないい方をされれば誰だって不愉快です。
そうしたやり方は、そもそも対等な関係ではありえないことです。
したがって、交際相手や配偶者がこうした態度をとったときには、「嫌だから止めて。」とはっきりいわなければならないのです。
もし、「もしかしたら、私がいけなかったから(いたらなかったから、悪かったから)」と口をつぐみ、「私は嫌だ」との思いを「いってもしょうがない」、「いっても無駄だから」と口にすることができずにいると、先に記しているとおり、交際相手や配偶者は、それでいいと思ってしまうことになるのです。
その結果、どんどん横暴な態度、要求がエスカレートしていくことになるのです。
先に、似通った「家意識」「ジェンダー観」を持っていると、似通った考え方の家庭で育ってきていると記していますが、“DV行為がひどくなる兆候”としてあげた例は、DV行為そのものであるわけですから、仮に被害女性がこうした暴力を暴力と認識できなかったとき、程度は別にして、なんらかの暴力のある家庭環境で育ってきていることになります。
そのため、「暴力をふるうのは、それなりの理由があるからに違いない」、「夫婦(交際相手)のことだから、暴力をふるわれても仕方がない」と暴力を容認して(受け入れて)しまいやすい傾向があります。
その結果、子どものときのように、「家庭内に暴力があることは、誰にも知られてはいけない」と隠そうとしたり、「きっと知られていると思うけど、私は大丈夫、そんなこと気にしていないとふるまえばいい」と気丈にふるまおうとしたりすることが少なくありません。
中には、「暴力を受けること=自分が悪いから」という考え方の癖ができていると、「自分が欠陥品(恋人や妻として失格の烙印を押されてしまった)」であるかのような認知が構成されやすいため、「自分のことを恥ずかしい」という思い(恐怖感情)を抱いていることがあります。
そのため、「恥ずかしい自分をさらいたくない」と、暴力被害を口にすることを避けようとします(回避)。
それでも、交際相手や配偶者の理不尽な“力による支配”は、決して許してはいけないのです。
“脅し”を含んだ言動には、はっきりと「No!」といわなければならないのです。
「お前の家事のやり方がノロノロしていて気に入らない!」、「顔を見ていると腹が立つ!」などの理由で暴力に訴える行為は、「後ろの車がクラクションを鳴らしてうるさかったから」という理由で、他人を殴るのと同じなのです。
恋人同士のことだから、夫婦間のことだから、家の中のことだからと自分自身にオトシマエをつけてはいけないのです。
このような言動や行動が“許容されてしまう”ことによって、次の暴力につながっていき、その結果、家庭が、暴力で支配された無法遅滞と化してしまうことになるのです。
かつてニューヨーク市のジュリアーニ市長は、「割れ窓理論」にもとづく対策を採用し、地下鉄構内、街中の落書き消しを徹底し、無賃乗車などの軽犯罪や違反行為を厳しく取り締まることで、1994年から2001年の7年間で、犯罪件数を57%、殺人件数を66%減少させ、治安を劇的に改善することに成功しました。
「割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論)」とは、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案したもので、割れた窓を放置していると、“誰も注意を払っていないという象徴”となり、次いで別の窓が破られ、あるいは他の違反行為を誘発するというように、小さな違反行為を放置しておくと、次第に無秩序感が醸成され、それが大きな治安の悪化につながるというものです。
窓が割れた車、自転車のかご、空き地に捨てられたひとつのゴミが放置されると、次々とゴミが捨てられていくのをよく見かけると思います。
この考え方は、組織におけるコンプライアンス、法的遵守の問題も同じように考えることができます。
組織として、ひとりひとりが切手1枚、ボールペン1本ぐらい私用で使ってもいいだろうという気の緩みが、不正な経理処理、そして、横領事件、商品の不正表示や偽装事件へと発展させてしまうことになります。
家庭内での子どもとのかかわり、学校での教師の生徒への対応、そして、家庭内での夫婦の関係もまったく同じなのです。
つまり、DV行為をひどくさせないためには、「このぐらいなら許されるだろう!」と思わせないことがなにより大切のことなのです。
重要なことは、第1に、「暴力は間違っている」、「私は暴力をふるわれたくない」と考えや意見を口にした(意思表示をした)ことによって、激怒され、「テメエ誰に口きいてやがるんだ!」、「お前の考えなど聞いていねえんだ!」、「いつからそんなに偉くなったんだ!」と大声で怒鳴りつけたり、殴られたりしたときには、別れる(離婚する)決意を固め、躊躇することなく家をでることです。
他の選択肢はないのです。
これらの行為は悪いことではなく、正しい行為で、自分を大切にすることに他ならないことを理解することが必要です。
第2に、「ずっといい続けたら、いつかきっとわかってくれる」とわずかな期待感を思ってはいけないということです。
「暴力をふるう夫とはいえ、子どものこともあるし、いまはまだ離婚までは考えられない。だから、コトを荒立てたくないし、近所に家庭の事情を知られるのも困る・・」との思いが錯綜してしまい、躊躇なく警察に通報したり、家をでたり、離婚したりする決心がつかない被害者は少なくありません。
また、母親が「子どもには父親が必要だから、子どもの手がかからなくなるまで、私ひとりががまんすればいい」と口を閉ざし、耐え続けたり、「子どもが成人するまで、父親としての義務を果たして欲しい」、「暴力をふるったり、外に女をつくったりしても、私が本妻なんだから、絶対に別れない!」との思いが強く、婚姻関係に固執し続けたりするケースもあります。
  こうした状況下にあるとき、子どもは、精神的虐待を受け続けることになります。
つまり、母親ががまんし、耐え続ける中で、慢性反復的に繰り返される「暴力」は、子どもに計り知れない影響を与えることになります。
どれだけツラく苦しくとも、母親として、この事実と真正面から向き合わなければならないのです。

♯なにかのきっかけ ♯DV行為がひどくなる兆候 ♯少しずつ暴力がエスカレート ♯ジェンダー観(性差、性の役割) ♯家意識 ♯パワー(力)を使いやすい ♯パワー(力)を受け入れやすい ♯パワー(力)に恐怖心を感じやすい ♯パワー(力)に屈しやすい ♯割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論) ♯別れる(離婚する)意志を固める ♯躊躇なく家をでる ♯他の選択肢はない


②「いいか」「悪いか」と二元論で、ものごとを判断しない
DV被害を受けた人が、自身への暴力被害と向き合ううえで理解して欲しいのは、「いいか」「悪いか」と二元論で、ものごと(事象)を判断しない思考習慣を身につけることの大切さです。
例えば、「Ⅰ-4-(2)デートDVから結婚に至る経緯」では、4件のDV事件(事例51-54)をとりあげ、結婚する前に「別れる」タイミングがあったこと、そのタイミングを逃すことになったのは、暴力のある家庭環境で育ち、親からの暴力に順応するために身につけてきた考え方の癖(認知の歪み)が影響していることを示しています。
こうした指摘に対して、「やっぱり自分が悪いんでしょ。」と自身に責(非)があると解釈するのではなく、「“そのとき”の選択・判断の誤りが問題(懸案)」と受け止めることが大切です。
このできごとは選択・判断の問題で、選択・判断に誤りがあったのであれば、その誤りを特定し、誤らないように改善すればいい、つまり、学び直せばいいという“論理”に立つということです。
暴力被害にあった人が暴力から脱するうえで、「いいか悪いか」「好きか嫌いか」「敵か味方か」といった二者択一(二元論)でものごとを捉えたり、判断したりする考え方を持ち込まない思考習慣を身につけることはとても重要なことです。
この思考習慣に必要なのは、“知識の裏づけ(裏づけのある根拠)”です。
なぜなら、「どうして?」という疑問に対して、「明確な解を持つ」ことで心に湧きあがってくる強烈な不安感、猜疑的・疑心暗鬼に陥りやすい考え方の癖をとり払うことができるからです。
例えば、被害者が加害者から「おかしいのはお前だ!」と非難することばを伴って否定され続けていると、うつ症状やパニック症状などの精神的・身体的な不調、マインドコントロールなど、“おかしさ=異常さ”に通じることばの指摘に強い拒否反応を示すことがあります。
なぜなら、自分はおかしくない(異常じゃない)との思いが強いことから、精神的な不調をみせる自分、マインドコントロールされた自分を認めたくない心理が強く働くからです。
被害者の見せるこうした不安感からくる強い拒否反応(強迫観念)は、明確な知識に裏づけられたものではなく、その多くは、被害者の抱いているイメージに過ぎないのです。
重要なことは、「暴力のある家庭環境にいたら、精神的・身体的に不調になるのが正常な反応であり、それは、“どうしてか”」、「自分が暴力のある状況から逃げられないことこそ、DVの特性であり、誰でもそういう状況に陥ることになる。それは、“どうしてか”」といった“どうしてか”という理由を知り、裏づけの根拠で理解を深め、その間違ったイメージを払拭することです。
囚われてきた間違ったイメージを払拭するできたとき、はじめて自分と向き合うことができるようになります。

♯「いいか」「悪いか」の二元論 ♯不安 ♯懐疑的 ♯疑心暗鬼


③相反する拒絶と受容による“思考混乱”が逃げる気力を奪う
「なぜ、逃げられないのか」、「逃げても、また戻ってしまうのはなぜか」という問いに対する、“裏づけのある根拠にもとづいた明確な解”のひとつが、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」第二条の三にもとづいて作成される「都道府県(市町含む)基本計画」の中で、よく引用されている「パワーとコントロールの車輪」、「暴力のサイクル理論」です。
「パワーとコントロールの車輪」は、1980年にミネソタ州ドゥルース市では地域社会の裁判所や警察、福祉機関など9つの機関が集まり「DV介入プロジェクト(DAIP)」を組織し、1984年、被害女性たちの声をもと、暴力を理解する理論的枠組みとしてつくられたものです。
この「車輪」が示しているのは、第一に、暴力は突発的な出来事でもなければ、積りつもった怒りや欲求不満、傷ついた感情の爆発でもなく、あるパターン化した行動の一部分だということ、第二に、暴力には明確な意図があり、車輪の中心にある「パワーとコントロール」が車輪を動かす原動力となるということです。
車輪の一番外側には身体的暴力と性的暴力があり、内側には8つの精神的暴力、つまり、①脅し、怖がらせる、②情緒的虐待、③孤立させる、④暴力の過小評価・否認・責任転嫁、⑤子どもを利用する、⑥男性の特権をふりかざす、⑦経済的暴力を用いる、⑧強要と脅迫とがあるとし、身体に触れなくとも、外からは見えにくい精神的暴力によって、被害者は力を奪われ無力になり、服従を強いられていくとしています。
そして、外側の身体的暴力や性的暴力は、他の行動の効果を高めるため、恣意的に使われ、結果として、被害者(配偶者やパートナー)が自立する能力を奪っていくとしています。
つまり、加害者が「いつまた爆発するかわからない」との恐怖心から、加害者の顔色や機嫌をうかがい、意に添うようにふるまう生活を続けていくうちに、「自分がどうしたいか」、「なにを望んでいるか」といった自分の考えや意志がわからなくなり、主体性が奪われていくとしています。
この状態を、「父-娘 近親姦」の著者ジュディス・L.ハーマンは、「逃走を防ぐ障壁は、通常目に見えない障壁」と表し、「繰り返し、暴力が反復される中で、恐怖と孤立無援感を感じ、“他者との関係における自己”という感覚が奪われる」と説明しています。
次に、「暴力のサイクル理論」は、“被害者がなぜ逃れられなくなるのかの心理状態”について、心理学者のレノア・E・ウォーカーが説明したものです。
  ウォーカーは、暴力を第一相から三相に分類しています。
  第一相では緊張が高まり、ちょっとした暴力事件がおきます。
しかし、多くの被害者は「仕事(学校)でなにかあったのかも」、「家で(親との間で)なにかあったのかも」、「飲み過ぎかも」、「疲れているのかも」、「味つけがよくなかったのも」、「料理が気にいらなかったのかも」などと、自分で納得できる“事柄のせい”にしてしまおうとします。
なぜなら、些細なことに怒りを感じたり、傷ついたりせずにすむからです。
  第二相では、「加害者は抑制が利かなくなり、徹底的な暴力がおこなわれます。
しかし、第三相では「二度としない」と悔い、優しさを見せたり、セックスに持ち込んだりします。
すると被害者は「本当はいい人」、「優しく愛してくれた」と思い込もうとします(人間の脳は、ツラく哀しいことよりも、楽しいこと、嬉しいこと(快楽刺激)を優先して反応するからです)。
特に、第二相の後、被害者は心理的な虚脱状態が続き、時には抑鬱(よくうつ)状態になってしまっているので、謝られ、優しくされると天にも昇るような気持ちになり、感謝さえし、すがってしまったりします。
ところが、いつしか再び第一相に切り替わっていくのです。…」と、ウォーカーは、こうしたことが繰り返されるうち、被害者は無力(無気力)状態になっていくとしています。
この暴力のサイクル理論の「第三相」は「ハネムーン期」と表現されることも多く、プレゼントを買ってきたり、レストランや旅行などに連れて行ってくれたりする例えが載っていることから、被害者の中には、「家ではハネムーン期はないので、DVではない」と認識してしまうこともあります。
重要なことは、「パワーとコントロールの車輪」で表した暴力によって、「被害者の自立する能力を奪っていく」ことを示し、「暴力のサイクル理論」で表した構造にとって、「被害者がなぜ逃れられなくなるのかの心理状態を説明している」という“前提”です。
ここの状態の判別を目的としたものではないのですが、チェック項目のように使用したり、読みとったりしてしまうと認識を損ねることになります。
そして、「こうした理論(モデル)で示すような構造で示される暴力が必要のないケースがある」という事実です。
「構造で示されるような暴力」のモチベーション(動機)は、加害者に“不安”や“怖れ”があるからです。
加害者が被害者の自立する能力を奪う必要があるのは、自立する能力があれば逃げていく怖れがあるからです。
アタッチメントを損ない「見捨てられ不安」を抱える加害者にとって、自分から逃れようとする(別れようとする)行為は、自分を(精神的に)捨てた親に通じる生存が脅かされる恐怖です。
同様に、第三層で優しくしたり、セックスに持ち込んだりするのは、嫌われて別れを切りだされることを怖れているからです。
嫌われて別れを切りだされることを怖れてセックスに持ち込んだり、セックスに応じたりするという考え方こそが、アタッチメントを損なってきた人たちの考え方の癖(認知の歪み)がモチベーション(動機)になっています。
なぜなら、承認欲求として、嫌われていないこと、必要とされていることを確認する行為が愛情確認=セックスとなっているからです。
つまり、アタッチメントを損なってきた人たちにとって、セックスに持ち込むことができれば、渇望感を抱えている者には不安解消=承認欲求を満たすことになり、逆に、渇望感を抱えている者が、セックスに応じてもらえれば承認欲求が満たされる=不安解消となります。
したがって、加害者が、被害者の自立する能力を奪う必要がない、または、被害者に第三層のような行為は必要がないと判断しているときには、理論で示されるプロセスは必要ないのです。
  人にとって、生存が脅かされるほどの危機は、親から養育を放棄されること(ネグレクト)です。
つまり、無視されること、反応されないこと、つまり、かかわることを拒まれる行為です。
幼児が無視されたくなくて(かまって欲しくて)親をわざと怒られる行為をして、親に殴られたり、怒鳴られたりすることで、自己存在を確認している、つまり、暴力を受けることで承認欲求を満たしているケースがあるように、デートDVやDVにおいても、暴力を受けることで承認欲求を満たしているケースがあるのです。
暴力を受けることで、承認欲求を満たしている(渇望感を満たしている)深刻なデートDVやDVのケースでは、上記のような理論で説明できる状況にはないことになります。
そして、このレベルに達しているデートDV・DV問題として、はじめて「共依存」という関係性が問題になってきます。
つまり、共依存性が絡んだデートDV・DV事案としての対応が求められることになります。
「本来対等である関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使する」というDVの本質を、人との関係性という構造で捉えることができれば、「デートDV・DV下で別れられない理由=共依存関係になっているから」と安易に論じる間違いを犯すことはないと思います。
以上のように、被害者には、パワー(力)によるコントロールが必要不可欠である大多数の存在である人(加害者から捉えるとターゲット)と不必要である少数のターゲットがいるわけですが、こうした理論は、「大多数の存在である人が、“相反する拒絶と受容のことばや態度”を繰り返されると思考は混乱し、マインドコントロールや洗脳状態に陥りやすくなる」という“特性”にもとづいて説明しているものです。
この特性は、犬に電気ショックを与えた実験により示された「学習された無力感」、囚人実験により示された「拘禁反応」、ミルグラムのアイヒマン実験により示された「権威者への服従」などの心理実験に加え、ストックホルムで、銀行強盗が人質をとり立てこもった事件(ノルマルム広場強盗事件)、ペルーのリマで発生した日本大使公邸占拠事件で、犯人と人質の間に「親愛感情」に見られたことにより、似通った状況下で生じやすい心理状態を「ストックホルム症候群」や「リマ症候群」と呼ぶなど、実際に起きた事件の検証などによって裏づけらてきたものです*-17。
「こうした裏づけされた根拠が明確な解」を知ることによって、被害者自身が暴力により“どのような状況におかれていたのか”を認識できるようになることが重要なのです。
なぜなら、カルト集団が勧誘活動として実施している自己啓発セミナーなど感受性訓練に似通った手法で洗脳された被害者同様に、本来対等である関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を持ち込むために、配偶者や交際相手から暴力を繰り返し行使されてきた被害者が、暴力に支配された関係を断ち切るためには必要不可欠なことだからです。
*-17 レノア・E・ウォーカーの「暴力のサイクル理論」については、「Ⅰ-3-(6)被害者に見られる傾向、加害者が持つ特性」で、「学習された無力感」「拘禁反応」「権威者への服従」、「ストックホルム症候群」などについては、「Ⅰ-5.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で詳しく説明しています。

♯なぜ、逃げられないのか ♯パワーとコントロールの車輪 ♯暴力のサイクル理論 ♯レノア・E・ウォーカー ♯ハネムーン期 ♯共依存 ♯マインドコントロール ♯拘禁反応 ♯ミルグラムのアイヒマン実験 ♯親愛感情 ♯ストックホルム症候群 ♯リマ症候群 ♯自己啓発セミナー ♯感受性訓練


④DV被害にあったとき、理想的な被害者の対応と行動を拒む要因
理想的なのは、第一に、交際相手や配偶者から暴力被害(避妊に応じないといった性暴力被害を含む)を受けたときには、“私は、誰からも暴力で支配されない大切な存在である”との認識に立ち、「どのような理由があっても、暴力をふるってはいけない」ことを伝え、「この人は、私のことを大切に思い、私の意志を尊重してくれる人ではない」と認識し、躊躇せずに、暴力に支配される関係を断ち切る(別れる、離婚する)、つまり、暴力に屈しない意志を示すことです。
自分を大切にすることは、暴力被害が自身の心身に大きなダメージを及ぼし、その後遺症が長期にわたるリスクを背負わないですむことを意味します。
ところが、“私は、誰からも暴力で支配されない大切な存在である”との認識に立つことができない、つまり、「自分の身(命)や自分の意志は、誰にも害されることがあってはならない大切な存在である」という認識以前に、その“感覚”がわからない被害者がいます。
こうした“感覚”がわからない被害者には、共通した特徴があります。
ひとつは、人に嫌われることを極度に怖れていることです。もうひとつは、「この人は私と似た境遇で育った。この人の苦しみは私だけがわかってあげられる(共感)。私はこの人の夢を一緒にかなえたい(共通目的=使命感)」といった思いが隠れているということです。
人に嫌われることを極度に怖れる人は、自分が傷つくことを極度に怖れている人です。自分の言動や態度を、人がどう感じ、どう思ったのかが気になり、その思いが強烈な不安感や恐怖心に心が苛まれていったり、悪い方向に思考を巡らし、自らを追い込んでいったりする傾向があります。ときに、強迫観念や妄想に心が囚われてしまうこともあります。
また、人に嫌われることを極度に怖れる人は、自分が傷つくことを回避するために、暴力の関係に留まることを容認(正当化)してしまうことがあります。
それは、「きっと、…かもしれない」という仮定の話を真実化(現実化)させてしまう思考パターン(考え方の癖=認知の歪み)に表れます。
「きっと、…かもしれない」という仮説に縛られた考え方は、“根拠のない期待感”という感情によってもたらされる、つまり、“感情優先の思考パターン”ということができます。
感情優先の思考パターンの人は、感情を揺さぶられ、結果として、人にコントロールされやすい特徴があります。
例えば、そのため、「避妊して欲しい」と口にだしたり、避妊しないなら性行為に応じないと強い意志を示したりすることができず、望んでいない妊娠をしたり、中絶を余儀なくされたりすることがあります。
ところが、望んでいない妊娠をしたとき、「気持ちよくないから、避妊はしない」といい避妊を拒んでいた交際相手に対し、「彼は、温かい家庭を築きたいと夢を語っていたから、きっと、妊娠を望んでくれる」と前向き(根拠のない期待感)に考え、結婚の意志を固めることがあります。
また、暴力に耐えられず、「別れたい」との意志を伝えたり、実家に帰ったりしたとき、「ごめんなさい」と謝られたり、「二度と暴力をふるわないから、考え直してくれ」と懇願されたり、甘く優しいことばや態度を示されたり、子どもと無邪気に遊ぶ姿を見せつけられたりしたとき、感情がゆさぶられ、「今度こそは、本当に変わってくれるかもしれない」との感情(根拠のない期待感)に突き動かされ、交際相手や配偶者の戻ってしまうことがあるのです。
そして、この「きっと、…かもしれない」という仮定の話を真実化(現実化)させてしまう思考パターン(考え方の癖=認知の歪み)は、交際相手や配偶者の暴力行為を、「きっと、会社で嫌なことがあったんだ」「いま、仕事が忙しくて大変な時期だから」と、「きっと、~だから」という理由を持って、交際相手や配偶者の“暴力行為を容認(正当化)”してしまう特徴があります。
そこには、「わたしが暴力で傷つけられる=わたしは大切にされていない=わたしは嫌われている」という認識があることから、“大切にされていない(嫌われている)”ことを受け入れたくない思いが強く働くことになります。
このため、その事実を受け入れ、傷つくことを避ける必要がでてくるのです。
自分が嫌われて傷つくことを避ける思考パターンが、暴力を受け入れる生活を余儀なくしてしまうといった不条理な状態をつくりだしてしまうわけです。
第二、妊娠がわかった途端に、交際相手や配偶者から暴力がはじまったときには、「子どもが生まれたら変わってくれるかもしれない」と“根拠のない期待感”を抱いたり、「子どもの手がかからなくなるまで、私ひとりががまんすればいい」、「子どもには父親が必要だし、子どもには夫婦が揃っていなければならない」と考えたりせずに別れる勇気と、暴力のない環境で妊娠期を過ごし、暴力のない環境で子どもを育てる覚悟を持つことです。
なぜなら、交際相手や配偶者から暴力をふるわれることは、母親の心身への影響だけでなく、子どもの脳の発達(妊娠期の胎児の脳の発達を含む)に大きなダメージを与え、将来にわたり心身の健康を損なうことになるからです。
子どもが、夫婦間の暴力を見たり、聞いたり、察したりしている状況は面前DVといい、「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」では“精神的虐待”になります。
母親が、父親に身体的な暴力(暴行)を受けている家庭の70%以上が、子どもが、父親から身体的な暴力(虐待)を受けているとされています。
つまり、DV環境下では、子どもに対する直接的な暴行(身体的な虐待)、面前DV以外の精神的な虐待、性的虐待、そして、ネグレクト(育児放棄)のリスクが非常に高くなり、その結果、心身に大きなダメージが及び、その後遺症が長期にわたる可能性が高くなることから、子どもを暴力のない安全で、安心できる環境下で育てる(生活させる)ことが大切なのです。
しかし、親族への対面や世間体を気にしたり、経済的な理由で離婚を躊躇したり、親密な関係にある者が逮捕・起訴されることを躊躇したり、別れを告げて逃げたりしたら、もっとひどい暴力を受けるかもしれない(なにをされるかわからない)恐怖に身が竦んで決心できなかったり、育った家庭環境が似た境遇であったことから思いに共感し、私だけが、彼の苦しみをわかってあげられると支えていたり*-18する“心理(感情)”が働くなど、幾つかの要因が複雑に絡み合う親密な関係にある交際相手や配偶者との関係を断ち切り、暴力に支配されない生活をとり戻すことは、容易なことではありません。
また、「俺は、お前たち(妻や子ども)を養ってやっているんだ。いうことをきけ!」ということばは、間違った価値観をすり込んだ加害男性の常套句ですが、被害女性の妻にも、「妻と子どもは、夫に養ってもらうもの」と間違った価値観をすり込んでいることが少なくなく、たとえ、慢性反復的(日常的)な暴力被害を受けていても、「夫と離婚したら、自分が働きながら子どもを育てなければならない。それは、嫌だ。」と、離婚をせず、夫に養ってもらう関係性に固執することもあります。
いずれにしても、暴力被害を受けて、躊躇せずに関係を断ち切る(別れる、離婚する)ことができない被害者の多くが、「自分の身(命)や自分の意志は、誰にも害されることがあってはならない大切な存在である」といった“感覚”がわからないという特徴を抱えています。
以上のように、この“感覚”のわからず、なにを大切にしなければならないのかというプライオリティ(優先順位)がズレている被害者には、共通する特徴があるわけです。
問題は、この“感覚”がわからないということは、アタッチメント(愛着形成)にトラブルを抱えていることを示しているということです。
アタッチメント(愛着形成)にトラブルを抱えている人の特徴は、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感にもとづく底なし沼のような寂しさを抱えていることです。
スポンジのような渇望感とは、決して満たされることのないほど、愛されること(=存在そのものを認められること、全身全霊を持って受け入れられること)を欲するということです。
このことは、自分の存在そのものを認められなかったり、受けられなかったりすること、つまり、愛されないことに強烈な不安・恐怖(=見捨てられ不安)を感じるということです。
つまり、暴力のある家庭環境で育ってきた人が、再び、交際相手や配偶者から慢性反復的(日常的な)な暴力を受け、再び、その状況から抜けだすことができなくなるわけです。
そして、暴力がチェーンのようにつながっていきます。
「暴力の連鎖」は、どこかの世代で断ち切っていかなければ、いつまでもつながっていきます。
したがって、いま、暴力被害を受けている女性、あるいは、子どもの母親は、暴力に支配されている関係性を断ち切り(別れる、別居し離婚する)、女性は安全で、安心できる環境で生活すること、そして、子どもは、安全で、安心できる環境で育つ必要があることを理解することがなにより重要なことなのです。
*-18 働いて、アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存状態にある交際相手や配偶者を養ったり、金を与えたりして、結果として、依存となる原因(状態)を手助けしている者のことをイネイブリング(依存者を支える者)といいます。
つまり、イネイブリングは、依存状態にある者を支えることで、自分の存在価値を確認し、承認欲求を満たしている状態にあることになります。
こうした「もたれ合い」の状態になっている関係性のことを“共依存”といいます。
  問題は、単なるもたれ合いの状態を逸し、アルコールや薬物を購入するためのお金、ギャンブルに費やすお金を要求するときに、暴力が加えられることがあることです。
 共依存にある関係性は、他には、第一に、親が子どもに過剰に干渉し(過干渉・過保護の)た結果、思春期・青年期を経て大人となった子どもが自分で決めることが「間違ったら(失敗したら)どうしよう」と怖くてできなくなり、すべてを親に頼ってしまい、「もたれ合い」の状態になっている関係性があります。親はその状態に、自分の存在価値を見いだしているので、子どもが大人になっても干渉し続けるわけですが、一方の子どもの多くは、親に干渉され、すべてを決められることが苦しいけれども、その関係性を断ち切ることができない状態になっています。
共依存的な関係性にある子どもが、実家をでてひとり住まいをはじめるなど親から離れようとする意志を示すと、親は、自分から子どもが離れることを許さず、ひとり住まいをはじめた家に押しかけたり、つきまとったりすることになります。
この文の子どもを妻や交際相手、親を配偶者や交際相手と置き換えると、別れる(離婚の)意志を伝えても、その事実を受け入れず、復縁を求めるために執拗につきまとうストーカー行為と同じ範疇にあることがわかると思います。
  第二は、育った家庭環境が似た境遇であったことから抱えている思い(心の問題)に共感し、暴力という方法でしか気持ちを表すことができない彼の苦しみは、「私だけがわかってあげられる」と暴力を受け入れ、一方、暴力をふるう者は、その状態に甘え(その気持ちを利用し)、「もたれ合い」の状態になっている関係性があります。
問題は、第一に、慢性反復的(日常的)に暴力をふるわれることによって、そもそも低かった自尊心や自己肯定感が破壊され、「いってもムダ」「なにをやってもムダ」と無気力になり、暴力をふるわれ体や心が傷みを感じるときに自分には存在価値があると認識できるといった深刻な状態に陥ってしまうこと、第二に、こうした状況下では、子どもの存在は忘れ去られてしまうことです。
子どもの存在が忘れ去っているとは、「子どもが、いま、どのような思いでいるか」という“子どもに思いを馳せることができない状態にある”ことを意味します。
子どもの存在が忘れ去られてしまうのは、常に気を張り、機嫌を損ねないようにふるまわなければならない、つまり、暴力を回避したり、暴力に耐えたりすることで精一杯だからです。
人は、生き延びるためには、環境に順応するようにふるまうことしかできないのです。
それが、生存本能です。


♯きっと、…かもしれない ♯感情優先の思考パターン ♯根拠のない期待感 ♯暴力行為の容認(正当化) ♯児童虐待防止法 ♯渇望感 ♯暴力の連鎖 ♯イネイブリング ♯共依存


⑤“承認欲求”を満たす親の期待に応えるための結婚・人生は、認知の歪みによる
被害者の中には、「夫の暴力は怖くて仕方がないけれども、暴力をふるう夫とはいえ、子どものこともあるし、いまはまだ離婚までは考えられない。だから、コトを荒立てたくないし、近所や学校に家庭の事情を知られるのも困る・・」との思いが錯綜してしまい、躊躇なく警察に通報したり、家をでたり、離婚したりする決心がつかないケース、母親が「子どもには父親が必要だから、子どもの手がかからなくなるまで、私ひとりががまんすればいい」と口を閉ざし耐え続けたり、「子どもが大学を卒業するまで教育を受けさせるなど、子どもの父親としての義務を果たして欲しい」と暴力をふるう夫に常識論を持ちだすケース、中には、「暴力をふるったり、外に女をつくったりしても、私が本妻なんだから、絶対に別れない!」と婚姻関係に固執し、暴力のある環境に留まる判断をするケースがあります。
  こうした状況下にある母親には、慢性反復的に繰り返される暴力による子どもや自身へのダメージ(後遺症)よりも、子どもには両親が揃っていること、子どもには父親が必要であること、経済的に裕福であること、そして、女性としてのプライドを優先させることなど、自己規定・自己規範となる“価値観(結婚観、家族のあり方)”の存在があります。
自己規定・自己規範となる価値観は、被害者(もしくは加害者)の育った家庭環境、コミュニティに大きくかかわるものであることから、母親(もしくは父親)だけに限るものではなく、日本社会に色濃く残っている、もしくは、日本社会の中心的な価値観です*-19。
したがって、被害母子にかかわる者の助言、つまり、親や祖父母、きょうだいなどの親族、友人、職場の上司や同僚、子どもの学校の教師、医師、そして、DVや児童虐待相談の窓口の職員に至るまで、すべての助言は、その人の価値観に影響を受けることになります。
 例えば、被害者である母親が、結婚観もしくは人生観として「経済的な豊かさ(配偶者の仕事や収入)=世間体の恰好よさ・自身のステイタス」にプライオリティ(優先順位)をおいているとき、その背景(心の問題)には、「(どのような理由があろうとも)離婚することは失敗したこと」、それは、「親の期待に反することで、私は、親に失格の烙印を押される」、したがって、「親の期待に応えられない不甲斐ない私は親に嫌われる、認められない」、だから、「離婚は絶対にしてはいけない」といった思考パターンに縛られていることがあります。
こうした親の期待に応えるという“承認欲求”を満たすことを優先させる考え方の癖は、「認知の歪み」そのものです。
何世代も続く価値観に縛られ、「子どものために」とがまんし耐え続けてきたことが、両親間のDVを目撃させてきた(面前DV)として、それは、「精神的虐待」にあたるという事実を知らされたとき、母親は大きなショックを受けます。
中には、「DVにずっと耐えてきた私が、子どもにDVを目撃させてきたとして、なぜ、子どもを虐待したと非難されなければならないのか!」と強い拒否反応を示すこともあります。
とはいっても、暴力のある関係性を終わらせる、つまり、加害者とのかかわりを断ち切るためには、DVを目撃させてきた子どもの母親として、不合理で、理不尽ともいえるこの事実と真正面から向き合う必要があるわけです。
そういった意味でも、被害者が第三者の支援を受け、同時に、心のケアにとり組むことは重要です。
なぜなら、被害者である母親ひとりで抱えきれる問題ではないからです。
特に、離婚後、ひとりで子どもを立派に育てあげられるかといった不安感、立派に育てあげられなかったことを非難されたくないとの思い(強迫観念/被害妄想)に心が揺さぶられ、暴力のある状況に留まる選択をしていたり、「カラカラに乾いた渇望感、底なし沼のような寂しさ=見捨てられ不安」があるために、暴力のある関係性にさえ自身の存在意義を求めたりしてきた被害者に対しては、加害者の上辺だけの優しいことばや態度を根拠なく信じようとしたり、すがりつこうとしたりする、つまり、暴力のある環境に戻ったり逃げたりを繰り返す傾向があることから、注意深く対応する必要があります。
これまで、日本社会の中で見過ごされてきた「虐待やDVのある家庭環境で暮らしている子どもの心身の健康が大きく損なわれる」という問題については、「配偶者暴力防止法」にもとづき、“一時保護”として、「母子寮(母子生活支援施設)などの保護施設(シェルター)に母親とともに入居してきた子どもの80%が、心理的ケアを要する臨床域にある」と報告されているように、被害親子の精神健康は相互に影響しています。
ところが、配偶者からの暴力にひとり耐えてきた母親、そして、子どもにかかわる学校園の教員、行政窓口の相談員や職員、そして、医師、弁護士の多くが、自身や子どもの心身の不調の原因は、「暴力のある家庭環境で生活をしていることにある」という事実と結びつけていないのです。
その結果、万引きや家出、非行、不登校やひきこもり、リストカットや過食嘔吐、ODといった自傷行為、パニック症状など、暴力被害の後遺症が表れはじめた子どもに対して適切なアプローチをとることができず、子どもに更なる苦しみを与えてしまうことが少なくないのです。
また、長年の暴力被害により、多くの被害者が、記憶が途切れ途切れになっている(記憶の断裂=解離性健忘の症状)ことから、被害状況の話がまとまらなかったり、自尊心と自己肯定感が損なわれ極端に自信を喪失していたり、「自分が悪いから」「自分が至らなかったから」と自責的になったり、人を信用できずに猜疑的になったり、攻撃的になったりしていることから、援助者(アボドケーター)と良好な関係を築くことの障害となることがあります。
また、同じ理由で、職場や友人との対人関係に支障が及んでいることもあります。
  それだけでなく、暴力の苦しさから逃げるためにアルコールや薬物、ギャンブル依存に陥ったり、自尊心をとり戻す、つまり、承認欲求を満たすために複数の異性とやり取りをしたり、交際したりするようになり、育児に手が回らなくなるケースもあります。
アルコールやギャンブル、買い物など、そのことが好き過ぎるがゆえに、身体を壊して病気になったり、仕事などに行けなくなったり、育児放棄に陥ったり、家族や第三者に暴力をふるったりするなど、日常生活を脅かしているにもかかわらず、自分の意志で止めることができない、つまり、「不健康にのめりこんだ」「ハマった」「とらわれた習慣」になっている状態(そのような状態にある)のことを“アディクション(嗜癖)”、または、“依存状態”といいます。
*-19 現在の文化・風俗、風習、慣習、食習慣、言語など、その多くは、江戸時代の「藩」で培われたものであるように、日本社会といっても同一ではありません。また、国際結婚では、それぞれの文化・風俗、風習、慣習、食習慣、言語をもとにした道徳・倫理観といった規範、法やルールといった規制は違います。
日本では犯罪にあたる行為であっても、他の国家では犯罪にあたらないこともあります。木造建築であった日本では火付けは、最高刑「死刑」もありうる重罪ですし、清時代アヘンに国家が存亡の危機を味わされた中国では麻薬にかかわる犯罪は、最高刑「死刑」となっているように、個々の国の法体系や罪状のあり方は、個々の国が歩んできた文化と深くかかわっています。
したがって、文化・風俗、風習、慣習、食習慣、言語などについて、相互に理解すること、その中で培われてきた相互の価値観や考えを尊重することが必要です。


♯人生観 ♯結婚観 ♯解離性健忘 ♯アディクション(嗜癖)


⑥危険な「きっと、加害者更生プログラムを受ければ変わってくれる」との思い
  DV加害者、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントの加害者、体罰の加害者たちに共通するのは、“ある条件下”であれば暴力を容認してしまう考え方です。それは、自身の暴行や暴力を正当化するために、例えば、「被害女性の態度」を女性への暴行の理由づけとして用いることです。
そして、こうした“ある条件下”であれば暴力を容認してしまう考え方は、日本社会のコミュニティの多くの場でみられるものです。
しかし、日本社会で、“ある条件下”であれば、暴力を認めてしまうような考え方が常態化しているとしても、「暴力行為は、どのような関係においても、どのような場所においても、なんらかの条件があったとしても、等しく許されない」という考え方に立たなければならないのです。
そして、この「被害女性の態度」を暴力の理由づけとする“認知”に対し、「DV加害者更生プログラム」では、「暴力の責任に関して、飲酒やストレス、被害女性の態度が暴力の理由づけに用いられるが、それらのことがあっても暴力を用いない人が多いこと、あくまでもそうした方法を選択しているのは、DV加害者の自己に都合のいい考えでしかないことを示し、暴力を選択した責任は100%加害者にあることを示す。」として、こうした理由づけをいっさい認めないのが基本姿勢となっています。
そこで、重要なことは、上記「DV理解-1」の「②DV加害者の人物特性」の「*-12.13」で、『第二、第三、そして、障害の特性の視点に立つと、「DV加害者更生プログラム」でおこなわれる“認知の歪み”に対するアプローチだけでは限界があるということになります。
「境界性人格障害(ボーダーライン)」は、演技性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害と同様に人格障害のB群に含まれますが、「脳梁」の発達に障害が及ぶことが、重要な発症原因のひとつとなっていることから、この「手引き」では、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群など発達障害を抱えている者の“障害の特性”が、近しい人にとっては暴力行為になると考えています。
「DV加害者更生プログラム」で効果が期待できるのは、自ら認知の歪みによる暴力性を認識し、自らの意志で、長い期間、苦しい思いをしてでも、少しでも認知の歪みを改善したいと強く願うことができる人物です。それは、認知の歪みが軽度なごく限られた人物です。』と記している通り、DV加害者を一括りに捉え、対応できると考えること自体に無理があります。
  つまり、“暴行(身体的暴力、性暴力)や暴力(精神的暴力、経済的暴力)の理由づけ”について、本来対等な関係に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使する者の認知の歪みの程度が“軽度なケース”に限り、DVや性暴力などの加害者に対する更生プログラムは、一定の成果が期待できるものです。
  自己愛性が高く、サイコパス的な傾向が顕著なケースについては、「Ⅱ-15-(11)人格障害の治療」の中で説明している通り、治療は困難です。
虐待体験などにより、脳機能として暴力衝動をコントロールできない脳となっている者は、「加害者更生プログラム」は適用外です。
また、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群など発達障害を抱える者の“障害の特性”、そして、パニックアタック(パニック発作)が結果として、暴行や暴力となっているケースについては、障害に対する治療が必要ですが、治癒することはないことから、加害者更生プログラムは適用外です。
  問題は、加害者の抱える問題にフォーカスすることなく、“加害者を一括り”として捉え、「DV加害者更生プログラム」を提供する前に、認知の歪みが人格にまで及んでいるのか、それとも、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害を抱える者の障害の特性によるものなのか、脳機能の未獲得によるものなのかを正確に見極めていないことです。
  自己正当型ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害の抱える者の“障害の特性”による加害行為であるかを見極めるうえで重要なことは、当事者が、2次障害としての暴力のある家庭環境で育っていたかという正確な情報です。
  「Ⅱ-12-(11)自己正当型ADHDとAC」などで詳述しているとおり、小児型ADHDであった子どもが、暴力のある家庭環境で育つという“2次障害”、つまり、遅発性の発達障害に分類されるものです。
この遅発性の発達障害の“障害の特性”に対する理解は、DV、パワーハラスメントやモラルハラスメント、体罰などをふるまいに及ぶ加害者の特性と絡む問題であることからとても重要な意味を持つわけです。
  では、ストーカー規制法にもとづく文書警告をだされ、治療の一環としてカウンセリング(加害者更生プログラム)を打診された加害者の参加状況と、性犯罪に及び服役している者に対して実施されている「性犯罪の再発防止プログラム」の現状について、少し説明しておきたいと思います。
  レイプなどの性暴力行為は、交際相手や配偶者を支配するための暴力と似通った中毒性のあるものであることから、「性犯罪の再発防止プログラム」の現状を理解することは、別れ話を切りだしたあと、復縁を求める話し合いを求めてつきまとうストーカー行為に及ぶリスクを考えるうえでも重要です。
ストーカー規制法にもとづく文書警告をだされ、治療の一環としてカウンセリング(加害者更生プログラム)を打診された加害男性249人(女性は35人)のうち「受けたい」と応えた加害男性はわずか9人(3.61%)であったという報告があるなど、加害者更生プログラムに参加している加害男性はごくわずかです。
しかし、加害者の認知の歪みの程度が“軽度なケース”では、一定の成果が期待できることから、「加害者更生プログラムの受講を自らの意志で示す加害者に対し、プログラムを提供する意味は、なにもしないで手を拱(こまね)いているより建設的である」という考え方があるように、「加害者更生プログラム」の存在価値はわけです。
一方で、加害者の認知の歪みの程度が人格にまで及んでいたり、性犯罪に及ぶ者は、「Ⅱ-14.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」で詳しく説明しているとおりパラフィリアに起因していたり、双極性障害(躁うつ病)の躁状態であったり性的逸脱行為や性暴力そのものに中毒性が認められていたりするときには、一般的な「加害者更生プログラム」では、成果を期待することはできないわけです。
警察庁が、平成17年6月-同24年5月の再検挙者を詳細に調査した結果、「13歳未満の子どもに対する強制わいせつや強姦などの暴力的性犯罪で服役した者について、過去5年間で警察に出所情報が提供された740人のうち、105人が性犯罪で再び検挙され、その過半数が出所後1年未満だった」こと、「再検挙者の4分の1にあたる26人が所在不明になっていた」ことがわかりました。
性犯罪で再検挙された105人のうち、暴力的性犯罪が63人で、子どもを対象にしていたのは49人でした。
そして、犯罪の検挙暦は1回が24人、3回18人、2回15人、13回と18回が各1人で、検挙暦なしは10人に留まっています。
出所時の年齢をみると、20代が22人(21%)、30代が44人(42%)と若年層が6割以上を占め、最年長は76歳でした。再検挙までの期間は、平均444.3日で、1ヶ月以内が8人、1-2ヶ月が4人、2-3ヶ月が10人、3-6ヶ月12人、6ヶ月-1年が23人、1-2年が14人、2-3年が8人、3年以上が1人で、「性犯罪の検挙暦が多いほど、再検挙までの日数が短くなる傾向もみられた」ということです。
平成27年1月、福岡県豊前市で小学校5年生(10歳)の女児が連れ去られ殺害された事件で逮捕され、平成28年10月3日、福岡地方裁判所小倉支部で無期懲役の判決(求刑死刑)が下った内間利幸(47歳)は、過去にも小学生女児を狙ったわいせつ事件を起こし、12年間の服役中に半年間受けた「性犯罪の再発防止プログラム」で学んでいました。
「性犯罪の再発防止プログラム」は、性犯罪の前科がある男が、平成16年に奈良県で起こした女児誘拐殺人事件がきっかけとなり、平成18年、刑務所で導入されたものです。
内間は、公判で、「性犯罪の再発防止プログラム」で学んだ“性衝動の制御方法”について、「覚えていない」と回答しています。
そのため、このプログラムの有効性は疑問視されているのです。
現在、子どもを狙った性犯罪は再犯の可能性が高いことから、「日本では13歳未満を対象にした性犯罪者に限り、法務省が出所時の情報を警察庁に提供し、警察が所在確認し、面談などをおこなう」ことができるようになっていますが、強制力はありません。そのため、平成27年12月末で、全国に815人いる刑期を終えた性犯罪者のうち41人(5.03%)の所在しか確認できていません。
ここで、重要なことは、刑期を終えた性犯罪者が、自ら性犯罪を繰り返さない強い覚悟と、その抑止力として、自ら警察に所在を知らせ、面談を受ける強い意志があるかということです。
しかし、刑期を終えた性犯罪者の774人(94.97%)は、自らの意志で警察に所在を伝えていないのが現状です。
そして、その774人の内のひとりが、内間利幸でした。
この「性犯罪の再発防止プログラム」は、犯行に至る行動と思考パターンを省みさせる「認知行動療法」を施し、性衝動をコントロールできるようにすることを目的に開発されていますが、この加害者の“歪んだ認知”に対してのアプローチは、DV加害者やストーカー加害者を対象にした「加害者更生プログラム」と基本的に同じアプローチです。
したがって、交際相手や配偶者を支配するための暴力は、レイプなどの性暴力行為と似通った中毒性の行為であることから、「Ⅳ-31-(4)DV加害者の治療と更生。「変わってくれる」との期待感は捨て去る」の中で述べているとおり、被害者が離婚を回避したり、復縁をしたりする条件として、交際相手や配偶者に対して加害者更生プログラムの受講を望む、つまり、根拠のない期待することに対しては、「No」と考えています。
「根拠のない期待感」とは、被害女性が抱くことが少なくない、「結婚したら」「子どもができたら」「男の子(後継者)を生んだら」「こんなに謝ってくれているのだから」ということばを伴って、「きっと変わってくれる」「もう暴力をふるわなくなる」と“思い込む”期待感のことをいいます*-20。
*-20 被害者が「根拠のない期待感」を抱くことに関するここでの解釈には、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害を抱える者の障害の特性による加害行為には、例えば、激しい暴力の直後に謝り、甘く優しい言動や態度を示すなど、「相反する拒絶と受容のふるまい」による被害者の思考をコントロールする行為はほとんど認められないことから、対する被害者心理は含みません。
自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群など発達障害を抱えている者が、障害の特性による加害行為に及んだケースを含みません。

この“思い込み”は、暴力を受けながらも、被害者自身の“いまの立ち位置”を捨てたくない思いを正当化する考え方の癖(認知の歪み)に過ぎないわけです。
なぜなら、“いまの立ち位置”は、ひとりになって底なし沼のような寂しさに苦しまずにすむ、つまり、「見捨てられ不安」を払拭することができているからです。
このような心の問題を抱えている被害者が、加害者に対して抱いている「加害者更生プログラムを受講すれば、変わってくれるに違いない」といった根拠のない期待感は、被害者自身が捨て去る必要があるのです。
「加害者更生プログラム」は、“これまで”人とのかかわりに暴力を持ち込む考え方の癖(認知の歪み)による過ちを繰り返してきた加害者が、“これから”かかわる人たちに同じ過ちを繰り返さない(再犯防止)ために、加害者自らの強い意志にもとづいて学び直す場です。
そして、この学び直しをおこなっている間は、暴力によるかかわりのあった人たち、つまり、加害者と被害者である妻(交際相手)や子どもとはいっさい接触を持ってはいけないのです。
なお、加害者更生プログラムについては、「Ⅴ-38.DV加害者更生プログラム。「ケアリングダッド」を実施するうえでの原則」において詳しく説明しています。
また、自己正当化型ADHDや発達障害を抱えている者の“障害の特性”にもとづく加害行為を受けた被害者特有の心理状態については、「Ⅰ-(6)被害者に見られる傾向、加害者が持つ特性」の中の「カサンドラ症候群」で、詳しく説明しています。

♯サイコパス ♯自己愛性人格障害 ♯自己正当化型ADHD ♯アスペルガー症候群 ♯障害の特性 ♯パニックアタック)  ♯加害者更生プログラム ♯認知の歪み ♯性犯罪の再発防止プログラム ♯性暴力 ♯根拠のない期待感 ♯見捨てられ不安 ♯カサンドラ症候群


⑦“DV環境下”での離婚、「片親ではかわいそう」との考えを持ち込まない
  「離婚*-21によって、子どもが情緒不安定になったらかわいそうで、離婚を躊躇してしまう。」と口にする被害者の方がいますが、両親の離婚による子どもへの影響の多くは、離婚そのもの(離婚した事実)によってもたらされるものではなく、離婚に至る“これまで”の家庭環境、つまり、母親と父親(ときには、祖父母を含む)の“負の関係性”を見て、聞いて、察して育ってきたことにもたらされる心の反応です。
「子どもの手がかからなくなるまで」、「子どもには父親が必要だから」と夫からの暴力に耐え続けてきた被害者の方たちには、受け入れ難いことかもしれませんが、先の通り、子どもが暴力を目撃(面前DV)して育つことは精神的な虐待になるわけです。
つまり、「婚姻破綻の原因はDVにある」として、両親が離婚した子どもに表れる情緒不安定などの症状は、子どもが“これまで”育ってきた家庭生活で傷ついてきた心の問題をそのままにしてきた(きちんとケアしなかった)結果によって生じたものです。
家をでて、離婚が成立したあと、子どもが対人関係でトラブルばかりをひき起こしたり、対人関係を起因として不登校になったり、万引きや家出を繰り返したりするなど非行的なふるまい、リストカットや過食嘔吐(摂食障害)などの自傷行為を繰り返すなどの問題行動は、離婚そのものが原因なのではなく、また、父親がいない母親(片親)だけで育てていることが原因でもなく、家をでるまで、暴力のある家庭環境で暮らしていたことによる心の傷が原因になっているのです。
なぜなら、これらの行為は、両親の離婚の有無に関係なく、暴力のある家庭環境で育った子どもたち(被虐待児童)に共通してみられる傾向だからです。
問題は、暴力に耐え忍んでいる状況にある母親には、そうした子どものふるまい、あるいは、「助けて!のサイン」に気づくことができないことす。なぜなら、精神的にいっぱいいっぱいな状態で、無自覚であっても、慢性反復的トラウマ体験によるPTSDの症状に苛まれているだからです。
そのため、DV環境下では、①子どもが学校をでるまで、私ひとりががまんすれば」と問題の本質を見間違えてしまったり、②子どもには父親が必要だから」、「子どもは父親に懐いてみえるから」と誤った解釈をしてしまったり、さらに、③子どもが新しい環境に慣れられるか不安だから」とか、思春期(10-15歳)に達した子どもに「どうして家をでたの(離婚したの)? 友だちと離れたくなかったのに!」、「(暴力による心の傷が、問題行動を起こしはじめ)こうなったのはお母さんのせいだ!」と“責められたくない”との思いから、暴力のある環境に留まる判断をしてしまったりすることが少なくないのです。
しかし、その選択や判断は誤りです。
なぜなら、暴力のある環境に留まる、つまり、子どもにDVを目撃させる家庭環境に留まる判断は、子どもに対し精神的な虐待を与える環境に置くという選択に他ならないからです。
だからこそ、慢性反復的(日常的)な暴力被害に至る前に、その関係性を断ち切ることの重要性を学んでおくこと、つまり、啓蒙教育が重要なのです。
*-21 「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚(民事事件)については、カテゴリー「Ⅲ-7」の「Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚(21-26)」で詳しく説明しています。

♯離婚 ♯婚姻破綻の原因はDVにある ♯子どもの対人関係トラブル ♯助けて!のサイン ♯慢性反復的トラウマ ♯PTSD


(DV理解-4.難しいけれど、受け入れる)
①面前DV=子どもが、両親間の暴力を目撃すること

「両親間、あるいは、母親の交際相手と母親間のDVを目撃する(面前DV)ことが、子どもにとって精神的虐待にあたる」ことは、平成16年に改正された「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」に明記されています。
このことにより、メディアなどが児童虐待の通告数などを伝えるときには、『今年上半期に通告が行われた虐待のうち、最も多かったのは心理的虐待の1万6669人で68.0%を占め、次いで身体的虐待の5025人で20.5%だった。性的虐待、育児放棄(ネグレクト)を加えた4類型すべてで前年同期より増え、特に心理的虐待は約5割増となった。その中でも、子どもの前で配偶者らに暴力をふるう「面前DV」の増加が目立ち、約6割増の1万1627人だった。』などと、心理的虐待(精神的虐待)の中で、「面前DV」の比率がどうなのかが明記されるようになっています。
とはいっても、いまなお、日本社会では、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者である」という認識は、馴染みのない考え方です。
2006年(平成16年)10月11日、国連事務総長の依頼により作成された「子どもに対する暴力の調査の最終報告書」が提出され、「世界の18歳未満の人口21億8千万人のうち、2億7,500万人もの子どもたちが、DVのある家庭環境に暮らしている」と推計されています。
この数は、日本の人口1億2,800万人をはるかにしのぐもので、アメリカ合衆国の人口2億9,800万人に匹敵するものです。
日本では、「女性の35-25%が、一生涯のうち一度は男性パートナーから暴力を受け、15-10%が何度も暴力を受けている」とされています。そして、「児童虐待の被害者の40%で、家庭内でDVがおこなわれている」、「母親が身体的暴力(DV)を受けている家庭の60%で、子どもも身体的暴力(虐待)を受けている」とされています。北米の調査では、「暴力のある家庭環境にある子どもたちが身体的攻撃や性的攻撃を受ける可能性は、国内平均の15倍にのぼる」と報告しています。
DVを目撃している子ども(精神的虐待を受けている子ども)は、年少ほど、家庭内の暴力が非常に大きな情緒的ストレスとなり、脳の発達を阻害し、認識や感覚の発達を損なう可能性が高くなります。
他人に共感する能力を失い、社会性が損なわれることもあります。
また、「いじめなど攻撃的行動やけんかにかかわる可能性が3倍にのぼる」という報告もあります。
そして、子ども時代に虐待されていた、または、母親が暴力を受けるのを見て育った子どもは、DVの加害者になったり、被害者になったりする確率は高くなるとされています。
なぜなら、幼少期からDVを目撃し、他人を支配するために暴力が使用される環境に暮らしてきたことから、その方法をすり込み、学び、身につけたからです。
つまり、子どもが暴力のある家庭環境で育つことは、人とのかかわり方について、人を支配するか、人に支配されるかという関係性しか学べない(身につけられない)ことを意味するのです。
確かに、DVを目撃してきた子どもたちのすべてが、DVの加害者になったり、被害者になったりするわけではなく、「15%はその暴力を防ごうとし、6%は外部の助けを得ようとする」、「10%は積極的に暴力を止めさせようとする」という報告があります。
また、成人後、あらゆる種類の暴力に積極的に反対する人もいます。
DVを目撃してきた子どもたちの1/3は、DVの加害者や被害者にならないように努力する一方で、2/3は、DVの加害者や被害者になる可能性は拭えないという現実があります。

♯面前DV ♯子どもがDVを目撃する ♯児童虐待防止法 ♯脳の発達を阻害 ♯他人に共感する能力を失う ♯DV加害者 ♯DV被害者


②面前DV。子どもがDVの最大の被害者と認識する意味
暴力のある家庭環境では、子どもは、本来対等である男女(交際、結婚による夫婦)の関係性、つまり、お互いの価値観、考えや意見や尊重する基礎となるお互いを敬い、慈しみ、労わるといった考え方を学び、身につけることができず、逆に、パワー(力)の行使により、上下の関係性や支配と従属の関係性を成り立たせるという価値観を学び、つまり、暴力のある環境に順応する術を学び、身につけてしまうことになります。
その結果、成長に伴い、加害(暴力)行為に及んだり、逆にその被害を受けたり、人とのかかわる距離感がわからず、生き難さを抱えたりする可能性が高まるという意味で、「DVを目撃して暮らしている子どもが、DVの最大の被害者」です。
とはいっても、「子どものために離婚してはいけない」、「離婚するのは、子どもに手がかからなくなってから」との思いで、暴力に耐え続けてきた被害女性の方たちにとって、簡単に、受け入れることはできないかもしれません。
しかし、子どもが、両親間の暴力を目撃することを「面前DV」といい、「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」では、“精神的(心理的)虐待”と定めているわけです。
重要なことは、「面前DV」という精神的(心理的)虐待は、「配偶者暴力防止法」に定める暴力行為ではなく、「児童虐待防止法」が定める虐待行為に定められているということです。
つまり、配偶者間に暴力がある家庭環境は、すなわち、子どもにとって、精神的虐待の被害を受けていることになるわけです。
したがって、子どもがいるときの“DV被害”では、「子どもに対して、どちらかの配偶者(あるいは、どちらかの交際相手)が被害者である」と限定的に捉えるわけにはいかないのです。
「児童虐待防止法」では、配偶者間に暴力があるの家庭環境そのものに虐待の事実があると認識してことから、「DVと児童虐待は密接な関係にあり、親は当事者である」と捉えることが重要になります。
こうした事実を伝える(知る)と、「DV被害者であるにもかかわらず、私も加害者と非難するのですか?!」と声を荒げる被害女性も少なくありません。
しかし、子どもの母親である被害女性とっていかに理不尽なことであっても、“子どもの立場”に立てば、母親が父親からのDVに耐え続ける姿を見せることは、精神的虐待を加えていることになってしまうのです。
だからこそ、「子どもにとって、虐待環境にある“いま”の家庭環境を、このまま放置することはできない」との考えに立ち、暴力に支配されている関係を断ち切る覚悟が必要になるのです。
  もう一度、整理します。
夫婦の関係でおこなわれる暴力、つまり、DVでは、どちらかの配偶者が加害者であり、どちらかの配偶者が被害者となり、親と子どもの関係でおこなわれる暴力、つまり、虐待では、子どもに暴力をふるった親が加害者、暴力を加えられた子どもが被害者という構図になります。
そして、面前DV、つまり、子どもが両親間(または、親と親の交際相手間)の暴力を目撃したり、聞いたり、察したりすることが、子どもにとって精神的虐待にあたることから、被害者は暴力を目撃したり、聞いたり、察したりしている子どもに対する加害者は、一方の配偶者に暴力を加えている者だけでなく、暴力を加えられているもう一方の配偶者も当事者という立場になります。
このような「児童虐待防止法」にもとづく解釈は、DVの直接的な被害者である母親だけでなく、DVを目撃する子どもの心までも破壊するリスクが高い、つまり、DVのある家庭環境は、胎児期を含めて脳の発達に大きなダメージを与え、将来にわたり心身の健康を損なう要因となるという事実にもとづいています。
  いま、DV被害を受けている人たちに限らず、多くの方たちが、「どこの家庭でも、同じようなことがおこなわれているでしょ。」、「ある程度の暴力を容認してもいいんじゃない。」と思われるかもしれません。
  しかし、重要なことは、「いかなる理由があっても、いかなる状況であっても、暴力という手段で問題を解決することは許されない」という考え方に立たなければならないということです。
なぜなら、子どもがDVを目撃して生活することは、「被虐待体験という心的外傷(トラウマ)を抱え込むだけでなく、人とのかかわりにおいて、暴力で支配したり、暴力に支配されたりする行動パターンがとり込まれてしまう」という事実があるからです。
「お前が、~をしなかったから殴ったんだ!」、「お前が、いつも同じ間違いをするから怒鳴ったんだ!」など、夫婦間で、“一定の条件下”であれば、暴力を正当化してしまう都合のいい考え方を受け入れてしまうことは、その家庭環境下で育つ子どももまた、“一定の条件下”で暴力を正当化してしまう都合のいい考え方を学び身につけていくことを意味します。
子どもの親として、暴力のある家庭環境下で子どもを育てるリスクを認識することは、“一定の条件下”で暴力を正当化してしまう都合のいい考え方を容認しない、つまり、暴力を容認しない考え方(知識)を身につけることに他ならないのです。
  そして、“一定の条件下”での暴力を容認しない考え方に立つことで、「配偶者による暴力、交際相手による暴力は、おこなう者にすべての非がある」と認識できるようになるのです。
  最後に、DV被害者でありながら、面前DV=子どもへの精神的虐待行為の当事者である者が、離婚調停や裁判で、「配偶者が、面前DV=子どもへの虐待行為をおこなったとして、親権者にふさわしくない」と主張できる状況を考えてみたいと思います。
面前DVが一度か数回であり、自身へのDV被害を長びかせず、子どもを連れて別居するなどの対策を講じているとき、「私は、配偶者の面前DV=精神的虐待行為から子どもを守ろうと努めた」と主張することができます。
  しかし、さまざまな理由があったとしても、慢性反復的(日常的)な状態で数年過ごしてしまった、つまり、子どもに、長期間にわたり、慢性反復的(日常的)に暴力を目撃させたり、聞かせたり、察しさせたりする状態に至らせているときには、“子どもの利益(福祉)”の観点では、DV被害者であっても、「面前DV=精神的虐待を加え続けた当事者である」と認識される可能性が高くなるわけです。このときには、第三者が理解し、共感してもらえるように、「長期にわたり、なぜ、配偶者の暴力から逃げることができなかったのか」を“論理的”に説明する必要があります。
  では、次のケースではどうでしょうか?
子どもの見ている前で、夫から繰り返し身体的な暴力(暴行)を受けてきた妻が、耐え難い暴行を受けたことから、警察署に通報し、子どもとともに保護されました。警察官による事情聴取で、妻は、「子どもを連れて、遠距離にある実家に帰る」との意志表示を伝えました。
妻の意志表示を受けて、警察官が家を訪れ、「暴行で傷害を負ったのを確認している。妻は子どもを連れて実家に帰るといっているので、身支度をする間、家を離れて欲しい」と介入しました。
警察官の立ち合いのもので、身支度をし、子どもを連れ、宿泊するビジネスホテルに移動しました。
翌日、子どもを連れて、実家に帰った妻が、「婚姻破綻の原因はDVにある」として離婚調停を申立て、調停で、「子どもの親権者は、母親である私がふさわしい」ことを示す根拠として、「配偶者が、子どもに対する精神的虐待=面前DVをおこなった」ことを主張することはできます。
しかし、妻は子どもを連れて実家に帰ったものの、夫から「暴力は、二度とふるわないので、帰ってきてほしい。」とのメールが繰り返し届き、夫の両親からの電話で、「子どもには父親が必要だよ。今回のことは、水に流して欲しい」と繰り返し切願され、さらに、謝罪のために、夫が夫の両親を伴って妻の実家を訪れるなどの行為、そして、今後のことを話し合うやり取りが1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月続くうちに、「こんなに私のこと、子どものことを思ってくれているのだから、本当に、暴力をふるわなくなってくれるかもしれない」と思うようになり、夫のもとに帰った妻が、再び、暴行を受けて、実家に帰り、“ここで”、「婚姻破綻の原因はDVにある」として離婚(夫婦関係調整)調停を申立てました。
しかしこの状況では、離婚調停において、「子どもの親権者は、母親である私がふさわしい」ことを示す根拠として、「配偶者が、子どもに対する精神的虐待=面前DVをおこなった」ことを主張したとしても、先の状況とは違い、説得力がなくなります。
なぜなら、もともと繰り返し暴行を受けていた夫のもとに帰ることは、子どもに対し、再び、面前DV=精神的虐待を受けさせることを承知のうえで帰ったと解釈されてしまうからです。
したがって、子どもに対し、長期間にわたり、慢性反復的(日常的)に暴力を目撃させたり、聞かせたり、察しさせたりして、子どもの心を傷つけてしまったときには、「子どもに申し訳ないことをした」とその事実を認め、子どもの心のケアに全力を尽くす姿勢を見せる(主張する)ことがポイントになります。
長期間にわたり、慢性反復的(日常的)に暴力を繰り返してきた夫のもとに戻ったことで、「子どもの心のケアに全力を尽くす姿勢を示す」ことが難しくなるのです。

♯面前DV ♯子どもがDVを目撃する ♯児童虐待防止法 ♯被虐待体験 ♯心的外傷(トラウマ) ♯“一定の条件下”で暴力を容認(正当化) ♯子どもの心のケア


少し大きい文字③行為は同じで、「過干渉・過保護」「いき過ぎた教育」「厳しいしつけ」と、ことばが置き換えられる親からの虐待
最近「毒親*-22」という名称で知られる「親の過干渉や過保護」「いき過ぎた教育」「厳しいしつけ*-23」ということばは、「児童虐待防止法」にもとづく、“虐待分類”の名称として使われていません。
*-22「毒親」という用語は、スーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子供』に由来しています。
*-23 厳しいしつけの「厳しい」の意味は、①厳格で少しの緩みも許さない、厳重である、②いいかげんな対処が許されない、困難が多くて大変、③物事の状態が緊張・緊迫している、④すきまがなく密である、などです。
  つまり、厳しいしつけとは、①厳格で、子どもに少しの緩みも許さないしつけ、②子どもにいい加減な対処を許されないしつけ、③緊張・緊迫状態下でおこなわれるしつけ、④子どもに逃げ道(親と異なる考えや行為)がないほど関係が密な中でおこなわれるしつけということになります。
①-④に準じて捉えると、親のため、つまり、親に逆らわない、親の指示に従わせる、親が恥をかかないための行為、加えて、他者から親が評価を受ける(ほめられる、称賛を受ける)ための行為であることがわかります。
 「厳しさ」を理解するうえで、根底となる概念は、「Ⅰ-5-(2)DVの本質。暴力で支配されるということ」の中で、『中高大学生向けの「デートDV講座」では、必ず「愛と束縛は違う」ということを教えます。』と記しているとおり、「束縛」する行為と「愛情」を示す行為の違いを理解していることです。

しかし、「過干渉や過保護」は、否定と禁止のことばの暴力(精神的虐待)を伴いますし、子どもの将来のため、教育熱心という名の下で正当化されかねない「いき過ぎた教育」は、親の期待した結果でないとき、激しく怒鳴りつけたり、楽しみにしていることを禁止するなどの罰を与えたり、殴ったり、蹴ったりすることは、精神的虐待に加え身体的虐待を伴う教育的虐待です。
勉強ができないことに関して厳しすぎる態度をとったり、子どもの要求やニーズを無視した一方的な教育を押しつけたり、きょうだいと比較し、著しい差をつけたりするなど、子どもを追い詰めるように教育を強いるふるまいは、「教育的虐待」となります。
場合によっては、いきすぎた早期教育や英才教育も教育的虐待になります。なぜなら、児童虐待の判断基準は「子どもにとって有害なこと」であることから、親のいい分が「将来的に子どものためになる」であっても、子どもがツラく苦しいと強いストレスを感じていれば、それは虐待になるからです。
また、家庭内にDVがあったり、家庭内に絶対君主的な存在(配偶者だけでなく、祖父母などを含む)があったりして、そのDV加害者や絶対君主的な存在が、厳しいしつけと称する体罰(暴行)を加えることをいとわない状況下で、DV被害者や絶対君主的な存在に従うしかない者が、厳しいしつけと称する体罰(暴行)を加えられているわが子に、「あなた(お前)のことを思ってのことだから、ちゃんとしよう(もっと頑張ろう)」とのことばを伴って慰めたり、励ましたりしていることがあります。
 しかし、子どもにとっては、慰めや励ましのことばではなく、がまんすること、耐えることを強いる(命じる)ことばでしかないのです。
 そして、親の「あなた(お前)のことを思って」ということばで容認される暴力をすり込んでいきます。
 このことは、「あなた(お前)のことを思って加えられる暴力」は、“正しいおこない”という認識を身につけることを意味します。
しかし、こうしたふるまいは、社会から虐待であるという認識をもたれず、親が子どもの人生をコントロールすることも踏まえて社会的に容認されてきただけでなく、「厳しいしつけ」は、昔から美徳として扱われるなど、慣習として見過ごされてきました。
問題は、脳にはしっかり傷を残すものの体に見える傷を残さない精神的虐待は、子ども自身が、「これが普通」と感じていることが少なくないことです。
「お前の将来のために」ということばを伴われていることから、子どもの心には「自分が悪いから怒鳴られた」との考え方がすり込まれてしまい、本人が虐待を受けて育ったという認識に辿りつくことができない状況がつくられることです。
過干渉や過保護、そして、いき過ぎた教育(教育的虐待)をおこなう親は、倫理的で、コミュニケーション能力があり、教育熱心で、経済的に余裕があるという“ポジティブ”な特徴を有しています。
子どもが、こうした親の期待に応えられないとき、「悪いのは自分だ」、「自分は親の子どもである資格がない(存在価値がない)」と自己を否定しながら育ちます。自己肯定できずに成長した人に共通するのは、「イライラして感情のコントロールができない」、「自分に自信が持てない」、「イヤなのに断れない」、「モヤモヤして、やりたいことができない」、「不安でたまらない」と口にすることです。
こうした自尊感情や自己肯定感の低さに起因することばは、親の養育のあり方の問題なのです。
自尊感情や自己肯定感の低さを示す人たちの親の特徴は、自分は正しいと思い込んでいたり、毒舌や罵倒で子どもを傷つけたり、子どもがトラブルをおこすと悲観的になり辛そうにふるまったり、思い通りにならないことがあると過剰に反応して周囲を巻き込んだり、かいがいしく献身するという名の下で子どもを支配したり(過干渉・過保護)、「子どものやりたいように、自由にさせてきた」ということばを伴う無責任な放任主義であったりすることです。
凄惨な殺害に及ぶのはごく少数ですが、この“見えにくい”いき過ぎた教育(教育的虐待)、過干渉・過保護の問題は、子どもの自己肯定感を奪ってしまうこと、つまり、自己否定感の高い子どもにさせてしまうのです。
親の抑圧、つまり、親の期待に応えられない子どもの悲鳴は、早いときは児童期、遅くは受験の失敗など大きな挫折がきっかけとなる思春期後期-青年期中期に心と体に表れることから、子どもの日常行動に異変が見られたり、チック症状が表れたり、精神的に変調をきたしたり、暴力的になったりするといった子どものサインを見逃さないことが重要です。
一方で、一見、挫折を味わっていないように見えるケースにおいても、親の抑圧が、成人後の人生に大きな影響を及ぼすことも少なくありません。
親に期待され、希望した学校(中学校、高等学校、大学)に進学し、親の望んだ職業に就きながらも、ずっと「本当は違うことがしたかった」との思いを秘め、その思いは、親に抑圧され続けてきた怒りの感情に他ならず、近しい存在となった交際相手や配偶者からの何気ないひとことが、抱え込んできた思いに触れとき、怒りの感情があふれだし、交際相手や配偶者に対するコントロールできない暴力となることがあります。

♯虐待 ♯毒親 ♯過干渉 ♯過保護 ♯いき過ぎた教育 ♯教育熱心 ♯厳しいしつけ ♯見えにくい虐待 ♯自己否定感 ♯抑圧され続けた怒りの感情 ♯コントロールできない暴力


④DV環境下で育った子ども。大人になり、その事実を受け入れられないとき…
DVを目撃して育ち(直接的な虐待被害を含む)、後遺症として、多くの心の問題を抱えている人たちの中には、「自分は親に虐待されて育ったこと」、「被虐待者と呼ばれること」に対し、強い拒否反応を示すことがあります。
「親から暴力を受けて育った」ということばを受け入れることができても、「親に虐待されて育った」ということばは受け入れられないこともあります。
なぜなら、親が子どもを虐待することは、親が子どもを拒否しているメッセージであることから、自分が、親に拒否された、受け入れられなかった事実を認めたくない思いが強く働くからです。
自己の存在基盤そのものが揺らぎ、自己を保つことが危うくなるからです。
無意識下でこうした思いに囚われている者たちの多くは、「暴力」ということばは使わず、「厳しくしつけられた」ということばを使い、暴力を肯定することばに置き換え、自分は親に愛されていたと信じ込もうとしています。
「厳しいしつけ」ということばは、「親が、私のこと、私の将来を思って厳しく接してくれた(間違ったおこないを正してくれた)」と“愛情による行為である”との認識にもとづいていることから、「私は、けっして親から拒絶されていたのではない」と承認欲求を満たすことができるわけです。
一方で、親の方も「厳しくしつけた」と表現することで、親の責任(務め)を立派に果たしていると自分自身を褒めたたえ、同時に、そのおこないの動機を“子どもの将来のために”ということばを持って正当化することができます。
つまり、子どもは自己否定されたと失望することもなく、親は罪悪感を抱くこともないなど、お互いに傷つかないでいられるのです。
こうした認識下にある被害女性の多くが、親子の関係を表現するとき、「Ⅰ-6-(3)デートDVから結婚に至る経緯」でとりあげている「事例83(分析研究10)」の被害女性Eのように、「親に愛情を持って厳しくしつけられたおかげで、いまの私があり、だから、厳しくしつけてくれた親に感謝している。」と述べます。
DV被害を受けていない女性が同じことを話しているときには、ことば通りに解釈してもいいわけですが、慢性反復的(日常的)な暴力を受け続け、精神の破綻をきたしていない、つまり、なんとか自己を保っている状態の被害女性が、「私は、親に厳しくしつけられました」という表現をするときには、注意が必要なのです。
なぜなら、被害女性の多くは、「わたしは、誰にも、暴力で傷つけられない大切な存在である(自分のことを大切に生きる)」ことを親から学び、身につけていない、つまり、親から心を育んでもらっていないからです。
例えば、DV被害を訴えた被害女性が、最初、「愛情のこもった料理を母がいつも準備してくれていた。パンやケーキまで母親が勉強し、手作りで食べさせてくれた。親は優しく愛情いっぱいに育ててくれた。」と話していましたが、離婚を決意し、乳児を連れて遠距離にある実家に帰り、大学に進学したのを機にひとり暮らしをはじめて依頼、14年ぶりに両親と同じ屋根の下での生活がはじまりました。
すると、被害女性は、その母親から「あんたは、体罰を娘にしないから、娘が訳のわからない行動を自分でするんだ!」と怒鳴られ、母親は孫(被害女性の娘)に叩いたり、殴ったりしたのです。
つまり、被害女性が子どものころ、娘のように、母親から叩かれたり、殴られたりしていたわけです。その後、離婚が成立した被害女性は、実家をでて、アパートを借り、子どもと生活をはじめますが、その母親は、毎日のようにアパートを訪れ、「育て方が鳴っていない!」と被害女性を罵倒し、子どもに体罰と称して叩いたり、殴ったり暴行を繰り返したのです。
この被害女性の母親は、夫(被害女性の父親)から暴力を受け続けているDV被害者であり、同時に、子ども(被害女性)に過度に干渉し、その中で、体罰と称する暴行(身体的虐待)を繰り返し、その後、家をでてひとり暮らしをはじめて以降もずっと、娘(被害女性)に対しても過剰に干渉し続けていたわけです。
被害女性は、母親に過剰に干渉されていたことを、「優しく、愛情いっぱいに」と自己肯定し、記憶を置き換えていたことになります。
では、「親に愛情を持って厳しくしつけられたおかげで、いまの私があり、だから、厳しくしつけてくれた親に感謝している。」ということばを、分解して、因果関係を検証してみます。
「親に愛情を持って厳しくしつけられた」は事実、「おかげで」「いまの私がある」は状況を示し、「感謝している」は解釈(意見、感じ方)を示しています。
“おかげで”という状況は、行動と結果(こういうことをして、結果として、こうなった)を表現するものですから、その「厳しくしつけてくれた親を感謝しているいまの私」という状況は、交際相手や配偶者から慢性反復的(日常的)に暴力を受け続けている、場合によっては、その暴力下で子どもを育てていることを示すことになります。
つまり、上記の事実認識では、論理が成り立たないのです。
そして、事実と状況認識が違ってくると、解釈(意見、感じ方)が変わってきます。
こうした事実認識の“ズレ”を見直すことによって、親に対するいまの思い(感情)が間違った思い込みであったことを明らかすることができますが、当事者が、この事実を受け入れることは簡単ではありません。
なぜなら、親の自分に対する愛情の存在が根底から揺さぶられ、心が強く抵抗するからです。
いま慢性反復的(日常的)な暴力を受け続けている(もしくは、いた)状況にあり、厳しくしつけてくれた親に感謝し、世間にどのように見られるかといった不安に囚われている被害女性に共通している問題が、私を大切に生きる、つまり、私は暴力で傷つけられたり、支配されたりしてはならない大切な存在であると認識できていないということです。
つまり、「暴力で傷つけられる」「暴力で支配される」ことが、「自分を大切にできていない」ということを認識できていないことです。
このことは、厳しくしつけをしてくれた親の下では、自分は暴力で傷つけられたり、暴力で支配されたりしてはならない大切な存在であるという自己規範をつくられなかったということを意味しています。
なぜなら、「厳しいしつけ」と認識してきた親の言動やふるまいは、暴力(虐待)でしかなかったからです。
「私は親に厳しくしつけられた」と暴力のある家庭環境で育ってきた事実の置き換えをしていて、一方で、「自分は、けっして暴力で傷つけられてはならない大切な存在である」という概念を持ち合せていない(心を育まれていない)人が、交際相手や配偶者から再び暴力を受けることになったとき、暴力のある家庭環境で子どもを育てることは、「けっして暴力で傷つけられてはならない大切な存在である子ども」という概念を持ち込む(子どもの心を育む)ことは難しいのです。
そのため、無意識下で、結果として、暴力のある家庭環境に子どもを留めてしまうことになるのです。
したがって、無意識下で、結果として、暴力のある家庭環境に子どもを留めてしまったとしても、誰も、被害女性を責めることはできません。

♯拒否のメッセージ ♯厳しくしつけられた ♯厳しくしつけた ♯自分のことを大切に生きる ♯認識のズレ


⑤関心を持ち、疑問を抱き、調べ、事実を知る
「面前DV」にかかわる問題は、「過干渉や過保護」「親の過干渉や過保護」「いき過ぎた教育」「厳しいしつけ」とともに、「臭い物に蓋をする」ように、日本社会そのものが長くその事実を認識してこなかった(表立って話題にすることを避けてきた)ものです。
社会そのものがあるテーマや問題に無関心で無知であることは、知らないこと(異質なこと)への不安や恐怖、猜疑心を招き、偏見、区別や差別、排除・無視などの暴力をもたらします。
さらに、暴力で育ったことによるツラさや苦しみ、葛藤を抱えていても、新たに、「親に虐待されて育った人=親に愛されずに育った人=不憫な人、かわいそうな人」と“烙印”を押され、“区別される(色眼鏡で見られる)”ことへの不安、怖れが強くなることがあります。
私たちは、特別なこと、一握りの人たちのことと区別する(色眼鏡をかける)ことで、「自分たちには関係ないこと」として見て見ぬふりをすることがあります。
そして、偏見や差別感を持って特定の人を排除しようとしたり、見て見ぬふりをしたりしていることに少なからず後ろめたさを感じたり、心を傷めたりします。特定の人を排除しようとしたこと、見て見ぬふりをしたことに対する後ろめたさや罪の意識から解放され、罪悪感に苦しまないように、なにも感じないようにしたり、逆に、より過激に排除や差別をしたりすることもあります。
これは、とても怖いことです。
なぜなら、知らないことへの怖れや不安が、対立を生み、抗争を生みだすからです。
事実を知ることによって、厳しい現実を突きつけられ、深く傷つくことになるかもしれません。
しかし、その事実と向き合わなければ、心の問題の解決の途につくことができないのも現実です。
知らされたくない事実もあると思います。
一方で、事実を知りたい被害者、事実を知りたいDVのある家庭環境で育ち生き難さを抱えてきた被害者も少なくないわけです。
そこで、後者の方たちには「事実を知る権利がある」との立ち位置をとっています。
いまDV被害に苦しんでいたり、DVのある家庭環境で育ち対人関係に悩んでいたりする方たちには、「事実を伝えることは、決して、その人そのものを否定したり、非難したりして責めているわけではなく、事実認識は、暴力による関係性を断ち切るときに必要な情報(知識)」と捉えて欲しいと願っています。
暴力の連鎖は、この世代で終わらせるために、被害女性を含めて、2世代、3世代にわたるコミュニティ(社会)全体として、暴力とはなにか、暴力が生みだすものはなにかについて問題意識を持ち、そして、学び、行動して欲しいと思います。

♯偏見 ♯色眼鏡 ♯自分たちには関係ない ♯暴力の連鎖 ♯問題意識


(DV理解-5.離婚を実現し、DVを断ち切る)
①常識的で一般論的な考えは持ち込まない。「身を守る」という選択

離婚の方法には、①夫婦が同意して署名し、協議離婚届書を戸籍係に提出する方法(協議離婚)、②家庭裁判所の調停の場で離婚の合意をする方法(調停離婚)、③調停でまとまらず、家庭裁判所が離婚の審判をする方法(審判離婚)、④家庭裁判所の判決で離婚が命じられる方法(判決離婚)*-23の4つがあります。
*-23 平成15年2月5日、法制審議会は「離婚訴訟を家庭裁判所の管轄にする」という法案要網が発表され、これにもとづいた法改正により、④地方裁判所でおこなわれていた離婚裁判も家庭裁判所でおこなわれるようになりました。
「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚では、「離婚しても、子どもの父親としての義務を果たして欲しい」などいった常識的で一般的な考えを持ち込んではいけないということです。
なぜなら、常識で一般的な考え方のできない加害者に、つけ入る隙を与えることになるからです。
重要なことは、常識的で一般的な考え方ができる人物は、どのような理由があっても暴力をふるわないという認識に立つことです。
配偶者や交際相手に対して暴力で屈服させ、絶対服従を誓わせる人物である限り、たとえ高学歴で、一流企業や国家公務員(キャリア官僚)、医師や弁護士、教師などの職業に就いていたとしても、自己利益(便益)だけを優先させると認識しておかなければならないのです。
仮に、第三者には、加害者であるその人物が常識的で一般的な考え方をするように見えても、それは、世間体を気にしている(世間にどう評価されるかを気にしている)だけ、つまり、上辺だけの格好よさ、上辺だけの常識的なふるまいでしかないのです。
自分が上に立っている、あるいは、コントロール(支配)できていると実感できている相手に対しては、徹底的に非常になることができます。
そこには、常識的で一般的な考え方、そして、ルールや法(規制)、倫理観・道徳観といった規範に縛られる考えはありません。
「常識、ルールや法(規制)、倫理観・道徳観といった規範に縛られることがない」からこそ、配偶者や交際相手に対して暴力をふるうことができるのです。
被害者の方たちの中には、「どのような理由があっても」という“前提(考え方)”はしっくりしない(納得できない)ことかもしれません。
「ある条件下では暴力(しつけとしての体罰)は認められる」という考え方を拭えないかもしれません。
その考え(認識)こそが、暴力のある家庭環境に順応してきたことによる“認知の歪み(考え方の癖)”に他らないのです。
また、激しい身体的な暴行が繰り返されている夫婦関係(同棲関係を含む)では、離婚という戸籍法上の手続き(民事事件を解決する)の前に、同棲相手や配偶者の暴力から逃れる、つまり、自身の身(命)を守ることが考えなければならないケースがあります。
DV被害者支援の現場では、「被害者は、第三者にいわれたから家をでる、離婚するのではなく、自分の意志で、覚悟を持って家をでる、離婚することが重要であることから、被害者の心が固まるまで待つこと」とされています。
なぜなら、長く暴力のある環境に留まってきた被害者には、加害者の上辺だけの優しいことばに心が揺さぶられたり、「子どもから父親を奪ってよかったのだろうか」と自責感の高まりがおきたりするなど、加害者への思いが燻り続ける可能性があることから、被害者の思いに「人にいわれたから、そうしただけ」といった余地を残さないことが重要だからです。
とはいっても、DVには、身体的な暴行が加えられ命が奪われる怖れがあるわけです。そのため、DV被害への支援として、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等に関する法律(いわゆるDV防止法。以下、配偶者暴力防止法)」にもとづいて、被害者の“一時保護”の決定をしたり、加害者が被害者に対して6ヶ月間接近することを禁止するなどの“保護命令”を発令したりすることで、「加害者の暴力から被害者の命を守る」ことを最優先にしなければならないケースがあるのです。
それは、交際相手や配偶者が別れ(離婚)を切りだしたときに危険の度合いが高まったり、実家で別居している被害者に対して復縁を求めて執拗に接触を求めてきたり、母子寮(母子生活支援施設)などの保護施設(シェルター)などの避難先を探しだして、力づくで連れ戻そうとしたりするケースです。
そして、加害者から逃げ、身を隠して生活するときには、健康保険証を使用したり、転居後に住民票登録したり、GPS(全地球測位システム)機能のあるスマートフォンなどを使用したりしたことが、加害者に居所が知られる事態を招くケースであるなど、加害者から身を守るDV事件ならではの対策が必要になることがあります。
DV事件において、最も重要な考え方は、『夫は、ことあるごとに「離婚だ!」「いうことがきけないなら、でて行け!」と怒鳴っているから、直ぐに離婚に応じてくれるだろうし、家をでたあと、復縁を求めてつきまとったり、実家に押しかけてきたり、転居先を探したりすることはないと思う。』などといった「まさか、こんなことはしないだろう」との考えは捨て去ることです。そして、身(命)の安全を第一に考るということです。
例えば、“啖呵を切っている”に過ぎない「離婚だ!」「でて行け!」ということばには、「どうせ、お前は離婚できないだろうし、離婚しても生活できないだろう」という侮蔑し(バカにする)、卑下(見下し)する考え方を示すものです。そのため、侮蔑し卑下できる相手、つまり、本来対等であるけれども、既に、上下の関係性、支配と従属の関係性が成り立ち、自尊感情や自己肯定感を高める(罵り貶め、恐怖を与えることで絶対服従を誓わせ、承認欲求を満たす)ことができる相手を、ことば通りに簡単に手放すことは考え難いのです。
そして、加害者が、被害女性の方に“夫から離婚される(別れる)”ことへの不安感や恐怖心があると認識しているときには、「離婚だ!」のことばには、「脅し」の意味があります。
脅しの行為をとる人物は、反発される(裏切られる)と、支配のための暴力を強める傾向があります。
「離婚だ!」「でて行け!」という啖呵を切る加害者ほど、承認欲求を満たすことのできる相手を絶対に手放そうとしない、つまり、強い執着性を示しているのです。
「もう暴力に耐えられない」との思いで、別れ(離婚)を切りだしたり、実家に帰り、別居をはじめたりしたとき、こうした傾向のある加害者の「二度と暴力をふるわない」とのことばを伴った謝る行為は、いま、自分がおかれている好ましくない状況を打開するための“術”、つまり、とり戻すための“策”でしかないのです。
甘く優しいことばや態度を見て、「今度はきっと」と根拠のない期待感を持ってしまうと、二度と反発しない(裏切らない)と屈するまで暴力が繰り返されることになります。
また、“親密な関係がある特別な人”だからといって、「警察沙汰にはしたくない」と警察への通報を躊躇ったり、「子どもの父親を犯罪者にしたくない」と警察で勧められた被害届(あるいは告訴状)の提出を拒んだりしてしまうなど、DV事件に“情”を持ち込んでしまい、その後、殺害されてしまう悲劇は繰り返されています。
「身(命)の安全を第一に考える対策」とは、「配偶者暴力防止法」にもとづいて、女性センターなどのDV相談機関や警察署を通じて①「一時保護」を求めたり、②地方裁判所に「保護命令」の発令を求めたり、③「一時保護」を経由するかは別として、身を隠すために知らない土地で家屋を借り、生活の再建をはかったりすることです*-24。
特に、③の選択は、これまでの価値観や人生観、歩んできた人生であたり前と思ってきたことが、あたり前ではなくなることを意味します。
いまの平和な日本では考えることはほとんどありませんが、それは、国を捨てて他国へ救いを求める選択(難民)と変わりなく、家族や親族、友人や知人とつくりあげてきたかかわり、築いてきた仕事のキャリアなどよりも、自分の身(命)や子どもの命が大切であると考えられるかというレベルの問題です。
それが、どれだけ理不尽で、不合理なことであっても、命を守るということは、“これまで”大切にしてきたものを捨て去って、生活(生き方)の再建をはかっていかなければならないのです。
知らない土地で、住民票を移すことができなかったり、新たに銀行口座を開設でき難かったり多くの制約条件のある中で、新しい仕事を探し、生活そのものを一から再構築していくのは並大抵のことではありません。
しかし、「それでも私は、誰からも暴力で傷つけられることはあってはならない大切な存在である」との信念に従い、「身(命)の安全を第一に考えられる」ことが重要なのです。
一番の対策は、私は、誰からも暴力で傷つけられることはあってはならない大切な存在である」という心を育むという意味で、暴力のある家庭環境で、子どもを育てないことです。
*-24 交際相手や配偶者(ともに元を含む)に対し、「復縁を求めた話し合い」のために、「待ち伏せをする」「居所を探しだす」「力づくで連れ戻そうする」といった“つきまとい”行為に対しては、「配偶者暴力防止法」にもとづく保護命令の発令、一時保護の決定で対応することができますが、被害者の身の安全性という観点では、残念ながら絶対的なものではありません。
「配偶者暴力防止法」では、配偶者(事実婚、ならびに、元を含む)だけでなく、同じ居住地で生活を同じくする者(元を含む)も対象となっていますが、交際相手(元を含む)と同じ居住地で生活を同じくしていない被害者には、同法は適用されないことから、「ストーカー行為等の規制に関する法律(以下、ストーカー規制法)」で対応することになります。
詳細は、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-27.一時保護の決定、保護命令の発令。「身を守る」という選択」で説明しています。加えて、ストーカー行為そのものについては、カテゴリー「Ⅲ-2」の「Ⅰ-4-(4)ストーカーの特性」、「同-(5)SRP」のストーカー類型、ストーカーの背景や特徴・介入」で、加えて、カテゴリー「Ⅲ-6」の「Ⅳ-30-(7)被害者宛のメールからストーカーリスクを把握する」で詳しく説明しています。
なお、「婚姻破綻の原因はDVにあるとして、“離婚を前提に家をでる」ときに、事前に、知っておかなければならないことはなにか、なにを準備しておかなければならないのかについては、同「Ⅳ-29.DV離婚を考えたとき、事前に確認しておくこと」で詳しく説明しています。


♯婚姻破綻の原因はDVにある ♯離婚 ♯暴力のある家庭環境に順応 ♯認知の歪み ♯考え方の癖 ♯配偶者暴力防止法 ♯一時保護 ♯保護命令 ♯母子寮 ♯母子生活支援施設 ♯シェルター ♯啖呵を切る ♯強い執着性 ♯「もう暴力はふるわない」と謝る ♯状況を打開するための“術”


②第三者に、DVの事実を正確に伝えるには、“思い(感情)”にフォーカスしないこと
  DV被害を受けたとき、被害者は、第三者にDV被害を相談したり、第三者にDVの状況を説明したり、または、第三者にDVを立証するために事実を示したりしなければならないことがあります。
  第三者とは、家族、友人、職場の上司や同僚と気心が知れている相手だけでなく、女性センターなど行政の相談機関の職員、民間の支援機関の職員など、警察署の警察官、医療機関の医師や歯科医師、看護師、医療事務員、児童相談所の職員、学校園の教職員、弁護士、家庭裁判所の裁判官(審判官)や調停委員、調査官などです。
  気心が知れている家族、友人、職場の上司や同僚は、感情移入しやすいので、DV被害の事実よりも、ツラく苦しかった思いに共感してくれることから、DV被害の事実よりも、交際相手や配偶者がいかにひどい人物なのかを訴え、その訴えをともに哀しみ、ともに憤るなど、思いに共感してくれます。
  しかし、女性センターなど行政の相談機関の職員、民間の支援機関の職員など、警察署の警察官、医療機関の医師や歯科医師、看護師、医療事務員、児童相談所の職員、学校園の教職員、弁護士、家庭裁判所の裁判官(審判官)や調停委員、調査官などの第三者は、被害者のツラく苦しかった思いだけに共感するわけにはいかないのです。
なぜなら、相談されたDV事件に、適切な対応策を示したり、解決のために行動したりしなければならないからです。
  このとき重視するのは、「事実(経緯・状況を含む)を正確に把握する」ということです。正確にDVの事実を把握できなければ、いま必要な対応策はなにかを判断できないからです。
  被害者にとって、相談した人が、いま必要な対応策はなにかを判断できない中で助言は、場合によっては、自身に危険が及んでしまったり、理不尽な思いをさせられたりする事態を招くことになるわけです。
  例えば、警察ひとつをとっても、「DVを受けている」と警察署に相談したり、「DVを受けた。保護してください」と警察に助けを求めたり、「暴行を加えられて傷害を負った」と警察署に被害届(あるいは、告訴状)を提出して刑事事件として捜査を依頼したりするなど、さまざまなケースが考えられます。
DV相談は生活安全課の警察官が対応し、“一時保護”は、「配偶者からの暴力の防止及びに被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法、いわゆるDV防止法)」にもとづいて決定されることから、生活安全課の警察官とともに、役所の職員(福祉事務所の職員を含む)などが対応し、同法の“保護命令”の発令を求めるときには、「DV被害証明書」を発行してもらうために警察官か女性センターの職員、裁判官(事務官を含む)が対応し、「被害届」をだすときには刑事課の刑事、そして、立件できると判断されたときには、地方検察庁の検事が対応することになります。
また、「婚姻破綻の原因は配偶者からのDVにある」として、家庭裁判所に「夫婦関係調整(離婚)調停」を申立てるときには、被害者が、DVの事実を伝えなければならないのは、2名の調停委員と2名の調査官(幼い子どもがいて、親権・監護権が争われているときに加わる)に対してであり、調停が不調になり、提訴(裁判)となったときには、裁判官に対してということになります。
その前に、弁護士に相談したり、委任契約にもとづいて代理人となってもらったりするときには、その弁護士に、DVの事実を伝え、加えて、財産分与や損害賠償金(慰謝料)、親権、養育費、面会交流に対してどう考えているのかを伝える必要があります。
離婚調停は、調停を申立てた者と申立てられた者(相手方)が、民法770条第1項に定める離婚事由に則り、調停委員を介して合意するための話合いであることから、“DVの認定”を求める場ではなく、調停委員など調停に関わる人たちに対し、DVの事実を伝える場です。
「配偶者暴力防止法」に準じて“一時保護”の決定、“保護命令”の発令を求めたり、「刑法(傷害)」に準じて刑事事件として起訴を目指したり、「民法(離婚)」に準じて民事事件で離婚を成立させたりする場では、ときに、共感されなかったり、疑問視されたり、場合によっては、反論されたりすることがあるかもしれませんが、それは、事実を明らかにするために、疑問点や不可解な部分を一つひとつ潰していくためのプロセスなのですから、「私がどれだけツラく苦しい思いをしてきたのかわかってくれない」と“共感”してもらえないと嘆くのではなく、一貫してDVの事実を主張し続ける(伝える)姿勢にだけフォーカスすることが重要です。
重要なことは、「これまでのツラく苦しかった日々をわかって欲しい」との“思い(感情)にフォーカスしない”ということです。
つまり、気心が知れている第三者に、事実を伝えるということは、ビジネスの基本となる「事実と意見(感情)は分けて、伝える」という一種の技能が必要になるわけです。
以上のように、第三者にDVの事実を伝えるとき、その第三者の立ち位置に応じて、「被害者に求める必要な情報の“内容”と“質”は異なる」ということです。

♯配偶者暴力防止法 ♯一時保護 ♯被害届 ♯告訴状 ♯保護命令 ♯DV被害証明書


③暴力に順応した考え方の癖(認知の歪み)へのアプローチ
 暴力で傷ついた心身をケアするには、暴力のない安全で、安心できる環境下で生活することが“絶対条件”です。そして、乳幼児期の子どもにとって安全で、安心できる家庭環境とは、世話をしてくれる養護者(=親)が“わたし(自分)”のことを決して傷つけない(安全な)存在であると認識できる状態のことです。
このことが重要な意味を持つのは、世話をしてくれる親が“わたし(自分)”のことを決して傷つけない(安全)存在であると認識することによって、はじめて、人という存在を信頼することができるからです。
世話をしてくれる親が、“わたし(自分)”のことを傷つける(安全でない)存在であるとき、人は、人という存在を信頼するという認知が損なわれてしまいます。
人が、人という存在を信頼することができないという認知が構築されてしまうと、その後、人とのかかわり方に深刻な事態を及ぼすことになります。
しかし、慢性反復的(日常的)に暴力を受け続けている被害女性の多くは、常に気を張り、機嫌を損ねないようにふるまわなければならない、つまり、暴力を回避したり、暴力に耐えたりすることで精一杯であるため、いま、子どもがどのような思いで過ごしているのか、暴力が母子に与える深刻な後遺症を招くリスクを抱えているのかといった思いに馳せることができなくなっています。
場合によっては、自分も暴力のある家庭環境で育ってきたけれど、“ちゃんと大人になった”のだから、子どもの心配は必要ないと思っていることもあります。
この「ちゃんと大人になった」と認識している被害者は、「自分の身(命)や自分の意志は、誰にも害されることがあってはならない大切な存在である」といった“感覚”がわからないわけです。
つまり、こうした認識は、暴力のある家庭環境で育ってきたために、“歪んだ認知”を学んでしまったことを意味しています。
慢性反復的(日常的)に暴力を受け続けている被害女性に見られる傾向は、「暴力をふるわれるのは自分が悪い(いたらない)から」、「暴力をふるわないときは、優しいから」、「子どもが手を離れるまで、私ひとりががまんすればいい。それが、母親の務め」と暴力のある環境に留まる理由づけ、つまり、暴力のある環境に留まることを正当化する(できない理由探しをする)考え方に終始してしまうことです。
また、助けを求めて駆け込んだ警察署や通報をして駆けつけてくれた警察官に「被害届(捜査の強制力があるのは告訴状)」の提出を拒む理由には、“もっとひどいことをされるかもしれない”という強烈な恐怖心だけでなく、“大ごとにしたくない”と世間体を優先してしまう考え方の存在があります。世間体を気にして判断を優先させることは、自身の命(あるいは子どもを含めた母子の命)よりも世間体(加害者を含める)の方が大切と認識していることを意味しています。
こうした考え方(価値観、判断基準)や思考習慣は、いまの暴力に支配された生活の中で身につけたものではなく、過去の生育環境(親の下で育った生活環境)で学び、身につけた“価値観(暴力のある環境に順応するために身につけた考え方の癖=認知の歪み)”・“モノサシ(判断基準)”だということです。
被害女性に、こうした考え方の癖=認知の歪みが認められるときには、心の問題を抱えている、つまり、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感や底なし沼のような寂しさ(見捨てられ不安)を抱えていることから、暴力により支配された関係性を断ち切るには、暴力のある環境に順応する考え方の癖=認知の歪みに対するケア(アプローチ)が必要不可欠なのです。
なぜなら、第一に、激しい暴行(身体的な暴力)を受け、ショックと恐怖からその場から逃げだして実家に帰ったり、警察に通報し、緊急一時保護施設=行政や民間のシェルターに“一時保護*-25”してもらったりしたとしても、暴力後に「暴力をふるわないから、帰ってきてほしい」などと優しく甘いことばやふるまいに心がゆさぶられ、交際相手や配偶者のもとに戻ってしまい、再び、日常的な暴力被害を受けることになるからです。
暴行への強い恐怖があり、交際相手や配偶者にもとに戻ることはなくとも、私は裏切った、私は子どもから父親を奪ったと罪悪感から「いまなら、まだやり直せるかもしれない」と“根拠のない期待感”を膨らませ、「だって、彼は、暴力をふるわないときは優しかったし、子どもが懐いていたから」とやり直せるのではないかとの思いを正当化する考えを持ちだしてしまうことがあります。
被害者の中には、別れた(離婚した)あともずっと、交際相手や配偶者に対する思いを燻らせているといった、地に足がついていない危うさを抱えている人が少なくないのです。
“危うさ”は、底なし沼のような寂しさで、マグマが突きあがってくるような強烈な衝動を意味しています。
強烈な衝動下では、理性で行動をコントロールすることはできません。
戻ったとき、再び、暴力下で暮らすことになることよりも、優しかった、楽しかった思い出に浸り、突き進みます。
第二に、底なし沼のような寂しさを抱えている被害者は、別れたあと、ひとりでいることができないことから、優しく甘いことばやふるまいを装う男性と交際し、再び、DV被害を受けてしまうリスクが高くなります。
あまりのツラさや恐怖により、その一時は、暴力から逃げることができても、アタッチメントにトラブルがあり、“心の問題”を秘めている限り、ある一定の時間が経過すると、暴力に支配される環境に自分の居場所(存在価値)を求めてしまうことがあるのです。
ここには、「マムズボーイフレンド(シングルマザーの交際相手)による虐待」という問題が絡んできます。
新しいボーイフレンドの“暴力を回避する(痛い思いをしたくない)”ために、虐待行為を黙認したり、「このケガは転んだものです」と擁護したりするだけでなく、新しいボーイフレンドに“嫌われたくない(別れを切りだされたくない)思い”で、子どもへの虐待に加わったり、新しいボーイフレンドに“認めてもらいたい思い(結果として、承認欲求を満たす)”で、自ら積極的に虐待に及んだりすることがあります。
第三に、なにかのきっかけで、これまで尽くし、耐え続けてきたのに、「どうして?!」「なぜ?!」と報われない思いが爆発し、過激な暴力行動となることがあります。
被害女性が、見捨てられ不安を起因とする嫌われたくない思いでがまんを続けてきたものの、“大切にされない”という承認欲求が満たされない期間が一定値に及ぶと、溜め込んできた怒りの感情を爆発させて暴行を加え、加害男性を殺傷行為に及んだりするケースがでてきます。
また、報われない思い(憤りや怒りの感情)が、子どもに向かい、虐待行為に及ぶこともでてきます。
交際相手や配偶者から暴力を受けるDV被害者である一方で、子どもに虐待を繰り返す加害者になってしまうことがあるのです。
こうした、DV被害者であった女性が、この怒りの感情のコントロールができず、加害男性や子どもに対して、攻撃的行動として爆発させてしまう行為は、「攻撃防御の機能不全」といわれるPTSDの症状のひとつです*-26。
したがって、慢性反復的な暴力を受けてきた被害女性が、暴力に支配される関係を断ち切る、つまり、交際相手と別れたり、「婚姻破綻の原因は配偶者によるDVである」とする離婚調停に臨んだりするときには、「暴力のある環境に順応した“考え方の癖(認知の歪み)”」と「暴力の後遺症としてのPTSDの症状」に対するアプローチが必要不可欠なのです。
*-25「配偶者暴力防止法」にもとづく“一時保護の決定”については、「Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚」の中の「Ⅳ-27-(3)一時保護」で詳しく説明しています。
*-26 PTSDの症状としての「攻撃防御の機能不全」による子どもへの加害行為の背景には、交際相手や配偶者からの「いまの暴力被害」が“きっかけ”に過ぎず、幼少期に受けた慢性反復的(日常的)な暴力体験が存在していることが少なくありません。
つまり、過去のトラウマ(心的外傷)体験が主原因ということです。
例えば、一時保護をした被害女性が、交際相手や配偶者からの暴行(身体的な暴力)被害はないにもかかわらず、「見つけだされたら、なにをされるかわからない。連れ戻され、殺されるかもしれない。」と強烈な恐怖を訴え続けることがあります。
どのような暴力被害だったのかを訊くと、「やることなすことに干渉され、否定され、非難され、侮蔑され、卑下された」とことばの暴力(精神的な暴力)被害だけを訴えるだけです。
ここには、訴え続ける強烈な恐怖心と直接な因果関係が認められないことになります。
しかし、父親が、母親を大声で怒鳴りつける暴力(DV行為)に、禁止・否定・避難・侮蔑・卑下することばが使われ、しかも、そのあとに殴られたり、蹴られたりしていたのを見たり、聞いたり、察したりしていた(面前DV=精神的虐待)ときには、このトラウマ体験が“強く(トラウマ)反応”した、つまり、強烈な恐怖心を訴える背景となっていると考えることができるわけです。
「こうしたできごとが起きたあとは、必ず、こうしたできごとが待っている」という思考パターンが、過度の恐怖心を生みだすことになるのです。
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、SAD(急性ストレス障害)の症状が1ヶ月以上継続しているときに診断されます。
また、PTSDには後発性という特徴もあり、数ヶ月-数年を経て強い症状となって表れるもの特徴です。
一方で、幼児期の虐待体験(面前DVを含む)、思春期・青年期前期のいじめ体験など、慢性反復的(日常的)な暴力被害にもとづくPTSDの症状については、人格の歪みまでダメージが及ぶリスクがあるとする「C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)」への理解が必要になります。
なお、「PTSDとC-PTSDの症状」については、「Ⅱ-10.トラウマと脳」、「同-12-(10)危機とPTSD」、「同-13.PTSDとC-PTSD、解離性障害」で詳述しています。


♯暴力に順応するために身につけた考え方の癖 ♯認知の歪み ♯カラカラに乾いたスポンジのような渇望感 ♯底なし沼のような寂しさ ♯罪悪感 ♯自分の居場所 ♯存在価値 ♯マムズボーイフレンド ♯報われない思い ♯攻撃防御の機能不全 ♯PTSD ♯暴力の後遺症


④援助者は、被害者の精神的な負担を考慮して最短の解決を目指す
慢性反復的(日常的な)なトラウマ(心的外傷)体験をしている被害女性の多くに、医療機関で診断・治療をしていなくても、PTSDの症状、つまり、侵入(再体験)・過覚醒・回避・狭窄、身体化などの症状が認められます。
中には、「攻撃防御の機能不全」の症状としての攻撃的行動が前面に表れていることもあります。
こうした状況下で、被害女性が臨まなければならない家庭裁判所での離婚調停(夫婦関係調整調停)*-27、警察署や地方検察庁での事情聴取は、大きな精神的な負担(苦痛)を伴います。
第三者にDV被害を正確に伝えるために、どのような暴力を受けてきたのか、暴力がどのような状況で、どのようにして暴力がおこったのかなど、被害状況を書面にまとめて臨んだとしても、その事実を繰り返し確認されたり、相手の異なる主張や反論に対して速やかに対応したりしなければならないなど、離婚調停や事情聴取が長期化することは、被害女性を疲弊させ、精神的に追い詰めていきます。
それだけでなく、先のように被害女性が怒りの感情をコントロールできず攻撃的になっていて、調停委員や調査官(乳幼児の子どもがいて、子どもの親権や監護権が争われているケース)に対して批判的で、挑発的な言動や態度が露わなために、DV被害者でありながら、加害男性の「妻の方がDV加害者であって、私の方が被害者である」との主張に同意される事態を招いてしまい、不合理で、理不尽な思いをさせられることがあります。
したがって、DV被害者支援者や弁護士などのアボドケーター(援助者)は、被害女性の精神的負担(苦痛)を配慮して早期の解決を目指すこと、そして、怒りの感情をコントロールするためのケアを再優先に考えなければならないわけです。
しかし現実は、「性暴力被害者支援センター」に携わる一部の弁護士を除いて、ほとんどの弁護士は、DVや性暴力を受けた被害女性に対して、PTSDなどの症状に配慮したアボドケーターの役割を担っているとの認識はないのです。
つまり、ほとんどの弁護士は、一般的な民事事件(離婚)として、財産分与・損害賠償金(慰謝料)、そして、夫婦間に子どもがいるときには、加えて、親権(監護権を含む)・養育費、面会交流を解決していくことを主においているわけです。
ここに、DV被害女性が、委任契約(代理人)を結んだ弁護士に対し、わかってもらえないとの思いを強くし、結果として、不信感を抱いてしまう要因(思いに齟齬が生じる)があるのです。
例えば、弁護士の中には、DVを立証するためにまとめた「現在に至る事実経過*-28」、暴力の状況が録音された音源、メールやLINEに残された文面、暴行痕を撮影した写真、「・・の行為により、加療を必要とする傷害を負った」と明記された診断書などの証拠は、「離婚調停は不調にして提訴(裁判)後に事実を明らかにすればいい」、つまり、準備書面(もしくは、陳述書)、準備書面(同)に反論する答弁書など、詳細な事実経過を書面として作成し、それをもとにやり取りをするのは、調停ではなく、裁判でやるものと認識していることがあります。
こうした考え方をする弁護士の離婚事件の位置づけは、対応できる多くの民事事件の中のひとつと考えるのが妥当です。
離婚は、他の民事事件とは異なり、夫婦間の話し合いで解決することが望ましいと考えられ、訴訟(裁判)の前に、家庭裁判所に離婚の調停を申立てなければならないことになっています(調停前置主義)*-29。調停委員を介した調停での話合いで合意することができなければ、審判官に判断を委ねるか、提訴して(裁判で)判決を求めなければ解決ができないわけです。
したがって、上記のような考え方をする弁護士は、その裁判で、依頼者の利益を主張する(戦う)ことにこそ弁護士の本分(価値がある)として、仕事をしてきていると考えることができます。それが、弁護士の仕事として習慣化されているので、他のアプローチをとったことがないのです。
しかし、離婚という民事事件であっても、「婚姻破綻の原因はDVにある」と主張し、精神的な苦痛に対して損害賠償金(慰謝料)を求めるときには、DV行為の事実を立証しなければならないことになります。
このとき、DV行為の事実を立証するためのアプローチは、殺人・傷害事件で、警察が取調べ、証拠を集めて裏をとることで事件化し、地方検察庁で、その事実で起訴できると判断し、その後、裁判で、事実認定を争うアプローチと変わらないものです。
したがって、DV離婚事件で、DVを立証するとき、弁護士に求められるのは、地方検察庁の検事が、刑事事件で殺人・傷害事件を立証するときのような立ち位置で、DV離婚事件を認識することです。
「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停は、DV行為そのものを認めないことが少なくないことから、離婚や慰謝料の支払いに応じようとしなかったり、親権や面会交流のあり方で意見が真正面から対立することになったりすることから、調停そのもの、そして、調停が不調になり、提訴して判決により解決しなければならなくなるなど、長期化するのがひとつの傾向です。
長期化する原因は、上記のように、DV行為を立証する裏づけを明確に示して、いい逃れできない状況を最初につくったうえで、次のプロセスに進む、つまり、離婚、財産分与、親権(監護権を含む)、養育費、面会交流などを交渉し、合意させるといった手順をとっていないからです。
加えて、数多くのレイプなど性暴力事件を担当してきた弁護士以外は、暴力被害としての後遺症、つまり、PTSDの症状や被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)の傾向に対しての知識がなく、無理解であることが多く、そのことが、被害女性を苦しめ、追い込んでしまう事態を招くことを想定していないのが実情です。
こうしたDVや性暴力被害者が、2次被害に陥ってしまいかねない事態は防がなければならないわけです。
そのためには、DVや性暴力被害者の支援に携わる者(アボドケーター)は、暴力が人に与える影響についての知識を学び、どのような対応が必要になるのかのスキル(技能)を身につけなければならないのです。
*-27「離婚調停(夫婦関係調整調停)は、夫婦間の協議(話合い)で離婚に至らず、民法770条第1項に定める離婚事由に該当するときに家庭裁判所に申立てることにより、調停が開催されます。
詳しくは、「Ⅳ-28.夫婦関係調整(調停)離婚(1)-(7)」、「Ⅳ-29.DV離婚を考えたとき、事前に確認しておくこと(1)-(10)」で詳しく説明しています。
*-28 DV立証のためにまとめる「現在に至る事実経過」は、加害者に“なにをされてきたのか”、加害者からの暴力によって“どのような状況におかれてきたのか”を自らのことばで示していく報告書(陳述書)で、「現在に至る事実経過」をまとめるプロセスそのものが、DV被害支援室poco a pocoの被害者支援の骨格としているものです。
詳しくは、「Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚」の「28-(5) DVの立証に欠かせない「事実経過をまとめた報告書(陳述書)」」で詳しく説明しています。
加害者に“なにをされてきたのか”、加害者からの暴力によって“どのような状況におかれてきたのか”を言語化するためのワークシートは、「Ⅲ-3.暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ) 添付資料:ワークシート」の「添付資料:DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート 」に載せています。また、ワークシートの書き込み例、そのワークシートからまとめた「現在に至る事実経過」“例”は、「Ⅳ-1.記載例。ワークシート、現在に至る事実経過、答弁書、反訴状」に載せています。
*-29 詳しくは、の「28-(3)離婚調停とは」、「同-(4)離婚調停の進行」で説明しています。


♯侵入(再体験) ♯過覚醒 ♯回避 ♯狭窄 ♯身体化 ♯PTSD ♯離婚調停(夫婦関係調整調停) ♯性暴力被害者支援センター ♯弁護士 ♯現在に至る事実経過 ♯準備書面 ♯陳述書 ♯答弁書 ♯調停前例主義 ♯損害賠償金(慰謝料) ♯2次被害


⑤援助者に欠かせない暴力の後遺症への理解
本来、対等である夫婦間(恋人間)の関係性に、上下の関係、支配と従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使する、つまり、DVというふるまいによって、被害者が受ける心身の大きなダメージは、身体的な暴行による加療を要する傷害(受傷)だけでなく、うつ症状やパニック症状を伴うPTSD(主症状は侵入(再体験)・過覚醒・回避・狭窄)、解離性障害、頭痛、背部痛などの慢性疼痛、食欲不振や体重減少、機能性消化器疾患、高血圧、免疫状態の低下、自殺傾向、不安障害、解離性障害、身体化障害を発症するなど、その後遺症は多岐に及びます。
加えて、多くの被害女性は、繰り返された暴力により自尊心が損なわれ、自己肯定感が奪われるなどの被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)の傾向に苦しみます。
つまり、親密な関係下でおこなわれるDVは、被害女性や子どものその後の人生に多くの悪影響を及ぼすことになるわけです。
  にもかかわらず、被害者本人はもちろんのこと、被害者の家族、友人、そして、アボドケーターであっても、配偶者や交際相手、親から暴力を受けた被害者の心のダメージは、「時間がすべてを癒してくれる」、「暴力のあるかかわりを断てば、すぐによい方向にむかう」などと楽観的に考えていることが少なくないのです。
実家に逃げ帰った娘(被害女性)に対して、「気持ちの持ちようで、なんとかなる」と精神論で頑張ることを強いたり、「子どもの前で泣くな!」と叱りつけ、「立ち直れないのは、お前が弱い(根性がない)からだ!」と否定したり、「いつまで、ここにいるつもりなんだ。早く、仕事を見つけてでて行ってくれ。」非難したりすることは決して珍しいことではないのです。
暴行(身体的な暴力)を受けて訪れた病院では、診察をした医師から「私の方から警察に通報しようか」とか、「保護してもらえるところに連絡しようか」と応じてもらえて、“これで、やっと助かる”ことを期待していたのが、「夫婦ケンカはほどほどにしないとね。」と応じられ、“誰も私を助けてくれない”“私は夫から逃げることはできないんだ”と絶望的な思いをさせられる被害者も少なくないのです。
また、記憶が途切れ途切れで、話している最中にパニック発作をおこすなど情緒が不安定な被害女性が、「夫と離婚したい」と訪れた弁護士事務所で、DV対応の書籍をだしている弁護士から「お話を伺っていると、調停に耐えられる精神状態ではないようです。治療を先にされたらどうですか? こちらではお引き受けできません。」と断られたり、「カウンセリングを受けて症状がひどくなったのですか?!」と嘲笑されたりすることさえあるのです。
こうした被害者の親や近しい人たち、医師、弁護士、時には行政の被害者支援の窓口での心ない言動は暴力行為に他ならず、その原因は、晩発性、記憶の断裂(侵入(再体験))、パニック発作(侵入(再体験)・過覚醒)というPTSDの特性などをまったく理解していない“無知”によるものです。
DVや性暴力の被害を受けた女性たちのアボドケーター(援助者)となる被害者支援機関(行政・民間)、医師、弁護士が、暴力行為がもたらす悪影響、つまり、慢性反復的なトラウマ(心的外傷)体験によってもたらされる多くの心的障害、特に、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」について正しく理解していなければ、被害者を一層追い詰めてしまうことになるのです。

♯侵入(再体験) ♯過覚醒 ♯回避 ♯狭窄 ♯身体化 ♯PTSD ♯うつ症状 ♯パニック症状 ♯不安障害 ♯解離性障害 ♯絶望的な思い


⑥特異な性質を持つDV離婚事件。DV立証に欠かせない用意周到な準備
離婚調停は、当事者間では合意することができなかった離婚について、調停委員を交えて合意をめざすものですから、当然、合意に至ることができずに不調になり、別途、提訴して裁判で争うことはあるわけです。
「婚姻破綻の原因は配偶者によるDVである」とする離婚調停が長期化する主な状況は、①DVの加害者とされる配偶者が、「暴力行為そのものを認めない」ことから(逆に、自分の方が被害者と主張するケースもある)、「離婚理由はない」として、離婚に応じようとしないこと、②①の理由により、身体的な傷害あるいは精神的苦痛に対する損害賠償金(慰謝料)の支払いに応じないこと、③①の理由により、子どもの親権を要求し続けること、そして、④親権は要求しないものの(暴力行為を認めざるを得ない状況におかれてあきらめるケースもある)、離婚後の面会交流で「家への宿泊やいっしょに旅行に行くこと」など過度に要求すること、⑤DV以外の離婚事件と同様に、正当な財産分与に応じようとしないこと(DVを原因とする離婚事件では、給与額や資産状況(預貯金など)を知らされていないことが多く、財産分与の対象となる財産が特定し難いという問題があります)、などです。
⑤以外の理由で、長期化させているのは、先に記しているとおり、DV行為を立証する裏づけを明確に示して、いい逃れできない状況を最初につくったうえで、次のプロセスに進む、つまり、離婚、財産分与、親権(監護権を含む)、養育費、面会交流などを交渉し、合意させるといった手順をとっていないからです。
②の暴行による身体的な傷害や繰り返された暴力による精神的な苦痛に対する損害賠償金(慰謝料)の支払いについては、示された暴力の事実を認め、離婚に応じる意志を示したケースで認められ、その事実を認めない(非があることを認めることになるので慰謝料の支払いには応じない)ケースでは、別途、提訴して裁判で争うか、離婚に合意させるために慰謝料の支払いを不問にする(あきらめる)ことを条件として交渉することになります。
そして、④の面会交流の実施については、平成24年4月に民法766条(子どもと離婚に関して)が改正され、離婚成立時にとり決められた面会交流の履行を拒み続けたケースに「1回の不履行につき、5万円を支払う」ように命じる判決がでている(平成25年3月28日最高裁判所判決*-30)ことから、離婚調停などで、「父親を怖れている子どもとの面会は、子の利益(福祉)の観点から好ましくないので、実施はしない」という考え方は認められ難くなり、「夫婦間にどのような経緯・懸案事項があろうとも、父親と子どもとの面会は子の利益(福祉)の観点から必要不可欠であり、エフピックなどの第三者機関を介することで、面会は可能である」と判断されています。
民法766条改正前の平成19年8月22日の東京高等裁判所の判決では、「子の監護に関する処分(面会交渉)審判に対する抗告事件」として、“子の福祉の面から恐れが高いとして面接交渉の申立を却下”しています。
この審判は、「父(相手方)から母(抗告人)に対して、面接交渉を求めた事案の抗告審において、母には、父が未成年者らを連れ去るのではないかと強い不信感があり、面接交渉に関する行動につき信頼が回復されているといいがたく、未成年者らも将来はともかく、現在は相手方との面接を希望しない意思を明確に述べているような状況においては、未成年者らと相手方との面接交渉を実施しようとするときには、未成年者らに相手方に対する不信感に伴う強いストレスを生じさせることになるばかりか、父母との間の複雑な忠誠葛藤の場面にさらすことになる結果、未成年者らの心情の安定を大きく害するなど、その福祉を害する恐れが高く、未成年者らと相手方の面接交渉を認めることは相当ではないとして、面接交渉を認めた原審判を取り消し、面接交渉の申立を却下した」もので、同等の解釈として、東京地裁(平14.5.21審判)、横浜家裁(平14.1.16審判)、東京家裁(平13.6.5審判)、長野葛西上田支部(平11.11.11審判)など多数あります。
しかし、平成24年4月の民法766条の改正に伴う平成25年3月28日の最高裁判所判決により、「第三者機関を介することで、面会交流を実施することは可能である」と舵を切っただけでなく、「遵守しなければ、罰則金の支払わせる」と履行させることに強い意志を示しています。
したがって、「面会交流」にかかわる調停や裁判の情報を参考にするときには、その民事事件が「平成24年4月」の民法766条の“改正前”なのか、“改正後”を確認することが重要です。
その理解のうえで、第一に、改正以前の上記の判決の考えにもとづいた主張(面会交流には応じられない)をし、それが認められなければ、第二に、面会交流の実施は、エフピックなどの第三者機関を介しておこなうこと、その第三者機関に支払う費用は、面会交流を切望する夫が支払うこと、そして、宿泊や旅行に行くことなどは認めないなどの条件を「面会交流の実施にあたっての確認事項(覚書)」としてまとめ、その覚書をもとに詳細に話し合い、合意をめざすなど、2段階で対応することが重要です。
いずれにしても、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停において、夫婦間に、民法770条第1項5号の離婚事由が存在している事実を示すために、配偶者による暴力行為の事実を立証する必要があります。
なぜなら、上記①②③に対応するために、加えて、上記④の「面会交流の実施にあたっての確認事項(覚書)」を作成し、認められない条件について有利に交渉を進めていくうえでも必要だからです。
上記⑤については、財産分与の対象となる銀行口座などを示す必要があります。
そこで、「婚姻破綻の原因は配偶者によるDVである」として臨む離婚事件において、早期に解決するには、最初に、反論(いい逃れ)の余地がないように周到に準備した、①DVを立証するためにまとめた現在に至る事実経過、②暴力の状況が録音された音源、③メールやLINEに残された文面、④暴行痕を撮影した写真、⑤「・・の行為により、加療を必要とする傷害を負った」と明記された診断書などの“証拠を提出する”ことが必要なのです。加害者側(特に加害者側の弁護士)に、「最初に、調停を不調にして裁判で争っても勝ち目がない」と認識させる(突きつける)ことは、交渉を有利にするうえでも重要なのです。
「夫からの暴行により、加療を要する傷害を負った」と所轄の警察署に被害届をだして刑事事件とするか、「婚姻破綻の原因は夫からのDVにある」として離婚調停に臨むかは別として、いずれにしても、加害者である夫がDVを認めなかったり、逆に「私の方が被害者である」と主張したり、「妻は育児に悩むなど産後うつを発症し、感情をコントロールできず、子どもに暴力的になることがある。子どもの親権を与えるわけにはいかない。」と偽りの病状(精神的な疾患)をつくってきたりする可能性のあるDV事件では、どのような状況になっても、直ぐに対応できることが重要になるのです。
そのためには、周到な準備が欠かせないのです。
*-30 平成25年3月28日最高裁判所判決の詳細、ならびに、「面会交流のあり方」については、の「Ⅳ.「婚姻破綻の原因はDVにある」ときの離婚」の中の「32.悩ましい面会交流。いま司法はどのように捉えているか」で説明しています。

♯離婚調停 ♯離婚に応じない ♯精神的苦痛 ♯損害賠償金 ♯慰謝料 ♯親権 ♯面会交流 ♯養育費 ♯財産分与 ♯民法766条の改正 ♯エフピック ♯第三者機関の仲介 ♯証拠 ♯診断書



2016.3/3 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2016.9/9 「暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(目次)」を、「暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き」と「目次」に分割し、掲載
2017.3/21 「手引き」の「はじめに」を「改訂3版」としての編集により、「暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き」、「目次」、「はじめに(DV理解1.2.3.4.5)」、「プロローグ(1-4)」として掲載
* 「第1章」以降、つまり、カテゴリー「Ⅲ-2」-「Ⅲ-9」の「改訂2版」については、改訂作業を終えた「章」から差し替えていきます。




もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅲ-1]暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き
FC2 Blog Ranking
   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【1.人の脳の機能は、生まれ育った環境に合うようにつくられる】へ
  • 【-目 次-】へ