あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅰ-N] お知らせ(はじめに、ブログ構成と意図、他)

<特設>東北地方太平洋沖地震..哀しみと復興、あなたとともに。2011.3/27

 
 <AFP>中国とインドに集中する「失われた女性」たち、その背景にあるもの DV被害支援室poco a poco庄司薫、活動の歩み (平成27年7月27日更新)
 2011年3月11日14:46、宮城県三陸沖を震源とした「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。その後、二波、三波と繰り返しおしよせた15~20mを超える大津波は、町ごとのみ込み、数万人の尊い命を一瞬で奪っていきました。
 被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
 被災地で復興に向けて立ちあがり必死に頑張っている方々、被災地を離れ、新たな土地で、新たな人生にむけてチャレンジする方々、“見えてこない”将来への不安感に押し潰されそうになっている方々、家族の誰かを亡くし、家・家財すべてをなくし心が折れかかっている方々、大津波に家族の誰かを海の中にもっていかれ、安否不明のまま、お別れもできず、喪に服すこともできないまま、どうしようもないやるせない身の内を誰にも話せず、頑張ろうと無理している方々、一刻も早く皆様方に心の手あてが行き届くことを願っています。そして、心の痛みや苦しみがなかなか消えないことに焦らず、一歩一歩、心の回復をはかっていただけることを切に祈っています。
 また、身内の方々、周りの方々には、「いつまで、~をひきずっているの! しっかりしなさい」といった心ない激励の“ことば”を投げかけないようにしてあげて欲しいと思います(2次被害として心を傷つけることになります)。傷ついた心の回復には1年、3年、5年と時間を必要とするかも知れませんが、“大丈夫”です! 人には必ず回復する力が備わっていると信じ、見守って、支えてあげて欲しいと切に願っています。
 阪神淡路大震災から1年経った15年前の春、目の前で親を、兄弟を、そして友だちを亡くした子どもたちの心のケアに神戸に入りました。そのとき、子どもたちは哀しい、辛い体験を乗り越え、元気に、前向きに、未来に向かって笑い声をあげ、確実に歩んでいました。
 私たちの目の前にいたのは、夫は会社の再建、街、地域の再建という名目のもと「家のことはお前に任せたからな!」と、苦しい思い、やるせない心内を誰にも話せずに、頑張り続けていた母さんたちでした。お母さんは、ひとり家を預かり、子どもの一人を亡くしても泣きじゃくったりしてはいけなかったのです。たとえ、夫を亡くし、親を亡くし、子どもを亡くしていても、哀しみに、苦しみにひとり耐え、亡くなった子どもの兄弟姉妹が生き延びてくれているのだから、強くあることを求められ続けていました。それは、どんなに辛い日々だったでしょうか。想像に絶します。
 子どもたちの心のケアが、継続的に行われることは必要不可欠なことはいうまでもないことですが、その子どもたちの心のケアを進めるためには、親の心のケア、特に母親の心のケアは欠かせないことなのです。ところが、母親の心のケアはないがしろにされてしまいがちです。その結果、子どもに影響が及んでしまうことが少なくありません。
 お願いです。ひとりで抱えないで、どんなに哀しいか、苦しいか、やるせないかを話してください、それだけを願っています。

 3/13以降の2週間、ブログトップに載せていました
・「<東日本大震災> 命と守る、傷ついた心をケアする知識と技術、被災地の“誰か”に届くことを願って..」は、カテゴリ『緊急情報<東北地方関東沖地震>命を守る、心を灯火を絶やさない知識と技術』に、
・「<東日本大震災>大変なことがおこってしまいました! 地震後の苦悩、サポート活動の再開と“計画停電”について..。」は、カテゴリ『poco a poco薫のコラム』にそれぞれ移しました。

 本日より10日間、当記事をトップに、以降は、通常の『あなたは、夫からの暴力、DVを許容していませんか? 暴力のある環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?』のブログ掲載にさせていただきます。

ps.いままさに夫からの暴力に苦しんでいるDV被害者、DV環境で暮らし大人になった今でもACを抱え苦しんでいる被害者の方々の向けた情報発信のブログに、「なぜ震災、被災者向けの情報を?」とお思いになるかも知れません。
 しかし、以降の記述になりますが、子どもが父親が母親に暴力をふるっているのを目撃するストレスは、“戦地から帰還した兵士と変わらない”とされ、その後何年も、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、ときに、戦地に長くいるほど慢性反復的トラウマによるC-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)による思考の歪みに悩まされ続けます。夫からの暴力、親からの暴力は、“慢性反復的なトラウマを重ねていく”ものですから、地震・火災・事故といった単回性のトラウマ(PTSD)よりも複雑な症状を伴います。
 よほどの専門誌でない限り、PTSDとC-PTSDを分けて説明することは少ないのが現状です。といっても、C-PTSDの症状は、まずPTSDの症状を包含するものですから、震災にとるトラウマの症状、PTSDがどれほど被災者を苦しめていくものなのかを知ることは、あなたにおこっていることを知ることに通じ、暴力で傷ついた心のケアになにが必要なのかを自覚することにつながるのです。こうしたことを、ぜひ知っていただきたいと思います。

2011.3/27
DV被害支援室poco a poco 庄司薫



当記事を1週間ほど、ブログトップ(-2)におきます!

<東日本大震災>大変なことがおこってしまいました! 地震後の苦悩、サポート活動の再開と“計画停電”について..。
 2011.3/11の14:46からの数時間で、私の地元も含む東北の太平洋沿岸に大変なことがおこってしまいました。マグニチュード9.0の巨大地震(東北地方太平洋沖地震)は、太平洋沿岸の各地で15mを越す大津波となって、あっという間に都市を丸ごと、数万人の命をのみ込んでいってしまいました。
 地震後、携帯電話がつながらず、メールも届いているのかさえわからないまま時間が過ぎました。そして、時間の経過とともに、その凄惨な場面が映像として映しだされるようになりました。その光景は、沿岸部にある高校時代の合宿先、経営コンサルト時代に行っていた宿泊研修先が丸ごと飲み込まれてしまったであろうことを想定させるに十分なものでした。そして、親族・縁戚や同級生たち、東京以外のもう一つの拠点として、かつて、経営コンサルタントの指導先との立場を超え、一緒に汗を流し仕事をなし遂げた多くの仲間たちを大海の中にのみ込んでいったかも知れない現実を目の当たりにさせるものでした。
 それ以降、私の大脳は、彼らの安否を念じたり、哀しみにくれる感覚は麻痺し(感覚をなくし)、思考をブロックしていました。余震でグラグラゆれる中、すぅ~と睡魔に襲われ、眠り、2~3時間後、意識が覚醒し、目を覚ます。また、テレビに映しだされる凄惨な状況を映しだす画像を数時間眺め、またすぅ~と2~3時間眠りにつく・・。そんなことをこの2日間、繰り返していました。
 日曜、スーパー開店にあわせ、「直接被災地に宅配で送れますか?」と電話をかけるも、「宅配便は止まっている状態です」と至極あたり前の返答・・。そんな至極あたり前のことさえ考えられないほど混乱していました。
 午後、意を決して起き上がり、向かった(都内の)スーパーにはミネラルウォーターをはじめとして、食品棚からすっかり商品は消えていました。仕入れができず、物流が滞ってしまっているのでしょう。物資は、被災地に最優先されなければなりません。
 この大地震によって、日本列島は8フィート(約2.4m)動いたようです(その後、宮城県牡鹿半島では、5m動いたことがわかりました(3/22加筆))。大津波後もいまだに海水がひかず、被災地に入り込めず救援作業が進んでいないのも、三陸から仙台平野にかけて70cm地盤沈下がおきているからということです。今後、満潮時には海水に浸る地区はどのぐらいになるのでしょうか? 想像に難くないほどでしょう・・。

 関東近県では、明日14日6時から“輪番停電(計画停電)”が実施されます。
 医療機関の現場のみならず、自宅静養されている方は医療機器の充電状況に最新の注意を払っていないと最悪の事態を招いてしまいかねないと思います。都内と接続する鉄道は区間限定での運行になるということだし、マンション等の給水ポンプが止まり断水にみまわれたり、職場のビルやマンションのエレベータが突然止まって閉じ込められてしまうかも知れません。工場の生産力は壊滅的な影響を受けるだろし、冷凍倉庫に保管の精肉や冷凍食品も壊滅的な打撃を受けてしまうと思われます。ペットショップや家庭で飼っている熱帯魚が死んでしまうかも知れません。国内企業は、資金を円に替え円高に向かい、株価は急激に下落するでしょう。国債が安定しているので、経済危機にはならないとは思いますが、経済的な損失は、はかり知れない・・、まさに大惨事です。
 大津波で、三陸海岸から相馬までの海岸線では、都市ごとなくなってしまいました。以南の房総半島にいたる都市では、沿岸部で大きな被害を受けてしまいました。中には、都市そのものの復興じゃなく、先祖代々の土地との決別を求められ、断腸の思いで新天地を求めるとかの復興、いや都市政策が必要になるかも知れません。かつての海岸線は、もはや地盤沈下で海になってしまったのです。多くの被災地、被災者の方々には、戦後復興と同じ意識、いや江戸から明治との大変革期同等の政策転換の決断を求められる、そう私は考えます。その方々の思いはいかほどのものか、やるせないです。

 いま述べることは不謹慎かも知れませんが、阪神淡路の震災おいても、傷ついた人たちのやるせない思い、苛立ちが家族への暴力へと向かいました。また、幼児時に傷ついた心を放置してしまったことで、数年後少年・青年となって凄惨な事件を引き起こしてしまっています。
 ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン紛争からの帰還兵によるDV、レイプ被害が増え、自然災害後には、略奪、暴力、レイプが増えるといった事実があります。
 戦後、戦地から帰還した人たちの心は、傷つき、荒んでいたと思います。一部の人たちは、そのどうしようもないやるせない思い、焦燥感、どこに向けたらいいのかわからない心の叫びは、貧困と相まって、やがて怒りとなり、社会への暴力、レイプ、家族への暴力へと向かっていったのです。また、自然災害であっても震災のストレスは、空襲で焼け野原になったのと同様に、すべてをなくしてしまった人たちの将来への絶望感、焦燥感は、やがて、人への思いやりの心をなくし、人を暴力に向かわせてしまうことが少なくないのです。
 「何をいっているの?! 皆そうだから、我慢しなくてはいけない」と受け流さないで欲しいのです。それが、家族への暴力となり、その中で育った子どもたちへと絶望と哀しみ、怒りの魂が受け継がれていってしまわないように、なんとか震災で傷ついた多くの人たちの心のケアにも目をむけた政策を立案していって欲しいと切に願います。
 阪神淡路の震災を経験した人の多くが、「明日がこない夕暮れはない。朝は必ずくる」と口にし、復興をやり遂げました。一方で、無理に頑張り過ぎてしまった弊害がでているのもまた事実です。焦らず、できることから一つひとつやっていくしかありません。そして、苦しい、哀しい、やるせない思いを、“誰か”に話して、泣いて、“誰か”に寄り添ってもらい、話して、泣いて欲しいと思います。

震災から3度目の朝を向かえる深夜..
微かに響く、時に近くで轟くサイレンの音がずっと途切れない・・
でも、静かに、私たちはひとりひとりできることを、やり遂げる。
2011.3/13-14




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