あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患

「社会的養護体系における母子生活支援施設の現代的役割とケアのあり方に関する調査研究報告書」(平成21年3月・財団法人こども未来財団助成研究)より抜粋

 
 <オルタナ>被災した子供をサポート <女性セブン>熊本3才女児遺棄の大学生 事件30分後に友人とネトゲ
事例を通じて社会的養護における母子生活支援施設の機能を考える
社会福祉法人 全国社会福祉協議会・全国母子生活支援施設協議会

はじめに
 母子生活支援施設は長い間、母と子の権利擁護と生活の拠点として、子どもとその家族に深くかかわってきた。今回の調査では、書面で行った母子生活支援施設利用世帯調査(施設調査)と母子生活支援施設を利用されている方への調査(利用者調査)で明らかになった数字が表す、子どもとその家族の「今」と向き合いながら、それに対して、実際に現場で実施されている支援の内容や方法、支援の過程のなかでみえてきたものを実地に調査するためにヒアリング調査を実施した。
 今回のヒアリング調査は、施設調査で「この世帯に対して、貴施設として特別な配慮、支援を実施していることがあれば具体的な内容を記入してください」との項目に回答をいただいた施設から、とくに「被虐待児への支援」「DVを目撃した子どもへの支援」「再統合への支援」「貧困の世代的再生産をくいとめるための支援」「親子関係調整への支援」などで特別な配慮、支援を実施している施設を選定し、直接委員が出向くというかたちをとり、現場の声とその空気にふれながら実施したものである。
 以下はヒアリング調査の結果を「子どもへの支援」「母親への支援」「親子再統合への支援」「特別なニーズをもつ世帯に対する支援」としてまとめたものである。社会的養護体系における母子生活支援施設の果たす役割とは何か、また、どのような役割を担うべきものなのか、子どもとその家族に直接かかわってきた児童福祉施設である母子生活支援施設の社会福祉実践を現場の事例から記してみた。

1.母子生活支援施設における子どもへの支援
 児童福祉法は、「すべての国民は、児童が心身ともに健やかに生れ、且つ、育成されるように努めなければならない」「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」と規定している。母子生活支援施設は児童福祉施設である。生活や権利が保障されていない子どもとその家族にどのように向き合ってきたのかを、背景にある子どもの貧困にも着目しながら、いくつかの施設のとりくみを述べてみたい。
(1)子どもの暮らしの中にある学びの空間
①同じ場所にいることの意味
 毎週土曜日、ある母子生活支援施設の玄関は、「無料の学習塾K」に通う中学生や高校生、そして学習指導のボランティアたちの、下駄箱に入りきれない靴で溢れている。その奥では、学習ボランティアに、学校での失敗を楽しそうに話す子どもや家庭や学校での辛いできごとに耳を傾けているおとなたちがいる。数か月前には「大人なんて信用できない」と語っていた子どもが「お前(先生)のおかげだよ」と口にするようになり、いつもひとりで帰っていた子どもも、打ち合せが長引いている担当者をずっと待ち続け一緒に帰っていく、そんな光景が授業前と後に繰り広げられている。
 母子生活支援施設の利用者の就労収入は42.1%が150 万円未満となっており、そのなかから塾代などの補習にかかわる費用を捻出することは非常に困難となっている。中卒での就労は高卒や大卒での就労と比較して、就労機会の少なさや就労環境の低位性から、より困難な生活状態へと結びついている。学歴が人間関係までに深い影響を落とし、その幅まで左右してしまうといわれるなか、「大学や高校進学を希望するすべての子どもたちに平等にチャンスを」とはじめた「無料の学習塾K」では、下駄箱から溢れ出す靴の数が示すように、現在では中学生16 名、高校生5 名の子どもたちと、主に大学生からなる学習指導のボランティア約20 名が同じ場所で同じ目標を持って同じ苦労をするという時間を過ごしている。モバイル社会と言われ、同じ場所にいなくてもコミュニケーションが可能となるなか、「無料の学習塾K」では「同じ場所にいることの意味」にこだわり、同じ場所にいることでしか刻むことができない「共通の思い出」を積み重ねることを目的としている。
②ほっとかないひとびと
 数年前から「無料の学習塾K」には経済的な理由により、地域の補習機会の少ない受験生も参加するようになっていった。しばらくして、ひとりの職員が「地域のなかでほっとかれている子どもたちの多さに愕然とした」と口にしたことにより、それは、職員全員の想いにもなり、地域のなかでほっとかれている子どもたちを「ほっとかない」ことも、児童福祉施設である母子生活支援施設の重要な役割の一つだと考えるようになっていく。
 入塾当初は、おせっかいなおとなたちに戸惑いを感じていた子どもたちも、やがて、それまでは誰も寄せ付けなかった内面を発信してくるようになっていき、虐待、不登校、いじめなど、そうした内面(信号や言葉)にふれることで、学習ボランティアもまた一方通行的な支援の限界を感じ、子どもたちとの関係のなかで、その解決方法を模索していくようになっていったのである。
 「無料の学習塾K」とほかの民間の塾との決定的な違いは、子どもとボランティアが学習という同じ苦労することをとおして、「心配される」ことや「期待される」ことを体感し「人って優しい」と実感してもらうことを大切にしているところである。
③将来のイメージモデルとのかかわり
 高校への合格を報告にきた子どもたちに「次は大学だね」と声をかけると「僕の周りの人たちは高校にだって行かなくていいって言ったんだぜ、大学かぁ~この塾に出会っていなかったら、大学生になろうなんて思ってもいなかった」との答えが戻ってくる。まわりに大学生という存在がなかった子どもたちは、大学進学のイメージさえもっていない場合も多く、ともに悩んでくれる大学生による学習ボランティアは、子どもたちの将来のイメージモデルになることにも貢献している。
④どこにもつながっていないことへの不安
 「無料の学習塾K」のなかには、不登校やひきこもりの子どもたちもおり、長くひきこもり状態の子どもたちは、「どこにも繋がっていない不安」と「繋がることへの不安」をこころのなかに同居させている。「無料の学習塾K」では、ひきこもっている部屋か学校(社会)のどちらかではなく、その間に存在する場所で「ちいさな成功体験」や「こころが揺れ動く体験」を積み重ね、「繋がることへの不安」の軽減をはかっている。
 居室には、人との出会いからくる悲しい出来事もうれしいできごとも不在である。学校と居室との間にある「無料の学習塾K」や母子生活支援施設は、人との出会いからくるさまざまなできごとを体験しながら、人間関係の練習や人に自慢できる体験を積み重ねていける居場所のひとつとしてその役割を担っている。

(2)子どもの自己肯定感の回復への支援
①被虐待児への支援
 虐待は被害を受けた子どもたちから「安心」「誇り」「大切にされる体験」を奪っていく。母子生活支援施設の役割は、「安心感」ある場所で、「大切にされる体験」を提供し、子どもたちに「誇り」をとり戻してもらうことだといえる。
(安心感の確立)
 安心感の確立は支援の前提である。安心感の確立は、虐待環境から物理的に逃げてきただけでは十分ではなく、「安心な場所」+「安全な人(支援者)」が重要な要素となっている。それまでは、失敗が許されなかった(失敗すると暴力がまっていた)子どもたちに、安全な人(支援者)との関係のなかで、ここは「失敗する自由がある場所」であることを伝えていくことが安心感の形成に繋がっていくのである。
(虐待被害からくる暴力の影響を消し去ることへの支援)
 虐待被害からくる暴力の影響は、ささいなことで怒りを暴力で表現することや、問題を解決するにあたって暴力を選択してしまうなどさまざまである。そうした子どもに対して、安全なおとなモデルを提供し、時間をかけて暴力以外の方法を選択する練習を生活の場で積み重ねていくことも、重要な役割のひとつと言えるだろう。
(大切にされる存在であることを実感する機会の提供)
 虐待の影響を受けた子どもたちは、「大切にされる」いう体験も少なく、逆に「大切にされない存在」である自分を体感しながら子ども期を過ごしている。子ども期にふさわしい「大切にされる、信頼される、心配される、期待される、待たれる」という体験の機会は、生活の場である母子生活支援施設のなか(子どもたちと支援者の関係性のなか)に散りばめられている。
(虐待の世代間連鎖を防ぐための支援)
 母子生活支援施設で現在虐待がみられる母親の約60.4%は、子ども期に自分自身も虐待を体験しており、虐待環境のなかで、母親が子ども期に体験できなかったものや失ってきたものをとり戻すことが世代間連鎖を防ぐために重要であり、母子がともに生活する母子生活支援施設だからこそ、そのような支援が可能となっているのである。子どもの福祉の実現とともに、母親の子ども期にも思いを馳せながら、子ども期に失ってきた福祉を実現する施設として、母子生活支援施設はまさに二重の意味での児童福祉施設といえる。
(母子分離の見極めと再統合支援)
 別居中の子ども1,281 人の生活場所のうち児童養護施設で暮らしている子どもが201人であり、また、母子分離を実施した世帯は58 世帯(平成19 年1 月~12 月の間)であった。生活の場である母子生活支援施設は、社会福祉士や保育士といった専門性の高い職員がおり、訪問だけでは見ることができない母子の生活実態にふれることが可能である。慎重さが求められる母子分離に関しても、専門性の高い職員により、その判断に必要な材料(母子関係の実態)を児童相談所などの関係機関に提供することも可能となっている。
 また、地域での見守りと比較しても、一瞬の判断が求められる危機場面での介入はしやすく、危機場面に施設内母子分離で対応している施設もあった。危機介入はその一瞬の判断が大切であり、その判断を正確に実施するためにも、日頃の生活の場で築きあげていく濃厚な人間関係が大切となっている。乳児院や児童養護施設からの子どもの引き取りの際、その受け皿としても、危機介入と見守りが可能という二つの点で母子生活支援施設の果たす役割は大きいといえる。
②DV被害者(DVの目撃)への支援
 DVの目撃は子どもたちから「安心」「自己肯定感」「おとなへの信頼感」を奪っているのである。DVの目撃という心理的虐待は、大切な人を守れなかったことで自分自身に対する評価を低く設定し、自己肯定感を高めることを困難にしている。
(安心感の確立)
 DV加害者から物理的に逃げてきたことだけで、ここは失敗が許される場所(安心安全な場所)であると実感できる訳ではなく、その場所にいるおとながどんな人物なのかがわからない限り、そこは安全な場所には成り得ないのである。怒りという感情は、受けとってくれる側が安心・安全だと確認できた場合でしか発信することはできない。安心安全なおとなモデルを示すということは、子どもたちの怒りという感情を受信しても、それに対して悪意や暴力をもって返信することは決してないことを示すことである。子どもたちに悪意のないおとなの存在や、「失敗は許される」ことを実感してもらうための確認作業の時間の設定が安心感の確立には不可欠である。
(おとなへの信頼感の確立)
 DVの目撃により歪んだおとなモデルを学習している子どもたちは、安心できる場所であるという確認作業の後、初めて失敗を繰り返すことができる。その失敗を大切に扱い、温かい帰属感の漂う小集団のなかで、喧嘩を喧嘩で終わらせることなく、喧嘩して仲直りまでする体験を繰り返し、問題解決の手段として決して暴力を用いないことで、周りの評価があがるという体験を積み重ねることが大切である。
 支援の途中で、父親みたいに子どもを殴るおとなになってしまうことへの不安感を口にする子どもがいるが、子育てにもまたモデルは必要であり、男性のおとなモデルとして自分や母を暴力という手段で支配してきた父親しか知らなかった場合、自分も父親のようになってしまうという不安感を持つことは当然といえる。悪意のない安全なおとなモデルを示しながら、そうした子どもの不安感を払拭し、おとなへの信頼感の回復をはかることが重要である。
(自己肯定感の回復への支援)
 DVを目撃した子どもの苦しみや自己否定感の深さは、はかりしれないものがある。母子生活支援施設は、そうした子どもたちのこころに想いを馳せ、苦しみや自己否定感の高さやおとなへの不信感を日常の積み重ねのなかで修復していく場所と言える。「生まれてこなければよかった」を「生まれてきてよかった」に、「こんな所にきたくなかった」を「ここにきてよかった」へ、「どうでもいい私」を「大切な私」に時間をかけて変えていくこと
が重要な使命となっている。

(3)ヒアリング調査結果
①事例「DV被害者とDV目撃児への支援」
ア)利用者の状況
夫のDVからの避難
(母A:30代後半、子B:小学3 年生)
イ)入所までの経過
 Aさんは、大学で知り合ったCさんと結婚後、Bくんを出産、3人家族の生活をおくるが、結婚当初からAさんに対する暴力がみられ、その後暴力はBくんにも及んでいった。Cさんの暴力は度々近隣の住民に目撃されてはいたが、警察や関係機関に通報されることはなく、Bくんの暴力被害を学校や関係機関が把握することはなかった。Aさんは夫の暴力が子に及ぼす影響と両親や友人に迷惑をかけられないという思いから、福祉事務所に相談に行き、母子生活支援施設の緊急一時保護室に入所となる。
ウ)当面の支援の目標
・安心感の形成
・信頼感の醸成
・おとなモデルの提供
○経過
・施設では、事務所を家庭でいう居間と位置づけていることもあり、DV被害の期間が長く、孤立感、孤独感を感じているAさんを事務所にまねき孤独感の軽減をはかっていった。そこは、利用者同士が交流できる「場所」と「時間」となっており、Cさんに人間関係を制限させられていたAさんは「おとなとの会話が新鮮」と口にするまでになっていった。
・Bくんには、施設が失敗する自由がある安心安全な場所であることを実感してもらうために、男性職員との一対一の時間を設定していった。
エ)1 年後の支援の目標
・感情を伝える手段として暴力を選択しない生活場面での練習
・こころのケア
・居場所感覚の醸成
・歪んだおとなモデルの修正
○経過
・職員に対して噛むなどの暴力が毎日のようにみられたため、感情を暴力以外の表現で伝える練習を生活場面で積み重ねていった結果、施設内での暴力は減少していった
・また、大学の心理教室へ依頼して、定期的なカンセリングを実施した。
オ)2年後の支援の目標
・困った時に頼れる存在の構築
・DVの影響からのピリオドの実感
・おとなへの信頼感の回復
・施設内メンタルフレンドの派遣
○経過
・Aさんは退所後も続けたいと思えるような人間関係を職員や他の利用者と構築することができ、「DVの影響からピリオドを打てると思えるようになった」と話しており、自分のための時間を有意義に使えるようになった。
・「お父さんのように暴力で問題を解決するおとなになることへの不安」をBくんは口にするようになり、歪んだおとなイメージの修正を図りながら、暴力を選択するおとなにならないための支援を強化していった。
・退所直前になり、「施設に来なかったら、僕もお父さんのように暴力を振るうおとなになっていた」とBくんは口にするようになっていた。
カ)まとめ
濃密な人間関係のなかで加害者によって選択されたDVや虐待、その影響を受けた子どもたちの心身の傷は、濃密な人間関係のなかでしか癒すことはできない。子どもとその家族にとって生活の場である母子生活支援施設は、希薄ではない人間関係が形成されやすい場所であり、安心安全な「場所」と「時間」と「専門性の高い職員」を提供し、DVや虐待の影響を受けた子どもたちが自分らしさをとり戻すための過程を支援することの重要性を本事例は示している。


2.母子生活支援施設における母親支援
 母子生活支援施設での母親への支援は、安心と安全な生活の場の提供から始まる。その後離婚へ向けての法的支援、経済的な安定をはかるための社会的な制度の利用、就労支援、子育て支援、学校・保育所・病院・警察署、法テラスなどの関係機関と連携しながら個々のニーズに対応したさまざまな支援を提供している。
 子どもが育つためには育てている母親も守られなければならない。ここでは母子生活支援施設が母のための施設でもあるという、いわゆる二重の児童福祉施設であるという側面について、生活の場での支援に焦点をあて、まとめてみた。
(1)生活の場での子育て支援
 「赤ちゃんって、こうやって抱っこするんだ。抱っこしていると気持ちよさそうに寝てしまった」とは出産後退院して間もない若い母親の言葉である。「赤ちゃんはぐにょぐにょしていて抱っこしにくかったので、今までは母乳を飲ませた後は寝かせっきりにしていた。」とは同じ母親が母子生活支援施設入所までの子育てを振り返ったときの言葉である。またある母親は赤ちゃんが飲み残したミルクを「もったいない。」とそのまま残し、次の授乳時間にその冷たくなったミルクを飲ませていた。
 生後1歳までに肺炎のため2 回入院した乳児。母は共同風呂での入浴が苦手であったため、赤ちゃんを台所で入浴させていたようであり、体が温まる間もなく湯ざめをしたために、体力のない乳児は風邪をこじらせて肺炎に罹ってしまったのではないかとの小児科医の見解であった。
 母子生活支援施設利用者調査によると第1子の出産年齢が「10代だった」利用者は11.0%であり、子育ての知識も経験もないまま母にならざるをえなかった事情が浮かびあがる。また同じ調査では、福祉事務所から申し送りされた課題の中で、「母親の養育技術」は15.3%であるが、入所後にそれを支援の課題として受けとめている母子生活支援施設は40.5%と25.2 ポイントの開きがある。この開きをどうとらえ、子育ての主体者である母を支える支援をどのように展開していくかが問われている。
①共に子育てをするということ
 入所後の生活では、毎日同じような生活時間が保障されることが大切である。起床時間、朝食の時間、入浴の時間、夕食の時間、就寝時間などあたり前の家庭生活のなかで、子どもたちは保育所(園内保育)や学校へ登園、登校する。その毎日の生活が、誰からも制約を受けることなく、誰の機嫌をとることもなく、ありのままの母と子どもで居られる空間こそが母子生活支援施設である。
 本来子育ての仕方には、それぞれのやり方があり、子どもの年齢に応じた子育てが保障されているものである。しかし、子育てのやり方を教わることができなかった母、今まで何らかの事情により子どもとしての生活を守られてこなかった母にとっては、どれが正しい子育ての方法で、どこまでが許容範囲であるのかさえよくわからず不安である。子育てに正しい方法などはないが、子どもの年齢に応じた育ちが保障される関わりが必要であり、それを母とともに実践できる場所が母子生活支援施設である。
 生活の場での子育て支援は、利用者の今までの人生や文化を尊重し、生活や子育てを丸ごと受けとめることからでなければ始まらない。母子生活支援施設は生活の場で具体的なかかわりができることが特徴であり、それが強みでもある。母子生活支援施設での子育て支援のあり方こそが、今後の子育て支援の指針になるであろう。
②母の学びを保障する
 経済的な自立支援のなかでは、どのような就労支援を展開していくかが大きな課題である。しかし就労するにあたり、母子家庭の母である利用者は女性であること、学歴、子どもがいることなどから就労先が狭められている現実がある。
 母子生活支援施設の利用者の就労収入は母子家庭の中でもさらに低く、200万円未満が78.1%、平均収入は120.5 万円である。学歴は中学卒は28.3%であり、高校卒までの利用者が75.9%である。さらに中学卒では、就労収入150 万円未満が72.9%にのぼる。まさに貧困世帯であり、利用者はそのなかで懸命に子育てをしている。
 利用者の「資格を取りたい」「高校を卒業したい」などの「学び」への希望を支援することは、生い立ちや学歴からの「あきらめ」から「夢」や「生きる希望」への転換の第一歩でもあり、自己肯定感の回復とともに経済的な自立へとつながっていく。
③母の自己肯定感の回復への支援
 入所後はじめて迎える母の誕生日。子どもたちは担当の母子指導員と一緒に作った手作りのバースデーケーキを母へ差し出し、「♪ ハッピーバースディー・トゥ・ユウ ♪」と歌うと、母は「生まれて初めて自分の誕生日を祝ってもらった。」と涙ぐむ。
 この施設では、母の誕生日を担当の母子指導員と子どもたちと相談しながらお祝いすることにしている。自分の誕生日を祝福してもらえるということは、自分を大切に思ってくれる人がいるということであり、自己肯定感の回復の一助となっている。
 平成20年度全国母子生活支援施設実態調査の中では、利用者の入所理由のなかでもDV被害者は民設民営施設では48.3%と半数近くであり、母子生活支援施設利用者調査のなかでは母が成人するまでの経験として「親との生別」が22.2%、「被虐待経験や暴力の目撃」12.0%、「親との死別」11.2%などがあげられている。DVは人間としての尊厳を根こそぎ奪い取る。母は夫の暴力から逃げることができない無力感、子どもたちに暴力を受けている自分をさらけ出していることの屈辱感、子どもを守ることができない罪悪感等、徐々に自信をなくし自己評価も低くなる。入所後暴力から逃れてきたことにほっとしながらも、そこからが自分自身をとり戻す長い旅の始まりでもある。暴力被害者の自己肯定感の回復には、心理的な支援とともに、職員が理解してくれる大人として生活の場で寄り添うことが不可欠である。自己評価の低さを等身大の自分へととり戻す日々の営みが、回復への道のりである。
 「今まで誰にも頼ることができなかった。誰も信じることができなかった。」と話す母親。母子生活支援施設はおとなである母親を丸ごと受けとめ、おとなになっても人とつながることの心地よさを体験できる施設でもある。入所後のさまざまな支援の中で「人に甘えてもいいんだ。頼ってもいいんだ。」と職員との深い人間関係のなかで、安心感を味わうことができる。心のなかに頼れる存在、失敗しても許される相手ができることにより安定した
人間関係を結ぶことができる。母子生活支援施設が二重の児童福祉施設でもあるといわれるゆえんである。
④親子の関係性に働きかける
 子どもの進路に関する母子生活支援施設利用者調査では「本人が希望すれば短大・大学まで進学させたいと思う」が62.1%であった。貧困の連鎖から抜け出していくためには、子どもたちが将来に夢や希望がもてるよう支援していくことが大切である。夢や希望を叶えるための手段のひとつが「学び」であり、母子生活支援施設という生活の場での「学び」の支援は、職員との濃密な人間関係のなかでさらに深いものになっていく。子どもたちは施設のなかでのさまざまな保育、学童保育、進路支援等を通じ、成長していく。と同時に母親を支えることができるからこそ、親子での生活が可能になるのである。
 親子は相互関係で成り立ち、相互作用でつながっている。親が親として成長することは子どもの成長へとつながり、子どもが成長することは親の誇りへとつながる。母子生活支援施設は親子の関係性を尊重しつつ、親と子それぞれに関わることができる子育て支援施設である。

(2)ヒアリング調査結果
①事例1 子育て支援を通して、母が母になる
ア)入所理由
夫のDVからの避難
出産をひかえて支援が必要
(母A:21 歳、長女B:4歳、二女C:2 歳、第三子妊娠中(妊娠5 か月))
イ)入所までの経過
 Aさんが中学生のとき、父親が自殺。中卒後アルバイト先で6 歳年上の夫と知り合い、16 歳で妊娠、17 歳で長女Bさんを出産し、2 年後に二女Cさんを出産する。夫の実家は運送業を営み、夫は実家で運転手として働いていたが、給料をパチンコなどに使ってしまい、家計にはほとんど入れてくれなかったため、夫の実家から経済的な援助を受けていた。夫は家事がうまくできないAさんに対し、身体的暴力や精神的暴力を与えていた。第三子を妊娠した頃より夫の暴力はさらにひどくなり、Bさんに対しても暴力を振るうようになった。Aさんは「このままでは命が危ない、子どもも守れない」と女性相談センターに相談に行き、子どもとともに一時保護され、その後母子生活支援施設への入所となる。
ウ)当面の支援目標
・母子で安定した生活が営めるよう、支援する
・養育支援を行う
○経過
・入所当日、生活保護の申請を行う。翌日、「ぐっすり眠れました。」と昼前に起きてくる。Aさんとこれからの生活に必要な物の買い物に出かける。一時保護中は外出できなかったということであり、「買い物に出かけるのは久しぶり」と喜ぶ。また夫から外出の制限や暴力を日常的に受けていたAさんは、自分が買いたい物をゆっくり選ぶことができることに感激していた。
・Bさんは入所当初は母の背中に隠れ硬い表情であったが、慣れてくると笑顔も見られ、保育所入所までの保育室での保育を楽しむ。
・入所後2 週間経過し、ようやく母子での生活に慣れた頃、BさんとCさんの保育所入所をすすめる。Bさんは4 歳になっていたが、保育所に通ったことがなく、初対面の人の前では一言も発せず、しばらくして職員に慣れてきたBさんの言葉は幼児語であった。父親から暴力を受けていた被虐待児でもあり、言語の面でも心理的な面でもケ
アが必要であった。
・保育所に通いはじめたBさんは保育所では口を閉ざしたまま一言も発しない日々が続いた。場面緘黙が疑われたが、母子生活支援施設内の心理相談の中ではとてもよく話し、よく遊び、担当した臨床心理士の判定では「今までの環境によるものかもしれないので、様子を見守っていきましょう。」とのことであった。
・その後Bさんは週一回、障害児発達デイサービスセンターへの通所が始まり、言語の発達を促すための個別支援が始まった。そこでの宿題は毎日の言語訓練であり、保育園から帰宅後の保育の中で保育士と共に言語訓練を始める。
エ)半年経過後の支援目標
・無事に出産を迎える
・産後のケアを行う
・B・Cの養育支援を行う
○経過
・入所5 か月後、予定日より早く陣痛が始まる。出産に立ち会った職員にAさんは「こんなに穏やかな気持ちで、祝福されて出産を迎えたのは初めてです。」と語った。そして「今までは母親になれるだろうか。これからどうしたらいいのだろうか、と不安ばかりの出産だった。」とも話してくれる。
・Aさんが入院中、施設内でBさんとCさんの宿泊保育を実施する。BさんとCさんは職員と一緒に眠れることが嬉しく、興奮状態であった。子どもたちはパジャマを着て寝る習慣がなく、入浴後は翌日の洋服を着て寝ていたようである。また歯磨きの習慣もなく、歯ブラシもなかった。母子指導員より入院中のAさんへ「パジャマ」と「歯
ブラシ」を買ってやって欲しいと伝えた。Aさんからお金を預かった母子指導員はBさんCさんとともにパジャマの買い物に行く。ふたりは自分たちの選んだパジャマをとても喜び、今度は起きてからもパジャマを着替えるのを嫌がるほどであった。
・長男Dくん誕生。Aさんは迎えに行った職員とともにDくんを抱っこして退院してくる。職員総出で「おめでとう」と迎える。
・その後担当の母子指導員を中心に産後のケアが始まる。Dくんの沐浴、おむつの交換、授乳に寄り添う。Aさん母子の食事、掃除、買い物などの家事支援も退院後3 週間続ける。その中でAさんは「今まで3 人の子どもを産んだけれど、こうやってお姫様みたいに何でもしてもらえる生活は初めて。」と話す。職員からBさんとCさんの宿泊保育を実施し、若くして母になったAさんが、ふたりをよく育ててきたこと、子どもたちはお母さんが大好きであることを伝える。
・入所当初は職員から「○○できるよ。」と提供できる支援等の声をかけても「大丈夫です。」「自分でできます。」が口癖であったAさんが「○○して欲しい。」「○○もして欲しい。」とさまざまな要求をしてくるようになった。母子指導員はできる範囲でAさんの要求を叶えるようにした。
・AさんはDくんを抱っこしながら、「赤ちゃんって、こうやって抱っこするんだ。抱っこしていると気持ちよさそうに寝てしまった。」という。BさんとCさんの出産のときには、「赤ちゃんはぐにょぐにょしていて抱っこしにくかったので、母乳を飲ませた後は寝かせっきりにしていた。」と話す。またAさんはDくんを前抱きにして事務所へ連れてくる。職員から「Dちゃんはお母さんが大好きだからお母さんの顔が見たいよ。」と伝え、職員がDくんを抱っこさせてもらった後、赤ちゃんがお母さんの顔が見えるようにお母さんに抱っこさせる。
オ)1年経過後の支援目標
・Dの養育支援を行う(順調な発育を支援する)
・B・Cの養育支援を行う
○経過
・Dくんは生後半年までは体重も順調に増えていたが、9か月健診で「体重が増えていない。1か月様子を見て、体重が増えないようであれば受診したほうがよい。」とのアドバイスをもらった。離乳食が始まった後、施設内の離乳食講習会を通してDくんの離乳食を進めていたが、家庭で何をどれくらい食べさせていたかの確認をしていなか
ったため、反省する。保育士がAさんとともにDくんの体重表を作り(月齢の標準の発達の目安も加えて)、毎日時間を決め、授乳後、離乳食後の体重を量り、記録することから始めた。Dくんの体重は順調に増え、1 か月後医師からも「大丈夫です。病気の心配はありません。」といわれる。
・BさんとCさんも保育園での生活にも慣れ、好きな保育士とは話ができるようになる。また帰園後の保育室の保育のなかでは、子どもたち同士でけんかをしたり、自分を主張できるようになっていった。
・Aさんは今まで2 人の子どもたちを育ててきたけれど、無我夢中であり、これでいいのだろうか、と不安ばかりであった。今3 人の子どもたちを可愛いと思える。そしてそう思える自分をいとおしいと感じる、と話してくれた。
カ)まとめ
 ともに子育てをする者として、子育て支援の在り方について考えさせられる事例である。一人ひとりの子どもたちの成長をともに見守るものとしての職員の関わりが重要であり、母が子ども期をとり戻してこそ、子どもたちを「可愛い」と思えたのだと教えられた事例であった。こうした子育て支援をとおして母自身の子ども期をとり戻すための支援でもあったのだ、と気づかされた。
(事例1は子育て支援についてまとめたものであるため、離婚へ向けての支援については省略した。)

②事例2 母の学びを支援する
ア)入所理由
経済的困窮
ネグレクトの疑いがあり、子育て支援が必要であるため
(母A、長男B:中学2 年生、長女C:小学6 年生)
イ)入所までの経過
 長男Bくんの中学校の担任の先生より、「Bくんが学校へ通ってこない。家庭訪問するとガスが止まっているようであり、経済的に困窮しているようである。」との通報が児童相談所にあった。ネグレクトが疑われる家庭でもあり、子育て支援が必要であるとの判断により母子生活支援施設への入所となる。
 Aさんは2歳の時、母が病死。その後父親は再婚し、義理の母に育てられるが、「自分の居場所がなかった。」と話す。また父親からも義理の母との間に生まれた弟と比べられ、身体的虐待を受けていた。小学生時代いじめにあい、不登校になる。その後Aさんいわく「非行に走った」とのことで中学校には一度も行かず、中学卒業後は友人宅での生活をしていたそうである。そのときに知り合った友人の兄と結婚し長男Bくん、長女Cさんを出産。
 しかし夫の両親との折り合いが悪く、地域でアパート生活を始める。しかし夫は定職に就かず、常に経済的に困窮していたようである。その後夫が家を出て行ってしまったため、母子での生活が始まるが、生活費はAさんのパート収入だけであり、経済的にもぎりぎりの状態であったようだ。
ウ)当面の支援の目標
・安定した生活が始められるよう支援する
・子どもたちの養育環境を整える
○経過
・入所後生活保護と児童扶養手当の申請をする。Aさんは市内のスーパーの総菜コーナーでパート勤務を始める。経済的にはAさんのパート収入と児童扶養手当、その不足分を生活保護で補うようになり、経済的な安定がはかられる。
・長男、長女の転校手続きを終え、子どもたちは学校へ登校を始める。
・入所1か月後母の誕生日を迎える。担当の母子指導員は子どもたちと相談し、AさんのためのケーキをBくんCさんと一緒に作る。パートの仕事から帰ったAさんが部屋に帰り落ち着いたころ、子どもたちは母子指導員と一緒に「ハッピーバースデー!!」と手作りケーキを手渡し、Aさんの誕生日のお祝いをする。Aさんは「自分の誕生日を忘れていた。生まれて初めて誕生日を祝ってもらった」と涙ぐむ。
エ)半年後の支援の目標
・長男Bの高校受験へ向けての学習支援
・Aのホームヘルパー資格取得への支援
○経過
・ある日施設内の掲示板に「ホームヘルパー養成講座」の案内を張り出したところ、Aさんから「私は中学校へも行ってないけど、私でも資格がとれるかなあ。」との相談があった。ハローワークへホームヘルパー養成講座の受講申し込みをし、決定を待つ間「ドキドキする。これが受験の合格発表を待つ気持ちかなあ。」と言う。
・受講が決定し講習が始まった日からホームヘルパー資格を取得するために、母子指導員との二人三脚での挑戦が始まった。Aさんは小学4 年生の頃からいじめにあい不登校であったため漢字が読めず、毎日講習から帰ったあと、お茶を飲みながら母子指導員との二人での勉強が始まる。まずは一緒にテキストを読み、練習問題を解いていくことから始めた。Aさんは子どもたちに漢字を教えてもらいながら予習をしてきていた。Aさんの予習ノートには、その日に予定しているテキストのなかの専門用語の漢字がずらりと並んでいた。
・ホームヘルパーの講習を修了し資格を取得したとき、Aさんは「私でも勉強すれば、資格が取れるんだ。」「私も人の役に立つ仕事に就くことができるんだ。」ととても喜ぶ。
・Bくんは入所前の個人懇談で「高校への進学は無理でしょう。」と担任の先生から言われていたとのことであった。Bくんは入所直後から少年指導員とともに勉強を始める。英語などほとんど勉強しておらず、少年指導員と勉強を始めたときは、トランプや人生ゲームの間に少し勉強をする程度であった。中学3年生に進級してから「僕も高校へ行けるかなあ。行ってみたい。」と言い始め、勉強する姿勢が変化する。
・少年指導員と受験に向けての猛勉強が始まる。Bくんは中学2年時の2月の入所であったため、受験までに1 年間の時間があった。その時間はとても貴重であり、ホームヘルパーの資格取得に向かって勉強を始めた母とともに、Bくんも勉強に頑張る日々が続いた。
・夏休みを過ぎた頃から徐々に勉強時間が増え、冬休みの頃には一人で自習ができるようになっていた。成績もクラスの最下位から中間の下位くらいまであがり、Bくんは私立高校へ合格する。
・AさんはBくんの卒業式に職員とともに出席し、「生まれて初めて中学校へきた。」と感慨深そうに話してくれた。
オ)2 年後の支援の目標
・子どもたちの進路支援を行う
・退所に向けての支援を行う
○経過
・Bくんは進学した高校で学年でも上位の成績であり、看護師をめざして専門学校へ進学することに決めた。
・長女Cさんは中学生になり、部活動に勉強にと励んでいる。
・Aさんはホームヘルパーとして特別養護老人ホームで働き始めた。就職して3年経過したら、次は介護福祉士の資格取得をめざしている。
・現在この家庭では、家族が勉強する、という時間と雰囲気が定着しており、思春期を迎えた子どもたちはAさんに反抗しながらも、家族3人での安定した生活をおくっている。
・またこの頃、家を出たまま行方不明であった夫との離婚も成立する。
・今後Bくんが高校を卒業する頃退所を予定しており、退所先をともに探すことと、Bくんの看護学校進学に向けての資料請求や、奨学金についての情報などを届けながら、進路支援を行っていきたい。
カ)まとめ
 「学ぶ」環境が与えられるということの大切さと、「学ぶ」ということは人生そのものであり、学ぶことが人生の幅と可能性を広げ、人生を豊かにしてくれる、と学んだ事例である。AさんとBくんの努力に頭が下がる思いである。
 夫が家出をした後、誰も頼る人がなく、誰も信じられないAさんであったが、母子生活支援施設に入所し職員との出会いをとおして「人に頼ってもいいんだ。甘えてもいいんだ」から「私も人の役に立ちたい」との思いに変わっていった。母子生活支援施設での安定した生活環境と、人と人との出会いとつながりが、母と子がもともともっていた力を引き出し、その後の人生の方向性を大きく変えた事例である。貧困から抜け出すためには経済的な安定とともに、どんなときでも頼れる誰かの存在が必要である。
 さらに母親の資格取得を支援することにより、安定した就労収入に結びつくことができた。「母の学びへの支援」は、職員との深い信頼関係が結べたからこそ成り立ったものであり、その関係を築いていくなかで「人の役に立てる自分」になりたい、との気持ちも芽生えたのであろう。退所後も利用者にとって実家のような役割を果たしていきたい。


3.母子生活支援施設における親子再統合への支援
 乳児院や児童養護施設などで生活する要保護児童の家庭復帰(親子再統合)の取り組みは家庭支援専門員(ファミリーソーシャルワーカー)の配置とともに、さらに大きな課題となっている現状がある。とりわけ、家庭に戻ってからの課題の再発や悪化が危惧される場合、再統合に躊躇せざるを得ないであろう。
 母子生活支援施設での親子の関係性の調整や再統合の支援が施設機能の一つとして「特別委員会報告書」として提言されたのは平成17年(2005年)3月である。ここではその支援の実際を具体的に説明するとともに、事例を通して理解を深めていきたい。
 母子生活支援施設は、居室で親子が一緒に生活をともにすることを基本としている。一般のアパートとの違いは、保育室や学習室、心理療法室などの設備が整っていること。また対人援助の専門職たる職員がそれぞれの専門に合わせて、生活支援や子育て支援、課題の解決の支援等を行っており、それらの支援が24時間365日というオールラウンドのなかで行われているのである。すなわち、前述した再統合を躊躇せざるを得ない場合も、受け皿としてなりうるのである。
 当然安易な受け入れは、支援の空回りを誘発することから母への説明と同意、年長の児童については同じく説明と同意が必要である。すでに同伴する児童がいる場合は、先に母子生活支援施設に入所する方法もあるが、そうではなくても施設と児童相談所、児童養護施設などとの緊密な連携のもと、面会や外泊・体験宿泊等で親子の状況を確認しながら、最終的に入所の段取りとなる。また、地域で生活する母子世帯でも親子関係の維持に不安をもち児童相談所や福祉事務所に相談し、支援があれば母子分離をせずに親子関係を維持できると判断された場合、入所することもある。これは再統合とは異なるものの支援の内容は、ほぼ同一のものとなる。
 母の子育てへの不安や負担感を軽減するための保育や同行・同席、環境の変わった子どもへの支援は、年齢や発達段階に合わせてきめ細かなものとならざるを得ない。そのなかで職員は再統合の継続に力点をおいた支援をするとともに、虐待の発生等の介入が必要な緊急事態にも対処できるようにしている。いわば、再統合の支援と危機介入のどちらも機能として備えているのである。
 今回の調査では、入所時に母子の再統合をはかった子どもの数が159人となっている。入所する子どもの総数からいってけっして多くはないが、前述したように、母子生活支援施設だからこそという意味合いが強くあろう。さらに、現在別居中の子どもで児童福祉施設で生活している世帯が147世帯(子どもの数は201人)ある。この数字をどうみるかであるが、昨年度の「母子生活支援施設における発達障害児等の支援に関する調査研究」によると、平
成19年の1年間で母子分離した世帯は58 世帯ある。母子の再統合が決して簡単な支援ではないことを、この数字は表わしているのではないだろうか。
 次に、父親の虐待により児童養護施設に入所した児童と、DV被害で出産後に母子生活支援施設に入所した母子の、再統合の過程を事例として紹介する。
(1)要保護児童(児童養護施設入所児等)の再統合過程への支援
①入所理由
夫のDV・虐待からの避難
(母A:20 代後半、長男B:児童養護施設入所中、二男C:乳児)
②入所までの経過
 長男Bくんを妊娠した頃より夫の暴力が始まる。Bくんを出産後は、夫の暴力はBくんにまで及んだ。二男Cくんの妊娠中に夫の虐待でBくんは救急搬送され、Aさんは警察経由で女性相談センターに相談に行き一時保護される。その後、Bくんは退院するも児童相談所の判断で、児童養護施設に入所。AさんはCくんを出産後、母子生活支援施設への入所となる。
③当面の支援目標
・母子に安全で安心する生活の場の提供
・Cの養育支援
・Bの引きとりを視野にいれた支援
○経過
・入所当初は硬い表情がみられ、部屋に籠もりがちであったが、Cくんを話題の中心にすえて職員がかかわるうちに、しだいに打ち解けてくる。入所して1 週間ほどのちAさんの口から「夫との生活では監視カメラで24 時間見張られているようであったが、ここにきてからは自由を感じる。」との言葉が聞かれる。
・夫とは法テラスを利用して、刑務所服役中に離婚が成立し子の親権もAさんがとる。
・その後、就業自立支援センターの紹介でヘルパー養成講習に出席し訪問介護センターの登録ヘルパーとして働きはじめる。入所後3 か月が過ぎ、ただ1 点を除いて順調な生活ぶりといえた。その1 点とは、Bくんの引きとりであった。
・AさんからBくんの話がでることはなく、職員が養護施設の話題をだすと表情を曇らせ話題を打ち切る状況であった。そのため、Aさんにはその理由を問いただすことはしないことを申し合わせ、早期の引き取りは困難であると判断した。
④3 か月経過後の支援目標
・児童相談所との連携
・Cの施設内保育の実施
・カウンセリングの実施
・ボランティア活動への参加
○経過
・児童相談所は当初、早期の統合ケースととらえていたが、Aさんの状態を伝え時間をかけるよう要望する。定期的なカウンセリングの実施をすることとなり、Aさんに伝えるとすんなり受け入れてもらえた。このことからもAさん自身の迷いのようなものを感じることができた。
・登録ヘルパーの仕事は毎日ではないため、職員から週に1回同じ法人で経営する知的障がい児の入所施設のボランティア募集に応募してみないかとすすめる。仕事の内容は、洗濯物たたみを1 時間ほど行うという簡単なもので、合わなければすぐに辞めるという条件で、Aさんは職員が送迎して出かけるようになる。
・活動を始めて6 か月が経過し、最初のころは休む日もあったがほかのボランティアと仲もよくなり、活動後に記入するボランティア記録も、わずか1~2 行であったのが、びっしりと書かれるようになる。また、その内容も活動を提供してくれる施設への感謝や入所児との交流に触れられてくる。その後、Aさんに劇的な変化が見られるよう
になった。
⑤1年経過後の支援目標
・Bとの再統合の準備
・B・Cの養育支援を行う
・退所に向けての支援
○経過
・児童相談所から、AさんがBくんに会ってみたいとの話がでていると伝えられる。AさんからはときどきBくんの話がでるようになってきたことから、再統合の機会ととらえることとする。まず児童相談所において、事前面接を行いAさんと担当ケースワーカー、担当心理士、母子生活支援施設職員が同席し、今後どのようにBくんとかか
わっていくかを話し合う。
・1 回目の面接では、Bくんは固まってしまいAさんはショックを受けるが、「私の顔は忘れていない。」と自らなぐさめており「見飽きたと言われるくらい会いにいきましょう。」と励ます。
・2回目には絵手紙を持参し、あとから児童養護施設の職員から「お母さんが作ってくれた。」と自慢げに見せていたとの話を受ける。
・3回目以降は、施設の中だけではなく公園など外の場所での面会を検討している。
⑥今後にむけて
 Aさんからは、母子生活支援施設にいるうちにBくんを引きとり、退所に向けての準備をしたいとの希望が聞かれる。児童相談所もその方向を了承しており、今後は再統合にむけて全面的な支援を考えている。Bくんの一時帰宅や宿泊時での母子の時間を大切にできるような支援やCくんとの関係づくりなど再統合までの支援と統合後の支援を深めていきたい。


4.母子生活支援施設における特別なニーズをもつ世帯への支援
(1)外国籍の利用者への支援
 入所してくる外国籍の方への支援は、日本人への支援と同じものがある一方、特別なニーズもある。そのニーズへの支援にはいくつかのキーワードがあるのではないだろうか。それは「日本語」「日本文化」「外国籍の方の言語」「外国籍の方の文化」と言える。日本での生活を円滑に行えるためには、日本の言語や文化に慣れていただくことが重要だが、われわれ支援者には外国籍の方の言語や文化を尊重する姿勢が、支援の助けとなるのではないだ
ろうか。今回の調査では、入所している母親の7.1%、実に277 人が外国籍の方である。この数字は、どこの施設でも外国籍の方への支援はあたりまえのことである、ということを表しているのだと言えよう。
 ここでは、フィリピン国籍の母と長男が激しい暴力を受け、逃げることもままならない状況から、母子生活支援施設に入所し地域生活へ向けての着実な歩みを施設職員の支援を受けながら歩む姿を事例として紹介している。

(2)フィリピン国籍の利用者への支援
①入所理由
夫のDV・虐待からの避難
母子生活 実姉
(母A:30 代前半、長男B:フィリピン生まれ・小学校低学年、二男C:乳児)
②入所までの経過
 フィリピン国籍の母Aさんは、8人きょうだいの5 番目として生まれる。本国にてBくんを出産するが父親については不明である。日本の結婚紹介会社を介して夫と出会い、当時幼児であったBくんも引き取るとのことで結婚し、1 年後にCくんを出産する。建設業を営む夫は、生活費などもすべて管理しAさんには一切ふれさせなかった。そのことを不満に感じて夫に話をしたことから暴力が始まりしだいにエスカレートする。暴力を止めに入ろうとしたBくんにも暴力が及ぶようになった。夫は「おまえのような外国人はどこに逃げても助ける日本人はいない。」と脅してAさんが逃げられないようにした。
 日本人と結婚して遠隔地に住んでいる姉が、たまたまAさんを訪ねてきて現状を知り、福祉事務所に逃げるようアドバイスする。Aさんは子どもたちを連れて夫の留守に福祉事務所に駆け込み、そのまま一時保護される。夫は暴力団とのつながりもあり、危険度の高さから広域入所を判断、母子生活支援施設への入所となる。
③当面の支援目標
・母子に安全で安心する生活の場の提供
・Aの外科通院支援
・離婚調停等のさまざまな手続きの同行、同席支援
○経過
・Aさんは日本語の会話はある程度できたが、読み書きまでは無理であった。Bくんの国籍はフィリピンだが、日本語のみしか知らないため、母との通訳は不可能であった。通訳の必要性を考えたが、当面通訳は要請しないで様子をみることとした。
・通院をはじめとして、生活用品の買い物、Bくんの転校手続き、Cくんの予防接種等の同行・同席を行い、外科医からはAさんの受けた暴力の深さから、カウンセリングが必要だろうと英語のできるカウンセラーを紹介され月に2回通うことになった。Bくんも深夜にうなされ「やめろ。」と叫んで起きることがあり、児童相談所につなげた
が、3か月もたたないうちに夜中にうなされることはみられなくなった。
・Aさんはさまざまな手続きの説明を職員が行うとすぐにわかったと答えることから、あまり理解していなくてもこれまでもそのように答えていたのだろうと思われ、時間をかけてていねいに説明することを申し合わせた。
・離婚の手続きは2 年前から母子生活支援施設の、顧問弁護士を引き受けてくれている弁護士にすべてまかせることにする。その手続きをしていくなかで、夫が離婚届けをすでに提出しCくんの親権者となっていることが判明する。
④3か月経過後の支援目標
・調停支援の継続
・調停成立にともなう児童手当、児童扶養手当等の手続き支援
・Cの施設内保育の実施
・カウンセリングの実施
・日本語の上達支援
○経過
・弁護士の提案で調停は夫が勝手に出した離婚届けの無効を訴えるのではなく、親権をとり戻すことと慰謝料と養育費の請求を行うこととした。これにより離婚を求めるさまざまな書類や手続きを回避することができた。調停は4回で終了し親権と慰謝料、養育費の支払いで成立した。
・その後、外国人登録とビザの変更手続きを職員が同行して行った。
・Aさんの日本語能力を高めるために、国際交流会館に職員が同行し在日外国人に日本語を教えてくれるNPOを紹介してもらい、毎週日曜日に通うこととなった。Bくんは、会話に問題はなかったが学力(特に国語)の遅れが目立ち、学校と協議を行い毎日放課後に一対一の特別補習を30 分間、校内で実施してもらえることになる。
・Aさんからは、「そろそろ働いてみたい。お世話になった日本に税金を払いたい。」との言葉が聞かれるようになる。求職活動は職員も同行して行うが、なかなか採用まで結びつかなかった。そのような状況で施設の近所の中華料理店が求人票を張り出しているのを職員がみつける。昼食や夕食などの出前をよくとっており、店主に直談判して採用が決まる。当面、昼食時のみのパートとして勤務をはじめる。
⑤1 年経過後の支援目標
・Cの保育所入所支援
・就労の継続支援
・退所に向けての支援
○経過
・Aさんの日本語の上達は中華料理店の仕事に慣れてくるとともにあがり、注文伝票もカタカナで書けるようになってくる。勤務時間も開店から閉店まで延びる。休日は国際交流会館へ出かけ、そこで知り合ったフィリピン人の留学生や在日の人たちとの交流が広がる。
・Cくんは施設内保育を継続していたが、就労時間が延びたことで保育所への入所申請が可能となり職員が同行して申し込みを行う。
・Aさんからは退所に向けての相談があり、そのなかで退所してからも困ったことがあったら、施設は助けてくれるのか、すべて自分一人でやらなければいけないのか、ということが一番の気がかりであるとわかった。また住む場所も、なるべく近くがよいと話した。すでに実施しているアフターケアの内容を伝え、退所後も入所時同様の支
援を行うことを説明する。
・その後中華料理店の紹介で、製麺工場にフルタイムの仕事が決まり、待遇もよいことから転職する。転職後は通勤のバス乗り換えが煩雑なことから、しばらく職員が付き添うこととした。
⑥今後にむけて
 子どもたちの年齢を考えると、退所を急ぐ必要はないものの、慣れない集団生活での言葉にだせないものがあるのではないかと思われる。退所先については、身元保証人制度を活用して施設付近の民間アパートを借りることにする。
 アフターケアについては退所の際に、今一度詳しい内容を伝えAさんの理解をうながしていきたい。



もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患
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