あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-5]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ

(12) 思春期・青年期の訪れとともに

 
 (16) 「キレる17歳」、理由なき犯罪世代 -応用編- 12.暴力のある家庭で育った子ども。発達段階**で見られる傾向
* 現在、この「手引き」は、第3次改訂の編集をおこなっています。編集終了後、差し替えていきます。

Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。-暴力のある家庭環境で暮らす、育つということ-
-基礎編-
8.虐待の発見。DV家庭における子ども
(1) 子どもが最大の被害者
(2) 子どもは心を傷めている
  ・事例106
(3) 子どもの複雑の思いを理解する
(4) 子どもに表れる影響
 ・事例107-128
(5) 子どものSOS(発信するサイン)を見逃さない
・6つのこ食
 ・「食べてよい」、すなわち「おいしい」
  ・味は必要、危険のシグナル
  ・おいしさは食欲を刺激する
  ・おいしさは生命維持のために備わった快感
・砂糖の過剰摂取(ペットボトル症候群)と低血糖症
・心身の健康にはミネラルが欠かせない
  ・情緒不安や体調不良。見逃しがちな気象変化

9.脳と子どもの発達
(1) 脳の仕組み
(2) 脳の発達(乳児期:0-1歳)
(3) 脳の発達(幼児期早期:1-3歳)
(4) 脳の発達(幼児期後期:3-6歳)
(5) 脳の発達の臨界期(感受期)
(6) 学童期(6-12歳)
(7) 思春期(10-15歳)と青年期(15-22歳)
(8) 男性と女性の脳の違い

10.トラウマと脳
(1) トラウマ(心的外傷)になりうるできごとに直面すると
(2) 単回性トラウマの子どもに見られる行動
(3) 慢性反復的トラウマがひきおこす7つの問題

11.慢性反復的トラウマの種類(児童虐待分類)と発達の障害
(1) ネグレクト(育児放棄)
<ネグレクトによる発達の障害>
(2) 身体的虐待
<身体的虐待による発達の障害>
(3) 心理的(精神的・情緒的)虐待
<精神的虐待による発達の障害>
(4) 性的虐待
<児童期性的虐待の基準(ハーマン著「父-娘 近親姦」抜粋)>
<性的虐待による発達の障害>

-応用編-
12.暴力のある家庭で育った子ども。発達段階で見られる傾向
(1) 乳児期。既に、母親と父親との関係性を理解している
 ・乳児部屋のおばけ
  ・産後うつ
(2) 発達の遅れ
 ・睡眠不足症候群(ISS)
  ・小児慢性疲労症候群(OCFS)
(3) ツラさを体調不良で訴える
 ・子どもの心身症
  ・子どもの気分障害
(4) ファンタジー色の強い子どもの解離
(5) 子どもが“ズル”をする深層心理
(6) 学童期(小学校低学年)にみられる被虐待児童たちの行動特徴
(7) 暴力を受けて育った子どもの脳では、なにがおきているか
(8) 反応性愛着障害(RAD)
(9) 失感情言語症(アレキシサイミア)と高次神経系トラブル
(10) 危機とPTSD
(11) 自己正当化型ADHDとAC
(12) 思春期・青年期の訪れとともに
 ・がまんさせられること、抑圧されることはなにをもたらすか
  ・父母の不和と暴力は、子どもの心の土台になる安心感と愛着を揺さぶる
 ・家族間の信頼関係を損なった子どもたち
  ・親に配慮しなければならない状況は、子どもに緊張を強いている
  ・子どもにとっての緊張とは
・親にとって都合のいい従順な子は、ありのままの私を認めて欲しいと訴える
  ・周りが輝いて見えるとき、人とのかかわりを避ける
  ・子どものために、“しつけ”と銘うった暴力が、子どもを従順な子にさせる
 ・思春期、男の子は14歳が母子間におけるターニングポイントになる
  ・女の子は、自分の命が大切だからこそ、傷つける価値があると思う
(13) 問題行動としての“依存”
  ・事例129-130
(14) 子どもに手をあげる背景。幼児期に抑圧された怒り
  ・事例131-136
(15) 回避的な意味を持つ子どもの「非行」
 ・事例137(事件研究22:広島県16歳少女集団暴行死事件(平成25年6月))
  ・事例138(事件研究23:大阪2児餓死事件(平成20年7月))
(16) 「キレる17歳」、理由なき犯罪世代
 ・事例139(事件研究24:栃木女性教師刺殺事件(平成10年1月))
 ・事例140(事件研究25:豊川主婦刺殺事件(平成12年5月))
  ・事例141(事件研究26:西鉄バスジャック事件(平成12年5月))
 ・事例142(事件研究27:岡山県金属バット母親殺害事件(平成12年6月))
  ・事例143(事件研究28:会津若松母親殺害事件(平成19年5月))
 ・事例144(事件研究29:八戸母子殺害放火事件(平成20年1月))
(17) アタッチメントを損ない、抑圧がもたらした凄惨な殺害事件
  ・事例145(事件研究30:東大浪人生父親殺害事件(平成7年4月))
 ・事例146(事件研究31:光市母子殺害事件(平成11年4月))
  ・事例147(事件研究32:音羽幼女殺害事件(平成11年11月))
 ・事例148(事件研究33:佐世保小6女児同級生殺害事件(平成16年6月))
  ・事例149(事件研究34:宇治学習塾小6女児殺害事件(平成17年12月))
 ・事例150(事件研究35:奈良自宅放火母子3人殺害事件(平成18年6月))
  ・事例151(事件研究36:秋葉原無差別殺傷事件(平成20年6月8日))
 ・事例152(事件研究37:柏市連続通り魔殺傷事件(平成26年3月))
  ・事例153(事件研究38:北海道南幌町母祖母殺害事件(平成26年9月))

13.PTSDとC-PTSD、解離性障害
(1) PTSDになると、どうなるか?
(2) PTSDの主要症状
(3) C-PTSDの主要症状
(4) C-PTSDと不安障害、人格障害
(5) 性暴力被害と解離性障害
  ・事例154-182
 ・皮膚から心地よい安心感をとり組む女性が、性的虐待を受ける残酷さ
  ・「レイプ神話」という間違った考え
  ・セックスをどう捉えるかは、思春期までに受けた親の影響
 ・事例183(事件研究39)
(6) 摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)
 ・事例184-185
(7) 解離性障害とアルコールや薬物依存症
  ・事例186(分析研究15)
  ・アルコール依存とギャンブル依存の相関
 ・事例187-189

14.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)
(1) 精神疾患としてのパラフィリア(性嗜好障害)
(2) フェティシズム
  ・事例190(事件研究40:宝塚市窃盗・少女強姦事件(平成25年12月))
(3) 露出症・窃視症
(4) 性的マゾヒズムと性的サディズム
  ・窒息プレイ
 ・事例191(事件研究41:京都連続強盗・強姦事件(平成22年7月-10月))
(5) 性的サディズムを示す刻印という“儀式”
(6) 小児性愛(ペドファリア)
 ・日本のロリコン事情と児童ポルノ
  ・女の子は母親と父親に興味を示し、男女関係、夫婦関係を学ぶ
  ・事例192(事件研究42:奈良小1女児誘拐殺人遺棄事件(平成16年11月))
 ・事例193(事件研究43:倉敷市女児監禁事件(平成26年7月))
(7) パラフィリア(性的倒錯)の夫との性生活
  ・事例194-195
(8) 性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力
 ・事例196(分析研究16)
(9) 性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁・殺傷事件
  ・事例197(事件研究44:新潟少女監禁事件(平成2年11月(発覚:平成12年1月)))
 ・事例198(事件研究45:北海道・東京連続少女監禁事件(平成13年-平成17年))
  ・事例199(事件研究46:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(昭和63年8月-平成元年7月))
 ・事例200(事件研究47:大分県一家6人殺傷事件(平成12年8月))
  ・事例201(事件研究48:大阪姉妹殺害事件(平成17年11月))
 ・事例202(事件研究49:自殺サイト連続殺人事件(平成17月2月-))
  ・事例203(事件研究50:付属池田小児童殺傷事件(平成13年6月))
 ・事例204(事件研究51:神戸連続児童殺傷事件(平成9年2月))
  ・事例205(事件研究52:佐世保同級生殺害事件(平成26年7月))
 ・事例206(事件研究53:名古屋大生殺害事件(平成27年1月))
(10) 福祉と医療、教育。行為障害、反抗挑戦性障害者のサポート

15.ACという考え方と人格障害(パーソナリティ障害)
(1) ACという考え方
(2) どうして、ACになってしまうのか?
(3) 時に、ACは母親がつくる
 ・事例207
(4) ACと人格障害、そして、ACの破綻
(5) ACのカウンセリング、認知の修正
(6) ACに“共依存”の傾向がみられるとき
(7) 共依存からの回復
(8) 仮面うつ病(非定型うつ病・新型うつ病)
(9) 人格障害と呼ぶ前に..
(10) 人格障害(パーソナリティ障害)とは
(11) 人格障害の治療
(12) 児童虐待やDVといった暴力も依存症のひとつという考え方

第1部の結びとして


子どもは、思春期・青年期の訪れとともに、これまでの自分、幼児期の自分に疑いを持ちはじめ、これを壊しにかかります。
そして、仮の自分をつくっていくことになります。
仮の自分のとる行動は、反抗であったり、逸脱であったり、内閉であったりします。
仮の自分を構えることによって、青年期特有の反抗を試みるのかと思うと、次の瞬間に幼児的な自分に退行します。
非行で荒れ狂い、両親を罵倒していた女児が、次の瞬間に両親に甘えかかり、平気で何万円ものお金をせびったりします。
こういった相反するふるまいは、決して珍しいことではありません。  青年期は本来、自分の再生のために、自分をつくってきた親を精神的に一度殺す時期です。それが、子ども自身で大人への自立を促し、親離れを進めます。
しかし、ゲームのリセットボタンを押すように、この世から親を抹殺してしまおうと実際に手をかけてしまう子どもたちがいます。
親の都合、親の期待通りに育たなかったように見える子どもを消し去ろうと、手にかけてしまう親もいます。
いまの社会は、子どもの身体の成熟に必要な“野性的”な幼年期を奪いとり、その代わりに子どもの中に「権力的なもの」に対する恐怖のイメージを与え続けます。
幼年少年期の剥奪は、むじゃきであるはずの子どもを、親にとって、大人にとって都合のよい“おとなしい子”、“手のかからない子”、“従順ないい子”にしてしまおうとする行ないです。
親から押さえ込まれた“従順ないい子”は、本能や感情を成熟させることなしに、知性を発達させることに必死にさせてしまいます。
その知性で持って、本能や感情を抑圧することになってしまった子どもでもあるわけです。
そのため、むじゃきさを剥奪された子どもたちはこの時期に、成熟するはずの<恒常性(ホメオスタシス)>の未成熟から生ずる不快や不安、怖れや怒り(以上情念)を心のウチから脅かされていくことになります。
ホメオスタシスは、生体が環境への適応や生体維持のために営む動的な平衡状態のことをいいます。
生体は、その存在が危機にさらさせると、人格の成層上位の機能を破壊し、停止させることによって、下位の生存機能を守ろうとします。
大脳辺緑系(視床下部含む)は、脳幹が司り、免疫系、自律神経系、内分泌系の中枢をなしています。
しかし、親から押さえ込まれ続けるおとなしい子、親にとって都合のいい従順な子は、不快や不安、怖れや怒りを心の中に押し込め続けるしかありません。
ところが、思春期を迎えことで、閉じ込めてきた葛藤や情念を一気に吐きだしていくことになります。
これが、いわゆる<キレる>という行動の本質です。
身体は、内に閉じ込めてきた意識を超えて、心身のトラブルをいたるところで行動化し、病として身体化していきます。
身体の<荒れ>は、登校前に立ち竦んだり、立ち上がれなくなったり、硬直して倒れたりして、登校できなくなる不登校の子どもたちの身体と酷似します。前頭葉の未発達ないし、衰退という兆候もみられます。
前頭葉は、感情、思考、創造や正義、勇気、愛、理想などの座です。
子どものときに受けた親のことばの暴力や言語的虐待が、青年期の精神・神経疾患に結びつくだけでなく、少年期に同級生から受けたことばの暴力や言語的虐待によって脳が変質し、青年期・成人期以降の精神・神経疾患の発症につながることが、米国ハーバード大学の研究で明らかになっています。
面前DV(精神的虐待)や性的虐待、両親や同級生などからの身体的虐待を受けたことのない848人の青年男女(18-25歳、男性363人、女性485人)と、虐待的なものを一切受けたことのない707人の青年男女(18-25歳、男性298人、女性409人)を対象に、質問紙と拡散テンソル画像を用いておこなわれたデータの分析結果から、11歳から14歳にかけての時期が、同級生からの言語的虐待に特に脆弱で、青年期の精神神経疾患(不安症、うつ病、解離、薬物使用、大脳辺縁系過敏など)につながりやすいことが明らかになりました。
大脳の拡散テンソル画像による分析では、言語的虐待にさらされた程度と度合いが、脳梁の異常に関連性があることがわかりました。
脳梁の異常は、境界性人格障害(ボーダーライン)の発症の原因となっているものです。
そして、同級生の言語的虐待によってうつ病は2倍、不安症と大脳辺縁系過敏(短い幻覚症状と視覚障害などが生じるものなど)は3倍、解離は10倍も発症リスクが高くなることがわかりました。
この研究で、言語による虐待が、人の精神や神経の発達において、大きな負の影響を与えるかが明らかになっています。
また、ピッツバーグ大学教育・心理学部のワン・ミンテ准教授と研究チームは、怒鳴りつけるしつけと子どもの問題行動との相関関係について、976世帯の13歳、14歳の子どもを持つ両親の揃っている家庭に対し、2年間聞きとり調査をおこない調べました*-44。
その調査結果、「13歳の子どもが、母親や父親から身体的な暴行、つまり、体罰を受けることなく、“怒鳴りつけるしつけ”を継続的に1年間受けた場合、問題行動を起こす確率が増加し、子どもがうつ病の症状を示す確率も増加した。」という事実が明らかになりました。
同時に、この調査において、問題行動の多い子どもたちは、日常的によく怒鳴られる傾向にあること、母親と父親が深い愛情を注いでいたかどうかは、子どもの問題行動と抑うつ症状との強い関連性に影響を与えていなかったということが明らかになっています。
*-44 調査は、経済力や民族性に結果が左右されないよう白人、黒人がほぼ同数含まれた一般的な中流階級の家庭が調査の対象に選ばれ実施されています。
そして、ワシントンD.C.の心理学者のニール・バーンスタイン博士は、「怒鳴りつけたり、批判したりするしつけを続けることは、子どもを気むずかしくし、反抗的にするだけであるとし、子どもをこき下ろす親は、子どもに関心がない怠慢な親と同様、効果的な教育ができない。」、「親が子どもを長期間怒鳴りつけたり罵ったりすることには問題が多く避けるべきである。」と述べています。
エール大学で心理学・児童精神医学を教えるアラン・カズディン教授は、怒鳴りつける教育法は、子どもの精神的・肉体的な健康を損ねる有害なものであるとし、親として大切なのは「(子どもを)受け入れること、愛すること、抱きしめることである。」と述べ、「しつけのゴールは、どのようにふるまって欲しいかを子どもに伝えることである。」としています。
怒鳴りつければ、そのとき子どもは行動を止めても、望むふるまいを身につけることはできません。子どもは親の言動やふるまいを見て、聞いて、察して育ちます。
必要なのは、子どもの行動を正しく認識し、よいふるまいをみつけて、きちんとほめることです。これができれば、子どもは親に敬意を払い、悪い行動を減らしていくことができます。

(がまんさせられること、抑圧されることはなにをもたらすか)
暴力をふるったりする親や、アルコールや薬物、ギャンブル依存した親によって、家族が破綻に導かれていく「機能不全家庭」で育ち、そのトラウマ体験が成人してもトラウマ(心的外傷)として残っている人のことを、総称としてAC(アダルト・チルドレン)といいます。
破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手であるといった幾つかの特徴があり、成人後も無意識裡に実生活や人間関係の構築に深刻な悪影響を及ぼしていることがあります。
総称としてのACは、診断名(病名)ではありませんが、その症状によって、境界性(ボーダーライン)、依存性、自己愛性、回避性などの人格障害、不安障害(パニック障害)、適応障害、うつ病、仮面うつ病(非定型うつ病、新型うつ病)などとして診断されることが少なくありません。
ACを抱えた人に共通しているのは、離人感や不安感、“底なし沼のような寂しさ”と表わされるような強烈な孤独感です。
その根底には、痛みを伴う“過去”があります。
自分ではすっかり忘れているはず、排除したはずの過去が心をざわめかせ不安にさせます。
「自分にはなにかが他の人よりも欠けているんじゃないか」という気持ちに縛られてきています。
そのため、どうしても皆の中にうまく溶け込むことができないのです。
そして、なによりも、自分に自信がない、自分を肯定できず、いつも不安感に駆られています。
人をケアするのがとても下手なのは、自分が親にケアされてこなかったからです。
子どもを見ていると、いつもなにかを要求されている、追い立てられているような気持ちになります。
「なにかしてちょうだい」っていうような、常に焦燥感に駆られるわけです。
児童虐待という問題にとり組むときには、こうしたことが嫌で、なにかと叩いてしまう親たちがいることを理解しなければならないのです。
自分を愛せない、大切にできないのに、他の人を思いやれることができるのか? 命の大切さが伝わるのか?
<悪い子でもいい、役に立たなくてもいい、生きてくれさえいたら、それだけでいい。愛してあげる。見ていてあげる>・・、こんな“ことば”をずっとずっと待ち続けてきた人たちなのです。
それは、子どもの精神を支配する手段として、愛情を制限する親のもとで育った人たちです。
親の愛情が無条件の愛ではなく、なんらかの付帯義務を負わせる「条件つきの愛」であることが、子どもの精神衛生上問題となります。条
件つきの愛が継続的におこなわれている家庭では、子どもは親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになってしまいます。
「子どもが親の愛を受けるために」といった状況は、乳児期に、親に受け入れられない、認められない拒絶感として受けとる子どもの行動に他ならないのです。
こうした親子関係は不健全です。
不健全な親子関係が一度構築されてしまうと、子どもが成人する段階になってもその関係性は継続され、ひき続き成人した子どもの精神を支配し続けます*-45。
その結果、子どもは常に不健全な状況にさらされ続けることになります。
*-45 最近、「毒親」ということばで、母親との関係性が重いと訴える娘の心理状態が述べられる機会が増えてきていますが、「毒になる親 一生苦しむ子供(スーザン・フォワード著・平成11年・朝日新聞社)に由来しています。
条件つきの愛は、“しつけ”や“教育”と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であって、最も基本的な精神的虐待(精神的虐待)になるにもかかわらず、第三者には、このような家庭はなにも問題のない家庭として認識されていることが少なくないのです。
しつけや教育か精神的虐待かの判断は、あくまで親のおこないを子どもがどのように受けとっているかという立場で見定める必要があります。
親がよかれと思ってのおこないであっても、子どもにとって「強要させられている」、「ツラい」、「苦しい」と“感じて”いれば、精神的虐待を与えていることになります。
強要されていると感じている子どもは、萎縮的で、自信なさげです。子どもの脳の発達とケアのタイミングと考えると、肝心な幼少期、思春期前に問題を発見することが重要です。
しかし、その多くは把握されることなく、見過ごされることが多いのです。そのため、成人し、自立したのち、年齢を問わず、ACの症状に苦しむことになります。
また、原因のわからない感覚の苦しみは、精神的疾病にまで発展させてしまいます。
中には、親が強力に子どもの精神を支配する行動が、子どもの方も支配されたいという特異な感情を生みだしてしまいます。
親も子どもも支配し、支配されることに奇妙な安心感を見だし、支配を通して相互依存するようになります(共依存の関係*-46がつくられます)。
子どもにとって、支配に反抗するより支配を受け入れる方が、家庭内で波風を起こさなくてすみます。
波風を起こさなくてすむというのは、暴力を受けることに過剰に反応し(再体験、過覚醒)、新たな暴力をひきおこすことを回避することです。
再体験、回避、過覚醒という症状は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の主症状です。
子どものこうした行動は、平穏な環境で生きるための生存本能の働き、サバイバル手段と解釈されています。
子どもはある年齢に達すると、親の支配から脱しようと試みるのが自然です。
しかし、この相互依存関係(共依存関係)が強い場合、親子関係は成人してもなお支配の相互関係という不健全な状態が続いていくことになります。
子離れできずに、子どもを人生の目的とし続ける親と、それを受け入れ続けざるをえない精神構造を埋め込まれてしまった子どもは、ひどい状況のときには、親が死亡するまで関係を健全化することができなくなります。
極端な例として、親が死ぬまで一緒に暮らし、一生結婚の機会を奪われたり、親同士が認識しただけのお見合いを強要され、世間体を重視した愛のない結婚を送ることを強いられたりすることさえあるのです。
ときに、その怒りは母親への暴力、妻子への暴力に向かうことになります。
*-46「共依存の関係」については、「Ⅱ-15-(5)ACに“共依存”の傾向がみられるとき」で詳しく説明しています。
以上のように、子どものとき、親から精神的、身体的暴力を受けてきた人、子どもとしてそのまま受け入れられず無邪気な子どもとして甘えることを許されなかった人、性暴力(性的虐待)にあった人、祖父母や両親のトラブルや兄弟比較で安心して子どもとして過ごすことができなかった人など、子どものときにさまざまな心の傷を負ってきた人は、以下のような共通したことばを口にします。
・自分なんか生きていてもしょうがない
・生きることが苦しい
・私なんかいるだけ皆の迷惑なの
・自分に自信がない。権威にすがりたくなる
・子どもがかわいく思えない。子どもに暴力をふるってしまう
・世間が自分をどうみているか気になってしょうがない
・人の顔色をみて判断し、行動する
・アルコールや薬物、ギャンブル、占いや宗教(自己啓発セミナー、生き方講座を隠れ蓑とするカルトの勧誘を含む)に依存しないと落ち着かない

このような思いを抱えながら、「生きる」ことが、暴力のある家庭(機能不全家庭)で育ち、ACの症状を抱える生き難さにつながっているのです。
そして、こうした思いを抱えている人の心は、未だに子どものころに傷ついたままなのです。
インナーチャイルドの声、どの人の口をついてでてくることばは、「子どもらしくむじゃきに、素直に甘えたかった」です。
小さいときに<がまん>をさせられた人の中には、心の中に怒りを溜め、同時に、無邪気な子どもとして生きられなかった恨みを溜め込んでいます。
子どものころの心に傷(トラウマ)があると、その傷から突然、怒りがしみだしてきて(トラウマ反応)コントロール不能に陥ってしまうことがあります。
人は、怒りが心の中にたまるとイライラします。特に、自分の親(祖父母などの近親者も含む)から受けた心の傷は、本人が自覚する100倍くらい大きいとされています。
それは、親に対する怒りの程度も同じということです。ところが、いま自分が感じている怒りは、「目の前のことが原因だ」と認識しやすいのです。
幼児期は事実(ことばとして)の記憶はなくても、当時、父親から女を見るイヤラシイ目で見られたときの不快感、映像を覚えています。
そのため、同じような状況になったとき、トラウマ反応として過去の不快感を思いだします。
セックスのトラブルが発生したときには、父親、近親者からの性的虐待(性暴力)を検討してみることが必要といわれています。
セックスしたい人と、結婚したい人がバラバラだったり、恋愛と結婚がバラバラだったりしたら、その可能性はよりいっそう高くなります。
母親に怒りを抱えている男性は、自分の娘に性的虐待に及ぶことが少なくないといわれています。
娘にとって、父親からの性的いたずら、セクシャルハラスメン的言動ほど恐怖と不安、怒りを感じるものはありません。
もし、娘が性的に感じるまで体中さらわれていると、性的快感と恐怖、怒りがごちゃ混ぜになって、娘の心はグチャグチャになってしまいます。
成長し、妻となり、母親となった娘は、父親に向けるべき怒りを息子に向け、虐待を働いてしまうことが少なくないのです。
なぜなら、父親に対する怒りが大きいと、男性に対して強い復讐心を心に秘めているからです。
一方で、父親に受け入れられたい、認められたい思いで、父親を投影する男性に尽くし、貢いでも性的奉仕に勤しんでも愛情を求めることがあります。
DV被害から逃れた被害女性の中には、アタッチメント獲得に問題を抱えていることを起因とする“底なし沼のような寂しさ”を埋めてくれる男性とつき合っては別れを繰り返し、子どものことよりも男性に尽くしてしまい、ネグレクト(育児放棄)を招いていることがあります。

(父母の不和と暴力は、子どもの心の土台になる安心感と愛着を揺さぶる)
親自身の幼児性、自分自身のもっとも傷つきやすい、あるいは不安定になりやすい気持ちを調整する力を、小さいときから自分のものにしてきているかという問題と、親として子どもたちに接する姿勢が直結します。子どもたちは、親の接する姿勢をシビアに見て、親のなれ合いを鋭く見抜き、心を閉ざしたり、開いたりします。
両親の仲がよいということは、子どもが生きる前提、発達する前提です。
したがって、両親の仲が悪いということだけでも、子どもの気持ちはドキドキして、ツラくて不安になって、自分のせいかと思って、なんとかしようと思って、普段は100点などとらない子どもが一生懸命100点をとって、両親の仲をよくしようとしたりします。
子どもはそういう死にものぐるいの努力をするくらい、父母の争い、父母のDVに苦しむことになります。
そういう不安や痛みが、その瞬間、瞬間、子どもをとことんツラい気持ちにさせ、子どもの心の芯を冷たく強ばらせるのです。
「いま、ここで」おきていることが、子どもの身体に消すことができない身体記憶になって残り、それがキャパシティを超えるとトラウマになります。
その子どもが大人になったとき、社会的地位がよくなったとしても、誰かに対してやられた分だけやりかさなければ気が収まらないといった心の芯に“しつこい幼児性”を持った大人になっていきます。
暴力のある家庭で育った子どもとかかわる者は、いまこの瞬間の経験が数珠のようにつながってその人をつくっているといったリアリティを持たなければならないのです。
子どもにとって安心感と愛着はとても大切です。
そして、安心感と愛着は、自分が喜怒哀楽の感情を持って生きている、それをだしたときにわかってもらえたということを意味します。
子ども自身の喜怒哀楽、特に負の感情の受け止め方が非常に大切になってきます。
しかし、両親の間にDVがあると、それができなくなってしまうのです。
子どもが支えにしている両親の関係が大きな地震のように揺れているときには、揺れないようにするというのが子どもの本能です。
したがって、子どもがいい子になろうとしてしまったり、心を凍結してしまったり、表現したくないと思ってしまったりすることになります。
虐待があったり、家庭にDVがあったり、父母の争いに巻き込まれたりすると、子どもは自分の気持ちを表現しなくなります。
そして、その封じこめられた気持ちは、その子どもの心と身体にさまざまな影響を及ぼします。
それは、現在の発達にも影響し、近い未来の発達にも影響を及ぼします。
 さらにもっと深刻なことは、その子どもの将来にわたる心の土台の中に、外からは見えない地雷が埋め込まれてしまうことです。
その地雷は、いつかどこかで自分で踏んでしまいます。多くの場合、自分の子どもが生まれたとき、その地雷を踏むことになるという怖ろしい事実があります。
子どもが生まれることによって、自分では体験しなかったふりをしてきた、過去の両親間の暴力や不和、無視された、虐待されたなど苦痛に満ちた体験がもとで、心の奥深くに埋め込まれていた地雷が踏まれて、暴発してしまうのです*-47。
*-47「Ⅱ-12-(1)乳児期。既に、母親と父親との関係性を理解している」の中で説明しています。

(家族間の信頼関係を損なった子どもたち)
子どもは、父親が母親に対して暴力をふるうのを見聞きし、父親をひどい父親だと憎み、嫌悪します。逆に、暴力を受け続ける母親を見て、情けない、非力な母親だと軽蔑したり、かわいそうな母親だと同情を募らせたりする場合もあります。
また一方で、そういう父親の姿を見て、要求や欲望は暴力で解決すればいいのだと学習したり、母親(女)は暴力でいうことをきかせればいいと女性蔑視の考えをすり込んだりしていきます。
子どもは、父親が母親を大声で怒鳴りつけ、罵倒し続けるのを見聞きすることで、親(大人)を信頼できず、失望感を高めてしまったり、感情的な安定感が損なわれていったりします。
例えば、乳幼児にとって「いうことがきけないなら、でていけ!」ということばは死を意味します。
乳幼児は「自己」と「他」の境界線が曖昧なため、父親から母親が暴力を受けているのを、自身が暴力を受けていると受けとります。
同様に、乳幼児にとって母親が「でていけ!」と怒鳴られたりすると、それは自分がいわれたように受けとり、いつ親に捨てられるかという恐怖心を心の中に刻み込みます。
また、子どもが口にしたことばや鳴き声がきっかけになり、父親が母親に暴力をふるったりしたときには、子どもは自分のせいと罪悪感を心に刻み込み、自分が悪い子だからと自分を責めるようになります。
こうした体験の積み重ねが、自尊心を蝕み、子どもの自己肯定感を育むのを阻害していくのです。
DVのある家庭は、子どもが安心して過ごせる場、穏やかに生活できる場から縁遠いものです。
自分の気持ちを素直に表現したり、話したいことを受け止めてもらえたりする場も少なくなります。
なにかのきっかけで暴力がおきないように、日々おどおど緊張した生活を強いられます。
いつも父親や母親の顔色をうかがい続けるうちに、伸び伸びした屈託ない明るさを持ったむじゃきな子どもを生きることができなくなります。
日々の生活は、親を喜ばし、親の仲介役や世話役に勤しむことになります。
つまり、「親にとって都合のいい従順な子である」ことが求められ、親に受け入れられる、認められるために一生懸命努力を重ねるうちに、自分の気持ちを素直に表現することができなくなります。
友だち同士でおしゃべりしていても、自分の家のこと、両親のことを口にしないように、暗黙裡に自己規制をし、心理的防衛をするようになります。
家族のことや両親のことは外で口にしてはいけない“秘密”のこととして、自分の心の奥にしまい込み(蓋をして)、孤立感や疎外感を味わうことになります。
一方で、日々の暴力に耐え、心理的に抑圧されている子どもたちの中には、家の中のできごとを知られてはいけないと心の奥にしまい込むことができず、教室で机を蹴ったりして暴れたり、怒ると友だちに乱暴したり、テストの点数やスポーツの勝ち負けに異常にこだわったり、気に食わないことがあると暴言を吐いたり、教室から突然でていってしまったり、遅刻や欠席が多くなったり、目に見える(わかりやすい)行動をみせることもあります。
このように、小学校低学年など早い段階で、なおかつ、わかりやすい行動で、助けての「サイン」を示しますが、前者の心の奥にしまい込んでしまう子どもたちは、思春期を経て青年期に入る段階で、突然、リストカットや過食・拒食(摂食障害)、OD(過剰服薬)といった自ら(命)を傷つけるおこない(自傷行為)によって「助けて」のサインをだすことになります。
虐待を受けて育つということは、“拒絶(否定と禁止のメッセージ)”が基本スタンスとなることから、会う人たち皆に、めちゃめちゃわがままなことをいったり、反抗的な態度を見せたりします。
しかし、本当は「助けて」って口にできない、わかっていても口にできないだけです。
「苦しい。助けて」と口にすることは“人に弱みを見せる”ことになるので、力の世界(暴力のある環境)を生き抜いていけないのです。
加えて、人に弱みを見せることは“負ける”ことになるので、決して口にしてはいけないことなのです。
自ら(命)を傷つけるおこないによる「助けて」のサインは、ギリギリまで追い詰められている心の叫びなのです。

(親に配慮しなければならない状況は、子どもに緊張を強いている)
3-4歳といった幼児なのに、親に異様に配慮する子どもがいます。親の顔色ひとつで、パッと動ける子どもは、一見<いい子>にみえます。
しかし実は、子どもとしてのむじゃきな喜びはなく、親を喜ばすことが喜び(使命)になっているのです。
それは、自分を生きるということがわからない子どもになっているということを意味します。
親の期待に応えるのに必死な子どもは、親の支配下に入ってしまいます。
それが、暴力(ことばであっても)による恐怖で従うしかなく、親にとって都合のいいだけの従順ないい子を要求され続ける子どもは、さらなる悲劇を生んでいってしまうことになります。
子どもが不登校になったり、過食や拒食を繰り返すようになったりするのは、もう親のために生きるのではなくて、自分のために生きたいといった心と身体の悲鳴に他ならないのです。
親にとって都合のいい従順な子を演じる子どもは、親のいない場では、ちょっとしたきっかけで収拾のきかない状態になることがあります。
家庭の中で、親に配慮しなければならない状況、つまり、子どもが常に緊張を強いられている状況は、子どもにとって家庭が安心して、安定的に自分が、自分でいられる場になっていないことを意味します。
それは、子どもが暮らす家庭がDVのある環境であったり、虐待を受けている環境であったり、つまり、機能不全家庭にあるということです。
虐待されている子どもたちは、常に緊張を強いられています。
ちょっと気を緩めると親の手が飛んできたり、大声で怒鳴りつけられたり、罵倒することばを浴びせられたりしています。安心できず、安全でもなく、安定的に自分であるということが許されていません。
そして、虐待にさらされ、不可能なことを強いられ続けていくと、<わたし>という存在が崩壊してしまうことになります。
心の崩壊を防ぐために、子どもたちは、自分を解離させていくようになります。
場合によっては、自分の人格を二人、三人以上の複数に分割していくこともあります。耐え難い痛みや苦痛に耐えるために、痛みや苦痛を受けている自分とは別の“もうひとりのわたし”を生みだしていくのです。
解離は、虐待を受けている子どもが、存在の崩壊から、自己を守るためにとる無意識におこなわれる防衛行動に他ならないのです。
自己崩壊(精神破壊)を防ぐために、自己崩壊(精神障害)のかたちで自分の心を保ち、守っていくことになるのです。
そうした子どもは、<私は、わたしとして、ここにいる>という確かな感覚を求めます。
わたしという存在を受け止めて欲しい欲求、渇きのメッセージをだし続けるのです。
しかし現実は、その子どもたちの不安、寂しさ、渇きを受け止めようと、子どもの前に手を指しだす大人がいないのです。

(子どもにとっての緊張とは)
いいたいことを話ができずにいる子どもたち、拒否や欲求をキチンと口にできる環境にない子どもたちがいます。
DVや虐待のある家庭で暮す子どもたちは、どのように自分がふるまったら両親の緊張が解けるのか、どうしたら機嫌を損ねないようにできるのかに気を遣い、心を砕くことに必死です。
それは、親にとって都合のいい従順な子を演じながら、必死に生きなければならない子どもたちのことです。
親に無邪気な子どもでいることを許されない“役割”を担い、緊張し、常に身体を固めていると、身体のセンサーが鈍感になります。
なぜなら、鈍感になると、痛みを痛みとして感じないですむからです。
その代わり、生き生きと感情を表わす心もまた働かなくなってしまいます。
感じないことは、人が生きることを苦しくしてしまうことを意味します。
むじゃきに子どもとしてふるまうことができないまま、自分を生きることができないまま、大人、親の心配を自分の中にとり込んでいってしまいます。
結果として、まったく身動きがとれなくなっていくことになります。
子どもにとっての<緊張>は、がまんすること、がんばること、あきらめることであって、子どもらしいむじゃきさを失うことに他ならないのです。
こうした心の傷が、再び緊張をつくっていきます。
そして、ひどい心の傷ほど記憶から消し去らなければ、生きていくのがツラくなります。
そのため、身体や心を緊張させることで、その記憶がでてこないようにしていきます。
また、その消し去らなければ生きていけないつらい記憶だけを、もうひとりのわたしに受け持ってもらおうとしたりします。

(親にとって都合のいい従順な子は、ありのままの私を認めて欲しいと訴える)
人が、「私はわたしであっていい」という自己への信頼が培われるためには、「いま、ここに、安心して、安全に、安定的に、私がわたしとしてある」ことをしっかりと保障されている体験が欠かせません。
自分を嫌いな子ども、自分を大切できない子どもは、自己への信頼が根本的に欠如しています。
親にとって都合のいい従順な子どもは、自分が嫌いで、自分を大切にすることがどういうことかわかりません。
なぜなら、親の、大人の望む従順ないい子を生きることが第一で、自分で自分を殺してきたからです。
親にとって都合のいい従順な子を演じてきた人は、自分を生きていません。
自分が、自分を、自分だと感じることができません。
自分を生きられない分だけ、自分を生きているようにみえる人をうらやむのです。
人へのうらやみは、ときに、怒りや憎しみとなります。
その表の顔の下に、自分自身も気づいていないもうひとつの顔(仮面:ペルソナ)を持っていたりします。
その顔が、「なにもかも破壊したい」という激しい憤りにふるえていることさえあるのです。
親にとって都合のいい従順な子ほど傷つくことを怖れ、自分の感情を押し殺しています。
生身の人間関係は、「せめぎあって、折り合って、お互いさま」といった日々のやり取りの中でしか生まれてきません。
しかし、親にとって都合のいい従順な子を演じてきた人は、ずっと押し殺してきた感情が湧きあがってくるのを抑えられず、八つあたりをしたり、悪態をついたりすることがあります。
その根底にあるのは、肯定されたい、つながりたいという願いです。
子どもが生まれた瞬間、生きているだけで尊く感じられます。
しかし、その思いが、いつの間にか「立てば歩めの親心」になり、その努力の“結果”を急いでみたくなってしまいます。
親の子どもへの期待が、子どもを思い通りにしたい思いをあと押しします。
いつしか、親の期待だけでなく近親者の期待が加わり、さらに、世間の目、世間の評価に対する怖れが生まれ、おこないが縛られていきます。
実は、親の子どもへの期待は、子どものためではなく、親の不安を打ち消し、親の自己満足のためのものに過ぎないことが少なくないのです。
人は「逃げられない現実」と、そのために突きつけられた自分のふがいなさ、なさけなさと出会い、苦しみます。
「いじめられたら、やり返してこい!」、「なに、自分に甘えているんだ!」、「努力はきっと報われる、だから頑張れ! 努力しろ!」といった“励まし”のことばは、親にとって都合のいい従順な子として、精一杯、親の期待に応えようと頑張ってきている子どもたちを傷つけ、追い込んでいきます。
もっとも心を寄せている親からのこうした叱咤激励によって、子どもたちは悔しく、また理解してもらえない哀しみに日々うちひしがれていきます。
親にとって都合のいい従順な子ほど、感情を押え込み、いつの日か、自分のことを無条件に「そのままのあなたでいい」、「頑張らなくていい」と肯定してくれることを祈りながら、「そんなこといわれなくてもわかっているよ!」と心の中で日々叫んでいるのです。

(周りが輝いてみえるとき、自己肯定感を失い、人とのかかわりを避ける)
人は惨めな自分、弱い自分と直面したとき、周りが輝いて見えます。
そして、「それにひき換え、自分は・・」と情けない思いにうちひしがれます。努力しているかは、本人にしかわかりません。
その努力が「わかってもらえない」とはっきり感じるとき、子どもの自分自身の肯定感が失われていきます。
肯定感が失われ、無気力になり、刹那的な感じが芽生えてきます。
その結果、人とのかかわりを徐々に避けるようになるのです。
自分からコミュニケーションをとっていこうと思っても、その術がわかりません。
人とどう接していいかわかりません。
相手との関係を育み、その<気持ち>を聴く前に、母親の胎内で聴いていた、生まれてから母親の側らで聴いていた“音(波長)”としての<ことば>を聞いてしまうのです。
つまり、波長としての音で、怒っているとか、不機嫌になっているとか、気持ちを推測してしまう(気配を察してしまう)のです。
必要以上に気を使って疲れてしまうなど、人との距離感、間のとり方がわからないという問題に直面することになります。
その結果、人との距離をおいて、孤独を選ぶようになったり、ひきこもるようになったりするのです。
一方で、親から、大人から強いられる“従順ないい子”でいることで<楽>をしている子どもは、親と心理的な距離をつくっていくようになります。
波風を立てず、たとえ怒られてもどこ吹く風、暖簾に腕押し、反発もしないし、反論もしません。
なぜなら、「どうせ、親はわかってくれない」、「いっても無駄だ」と思い知らされているからです*。
親は、子どもの本心に気づかず、自分のいうことを理解してくれた、自分の指示に従っていると思ってしまうのです。
そうした親が、子どもが成長したときによくいうことばがあります。
それは、「あんたは本当に手のかからない子だった」です。
* この状態を「学習した無力感」といい、「Ⅰ-7-(3)学習した無力感」で詳しく説明しています。
親にとって都合のいい従順な子の悲劇は、素直になれないこと、等身大の自分を失うことです。
素の自分をだすことができず、極端に甘えることが下手です。
小さいころ、報われない、乗り越えられないに現実に直面し、親の懐に飛び込んだとき、「よく頑張った。ツラかった」、「だってあなたは、お母さんの子だから」と受入れてもらえた子どもは、親に上手に甘えることができます。
「親に甘えられる」、「困ったときに親に頼られる」ということは、人を信じて、自分の<我>を預けることができるということです。
ところが、「お前はどうして困らせることばかりするんだ!」、「こんな子どもじゃなかったはずだろう」、「こんな子に産んだつまりはないのに」と否定と禁止のことばを使われると、子どもはどう甘えていいのかわからなくなります。
そして、人を信じることに不安を覚えるようになり、のちに、困っている、ツラい、苦しい、哀しいと口にすることができなくなります。
親にとって都合のいい従順な子は、問題をおこさず親に迷惑をかけない子、きょうだいとケンカをしない子、親に反発して困らせない子、勉強に励んでいる子、つまり、親にとって<見ていて安心させてもらっている子>のことです。
子どもが<ききわけがいい>のは、じっとがまんし、そのまま黙り込んでいるに過ぎないのです。
そのことに、暴力の家庭環境で暮らす母親は、気づくことができません。
見ていて安心だからこそ、母親はその子の存在に無頓着になり、親にとって都合のいい従順な子の心の声を“聴く”ことをしなくなります。
それ以前に、DVのある家庭環境では、子どものことより、自分のことで精一杯、子どものことに気が回らず、子どもと真正面から向き合うことを疎かにしてしまうのです。
こうした状況が、多くの悲劇を招いています。

(従順ないい子ほど、挫折し、立ち直れない)
「わが子の将来を思ってのこと」といった大義名分のもとでの<しつけ>を銘うった暴力、過干渉・過保護、いき過ぎた教育(教育的虐待)が、日々日常的に無自覚なまま繰り返されています。
そして、親の強いる従順ないい子として無理をしてきた子どもたち、あるいは優秀な子どもとして走り続けてきた子どもたちは、挫折する危険を背負っています。
挫折は誰にもありますが、問題は、親の歪んだ愛情のもとでのその挫折が、不登校やひきこもり、拒食や過食(摂食障害)、あるいは家庭内暴力にその方向が転化していってしまうことです。
なぜなら、常に不安感を抱え、自己否定的な自己像を持ちやすく、親の期待するとおりの結果をだせなかったり、受験を失敗してしまったりするなど、いったんつまずくと立ち直れないほどの大きなダメージ(挫折感)を伴いやすいからです。
家庭や親子関係の中にも、競争社会の志向目標が多かれ少なかれ持ち込まれます。
競争社会の成功目標が、親の目標となり、その親の目標が子どもへの過度な期待となって、強く要求していくことになります。
親や大人の価値観や世間への見栄(世間体)を子どもに押しつけ、競争社会の中に追い込み、受験システムの中で必死にいい子競争に駆り立てていきます。
期待を強く要求することや、競争を駆り立てることは、激しい“叱咤激励”ということばの暴力(いき過ぎた教育(教育的虐待))を伴うことが少なくありません。
一方、子どもが、親からのいき過ぎた教育(教育的虐待)を回避するには、ほめられる、期待に応えるしかないとの思いに駆られます。
そして、「自分はこれだけ期待され、いろいろなことをやってもらっているのだから、期待に応えなければならない」という強迫観念とも思える気持ちを、心の中にしっかりと育んでいくことになります。
このことは、子どもにとって、むじゃきな子どもであることを捨て去り、自分を生きることをあきらめ、親の期待に応えることだけが、生きる目的になることを意味します。
そして、このシステムによく適応しているように見える子どもほど、かなり粘着力の強い<病理の素>を内面に抱えていくことになります。
子どもの過度の競争心は、親に認められたいと強迫的に思い続けることから生じます。
煽られるような競争心は延々と続き、心の中では、期待に応えられるかわからない不安が常につきまといます。
常に、周りの誰かと自分を比較することに囚われ、ときに行方を遮る相手には強い敵意を抱くことになります。
しかし、こうした気持ちを強く持てば持つほど、いまの社会では自分の思い通りにはならないことが多くなります。
年齢があがっていくと、その矛盾がだんだんと見えてくるようになってきます。
親にも、子どもにかけてきた期待と現実のギャップがリアルに見えはじめます。
その親の姿勢が子どもにとって、親からの<見放され感>を強く感じさせ、不安感やときには恐怖心を強めていくことになります。
受験の失敗は、子どもが従順ないい子として、自分の思い通りにならない自分の限界を悟る大きなできごとのひとつになります。
子どもは、従順ないい子の自分を両親に捧げられなくなったことを情けなく感じ、自分を責め、心を殺していきます。
これまで怯えてきた親から見放される不安感や恐怖心に背中を押され、いきなり大人になろうとしたりします。
親の期待に応えられなくなることに怯えを感じてきた従順ないい子が、親から見放される不安感や恐怖感から自分を守るためには、自分を徹底的に攻撃する不登校やひきこもり、リストカット、過食・拒食と自分を追い詰めていくか、逆に、他者攻撃に向かういじめや暴力となって表れます。
さらには、シンナーや酒、麻薬に薬、セックス、深夜徘徊で自分のやるせない気持ちを紛らわし、溺れていくことになります。
こうしたまるで人が変わってしまったような従順ないい子の“いきなり”は、親や教師は驚嘆させることになります。

(思春期後期、男の子は14歳が母子間におけるターニングポイントになる)
思春期は、自立したい欲求が芽生え、批判意識が芽生えてきます。「真綿で絞めるような優しさ」で“支配”されてきたこれまでの親子関係に疑問を感じ、親のずるさや汚さを見抜きはじめます。
その結果、子どもたちは、心の中に沸々とわきでてくる苛立ちを徐々に抑えられなくなっていきます。
「私は、なんであなたのいいなりにならなきゃならないんだよ!」と、心が叫びはじめます。
一方の親は、わが子に対して、どうしても自分の思い通りになって欲しいと願います。
そのため、子どもに対していろいろな条件を譲ってでもなんとか従来通りの関係を保とうと必死になります。
こうして一気に、親と子の立場が逆転し、子どもの要求に、母親が従ってしまうような構造ができあがっていくことになります。
このとき、子どもの“母親像”に<精神的マゾヒズム>が生まれます。
一方では、母親像へのマゾヒズムの裏返しとして、子どもにサディズムが醸成されていきます。
その結果、母子関係に<サディズム・マゾヒズム的共依存関係>ができあがっていくことになります。
このとき、母子間に矛盾があっても保たれてきた関係が、一気に崩れる危機が訪れるのです。
男の子は、14歳ころにターニングポイントを迎えます。
わけもなく母親と問題をおこしはじめます。
なぜなら、母親から自由にならなければならないことを心の奥ではわかってくるからです。
内面から突きあげてくるプレシャーにつき動かせられて、無謀なことをしたり、逃げたり、母親を脅したりするようになります。
男の子が成長するためには、母親から感情的に分離することが必要です。
それは、“これから”の人生で、女性たちと満足のいく親密な関係を築いていけるようになるためには欠かせないプロセスです。
そのため、男の子には、母親への礼儀正しさや尊厳の思い(念)を維持させることが必要になってきます。
その役割を果たすのが、母親の夫である父親(養育にかかわる祖父や近親者の大人の男性)です。
夫は妻(女性)を慈しみ、敬い、思いやる夫婦の関係性を子どもに見せ、聞かせて育てていかどうかが問われることになります。
しかし、DVのある家庭環境では、妻と子どもの尊厳を否定するといった対極の父親の役割を見事に果たしています。
その結果、母親(女性)を慈しみ、敬い、思いやることを学べず、思春期後期から青年期にかけて、母親から自由になる(親離れ)準備していく時期にもかかわらず、母子関係に<サディズム・マゾヒズム的共依存関係>をより強く築こうとしてしまうことになります。
このことは、同時に、異性との交際においても、<サディズム・マゾヒズム的共依存関係>を求めることになります。
つまり、交際相手との関係性に、上下の関係性、支配と従属の関係性を力(パワー)の行使によって成り立たせようとしてしまい、デートDVの加害者となります。

(女の子は、自分の命が大切だからこそ、傷つける価値があると思う)
女の子は、「自分の命が大切だからこそ、傷つける価値がある」と思い込みます。「自分の命が大切だからこそ、自分には生きる価値がある」とは決していいません。
自分の命が自分のものになっていないだけでなく、さらに、自分の人生もまた自分のものだと感じることができていないときには、それは親の価値観、親の人生観を生きるように求められ、実際にその価値観を生きてしまったことを意味します。
つまり、親にとって都合のいい従順な子という生き方を拒否できなかったのです。
そのために、うつ状態に陥ったり、自分の<生の感覚>を喪失し、それをとり戻そうと命を傷つける自傷行為(リストカット、OD、過食嘔吐・拒食、アルコールや薬物濫用)に及んでしまったりするのです。
親にとって都合のいい従順な子は、いい子でないと見捨てられるかもしれないという不安、怖れの中に生きています。
不安を打ち消したくて、親や大人たちを喜ばせようと必死になっています。
親にとって都合のいい子が、自分にとっていい子じゃない(自分を大切に生きている子じゃない)と気づいたときの重苦しさは、どんな恐怖よりも怖くてツラいものです。
本当の自分がどこにあるのかわからなくなり、自分がなくなってしまう不安に突きあげられます。
そして、毎日がどんどん重くなってきます。
どちらにも動けない自分を嫌悪し、「異常なほど自分が嫌い」と表現します。
両親に愛されているという実感がなかったばかりではなく、愛されていないという確かな思いがあるからです。
抱きしめて欲しかったのに、払いのけられた記憶しかないのです。
従順ないい子と自己嫌悪は一対ということです。
 過食嘔吐を繰り返す(摂食障害)女性に共通するのは、幼少期に「完璧でなければ愛されない」と思い込い込まされて育った人が、思春期や青年期に達したとき、受験や恋愛、対人関係などなんらかの挫折をきっかけに発症するということです。
 厳格で威圧的な親がいる環境では、子どもは、「完璧な子どもでなくては愛されない」という考え方が強化され、無邪気に甘えたいといった子ども本来の感情を抑え込み、親に好かれる、親の期待に応えるという「仮面(ペルソナ)の自分」を演じ、対処しなければならなくなります。
しかし、心の中では、常に「本当の自分」との葛藤を抱え、苦しんでいきます。
愛されたいから、認めてほしいから親に迷惑をかけちゃいけない、ダメな(失敗したり、期待に応えられなかったりする)自分は見せられない思いは、私は親が大好きということばに置き換え、親との関係は良好に見えるように演じ続けることになります。
つまり、強迫観念的に嫌われないように必死に努力し、優等生でなければならなかったのです。
勉強や習いごとを頑張って結果をだすと、「よくやった」、「やっぱり私の子どもだ」といったことばを伴って親に褒めてもらえるため必死に頑張り続けます。
なぜなら、親の期待に応えられなかったり、親の望む結果を得られなかったりしたら、「できないなら、私の子どもじゃない」との親の“メッセージ”に脅迫され続けるからです。
「私はなにかをしなければ、親に愛されない」、「ありのままの自分ではダメ(好かれない、認められない)なんだ」と思い込まされているのです。
 思春期後期-青年期前期になると、これまでなんとか親の期待に応えてきたものの、受験失敗や成績不良など大きな“挫折”を経験する機会が多くなります。
それまで被ってきた「(親にとって都合のいい)優等生ないい子」の仮面(ペルソナ)はそのまま外せないと悩み、葛藤しはじます。
「(親にとって都合のいい)優等生ないい子」という仮面には、人に弱みを見せない“私は強い”という仮面、心の中で他人とひどく距離を置く“逃避”という仮面があります。
そして、親に認められ、親の期待に応えるために被った「偽りの仮面」を自分としてふるまい続けることで、「偽りの印象(世間体)」がひとり歩きしていくのでどんどん辛くなります。
「仮面の自分」と「本当の自分」がどんどん乖離していくので葛藤は大きくなり、やがて爆発することになります。
 親に抑圧された子どもには、①愛されたい、注目されたいという気持ちが強く社交的で明るく(循環気質)、②こだわりが強く、完璧主義であり(執着気質)、③心配症で、思い込みが強い(不安気質)といった共通した傾向が見られ、こうした傾向が、適度な距離感を持って人とかかわることの障害となり、生き難さを抱えることになります。
 そして、親に反抗できずに思春期、青年期に達した者が、持って行き場のないエネルギーの発散先として、過食嘔吐や拒食といった食行動となるのです。
命を脅かすリストカットやODと同様に、過食嘔吐や拒食という行為も自傷行為に含まれるわけですが、“わたし”そのものを傷つけ、痛み(苦しみ、哀しみ)を感じることで、“わたし”がここに存在していることを確認する行為です。
加えて、「自分はダメ(認められない、期待に応えられない)だ」という思いがあることから、その不安を解消するために、頑張れば「数字」「見た目(外見)」に表れやすいダイエットに走ります。
「痩せる」と親や友人たち褒められることが、“承認欲求”を満たし、安心感が得られます。
そのため、ストレスを感じると、承認欲求を満たすためにダイエットにとり組み痩せることに必死になるのです。
また一方で、リストカットやODの自傷行為と同様に、いき過ぎるダイエットに「痩せ過ぎじゃないか、食べないと」ということばを伴う心配は、親や友人たちの気を惹き、注目を集めることで“承認欲求”を満たそうとする「試し」行動となるケースも少なくありません。
こういた承認欲求を満たすための試しは、自己抑制することができずにエスカレートしていくことになります。
 「痩せて」認められたい、褒められたい思いではじめたダイエットは、「痩せていたい」強迫観念が強くなると拒食になり、やがて、「痩せていたい」と「食べていたい」という相反する強烈な願望に支配される過食嘔吐に発展していきます。
吐くと2つの願望が簡単にクリアできたという高揚感、口にだすことができなかった溜め込んできた感情を口にできて「スッキリした」という爽快感により、不安や寂しさ、憤りや怒りなど嫌な感情が麻痺していきます。
感情の麻痺は、“快感欲求”を満たそうとする中毒性を持った行為が繰り返されて強化されていきます。


(13) 問題行動としての“依存”
思春期を経て青年期になると、子どもは“親離れ”として「精神的な親殺し」が必要となります。いつまでも子ども扱いにされ、一人前に認めようとしない親を「殺してやりたい」と口にする子どもはたくさんいます。
しかし実際に、“(爪痕が残るほどの力で)母親の首に手をかける”子どもは滅多にいません。
もし、子どもが感情を爆発させ、母親であるあなたの首に手をかけたり、手をあげたりするようなら、もはや「心身ともに健常な成長が損なわれている」ということです。
子どもの心は、真っ暗な闇の中をさ迷いはじめ、自我(自己アイデンティティ)の置きどころがなくなっている状態になっています。
「アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナルファミリー(ACOD)=成人した機能不全家庭で育った子ども(以下、アダルトチルドレン:AC)」たちは、主に対人関係からくる生き苦しさを抱え、「生きるのが苦しい。」と訴えます。
支配のための暴力がある家庭では、親からの愛着を獲得できません。
殴る、蹴る、罵倒する、からかい、ひやかすのが人と接する、自分の気持ちを伝えることば、問題を解決する手段として、目の前で繰りひろげられる支配のための暴力・DVを見て学び、そのまますり込んでしまっています。
生まれた瞬間からそれ以外のかかわり方、接し方を見たことがない、経験したことがないのですから、人とのかかわり方、接し方に、暴力的なおこないを持ち込んでしまうことがあたり前と習慣化されることになります。
20数年前にアメリカで2万人を対象におこなわれた調査では、実に9割以上の被虐待者に、なんらかの心の問題を抱えている(問題行動、精神的な疾患を含む)ことがわかっています。
心の問題行動とかかわるものが「嗜癖」であり、「依存」です。
ACを抱えた被虐待者の心の奥には、乳児期にえられなかった愛着、親からの無償の愛に対する渇望感があります。
その渇望感を満たすために、愛情の代わりとして食べ物、物や金を次から次に求めていきます。
その渇望感を被虐待者は、「心にぽっかりと穴が空いてしまって、空っぽ」とよく表現します。
愛情渇望、つまり、カラカラと乾燥し砂漠と仮してしまった心は、豪雨が降っても肥沃な土地となることはありません。幾ら求めても、決して満たされることはないのです。
執着し、依存する心は、“さびしさ”を埋めるものです。
深く暗い井戸の底に吸い込まれそうになるような恐怖や孤独、さらに、絶望を感じるほどの感情です。
不安感に襲われ、いたたまれなくなり、心の穴自慰かで埋めたくなるようにつき動かされる衝動です。
なにかに依存してしまう心に共通するのが、自分の意志ではコントロールできないことです(コントロール障害)。
自分のさみしさや悩みに耐えられない衝動につき動かされてしまうと、相手の立場や気持ちをいっさい考えることはできなくなります。ただ自分だけの「安心」を欲しいがために、相手をコントロールしようとします。
上手くいかないと、身近なもので安心をえようと試みます。
その衝動はエスカレートし、やがて依存症になります。
「底知れないさびしさを埋めよう」として、モノや人で安心をえようとするのが、そのはじまりとなります。
国際的な依存症の診断基準としてあげられているのが、次の6つです。
・対象への強烈な欲求や、しないではいられない感がある
・禁断症状(止められない=離脱症状)がある
・依存対象に接する時間や量をコントロールできない
・依存対象に接する頻度や量が増えていく
・依存のために仕事や娯楽などを無視、または制限する
・心や身体に悪いことを知っていても続ける
楽しい、面白い、うれしい、幸せなど「快楽」は、頑張っている自分へのご褒美として、お金や名誉とともに、私たちの活動を動機づける要因です。
しかも、人の脳は、快楽刺激を優先するようにできています。
「快楽」には神経伝達物質のドーパミンが関与し、「報酬系」と呼ばれる神経回路を介して、頑張ってなにかを達成することへの快楽を感じさせるわけです。
依存症では、依存対象に接しているときにドーパミンが分泌されていることがわかっています。
ドーパミンが大量に分泌されると興奮状態になり、ある種の行動がやめられなくなったり、幻覚・妄想を抱くようになったりします。
逆に、不足すると無気力になり、手足が震えたりします。

① 物質依存
不快な感情をコントロールするためにアルコールやドラッグ、たばこ、大量の食べ物などによって、繰り返し気晴らしを試みようとする病です。
そこには、肉体的な満足をえることで、心の安心を求めようとする“仕組み”があります。
そのため、止めたいと思っても、肉体的にも、精神的にも止められないのです。
物質に依存することで、まず、a)快感をえられます。それは、物質を体内に入れることで、肉体的にも、精神的にも快感がえられるものです。その結果、b)嫌なことが忘れられるのです。不快な気分や寂しさ、悩み、不安などを一時的に忘れられます。そして、一時的に忘れるために、繰り返すのです。
物質依存は、物質が脳内に入り、それぞれの部位でドーパミン神経路を刺激します。
ドーパミンが大量に放出され、中枢神経が興奮するために“恍惚感”や“幸福感”で脳がいっぱいになります。
また、副交感神経が活性化され、身体にも快感が及ぶことになります。リラックス状態になると血圧が下がり、脈拍数が減り、体がゆったりします。
しかし、酒やドラッグなどを常用によって、情緒は不安定となり、人格が歪むことになります。
心身の健康が破壊されるだけでなく、家族や周囲の人たちを経済的、社会的なトラブルに巻き込み、破壊的な迷惑をかけることになります。
ア) 過食・過飲、拒食
口唇欲という要素が影響し、いわゆる「口が寂しい」状態です。授乳への執着を示し、授乳期になんらかの問題があったことが原因とされています。
背景には、a)自分をほめてもらいたい、劣等感が強く、やせることで評価されたい、b)親にとっての従順ないい子でいたい、子どものころから過剰に期待され続け、完璧な大人であることをめざす、c)成功、勝利だけが正しい、目標が高く、失敗したら無になると思い込んでいる、d)空虚感、心が満たされない思いがいつもつきまとっているといったものがあります。
「やせたら人に愛される」、「やせたらすべて上手くいく」といった思い込みは、絶望感やさびしさ、無力感の裏返しです。
拒食や過食は、自己愛と傷つきと関連した行動のひとつです。
痩身願望が度を越え、コントロールできなくなると「拒食症」を発症します。
過食と併せて「摂食障害」とされています。
「痩身願望=醜形恐怖」は、子どものときに、「そのままの自分でも愛される」ことをとり込めず、自分は愛される存在であるという自信を獲得できなかったことを起因としています。
  脳内の視床下部は、飢餓状態になったら死んでしまうと判断します。
ダイエットによる食事制限は飢餓状態に似ているので、脳は飢餓に備え、空腹感を感じさせる“摂食中枢”を刺激します。
そのため、幾ら食べても「ひもじさ」が収まらないのです。
食欲のコントロール機能が混乱し、信じられないような量を食べても、満腹感を感じなくなります。
なぜなら、満腹は胃ではなく、脳で感じるものだかです。
いくら吐いて食べるを繰り返しても、親からえられなかった愛情の飢え、ひもじさが満たされることはありません。
過食行為への罪悪感が自己嫌悪となり、よりいっそう心が寂しくなるだけです。
結果として、また食べて、吐くという悪循環に陥ってしまうのです。
イ) アルコール依存
最初は気持ちがいいのに、いつの間にか泣いたり、怒ったり、感情が不安定になっていきます。
やがて手足がもつれ、意識が混濁して泥酔状態になります。
アルコールには、a)脳が麻痺して麻酔がかかったようになり、「痛みを感じなくなる」麻酔作用と、b)脳内物質のGABAが増すので抗不安薬と同じ効果があり、それが「不安の解消に役立つ」とされています。
アルコール依存になる人は、積極性や不安解消などにかかわる神経伝達物質が少ないことがわかっています。
常にアルコールが脳に残る飲み方をしていると、次第に少量の神経伝達物質でもバランスが取れるようになります。
しかし、アルコールを断つと、このバランスが崩れ、不快な離脱症状をおこします。そのため、やめたくとも断酒できなくなるのです。
離脱症状を回避するには、アルコール依存症専門機関での治療しかありません。
  酔った勢いで迷惑行動や傷害事件をおこすことがあるため、近親者も大きな影響を受けることになります。
ときに、その行為は脅威、恐怖にもなります。
* アルコール依存症が原因のDVは、DVの8%程度といわれています。
ウ) ドラッグ、ニコチン依存
ドラッグは、快感をえるため繰り返し使用する傾向が強いものです。その結果、アルコールと同様に耐性ができ、離脱症状が現れ、止めることができなくなります。
ニコチン*-48は脳内に10秒以内に達し、快感物質を満たします。脳のドーパミン細胞体に達し、快楽物質であるドーパミンを放出させる(ドーパミンが脳内で増加)のです。
止めると離脱症状が現れるようになります。
つまり、ニコチンは、脳内物質であるセロトニンの代わりをしてしまうのです。
そのため、セロトニンをつくりだす働きを弱め、代用物としてニコチンが手放せなくなります。
また、口唇欲との関係も深いとされています。
*-48 英国心臓基金(British Heart Foundation.BHF)が、40歳以上の6500人近くを対象とした調査で、「不安症やうつ病にかかっていることを報告した人の割合が、非喫煙者で全体の10%、元喫煙者で11.3%だったのに対し、喫煙者は18.3%に達した。」、「喫煙するこの結果は、英国の喫煙者の3分の1以上の36%が「喫煙によってストレスが和らぐと応えている」調査結果とは相反するもので、喫煙者の認識(その瞬間の感じ方)と根底にある日常の慢性的な自覚症状にズレがあることがわかります。先に記しています「人の脳は快感刺激を優先する」を示すものです。
このことをマイク・ナプトン博士は、「喫煙は、人々をリラックスさせるのではなく、不安や緊張を高めている。喫煙の際に感じるストレスの和らぎやくつろぎ感は一時的なもので、それらはすぐに禁断症状や強い欲求に取って代わられる。」と述べています。
人は、不安神経症やうつ病にかかる確率が非喫煙者より70%高い。」、との報告書にまとめています。


② プロセス依存
仕事やギャンブル、買い物など、身近な行為によって、耐え難い不快な感情をコントロールするのが、「プロセスへの依存」です。
「~していれば幸せ!」という状態です。
なにかのプロセスにワクワクし、快感を覚えることによって、突然襲ってくるむなしさやねたみ、哀しみなどをコントロールしようとするものです。
プロセスに夢中になっている間は、安心をえられるのです。
プロセスには、「a)緊張:屈折した快感→b)解放:高揚感→c)後悔:失望感」といった法則性(サイクル)があります。
a)緊張は「屈折した快感」状態で、その行為をしないようにがまんしますが、やがて緊張が高まってきます。
そのとき、やりたくてウズウズするのをがまんすることさえ自虐的な快感となるのです。
b)次の解放は「高揚感」を伴う状態で、緊張の高まりがピークに達すると、ついにその行為に手をだし、緊張は一気に解放されます。
気持ちがワァーッと高揚したり、ホッと安心したりするのです。
c)最後は後悔、「失望感」です。行為が終わってしまうと、結果が待っています。
「またやってしまった」と後悔し、「もう二度としない」と心に誓いますが、しばらく耐えていると緊張が高まっていきます。
ア) 仕事依存
休むことに罪悪感を持っています。
仕事に没頭していれば楽しく、仕事以外の面倒なことに取り組まなくてもすみます。
そのため、仕事をしていないと不安で、自分から仕事を増やしてしまうのです。
また職場では、仕事のできる人が評価されます。
人事評価では、儲ける能力のある、成果をあげる人が評価される仕組みになっています。
子どものころ、親や近親者からありのままの自分を認めてもらえていない(第一子には後継ぎの男の子を切望される中で生まれた女の子といった状況なども含む)と、仕事をなし遂げたときにえられる賞賛と報酬に対し、異常なほどに執着にするようになります。
「人より仕事ができる自分」、「能力が高い自分」というステイタスに依存していきます。
そのため、家庭を顧みずに仕事人間となり、仕事以外の面で支障をきたしたり(家庭内でのトラブルなど)、過労で倒れたり、燃え尽き症候群になったりします。
イ) ギャンブル依存
「労せぬ勝利の快感」に嗜癖し、脳が快感を覚えてしまうので抜けだすのは困難となります。
自分が選んだ台が、自分で選んだ番号が勝ちどきの声をあげる快感は、自分は天才、特別な存在感を感じる至福のときです。
根底には、ありのままの自分を認めてもらえなかった幼児期の経験があります。
仕事で完璧さを求め仕事に依存し、逆に、仕事で完璧さをまっとうできない場合には、「勝利」への未練、やり残し感からギャンブルに依存することになります。
ウ) 買い物依存
まず、a)店員からチヤホヤされ、高価なものを勧められると、気分が高揚し、不快な日常を忘れることができるといった「多くの高揚感」がえられます。
そして、b)店員に勧められるまま買うことで、自分が「いい子になったような優越感」もえられます。
しかし、c)店をでた途端、自己嫌悪に陥り、支払いという現実に戻って罪悪感に苛まれます。
「浪費はいけない」と激しく後悔し、“罪悪感”にみまわれても、また買い物にでかけることになります。というのが、買い物依存のサイクルです。
  衝動買いが止められない、限度を超えて買い込んでしまうものの、いったん買い物を終えると、商品への興味が失せ、「なぜこんなものを買ってしまったんだろう」と後悔、自己嫌悪に陥ることになります。
愛情の代わりにモノを与えられ、誤魔化されてきた経験が、空っぽになった穴を埋めようと心をつき動かすのです。

③ 対人依存
出生後、親と子の関係に失敗する、つまり、はじめて人とのかかわりに失敗し、悩み、苦しんできているとき、人に執着、依存するのはあたり前です。
しかし、“人にかかわる中で安心したい”思いは、“縦の関係”しかない人間関係でのことを意味します。
相手にしがみつくか(立場が上とみられる人)、支配しようとするか(立場が下とみられる人)、“縦の関係”で人とつながろうとするのです。
ともに“安心をえたい思いからくるおこない”ですが、相手はその関係を望んでいません。
そのため、立場が上とみられる人からは“上手く利用され”、下とみられる人からは“嫌がられ”“恐怖を抱く”ことになるのです。
前者は、「利他的従属」の関係であるといえます。相手に貸しをつくることによって見返りを求め、相手にしがみつこうとする依存です。
ただ人に頼るだけで、自分自身が確立されているわけではありません。
相手にしがみつくのは、a)常に援助されていたため、待ちの姿勢を保つようになってしまった、b)守ってくれる人がいつもいたため、自分ひとりで困難に立ち向かったり、敵と戦ったりせず、ひたすら養育者を探してきてしまったc)失敗や危険は前もって避けられる状況をつくられていため、失敗や危険への対応の仕方を学ぶチャンスを奪われてしまった、d)いつも人の意見を聞いていたので、自分ではなにも決められなくなってしまった、決断を迫られる事態に陥ると恐怖を覚えるようになっているといったことが起因となっています。
つまり、親が子離れの不安に耐えられず、過保護、過干渉になっていたのです。
後者は、「世話型依存」関係です。
自分の喜びを見いだすためだけに相手の世話を焼きますが、一方で、相手がひとり立ちすることを怖れます。
そのため、多額のお金を貢ぐなど、自分を犠牲にしても相手に尽くそうとします。
そこには、相手に利益を与えることで、相手を支配したいという複雑な心理が隠れています。
そして、世話型依存の人と、人に依存する人とはもたれ合い、お互いに離れられない「共依存」としての関係が生まれます。
親は子どもに従順ないい子を求め、子どもは愛情欲しさにそんな駄目な親であっても必死に奉仕します。
また、友人や夫婦の関係で、「この人には、私がいないとダメだから」と離れられない理由を述べますが、「この人がいないと、私がダメなの」という表現が正しいのです。
自分は、存在する(生きている)価値があるとの意味を求めます。
真っ暗な深い穴に突き落とされたような孤独感やさみしさに押しつぶされそうになると、「消えたい」、「いなくなりたい」と心がざわめきます。
関係が断たれる気配を感じると「別れるなら、死ぬ」と脅し、関係を必死につなげようとします。
ア) 宗教
「大きなものに庇護されたい」、「完璧になりたい」との囚われが強く、神にすがることや特別なもの、超人を崇拝し、傾倒していくことによって、神をあがめる宗教にのめり込みます。
中には、自分には特別な力が備わっていると神との同一化をはかる意識が高いものの傾倒せずに、自らが神となろう、特別な存在になろうとする者がいます。
詐欺を働くものや、一部のDV加害者にもみられる特性です。
とはいっても、神ということを口にできないので、予言的な特殊な能力があることを伺わせるエピソードを披露し、注目を集め、羨望されることで快感を覚えるのです。
他の人の体験談、本やテレビでえた特殊体験をさも自分が経験したようなつくり話を仕立てあげ、気を惹こうとするのです。
そうしたことを繰り返すうちに、つくり話の記憶が現実の記憶と置き換わってしまうことになります。
宗教は心に寂しいを抱え、孤独感に苛まれている被虐退者や支配のための暴力に自分を奪われ苦しい、逃げたい、でも子どもがいてどうにもならない境遇を嘆いている被虐待者やDV被害者の危うい心に忍び寄ってきます*-49。
そういった危うさを持つのも宗教の特徴です。
宗教への傾倒は、精神治療薬の投与とともに、子どもの面倒、家庭よりも重きをおいてしまうため、離婚調停で「親権を認められない」といった悲劇を招くことにもなります。
*-49「危うい心に忍び寄ってくる」やり口については、「Ⅰ-7-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」、「同-(5)霊感商法、対人認知の心理」、「同-(6)結婚詐欺師の言動行動特性」、「同-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」において、詳しく説明しています。
イ) セックス
セックスという嗜癖は、性的倒錯や売買春だけではありません。「相手をとっかえひっかえたりしているか」に注視することが必要です。
女性は安心、リラックスを与えてくれる存在であった父性を求め、男性は無償の愛を注いでくれる母性を心の根底に求めます。
それは、乳児期にえることができなかった「やり残し」を突貫工事で埋めようとする“試し”でしかありません。
しかし、やり残しを試し、嘘、偽りの関係で埋めることなど決してできません。
試し、偽りの行為はより寂しさ感を増長させ、「今度は」、「今度こそは」とさらに試しで埋めようと、偽りの愛を求め、さ迷い続けることになります。
残るのは、数倍にも膨れあがった寂しさと孤独感、そして、新たに加わった穢れ感です。
この穢れ感が、その後の人とのかかわりの障害となり、苦しめることになります。
それは、自分を大切にしない、自己破壊行為のひとつです。
その背景には、幼児期から思春期、青年期に性暴力(近親姦や強姦といった激しい暴力だけでなく、性的いたずらと軽く見られてしまう性的虐待、父親の視線に女を見る意図を感じるなどを含む)あることが少なくありません。
「DVを受けている」、「虐待を受けてきた」と自覚できていないと、私のこの苦しい、やるせない思いを「誰かにわかって欲しい」、「誰かに受け止めてもらいたい」と心がざわめきます。生育関係からくる“さみしい”を抱えていると、「誰かに受け止めてもらいたい」、「認めてもらいたい」、「優しくしてもらいたい」の思いを止められなくなります。
そのため、DV被害者や被虐待者の中には、その思いを「出会い系」などのコミュニティサイトに求める人たちも少なくないのです。
「出会い系サイト」でなくとも、ゲームサイトに付属するメール機能を通じて、やり取りをするうちに関係をもってしまうのは中高生だけではありません。
「30-50歳代の主婦を落とす方法」と銘うって、裏情報がネットを飛び交っています。中には、「DV等、夫婦問題の悩みを聞きます」といってコミュニティサイトで「罠を仕掛けている輩」も少なくないのです。
心に“さみしい”を抱え、誰かに“わかって欲しい”と「足が地についていない心がふわふわした危うさ」を抱えている女性たちターゲット(標的)に、魔の触手を伸ばそうと機会を伺っているのです。
標的にされやすいのは、a)親に向き合ってもらえない女学生(小学校高学年、中高校生など)であったり、b)失恋をしたり、c)離婚をしたり、d)親や近しい人を亡くして間のないといった“哀しさ”や“やるせなさ”を抱えていたり、e)病気やケガをし、入院後の職場復帰に“不安”を抱えていたり、f)転校や転勤、引っ越し後で新しい環境に慣れずに“心細さ”を感じているといった女性たちです。
こうした「心が傷ついている女性」や「心が弱っている女性」を見つけると、ことば巧みに近寄り、優しいことばをなげかけます。
「私の気持ちを受け止め、わかってくれる」と思わせる“巧みな話術”によって、心の隙間にすっと入り込んでくるのです。
“オトス”ための思いやりのあることば、優しいことばを、その場限りのものではないと信じ込もうと、その人を信じ込んでいくのです。
しかし、彼らの気遣いのある、優しいことばは、実は相手のことを思ってではなく、自分が繰りだす巧みな話術によって、思い通りにコトが進んでいる自らの能力(才能)の高さに酔いしれているに過ぎないのです。
“オトス”ことに快感をえているだけなのです。
コミュニティサイトで知り合い、「彼だけが、私の気持ちをわかってくれる」、「彼の本当のよさは、私にしかわからない」、「私だけが、彼のことを支えてあげられる」と関係を切れなくなってしまったり、性暴力被害にあってしまったりするDV被害者や被虐待者も少なくないのです。
また、この手の輩がDV加害者になるとも思いもせず、交際をはじめ、デートDVの被害にあい、別れるタイミングを失い、そのまま結婚し、長く支配のための暴力を受け続けることになることも少なくありません。
出会い系サイトの怖さは、裸やセックス時の写真や映像を撮られ、「夫や職場に知られたくなければ」と脅され、性搾取被害に合う女性も少なくないということです。
デリバリーヘルスなどの風俗で働かすためのスカウトの役目を、出会い系サイトが果たしています。
ウ) 万引き(窃盗)、詐欺
万引き(窃盗)、詐欺の根底には、嘘をつく、偽りの話をでっちあげることに罪悪感にみまわれないことがあります。
しかも、嘘や偽りでのうまみという快感をえた経験が、常習性につながっていきます。
思春期、少年期の万引き行為には、迷惑行為しても、親に受け入れてもらえるだろうかといった試し、愛情の度合いを測る意味合いを持っています。
また、「親にとって従順ないい子を生きたくない」、「ありのままの自分を受け入れて欲しいんだ」といった最初で最期のサイン、「このままでは、心が壊れてしまう。助けて!」といった心の叫びだということを理解しなければなりません。
「お前は、なんてコトしでかしてくれたんだ! 家(一族)の恥だ」などと一喝することで、子どもの心の命を断ってしまう危険をはらんでいます。
乳幼児期に親からのアタッチメント(愛着形成)の獲得に失敗していると、人を信じられず、人とどうかかわっていいのかわからず、交友関係が上手くいかなくなります。
親がしてきたようにモノを与えたり、嘘や偽りのつくり話で面白おかしく友だちの関心を惹こうとしたりします。
また、親から愛の欲求不満(愛着の獲得失敗)を、「スリルという快感を味わう」ことで解消しようとします。

-事例129(薬物依存1)-
私(M)が3歳のころに、父親を家から追いだすようにして離婚した私の母親は、私の祖母に私を預けて働きにでるようになりました。
以降、私は祖母と暮らしています。
私が、17歳のとき、彼(20歳)を同乗させた自動車を無免許で運転しました。ふらふらした走行だということで、警察官に職務質問を受け、薬物使用が発覚しました。
私は、ひとりのときには薬物を使いません。なぜなら、ひとりですると、「薬物をやめなさい!」というお母さんの幻覚がでてきたり、お母さんから見捨てられるような光景が目の前に浮かんできたりして、すごく嫌な気持ちになるからです。
ところが、友だちと一緒に吸うと、おしゃべりは楽しいし、友だちの話を聞いていても面白くなります。
なぜなら、自分の中の別の面がでてくるからです。
そして、なにをしても怖くないという気持ちになります。薬物を吸ってる途中で友だちと揉めたとしても、なにをしてもへっちゃらという気持ちになり、物を持ちだして「ええい、殺しちゃえ!」とか思ったりします。
しかし、覚めると、そんな気持ちになった自分が怖くなって、冷や汗がでてきます。

この薬物事件では、家庭裁判所の調査官が、Mの母親と面談で、「Mちゃん(私)は小さいとき、どんな子でしたか?」と訊くと、Mの母は胸を張って「すっごくよい子で、手のかからない子どもでした。」と応えたといいます。
 非行事件をおこした少年少女の母親の多くが、「すごくいい子でした」とか、「手のかからない子どもでした」と話します。
「手がかからなかった」と応える母親の多くは、放任的で、子どもをきちんと見ていなかったか、支配的で、子どもをがんじがらめにして育ててきたかに該当します。
 Mにとって、薬物を使用することで、ずっと母親に抑圧され、押し殺してきた思いが一気に開放される瞬間に強い快感となっていきました。
 そして、薬物を使用し、彼と半同棲のような生活をはじめたMは、母親が父親にしてきたように、彼に対し、支配的で、尻に敷き、勝気にふるまっていました。

-事例130(虐待20・ネグレクト2・面前DV26)-
私は、3人姉妹の長女です。父親は、母親を殴ったり、汚いことばで罵ったりしていました。
両親が離婚し、私たち姉妹は母親と暮らすことになりましたが、母親が新興宗教にはまってしまい、時々、私たちを家に置いたまま1週間帰宅しないこともありました。幼かった私は、自分も子どもなのに、妹たちの母親の代わりを担わなければなりませんでした。
 私は結婚し、長女Rが生まれると、教育という名の下で子どもを支配するようになりました。
その長女Rは、27歳のときに、自ら命を絶ってしまいました。

自殺した長女Rの母親は、アルコール依存症などの母親に育てられた子どもと同じで、無邪気な子ども時代を生きることが許されず、わがままをいってみたり、甘えてみたりといった子どもとしての本能が抑圧されて育っています。
そして、依存的な親から頼られる(依存される)ことを“わたし”の役割とすることで承認欲求を満たすようになり、その結果、幼かった母親自らも「依存されている立場に依存」するようになっていきます。
なぜなら、依存してもらえないと不安になったり、恐怖を抱くようになったりするからです。
このような人間関係を「共依存」といい、このような機能不全家庭で育った子どもは、総称として「アダルト・チルドレン(AC)」と呼ばれます。
周りからは「いい子」と評されていますが、心の中にはいつも得体の知れない「生き難さ」を抱えています。
ACを抱えている人は、一見しっかりしているようで、中身はもろく、なにかに依存しようとする傾向があります。
それが、アルコールであったり、ギャンブルであったり、子どもができ母親になったときには、子どもに依存してしまったりするケースも少なくありません。
その結果、その子どももまたACを抱えてしまうなど、次の世代にひき継がれていくリスクを抱えます。
長女Rのように、いき過ぎた教育(教育的虐待)を受けているときに自殺するのではなく、受験を経て大学進学後や就職後に心のバランスを崩し、自ら命を絶つケースでは、母親と子どもの関係性が“共依存”的に陥っていて、その結果が「いき過ぎた教育(教育的虐待)」となっていることが少なくないのです。
母親が、「まったくダメな子ね」、「どうしてあなたはそうなのかしら…」などと子どもの人格を否定する表現を頻繁に口にしているとき、無意識のうちに、子どもに対し、「あなたには私が必要なの」というメッセージを刷り込んでいるのです。
「いつまでも自分を必要としてほしい」という親としてのエゴが、子どもを萎縮させ、自立を阻みます。
無意識のうちに、子どもが無力であることを願い、自分の力のおよぶ範囲から抜けだすのを阻止しようとしてしまうのです。
一方の子どもは、母親の期待に応える(拒絶されない)ために、いつまでも親がいないとなにもできない子どもの役割を演じ続けるのです。
 「子どもは未熟。判断力が不足している。だから、親が決める。」、「将来のために、今多少辛くても、無理をさせなければならない」、「あなたのためを思って、私はいま、鬼になっている」と、いき過ぎた教育(教育的虐待)をおこなっている親たちは、疑う余地などない、本気でそう思っています。
しかし、その母親の思いが、子どもの心に、数十年経っても消えない傷を残し、まるで呪いのように、いつまでも子どもの人生を支配し続けるのです。


(14) 子どもに手をあげる背景に、幼児期に抑圧された怒り
<がまん>は、身体を緊張させ、甘えることを知らない身体にしてしまいます。
しっかりと心をヨロイで固めて、自分の感情がでてこないようにします。
その結果、あまりにも辛いことも、哀しいことも心や身体に響かないようになってしまいます。
ところが、大人になって、親になっての怒りは、子どものときの傷に触れた瞬間にでてくるようになります。
子どものころの甘えたいという気持ちが自分の中に残ったままだと、親になったとき、むじゃきに子どもらしく甘えてくる子どもに激しく嫉妬してしまうからです。
そのわが子に向けられる嫉妬心は、ときに、手をあげる原因になってしまうのです。
なぜなら、自分の中にいる乳児が、幼子に嫉妬してしまうからです。
この現象を、インナーチャイルドといい、内なる子どもを抱えたまま大人になってしまった人たちが、すなわち、ACを抱えている人がおこしやすいのです。
内なる子ども(インナーチャイルド)を解き放してあげなければ、心の問題は決して解決できません。
愛されなかったことによる憎しみや恨みも投げだして、自分の悲しみや心の貧しさに気がつかないまま、被害者意識にまみれ、苦しみに苛まれながら生きることになってしまうことになるのです。
しかし、子どもに手をあげてしまっている(虐待している)本人が、自分がACを抱えているとは気づいていないことが多いのです。
なぜ子どもを叩いてしまうのか、なぜ子どもを愛せないのか、悩んで、苦しみます。
人は、自分を受け入れないと、子どもを愛することができません。
子どもをかわいいと思えるかどうかは、自分自身を愛し、どれだけ自分を受け入れられるかにより、自分をこれでいいと思えるかどうかによります。
子どものころに、物凄く辛い体験があったり、親から愛してもらえなかったりした人、そういう人が自分に自信が持てず、結局、子どもを愛せなく、悩むことになるのです。
自分がACと知ることは、自分の今までの生い立ちを見つめ直すことになります。
自分が親から殴られたとき、叩かれたとき、罵倒されたとき、いったいどういう気持ちを抱いていたのか、親に捨てられるかもしれないという恐怖や不安が、自分にどういう影響を及ぼしてきたのかを考えられるようにしていくことが大切です。
子どもを叩いたことがある女性の中で、子どもを叩いたり、蹴ったりしたあとで気分がスッキリとしたという人は、そう多くはいないはずです。
怒りの感情を吐きだすことはできますが、怯え、泣き叫ぶ子どもに苛立ち、怒りを覚える一方で、なんともいえないほど滅入ってしまい、心が動揺してしまうと思います。
その心の動揺を、どうとり繕っていいのかわからずに、再び手をあげたり、怒鳴りつけたりと堂々巡りの状況が繰り返されるだけであって、「スッキリした、もうお終い」とはならないのです。
そればかりか、感情を抑えられなかった罪悪感、無力感に苛まれ、子どもとかかわることが怖くなってしまうことだってあります。
確かに、子どもへの虐待行為は、親のストレスからはじまってしまうことが少なくありませんが、それでストレスを発散できる人なんていないのです。
もし、自分の心がバラバラになって、セーブできなくなってしまいそうになったら、誰かに話を聞いてもらおうことが大切です。
聞いてもらうと、気持ちが落ちつきます。
自分の本音を吐きだして、自分の過去も、自分の意固地な部分も全部吐きだして、心を解き放してあげることです。
きっと、心がスーと解き放たれていくと思います。
たとえ、子どもを支配するため、自分の意のままに従わせるために暴力をふるうことに“快感”を覚える親のおこないとしての虐待行為であっても、問題の本質は同じところにあります。
それは、幼児期に甘えたい気持ちをずっとがまんしてきた思いが、怒りとなり、子どもに手をあげているということです。

-事例131(虐待21)-
小学校3年生のとき、雨上がりに友だちと泥遊びをして帰宅しました。
母親が激怒し、お風呂に連れて行かれ、ホースの水を頭から浴びせられ、ごしごし洗われました。「お母さん、ごめんなさい。もうしませんから」と何度も何度も謝りましたが、母は許してくれず、頭を湯船の中に押しつけられ、私は失神しました。
翌日、泥遊びをした友だちに「面白かったね。おうちに帰ったらお母さんが大笑い。Yちゃんとこは?」と訊かれ、「うちもそうよ」と応えました。
結婚し、子どもが生まれました。
離乳食から普通食に替わり、長男が口の周りを汚しながら得意げに食べていたり、食べ物や飲み物をこぼしたりするイライラして「どうしてこぼすの!」と怒鳴り、手を叩いたりするようになり、2歳の長男が公園の砂場で遊んでいる同じ年頃の子どもたちのところで遊びたがると「汚いからダメ!」と怒鳴りつけたりしています。

-事例132(虐待22・性的虐待7)-
3歳になった長男のおちんちんを見ていたとき、突然、父の自慰の手伝いをさせられていたことを思いだしました。そして、小学校になった私は、父に「かわいい、かわいい」といわれるのがうれしく、自分から積極的にフェラチオをしていました。
忘れていた記憶が蘇ったとき、おぞましく吐き気がしました。男の子をどう育てたらいいのかわからなくなり、自信がなくなった私は、長男を虐待するようになっていきました。

-事例133(虐待23)-
母は、男の子のように私の髪を刈り上げ、男の子の服を着せました。一方で私の友人関係には極端に厳しくて、男の子と口を利くことさえ許されませんでした。
中学生になった私は、母親に反発して非行グループに入りました。
シンナーは、苦しさ、悩みを忘れさせてくれ、家出をするようになってからは援助交際をするようになり、そのころから過剰に食べては吐くといった過食(摂食障害)がはじまりました。
水商売をするようになるとアルコールに溺れるようになり、同棲相手に覚醒剤を覚えさせられ、私の人生は留まるところを知らずに落ちてゆきました。
母が私に厳しかったのは、母の性暴力被害によるトラウマが原因でした。
母は小学校低学年のとき、近所の高校生に暗い納屋に連れ込まれ、パンツを脱がされ、性器をいじられていました。
その後も、中学校ではいじめにあい、職場ではセクシャルハラスメントやストーカー被害あるなど、性的にいろいろな嫌な体験をしました。
結婚したものの、女の子を育てる自信がなく妊娠を避けていましたが、妊娠し、女の子が生まれたとき、母は失望で愕然としたということでした。

-事例134(虐待24・過干渉1・教育的虐待2)-
「女の子に学はいらない」との方針で育てられ、学歴にコンプレックスのある母は、「おめでた婚」で結婚し、私を出産しました。
3人きょうだいの長女の私に「自分のことは自分で決めなさい」と口ではいうものの、私が「こうしたい」というと反対しました。
ジーンズは禁止、見ていいテレビはNHKだけで漫画はダメ。身だしなみと進路のこと以外は関心がなく、そのときの気分次第で干渉してきました。中学校3年生のとき、受験のため部活動の吹奏楽をやめることを強いました。
母の希望する国立大学に進学した私は、過食嘔吐を繰り返すようになりました。母が50歳代で父と離婚すると、長女の私を呼びつけ、繰り返し父の愚痴をこぼしました。
そして、「あなたを妊娠しなければ結婚しなかった。」との暴言を受けて、私と母の関係は修復困難になりました。

-事例135(虐待25・過干渉2・教育的虐待3)-
私は幼稚園・小学校ではいじめられっ子で、友だちとうまく遊ぶことができませんでしたが、成績はよい方でした。
ただし、苦手なことと得意のことの差が極端でした。
高校は名の知れた進学校に進みましたが、母は「結婚しなくなると、お父さんがいっている。」として大学進学に反対しました。私は土下座をして、入学金の納付を懇願しました。
大学の卒業とともに実家をでて以降の30年間、私は、母と話したことはほとんどありません。
なぜなら、母は、命がけで娘を自分の理想像に近づけようとすることが愛だと押しつけてくるからです。
大学生のときは、自分を押さえてまでも、やっぱり育ててもらったし、期待に応えるのが娘の務めと思って頑張り続けました。
しかし、自分を押さえ込んで期待に応え続けることがツラくて、苦しくて、パニックをおこすようになりました。
そして、私は「ADHDとアスペルガー症候群が重複した発達障害」と診断されました。
また、精神科医に「お母さんも発達障害の可能性が高い。娘を理解するために必要な部分が欠損していた。」と指摘され、安心しました。
なぜなら、冷たく思えた母の言動が病気に起因している可能性があるとわかったからです。

親は誰しも子育ての過程で戸惑い、混乱します。
ときに、試行錯誤の中で論理の一貫性を失い、方向を見失うこともあります。
よりよく育てようと強く思うあまり、必要以上の厳しさで子どもを「管理」してしまったり、複数の習いごとをさせて子どもをふり回してしまったりすることがあります。
こんなに子どものために頑張っているのに、期待に沿わない子どもに対して苛立ち、激しいことばで非難し、責め続けたりすることもあります。
背景には、「こんな私(人生)であるはずがなかった」との思いがあります。
その思いは、「あなたさえいなかったら」との思いつながり、報われないやるせなさ、苛立ちをぶつけてしまうわけです。
この問題には、母親自身が、自分の母親から同じように管理され、支配されてきているという事実があります。
そして、自分では解けない混乱を、管理・支配という方法で子どもに譲りわたすのです。
その結果、脈々と世代間で「子育ての混乱」が受け継がれていくことになります。
それは、「だって、心配なのよ。あなた・・から」、「あなたは・・できないから」とのことばで、子どもをいつまでも“できないまま”“心配なまま”に縛りつけます。
「あなたはできない」と心を折られ続けて育った子どもは、親のことばを疑わず、自分には母親の手助けが必要と信じ続けます。
ここに、支配と従属の関係性がつくられます。
そして、勉強に習いごと、学校生活から友人関係、服装や身につけるもの、読むもの、聞くもの、食べるものまでをことごとく詮索干渉し、管理し、就職にも大きく関与します。
さらに、異性関係や結婚生活、出産と孫育てまでも口をだし、思いどおりにしよう支配を強め、どこまでもついてきます。
子どもが従順で、自分の期待に応えれば機嫌がよく、そうでなければ厳しいことばで非難し、貶め、責め、こらしめ・罰としてのペナルティを課すのです。

-事例136(虐待26・面前DV27/世代間連鎖)-
※ 現在、掲載にあたり、本人の承認待ちです。


(15) 回避的に意味を持つ子どもの「非行」
子どもの家出や万引き・窃盗、暴走行為、不純異性交遊、不良交遊、金品持出、放火、シンナー・ボンド、家庭内暴力、校内暴力、粗暴行為、性非行、飲酒・喫煙など、これらの行為がさらにエスカレートしていくと、暴力行為や恐喝、薬物依存、性的逸脱行為などに発展していくことが少なくありません。
こうした子どもの問題行動(非行)は、虐待から逃れるための手段であったり、家での虐待を忘れたい思いであったり、ツラいことから回避する意味を持っています。
親からの身体的虐待や性的虐待、精神的虐待から逃れるために家出をしたり、ネグレクト(育児放棄)環境にあり、空腹に耐えきれず、食べ物を盗んで命をつなぎ、気持ちを満たしていたりすることも考えられます。
子どもは親に虐待されることで、情緒や心理面にも大きな傷となります。回避的な非行は、親や大人、社会に「わたしは、ここにちゃんといる。ちゃんと見てよ!」という訴えに他らないのです。
では、暴力のある家庭環境で育ち、虐待を受けた子どもは、どのようにそのツラさから逃れようとするのかを、ここで、もう一度、整理しておきたいと思います。
年齢が低いときには、虐待から逃げようという行動に移ることは難しいわけですが、年齢が高くなるにつれて、自分たちで工夫をし、それを行動に移すことができるようになります。
それは、主に家出として表れます。
虐待からの回避のための非行を「虐待回避型非行」と示すと、家出以外の非行については、「暴力粗暴型非行」、「薬物依存型非行」、「性的逸脱型非行」の4つのタイプにわけられます。
「虐待回避型非行」は、家出が行動として選びやすく、家出に伴い、万引きや金品を持ちだすといった問題行動を伴うことがあります。
さらに、家出を繰り返す中で、いままでにない刺激(雰囲気や解放感)を味わうことを目的に、家出を繰り返すようになることがあります。
子どもには、これまで虐待を受けてきたことにより神経を張りつめて生活してきたものが、家出やそれによる人間関係の広がりによって解放されたように感じられます。
夜遅くまで遊んだり、バイクに乗って遊んだりすることは、虐待の苦痛やイライラの解消になります。
しかし、そこには、不良仲間との関係が発生するなど、大きな危険が潜んでいます。
家出が長期化することは、どこで寝泊まりするか、生活する費用をどうしていくかという問題と直面します。
親のお金をくすめたり、親のクレジットカードを無断で使用したり、また、友人や知人を頼り泊めてもらったり、援助を受けたりすることもあります。頼るお金や友人がいないときには、生き延びるために、盗みを繰り返したり、「援助交際」と称した売春により金品を得ようとしたりすることもあります。
さらに、コミニュティサイト(掲示板や出会い系サイト)の「泊まるところを提供します」とのことばを信じ、レイプ被害にあったり、性的搾取を強いられる被害にあったりする場合もあります。
身体的虐待を受け続けた体験が、暴力を伴う事件を起こしたり、器物を損壊したり、暴力的なふるまいを伴い恐喝したりする粗暴行為に向かわせることがありますが、これを、「暴力粗暴型非行」と捉えます。
暴力のある家庭環境で暮らし、虐待を加える親の行動パターンや思考パターンを子どもが自然に学び、コピーするように身につけてしまうことを起因としています。
抑制のきかない攻撃的な言動に日常的にさらされると、子どもはその良し悪しもわからず、同じような攻撃性を知らず知らずのうちに身につけてしまいます。
また、親からの虐待は、精神的なダメージも深く残ります。
そのため、子どもが加害者となったとき、相手を痛めつける効果的な手段として身体的な暴力に向かわせます。
虐待を受けた子どもの性格特徴の中で、感情のコントロールの欠如があげられます。そ
れまで普通に遊んでいたのに、突然、怒りだし、自分で感情や行動を抑えられなくなります。
「キレる」という現象は、感情コントロールをできないことが原因となっています。
さらに、虐待を受けた体験が、恨みや憎しみ、大人や社会への憤りといった感情を心に抱え込んでいることもあります。
子どもは、親から十分な愛情や関心を向けられないと、ずっと満たされなかった渇望感、底なし沼のような寂しさ求め続けます。
同時に、愛着が満たされないと恨み、怒りの感情を秘めています。
満たされなかった愛着、すなわち、渇望感や寂しさを満たしたい思いの中で、人とのかかわりを持とうとします。
そのため、その思い(期待)が満たされないとき、激しい怒りの感情があふれでてきて、激しく罵倒したり、暴行を加えたり、逆に「見捨てられ不安」を回避するために執拗に詮索干渉したり、執着したりするトラブルを招くことがあります。
いわゆる、男女間ではデートDVやDVであり、ストーキングであり、職場などでのパワーハラスメントやモラルハラスメント、セクシャルハラスメント、親子間では殺傷事件に起因するものです。
虐待を受けてきた子どもたちは、自分が受けた虐待の感情を緩和させようと、暴力や粗暴な行為を繰り返すことがあります。
「マステリー(mastery)」という概念について、西澤哲氏は「ある行為を行動的もしくは認知的に繰り返すことによって、その行為に伴ったショックなどの強い感情を和らげることであり、心の傷を癒す一つの方法である。」と述べています。
平成7年1月17日におきた阪神淡路大震災により、精神的なショックを受けることになった被災地の子どもたちに、「地震ごっこ」をして遊ぶ姿が見られ、平成23年3月11日におきた東日本大震災では、被災地の子どもたちには「津波ごっこ」をして遊ぶ姿が見られました。
大地震を自らが再現することは、自分ごととして受け入れる(実感を持ち、受け入れる)ことを意味し、トラウマ(心的外傷)からの回復にはなくてはならないプロセスです。
しかし、過去の虐待による慢性反復的トラウマ体験を、他者に暴力的な行為をすることで克服しようとすることは、自己もしくは他者を困らせる結果になるだけで、マステリーには結びつかないのが現実です。
したがって、暴力のある環境に順応するために身につけてきてしまった考え方の癖(思考・習慣行動習慣、認知の歪み)を自覚したうえで、思考習慣を学び直しが必要になります。
他には、解離が生じ、自分自身が被害を受けていてもその状況があまりにも過酷であるため、現実の意識や感覚から自分を切り離し、低限の精神的な安定を保とうとしていることがあります。
解離による傷みの麻痺がある場合、傷みに対する感覚が欠けているため、相手の傷みに共感することができず、加減(ころあい)を身につけてきていないことから、大きな暴力の被害を招いてしまうことがあります。
家出などの回避的行動を起こし、その中で不良仲間との接触が多くなるとき、家庭内での疎外感や孤立感が強いだけに、その仲間への親密性を増大させていくことがあります。
そのとき、仲間の中に薬物を使用する仲間がいると、その仲間との一体感や親和感を求め、薬物に手をだしてしまうこともあります。
こういった方向に非行が向いていくことを「薬物依存型非行」と捉えます。
薬物に手をだす背景には、虐待を受けたことによる子どもの自己イメージの悪さや自尊心の乏しさと関係があります。
子どもは虐待によって自分に悪いイメージを持ち、自分のことを大切な存在だと思うことができなくなります。
本来、親の愛情(愛着)から自分の大切さを学ぶことができますが、虐待を受けた子どもは、もっとも基本となるその部分が抜け落ちてしまうことになります。
そのため、リストカットや過剰服薬、過食拒食など自分の命を傷つける自傷行為に走ったり、薬物使用に走ったりしてしまいやすくなります。
さらに、現実を忘れようとして薬物使用を深めていくことがあります。
現実からの回避にとどまらず、自分自身と向き合うことさえも避けようとしていたり、日常感覚が麻痺していたりすることが、回避的行動よりも事態を深刻にさせていきます。
その状態を意図的につくるために、薬物を使用することもあります。
薬物を使用することによって、苦痛や現実を意識から意図的に遮断させ、一時的であるにせよ効果があることで常習的となり、依存傾向を強めていくことになります。
性的虐待を受けた子どもに顕著に見られるのが、「性的逸脱非行」です。
自己イメージの悪さや自分を大切に思えない特徴が顕著です。
性的虐待において、さまざまな精神的な苦痛を強いられるだけでなく、そのことが原因で、性に対する歪んだ認識や価値観を持つことが少なくありません。
幼少期に性的虐待を受けてきた子どもの中には、それが愛情表現のひとつだと捉えている子どももいます。
思春期になりその奇妙さに気づく子どももいたり、性に対する混乱や悩み、葛藤となったりすることもあります。
性を唯一の愛情表現だと思い込んだり、性に対する異常なまでの嫌悪感を抱いてしまったりする背景には、性的虐待体験にもとづく“歪んだ性”への認識や価値観が影響しているのです。
性的虐待被害者は、自分を大切にできない感覚が強く、自傷行為や薬物依存型非行へ向かうとともに、無抵抗に性を受け入れたり、性的逸脱を繰り返したりする性的逸脱行為へ向かうことがあります。
なぜなら、性的虐待を受けてきたことで、自己の性を守ろうとすることを身につけていない(姿勢が欠落している)からです。
性を生きるための道具として使ってしまうこともあります。
虐待によって家庭での居場所をなくし、家をでて生活していくとき、自分の性で生活費を稼いでしまうことで非行となることもあります。
根本となる問題は、心と体が切り離されていることです。
虐待を受けているとき、その状況を受け入れたくないために解離により、精神的苦痛を少しでも避けようとするのです。
虐待を受けているとき、「自分の心を切り離し、外から虐待を受けている自分を見る」という離人症状下にあることがあります。
そして、性を道具として生きていかなければならないとき、その苦痛を薬物でとり除こうとすることがあります。
性風俗を支えているのが、性的虐待被害者であるといわれていますが、“源氏名”という別人格下で精神的苦痛を少しでも避けようとしているものの、睡眠導入剤や精神安定剤などを処方されていることが少なくありません。
苦痛を和らげるために精神治療薬に頼り切っている状況にあるとき、覚醒剤や危険度ドラックと接しやすい状況にあるということです。
精神治療薬に頼ることなく、直接、手を染めることもあります。
ここに、性的逸脱型非行としての深刻な問題があります。
非行行動がエスカレートしていくと、回避的な意味合いを見失っていくことが少なくありませんが、以上のように、非行のタイプは違うものの、すべてが虐待からの回避がベースにあることがわかります。
少し古い数字になりますが、平成18年の少年刑法犯検挙人員は、16万4,220人になります。これを10歳以上20歳未満の少年人口10万人当たりの検挙人員でみると、1,321.0人となっています。
つまり、100人のうち1.321人の少年が検挙されていることになります。
小学校の1学年に35人学級が2クラスあるとすると、1学年で約1人(0.92人)が、6学年で考えると、同時期に学んだ児童の約6人が卒業後に検挙されていることになります。
こうしてみると、少年犯罪は驚くほど身近なことであることがわかります。
暴力のある家庭環境、つまり、機能不全家庭で育ってきた少年が、「虐待回避的非行」と「性的逸脱非行」の結果、最悪の事態を招くことになったのが、広島呉で発生した16歳少女を集団暴行し、殺害した事件です。


-事例137(事件研究21:広島呉16歳少女集団暴行死事件)-
「広島呉16歳少女集団暴行死事件」は、平成25年6月28日、21-16歳の男女7人が、専門学校生16歳の黒瀬恵利華さんを広島市中心部から車に乗せ監禁し、車内において集団で暴行し、約20キロ離れた呉市の灰ケ峰方面へ移動し、現金約4万2000円とキャッシュカードなどを奪い、女子生徒を殺害し、呉市栃原町の山中に遺体を遺棄した事件です。
同年7月12日13時10分ころ、広島市東区に住む無職の16歳少女は、家族らに連れられて広島東署に出頭しました*-50。広島県警は12日夕方から灰ケ峰を捜索し、同月13日17時20分ころ、「灰ケ峰公園」の東側の歩道を約20メートル入った山中の斜面で、若い女性の遺体を発見し、同月14日未明、無職の16歳少女を死体遺棄容疑で逮捕しました。
同月17日、広島県警呉署捜査本部は、21歳の男と、いずれも16歳の少年2人と少女3人の計6人を死体遺棄容疑で逮捕しました。
同月23日、広島県警呉署捜査本部は、遺体が、歯の治療痕と骨のDNA型鑑定の結果、遺体は広島市安佐北区、高等専修学校2年16歳の女子生徒黒瀬恵利華さんと判明したと発表しました。
同年8月3日、広島県警呉署捜査本部は、21歳男A、16歳少女B、16歳少年Cの3人を強盗殺人、監禁、窃盗容疑で再逮捕し、17歳少年D、16歳少女E、16歳少女F、17歳少女Gの4人を強盗殺人、監禁容疑で再逮捕し、同月23日、広島地方検察庁は運転手役の無職の21歳男を強盗致死、監禁、死体遺棄、窃盗罪で起訴し、16歳少女Bと17歳少年Dを強盗殺人などの非行事実で、16歳少年C、16歳少女E、16歳少女F、17歳少女Gを強盗致死などの非行事実で広島家庭裁判所に送致しました。
そして、家庭裁判所は、同年9月5日までの観護措置を決定しました。
さらに、同年8月28日、広島県警捜査1課などは、無職の21歳男を別の事件の強盗致傷容疑で再逮捕し、同月6日、16歳少年Cを、別事件の強盗致傷容疑で広島地方検察庁に書類送検しました。
同月18日、広島地方検察庁は、21歳男を強盗致傷罪で広島地方裁判所へ起訴し、少年Cを強盗致傷の非行事実で広島家庭裁判所に送致しました。
広島市中区の少女(16歳)は、生活保護を受給していました。少女は親のネグレクト(育児放棄が認めたことから、直接、単身世帯として受けとっていました。
逮捕された未成年者6人の中には、少女以外にも児童虐待を受けていました。
生活保護の受給基準は年齢制限がなく、未成年者の単身世帯でも要件を満たせば生活保護費を受給することができます。
少女は一時、鳥取県内の施設に保護されていましたが、その後は友人宅を転々としていました。
平成25年4月中旬、月額約10万円の生活保護費を受給し、広島市中区の6階建、部屋は6畳の洋室とキッチンなどがついた1Kタイプのマンションに入居しました。家賃は住宅扶助費(生活保護)上限の月額4万2000円(広島市の場合)でした。
このマンションには、少女の交際相手の少年(16歳)のほか、今回の事件で逮捕された者が複数、出入りし、逮捕されるまでの2ヶ月間、事実上、未成年者だけで共同生活を送っていました。
共同生活を送っていた逮捕されたグループの中には、少女と同様に、ネグレクトのような児童虐待を受けるなど、家族との間で深刻な問題を抱えている者が複数いました。
一方、この少女は、同年7月14日に自首した少女(16歳、広島市東区)に誘われ、被害者とみられる高等専修学校の女子生徒(16歳)と一緒に接客業をしていました。
その収入と生活保護費で生計を立てていました。
*-50 平成23年7月末で、全国の生活保護受給世帯(約202万世帯)のうち、未成年者の受給は1473世帯(人)で、5歳以下39人、6-11歳38人、12-14歳50人、15-17歳295人、18-19歳1051人となっています。
自首した少女は、4歳のときに両親が離婚し、母親(40歳代)と祖母(60歳代)から激しい虐待を受けていました。
少女の母親は、少女がいうことをきかなければ叩き、迷惑をかけた人には、理由をきくこともなく、力ずくでも連れて行き頭を下げさせました。
さらに、少女は、小6のとき、母親の交際相手から性的虐待を受けました。
少女は性的被害を親に訴えたが、母親は真剣に受け止めることはありませんでした。
そして、同年4月、16歳の少女は家をでて、似た境遇の4人で「ファミリー」と称し、共同生活をはじめることになったのです。
事件は、共同生活をはじめて約40日後におきました。
接客業は、殺害された少女を含めた仲間6-7人を集め、最初の1ヶ月で100万年ぐらい稼ぎ*-51、少女と殺害された少女とは、稼ぎによる利益の分配金を巡り、金銭上のトラブルを抱えることになります。
そして、無料通信アプリ「LINE」での口論が発端で、ファミリーとほかの少女らが一緒になり被害にあった女子生徒を車に監禁、暴行し、殺害したのです。
少女は「ファミリーは、かけがえのない存在で、暴行を途中でやめたりすると、ファミリーに示しがつかなくなり、絆が切れてしまう。裏切ることはできないと思った。集団心理も働き、暴行がエスカレートしていった。」と供述しています。
*-51 平成25年10月15日、福田将巳(無職、37歳)と武氏翔(無職、21歳)が、売春防止法違反(週旋、売春 契約)と児童福祉法違反(淫行させる行為)の疑いで逮捕されたことで、家裁送致された少女2人がかかわっていることが判明しました。
こられのことから、少女たちが1ヶ月で100万円ほど稼いだとされる接客業は売春であり、少女らが売春で得た金の一部を、福田と武氏らに支払っていたということです。

同年10月15日、広島家庭裁判所にて、強盗致死などで送致された少女B(広島市中区、16歳)、少女D(呉市、17歳)、少女E(安芸郡、16歳)に対する少年審判が開かれました。植田智彦裁判長は決定要旨で、事件を「極めて悪質」とする一方で、3人に殺意はなく、死体遺棄罪にもあたらないと認定しました。
3人それぞれの成育環境などに触れ、「保護処分の選択を社会的に許容しうる特段の事情がある。」と述べました。
少女Bについては、「主犯格の少女とともに暴力的な制裁を企てた。」、「車内での暴行に加わり、金品の強奪に積極的に関与した。」と悪質性を指摘し、一方で、「依存的で同調しやすいことが犯行に関連している。」、「灰ケ峰での暴行や殺害行為には加わっていない。過酷な成育歴を背景とする問題が大きく、専門的な指導が必要」とし、殺害行為に加わっていないことや劣悪な家庭環境などを考慮しています。
収容期間は、「相当程度の長期間(3年程度)」と勧告したうえで、中等少年院送致を決定しました。
少女Dおよび少女Eについては、「興味本位で被害者の呼び出し役を引き受けた。」とし、いずれも責任は軽視できないとしながらも、暴行や殺害行為に加わっていないことなどから「関与の程度は他の少年少女らに比べて大きな隔たりがある。」と判断しています。
同月17日、広島家庭裁判所は、強盗殺人容疑で送致された女子生徒の元同級生の少女(広島市東区、17歳)、その交際相手の少年A(熊本県荒尾市、17歳)に対し、検察官送致を正式に決定し、同月25日、広島地方検察庁は、17歳少女Bと17歳少年Dを強盗殺人、監禁、死体遺棄罪で起訴しました。同月30日、広島家庭裁判所は、強盗致死などの非行事実で送致されていた少年C(米子市、17歳)の少年審判を開き、植田智彦裁判長は、「(他の)少年が首を絞め始めると、抵抗感や恐怖感を感じたものの、制止せず、逃避するように立ち去った。結果に対する責任は相当に重い。」と述べ、一方で、「犯行への関与が従属的であった。」ことや、「成育環境や人格的な未熟さが軽視できない要因となっている。」ことを考慮し、死体遺棄罪の成立も否定しました。そして、「矯正可能性は十分にある。」とし、「相当程度の長期間(4年程度)」の勧告をつけたうえで、中等少年院送致を決定しました。
裁判で指摘されたのが、幼少期に虐待や育児放棄などで「愛着」を形成できないと、自分のことを大事に思うことができなかったり、ほかの人を思いやったりする想像力がはぐくまれなかったりすることで、自分の感情や行動をコントロールできなくなる「愛着障害」でした。
愛着障害の疑いのある子どもは、医療少年院に送られ更生プログラムを受けることになりますが、「職員にベタベタと甘えたり、逆に些細なことで牙をむいてきたりします。すごいエネルギーで爆発してくる子がいます。」といい、基本的な人間関係ができていないことから、関東医療少年院の斎藤幸彦法教官、「担当者は予測ができない中で、教育していかなければならないという難しさがあります。」と述べていますが、担当者も苦慮することになるといわれています。


-事例138(事件研究22:大阪2児餓死事件)-
「大阪2児餓死事件」とは、平成22年7月30日、母親の育児放棄(ネグレクト)により大阪市西区のマンションで2児(羽木桜子(3歳)ちゃんと羽木楓(1歳9ヶ月)ちゃん)が餓死した状態で発見された事件です。
平成22年7月30日、「部屋から異臭がする」との通報で駆けつけた警察が2児の遺体を発見し、2児は死後1ヶ月ほど経っていました。
遺体が発見される4ヶ月前の同年3月30日、同年5月8日、同月18日の3回、大阪市子ども相談センター虐待ホットラインに、住民から「子どもの鳴き声がする」と虐待を疑うが通報が入り、同センターの職員が翌3月31日-4月2日の3日連続、5月9日、5月18日の午後、家を訪問していますが不在で接触することができませんでした。訪問時には、子どもの鳴き声や物音を確認することができませんでした。
また、3日連続で訪問し接触することができなかったことから、同センターでは、4月5日にマンションの管理会社に問合せるも住民の世帯構成を確認することができませんでした。
そして、下村は、平成22年6月9日ころ、居間の扉に粘着テープを張ったうえに玄関に鍵をかけて2児を自宅に閉じ込めて放置することになり、同年7月29日、風俗店の上司から「異臭がする」との連絡を受けた下村は、約50日ぶりに帰宅し、2人の子どもの死亡を確認することになりました。
そして、上司に「子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった。」とメールを送った下村は、翌30日に逮捕されるまで、近くのホテルで男性と過ごしていました。
同日、大阪ミナミのファッションヘルス店に勤務していた母親の下村早苗(23歳)を死体遺棄容疑で逮捕し、のちに殺人容疑で再逮捕されました。
2児は、大量のゴミに埋もれた部屋の中で、一部白骨化していました。
冷蔵庫には、飲み物や食べ物を求めた小さな手の跡が残されていたといいます。
下村は、風俗店関係者に「子どもをほったらかしにしているので、死んでいるかもしれない。」と話していたといい、「育児を放棄して殺してしまった。」と容疑を認め、「ご飯をあげたり、風呂に入れたりすることが嫌になった。子どもなんかいなければいいと思うようになった。」、「ご飯も水もあげなければ、小さな子どもは生きていけないことはわかっていた。」、「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて育児が面倒になった。もっと遊びたくて家をでた。」と供述しています。
同年1月、下村は大阪ミナミの風俗店で働きはじめることから周辺のホストクラブに通いはじめ、同年4月には、複数の店をはしごするようになります。複数のホストと交際するようになった下村は、2-3日間、長女と長男を家に残したまま外泊するようになります。
同年6月9日ころ、2児を家に置き去りにして家をでて行ったあとは、友人宅などを転々とし、妹宅を訪ねたり、地元の三重に戻ったりしていました。2児については、「実家に預けた」と応えていました。
2児を餓死させた鬼母として、下村が出身地の四日市や大阪市内で遊び回り、オシャレに気を配り、その様子をSNSに写真や文章で投稿していた内容が報道され、風俗嬢のドレスで男性を誘う営業用の映像も流れされました。
下村は、昭和62年、三重県四日市市で、高校教師の父と主婦の母親との間に三姉妹の長女として生まれました。
父親は不良のたまり場と呼ばれた高校で名門ラグビー部を育て上げた有名監督の下村大介氏でした。
母親は父親の教え子の一人で、高校卒業後に結婚し出産しますが、夜遊びや不倫を繰り返し、育児を放棄していたということです。
両親の離婚後、下村ら三姉妹は父親にひき取られます。父親は再婚しますが、三姉妹は父親と再婚相手からあまり手をかけられることはなく、小学生だった下村が、妹2人の世話をしていたといいます。
下村は、小学校では優等生でしたが、中学校に入学以降、非行グループとつるむようになり、何度も家出を繰り返すようになります。
下村は、不登校がはじまった中学2年生のとき、14歳で初体験をし、その後、相手を次々に変え、家出のお金を稼ぐために援交もしていたといいます。
また、中学3年生のときには、レイプされ「回される」など性暴力被害にあり、中学校の担任が、下村の妊娠の有無の確認を手伝っています。
下村は、繁華街でたむろして、夜はカラオケや非行仲間の家に行き、バイクを乗り回して補導されました。
そうした中で、下村は、中学校の教師と信頼関係がつくれず、教師側が親しくなったと感じても、翌日には「死ね!」と罵声を浴びせて、学校を飛びだしていったといいます。
そして、父親との関係づくりに困った学校は、下村の実母に頼ることになりました。
また、当時の仲間のひとりが、「早苗はテンション高かったから、おったら楽しかった。でも、よく嘘をついたから、仲間からは信用されていなかった。人の恋人をとることもあったし。なんでもしゃべるけど、大事なことや、助けのいることは何もしゃべらんかった。」、「トラブルになるとすぐに姿を消すので、そんなとき仲間たちは「早苗が飛んだ」といっていた。」と話しています。
この時期、父親が高校スポーツの指導者として朝のニュースショーの特集(20分)としてとりあげられています。
特集内容は、「3人の娘を抱えるバツ2でシングルファーザーの高校教師が、19年前に不良の巣だった三重県立四日市農芸高等学校のラグビー部を熱血指導で更生させました。全国高校ラグビーの花園出場常連校となり、子育ても頑張りましたが、中学生の長女は暴走族に入り、家出を繰り返ようになります。猛練習で今年も花園出場を果たし、ベスト16に進出しました。試合を観戦した娘は涙を流し、父を祝福した。…。そして、40歳代初めでラガーシャツの襟を立てた下村大介さんが、家出をした中学3年生の娘、早苗さんを、プリクラの機械のカーテンの下を覗き込むなど夜の盛り場を探し回り、カラオケ店の受付でモニターの画面に娘の名前を見つけ出す。そこで、福澤明が「素晴らしいお父さんをもつ早苗ちゃん、あなた幸せだぜ、な。これからも家族仲よく。ちゃんと家に帰るんだぜ。」と家に帰るように促すと、頬はふっくらし、茶髪は肩にかかり、目にくっきりとアイラインを入れ、中学の制服を着た“早苗ちゃん”が緊張した不安げな顔でうなずき、側らの父親が照れくさそうに笑います。」というものでした。
犯罪で逮捕された容疑者に関しては、親族の代表者が警察とのやり取りや容疑者の所持品のひき取り、生活必需品の差し入れなどをひき受けるのが一般的ですが、父親は大阪府警の要請を拒否しました。
父親は娘(下村)とのかかわり拒み、親族代表は、大阪府内に住む父親(下村の祖父)に押しつけ、父親として責任を放棄してしまいました。
下村に対する公判期日が決まった平成23年1月、父親はインタビューに応えています。
「早苗さんが強姦されたことを知っていましたか」と訊かれ、父親は「当時は、知りませんでした」と応え、「早苗さんが学校に相談したことは」と訊かれると、「学校からは聞いた覚えはありません。」と応え、続けて、「学校は当時、もっと早苗さんの話を聞いて欲しいと、下村さんを呼んだこともあったようですが」となげかけられると、父親は「呼ばれて行かなかったことはないと思います。あの学校は荒れていた。生徒がむちゃくちゃしているのに、教員は叱らない。先生に嘗められているんです。いうことをきかんかったら、しっかり指導して、きかすんが教員でしょう。同業者として、あり得ないと思ったので、親として話を聞くところまでいきませんでした。」と学校の教育姿勢を批判し、生活をともにしていた中学校時に家出を繰り返していた娘のことを応えることはなく、インタビュアーと父親のやりとりはかみ合うことがありませんでした。
中学卒業後、関東の私立高校に進学し、父親の知り合いの教師の実家に下宿することになりました。
高校進学当初は、反発していたとのことでしたが、卒業の前には落ち着き、家事や礼儀作法を身につけていたといいます。
高校卒業後、下村は地元に戻り、割烹店に就職しました。
平成18年12月、下村は大学生だった男性と結婚し、夫の実家で生活することになりました。夫はその後大学を辞め、就職しました。
平成19年5月、下村は20歳になった直後に長女を出産しました。下村は夫の両親とも良好な関係を築いており、長女は両親と祖父母に囲まれて大切に育てられていたといいます。
この時期、下村はブログを開設し、子どもへの愛情や幸せな生活について書いています。
平成20年10月に長男を出産すると、古い友だちと連絡をとるようになり、子どもを家に置いて朝帰りを繰り返すようになります。そして、下村の不倫が、夫や夫の両親の知るところになり離婚することになります。
2人の子どもは下村がひき取り、下村は実母を頼ります。
しかし、実母は精神的に不安定で、子育ての協力を期待できる状態ではなかったことから、下村は実母の元を離れ、寮つきの風俗店を転々とする生活がはじまりました。
元夫からの養育費などはなく、両親の援助をえることもできない下村は、子どもたちはネグレクト状態になっていきます。
そして、下村は子どもを残し、わずかな食料を置き、長期間家を空けるなど、交際相手と過ごすようになっていき、遂に50日間家に帰らず、2児が遺体で発見されることになりました。
逮捕後、約5ヶ月間の鑑定留置期間に受けた精神鑑定の結果、「刑事責任能力には問題はない」となり、大阪地方検察庁は殺人罪で起訴し、死体遺棄容疑は不起訴処分としました。事件発覚から1年7ヶ月が経過し、平成23年3月5日、公判がはじまりました。検察側は、母親が最後に家をでたとき、「冷蔵庫に食事がなかった」、「子ども2人の衰弱を目のあたりにしていた」として、下村には「殺意が認められた」と無期懲役を求刑しました。弁護側は「被告も育児放棄を受けた影響があった」として、「子どもに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪にとどまる」と主張しました。
平成24年3月16日、大阪地方裁判所は、「子どもに対する未必の殺意があった」と認定し、懲役30年の実刑判決を下しました。判決を不服とした下村は控訴し、控訴審初公判でも、衰弱した子ども2人を食料のない自宅リビングに放置したことを「危険という認識はなかった」と述べ、改めて殺意を否定し、弁護側は「被告が幼少期に実母から育児放棄されていた経験が犯行に影響している。」として、「虐待のトラウマで、対応が困難な状況になると意識を飛ばしてしまう傾向があった。子どもたちが餓死する具体的な認識を抱くまでに至らなかった。」と述べ、1審同様、「保護責任者遺棄致死罪にとどまる」と主張しました。
同年10月、下村は養子縁組し「中村」姓になりました。
養父の中村氏は、「1審判決後に、面会や手紙のやりとりをはじめた当初、下村は「どうしたら死ねるだろう」と話していたが、いまは「生きて罪を償う」と心境に変化が現れ、子ども2人が亡くなったことを悔やんで写経する日もあります。」、「早苗は当時子どもを捨てることもできず、保護施設に預けることもできなかった。彼女の心理状態では、子どもを守る行為は部屋に残すことだったのではないか。」と述べています。
同年12月5日、大阪高等裁判所は、「生命が危険な状況で、放置すれば死亡すると認識できた。」、「被告には自己に都合の悪いものを避けようとする傾向がある。だが、だからといって、衰弱した子どもに食事を与えないと死亡するという認識や、部屋に閉じ込めて放置した行為の未必的な殺意が否定されるとは到底考えられない。」として一審判決を支持し、被告側の控訴を棄却しました。一方で、判決理由の朗読を終えた森岡裁判長は、下村に「事件の重大性に照らして慎重に審理した結果、1審判決には誤りがなかったという結論です。積極的に子ども2人を殺害するつもりではなく、未必的なものだったということです。」と語りかけました。
裁判は最高裁判所まで争われ、平成25年3月、懲役30年が確定しました。
そして、事件のあったマンションでは毎月1度、住人交流会がおこなわれています。

子どもの(脳の)発達段階によって、その影響は異なり、子どもが年少であるほど、アタッチメント(愛着形成)の獲得に大きな影響を受け、子どもの心身の健康と成長にさまざまな影響を与えることになります。
このことは、なんらかの人格障害や解離性障害などを発症するリスクが非常に高くなることを意味します。
つまり、大きな枠組みで捉えると、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害、慢性反復的トラウマ体験が発症の原因になります。または、発達性トラウマ症候群)の症状を示したり、被虐待症候群(総称としてAC、被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)として女性特有の症状を示したりする)の症状に長い期間苦しんだりすることになります。
暴力のある環境で育つ、それは、他人を、自分自身をも信用できなくしてしまいます。対人関係に軋轢を生みやすく、なんともいえぬ生き難さを抱えてしまうことになります。
学校で、職場で、人間関係に悩み、問題行動を起こして、職を転々し、ひきこもってしまうこともあります。
最近では、仮面うつ病(非定型うつ病、新型うつ病)と呼ばれる「自分の思う通りにことを進められストレスのかからない状況下では楽しむことができ、思い通りにならない状況下では閉じこもってしまう」状況がよく見られます。
仮面うつ病(非定型うつ病、新型うつ病)の背後には、発達傷害や不安傷害、人格障害など、心の問題を抱えていることが少なくなく、誇大表現する傾向があったり、被害妄想や強迫観念が強い傾向があったりします。
そして、イジメ、不登校、過食・拒食、自傷、うつ、心身症、家庭内暴力、タバコにシンナー、飲酒、万引き、家出(プチ家出を含む)、援助交際(性的搾取の犠牲になってしまうことを含む)へと発展するリスクを抱えます。
こうしたおこないを非行として捉えるのではなく、アタッチメントの獲得に問題を抱えているおこないとして捉えることが必要です。
アタッチメントを損なってきたと捉えることができると、援助交際がブランド品などを買うお金目的のおこないではなく、父親から得られなかった愛情の受け直しとして、自分が乳児だったときの父親の年齢に近い男性に抱きしめられ、守られている安心感を得たいだけのふるまいであることを理解できるようになります。「ただ(赤ちゃんのときのように)抱きしめられたい(包み込まれたい)」と精神的な安定を求めている行ないが、セックスでは、底なし沼のような寂しさやからからに乾いた空虚感を埋めることができず、いっそう寂しさが増すことになります。
そして、この人は願いを満たしてくれるだろうかと援助交際を繰り返し傷ついていきます。
3次被害として、窃盗を繰り返したり、薬物に手をだしたり、性風俗として働くようになったりしてしまうことになります。
なぜなら、人やモノ、アルコール、さらにはギャンブル、大麻や覚醒剤に心と身を捧げ、自分をコントロールできずに暴力をふるい傷害事件を起こしてしまうのは、心の寂しさ<空虚感>を必死に埋めようとする行ないが根底にあるからです。
依存性の高い窃盗(クレプトマニア(窃盗癖)*-52)、薬物やアルコール*-53、ギャンブルなどの犯罪(犯罪を誘発する行為を含む)は、アタッチメントが損なわれたことを起因としていることから、おこないは繰り返され、再犯率が高くなることになります。
つまり、罰を与えることは依存行為を抑止することにはならず、心のケア、つまり、治療が必要になるのです。
特に大きな問題を起こすこともなく、非行や犯罪にかかわらなくとも、アタッチメント獲得に問題を抱え、ACの症状に悩み、苦しむことになる人は、C-PTSD、被虐待症候群の後遺症、そして、不安障害(パニック障害)、適応障害、うつ病など、精神的な不安定感に悩まされ続けます。
*-52.53「クレプトマニア(窃盗癖)」、「薬物やアルコール依存」については、次項「(Ⅱ-12-(13))問題行動としての“依存”」に加え、「Ⅱ-13-(7)解離性障害とアルコールや薬物依存症」、「Ⅱ-13-(6)摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)」で、詳しく説明しています。


2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/24 「第2章(Ⅱ(8-15))」の「改訂2版」を差し替え掲載




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