あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅱ]DV被害者支援、1年間の記録。ドキュメントDV。恐怖で家に縛られ、卑下‥

3.“あるがままに生きてはいけない”というメッセージを1枚ずつ脱ぎ捨てる

 
 4.最後に..。DVについての偏見、間違った考えを捨てる 2.耐え難い恐怖、もう逃れられない
 被害者Rは、加害者Dからの繰り返される暴力に怯え、過緊張の生活を科せられ、疲弊感、無力感、自責感、自己不全感などあらゆる否定的な感情に取り込まれている。これらは、被虐待女性症候群(バタードウーマンシンドローム)の典型的な症状である。
加害者Dの暴力から送られてくるメッセージは、「お前は、あるがままに生きてはいけない。自分を無の存在として、俺の望むとおりの生き方をしなくてはならない」という、人権をまったく無視したものである。このメッセージは、毎日絶えることなく送られてくる。人は、こうしたメッセージを数え切れないくらい繰り返し聞き続けてしまうと、「自分は欠点ばかり、嫌な面ばかりの人間だ」、「自分にはいいところなど一つもない」と思うようになってしまう。そして、本来持っていた輝きを失い、まったく別人のように疲れ果ててしまうことになる。
 そのため被害者Rは、加害者Dから長年いわれ続けた「お前は常識がない。俺がいないと何もできない」、「自分の考えを持ってはいけない。俺のやり方に文句をいうな!」、「今の生活を続けたければ、黙って俺のいうことをきけ!従え!」というメッセージを一枚一枚脱いでいくアクションを自ら起こす、心のケアをすることが必要である。長い間虐げられた呪縛を解き放たなければならない。
 密室の中で繰り返される暴力、その環境を生き延びるための適応症状として、DV被害者には諸症状が現れる。それは、哀しいことだが、異常な状況下での正常な反応といえるものである。
 したがって、被害者Rが上記3-(1)-(9)のような状態や、以下4-(1)-(7)のような症状を自身の人格や性格の問題ではなく、それはDV被害の結果、長い間受け続けた暴力の原因があるということを自分自身で認めなければならない。それには、「自分は何も悪くない!」と自分自身を心から許すことと、加害者Dと過ごした「人生を呪わない」ことが欠かせない。


(1) 混乱..不安感は心知れぬ怖れ
 家のルールは、すべてDV加害者が握っている。しかし、そのルールにはまったく一貫性はなく、DV被害者には次になにが起こるのか、なにをいわれるのか想像がつかない。同じことをしても、同じことをいっても、DV加害者の気分によって違う意味に解釈され、違う扱いを受ける。しかも、「お前が悪い!」といわれるばかりで、具体的になにがどのように悪いというやり取りは一切ない。DV被害者は、DV加害者が何に不満を感じ、なにを考えているかわからず、それを必死に探ろう、知ろうとする。
 しかし、どんなに努力しても、「お前が悪い」、「お前がおかしい」、「お前が間違っている」といわれていること以外は、何もわからない。具体的なことがわからないために不安になり、DV加害者と自分自身の基準の差(モノサシの違い)や、DV加害者自身のその時々の基準の変化に混乱していく。 
 実は、DV加害者には基準など何もない。一貫した基準など必要ない。気に入らなければ罵倒する。自分が主人、指導者、わが家のルールだからとしか思っていない。
 「育児放棄だ! 子育てをしないつもりか! 子どもと一緒にいるよりも仕事が大切なのか!」と声を荒げ、被害者Rがフル勤務で働くことを許さない。気に入らないことがあると、「テメーが気に入らないことをいうから(したから)、払いたくない」と週末の買い物代をださない。
 銀行引落しされる家賃や光熱費は別として、土日の食料のまとめ買い分代を払ってもらう以外、生活費として自由に使えるお金はもらっていない。だから、日々のちょっとした買い物費用は、自分で働いて払わないといけない。今年(2010)の1月、突然、引っ越しをすることになった。そして、「家賃を半分だせ」と迫った。「できない」と応えると、「そういうところが嫌なんだ」と、いうことをきかない妻が気に入らない。なにか気に入らないことがあると、「黙って出すもんを出せばいいんだ!」と怒鳴りはじめる。下の子(長男T)が生まれたとき、子どもが増えたからと、児童手当て(現子ども手当て)も加害者Dの銀行口座に振り込まれるように変えさせられた。その児童手当ては、所得の不正申告による6割減額となっている健康保険料にあてられている。
 「だから、お前の蓄えを使い果たしたら、生活費は出してやるといっているじゃないか!」と、加害者Dは、被害者の僅かな蓄えをなんとかして取りあげようとする。自由になるお金を取りあげる。家に縛りやすくなるし、逃げだすことができないようにするためである。お金を持ってこない(宗教上の意味合いを持ち、全財産を奉納しないこと)と認めない。一方で、働くことも認めない。お金を奪っておけば、服従させられると思っている。子どもを抱え、お金を取りあげられ、仕事も自由にさせてもらえない。自由に使えるお金は自分で稼ぐしかない。しかし、フル勤務で働くことには「育児放棄だ!」と激しく抵抗し、一方では、「お前は、家賃としての30,000円を払わない!」と責める。夫婦間での「お前は、家賃を払わない」は、「俺の家に住まわせてやっている」という考えにもとづいている。
 第2子が生まれたことに、「財産も法人化したから、財産分与はできないからな!」といわれた。
 幼い子どもを抱える母親である被害者Rにとって、将来への経済的な不安は相当なものだろう。加害者Dは、被害者Rが不安がり、怖気づいて「お願いします、お金をください」と跪くことがこのうえない喜びである。「お前が気に入らないから嫌だ!支払いたくない」、「金がないというから、(寺で)働かせてやっているじゃないか!」と自分に都合のいい解釈を持ちだし、懲らしめる。俺の気持ち三寸で妻子をどうにでもできる、俺にはその力があることをみせつけることができ、俺がお前の“主人”だと思い知らせることができ、ことさら自尊心をくすぐられるひとときである。


(2) 過緊張、警戒しながらの息が詰まる生活
 被害者Rは、この人を怒らせたらなにをされるかわからないといった底知れない恐怖に支配され、反抗できなくなっていた。加害者Dの影を感じると緊張してしまい、自分の考えや思いを口にできない。なにか気に障ったら、なにをいわれるか、どんな仕打ちをされるかわからないからである。
 「あなたには、具合が悪いといえない」というと、「どうしていえねんだ!」と返ってくる。「なにをいわれるのか、怖くて」と応じると、「じゃ、いわなけりゃいいだろ!」となる。
 被害者Rは、「怖い、もう耐えられない」と同郷の知人の家に身を寄せたりしたが、結局、「俺たちは婚約している」と自己解釈を持ちだし、しかも、かくまってくれた知人に対し「仕事ができなくさせてやる」などと脅され、別れる機会を逸し、結婚することになった。にもかかわらず、加害者Rは週末だけ訪ねてくる「通い婚」の状態が2年以上続く。
 「一緒に生活するまでは、長女Yと一緒にパンを焼いたり、クッキーやケーキをつくったりしていた。しかし、一緒に生活するようになって、(冷えると美味しくなくなるから)「まずい」、「かけた時間とクオリティを考えろ!」いわれ、つくるのを止めてしまった」と話し、「部屋に好きなユリの花を飾るでしょ。夫が帰ってきたら、「邪魔だ!どけてくれない」といわれてしまった。この人には、私の気持ちはわかってもらえない」と続けた。辛い。やるせない。そして、暴力を受け、恐怖に怯え、暴力が自分の身に振りかかってきたことへの悲しみにくれる。
 話を聴きはじめて2週間経った平成21年4月30日深夜、怒鳴られ、罵倒され、首を絞められ、壁に押さえ込まれた。
 以降、その感覚は、ずっと拭えない。眠りは浅く、熟睡できない。加害者Dの帰宅時間が近くなってくると、ドキドキしはじめる。近くにくる気配を感じると「お願い、側に来ないで」と心が叫び、身を固める。寝静まるまで、過緊張状態は続く。
 買い物にでかける。子どもの学校のPTA会合にでかける。しばらくすると「今どこにいるんだ」、「なにをしているんだ」、「何時に帰ってくるんだ」と何度も電話がかかってくる。話し中ででないと、「楽しく話し中、申し訳ないが・・を買ってきてくれ」とメールが入っている。30分後、家に帰ると「買い物に何時間かかっているの?」とネチネチ責められる。部屋で充電していた携帯電話を開いたところに、突然入ってくる。「子どものことを見ないで携帯かよ。子どもたちもママはいつも携帯しているといっているぞ!」と声を荒げる。加害者Dが留守のとき、ママがどうしているのか常に子どもに訊いている。子どもたちさえ油断ならない存在になっている。
DV加害者は、子どもを利用し、被害者を監視するのである。
 「常に監視と詮索され、いまの生活は息がつまりそう」と話す。自分の行動や言動が、いつどんな理由で問題にされるか予想がつかない。絶えず警戒し、緊張を強いられる。いったん自分の言動が問題にされたら、それを理由に執拗な耐えることのない暴力が続く。加害者Dの言動に対して、なにか違和感があったとしても、尋ねてみることもできない。いうとしても、遠慮がちに。被害者Rは、情緒的な安定のない状況にどんどん追い込まれてきた。


(3) 心の悲鳴が、身体症状に..
 被害者Rは強いストレスを感じると、胃が痛くなったり、肩や背中、腰などが痛くなったり、湿疹などができたりしてきた。夜眠れなかったり、神経過敏になったりすることもある。突然、動悸がひどくなり胸が苦しくなったり、膝がガクガクして立っていられなかったり、突然、過去に侮蔑されたことばが蘇り、涙があふれてくるといったフラッシュバックがみられる。
 現在は、被虐待女性症候群(バタードウーマンシンドローム)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)としての症状は、軽度であるが、今後逃れた後、その症状が一気にひどくなる可能性は高いと思われる。
 今年(平成22年1月)、長女Yがインフルエンザを発症し、入院したとき、被害者Rも陰性であったが高熱をだしていた。食事中にもかかわらず、加害者Dから、「マスクしてくれる!」、「サイバシで取ってくれる」と、まるでバイキンのように扱われた。
 これまでも、寺の経費を使って、海外旅行にいっている間、家族の誰かが必ず具合が悪くなる。連絡しても、「大丈夫?」もない。「どうせ、離れてなにもできないのだから、(症状を)聞いても無駄だろ」、「せっかく楽しんでいるときに、なに鬱陶しいことをいってくるの! (電話を)かけてくるな!」と邪険にされてきた。被害者Rは、夫である加害者Dが家を開けると家族の誰かが具合が悪くなると関係性を持っていたが、実は、家を開けたからではなく、家を開ける前に暴力が激しくなり、家庭内が荒れるからである。ストレスによるダメージは、ときをずらして表面化してくるのである。結果として、家を開け、過緊張な状態が解けたときに体調不良として症状が顕在化するにすぎない。
 指を切ったら直ぐに痛みを感じ、血がでる。殴られたり、蹴られたりしたらじぃ~んと痺れたような感覚のあとズキズキと痛みを感じ、一晩開けてから腫れたり、うっ血痕がみられる。いずれにしても、症状は直ぐに表れ、しかも、わかりやすい。ところが、激しく罵られたりすることばの暴力は直ぐに反応するものではなく、コルチゾールが分泌されたり、一方で、ドーパミンやセロトニンの分泌が滞ったりしながらじわじわとダメージが脳内に蓄積されていく。そのため、時をずらして発熱したり、腹痛を訴えたり、ある一定の周期で扁桃腺を腫らし高熱をだしたりすることになる。そのため、子どもの発熱や腹痛の原因が暴力によるストレスと結びつけることができないことが少なくない。
 しかも、さまざまな身体に不調が現れても、その身体症状さえも、被害者Rの弱さや自己管理のなさとして非難され、侮蔑されてきた。被害者Rの体調不良やケガは、すべて「お前の心がけが悪い、神仏の罰が下る!」、「方角が悪い!」と非難されてきた。そして、子どもの病気やケガまで、「すべて罰が下った、方位が悪かったからだ」と責任を押しつけられる。これじゃ体調不調を訴えることもできない。
 被害者Rは、対象児童の身を守ることで精一杯になり、常にエネルギーを消耗していくのである。


(4) 過剰に反応し、心の囚われ感が判断力を低下させる
 DV被害者は、自分の感覚や価値観ではなく、DV加害者がどう思うかを自分の行動や言動の基準にしてきた。常に顔色を伺い、考えに考えてなにかをいったりしている。自分の身を守るためには、過剰反応をせざるをえない。
 同時に一方では、自分の将来のことを考えること、そして、自分の考えを持つことも、判断することも難しくなっていく。極度の緊張感、自尊感情の低下という状況の中で、本来は簡単に判断できるようなことさえできなくなってしまう。理不尽なことに、そのことは、また加害者につけ込まれ、新たな攻撃の判断にされてしまうことになる。
 「夫から逃れたい。でも、母としての責任と義務がある」、「子どもの手が離れるまで私ががまんすればいい」と話す。多くのサバイバーも、被害者Rと同じことばを、口を揃えたように話す。
 父親が母親を卑下し、怒鳴りつけ、腕をつかみ壁に押え込む、首を絞めるシーンを子どもが見続ける。父親が母親を卑下し、侮蔑し続けるシーンを子どもが聴き続ける。さらに、子ども自身が、父親から暴力をふるわれる、時に母親からも..。そうした虐待行為を受け続ける子どもたちの心身に、将来、どのような影響を及ぼすのか思い浮かばないのである。子どもが親のDVを目撃することは「面前DV」と表現され、児童虐待防止法では精神的虐待を受けているになることを、多くのDV被害者は認識していない。
 「子どもたちは、将来、きっとなんらかな問題を起こすだろうと思ってきた。でも今、なにをどうしたらいいのかわからない。相談にのってくれる人もいないし、私ひとりではどうしたらいいのかわからなかった」と話す被害者Rは、加害者Dの女性関係に気持ちが向き、子どもたちときちんと向き合うことができてこなかった。
 上京し、二股、三股をかけられていたことを知った。裏切られ、悔しかった。結婚後何年か経って、男色の可能性を知らされたり、年配の女性の相手をし、金品を受け取っていたり、寺の敷地内に店舗を構えるマスターと手を組み、ネットで女性を釣って、店の二階でコトに及んでいたことを知った。見返りはクリーム色の車で、購入費は寺の経費で処理した。「クリーニングに出しておいて」と渡されたズボンのポケットから使用済みのコンドームがでてきたり、でかけるときと違う香水をつけて帰ってきたりと、次々と他の女性とのセックスを感じさせられるできごとが続いた。その度に、「私は騙されていた」と自尊心は傷つき、「私の存在はなんだったの?」とやるせない思いにかられた。
 婚姻前、逃げだそうとしたができなかった。その時に感じた心が凍りつくような恐怖は、心の奥にしまい込み、その後の優しさにすがった。加害者Dの優しさとことばを信じなければ生きていけないと、自分自身で思考コントロールしてしまった。しかし、タイから帰国後のポーチの中に、射精をコントロールする男性用リングを見つけた。「プロポーズした女性はお前一人だ」といわれ、他に女性をつくらないと約束し、それを信じ込んでいたのがもろくも崩れ去った瞬間だった。すべて偽りだったと思い知らされるまでは、「自由になるお金を渡されていなくとも、「髪をカットしに美容室に行くから、お金を頂戴」といってもらっていた。そして、「はい」と渡されるのを、尻尾をフリフリする犬のように「ありがとう」と喜んでいた」と話す。
 結婚前、T県にある加害者Dの実家へのはじめて挨拶に行った。帰路の電車の中で、加害者Dから「九州からひとりででてきたお前がかわいそうだから、もらってやったんだ」と信じられない、耳を疑うようなことをいわれた。哀しくて、悔しくて唇を噛みしめて帰ったときも・・。結婚して第1子(長女Y)が産まれて2年経っても、寺隣接のアパートからの通い婚が続き、「どうして私だけがこんな思いをしないといけないの」と涙に暮れていたときも・・。第2子が産まれ、はじめて住職O氏への紹介をかねて軽井沢に行ったとき、1泊したら「お前は先に帰っていい」と突然いい放たれ、「どうして?」と応じると、「お前はどうしてついてきたんだ! 帰れよ!」といい放たれた。レンタカーを借りて、泣きながら子どもたちと帰ったときも・・(その帰路で泣き止まない長女Yに初めて手をあげた)。哀しさ、悔しさは、ずっと唇を噛んで思いを飲み込んできた。
 どんなに虐げられようと、私はこの人が好き、結婚したのだからもう他に女性はつくらないと信じ込もうと、自分自身でマインドコントロールしてきた。子どもが生まれ、セックスレス状態が長く続いても、「男の人は結婚したら、餌はやらないんだというし、そういうものなんだ思っていた」といった馬鹿げた話を信じ込もうとし、自分自身にいいきかせてきていた。しかし、加害者Dが平成15年12月-平成18年10月、タイに行き続けていた。その後、タイ人女性のバンコク銀行へ5000バーツを毎月送金していたことを知った。それまで、必死に信じようとしてきた思いはもろくも崩れ去った。その後の日々は、被害者Rにとって猜疑心との戦いになった。そして、子どもたちと向き合うことを忘れていった。
 帰宅した下着に、精液の付着をみつける。いつの間にか、洗濯機に放り込まれた下着をチェックするのが日課になってしまった。そして、その痕跡があると、いたたまれなくなり「これは、どういうことなの?」と問い詰めてしまう。「証拠がないだろ!」といい張る加害者Dと、その度にいい争いを繰り返し、時に、殴り合いのケンカになった。しかし、とうてい力ではかなわない。その度に打ちのめされる。そして最後は、「でて行け! 九州に帰れ!」といい放たれた。私がセックスを求めれば、ださせれば他ではしてこないとの思いにかられ、自分から求めた。妻として、女としての性が許せない。被害者Rの心には、しっかりと“絆”と“契り感”を取り込んでしまっている。しかし、被害者Rの決死の思いで望んだその行為をもっても、行為を伺わせる痕跡がなくなることはなかった。こんなことをしても無駄だった。私の思いは、この人には通じないと思い知らされた。その挙句、「犯される快感を覚えさせて、応じないなんて残酷だよ! だから応じろ!」とさえいわれる始末だった。
 つけていった香水と別の香を身につけて帰ってくると、案の定、下着に精液が付着していた。だから、同じように香水を強くつけて出勤する。行かなくていい日にわざわざ理由をつけて出勤しようとする。下の毛をカット、処理した痕跡をみつける。その度に、またしてくるとの不安感に苛まれ、いたたまれなくなる。時に、イライラし、子どもに手をあげたり、あたってしまう。
 それに、そのことをどんなに主張しても「証拠がないだろ! 証拠を見せろ!」といわれ続けてきた。二股をかけられていた女性からのクリスマスカードを見つけても、渋谷のホテル街を歩いている写真をしまっておいても、その都度、勤めに出ている間に見つけだされて処分される。ずっとその繰り返しだった。昨年(平成21年)、探偵会社の無料サービスで送られてくるメールも、yahooオークションで落とした履歴もすべて夫のパソコンに移されていたことを知った。勤めにでている間に、下着までひっくり返されて家探しをされる。証拠をつかめない、証拠を見つけてもその都度処分されてしまう苛立ちと悔しさに苛まれている。
 一昨年(平成20年)、いい争いがひどくなった。離婚を考え、鞄に荷物を詰めた。加害者Dに、「九州に帰って、子どもたちに貧乏な生活をさせたり、不良になったりしたら、お前を許さないからな!」といい放たれた。「どうして私だけが責任を負わされなくちゃいけないの! そんなの嫌だ。悔しい!」と思った。家でも、寺でもなにか不都合なことがあると、ずっと責任を負わされてきた。その悔しい思いは、絶対に忘れられない。こうした悔しい思いが、子どもより夫、加害者Dの一挙手を逃さないようにと目を光らせ、そこに囚われ続けた。
 被害者Rを責めるつもりは毛頭ない。しかし、被害者Rは多くのDV被害者たちと同様に、なにを一番に考えなくてはならないのか、なにが重要なのか、プライオリティ(優先順位)を考える正常な判断力を失っていたといえる。それがDV環境で暮す、DV加害者との生活を続ける悲劇だと、当事者はなかなか気づけるものではない。


(5) 孤立無援感に苛まれる..私はひとりぼっち
 一昨年(平成20年)、Y市に帰ろうと荷物をまとめた。友人に相談すると、「離婚したら、子どもをどうやって食べさせていくの? ちゃんと考えなさい」といわれ、思いとどまった。
 日本は明治政府の富国強兵キャンペーン以降、母親は家にいて、家庭を守るべきだという価値観が主流の国民気質を持っている。片親だと子どもに問題が起きると、色眼鏡で見られ、いろいろな偏見にさらされやすい。DV加害者である夫だけでなく、社会からも女性は家に、離婚は好ましくないとの価値観に強く縛られる。「逃れていいんだ」、「私の人生を生きていい」という至極あたり前の思いの持てない女性が多い。悲しく、やるせない。
 DV加害者は、他者との接点を閉ざす。他者の前でわざと怒鳴りつけ、なじる。力があるのは俺だと誇示する。役たたずの何もできない女を俺が養っていると世間に認めさせたいという思いも強い。
 DV加害者は一歩家をでると、愉快で口達者、他者にはいい人を演じる。いつも子どもと一緒に過ごし、学校の行事にも積極的に参加する。「子煩悩ないいパパね」とみられるように、いい人振りを見せつけようとする。そう思われることは、自尊心をくすぐられる。しかし、実は子煩悩なわけではない。ただ、子どもと同じレベルで遊んでいるのであって、父親として接しているわけではない。気に入らなければ、躾と称し暴力というパワーで押さえつける。ゲームで負けると、そのうっぷんをはらすために、殴ったり、蹴ったり、けなしたりする。
 長女Yが幼稚園のとき、「パパは家だと怖いのに、外だと優しい」、「友だちが遊びにきている時だけ優しい。友だちには優しい。どうして?」と呟いていることを、世間は知らない。
 家で怖い父親、外では優しい父親のもとで暮す児童は、物心がつくころには、「パパが自分を怒る、殴るのは自分がいけない子だから、嫌われているから」と思い込むようになる。そして、気に入れられようと媚びたり、機嫌を損ねたりしないように必死になる。「私のことをパパに好きになって欲しい」、「優しくして欲しい」という強い思いが、いつの間にか「私はパパが好き」というメッセージを自分自身の中ですり替えて、しっかりと心に取り込んでいってしまう。どんなに、罵られ、殴られても、その後に「パパ遊ぼう」とすり寄っていく。その姿は健気で、せつない。
 被虐待児童が、健康診断のとき、背中に親から靴べらで叩かれ、水ぶくれになった痕、前に叩かれた痣を見つけられる。担任と保健師が訊くも、誰に叩かれたとは頑なに口にしようとしない。必死に親に愛されようと好きになってもらおうと躍起になってきた子どもほど口をつぐむ。しかも、迎えにきた親の顔を見ると、黙って抱きしめられに駆け寄って行く。担任と保健士は、帰宅する被虐待児童を見守るしかない。中には、その数ヵ月後、殺害にいたるケースもある。親子の血のつながりという“絆”が、そうさせてしまう。健気なだけに惨い。
 こうした児童の生きていくための行動、生存本能は、脳幹にシステムとして組み込まれている。
 しかし、生活をともにしているDV被害者の多くには、そうは映らない。「この子たちは、なにをされてもパパが好き、だから別れてはいけない」との思いを強くしていく。時にDV被害者が、DV加害者との共依存的な関係になってしまっている場合には、「本当は自分が逃れられない、離れたくない」という気持ちの隠れ蓑にしてしまうことすらある。
 DV被害者は、この囚われを解き放たなければならない。
 それには、a)DV加害者の言動、行動が暴力DVであること。b)DV加害者の話には根拠もなく、嘘で塗り固められたものだということ。c)DV被害者の心を縛り、思い通りにコントロールするために、平然とつくり話をでっちあげること。d)同じことばであっても、DV加害者の使うことばには意味がなく、その場を取り繕うものであったり、自分のことばに酔いしれたりするためでしかないということ。e)子どもへの躾などではなく、虐待行為であるということ。f)からかい、ひやかす、嫌がることをさせて喜んでいることも、暴力、虐待行為であるということ。g)DV加害者は、なんでも探究心が旺盛なのではなく、自身の快楽のための(性的虐待)行為、性的異常者だということ等々を、自分ごととして認識する(自覚する)ことが欠かせない。つまり、当事者性が必要不可欠となる。
 DV被害者がフィルターをかけて見てきたDV加害者像の偽り(虚像)を、苦しいかも知れないがきちんと明らかにしていかなければならないのである。“なにをされてきたのか”“どのような状況に置かれてきたのか”をひとつひとつことばにし、本当のDV加害者像を正しく明らかにしていかなければならない。DV加害者である夫に対して心底失望し、諦めて、DV加害者への思いを断ち切っていく。このプロセスが、DV被害者には必要不可欠となる。
 諦めるは、明らめるが語源。本来はものごとを明らかにして、次に向かうという前向きの意味のことばである。私は、加害者への気持ちを断ち切るこのプロセスを、DV被害者支援のキーワードにしている。
 加えて加害者は、外面がいい反面、仕事でのトラブル、行政の手続きやPTAの会合等、面倒なことにはたちまち腰が引ける。口では調子のいい、威勢のいいことをいうが、そのときになると、なにかといい訳を繰り返し、先延ばしにしょうとする。しかも、決して自分では結論をだそうとはしない。なぜなら、責任逃れをするためである。その結果、仕方なく被害者が行ったことには、茶々を入れ、ひやかし、上手くいかないとなると「お前がやったからこうなった」と非難する。
被害者Rは、加害者Dが勤める寺に週2日、一緒に出勤している。
 ここでも被害者Rは、加害者Dと住職のO氏とともにからかわれ、なにか問題が起こると責任のすべてを押しつけられる“標的”になっている。その度に、自尊心は傷つけられ、やるせない思い、悔しい思いを募らせてきた。しかも、その押しつけられた責任は、家に帰っても蒸し返され続ける。
 そう被害者Rは、火木の午前中グループホームへのパート勤務にでかけるほかは、ほぼ24時間、加害者Dに監視・詮索される状況にある。自営業を営み、24時間離れることができない家庭と同様に、まさに、軟禁状態といえる息つく暇のない生活を余儀なくされている。しかも、被害者Rは多くのDV被害者と同様に、加害者Dによって、両親や友人といった外部の人たちとの関係を厳しく制限されている。
 連絡することも嫌がられ、許されない。DV被害者にはわからないように、わざと縁遠くなるように巧妙に仕向けられている。「俺より親(他人)のほうが大切なのか!」と詰め寄られ、縁遠く孤立化させられる。万一、連絡をとったことがわかれば、それはDV加害者への裏切り行為として、激しく攻撃されてしまう。仲良くしていた友人ともつきあい難くなる状況をつくられていく。頼るのは俺しかいないという状況をつくられ、意のままに操作されてしまう。
 さらに、仲間であるはずの子どもでさえ、DV加害者である父親の暴力を感じさせない遊びによって手懐けられている。
 「パパは怖いよ。布団にぐるぐる巻きされるのがイヤ、苦しいから」、「それに、(父親にけしかけられ)妹や弟も一緒にのりかかってくるから、本当に苦しい」、「・・その後、パパにも乗りかかるの。パパは「うわぁ、助けてくれ~」といってるよ」と、長女Yは私との面談で話す。懲らしめの暴力がいつの間にか遊びにすり替わってしまう様子が語られる。子どもは殴られ、蹴られても、その後の遊びで、パパと一緒にいると楽しいと思ってしまうのである(長女Yとの面談は、平成21年10月30日-平成22年2月19日の間、両親が寺に出勤する水金(17:30-20:30)に、長女Yが「庄司さんと会って、お話しする」との意思表示のもと、H市で延11回行った)。
被害者Rは、この一見楽しく遊んでいるような状況を見せられ続けると、自分だけがその場から取り残されているとの思いを強くする。被害者Rの疎外感への恐怖は、幼児期に受けた虐待、過去にイジメにあっていたトラウマが背景にある。“私だけが・・”と心が反応し(トラウマ反応)、家庭内での孤立感を心の中に取り込んでいってしまうのである。
 さらに加害者Dは、子どもの気持ちが母親Rに向かっているなと感じると、2歳の長男Tに1万円もする玩具を買い与える。子どもたちには、「欲しいものは、父親である俺が何でも買ってあげる」、「お前たちの望むことは、父親である俺が何でもかなえてあげる」と、お前たちを幸せにできるのは俺だけ、お金を持っていないお母さんにはできないと必死にアピールするのである。
 コトあるごとに「パパとママとどっちが好き」と訊き、それは、「パパの方が好き」と何度もいうまで続けられる。被害者Rがグループホームへのパート勤務にでかけると、2歳の長男Tに「ママがいないから、パパしかいないだろ」といいきかす。さらに気に入らないことがあった時には、帰宅した母親Rに対し、「ママのバ~カ!」と連呼させたり、「ママが帰ってきて、抱っこしたら、噛みついて、つねってやれ!」と仕事にいっている間に指示をだされていたりしている。父親Dにいわれとことをやった後には、「パパ(これで)いい?」といいながら、父親Dのところにすり寄っていっている。「ママはお前を放っておいて、遊んでいるんだ。だから、帰ってきたら仕返しをしてやれ!」とけしかけるのである。
 しかも、「お姉ちゃんの耳を噛んでやり返してこい!」と仕返し命令をだし、わが子を意のままにコントロールし、おもしろがる。
 裏で指示をだし、自分の手を汚さすに、他人を痛めつける。これは、加害者Dが中学校当時からの行動パターンであるという。しかも、お金で動く中国人やヤクザを使って、自分は何もしていない顔を平然としている姿を見てきた被害者Rにとって、心に潜ましている恐怖は、「逃げたらなにをされるかわからない」と心にブレーキをかけ続けてきた。
 被害者Rは、子どもたちの前で罵られ、罵倒され続けることで、子どもたちからも見くびられる。時に、わざわざ寝ている長女Yを起こし、「お母さんがケンカを売ってきた。お母さんはキチガイだから、仕方がなく殴ったんだ」と手をあげたことを正当化しようととくとくと話し続ける。さらに、「子どもたちの前で残酷なことをさせやがって!」といい捨て、何も悪くない被害者Rに罪悪感を与えよう企む。
 子どもたちは、父親が母親を罵倒し、卑下する姿を見続ける。親が夫婦としてお互いを慈しみ、敬い、労わり、気遣い、思いやる姿を、ことばを見聞き、感じることなく育つ。それは、人を慈しみ、敬い、労り、気遣い、思いやるといったこと、その根底にある人や自分を信じることを身につけることができないことを意味する。そして、父親から発せられる母親蔑視のメッセージをそのまま受け取め、ことばの使い方をそのままを真似る。
 被害者Rは、子どもたちの父親そっくりのいい回し、やり方に恐怖を覚えていた。と同時に、加害者Dとともに子どもからもからかい、ひやかしの標的にされる状況が巧妙につくられている。こうなると、もう精神的には孤立無援感に苛まされてしまう。哀れな妻の姿、泣き崩れる妻の姿は、加害者Dにとって、「俺に刃向かうことなどできないんだ!」、「俺が主人だ!」を確認でき、自尊心がくすぐられる。快感でしかない。
 「子どもたちの前で、卑下、侮蔑され続けて、こんな母親のことを子どもたちはどう思っているんだろう。情けない」と被害者Rは嘆き、「こんな情けない思いをしている母親は、世の中で私だけ」との思いに苛まれていく。被害者Rには、「夫から暴力を受けているなんて、妻失格の烙印を押されているようで、恥ずかしくいえない」との思いが強くある。
 「「義務を果たせ!(セックスに応じろと責め続けること)」と余りにも酷いから」と、思いを決し、昨年(平成21年)7月27日(月)K県配偶者暴力相談支援センターに電話をかけた。
 一昨年(平成20年)、DV相談としてY市役所に足を運んだ。「担当者がいないから」といわれ、帰って以降、行政機関への2度目のアクションである。14分ほどの話の最後は、「離婚を決めかねている状態だったら、相談に行けないんですね」とヒステリックになり、電話を切ることになった。「これが現実。一人ひとりに対応していたら大変なんだよ! もう電話はしない。もう逃げない。二人で解決する。だから、もういい!」と、自暴自棄の発言を繰り返す。
 誰にも親にさえも話すことすらできない。1ヶ月後、加害者Dの実家に帰省時に起きたトラブルも加わり、被害者Rは常に孤独、私はひとりぼっち、生きていても仕方がないとの思いにかられ、心は深く迷走することになっていく。自分自身の感覚を信頼できない。上手く人間関係が築けるか、他の人と上手くやっていけるか疑心暗鬼になって、人と接するのが怖くなっていくのである。
 被害者Rは、「最近、私、この環境から逃れたら廃人になるだろうと思う。いい争って、自分の存在を確認してるようなところがある。子どもの前で、お前は信用されていないんだから!といわれ、対人関係に不穏を感じる。話すのが怖いって思う。うつ病だね」と呟く。被害者Rは、自分そのものの根幹から揺らいでいる。魂が虚ろいはじめ、危うい状態になった。
 人は誰でも、本来信頼できる相手である配偶者から非難され、侮蔑され、卑下され続けることばを、時に子どもたちの前や他人の前でさえいわれる。しかも、その存在さえも否定されるような扱いを受け続けると、自尊感情が破壊されてしまったかのようになる。ひどくなると精神が破綻をきたすリスクさえ抱える。
 魂が虚ろいはじめる状態に至る前に、被害者Rは、子どもや寺の関係者の前で泣き崩れるということを何度か経験している。その結果が、自尊感情に喪失となる。もう自分自身を守っていく力さえも、見失いがちになり、「死にたい。私は生きている価値などない」と口にする。


(6) 子どもの前で私は無力だ。何もできないことが情けない
 加害者Dは、自分に意見をいうものは許せない。だから、年端のいかない子どもであっても、二度と口出しができないように、威圧的な言動で徹底的に子どもを押さえつける。加害者Dは、「子どもは怖がらせてでもいうことをきかせればいいんだ!」と、父親がいうことに絶対服従、暴力で怖がらせ、いうことをきかせる。
 DV加害者は、子どもの自我発達の時期、自己主張を徹底的に嫌い、徹底的に叩きのめす。
 休日、ドリルをしている小4長女Yに「テメーなにやっているんだ! こんな問題もできないのか! 字を読めるの?」と罵声を浴びせている。「勉強ができなければ家の子どもじゃない。帰ってくるな!」と大声で怒鳴りつける。「今は貧富の差が激しい。勉強ができなければ負け組みになるんだ。俺にとっては、負け組みが増えるのは嬉しいけどな!」といい放つ始末である。
 友だちとの関係を上手くつくれない社交性の低さやがまんできずにキレやすい攻撃性、オドオドしたり、目をあわせられなかったりするといった不安度の高い児童がいたら、家庭内で虐待等の問題が起こっていないか疑ってみる必要がある。
 長女Yについて被害者Rは、「幼児のころからゲームで負けるのがわかってくると、ぐちゃぐちゃにしてしまう」、「3-4歳のころには、ワンマンで自分中心なところが父親にそっくりと気づいていた」と話す。一方、長女Yは、「小学校1・2年時は保健室の常連だったよ」と私に話す。
 長女Yは、小学校3-4年時では、10円台の禿ができたり、起立性めまいの症状がみられ、叱られるとふるえたり、ガクッと落ちるように体がだらけだすようになっている。そして、「パパに怒られると心臓がドキドキして痛い」と母親Rに話す。心の悲鳴が、心身の症状になってでているのである。小学校2年時、父親Dが怪獣に食べられる夢をみる。その後、長女Yは、「私は夢で予言ができる」と、解離を疑わせる言動がみられる。もはや予断を許さない状況にある。
 看護師で、精神科での看護実習当時を思いだし、長女Yの将来を重ねる被害者Rの心労は、いかほどかはかり知れない。心配のあまり加害者Dに相談する。
 なにかをするとき、ずっと指示を仰がなければならなかった習慣から、相談がなりたたない相手(夫)に子どものことを相談してしまうのも、長くDV・支配のための暴力にさらされてきたDV被害者のひとつの特徴である。そのため、やっとの思いで夫からのDVから逃れ、離婚が成立したあと、子どもとの面会交流を介して、子どものことを相談するようになり、家に招き入れ食事をともにし、やがて泊まっていくようになり、再び、支配のための暴力被害を受けることになることさえあるのである。
 被害者Rが、加害者Dに、長女Yの円形脱毛症や起立性めまい等、「Yの様子がおかしい」と訴えても、「お前の育て方が悪いんだ! ヤツはプレッシャーに弱いな」と吐き捨てられるだけだった。「このままでは問題を起こしたりするようになる」といくら訴えても、「問題が起きてから考えたらいい」と取り合わない。それだけでなく、円形脱毛症など身体的症状は、からかいやひやかしのことばとなって長女Yの心を傷つけることになる。嫌がる長女Yの姿や声を見聞きするのが、このうえなく楽しいひとときなのである。
 また、昨年(平成21年)4-6月の間に、被害者Rは、長女Yから「死にたくなって、学校の階段を昇り屋上にいった」と聞かされ、震えがきてどうしょうもなかったことがあった。その時も、「どういう気持ちだったと思う」と加害者Dになげかけた。
 加害者Dは「わからない」とあっさり応じ、そればかりか、「自分も飛び降りようとしたことがある。足をかけたら、強い風が吹いてきて圧し戻された! その時、俺には使命がある、生きなければならないと感じた」と娘の心配をすることなく、今まで話したことのない話を持ちだしてきた。自分も辛かった、自分は選ばれた人間だと神聖化する話(そのときに思いついたつくり話)を聞いてくれと話題をすり替えてしまったのである。
 加害者Dの反応は、俺も子どものころお前ら(子どもたち)よりつらい思いをしてきたとの思いがあるために、たいしたことがないと気にも留めないことが根底にあり、同時に、妻が子ども(長女Y)のことを心配していることが気に入らない。そのため、俺も同じような体験があるとのつくり話を持ちだすことで、妻の関心を惹こうとしたのである。つまり、子ども(長女Y)のことより、俺のことを心配してもらいたいとの思いの表れに過ぎない。
 一方の被害者Rは、自分のせつない、苦しい思いを娘(長女Y)の言動に投影させてしまっただけに過ぎない。なぜなら、長女Yの言動は、母親の気を惹く(心配させる)ための“試し”でしかないからである。日々、「離婚する、しない」といい争いが繰り広げられてきた。私のことは気にかけもしない中で、ちゃんと私のことを気にかけろ!というメッセージだったのである。
 長女Yは9歳、小学校4年生に進級し、同級生たちは“私たち”と三人称を獲得しはじめ、父親同様に一人称しか獲得できていないために疎外感が増し、苛立ち、怒りをぶつけはじめていたのである。小学校1年生の時から同級生たちとうまくかかわることができず、保健室の常連になっていた長女Yは、私は他の子たちとどこか違うとの思いを抱いてきた。その思いは、家は、他の家とは違う。子どもにとってその「違う」ことへの疎外感は、恐怖に他ならない。そのため、皆と違うことに過剰に反応する、つまり、強烈な拒絶反応を示すのである。長女Yにとって、両親が離婚することは、離婚していない他の家とは違うことになる。離婚するかもしれない恐怖を、私がどれだけつらい思いをしているかを訴え、思い留まらせようとしての発言なのである。長女Y自身、面前DV被害を受けているだけでなく、直接、性暴力を含め数々の虐待被害を受け続け、身体的上場が次々現れているように心が悲鳴をあげている。にもかかわらず、長女Yにとって、「他と違う」ことの方が恐怖であって、最重要課題なのである。それは、私のことを、人に変だと思われていないか、おかしいと思われていないか、私たちとは違うと思われていないか、周りの同級生の目が気になり、恐怖の対象なのである。
 しかし、DV被害の当事者であるRにとって、長女Yの本意を読み取ることなどできない。
 それでも、被害者Rは昨年(平成21年)の6月以降、自分がDV被害者の当事者であると自覚しはじめたことから、子どもたちの心身への影響に思いを馳せ、DV連鎖をなんとか食い止めたいという必死な思いで、自分の意見をいい、加害者Dと向き合うようになったのである。しかし、加害者Dにとって、そのふるまいは許されるものではない。結果として、DV・支配のための暴力はひどくなり、長女Yにとって、両親が離婚するかもしれないという「他とは違う」恐怖を回避するために、父親に反発しているように見える母親を批判し、必死に離婚させないように試みるようになっていくのである。そして、被害者Rが子どもたちのために頑張れば頑張るほど、家族の中で孤立し、疎外感を覚えるようになっていくことになる。
 「「コイツはやられないとわからない」といって殴るのは止めて欲しい」、「「仕返しをしてこい!」とけしかけるのは止めて欲しい」、「殴らないで、話していいきかせたらいいじゃない」、「そういういい方をしないで欲しい」、「ただお手伝いでいいのに、バイト代といってお金を与えないで欲しい」、「思春期以降大変なことになるから、物やお金で愛情を与えるようなことはしないで」、「物を買い与えて、取り引きするのは止めて」と、被害者Rは必死に食い下がってきた。その度に、加害者Dから「テメーは誰に口をきいているんだ! 誰の指示でそんなことをいってくるんだ! 俺のやり方に従えないなら、でて行け!」と、子どもたちの前で怒鳴り散らされる。子どもたちを必死に守ろうとしているのに、子どもにはいい争っている、ケンカをしている、母親が父親に反発しているとしか思われていない。私の思いは、誰にも通じない、わかってもらえないとやるせない思いを募らせ、孤独感を強めていく。
 長女Yは既に、父親Dからのプレシャーにいいたいこともいえないイライラ感を爆発させ、母親Rや妹A、弟Tにあたり散らしている。父親Dそっくりに、妹Aと弟Tをからかって、泣かして楽しんでいる。(当時保育園に通う)次女Aからは、「お姉ちゃんの上にいきたい! お姉ちゃんがいじめるのがイヤ、嫌い! お勉強も体育も勝ちたい!」と聴かされた。このままだと姉妹で殺し合いそう。苦しくなって、何もできないことが歯がゆい。次女Aが長男Tを泣かす。長女Yが仕返しといって、寝ていた次女Aの腕や足を踏みつけ、泣かしている。こうしたことが連夜繰り返される。「もう心が張り裂けそう。本当に長女のことが怖い。涙が止まらない」と嘆く。
長女Yは、買い物先でも、学校でも感情を抑えられなく泣き騒ぐ。
 買い物先で、弟Tが押したカートが足にあたる。その後、周りの人が顔をしかめて通り過ぎるほど、カートをガタガタさせ続ける。お楽しみ会の進行で思い通りにならなかった。衣装の着付けにきていた被害者Rは、その状況を目の当たりにし、「Yは「あいつらが邪魔をする」と教室でキレ、大騒ぎになった。だけど、同級生は、距離をおいて静観に徹していた」と、その時の状況を話した。被害者Rは、長女Yが学校でも感情を抑えられず、イライラを周りに当たり散らして発散していたことをはじめて知った。問題は、その感情を爆発させたときのことを、長女Yが覚えていないことである。
 昨年(平成21年)の4年生に進級した。夏休みに入る前の担任との面談で、「お父さんは厳しい人なんですね。今、塾でいっぱいいっぱいみたいです。塾のある日の5・6時間目になると態度でわかる。無理しないで、勉強にガチガチにしないで1つ減らすことはできませんか?」と投げかけられる。
 家に帰り、加害者Dに担任からの話を伝えると、長女Yに向かって「じゃ、止めちまえ!」、「どうせ、成績が悪いからやりたくないんだろう。バカ!」と罵声を浴びせる。そして、長女Yは、「バカといわれた。成績が悪いといわれた」と部屋で泣いている。ところが、時間が経って、父親のところに行き、「ねえパパ、やっぱり勉強しないとダメだよね」と媚びる。「そうだろ。止めるの不安だろ! 努力しない子には、将来何も援助しないからな!」ということをきかないと大変なことになると思い知らせる。被害者Rが、長女Yに「止めていいんだよ。成績が悪くなったら、ママを責めたらいいんだから」となげかけるも、「パパは勉強しないと将来援助しないんだって・・。そういっていた」と話しながら寝る。
 そして、翌日長女Yは、担任に「やっぱりパパのことがあるから止められない」と応えた。
 長女Yは心が壊れかけていても、父親Dにとって都合のいい“従順ないい子”を必死に演じ続けようとする。
 この後、被害者Rの必死なやり取りで、塾を一つ止めさせることができている。
 長女Yが泣いていた。一緒にお風呂に入ると、「拳骨で殴られた。どのくらい痛いかわかるでしょ」と訴える。加害者Dに、そのことを指摘すると、「叩いていない」と最初はしらを切っていたが、その後、「強く叩いていない。泣くようなことじゃない」といい放ってきた。「殴るんじゃなくて、ことばでいえばいいじゃない」と非を指摘すると、「テメー、誰にむかっていっているんだ! ケンカ売ってるのか! コイツはやられないとわからない!」、「お前がちゃんとしていないからいけないんじゃないか!」と声を荒げ、子どもたちに向かって、「ここ(家)にいたいんだったら、俺のいうことをきけ!」と怒鳴り、凄い形相で詰め寄る。
 そして、「お前は俺が“お前を責め、でて行け!”というように仕組んでいる」と頓珍漢なことを口にしはじめる。長女Yには「お前のせいでこうなる。お前が本当のことをいわないから、お父さんとお母さんがいい合いになった」と、形相を変えて迫っていく。長女Yはびっくり。怖れをなし、母親の後ろにとっさに隠れ、ことなきをえた。
 数時間後、長女Yは、父親のご機嫌をとろうと「パパ~」と甘い声をだし、すり寄っていった。
 このようなことが毎日のように繰り返されても、長女Yは「絶対に離婚はしないで! 私にはパパとママが一緒じゃない(揃っていない)といけないの」といい張り、母親と一緒にでて行こうとはしない。父親が怒鳴り散らしたあとは、父親になびいてべったりになる。そういうときに父親Dに媚びると、なにかを買ってもらえるとわかっているから、すり寄っていく。その光景を何度も目の当たりにさせられ、長女Yへの失望感は深まっていく。そして、被害者Rは、無力感を思い知らされる。
 加害者Dの支配から逃れられないだけじゃない。長女Yのことをどんなに心配しても、父親Dになびいていく。私には、子どもを守れない、何もできないと思い込んでしまうことになる。
 なにをしても加害者Dから「お前は自分では何も決められない。とるに足らないヤツだ」という扱いをされてきた。しかも、子どもたちの前に立ちはだかっても、子どもたちは父親Dの怒りをおさめるために尚更なびいていく。その姿に、「なっ、俺のいうことの方が正しいということだろ!」、「お前は、子どもたちにいうことをきかせられないじゃないか!」とやじられる。
 そんなやるせない日々が続くと、本当に自分は何もできない、私は軽蔑されても仕方のない人間なのだと感じるようになってしまう。その結果、酷い扱いを受けていると感じたとしても、それを他の人に伝えられない。私は愚かな、とるに足らない人間だから・・と口をつむぐようになる。
 常に変化する加害者Dの気分に逆らうと、大変なことになる。日常的な恐怖の中で、被害者Rは力を奪われてきた。事態を変化させようと自分で考えたり、抵抗したりすることができなくなっていた。加害者Dに従わないという選択は許されてこなかった。その結果、暴力を回避するために、バカになりきり、屈服しかないと思ってきた。加害者Dの要求を断る力は奪われ尽くし、無力感、無気力を学習させられてきた。心を持たずにただ屈服する生活を長く続けてきてしまった。
 被害者Rは、昨年(平成21年)8月、「やっぱり私はヤツにはかなわない」と嘆いていた。
 ところが、同年12月には、「私には心がある。ロボットじゃない。もうあなたに支配されない!」と加害者Dに向かって叫ぶ声をあげた。そして、本年(平成22年)、2月27日-3月4日の日程で、Y市の実家に長女Yをひとりで帰省させた。そこで長女Yは、両親と同居している義妹(兄の妻)に「小学校を卒業したら、ここに来てもいい?」と訊き、祖母に対し「パパから暴力を受けている」と口にだすことができた。


(7) 日常的な暴力に慣れてしまった..私は何も感じない
 人は、暴力を受けることに慣れてしまうと、その状況に無頓着になってしまう。それは、その状況に適応しているというより、意識が完全に麻痺してしまっているといえる。無意識のうちに感覚や感情を意識から分離してしまう。そのため、いま自分に起きているできごとが他人ごとのようにさえみえるときがある。感情的な苦しみに気づかないようにしたり、自分の感情を凍結したりして、何も感じないようにさえなっていくのである。
 DV環境のもとで“生き抜いていく”ためには、DV被害者は自ら感覚を麻痺させ、暴力に順応するための考え方やふるまいを身につけていかなければならない。自分や子どもの生死が、DV加害者の気持ち三寸にかかっている。こうした状況が一定期間続くと、たまに優しくされたり、あるいはほとんど殺されそうなところをなにか手加減してもらったりと感じると、DV加害者に対して、生かしてもらっていることにさえ感謝してしまうようになる。
 父親Dに頻繁に殴られたり、蹴られたりしている長女Yが、「今日はパパにお尻を2回蹴られちゃったけど、いつもの半分の力だったから、ラッキー」とサラッと応える。被害者Rは、娘からその話を聴かされ、「もう苦しくて・・」と話す。
 DV環境下に暮す子どもたちの多くは、何も感じない、苦しまない、傷つかないように心を閉ざし、ただ媚び、従い、生き延びることを選ぶ。そして、「いま殴られているのは、怒鳴られているのは私じゃない!」と自己を解離させ、別人格をつくりあげてしまうことも少なくない。
 本来安全で安心、リラックスできるはずの家の中で、加害者Dから繰り返し行われる支配のための暴力や暴言による脅しは、被害者Rの人間性をつぶし、人が人らしく振舞うことを奪っていく。被害者Rが、本来もっている優しさや人を労わる心、心身の健康さえも奪っていく。そして、加害者Dから支配され続けることの過度のストレスと、怖れから父親になびく子どもへのやるせなさから、時に「私が注意してもいうことをきかない。イライラして、子どもにあたってしまう」と、自分のいたらなさを嘆き、手をあげた自分を責める。
 被害者Rは、自分も子どもに手をあげていたという事実に心を痛める。「私も怒鳴っている、手をあげている」と自身を責め、「長女Yがおかしいのは、私がちゃんと育てられなかったから責任がある」と罪悪感に苛まれている。
 被害者Rは叩いて、怒鳴ったことで、子どもたちの心を傷つけているという自覚がある。一方、加害者Dは、暴力をふるっているという自覚はまったくない。「子どもは怖がらせても、いうことをきかせればいい」と平然といってのける。子どもには人格などなく、傷つく心など持ち合わせていないと思っている。DV加害者は、虐待行為に対する罪の意識は持ち合わせず、罪悪感を抱くことはない。
 子どもたちがこのままでは大変なことになる、父親Dのように社会性のない大人になってしまう。「なんとかしなくては」という焦り、「どうしてわかってくれないの」といった苛立ちからの叱責と、怯えさせ、力を誇示し、支配するための恫喝とは、まったく次元が違う。被害者Rには、この子をなんとかしなければ大変なことになるとの心がこもった愛情がある。加害者Dには心もなく、自分に従わらせ奴隷化させるため、暴力そのものを楽しみ、快感に浸っているだけである。
 兄弟姉妹の間で、からかい続け泣くまで止めない。殴ったり、噛みついたり、首を絞めたり、「テメー、このやろう!・・」と怒鳴りつけ、汚いことば遣いは父親Dそっくりである。長女Yは、「からかって泣かせるのが楽しい」と平然といってのける。父親Dに「仕返しをやってこい!」といわれ、仕返しはあたり前になっている。母親Rに注意されてももはやなにがいけないのかわからない。「やられないとその痛さはわからない」といいながら、自身は暴力の痛みに鈍感で、暴力をふるうことに心は痛まなくなっている。これらは、父親のやることをそのまま真似ているに過ぎない。父親からすり込まれ、学習してしまったのである。
 にもかかわらず、被害者Rには(特に)長女Yがおかしいのは、「絵本の読み聞かせをしなかった」、「ごっこ遊びをしなかった」と私の育て方に問題があったからとの思いが強い。
 「ごっこ遊びが嫌いだった。バカバカしいから」と長女Yは話す。被害者Rとの記憶とは違い、長女Yはちゃんとごっこ遊びを幼稚園等で経験している。ただ、父親Dからの暴力に恐怖が現実、ごっこ遊びなどバカバカしくて、家ではやろうとしなかっただけである。
被害者Rは、加害者Dから「お前の育て方が悪い」といわれ続けてきた。そのため、いつしか自分でもそう思うようになってしまった。その間違った思い込みが強いために、“父親から子どもが虐待を受けている、問題行動がみられるようになっている”と児童相談所へ足を運ぶことを躊躇する。心のブレーキをかけてしまう。
 被害者は余りにも長く、感じる心を殺して生活してきてしまった。




もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅱ]DV被害者支援、1年間の記録。ドキュメントDV。恐怖で家に縛られ、卑下‥
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~ Comment ~

ともきさん、ていねいな拍手コメントをありがとうございます。 

 20年に及ぶDV被害、どれほどつらく、苦しい日々を過ごされてきたのか想像に絶します。「素晴らしい弁護士に巡り合われ、調停離婚ができた」とのこと、本当によかったです。
 「重いフラッシュバックの症状があり、C-PTSDや不安障害、対人恐怖症などの治療を継続している」とのことですから、既に調停を終えているわけですが、理解をしてもらいやすいと思いある事案の「陳述書」に記載した文例を踏まえながら、「必ず自分をとり戻すことができると信じて」とありますから、“これから”のあなたに、なんらかの参考になるのではないかと思い、以下、コメントをさせていただきたいと思います。

 「DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」はただ設問に応えていくだけのものではなく、認知行動療法(暴露療法)に準じ“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を自分のことばを文字にして、書きあげていただくいただいたものに、「これはどういう考えにもとづいたものですか?」などと加筆を促す問いかけや、「~の状況について、詳しく教えていただけますか?」などと疑問点をお訊きし、また、加害者のふるまいの根柢にあるものはなんなのかについて、アタッチメント(愛着形成)理論やトラウマ理論などの視点からのコメントで理解を深めていただき、「ああ、あれはこういうことだったのか」と新たな気づきや発見によって、さらに、書き込みをしていくという作業になります。
 そして、相談されている方の求めに応じて、こうしてつくりあげた「DV被害状況書」をもとにして、調停や裁判に提出する「陳述書(調停が不調になった場合、訴状に転用できるもの)」に仕上げていくわけですが、例えば、ある事案の陳述書では、『第2 請求の原因-2.離婚の決意事由-(4) DV被害者として抱える後遺症』として、下記のように記しています。
 『 申立人は、a)夕方になり、相手方の帰宅時間を意識しはじめると、息が苦しくなり、手に汗をかくようになり、ちょっとしたことで、動悸がして、胸がしめつけられ、喉が詰まった感じになり、頭が重く気持ち悪くなるといった強い身体的症状に悩まされていた。b)家をでてからは、相手方に抱く強烈な恐怖心と不安感によって夜中に何度も目が醒め、仕事以外では家から一歩もでられない日々が続いた。c)家をでて6ヶ月経った現在でも、家のインターホーンが鳴ったりすると、「夫かも知れない」との思いが脳裏をかすめ、血の気がひき、激しい動悸にみまわれ、発汗するといったフラッシュバックともいえる強い反応がでている。
 一方で、この恐怖意識があまりにも強烈なために、e)どれだけひどい行いをされてきたのか、どこか他人ごとのように感じたままになって(かなりひどい感覚鈍麻)いる部分がある。それは、感覚鈍麻の状態を維持していなければ、反応が強くでた場合、無意識下(潜在意識下)で、仕事を続けられなくなったり、日常生活に支障がでる可能性を感じているからである。
 (…中略…)、交際がはじまった平成 年 月から家をでた平成25年4月までの 年 ヶ月、かなりひどいDV被害に合っていることを指摘されても、どこか他人ごとで、自分ごととは感じることができないことがある。
 つまり、申立人は、感覚を麻痺させ(感覚鈍麻)、強い反応がでないようにしているということである。こんなにひどいことをされてきたのかといった「嘆き」、「怒り」「憤り」といった感情が湧きあふれてくるところまで、心の回復はいたっていない。PTSD回復のプロセスという視点でみると、まだ、あまりにも惨い扱いを受けてきた現実をあまり感じないようにしているに過ぎない。申立人は、恐怖やつらさ、苦しさ、哀しさといった心の奥にしまい込んできた感覚を、いま正常にしてしまうと、とても仕事を続けられる状態ではなくなってしまうことを察しているのである。申立人は、「嘆き」「怒り」「憤り」といった正常な感情があふれでてきたとき(正常な感覚をとり戻したとき)、ちょっとしたことで強烈なフラッシュバックに襲われる可能性を抱えている。強烈な反応がでてくるか、軽い反応に留まるかは、“これから”の数年の経過をみてみないとわからない。DVから逃れたあとの1~3年の心のケアが特に重要になってくる。そうした強い反応が表れたとき、心のケアとしてどう対応し、自分の感情とどう向き合い、日々の生活の中でいかにつき合っていくかが課題である。
 以上が、平成25年6月30日以降、相談にのってもらっているDV被害者支援をしていつ方に指摘されていることである。
 申立人は、申立人自身の“これから”の人生、つまり、“わたし”を認め、大切に生きるために、腰を据えて心のケアにとり組みたいと思っている。
 そして、申立人の心に深いダメージを負わせた異常な相手方とは、今後いっさいかかわりたくない。もうあのような地獄の日々の生活など二度としたくない。人間らしく生きたい。そのために、申立人と相手方との離婚を成立させ、心のケアを受けながら、いつ、どのようなひどいふるまいをされるかと日々怯えない、安心して安全に暮らしたい。それだけを、ただただ強く願う。
(注)「被虐待女性症候群(バタード・ウーマン・シンドローム)」とは、心理学者ウォーカーが、家庭内虐待、つまり、生活上支配的な立場にある男性から一定期間にわたりし身体的・精神的(ことば)・性的に虐待された女性に共通することが多いとされる行動的・情緒的な特徴群を明らかにしたものである。特徴的な症状と兆候として、①感情的距離、②被った暴力は自分自身の過失(自分が悪いから、自分がいたらないから)だと思い込む、または、暴力の責任をよそに転嫁できない、③低い自尊心、低い自己肯定感、④強烈な不安感、⑤強烈な恐怖感、⑥極度な過敏さ、極度な感覚鈍麻(強烈な不安感や恐怖心から敏感に反応する一方で、つらく苦しい体験などを感じないように感覚が鈍感であるといった相反する状態が共存する)、⑦身体的接触、不幸な記憶と結びつくもの(場所、匂い、色など)を避ける(回避)、⑦集中の困難性、または一定時間、極度の集中(覚醒)状態後、虚脱状態に陥る、⑧性欲の低下、性的機能不全などがあげられる。
なお、当陳述書では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や不安障害などの診断を受け、治療にいたっていないDV被害者の症状を的確に表すものとして記している。 』

 ここに記している被虐待女性症候群としての「感覚鈍麻」という症状は、“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を正しく自覚(認識)できないことにつながっているわけです。
 被害者自身が、自らの身になにがおきていたのかを正しく自覚(認識)することは、実は大変難しいことなのです。なぜなら、長くDV環境下(育った環境に暴力があったを含む)で暮らし続けた被害者の多くの方々は、暴力のある環境に順応するために身につけてきた考え方の癖(認知の歪み)やふるまい、つまり、加害者の意に添うように考えるふるまい(夫はきっとこう望んでいるのだろうと先回する)を習慣にしてきてしまっているからです。
 “この程度は暴力と認められない”とか、“こういった行いは身体的暴力、性暴力ではない”といった暴力そのものを正しく認識できていないことが少なくないのです。その結果、いかに酷い行いをされてきたのかを、第三者にわかってもらえないことにつながっていきます。あまり酷い暴力を受けていないように表現しながら、一方で、つらく、苦しく、やるせない思いをさせられてきたと訴えるわけです。「つらく、苦しく、やるせない思い」をわかって欲しいとの思いばかりが強いと、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”という「事実」を、第三者に正しく伝えることができなくなってしまうことになりかねないのです。このことが、弁護士に相談しても「深刻なDVや虐待事案である」と認識されずに、そのままの認識の状態で調停に臨んでしまうことになってしまい、調停の場で、調停委員や裁判官にDV事件であることを理解されずに理不尽な思いを味わってしまうことになるのです。
 ですから、自分自身の思いや考えをことばにし、文字にして書きあげ、その「どういうところ」が、こうした暴力の中で順応し身につけてしまった考え方の癖なのかをひとつひとつ指摘されることが重要なのです。
 同じ陳述書『第2 請求の原因-2.離婚の決意事由-(1) 家をでて6ヶ月、申立人の願い』の中では、
 『 (前略)
 家をでて6ヶ月経ったいまも、申立人は、相手方に対する強烈な恐怖感は拭えない日々が続いている。
 申立人は、同年 月 日  家庭裁判所に夫婦関係焼成(離婚)調停の申立てをし、同年 月 日に開かれた第1回調停の3日後、同年 月 日以降、申立人は、DV被害者のサポートを専門としている方の力を借りて、暴力で傷ついた心のケアにとりくむために、“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”をひとつひとつことばにし、文字にしてきた。
 申立人は、相手方にされてきた人生で最も凄惨でつらい日々を「こんなつらい生活はなかったことにしてしまいたい」と封印することで、“これまで”を生きることができたと思ってきた。つらかった地獄の毎日に蓋をしてしまうことで、ようやく生活することがなりたっていた。ところが、そのおぞましい生活の日々をことばにし、文字にして、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をひとつひとつさらけださなければ、暴力で傷ついた心のケアのスタートに立てないということだった。申立人にとって、現実を直視しなければならないこのことばにし、文字にする作業は、非常に苦しく、哀しく、つらいものであった。
 しかし、申立人は、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をひとつひとつことばにし、文字にし、見直し、そして、離婚調停に臨み、裁判への準備を進めていく中で、自分のおかれていた状況を正しく理解することができるようになっていった。自分の身にふりかかったおぞましいできごとの本質はなんだったのかを少しずつ正しく認識し、客観視できるようになってきたのである。
 申立人が、最初に相手方に“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を正しく認識することができたのは、次のことであった。
(後略) 』と記しています。

 ここまでの記述では、「DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」に“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を書きあげていく作業は、調停や裁判に臨むためのものと思われてしまうかも知れませんが、決してそうではありません。
 “なにをされてきたのか”を正しく認識できていないと、加害者である夫(元夫)に対する思いを燻り続けることになります。この状況は、子どもを介して再び関係が続いてしまいDV被害にあってしまう可能性を残してしまうという意味で、決して好ましい状況ではありません。そこで、“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を正しく認識することは、“これまで”の現実を受け止め、“これから”をどう生きるかと向き合うことによって、夫に囚われ、縛られ続けたおぞましい過去と断ち切ることにつながります。
そして、特に重要なのは、第三者に正しく伝える前提になるということです。ここがズレていると、伝える内容もズレてしまうことになるのです。弁護士や調停委員に正しく伝えられない状況は、心のケアのための治療を行うさいに医師やカウンセラーにも正しく症状を伝えられないことになります。
 それは、暴力・DVのある家庭環境で暮らさざるをえない被虐待児童がみせるトラウマ(心的外傷)反応とみせる“記憶の障害”や“覚醒水準の障害”としての症状は、ADHD(注意欠陥/多動性障害)と呼ばれている児童にも共通しているものです。ADHDと呼ばれている児童が虐待を受けているということではなく、ADHDと似たような行動傾向の児童の中に、虐待を受けている児童がいる可能性があるということを頭の中に入れておく必要があるわけですが、その児童が家庭内で“なにをされているのか”“どういう状況におかれているのか”を正しく知ることができなければ、ADHD(注意欠陥/多動性障害)なのか、虐待によるトラウマによる反応なのかを正しく見極めることができないことになります。それは、間違った治療を受けるリスクを抱えることを意味します。
 同じことが、DV被害者の方が心療内科や精神科を受診するとき、「怖くて、不安で、眠れない」とか、「鉛を背負っているように体が重くて怠くて、なにもやる気にならない」などと、支配のための暴力・DVを受けていることを伝えず、症状だけを訴えることが少なくありません。その結果、うつ病や不安障害、適応障害、ひどいものでは統合失調症(精神分裂病)と診断され、その診断にもとづいた精神治療薬が処方されてしまうことになりかねないのです。
 DVや虐待の治療には、慢性反復的な行いにより生ずるトラウマ症状に対してどうとり組むかという視点と、DVや虐待環境に順応し身につけてしまわなければならなかった考え方の癖(認知の歪み)に対してどうとり組むかという2つ視点が必要になるのです。
 しかし、幼児期に受けたトラウマ体験にフォーカスしていまの心身におきている症状を診ることが少ない日本の精神治療では、上記の2点に準じた治療を行うことができ難いのが現状です。
 あなたの「重いフラッシュバックの症状があり、C-PTSD」という表記が、つらい体験を思いだし気分が悪くなったり、ふさぎ気味になるといった症状なのか、ある特定の匂いや光、音、光景に反応して、瞬間冷凍されていた記憶が瞬間解凍され、トラウマ体験をした“そのとき”にふり戻されパニックを伴う症状のものなのか、C-PTSDが人格にダメージが及んでいるものなのか、解離や離人といった感覚(症状)を伴うものなのかなど、その状況によって、治療のあり方も違ってくると思います。
 不安感や恐怖感の反応が強くでることに対しては、精神治療薬で症状を抑えることはできますが、精神治療薬で症状を抑えることだけでは「自分をとり戻す」ことにはつながらないことが少なくありません。
 もし、あなたがこのコメントに目を通す機会があり、なにか感じることがあったり、確認したいことがありましたら、遠慮なくメールをお送りいただければと思います。日々、個々の事案に応じるのが精一杯なため、ブログ記事として掲載できていないことをお伝えできることも多々あります。
 現状では、フラッシュバックがどういうものであるのかわからないので、可能なら、冒頭に記している通り、「DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」に“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をことばにし、文字にして吐きだすことからはじめてみることも、今後の予後を考えるととり組んでいただく価値のあるものだと思います。


DV被害支援室poco a poco 庄司薫
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