あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅵ-C] 臨床現場からのレポート(3) 更生困難な加害者への教育プログラム

加害者は変われるか?~加害者臨床の可能性を探る~ 臨床経験を前提に 信田さよ子(RRP研究回代表・臨床心理士)

 
 DVを行う父親に対する働きがけ 児童を守るために必要なDV加害男性に対する介入 森田展彰(筑波大学大学院人間総合科学研究科) DV加害者が良き父になるために -ケアリングダッドプロジェクトに学ぶ- 信田さよ子(RRP研究会代表)
DV加害者が良き父になるために~ケアリングダットプロジェクトに学ぶ②


 筆者の経験からは,多くの被害者支援員からの質問は前者のように感じられ,多くの被害者からの質問は後者のように感じられる。変わらないという前提に軸足を置いているか,とにかく変わってもらいたいという願望に軸足を置いているかの違いがそこにはある。被害者の中には前者と感じられるひともいるが,その違いは夫との関係を継続する意思があるかどうかにかかっているだろう。
 筆者は,DV加害者は変わる可能性があると信じており,変わってもらわなければならないと考えており,変わるか変わらないかという二項対立的問いを立てる時間の余裕があるのなら,多くのDV先進国で長期にわたって実施されているDV加害者プログラムを参照して,日本でも実現可能な形態・構造でプログラムを実践するべきだと考えている。なぜなら,加害者逮捕を可能にするような法体系の変化に向けた展望がなかなか開けず,いっぽうで加害者にアプローチしなければ被害者の安全が守れないという現実があまりに多く露呈されつつあるからである。
 二項対立的問いに答えるより,「とりあえず」実践するしかないような現実を前にしながら,筆者らはDV加害者プログラムに取り組んでいるのだ。その現実とは,現行の被害者支援二つの隘路を示している。ひとつはシェルターに避難した後のフォロー不足であり,もうひとつは保護命令の空洞化である。
 2001年に制定された「配偶者からの暴力の防止および被害者保護に関する法律」(いわゆるDV防止法)は,3年ごとの見直し・改正を経て今日に至っている。2008年には第2回の改正を経たDV防止法が施行されたが,そこでは全国の市町村がDV防止と被害者保護のために基本計画を策定することと,支援センターの設置が努力義務化された。しかしながら,小規模の自治体においては「相談が寄せられない」などの理由で及び腰になり,上記の対策の実施が進んでいないのが現状である。
 このように,被害者支援そのものがいまだに全国の自治体に行きわたっているとは言い難い現状において,DVの加害者にアプローチすることには大きな障壁が予測される。しかし,次のような事実を関係者はどのように受け止めるのだろうか。
 以下は,2009年1月28日付けの中国新聞の記事からの引用である。
  
 夫や恋人の暴力(DV)を受けた女性たちが一時避難するシェルターへの入居者の2割が元の家庭に戻っている実態が,福山市の特定非営利活動法人(NPO法人)「ホッとるーむふくやま」の全国調査で分かった。経済的自立の困難さが背景とみて,課題を示した。
 調査は昨年11月にあった全国シェルターシンポジウムに先駆け7,8月に実施した。全国100団体にアンケートを送り,民間,公営の計60 団体が回答。07 年4 月から1 年間の入居者は,計3047人だった。
 退去後の行き先は,元の家庭が19%,賃貸住宅が18.3%,実家が15.4%の順だった。前向きに家庭に戻る人もいるが,出入りを繰り返すなど心配なケースもあるという。(略)
 2月9日午後7時から,福山市本町の市民参画センターで全国シンポジウムの報告会を開く。全国調査の結果も解説する。
  
 この記事が明らかにしているものは,被害者がシェルターに逃げて保護されたとしてもその後の人生は経済的に過酷であり,生活ができないという理由で夫のもとに戻らざるを得ない女性が多いという事実である。思い切ってシェルターに逃げて保護されても,約20%の女性が夫のもとに戻り,おそらくその後もDVを受けながら家を出入りしているのだ。
 果たして今後DV被害者に対する経済的保証が十分になされる見通しはあるのだろうか。日本経済がこのように逼迫している中で,生活保護を受給する条件も厳しくなる一方である。
 夫の側は,妻が逃げたという事実による衝撃から再同居開始直後はDVをふるわないように努力ててしまうことである。自分さえDVを耐えていればとりあえず家族は壊れず生活にも困らないと思うことによって,子供たちはそれ以後もDVを目撃し続けることになるだろう。それが子供に与える影響は本報告書のテーマのひとつである。

するのかもしれないが,おそらくDVという言葉すら理解していない夫であれば元の状態に戻るのも時間の問題だろう。もしくは,以前とは異なる方法でDVをふるうようになるかもしれない。
 もっとも危惧されるのは,被害者があきらめ果 2006年12月21日,徳島県吉野川市において,40歳の看護師の女性が別居中だった夫(41歳)に日本刀の脇差しで腹部を刺されて死亡した。夫は妻と別居中であり,同年11月8日に保護命令を受けていた。10月下旬から被害者は夫のDVを逃れて家を出ており,離婚調停中であった。親類に付き添われて自首した夫は,妻の帰宅を待って玄関先で刺したという。そこには妻といっしょに逃げた3人の子供もいたといい,夫は子供も殺すつもりだったがやめたと証言している。殺害された妻はDV相談を受けており,新しい住居は夫には知られないようにしていた。逮捕後の警察の取り調べで,夫は探偵を使って妻の居場所を探し出したと証言した。
 接近禁止と退去命令から成る保護命令は,いわばDV防止法において唯一加害者から被害者を守る生命線のようなものであるにもかかわらず,本事件はそれがなんの抑止力にもならなかったことを証明した。おまけに被害者が子供たちの眼前で殺害されるという凶暴な残忍さは,全国のDV被害者たちに恐怖を与えると同時に,保護命令への信頼を揺るがしてしまったのだ。
 この事件に衝撃を受けたのは被害者たちばかりではなく,被害者支援員たちも同様であった。保護命令の信頼が揺らぐということは,被害者保護だけの限界が露呈されたことを表しているだろう。しかし,このとき多くの被害者支援員は加害者へのアプローチの必要性を痛感したのだろうか。
 上記のような現実は,「加害者は変われるか?」という問いを超えて,「とりあえず」わずかでも彼らを変化させる方策を探らなければならないという切迫感を抱かせるのではないだろうか。少なくとも筆者らは,DV加害者への直接的対応・プログラムを可能な範囲で実践するしかないだろうと考えている。
 RRPプログラムを実践する筆者らだけがそのような切迫感をもっているだけではなく,おそらく被害者支援の現場でも同じ現実に直面しながら同様の感覚を抱いている多くの人たちが存在するだろう。しかし,その感覚が加害者対応を実現する方向に向かわないのはなぜだろう。おそらくそこにはDV被害者支援の現場を支配している暗黙の共通合意(それを「神話」と呼びたい)が存在しており,それが加害者にかかわることを妨げているのではないだろうか。
 具体的に挙げてみよう。DV加害者は「凶悪である」「いざとなったら何をするかわからない」「理不尽な暴力をふるう」といった認知をベースとした加害者像が,全国津々浦々に行き渡っているようだ。新規にDV相談の部屋を設置したある地方自治体は,三方に脱出できる特別な出口を設営したという。おそらく加害者の襲撃から相談者(DV被害者)と相談員を守るためだろう。
 保護命令の空洞化,シェルター出所後の不安定な状況が,よりいっそう加害者像を凶悪化し忌避すべき存在へと追いやっているとすれば,筆者らと正反対の方向に思える。
 2008年11月,筆者らは視察と研修の目的で1週間カナダを訪れた。オンタリオ州ロンドン市において,DV加害者更生プログラム(PARプログラム)実施団体であるチェンジングウェイ(Changing Way)を訪れた際に,代表のティム・ケリー氏はこう語った。「 パートナーに甚大な暴力をふるって逮捕されたDV加害者の調査によれば,彼らはその犯行の直前まで誰かに助けを求め,誰かに話を聞いてほしいと思っていたということが明らかになった。彼らを凶行に追いやったのは彼らが凶暴な存在だからではなく,孤立的状況が引き金になっているのだ。彼らが援助を求めて話を聞いてもらえる窓口があれば,それらの犯行を防ぐことはできたと思う」
 また,バンクーバーでRRPプログラムのスーパービジョンを求めたハリー・ステファナキス氏は,長年ブリティッシュ・コロンビア州でDV加害者更生プログラムにかかわってきた経験に基づいて,「加害者の人格を否定しないでかかわらなければ,彼らの変化は望めない。人として尊重されることをとおして,初めて自己洞察が生まれる」と語った。
 いずれも,裁判所命令によって実施されるDV加害者更生プログラムに長年かかわってきた経験を踏まえた言葉のように受けとめられた。日本と比較すれば遠く及ばない政策を背景にしてはいるものの,臨床的態度・基本的認知という視点からは深く共感する言葉であった。
 とすれば,現在の被害者支援員たちを覆っている加害者像の「神話」は,むしろ彼らを孤立させて不信と否定のまなざしで忌避することを強化していることになる。被害者の安全を守るための被害者支援が加害者を孤立させ凶悪化するリスクを高めているとすれば,これこそ最大のパラドックスではないだろうか。
 その「神話」は,支援活動をとおしてそのままDV被害者にも伝達されることになる。
 たしかに,「理不尽な暴力=DV」という夫の行為に対する強烈な再定義が行使されなければ,なかなか夫の言葉の呪縛からは逃れられないかもしれない。凶悪であると評価されることで,自らの経験が悲惨なものであったことの自覚が生まれるかもしれない。加害者は変わらないという断定も,彼女たちが現在の生活に見切りをつけて逃げるしかないという動機づけに役立つこともあるだろう。
 しかし,ここで問題は循環し,シェルターと保護命令空洞化の問題に直面することになる。つまり「神話」は,強固であればあるほど出口なしの状況を固定化する機能を果たしていることになる。さらに付け加えれば,加害者像が凶悪化されるに伴い,被害者像がイノセントで無力化された存在へと固定化されることにつながるのである。このことは,時として被害者権力を行使する欲求(私たちをこんな目にあわせた夫に復しゅうし痛めつけてやりたい)を彼女たちに喚起するのかもしれない。
 RRPプログラムを実施していると,被害者から「自分の手先となって夫を痛めつけ厳しく反省を迫ってほしい」という主旨の要望を受けることがある。時には,筆者らが夫の陣営の人間だという二項対立的反感を向けられることもある。いずれも加害者=悪,被害者=イノセントという白黒的図式を内面化しているから起こる言動だろう。
 加害者像にまつわる「神話」がこのように大きな影響を被害者にも与えていることは,注目すべきだと思われる。被害者支援の一環としてのRRPプログラムであるが,新たな対立図式をもちこむことは決して加害者の変化を促進するとは思えない。
 加害者にかかわる必要性について被害者支援の立場から述べてきたが,実際の臨床場面でどのように他の臨床と差違があるのかについてはそれほど多く言及されていない。たとえば,「二重の責任性(目の前にいる加害者とそこにいない被害者への責任)」「行為は否定するが人格は尊重する」「真のクライエントは被害者だ」などという比喩は十分有効だが,実際の臨床場面では実に応用が難しい。
 筆者はもともとアルコール依存症のグループカウンセリングにかかわっており,男性アルコール依存症者をとおしてDV加害者のグループと相似の体験を得たと考えている。
 変化の動機の乏しい男性をどのように動機付けしていくかについては,すでに動機付け面接の技法に詳しく述べられている。
 それに加えて,筆者は「厳しいけれど処罰的ではない」態度,「相手を尊重するが巻き込まれない」態度が必要だと考えている。実際場面ではなかなか困難な態度とも思えるが,時にはユーモアを交えることによって,心理教育的グループの課題でつきつけられる厳しい内容が,より抵抗少なく学びとられていくのではないかと考えている。
 さらにDV加害者たちは,その場の力関係に敏感であることも指摘しておかなければならない。絶えず被害者との関係において,自らの権力的立場が脅かされる被害者意識に満ちていた人たちであるがゆえに,ファシリテーターとの関係においても,しばしば見上げる立ち位置(権力者におもねる)を取りがちである。
 意識するとしないとにかかわらず,筆者らファシリテーターは彼らに対して権力的立場にあることは疑いがない。厳密な意味での対等性はそこにはない。しかし,彼らがファシリテーターを仰ぎ見ることによる学習効果は大きいのではないだろうか。それはファシリテーターが権力行使をしていることと同義ではない。
 そのように見られていることを認めながら,だからこそ可能になる学び落とし(unlearn)がそこには展開するのだと考える。

 カナダ,ロンドン市のDV被害者・加害者・その子供たちを包括的に支援する実践から多くのことを学んできたが,中でも繰り返し強調されたコミュニティ・ベースト(community based)という言葉を最後に取り上げたい。
 人口35万人のロンドン市で誕生した先駆的プログラムは,一団体,一研究所だけではなく,コミュニティのさまざまな職種のひとが月1回委員会を開催することから出発している。
 1990年にスタートした委員会は現在も継続され,警察,シェルター,加害者プログラムのファシリテーター,児童相談所,女性センター,不動産業者などが一堂に会することでさまざまな取り組みとそれを支える先進的プログラムを生み出してきた。
 ここでRRPプログラムの実践の場所を提供しており,人的にも臨床的にもバックアップしていると思われる民間相談機関(註1)の臨床活動を簡略化して紹介しよう。
 しばしばDV相談では,加害者(被害者の夫)の相談は受けないとしている機関が多い。それは被害者の安全を守るためには当然かもしれない。しかし当機関では現在に至るまで加害者のカウンセリングも実施してきたが,これまで大きな問題が発生したことは一度もない。その理由は,13名いるカウンセラーが,被害者と加害者を別個に担当するというシステムにある。その中にはそれに加えて, 被害者のグループ(AG=Abused Women’s Group)の担当者,さらにRRPプログラムでのファシリテーター担当者も含まれる。さらに電話受付専従の事務スタッフ2名が外部との接触を行っている。
 これらの役割分担は,わずか15名のスタッフによるものだが,細かくとらえれば,被害者支援員,被害者グループ担当者,加害者担当者,加害者グループファシリテーター,事務担当者に分類できる。時にはDVを目撃して育ち,薬物依存になった息子や娘がクライエントとして来所することもあり,その場合はさらに娘と息子担当者が加わる。いってみれば児童相談所的役割といえよう。
 これらの役割をになったスタッフが,ひとつの家族をめぐって時間があれば情報交換をし,今後の対策を練ることを繰り返す。昼食時や帰宅前のわずかな時間でも,狭い空間ゆえに効率的な意見交換やディスカッションが可能である。もちろん,受付業務担当者は被害者支援を基本姿勢としながら,加害者と被害者のカウンセリング時間がバッティングしないように操作し,加害者への情報コントロールに細心の注意をはらっていることはいうまでもない。もともとアディクション問題でつちかっていた医療機関や地域精神保健福祉事務所との層の厚いネットワークが,その外周に広がっていることも心強い限りである。
 このようにして当機関があつかったDV関連のしていくかについては,すでに動機付け面接の技法に詳しく述べられている。
 それに加えて,筆者は「厳しいけれど処罰的ではない」態度,「相手を尊重するが巻き込まれない」態度が必要だと考えている。実際場面ではなかなか困難な態度とも思えるが,時にはユーモアを交えることによって,心理教育的グループの課題でつきつけられる厳しい内容が,より抵抗少なく学びとられていくのではないかと考えている。
 さらにDV加害者たちは,その場の力関係に敏感であることも指摘しておかなければならない。絶えず被害者との関係において,自らの権力的立場が脅かされる被害者意識に満ちていた人たちであるがゆえに,ファシリテーターとの関係においても,しばしば見上げる立ち位置(権力者におもねる)を取りがちである。
 意識するとしないとにかかわらず,筆者らファシリテーターは彼らに対して権力的立場にあることは疑いがない。厳密な意味での対等性はそこにはない。しかし,彼らがファシリテーターを仰ぎ見ることによる学習効果は大きいのではないだろうか。それはファシリテーターが権力行使をしていることと同義ではない。
 そのように見られていることを認めながら,だからこそ可能になる学び落とし(unlearn)がそこには展開するのだと考える。

 相談機関が果たす疑似コミュニティ的役割
 2001年にDV防止法が制定されて以来,各地でDVに関する基礎的知識,支援方法の習得をめざした研修が行われつつある。しかし多くのDV被害者支援の理論的モデルが,加害者像に対する「神話」を再生産しており,それは被害者像のステレオタイプ化をも生み出している懸念がぬぐえない。「神話」は,DV防止法の不備によって浮かび上がっている悲惨な現実を,加害者を敵視し言及しないことによって,かえって強化してしまっているのではないだろうか。
 筆者らはRRPプログラムの実践を通じて「とりあえず」のDV再発防止に向けて4年間の実践を積み重ねてきた。このことで,実は被害者支援にも役立つ多くの情報や体験を得られたことを強調しておこう。DV加害者プログラムは,裏返せば被害者にとってもこのうえない心理教育的教材になりうるのだ。
 さらに,コミュニティに立脚した被害者支援のためには,もっと開かれた支援が必要であることも強調したい。児童虐待支援者との連携の乏しさが早急に改善されなければならないことはいうまでもないが,もっと積極的に他職種と被害者支援員とが交流する必要もあるだろう。ともすれば,被害者をかくまう(秘匿する)あまり,被害者支援員自身も外部に対して防衛的になってしまうとすれば,それは逆効果ではないだろうか。
 多くを被害者支援員に望むことは,現在の彼女たちのおかれた非常勤,時間制限的雇用,およそ専門職として尊重されていない待遇,結果としての研修機会の乏しさを考えるとき,いささか酷か
もしれないと思う。
 しかし,長年臨床にかかわってきた立場からは,「とりあえず」今できることを実践することから変化は始まると考えている。そして,民間相談機関が果たしている臨床的コミュニティとしての機能が,もし今後の日本におけるDV被害者支援,事例数は,2008年だけで全体の約6分の1を占める。
 民間相談機関のこのような臨床活動の果たす役割や機能は,人口35万人のロンドン市に比べるまでもないが,疑似コミュニティと呼んでもいいのではないだろうか。
 加害・被害の対立の双方を抱え込み,綿密に練り上げた介入を行い,必要であれば弁護士や病院を紹介し,グループと個人カウンセリングの重層的効果を確認しあう。子供への影響については大学の児童臨床機関と連携を行い,RRPプログラムとも緊密に連携する。このようなコミュニティ的機能を果たす相談機関の存在があって,初めてDV加害者プログラムの効果も生まれるのかもしれない。「加害者は変われるか?」という問いがもつ問題点はすでに述べたが,プログラムの効果はそれ自体に内包されているのではなく,どのようなコミュニティに立脚して実施されるかによって大きく左右されるだろう。
 ロンドン市訪問の最後の夜,日本から訪れた我々を歓迎するパーティーが開かれた。そこには市の検察官,シェルターの責任者,コンカレントプログラムを開発されたベーカー,カニンガム両先生,DV加害者の父親業のプログラムを開発されたカトリーナ・スコット先生,先述のティム・ケリー氏,チェンジングウェイのスタッフ,女性センターのスタッフ,児童相談所のスタッフなどが集まっており,アットホームな雰囲気で筆者らを包んでくれたのである。
 そこに現前したネットワークこそがcommunity basedなのであり,その中でこそ加害者は変わっていけるのだろうと思われた。

(註1)原宿カウンセリングセンター
参考文献
Bancroft L, Silverman, JG :The Batterer as Parent: Addressing the Impact of Domestic Violence on Family Dynamics, Sage,
2002.(ランディ バンクロフト, ジェイ・G. シルバーマン著,幾島幸子訳『DVにさらされる子どもたち——加害者としての親が家族機能に及ぼす影響』金剛出版,東京,2004)
 Michele Paddon, A Concurrent Group for Children and Their Mothers —— MOTHER'S PROGRAM MANUAL, London. MacTop Publishing Inc., 2006
 
信田さよ子『加害者は変われるか?——DVと虐待をみつめながら』筑摩書房,2008
信田さよ子「家族は再生するのか——加害・被害の果てに」『身体をめぐるレッスン4——交差する身体Intimacy』市野川容孝ほか編集,岩波書店,2007
藤岡淳子『性暴力の理解と治療教育』誠信書房,2006




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