あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-2]Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス

7.デートDV。別れられず、暴力が長期化する原理

 
 8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ 6.加害者属性により判断。暴力の後遺症によるDV -加害トラウマ。世代を超えてひきつがれる暴力-
*新版3訂(2017.12.17)

デートDVとは、デートの最中の暴力ということではなく、年齢に関係なく、恋愛関係にある者(交際相手)から受ける暴力のことです。
  したがって、暴力行為については、「Ⅰ-3.DVとは、どのような暴力をいうのか」で示した「身体的暴力(暴行)」「性(的)暴力」「精神的暴力(ことばの暴力)」「社会的隔離」「経済的暴力」が該当し、恋愛関係にある者に、子どもがいるシングルマザーであるときには、「子どもを利用した精神的暴力」も該当することになります。
  そして、恋愛関係も夫婦関係と同様に、デートDVの本質も、「本来対等な関係性に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使すること」と理解することが重要です。

(1) デートDVの特徴としての“恋愛幻想”
① 恋愛幻想の罠

デートDVの一番の特徴は、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」でとりあげている「事例116(分析研究11)」の「“恋愛幻想”下でのデートDV」で述べているとおり、“恋愛幻想”にはまってしまうということです。
ここは、もう一度、説明しておきたいと思います。
ひとりは寂しい、支えて欲しい、守って欲しい、結婚したい、幸せな家庭を築きたいといった思いが強い恋愛期には、なにかおかしなことをされても、「愛されている」と感じてしまい、深みにはまってしまいやすい状況です。
いったん関係をつくったら、2人の境界線はなくなり、他の人を好きになってはいけないことで、この関係が永遠に続くことが望ましいといった考えに疑いを持つことはありません。
そこには、「優しく誠実であらねばならない」という倫理観・道徳観にもとづいた約束・契約があります。
その二人の関係を大切にしない行いがあったりしたら、裏切り、不誠実、人の道に外れていると非難されることになるといった無意識下の“暗黙のルール”が存在します。
しかも、恋愛関係になれば、「交際相手の好みに合わせてプレゼントしなければならない」「デートしなければならない」「セックスには応じなければならない」「2人の間に秘密があってはならない」「嫉妬したりされるのはあたり前のこと」などと考えてしまったりするのです。
それだけでなく、結婚に至った恋愛は素晴らしく、成功者とか、勝ち組とか考えたりする偏った考え方をしてしまう人も少なくないのです。
このような恋愛観では、別れないためには、結婚を勝ち取るためには嫉妬心から必要以上に詮索し、干渉し、束縛することは許されるし、嫌がることを強いることをしても許されるということになってしまいます。
しかも、子どもが「できちゃった」ことによって、結婚へ至ったときには、あれだけひどい暴力をふるわれていたにもかかわらず、「結婚してくれたのだから、遊びじゃなかったんだ」という好意的に受け入れてしまったりすることさえ起きるのです。
なぜなら、人の脳は、つらく哀しいこと(記憶)より、楽しく嬉しいこと(記憶)を優先させる(快楽刺激を優先させる)特徴があるからです。
そのため、楽しかった思い出や嬉しかったできごとを繰り返し思いだし、その記憶にすがって“別れない理由づけ”をしてしまうことがあるのです。
また、恋愛関係にあるときには、デートのときにセックスを強いられたとしても、受け入れやすい心理が働いてしまうことがあります。
なぜなら、嫌な思いはデートのときだけのことで、毎日強要されるわけではないからです。
交際相手が嫉妬心から詮索し、干渉し、束縛されることを受け入れやすいのも、お互いに離れている時間が長いと、そのときだけと受け入れてしまいやすいのです。
ところが、一緒に暮らしはじめると状況は一転します。
DV加害者は、嘘・偽り、虚像がバレずに、支配したい女性の居場所と時間、セックスを独占できるようになった安心し、安堵することによって、露骨に上下関係にあることを認識させ、支配(コントロール)を強め、支配を維持するために暴力を駆使するようになります。
成人の女性であっても、上記のような“恋愛妄想の罠”にはまりやすいわけですから、中学・高校生は若いやゆえに経験が少なく、だまされやすく、急速にのめりこみやすく、その結果、支配されやすくなります。
職場で男女差別や夫婦間での育児・家事の分担の不平等など、世間の理不尽さを思い知らされることもありません。
そのために、ジェンダー(性差、性の役割)に対しての無理解からくる無批判になってしまう特徴があります。
それだけでなく、人のずるさや汚さ、そして、ダメさ、弱さなどと向き合う機会も少なく、詮索し、干渉し、束縛するといったふるまい、独占したい思いを強いる行為が、支配のための暴力、つまり、DVにあたるという概念は構築されていません。
そのため、いま自分が経験していることが何なのか理解できず、嫌なこと、つらいことがあったとしても、「自分が被害者である」ことを認められず、誰にも話さない傾向もあります。
「同級生からに虐められている」「交際相手から暴力(デートDV)をふるわれている」と、親に話せないのは、親を失望させたくない、期待を裏切っていることを知られたくない思いがあるからです。
青年期までの子どもたちは、親に認めてもらおうと、期待に応えようと一生懸命なために、虐めにあっている、暴力(デートDV)をふるわれている被害者であると認識したくないとの心の壁が立ちふさがります。
デートDV被害の認識には、高いハードルを超えなければならないのです。

② 愛とはドラマティック
青年期までの子どもたちは、愛をドラマティックに捉えていることがあります。
それは、「2人でいれば幸せになれる」という歌の歌詞や、「絶対に君を幸せにする」などと恋人がいってハッピーエンドになるドラマや漫画などを現実の世界にあてはめてしまうということです。
愛をよい意味でしかとらえず、そこに、危険性、支配、暴力、嘘、虚像などがあることを知らなかったりします。
絶対に幸せにできる人はどこにもいない、幸せになるための力は一人ひとりの中にあって、その力を育てていくのは自分であるということを知ることが大切です。
そのためには、歌の歌詞や漫画、ドラマを「いいな」と思うことは問題ないが、現実は違うと気づいていくことが必要になります。
メディアが発する情報をそのまま受け入れてしまうのではなく、立ち止まって、自分の頭の中でそしゃくして考えられる力を身につけるようにすることが大切です。
  こうした考える力が備わっていない時期に、「愛しているからだから」とか、「誰でもやっていることだよ」といわれると、他を知らないのでそのまま受け入れてしまうことになります。
しかも、ちょっと背伸びをして大人ぶりたい時期なので、年上の男性から格好のいい話を聞かされたり、理屈っぽい話をされたりすると、大人として扱われている感じがして自尊心がくすぐられ、同年代の男性にはない頼りになる存在として認識してしまいやすいのです。
そのため、その人の考えに傾倒したり、コントロールされたりしやすくなります。
別れの経験も少なく、別れる力も未熟なために、泣いてすがってきたり、謝ってきたり、優しくしたりしてくるとどうしていいかわからなくなり、簡単に許してしまったりします。
そうした別れる機会を失うといったことを繰り返していくうちに、深刻なデートDV被害に発展していくことが少なくないのです。
  異性とつき合うとき、束縛されるのは嫌だとは思わずに、自分のことを気にかけてくれているかを確認する(試す)ために、束縛されることを率先して受け入れてしまうこともあります。
「相手に気にかけてもらいたい、それがちょっと束縛っぽくてもいい」、「気にかけてもらえないと愛されている気がしない」と考えてしまうのです。
頻繁に届くメールは、24時間私のことを考えてくれている愛情の証し、友人にもうらやましがられたりします。
私も24時間あなたのことを考えているわと示すのが愛情だと、ロマンティックな恋愛幻想に酔いしれてしまいます。
束縛されることを愛されていると認識し、受け入れてしまう女性は、「ことばの暴力を止めて欲しい」と口にすることができない、つまり、暴力に抵抗できないという特徴があります。
しかも、怒鳴られたり、叩かれたりするのは、私が悪いから、私がいたらないから、私に非があるから仕方がないと思ってしまうのです。

-事例110(デートDV13)-
(詮索干渉・監視)
  交際期間中、Wと会うのも、電話するのも“毎日が”あたり前でした。
そして、Wは、私の会社で飲み会あると、飲み会の会場まで迎えにきました*1。
しばらくすると、Wは、私が美容院の予約をしていたり、友人とお茶をする予定があったりすると、「俺よりそっちが大事か?! お前はその程度の気持ちなのか。」と非難するようになりました*2。
そのため、私は予約をしたり、友人と遊んだりする時間が少なくなっていきました。
毎日、Wと会えるのはうれしいものの、友人と過ごす時間や自分の用事も自由にしたいと思いました。
しかし、Wに「俺よりそっちが大事か?! お前の気持ちはその程度か。」と非難されると、私は、自分の予定より、Wを優先させるしかありませんでした。
交際当初は、束縛もうれしかいと感じましたが、次第に、“会わないといけない”“電話しないといけない”と強迫観念に駆られるようになり、息苦しさを感じるようになっていきました。
*1.2 詮索干渉・監視による束縛(支配)です。

** 事例110以外の「詮索干渉・束縛(社会的隔離)」に関する事例については、「Ⅰ-6-(5)-①自己正当化型ADHD」「同-②アスペルガー症候群」にてとりあげています。


③ デートDVの問題点
a)「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」が適用されない
  平成25年7月3日公布、平成26年1月3日施行された『(改正新法)配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(以下、配偶者暴力防止法)』では、「婚姻関係における共同生活に類する共同生活(同棲生活)を営んでいる)」ときには、交際相手に対しても“同法を適用できる”と改正されました。
その解釈にもとづいて、「生活の本拠を共にする交際相手から暴力等を受けたあとに、生活の本拠を共にする関係を解消したあとも、ひき続き暴力等を受けた」場合においても、同法が適用されることになりました。
つまり、交際関係が解消したあとも“一時保護の決定”、“保護命令の発令”の対象になるということです。
  ただし問題は、婚姻関係における共同生活に類する共同生活を営んでいない交際相手には、配偶者暴力防止法は適用されないということです。
自宅から通学している中学高校生や大学生、もしくは、自宅から通勤していたり、一人住まいをしていたりする大学生や社会人には、配偶者暴力防止法は適用されないということになります。
つまり、住所を同じくする居住地で共同生活を営んでいない交際関係下では、一時保護や保護命令が適用されないのです。

b)簡単に別れられる、たいしたことではないと軽視されがち
  さまざまな理由から、被害者が「別れられない」「別れたくない」と感じてしまうのがDV被害の特徴です。また、夫婦間のDVと交際相手からのデートDVに共通する問題として、加害者が別れることを強く拒むことがあげられます。
  しかし、デートDVの場合、「若いから」「結婚していないから」「子どもがいないから」などの理由で、簡単に別れられると周囲が思い込んでいることが少なくありません。
デートDVであっても、「逃げたりしても見つけだされたら、もっとひどい暴力を受ける」「逆らって怒らせたりしたら、なにをされるかわからない」といった強烈な恐怖心を抱えている被害者にとって、別れることは容易ではないのです。
  それだけでなく、コントロール(支配)には「下手にでるコントロール」があることが、より別れ難くしてしまうのです。
暴力の直後に謝ってきたり、優しくなったりすることがあります。
暴力の直後に期間限定で優しくなるのは、「支配できる対象者を失いたくない(別れたくない)」といった目的があるからです。
自分の支配欲・独占欲を満たし続ける目的のために優しくみせかけるのは、「下手にでるコントロール」ということになります。
ツラい思いをさせた被害者を気遣ってのおこないではないのです。
この下手にでるコントロールがあることで、「相手が変わってくれるかもしれない」「よい関係になれるかもしれない」と淡い期待を抱いてしまうことによって、加害者から離れ難くなってしまうのです。

c)家庭にDVがあり、虐待などと併発していると、より複雑になる
 家庭にDVがあり、虐待が関係していて、家に居場所がなく、恋愛に依存しているときには、加害者である交際相手と別れることができたとしても、安心して帰れる家があるわけではありません。
そもそもデートDV被害の解決のためのサポートを親に求めることができないことが、問題をより複雑にさせることになります。
  家庭にDVがあることと、子どもへの虐待がどう関係しているかですが、家庭にDVがある、つまり、両親の間にDVがあるときには、仮に、直接子どもに暴力がふるわれていないとしても精神的虐待を受けていることになるというのが、「児童虐待防止法」の解釈です。
DV・支配のための暴力のある家庭環境に暮らす(暮らしてきた)子どもは、被虐待児童ということになるのです。
  親から暴力を受けてきた児童(18歳未満の就学している子ども)などが、交際相手から暴力を受けることになった、つまり、二重の暴力被害を受けているという認識のもとでの対応が求められることになります。
18歳未満であれば児童相談所の介入と女性センターなどDV専門の相談機関、そして、学校などとの連携が必要不可欠です。
そしてなにより、DV・支配のための暴力被害を長い期間にわたり、慢性反復的に受けてきたトラウマ(心的外傷)に対する継続的なケアが欠かせません。

d)発達段階における脳や身体に与える影響が大きい
  発達段階である思春期後期から青年期の若い人の脳や体は、成人した大人よりも暴力による大きな影響を受けやすくなります。
暴力被害を避けるために顔色を伺ったり、機嫌を損ねないように気を遣ったりしているうちに、暴力に順応した考え方の癖やふるまい方を身につけてしまったりします。
  また、性暴力被害にあう可能性の高いデートDVでは、大きなトラウマ(心的外傷)によるダメージが深刻です。
幼児期の性虐待被害が、解離性障害や解離性同一性障害(多重人格)をもたらすのと同じように、デートDVによる性暴力被害も同じように解離性障害をもたらしたり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)としてのうつ症状やパニック症状をもたらしたりする可能性が少なくありません。
性暴力は自尊心を奪い、自己肯定感を損なうことになります。
それだけでなく、性暴力を受けた体を“穢れたからだ”として受け入れられなくなったり、傷つけたりする2次被害を招いてしまうこともあります。
  さらに、避妊をしたがらないために妊娠のリスクを負うだけではなく、性病を罹患するリスクを負うことも理解しておかなければなりません。
性、セックスに関する間違った情報は多いにもかかわらず、正しい情報はあまりにも少ないのが現実です。
加害者、被害者ともに、それが、性暴力であるとの認識を持っていない場合も少なくありません。
正しい知識を学べる機会が必要です。

e)進路の選択に影響する
  中高校生や大学生は、これからの進路を考える大切な時期であるにもかかわらず、被害者のエネルギーや時間の多くをデートDVへの対応にとられてしまう可能性があります。
それだけでなく、加害者の考えや思惑が、被害者の進路に大きく影響を及ぼします。
場合によっては、妊娠し、進学や就職を諦めなければならないことでてきます。
将来への希望を諦め、人生の方向性がまったく変わってしまうこともあるのです。

(つき合う人、結婚する人は、暴力をふるう父親そっくりの人)
  DV環境で育った女性の中には、父親のような暴力をふるう男性とつきあったり、結婚したりする人が少なくありません。
  その理由は、第1に、暴力をふるう男性の言動や行動パターンは、産まれてからずっと接してきた暴力をふるう父親と似ていることから、暴力のある環境に順応してきた女性にとって、次の言動や行動を予測し易いといった安心感があるからです。
気持ちの伝え方を暴力でしか表わせなかった父親のもとで育ち、ことばでの良好なコミュニケーション、人間関係を学べなかった女性は、扱いやすい思ってしまうのです。
しかも、事例112(分析研究8)で、『Mの話の面白さに惹かれたのは、娘に性的虐待をおこない、妻(母親)に暴力をふるい、お金にだらしのないAの父親にそっくり、つまり、無意識下であっても、父親と同じ雰囲気を醸していることに安心したからです。』と記しているように、その男性が“発する気”、つまり、“雰囲気”になんら違和感を覚えることはなく、溶け込んでしまうこともあります。
一緒に過ごしていても、なんら苦痛を感じることもなく、思春期以降、あんなに毛嫌いしていた父親と同じ空気を醸しだす男性に心地よささえ感じてしまうのです。
特に、男性が、自分と同じ境遇に育っているときには、お互いのその生い立ちに共感し合い、同化し易いことから、第1にあげた“感覚”がより深まっていきます。
そして、第2に、幼児期、生育期に「王子様が迎えにきて、いまの生活から助けだしてくれる」と“夢見がち”で、“空想を楽しむ”ような習慣づけがされたまま、人一倍人恋しい成人へと成長しているときには、男性の語る現実感のない夢物語を、現実を忘れさせてくれる楽しい夢、空想の続きとしてすんなり受け入れてしまいやすいからです。
現実を忘れさせてくれる夢物語を流暢に語る男性に惹かれてしまうのは、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、底なし沼のような寂しさを埋めてくれるからです。
その男性の語る夢物語に“同化”してしまうと、まるで、感化された新興宗教やカルトの勧誘者ごときに、友人や親兄弟にも自身のことのように語るようになります。
「お前だけ」「お前は特別」との“特別感”を刺激される(承認欲求が満たされる)ことばに、“虚像”でしかない「大事にされている感」に身も心も同化していってしまいます。
  ところが、現実感のない夢物語を語る男性の多くは、ターゲットの女性を落とし、自分のものにしていく道具、手段として意図的に、時に、効果的にそれらを用いているにすぎないのです。
事例116(分析研究11)のRのように、男性が語る夢物語が、嘘・偽りで固められた“悪魔の囁き”であることに、被虐待体験をしてきた女性たちは気がつかないのです。
ターゲットの女性を落とすことに成功した男性は、次第に父親と同じようにコントロールしようとする言動が目立ちはじめ、また、友人との交際に関しての執拗な詮索をしはじめます。
電話(話している内容)やメールをチェックし、時には、友人と会うときにも常に顔をだすようになります。
周りに気を遣いながらも、「俺が彼氏だ!」を執拗にアピールしはじめるのです。
このとき、「アレッ? なんか変」と違和感を覚えても口にすることはなく、その詮索でさえ、大事にされている、愛されていると自分自身にいいきかせていきます。
なぜなら、自分が嘘をつかれ、騙されていると自覚することは、これまで満たしてきた承認欲求を手放すことを意味し、それは同時に、自己否定につながることから、事実を認めることに強い抵抗を示すことになるからです。
「事実を認めることに強い抵抗を示す行為」は、自分の言動や行動は間違っていなかったことを示す(正当化する)理由づくりをしていくことになります。
  自分の言動や行動を正当化する理由づくりをしているときには、「Ⅰ-5.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」に記している通り、既に、精神的にコントロールされて、その状況から抜けだすのは困難になっています。
  「あの人、おかしいよ、別れたほうがいいよ」との友人や親兄弟から声にも、「彼のいいところは私にしかわからない」と聴く耳を持ちません。
その口うるさい友人とも徐々に疎遠となり、親と同居しているときには、家をでて、同棲をはじめることで、自身は孤立していきます。
孤独感、孤立感は、「もう、私にはこの人しかいない」と闇の世界に導かれていきます。
この状態は、ターゲットの女性を落とそうと目論んだ男性の筋書き通り、思う壺です。
  その後、暴力による“怖い”を一度でも感じてしまうと心は凍りつき、思考は停止し、大脳は身を守る方向のみに働くようになります。
  幼少期から母親が暴力をふるう父親から逃れられない姿を見続けてきた女性は、暴力をふるう男には逆らえない、自分の意見・考えは持っていけない、いったらどんなに怖い思いをするかわからないことをすり込み、学んできていることから、その状況に怯え、口をつむぐことになります。
女性は「逃げられるわけはない」ことをすり込んでいることから、逃げだそうでなく、“無意識”の中で、「この人が好き」、「愛さなければいけない」、「この人には私しかいない」とさえ思い込もうと躍起になり、自身の選択を正当化していこうとするのです。
根底にあるのは、“生存本能”としての「生き延びる(この環境で生活しなければならない)」ことに、脳が支配されることです。
幼児期や学童期の虐待後に、学習機能や意欲を著しく低下させたり、短期間で信じられないほどの学力低下が見られたりすることも、自己防衛システムが最優先になり、他の機能を停止させると意味でほぼ同じ現象です。
  その後、「事例116(分析研究11)」のように、虚像が暴露されてくると、暴力により自身の支配をより強めようとします。
日常的に侮蔑され、虐げられ続けると、自分自身に自信が持てなくなり、私は価値のない人間だとさえ思い込み、無気力になっていきます。
そして、「この人のもとでしか生きられない」と精神的なコントロール状態になっていくのです。
ここまでくると、暴力による共依存と似通った関係性がしっかりとつくられていることになります。
仕事をし、収入をえることを許されないときには、経済的に縛られていることから、この傾向はより強くなります。
事例116(分析研究11)のRは、『刃向かわなければ優しいのだから、「髪を切りたいから、お金を頂戴。」といってお金をもらっていた。それがあたり前だと思っていた。お金をもらうと、まるで尻尾をふって、お手をするようなワンちゃんみたいに喜んでいた。』と語っています。
  さらに、セックスの関係が、女性自身をより縛り続けていきます。
女性は、男性とことなり、皮膚の接触から愛情をとり込みます。
膣内の接触は、「気の交流」として“契り感”を強め、“絆”を身体にとり込んでいきます。
そのため、「この人の子どもを欲しい」と願うようになります。
拉致監禁という異常な環境下であっても、女性特有の感情が、逃れるタイミングを失する要因のひとつになるのです。
古来、征服した国の女性たちを征服者たちは手篭めにしてきました。
“民族浄化”という名の下でのレイプは、いまだに後を絶たないのは周知の事実です。
親や夫を殺した憎っくき敵であるはずの女、妻になります。
生活をともにし、子どもを身ごもる中、契り感・絆をしっかりと身体と心にとり込んでいき、愛するようになり、のちに、かけがえのない夫になっていくのです。
ナイジェリアでは、「ボコ・ハラム」に拉致され、性奴隷とされている女子生徒が、交渉(取引き)により解放されるとき、強制的に兵士の妻とされた女子生徒のうち数人が親元に帰ることを拒み、夫のもとに留まっています。
いまでの変わることのない、何千年も繰り返されてきた女性の哀しい性の歴史です。
女性が男性にすがりつき、別れられなかったり、執着して逃れるのを拒んだりするのは、契り感・絆を心身にとり込んでいるからに他ならないのです。
他の女性との性的関係を許せないのは、その「契り感・絆を穢された」と思うからです。
  一方の肌の接触から愛情をとり込むことのない男性は、なにがいけないのか理解できません。
「許してくれ! もう浮気はしない」という発言は、ただ騒がれ続けるのを回避したい思いからに他ならないのです。
したがって、浮気行為をやめることはありません。
暴力で支配関係を保とうとする男性の場合には、心から謝ることはせずに、逆に、次々と女性関係を続けることで、“嫉妬を煽り続ける”ことができる、つまり、女性の心をいつまでもコントロールできる(自分の支配下におくことができる)ことを知っています。
元交際相手や元妻に復縁を迫り、つきまとい、殺害してしまう凄惨なストーカー事件が多発しています。
そのとき、女性を支配下に置けない、自分のものではなくなったとき、その屈辱感、敗北感に苛まれ、怒りと憎しみ感が強まり、その対象となる女性を永遠に自分が支配し続けるために、消し去ろうとする行動に発展することもあります。
「消し去る」とは、殺すことです。
殺すことで、魂の部分で永遠に一緒になろうとするわけです。
やっかいなのは、女性が逃れたい、自分に気がないことを察すると、自分の女が浮気していると妄想し、病的な嫉妬に苛まれ、「自分がこんなに愛しているのに裏切りやがって」と嫉妬に怒り狂い、責め続けるということです。
女性は心の絆に心地よさを感じ、安心とリラックスを得ることができますが、「女性は力強さ=パワーを求める」ものだとの幻想が強い男性ほど、支配しなければ傍らにいてくれないとの強迫観念に縛られ、暴力をふるい、次第にその暴力をエスカレートさせていきます。

(危険察知能力と共感性。その違いがわからないDV被害者)
「Ⅰ-3-(6)経済的暴力」の中で、DV加害者による暴力が激化するきっかけの例として、「(俺への)気持ちが離れかけている(俺のもとから逃げようとしている)と察して」と記しています。
この“察する”は、暴力のある環境で育ってきたことによる“危険察知能力”であって、人の気持ちを思いやり、人を気遣うといった“共感性”とはまったく違うものです。
  暴力のある環境で育つことは、両親のもとでお互いを慈しみ、お互いを敬い、お互いを労わるといった関係性を学び、身につけることができません。
このことは、人の気持ちを思いやるとか、気遣うといった“共感性”を身につけていない、あるいは、“共感性”という感覚を間違って認識してしまうことを意味します。
つまり、この“危険察知能力”こそが、暴力のある環境に順応するために身につけてきた能力であるということです。
重要なことは、この“危険察知能力”は、DV被害者にも共通して見られる傾向のひとつです。
おどおどと顔色をみたり、機嫌を損ねないように、意に反しないように気を配ったり、「きっと、こうして欲しいと思っているんだろう」と先回りをしたり、気分よく過ごしてもらうために喜ばせたりすることは、暴力による身の危険を回避する行動です。
つまり、危険を回避するために気配を伺っている行為と、人の気持ちを汲んだり、思いを寄せたりして共感(同意)を示す行為は、まったく異なるということです。
危険察知能力は、自らに及び危険を回避するものですから、主語は一人称の“俺は”“俺にとって”ですが、共感性は、相手の気持ちを考えるというものですから主語は二人称の“あなたの”、もしくは、三人称の“あなた方の”ということになります。
したがって、「共感性」という概念を身につけているかどうかは、一人称としての行動なのか、二人称・三人称として行動なのかを見極めることによって判断できます。
  次に、「Ⅰ-1-(3)-⑤」では、詮索干渉、束縛、監視という「社会的隔離(精神的暴力)」を扱っています。
加害者だけでなく、多くの被害者にとっても、区別し難いのが、「詮索干渉、束縛、監視と愛情は違う」という解釈です。
この違いを見極めるポイントも、先の危険察知能力と共感性の違いが、一人称で考えているものなのか、二人称・三人称で考えているものなのかということです。
  いつも、退社時間に合わせるように勤務先近くに迎えにきていたり、率先して会社の飲み会、出張するときに送り迎えをしたりする行為を、私のことを監視し、詮索干渉・束縛しようとする、不気味で危険な人と認識するか、親切で優しく、思いやりがあって、私のことを気遣ってくれて、大切にしてくれている人と認識するかは、危険察知能力がどう作用するかという問題です。
  このとき、危険察知能力の働きを弱めてしまうのが、過度の承認欲求を求める傾向があるのか、ないのかです。
  過度に承認欲求を求める人は、上げ膳据え膳で尽くされることは、このうえない幸福感を味わえる瞬間であることから、正常な判断力は奪われてしまいます。
  つまり、作為的な(悪意のある)行為に騙されやすくなります*-78。
例えば、会社の休憩所や営業先などで「よく会いますね」と声をかけられ、話し合うようになったことが交際するきっかけになっているとします。
その後、暴力行為があったり、金銭的な搾取行為があったりしなければ、上記の行為は問題になりません。
しかし、交際後、暴力行為があったり、金銭的な搾取行為があったりしたということであれば、話が違ってきます。
なぜなら、出会い、交際そのものが仕組まれていた、つまり、作為的な(悪意のある)行為であったと考える必要があるからです。
  つまり、出会いのきっかけ、交際のいきさつを明らかにし、検証することは、「いまさら過去のこと」ということではなく、必要不可欠なことなのです。
  なぜなら、家をでたあと、離婚が成立したあとのストーカーリスクを判断するうえで重要な情報に他ならないからです。
「当初から仕組まれていた行為」には、オトせるかどうか見極めるプロセス(かけひき)を含みます。
例えば、お酒をだす飲食店やコミュニティサイト(出会い系サイトなど)で、上辺だけの格好のよさを見せつけ、甘い優しいことば、つまり、共感することばで口説き落そうとする行為とまったく同じです。
このときの優しさ、甘いことばは口説き落とそうとする行為として認識し、受け流すことができれば、なにも問題はないわけです。
しかし、中高校生の恋愛ではなく、成人した大人の女性が、作為的な意図を持って集いやすい“場(機会)”で、上辺だけの格好のよさや感性の高い甘く優しいことばで口説き落としたいと目論む(下心のある)人たちによる言動やふるまいを、真実の愛情表現と錯覚し間に受けてしまうときには、問題です。
なぜなら、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントが損なわれ、「見捨てられ不安」を埋めたい(愛着のやり直しをしたいと考える)輩たち(DV加害者、結婚詐欺師など)に、簡単に心の隙を突かれ、オトされる可能性が髙いからです。
DV被害者にこうした傾向があるときには、いまのDV事件が解決したとしても、その後、再びDV被害を受けることになったり、カルト性のある新興宗教やスピリチュアルな占いにはまったり(高額な金銭を費やすを含む)するリスクが高いことになります。
したがって、「詮索干渉、束縛、監視と愛情は違う」という事実認識ができていない(“ここ”をケアできていない)と、同じやり口で罠にかかり、繰り返し暴力による支配を受ける可能性を残すことになります。
つまり、暴力をふるう相手と別れたあと、再び、暴力をふるう相手とつき合うリスクを残すことになります(つき合う人はいつもダメンズというのも同じです)。
“ここ”のケアに大きくかかわってくるのが、被害者がどういう家庭で育ってきたのか(被害者の成育歴)ということです。
なぜなら、暴力のある環境で育ち、アタッチメントを損なっていると、父親と同じ男性が優しくすること、甘いことばを口にする真意を見極める力を身につけていないからです。
DV被害を訴える女性が、出会いのきっかけ、交際のいきさつの中で、退社時間に合わせるように勤務先近くに迎えにきていたり、会社の飲み会、出張するときに送り迎えを買ってでてきたりする行為を、優しいふるまいと認識し、私は大切にされていると承認欲求が満たされていると感じていたときは、“危ない資質”を抱えていることになります。
しかも、のちにDV加害者となるが、頻繁に「出合いは運命だね」と口にし、大きな夢を語る言動に心を打たれ(共感し)、同じ夢を持ち、いっしょに人生を歩みたいと思いを硬くしていたときには、“なお危ない”ということになります。
DV被害者が「危ない資質」を抱えているとき、「仕組まれた出会いは、つきまとい・ストーカー行為の延長線上にあった(ストーカー行為に他ならなかった)」と認識できていないケースが少なくありません。
このことは、別れ話をしたり、離婚を切りだしたりしたとき、加害者が異常な執着性をみせる可能性があることを認識できないことを意味します。
つまり、事実認識ができていないと、別れたあとのリスクマネジメントに不備が生じやすくなるということです。
*-78「作為的な(悪意のある)行為に騙されやすい」については、「Ⅰ-8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で詳しく説明しています。


(2) デートDVから結婚に至る経緯
 DV被害支援室poco a pocoでは、平成25年4月-平成28年6月で、離婚調停・裁判での離婚の成立、一時保護の決定、保護命令の発令、傷害事件の立件に向けて、直接DVを立証するためのサポートを33件おこなってきました。
この33件のDV事件を検証してみると、3つの傾向を読みとることができました。
それは、第1に、デートDV被害を認識することなく結婚に至っていること、第2に、被害者が暴力のある家庭環境で育ってきたことを認識できていないこと、第3に、面前DV下にある子どもの多くに、AHDHやアスペルガー症候群などの発達障害の診断がされていることです。
  第1の「デートDV被害を認識することなく結婚に至っている」における“交際のきっかけ”をまとめると、a)離婚後シングルマザーになり、その後、高校の同級生と再会した、b)大学の先輩や同級生、または、職場での同期入社として出会った、c)大学生のときアルバイト先で一緒だった、d)婚活サイトで出会った、e)きょうだいや友人、知人の紹介で知り合ったとなります。
一般的に、DV被害を考えるとき、夫となる男性とどのように出会い、交際に至ったのか、その交際ではどのようなことを話し、どのようなデートをし、そして、結婚を決意した経緯(いきさつ)についてあまり重視していないようです。
しかし、長期間にわたり、慢性反復的にDV被害を受けることになったのはなぜか、逃げたり、別れたあと会いたくなったり、復縁することになったりするのはなぜかといったDV問題の本質にかかわる情報の多くが、ここに詰まっているのです。
  第2の「暴力のある家庭環境で育ってきたことを認識できていない」については、33件すべての被害女性が、暴力のある家庭環境で育っていました。
しかし、離婚調停でDV被害を訴えている時点で、自身が、暴力のある家庭環境で育ってきていることを認識できていた被害女性は4名(12.12%)で、29名(87.88%)の被害女性は、暴力のある家庭環境で育っていたことを認識していませんでした。
認識できていない理由は、以下の3点にまとめることができます。
第1に、「母親が過干渉で、進学する大学もすべて決められた」、「父親はとても厳しく、叩かれたこともあった」と表現していても、それらの行為が、暴力とは認識できていないという“認知”の問題です。
第2は、「愛情のこもった料理を母がいつも準備してくれていた」、「私の家族はとても仲がよく、いつも相手を思いやり、笑い声のある家庭で育ちましたので、怒鳴られることがなく、…」と、記憶を“真逆”に書き換えている問題です。
第3は、母親・父親からの身体的虐待、性的虐待の事実の記憶そのものがなくなっている“解離”、“記憶の障害”という問題です。
第1の原因としてあげた暴力の認知の問題については、DV被害者に特定されるものではなく、日本社会全般に認められる問題であるということです。
  20-30歳代の社会人男女200人(男女100人ずつ)に対し、「過去に親からどのようなしつけを受け、罰を与えられたことがあるか?」を訊いたアンケート結果があります(平成28年;12項目、複数回答可)。
  「過去に親からしつけとして与えられた罰」に対し、叩かれる(53.5%)、長時間のお説教(32.0%)、押入れ・ベランダなどに閉じ込められる(22.0%)、ゲーム・おもちゃなどをとりあげられる(21.0%)、おやつ抜き(12.5%)、正座(11.0%)、ご飯抜き(8.5%)、お小遣いの減額、とりあげ(6.5%)、置き去り(6.5%)、強制お勉強(5.5%)、誕生日・クリスマスのプレゼントなし(2.5%)、反省文(2.5%)と回答しています。
加えて、「とりわけ衝撃的だった(“最も衝撃的だった”親からしつけとして与えられた罰)もの」についても同じ項目からひとつ選んでもらうと、男性では、叩かれる(30.5%)、長時間のお説教(13.0%)、押入れ・ベランダなどに閉じ込められる(12.0%)、ゲーム・おもちゃなどをとりあげられる(4.0%)、おやつ抜き(3.0%)と回答し、女性では、叩かれる(35.0%)、押入れ・ベランダなどに閉じ込められる(12.0%)、長時間のお説教(6.0%)、ゲーム・おもちゃなどをとりあげられる(6.0%)、置き去り(3.0%)と回答しています。
 そして、「最も衝撃的だったしつけ体験について、いま、ふり返ってみて、どのように思うのか」を訊くと、①「叩かれる」ことについて、「よいと思う。誰かが痛みを教えないといけない(33歳・男性)」、「多少トラウマになったようで“自分は決して暴力を他人にふるうものか”と思うようになりました(38歳・男性)」、「本気で叩いてないし、しつけだから問題ない(29歳・男性)」、「掃除機の柄で叩かれて肩が外れかけました。いくらなんでもやりすぎだと思います(37歳・女性)」、「叩くのは親がすっきりしたいからだと思う(34歳・女性)」、②「長時間のお説教」について、「気が遠くなるほどやられた(33歳・男性)」、「無駄話が多かった(26歳・男性)」、「やはり自分が悪いことをして罰を受けているので、当時はすごい嫌で覚えているが適切な判断だったと思う(32歳・男性)」、「怖かった(27歳・女性)」、「特別不適切に思ったことはない(25歳・女性)」、③「押入れ・ベランダなどに閉じ込められる」ことについては、「自分が悪いことをしたのだから適切(38歳・男性)」、「閉所恐怖症だったのでキツかった(37歳・男性)」、「過激だったとは思わないが、悲しかっただけでしつけとして効果的だったかどうかは微妙(28歳・女性)」、「思いだすだけでも嫌になるが、もし自分に子どもができたとき、頭を冷やせという意味で同じことをすると思う(31歳・女性)」、④「ゲーム・おもちゃなどをとりあげられる」については、「詳しくは覚えていないが、なにか悪いことをしたせいだから仕方ないと思います(33歳・男性)」、「ゲームをやり過ぎていた自分も悪かったが、とりあげられて余計にイライラしてしまった(24歳・女性)」、⑤「おやつ抜き」については、「一番効くと思う(26歳・男性)」、⑥「置き去り」について、「山の中に置き去りにされて動くことができず、泣いたのを覚えています。捨てられる恐怖を覚えて、いまもトラウマです(30歳・女性)」と回答しています。
  調査対象は、20-30歳であることから、平成7年-昭和60年に生まれです。
  仮に、父母が20-30歳ときに生まれていると考えると、父母は昭和50年-30年生まれの40歳-60歳、同様に、祖父母は昭和30年-大正14年の60歳-90歳ということになります。
戦前戦後生まれの祖父母、戦後から高度成長期生まれの父母のもとで育ったこの調査対象者は、「親のしつけ、罰」と称されたアンケートに対し、その多くが、親の虐待行為を容認していたことになります。
こうした親の虐待行為を「親のしつけ、罰」として容認している人が、交際相手や配偶者から暴力をふるわれたとき、DVそのものを認識するのが難しくなること、そして、子どもの面前でDVがおこなわれていることに対し、子どもは、精神的虐待下にあると認識できないのは、至極あたり前ともいえます。
  第3の「子どもの多くに、ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害の診断がされている」ついては、携わってきた33件のDV離婚事件のうち、子どものいる夫婦が23件(69.70%)で、48人の子どもがいました。
その48人の子どものうち27人(56.25%)が、既に、医療機関において、アスペルガー症候群、ADHDと診断されていました。
一方で、23件すべての被害女性(母親)は、「子どもへの暴力の影響が心配です。」と述べるのの、自身の子どもが発達障害であることと、暴力のある家庭環境で育ってきたことが発症原因となっていることを結びつけて認識していませんでした。
発症率は、ADHDが10%、アスペルガー症候群が3-7%とされている*-79ことから、この56.25%という数字は、非常に高いことがわかります。
ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害と診断されている子どもが、DVのある家庭環境では高い発症率を示すことを裏づける調査報告のひとつが、平成20年-21年度「子ども虐待問題と被虐待児の自立過程における複合的困難の構造と社会的支援のあり方に関する実証的研究(厚生労働省)」です。
このレポートでは、「A県の児童相談所で虐待受理ケース119事例の中で、71事例(59.67%)が障害を持つ子どもを養育している、つまり、56例が当該児童に障害があり、48例にきょうだいに障害があり、33例に当該児童ときょうだいの両方に障害があり、15例はきょうだいのみに障害がある。」と報告しています。
これは、暴力(虐待)のある家庭環境で子どもが育つことと、発達障害を発症することには、ある一定の因果関係があることを示すものです。
虐待の後遺症として生じる反応性愛着障害の諸症状には、発達障害の示す臨床像に極似のものが含まれます。
虐待は、脳の器質的機能的異常を生じさせることから、発達障害といわざるを得ない臨床像を呈し、「発達障害と診断されている子どもの30-40%は愛着障害である。」との指摘があります。
したがって、一般的に、ADHDやアスペルガー症候群を含む多くの発達障害は、先天的な脳の器質障害であり、生育歴は一切関係ないとされる」と認識されていますが、この「手引き」では、胎児期を含め、暴力のある家庭環境で育っていることが、ひとつの発症原因となっていると認識することが重要であると考えています。
ここで重要なことは、第1に、「先天的な脳の器質障害」とは、出生時を起点として考えるのではなく、胎児期までを含めて考える必要がある、つまり、脳の器質は胎児期に形成されるということ、第2に、小児型ADHDと遅発型ADHDは発症経路が異なり、遅発型ADHDは、小児型ADHDに比べて遺伝的要因の可能性が低いということです。
遅発型ADHD=自己正当化型ADHDではありませんが、その特徴は、機能障害や他の精神疾患を示すなど、注意欠如、活動過剰、衝動的行動などの症状が、子どもでみられるよりも重度の症状を示すことが多く、不安神経症やうつ病、薬物やアルコールの依存症などの罹患率が高くなり、そして、交通事故や犯罪行動などの増加を伴う傾向がみられるということです。
したがって、暴力のある家庭環境での養育歴は、愛着障害だけでなく、発達障害など極めて高い発症リスクがあること、そして、暴力のある家庭環境で育ち、ADHDと診断されている子どもの多くは、愛着障害である可能性が非常に高いことを認識することが重要です。
子どもの発達障害と児童虐待・面前DVとは、複雑に絡み合っています。
  そして、「Ⅱ.児童虐待・面前DV。暴力のある家庭環境で暮らし、育つということ」に記しているとおり、子どもの治療には、正しい情報を伝え、正しい診断を受けることが欠かせないわけです。
*-79 アメリカでは、男子高校生の5人に1人の割合でADHDの診断がされ、10年前に比べると53%増加しているといいます。
4-17歳では、約640万人にのぼります。
2009年(平成21年)におこなわれた調査では、近年10年間で自己愛性人格障害が発生した率は2倍以上に増加しており、人口の16人に1人にのぼると報告されています。
この10年、アメリカ社会でなにがあったかということですが、それは、2001年(平成13年)9月11日、アメリカ同時多発テロが発生したということです。
以降、イラク・アフガニスタンに派遣され、戦場で亡くなった兵士が6.460人(2010年現在)、帰還したアメリカ人は約200万人で、そのうち20-30%(約40-60万人)がPTSD、うつ、不安、悪夢、人格変化、記憶障害などを抱え、苦悶するなど、精神的・心理的障害に悩まされています。
さらに、2010年(同)20年)の帰還兵の自殺者は6,500人を超え、毎日18人前後の元兵士が命を絶っています。
そして、派遣される兵士の多くは低所得層出身者です。
これは、ベトナム戦争以降、変わっていないことです。
  アメリカで子どもの虐待の通報件数は、日本の約20倍になっています。
しかし、アメリカでは「子どもは社会のもの」と考えられているため、社会が虐待に積極的に対応する一方で、日本では「子どもは親のもの」といった考えが根強く、他人の家庭には口だししない風潮があったり、また、誘拐件数が多く発生したり、アルコール依存症やホームレスの率が髙かったりするなど、アメリカの社会病理が日本より進んでいることを背景に、ネグレクトに関する考え方に違いがあったりします。
例えば、スーパーマーケットの前にベビーカーに乗せた赤ちゃんを数分間放置しておい ても、日本では問題視されませんが、アメリカではネグレクトとして親が逮捕されます。
幼児だけで留守番をしている間に火災がおきると、日本では「不幸な事件」 としてとり扱いますが、アメリカではネグレクトとして親が逮捕されます。
子どもへの虐待を「親がおこなう、子どもにとって怖い行為」という考え方に立ち、アメリカのネグレクトのとらえ方、子ども人口の差を踏まえると、日本とアメリカの虐待件数は、それほど違わないとされています。
こうした考えにもとづき、面前DVなど精神的虐待など表にでてこない虐待案件が相当数に及ぶと考えられることから、日本では3-7%とされているADHD、10%とされているアスペルガー症候群などの発達障害、そして、自己愛性人格障害の発症率は潜在的にかなり高いと思われます。


では、夫となる男性とどのように出会い、交際に至ったのか、その交際ではどのようなことを話し、どのようなデートをし、結婚を決意した経緯(いきさつ)、そして、結婚後、自然の流れのように暴力がひどくなっていく状況について、時系列で見ていきたいと思います。

-事例111(DV75、分析研究7)-
 高校の同窓会があり、私(E。38歳、短大卒)は同級生と久々に再会し、そこにF(37歳、大学卒)もきていました。
同窓会では、それぞれの近況を報告し合いました。
私はバツ1で子どもがいることを伝え、皆と連絡先を交換しました。
その後、私の家で飲み会を開くことになり、同級生の男女10人くらいが集まりました。
その中にFもいました。
Fと私は、高校2、3年生のときの同級生でした。同じクラスでしたが、当時、女子より男子の方が多く、Fのことはあまり記憶に残っていませんでした。
再会したFは、非常にやさしい雰囲気でした。
そして、私とS(第1子、当時4歳)とで飼っていた犬をかわいがったことから、子どものSがすごく喜びました。
1ヶ月くらい経ったとき、夜23時過ぎにFから「前に皆で集まったときの写真が欲しい。」と電話があり、私は「じゃあ今度とりにおいで。」と応じました。
するとFは「いま、飲みにきている。」といい、家に写真を受けとりにきました。
私は、家に子どもがいるのをわかっていて、しかもこんな遅い時間に電話をかけてきて、さらに飲んでいる最中に電話なんて変だな?と思いました。
しかし一方で、家に写真をとりにきて、子どもと遊んでくれているFを見て、Fに惹かれました。
そして、つき合うようになりました。
  つき合いはじめ、Fが家に遊びにくるようになり、こんなに楽しい人は世の中にいないと思うくらい明るくおもしろい人でした。
トランプやゲームをして子どものようにはしゃいだり、家で一緒にお酒を飲んだりしていっぱい語り合いました。
しかし、Fが家に遊びにくるようになって3回目のとき、家に入って1分もしないうちにFの顔色が急に変わり、突然「帰る!」といったのです。
私は訳がわからずに止めましたが、明らかに前回までのFとは別人でした。
  私は離婚後も1度目の結婚相手の姓を名乗り、駐車場の看板にもその苗字が書かれていました。
Fは「ここに停めるの、気分悪いんだけど!!」と非難し、責めました。
「お前が昔つき合った彼氏はどんな奴でもいいが、Nだけは嫌だ。Sの父親だから」と子どもの父親のことを持ちだして否定し、非難しました。
私は、Fが嫌がる気持ちもわかりました。
しかし一方で、私の状況をわかっていてつき合ったはずだから理解してほしいと思いました。
そして、理解されず私は苦しみました。
苗字を変えないと、いつまでもいわれ続けると思いました。
そこで私は、Fの気持ちを汲んで、Fと結婚する前の旧姓に戻しました。
交際をはじめて1ヶ月で、私とFは結婚しました。
そして、結婚したら、気持ちも収まってくれると思っていました。
しかし、結局戻しても、夫となったFはそのことをぶり返してきて、「名前変えても、前の名前覚えているし!」と非難し、責めました。
苗字旧姓に戻しても、戻さなくても、結局、非難され、責められるんだと思いました。
1度目の結婚相手と同じ苗字がテレビ等ででると、ひどく緊張し、これから先も責め続けられると考えると、心が苦しくなりました。
とはいっても、私が離婚をして、その状況をつくっていたことが現実なので、Fに責められても仕方がないと諦めました。
  私と子どもが買い物に行っている間、留守番していてもらったとき、Fが押し入れの中をあさっていました。
帰宅すると、Fはものすごい剣幕で「(私の1度目の結婚した)前夫と私のツーショット写真がでてきた!」と怒鳴りつけ、「元彼氏ならなんとも思わないけど、元旦那ならゆるせない!」、「なんでか、わかるか? Sのお父さんだから!」と罵声を浴びせ、ひどく責めました。私は泣いて謝りました。
しばらく時間が経つと、今度は「なんでもっと堂々としていないんだ!」と罵倒し、私はいっていることが真逆で混乱しました。そして、とても傷つきました。
Fは、私の手帳もひきだしから探しだし、読んでいました。
私が「なんで見るの?」というと、Fは「こういうものは見られた方がいいんだ! 相手の考えていることがわかっていいから」と応じ、自分のふるまいを正当化しようとしました。
Fは、私のかばんの中も何度か見ていました。
  結婚して1ヶ月経ったころ、私は熱をだし、2日寝込むことになりました。
するとFは「いったいいつまで具合悪いんだ!」と怒鳴りつけ、「ほんと体弱いね! いったいいつ治るのよ!」と非難しました。
その後も、私の具合が悪いと、Fはいつも「体弱い!」と非難しました。
Fが病気をしたときは「あんたの病気がうつった!」と責任を押しつけ、非難しました。
  またFは、私に対し、いいがかりをつけてきたり、ケンカを仕掛けてきたりしておきながら、その直後には、明るい元気な声で「やっぱり好き!」、「すいませんでした♪」と軽いノリで謝ってきました。
あれほどの怒りを私にぶつけていたと思ったら、急に手のひらを返したように態度が変わるのが、私には理解することができませんでした。

  この事例111(分析研究7)では、出会って直ぐにで、この人なんか「変」、「おかしい」といったアンテナに触れていました(感じていました)が、Eの「夫がどうするかを考える(どうしたいかと思いを馳せる)」といった夫Fの“機嫌を損ねない”ように、“意に反しない”ように考える癖(認知の歪み)がその思いを消し去ってしまっています。
この人なんか変、おかしいと感じたことは、事態を深刻にすることなく関係を終わらすことができたターニングポイント(デートDV被害から逃れる)でしたが、Eは、その機会を逃すことになりました。
これは、結婚適齢期の女性が、デートDV被害にあっていても、その被害を直視できずに、そのまま結婚に至るのが6割に及ぶその状況を示すものです。
  Fが、「非常にやさしい雰囲気で、私とS(第1子、当時4歳)とで飼っていた犬をかわいがったことから、子どものSがすごく喜びました。」とあるように、Fが“スッと”Eの懐に入り込んでいることがわかります。
そして、「子どもと遊んでくれているうちに惹かれた」ことが、のちに、数時間前に「変」、「おかしい」と感じた思いを消し去ってしまいました。
この状況は、Fが、「Ⅰ-5.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」の中で、『マインドコントロールは、ことば巧みに人々の心と行動、思想、感情を支配する方法です。つまり、単に人の心を自由自在に操ることができる状態にすることです。」、「徹底的に人情を手段として…(事例133の「豊田商事グループ詐欺事件」)」』などと記しているとおり、“情”につけ込こんで(情をコントロールして)、懐にスッと入り込む術を身につけている人物であることを示しています。
キーワードは、DV加害者は、新興宗教やカルトの勧誘をする者、詐欺を仕掛ける者と同様に、初期の段階で支配できる相手を選別したうえで、落とすポイント、つまり、警戒心を排除し、懐にスッと入り込めるポイントを見極めたうえでアプローチを仕掛けているということです。
このケースでは、Eが同窓会後、2次会としてEの家に招いていることから、Fにとって、同窓会などの会話だけでは把握することができない「バツ1で子どもと生活している」生々しい情報を一瞬にして手に入れることができたのです。
そして、懐の甘さ、要求すれば断ることができない特性に加え、寂しさ(弱さ)を抱えているなどの現状、そして、オトしどころはどこかことを見極めることが1日でできたわけです。
  シングルマザーの警戒心をとり去るのは、第1に、子どもに優しく接してくれることであり、第2に、自分と子どもが共通して大切にしているモノ(ペットや物、本、おもちゃ、習いごと、そして、心情など)を認めてくれることです。
このケースの状況は、マムズボーイフレンドによる子どもへの暴力(虐待)被害を受けることになる典型なパターンといえるものです。
  そして、Rが暴力のある環境で育ってきたために、暴力を容認しやすい傾向が顕著に表れている記述が『Fの顔色が急に変わり、突然「帰る!」といったのです。私は訳がわからずに止めましたが、…』です。
顔色が急に変わり「帰る!」に対し、Eは不機嫌な態度を示されたと戸惑います。
この戸惑い、混乱したときに、Fを“止めた”とあるように、Fのふるまいを踏みとどまるようにふるまっています。
これは、Eが「不機嫌になる=気分を害した=嫌な思いをさせた=嫌われることをした→とり繕わなければならない→嫌われないように、嫌な思いをさせないように、気分を害しないように、不機嫌にならないようにしなければならない」という思考プロセスでものごとを判断したことを示していています。
この根底にあるものが、“見捨てられ不安”です。
つまり、「嫌われたくない=別れたくない」ので、その事態を回避するためにFが帰ろうとするのを止めたのです。
このEの「止めた」というふるまいによって、RとFの関係性において、「俺は嫌だったのに、お前がお願いしたから、仕方がなく~してやった」という構図がつくられたのです。
この瞬間に、上下、支配と従属の関係性がスタートしたことになります。
上下、支配と従属の関係性をつくりあげる扉を開けることができたら、あとはその関係性を固定化するために徹底的に叩き込むだけです。
  交際直後に、Fは、Eが離婚した前夫の姓をなのっていることを否定し、非難しています。
留守中に押入れをあさって前夫の写真を探しだし、否定・非難することばで責め、ひきだしの中の手帳もだし見ています。
この行為は、自分はお前たちのことはなんでも知っておく必要があるとの強烈な独占欲・支配欲によるもので、非常に高い嫉妬心、強い執着さを持っていることを示すものであり、ストーカー行為ということになります。
それだけでなく、Fの特性(偏った考え方の癖)として、第1子と前夫の関係性、つまり、血のつながり(血縁)に“強いこだわり”を持っていることを示しています。
このことは、自分の血を引く実子(第2子)の誕生によって、分け隔ててかかわるようになることを示唆しています。
  このときEは、「押し入れの中をあさってまで、なにかを探ろうとしていたのは許せないと思いました。」のであれば、この先も同じことが繰り返され、否定・非難することばで責められると考えをめぐらし、関係を終わらせることができたわけです。
しかしEは、「たまたま捨ててない写真があったのは悪い」と責任は自分にあると、すごく謝った」と“自分が悪い”“自分に責任がある”との相反する考えを持ちだしました。
そして、Fのふるまいを受け入れて、Fのふるまいを正当化してしまったのです。
しかもEは、「夫と結婚する前に旧姓に戻しても、夫には話をぶり返して非難されたことで、なにをしても非難され責められることで思い知らされ、やがて、自分に責任があるので仕方ないと諦めるようになりました。」と述べています。
つまり、Eは、Fと出会ってわずか1ヶ月で、暴力のある環境を受け入れ、「学習させられた無力感」の状況に陥っています。
  Eが、Fの最初のアプローチ以降に見せた考え方の癖(認知の歪み)にもとづく、思考・行動パターンは、Fからの暴力の影響ではなく、Eが育った家庭環境によるものということがわかります。
つまり、Eが育ってきた家庭環境は、「学習させられた無力感」を植えつけられるほどの暴力がおこなわれていた可能性が高いということになります。
  一方、Fが、Rの体調が悪かったり、出産後、子どもに手がかかるようになったりすると不機嫌になり、非難するふるまいは、DV加害者が、交際相手や妻に“アタッチメントの再獲得を求める”典型的な行動パターンです。
無償の愛を与える親に投影したふるまいですから、自分に至れり尽くすのが当然の妻が、体調が悪くなり自分の世話ができなくなったり、自分より子どもに手をかけたりすることを許すことができないのです。
妻が妊娠したり、出産後に暴力がひどくなったりするのも、同じ理由によるものです。
具合の悪いときに大切にされないことは、存在そのものを“拒絶されている”ことを意味します。
そのため、被害女性が、加害男性同様に、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント獲得に問題を抱えているときには、「見捨てられ不安」が強く働くことになり、拒絶されないように(自分を大切にしてもらう(愛される実感をえる)ために)、これまで以上に気を遣い、意に反しないように心がけなければならないと思いを巡らすことになります。
これは、アタッチメントを損なっている者が、拒絶されることを回避するための典型的な行動パターンです。
  Eが、Fからの暴力を回避するために意に添うようにふるまうようになったとき、Fが怒りをぶつけてきたと思ったら、なにごともなかったかのようにふるまうことを、Eは「理解不能だった」と述べています。
Fのふるまいは、思考をコントロール(マインドコントロール)するための“相反する拒絶と受容のふるまい”ということになります。
人は、優しい人が突然怒鳴りつけたり、非難したりするなどの理解し難いふるまいに困惑(混乱)し、得体のしれない不気味さを覚えるようになります。
得体のしれない不気味さは、逆らったら、怒らせたらなにをされるかわからない恐怖となります。
「Ⅰ-7-(2)学習された無力感」、続く「同-(3)ミルグラムのアイヒマン実験」、「同-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」に記しているとおり、人は、暴力による恐怖を与える相手を排除(殺害)したり、暴力による恐怖を与える相手から逃げたりすることできなければ、人は暴力から逃れるよりも、オドオドと怯えながら顔色をうかがい、意に添うようにふるまい続けることで、暴力のある環境に順応していこうとします。
なぜなら、そうすることが、暴力のある環境で生き延びる唯一の方法だからです。
そして、暴力による強烈なストレスが心身の不調として表れ、もう耐えられないと心が悲鳴をあげるまで、逃れよう、別れようという思いを封印することになります。
  この事例111(分析研究7)では、Eがアタッチメントに問題を抱えていることを裏づけるものが、「ワークシート」に書かれた“最初の結婚の経緯”に認められます。
そこには、『前夫との結婚は、役所の休日窓口に婚姻届をだすと、数日後に役所から電話があり「重婚ですよ」と指摘された。』と驚愕な内容が書かれています。
このとき、Eは年齢が一回り離れ、大人の魅力を持った前夫と別れることができず、交際を続け、その後、前夫の離婚が成立すると、親の反対を押し切って結婚しました。
そして、前夫との離婚については、『結婚後、新居で生活をはじめると、何件ものローン会社から督促状が届き、返済を求める電話が鳴り続き、第一子を妊娠していたのでツラかった。それだけでなく、前夫は別の女性とつき合い、その女性も騙してお金をまきあげていたことがわかり、離婚を決意した。』と書いています。
一回り年齢が離れた異性に惹かれることは、アタッチメント再獲得として自分が生まれたときの父親と近い年齢の男性に惹かれていくといった典型的な行動パターンです。
このことは、Eが育った環境において、父親の支配(暴力)が激しいものであることを示しています。
  妻子のある男性しか愛せない女性は、「自分が乳幼児だったときの家族の構成と同じ状況下で愛されたい(愛着を獲得したい=やり直し)」という思いがモチベーションになります。
思春期から青年期に、自分が乳幼児だったときの父親と同じような年齢の男性と交際をしてしまうのも、父親から与えられるはずだった安全が保障され、守られている安心感の中でまどろみ、リラックスしたい欲求にもとづくものです。
しかし、そのひとときの安らぎの時間が終わりひとりになると、カラカラに乾いた渇望感や底なし沼のような寂しさが満たされることはないことに気づき、より深い寂しさに襲われることになります。
その結果、他の人だったら求めているものを与えてくれるかもしれないと、次々と相手を替えてセックスを繰り返すことになります。
それは、時として、行きずりの男性とのセックスや援助交際という行為となります。
しかし、結果として、追い求めるものを手に入れることができず、心はズタズタに傷ついていきます。
Eは、最初の離婚時に、「一回り歳の離れた男性に惹かれ、DV被害を受けることになったのは、自身が、DVのある環境で育ったことが影響していた」ことを学ぶ機会がありました。
そのとき、適切な心のケア、サポートを受けることができれば、2度目の結婚で、さらにひどいDV被害に合うことを防げた可能性があります。
しかし、それを妨げたのは、心理カウンセラーである父親の支配(暴力)でした。


-事例112(DV76、分析研究8)-
※経緯を除き、分析結果のみを公開します。

  Aは、Mとアルバイト先で同期入社です。
「よく会いますね」、「運命的ですね」と頻繁に声をかけてきて、帰り道をついてくるなどストーカー行為を自覚していましたが、上司とのトラブルで「助けてもらった」、「頼りがいのある人」と認識することになりました。
その直後に食事をするようになると、Mは「俺とつき合うのが運命だ」といい、「結婚してください! 間違えた。つき合ってください!」と交際を申し込み、「彼氏がいるから無理」と断りを入れても、「君とつき合うために、10年もつき合っていた彼女と別れてきたのに、なんでつき合ってくれないんだ!」と強い口調で非難し、責め、「彼氏がいたって構わない。友だちでもいいからつ き合って欲しい」と執拗に交際を求めています。
結婚を約束した交際相手がいたAは、2度目の怖さを感じ、ここで会うのを止めます。
  しかし、30歳を過ぎた娘Aを支配し続ける(過干渉な)母親に、交際相手との結婚を許されず、別れたことで、話の面白かったMと再び食事をするようになります。
そして、再び、Mの「小さいころからよく夢にでていた女性に私がそっくりだ。」といった運命論や神秘性をアピールしてくるなど不気味さを感じながらも、「結婚を前提につき合って欲しい。」といわれ、交際をはじめます。
Aは、帰り道をついてきたことをストーカー行為と理解していました。
しかし、「よく会いますね」、「運命的ですね」と頻繁に声をかけてくる言動、そして、(結婚後に判明した)上司とのトラブルのときMは管理者にかけあったわけではなく、“私ごと”で話しただけで、自分に特別なことができる力があると誇示するための戯言(たわごと)が、意図的に仕掛けられた出会いとは知る余地はありませんでした。
  気になる女の子(男の子)が乗るバスや電車に乗ったり、通学下校時にこの道を何時ぐらいに通るかリサーチしたりするのと同じで、営業先を訪問したときに顔を合わせる機会が多かったり、よく飲みにいく店に行くとその人もよくきていたりすることがあります。
こうした偶然を装った出会いのために、好意を抱いた異性のことをリサーチすることはよくあることですし、そこから恋愛に発展し、結婚することには問題はありません。
しかし、その交際期間中、そして、結婚後に暴力があったときには、それは“よくあること”としてすましてしまうことはできないのです。
なぜなら、「気になる人だから」、「その人が好きだから」という動機ではなく、支配すると自分勝手な欲求を満たす(「俺のものにする」)ため、アタッチメントのやり直しをさせる(「アイツなら俺のいうことをきかせられる」)ためという動機(企て)にもとづいているからです*-80。
  しかし、暴力のある家庭環境で育っていると、この両者の違いを見極めることができないのです。
なぜなら、親から与えられた愛情は、支配(束縛と干渉、暴力)、そして、条件つきの愛情だったからです。
そのため、相手に詮索干渉され束縛されることさえ、「嫌だけど、私のことを思ってのことだから(好きだから)」と善意のふるまいとして受け入れてしまうのです。
ここには、愛されていないことを認めることがあまりにもツラいことから、向き合うことを避ける(回避する)心理が働いています。
  中高大学生向けの「デートDV講座」では、必ず「愛と束縛は違う」ということを教えます。
“束縛”とは、「好きなら自分ともっといっしょにいるべきである(いなければならない)と、相手の行動を制限すること」と説明し、“愛情”は「相手の気持ちや考えを敬い、尊重することがベースになっているけれども、束縛は尊重したり、敬ったりすることはない行為であることから、愛情とはまったく違うもの」と教えます。
「私と仕事(学校や部活、塾、習いごと)のどっちが大切なの?」、「俺と家族のどっちが大事なんだよ」といった二者択一で選ばせることは、愛情の“試し”でしかなく、人の心を信じられない、そして、自分の心を信じられないといった特性が顕著に表れた行為です。
この愛情の“試し”は嫉妬心と統合して、相手の行動を詮索したり、干渉したり、制限したりすることになります。
人の心を信じられないだけでなく、自分の心を信じられないのは、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっているからです。
この愛情の“試し”は、「俺を愛しているなら、そうしてくれ(そうするもんだろ)」といった自己中心的(自分本位、自分勝手)な世界観にもとづく考え方が根底にあります。
重要なことは、自己と他の境界線があいまい(主語は自分、一人称)であるということです。
子どもの正常な発達としての「自己と他者の分離」は、暴力のある家庭環境で育つことで損なわれます。
  一人称、つまり、自己中心的な世界観には、人のことを思いやったり、人の思いに共感したりする感性、人の考えや気持ちを尊重する概念は存在しません。
幼い子どもに対して、「パパとママのどっちが好き」と訊くことができるのも、自己中心的な世界観にもとづいています。
それは、自分の不安を払拭して安心したい、自分が優越感(存在価値)を味わいたいだけのふるまい、つまり、親が子どもに対し、愛情の試しをおこなっているのです。
そのため、子どもに選びようのないことを訊くことができるのは、子どもにとってどれだけ酷なことなのか、子どもにどのような葛藤を及ぼすのか、子どもの心をどれだけ傷つけるのかに思いを馳せることはありません。
主語が一人称というのは、自己と他の分離ができていない乳幼児期の子どもと同じ、精神的に未成熟、幼稚さを示すものであり、それは、脳機能として獲得できていないことを意味します。
そのため、思春期・青年期を迎えても、自分の気持ちを表すことばを獲得できていない乳幼児のように、人の気を惹いたり、人の心を支配したりするために、泣く、騒ぐ、手で叩く、足で蹴る、髪をひっぱる、物を投げるなど駄々を捏ねるようにしかふるまうことができないのです。
乳幼児と違うのは、セックスを使うことだけです。
  愛情の“試し”、すなわち、束縛・支配のためにパワー(暴力的なふるまい)を使って、コントロールしようとするふるまいや言動が、DVということになるわけです。
つまり、人を暴力により支配する試み(虐待、DV、パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、モラルハラスメントなどのハラスメント、体罰など)は、乳幼児期に、愛情の試しを乗り超える機会のなかった家庭環境でつくられるということです。
  Aは、偶然を装った出会いを仕組まれていたことに気づくことはできませんでしたが、Mが「帰り道をついてきた」ことをストーカー行為と理解し、「運命的だ」と話すことに不気味さを感じていました。
しかし、きっぱりかかわりを断つことができなかったのは、いうまでもなく、AもM同様に、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント獲得に問題を抱えていることが起因となっています。
Mの話の面白さに惹かれたのは、娘に性的虐待をおこない、妻(母親)に暴力をふるい、お金にだらしのないAの父親にそっくり、つまり、無意識下であっても、父親と同じ雰囲気を醸しだしていることに安心したからです。
雰囲気と匂いは、本来、違うものですが、自己防衛システムが破壊されていると、雰囲気と匂いを区別することができないのです。
匂いは、その人の持つ抗体(遺伝子)情報が入っていることから、自分とはまったく違う匂い(対極にある匂い)を持っていれば、違う抗体を持っていることになります。
子孫を残していく(生存率を高めていく)には、より多様な抗体を持っていることが必要であることから、違う匂いの人物と掛け合わされれば、より多くの抗体を持った強い(生き残れる)子どもを残していくことができます。
したがって、女性(女の子)は、異性である父親と間違いを防ぐための自己防衛システムとして、思春期に入ると同じ遺伝子を多く持つ異性である父親の匂いを避けるようになります。
もっとも近い匂いを持っている(同じ抗体をより多く持っている)父親の匂いを避け、父親のことをうざい(鬱陶しい)存在として、自分のテリトリーに入ることに強い拒否反応を示します。
これは、正常な反応です。
しかし、思春期前の幼児期に父親(父方の近親者を含む)から性的虐待を受けていると、この自己防衛システムが働かなくなります*-81。
なぜなら、幼い子どもにとって、性的虐待であっても、親が喜ぶこと、期待に応えること、愛されることであったことから自己防御システムが破壊されてしまうからです。
そのため、無意識下で、性的虐待者(父親)と同じ雰囲気(匂い)を醸しだしている人(変質者、痴漢をする人、セクシャルハラスメントなど性暴力加害者など)を招き寄せてしまうことが少なくないのです。
このことが、PTSDの再演とあわせて、二次的な性暴力被害を受けやすくなる理由となっています。
Aは、ワークシート「C-3」の中で、「幼稚園のときに同級生から性暴力被害を受けていた」ことを記しています。
そして、Aは、カウンセリングをはじめて8ヶ月経ったときに、父親から性暴力を受けていたことを認識することになりました。
この事実の把握によって、AがMの話を楽しいと感じたのは、お金にだらしなく、ちゃらんぽらんで面白おかしくふるまっていた父親と同じ雰囲気を醸しだしていたことに重ね合わせて親近感を抱いたことが要因であると推察することができました。
このことは、Aが、母親が夫(父親)に接してきたように、Aが夫に接することが必然であったことも示唆するものでした。
  被虐待者であるAは、DV被害者である母親の支配(過干渉)に耐えられないと強い拒絶感を示しながら、母親の指示がなければなにも決められなくなっていました。
母親が重く、苦しく、逃げたいと思っていたところに、Mが上辺だけの頼れる存在としてスッと手を差しだしてきたのです。
そして、交際、結婚という名を借りて、支配する者の“交代の儀式”がおこなわれたのです。
このことは、たとえ支配的なふるまいであっても、Mの行為すべてを受け入れてしまうことを意味しました。
その交代の儀式として、Mの「結婚したら、Z家とは縁を切れ」、「M家に嫁いだんだから、M家を第一に考えろ!」との命が下されることになります。
そして、Aは、その命に従順に従い、実家や親戚、友人と連絡をとらないようにし、連絡がきたときには、Mにどういう内容だったかを逐一に報告し、その都度、どうしたらいいのかの指示を仰いでいます。
  こうした交際、結婚という“交代の儀式”によって、支配する者が親から夫に交代した場合、今度は、実家に逃げ帰る、離婚をするという“交代の儀式”によって、夫から再び親に支配する者が交代することになります。
  「婚姻破綻の原因はDVである」とする離婚調停・裁判に携わってきた22件の多くで、家をでて実家に帰ってきたのを合図に、支配する者の交代の儀式がおこなわれています。
それは、娘を支配していた夫と、支配力の奪還を試みる親とのパワーゲームが繰り広げられることを意味します。
親の好意的な言動や態度に、最初は味方のように感じ、頼もしいと思っていたはずが、次第に、「あれをしろ」、「こうしてはいけない」と詮索干渉されるようになると息苦しさを感じはじめます。
そして、親に「だから、お前はダメなんだ」、「いつまで過去のことをひきずっているんだ」、「子どもの前で泣くな!」、「いつまで具合が悪いといっているんだ」、「さっさと仕事をしたらどうなんだ!」と心ない非難のことばを浴びせられると、もうどうしたらいいのかわからない、苦しいと精神的に追い詰められていくことになります。
「お前のことを思って」と“恩旗”をかかげる父親や母親に多くのエネルギーを使い、疲弊し、肝心の夫と対峙する気力を失ってしまっていることがあるのです。
これもまた、暴力のある環境で育ち、再び配偶者から暴力被害を受けることになったDV被害者が、実家に戻ったあとに見られる特徴的な傾向のひとつです。
 結婚後のAは、夫に「妊娠しない」と非難され、性行為を強いられるなど性暴力を受ける中で、Mは「きっとこうして欲しいんだろう」、「きっとこうしてはいけないのだろう」と先に先に思いを走らせて自身のふるまいを縛りつけ、強迫観念に駆られ、精神的に追い詰められていきます。
それでも、「Mが望む子どもを産んだらきっと変わってくれる」、「子どもを生んだらきっと認めてもらえる」との思いだけを頼りに、性暴力のある生活に耐え続けます。
しかし、生まれてきた双子の女児に対し、Mが、自分と同じような性的なふるまいを見せるようになり、子どもを連れて逃げることを決断し、行政に助けを求め、「配偶者暴力防止法」にもとづく“一時保護”の手続きがとられ「母子棟(母子生活支援施設(シェルター))」に入居することになりました。
Aがこの決断したときには、自身が父親から暴力、しかも、性的虐待を受けていたといった記憶の蓋は、まだ開かれてはいませんでした。
無意識下で、過去のトラウマが強く反応したのです。
  DV事件では、配偶者からの暴力被害によるトラウマではなく、過去(育ってきた)のトラウマの影響が強く表れた訴え(表現)をすることが非常に多いのです。
しかし、いまの反応が、過去のトラウマ体験にもとづいていることを理解している被害者はいません。
例えば、施設の職員や弁護士には「身体的暴力は受けていない。ことばの暴力だけです。」と話している一方で、「夫に見つけだされたら連れ戻され、もっとひどい暴力を受けることになる。」とまるで命の危険があるかのような強烈な恐怖を訴えることがあります。
被害女性が訴える強烈な恐怖は、「夫が不機嫌になるのがとにかく怖い」というものです。
しかし、慢性反復的な暴力被害を体験していない人、もしくは、発達性トラウマ症候群、慢性反復的なトラウマ体験を起因とするC-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)、被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)を抱える被虐待者の特性に精通し、専門のトレーニングを受けていない人には、ことばの暴力被害だけの被害者が、なぜこれほどの恐怖心を抱いているのかを理解することはできません。
なぜなら、暴力のある家庭環境で育っていない人には、“不機嫌になる”ことと“恐怖”は結びつかないからです。
次章の「Ⅱ-12-(2)発達の遅れ」の中で説明していますが、「嫌悪(不機嫌)」と「怖れ(恐怖)」は、原始レベルでの6つの感情表現(幸福、驚き、怖れ、哀しみ、怒り、嫌悪)では違う範疇に属するものなのです。
ところが、多くの被害女性が、「夫が不機嫌になることが怖くて仕方がない」、「見つけだされたらなにをされるかわからない」と“殺される(死)”怖れがあると必死に訴えるのです。
“死”を意識する強烈な反応は、不機嫌になったあとに、恐怖の時間がはじまることを体験してきたことにもとづくもの、つまり、乳幼児期に体験してきた恐怖の時間(過去)に対しての(トラウマ)反応です。
  暴力のある家庭環境で育っていない人は、不機嫌になったら、その気まずいひとときを過ごさなければならなくなるので、“嫌だな”とか“困ったな”と感じたり、このあとの関係修復をどうしていこうかと気に病んだりする時間を“苦痛だな”と感じます。
ときには、「もう、鬱陶しい!」と、「なんで私が面倒なことに巻き込まれなきゃならないのよ」、「なんであんなことで不機嫌になるのよ」とイライラしたり、憤りを感じたりするものです。
ところが、暴力のある家庭環境で育っていると、哀しみ、嫌悪、怖れを感じさせられてきた行為は、すべて親の「怒り」に起因していることから、「怖い」という感情と結びついて記憶されているのです。
つまり、「哀しくて泣くと、さらに怒りをかうので怖い」、「嫌な感情を見せる(ふてくされている)と、さらに怒りをかうので怖い」、「怯えていると、さらに怒りをかうので怖い」という思考は、“怒りのサイン”が不機嫌になる(イラついている雰囲気が認められる)ことであったことから、「統合された記憶」となっているのです。
  問題は、この統合された記憶は、当事者自身はもちろんのこと、トラウマ(心的外傷)について一定以上の知識がなく、臨床の現場で経験を積んでいない者には、区別できないということです。
虐待やDVなど慢性反復的(常習的)なトラウマ体験によるC-PTSDによる「侵入(再体験・フラッシュバック)」は時間の障害といわれるように、過去にトラウマを体験したその瞬間を“いま”感じてしまうことになります。
当事者は、過去に体験したことを、“いまこの瞬間”に、同じ体験しているわけですから、区別することができないのです。
第三者は、過去の体験といまこの瞬間の体験が混同している被虐待者やDV被害者の訴えを理解することは難いのです。
さらに、暴力のある家庭環境で育った被虐待者は、幸せ、楽しい、嬉しい、希望、信頼などの感情をことばでは知っていても、心で感じたり、表すことができなかったりする傾向があります。
それは、「Ⅰ-10-(2)判断を困難にする“認知の歪み”-暴力に順応するために身につけた間違った考え方の癖-」の中でとりあげている「事例178(分析研究14)」によく表れています。
それは、被害女性Fと援助者(アボドケーター)とのやり取りの中で、表現したことばの温度差の原因を埋める作業をしていますが、同じ感情表現を使っていても、同じ意味で使われていないことがあるということです。
少なくとも、暴力のある家庭環境で育ってきた人たちが抱えるこうした特性を理解することができれば、嫌悪感を示す不機嫌さを怒っていると感じとり、怒られたときの恐怖体験を結びつけ恐怖に囚われたりする状況を察することはできます。
  したがって、身体的な暴行被害のないDV事案で、被害女性の多くが訴える「不機嫌になるのが怖い」という訴え(トラウマ反応)は、夫から受けたトラウマ体験ではなく、幼少期に親から受けたトラウマ体験による可能性が高いことになります。
別のいい方をすると、夫と同性の父親から受けた暴力に、夫が不機嫌になる行為を“投影”している言動ともいえます。
そして、被害女性本人が虐待被害(暴力のある家庭環境で育ってきたこと)を認識していなくとも、この時点で、二重の暴力被害を受けていることを把握することができます。
 乳幼児は直接暴力を受けていなくとも、両親の間に暴力がある(面前DV)ことは、大人が感じる恐怖とは比べものにならない“死につながる恐怖”です。
それは、殴られたり、蹴られたりする身体的な暴行を目撃していなくとも、大声で怒鳴りつけている声、壁や床に叩きつけられ割れる茶碗の音、怒鳴り声が聞こえたあとドタドタと大きな足音、バタンと大きな音を伴って閉められるドアの音などもまた、死につながる恐怖の音の記憶になるのです。
布団の中で耳をふさぎ、震えながらその恐怖の時間が過ぎ去るのを待っています。
眠りも浅く、わずかな物音にも敏感に反応し目を覚まします。
なぜなら、日々繰り返される暴力などの大きな物音に神経が研ぎ澄まされ、神経が高ぶり(中途覚醒)、しばしば目が覚めてしまうからです。
この睡眠が分断され(断眠:睡眠のコマ切れ状態)、睡眠欠乏になる(乳幼児期の睡眠障害)ことは、ADHDなどの発達障害を発症させる原因のひとつです*-82。
乳幼児期に、こうした恐怖体験をしてきた被虐待者は、風の強い夜にはドキドキと動悸がはじまり、強い不安感に襲われたりします。
ビュウビュウゴウゴウと風音がうなっていたり、バタンバタンガサガサと物が飛ばされなにかにあたる音、風に吹かれバタバタと物がなびく音に、暴力の音や気配に恐怖を感じたりするのです。
それは、乳幼児期のトラウマ体験だけでなく、母親のお腹の中で聞いていた音にまで遡ることができるトラウマ体験です*-83。
つまり、被虐待者はトラウマ体験とつながる状況(音や匂い、光、場所など)やことばに強く反応(トラウマ反応)し、さまざまな症状を見せます。
子どものころに体験した恐怖は、大人になってからもトラウマ反応として突然現れ、底知れない不安感や恐怖心をもたらすことになります。
*-80 「リサーチにもとづく企て」については、「Ⅰ-8-(5)霊感商法、対人認知」、「同-(6)結婚詐欺師の言動・行動特性」、「同-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」で、詳しく説明しています。
*-81 ピルを常用している女性にも同様の傾向が表れるときがあります。
*-82 乳幼児期の睡眠障害の「断眠」については、「Ⅱ-16-(2)発達の遅れ」などで説明しています。
*-83 「風の強い夜が嫌い。なぜなら、どうしようもなく不安になり、胸が張り裂けそうになるほど怖くて仕方がない」と訴える被虐待者には、その都度、「それは、お父さんがお母さんに暴力をふるっている音じゃないから、大丈夫。安全だよ。」となげかけ、そして、自分で「大丈夫、暴力がおこなわれているわけじゃない。大丈夫、安心、大丈夫。」とインナーチャイルドに話しかけてあげるようにしていきます。



-事例113(DV77、分析研究9)-
 私(E。32歳、大学卒)とT(32歳、大学中退)は食品メーカーの同期入社でした。
3年後、私はK市へ転勤になりました。翌年、私は交通事故にあい、治療はK市でおこないました。
同年、TがK市に転勤となり、妻Zと入籍をしました。
私は、転勤してきたT、そして、妻Zを交えてお茶を飲むなど交流がはじまりました。
ところが、Tの妻Zは、入籍後1ヶ月で実家に帰ってしまいました。
いまになってわかったのは、妻Zは、Tに連れ戻されては、実家に帰ることを繰り返していたということでした。
そんなことも知らず、妻Zは、知らない土地での新しい生活にまだ馴染めていないだけと思っていた私は、妻Zの気晴らしになればと思い、よくお茶をしに誘っていました。
翌年、Tは、妻Zの実家のあるY市で挙式をあげました。
しかし、それを最後に、妻ZはK市に戻ってくることはありませんでした。
しばらくして、Tは「妻と別れたから、つき合ってほしい」といい、私に家の鍵をわたしました。
私は、Tと妻Zの離婚が成立していると思い、交際をはじめました。
しかし、Tはその時点で離婚していませんでした。
あとになって、私は嘘をつかれ、騙されていたことを知りました。
  Tは、避妊にまったく協力しませんでした。
挿入する前に、私が準備していたコンドームを手渡しても、28歳のTは「使ったことがない。」、「使い方を知らない。」といい、拒みました。
Tは「コンドームなしのセックスで前妻Zと6年間つき合い結婚したが、子どもはできなかった。だから、俺には種がないんだ。」と話していました。
それでも、私は「避妊して欲しい。」とお願いしたが、Tは「何人かの女とやったけど、一度も妊娠させたことはない。パーフェクトだから大丈夫。」と聞く耳を持ちませんでした。
そしてTは、「お前のことが好きだから、このまま(避妊なし)でしたい。」と繰り返しました。
私は本当に相手を愛していて、相手を大事だと思うならお互いのためにコンドームを使うのが常識だとわかっていました。
しかし、Tが好きで、結婚したいと強く思っていたので、避妊なしでこのまま妊娠してもいいという気持ちがあり、容認していました。
ただ、「種がないこと」は疑っていたので、「絶対、中にはださないこと」を約束させ、性行為に及びました。
Tは、お腹や背中に射精しました。
  2ヶ月後に、私は、交通事故の示談に応じました。
このとき、Tは「示談の席に同席したい」といってきましたが、私は断りました。
5ヶ月後には体調が整い、夏には職場復帰の目途がついてきました。
そして、「秋には、Y市へ転勤になる」との内示があった矢先の6月中旬、私の妊娠が判明しました。
翌月、私は退職し、Tは入籍しました。
  私は、Tのなんでも受け止めてくれるような優しさに惹かれて結婚しました。
しかしTは、私と一緒に暮らしはじめると態度、言動は一転し、私を批判し、侮蔑するようになりました。
Tは「光熱費が単身時よりあがった。」、「俺が出勤している間、お前が家に一人でいることでお金がかかる。」と非難しました。
K市の夏は暑くクーラーが必需品ですが、Tは「電気代がかかる。」と非難し、Tが出勤したあとはクーラーを使うことができませんでした。
Tの入浴は、シャワーでサッと体を流すだけなので、私もお湯を浴槽に溜めて、ゆっくり入浴をすることができませんでした。
私は体が小さく、体力もあまりなかったので、お腹に宿った新しい命のために、食生活を大事にしようと思いました。
しかし、Tは「食べるのが面倒。」、「液体でいい、点滴でいい。」、「俺には性欲しかない。」と応るだけでした。
また、Tに食事を用意すると、「俺は1日一食で十分。」、「結婚してから野菜を食わされる。」、「俺を太らせるつもりか?!」、「子どもが産まれて、俺の前で嫌いな野菜を食っていたらひっくり返してやるからな!」と非難しました。
Tは、「勉強は金と時間の無駄」という人でした。
しかし、私はお腹の子どもに対し、せめて自分と同じくらいの教育は受けさせてあげたいと思っていました。
Tに「子どもには、大学にいかせてあげたい。」と話すと、「女の子だから、学校は行かなくていい。」と応じ、学資保険の話を持ちかけると、「そんな余裕はない。」と反論し、「女の子は色っぽければ十分だ。」と卑下しました。
私は「女だから学校は行かなくていい」なんて差別だと思いました。
私は「子どもに可能性をみいだしてあげること」が親の役目だと思っていました。
しかしTだけでなく、Tの母親も「学校に行かせなくていい!」という人でした。
私は、Tにあらゆることを否定され、非難・批判され、侮蔑され、卑下され続け、だんだん無気力になっていきました。
  一方で、Tは、私の妊娠がわかると、「いままで、中にだすことをがまんしてやってきたんだから!」といい、「もう妊娠の心配をしなくていい!」と中に射精をするようになりました。
産婦人科では、セックスの際にはコンドームをつけることを推奨していました。
なぜなら、妊娠中の膣は細菌に感染しやすいこと、精液中に流産・早産の引き金となる物質が含まれていることが理由でした。
しかし、Tにこのことを話しても、コンドームを使うことはなく、「せめて清潔にしてシャワーを浴びてからやって欲しい。」と頼みましたが、Tはやりたくなれば、私の気持ちなど関係なくセックスを強要しました。
妊娠後、まったく思いやりのないセックスは、お腹の子どもも、私の体も、大事にしてもらえていないと感じて苦痛でした。
新婚、Tとの甘い生活に期待を寄せていましたが、自分が傷つくばかりでした。
  さらに、Tは、異常な性行為を強いるようになりました。
  入籍後にTと同居をはじめると、私は、悪阻のため長くトイレに入るようになりました。
すると、Tは、私を心配している素ぶりで、トイレの戸を開けるようになりました。
Tは私を常に観察し、居間に一緒にいて、私が立ち上がるのがトイレへ向かうためとわかると「このタイミングだ」といわんばかりについてきたのです。
私がトイレの戸を閉めるのが先か、Tがトイレの戸に手を掛けるのが先か、そういった争い(攻防)を毎日繰り返されました。
Tがトイレの戸に手をかけるのが早いと、トイレの前でもめたり、強引に便座に座らせられたり、おしっこがでるのがわかるようにそのままお風呂に連れていかれ、しゃがませられたりしました。
そうした状況で、私が排尿できずにいると、Tはおしっこがでるように局部を激しく触ってきました。
それでも、排尿できずにいるとTはあきらめ、「そのうちできるようになるから」とのことばを残し、私を開放しました。
Tのことばに、私はこれからもさせられるとわかり、逃れなれないと絶望感に襲われました。排泄行為など誰にも見せたくありません。
私が先にトイレの戸を閉め、鍵をかけても、Tが戸をガタガタさせているので、落ち着いて用もたせなかったので、Tが家にいると怖くで自由にトイレに行くことができなくなりました。
トイレに行くのも、Tの様子を見て邪魔をされないようにがまんしなければなりませんでした。
しかし妊娠中もあり、トイレに近くがまんするのも大変でした。
そして私は、Tに監視される日々に、強迫観念を感じるようになっていきました。
私はTの姿を常に気にかけ、Tがなにをしているかをうかがい、Tにはトイレに行くとは思わせない行動をとりながらトイレに行くようになりました。
もはや、私には、安心して暮らせる家ではありませんでした。
  また、住居の壁が薄く、夜や早朝になると隣から性行為をしている男女の声や、ベッドが動いている音などがよく聞こえました。
Tの家にひっ越してきて早々、私はそれが耳障りで眠ることができませんでした。
しかし、Tはその隣の音に興奮し、自慰行為をしました。
朝方は、毎日その音を楽しみにしているようでした。
聞こえない日は「今日は聞こえなかったな、漫画で抜いた。」と残念そうに話すことがありました。
それだけでなく、Tは、私に自慰行為を見せてきたり、私に最後の処理をさせたり、隣の音に合わせて一緒に性行為を強要しました。
「隣の女に負けないくらい声をだして! もっと!もっと!」といわれているような感じがして、嫌で、情けなかったです。
そして私は、Tからの性行為に怯えるようになりました。
隣からの音が聞こえてくると怖く、動悸がして、眠ることができなくなっていきました。
私は、Tに「隣がうるさくて眠れないからひっ越して欲しい。」と訴えたが、「俺には最高の環境だ。」といい、まったくとり合おうとしませんでした。
なんとか説得をしようと、「子どもが産まれたら近所迷惑になるから引っ越そう。」、「子どもにあんな音を聞かせたくない。」と訴えても、聞く耳を持たないだけでなく、Tは「子どもがうるさいときは野菜室に入れる。」、「布団をかぶせればいい。」、「隣の音は子どもにいい刺激になる。」、「いい女になるよ。」と耳を疑うようなことを平然といい放ちました。
私はことば失いました。
  それだけでなく、Tは大人のおもちゃを使い、性行為を強要しました。
しかも、その大人のおもちゃは、明らかに他の女性に使用していたことがわかるものでした。
なぜなら、大人のおもちゃは色が変色し、見た目にも古く、使い古している感じがあったからです。
妊娠中の私は、「汚いからやめて!」、「そんなものは入らない。そんな物、使わないで!」と強く拒否しましたが、Tは「洗ってあるよ(洗っている姿を一度も見たことがない)。」といい、私が抵抗できないように手を縛りました。
そして、Tは局部を刺激し、ローションを使い挿入しました。
Tは、片手で性具を扱い、もう一方の手で自慰行為をし、最後は私で処理をしました。
そして私は、家の中にいても、Tを避けるようになりました。
Tは自慰行為にふけるようになりました。
Tは、私に「オナニーを見るように!」と命じ、Tは、私に「挿入が嫌なら手でやって!」、「口でやって!」といい、最後の処理を私に強いました。
  また、Tはベッドの側に常にエロ漫画を置いていました。
私が「もうこんな本いらないでしょ?」となげかけると、Tは「そんなことはない。漫画はエロビデオとかでできない領域が書いていて、最高に興奮するんだ。抜く(射精)には欠かせないものなんだよ。」と応じました。
そして、「これを見て、Eもオナニーしてよ。オナニーするといい女になるよ。」といいました。
私は拒否しました。
Tは「エロ雑誌は、強烈な描写で妄想をかきたて、グチャグチャな性行為を連想させ、なによりも刺激的で嗜好にあう。」といい、私に理解を求めましたが、私には理解することは不可能なことでした。
  一方で、Tがゲームに夢中になり会話もない生活に、私は寂しい気持ちが強くなっていきました。
Tに私と向き合って日常の生活をして欲しかったので、ゲームをする夫に、私が「新婚なんだよ」と体を寄せると、Tは「そんなに欲しいの?」といい、性行為へ移行しました。
私がやりたくない性行為でも、Tとコミュニケーションがとれるときは性行為のときだけだった。
だから、嫌なときも応じるしかなく、ただがまんしました。
望まなくても性行為をしなければ、Tと会話もないのが寂しく、辛く、応じるしかありませんでした。
しかし、やはりツラく、自分の人格を無視されているようでした。
私は、Tと触れ合える唯一の時間が性行為と受け入れていましたが、Tの性行為の異常性がエスカレートしていきました。
Tは射精のとき、「顔射がしたい。」というようになりました。
私が「絶対嫌!」と断っても、Tは「お風呂ならすぐ流せるからいいでしょ? やってみなきゃわからないでしょ?」といい、お風呂に連れて行き、お風呂で性行為をおこない、顔や頭から精液をかけました。
それだけでなく、お風呂での性行為時には、必ず「おしっこをして見せるように。」といい、局部を激しく触りました。
どんなにされてもおしっこはでませんでした。
その代わり、Tのおしっこをするのをお風呂で見せられたり、体、ときに頭からおしっこをかけられたりしました。
あまりにも屈辱的な行為でした。
  私は明らかに自分の体が道具にされているのがわかりました。
Tはただ穴が欲しいだけだと思いました。
やめて欲しくて、拒むようになりました。
するとTは、私が断ることのできない、困らせるようないい方で脅し、性行為を強要してきました。
それは、Tは私を脅すように「Eが早く手伝ってくれれば仕事にいける。」、「遅刻しないですむ。」といってくることでした。
私が断ったり嫌がったりすると、Tは「やらせてくれないと仕事に遅れてしまう。それでもいいの?」と脅し、交換条件としての性行為を強要したのです。
私は「ほんの一瞬がまんすれば、Tは仕事に行く」と自分にいいきかせ、仕方なく脅しに屈すしかありませんでした。
私は早くすむのなら仕方ないと思うまでになっていた。
私は早くやるならやって、仕事に行って欲しいと思いました。
早くひとりの時間を得たかったのです。
Tの変態としか思えない性的欲求から身を守るために、私はTと同じ空間にいることをやめようと思いました。
入籍をして4ヶ月、結婚式を挙げて2ヶ月の11月、私は東北地方にある実家に帰りました。
それは、東日本大震災がおこる4ヶ月前のことでした。

  「Ⅰ-1-(3) DVとは、どのような暴力をいうのか」に記しているとおり、たとえ夫婦間であっても、性行為を強要することは性暴力です。
場合によってはレイプ(夫婦間強姦)にあたり、性暴力被害は“魂”の部分で深い傷を残します。
暴力のある家庭環境で育ちアタッチメントを損なっている被虐待者の女性の中には、大切にされていることの“試し”としてセックスを交際のかけひきとして使うことがありますが、“魂”の部分で満たされることはなく深く傷つきます。
したがって、気を惹くための試しとして用いるセックスは、自らの“命”を犠牲にした気を惹く“試し”としての自傷行為と変わらないのです。
  Eは、別居から2年以上(実家に帰りそのまま別居となり、出産後に東日本大震災が発生し家庭裁判所の審議がしばらく中断され、離婚成立まで11ヶ月)の歳月が経っていても、ツラい思いを記憶している脳の反応としての動悸、おきていられないほどの頭痛、蕁麻疹の痒みに悩まされていました。
蕁麻疹は、性暴力によって穢された思いが触れ合う皮膚が反応したものです。
そして、実家で生活をしているEの子どもが、“自分の頭をポカポカ叩く”という自傷行為をするようになりました。
すると、Eの母親が「体罰を娘にしないから、娘が訳のわからない行動を自分でするんだ!」と暴言を吐きました。
このことをキッカケとして、Eは、自身の成育環境に暴力があったことを少しずつ理解していくようになります。
  Eが離婚調停に向けてとり組んだ「ワークシート」への書込みには、子どもに暴言を吐いた母親のことを『愛情のこもった料理を母がいつも準備してくれていた。パンやケーキまで母親が勉強し、手作りで食べさせてくれた。私は、夫にこのような両親に、このような環境で育てられたことを伝えようとした。』と記しています。
つまり、Eには、暴力を受けて育っていた自覚はありませんでした。
そのため、「同居後には、時々、母親が手作りのパンやお菓子、食材を送ってくるようになった。」ことを、過干渉(支配のための暴力)の延長線上にある行為であることを理解できていませんでした。
しかしEには、DV被害を受ける前に、暴力について考えるチャンスがありました。
それは、Eが20歳のときの体験です。
同じ歳の大学に通っている従姉妹が、デートDV・ストーカー被害に合い、元交際相手に殺害されるといった凄惨な事件を経験していたのです。
妊娠したことを知った従姉妹の親は、堕胎させ、大学も退学させました。
しかし、交際相手が連れ戻しに家にきて暴れたことから、以降、従姉妹は身を守るため親戚の家を転々とすることになります。
その後、従姉妹は見つけだされ、東北の地から遠く離れたK県で元交際相手と一緒に遺体で発見されたのです。
従姉妹は、殺してから自分も死んで、魂(精神)で永遠に結ばれるためのおこない(儀式)の犠牲になったのです。
  こうした体験をしていたEでしたが、交際前のSと新婚の妻との関係性に驚くほど無頓着でした。
無頓着と記したのは、「Sの妻は入籍後1ヶ月で実家に帰った。その後、妻は夫S連れ戻されては、実家に帰ることを繰り返した。」、「Sは妻とY市にて挙式をしたが、それを最後に前妻はK市に戻ってくることはなかった。」という事実に、危険な匂いを察知することができなかったからです。
誰が聞いても、この状況は異常です。
まして、同じ歳の従姉妹がデートDV被害にあい、交際相手に殺害されているわけですから、「おかしい」「なにかある」と考えないことの方が“どうかしている”という状況です。
Eに対して最初に感じた“なぜ”を埋めるための「Eは無自覚であるが、暴力のある環境で育ちアタッチメントを損なっている」との“仮説”は、「愛情のこもった料理を母がいつも準備してくれていた。」という初期の書込みと、「体罰を娘にしないから、娘が訳のわからない行動を自分でするんだ!いわれた。」という離婚後しばらく経って届いたメールの記述によって、裏づけられることになりました。
 「娘に体罰をしないから」とあるように、Eの母親は、娘に対し体罰を繰り返していたことは明らかです。
したがって、「母親の料理は愛情のこもっていた」との思いは、偶像(ツラい思いを感じないように(回避するために)つくりあげた母親像、家庭像)だったということになります。
「愛情がこめられていた=大切にされていた」との偶像をつくりあげていることは、母親のEへの体罰(身体的な暴行)やことばの暴力が、かなりひどいものであったことを裏づけるものです。
つまり、暴力のある環境で育ちアタッチメントを損なっていたことが、多くのDV被害者同様に、Eが、Sと(前)妻の関係の異常さ、危険な匂いを察知できなかった要因となっていたのです。
それから2年後、Eから届いた新年の挨拶メールには、「公営住宅に当選したのを機に、3歳6ヶ月に成長した子どもとともに実家を離れました。」と書かれていました。
Eが実家からでようと決意したのは、「子どもが母にひどく怒られたり、叩かれたりしていた。」ことからでした。
しかし、Eは母親の行為を、依然として「躾として」として表現しています。
私が返信したあとのEのメールには、『「そんなにお母さんの話が聞けないなら、ここにいなくていい!お母さんに殺してもらえ!」といいながら、私と娘に包丁を向けてきました。正直、かなりショックでした。そして、私が苦しいのは母のせいかもしれないと思いはじめていました。母がくると、激しい頭痛が起きて、起きていられなくなったり、吐いたりしたこともあります。私の具合が悪くなれば、娘の世話ができなくなるので、結局、母は泊まることになってしまいます。母は父からことばの暴力を受けていると、ここ10年くらい散々私に愚痴をこぼしてきました。あまりに父がひどいと、私の家に逃げてきています。母の表情は傷ついた表情ではなく、まるで般若のような、鬼のような表情です。(ひどい後遺症で体調不良が続いているので)少し不自由な私を助けてくれようと母はしてくれ、それには感謝ですが、時々私には重たく苦しく感じます。 … 母は自分のおこないや発言は間違っていない!という感じの人で、「暴力なしでは躾はできない」と断言しています。母は酒乱の父親に育てられ、怖い思いを経験して育っており、私の父にも母の態度が悪いためにことばの暴力を受けていて、「離婚だ!」としばしばいわれているようです。』と書いているものの、さらに、私の返信後のメールで、『いただいたメールを見て、ある意味納得した部分もありますが、そんなに虐待というくらい酷かったかなぁ?と母の躾のことを思いだしたりしていました。…』とまだ漠然としていない思いを記しています。
そして、次の返信後のメールで、『納得しました。間違いだらけの押しつけの子育てを受けていたとわかりました。私は母に虐待で育てられていました。母は子どもの目線で話しはしません。常に対等の勢いで、できなければ「怒鳴る、叩く、家からだす」をしてきました。 … 母は「お母さんが叩かないならばぁちゃんが叩くから!」といい、お尻を叩いたりします。見ていて苦しくなったことが、何度かあります。娘はいいます「お母さんはお話するけど、ばぁちゃんはすぐ怒る。でもYが悪いからなんだよね」と。 … 母は「口で効かなきゃ叩くしかない。それでなければどうしたら話を聞くんだ」といい、そして、「お前たちだって、そのお陰でまともに育っただろ」といいます。しかも、「よく殺さないで育てられたよ」ともいいます。 … 』と書いています。
Eの母親と同じ酒乱の父親に育てられた親を持つ従姉妹がデートDVに合い、妊娠をしたとき、暴力に対する認識が欠如していたことから適切なリスクマネジメントがおこなわれず、ストーカー行為の果てに殺害されているとしたら、世代間連鎖が続く中で悲劇を招いてしまったことになります。
DV被害者支援に携わる者として、とても残念です。
  では、虐待を受けていたEは、なぜ、「Sの妻は入籍後1ヶ月で実家に帰った。その後、妻はSに連れ戻されては、実家に帰ることを繰り返し、Sは妻とY市にて挙式をしたが、それを最後に妻はK市に戻ってくることはなかった」という事実に、危険な匂いを察知することができなかったのは、どうしてでしょうか?
  「Ⅰ-5.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」の中で記しているとおり、暴力によって、上下、支配と従属の関係から逃げだせないようにしていく仕組みに巧妙に誘い込まれる(とり込まれる、ターゲットにされる)人の多くは、暴力のある機能不全家庭で育ち、アタッチメント(愛着形成)の獲得に問題を抱える人たち、つまり、家族の問題や対人関係に悩みや苦しみを抱える人たちです。
この人たちには、「決して満たされることのない心の空虚感・渇望感」と「再び見捨てられること(別れだけでなく、受け入れられないことなどを含む)への不安感・恐怖心」を利用され、ことば巧みにつけ込まれてしまいやすいという特性があります。
日常的に、愛着対象であるはずの親(養育者)同士に暴力がある家庭で育つ(面前DV)ことから、確固たる“わたし”を持っていないところをみごとに突かれるのです。
確固たる“わたし”を持っていないとは、「地に足がついていないふわふわした危うさを抱え、心の隙がある」状態のことです。
「人を信じられない=自分を信じられない」、つまり、「人を信じる」能力を獲得できていないために、占いや神秘的なものに惹かれやすく、新興宗教やカルト集団に超越した力や理念に心酔してしまいやすいのです。
地に足がついていないふわふわした危うさ=“心の隙”は、以下のような不安、心細さ、寂しさ、焦りを感じる状況下においてもみられます。
それは、a)近しい人やペットを亡くしたり、近しい人や自身が重い病気や事故にあい、長期間の闘病・入院生活を送っていたり、b)自身が長い闘病・入院生活から復帰したばかりで心が弱っていたり、c)転勤(転校)や引っ越しなどで新たな職場(学校)や土地にまだ溶け込めなかったり(馴染めなかったり)して心細さや寂しさを感じていたりする人たち、そして、d)子どものことを考えると年齢的にもそろそろなかと結婚を焦りはじめている人たち、e)老後に不安を覚えているものの相談できる人が身近にいない人たちが、ターゲットにされることになります。
Eは、暴力のある家庭で育ち、確固たる“わたし”を持っていなかったうえに、生まれ育った土地から遠く離れた土地で交通事故にあい、長期間の治療とリハビリ生活を余儀なくされ、心細く思っていたところに、同期入社という仲間意識で、Eに対し、心の壁がとり除かれることになりました。
さらに、前妻のことを相談されることで、頼りにされていると自尊心がくすぐられ、同時に、リハビリのツラさに耳を傾けてくれることに優しさと頼りがいを感じてしまったのです。
そこを、みごとに突かれました。
これらは偶然のできごとではなく、Sは、職場の周りの女性たちに「実家に帰って戻ってこない妻のことを話した」ときに、ひとりひとりどのような反応を示すかにアンテナを張り、釣れる(ものにできる)相手か、釣れない相手かをいつも見極めていると考えるのが妥当です。
  のちに、Eは『大学進学とともに家を離れると、母親から「父からことばの暴力を受けていると、ここ10年くらい散々私に愚痴を聞かされた。」と記しています。
家を離れ、直接父親から暴力を受けることがなくなったEは、父親を非難し、不平不満を述べる母親の話しに耳を傾けることが苦痛になっていきました。
一方で、母親の話しに共感し、「きっと父親はこう思っているんじゃない」と子どものときのように仲介役を担ってきました。
そのため、父親の思いを想定して代弁してきたEは、Sが前妻のことを話すことに父親の姿を投影してしまい、Sの気持ちに“共感”してしまったのです。
事例112(分析研究8)では、「Aが、Mの話の面白さに惹かれたのは、娘に性的虐待をおこない、妻(母親)に暴力をふるい、お金にだらしのないAの父親にそっくり、つまり、無意識下であっても、父親が同じ雰囲気を醸していることに安心したからです。」と父親にその姿を“投影”してしまう状況を記していますが、この事例113(分析研究9)においても、Eは、母親に愚痴をいわれている父親に、Sの姿を重ね合わせて(投影して)しまったのです。
不幸なツラい話に共感し、思いを重ね合わせてしまう(投影してしまう)瞬間に、確固たる“わたし”を持っていない人が陥落してしまうのです。
このとき、Eが共感したSの気持ちは、落とすための嘘、つくり話でしかないのですが、投影した状態にあるとき、脳はそうした嘘やつくり話を見極めるように働かないのです。
加えて、Sのうちあけ話に投影したEの父親は、Eの母親に対してのDV加害者であったということです。
  そして、Eは、「婚姻破綻の原因はDVにある」として申立てた離婚調停に加え、子どもを連れて帰った実家での2年余りの生活を経るまで、母親から虐待を受けて育ったこと、その母親は夫(Eの父親)から暴力を受けていたこと(Eにとって面前DV)などの記憶は不鮮明な状態でした。


-事例114(DV78、分析研究10)-*
*「事例55」と一部重複
  14年の婚姻生活でしたが、夫Uが無断で仕事を辞め、Uの友人とはじめた仕事では収入はありませんでした。
私(K)が仕事をしていたので生活が破たんすることはありませんでしたが、Uは収入を得ていた当時と変わらず、浪費が絶えなかったこともあり、私は14年の結婚生活に終止符をつけました。
その3年後の3月、インターネット上のいわゆる見合いサイトが主催するお見合いパーティで、私(49歳、大学卒)はH(50歳、大学卒)と知り合い、交際を開始しました。
私とHが平日に会うとき、Hはフレックスで早目に仕事を切りあげ、私の仕事先の近くまで、車で迎えにきました。
その後、2人で夕飯を食べ、私のマンションで夜まで過ごしていました。
あるとき、私が「もう帰るの?」と口にすると、Hの態度は急変し「なんなんだよ! もうこれ以上どうすればいいっていうの!」と大声で怒鳴りつけ、私は1時間以上、部屋の廊下で説教を受けることになりました。
休日のデートには、Hは約束の時間ピッタリに、私のマンションの下に車を止め待っていました。
私が「すごいよねー。いつも時間ピッタリにきてたよね」と褒めると、Hは「そんな時間にピッタリこれるはずないだろ! 時間通りにいられるように少し前にきて、別の場所で時間潰して待ってたんだ!」と声を荒げました。
私とHがショッピングセンターへ行き、会員登録をするために並んでいると、Hは応対した店員の対応が気に入らず、突然、怒鳴りだし、非難しはじめました。
店内にいた客も驚いていました。
私にとって、このHの姿は強烈な印象を残しました。
  Hは、Hの所有するマンションのリフォームをするため、私を伴い数社のリフォーム会社に行き、見積りをもらいました。
そのうちの1社で、Hは、私を「君のいっていることがわからない。もっと頭の中でちゃんと考えをまとめてからいいなさい!」と怒鳴りつけ、大声で非難しました。
10月中旬に、Hに海外赴任の話がでて、11月、Hから「もし本当に赴任が決まったら一緒にきてくれるか。」とプロポーズされました。
12月、北米の経済状況が厳しいことから、赴任は延期となり、12月下旬、Hは、私と「暫く日本にいることになるとして、リフォームをどうするか」と話し合い、Hは私に対し「早目に決めて実行し、君を呼びたい。」といいました。
ところが、年が明けて早々に、海外赴任の延期が撤回され、Hが上司と話し、扶養家族同行(要入籍)の承認確認ができ、海外赴任が決定しました。
Hは私に対し「こんな機会はなかなかないのだから精神的に大変だろうが、ストレスを少しでも軽減できるように常に側にいるから、一緒に海外生活をスタートさせよう。」といいました。
リフォームについては、帰任するときに合わせて考えることになり、Hの海外赴任中は、リロケーション会社に管理を依頼し、賃貸物件とすることになりました。
  4月1日からの北米勤務となるため、同年2月1日、私はHと婚姻しました。
私は、結婚と同時に海外へ移住することを理由に、派遣会社の登録解除することを申しでて、5年間勤務した証券会社の仕事を終えました。
居住してきたマンションの契約を解約し、渡米までの8日間を過ごすウィークリーマンションにてHとの同居を開始しました。
3月27日、私とHは北米へ渡航し、渡米先で同居をはじめました。
新居の鍵を受けとった日、家を見に行く車の中で、Hは私に「おまえは馬鹿だ、ダメな女だ。そんなこともできないのか。このバカ女!」、「なんでもかんでも人に頼るんじゃねー!」、「なんのためにここにきたんだ! なんのためにきたのか、それもわからないのか!」、「俺の仕事の邪魔になるなら、日本に帰れ!」と大声で罵倒し、「俺は、仕事をするためにここにきたたんだ! お前が好きかってに楽しむためにきたんじゃない!」、「俺の気持ちもわからないのか!」と大声で怒鳴りつけました。
渡米した初日に、私は、Hから大声で怒鳴りつけられ、罵倒されました。
私はHになぜ大声で怒鳴りつけられたのかわからないまま、以降、ただ怯え、ただ哀しく、泣く日々となりました。
私が、慣れない左ハンドルと右側通行での運転に戸惑っていたり、スーパーのレジでアメリカドルの支払いで手間どったりすると、Hは不機嫌になり、私を怒鳴りつけました。
私ははじめての海外生活のため、ことばのわかるHを頼らなければならないことが少なくありませんでした。
そのため、Hに「どうしたらいい?」となげかけるだけで、「お前は文句をいってるだけでいいが、俺はいろいろやらなきゃならないことがあって大変なんだ!」、「お前は一人じゃなにもできないくせに、文句ばかりいって、結局は全部俺がやらされるんだろ!」と大声で罵倒しました。
  Hの生活リズムは決まっていて、この時間にはシャワー、この時間に寝るといった“こだわり”がありました。
今日はこのネクタイピンを使うと一度決めると、見つからなくても、「代わりもの」ですますことができませんでした。
Hの“こだわり”通りにコトが進まない、つまり、「家計簿をうまくつけれない」、「財布にお金を多く持ち歩かない」、「スーパーで買う物のリストを忘れた」、「カップひとつの洗い物をしないまま、でかけた」、「ご飯を炊くのに、高速炊きにしている」と、私を大声で怒鳴りつけ、その原因は「お前にある」と非難し、「あなたは毎日暇だからいいけど、俺は明日も仕事なの。なんでそれがわからないんだ!」と罵声を浴び続けました。
特に特徴的なこだわりは、なにより車が汚れるのを嫌い、特に雨に濡れるのを嫌うことです。
また、Hは、毎週末になると「今週の予定は?」と私に訊くので、私は「~に行きたい」とHに提案しなければなりませんでした。
そして、その目的地をなかなか見つけられずにいると、Hは「ちゃんと調べてこないからこうなるんだ!」、「あなたはいつもそう適当だ!」とところ構わずに大声で怒鳴りだし、批判しました。
Hはどこに行っても、行った先で予定通り(計画通り)にちゃんと進まないと、必ず怒りだしまた。
さらに、Hは、ホラー系や戦争ものの映画の血が飛び散る残虐な戦闘シーンだけを繰り返し見ていました。
私がHに「私のいないときに見てくれないかなぁ。」とお願いすると、Hは「俺は普段仕事してるんだから、お前のいないときになんか見れないだろう。」と聞く耳を持ちませんでした。
Hが「俺は血しぶきが飛び散るシーンを大画面で見たい!」と口にしたとき、私は、身の毛がよだつほどゾッとしました。
渡米して2週間後には、私はスケジュール帳に、Hに罵倒され、つらく涙した日をできる限り印をつけるようにしました。

  Kは、Hとの結婚生活を海外赴任直前にスタートさせました。
赴任先では、日常的に大声で怒鳴りつけられ、罵倒されるうちに、眼が真っ白に霞んで見えなくなるといった症状が表れるようになっていきました。
Kは、夫が帰宅すると思うと気が重くなり、心臓がドキドキしだし、手が震えるようになり、夫が出社した後や夜も度々哀しくて泣いてばかりの日々が続くことになります。
怒鳴りつけられ、罵倒されたときのことを思いだし、泣きながら夕飯をつくり、夜は2-3時間置きに目が覚め、眠れずにいる(断眠)ことが多くなっていきます。
夫が出社したあと、夫が出張にでたときには、安心して寝ることができます。
いつも腰痛に悩まされ、湿布薬が離せなくなり、夫に殺される夢を見るようになります。
その後、左足から右足へと神経痛のようなしびれを感じはじめ、ひどいときには、服が触るだけでも痛みを感じるようになります。
左目にたびたび痛みがでるようになり、白くぼやけるようになります。
やがて視界が白くぼやけ、だんだんなにも見えなくなるようになりました。
その症状は、ツラく、哀しく泣いくと、左目の視力はなくなるほど白く霞むようになっていきます。
  心身に表れたKの状態の経緯をみると、暴力によるストレスが原因となっていることは明らかです。
多くのDV被害者は、「いまこのときをがまんさえすればいい」、「夫が出勤するまでのがまんだ」と自分にいいきかせて、暴力のある生活に耐え続けます。
午後15時の夕暮れを意識した瞬間に、「夫が帰ってくる」、「夫のいる家に帰らなきゃ」との思いが頭を駆け巡り、ドキドキと動悸がはじまったり、ふるえが止まらなくなったりします。
そして、これ以降の思考のすべてが「帰ってくるどうしよう」、「帰らなきゃ、どうしよう」のことばに支配されることになります。
その後の家事の時間は、意志を持たないルーティワークとして、まるで“義務化”されたベルトコンベアーに乗っているがごとく「スーとときが流れていく」ことになります。
夫が帰宅後は、「とにかく機嫌を損ねないようにしよう」と全神経を研ぎ澄まし、また、「いまこのときをがまんすればいい」と自分にいいきかせ、その惨い行為が終わるのをただ耐えるのです。
そして、その惨い行為が終わった瞬間に、思いだしたくもない記憶を脳の奥にしまい込む(記憶がでてこないように蓋をする)、消し去る“リセットボタン”を押します。
なぜなら、それが、脳が脳の破壊を免れるための自己防衛システムだからです。
この自己防衛システムは、ツラいできごとから脳の破壊を防ぐために、別の役割を担わせて新たな破壊を招くことになります。
そのひとつが解離性障害であり、多くの精神疾患もこのメカニズムで発症します。
そして、リセットボタンを押すことで、過去のできごといまのできごととの“つながりが寸断される”、つまり、“記憶が断裂されている”事態を招きます。
記憶の断絶は、恐怖体験がひどければひどいほど深刻なものになります。
これらの状態を「記憶の障害」といい、同じ分類に、恐怖体験の記憶が瞬間冷凍され、あるできごとをきっかけとして瞬間冷凍された恐怖体験の記憶が瞬間解凍され、恐怖体験をしたその瞬間に遡ってしまうフラッシュバックが含まれます。
  記憶とは、通常、時間と感情から切り離され、事実経過だけが心のひきだしにしまい込まれるものです。
ところが、トラウマ性の記憶は、生の映像や身体感覚が直に頭に焼きつく直接記憶(瞬間冷凍される)であり、時を経てもなかなか薄れずに、生々しい体験時の情動と一体になって鮮明に蘇ります。
あたかも感度のよすぎるアラームが誤作動するように、些細な刺激からも虐待体験の記憶が生々しく蘇る(瞬間解凍される)のがフラッシュバックです。
一度、大きなフラッシュバックを体験すると、やがて、類似の刺激にも反応するようになってしまうようになります。
その結果、父親から大声で浴びせられ続けた罵声への恐怖が、男性全般の声や笑い声にも恐怖が広がって、仕事ができなくなったり、外出することができなるという事態がおこったりします。
しかし一方で、「ことば(意味)」として表現することができなかったりします。
この記憶の障害がひどい症状をみせると、「(解離性障害としての)解離性健忘」と診断されます。
「いま暴力を受けているのは本当の私じゃない」と、自分自身の意志でもうひとりの私をつくりだし、心の痛みを感じなくしようとするのが解離です。
源氏名をつけるように、“もうひとりのわたし”に「名前」をつけ、もうひとりの私として、生きることでツラい時間を耐え続けている(逃げ込んでいる)と解離が進み、解離性同一性障害(多重人格)を発症することになるのです。
多くの被害女性が、「とにかく機嫌を損ねないようにしよう」と全神経を研ぎ澄まし、また、「いまこのときをがまんさえすればいい」と自分にいいきかせ、その惨い行為が終わるのをただ耐える生活を続けることは、こうしたリスクを抱えることになります。
それだけでなく、長くDV被害を受けた末に、最後の力をふり絞って家をでて、離婚を成立させたとき、ひどいうつ症状やPTSDの症状に長く悩まされた生活を送ることになるなど、暴力のない生活を手に入れたあとも苦しみから逃れられずに、理不尽な思いにさせられることになります。

-事例115(DV79、被害者として抱える後遺症1)-
私Kは、離婚から3年経ったころ、突然、(精神的)難聴の症状がでて、苦しんでいます。
私は、夫にひどいことばを浴びせられていましたが、「子どもが高校を卒業するまで頑張る」と耐え続け、長女が短大に進学したところで、18歳の長女と12歳の長男を連れて家をでて、離婚を成立させました。
長女が短大を卒業し、幼稚園に勤めはじめると、帰宅後、夫(長女の父親)とまったく同じいい方で、私を罵倒し、怒鳴りつけるようになりました。
長女から怒鳴りつけられ、罵倒されるようになって、夫のときと同様に、長女が帰宅するのが怖くなってきたころ、徐々に左耳が聞こえなくなっていき、いまは左耳が完全に聞こえなくなっています。
その長女は、幼稚園での勤務を終えると、夜はキャバクラで働くようになりました。
最近、長女の父親と同じような年齢の男性と交際していることを知りました。

事例115の被害女性Kさんの難聴の症状は、「晩発性PTSD」の症状のひとつ、身体化の障害だと考えられます。
3ヶ月ほどサポートをさせていただきましたが、ワークシートに“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれていたのか”を文字にして吐きだす(暴露療法・認知行動療法)ことには、「DV被害は3年以上も前のことで、いまさら、元夫にされてきたことなど思いだしたくもない。」、「仕事に影響がでるようになったら、困る。」ということで、サポートは終了しました。
夫の暴力に耐え続け、子どもの成長とともにやっと離婚を成立させることができたと思ったら、今度は、成長した子どもから怒鳴りつけられ、罵倒され、再び、恐怖にさらされる日々を送らなければならなくなることも少なくないのです。
残酷にも、いっしょに暴力に耐えてきた子どもが、“暴力の連鎖”を直接被害者である母親に思い知らせていくのです。
  自分を大切にするということは、「夫の帰宅を意識すると気が重くなり、心臓がドキドキしだし、手が震えるようになる」といった心がもう耐えられないとの悲鳴を見逃さないことです。
  Kは、同居して1週間後には、なぜ怒鳴りつけられるのかわからず、泣いて暮らすようになり、夫の帰宅を意識すると気が重くなり、心臓がドキドキしだし、手が震えるようになる」といった症状がでています。
このことは、Kの暴力によるストレス耐性が低いことを示しています。
また、Kの最初のメールには、「交際時はとても優しく、面倒見がよく、世話好き(飲み物やお菓子を私の口まで運ぶくらい、これには抵抗がありましたが)でよくいうお姫様扱いをされていました。」との記述がありました。
この夫Hのふるまいは、「適切な距離感がわからず、保つことができない」といった比較的ひどい暴力を受けてきた被虐待者の示す典型的な人とのかかわり方ということになります。
Kが抵抗を感じたHのふるまいは、虐待を受けて児童相談所に保護され、児童養護施設で暮らすことになった子どもたちにみられる情緒障害(愛着障害)の典型的な行動パターンです。
保護された児童は、世話をしてくれることになった大人の人にペトッとしたへばりつくような距離感で一生懸命に認めてもらおうと媚をふり、愛想をふります。
興味を示してきて、気持ちが自分の方に向いたら、今度は、いつ突っぱねられるか、いつ愛想をつけられるか、いつ嫌われるか不安になり、恐怖を抱くようになります。
本当に愛してくれるかをわざと嫌がることを繰り返して、その本心、その覚悟を“試す”のです。
一方で、まったくなじめず、ひとり過ごそうとしながら大人の様子を見て、この大人は信用できるのか、信頼していいのかを見極めようとします。
このふるまいも“試し”です。
こうしたところから、子どもたちは、ここで“愛着”の受け直しを求められるか、つまり、自分のことを受け入れ、認めてくれるのか覚悟の程度を見極めていくのです。
  事例114で見られた交際直後の夫Hのふるまいは、こうした被虐待児童がみせる行動パターンそのものということになります。
そして、Kは抵抗があったものの、Hの行為を受け入れました。
このことは、Kが、夫Hと同じアタッチメント獲得に問題を抱えていることを示すものです。
  DV行為が常態化している結婚生活で、夫が、妻に求めることは、親から与えられなかったアタッチメントの再獲得ということになることから、無償の愛、つまり、一方的に至れり尽くしてもらうことだけです。
したがって、交際時はとても優しく、面倒見がよく、飲み物やお菓子を口まで運ぶくらい世話をし、お姫様扱いをして、アタッチメント再獲得対象者をゲットしたあとは、受容行為の相反する行為としての拒絶、つまり、徹底的な暴力による支配が待っていることになります。
そのサインは、交際直後の「私とHが平日に会うとき、Hはフレックスで早目に仕事を切りあげ、私の仕事先の近くまで、車で迎えにきた。」という書き込みに表れています。
しかし、事例116(分析研究11)で、「デートDV講座では、愛と束縛は違うことを必ず教えます」と説明しているとおり、夫Hのおこないは、「俺はお前のことを思ってこんなに頑張っている」ことを示す一方的なふるまいです。
相手のことを思っているなら、二人称で、一方的はないのでは?と思われるかも知れませんが、このHのふるまいには、「仕事先の近くまで車で迎えにきた」というキーワードがあります。
このキーワードには、2つの意味があります。
ひとつは、交際相手が、仕事を終えどこかに立ち寄らないか、誰といっしょにでてきたのか、誰とどんな感じて話しているのか、俺はお前のすべて知っておかなければならないとの思いがモチベーションになっていることです。
もうひとつは、職場から一歩でたあとの時間は、すべて俺のものである、つまり、どこかに立ち寄ったり、誰かと食事に行ったり、お茶をして帰ることを許さないという思いがあります。
したがって、これらのふるまいは、「監視、詮索干渉行為にもとづく束縛(支配)そのもの」ということになります。
そして、「お前のことを思って」といった一方的な思いは、思い通りにならないとき、報われない思いが激しい怒りとなって表れることになるのです。
  デートのために、フレックスで早目に仕事を切りあげ、私の仕事先の近くまで、車で迎えにくるなどとても優しく、面倒見がよく、飲み物やお菓子を口まで運ぶくらい世話をし、お姫様扱いをする人が、2度の離婚を経験しているのは、そのおこないが自然ではなく不自然なおこない、つまり、オトすこと意図とした作為的なものだからです。
不自然とは、無理をしていることです。
無理してまでのおこないは、継続することが難しく、いずれ綻(ほころ)びはじめ、本来の姿をさらすことになります。
見せかけの優しさ、上辺だけの格好のよさによってオトしているわけですから、綻びをみせ、まるで別人の本来の姿をみえてくると、必死に綻びをとり繕わなければならなくなります。
このとり繕うとするふるまいは、父親が母親に対しておこなってきた暴力的なふるまいで接することになります。
なぜなら、それ以外の方法を学んでいないからです。
  Kは、夫Hのふるまいを見て、なぜ2度離婚をしているのかに思いを馳せることで、DV被害に合うことを防ぐことができたのです。
しかし、繰り返しになりますが、暴力のある環境で育ち、アタッチメントを損なっていると、冷静に相手のふるまいを見たり、自身の本当の気持ちと向き合ったりすることができず、「ちょっと気になるけど、私の思い違いだよね」と相手のふるまいを正当化(受容)し、別れないための理由探しをしてしまうのです。
それは、自分で納得できる理由をつくりあげても、「見捨てられ不安」を回避しようとする被虐待者の典型的な思考・行動パターンとなっています。
  Kの母親は、夫(Kの実父)からのひどい暴力(DV被害)を受け、Kが3歳のときに離婚しています。
離婚前に暴力被害を相談していた男性が、いまの夫(いまの父)です。
8歳の年の離れた姉は、第1子を出産後に精神を病み、母親と父親が養子として子どもをひき取ることになりました。
Kも姉の子どもを、自分の息子のように子育てをしてきました。
  Kの最初のメールには、「夫が急に怒りだし激しく怒鳴り、私を罵倒するようになりました。私の家族はとても仲がよく、いつも相手を思いやり笑い声のある家庭で育ちましたので、怒鳴られることがなく、夫からのそのような対応は驚きと、怖さと、恐怖と・・」と記載しています。
しかし、10ヶ月後のKのメールでは、「(調停が不調になったあとに就職した)会社の仕事はやりたいことであったので、22時過ぎまでの残業が続いても苦痛でなかったのですが、父親が会社に不信感を抱き登記簿まで調べ、ひどく怒られ、仕事を続けるならでていけ!と怒鳴りつけられる始末でした。」と記載しています。
その後、Kは父親に命じられたとおりに仕事を辞めました。
その直後のメールでは、『仕事を辞めて先月分の給料の明細が届いただけなのに、父は辞めたのにいつまでも追いかけてきて、お前はいつまで関わるんだ!とひどく私を責めます。母までもお前はあの男に(社長)惚れているんだよ!と呆れることばを二度も叫び、死にたくなりました。父は私が馬鹿だからHにいわれるのもしょうがないと責める。普通に何とか自立に向かい仕事を見つけようと、ハロワで見つけた仕事だったのに残業が多かったことが発端で登記簿を調べとんでもない会社だといい、直ぐにでも辞めろ!といわれ、辞めただけなのに、家を出てけ!とまで思ってる。否定されることばかりで居場所がありません。』と記載しています。
  私の返信後のメールには、『父への対応は子どものころから特にいい子でいなければいけないと思うようなことはなかったと思っています。ただただ父は私のことが心配なようで、それゆえに結果的にはキツイことばをいってしまうのですが。相手への内容証明を送った後、相手から送った、届いていないとかのやり取りをメールでしていたことに、また父は怒っているようです。それについて母は、私と話しているときにはまったく別のことをいうのに、父との会話のときには世の中を知らなすぎる!と一緒になり私を批判します。いつもいうことが変わるのでそれを聞くととても辛くなります。 … 精神的にどうしようもなく、母に変ないいがかりで私を責めるのはもうやめてほしい。死にたくなるから本当にやめてくれと告げたら、本当に悪かった、ごめんねといってくれたのですが。今も下では父の意見に同調し、世間知らずなんだからと一緒になって私を非難している声が聞こえています。こんなに家族と一緒に暮らすのが辛いものなのかと今実感しております。』と記しています。
Kは、キツイことばで怒鳴りつける父親のことを「私のことを心配してくれている」と認識していますが、これは心配ではなく、50歳近くになる娘をいまだに支配しようとしているに過ぎないわけです。
Kは、「父親は、私のことを心配してくれている」とフィルターをかけてしまうことで、父親のふるまいを支配(暴力)であると認識することを妨げてしまっていることがわかります。
  この状態は、父親には娘(K)を「信じて見守る」という覚悟がなく、娘(K)は「信じて見守ってもらえず、苦しい」と訴えています。
しかし、第三者に「父親はひどい人と思われたくない(そんなこと、自分が口にしてはいけない)」と心のブレーキが強く働き、父親は私のことを思っていってくれているフィルターをかけて、健気に自らが暴力(支配)を受容しています。父親の暴力を「私が悪いから(いたらないから)、おこないを正してくれている」と暴力を正当化しています。
  そして、DV被害から逃れ、上記の父親と二人の娘(Kは次女)を連れて再婚した母親は、夫の機嫌を損ねないように「世間知らずだから」と、夫のおこないは間違っていないと奉っています。
母親の夫(Kの父親)に対するふるまいは、「母は、私と話しているときにはまったく別のことをいうのに、父との会話のときには世の中を知らなすぎる!と一緒になり私を批判します。」との記述にある通り、“二枚舌”で、その場をとり繕う術は、子どものおこないを一緒になって否定し、非難することで、自分に暴力の火の粉が飛んでくるを防ぐためのふるまいです。
つまり、母親の態度やふるまいは、暴力のある環境で生き抜くために、子どもを犠牲にして自分の身を守る回避行動そのものです。
子どもを犠牲にして自分の身を守る回避行動は、当事者には無意識下であるものの、暴力のある家庭環境ではよく認められるものです。
そして、Kが「二度いわれ死にたくなった。」という母親の「お前はあの男に(社長)惚れているんだよ!」との発言に対し、Kは、母親の妄想と表現していますが、母親の妄想ではなく、「夜遅くまで残業させて働かせる会社はおかしいから辞めろといっている父親のいうことをきくのか、仕事(会社=社長)を選ぶのか」という二者択一(二元論)で判断を強いる考え方にもとづいています。
つまり、この母親の言動は、二者択一で選ばせ、選んだ方が大切(存在価値がある)であるという考え方の問題で、大切に思うのは好きだから、惚れているとの認識(価値観)の持ち主だということを示し、この認識は、“認知の歪み”を意味するものです。
  こうした実家での状況を記したメールが届く11ヶ月前、最初のメールに書かれていた「私の家族はとても仲がよく、いつも相手を思いやり笑い声のある家庭で育ちましたので、怒鳴られることがなく、…」とはあまりにも違う状況です。
この違いは、Kが3歳以降、実父のDVが原因として離婚した母親が再婚した父親の言動やふるまいを、たとえ暴力的あっても「私のことを思ってのこと」と受け入れてきた考え方の癖(認知の歪み)がフィルターとなり、「仲がよい家族」、「いつも相手を思いやる家族」、「笑い声にあふれる家族」と認識してきた(虚像をつくりあげてきていた)ことがわかります。
つまり、母親が元夫(Kの実父)からのDVから逃れ、2人の姉妹を連れて再婚した家庭環境で、Kが、“親にとって都合のいい子”でいなければならなかったことを示すものです。
その中で、Kはファンタジー(虚像)をつくりあげてきたわけです。
この暴力のある環境に順応するために身につけてきた考え方の癖(認知の歪み)というフィルターが、交際初期に夫Hが見せる違和感を覚えたり、不気味に感じたりしていたふるまいや言動を自ら見えなく、気づかないふりをしてしまう要因になったのです。
そして、「視界が白くぼやけ、だんだんなにも見えなくなるようになりました。その症状は、ツラく、哀しく泣いくと、左目の視力はなくなるほど白く霞むようになる」といった症状は、Kの母親が夫(Kの実の父親)からひどい暴力を受けていた、つまり、Kが3歳までに受けていた面前DV被害が原因となっていると考えられるわけです。
ひどいことばを浴びせられ続けた被虐待者、いじめ被害者、そして、DV被害者の後遺症として、自らことばを遮ってしまい難聴を発症してしまうなど、身体化となって表れる症状で、心身症の症状と考えるのが妥当です。
したがって、Kの心身に表れている症状を見る限り、Kが乳幼児期に体験した暴力はかなりひどいものであり、その後、母親が再婚した家庭環境もまた機能不全家庭であったことになります。
そのことを裏づけるのが、8歳違いの姉が精神を病んだという事実です。
この1年後、離婚訴訟で離婚を成立させた被害者は、父親や母親、そして、母親代わりで育てた甥にさえ、「いつでて行くの!」といわれ、3ヶ月後に家をでることになりました。

  事例111-114(分析研究7-11)では、暴力のある家庭環境で育った被虐待体験者が、再び、交際相手から暴力被害を受けることになった、つまり、二重の暴力被害を受けていることがわかります。
  つまり、直接的なDVの加害者は、交際相手(のちの配偶者)であるのはいうまでもないものの、影の加害者は、暴力のある家庭環境(面前DV+α)で子どもを育ててきた両親と考えることもできるわけです。


(3) 2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」
  では、長く生活をともにしたDV加害者の交際(同棲)相手や配偶者と別れるのは、なぜ難しいのかを事例116(分析研究11)と117(分析研究12)を通じてみていきたいと思います。

-事例116(DV80、分析研究11)**-
** 事例116(分析研究11)でとりあげるDV事案は、平成22年8月、「DV被害状況レポート」として、(Ⅰ)DV環境下、被害者は加害者にいかに心をコントロールされ、心身を蝕まれたか-DV加害者から家に縛られる。脅され、卑下、侮蔑されて11年、被害者の傷ついた心(被虐待女性症候群)を理解する-、(Ⅱ)暴力の何が悪いのかがわかれない加害者心理を知る-暴力で心が壊れた被虐待者がDV・虐待加害者に..。暴力を生みだす心の闇、歪んだ感情が妻を支配する、その性格特性を明らかにする-、(Ⅲ)面前DV・虐待環境が子どもの心身の発育にどのような影響を及ぼすか-対象児童の心のケアのために..面前DV・虐待によるトラウマが脳の発育に与える影響を学ぶ-の3部をまとめています。
そして、今回、当「児童虐待・面前DVの早期発見。事例で学ぶ、児童虐待と面前DV。その影響とケアのあり方の手引き」の編集にあたり、レポート(Ⅲ)は、当「手引き」の第2章(Ⅱ.児童虐待・面前DV。暴力のある家庭環境で暮らし、育つということ)に加筆、再編集するとともに、「DV被害状況レポート」は、「DV被害者を支援した1年間の記録。ドキュメントDV被害者。恐怖で家に縛られ、卑下・侮蔑された11年」として再編集しました。


(出会いと再会。“恋愛幻想”下でのデートDV)
  DV被害者R(42歳、看護学校卒)と夫D(43歳、大学中退)は、中学校の同級生でした。Dは、世界的に名の知れた一部上場企業の人事部に勤務する父親*-84の転勤で、中学校2年生のとき、Rが通う中学校によって転校してきました。
父親に殴られ、帽子を深く被り登校しているDに、Rが「どうしたの?」と話しかけたことをきっかけに、仲がよくなっていきます。
その後Rは、地元の看護専門学校に進学し、地元の九州で看護師として働いていました。
Dは県外の高校に進学し、東京都内の仏教系大学を中退し、東京都内の寺の総代(檀家のとりまとめ)となり、23歳のとき、「そっちに行くので会わないか」とRに連絡を入れました。
看護専門学校に進学したRと隣県の高校に進学したDが交際していたのをRの母親に「学業に専念するように」と反対され、交際を終えていた中で、6年ぶりに再会し、そして、遠距離交際がはじまりました。
*-84 Dが中学卒業、高校進学の年にDの父親は東京に転勤になり、Dは近県に住む叔父の家から進学した高校に通学することになります。
また、Dの父親は、妻(Dの母親)やDに暴行を加えるDV加害者ですが、勤めていた会社を早期退職すると、「心理カウンセラー」として働き、現在は、翻訳を生業としています。
「事例111(分析研究)」では、DV被害女性の父親が、心理カウンセラーで、妻(被害女性の母親)へのDV加害者であり、被害女性への虐待加害者であるケースをとりあつかっています。


 RとDの再会は、元同級生、元同僚と“偶然(たまたま)再会を果たして”いるかのように装われている「典型的なストーカー行為」にもとづくものです。
そして、無自覚であっても、典型的な「デートDV被害」の状況を示しているという意味で重要です。
  デートDVの一番の特徴は、“恋愛幻想”にはまってしまうということです。
ひとりは寂しい、支えて欲しい、守って欲しい、結婚したい、幸せな家庭を築きたいといった思いが強い恋愛期には、なにかおかしなことをされても、「私は愛されている」と感じてしまい、深みにはまってしまいやすいのです。
いったん関係ができると、2人の境界線はなくなり、他の人を好きになってはいけない、この関係が永遠に続くことが望ましいといった考えに疑いを持ち難くなります。
なぜなら、そこには「優しく、誠実であらねばならない」という倫理観や道徳観にもとづいた“約束”という契約関係が存在するからです。
その2人の関係を大切にしないおこないがあったりしたら、裏切り、不誠実、人の道に外れていると非難されるといった無意識下の“暗黙のルール”が存在します。
しかも、恋愛関係になれば、「交際相手の好みに合わせなければならない」、「デートしなければならない」、「セックスには応じなければならない」、「2人の間に秘密があってはならない」、「嫉妬したりされるのはあたり前のこと」などと考えてしまったりします。
それだけでなく、結婚に至った恋愛は素晴らしく、成功者とか、勝ち組とか考えたりする“偏った考え方”をしてしまうこともあります。
  このような恋愛観では、「別れないため、結婚を勝ちとるために、嫉妬心から必要以上に詮索し、干渉し、束縛することは許されるし、嫌がることを強いることをしても許される」という考え方を容認することになります。
しかも、子どもができて結婚へ至っているときには、あれだけひどい暴力をふるわれていたにもかかわらず、「結婚してくれたのだから、遊びじゃなかったんだ」という好意的に受け入れようとしてしまいます。
なぜなら、人の脳は、つらく哀しいこと(記憶)より、楽しく嬉しいこと(記憶)を優先させる(快楽刺激を優先させる)特徴があるからです。
そのため、楽しかった思い出や嬉しかったできごとを繰り返し思いだし、その記憶にすがって“別れない”理由づけをしてしまうことがあるのです。
また、恋愛関係にあるときには、デートのときにセックスを強いられたとしても、受け入れやすい心理が働きます。
なぜなら、嫌な思いはデートのときだけのことで、毎日強要されるわけではないからです。
交際相手が嫉妬心から詮索し、干渉し、束縛されることを受け入れやすいのも、同居していないので、お互いに離れている時間が長いことから、「そのときだけ」と容認してしまいやすいのです。
  ところが、一緒に暮らしはじめると、その状況は一転します。
DV加害者は、嘘・偽り、虚像がバレずに、支配したい女性の居場所と時間、セックスを独占できるようになったと安心し、安堵することによって、露骨に上下関係にあることを認識させ、支配(コントロール)を強め、支配を維持するために暴力を駆使するようになります。
一方の被害者は、「一緒にいるとき(デートのとき)だけ」と自分にいいきかせてきたことばは、「朝に夫が出勤するまで」と置き換わることになります。
そして、この暴力を容認するサイクルは短くなり、比べられないほど頻度は高くなり、日々の生活にとり込まれていくことになります。
  成人の女性であっても、上記のような“恋愛妄想の罠”にはまりやすいわけですから、中学・高校生、大学生、そして、社会人になって間もないときの恋愛は、若さゆえに経験が少なく、だまされやすく、急速にのめりこみやすくなります。
「若さゆえに経験が少ない」というのは、職場などで、男女差別や夫婦間での育児や家事の分担の不平等など、世間の理不尽さを思い知らされる機会はほとんどないということです。
そのため、この年代は、ジェンダー(性差、性の役割)に対しての無理解からくる無批判になりがちで、人の狡さや汚さ、ダメさ、弱さなどと向き合う機会も少なく、詮索し、干渉し、束縛するといったふるまい、独占したい思いを強いるおこないが、支配のための暴力、つまり、DVにあたるという概念は構築されていないといった特徴があります。
その結果、支配されやすく、いま自分が経験していることがなんなのか理解できず、嫌なこと、つらいことがあったとしても、「自分が被害者である」ことを認められず、誰にも話さない傾向もあります。
親に、「同級生からに虐められている」、「交際相手から暴力(デートDV)をふるわれている」と話すことができないのは、親を失望させたくない、期待を裏切っていることを知られたくない思いがあるからです。
青年期(15歳-22・24歳)までの子どもたちには、親に認めてもらおうと、期待に応えようと一生懸命なために、いじめにあっている、暴力をふるわれている被害者であることを受け入れたくないとの心の壁が立ちふさがります。
  また、青年期までの子どもたちは、愛をドラマチックにとらえがちです。「2人でいれば幸せになれる」という歌の歌詞や、「絶対に君を幸せにする」などと恋人がいってハッピーエンドになるドラマや漫画などを現実の世界にあてはめてしまいやすいのです。愛をよい意味でしかとらえず、そこに、危険性、支配、暴力、嘘、虚像などがあることを知りません。
  したがって、絶対に幸せにできる人はどこにもいない、幸せになるための力は一人ひとりの中にあって、その力を育てていくのは自分であるということを知ることが大切です。
現実は違うと気づき、考える力が備わっていない時期に、「愛しているからだから」とか、「誰でもやっていることだよ」といわれると、他を知らないのでそのまま受け入れてしまうことになります。
暴力のある家庭環境で育ってきているなら、恐怖が先立ち、機嫌を損ねないように顔色をうかがいながら時間を過ごそうとします。
しかも、ちょっと背伸びをして大人ぶりたい時期なので、年上の男性から格好のいい話を聞かされたり、理屈っぽい話をされたりすると、大人として扱われている感じがして自尊心がくすぐられ、同年代の男性にはない頼りになる存在として認識してしまいやすいのです。
そのため、その人の考えに傾倒したり、コントロールされやすくなったりします。
別れの経験も少なく、別れる力も未熟なために、泣いてすがってきたり、謝ってきたり、優しくしたりしてくるとどうしていいかわからなくなり、簡単に許してしまったりします。
こうした「別れる機会を失う」ことを繰り返していくうちに、深刻なデートDV被害に発展していきます。
暴力のある家庭環境で育っていると、異性とつき合うとき、束縛されるのは嫌だとは思わずに、自分のことを気にかけてくれているかを確認する(試す)ために、率先して束縛されることを受け入れてしまうこともあります。
頻繁に届くメールは、24時間私のことを考えてくれている愛情の証し、友人にもうらやましがられたりすることから、「相手に気にかけてもらいたい。それがちょっと束縛っぽくてもいい」、「気にかけてもらえないと愛されている気がしない」と考えてしまうのです。
そして、「私も24時間あなたのことを考えている」と示すのが愛情だと、ロマンティックな恋愛幻想に酔いしれてしまいます。
束縛されることを愛されていると認識して受け入れてしまう女性には、「ことばの暴力を止めて欲しい」と口にすることができない、つまり、暴力に抵抗できないという特徴があります。
しかも、怒鳴られたり、叩かれたりするのは、私が悪いから、私がいたらないから、私に非があるから仕方がないと思ってしまっています。
このように、デートDV被害を認識するには、高いハードルを超えなければならないのです。
Rは、23歳のときに、Dから「そっちに行くので会わないか」との連絡がはいるまでの経緯、つまり、Dが定期的にRの女性の友人たちからDの近況などの情報をえていたことなどを、Rは「Dのストーカー行為である」ことを認識することができなかったのは、多くのデートDV被害者のように“恋愛幻想”に浸ってしまったからでした。

(別れる決意、恐怖のストーカー体験)*
*「事例83」引用
6年ぶりの再会、7年に及ぶ遠距離交際を続け結婚を意識していたRは、30歳になるのを前に意を決し、勤務先の病院を退職したうえで上京します。
上京してみると、Dから聞かされていた話が嘘偽りでしかなかったことを思い知らされることになり、“恋愛幻想”から目が覚める瞬間が訪れます。
病院の夜勤中に家探しをされ、大切にしていた思い出の品々を勝手に捨てられていたり、友人からの手紙は読まれたり、持ち帰られたり、名刺や手帳に書かれている住所録はコピーをとられたりしていました。
Dは、多くのストーカーがそうであるように、「俺はお前のことすべてを知っているからな!」という意志を伝えることを意図とした“痕跡”を残していました。
Rは「なにをされるかわからない。怖い。もうダメだ! 別れる」とアパートを飛びでて、同郷の知人のマンションに身を寄せました。
デートDV被害(なんらかの恐怖体験)を自覚し、別れ話を切りだされたり、友人や知人宅に身を寄せたり、実家に帰ったりされたとき、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっていることを起因とする「見捨てられ不安」を抱えているデートDV加害者は、執拗につきまとうストーカーに変貌を遂げます。
Rの携帯電話は、Dの着信で一晩中鳴りっぱなしです。
夜勤明け、着替えをとりにアパートに戻ると、Dが帰りを待ち伏せしていました。
デートDVの加害者が、別れ話を切りだされたときの常套句「今後どうしたいのか、話し合いたい」、「お前がいないと生きていけないから、話し合いたい」とDは繰り返します。
Rは夜勤明けで眠いし、アパートの前で大騒ぎされたくないと思い、警察に通報することなく、部屋に通してしまいます。
Dに「今後どうするのか」と訊かれ、Rが「もう無理だから。病院は勤めたばかりだから直ぐに辞めれない。1年経ったら九州に帰る」と応えると、「それは絶対に許さない! (婚約などしていないが)俺とお前は婚約している」と凄み、ただ身を寄せてかくまってもらっていた知人を恋愛関係にあると妄想し、嫉妬に狂いはじめます。
Dは「(一部上場企業に勤務している)あいつに危害を加えてやる。社会的な立場をなくしてやる」と脅しはじめます。
息をつく間もなく、Dは「どうするんだ!」、「どうするつもりなんだ!」と繰り返し、繰り返し問い詰めてきます。
Dに気持ちを収めるために「別れる」と応えると、Dは「ただ別れるだけではダメだ。信用できない! あいつをここに呼べ! 俺は押入れに隠れている。きたら半殺しをしてやる。そしてお前も一緒にやれ!」と声を荒げ、責め続けます。
寺敷地内、現在飲食店がある場所の立退きを進めるのに、中国人に金をつかませて嫌がらせをさせ追いだしたとき、ヤクザとのつき合いができていることを知らされていました。
背いたら、なにをされるかわからないとの恐怖心でいっぱいになったとき、Dに「やれるな!」と訊かれ、「やれる」と応え、「自分が悪いことをしました」と土下座して謝ります。
それでも、Dの気持ちは収まらず、「その証拠をみせろ! 線香を自分で押しあてろ! 本当に別れられるならできるな!」と迫られ、Rは自分で線香を両手に押しあてました。
これは、宗教的な意味を持つ“刻印の儀式”でした。
そして、Dの知り合いの家への転居を強要されることになりました。
Rは無自覚でしたが、Dが用意した転居は、2度の逃げだそうとしないように見張られた結婚までの軟禁生活に他ならないのです。
Rは、Dの意に反するふるまいをしたことで、意識が遠のくほどの力でこめかみを殴られ、息ができないほどの力でみぞおちを殴られるといった2度の身体的な暴行被害を受けます。
  女性センターや男女平等参画センターなどの専門機関であっても、「復縁を求めてしつこくつきまとわれている」と相談に訪れたデートDV被害者に対し、「力づくで話し合おうとするのを防ぐために、男性の上司や同僚に間に入ってもらったらどうでしょうか」と“間違った助言(対応)”をしてしまっていることがあります。
助言通りに男性の上司に話し合いに同席してもらった結果、「新しい男ができたから別れ話を切りだしてきた」と被害妄想にとりつかれ、激しい怒りをあらわにされストーカー行為がひどくなったり、間に入った上司や同僚が攻撃の標的になったり、さらに、他の男にわたすくらいなら殺して永遠に俺のモノにしてやると負の思考に入り込まれたりする事態を招くことがあります。
デートDVやDVの加害者に対し、別れ話を切りだしたとき一気に緊張が高まることになることから、加害者がどのような考え方(価値観)をし、こういったときにはこういった行動をするなどといった情報を正確に把握したうえで、これからの対応のあり方を検討し、助言していく必要があります。

(結婚13年、再び別れ話を切りだす)*
*「事例48」引用
 Rは、恋愛幻想から目が覚め、別れることを決意し逃げたものの、今度は「実態のあるストーカー行為」による恐怖を体験し、Dからは絶対に逃げられないことを思い知らされます。
そして、Dの機嫌を損ねないように、従順になり、恐怖体験に蓋をして結婚することになりました。
  婚姻13年で3人の子ども設け、既に第一子(長女)は10歳、第二子(次女)は6歳、第三子(長男)は2歳と成長した平成21年4月26日の早朝、これまでの結婚生活で、「俺は3人の子どもは望んでいない。お前が勝手に産んだ。俺は子どもの面倒なんてみたくないんだ。3人を連れて九州に帰れ!」と散々いい放ってきたDに対し、Rが「家裁調停に持ち込んでも離婚する。子どもは渡さない。養育費は払ってもらう。」と再び、別れ話を切りだします。
すると、Dはこれまでの言動を一転させ、「親権は渡さない! どんなことをしても子どもたちは渡さない!」と怒鳴り散らし、荒れまくります。
そして、3人の子どもの目の前で、Rの首に手をかけたのです。
  13年間の結婚生活は、3人の子どもたちを、面前DV(精神的虐待)の被害者にさせ、同時に、父親Dによる直接身体的虐待、性的虐待、精神的虐待の被害者にさせていました。
しかし、恐怖体験に蓋をして逃げることを諦めざるをえなかったRでしたが、Dの女性関係だけは許すことができず、家庭内での不和は、Dの女性関係をめぐるパワーゲームとなっていきます。
「男の甲斐性は金と女だろ」公言する男性が、DV加害者であるケースでは、DV環境下であることよりも女性問題が優先されていることが少なくありません。「夫の女性問題が解決するなら、多少の暴力はがまんできる」という価値判断がなされています。
そのため、こうした構造下では、夫の妻であることを優先し、母親としてDV環境で子どもを育てていることに思いを馳せることができなくなっています。
そして、13年間の結婚生活で、DV環境で子どもを育てていることに気づくことができずにいる間に、Rだけでなく、3人の子どもに対しても恐怖による絶対服従体制をつくりあげられていました。
 この結婚前の2回の身体的な暴行以来の暴行後、Rは、DV被害を専門機関に相談することになります。
  「Ⅴ-38.DV加害者プログラム。「ケアリングダット」を実施するうえでの原則」の中で、『万一、加害者男性がプログラムを途中で中断したときには、速やかに、加害者男性をリファーしてきた機関に連絡をしなければなりません。なぜなら、中断した状態でパートナーや子どもと接触することは、リスクが高いからです。このようなリスクの高い情報は、母親や子どもの援助機関とも共有しなければならないことです。子どもの安全確保には、関連機関とのオープンなコミュニケーションと協力が不可欠なのです。』と記しているとおり、加害者、被害者ともに、なんらかの状況の“変化”は緊張を生みだします。
そのひとつが、「家庭内の秘密ごと」を第三者に話す(口外する、バラす)こと、つまり、自身へのDV被害や子どもへの虐待被害を女性センターや保健センター、児童相談所、専門の支援機関に相談することです。
それは、DV加害者にとって、許すことができない裏切り行為であり、一方で、裏切りを許すのは絶対君主でなくなりつつある危機が迫っていることであり、その危機は、「見捨てられ不安」が煽られる恐怖であるわけです。
  DV被害者が、「なんとかしなければならない」との思いで専門の第三者に相談をはじめると、被害者である妻の夫に対する言動や態度が明らかに変わっていきます。
それだけでなく、子どもに対する言動や態度も変わっていきます。
暴力の子どもたちへの影響を意識しはじめた被害者は、母親として、子どもたちをなんとかしないといけない、将来大変なことになるとの思いが強くなり、「子どもたちに暴力をふるわないで!」と夫の子どもたちへの暴力の盾となったり、盾となることに対する反発(夫に逆らうことになるので)の矢面にされることになったりしながらも、必死に子どもを守ろうとします。
すると、「俺の教育方針だから口をだすな!」、「俺のやり方に従え!」と恫喝され、「お前ひとりで3人の子どもを育てられるのか! ひもじい思いをさせたら許さないからな!」と否定し、侮蔑することばを浴びせます。
また、子どもが就学前後に成長しているときには、絶対君主の俺を裏切ることがいかに愚かなことなのかを思い知らせるために、「Ⅰ-1-(3)DVとは、どのような暴力をいうのか」の中で「子どもを利用した精神的暴力(ことばの暴力)」にあげているようなふるまい(パワーゲーム)が繰り広げられていきます。
  父親が母親を否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下するのをずっと見たり、聞いたりしてきて育ってきた子どもは、無意識下で、母親を見下し、自分の世話をするのがあたり前と思うようになっているので、「子どもを利用した精神的暴力」の効果は絶大です。
なぜなら、暴力は怖いけれども、母親のいうことに従い父親に反旗を翻すことは、身の危険にさらすことになるだけですから、母親が改めようとする頑張りよりも、暴力のある環境に順応するために身につけてきた考え方の癖、思考・行動習慣のままの方が安全であり、楽だからです。
その結果、母親が八方ふさがりになり、焦りが苛立ちを生み、子どもの非を改めさせるために言動は厳しくなり、声を荒げたり、手をあげたりする事態を招きます。
DV被害者でありながら、子どもには虐待の加害者になってしまうことになります。
こうした状況が続くと、被害者は、無力さを思い知らされ、絶望感にうちひしがれることになります。
暴力のある家庭環境で育ち、再び配偶者から暴力を受けているDV被害者は、“直ぐに結果(成果があがること)を求めたがる”傾向があります。
なぜなら、親や配偶者の怒りをかわない、つまり、機嫌を損ねないふるまいには、いったん立ち止まって考えてみることは許されてこなかったからです。
自分の意志や意見を持たずに、ただ意に添うように直ぐに行動することだけが、暴力のある環境に順応する“術”です。
直ぐに目に見える変化(改善)がみられないと、「やっぱり、やってもダメだ」と直ぐに諦めてしまう思考パターンが習慣化にしています。
そのため、相当の覚悟で臨んだものの早く結果ができることを期待し、直ぐに完璧な結果が表われないと極度の不安に陥り、焦りばかりが先立ってしまい、結果として、ことを仕損じてしまいやすいのです。

(DV環境下で育ってきた子どもの状況)
  長女Yは、幼稚園のときにはゲームで負けそうになるとぐちゃぐちゃにして終わらせてしまうなど感情のコントロールができず、ちょっと変わった子として同級生から敬遠されがちでした。
家に遊びにくる友だちに優しくふるまう父親Dのことを、Yは「友だちには優しいのに、私には怖い。パパはわたしのこと嫌いなの?」となげかけたといいます。
また、Yは「周りの子がしているままごと遊びはあほらしくてやったことがない」、「小学校1-2年生のときには保健室の常連だった」と述べています。
Yが、小学校2年生のとき、同級生の子どもが振ったカバンがあたったことで、父親DがRを連れて小学校に怒鳴り込んでいます。
Dは、こうした事態を招いた責任を糾弾するとき、学級担任の出身大学を訊き、「程度が低い」と徹底的に貶める発言を繰り返したことから、校長、副校長にモンスターペアレントと認識されることになります。
そして、Rが専門の第三者に相談をはじめたとき、小学校4年生に進級していたYは、自分だけが注目され特別扱いされることが重要になっていました。
小学校では、思い通りにコトが運ばないと感情をコントロールすることができず癇癪をおこしたり、拗ねたりすることから、気持ちが落ち着くまで、担任から席を離れているようにと指導を受けていました(モンスターペアレントと認識されていたこともあり、母親に対し、学校側が安全基地を用意していることは知らされていませんでした)。
女の価値はお金とセックスアピール、服や文房具はブランド物でなければ恥ずかしい思い、一方で、女性は男性に従うだけの存在といった父親の価値観をそのまま学習し、父親Dが母親Rを怯えさせコントロールする方法、つまり、その時々の状況に応じて、自身の感情を表すことばとしての暴力や気を惹く(試し)アクションを駆使し、RやきょうだいA(次女6-7歳)T(長男2歳)を、友だち、担任をもコントロールするようになっていました。
母親Rには、父親Dがしてきたように、絶対服従させて自分の身の世話をさせる“条件”を交渉の手段として巧みに使い分けていました。
母親Rが従順に自分の世話をすることが、自分(Y)への愛情を示すことと認識していました。
DV被害者の多くが、「父親(夫)そっくりのいい方をする子どものことが怖い」と訴えるように、Rも、長女Yがキレて収集がつかなくなることを怖れ、琴線に触れないようにビクビク接するようになっていました。
  Rは、長女Yと次女Aに「家をでて、引っ越しを考えている」ことを伝えます。
8月に7歳になった小学校1年生の次女Aに、「家をでて、新しいお家に引っ越したら、もう怖い思いをしないですむ? (弟の)Tも(殴られて)ケガをしないですむ?」と訊かれ、Rは「うん、もう怖い思いはしないですむよ。」と応じます。
次女Aが、日々暴力にさらされている家庭環境に、ずっと心を傷めてきた思いを溜め込んできたやるせない思いをはじめて口にした瞬間でした。
以降、次女Aは「お姉ちゃん(3学年違いの長女Y)には、勉強で絶対負けない!」と敵対心を表すことばを口にするようになっていきます。
Aのように、きょうだい間で、「妹(弟、姉、兄)がいなかったら…」と思いを抱く背景には、親が、きょうだい同士の遺恨を煽り、対立させる言動や行動を示しているわけですが、こうした行為は、精神的(心理的)虐待の“孤立”にあたるものです。
  それからの3ヶ月、Rは、「いま通っている小学校を卒業したい。」という長女Yの希望をかなえるため、私と行政のDV相談の担当者から「同じ区内では、保護命令を申立てることはできないし、子どもたちとの接触し連れ戻される危険性も高い。」と指摘されながらも、同じ学区内でアパートを探し続けることに固執します。
しかし、不動産仲介会社で希望に添う物件を見つけ、「1年分の家賃を前払いで払いますから」と預金通帳を見せながら必死にお願いしても、「パート収入では、滞納が心配だね。」とか、「小さいお子さんが3人いるんじゃね。」などと理由をつけられ、断られ続けます。
不動産仲介会社がOKでも、大家がNOということもありました。
DV被害者が家をでるとき、なかなか家を借りることができない厳しい現実があります。
3ヶ月探し続けた平成22年3月上旬、やっと「いいよ」といってくれるオーナーが表れます。Rは、九州の実家で両親と住まいを一緒にしている兄に連帯保証人になってもらい、引越しの日程を決めます。
ところが、契約日の前日、4月に小学校5年に進級するY(12月に誕生日を迎え11歳)は、「なんでいま、引越しなんかしなきゃいけねぇんだよ!」とRにつっかかりました。
長女Yにとって、母親とともに、父親からの暴力から逃れるために家をでる(転居する)ことは、両親が離婚し片親になったとき、友だちにどのように思われるかといった強烈な不安が重くのしかかることを意味していました。
「母親が父親から暴力を受けるのは、母親が父親に対して従順でなく、意に添うようにふるまわないのが悪い。私のためにというなら、父親に従順なって、服従し、仲よくしてくれればいいじゃないか!」という考え方をするようになっていた長女Yは、「お母さんが、専門の人にいくら相談しても(夫婦関係は)よくならなかったじゃないか! 家を引っ越して、離婚したなんて、学校の友だちにバレたら恥ずかしい。」と、既に“納得していたはず”の話をぶり返してきたのです。
Rは、ここまできて、Yが「一緒に家をでるのが嫌だ!」といってくるなんて思ってもいなかったため、その瞬間、「もう疲れた。もう、いいや。」と緊張の糸がプツンと切れ、Rは、3人の子どもを連れて家をでることを諦めました。
  思春期(10-15歳)に入ると、親やきょうだいとの関係性だけでなく、友だちとの関係性、部活や習いごと、塾などコミュニティとの関係性は広く深くなっていきます。
それは、家のことよりも優先したいことが次々とでてくることを意味します。
もはや親と一心同体(自己と他の境界線があいまい)であった乳幼児や小学校1-2年生ではなくなっています。と同時に、暴力のある家庭環境での日常はツラく苦しく、哀しくて仕方がなく、幾度となく「助けて!」というメッセージをだしてきたものの、誰ひとり助けてくれる大人はいないことを学んできてしまっています。
家でおきているうっとうしいできごとなどどうでもよく、家に帰るのが嫌で、同じ環境にある仲間たちと深夜まで騒いでいたり、各々勝手にゲームをしたり、友人や知人の家を泊まり歩いたりする方がツラい現実と向き合わなくてすみます。
家の問題と向き合って傷つくことを避けたい(回避したい)のです。
  DV被害者が、子どものためにがまんしようと暴力に耐え続けてきたことが、子どもを追い詰め、しかも、「もはや、いまさら」の状態を招いてしまうのです。

  この事例116は、DVという行為が道義的・倫理的に許されない行為であっても、DV被害者の心(情)が揺れる要因はなにか、強いこだわり(譲れないもの)はなにかといった重要なキーワードに対し、被害者自身が落としどころを見つけることができない限り(決別することができないと)、DV問題を解決できないことを教えてくれます。
  Rのケースでは、夫Dに対する思いにフォーカスしてしまい、DV被害そのもの、子どもの虐待被害そのものにフォーカスすることができず、暴力に支配される関係性を断ち切るという意味で、なにを優先させなければならないのか(プライオリティ:優先順位)、つまり、重要度が高いものはなにか、緊急性が高いものはなにかを見極め、判断することができませんでした。
ここに、DV被害者がDV加害者の夫のかかわりを断ち切り、夫婦の関係を終わらせることの難しさを示す本質がありのです。
DV被害者の多くに、優先順位を見失ってしまう精神状態に陥ってしまっているという事実があり、そのことが、夫婦という関係性におけるDV加害者である夫とのかかわりを断ち切ることを難しくさせているのです。

(快楽刺激とトラウマティック・ボンディング)
 Rは、Dに対して、ア)中学校のときの同級生で、同じ暴力のある家庭環境に共感し、好感を持っていたということ、イ)23歳で再会し遠距離交際が7年に及び30歳を目前に結婚を意識しはじめて、親の反対を押し切り上京していたという思いがありました。
ア)については、先にデートDV被害にあっていることを自覚できなくさせる要因として、“恋愛幻想”をとりあげ説明しますので、ここでは、あれだけひどいふるまいをされていても、夫の優しい瞬間に想いを馳せてしまうのかを説明したいと思います。
  それは、人の脳は、“快楽刺激”を優先させるように働くようにできているからです。
人の脳は、嫌なできごとやツラく、苦しく、哀しいできごとの記憶よりも、楽しかったできごと、嬉しかったできごとを記憶として留め、思いだすようにできています。
嫌なことやツラく、苦しく、哀しいことから逃れるためにアルコールや薬物に頼ること、つまり、ツラく耐え難い体験により情緒不安定になったり、恐怖体験が繰り返されるのではないかと神経が過敏になり眠れなくなったり(過覚醒による断眠)して、処方された精神安定剤や睡眠導入剤、アルコール、覚醒剤や危険ドラック、セックスに頼り切るようになったりするのも、もとは人の脳が“快楽刺激”を優先するようになっているからです*-85。
“快楽刺激”を優先するというのは、先々のことよりも目の前にある楽しいこと、楽になれることに手をだすということです。
親や祖父母が、幼児に駄々を捏ねられる鬱陶しさを回避するために物を買い与えて育てている(過保護という支配下で育てている)と、快楽刺激を抑制し、自我を制御する術(脳機能)を身につけることができ難くなります。
損なっているアタッチメント、つまり、空虚感や寂しさを物や金で埋めようと、快楽刺激を制御することができないのです。
脳が“快楽刺激”を優先することを制御できなくなると、収入をえたとき、次の収入があるときまで自制をしてやり繰りすることよりも、目の前にあるギャンブル、買い物、食べ物などにその収入の多くを費やし、残りの日々をひもじい思いで過ごしていても、同じことを繰り返してしまうわけです。
将来得られる利益よりも目の前の利益に目が眩んでしまい詐欺被害にあってしまうのも、人の脳が“快楽刺激”を優先してしまうからです。
  DV加害者であるけれども、交際に至る経緯の中で「夫のことを好きだった思い」が強いほど、「別れなければならない」状況になったときに、楽しかったこと、嬉しかったことに思いを馳せ、その思いにすがりつく(囚われる)ことになります。
「見捨てられ不安」という恐怖、嫌なこと、ツラく苦しく哀しい記憶と向き合い苦痛を感じるとりも、“快楽刺激”を優先させた方が楽だからです。
つまり、DV被害者がこの状況にあるとき、DV被害そのものにフォーカスすることはできないのです。
  事例116(分析研究11)のケースで、DV被害を正確に把握することが難しかったのも、DV被害と向き合うことは、快楽刺激を優先する脳の働きとは“真逆”の働きを求める行為となることから、脳は「ツラい苦しいからもう止めろ!」と指令をだし続けるからです。
しかも、自分の安全も危険も加害者である夫に握られている状況の中では、被害者は、加害者の手の中にある自分を安全にする力にしがみついていこうとする「トラウマティック・ボンディング」の状況に陥りやすいのです*-86。
  Rが、DV被害そのものにフォーカスすることができ難かったのは、上記の“思い(前提)”に加え、ウ)上京後、嘘偽りで塗り固められていた事実を知り(“恋愛幻想”状態から目覚め)、恐怖を感じ知人宅に身を寄せたものの、ストーカー行為により別れることが許されなかった恐怖体験があったからです。
心が凍るほどの恐怖を一度でも体験していると、そのときの恐怖が別れる行動に歯止めをかけることになります*-87。
*-85 暴力のある家庭環境、つまり、機能不全家庭で育ちアタッチメントを損なったことを起因として、「アルコール、覚醒剤や危険ドラック、セックスに頼り切る」依存については、「Ⅱ-17-(2)問題行動としての“依存”」、「同-(6)摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)」、「同-(7)解離性障害とアルコールや薬物依存症」にて詳しく説明しています。
*-86 「トラウマティック・ボンディング」については、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」の事例116(分析研究11)でとり扱い、説明しています。
*-87 「恐怖が別れる行動に歯止めをかけることになる」については、「Ⅰ-8-(1)ストックホルム症候群」、「同-(2)学習された無力感、囚人実験」、「同-(3)ミルグラムのアイヒマン実験(服従実験)」、「同-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」、「同-(7)自己啓発セミナー。それは、カルト活動の隠れ蓑」において、“DV被害者の心理”を詳しく説明しています。


(感覚鈍麻と誤認)
  次に、エ)暴力のある家庭環境で育っていることで、暴力そのものに対しての認識が間違っていたということです。
Rは暴力ある家庭環境で育ち、長く夫D(交際相手)から再びDV被害を受けたとき、ことばの暴力(精神的暴力)ぐらいならがまんできるとか、この程度ならたいしたことがないと暴力に鈍感(感覚鈍麻)でした。
暴力に対する考え方(受けとり方)が間違っていることに気づかずにいるのが、暴力のある家庭環境で育ってきた人たちの特徴なのです。
一方で、暴力に対して鈍感であるけれども、体調不調という症状で心がツラいとメッセージをだしています*-88。
そして、暴力のある家庭環境で育ち、暴力に対する耐性が高く、暴力に鈍感で容認してしまいやすい被害者が、夫婦関係において陥りやすいのは、夫が他の女性に目を向けることに対し、「見捨てられ不安」が強く反応し、強く執着してしまうことです。
このアタッチメントを損なっていることを起因とする「見捨てられ不安(執着)」は、“嫉妬心”とつながり、その人に思いがあると誤認させてしまいます。
誤認としているのは、「見捨てられ不安」にもとづく執着は、自分がひとりになることに対する恐怖を回避するための行為だからです。
  Rは、オ)DV被害よりも他の女性との交際に気持ちが囚われ、証拠をとっても見つけだされ処分され「証拠がないだろ!」といわれ続け、「悔しい。必ず証拠をとってやる」との思いを持ち続けていました。
嘘をつかれ、騙され、それでも、信じようとして裏切られた“悔しい”という感情が、逆に執着してしまうことになっていました。
その結果、「他の女性との交際は性暴力となる」わけですが、Rは、身体への暴行や日常的な精神的暴力(ことばの暴力)といったことよりも、「浮気の証拠をつかんで、突きつけてやる」ことの方に高いプライオリティをおくことになったのです。
Rは、暴力のある家庭環境で育ち、暴力に対する耐性が強かったことに加え、7年に及ぶ遠距離交際を経て上京してみると、他に交際している女性がいて二股をかけられていた事実を知ることになりました。
以降、Rは、なによりもDに“裏切られる”ことに対し強く反応するようになっていたのです。
  こうした状況下で、Rは、多くのDV被害者がそうであるように、カ)「子どもができたら変わってくれる」、「後継ぎの男の子が生まれたら変わってくれる」と間違った方向に期待を寄せてしまうことになります。
「セックスを求めれば、他の女性とはセッスクをしない」という期待感、そして、「子どもができたら」との思いで、「私の方が積極的にセックスを求めてきた」という思い(事実)があるために、「あのとき私の方から求めたのだから、嫌でも求められたら応じなければならない」、「応じなければ、他に男がいると責められ、ツラい思いをすることになる」との思いが、自身への性暴力被害を認識できなくさせていました。
それだけでなく、Dの子どもたちとの異常な性的接触さえも、「うちは性に対して開放的」と“自分で納得できる”理由をつくりあげ、ツラく苦しい現実から目を背けて(回避させて)きていました。
なぜなら、母親として、子どもたちが父親の異常な性的嗜好の餌食になってきたことを受け入れることはできないからです。
たとえ夫婦間であってもセックスを強要されることは、レイプ被害者と同様に自尊心は傷つき、自己肯定感が損なわれます。
つまり、アイデンティティそのものがひどくダメージを受けることになります。
それは、“わたしそのもの”を失くしていくことになります。“わたし”という感覚を失っていくことは、わたしはどうしなければいいかを考えたり、判断したりすることができにくくなっていることを意味します。
これ以上傷つかないように、惨めな思いをさせられた記憶よりも、ツラく苦しく哀しい思いをしないですむ「子ども欲しさに自ら求めた」と、性暴力被害の“記憶のすり替え(書き換え)”をおこなうことで、日常生活を成り立たせてしまうのです。
*-88 日常的に暴力のある環境で育っていたり、暮らしたりしていることで、いま夫からDVを受けていることを受け入れられないことと似通った状況として、暴力が原因となる心身の不調について「心身症」などの病名がつけられることに強い拒否反応を示すことがあります。
心身症については、「Ⅱ-16-(3)ツラさを体調不良で訴える」の「①子どもの心身症」の中で、詳しく説明しています。


(退行願望)
  DV被害者の方たちが、“長く”思い悩んできた「ツラく苦しい」日々について、「夫は妻や子どもに暴力をふるう人物であり、この関係を断ち切るには、夫との関係を終わらせるしかない」といった“本当の問題”に悩んでいる(向き合っている)ことは稀です。
なぜなら、「暴力を受けるのは愛情がないからである=愛されていない(大切にされていない)」、つまり、「夫に愛されていない(大切にされていない)ことがツラく苦しい」、「どうしたら夫に愛してもらえる(大切にしてもらえる)のか」と思い悩んでいることが少なくないからです。
この状態の思い悩みは、「夫とのかかわりを断ち切る(夫との関係を終わらせる)ことを考えることは、できるだけ避けたい。なら、ほかにどういう方法が考えられるか」にフォーカスされていることになります。
つまり、「いまの環境に留まり、自分のおかれている環境を変えることを無意識に拒否している」、「この状態に留まるために、“退行願望”にしがみついている」ということを意味しているのです。
  人は、「ツラく苦しい」と思い悩むことを通して、無意識に蓄積されてきた憤りや怒り、哀しみを放出していこうとします。
思い悩んでいることそのものが心の安定になり、安らぎになるのです。
DV加害者の夫に、「暴力をふるわれて、私はツラく苦しい。もうやめて!」と騒ぎ、「私の気持ちをわかってよ。」とどれだけ自分が不幸なのかと嘆くことでしか(自己憐憫*-89)、蓄積された憤りや怒り、哀しみを表現できないのです。
ただし、無意識の必要性を満たそうとしてしまうので、DV加害者とのかかわりを断ち切る(関係を終わらせる)のではなく、逆に、しがみつくことになってしまうのです。
「夫は暴力で妻や子どもを支配する人物である」という現実を受け入れることよりも、「ツラく苦しい」と嘆いていることが安らぎになり、精神的に楽、癒しなのです。安らぎ、癒しとしての嘆きなのですから、依存症状のように“この状況”から抜けることができないのです。
しかし、妻に「ツラく苦しい」と嘆きを訴えられるDV加害者である夫には、うっとうしいこと(嫌なこと)でしかないので、大声で罵られ、怒鳴りつけられたり、手をあげられ暴行を受けたりすることになります。
問題は、自己憐憫する人は、自分が自己憐憫していることの目的に気がついていないことです。
そのため、同じことを繰り返すことになります。
  人は成長するためには安心感が必要です。
安心感とは、恐怖感がないことです。
恐怖感があると、退行欲求と成長欲求との葛藤の中で、退行欲求にしがみつこうとする力が強く働きます。
退行欲求とは、「過去のある時点に戻って、やり直したい願望」のことです。
知り合って間もないときのあの優しく甘いことばをなげかけてくれた瞬間に戻りたいと強く願うのです。
さらに、暴力のある環境で育ったり、権威主義的な親のもとで成長したりした人は、子どものときには恐怖心と不安感に苦しんでいます。
つまり、安心感を心に育んでいないことになります。
そのため、大人になっても強い退行欲求を抱え込んでいます。それは、高齢になっても消えることはありません。
なぜなら、人の退行欲求には時効がなく、何十年経っても驚くほどしつこく残ってしまうからです。
この退行欲求と、成長欲求の葛藤を自分の中で意識化することができないと、本人が「嘆いていてもどうしようもない」とわかりつつ、嘆き続けることになります。
現実がいかにツラく、苦しくとも、退行欲求にしたがって生きている方が心理的には居心地がよいので、変わりたくない力の方が強く働きます。
つまり、現実の困難に対して、夫(あるいは親)との関係を終わらせ、生活の再建をはかっていくために自分を変えるということを、無意識に拒否してしまおうとするのです。
なぜなら、自分を変えずに嘆きながらそこに留まることが、無意識下で安らぎとなり、癒しとなっているからです。
暴力のある夫(親)とのかかわりを断つ、夫婦(親子)の関係を終わらせるためには、心理的な居心地のよさから離れなければならないわけです。
居心地のよさから離れなければならないとは、いまの夫婦の関係、いまの家庭生活すべてを捨て去るということです。
*-89 自己憐憫(じこれんびん)の「憐憫」とは、自分のことを“あわれむ”ことで、哀しんだり、落ち込んだリ、鬱っぽくなったりするとは違います。
「自分はなんて不幸なんだろう」、「なんで自分ばかりこんな目に合うんだろう」、「なんてみじめな人生なんだろう」、「自分は哀れな人間だ」と、自分で自分のことを「気の毒に」「かわいそうに」などと思うことですが、一方で、自分のことを“かまって欲しい”“自分を守って欲しい”という気持ちが根底にあります。
  自己賛美するナルシシズム(自己愛)も、自分に酔いしれる自己陶酔も、自己憐憫と類似していますが、自己憐憫が「かわいそうに」という自己認識に対し、自己愛や自分陶酔は「素敵だ」という自己認識であるという意味で異なるものです。
ただし、自己憐憫も自己愛もその程度が進むと、実態無視・現実無視という方向でバランスを欠くことになり、「哀れむ感情を嗜好する」、「賛美している気分を嗜好する」ようになります。
また、自己憐憫と自己愛、自己陶酔に共通しているのは、自分自身では“自覚していない”ということです。そのため、理屈ではよくないこととわかっていても止められず、反対にそんな自分を憐れみ、「こんなに自分は辛いのだからこれくらいのことをしても仕方がない」と自分を許してしまうのです。
なぜなら、母親に十分甘えられなかったり、父親に冷たくされたり、厳しくされたりしてきた成育史を抱えていて、「自分のことは自分で守るしかない」というイメージを持っているからです。
そして、自己憐憫度が強いほど、ストレスホルモン(副腎皮質ホルモン)のコルチゾールの分泌が高いことがわかっています。
このことは、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なってきたことが、自己憐憫の背景にあるということを示すものです。
したがって、自身の成育史、育った環境がどのようなものだったのかといった“事実”と向き合い、「どうして私ばっかり、こんな目にあうの」、「あいつのせいで、なにもかもメチャクチャ」、「どうせ誰もわかってくれない」、「結局、みんな裏切るんでしょ」、「私はいつも仲間はずれにされてしまう」といった“感情”と真正面から向き合うことが必要になります。そのためには、自己憐憫とはどういう思いなのかを知ることが必要不可欠です。


(トラウマティック・ボンディングとできない理由づくり)
  暴力のある家庭環境で育ってきた人たちは、アタッチメントを損ない、決して満たされることのない渇望感や強烈な寂しさを起因とする「見捨てられ不安」を抱えているため、たとえツラく苦しく哀しい生活の日々であっても、別れる(ひとりになる)ことを決断することがなかなかできません。
さらに、幼いときから嫌なできごと、ツラく苦しく哀しいできごとから“回避する(避ける)”ことを習慣化することで、自分(心)が傷つくことから守ってきていたことから、再び、交際相手や配偶者から暴力被害を受けることになったとき、嫌なこと、ツラく苦しく哀しいことは記憶の奥に追いやり、楽しかったことや嬉しかった記憶にしがみついて、“いまこのとき”を過ごしてきています。
しかも、記憶のように自身の思惑でコントロールできないのが、トラウマ反応としての恐怖心や不安感です。
トラウマ反応としての恐怖心や不安感は、「トラウマティック・ボンディング」と呼ばれる状況に陥らせてしまいます。
トラウマティック・ボンディングとは、自分の安全も危険も相手に握られている状況の中で、相手の手の中にある自分を安全にする力にしがみついていこうとする心理のことです。
つまり、DV被害者は、「この関係の中でなんとかうまくやっていかなければならない」、「この関係から逃げることなどかなわない」と思っていくようになってしまっているのです。
このトラウマ反応(トラウマティック・ボンディングの状態)が、いまの環境に留まらざるを得ないと判断をさせてしまう要因になっています。
このことは、DV被害者が「私は暴力のある夫とのかかわりを断つ、夫婦の関係を終わらせる決心ができずに、問題と向き合うことを避け、嘆き続けてきた」ことを“意識化”することが重要であることを示しています。
つまり、「なぜ、嘆き続けるだけだったのか」を理解しなければならないのです。
DV被害者が「自分はなぜこんなにまで嘆き続けているのか?」ということを理解することができれば、“自分から成長能力を奪った人が見えてくる”ことになります。
それが見えてきたら、次には生きる方向が見えてくることになります。
「自分から成長能力を奪ったのは、暴力で支配をしようとするDV加害者の夫である」こと、「自分から成長能力を奪い、大人になったいまも対人関係に悩み苦しむことになったのは、暴力で支配し育ててきた親である」ことを見極めることができれば、「その夫とのかかわりを断つ(関係と終わらせる」、「その親とのかかわりを断つ(距離を置き、かかわらないように努める)」と、“これから”の生きる方向を明確にすることができわけです。
  ところが、暴力によって、自己肯定感が損なわれ、自尊心を奪われてきた被害者の人たちは、「自信がないから、~できない。」といういい方をよくします。
それは、「暴力に耐える日々はツラく苦しい。でも、いまの環境を変えられない。」と嘆き続けている被害者の人たちが抱える低い自己評価、つまり、低い自己肯定感(高い自己否定感)が、「ここに留まなければ(~を頼らなければ)生きていけない」と思わせてしまっているのです。
「私はできる」という“自信”は、例えば、乳幼児がハイハイをするようになり、立ちあがり、つたい歩きができるようになり、歩き、走ることができるようになるように、うまくいかなかった失敗体験から学び、うまくいったときの成功体験へと結びつけていく積み重ねによってもたらされてきたものです。
つまり、先に行動してみて、「やってみて、できた」という積み重ねで得られるものが“自信”です。
「自信ができたので、行動に移すことができる」ことではないのです。
問題は、この“自信”の獲得には、親(養護者)にできたことをほめられ、自尊心を育まれてきた体験が欠かせないということです。
暴力のある家庭環境で育ってきていると、この体験をしてきていないことから、新しいこと、未知のできごとにチャレンジすることにしり込みしてしまったり、そもそもチャレンジする意欲がなかったりしてしまいます。
「自信をつける」とはどういうことかという正しく理解できても、“できない理由”としての「できない」と口にしてきた習慣が大きな障壁となって立ち塞がることになります。
  したがって、暴力のある環境で生き延びてきた(順応してきた)思考パターンを向き合い、学び直す必要がでてきます。
子どものときに、「ほら、できたよ」と得意顔で達成感やうれしさを表現したときに、親やきょうだいなど直接かかわる人たちに、きちんと自信になるように接してもらうことができていなかったり、否定と禁止のメッセージを含むことばばかりを浴びせられ、「自分はできる」という“自信”となる体験を積み重ねていなかったりしているので、肯定のことばがけをしてもらう体験を積み重ねていく必要があるのです。
親が子どもの自己肯定感を高められるように接してきたのか、それとも、自己否定感を持ってしまうように接してきたのかは、どのように子どもが育つかという意味で、まったく違った結果を生みだしていくことになります。同じものごとであっても、まったく違って見えることになるのです。
  こうした成育史を踏まえて、ことばの意味、解釈を正確に理解することができた瞬間に、“これまで”の私は、退行願望にしがみつこうとしてきたことに気づくことができ、“これから”なにをしなければならないのかを考える機会が増えていきます。
「私の自己評価(自己肯定感)はなぜ低いのか?」、なぜなら、「夫(あるいは親)から否定され、非難・批判され、侮蔑され、卑下されることばを浴びせられたり(ことばの暴力)、殴られたり、蹴られたり、髪をひっぱられたり(身体的暴力)、私の気持ちを無視して性行為を強要されたり(性暴力)してきたからである」と、夫(あるいは親)の暴力と関連づけて認識できるようになることが大切なのです。

(別れることの障壁)
  それでも、DV被害者には、必ず、「もう耐えることができない」と意を決し別れる決意をする瞬間が訪れます。このとき、障壁になるのが、両親や親戚、友人・知人、上司や同僚、子どもの担任の言動です。
  実家に子どもを連れて帰ると、母親に「お前にもいたらないところがあるんだから、…だけに責任があるわけではないだろう。」、「もう一度、2人でよく話し合いなさい。」と、DV加害者である夫の待つ家に帰らざるを得ない状況がつくられ、別れる機会を逸してしまうことがあります。
母親の発言には、“父親(母親からみて夫)が不機嫌になるのを避ける”ために、「夫(被害者からみて父親)はきっとこうすることを望んでいるだろう」と思いを馳せ、どう対応するのが“夫の意に添う”ことになるのかを考えている背景があります。
加えて、「子どもがいて、離婚後の生活はどうするの?! これからが教育費とかお金がかかるのよ」、「子どもにとっては父親なんだから、子どものために多少のことはがまんしないとね。」、「子どもには父親が必要じゃないの?!」といわれ、“母親として子どものことを第一に考えなくちゃ”と思い直して、子どもの手が離れるまでがまんしようと決心し、家をでる時期を先延ばしてしまうこともあります。
  このとき、離婚に踏み切れない理由として、「離婚によって、子どもが情緒不安定になったりしたらかわいそうで、離婚を躊躇してしまう。」と両親の離婚による子どもへの影響を心配していることをあげることがあります。
しかし、離婚後に、子どもが情緒不安定になったとしても、それは、離婚そのもの(離婚した事実)によってもたらされるものではなく、離婚に至る“これまで”の家庭環境によってもたらされる心の反応なのです。
つまり、“これまで”の暴力のある家庭生活で、傷ついてきた子どもの心の問題をそのままに(放置)してきた結果によって生じることなのです。
したがって、アスペルガー症候群などの発達障害の子どもの“障害の特性”として、環境の変化に対応できないケースを除き、母親とともに、家をでて、離婚が成立したあと、子どもがひきこもりがちで不登校になったり、転校先の学校でちょっかいをだしたり、大声をだしたり、叩いたり、逆に、クラスにとけ込むことができず孤立していたりするなど対人関係でトラブルをおこしたり、万引きしたり、喫煙したり、家出や援助交際したりするなど非行的なおこないがみられるようになったりしても、それらの問題行動は、離婚そのものが原因ではなく、また、父親がいない母親(片親)だけで育てていることが原因ではなく、家をでるまで、暴力のある家庭環境で暮らしていたことが原因になっているのです。
また、Rのように、DV加害者である父親が暴力による恐怖によって妻だけでなく、子どもをも絶対服従体制をつくりあげている家庭では、母親が叱ったり、怒鳴ったりする程度ではいうことをきかせることができなくなっている状況がつくられてしまうため、キ)どうしても子どもに手をあげてしまうことが多くなっていきます。
叩かれ慣れている子どもにとって、母親には、父親に対するような恐怖を感じていないため、少しぐらい叩いてもいうことをきかなくなっています。
この状況は、子どもに見くびられている私は「母親として失格」、だから、「子どもは父親と一緒に生活した方が幸せなんだ」との自己否定感を強めていく事態を招いていきます。
しかも、多くのDV加害者と同様に、Rは、夫Dに「お前も怒鳴ったり、叩いたりしてるじゃないか!」と同等に扱われています。
その結果、夫Dの子どもへの虐待行為という“非”と咎めることができなくなり、同時に、私も夫Dと同じように子どもに手をあげてしまったりしているとの思いが心に重くのしかかることになります。
こうした多くのDV被害者が抱える“後ろめたさ”は、“なにが本質の問題なのか”を見失わせ、肝心なところで、第三者機関(女性センターや保健センター、児童相談所)に相談することを躊躇させてしまうことになります。
  そして、Rのケースでは、夫Dとの生活にピリオドをつけ、家をでることを阻害することになった決定的な要因は、ク)子どもたちが成長していく間に、長女Yにとっていまの生活を捨てることはできない状態、つまり、“いまさら”になっていたこと、ケ)ひとりで3人の子どもたちを育てるのは無理との考えで、生活の再建を「実家」に委ねるといった限定的な考え方に固執し、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント損なっている被虐待者の典型的な思考パターンの「実家に帰られなければ、いまの家に留まるしかない」という“二元論(二者択一)”が判断基準になっていたことでした。
つまり、できないことを正当化するために、自身を納得させる理由をつくりあげてしまったのです。
  このように、DV被害者の育った環境、心(情)が揺れる要因が多く、そして、こだわり(譲れないもの)が強いほど、加害者に心の隙をつけ込まれやすく*-90、また、逃れる(別れる)決断を鈍らせることになるのです。
*-90 「心の隙をつけ込まれやすい」ことが、マインドコントロールや洗脳を仕掛けるうえで必要不可欠な要因となるわけですが、「Ⅰ-8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で詳しく説明しています。

(思考混乱、考えるということ)
 先に記したとおり、人の脳は“快楽刺激”を優先させるように働くので、楽しかった記憶、嬉しかった記憶を思いだし、それに伴う感情が湧きあがってきてしまいます。
そのため、嫌な記憶、ツラく苦しく哀しい記憶でしかない“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”という事実と向き合うことが疎かになってしまいやすい、つまり、避けよう(回避)とするのです。
多くのDV被害者の方たちは、家をでるべきか、離婚するべきか考えはじめると、「頭がぐるぐるするだけでなにも考えられない。」と話します。
  「(頭で)考える」とは、脳に記憶(蓄積)されていることば(知識)を探しだし、関係することばを組み合わせ、ひとつの解を導きだすことをいいます。
したがって、「これからどうやっていけばいいか」に関するひきだしとなることばを持っていない(蓄積された知識を持っていない)限り、自らの力ではことばを組み合わせることができず、解を導くことはできないのです。
つまり、人の脳は、考えることはできないのです。
ことばが蓄積されていない中で解を探そうとすると、多くのDV被害者の方たちが「頭がぐるぐるするだけで、なにも考えられない」と表現する“思考混乱”を起こした状態に陥ります。
思考混乱をおこしてしまうDV被害者の方たちのひきだしには、“これまで”暴力のある環境に順応する(従順になり、意に添うようにふるまう)ために身につけてきた考え方しか入っていないのです。
そのため、暴力のある環境に順応するためのことばの組み合わせの中で考え続けることになります。この状態を「思考が混乱している」といいます。
この“これから”どうしたらいいのかを考えらえず、思考混乱をおこしているとき、人はさまざまな感情があふれてきて、「感情>思考(考える、判断する)」という状態になります。

  「幸せ」「驚き」「怖れ」「哀しみ」「怒り」「嫌悪」といった6つの感情表現の中で、“快楽刺激”を優先させるように働く人の脳は、「幸せだった」「楽しかった」瞬間の記憶にすがりつこうとします。
なぜなら、先に記しているとおり、人の脳は、嫌なできごとやツラく、苦しく、哀しいできごとの記憶よりも、楽しかったできごと、嬉しかったできごとを記憶として留め、思いだそうとするからです。
そのため、ひどい身体的な暴行を受けたあとであっても、DV加害者である夫に優しく甘いことばをなげかけられると、「本当は優しい人」、「もしかしたら、変わってくれるかもしれない」と心が揺れることになるのです。
そもそも、交際期間を含めると多くの時間をともにしてきた夫婦です。夫婦という関係性は、多くの時間をともにしていることから、いろいろな思い(感情)がでてきてしまい、“考え”をまとめることはできにくくなるのです。
  問題は、“なにも考えられなく”なってぐるぐるしている状態、心が揺れているときに、夫が離婚調停や事例179(分析研究15)のように監護権指定の審判を家庭裁判所に申立てるなど、夫に先に動かれてしまうことです。
なぜなら、心が揺れているDV被害者は、冷静に、客観的に暴力被害の事実を認識することができ難くなっていることから、被害者であるにもかかわらず、窮地に追い込まれてしまうことになるからです。
なんの犠牲を伴わず、暴力の事実を認めないDV加害者たちは、暴力の事実を否定すればいいだけです。
一方の暴力を立証しなければならないDV被害者側は、用意周到な準備、そして、DV被害者特有の心理状態を知り(学び)ケアを受けるなど、多くの時間と労力を必要とします。
そのため、夫が先に動いてしまうと、夫のペースで進んでしまい、後手後手の対応をさせられることになるのです。
それは、DV被害者にとって大きなリスクです。
  大切なのは、子どもの将来のこととか、子どもの学校のこととか、離婚後の生活や仕事のこととか、家のこととか、“これからどうするか”ばかりを考え、あげだしたらきりのない懸案事項のすべてに対し理想的な結論をだしてから動こうとしないことです。
理想的な結論を経験値のない中で考え続ける前に、いざというときに備えて準備する(動く)、つまり、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”という暴力の事実そのものにフォーカスすることだけに専念することです。
“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”といった暴力そのものにフォーカスした「事実認識」ができれば、おのずとDV加害者である夫がどういう人物であるかがあぶりだされることになります。
そのとき、DV加害者には常識で考えたり、根拠のない期待を抱いたりすることなく、懸案事項と向き合うことができることになります。


-事例117(DV81、分析研究12)-
  家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)調停を申立ててから1年2ヶ月、第10回離婚調停で、私(F。35歳、高校卒)は、待合室に戻ってきた代理人の弁護士に「本日、離婚成立しました。
財産分与、養育費、すべてこちら側の提示通りでいいそうです。」と、聞かされました。
続けて、「審判官が来次第、夫同席で調書を読みあげます。夫Sも代理人がいますし、調停委員もいるので、同席しても大丈夫ですよね?」と訊かれました。
少し緊張しましたが、最後なので「大丈夫」と応え、それから調停室へ移動しました。
弁護士から「離婚成立」と聞き、やっと終わったという思いと、こんなにスッキリした気持ちになるとは自分でもびっくりするくらい、本当に嬉しかったです。
調停室で、審判官が調書を読みあげ、最後にみんなで挨拶をして終わりました。
部屋をでようとしたとき、S(37歳、高校中退)が「ちょっといいですか? 少し話をしたいんですけど?」といってきました。
私はちょっとびっくりしましたが、「いいですよ」と応えました。
すると、Sは「今日で、夫婦としての形は終わったけど、これからも5人の子どもたちの親であることは変わりないから・・」といい、泣いていました。
Sの話は、あまり耳に入ってきませんでした。離婚が決まった嬉しさで、テンションがあがっていたからだと思います。
私は「こちらこそ、これからも子どもたちをよろしくお願いします」と応え、帰路につきました。
しばらくすると、私は、Sの泣いた姿を思いだし、嬉しい気持ちと、罪悪感が入り交じった複雑な気持ちになりました。
そして、帰宅後、Sから「さっき、いいそびれたからメールします。5人の子ども産んでくれたこと感謝してるよ。あしかけ20年いろんなことがあったけど ありがとう」といった内容のメールが送られてきました。
私は、さらに複雑な気持ちになりました。
実は、私が幸せを壊してしまったのではないか?との思いがあふれでてきました。自分がなにか悪いことをしているような、私はなにかひどいことをしたような気分になりました。
そして、Sの泣く姿、Sのことばが頭に焼きついて離れなくなりました。
Sは、本当は優しい人だったのではないか?私が悪かったのか?離婚までして、もうとり返しのつかない間違いをして、幸せまで壊して・・と、わからなくなりました。

  この事例117(分析研究12)は、最後の最後で、夫Sの“受容”のことばを聞かされ、涙を流す姿を見せられたことで、暴力のある家庭で育ち、アタッチメント獲得に問題を抱え「見捨てられ不安」が強いFは、心が揺らぐことになったケースです。
何度も別れるタイミングがあっても、別れるタイミングを逸してきたのは、事例116(分析研究11)のケースと同様に、F自身の生い立ちとSの生い立ちが重なり、共感し、強い仲間意識を持っていたからです。

(「見捨てられ不安」と無視、無反応)
FはSが病気になったりし、弱い姿を見せられると「私がなんとか支えてあげよう」と一生懸命に尽くしてきました。
よく「母性本能がくすぐられる(刺激された)」と誤った認識を持ち、尽くすことを容認(正当化)してしまっている女性がいますが、その両者に、暴力による上下・支配と従属の関係性が成り立っているときには、その考え、ふるまいは間違っています。
なぜなら、「私が、夫のことをなんとか支えてあげよう」、「私だけが、夫のことをわかってあげられる」、「私が夫を変えてあげられる」といった思考パターンは、“見捨てられ不安”が根底にあるからです。
アタッチメントを損なっているので確固たる“わたし”がない(存在しない)ことから、“わたし”の存在価値(存在感)をみいだすための行動なのです。
先の事例116(分析研究11)のRは、別れ話を切りだしていこう暴力がひどくなっていく状況で、『最近、私、この環境から逃れたら廃人になるだろうって思う。いい争って、自分の存在を確認しているようなところがある。』と述べていますが、長くDVのある環境で生活を強いられていると、つまり、慢性反復的なトラウマ体験をしていると、親から凄惨な虐待を受けている幼い子どもたちのように、“わたし”の存在価値を殴られたり、罵られたりすることに見いだすようになっていくことさえあるのです。
人とのかかわりには、肯定(受容)されるかかわりと、否定(拒絶)されるかかわりがあります。
そして、肯定も否定もされない、つまり、かかわりそのものを拒絶されるのが「無視」「無反応」です。
無視、無反応は、もっともひどい拒絶ともいえます。
虐待され、親に受け入れてもられない子どもたちは、少しでもかかわって欲しくて、わざと殴られたり、罵られたりするように仕掛けていきます。
暴力のある家庭環境で育つ中、ゲームに没頭することで、その現実のツラさから逃れてきた(回避)DV加害者は、結婚後もひとりで部屋に閉じこもりゲームに没頭し、夫婦間のかかわりが、暴力的な性行為のときだけということがあります。
この状況もまた、無視され続けるよりもツラい思いをしてでも暴力的な性行為を受け入れてしまう構造がつくられていることが少なくありません。
特に、支配をされる者(被害を受ける者)が、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損ない強い「見捨てられ不安」を抱えているとき、無視される、反応されないことが一番心を揺さぶります。
なぜなら、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、底なし沼のような寂しさが強烈に刺激され、マグマが噴きでてくるような恐怖に苛まされることになるからです。
無視され、反応がないことは、自分の存在感を味わえないので苦痛という感覚ではなく、強烈な不安感、そして、強烈な恐怖心につながっていきます。
そして、その状況に耐えきれず、自分の方から話しかけ、関係修復に努めていくことになります。
つまり、機嫌を損なわないように、自ら率先して意に添うようにふるまい、喜ばせ、役に立つ存在であることを必死にアピールしていくのです。
こうしたふるまいの根底には、同じ状況下のとき、父親に母親がどうふるまうのかを見て、聞いて、察して、自身の行動パターンとして身につけてきたということがあります。
男の子は父親のやり口を身につけ、女の子は母親のやり口を身につけていくことになります。
こうして父親と母親の関係性を教科書にして学んだ思考・行動パターンが、次の世代にひき継がれていく(世代間連鎖)ことになるわけです。

(暴力の世代間連鎖、低い暴力への障壁)
Fは、「ワークシート(C-3)*」に、『また、父の父親(祖父)はつまらない理由で、私たち姉妹に暴力をふるった。「冷蔵庫に閉まっていた自分(祖父)の物を勝手にとって食べた」と怒鳴りつけ、モップを持って追いかけ叩いた。また、「チャンネルを変えたのが悪い」と怒鳴りつけた。わが家では、食事の席が男性・女性と別れていて、子どものときに、男性側で食べようとしたら、ものすごく怒鳴られた。いい思い出より、嫌な思い出ばかりしかない。』と書き込んでいます。
したがって、Fの家系は、「曾(高)祖父母→祖父母→父母→子」と、少なくとも3世代にわたり暴力が繰り返されてきたことになります。
* 「ワークシート」とは、DV被害支援室poco a pocoが、DV被害者支援の一環としてDV被害の状況を正確に把握するために、(A)16項目、(B)29項目、(C)12項目の問いにワークシート形式(Word文書のフォーマット)で、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をことばにして書き込んでもらうもので、この「手引き」では、『DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート(Word文書フォーマット)』のことを指しています。
なお、当ワークシートは、第1章(Ⅰ.児童虐待とドメスティック・バイオレンス)の最後に、添付資料として掲載しています。
「(A)(B)の45項目」は、被害者(配偶者とその子ども)が受けた被害状況を時期・経緯を踏まえて、具体的なやり取りを詳細に書き込んでいただくもので、「(C)の12項目」は、子どもの心身の状況、被害者と親やきょうだいとの関係性など成育歴などを詳細に書き込んでいただく構成になっています。
そして、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停(もしくは裁判)で、DVの事実を立証する必要のある案件に対しては、「現在に至る事実経過(証拠となる事実を報告書)」のベースとなるものです。

そして、Fは、「C-1」に『夫に尽くすことが妻の勤め…、結婚したらそう思っていました。母がずっとそうだった。あんなにひどいことをされても、結局父親の世話をしていた。父親に従っていたらよかった。そんな母親が嫌いだったのに、私は同じことをしている。母のように完璧じゃないけど、似たことをしている。夫に尽くしていれば、上手くいくと思ってしまっていた。いま離婚調停中であるが、その決心ができるまで、ずっと夫が歳をとるまでのがまんだと、子どもたちのために、がまんすることが一番だと思っていた。なぜなら、私は自立ができない、子どもたちを養っていく自信がなかった。不安だった。』と書き込んでいます。
「C-3」には、『私の父はマザコンで、酒乱だった。お酒が入ると、顔つきが変わり、怒鳴り声をあげ、物を投げ、母を殴り、髪の毛をひっぱるなどの暴力を母にふるっていた。母は、なんども私たち4人姉妹を連れて家をでたが、その度に父に見つかり、家に連れ戻されていた。私たち姉妹が寝ているとき、父は家中の物や窓などすべてを壊して暴れていることもあった。「お前たちにはなにもしないから、寝ていろ」といっていたが、私は怖くて、妹と二人で、隙をみて、隣の家へ逃げ込んでいた。母親と姉二人がどうなったのか心配だったが、次の日に、会うことができた。先に逃げていたようだった。私は何度も家出をしては、家に戻るといったことが繰り返された生活が嫌だった。父が母をみつけると、決まってセックスをしていた。本当に嫌な記憶となっている。あるとき、父に見つかり、母が「父と話をしてくる」といい、父の車へ行った。車は少し離れたところにあった。その日は、吹雪のように雪が降っていた。母がなかなか帰ってこないが心配になり、私たちは、こっそり車を見に行った。そこで父と母がセックスしているのを目撃した。母は、父とのセックスが嫌だったのだと思うが、よく私たちの部屋で寝ることがあった。そこへ父がきて、私たちが寝ていると思ったのかセックスをしていた。こんなことは何度もあった。母のことをかわいそうだと思うが、母も度々浮気をし、私たち姉妹は、何度か交際相手の男性に会わされることもあった。これも嫌な記憶となっている。』と書いています。
Fは、18年間の結婚生活で、母親と同じ行動、つまり、なんども家をでて、その都度、Sのもとに戻っています。
この「嫌だと思っていた」母親のふるまいを、F自身が繰り返すことになったのは、嫌なことであっても逆らうことはできない、意に反することはしてはいけないことを母親のふるまいを見て学習し、すり込んでしまっていたからです。
その結果、「Sに尽くしていれば、上手くいくと思ってしまっていた」という考え方の癖(認知の歪み)がつくられていったのです。
また、「家をでていった母親が、父親に連れ戻されるとセックスを強いられていた」と書いています。
これは、暴力のあと、「セックスに持ち込む」、「謝り、もうしないと許しを請う」、「優しいことばをなげかける」、「プレゼントやお土産を買ってくる」、「外食にでかける」、「旅行に連れていく」といった“相反する受容と拒絶”のふるまいで、支配の関係性を続けていくためにおこなわれるDV加害者の典型的なふるまいです。
Fは、交際するきっかけとなった姉に誘われ草野球を見に行き、うちあげでSの家に行き、そのまま泊まることになり、その日に関係(性行為)を持つことになりました。
これは、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっている人たちによく認められるパターンですが、ここには、断ったらどう思われる、嫌われたりしないだろうかとい強迫観念(見捨てられ不安にもとづく恐怖)に加え、両親の関係性で身につけてしまった性的接触に関する防御性の低さ、つまり、自分を大切にすることを第一にできないといった背景があります。
そして、「C-5」で、DV被害について、『父には一度も話したことがない。母が生きているとき、何度か相談をした。近くに住んでいないために、いい争いのいきさつ、暴力のことなどを電話で相談した。「どうしたらいいのか? どうしようもないから、暴力はやめてもらえるように、Sの実家に話してほしい」ともいったことがある。母は私の電話にいつも迷惑そうだった。相談しても、「結婚したら、旦那に従うのが当然だ。がまんするしかない」との応えしか返ってこなかった。母は、一度だけSの母親に電話をしたが、義母は「うちの息子はそんな子じゃない。殴られるまで怒らせるFさんが悪いんだ。うちの息子の仕事は、危険な仕事だから、怒らせたりして気分を悪くして仕事に行かせないでほしい」と応じた。そして母は、私に「がまんして、夫のいうことをきくように」といった。母は、自分自身の問題(父との離婚問題)と、父以外の男性のことで頭がいっぱいだった。これ以降は、電話をして相談しても迷惑そうで、母の近くに男性がいるときは、特に迷惑そうだった。』と書き込んでいます。
そのFの母親が「母も度々浮気をした」というのは、母親がFに「がまんして、夫のいうことをきくように」といったように、夫の暴力は仕方がないことと諦めているものの、一方で、「誰かに苦しいツラいといった思いを聞いて欲しい」、「誰かに必要とされたい」との強い思いに起因してのふるまいと考えるのが妥当です。
なぜなら、父親への思い残し症候群が援助交際のモチベーションになるのと同じで、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、底なし沼のような寂しさを埋めるためのふるまいだからです。
アタッチメントの獲得ができず渇望感、寂しさが強ければ強いほど、再び、暴力を受けることになったツラい現実から一時でも忘れたい、逃れたい(回避)思いがモチベーションになり、職場や習いごと、飲み屋で知り合った男性や出会い系サイト(コミュニティサイト)で出会った男性に夢中になったりします。
そこに待ち受けているのは、同じように暴力で支配しようとしたりする男性か、40-50歳代の女性たちをオトして楽しむ(餌食にする)連中であったりします。
餌食にするとは、デリバリーヘルスなど風俗のスカウトにコミュニティサイトが利用されているからです。
同様に、中学1年生-高校2年生の夏休みに多くなる家出をした子どもたちもターゲットに誘い込みといった、性風俗(性的搾取)のリクルートに利用されているわけです*-91。
そこには、レイプ被害だけでなく、画像や映像を撮られるというリスク、性病を罹患するリスク、妊娠するリスク、金銭を要求されるリスク、性風俗で働くことを強要されるリスク、覚醒剤など薬物を使われるリスクなど、多くリスクが待っています。
性風俗などのスカウティング・リクーティングは、新興宗教やカルトの勧誘システムと同じ手口で、アタッチメント獲得に問題を抱える“地に足のついていないふわふわした危うさ”を見せる女性たちをターゲットにし、落とします。
また、夫のDVから逃れ、お酒をだす店で働きはじめ、接客した男性に親身になって身の上話を聴いてもらううちに、「結婚しようか?」となげかけられ、その話を信じて(真に受けて)関係を持ち、一緒に暮らしはじめた途端に、再び暴力被害を受けることになってしまうのも同じです。
身の上話にただ耳を傾け、優しいことばをなげかけて懐の大きいところを見せ、大きな夢を語り、そして、「その夢は君といっしょにかなえたい」、「君の嫌な、ツラい思い出は僕が消してあげる(引き受ける)から」、「君を幸せにしたい」と甘いことばで囁いてオトしたあとは、「結婚したいんだけど、実は困ったことがあって、…」となげかけ、ちょっとひいたりすると、一瞬恐怖を与えたり、泣き尽して罪悪感を刺激したりして、意のままにコントロールするのが、結婚詐欺のパターンです。
カルトや新興宗教の勧誘、詐欺商法、そして、DV加害者は、ただ耳を傾けることで収集した身の上話の中から弱みや泣きどころを把握し、徹底的に突いて、逃れられなくしていくわけです。
デートDV被害から結婚に至るケースも、似通ったパターンでオトされていることが少なくないのです*-92。
*-91 「中学校1年生-高校2年生の夏休みに多くなる家出」によるリスクについては、「Ⅱ-17-(4)回避的な意味を持つ「非行」」において詳しく説明し、また、性風俗のスカウティング・リクルーティングは「Ⅰ-8-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」で、説明しています。
*-92 「Ⅰ-8-(6)結婚詐欺師の言動・行動特性」、「同-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」で詳しく説明しています。
加えて、Fの母親は、「電話をして相談しても迷惑そうで、近くに男性がいるときは、特に迷惑そうだった。」と書いていますから、アタッチメントを損なっていることを起因とする一人称で考える人で、自分のことだけが大切であることがわかります。


(暴力のある家庭環境で育ったことを起因とする精神的脆弱さ)
また、「C-5」で、4姉妹の関係性について、Fは『姉妹の中でも、長女は特別だったかも知れない。父も母も甘やかしていた。私たち姉妹は、よく喧嘩をしていた。長女対次女・私・妹という組み合わせで喧嘩をした。よく思いだせないが、私は長女に押されて、頭をストーブの角にぶつけ、血が出た記憶がある。わがままで、暴力的な長女のことを、私は幼いことから大嫌いだった。また母が、姉ばかりひいきしていると感じていた。大人になってから、父親が「N子(長女)は、小さいころから腫れ物にさわるように接してきたな」といっていた。その姉(長女)は、子どもを産んでから精神状態が悪くなり、自殺未遂をし、うつ病と診断された。浮気もし、(妹の)夫のことを馬鹿にしていた。その後、離婚し、いまどうしているのかは知らない。「離婚後、万引きを繰り返し、捕まり、刑務所に2年入っていた」と妹から聞かされた。次女は一人浮いていたように思う。子どものときのことも思いだせない。中学のときに、母親の浮気相手と関係してしまい、妊娠、中絶をしていたことは覚えている。次女は家が大嫌いで、家族が嫌いで、距離があった。私は、長女とは5歳、次女とは3歳くらい、妹とは2歳離れているが、長女と次女との仲はよくなく、妹と遊ぶことが多かった。次女は結婚し、子どもが一人いる。私は、もう16年くらいつき合いはないので、いまはどうしているのかわからない。私は、2人の姉からは嫌われていると感じてきたので、距離ができたのだと思う。妹は小さいころ、悪夢をみていたのか?必ず寝ぼけて、家を飛びだして行った。それをみんなで追いかけていたが、そのことを妹は覚えていない。妹は、結婚しているが、子どもはいない。私は、母にわがままをいうことが多かった。長女ばかり贔屓していると思っていた。子どものころはどうだったか覚えていないが、いま思うと、親戚とかによく見られたかったのだと思う。私は自分の家が貧乏で、それが嫌だったのか? なにが嫌だったのか? 夜寝るときに、夢をみるようにしていた。「本当は、自分はこんな家じゃなくて、どこかからもらわれてきた子で、本当の親が迎えにくる」というような夢。幸せな夢をみるようにしていた。子どものころ、私は姉妹に、「告げ口女」と呼ばれていた。すぐに親に告げ口をして、姉に嫌われていたような気がする。姉妹に共通しているのは、父親に似たような男性と一緒になってしまっているということだ。私たちは、あんな父親みたいなのは・・とか、あんな家のような暮らしは・・とか思っていたのに、似たような暮らしをしている。甥や姪は、小さいころにしかあったことがなく、わからない。』と書き込んでいます。
三女のFが「長女は特別だったかも知れない。父も母も甘やかしていた」と感じていたわけですが、長女は、暴力のある環境で長女が担う役割としての愚痴聞き役、仲介役、世話役をしてきた状況が読みとることができます。
つまり、長女は、必死に親にとって都合のいい従順な子どもを演じてきたわけですが、三女のFには、そう見えていないわけです。
長女の家庭内における親にとって都合のいい従順な子の役割は、いうまでもなく、妹たちの親代わりをするということです。
小さなもうひとりの親として妹たちの世話をすることです。と同時に、長女にとって、幼い妹たちは、無邪気な子どもであることを許されない、抑圧され続けるストレスを発散するターゲットであったわけです。
この構図は、夫から暴力を受け続けるDV被害者である妻が、幼い子どもにそのストレスを向けてしまい虐待を繰り返したり、思い通りにするために詮索干渉し、束縛していったりするのと同じです。
それは、妹たちを詮索干渉することになり、からかいひやかし、罵倒し、手をあげて泣かすふるまいに通じるわけです。
したがって、次女ひとりで被っていた被害に対抗するために、三女、四女と連合で挑んでいくことになったことが、「長女対次女・私・妹という組み合わせでケンカをした」という構図ということになります。
その長女は、『子どもを産んでから精神状態が悪くなり、自殺未遂をし、うつ病と診断された。浮気もし、(妹の)夫のことを馬鹿にしていた。その後、離婚し、いまどうしているのかは知らない。「離婚後、万引きを繰り返し、捕まり、刑務所に2年入っていた」と妹から聞いた』と書かれています。
暴力で抑圧され、親に都合のいい従順な子を必死に演じ切り、“わたし”を生きられなかったことが自殺未遂といった方法で表れたわけです。
うつ病は、幼児期の虐待体験が影響している病気のひとつです。
それだけ、禁止と否定(拒絶)のことばを浴びせられていることを示しています。
また、「離婚後に万引きを繰り返した」については、“私のことを見て”と気を惹くためのおこないです。
そして、女性受刑者の約8割が窃盗(万引き)と覚せい剤取締法違反で締められています。
刑期を終え更生施設で社会復帰を目指す人には、虐待を受け保護され児童養護施設で生活している児童と同様に、根気がない、協調性に欠ける、学力が低いという傾向がみられます。
その原因のひとつが、「プロローグ-4.差別と女性の貧困、そして、児童虐待とDV」でとりあげている家庭環境のように、暴力のある家庭環境で、情操が育つ文化的な教育を受ける機会が少なく親からの愛情を十分に受けることができないという“育ってきた環境にハンディ”があるということであり、もうひとつが、特に覚醒剤に手を染めることになったのは、交際相手や婚姻関係にある男性による影響です。
親からの暴力(虐待)被害は、男性よりも女性の方がダメージを受けやすく、精神的に脆弱さが依存を高めていく要因になっています。

(暴力から逃れるあと、「共依存」へのアプローチ)
Fのように、離婚後も元夫の暴力から離れられず、共依存的な関係に陥っているケースも依存に含まれます。
DV被害者がなぜ別れられないのかが説明されるとき、「共依存」ということばが使われることがありますが、暴力被害の状況を正確に把握するうえでは、暴力のある家庭環境で育ってきたことによるトラウマ反応としての“共依存”の傾向が認められるとしても、共依存にフォーカスするのではなく、相反する受容と拒絶の行動パターンにより思考混乱をおこされ、“マインドコントロール(洗脳)下におかれてしまう”ことにフォーカスすることが重要と考えています。
つまり、DV被害を認識し、DVから逃れるうえでは、共依存だから逃れられないと捉えるのではなく、暴力の恐怖によるマインドコントロール下におかれていたと捉えることが必要なのです。
その一方で、DV被害から逃れたあとのケアにおいては、暴力のある家庭環境で育ってきているかどうか、その程度はどのようなものなのかなどのファクターがとても重要になります。
つまり、どのような親に育てられてきたのか、学び身につけてしまっている認知の歪み(考え方の癖としての思考・行動パターン)の程度はどうなのかなどの情報にもとづいて、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)、被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)に対してアプローチを試みるときに、はじめて「共依存性」を問うことが必要になると考えています。
この事例117(分析研究12)のケースでは、成育歴や3姉妹の関係性、さらに、離婚後も元夫との関係性を断ち切ることができていない状況の中で、暴力で傷ついたケアを考えるうえでは、ACを抱えるFには、共依存の傾向があるとしての対応が必要となります。
つまり、「婚姻破綻の原因はDVである」として離婚を求めるうえで、DV被害を立証するために“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を正確に把握する段階では、マインドコントロール下にあったと認識し、その後、暴力で傷ついた心のケア、そして、暴力のある環境に順応するために身につけてしまった考え方の癖(認知の歪み)に対してアプローチする段階では、DVによるマインドコントロールを解くことと、暴力のある家庭環境で育ちアタッチメントを損なっていることに対するアプローチ、つまり、長い年月をかけて学び直しをしていくことになります。
しかし、その道のりは、薬物やアルコール依存者と同様に過酷で、決して生易しいものではありません。
(薬物)依存は、普通であれば誘われても断るところを男性に依存してしまう弱さ、相手に去られて孤独になってしまうことへの不安や恐怖が根底にあります。
そこをのり超えられない力の弱さは、やはり育ってきた家庭でアタッチメントが損なわれていることが原因となっています。
Fの心のあり方を示すものが、Fが、Sとの同居後におこした事件です。
Fは、ワークシートに『私は寂しくて、大酒を飲んで、心配をかけてやろうと思い、腕に針で傷をつけた。救急車で運ばれ、急性アルコール中毒で入院し、医師に「心療内科に行くように」といわれた。』と書き込んでいます。
この自傷行為は、気を惹くための試しと意味で重要です。
自傷行為をしてまで心の渇きを満たそうとするFの心は、1年2ヶ月もの調停を経て、離婚が成立した直後に「Sの泣く姿、Sのことばが頭に焼きついて、離れない。本当は優しい人だったのではないか? 私が悪かったのか? 離婚までして、もうとり返しのつかない間違いをして、幸せまで壊して・・と、わからなくなる。」と自分の心にさえ疑心暗鬼になっていく要因になっています。
それは、Fがひどい暴力を受けて育ち、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、底なし沼のような強烈な寂しさを抱えていることを示しています。

(加害者の生い立ちに共感)
次に、「A-9」で、Sの成育歴について、Fは『私は平成4年、夫の親に会う前に「父親と母親は毎日のように喧嘩をしていた」、「父親がよく物を投げたり、壊したりしていた」と、夫から聞かされていた。そして、夫は「親が喧嘩をしているから」といい、よく義母に呼びだされて実家に行っていた。そういったとき、夫の姉2人と弟、子ども全員が実家に集まっていた。私は、大人になってまで、親の喧嘩に、なぜ子どもたちが集合までしなければならないのかが不思議だった。「どうして行くのか」と訊く前に、「義父が暴れている。喧嘩をしている」という電話をかけてくる義母、「どうするか?」という話を電話でし合っている姉弟。その後、必ずでかけて行くので、あえて聞かなかった。それに、私が夫の実家に対してなにかいえば、また夫は「お前は俺の親のことを悪くいった」などと怒鳴り声をあげられるので、黙っていた。夫は、「子どものころ、母親からはたきの棒で叩かれた」といっていた。夫は「幼稚園の頃のお弁当は、おかずがまったくない、でっかい白いおにぎりだけだったから、友だちのおかずを取って食べていた」、「小さいころからそのへんの奴(近所の子ども)と喧嘩ばっかりしていた。勝たなきゃいけないと思って生きてきた」、「俺んちは貧乏だったから、いまでもはっきり覚えてて、忘れられないけど、体操服の上の服の首のところが、すごく開いたやつを着せられてた」、「小学校、中学校は、喧嘩も強く、勉強もスポーツもできて、女にももてていた」、「中学校では、有名(喧嘩などで)で、学校も荒れてて、TVにもでたことがある。お袋もよく学校に呼びだされてたよ。制服のズボンをかっこよくしてたのに、お袋が怒ってビリビリに切ってたよ」といっていた。私が「お母さんにズボンを切られたりして怒らなかったの?」と訊くと、「怒らなかった」と応えた。中学のときからか、卒業してからなのか、はっきり覚えていないが、夫は「暴走族で総長をしていた」と自慢していた。とにかく、小さいころから喧嘩の話が多く、強くてなんでもできる自分のように話していた。私と一緒になってからも、夫は、自分の自慢話をよくしていた。自分以外の人は(自分に近い人以外)、「一般人・貧乏人」といい、見下していた。もちろん、私や私の両親、姉妹は、この「一般人・貧乏人」だった。夫は、なにか自分を特別に思っている。また、夫が義母に叩かれたりしたのは、小さいころからあったらしい。「なにか自分が悪いことをすると、罰として叩かれた」といっていた。義母は夫のことを、「反抗期はなかった」といい、「Yは、小さいころから手のかからないおとなしい子(いい子)だった」と話した。その夫は、30歳過ぎまで熱をだすと、「必ず耳元でお袋の怒鳴り声と、なぜか夏みかんが見えるんだ」と話していた。夫は「俺が風邪をひいて熱をだしたときに、お前は俺を部屋に閉じ込めた。子どもにうつるから、ここからでてくるなっていった」、「俺は家に帰るのが嫌だった。あーー、また今日もお前の機嫌が悪いのか?と思うと、帰りたくなかった。なんでかっていうと、俺は子どものころに親が毎日のように喧嘩してて、嫌な思いしたから、だから嫌なんだよ」、「お前の顔色をみて生活するのが嫌なんだよ」というようになった。後々になって、これは子どものときの気持ちと混ざっているのではないかと思った。夫の家は、「両親が喧嘩をして、嫌な思いをしていた。」というところが私の家と似ているような感じがした』と書き込んでいます。
Sの母親が話した「手のかからないおとなしい子どもだった」は、DV家庭で子どもを育ててきた母親が口を揃えたように語ることばです。
子どもは、暴力から身を守る(暴力を招きよせない)ためにおとなしく過ごし、親の手を煩わせないようにするしかなかったわけです。
しかし、母親は自身が暴力被害を受けていますから、そうしてくれる子どもがいると助かります。
また、夫の帰宅を意識し、夫の暴力をどう防ぐかで頭がいっぱい、気もそそろ、ぼぉーと他のことを考えながら子どもと過ごしています(解離している状態です)。そのため、子どものことを見ていない(視界に入っていない)ので、覚えていないのです。
その結果、手がかからなかった子どもだった、おとなしい子どもだったと錯覚した(書き換えられた)記憶が残ることになります。
Fは、自分の生い立ちと境遇にSの生い立ちと境遇を重ね合わせて“共感”しています。
この共感と、暴力のある環境で育ちアタッチメントを損なっていると、カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、底なし沼のような寂しさを“埋める”共通の目的を見つけたとき、ものごとを判断するときのプライオリティ(優先順位)が代わっていきます。
暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっているので、自己と他者の境界線があいまいであることから、「わたし=S」と一体化させてしまいます。

(被害者の空虚感、渇望感を埋める加害者の夢と財)
一方で、渇望感や寂しさを埋め、手放すことができなくなる(執着する)のが、「財」です。
つまり、会社(仕事)、家、金、そして、家系としての家(ここに跡取りとしての子どもが入ります)で、渇望感や寂しさ“埋めてしまう”と、暴力にさらされている“わたし”を守る(大切にする)ことよりも優先させてしまうのです。
渇望感や寂しさが深ければ深いほど、埋めようとする思い(執着する気持ち)も大きくなります。
別のいい方をすると、ひどい暴力を受けてきているほど、満たされてこなかった思い(愛情・愛着)を埋めようと躍起になり、同時に、手放そうとはせず、執着します。
また、自分が抜けたあとに、他の女性が入ることが許せないと執着する場合もあります。
この事例117(分析研究12)のケースは、Sが自営業者であることが、Fがなかなか別れることができなかった大きな要因のひとつになっています。
それは、有限会社、株式会社と会社も大きくすることができたのは、私がSを支えてきたからの“自負心”があるからです。
「わたし=夫」という一体感(共通認識、共通目的)のもとで、夫を支えて会社をいっしょに大きくしてきた(成長させてきた)思いは、子どものころから受けてきた同じ暴力よりも、渇望感や寂しさを満足させるに値するものです。
それは、自分がここにいるという存在感を確認できるもの、つまり、これまでの結婚生活で得てきた承認欲求そのものなのです。
そのため、自営業を営む家庭におけるDV事案では、暴力に耐えられないと思いながら、離婚したらその会社も失うとの思いが頭をもたげる(執着する)ことになり、別れる決断ができないままに子どもが成長し、独立し、子ども(孫)ができるという状況が少なくありません。
また、一人息子が成人し、会社の跡取りと成長していた55歳の被害女性のケースでは、夫のDVに耐える一方で、「会社を大きくしてきたのは内助の功があってこそ」との強い自負がありました。
離婚によって、唯一、自己の存在価値を感じられる会社を失う(会社に関わることができなくなる)ことを受け入れられず、離婚を決断することができませんでした。
この被害者は、ひどく罵られると実家に逃げ帰る一方で、ゲームサイトで知り合った一回り歳の離れた男性を会い優しく甘いひとときを過ごすことに心の拠り所を求めていきました(回避行動)。
「財」をつくりあげてきたプロセスと自身の生きてきた歩みを重ね合わせ、暴力から逃れることによって、「財」という仮面の裏に隠れた自己の存在価値を捨て去ることはできないとの想いに囚われてしまうのです。
そして、現状のツラく苦しい生活を維持するにはあまりにもやるせないことから、DV被害者の中には、この被害者やFの母親のように、ツラく耐え難い日々を忘れさせてくれる優しく甘いひとときを与えてくれる男性に逃げ込むでしまうことは、決して珍しいことではありません。
F本人は無自覚ですが、多くの自営業を営む夫からDV被害を受ける被害者がそうであるように、Fは、Sが営む会社を一緒に切り盛りする、支えることに自身の存在価値をみいだしていたと考えられます。
なぜなら、Fは、無理難題を押しつけられたと“どうして私が”という思いを抱きながらも、できなかったワープロやパソコンを覚え、工事の写真整理ができるようになり、経理など事務仕事をすべておこなうようになっているからです。
それは、FがSに認めてもらうために健気に期待に応え、「私がいないと困る」という絶対的な役割を見つけ、その状況をつくりあげてきたことを意味しています。
「19年11ヶ月生活をともにしたあと離婚することになっているので、別れる決断をできている」わけではありません。
確かに、法律上は離婚することになりましたが、Sだけでなく、Fも“心の(精神的な)つながり”を断ち切ることができていないのです。
精神的なつながりが残り火のように燻り続けている限り、地に足がついていないふわふわした危うい状態(心の隙)は、巧みなことば、あるいはストレートな行動によって突かれやすいのです。
この関係性が、DV事件を複雑にし、解決が難しい要因になっています。


** ①-a)DV・デートDV・性被害に関する相談、-b)家庭裁判所への「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停の申立て、地方裁判所への保護命令の申立て、警察への被害届の提出に向けての支援依頼、②DV被害の状況をまとめるためのWord文書フォーマット(DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート;「Ⅲ-3.暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ)添付資料:ワークシート」の中の「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」)の送付依頼、③カテゴリー〔Ⅲ1-9〕掲載『暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(3部5章42節)*』のPDFファイル送付依頼については、カテゴリー〔Ⅰ-I〕の中の「<DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。http://629143marine.blog118.fc2.com/blog-entry-501.html」をご確認いただければと思います。


2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/16 「第1章(プロローグ(1-4)・Ⅰ(5-7)」の「改訂2版」を差し替え掲載




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