あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅱ]DV被害者支援、1年間の記録。ドキュメントDV。恐怖で家に縛られ、卑下‥

3.加害者の性格特性..自分だけが大切、自己愛の塊。自分が勝つこと、有利になることしか考えない

 
 ストレス簡易調査票(A)(B*) 2.心が壊れた被虐待者が加害者になる! 歪んだ感情が妻子を支配する
(1) 思い込みによるこだわり
 加害者Dは自分の勝ちか負けか、敵か味方かをいつも考えている。勝つことに強迫的にこだわり、自分の周りの人には、敵か味方のどちらかしかいないという二元論的な極端な考え方をする。対人関係を力関係でしか捉えることしかできない。その相手との力関係によって態度を変える。
 味方にしておきたい人が、自分より上か同等に力を持つと思っている場合、親密さを相手にも周りにもアピールする。しかし、相手が下だと思うと抑圧し、いいように使う。それは、家族に対しても例外はない。
 味方といっても対等という捉え方ではなく、なんらかの形で自分にとって役に立つ人間だと思っている間は、敵に回さないように気を使いながら接するにすぎない。しかし、ほんの僅かな批判や拒絶、裏切られた感を感じると、瞬時に自分に対する反抗や敵意に表れだと受取るのである。はっきりと完全な味方にならない限り、敵というレッテルを貼り、何としてでも抑圧し・排除しようとする。
 敵とみなした人が自分より立場が下だと簡単に抑圧し、同じくらいの力を持っているときには相手を引きずり降ろしてから抑圧する。妻や子どもであっても、つねに自分が勝っていると思い込ませていなければならないので、支配のための暴力(DVや虐待、いじめ、体罰、パワハラ・セクハラなど)といった上下関係の構図をとることでしか自分を守れないと思っている。
 さらに、自分は自分に相応しいだけの正当な評価を十分には受取っていないと思っているために、勝つことへのこだわりは、いっそう強迫的なものになる。


(2) ことばで翻弄する
 家族であっても敵とみなすと、最初のうちは直接なにかをいうことはほとんどない。会話を避け、無視をするのである。
 家族がなにかを訊いたとしても、会話は成立しない。しかし、何も話さないわけではなく、話すのが苦手なわけでもない。それどころか、むしろ論争が好きと思わせるほどの雰囲気を持って、ことばを大げさなほどに駆使し、自分のことばに酔いしれる。そのことばにはなんら意味を持つものではないので、数時間後にはまったく覚えておらず、まったく別のことを平然といってのける。
 ことばは、相手を操り、洗脳する道具でしかない。つまり、自分の利益や快楽のために嘘をつくことはいとわず、人を騙すために用いるものである。
 前夜、怒鳴り散らしても妻(被害者R)が折れそうもないと察知すると、状況打開のため、優しいことばを投げかける。その優しいことばが報われないとわかると、「優しくしてやればいい気になりやがって」と怒りのスイッチが入る。妻(被害者R)や子どもに対し、「俺(パパ)は凄いんだ! 特別なんだ!」と、何度も何度もいい聞かせ続ける。その投げかけに直ちに応えないと、機嫌が悪くなり、怒鳴り、叩くのがわかっているから、子どもたちは「パパ(あなた)凄ぉ~い」と媚を売る。人はいやいやながらであっても、「凄い」、「凄い」と口にだしたことばは、しっかりと自分の心に入り込み、記憶として定着してしまう。
 そうさせることで、そう思い込ませることができる(洗脳・マインドコントロールできる)ことを、被虐待者である加害者Dは実体験からわかっている。
 DV加害者の話は一方的で、自己完結的ある。つまり、そのことばは相手とのコミュニケーションのためのものではないということである。興奮していたり、気に入らないことが起きたりすると、相手に話をさせる隙を与えずに、まくし立てるように相手を攻撃する。しかも、同じことを繰り返し話すことで、いってもムダと戦意を失わせる。一晩中責め続けても、快感ホルモンのドーパミンが溢れだしているので、疲れ知らずである。
 相手を貶め、卑下し、侮蔑するための武器としてことばを操るのである。
 その一方で、予期しない正論をいわれたり、応えられないことを指摘されたりするとことばに詰まり、黙り込み、ひとり部屋にこもる。その黙り込みは、どうしたらいいのかわからない戸惑い、報われない怒り、恥をかかされたと怒りに満ちている。


(3) 口達者で、嘘をついても悪びれない。子どもを金品で操る
 口が達者である。そのため、最初のうちは、周りの人よりも魅力的でおもしろい人にみえる。気さくで、新鮮、楽しいといった印象を与える。そして、ちょっと“複雑”と思わせるちょっとした危うさが、他の人とは違うと女性には魅力的にうつる。たとえ、病的に嘘をつき、人をだまし、手玉をとろうとしてもである。
 そのオーバー気味な自尊心は、最初は相手を畏れ入らせる。しかし、よく知るにつれて、人はうさんくささを感じていく。次第に失笑し、離れていく。つなぎとめるためには、金品を与えて気を惹くしかない。だから、大判ふるまいをするのである。この辺りから、友人や家族から「あの人、ちょっとおかしいんじゃない。変だよ」と助言されはじめ、やがて、「あの人とはつき合わない方がいいよ」、「あの人は止めときなさい」と忠告を受けることになる。しかし、哀しいかな反対されると、かえって、「この人のよさは私にしかわからない」、「この人の抱える苦しみや寂しさは私が支えてあげる」と依怙地になるのが恋愛である。
 親から金品をあてがわれることでしか愛情を受けてこなかった加害者Dは、金品でしか愛情を示すことができない。
 母親の手づくりの菓子や服は、「鬱陶しくて、イヤでイヤでしょうがなかった」とはき捨てる。夫からの愛を受けられない、暴力を受け続ける母親からの過干渉、着せ替え人形的な押しつけでしかないと幼心にわかっていたのであろう。弟が産まれたとき、1歳児の自分を他所に預けた母親なのである。子どもを父親からの暴力から守ろうとせず、DV・支配のための暴力を受け続ける中でキッチンドランカーになっていった母親なのである。母親は、とるに足らない女でしかないのである。
 被虐待者の歪んだ感情は、いつしか形の見えるもの、手で握れるものの金品しか信じられなくなっていく。形の見えない人の気持ち、心などわからない、信じられない。
 金品は加害者Dにとって、人の気持ちをつなぎとめておける唯一のモノである。
 次女A出産のさい、手伝いにきていた被害者Rの母親にお金を渡そうとした。「Dさんの気持ちだけ受取ります」といい帰路についた母親に対し、「なんだかんだいっても、しょせん人は金だろう」といい捨てた。
 加害者Dは、人の誠実さや信頼を不当に疑い、悪意のないことばやできごとの中に、自分をけなす、脅す意味が隠されているに違いないと疑う。
 被害者Rの「手伝いでいいのに、「バイト代な!」といって、子どもたちにお金を渡すのをやめてくれない」との訴えに、「それはできない」と加害者Dは応える。通常の親子のコミュニケーションにおいても、金品を用いない有効な関係を築くことはできない。子どもとのやり取りは、「~を買ってやるから」、「いくらやるから」、「(家の手伝いをさせると)ほら、アルバイト代な」と、なにごともモノで取り引きをする。金品で黙らせ、子どもの気持ちを買おうとさえする。
 そうした中、長女Yは、食後の茶碗をいやいやバシャバシャ洗いながら、「やっても感謝されない」といい、学習ドリルをやっていると、「やってもお金をもらえない」と口にした。
 長女Yにとって、母親の手伝いは、父親と違いお金がもらえない。無理強いされ、やらされるかったるいことでしかない。なぜなら、家事は主人の命により、下のものが、召使いがするものと母親の姿を見て、すり込み、学習をしてきたのである。褒美のない、本来、下僕がする手伝いをやらされることは、自分が母親より下だと思い知らされることなのである。9歳の児童であっても、母親とより下とみなされることなど許せるものではない。
 長女Yが、父親の机に置きっぱなしにしていたアダルトDVDを見つけた。しかも、家族、子どもたちを録画したCD-ROMに混ざって置かれていた。被害者Rが直ぐに隠したが、その無頓着なところが許せない。
 加害者Dが帰宅し、自分のDVDがないことに気づくと、「なんでも盗むな! 返せよ」と怒鳴りつけてきた。
 翌日、寺からの帰路の車中、「私は運転しているんだから、ウクレレばかり弾いていないで、少し協力してくれてもいいじゃない」というと、「誰に口をきいているんだ」と声を荒げる。負けずに、「あなたは俺に従えというけど、夫婦で上下とか、指導者とかそういうのはないと思う。長女Yと次女Aは、男の人に従うものと、自分の意見、考えをいえなくなるだろうし、長男Tはあなたと同じように女性を暴力で従わせるようなると思う」と考えを口にすると、「俺はそうは思わない、誰がそういってるんだ!」と怒鳴りつけた。そして、玄関に入るや否や子どもたちの前で、「でて行け!」と大声で怒鳴り散らした。
 長女Yは、荒れまくっている父親のご機嫌をとろうと、「パパァ~」と話しかけ擦り寄っていった。長女Yの出番、親にとって都合のいい従順ないい子の真骨頂のときである。父親と母親の潤滑油としての役割、仲介役をし、世話役を演じなければならないDV・支配のための暴力のある家庭環境で暮らす長女の哀しい性(さが)である。
 その翌日、加害者Dは、「(H市のトイザラスに)いかない」という長女Yに対し、外から電話をかけ、「行くといっていただろうがよ!」と恫喝し、無理やり、連れだした。しかし、H市のトイザラスには行かず、渋谷の洒落たカフェに連れて行き、従順ないい子にご褒美を与える。


(4) 責任をすべて押しつけ、お前はダメだと思い込ませる
 DV加害者は、起きたことの責任をすべて妻や子どもの、家族の、上司や同僚、取引先といった周りの誰かのせいにし、他人の欠点を暴きたてる。なぜなら、そうすることによって、自分は罪悪感を抱かなくてすむからである。
 現実を否定し、周りの人の苦しみはもちろん、自分の中にある苦しみさえも認めようとしない。内面の葛藤や取るべき責任に対して対抗することができず、自分を省みることをしようとしない。だから、自分のちょっとした欠点にさえ気づくことはない。それは、自分の身を守るためであり、親からの暴力で傷ついた心の安定には必要不可欠なのである。
 DV加害者は、自分の嘘、つくり話で人をだましても、いかなる問題に対しても責任を感じない。責任はすべて、身近な第三者(親.妻・子ども・同僚・同級生)に擦りつける。その擦るつけのやり方は、実に巧妙で卑怯極まりない。
 買い物の帰り、被害者Rが両手に荷物を抱えタクシーと止めることができないでいると、「ママはどうして止めなかったんだろうね?!」と子どもを介して、侮蔑のことばを投げつける。乳母車を引いている加害者Dが、手をあげてタクシーを止めればすむことだったが、わざわざ「ママ(お前は)は役たたず! パパ(俺が)がいないと何もできない」との卑下したメッセージを子どもと妻(被害者R)にわざわざ伝える。
 寺の使いにでている間に、男児が頭を縫うケガをした。「ちゃんと見ておけ!」といっただろ」と長女Yを強い口調で何度も責める。すると、(当時)9歳の長女Yが「かかった治療費を私がだす」と口にする。
 加害者Dは「お前らは痛い目にあわないと、同じコトを繰り返す」と、懲らしめとして治療費を払おうとはしない。懲らしめの罰を与えることで、妻子に「自分が悪かった」、「自分が判断を謝ったから失敗した」と罪の意識、責任を感じさせ、心に刻みつけさせるのである。加害者Dの“罰”は、逆らえないように金を奪う(取りあげる)ことである。
 長女Yが小学3年生の時、進研ゼミを途中で止めた。
 加害者Dは、一括前払いでその費用を支払っていたが、「止めた以降の受講料分を返せ」と長女Yから徴収したのである。他の人がいると、結婚前のように、見栄を張り、大盤振る舞いするが、家族との外食では、「金を払っているから残すな!」、「俺が金をだしたんだ!ありがたく思え」、「今日の寿司はいくらかかったと思うんだ」と、恩にきせる。
 有田焼の食器が欠けた。すると、「お前は金をだしていないから、モノを大切にしない! 痛みがわからない」と怒鳴りつける。洗濯機が壊れると、「お前が使って壊れたのだから、お前が払え」となる。年明けの引越し(平成22年1月)、新しい洗濯機代を九州の実家が払ってくれるとなると、「他のモノも買って、その分も払ってもらおう」と悪びれない。
 加害者Dには、家庭用品、日用品であっても、「俺が金をだした。お前らに使わしてやっている。ありがたく思え」という意識しかない。
 知人の結婚式でのウクレレ演奏の依頼で、ギター演奏者への謝礼額で揉めた。その相手から電話がかかってきても、加害者Dは電話にはでない。被害者Rにトラブルの応対を押しつける。側で聞き耳を立てていた加害者Dは、電話を切った被害者Rに、「なに相手の話(いい分)を聞いているんだ! そんなの聞かずに切ればいいんだ!」と怒鳴りつける。
 寺敷地内のアパート住民とのトラブルが発生すると、「お前が住民と仲よくするからこうなるんだ!」となじり、責任を押しつけ、不動産会社から駆けつけた社員の前で槍玉にあげる。自分の妻が、他人の前で泣き崩れても、自分たち(加害者Dと住職O氏)が悪くない、責任逃れができればいい。何も心が痛むことがないばかりか、「ちゃんと正式に謝罪させないといけない」、「自分が悪かったとわからせなければならない」と、家に帰ってからも責めは続く。
 当事者の加害者Dが応対すればいいことであるが、「お前はいわれたことを文句いわずにやればいいんだ!」ともめごとは御免と逃げる。自分のプライドが、自尊心が傷つくから、人に対して“正式に謝る(謝罪する)”ことなど許せることではない。


(5) 罪の意識、良心がない
 被害者Rは、加害者Dが出勤しているのかを確認するため、携帯電話に電話を入れた。すると、「敷地内のゴミ置き場にパソコンが不当投棄され、そのパソコンに振込詐欺のデータが残っていたから、いま警察がきている」と話したという。
 この説明には疑問点がある。a)「敷地内のごみ置き場にパソコンが不当投棄された」という行為とb)「その不当投棄されたパソコンになぜ振込詐欺のデータが残っていることを警察がわかった」ということが結びつかないのである。不当投棄されたゴミなら区が処分することである。そして、区が、処分したゴミのパソコンに振込詐欺のデータが残っているかどうか、調べたりしない。警察が不当投棄されたゴミの中から振込詐欺に使われたパソコンを探りあてることは至難の業である。
 寺敷地内にある店子のひとつの飲食店において、ヤクザが集い「振込み詐欺」行為を行っていることを、住職O氏も加害者もその行為を知りながら容認している。なぜなら、店に飲食の売上げがあがり、滞納気味の家賃回収ができるからである。しかも、「恩を売っておくと、なにかあったときに役立つだろう」と悪びれることなく、被害者Rに語っている。店にお金が落ち、それで家賃が回収できると、その“欲”にくらみ、ヤクザが目の前で振り込み詐欺を働き、そこに金を騙し取られる被害者がいることには罪悪感を抱いたりはしない。
 もし、「振り込み詐欺を敷地内の店子である飲食店で行っていたことを警察がつかみ、押さえにかかったら逃げていた。その同じ敷地内にあるゴミ置き場に残されていたパソコンを調べたら、振込み詐欺データが残されていた」ということであれば、警察は、飲食店の経営者や寺の住職、加害者Dに事情を訊くはずである。しかし、そうした事実は一切ない。
 加害者Dの説明に疑問を持つことを許されない被害者Rは、なぜ? どうして? おかしいという感覚をなくすことで生き延びてきたのである。
 加害者Dは、どんなに公序良俗に反することをしても、罪の意識や良心の呵責を感じることはない。人のために自制する気持ちは持ち合わせていない。他人を傷つけたり、いじめたり、からかったり、他人のものを盗んだりすることに無関心であり、むしろそれを頭がいいヤツが得をすると自慢し、行いそのものを正当化してしまう。妻や子どもたちに対しても計算づくで残虐な嘘をつく。反論する余地をもたせない暴力で、妻子の気持ちを平気で踏みじみることができる。加害者Dは、良心にはいっさい縛られず、罪の意識を、罪悪感を抱くことはない。妻、子どもといえども周りの人を打ち負かすほど、愉快なことはない。一方で、「自分はこんなに頑張っているのに哀れだ(報われない)」と“自身こそが被害者である”ことを平然と装っている。
 そして、感情は薄っぺらだ。口では「愛している」といいながら、その感情は底が浅く、長続きしない。ぞっとするほどの冷酷な仕打ちを平然とできる。懲らしめとして罰を与えた翌日、平然と「愛している」と囁く。それは、「愛している」と妻に囁いている自分に酔いしれる。しかも、「愛している」と囁き、セックスに持ち込み征服感を満足させる。
 夫婦再構築の話し合いのための手紙の文面に、「夫婦の危機だからこそ、いまセックスが必要なんだ」と書き、ただセックスをイメージした卑猥なことばを平然と書き綴る。そこには、真の愛情、感情などは微塵も感じられない。卑猥なことばを書き綴りながら性的興奮を味わっているに過ぎない。妻に価値があるとすれば、それは所有物としての価値でしかないと思っていることは明らかである。
 DV加害者たちは、揃って所有物を失うことを怖れる。見捨てられ不安(恐怖)を払拭するために、怒り狂ったかのように暴力に及ぶ。いたぶられ、傷めつけられる被害者のつらさ、苦しさを理解することはない。誰かが苦しんでいるのをみても同情することも、共感することもない。なぜなら、加害者自身の虐待経験から、苦しみや悲しみという感情を封じ、心が痛む感覚をなくしてしまったからである。その加害者に対し、被害者や子どもが暴力によって、どれほど苦しみ、傷ついてきたのか、たとえ窮状を訴えたとしても、決してわかることはない。逆に、必死に止めて欲しいと許しを請うのをみて、自分の影響力の大きさに酔いしれるだけである。
 DV加害者は、自分が持っていないもの、特に才能や地位、考えなどを持っている人や、幸せそうにしている人に対して羨望を抱き、それらのものを自分のものにしなければと思っている。しかし、努力しても同じものを手にいれようとはしない。相手に取り入ったり、相手を利用し、支配して奪い尽くそうとしたりとする。そして、もし相手が抵抗し、思い通りにならないと、加害者の心には憎しみがふつふつと煮えたぎる。その結果、「俺が天罰を下してやる!」と相手を貶め、破壊しようとする。相手の職場や住居にあることないことを中傷、誹謗したり、社会的な痛手を負わせたりする。
 逆に、いま苦しんでいる人、不幸な境遇にある人に対しては、自分より下の存在として自身が有利になれる、からかえる対象として興味、好奇心が誘発され、親身に話を聴こうとさえする。
 親身になって話を聞こうとするのは、その苦しみ、不幸な境遇を“おもしろがる”ためである。そして、後々貶めたり、脅したりする、足元をすくうネタを拾うためである。
 DV(デートDV)被害者の多くが、「交際初期、家庭や職場での悩みに耳を傾け、ずっと話を聴いてくれた」と話す。黙って耳を傾けて話を聴いてもらえることで、この人は私のことをわかってくれると思ってしまう。「私のことをわかってくれる」という思いは、その相手に親近感を抱き、信頼・信用できる人、頼りがいのある人と認識してしまう。しかし、その行いは、「人の悩みの多くは、その人の弱みに通じる」、「人の弱みを握れば、自分は有利になれる」との考えにもとづいている。敵か味方か、上か下か、支配するか従属されるか、奪うか奪われるかといった二元論的な考えは、暴力のある家庭環境で育ってしまったことによる典型的な認知であるが、同時に、アタッチメント獲得に問題を抱える被虐待者が、社会を、人とのかかわりは悪意に満ちていると認識しまったことに起因している。
 つまり、自分が有利に慣れる相手がどうかを見極めるためであると同時に、後々、過去の話を持ちだしネチネチといたぶったり、恥ずかしい思いをさせたりすることで貶め、脅し、自分の支配力を高めるためでしかない。DV加害者は、こうした人の心理を巧妙についてくるのである。
 被害者Rの友人の家庭に離婚問題が持ちあがった。友人の話を聞くのも鬱陶しがっていたのが、コロッと話に耳を傾けるようになった。そして、被害者Rの知らぬ間に友人の夫を趣味のウクレレ演奏に引き込み、ときに、家にあがり込む間柄になっていた。加害者Dが友人の夫の家にあがり込み、長居をされることを、友人は嫌がり、被害者Rに「やめてほしい」と訴えた。しかし、「Dは、私がいってもきかないから」と何度か応えるうちに、被害者Rとの仲に亀裂が入っていった。加害者Dにとっては、そんなことはお構いなし。苦々しく思っていた友人との間が裂かれることは、かえって好都合でしかない。
 加害者Dは、相手の懐に飛び込み、離婚問題から目を背けたい心につけ込むために趣味を共有し、相談にのっているいい人を演じながら、人の家の不幸を楽しむのである。


(6) 言動には、なんら一貫性はない
 DV加害者は情緒不安定で、自分に自信がなく、不安が強く、家族に対して攻撃的、そのときの気分や感情によって気に入らないことがその都度変化し、言動はコロコロ変わり、まったく一貫性がない。
 朝食時、長女Yの学習机を整理するのに、加害者Dは「もう一段ボックスを買いに出かける」と約束していた。にもかかわらず、加害者Dは夢中でネット調べをし、13時過ぎると下の子ども二人と絵を描きだした。朝食後、被害者Rが「私もでかける」と話した。そのことが気に入らず、出かける準備しなかったのである。そして、満を持したかのように、長女Yに対し「もういかないよと!(出かけるといった)ママに着いて行けよ!」といい放った。
 被害者Rが、「約束をしていたんじゃないの?」と訊くと、「あなたとは話をしていないし、Yともそんな話をしていない」と長女Yの前で平然としらを切る。被害者Rが「わかった、ひとりででかけるんだから、いいよ。一緒に行こう」と長女Yに声をかけると、今度は「Y行くな! なんかいわれるぞ」と横やりを入れる。そして、「ママのじゃまをするな! 誰かと会いたいんだから」と話はいつの間にかすり変わり、会話にならなくなる。相手にせず、「Yをつれて行くから、次女Aと長男Tをフラ(ダンス)に連れて行って、おとなしくしているから」というと、「俺が下を連れて行かなければならないなら、俺は家をでて行く。子どもの面倒をみる必要なんかないじゃないか! 俺は子どもたちを見ない! どうせ3人を(実家のあるY市)連れて行くんだろう!」と、子どもたちの前で怒鳴り散らす。いつものように、ただ妄想的な嫉妬に囚われた苛立ちをぶつけるだけ、支離滅裂な会話になっていった。
 DV加害者の思考パターンには定まったひとつのルールはない。家族は、日々予測がつかない言動、行動に翻弄され続ける。「そんなこといちいち訊くな! 相談するな!」と自主的に動けといったかと思うと、翌日には「勝手にするな! 俺の指示に従え」と怒鳴りつけるのである。「きちんと謝れ!」といった内容でさえ、いつの間にか、謝る対象が入れ替わってしまう。DV加害者が、いったん被害者を敵だとみなすと、なにをしてもしなくても、攻撃の対象になり、気に入らなかった過去のことを何度も蒸し返し、しかも、妄想的な嫉妬心が加わり、屈服するまで攻撃を繰り返す。
 DV加害者のことばに一定の傾向があるとすれば、そのバラバラに発せられることばのすべてが、自分が勝つため、有利にものごとを運ぶため、相手を翻弄するためのものである。従わせる、黙らせる、屈服させる、応じさせる、それしかない。ときに、感情を、苛立ちをただぶつけるだけで、口から発せられることばには何も意味を持たない。論理が、スジが通っているかどうかなどは、DV加害者にとって問題ではない。自分がいいたいことをただいう。妻や子どもは黙っていわれたことをきくものとしか思っていない。意のままのお人形でなければならない。だから、自分の意思、自分の考えを持ち、自分の意見をいったり、反論したりすることなど決して許せることではない。


(7) 怯えさせ、支配する
 DV加害者は、力のある者に対して迎合する反面、弱い者や敵とみなした者に対しては支配的、威圧的な態度を取る。自分に不幸な境遇を与えた親への復讐心と自分より幸福な生活を送っている他者への嫉妬心によって、「支配欲・所有欲」を高めるのである。
 家族に対しても、自分の優位さを安定させるため、家長、主人、指導者としての呼称に固執する。その呼称が持つ権力によって、被害者、子どもを怯えさせ、屈服させ、支配し、自分と同一化させようと暴力、虐待を続ける。そうしておけば、被害者、子どもから自分の考えを否定されたり、批判されたりして、自尊心を傷つけられることはないからである。それどころか、自分の意見に同意させていると満足し、有能感をくすぐられ、快感に浸ることもできる。
 また、怒鳴り声をあげ、時に殴り、恫喝し凄むことで、怯えさせ、屈服させ、支配しておけば被害者、子どもたちは逃げない。ストレス解消のためのうっぷん晴らしの対象を確保しておくためにも、あらゆる暴力を駆使し怯えさせ、屈服させることの快感を味わい続けるためにも、家族を支配しておく必要があるのである。
 多くのDV加害者が、妻(交際相手)の妊娠、出産時に暴力がひどくなるのは、妻(交際相手)の気持ちが自分よりも子どもに向かうのが許せないからである。暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント獲得に問題を抱えるDV加害者は、「子どもの世話よりも、俺の身の回りのことをすることを何よりも優先させる」のである。それは、乳幼児期の“やり直し”としてのアタッチメントの対象の母親に対し求める「無償の愛」である。交際相手や妻は、自分に愛着を与えなければならなかった母親と同じ女性であるから、当然のことであると思い込んでいる。
 残念ながら、アタッチメント獲得のやり直しが、夫婦(恋人関係)の間では成り立たないということを、DV加害者たちは決して理解することはできない。


(8) 自分は特別な存在。尊敬されなければならない!
 DV加害者は、自分は特別な存在なのだと思っている。たとえ実際の成績、業績をあげていなくても、自分には特別な才能があり、勉強ができ、仕事ができると思っている。しかも、家族も含め、周りの人も当然そう認めるはずだと思い込んでいる。そして、自分のために、誰もが喜んでいろいろなことをしてくれなければならないと思っている。
 それだけでなく、自分は特別な存在なのだから、他人を平気で利用してもいいと思ってさえいる。
 そのため、自分を偉くみせるために、すべてを知っているかのように振る舞う。大げさなことばを操り、つくり話をこともなげに流暢に話す。難しい専門用語を使ったり、抽象的な表現、話を一般化したりして、まるで真実を話しているようないい方をする。
 加害者Dは、時に、自分に刃向かう、従わないときに体調不調やケガをすると、「寺や俺を裏切ると、悪魔の罰で悪いことが起きる」などと、あたかも自分が神聖化された象徴のようなことばを用いる。加害者Dは、俺は家の“主人”、だから、主人の家に住みたいのなら、俺に従うのはあたり前だと子どもにさえはばからない。そして特徴的なのは、自分のことを被害者に対して「指導者である」と主張することである。
 これらの考え方は、信仰宗教、自己啓発セミナーや生き方講座によって信者獲得をめざすカルト集団の教祖に似通る。そのため、注目を集め、傾倒させていく話の進め方は似通ることになる。
 DV被害の相談、子どもたちの情緒不安定さなど問題行動を専門の第三者機関に相談していることを知ると、夫婦再構築を考えるさいの手紙の中に、「指導者が変わると、人間ここまで変われるものかと内心おどろいている」と書き記し、その後も自身のことを「お前の指導者は俺だ」といい続ける。そのため、見えぬ敵(DV被害者支援機関や児童相談所)との主導権争いをしなければならなくなるのである。主導権争いとは、妄想の世界と現実の世界の区別ができない中で、俺と見えぬ敵のどちらが正当な指導者であるかをはっきりさせることである。
 DV加害者は、自分の能力や信念の影響力は実際以上のものと錯覚し、傲慢不遜な態度をとる。一方で、中身のない表面的な自尊心が強く、他者を利己的に利用して価値を引き下げようとする意味で、自分を特別な人間と思い込んでいる。それだけでなく、自分に特殊な能力があるかのように信じている。自分が神であることは他人には秘密にしておかなければならない。だから、家のことを他人に話すことはいけないことだと教え込まなければならないのである。そのため、躾をし直す、洗脳をし直すためのパワーゲームを仕掛ける、つまり、厳しい糾弾にさらされ、激しい暴力がふるわれることになる。
 家族内での絶対的な支配を続けるために、子どもたちに「ママよりパパの方が偉い。上だ!」と知らしめるために、被害者Rを子どもの前で徹底的に侮蔑し、卑下し、批判することばを絶やさない。
 子どもが「パパ、おはよう」というと、加害者Dは,「「おとうさん、おはようございます」だろ!」といい直させる。しかし、父親(加害者D)は毎日昼近くまで寝ているのである。「いっていることがめちゃめちゃ」と心から父親を敬うことができない子どもたちは、いい直させられるのがわかっていても、「パパ、おはよう」と繰り返す。3歳になった長男Tに「パパじゃなく、お父さんといいなさい」と、「お父さんは偉い、凄い」と威厳を思い知らせようと必死になっている。
 しかし、被害者Rとのカウンセリングの電話の横から聞こえてくるのは、「(電話の相手は)パパ?」と呼ぶ声だけである。
 加害者Dは、被害者Rや子どもたちの考えや行動の意味を、自分に都合のいいように勝手に解釈し、決めつける。また、訊かれても決して自分でこうしたいとは口にしない。あとで、「お前がいったから、やったからうまくいかなかった!」と責任を押しつけ、責める口実を残しておく必要があるからである。責める口実、それは、被害者Rが悪いと思い込ませることができ、加害者Dのいうことが正しいと思い込ませることができるのである。
 自分の話術で相手の興味を惹き、魅力的に見せ、特別な人だと思わせるように持っていくようにことばを操り、家族、周りの人たちを意のままのコントロールできていることが、DV加害者の心の安定になるのである。アタッチメント獲得に問題を抱えるDV加害者にとって、心の安定が崩れることは恐怖でしかない。そのため、恐怖心を拭い去るために支配のための暴力を駆使し、怯えさせ、屈服させても、敬わされなければならないのである。自分は特別な存在なのだから、それが許されるとの考えにもとづいている。




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