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[Ⅶ-12]<いじめ・差別・貧困>新聞事件簿。傷ついた子どもの悲鳴

<中日新聞>【いじめと生きる】第5部・「加害者」たちの歳月 (4)ただ一度・・38年前

 
 <中日新聞>【いじめと生きる】第5部・「加害者」たちの歳月 (5)謝罪・・13年前 <中日新聞>【いじめと生きる】第5部・「加害者」たちの歳月 (3)涙・・41年前
2007年5月1日

いつか言いたい 2度目のごめん
 四年三組の昼休み。彼は、窓側の壁際で倒れ、エビのように体を丸めていた。教室には初夏の陽光が差し込んでいたのに、彼の周りだけは薄暗く、ひんやりしていた。

 「あいつをけれ。やらないと、おまえにもやるぞ」。いじめっ子の男子たちが、彼女にけしかけた。言われた通りに、けりを入れたほかのクラスメートは順に教室から走り去っていく。彼女はけるのが嫌で、最後になった。

 「ごめんね、ごめんね」

 そう言いながら、うずくまる彼の足を、けった。

 目が一瞬合った。「気にしなくていいよ、わかるから」。助けを求めるような悲しい目つきなのに、笑顔を無理に作って彼はそう言った。彼女は、逃げるように校庭へと飛び出した-。

 名古屋市に住む、ホームヘルパーの女性(47)の記憶である。

 いじめの加害体験はこの一度きり。逆に、小学五年からは、いじめを受けた。やせて身長が高く、「怪獣!」などと呼ばれた。授業で発言しても「聞こえない」とヤジられ、「グループ発表」なのに、彼女は一人でやった。遠足のお弁当も仲間に入れてもらえず、一人で食べた。

 小六の冬、学校のトイレにこもり、図工で使ったカッターナイフを手首にあてた。刃の冷たさを感じた瞬間、いじめっ子たちが自分を笑う顔や悲しむ親の顔が浮かんだ。やっとのことで、刃を動かすのを思いとどまった。

 いじめは結局、中学三年まで続いた。ところが、今、彼女の脳裏によみがえるのは、いじめを受けた「小中の五年間」ではなく、「小四の一瞬」だ。思い出す気はないのに、彼の“笑顔”が不意に浮かび、頭から離れなくなる。「謝らなきゃ、謝らなきゃ」と思いが募り、動悸(どうき)がして、息苦しくなる。

 例えば、男の子が一人歩いている姿を見かけた時。仕事で行く在宅介護先のおばあちゃんが孫の話をした時…。

 きっかけは、一九九四年、愛知県西尾市の中学生大河内清輝君がいじめを受けて自殺した事件。九〇年に結婚した彼女にはもう子どもがいた。当時、娘が三歳で息子が一歳。「いじめで本当に死を選ぶ子がいるんだ」と怖くなった。夜、二人の寝顔を見ながら「この子たちを失いたくない」と強く思った。一度だけのいじめ加害の記憶に苛(さいな)まれ始めたのは、それからだ。

 自分をいじめた子に会いたくなくて、これまで小学校の同窓会を避けてきた。だが、卒業アルバムを捨てて何とか気持ちを吹っ切り、三年前、初めて出席した。あの彼に謝りたい一心だった。謝っても「事実は消えない。自己満足にすぎない」と思う。思うが、せめてもう一度、「ごめんね」を言いたい。

 だが、彼の姿はなかった。

 中学卒業後の彼の消息は知らない。あえて捜そうとは思わない。かつて自分がそうだったように「嫌な記憶を封印しているのかもしれないから」。

 あれから、三十八年。彼女の自宅に近い母校には、当時、四年三組の教室があったプレハブ建ての仮校舎は無論、もうない。だが、彼女の記憶から、あの“笑顔”が消えることはない。

 来年に予定されている次の同窓会にも出るつもりだ。

 【一見、加害者でも…】 児童精神科医で東京都精神医学総合研究所の猪子香代副参事研究員は、「いじめ加害の核になる子に脅されて仲間に加わった場合、その心理的暴力に抗しきれなかったという点では被害者」とみる。こうした加担や、いじめに遭っている子に何もしてあげられない場合、「無力感や罪の意識で心は傷つくし、無秩序状態に置かれたストレスも受ける」。うつ状態や不安状態に陥る場合もあるという。「自分は弱くて何もできなかったと自責的になる彼らのつらさに周囲は共感し、サポートしていくことが望まれる」




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