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[Ⅶ-12]<いじめ・差別・貧困>新聞事件簿。傷ついた子どもの悲鳴

<中日新聞>【いじめと生きる】第5部「加害者」たちの歳月 (2)続・後悔・・22年前

 
 <中日新聞>【いじめと生きる】第5部・「加害者」たちの歳月 (3)涙・・41年前 <中日新聞>【いじめと生きる】第5部「加害者」たちの歳月 (1)後悔・・22年前
2007年4月29日

大切な存在を得て初めて…


断られた謝罪 思い出すの嫌
 過去は水に流して、笑って握手。そんなハッピーエンドは用意されていなかった。

 三重県の女性会社員(34)が小学校六年生のとき、いじめていた同級生の少女は、中部地方のある小都市に暮らしていた。

 取材の中で偶然に知人がみつかり、判明した消息。二十二年たった今、女性が「会って、いじめのことを謝りたい」と言っている、と知人を介して伝えた。

 返ってきた答えは、しかし「謝ってほしくない」-。

 その知人によると、今は結婚をし「普通に暮らしている」。「謝りたいという気持ちは分かった」と語ったそうだが、「あのころにはつらい記憶しかない。思い出したくない」と話したという。

 「結婚してたんですね」。加害者の女性は、そんな経緯を、むしろほっとしたような表情で聞いた。

 ひどいことをしたという後悔も謝罪したいという気持ちも本当だ。だが、実際に会う、と考えると不安もあったという。

 女性は、今、いじめをしていたころの自分を「弱かった」と分析できる。他人にどう見えるか、いつもおびえていた。周りに人がいないと不安になる。「友だちが大勢いる」と思われたかった。

 ウケをとろうと、クラスでよく物まねをしたものだ。得意だったのは中森明菜や志村けん。志村をまねて「アイーン」と顔を崩して見せると、笑いの渦ができた。仲良しグループにはクラスで一番成績が良い子もいる。でも、真ん中にいるのはワタシ-。

 名の知れた進学校から大学へ。教育実習で小学校の教壇に立ったとき、教師に怒られたことがある。確か、男の子が教室の窓枠に座って遊んでいた。「危ないでしょ。何で止めないのっ」

 子どもたちを前にしても「どうしたら人気が出るか」を考えていた。いじめをしていた、小学生のころと同じように。子どもたちを笑わせることはできる。でも「本気で子どものことを心配することができない」。自分でそれに気がついて、がくぜんとした。教師の道はあきらめた。

 今では、そんな女性にも二人の娘がいる。四年前、帝王切開で長女を産んだ五日後、わが子をその手に抱き、乳房に吸い付くのを見て感じたのは、「人生最大の幸せ」だった。

 思えば、自分がいじめた少女の泣き顔を思い出すようになったのはそのころから。

 「もし、この子たちがいじめられたら…」。本当に大事な存在ができてようやく、自分が彼女にしたことの重さに気がついた。周囲の目ばかり気にしてゆがんでいた自分自身の生き方にも。

 激しい自責の念をつづった本紙へのファクスをきっかけに、相手に伝わった謝罪したいという気持ち。身勝手なことは分かっているが、「気にしていないよ」と言ってほしい…。それは、しかし、受け入れられなかった。

 二十二年の歳月が流れた。だが、被害者には思い出したくない経験として、加害者には深い後悔として、いじめはまだ、息をしている。

 (敬称略)

 【分かれた反響】 三重県の女性会社員のいじめ加害の告白は要約が本紙(昨年11月6日付)に掲載され、被害経験がある読者から何通かの反響が寄せられた。内容ははっきり二分される。東京都新宿区の男性(38)は加害者も苦しむ姿に感動し「体が震えた」という。自身の加害者への憎しみも薄らぎ「許すきっかけをつくってくれた」。一方、愛知県一宮市の男性(32)は「被害者は(加害者の)何億倍も傷を背負っている。ふざけるな」と憤激をつづった。




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