あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患

「援助者が直面する問題」 マギー・ジーグラー

 
 <読売新聞>性的虐待から被害女性守れ、義父らに住所閲覧制限・・大阪の自治体 公的証明なし、特例 「ドメスティック・バイオレンスと法」 後藤弘子(富士短期大学助教授) 
(財)女性のためのアジア平和国民基金
援助者のためのワークショップ2000 ドメスティック・バイオレンス 家庭内における女性と子どもへの影響(参考資料)


人間に対する信頼感の喪失です。人を信じることができなくなってしまうということは、対人関係に大きなダメージを与えます。家庭内で孤立する、友人をつくれない、社会とのつながりがもてないなど、信頼できる人間関係を築いていくことが難しくなってしまうからです。

● 心的外傷後ストレス障害
トラウマを受けた人にあらわれる特徴的な症状に、心的外傷後ストレス障害(PTSD)があります。1 つの症状としては、トラウマの記憶が侵入してくる「侵入症状」というのがあります。被害を受けた人が自分に起きたことにさいなまれるわけです。起きたことについて一度考え始めてしまうと、それを払いのけることができなくなってしまうのです。フラッシュバックも、悪夢も、どの場所にいても安心感がもてない圧倒されたような感情というのも、「侵入症状」です。フラッシュバックというのは、過去に起きた出来事であるにもかかわらず、それをあたかも現在に起きている事態であるかのように考えてしまうことをいうのですが、自分の頭のなかに映像が見えたり、体の感覚として現れたり、音が聞こえることもあります。
こういった「侵入症状」は非常に苦痛をともなうので、できるだけそういう状態にならないように、被害を受けた人が自らを閉ざしてしまうということが起こります。無感覚になったり、抑うつ状態にみまわれるのです。多くの人は、「侵入症状」と、こうした無感覚や抑うつ状態のあいだを、何度も行ったり来たりします。ほかに、「解離」という症状もあります。それは、自分がした経験の一部を完全に遮断してしまうことです。暴力をともなうトラウマを経験すると、自己のアイデンティティーを喪失してしまう。まとまった一人の人間であるという感覚が失われてしまうのです。特に性的虐待のサバイバーは、「私は性的虐待など受けていない」と否認することがよくあります。「確かにその場所に私はいたけれども、本当の私はあの体の中にはいなかったんだ」「ちょうど天井のところまで行って、お父さんに性的虐待を受けるのを上から見ているような感じだった」と言うこともあります。
また、「過覚醒」といわれる症状もあります。不安状態にみまわれる、つまり体や神経全体が恒常的に警戒状態になるということです。リラックスしたり落ち着いたりできない、よく眠れない、常に何か悪いことが起きるのではないかと警戒しているような状態です。
この心的外傷後ストレス障害に関するビデオを目にする機会があったのですが、そのなかに出てきたスピーカーの1 人、ベトナム戦争時代アメリカの兵士として派遣されてきた男性が「もう15 年間もずっと不眠症に悩まされています。自分の家の横を通る車の音が、銃声の音のように聞こえるのです」と言っていました。それがいわゆる「侵入症状」といわれるものです。寝てもすぐ目が覚めてしまう、目が覚めて何か悪いことが起きるのを待っているような感じ。それを「過覚醒」といいます。その「侵入症状」や「過覚醒」がないときは、戦争のことは一切口にも出さないし、自分にどういうことが起きたかだれにもしゃべらないという無感覚状態だったといいます。
あるときやっと彼は、戦争の元従軍者用の治療センターに出向く決心をして、カウンセラーに対してどういう症状があるのかを話しました。するとカウンセラーは、「これはいわゆるPTSD(心的外傷後ストレス)の症状です。私はあなたのような症状をもった人をたくさん見てきましたが、多くの人が回復しています。あなたも回復の可能性があるのですよ」と言ったそうです。彼はこの15 年間で初めて、「ああ、治るんだ!」と希望の一筋を見出したと言っていました。このような基本的な情報でも被害者に伝えることによって、彼にとってはひとつの安心材料になっていくのです。

● 援助者の役割
DV や虐待の被害を受けた多くの人は、その事実を包み隠そうとしたり、それをそのまま押し沈めようとしたりします。しかし、いくらつつみ隠そうとしてもそこには無理が生じるので、その歪みが精神的・身体的症状として出てきます。しかし、たいていの人たちは、なにが原因で精神的症状や身体的症状が出てきているのかがわからずに、とても生きにくい日々を送っています。ですから、なぜこのような症状がもたらされるのか、なぜこのような経験をしなければならないか、そういった情報を提供し理解を助けることが必要です。そしてまた、ほかにも同じような経験をしている人たちがいることに気づかせることも大切です。
私はときどき、被害を受けた人に「こうした経験によって、あなたは何を喪失したと思いますか?」「価値観や世界観が変りましたか?」と聞いてリストを書いてみるよう勧めることがあります。被害者にとって、失ったものを書き出すことはとてもつらい作業ですが、そういった作業をすることによって、よい結果が得られることもあります。ある女性は、「やっとこれで、なぜ私がうつ状態になっているのかがわかりました」と言っていました。つまり、トラウマの経験を何らかの意味ある方向にもっていくこともできるわけです。ですから、皆さんもいろいろな方法を考えていただきたいと思います。
また、被害を受けた人の心のなかに渦巻いている怒りや悲しみといった負の感情にも目を向けてください。こういった感情が涌いてくるのは自然なことですが、それをそのまま放置しておくと、自分自身をも傷つける危険なものになるからです。
援助者が、怒りや苦痛といった感情をどのようにコントロールすればよいか、どうすればリラックスできるか、そういった方法を教えてあげることができれば、被害を受けた人は、だんだん自分自身をコントロールすことができるようになってきます。
援助者が、こうした負の感情のコントロールを手伝うのは、最も重要なことの1つです。こうした感情が出ることで、いろいろな苦しみが起きてくるからです。


2.被害者とその家族
家族の存在がカウンセリング関係のなかでは、非常に大きな影響を与えるということをロールプレイでやってみましょう。私がカウンセラーと被害者を演じます。どなたか、被害者の夫、父親、母親、弟を演じてくださる方、こちらへ出てきてください。
被害者を仮にマリアさんとしましょう。彼女は、はじめてカウンセラーのところにやってきました。自分のお父さんに性的虐待を受けていたのですが、そのことは、ほかのだれにもいままで話したことはありません。
カウンセラー「いったい何が起こったのか話していただけますか?」
マリア「いいえ、だめです」
カウンセラー「子どものときに性的虐待を受けたから、私に話しに来たとおっしゃったわね」
マリア「そうです」
カウンセラー「ちょっとでいいから話してくれる?」
マリア「いいえ。だめです」
こういう会話はよく起こり得ることです。被害者は気持ちが両方に揺れていて、話したい一方で話したくないという気持ちももっています。話したくない理由はたくさんあると思いますが、その理由の1 つは、この部屋に家族がいるということです。実際の相談の場には家族はいないのですが、彼女の頭のなかには常に存在し彼女に影響を与えているのです。被害者が1 人で相談の場にやって来たとしても、実際にはその後ろに家族がついているようなものだということです。そういったことを、援助者はくれぐれも忘れないでください。いま彼女には、家族のどんな声が聞こえているのでしょうか。そしてまた、彼女がカウンセラーのところへ来たことを知っているこの4 人の人は、どのように考えているのでしょうか。
今回の事件についてそれぞれの立場というものを説明します。
まず、夫です。
夫「何てことだ。彼女と結婚したのは家族もとってもいい人たちだというのが大きな理由だったのに。僕の両親も彼女と結婚したことを喜んでくれていた。彼女のお父さんは、皆から敬意を集めているビジネスマンじゃないか。こんな状況は耐えられない」
次がお父さんとお母さんと弟です。
父「おまえがよけいなことをしゃべると、お母さんが傷つくぞ。大事になったらどうするのだ。お前のせいだぞ」
母「あなたが信じられないわ。うそを言っているとしか思えない。お父さんは本当にいい人じゃないの。25 年も結婚してきた。私は、自分の結婚生活には全然不満はないわ」
弟「うそだ、うそだ。そんなことあるはずがない。もし、こんなことをいつまでも言っていると、お姉さんとはもう二度と口を聞かないぞ。こんなかたちで家族を悩ませるなんて、姉さんはどうしちゃったんだ」
いま、それぞれに思っていることを紹介したので、自分の役柄というのはおわかりいただけたと思います。いまから、マリアとカウンセラーが話をします。家族役の人は、言いたいことがあるときはいつでも中断して声に出してください。ここで演じるカウンセラーはパーフェクトなカウンセラーではありません。
いろいろな介入方法を試みて、どんなふうになるか皆さんに見てもらおうと思います。
カウンセラー「もし、あなたが虐待を受けているのだったらそのことをきちんと話すことが重要だと思うわ。そういった話をしにここまでわたしに会いに来てくれたことはうれしいわ。口に出して話すのは大変で辛いでしょうけれど、本当に重要なことなのよ。あなたの話は私がちゃんと聞きますから」この時点で家族の人たちはどのようなことを考えていますか? 何でもいいですから心に浮かんだ感情を教えてください。
弟「姉さんは、なんて言うのだろう。どうなってしまうのかとても不安だ」
父「余計なことを言うお節介なカウンセラーだ。娘がなにか言ったのだろうか」
夫「事態がどんなふうに進んでいくのだろう」
マリア「とても自分で話せるとは思えないわ。どうしてかわからない、ここへ来るまでは話せると思っていたのに、でも話せない」
カウンセラー「せっかくアポイントメントを取ってお父さんとのことを話すつもりだったのに、どうやら話せないみたいね。でもアポイントメントを取ってくれたことは本当にいいことだったと思うわ。私に話そうとしてくれたことが大事だと思う」
マリア「そう? 本当にそう思ってくれる?」
カウンセラー「もちろんそう思う」
マリア「そうね、たしかお父さんが私に性的虐待をしたのは8歳から11 歳までだったと思う」
カウンセラー「もう少し詳しく話してくれる?」
マリア「だめ。(やっぱり、こんなところに来るべきじゃなかった。どうしてこんなところに来ちゃったのかしら。彼女の聞いてくることなんかに答えられないわ。一刻も早く逃げ出したい)」
カウンセラー「(話す気がないならどうして来たのかしら。話したくなさそうにしているのは明きらかだわ。なんとか親しい雰囲気をみせて彼女を励まそうと思ったのに、全然進まないじゃない。もう一回やってみよう)いま、8歳から11歳まで虐待を受けたと話しはじめていたわね。もう少し話せる?」
マリア「だめ。できないと思うわ。もうこれ以上は話せない。カウンセリングを受ける用意ができていると自分では思っていたけれど、実際はそうじゃなかったみたい。せっかくの貴重な時間を使わせてしまってごめんなさい。本当にあなたの助けを必要としている人は、ほかにもっとたくさんいるんでしょう? 私はもういいです。」
カウンセラー「本当にそれでいいの?」
マリア「ええ、もちろん」
カウンセラー「それじゃあ、いつでもいいからまた来たくなったら来てね」
マリア「(ああ、ようやく帰れる)」
いま、結末としては、あまりうまくいきませんでした。しかし、少なくとも彼女が帰ってしまって、家族の人たちはほっとされたのではないでしょうか。つまり、家族にとっては、これで安全がもどってきた、大混乱に陥ることにはならなかったわけです。
では、彼女が気にかけてしまう家族たちを、いったいどうしたらいいのでしょうか。彼女の頭のなかには、いろいろな思いが錯綜していましたが、彼女が何を考えているのか、まったく知ることができませんでした。実際に援助者が被害者と面接するときに、この最初の段階で失敗することがよくあります。それは、援助者が家族の存在というものを考えに入れることを怠った結果です。

● 家族の力関係
では、今度は違うアプローチでやってみましょう。家族の皆さんは、いつでも言いたいことを言ってください。これ以上マリアに話しをさせたくなければ、そこで「黙れ」と言ってもいいし、カウンセラーのコメントや質問が気に入らなかったら、声にしてみてください。それぞれの役割の人物がどう考えているか感情を出してください。もう1 回やってみましょう。
マリア「お父さんとのことを話そうと思って予約を取ったんだけれど、どうも話せそうもないです」
カウンセラー「どうして?」
マリア「わからない。何とかして話そうとするんだけど、そのたびになぜだか話せなくなっちゃう」
カウンセラー「その原因はなんだかわかる?」
マリア「多分、家族のことを心配してしまうんだと思う」
父「それは当たり前だよ。家族はいつも君のこと本当に大事にしているんだから。スキンシップをしたことはあるけれど、おまえを傷つけたことなんてないぞ」
カウンセラー「いま何考えているの? 私に教えてちょうだい」
マリア「お父さんのこと。いいお父さんだったってこと。いつも家族のために働いて、お金を稼いで来てくれたし、週末には動物園にも連れて行ってくれた。だからここで、お父さんについて話すべきじゃないと思う」
夫「僕も、君からいいお父さんだって聞かされていたよ。お父さん、本当に彼女が言っているようなことがあったんですか?」
父「断じてそんなことはないですよ。私は本当に子どもたちのことを愛してきたし、どこの家族にも負けないほど一生懸命子どもたちのことを育ててきたつもりだよ」
夫「お母さん、それでいいのですか? 間違いないのですか?」
カウンセラー「お父さんが、いいお父さんてどういうふうに? もう少し話して」
夫「言いたいことがあったら言った方がいいよ」
マリア「本当にいい家族です。私のことを本当に愛してくれているし、守ってくれました。それに夫もうちの家族のことをすばらしい家族だと思っています。だから、やっぱり私は帰ったほうがいいのじゃないかしら」
カウンセラー「ちょっと待ってよ。もう少し話しましょうよ。ちょっと座って。いい? つまり、お父さんはいろいろな意味であなたを愛してくれた。夫とお父さんもとてもうまくいっている。それから弟さんもあなたのことを本当によく思ってくれているってことね」
マリア「そうです。わかってもらえてよかったわ。そう、そう思っているの」
カウンセラー「じゃあ、あなたは家族のことをとてもよく思っていたのに、いやなことも起こったということね。だから、つらいのね」
マリア「そのとおりよ、ほんとにつらいの」
ロールプレイをちょっとストップしましょう。
今度の場合、カウンセラーは、彼女に対して、カウンセラーである私をとるか、それとも家族をとるかというような、二者択一を迫っているわけではありません。
最初のシナリオでは、カウンセラーである私は彼女に質問をいくつもいくつも投げかけていました。そのとき、彼女は非常に葛藤にさいなまれていました。私に対して語れば語るほど、自分の家族を裏切ることになるというジレンマです。もし語らなければ、カウンセラーである私をがっかりさせてしまう。彼女は、どうしたらいいか途方にくれてしまったのです。そこで、カウンセリングを受けるということ自体、苦しくなってしまった。
自分自身の抱えているジレンマ、矛盾というものをもうそれ以上許容できなくなってしまったわけです。このようなかたちで終わってしまっても、彼女たちは「本当にありがとうございました。助かりました」と言って帰ってしまいます。お礼を言ってはいるけれど、「こんなところから、一刻も早く帰りたい」と思っていることもあるのです。
どの家族のなかにも2 つのダイナミックスがはたらいています。1 つはパワー、力関係です。ここではお父さんが娘に対して侵害を行い、彼女をある意味で裏切ったわけです。そしてお母さんと弟をだまし続けてきた。そしていま、公然とうそを言う。すなわちパワー、権力を振りかざした行動ということになります。しかし家族のなかには、パワーと同時にもう1 つのダイナミックス、忠誠心もあるわけです。たとえ家族によって自分がひどい目にあわされてきたとしても、家族に対する恩義のようなものがある。非常に家族のことを思う気持ちというものは強いものです。実際に虐待が起こった家族をみた場合に、それほど悪い家族ばかりではないということがあります。人というのは非常に複雑な存在なのです。
ここでマリアに「家族に関してもうちょっと話して」と聞いてみました。
マリア「週末にはお父さんが動物園によく連れて行ってくれたし、いろいろなゲームもしてくれた。本当はお父さんのことが好きなの。私だけは特別のようにとっても優しくしてくれた。(それなのに、どうしていま私があのことを話せるのかしら)」
カウンセラー「お母さんとの関係はどうなの?」
マリア「お母さんはとっても厳しい人だった。あまり愛情をみせてくれるタイプじゃなくて、どちらかというと冷たい感じ。あんまり仲がよくない。いま、きっと私のことをすごく怒ってると思うわ」ここでどのようなことを学んだか、私たちが学んだことを考えてみましょう。お父さんは虐待者なわけですね。ところが彼女にとって虐待者であると同時に、非常に優しいお父さんでもある。ですから娘としては恩義、忠誠心をもっている。では、この場合どうしたらいいのでしょうか。この会話をさらに続けていくと何が起こるか見てみましょう。
マリア「ちょっと話しすぎたような気がして怖い気持ちになってきました。もしここにいることを家族が知ったらとても怒るでしょう。」
カウンセラー「いま話す用意ができていないことを話す必要は、全然ないのよ。家族の話をしてくれるだけでいいの。そのことが大事なんだから。お父さんとのことというよりも、家族の一人ひとりとあなたとの関係を知りたいの。きょうここでカウンセリングを受けているのを知って、いちばんオタオタするのは誰だと思う?」マリア「わからないわ。いま全員からにらまれているような気がするの、とっても落ち着かないわ。いずれにしても家族の全員がわたしがここにいることに反対だと思う。ひょっとしたらお母さんが立ち上がって私を殴り出すかもしれない」
カウンセラー「あなたがとても怖い思いをしてることはよくわかるわ」
私が被害者の役を演じるとき、家族の存在というのはまさしく裁判における陪審員のようなものです。その一人ひとりが被害者を怖がらせています。そういう負の力がはたらいているのです。
多少の時間が経過したと仮定して、話を進めていきます。彼女は、援助者に何が起きたのか打ち明けてくれました。彼女の家族もそれを知ってしまいました。
母「本当のことなんですか?!」
父「君が僕を信頼していないなんて、そんな馬鹿な」
弟「お母さんそうだよ。お父さんがそんなことするはずないじゃない」
父「当たり前だよ。一番可愛い娘なんだから」
母「じゃあ、なぜあの子があんなことを言い出したんですか?」
父「僕は愛していたよ。だから彼女を大切にしていたし、何でも言うことを聴いてやった。むしろ君が冷たかったんじゃないか。だから僕は本当にいつも傍にいて話を聴いてあげていたんだ」
母「本当にあなたのことを信じていていいんですね」
父「僕は社会的な地位もたくさんあって、誰からも信頼されているんだ」
母「こんなことが本当に起きたのだとしたら、つらくてつらくてどうしたらいいのかわからない」
弟「お母さんは本当にそんなことが起こったと思ってるの? あるわけないじゃない」
父「当たり前だよ、そんなばかなことがあるわけないじゃないか」
母「じゃあ、どうしてあの子はあんなふうになってしまったんですか?」
父「思春期にはいろんなことを考えるものだよ。変に誤解してしまったんじゃないかな」
母「いまの状況をどうしたらいいと思います?私は本当に切なくて切なくて。こんな話がご近所の耳にでも入ったら、もうここで暮らしてはいけません」
父「そんなばかな、君がそんなことを言ってどうするんだ。私を信じなさい。何も心配することはないんだ。うちは平和だ」
夫「彼女が嘘を言うわけないですよ。僕はどちらの言うことを信じたらいいんですか? お父さん、娘さんのこと愛してると言いましたよね。それは父親として愛したんですよね」
母「やめてください、そんなおっしゃり方」
夫「でも、彼女が嘘を言うわけないんですよ」
母「この子は昔からすごく過敏なところがあったんです」
マリア「もう、こんなことは我慢できない。やっぱり言うべきじゃなかったんだ」
母「そんなふうにあおらないで下さい。うちの家庭でそんなことあるはずないじゃないですか。あの子はさっき申し上げたとおり過敏で、少し夢想的なところもあったんです」
夫「僕は、そんな彼女と結婚したつもりはないですよ」
弟「お兄さんそんな言い方はひどいじゃないですか。お姉さんは疲れているんですよ」
夫「そう言いますけど、僕も皆さんのことを大事に思っているんです。だからこそ心配してるん
ですよ」
父「そんなふうに見えないけどね。お前たちの生活こそちゃんとしているのか。どこか、おかし
いんだよ。何かあったのかね」
夫「お父さんは、私に責任転嫁するんですか?!」
では、ここでタイムアウトです。
ちょっとここでいったん中断しましょう。役柄を演じてくださった皆さん、ありがとうございました。
また、マリアとカウンセラーが2 人になったと仮定してください。
マリア「本当に最悪だったわ。ひどいありさまだった。話の途中で泣き出して、外に出なければならないほどだった。そもそもあの話しを打ち明けるつもりじゃなかったのに、でも、やっぱり打ち明けずにはいられなかった」
カウンセラー「では、いまの気分はどうなの?どんな調子ですか?」
マリア「本当に混乱しています。でも、以前は、自分の頭がどうかしちゃったんじゃないかと思っていたのだけど、本当に頭がおかしいのは私じゃなくて家族なんだという気がしてきました。家族のだれもが責任は私にあるんだと言わんばかりなんです。夫はそれほどでもありませんでしたが、突然癇癪を起こしたら、私の味方になってくれるとはとても思えませんでした」
ここでみていただいたように、この家族が崩壊せずにこのままいくためには、彼女に責任を負わせる必要があるのです。最後はマリアが神経質な夢想家にされてしまいました。皆が一致して、「彼女が問題なんだ」と、責めるのは、家族をなんとか維持しようとする力がはたらいているからなのです。
家族がもっているパワーというのは非常に強力なわけです。ですから、DV や子ども虐待のように家族がかかわってくる問題の場合は、特に慎重にことを進めていかなければいけません。
いまのロールプレイは、父親から性的虐待をうけた香港の女の子のインタビュー記事を例としてそのまま使いました。その記事には、なぜもっと早くその話を打ち明けてくれなかったのかという質問に対する答えも載っています。彼女は、4 つ理由があると言っています。1 つは、非常に複雑な加害者との関係。2 つ目は加害者からの圧力。つまり秘密を打ち明けるなというプレッシャーがかかったから。3 つ目はこれを打ち明けることによる結末を恐れたから。4 つ目が自分も責任の一端を担っているのではないかと思ったから。これは香港の女の子の場合ですが、カナダでもまったく同じことを何度も私は耳にしています。
子ども時代に性的虐待を受けた人が、その加害者に対して、相対する2 つの感情、好きだという気持ちと怒りの気持ちの両方をもっているということは、不思議なことではありません。怒りのみを非常に強く表す人もいますが、まったく逆の態度を示す人も私はたくさん見てきています。多くの被害者が、加害者に対してプラスの気持ちももっている。それは本当に深いものであると思います。
彼女がそれだけ父親に対して、忠誠心を強くもっていることの表われであるとも言えます。これは、DV の被害者にも言えることです。自分を殴る男性を愛してもいるし、憎んでもいる。その人から離れたいけれど離れられないといった葛藤のなかで身動きできなくなっているのです。
ですから、皆さんが、虐待や暴力の被害を受けた人に接するときは、ひょっとして、口には出さないけれども、その心の奥底には、加害者に対する非常に矛盾する2つの感情をもっているのではないだろうかということまで、思いをいたらせてみてください。そして、被害者がその葛藤に引き裂かれてしまうような対応をするのではなく、矛盾する感情をもっていること自体を認めたうえで、どう判断していくか考えられるような援助をしていっていただきたいと思います。


3.ソーシャルマップ
ソーシャルマップは、皆さんが相談者を援助していく上でとても役に立つものなので、ぜひ活用してください。これは、ある人の現時点における人生を記述するものです。ですから被害者がほかの人とどのような関係をもっているかということを示す地図にもなります。この人がほかの人との間に健全で強い関係をもっているか、矛盾に満ちた関係をもっているか、対立するような関係が存在しないか、あるいは関係が壊れてしまっていないかといったことを明確にしていきます。
ソーシャルマップを有効に利用するためには、それを注意深く見なくてはなりません。この人にはどういった資質があるか、強さや弱さはどこか、どのような問題を抱えているか、そういったことを見逃さずに評価することが必要です。そして、これから先に前進していくためのガイドにするのです。その人がもっているいまの強さ、あるいは健全な部分をさらに強くするお手伝いをすることで、彼らは自分の人生のなかのもっとも苦しい部分、悩んでいる部分について、自分で対処できるようになってきます。
ここで1 枚のマップを紹介します。DV の被害者に関するマップです。仮にアキコさん、39 歳としましょうか。暴力をふるう夫がいて、対立関係にあります。家庭内の金銭的なことは、すべて夫のほうが牛耳っています。仕事も妻にはさせません。家に妻がいるかどうか確認するために、1 日に何回も電話をかけてきます。彼女に対して非常に批判的です。しょっちゅうではないのですが暴力をふるう。ひとたびはじまると、非常に凶暴になる。この家には、13 歳と12 歳の2 人の息子がいます。長男とお母さんの間はあまりうまくいっておらず、かなりの対立関係があります。下の子とはうまくいっています。一方、長男はお父さんと非常に強い関係をもっています。最近、長男はお父さんに似たふるまいを見せるようになってきました。つまり、母親に対して批判的で言うことを聞きません。2 人の兄弟のあいだは、非常に親しい関係もある一方で、けんかもします。
この地図のなかでは、丸は女性、四角は男性です。
ギザギザの印は、対立や衝突があることを意味します。直線がたくさん出てくるときには、関係が強いことを意味します。斜線のマークは対立関係、波線はあまり近しい関係でないことを、線が切れているのは関係が途絶えてしまったことを意味します。
私は、アキコさんに対して、「ほかにどのような人とつながりがありますか」と聞きました。そうすると、「だれもいない」と言うのです。彼女はもう結婚して15 年間になりますが、その間、夫によって故意に孤立させられてきているわけです。昔、看護婦をしていましたが長男が生まれたあと仕事はしていません。
私「ふだんの生活にお友達は全然いないのですか」
アキコ「夫が仕事に出かけているときに、同じアパートにいる女性がときどき訪ねてきてくれます。彼がとっても抑圧的な人間だということを知っていますが、暴力をふるうということまでは知らないと思います」
私「その友達には、親しい感情をもっていますか」
アキコ「ええ」
ここで多少関係があるということで、波線でその関係を示します。
私「ほかには、だれもいないの?」
アキコ「だれもいません」
私「あなた自身の実家とのつきあいは?」
アキコ「両親は遠くに住んでいるから、つきあいはありません」
私「遠くであっても、この地図の上に載せてみましょう。お母さんとお父さんの関係はどうなの?」
アキコ「とってもいい関係です」
私「きょうだいはいませんか?」
アキコ「姉妹がいます」
私「その人はどこに住んでいるの?」
アキコ「両親の近くに住んでいます」
私「両親とあなたは良好な関係ですか?」
アキコ「まえはとてもいい関係でした。両親も私のことを気にかけてくれています。でも、夫が両親のことをあまりよく思っていないので、この3年間実家に帰ったことはありません。訪ねて行くと夫が怒るので、行けないのです」
私「あなたのご両親は、いま、あなたと夫のあいだに起こっていることを知っていますか?」
アキコ「知らないと思います」
こういう関係を図で表すと、かつては両親と強いつながりがあったけれど、いまはもうその関係が切れてしまっているということになります。
私「ほかに、この地図に追加できるような人はいますか?」
アキコ「ほかには思いあたりません」
私「私はどうでしょうか。このシェルターでいっしょに座って話を聞いていますね。だから、これもここに書いてみましょう」
ですが、この関係もまだそんなに長いものではないので、点線で表します。
以上のように、アキコさんの人生を絵にしてみます。
彼女にいろいろ質問しなかったら、何もわからないわけですが、この地図を書くことによってこれだけ明確になってきました。この地図を見て、どういう問題や障害が読み取れるでしょうか。私はシェルターの援助者として、これをどのように使えると思いますか。実家との強い関係があったのに途切れているので、復活させることができるかもしれませんね。近所の人との関係を強化することも可能かもしれません。今度夫が暴力をふるったときの行動プランを、どうやって彼女につくらせるか考えるときにも使えるでしょう。
ここでちょっと、シェルターとの関係をみてください。もうすでにシェルターを訪ねてきているので、彼女は家を出ることも検討しはじめていると思いますが、もし家を出るとしたらどのようなことが起こるでしょうか。この鍵を握っているのは、2 人の息子だと思います。上の子は父親と非常に関係が深い。そして母親とは対立の様相をもっています。もし上の子をシェルターに連れてくると、彼の口からシェルターに行ったことが父親に漏れてしまうかもしれません。ですから、子どもを連れてくることには危険が伴います。しかし、彼女は自分の身を守るために子どもをおいて出てくることができるでしょうか。彼女がこの世のなかでもっている最も強い関係は、この2 人の息子との関係です。上の息子とは対立もありますが、それでも、ほかの人たちよりも強い関係をもっています。安全を考えると、ひょっとしたら子どもたちを置いてこなければならないかもしれません。
しかし、それは、彼女にとって非常に難しい選択です。この女性はいま、葛藤の真っただなかにいます。この地図をつくるだけで、こういったことすべてが見てとれるわけです。
この場合、実際にどういう助けができるかということまでは、いまここでは話しません。でも、彼女の住む世界にどのくらい注意を払わなくてはいけないかということが、この地図を見てわかっていただけるのではないでしょうか。
あるDV の被害を受けている女性が自分の夢をこの地図に書き込みました。「あなたとこの夢との関係は、どんなラインにするんですか」と尋ねたところ、彼女は、「これはまったく届かぬ夢だからラインはいりません。だけど、少なくとも紙の上には書きたかったのです。私はいままで、自分が夢をもっているということすらすっかり忘れていました」と言いました。自分のかつてもっていた夢を紙の上に書くことだけですが、彼女にとってはとても重要な意味があったのだと思います。


4.回復
私は、回復ということを傷が治っていくことと同じように考えています。傷というのは感染を起こしてうんだりすることもあります。そこのところをきれいに消毒したり、取り去ったり、乾かして乾燥させてあげなければいけません。すると、やがてその傷口が治ってきます。しかし、その傷跡というのは、ずっと残るわけです。つまりこれが、起こったできごとに対する記憶ということになります、ずっと残るその傷も含めて、それがその人自身だということです。つまり、暴力の被害を受けたことによって、その人自体が少し変わってしまうということです。事件が起こる前の人生に戻ることは決してできません。つまり、暴力や虐待の体験はその人の一部になってしまったということです。
でも、身体にできた傷が少しずつ癒えていくように、心の傷も少しずつ回復していきます。ある女性は、「思い出すのも嫌な日々でした。いまでも本当につらくなってしまうことがあるけれど、でも、そのことによって私の人生がすべてだめになってしまったわけではありませんでした」と話していました。私たち援助者は、被害を受けた人が「あの出来事のせいで、ひょっとしたら私のなかに何か弱いところ、もろいところがあるかもしれないけれど、でもなんとかやっていけると思う」、そんなふうに言えるようになってほしいと願っているわけです。
では、すべての人がそう言えるところまで回復できるのでしょうか。それは実際、いろいろな要因があるので一言では言えません。どこまで回復できるのかは人によって違うのです。その出来事が起こる前に、その人がどのくらい強い人間であったかということ、その人がもっている人間関係や情報、また、どういったサポートや援助を受けられたかなどにもよります。
20 年ほど前子どもだったときに、性的・身体的な虐待を受けた人がいました。「よく顔に青あざをつくって学校に行ったものよ。でも、だれも心配してくれないので、この世のなかに信頼できる人がいるなんて思ってもみなかった」と彼女は言いました。しかし、ある日だれかが彼女に「どうしたの?」と聞いたそうです。聞いてくれた人は、本当に心配そうな顔をしていたそうです。20 年前のことですから、虐待を受けている子どもを保護するための制度や法律がなく、実際にはどうすることもできなかったのだけれど、彼女は「たった一人だけれども、その人が私のことを真剣に心配して話を聞いてくれたということだけで、私の気持ちは大きく変わりました」と言っています。彼女は非常に過酷な人生を送ってきたと思います。いまでも悪夢をみるときがあるようです。決してもうお酒は飲みませんが、それでも飲みたいような気がするときがあるようです。きっと、まだ100 %は回復しきれていないと思います。でも、彼女は意味のある、生きがいのある人生というのを自分なりにつくり出しています。
このお話をしたのは、仮に、皆さんが被害を受けた人に接するのが、1 回とか2 回とか、ほんのわずかな回数であったとしても、そのことがひょっとしたら、被害を受けた人の人生に非常に大きな意味をもつ可能性があると言いたかったからです。
皆さんが、ほんのちょっと、「心配しているんだよ」という態度をみせたり、相手の話をきちんと聞いてあげることによって、大きな変化をつくり出すことができるのです。被害を受けた人が完全に回復するまでのプロセスをお手伝いすることはできないかもしれないけれど、そこまでの役割のない
仕事であったとしても、ちょっとしたことで支えてあげることは十分できるのです。
私は、仮に100 %まで回復しなかったとしても、意義のある人生が送れるようになれば、それでいいのではないかと考えています。この世の中に、100 %苦悩のない人生を送る人などいませんし、いたとしても、それが意味のあることだとは思えないからです。誠意をもって、心からやってさしあげれば、それはどんなことであっても大きな助けになるはずです。

● 回復の第1 段階
被害を受けた人は、自分の話に耳を傾けて理解してもらいたい、そして、いま自分が置かれている非常に混乱した世界というものに、援助者の助けを借りてなんらかの秩序を取り戻したいと考えて、私たちの前に現れます。
ですから、回復の第1 段階で援助者がすることは、被害を受けた人の安全を確保し、人生をなんとかやっていけるようにお手伝いをすることです。
まず最初にすべきことは安全な環境をつくりだすということです。外部の環境だけでなく、自分自身で安全であると感じるにはどうしたらいいかも教えてあげることが必要です。
援助者といっしょにいて非常に気持ちがいいと感じられることが、まず第1 の安全ということになります。援助者が『ああしなさい、こうしなさい』と無理強いしないときだけ安心できたなんていう話もよく聞くので、注意してくださいね。第2 の安全の確保は、被害を受けた人と援助者との間の境界線をはっきりさせておくということです。援助者は被害者に『これはできます、これはできません』『私たちの役割はこういうものです』『どのくらいの頻度で会って話ができるのか、どのくらいの時間過ごせるか』といったことを明確に伝える必要があります。要するに、両者の関係のなかで、何が期待されるのかを確認し合うということです。もしそれが正確に伝われば、被害者のほうでも、突然何か予期しないことが起きて戸惑うといった不安がなくなるわけです。もし皆さんの役割が危機介入だけで、その人と会うのはこれっきりという場合でも同じです。
安全感というのは自分自身のなかで感じるという安全もあります。回復の初期の段階では、リラックスする方法であるとか、怒りの感情をコントロールする方法がとても有効なので、是非、役立ててみてください。
シーソーを思い描いてみてください。シーソーの片側がトラウマだと考えてください。もう一方がその人の自己です。たとえばこの人のトラウマが、非常に大きな深刻なものであったとします。
子ども時代に何年にもわたって虐待を受けてきたり、虐待がはじまったのがきわめて小さい頃だった場合、その子どもの自己は、非常に脆弱なものになってしまいます。自分自身を慰める術も知らず、良好な人間関係をつくる能力さえないまま大人になってしまうため、その人は自分自身がまともな人間であるという感覚さえもてないからです。シーソーの片側に非常に重いトラウマが乗っかっているのに、自己が弱いため、まさに空中に浮かんでしまっている状態です。このような人に、「自分の受けたトラウマを直視しなさい」「トラウマ体験を話してごらんなさい」などと言っても、どういった事態になるかは想像にかたくありません。
これでは改善どころか、より悪化してしまうわけです。人間としての機能が低下してしまいます。
なぜかというと、トラウマに対して対処できるだけの方法や術をまだもっていないからです。ですから、今この段階でこの人が自らのそのトラウマに飛び込んでいくというのはきわめて危険であるということになります。
しかし、多少はトラウマに接しないわけにはいきません。なかにまで入り込むのは時期尚早だけれども、トラウマの周辺に目を向け多少傷つくという経験をしていかなくては先に進めません。ただ、そういった経験をしていくためには、同時に、安全を確保し自己を強くしていくような援助をしていく必要があります。
さまざまな症状に対処していくためのスキルを教える、援助者やまわりの人との関係を育んでいけるようにする、暴力を受けたためにその人がもってしまった否定的な考え方、物の見方といったものにも対処していく、こうやって自己を確立していくための援助をしていきます。ここでいう自己の確立とは、個人対集団という意味での自己ではありません。人生のなかで自分自身を律して対処していくだけの能力のことだと考えてください。そして最終的には、このシーソーの釣り合いが取れるようにしていきます。
では次に、シーソーが逆のほうに傾いている場合はどうでしょう。つまり、被害を受けた人のほうが大きい自己をもっている場合です。家族から愛されて育った人は、自分自身に対して自信やいい感情をもって成長しているので、しっかりした展望をもっています。自分を価値がある人間であると知っているし、夫に殴られること自体間違っているとわかっています。
こういった人であれば、結婚した相手が暴力をふるうようになったとしても、それをはねのける力があります。子どもの頃に10 年間も虐待を受けてきた人に比べて、トラウマの影響は少ないと考えられます。このような人の場合は、トラウマを直視することもそれほど危険ではないでしょう。ですから援助者は、この人はどんな歴史や環境をもっているのか、どの程度安定しているのかといったことをよく観察し、どういった対処をするのがもっとも適切か自らの判断で考えていただきたいと思います。

● 回復の第2 段階
大きな自己をもった人の場合には癒しの過程の次の段階に比較的早く進むことができます。しかし、人によっては第1 段階にずっと留まっていて、次の段階になかなか進めない人もいます。
回復の第2 段階は、悲嘆と服喪の段階です。被害を受けた人が徐々に強くなって、自分自身に起きた出来事や悲しみから目をそむけずに直視していく段階です。実際に自分の目でそれは一体なんだったのかを確認していく作業になります。そしてこの出来事が彼女に与えた本当の影響というものを見極めていくわけです。
なかには「私はこんな出来事には影響されていません」といった反応を示す人もいます。しかし、よく見るとなんの感情も見せず、何もリスクを冒さないことでなんとか人生に対処しているような場合は、まだ自分の体験したトラウマの影響を直視している状態ではないのです。
通常、皆さんは第1 段階の仕事がおもな仕事で、第2 段階までかかわりをもつ人は少ないかもしれませんが、回復のプロセスについては理解しておく必要があります。
たとえば、皆さんがシェルターで働いているとします。シェルターの援助者は、回復の第1 段階のお手伝いをするしかないわけですが、その女性が2週間後シェルターを去るときに、こんなことが言えるかもしれません。「自分自身で何とかやってみようと決心したのですね。素晴らしいことだと思います。私たちといっしょにいたこの2週間で、あなたは本当に前向きになりましたね。お子さんを自分で守っていくことを決心されたと聞いています。あなたにとっても、お子さんにとっても安全な場を確保して、落ち着いた生活をしていってくださいね。いつかまた、あなたを苦しめている感情や考え方に再び苛まれることがあるかもしれませんが、その嫌な感情や考えも直視できるようになれればいいですね」。
援助者が介入をしないと、トラウマについて話をする段階にいたるまでにかなりの時間がかかってしまうということは明白にわかっています。ですから、第1 段階だけでも介入することは、非常に大きな意味があるのです。援助者の皆さんが自分にはスキルがないから、自分の職権外だから、次の段階に踏み込んではいけない、越権行為をしてはいけないと思う必要はありません。崩れているシーソーのバランスがとれれば、それにこしたことはないからです。皆さんは、いまいらっしゃる現場で、現実的に何ができるか、どこまでできるのかということを考えていかれたらよいと思います。

● 回復の第3 段階
そして第3 段階は、トラウマによってバラバラになってしまったその人を、再び統合する段階です。他者とのつながりを取り戻す癒しの段階とも言えます。ただ、こういった回復の段階が、常に順番通りにいくとは限りません。むしろ、ある目安として覚えておいてほしいということです。
この段階になると、少しずつ援助者とのつながり、自助グループの仲間とのつながり、自分にとって大切な人とのつながりができてきます。大切な人たちに自分の身に起きたことを伝えることもできるようになります。トラウマというものが、いま自分を苦しめている現実ではなく、過去の記憶の1 つに過ぎなくなってきます。
この段階に至ると、加害者を告訴するとか、裁判所にこの問題をもち出すとか、子どもたちを対象にした暴力防止活動の一環としてかかわっていくとか、いずれにしても多くの人が、自分の居場所や役割を見出したい、社会に対してもっと積極的にはたらきかけていきたいと思うようになるようです。社会的に意義が認められるような活動は、自分自身へのさらなる勇気づけになるからでしょう。
皆さんは仕事として、それを援助していくことになりますが、その人の心の準備があまりできていない段階でやると、うまくいかないことがあるので、常に慎重な目で見極めていく必要があります。
ちなみに、私の父親はドイツのナチの手から逃げてきた難民でした。60 歳になるまで一切何もしなかったのですが、60 歳を越えて突然、戦争中にナチがしたことについて学校へ出かけていって子どもたちの前で話すということをはじめました。
つまり、それまでの45 年間は自分の体験を口にすることすらできなかったわけです。行動に移すまでに45 年という歳月が彼には必要だったということです。


5.救済の三角形
それでは最後に、救済の三角形のお話をします。ここで言いたいのは、援助者が援助をする際、『救済者』になってしまわないようにしてほしいということです。
DVや虐待の被害者は、本当の意味での被害者なのですが、自己憐憫や被害者思考に陥ると、被害者意識にとらわれてしまうことがあります。「自分はもう見捨てられてしまったのだ」「またひどい目にあうに違いない」「誰にも理解されないし、気にもかけてもらえない」と悲観的になり、「これからさき、私には何もいいことなんて、起こりっこないのだ」と、自分自身をかわいそうな『被害者』に仕立ててしまうのです。被害者意識の裏には、絶望、失望、うつ状態、悲しみ、孤独感、自己否定感、無力感といった、さまざまな感情があります。
『救済者』というのは、必要以上に相手のためにやってしまう。相手が、自分自身の面倒をみることができなくなってしまうまで代わりに面倒を見てしまう人のことです。相手が本来ならばできる能力を、善意とはいえ取り去ってしまうのですから、『救済者』の自己満足のためにやっていることだといえます。ここで面白いのは、その『救済者』の役割を担っている人も、実は『被害者』と同じような考え方、感情をもっているということです。つまり自分の救済活動がうまくいっている時だけは満足できるのですが、もしそれが失敗すれば、いかに無力かということを思い知らされ、自分が価値のない人間に思えてしまうのです。一生懸命にやったのにそれがうまくいかないと孤独感に苛まれる。『被害者』と『救済者』のとる行動はまったく違いますが、その背後にある感情はきわめてよく似ています。
そしてまた『加害者』についても同じことがいえます。低い自己肯定感の裏返しとして、人を傷付けるような行動をとるわけです。妻に暴力を振るったり、抑圧的な態度をとる男性は、『被害者』と同じような感情をもっています。自分は、回りから理解されていない、愛されていない、適切な人間ではないと思っている。そして孤独感を感じています。『加害者』は、そういった負の感情を自分の力でコントロールしたり処理することをせず、他人に八つ当たりするかたちで維持しているわけです。
では、こういった『被害者』『加害者』『救済者』の関係が、援助の場でどのように作用しているのかを考えてみましょう。
この被害者は仮にトモコにしましょう。彼女は27 歳の女性です。お母さんと同居しています。8 歳から14 歳までお父さんによって虐待を受けていたという女性です。その後お父さんが亡くなってからというもの、彼女がお母さんと2 人の弟の世話をする役割を担ってきました。この虐待の件については、一度もお母さんにうち明けたことはありません。お母さんはうつ状態だったので、本当のことを話してしまったら、絶対に乗り越えられないだろうと判断したのです。大人になってから弟たちは家を離れたのですが、彼女は引き続き母親と同居をしています。彼女は、母親の目から見れば『救済者』ですが、『加害者』の側面もあります。母親に囚われているということに対して嫌悪感をもちはじめていて、時々ひどいことを言ってしまうからです。トモコは、カミソリで自分の腕を切ることもあります。自傷行為があるということは自分自身に対する『加害者』でもあるわけです。
私が援助者だとします。トモコは本当に辛い人生を生きてきたのだから、できるだけの援助をしたいと思っています。まだ彼女は、27 歳なのに自分の人生というものがまるでありません。たいしたお金を稼いで来るわけではないのに、お母さんの面倒をみています。彼女がだれかに助けてもらいたいと思っているその気持ちもよくわかります。私も助けてあげたいのです。ということで2 人で馴れ合い的な関係になってしまったわけです。
しばらくのあいだ、この2 人の関係は非常にうまくいきます。時々、彼女は私のところにやってきて、どんなに大変な状況にあるかという話をしていきます。私もすっかり同情してこの話を聞いています。でも、ここで1 つ問題があります。援助をしているつもりでも、トモコの人生はまったく変わらないということです。いまでも彼女は自分の仕事や母との関係が八方ふさがりであると感じているし、いまでも自分の腕を傷つけています。こうした状況のとき、皆さんは彼女と援助者の関係が彼女にとって本当に役に立っているのかどうかを考えなければいけません。
これまで2 人はいっしょになって『被害者』と『救済者』の関係をつくりあげてきましたが、状況によっては、非常に善良な援助者であるマギーが、トモコに対して怒りをもちはじめることもあります。「マギーはほんとにいい人で、一生懸命支えてくれるけれども、でも何も変わらない。結局こんなことをしていても何も意味がないんじゃないかしら」「トモコとのカウンセリングも4 カ月になるけれど、どうやら最近、不満をもっているようだわ。いったいどうしたらいいのかわからない。彼女は自分の人生なのに自分でやるっていう努力を全然みせないし、私ばかりが一生懸命いろいろなことをやっているような気がする。怒りが込み上げてくることもあるわ」。こうなってくると、トモコにとってマギーは『加害者』になってきます。また、マギーが『被害者』のような気持ちになることもあります。「このカウンセリングはうまくいかなかったってトモコに言わなきゃ。ああ、でもそれはやっぱりできないわ」「マギー、あなたは本当によくしてくれていると思うわ。あなたが居なかったらどうしていいか全然わからない。私にはあなたしかいないの」「彼女はずっとここに来るのかしら。ああ、なんて辛い仕事なんでしょう。1日中こんなひどい話を聞かなくてはならないなんて。もうなんか首が疲れて痛いわ、肩がこってきた」
しかし、ひょっとしたらトモコのほうがマギーを救済しようと考えるかもしれません。「マギー、あなたにお話ができてほんとに私は助かりました。でもちょっとこのあたりで来るのをやめようと思います。いろいろあなたに教えられたので、ちょっと1 人で考えてみようと思ってるんです」「また、戻っていらっしゃいますか?」「もちろんですよ。(彼女は私のことをもてあましているような感じだし、きっと重荷なんだわ)じゃ、さようなら」。マギーのほうは、「助かった、解放されてうれしいわ」と思うわけです。
あるいは、トモコがマギーに怒りをもってしまう場合もあります。「ほんとは助けてくれることなんてできないくせに、なぜ助けてくれるなんて言ったんですか。あなたはカウンセラーとしてあんまり有能じゃないですね。もっと、本当に私のことを理解してくれるカウンセラーのところへ行きますわ」「まあ、なんということでしょう、どうしたらいいでしょう」。これほど直截ちょくせつ的なことばをつかわないにしても、援助者が間接的に非難されることはよくあることです。
実際に、援助の現場では、こういったことがよく起こってきます。恐らく皆さんも身に覚えがあるのではないでしょうか。こういった役回りをつい演じてしまうというのは普遍的なことだといえます。ですから、私たちは、なんとかいい方法を考え出して、『被害者』や『救済者』や『加害者』の役割から抜け出せるようにすることが必要になってきます。『援助者』としての立場を、常に冷静に意識することが重要になってくるのです。それをどうやってやるかを、これからお話します。

● 『援助者』
いま、2 人が陥っているこの役回りを、どこかで断ち切らなければいけないということです。まず『被害者』であるのをやめるために、『被害者』自身が自らの人生を自分で管理し、そしてそれを律していくことが必要です。そのためにはどうしたらよいのでしょうか。
いま、水たまりのなかにかわいそうな『被害者』がいるとします。この水たまりのなかで自己憐憫に溺れそうになっています。そこに偉大なる『救済者』が現れて、「助けてあげますよ」と言います
が、たいていの場合、「いいえけっこうです。誰も自分で掘った穴から出たい人なんていませんから」と言うでしょう。そう言われたとき、『救済者』は、無理矢理『被害者』を穴から引っ張り出そうとします。でも、あなたが『援助者』であるならば「あ、そうですか」と、50 %のところまで身を引いてください。穴の中にいる人を置きざりにして通り過ぎて行くのではなく、50 %のところまで身を引くのです。
ここで注意していただきたいのは、本当の被害者と『被害者』は違うということです。たとえば子どもが虐待されている場合は、半分の所で手だけさしのべて待っているわけにはいきません。実際に穴の中行って助けてやる必要があります。その辺の違いをきちんと見極めてください。この50 %のところで援助者が『加害者』にすることは、心のケアや、情報提供、トラウマに対する対処方法などを伝えるということです。穴のなかにいる『被害者』は、こういうものをもらったあとは、自身でこれらを駆使して、自らの力で穴からはいあがらなくてはなりません。これは自分でやることが必要です。自分の力でやることによって、さらに自分自身に力がついてくるからです。
ここが非常に重要なポイントになります。100 %面倒をみるのではなく、途中で引いて見てるというのはなかなか難しいものです。50 %しかやってないというのは、何もやってないような気になってしまうからです。しかし、援助者自身が、「こういう理由があるから半分のところで留めているのだ」というように、ちゃんと自分でわかっていればいいのです。長期的に見れば、被害者の本来もっている力を強めていくほうが、被害者自身にとっていいことだということがわかると思います。
『加害者』を、その役割から抜け出させるためにも同じことが言えます。『加害者』にも、心のケアや、情報提供が必要になります。特に、『加害者』に対してしっかり伝えなければならないのは、『加害者』のやっている暴力的な行為と、人間的な価値は違うのだということです。「あなたのやっている他人に対する侵害的な態度、その行為自体は、絶対やってはいけないことだけれど、あなたの人間としての価値を否定しているわけではない」ということを伝えてあげるべきです。そういったなかで、『加害者』の本来もっているよさを引き出していくことが必要です。
先ほどのトモコさんの話にもう一度目を移してみます。では、これからは、いままでと違ったやり方をしなければならない、50 %のところで止めておかなければならないわけですが、これまで私とトモコが一緒になってつくり上げてきた『被害者』と『救済者』という関係から抜け出すために、どうしたらいいのでしょうか。
「私はどうしたらあなたを援助できるか、まだ、ちょっと確信がもてないでいるんです。でもこれからもずっとあなたと話は続けたいと思っているのよ。これから毎週あなたと一緒に協力してやっていきたいから、小さなことでもいいから何か自分ができることをまず考えて、やってみてね」。つまり、いまトモコが感じている孤立無援感というものに揺さぶりをかけようとしているのです。「私はあなたを援助するためにここにいるんですよ。でも、実際に行動を起こすのはあなたなのよ。なにかちょっとでもいいから、自分でやってごらんなさい」ということを課題として与えているわけです。そして、トモコとの間で新しい契約関係を結ぼうとしてるわけです。その新しい契約関係のもとでは、彼女自身が何か行動を起こすでしょう。そうすれば、いままでの閉塞状況を打破することができ、何らかのいい方向に事態が改善していくだろうと思います。
あるいは、もう少しこちらが直接的に出ることも、指示的に対応することもできるかもしれません。「ちょっと私たち、手に負えない状況になってしまったわね。あなたはカウンセラーである私が、あなたの問題をすべて解決してくれるという期待感をもってしまったみたいですね。実際、私自身があなたにそういった印象を与えてしまったのかもしれません」。このように直接的に話すことによって、両者がたがいにもっていた期待感というものを明確にすることもできるのです。こういったやり方を通じて、自分が50 %以上の越権行為をしていないかどうかということを常に測っていく必要があるわけです。
皆さん、被害を受けた人は同じような体験をし、同じような症状を表すかもしれませんが、誰ひとりとして同じ人はいません。その人のもっている意欲や能力、社会資源や環境は、皆それぞれ違うのです。ですから、どの人に対しても同じように対応するわけにはいきません。被害を受けた人がどのような状況にいるのか、また、どの程度の強さの自己をもっているのか、どんな問題を抱えているのか、さまざまな角度から観察したり、評価したりしながら、援助していく必要があるのです。
そこのところを十分承知して対応していくことが、大切だと思います。



もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患
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