あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患

「ドメスティック・バイオレンス被害者に対する精神医学的援助の実際」 加茂登志子(東京女子医科大学助教授・精神科医 と東京都女性相談センター非常勤医師)

 
 「子どもの”問題行動”こそ暴力環境への”適応行動”」 関野真理子(ことぶき研究所所長・セラピスト) 「”積極的傾聴””啓発・情報提供”エクササイズを手がかりとしたドメスティック・バイオレンス援助」 園田雅代(創価大学教授・臨床心理士)
ドメスティック・バイオレンス被害者に対する精神医学的援助の実際 (加茂登志子 東京女子医科大学助教授・精神科医 と東京都女性相談センター非常勤医師)
(財)女性のためのアジア平和国民基金
援助者のためのワークショップ2000 ドメスティック・バイオレンス 家庭内における女性と子どもへの影響③


1.はじめに
私は東京女子医大で精神科医をやっております加茂と申します。医者になった昭和58(1983)年以来ずっと臨床中心の生活ですが、ときどき学会で発表したり、学生や一般の方に講義をすることもあります。そもそもの専門は摂食障害です。そのほかに、コンサルテーション・リエゾン精神医学をやっています。これは比較的新しい分野なので、あまり聞きなれないかもしれません。皆さんにとって、従来の精神科といえば、単科の精神病院で分裂病や躁鬱病の患者さんらをひっそりと診ているというイメージがあるかもしれませんが、これは総合病院のなかでの精神医学です。つまり、ほかの科の患者さんで精神科的な援助を必要とする人のところに、往診で出かけていく仕事です。出かけて行って患者さんにいろいろな話をしたり、必要に応じて薬を投与しますが、それ以外にもチーム医療のなかにコミットしていったり、あるいはスタッフに精神科的な教育をするなどの役割もあります。
私がいちばんよくうかがうのは血液透析や臓器移植の場ですが、糖尿病の患者さんともよくお会いします。依頼を受ける患者さんの多くは心のケアを必要とする人たちですが、なかでも先端医療を受けている患者さんは、非常にストレスフルな状況にあるため、これからお話しするPTSDやトラウマ関連の疾患がけっこう多いように思います。
摂食障害の患者さんを担当するにあたっては、若い女性やそのお母さんたちと、家庭内の問題や、お父さんの暴力について話す機会がよくありました。たぶんそのころからDVのことが意識のうえにあったと思います。しかし、DVの被害を受けた方の援助に直接的に参加するようになったのは、東京都女性相談センターで非常勤医として勤務するようになってからですから、約3 年半ほどになるでしょうか。
東京女子医大は、30 年以上前から非常勤の医師を東京都女性相談センターに派遣していますが、3年半前に前任者が辞めるときに私がその仕事を引き継いだわけです。週に半日という非常に限られた活動ですから、やっと少しずつ自分のなかに蓄積ができてきたところです。センターへ行くようになって、DVの被害を受けた方を筆頭に、ふだん精神科の外来の門をくぐることなどあまりない方たちと出会うようになりました。フィールド(クリニック以外で患者さんを診ること)にも、まだこんなに大勢治療を必要としている方たちがいるんだなと実感しているところです。
もう少し東京都女性相談センターの説明をしましょう。そもそもは昭和30 年代に売春防止法が制定された直後に婦人相談所として開所され、その当時は同法違反の現行犯として逮捕された女性や、それに準じる女性たちの来所がいちばん多かったのです。ところが、その後そういう人たちの相談はどんどん減っていき、いまではそれはゼロに近くなっていて、その代わりにここ数年顕著になってきたのは夫やパートナーの暴力の問題で来る人です。新宿と立川の2 ヵ所あるのですが、平成11(1999)年度に同センターに単身で保護された人と、母子で保護された人、どちらも夫の暴力で来た人がいちばん多いという結果が出ています。


2.日本医学のDV認識は遅れている
最初に、いま日本の医学界ではDVについてどこまで理解されているのかという点からお話ししたいと思います。DVの被害者やその子どもたちを支えていくためには、積極的に司法と医学の2 つの分野が支えていかなければいけないのですが、そのどちらの分野も非常に遅れているのが現状です。
1 つには、これからお話しするトラウマ学そのものが若い学問だということがあります。この分野で医学論文が増えてきたのはせいぜいここ10 年ほどの話です。医学は、おそらくは司法でも、実証的な検証をしにくいものに関しては慎重にならざるを得ない、ある意味では少しまだるっこしい世界です。事実の検証がコンセンサスをもってついてこないとなかなか先に進めない、素朴な世界と言ってもよいかもしれません。そして、精神医学は、医学のなかでも特にコンセンサスが得られにくい学問です。
・インターネット上のDVとPTSD情報
最初に、インターネットでピックアップしたDVに関する医学的な情報をご紹介します。医学情報の検索で、世界的な権威をもった「メッドライン」という検索エンジンがあります。おもに英語で書かれた文献が集積されていますが、フランス語やドイツ語、スペイン語など欧米圏の論文も検索可能です。近年ではどの国の医学者もこのメッドラインを検索し、それを文献として論文を書いているわけです。
メッドラインで過去5 年間、DVと女性をキーワードとして検索すると約800の文献がピックアップされます。そのなかでPTSDに関係する文献をさらに検索してみると、だいたい30くらいに絞られます。アメリカの文献が多いですが、東南アジアやオーストラリア、南アフリカ共和国などの報告も散見されます。しかし、残念ながら日本発の文献は1 つもありません。まずは諸外国でどのような診断がつけられているか見てみましょう。
参考にしたいものの1 つ目は、ハワイで被暴力女性のためのプログラムサービスを受けている女性のうち、33 %から83 %がPTSDの診断基準を満たしたというものです。PTSDといえば、日本では阪神大震災と地下鉄サリン事件のあとで非常に有名になった病名で、要するにトラウマが原因となっていろいろな症状が出てきて、その症状が長期にわたって続く病気のことです。治癒しないというのではないのですが、原因が過ぎ去っても症状が残ってしまうのが大きな問題です。
次に、南アフリカ共和国の調査では診療所で受診した18歳以上の女性1,050人のうち、21.5%がDVを受けていて、そのうちの35.3%がPTSD、48.2%が大うつ病の診断基準を満たしていたとの報告があります。DVを受けていない女性より明らかに頻度が高かったのです。
アメリカのミシガン州でDV プログラムを受けている女性のうち60~ 62%がPTSD の診断基準を満たしたというデータもあります。また、コロラド州デンバーでプライマリーケアに訪れた患者に対しPTSDのスクリーニング調査をおこなってみると、その結果、38.6%の患者がPTSDと診断される可能性があって、その原因として最も多かったのがDVと幼児虐待でした。
ニューヨーク市の児童精神科クリニックを訪れた100人の3~ 18歳の子どものうち、59%にPTSDと評価するに足るトラウマの存在が認められました。そのうち22%がPTSDと診断され、DVの目撃、子どもの虐待がPTSDの重症化に関連していました。
医学の分野では、こうやって少しずつ事実の蓄積がなされていって全体が動くというふうなかたちで事態が進んでいきます。ですから、現場のニーズよりやはり少しずつ対応が遅れていくのが現実だという点を理解していただきたいと思います。
日本の精神医学だけではなく、ヨーロッパにおいても、心的外傷やトラウマに関して、ちょっと鈍感だったところがあります。日本の精神医学は、この20年間はアメリカの精神医学や心理学を非常に熱心にとりれるようになっていますが、それ以前はドイツの精神医学を主なお手本としていた時期があったのです。
私にも実は精神病理を熱心に勉強していた時期があり、20 歳代にはドイツに2 年ほど留学もしました。ドイツ精神医学の基礎には記述精神医学と言って、物事をなるべく正確に事実にそって書いていき、情緒的な解釈を排除しようという考え方があります。これはこれで非常に重要な学問であり、分裂病や躁うつ病の診断学はそれによって非常に発展しました。けれども、心因反応とか心的外傷というものにドイツ精神医学はちょっと冷たかった。なぜそうなったかと言うと、そういった記述的なところにのっとって実証を大事にしたという国民性のせいと考えることも可能だし、もう1つはナチスドイツと関係があるのではないかとも思えます。

・ことばの使い方の難しさ
さて、トラウマ学は若い学問だという話をしました。しかし、すでに約10 年の歴史があるとも言えます。ここでは、ことばの使い方の難しさについて少しお話しておこうと思います。
この10 年はメディアの発達にも著しいものがありました。医学以外の分野でもそうですが、ことばやイメージが先に流行し、その指し示すものの実態がわかりにくくなることがありがちです。また、医者というのは比較的プライドが高いですから、世間でことばが先行してしまうと、それに対してちょっとアレルギーを起こしてしまうようなところがあるかもしれません。トラウマの前は「AC」(アダルト・チルドレン*)がそれだったと思います。
たとえば、外来に来る前にすでに山ほど関連書物や情報を得て、いざ初診というときに、「私はAC です」と自らを限定してしまう患者さんにしばしば出会いました。正直なところ、何度もそのような方に出会うと、しまいには「うわッ、じんま疹が出そう!」というような感じになってしまう医者も少なからずいたのではないかと思います。そういうこともありましたから、ニーズはあっても上手に答えることができなかった、あるいは意識的、無意識的に遠ざけたという面があるのではないでしょうか。
いま、日本の大学病院のなかで、トラウマということばを使う人はまだ少数派だろうと思います。少しずつ増えてきていますから、もう5 ~ 6 年も経てば相当浸透するだろうと思いますが、やはり年配の医者が指導している大学病院あるいは市中の病院では、もう少し時間がかかるのではないでしょうか。


3.トラウマとは
大学で使用されるかどうかは別として、「トラウマ」ということば自体は急速に世間の知るところとなったわけですが、では実際にどういうものか、まずはそのへんを確認しておきましょう。
トラウマとは、精神にとって圧倒的な体験があったときに人間の心がそれからある強い衝撃を受け、その心のはたらきになかば不可逆的な変化を被ってしまうことを意味しています。このとき、不可逆的な変化というところが、非常に大きなポイントになります。
先にも述べましたが、ドイツの精神医学のなかに心因反応という項目があります。私たちが習った精神医学では精神障害の原因は大きく内因、外因そして心因の3 つに分類されています。内因というのは、精神分裂病だとか、躁うつ病を起こす原因を指し、外因というのは、脳に直接間接に生じたなんらかのダメージを示します。たとえば交通事故で脳に外傷をおったとか、あるいは脳炎になったときに精神症状が出てくることがあり、これを大きく器質性脳症候群と言います。そして、心因がトラウマに関係する部分で、要するに何か大きな精神的ストレスがあって、これを原因として精神障害が出現するものを心因反応、ないし心因性精神障害と言います。しかし、ドイツの精神病理学では、心因反応は心因(ストレス)がなくなれば精神症状は消失するというふうに定義されていましたから、心因が原因の精神障害で不可逆的な反応が起こるということは、その概念のなかに含まれなかった経緯があります。
心への衝撃が一定以上の大きさの場合、私たちの心の通常の治癒能力では処理しきれなくなり、外傷記憶が形成されると言われています。外傷記憶は通常の記憶と違って、時が経っても薄れていくことはなく、その人の心を直接、間接に支配してしまうような性質のものです。それがトラウマなのです。どういうふうにしてその外傷ができるかというと、非常に大きな体験が起こると、ふつう私たちはそこには近寄らないようにしようとか、見ないようにしようと距離を取るわけです。ところが、その距離が十分に取れなくて、何か強烈な体験を至近距離で体験してしまうと、それが精神を圧倒するような外傷となってしまうのです。
最近、その現象は心理的な範疇、すなわち心の中だけではなく、実際に脳の中でもいろいろな反応が起こっていると、言われるようになりました。中心に挙げられるのは、脳の奥のほうに海馬という部分があり、その海馬が萎縮した結果、トラウマが永続的あるいは半永久的に続いてしまうのではないかという意見です。そのほか、内分泌的に大きな変化が起こってくるとか、ちょっとそれ以上は専門的な話になりますので触れませんが、そういうふうにトラウマのバイオロジーを探求する道を歩んでいる医者もいます。


4.トラウマから起こる精神障害の特徴
外傷記憶を形成するものにどういうものがあるか列挙してみましょう。言語的な外傷、つまりことばの暴力、それから性的な外傷、身体的な外傷、そのほか災害、戦闘体験、別離、死別など。
外傷性精神障害のうちの1 つがPTSD ( P o s t -traumatic Stress Disorder)です。そもそも、PTSD のようなトラウマから起こる精神障害には3 つの特徴があると言われています。
・解離現象
1 つは解離現象です。解離というのは、その場を切り抜けるために用いる一種の防衛手段で、精神の一時的仮死状態を示します。自分を観察している自分から切り離す―ちょっと変な言い方ですが、自己というものから感情とか痛みとか現実感というようなものを切り離すことで、精神的、肉体的な苦痛をやり過ごす方法です。
立てない、歩けない、あるいは耳が聞こえないという人もいます。そのほかに痛みを感じなくなるという人もいます。ちょっと前までは「ヒステリー」と言われていた病態のなかでの中心的な現象です。

・記憶障害
2 つ目は、記憶の障害です。これは話の筋や展開を形成せずに、断片的でつながりがなく、感覚的、印象的かつ感情的で、しばしば無意識の記憶です。DV の被害を受けた人の、逃げてきた直後の援助にかかわったことがある人はわかると思いますが、非常におしゃべりな人が多いですね。そして、自分の体験を一生懸命しゃべろうとするのですが、そのつどのテーマが極めて断片的なものになってしまっており、ここを話したかと思うと、突然10年ぐらい前の話に戻って、それからまた昨日の話になってしまう。非常にまとまりがないから、こちらがまとめようとして口をはさむと、もう1 回いちから出直しになってしまう。暴力の記憶はぼんやりと霧がかかってはっきりしなかったり、逆に極端に鮮明でいまここで夫の暴力が行われているかのごとく記憶を体験してしまったりする。これは時間的・空間的な性質を与えられる「明白な記憶」に対峙する「潜在的な記憶」であると言われています。
ここに海馬の関与があると言われています。海馬は大脳辺縁系に属する脳の一部で、記憶に時間的・空間的な性質を与えて、それをライフヒストリーのなかに組み込ませるはたらきをします。つまり、私たちが通常、記憶と言っているものはライフヒストリーですが、それが通常の記憶となるためには、海馬の関与が非常に重要なのです。ところが外傷的な出来事が起きた場合、しばしばこの海馬のはたらきが抑えられしまい、その結果フラッシュバック、悪夢、それから不安が体の症状になって腹痛、頭痛、呼吸困難感などの身体化症状が出現するようになると推測されています。
PTSDの患者さんが示す反応のなかに過覚醒と感情麻痺という、非常にぴりぴりした状態とぼんやりした状態が同時に存在することがあります。これも外傷記憶と関連していると言われています。
つまり過覚醒状態は、その記憶が予告なしにいつでも襲ってきてしまう状態、つまり戦闘態勢のような状態にあることです。感情麻痺というのは、そういう戦闘態勢になるべく入らないようにする防衛のことです。

・世界観・対象関係のもち方への影響
トラウマから起こる精神障害の特徴の3 つ目は、世界観ないしは対象関係のもち方への影響です。実はこれが非常に大きな問題であろうと私は思います。DV体験は、ほとんどが反復性のトラウマを形成します。DVが繰り返されるごとに、そのつど、被害者は非常に自己の存在を痛めつけられるという状態になるわけです。そういうことが繰り返し起きてくると、人間というものは、ものの見方とか人生観というものが変わってきてしまいます。そして、外傷の生じた時期が人生の早期であればあるほど、その人のもつセルフイメージや世界観が非常に原始的、つまり子どもっぽくなって非論理的で魔術的なものになるとされます。
子どもの虐待にそれを照らして言えば、本当は守ってくれなければいけない人が虐待者になってしまうわけですから、そういう異常事態を必死に説明するために「自分が悪いからこうなったのだ」と、子どもは子どもなりの論理をつくりだすのです。このように、虐待というトラウマはその人の一生の世界観や対人関係を規定してしまうことすらあります。
よく見られるのは、対人関係のうえで起きる出来事を自分は一切コントロールできないと確信をもつことです。自分はここから逃れられないとか、また戻らなければ夫がやってくるに違いないとか、そういうことをとても強く確信しているのです。ふだんはある程度、自己主張をすることができても、相手が虐待的・暴力的なふるまいに出てくると、それに対して簡単に無抵抗になってしまったり、せっかく逃げてきたのにまた戻ってしまうというのは、こういうところから起こるわけです。あるいは、相手から虐待されるような状況に自分を積極的に追い込む傾向すらあります。
トラウマを受けた人は、こういった世界観の変化を遂げている人がとても多いと言われます。援助者のなかにも、DVの被害を受けた人たちと話しているとき、急に激しい陰性感情をぶつけられて逆に傷つけられたという人はありませんか。非常に気をつけて話をしているにもかかわらず、じつにささいなことに敏感に反応して、何でそんなことを言われなくてはいけないのかと、援助者のほうが無力化されてしまうということも、しばしばあるのではないか思います。
私の経験に限って言えば、子どものころに親から虐待を受けていて、長じてから結婚してこんどは夫に暴力をふるわれたという人にそういう傾向が強いようにも思えます。手負いの熊というか、本当に触ったら切れてしまうような感じの人がいます。
どんな人でもこのような状況におかれれば、同じような反応をする可能性があるということを知っていれば、援助者が無力化してしまうのを若干でも防げるのではないかと思います。


5.外傷の分類
次に外傷の性質の分類です。1つは陽性外傷と陰性外傷です。まず陽性外傷というのは破壊的、侵襲的で直接的に精神的外傷をもたらすあらゆる種類の外傷体験にもとづいています。それに対して、陰性外傷というのは養育の欠損、いわゆるネグレクト*、あるいは母性の剥奪などのことを言います。
2つ目は、一過性の外傷か反復性の外傷かの違いです。阪神大震災や地下鉄サリン事件の場合は、一過性のものすごい大きな爆弾が落ちたような外傷ですが、DV や子ども虐待は反復性の外傷になります。
3つ目は、人生早期における外傷かそれ以後における外傷かの分類。
4つ目は、性的外傷かそれ以外の侵襲的な外傷かによる分類。性的外傷を特に分ける理由は、幼児の性被害が非常に原始的な性の快感などと関係があるからです。
5つ目は、人為的な外傷か偶発的な外傷かの分類。天災やその他の外傷で、ほかの人たちもみんな同じように被害を受けたということであれば、仲間意識も生まれやすいし、デブリーフィングなども進みやすいのですが、人為的な外傷で「なぜ私だけが」と感じるような状況では、傷は非常に深くなりやすいのです。
外傷性精神障害は、以上のような性質にもとづく分類のほかに、診断名として単純型(シンプルタイプ)と複合型(コンプレックスタイプ)という分類がなされることもあります。これはファン・デア・コルクという有名な外傷学者がつくった概念です。時間的に限定された外傷により恐怖症やパニック障害が生じるのに対し、より慢性的な外傷はその個人の人格に組み込まれて、別の境界性人格障害(BPD)や多重人格障害(MPD)などの病理を形成していくのではないか。だから、シンプルタイプのPTSD に比べて、コンプレックスタイプのPTSD は根が深いし、治療という意味では比較的難しくなっていくという説です。ただし、このBPD やMPD に関しては、まだ議論が分かれるところです。

・境界性人格障害(BPD)
境界性人格障害(BPD)については、皆さんもその病名をよく耳にすることがあると思います。対人関係が不安定でいろいろな神経症症状が出て、手首を切ったり家庭内暴力を起こしたり、急にいい子になったかと思うと、また次の瞬間には悪い子で、どのように対応していいかわからないというような人たちです。
BPDは最近非常に増えてきていて、対人関係が不安定であることや自傷などの行動に出やすいという点などから精神科医泣かせの方たちです。対応に苦慮することがままあります。医療の側が、境界性人格障害の患者さんがトラウマの被害者だという視点になるには、まだもうちょっと時間も検証もかかるのではないかと思います。しかし、多重人格障害に関しては、幼児期の虐待が多いという報告が共通して出てきていますので、BPD より受け入れられやすいのではないでしょうか。

●PTSDとASD
さて、この外傷体験と関連が深い精神障害ということで、やっとPTSDとかASDが登場してきます。
急性ストレス反応(ASD)というのは、外傷性ストレス障害(PTSD)と症状的に大差はないのですが、事件以後症状の持続期間で診断名が分かれます。ASDは事件が起こってトラウマ性の症状が起こった場合、その持続期間が1 ヵ月以内のものを言います。1 ヵ月を超えてしまっているとPTSD という診断をします。これは便宜的につけることになっていて、1 ヵ月の根拠というのはあまりありません。さらにPTSD に関しては、3 ヵ月を超えるものに関しては慢性とつけ、若干重症化していると位置づけます。
そのほかにも外傷体験と関連が深い精神障害が多数挙げられています。先ほど述べたMPD(多重人格障害、Multiple Personality Disorder の略)。アメリカの診断基準を使うと解離性同一性障害といと言います。もうちょっとまとめた概念ですが、DID(解離性アイデンティティ障害、Disociative IdentityDisorder の略)があります。
その他のさまざまな病態にもトラウマの関与が言われています。解離性障害、自傷行為、境界性人格障害、身体化障害、適応障害、うつ病のある部分の人たち。それからパニック障害。摂食障害。摂食障害のなかでも特に、過食症には非常に性被害が多いと言われています。
行動障害、「過敏型」自己愛人格障害、回避性人格障害ないしは社会恐怖。強迫神経症など。いちいち説明していると、精神医学の全講義になってしまうので、あえて言いません。昔ヒステリーと言われたものなど。こういったものは、実は外傷体験と関連が深いのではないかと言われています。


6.トラウマ性精神障害の治療
治療またはカウンセリングの方法などの各論については、あえて深くふれません。時間が足りないということと、私自身に経験が乏しいということ、それから、これが最も重要なのですが、いろいろな治療技法が開発されてそれぞれ取り組まれているけれども、まだどれも部分的な活動で結論があまり出ていないということです。精神医学全般からみると特殊中の特殊というべき治療技法が多くて、それをやってもらえば治ると思い込んでしまうと逆に被害を受けた方にも援助者にとっても、ちょっと不都合ではないかとも思えるからです。
例を挙げれば、概して非常に知的で一生懸命勉強なさる方たちが、たとえば「アリス・ミラーの治療がいいのではないですか」と言ってくる。回復したいという気持ちに対し、こちらもなんとかして応えたいとは思うのですが、こうすれば確実に治るというような治療法は、残念ながらいまのところないのではないか、あるいは、もしあるとしても治療の場が非常に限定されてしまうのではないかと思います。むしろ、戦略を工夫しつつ息の長い援助をしていくということが、最終的にその人にとってプラスになっていくのではないでしょうか。
それは、私が摂食障害の治療のときに痛感したことなのです。摂食障害にもいろいろな治療法があると言われていますが、実は結局決め手なんてまったくないのです。要はちゃんとわかってくれる医者と知り合って、長い時間かけてその医師のもとへ通い自分のなかで自信を培っていくという、非常に地道な治療の方法しかないのです。もちろん、そのあいだに痩せ過ぎて死なないようにしようとか、吐き過ぎて病気にならないようにしようとかいうことはあるのですが、本道は非常に地味な作業です。
治療を開始して1 ~ 2 年はすごく大揺れかもしれませんが、5 年、10 年と経ってくると、それなりにその人の人生を自力で歩けるようになってくることが多いように思います。DV に関しても、同じようなことが言えるのではないかと考えているところです。

・摂食障害の強制治療
摂食障害の強制治療の件で質問がありましたので、すこし脱線しましょう。摂食障害の場合、本当に痩せがひどくなってしまうと、自己判断が難しくなるし、やっていることもだんだんめちゃくちゃになってきます。そのままの病状が続いていくと、相当に危険です。施設によっては15 %、平均でも5 %くらいは5 年間で亡くなるという非常に高い死亡率のデータが出されています。本人が判断できない状態になってしまっている場合や本人に直接アプローチできない場合には、やはりお母さんなりお父さんが覚悟して治療に導入する以外、現行の日本の精神医療ではなかなか動きがとれないだろうと思います。ですから、強制治療が必要なこともあるのです。
私にも強制治療にせざるを得なかったケースがありますが、そのときはお父さんだけが相談にみえて、半年間そのお父さんと話をして、「お父さんやお母さんがその気になるのだったらこちらは手を貸します」ということで、煮詰めに煮詰めて最終的には患者さんの輸送に協力してくれる民間システムとか、最近では保健所でも運んでくれるシステムがありますから、そういうシステムを利用して介入してもらいました。そのケースの場合は幸い強制的な治療導入後よい方向にむかい、いまでは本人が自主的に通院なさっています。
こういう強制治療のケースは、保護者となるお父さんとお母さんがどれだけ覚悟できるかにかかっているのです。覚悟できないと、強制入院をしてもうまくいきません。精神科への通院は、本人が行かなければ、とりあえずは親だけでもいいのです。それだけでもつながりはできます。ただし、親がネグレクトしているような状態にある場合にはそうとう難しいと言わざるを得ません。

・トラウマ性精神障害の治療の要点
さて本題に戻って、トラウマ性精神障害の治療の要点をファン・デア・コルクの論にそってまとめてみたいと思います。
q心理的、生理的反応をコントロールし、統御する。
つまり自分の圧倒的な体験から生じる症状にふりまわされないように、これを統御していく方向の治療を受ける。治療の場はグループミーティングであるかもしれないし、デブリーフィングもそうかもしれません。しかし、やはり激しい自律神経症状やフラッシュバックなどが起こる場合には、薬を使用する必要があります。近年では外傷性の記憶に対して効果があるとされる薬剤の報告がみられるようになりました。
wおそれおののき、圧倒された体験を加工処理し、体験と折り合っていく。これはqとも深く関係しています。多少なりとも症状がコントロール可能になれば、外傷記憶を本来の記憶に変換していく作業に容易にとりかかることができます。
e安全な社会関係、および個人と対人間の効力感を再建する。
これは非常に大事なことで、たとえば逃げてきたところでどのように扱われるかがまず問われるだろうと思います。皆さんがDV の被害を受けた女性を援助していこうというときの、大きなテーマの1つとなるでしょう。社会的、経済的生活の確保の重要性も忘れることはできません。複数の役割を担った人のチーム援助が最も望まれるところです。
さまざまな工夫をこらしたとしてもトラウマによって損なわれた自己の自立感の復活は容易ではありません。衣食住と安全、そしてゆったりとした時間が必要とされます。

・「除反応」と「デブリーフィング」
最後にトラウマ性精神障害に対する精神医学的・心理学的な治療で、重要な概念として、特に上に挙げた基本項目のうち1 と2 に関連する「除反応」と「デブリーフィング」の2 つを挙げておきます。
「除反応」とは、すでにできあがってしまった外傷記憶をさまざまな方法でライフヒストリーのレベルまで再構築する方法です。具体的には認知行動療法とか、あるいはEMDR という眼球運動を用いる方法などがこれに属します。
もう1 つの「デブリ-フィング」とは、圧倒的な体験があったあとに、それをなるべく外傷記憶にしないようにしようという方法です。これはPTSDの予防を目的として、1991 年に開発されたものです。危機的な突発事故や災害に直面したときに、その発生現場でのサポートが非常に重要で、発生直後から危機緩和をしておくことが望まれます。
そこで、小グループを組んで被害者が事故や災害に遭遇したときの模様についてリーダーの指示のもとで、自分は何を思い、何を感じ、何を不安に感じるか話し合うのです。
たとえば、阪神大震災のときに、心理のボランティアなどが神戸の被災地へ行ってやろうとしたことです。地下鉄サリン事件でもそういう取り組みがなされたと聞いています。あるいは人質テロ事件のときにも精神科医が何人か現場に派遣されましたが、要するに治療をしに行くというよりは、まずは予防をしに行っていたわけです。
外傷後早い時期に体験を語ったり、ストレス反応について知識をもっていれば、外傷体験や処理に有効であり、PTSDの予防に役立つとされています。


7.DV被害を受けた女性の保護プロセス
平成10(1998)年に東京都が女性に対する暴力の実態調査を行い、その調査報告書を出しています。各地域別の小規模調査は別として、これほど大規模な調査というのは、非常に画期的な試みでした。この調査に触発され、旧総理府統計局が男女間の暴力における調査というものを行っています。どんな結果が出ているか見ておいていただければと思います。
日本で被害を受けた人が一時保護を要する場合、そのルートは2 つあります。民間のシェルターに直接アプライして入所するか、あるいは警察、福祉事務所、婦人相談所などを経て一時保護の場所をアレンジしてもらうか。しかし、緊急保護所にずっといるわけにはいきません。自分のちからで自立するのは難しい、もう少し保護する環境が必要だという方たち、日常的な援助が必要な場合には母子生活支援施設、あるいは女性保護施設で生活することになります。その後、お金をもっているか、もっていないか等、さまざまな条件を勘案していろいろ方法で分かれてくるわけです。たとえば、所持金が多い場合には、自分のお金でアパートを借りる。所持金が少ない場合には、生活保護を申請する、そしてアパート転宅を行う、などといった具合です。あるいは、住み込み就職先を探すという手もあります。しかし、保護直後の就労は現実的に困難な場合が多いように思われます。やはり自力でアパートを借り、あるいは生活保護でアパート転宅し、または寮に入ってから、ゆっくり仕事を探すというかたちになることが多いわけです。だいたい日本のルートとしては、そのようになっていると思います。
保護の依頼や相談を受けたときには、まず福祉事務所か警察へ行くように勧めるのが、いちばん確実なルートではないかと思います。もちろん直接民間シェルターに問い合わせる方法もあります。警察へ行ってとひどい目に遭ったという話などをよく耳にしますが、休日や夜間に緊急の相談を受けたとき、緊急保護してくれるのは、差し当たりはやはり警察しかありません。日中の場合には、福祉事務所に行ってもらうほうが、あとが確実だと思います。
最近は警察にも変化のきざしがあるように見えます。昨年、ストーカー防止法や虐待防止法などが制定されましたから、現場で見ていても警察の対応もかなり変わってきたと思います。地域の相違などあるでしょうが、そろそろ積極的に相談しにいってもいい時期に入ってきているのかなと思います。さらにいま、DV 防止法というものが検討されています。最終的にどんなかたちのものになるか、私にはよくわかりませんが、それが制定されると、また世間の見方はいくぶん変わってくると思います。少し楽観に過ぎると思われるかもしれませんが……。


8.事例を通して
基礎的な話をしてきましたが、少し目先をかえて、事例を通してDVの子どもへの影響について見ていきたいと思います。もちろん匿名性に配慮して事例のプロフィールや経過のかなりの部分を加筆変更してあります。

【Aさんのケース】
これはDV環境に育った夫から暴力を受けた、50歳代の女性の事例です。
加害者となった夫は、アルコール依存症の父親が刃物をふりまわし、母親が逃げまわっては自分の子(Aさんの夫)の前で「死にたい」と始終こぼすような家庭で育った人物です。
・結婚時にはすでにアルコール依存症
Aさんと結婚したとき、夫はすでにアルコール依存症におちいっており、また相当にワーカーホリックだったと言います。しかし、暴力はまだはじまっておらず、酒を飲まなければいい人で、愛情も感じていたそうです。ところが、40 歳代になって慢性病を患ったのをきっかけに、毎晩のように妻と子どもたちに罵詈雑言を浴びせ暴力をふるい、ものを壊すようになりました。しばらくはだれにも相談しなかったそうですが、しだいに暴力がエスカレートするようになり、辛抱できなくなって自分の親族や知人のもとへしばしば避難するようになりました。Aさんは不安や不眠に悩ませられるようになり、抗不安剤を服用するようになったそうです。
・保護のきっかけは保健婦のアドバイス
Aさんは夫のアルコール依存を治療にのせようとしましたが失敗。保護のきっかけは、保健婦さんからのアドバイスでした。激しい暴力の直後、夫の酒乱の件で相談していた保健所に相談の電話を入れたところ、すぐに家から出るようアドバイスされ、福祉事務所への連絡方法を教えられたといいます。決心したAさんはその足で娘を連れて福祉事務所へ出向き、緊急保護所へ入所するに至りました。暴力が始まってから十数年が経過していました。入所後の面接で、Aさんは凄惨な体験にもかかわらず、妙に明るい多幸的な表情をしていました。そして、家を出てから緊急保護所に入所するまでの経緯について猛然と話しはじめました。少量の抗不安薬を投与したところ、1 週間後は、かなり落ち着いた表情になっており、あまり興奮したようすも見られなくなっていました。むしろ娘の今後をしきりに気にしていました。
・妻より娘のほうが症状は深刻
さて、精神症状としてはこのAさんよりも、いっしょに家を出た娘さんのほうが、ずっと深刻でした。幼いころからお母さんやきょうだいに対するお父さんの暴力を見て育ったというその娘さんは、20 歳のころから拒食とひきこもりにおちいり、自宅近くの精神科クリニックに通院するようになったそうです。母親に対する父の罵詈雑言を聞くごとに不安になり、手首を何回も切っていました。緊急保護所で、その娘さんは一見冷静そうに見えましたが、お父さんの怒鳴り声の幻聴が聞こえる、自分はそれに対して独り言で謝っているのだが、自分にもその内容がよくわからない、またその父親に追いかけられたりののしられている悪夢を見ることが多く、しばしば夜中に目が覚めると訴えました。
この娘さんに対しては、ASDのほか、境界性人格障害の疑いがあると診断しました。

【Bさんのケース】
これもDV環境で育った夫から暴力を受け、やっと逃れた母娘の症例です。
Bさんの話によれば、結婚半年後から夫の暴力が始まり、妻はその後なんども家出を繰り返しましたが、そのたびに子どものために戻ったといいます。
3 人の娘さんがおり、お母さんに言わせると、DV 環境から離れて祖父母のもとで育てられた長女はしっかりしていて何でも相談できるそうですが、下の2 人はそれぞれ10 歳代半ばからさまざまな問題が出現し、精神科医から分裂病や境界例、解離性ヒステリーなどの診断を受けています。
・暴力が始まって20 年後に緊急保護所へ
緊急保護所へは娘さんの1 人といっしょに入所しました。暴力が始まって約20 年後の保護です。Bさんは自分のことより他人のことを第一に考えるようなタイプの女性で、いまはいっしょにいる娘の心配をしていますが、一方でそれに生きがいを見出だしているようなふしもうかがえました。娘はことあるごとにBさんをぼろくそに罵るのですが、Bさんは甘んじてこれを受け入れていました。夫の追及に対する心配にしても「娘がパニックにおちいるので困る」と表現しています。
保護期間中に娘さんにやってもらった風景構成法という絵画を用いた心理テストには、娘さんのすさんだ心象風景が描かれていて胸がつまる思いでした。
この2つのケースを通し、DVという「負の遺産」が「暴力の連鎖」ということば以上にいかに重く次世代に刻印されていくかがわかります。もちろんA さん、B さん、その娘さんたちに回復のチャンスはあるだろうと思いますが、特に娘さんたちにはなんと重い課題でしょうか。


《意見交換》
参加者  抗不安剤と睡眠導入剤は依存しやすいとよく耳にします。もう7、8 年ものあいだずっと誘導催眠剤を飲み続けているという人がいるのです。毎日飲まないとだめで、アルコールも同時に飲んでいる。第三者の目から見て、もうこれは依存している状態だなと判断できるような指標、目安のようなものはあるのでしょうか。
加茂  目安は通常量より多い服用量、具体的に言えば倍以上飲んでいるときは危険ですね。それから多剤併用。抗不安剤はどんなに併用しても2 剤から3 剤です。皆さんがカウンセリングをしたり相談を受けるときにチェックしておくべき点は、通常量の倍以上飲んでいないかどうかという点と、多剤併用していないかどうかという点です。依存してしまう人のなかには、あっという間にそうなってしまう人がいます。そうかといえば、長い年月飲んでいても、きちんと量を守って飲んでいる人もけっこういます。長く飲んでいると依存におちいりやすいような気がするかもかもしれませんが、通常量を守って本人がきちんと管理できていれば全然問題はありません。少なくとも通常量を飲んでいる限りは、睡眠導入剤にしても抗不安薬にしても、まず依存は起こらないのです。依存になるのは量を多く飲む場合なんですね。
たとえば、非常によく使われるハルシオンという睡眠導入剤があります。ハルシオンは0.125 ミリ錠と0.25 ミリ錠の2 種類あるのですが、0.25 ミリ3錠が極量になっています。ですが、私たちは3 錠は出しません。いろいろな問題が起こるので2 錠まで、どうしてもという人にだけ3 錠出すのです。それ以上飲んでいる人は要注意です。
ただし、抗不安薬や睡眠導入剤の乱用状態は状況さえ整えば、アルコールより減量しやすいという面があるのです。アルコールは酩酊状態が激しくてかなり酔っぱらいますし、からだの依存も起こりやすいのでなかなか抜けられないのですが、抗不安剤の場合はそれほどひどい酩酊状態は起こりませんから、その気でじっくり取り組めば減らせるはずなのです。とはいっても、そもそもの問題が解決していけばの話ですが。
ですから、「ほら、いま乱用状態になっているよ」とアラームを鳴らしてあげて、ちゃんと減量したほうがいいということを、どこかで伝えてあげるといいのではないかと思います。参加者精神科で、たとえば離婚について相談にのるようなことがあるのですか。そういうことは、本人が考えることであって、精神科の医者は一切かかわらないと思っていましたが。加茂ふつう精神科診療のなかでは、そこまではなかなかかかわりきれないところがあると思います。そのあたりには役割分担があって、婦人相談員や法律相談員、あるいは福祉の方が、経済面だけではなく司法面からもサポートしてくださっているのではないでしょうか。これまで私たちが教わってきた精神科の精神療法では、「離婚しろ」とかそういうことは積極的に言ったり勧めたりしてはいけないことになっているのです。でも、私の場合は比較的、積極的に勧めることにしています。
なぜなら、患者さんは私のもとに来た時点で相当に無力化されていて自己決断ができない状態になっているからです。これが本当に正しいのかどうかはわからないけれども、「私だったらこうする」というような言い方で、とりあえずこちらの指示をかなり積極的に出していくことがあります。

参加者  AさんBさんの事例を聞いて、両親の問題が子どもへものすごく大きな痕跡を残している、精神的なトラウマを生んでいるという印象を受けました。
加茂  そうですね。親自身が、自分のことで精一杯で子どものことまで目が向かない。ですから、いま皆さんがやっていらっしゃることは、とても意味のあることなのです。DVの被害を受けた人を援助することが、どれくらいまわりの人をも援助することになるかということをわかっていただきたいと思います。DVを受けている女性だけを救うのではなく、その子どもも救うことになるし、ひいてはその子どもの子どもをも救うことになるのだろうと思うのです。

参加者  緊急に施設に入ってくる人たちは暴力の内容についてまではなかなかしゃべろうとしません。いまはまだしゃべらないほうがいいとご自分で判断しているのかなとも思いますが、こちらからもっと突っ込んで尋ねたほうがいいのかなという気がしてみたり。話してもらうことでその人自身がもう少し楽になるのではないかと期待してみたりするのですが。
加茂  トラウマの問題はきちんと自分で表現しないと解決できないよ、除反応できないよということが知識として知れわたっていますから、話させなければいけないと思っている援助者が多いのですが、本人が棚上げにしているあいだは、棚上げしておいていいのだろうと私は思います。話を無理に聞いたために逆効果で、古い傷などの場合には、自分が小さいときに親からなされたことなどがいっぺんに噴き出してきて、精神的に危なくなってしまうというような危険性もあるのです。ただ、投げかけとして、「もし話したくなったら聞く準備はあるから」ということは伝えておいたほうがいい。本人のなかで準備が整うのを待つということです。
また、「どうしたの? そのあと」というふうに少しだけ水を向ける。何も答えてもらえなければそれまでですが、「実は…」となるかもしれない。そうやって話しはじめることによって癒されたり、話を整理できることもあるかもしれません。

参加者  DVの被害を受けているお母さんが子どもを虐待しているような場合、精神科医から「いま、お母さんは不安定な状態ですから、しばらく放っておいてあげてください」と言われる場合があるのですが、私たち子どもの保護をしている立場からすると、「これは子どもに対する虐待ですよ。放っておくなんてできませんよ」と言わなければならないことがあります。精神科医との協調の取り方が非常に難しいと感じています。専門知識プラス日常のケアで動かなければならないという意識があります。
加茂  援助者と医者との関係についてですが、最初のうちはうまくいかなくても、いつかどこかで折り合うことができるはずですから、あきらめないでコミュニケーションをとり続けてください。私自身もDV の被害を受けた人に関与しはじめるまでは、ある意味で非常に鈍感だったと思います。だから、その当時はひどいことを言っていたでしょうし、いまでもまだ言ってしまうことがあるのではないかと思います。
DVなどの新しいテーマは教科書的な情報は限られていますから、医者も学習していかなければならないのです。そういう意味でも、「コミュニケーションをとり続けてください」と言いたい。システムを改善するということは非常に大切ですが、何と言っても最後は人と人とのコミュニケーションの問題になってしまいますので、システムばかりに気をとられていてはだめなのです。
いろいろな問題が絡んでくると、何もかもよくしたいと思うのは自然なのですが、やっぱりできないですよね。私は、まず子どもから、次にお母さん、そしてお父さん、というふうに優先順位を決めることにしています。自分の能力を超えたことをすると、自分も壊れるし、自分の家族も壊れてしまいますから、必ず線を引きます。ときには見殺しにするようなこともあるかもしれないけれど、私という器を超えた内容の場合は、どこか受けてくれそうなところを紹介して、当事者の回復力を信じて「生き延びてね」というだけしかできないと思っています。
だれか一人の援助者やカウンセラーがバーンアウト(燃え尽きる)してしまうというのではなく、医者と、カウンセラーと、そうでない援助者と、できれば援助者の側も複数いて、それら複数の援助者と当事者のコミュニケーションのなかで回復が育まれていったら、きっともっといいはたらきができるのではないかという気がします。

参加者  精神科医から分裂病だとか人格障害の診断名がついて心理のほうへ来られる人がいます。治療という観点からすると医学的な分類として診断名をつけることは非常に大事だと思うのですが、心理職のほうから見ると、「これはトラウマへの反応なのではないかな」と思える方が非常に多いのです。どうもその症状のほうに目がいっていて、心の傷に対するケアというのがどうしても手薄になっているような気がしてしまいます。
たまたま先生に時間があって、話を聞いてくれたというだけで、ものすごく元気になる患者さんなどを見ていると、やはりそういったところに心理職が入っていく必要があるのではないかと思うのです。なかなか伝統と歴史のある病院のなかで心理という職業は立場的に弱くて、心のケアに行きたいのですが、身動きができないもどかしさを感じています。
加茂  心理職は確かにまだ入るところが少ないですね。しかし大切な分野だと思います。医者がなかなか時間をとれないというのは、診療報酬上の問題が非常に大きいです。薬を少なく出してゆっくり話していようと思ったら、経済的に立ちゆかなくなるという事情があります。このへんはみんな、涙を飲んでやっているのだろうと思います。心理の方になかに入っていただくというのは非常に大事なことだと思うし、10 年前に比べたらどんどん入って来ていますから、次の10 年でさらに増えると思います。

参加者  私はおもに子どもと母親の相談を扱う公的な相談所にいましたが、6 年半ほどそこにいるあいだにDV のケースには1 件もぶつかりませんでした。いまから考えてみると、それは非常におかしいことです。私のほうに見る目がなかったのですね。つまり、事実は事実としてそのまま存在しているのではなく、事実を見る枠組みがないと存在しないのだということを、自戒とともにいま痛感しています。
私はいま加害当事者の男性側の相談機関を開いているのですが、ときどき被害当事者である妻からワンポイントの相談を受けることもあります。そんなとき、どんなにひどい夫であっても別れることは非常に難しいということを痛感させられます。「あなたはこのままでいるといつ障害者になるか、命を落とすかわかりませんよ」とか、「あなたはまだ夫に対して未練があるようだし、あきらめるために時間がかかるかもしれないけれど、あなたの夫はほぼ100 %可能性はありませんよ」というようなことを言って帰っていただくことがありますが、私は加害者の男性に会っていますからこの判断には、それなりの重みがあるようですね。ある意味で、夫に対する可能性のない期待をあきらめさせるという役割も担えるということが最近わかってきました。そしてもう1 つDV は女性に対する暴力というだけではなくて、子ども世代に対する暴力でもあるということを、改めて認識させられるケースばかりだと思います。
子ども世代をきちんとケアすることが、次世代で暴力を生まないことになると、私は考えています。もっと多くの人たちが、子どもたちの非行や暴力、不登校などの問題の背景にDVがひそんでいると認識する必要があります。DV家庭で育った男の子がある一定の比率で加害者になるというリスクは確かにあるのですが、そういうリスクがあるからこわいと言ってみたところで、意味はありません。何もせずに放置しておいたって、半分以上の人たちは確実にDVを引き継がないといいます。
重要なことはそういう事実をどう判断し解釈するかということです。もっと専門的対処を加えることで克服をするというところに人間の可能性があると私は感じています。
加茂  そうですね。DVの被害を受けた人が、やがて加害者になってしまっているということがよくあります。Aさん、Bさんの夫もそうでした。DVの世代間連鎖の問題に焦点をあてる場合、「いま暴力を受けている子どもたちが将来暴力をふるうのだ」という話になってしまうと困りますが、暴力の連鎖という視点からの加害者へのアプローチというのも非常に大切だと実感しています。


9.楽観的に、現実的に、希望をもって
DVや虐待にかかわる仕事は、正直かなり消耗します。その点を私はどうしているか、ちょっとお話して終わりにしたいと思います。
特に話が長くなったり、拡散しがちな相談者に対しては面接時間を限定することがあります。いつも延長戦になる場合には、少し時間を短めに言っておきます。まずは消耗を防ぎましょう。とにかく援助者が消耗してしまうと、いいことは何もありません。疲れないように相談にあたっていくためには、楽観的にやること。それから現実的にやることと、希望をもつことですね。自分のスケジュールに合わせることも必要です。あんまり無理をして、睡眠時間を削ってまで、自分の家族へのケアを削ってまでやってしまうと、援助者がワーカーホリックになってしまって、結局は巻き込まれになってしまいます。みなさんも、自分の対処法を考えてみてください。
いちばん最初に、DVの援助は難しいというお話をしましたが、その最大の理由は、被害を受けた人にいろいろな症状が出ているそのときに、皆さんは相談を受けなければならないということだろうと思います。被害を受けた人とのコミュニケーションがうまくいかず、援助者のほうが「私のせいだ」と思ったり、「私には資質がないのだ」と思うときは、まさにDV の女性の気分に巻き込まれているのですね。自分がやれることをきちんとやっているのであれば、もしそれが相手にとって気に入らないものであったとしても、過剰な罪悪感をもつ必要はありません。
もう一度言いますが、特効薬というのはない世界だと考えてください。いろいろな役割の人に順繰りにかかわっていただいて、息の長いサポートをしていくことでいい状態になっていく。別に精神科医や心理職がかかわらなても良くなっていくという人もたくさんいるのです。そういう人のほうが実はずっと多いのですから。
午後は質問事項に回答するかたちで進めてきましたが、きょうはたまたまバタラーの臨床に携わっている方が出席されているので、残りの数分は、そのへんの事情がどうなっているのか具体的におうかがいしたいと思います。草柳さん、最後に実践的なバタラー関係の情報をいただきたいと思うのですが、お願いできますか。


10.加害者の臨床
草柳  バタラー(加害者)に関する臨床心理的な対応をはじめたのは1997 年の12 月。約3 年経ちました。3 年で何ができるかと皆さんお思いかもしれませんが、「石の上にも三年」といわれるように、いま相当いろいろなことがわかってきています。
・加害者への心理療法は過渡的な状況
加害者に対する心理療法で、まず前提としてなければいけないのは、いまは法律的な後ろ盾がない過渡的な状況であるということです。本来は法律の後ろ盾のもとでなければ加害者治療は成立しません。
アメリカやカナダでは、加害者は法律によってプログラムの受講を義務づけられているという状況です。そのことによって、刑務所であろうが、在宅での通所であろうが100 %プログラムにつなぐことができるのです。しかし、これには大きな利点と問題点があります。
このシステムの利点は、すべての人になんらかの認識のチェンジや行動のチェンジができる可能性が開けるということですが、同時にモチベーション(治療意欲)のない人、すなわち、変わる意欲のない人がやって来る可能性があるという問題点もあります。
現在、私のところへ来る人たちは、自発的に来ていますが、日本でもDV法ができ、「治療」が義務づけられたとき、加害者治療は次の段階になると思います。
・加害者治療プログラムの中身と考え方
プログラムの中身や考え方だけ簡単に説明して終わりたいと思います。現在、専門カウンセリング、自助グループ、暴力克服ワークショップの、3 種類のプログラムをシステマティックに開いています。専門カウンセリングは、個人心理療法です。自助グループは、お酒であれば断酒会のような活動です。ひたすら自分の体験を話し合い、当事者としての歩み方の違いがありますので、他者の体験に耳を傾け合うということで、回復力を引き出していくのです。
暴力克服ワークショップは、グループによる集団精神療法であり、しっかりとした治療構造をもっています。サイコドラマ*、すなわちドラマ的な手法を使いながら問題解決をしていきます。ゲシュタルト療法・PTP ・NLP などの手法を使います。加害者はセルフ・エスティームが非常に低い人が多いです。なかには虐待された経験やいじめの被害体験をもっている方もいて、そのような経験をもっている方は、決定的にセルフ・エスティームがダウンしています。約3割が何らかの極度ないじめか、虐待にあった経験、あるいはDV の家族で育った、そういう体験をもっています。そこで、セルフ・エスティームを高める実習。それからジェンダーにかかわる実習。男性から女性への蔑視ということへの気づき、それを対等な関係にしていくための試み。女性の立場を理解するとはどういうことなのか、女性に対する歪んだ期待を生み出す自分のなかに何があるのか、そういうことに気づく実習などを、暴力克服ワークショップで行っていきます。
専門カウンセリング、自助グループ、暴力克服ワークショップのどこから入ってもかまいません。最初、自助グループで、自分のペースでやっていても、もっと密な自分自身への取り組みが必要だということに気づき、途中から専門カウンセリングへ行く人もいます。専門カウンセリングには、妻から離婚を突きつけられているとか、妻がうつ病になってしまったとか、弁護士から手紙が来てうんぬんとか、あるいは、もう離婚したがもう同じ過ちは繰り返したくないということで来る方もいます。窮地に追い込まれた状況で来られる人が多いように思います。
専門カウンセリングは完全予約制、自助グループは月2 回の例会をもちます。暴力克服ワークショップは3 カ月に1 度行います。プログラムにはそれぞれの特色があり、その人に向く向かないということもあります。高齢の方は、専門カウンセリングや自助グループにおいては、散漫な話になってしまうことが多いので、暴力克服ワークショップを中心に参加してもらい、自分の内面に向き合う準備をしています。感情がまったく固まってしまって語れない方もいます。そういった方は非常に問題で、自助グループ、暴力克服ワークショップのグループプログラムは向かないので、じっくり専門カウンセリングからやるということになります。このように、特色の違う3つを1 セットにしながらやっていますが、日本での加害者プログラムの原型が形成されつつあると思います。
・加害者の暴力克服の2つの条件
次にバタラーの回復あるいは、暴力克服のための2つの条件について話したいと思います。まず行動変容です。これは妻に対して何をしても許されるという感覚や、暴力を生み出すさまざまな認知を変えることをさします。さらに自分の問題に向き合うということです。
そして、もう1つは被害者のダメージに責任をとるという側面です。たとえば、妻に暴力をふるったあと夫は外出してしまい、まったく何事もなかったような顔をして2、3日して帰ってくるという人が多くいます。前のことをもちだすと、「もう前のことじゃないか、謝ったじゃないか」と言って反対に妻を非難するということもあります。これは被害者の痛み、ダメージ、屈辱感、無力感そういったものに対して、まったく共感性が欠如している状況ですね。自分がどれだけのことを妻にして苦しめてきたかということに向き合ったとき、その責任をつきつけられたとき、加害者は恐怖します。ですから、そういうものに向き合うことを避けるために事実をないものにしたり、それから「みんなしているじゃないか」といういいわけをしたり、ありとあらゆる防衛反応をします。
1つ大きな問題が、いままで見逃されてきたのですが、暴力の背景には、恐れがあるということです。自分の弱いところを突かれるという恐れ。自分がどれだけ惨めな状態であるとか、自分がからっぽだったという自己認識、セルフエスティームのダウンした感覚に直面する恐れ。それから責任を追及されることに対する恐れ。これに向き合うことを拒否して、防衛するために恐れが怒りとなり、暴力行動になるという内的な構造があると思われます。けれども、怒りそのものは暴力ではありません。怒りと暴力的な行動のあいだには多くの選択肢があるのですから、やはりそのような防衛を乗りこえ、自分の暴力の結果に責任を取っていくことが必要です。
加害男性が回復をめざすと、ある時期を境に、力の逆転現象が起きるのです。特に同居している場合、妻からいままでのうらみつらみをつきつけられます。「あのとき、あんなこと言ったじゃないか。散々な目にあわされたんだ」と責められます。ですから、暴力を克服するにはこの時期をどうやってのりこえるかということも課題となるでしょう。
・多層的介入モデル
これからの、加害者の臨床は、「人の誠意というものはどういうことである」とか、「ほかの人を傷つけたということを認める」公正さとか、そういう日常的な感覚や人権の感覚というものを組み入れる臨床心理的な支援になっていくだろうと思います。
最後に、加害者の臨床が、いまどこまできているのかということだけお話します。加害者の行動変容や認知の変容を促すためには、トータルな方法論が必要なので、私は治療モデルをつくっています。それは多層的介入モデルといわれるものです。
この全部の段階に介入していくために、それぞれの段階の目標とそれぞれの段階で有効な技法・アプローチ、を配置しています。このようなモデルを3月に学会で発表する予定です。これが日本の加害者治療の恐らく原型のモデルになるだろうと思われます。



もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患
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