あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患

「傷ついた心の行方」 吉永陽子(長谷川病院精神科医 青葉学園短期大学非常勤)

 
 「”積極的傾聴””啓発・情報提供”エクササイズを手がかりとしたドメスティック・バイオレンス援助」 園田雅代(創価大学教授・臨床心理士) 心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準(DSM-Ⅳ)
(財)女性のためのアジア平和国民基金
援助者のためのワークショップ2000 ドメスティック・バイオレンス 家庭内における女性と子どもへの影響①

1.はじめに
 いま私は、東京都三鷹市にある長谷川病院という精神病院で精神科医をしていますが、以前、保健所に勤めていたことがあります。その時分、東京にある「子どもの虐待防止センター」の立ち上げ記念講演会に行き、非常に強いショックを受けました。そのことが、その後の私の仕事に大きく影響したと思います。
 保健所では、児童相談所に入所する子どもたちの健康診断をするのが、医者としての私の役割のひとつでした。健康診断というのは胸の音を聞いて、血液検査や問診をして、他に感染性の疾患を及ぼさないかどうかを診断するというものでした。それが決められた仕事だったので、仕事はきっちりやっていたのですが、子どもの虐待の話を聞いたときに「ああ、私はいままで多くの子ども虐待を見逃してきたな」と思ったものです。
 児童相談所に入所するお子さんは、虐待を受けているお子さんが非常に多いのですが、その当時は、虐待があるという頭で診察をしていないので、何も見ていなかったわけです。「なぜ、こんなところに打撲の腫れの跡があるのだろう」とか、「火傷の跡が胸についているのはどうしてだろう」という疑問はありましたが、それが虐待に結びつかなかった。発達の遅れがあり、小学生の高学年にもなるのにおもらしがある子どもを「知恵遅れかな」というように簡単に考えていたのです。あとで「あれはすべて虐待だったのだ」と気づき、「ああ、とんでもない仕事の仕方をしていたな」と、非常に反省したわけです。


2.ワーク 「安全な場所を確保する」
 「安全な場所の確保」それを皆さん自身で体験していただくことが、最初のワークです。これは、当事者と援助者の関係において、特に大切なワークです。
 当事者が語りの場に入るときに、「安全な場所が確保」されているかどうかが、大切なポイントになるからです。皆さんも、話す相手のことを安全だと思わなければ何も話さないでしょう。たとえば、その話をしたら叱られるのではないかと思っているときは絶対話さないわけです。それは、子どもも大人も同じです。
 このワークでは、「安全な場所を確保」するために「グランドルール」(約束事)を決めていきましょう。どんなルールをつくれば、みんなが安全な気持ちで、心穏やかに話し合いに入れるのか、サバイバー(虐待の被害を受けていま生き抜いている人たち)と援助者、それぞれの立場になって考えてみてください。


3.虐待の定義
 虐待や暴力、いったい何を虐待と言い、何を暴力と言うのかということについては、いろいろな人がいろいろなことを言っています。参考のための資料をお配りしますから、ごらんください。

『児童虐待危機介入編』(金剛出版 齋藤学編)
a身体的暴力
 外傷の残る暴行、あるいは生命に危険のある暴行(外傷としては、打撲傷、あざ、骨折、頭部外傷、刺傷、火傷など。生命に危険のある暴行とは、首をしめる、ふとん蒸しにする、溺れさせる、逆さ吊りにする、毒物を飲ませる、食事を与えない、冬戸外にしめだす、一室に拘禁するなど)。
s棄児・置去り
d保護の怠慢ないし拒否
 衣食住や清潔さについての健康状態を損なう放置(健康状態を損なう放置とは、栄養不良、極端な不潔、怠慢ないし拒否による病気の発生など)。
f性的暴行
 親による近親相姦、または親に代わる保護者による性的暴行。
g心理的虐待
 極端な心理的外傷をあたえたと思われる行為(心理的外傷とは、児童の不安、怯え、うつ状態、凍りつくような無感動や無反応、強い攻撃性、習癖異常など、日常生活に支障をきたす精神症状が現れているものに限る)。

『子どもの性虐待防止白書』(子ども性虐待防止市民ネットワーク・大阪編)
 本書では、子どもに対する性虐待を次のようにとらえる。
a親または親にかわる養育者によるものだけではなく、家庭、学校、地域、その他あらゆる場所で発生するものを含む。
s性的・社会的に成熟した大人から、発達の途上にある子どもに対して行われる行為。この当事者の間には社会の構造によって力関係の不均衡が存在しており、または、発達途上にある子どもは、その行為の意味を正確に理解した上での合意を与えることができない。
dその力関係の不均衡・子どもの未成熟を利用して、大人が子どもに対し、自己の性的欲望を満足させるため、または自己の優位な立場を示すために行われる行為。
f子どもの性にかかわる自由と尊厳を侵害すること。
g具体的な行為としては性交・性交類似行為・身体接触・性器や裸および下着姿などを見ること・性器を見せること・ポルノなどを見せること・その他性的な意味をもつあらゆる行為をすること、またはしようとすること。

『パワーとコントロールの車輪』【次ページ参照】
 この「パワーとコントロールの車輪」はいろいろなところに用いられていて、夫やパートナーからの暴力の説明にも用いられます。
 相手を支配するというのは、力で相手をコントロールするということです。暴力というのは身体的に殴るとか蹴る、そういったものだけではなく「心理的な支配」というものもあります。相手を支配するためにいちばん効果的な方法というのは、当事者を周囲から孤立させてしまうことです。心理的な支配をして孤立させ力を奪い取ってしまうという手口を加害者は使うわけです。
 身体的・性的暴力といったものは最後の一撃であって、その前に心理的な暴力というものがあるのです。こういう心理的な暴力が行使され続けると、孤立させられた被害者は自ら進んで暴力を受けるようになると言われています。


4.どのようなときに虐待を疑うのか
 では、実際にどのようなときに、ドメスティック・バイオレンス*(以下DV と略す。以下*印は巻末の《用語解説》参照))や虐待が行われていると疑ってみる必要があるのでしょうか。次の項目を見てください。皆さんのまわりにこのような状態の子どもや親はいないでしょうか。

『児童虐待を疑われる子どもの状態』
a原因の説明の不十分な外傷の存在くりかえされる皮膚の外傷、特に乳幼児では熱傷紫斑病に似た多発性の皮下血腫・外性器の外傷・単なる転倒などでは起こりそうもない骨折・硬膜下血腫・内臓損傷・内臓破裂
s発育・発達の遅れ
d栄養、衛生状態の不良
f著明な無抵抗、用心深さ、おどおどした態度

『児童虐待が疑われる親の状態』
a矛盾した病歴を述べる。
s外傷を兄弟や第三者のせいにする。
d子どもを病院に連れてくるのが不当に遅い。f診断のための検査をすることを拒否する。
g子どもに厳しい罰を与える。
h状況の重大さに合わない認識がみられる。
j子どもの正常発育を少しも理解せずその説明をされても理解できない。
k 他人に対して疑惑と敵対を表わす。
lどこともしっかりとした関係を確立しないで多くの病院や保健所を渡り歩く傾向。
!0衝動を抑制できないようにみえる。
!1子どもに年齢に不相応な過大なことを期待し、なぐさめ、安心を求めて、依存しており、子どもが自分の期待に応えられないとイライラして子どもにあたる。
!2育児で援護してくれる人を持っていない。
!3親自身のおいたちに、虐待の既往歴がある。
!4援助を素直に受け入れることが困難。
!5自信欠如、逆に特定の考え方にかたより、他人の話に耳を貸さない。

『優しい虐待』
q「常に条件付きの愛」
w「細かくしかも変化するルール」
e 自己犠牲的愛と引き替えの期待」
r「不安の先取りによる行動の限定」
t「強迫的な完璧主義」
y「相対評価主義・他との比較・点数化」
u「感情を認めないあるいは無視する」
i「気まぐれで根拠のないご褒美」
o「親が対人関係のために必要とするわいろ」
!0「ことばの暴力」
!1「秘密の共犯者を強要する」
!2「社会から家庭を孤立させる」
 『優しい虐待』とは、見えにくい虐待のことです。本人もそれが虐待だとわかっていない場合もあります。それを優しい虐待と表現してみました。たとえば、よい子でいなければ愛してもらえない、成績がよくなければ愛してもらえないという「常に条件付きの愛」ではとてもつらいものがあります。また、「ルールが細かくて、いつも変化する」というお家もあります。きのうは「テーブルの上に直接箸を置くと不潔だから箸置きを使いなさい」と言われ、箸置きを出した。そしてきょうも箸置きを用意したら、「箸置きを洗わなければいけないじゃない。手間がかかるし洗剤ももったいないでしょ」と言って怒られる。このような状況になると、どういう具合に何をどう行動していいかわからなくなってしまいますよね。「自己犠牲的愛と引き替えの期待」というのは、「こんなにも私は苦労して、こんなにも自己犠牲を払ってあなたを愛してあげているのだから、当然このくらいのことはできるわよね」ということです。「不安の先取りによる行動の限定」というのは、「いま遊んでいると、きっと中学の受験がうまくいかないに決まっている。中学の受験もうまくいかなければ高校もうまくいかない。きっとその先もうまくいかない。だからいま遊んでいてはいけない」というようなことを言う。このように親の不安を子に押しつけるという場合があります。「強迫的な完璧主義」は、必ず100 %うまくできなければいけないということ。「相対評価主義・他との比較・点数化」は、点数ですべてを評価していきます。A ちゃんはこうなのに、B ちゃんはこうで、あなたはどうなのと点数化をしてしまう。「感情を認めないあるいは無視する」は、喜怒哀楽を認めない、特に陰性の感情を認めないということです。恥ずかしい、泣きたくなってしまう、落ち込むといった感情を押し殺しているとうつになってしまいます。


5.ワーク 「アンテナを伸ばす」
 それでは、「虐待の定義」や「どのようなときに虐待を疑うのか」の資料を参考にしながら、ワークをやってみましょう。
 子どもたちがSOS を発していたとしても、「ぼくは虐待されている」とは言いません。皆さんがアンテナを伸ばしてみつけなければならないのです。子どもたちは「虐待」を、どういうことばで表わすでしょうか。暴力や虐待の定義はいろいろありますが、日常生活の場では、実際どんなことばで表現できるか、自分たちのことばで書き出してください。
 いままで「非行」とか、「不良」ということばで片づけて、ガミガミ指導して終わりにしてきた出来事も、暴力や虐待に大いにかかわりがあると認識する必要があります。「実の親にレイプをされたなんて人には出会ったことがないから、非常にめずらしいことなのだろう」などとは思わないでください。皆さんのアンテナがなかったから出会わなかっただけだと、私は断定いたします。
 「私、DV の被害者です」と相談されなくても、病気やさまざまな症状をよく観察することによって、暴力や虐待の存在をキャッチすることができるのです。皆さんも、それぞれの仕事のなかでアンテナを伸ばして、被害を受けた人からのSOS のサインをしっかりとキャッチしてください。
 1984年にラッセルという人が虐待の統計をとっていますが、18歳以前に虐待を受けた人は930人のうち38%いたという結果が出ています。非常に多いわけですね。わかります? 38%って、3人に1人以上でしょ。1 クラス30人いれば、10人は虐待を受けているということで、私たちが思っているよりも数が非常に多いし、裾野は広いということなのです。それが精神科のまとめた話ということになります。


6.SOS のサインをキャッチする
 トラウマ(心的外傷)*がかかわっていると思われる病気を羅列してみました。この出典は、DSM*-、というアメリカの精神科の病気に関わるものの診断基準です。
 急性ストレス障害、心的外傷後ストレス障害、境界性人格障害、摂食障害、身体化障害、多重人格障害、うつ病等…ほとんどの病気がそうなのではないかと思われくらいです。いかに心に受けた傷が後のちの精神科疾患をもたらす要因になるか、これを見ていただけば、ことの重大性をわかっていただけると思います。そのなかでいくつか有名なものに関してふれてみましょう。

q急性ストレス障害(ASD = Acute Stress Disorder)
 ショックな出来事があった直後から、1 ヵ月以内に起こる症状をいいます。これは定義です。ですから、4 週間を超えた時点では急性ストレス障害とは言いません。

w心的外傷後ストレス障害(PTSD = Post Traumatic Stress Disorder)*
 PTSD とは、とてもショックな出来事があったとき、その出来事に対して心が適応できなくなってしまった状態です。人間というのはショックな出来事に対して、最初はとてもショックだと思っても、なんとかやりくりできるようになるものですが、あまりにも大きなショックを受けるとやりくりができなくなってしまうのです。
 3カ月未満で症状が落ち着くものをPTSD の急性発症といい、3 カ月以上続く場合を慢性発症といいます。一生続く場合もあるかもしれません。当事者にとってみれば時計が2 つあるようなものです。物理的な時間の流れとは別に、その事件の瞬間から止まってしまった時間があるわけです。まわりの人にこのことがわかっていないと、「いつまでそんなことに関わっているの」と歯がゆく思ったり、「早く回復しなければだめよ」と言ってしまったり、こういうことが起きてきます。
 ショックな出来事が起きたのが、もうかなり昔のことであるにもかかわらず、非常に時間が経ってから症状が始まることもあります。それを「発生の遅延」といいます。ショックな出来事を「忘れている」ことがその人にとって必要だった。つまり、記憶を封印することでその人は自分自身を守っていたわけですが、何かのきっかけで思い出すということがあるのです。これが、安全でない場所で起きてきた場合には非常に病気が重たくなります。
 また、「再上演」ということもよく起こります。たとえば、10 歳くらいのときに性虐待を受けていた人が、25 歳くらいになってレイプを受けるというようなことです。まさしく同じ出来事が繰り返されるのです。こうなると何度もPTSD が重なり、複雑化し、症状も多彩になってきます。
・「記憶の障害」
 PTSD は記憶の障害だと考えられています。特に、時系列の記憶が思い出せない。つまり、起きた時期と起きた出来事が一致しなくなってしまいます。フラッシュバックが起きると、いったい何がいつ起きたのかだんだんわからなくなり、曖昧なことを人に話している場合があります。その話を聞いている人に言わせると、「あの人の話はいい加減だ」となってしまうわけです。従軍慰安婦の人たちの話はまさしくこれだと思います。
 「従軍慰安婦の話はいい加減で当てにならない」と評論する人たちがいますが、私などは「いい加減に聞こえること自体が、まさしくPTSD の症状なのです。性暴力というトラウマを受けた証拠なのです」と言いたいくらいです。
 また、とても重要な出来事の記憶がスッポリ抜ける。これについてはよく弁護士さんから相談を受けます。「レイプのことで相談に来た人が、レイプされた日時が全然わからなくて訴えようがありません。レイプにあったというのは本当でしょうか。妄想ではないでしょうか」と言われるわけです。
・「驚愕きょうがく反応」
 驚愕反応とは、ちょっとした物音に飛びあがるほど驚いたりすることです。たとえば、子どもたちが遊びのなかで異様にビックリして、突然逃げ出したり、走り出す。それが授業中に起きたりすると、問題児童で授業を妨げる迷惑な子どもになってしまうわけです。
 戦争であれば、いまはもう平和な世の中であるにもかかわらず、その出来事を誘発するような刺激によって思い出してしまうということがあります。非常に強い驚愕反応が起きてきます。
・「過覚醒」
 過度に覚醒している状態になります。明かりをつけていなければ眠れないという人も結構います。実の親からレイプをされたような場合、子どもは2度目、3 度目とレイプされないように部屋の明かりをつけておこうとするわけです。部屋の明かりをつけて、常に敵と戦う姿勢を示してずっと起きている。いつも緊張した状態を強いられるわけです。当然不眠も出てきます。
・「固着」
 こだわりを見せる。まわりの人は毎回同じ話を聴いているとどうしても、「まだ、あなたはそんなことにこだわっているの? もうさっさと忘れて新しい人生を生きなさい」などと言いがちですが、そういうものではありません。こだわること自体が症状なのです。
・「衝動統制不全」
 「なぜ、私はこんな目にあったのだろう」と非常に大きな怒りが込み上げてくる。怒りが爆発して大きな声を出したり、すぐけんかになってしまったり、自分自身を傷つけたり。怒りの調整ができにくくなります。
・「孤立感・疎遠感」
 自分が一人ぼっちだというどうしようもない孤立感や、未来が短縮した感覚があります。「もう私は真っ当な人生なんて送ることはできないんです」と言ったりします。子どもたちが学校のなかでポツンと一人でいる。友達とうまく遊べないということもあります。

e境界性人格障害(BPD = Borderline Personality Disorder)
 人格障害(Personality disorders)のなかで、特に境界性人格障害は非常に虐待と関係が深いといわれています。境界性人格障害を病気と位置づけるか、性格と位置づけるか分かれるところですが、少なくとも私は病気と位置づけています。それはどういうことかと言うと「持って生まれた性格だから仕方がない」とするのではなく、「ストレスフルな環境によってつくられてきた病気だから、治り得るものだ」と考えているということです。皆さんがこれから介入*したり、相談を受ける相手の人が境界性人格障害という病気を抱えている可能性がとても高いと思われます。そのとき適切な対応ができるよう、この病気のことを知っておくと便利だろうと思います。
・「見捨てられ不安」が非常に強い
境界性人格障害の特徴として、分離不安が非常に強いことがあげられます。たとえば、任意で入院していた患者さんが「もうこんな窮屈な入院生活はいやだから退院したい」と言い出したとします。そこで「そう、退院したくなっちゃったんだ。じゃあ、退院をするんだね」と言うと、突然パッと翻すように、「それって先生、私をもう診てくれないということなの?!」と言って、ものすごい勢いで怒られることがあります。それほど直接的ではないにしても似たようなことが起きます。
・理想化とこけおどしの両極端を揺れ動く
 不安定で激しい対人関係も特徴で、非常に極端です。たとえば初回の面接で、「私の苦しい思いを打ち明けられたのは先生が生まれて初めてです。こんなにすばらしい人に出会えるなんて!」といわれても、有頂天になってはいけません。ただ単に病気のせいで理想化されているだけのことなのです。「ああよかった、私の相談の技術が認められた。この人は心を開いてくれたわ、うまくいったんだ」なんてくれぐれも思わないでください。3 日後にはすごい勢いで怒られたりするのですから。「最低だわ、もういいです!」などと言ってガチャンと電話を切られたりすると、『どうしたのだろう、何か悪い対応をしてしまったのだろうか』とこちらは不安になるわけですが、別に悪い対応をしたのでも何でもなく、向こうが勝手に変化しているだけのことなのです。
・ファンタジーがとても強い
 相手はこんなことを考えているのではないかと、よく言えば気をまわすわけです。自分と相手が話をしていて、「この人ひょっとしたら自分の話がつまらないと思っているのではないかしら。つまらなさそうな顔をしているわ。もっと相手の人を喜ばさなきゃいけないと思うのだけれど、どうしたらいいかしら?」などと思って非常に心配しながら、「でもきっとこの人は私のことを認めてくれるに違いないわ」と思っていくわけです。つまり、理想化していきます。
 たとえば、医者と患者との間でよく起きることですが、医者を理想化します。「先生のところに行けばきっと治してくれる」と万能観を抱くわけです。ですから、ものすごく理想化されたあげく、その翌週に私はヤブ医者になってしまいます。
・同一性障害
 非常に不安定です。これではご本人はとても疲れると思いますよ。非常に自己像が不安定ですから、何を援助してもらいたいのか一生懸命聞くけれども答えが出てこないわけです。どのように援助したらよいかわからなくなって戸惑ってしまう
こともあります。
・非常に衝動的な行為が多い
 自己を傷つけることが多いです。浪費(買い物依存)、薬物乱用、下剤や利尿剤の多用。無謀な運転や無茶食いなども起こります。アルコールや覚せい剤の依存もあります。あと自殺行動や自傷行為の繰り返し。ときどき、自殺のそぶりや脅かしでやったつもりが失敗して、本当に亡くなってしまうことがあるのでくれぐれも気をつけなければいけません。リストカット(手首を切ること)も、「カリカリとやってかじっているくらいだから、大したことない」というように皆さんの認知がだんだんとずれていくことに危惧を覚えます。特に最近は、子どもたちの認知がずれている。たとえば、リスクのある性行為を繰り返すことが自傷行為のひとつであるという認知がものすごく足りないと思います。
・顕著な気分反応性による感情不安定性
 非常に気分の変動が激しい。いらいらしたり、不快であったり、不安であったり、そういった感情が何日も持続するのではなくて、くるくる変わるわけです。ものすごく落ち込んでいたかと思うと3 日後にはとても元気で「自信がつきました!」なんて言ってみたりします。いわゆる「躁うつ病」はもっとサイクルが長いものです。それにプラスして慢性的な空虚感がある。いつも何かしら虚しい、満たされない。「こんな気持ちはだれにもわかってもらえない」と思っている人が多いです。
・激しい怒り
 激しい怒りを抱えています。この怒りの制御は困難で、ものすごい癇癪を起こしたりします。時にはすったもんだのあげくの果てに、包丁沙汰になることもあります。この前、回診に行ったとき私はティッシュの箱を投げつけられました。
・一過性のストレス関連性の妄想様観念自分自身にストレスが関わるような状況になると、被害妄想が現れたり、まったく関係ないにもかかわらず、自分に関係づけて考えるようになります。「あの人きっと私の噂をしているに違いないわ」というようなことを言ったりします。
・重篤な解離*性症状
 解離は、虐待にあった多くの人に起きます。非常に重篤な解離になってくると、うちに帰ってきてふっと気づくとまったく買った覚えのない買い物が置いてある。「きのう寄ったのはセブンイレブンのはずなのに、なぜローソンの袋も置いてあるの?」という状況になるわけです。

r摂食障害
 摂食障害の患者さんに性虐待のことを尋ねると、これでもかというほどたくさんいらっしゃいます。聞くことによって症状が悪くなることがあるので、あえて聞かない場合もありますが、水を向けるとたいがい話をしてくれます。圧倒的に若い女性が多いです。摂食障害というのは、いわゆる拒食症と、たくさん食べて吐く過食嘔吐症と、それを両方繰り返すものといくつかありますが、身体的に重症な方は身長150cm で21kg にまで体重が減少し、生命にかかわる場合があります。

t身体化障害
 いわゆる不定愁訴です。あちこち痛い。頭が痛かったり、おなかが痛かったり、関節が痛かったりする。血液検査やその他の検査をしても何も出てこないのに、身体の症状が出てくるというのが特徴です。女性の場合は月経困難症と言って月経のときに非常につらい思いをする人もいます。声が出ない、幻覚が見える、飲み込みがうまくいかないといった体の症状を訴えて来られるので、先生がよくわかっていないと、ものすごい勢いで薬を出してしまいます。
 そういった訴えをしてくる患者さんを診るとき、「心の病気が身体に影響を与えているのではないか。もしかしたら虐待があったのではないか」と疑ってみる。そういうアプローチの仕方も大切です。ただ気をつけなければいけないのは、本当に病気があるのにもかかわらず、それを心のせいにして身体の病気を見逃してしまうことです。必ずそこには医学的根拠があるかどうかを考えていかなければなりません。
 このように、トラウマが数々の精神科疾患を引き起こすということが最近よくわかってきたわけです。トラウマを引き起こす暴力や虐待をなぜそのまま見逃してはいけないかというと、暴力や虐待という直接的な被害だけではなくて、あとあとまで、非常に多くの後遺症がもたらされるからです。


7.「神話と真実」
 虐待や暴力についての間違った通念を、加害者も被害者もそして周囲の人も信じていることがあります。レノア・E ・ウォーカーは著書『バタードウーマン』(齋藤学訳 金剛出版)のなかで、それを「神話と真実」というかたちで表現しています。彼女は、間違った通念を21 の「神話」にまとめました。
q「限られた極一部の問題である」
w「バタードウーマンはマゾヒストだ」
e「バタードウーマンは気が変である」
r「中流階級の女性の虐待は、貧困層の女性と比較して虐待の程度も頻度も低い」
t「マイノリティーグループは、アングロサクソンよりも虐待されている」
y「信仰が虐待から守ってくれる」
u「バタードウーマンは教育制度が低く職業技術をほとんどもたない」
i「虐待者は他の面でも乱暴である」
o「虐待者は社会生活の失敗者で社会に立ち向かう手段をもたない」
!0「アルコールが虐待行動の原因である」
!1「虐待者は精神病質的性格である」
!2「警察はバタードウーマンを守ることができる」
!3「虐待者は愛情深いパートナーでない」
!4「妻を虐待する夫は子どもも虐待する」
!5「1度虐待されると一生虐待からのがれられない」
!6「いったん虐待者になると一生虐待者であり続ける」
!7「長期間続いている虐待関係は将来よくなる可能性がある」
!8「バタードウーマンは虐待に値する女性である」
!9「バタードウーマンはいつでも家から離れることができる」
20「[結婚したら]虐待者は暴力行為をやめる」
21「子どもには暴力をふるう父親でも必要だ。子どものために私は一緒に暮らすことにしている」
 「アルコールが虐待行動の原因である」というところは、虐待をする人がすべてアルコールを飲むわけではありません。しかし、私はアルコールと虐待行動とは深い関連があると思っています。「虐待者は他の面でも乱暴である」とありますが、会社ではとてもいい人と思われている人が、家で虐待をしていることはまれではありません。「あの人がそんなことをするなんてとても信じられない」と言う、まわりの人の判断の根拠は、「虐待者はどこでも乱暴なはずである。しかし、あの人は会社では穏やかな人である。したがって会社で乱暴なことをしない人が家で虐待などするはずがない」という論理なのですが、そんなことはありません。非常に二面性があって、会社や外では穏やかに過ごしているけれども、家では豹変してしまう人がいるのです。
 子どもの虐待もそうですよね。「とても優しいと評判のお父さんです。あのお父さんが性虐待などしているはずはない。そんなことが公になったら人権問題でこっちが訴えられてしまいます」と援助者が語っていたのを聞いて、「あなたはいったい誰の人権を守る機関に所属しているの?」と思わず問いたくなったことがありますが、この「神話」は多くの人に信じられています。特に注意しなければならないのは、「虐待者は精神病質的性格である」というところです。もちろん加害者のなかには、病気が暴力の引き金になっている人もいます。
 しかし、DV の加害者がすべて精神病質的性格というようなことはありません。DV を犯罪として訴える際に、その犯罪に見合う法的制裁を受ける加害者側の能力の有無が問われるわけですが、そのとき「加害者はすべて精神病であり、幻覚、妄想による心神衰弱、心神喪失のために暴力がふるわれたのだ」ということになると、犯罪に対する法的制裁を問うような話につながっていきません。
 以上のような神話がアメリカでもまかり通っているようですが、日本も似たりよったりの状況です。私たちも、「自分の心のなかにこういった神話があるのではないか」と、自分自身の価値観を点検してみる必要があるのではないでしょうか。そして、もう1 つ。被害を受けた女性自身が、この神話を打ち破く力をもつようになることが必要だと思います。


8.依存症*
・アルコール依存症
 DV や虐待と、依存症は非常によく似ています。そこでここでは、アルコール依存症を例にとって依存症とはどんなものなのか、具体的にお話ししていきます。
 アルコール依存症、これは病気です。精神的な依存と身体的な依存の両方をもたらします。お酒(アルコール)を飲むと快楽が得られます。それをやめると不快感に陥るので、それを避けるためにまたアルコールを飲んでしまう。そのように周期的、持続的使用をやめられない精神状態になっていくのを依存症といいます。なかには「飲んだって少しも楽しくない」という人もいるかもしれませんが、たとえば、うつうつとしていたり、いらいらしているときにお酒を飲むことによってマイナスをゼロにもっていけるというのは、この人にとっては快楽的なことですから、延々と飲み続けることになるわけです。アルコール依存症の患者さんには、アルコール依存症以前にもともと抱えている精神疾患が隠されている可能性が非常に高いのですが、お酒を飲むとそれが治療されたような状態になるので、なかなかやめられないのです。いまでは、アルコール依存症は薬物依存症の一種ととらえられています。
・どんな症状が起きるのか
 アルコールの使用をやめると強い身体障害、禁断症状、離脱を引き起こします。こういった症状が出ると、「依存を形成した」と言います。アルコールという薬物は、からだの生理学的機能をダウンさせる役割をするので、たとえば腸の動きであれば、動きを抑える役割をします。飲み続けるとこれでからだが慣れてしまうので、禁断症状のときは下痢がきます。汗が出ます。震えがきます。手が震えていて、飲むと止まるというのはわかりやすいのですが、汗とか下痢などはあまり知られていないでしょう。お酒が抜けてきたときに下痢をするというのは立派な禁断(離脱)症状です。「なんかお腹がおかしいな」などと言っている人はすでにあぶないのです。皆さん大丈夫ですか。
 それ以外にアルコール依存症がもたらす精神疾患に、アルコール精神病、「振戦せん妄」「離脱振戦せん妄」というのがあります。たとえば、長年お酒を飲んでいるけれど、まだアルコール依存症と診断がついていないため、本人も家族もそれとわかっていない場合があります。しかし、実はとっくにアルコール依存症になっていたという人が、足の骨を折ったとします。整形外科に運ばれてギブスを巻いて4 日目くらいに、突然離脱症状が出てくるわけです。そして、点滴を抜いたり、ギブスがはまっている足で歩いてしまったり、大暴れしたりする。「これは大変だ!」ということで、整形外科の病院から精神科の病院へ夜中救急車で運ばれて来て、大立ち回りをするなんていうことがよくあります。
 また、幻覚が見える。アルコールの幻覚の特徴は小動物幻視と言われています。小さな虫がシーツに這っているのが見えるので虫取り動作をするのですが、髪の毛が見えている人もいます。なかには、ウサギやライオンが見える人もいるようです。
 幻聴が聞こえる人、また、てんかん様のけいれん発作を起こす人もいます。なかには、お酒を飲んで酔っぱらって、ひっくり返って頭を打って、その外傷でけいれん発作を起こしている人もいるので、そうなってくると、なにがなんだか原因がだんだんわからなくなってくる、なんていうこともあります。
 さらに進んで、年齢よりも早く痴呆が来る。脳のCT を撮ると、前頭葉を中心として萎縮が見られる。前頭葉の部分は人間の統制力、衝動性をコントロールする力をつかさどっていますから、そこがやられると、ささいなことでも怒りっぽくなるわけです。人が変わったようになってしまう。昔はこんな人ではなかったのにというようなことが起きるわけです。健忘、物忘れがあるものですから、それを埋めるために作り話をする。周囲の者もころっと騙されて振り回されることもあります。
 それから嫉妬妄想。妻が浮気をしているのではないかという妄想が出てきて、些細なことで行動をチェックしたり、外に出させないようにするわけです。
 からだはありとあらゆるところがやられて早死にします。そして自殺が非常に多いのです。アルコール依存症の人はトラブルが増えますから、人づきあいがうまくいかなくなる。警察沙汰が多くなり、職を失ったり、配偶者を失ったり、家庭を失ったり、友人を失ったり、信用、財産、才能といろんなものを失って、気が付いたら、自分を取り巻くのは生活保護の担当と医者しかいないということになってしまうのです。いろいろな喪失体験をし、自分を取り巻くネットワークが非常に狭くなってしまうという社会的な障害が起きるのが、アルコール依存症という病気なのです。
・イネイブリング*
 なぜこんなふうになるまで病気が進んでしまうのか、1 つには依存症を支える者の存在があります。相手の依存症を支え合っていくことで、パートナーが自分自身のアイデンティティを確認している、生き甲斐にしているということがあるのです。アルコール依存症者が職を失っても、妻が一生懸命はたらいて酒代を稼いでいたりする。典型的な日本的な考え方からすると、夫を支え尽くしている素晴らしい妻なのだけれども、結果として夫が飲むという行為を支えている、イネイブリングしていることになるわけです。このように、お互いの依存症を支え合っている、もたれ合っている状況を「共依存*」といいます。
最近、この「共依存」ということばが誤用されることが増えてきたのでちょっとふれておきますが、裁判官が、「殴られ殺された妻と殴った夫は共依存の関係にあった」という判断で、夫に執行猶予を付けたというケースがありました。共依存だったから、妻にも責任があるというのです。ときどき皆さんも、「共依存だからしょうがない」みたいなことを言ったり、陰性の感情を抱いてしまうことがありませんか。共依存というのは、あくまでもも2 人の関係性を表わすことばでしかありません。そこを混同しないようにしてください。援助者がイネイブリングしている場合も非常に多い。端的に言えば生活保護です。生活保護を受けて、国のお金でお酒を飲んでいるケースがたくさんあります。イネイブリングをする人がいなくなるとお酒が止まることがよくあります。妻と離婚したあと飲まなくなる人はけっこう多いものです。
・依存症の特徴
 アルコール依存症者は、お酒を飲むのに言い訳をしたり、否認したりします。入院のときに「どれくらい飲みましたか」と聞くと、「ちょっとです」と言うので、「ちょっとってどのくらい? 何をどのくらい飲みましたか?」と聞くと、「へネシー1本」というような返答がかえってきます。
 そして、アルコール依存症になるとお酒をじょうずに飲むということができません。振り子の揺れが非常に激しく、まったく飲んでいない断酒の状態か、しこたま飲んで混乱状態に入っていくか、連続飲酒になるかのどれかです。一度依存症になってしまうと、ほどよく飲むことはもうできません。もう10 年間アルコールを飲んでないという人が、おめでたい席だといってビールを1 杯飲んだだけで連続飲酒に入り、次の週には入院となることもあります。
 また、思い込みが非常に激しい。入院したあと落ち着いてきたときには、「もう金輪際飲みません、大丈夫です。私はコントロールできます」と言うのですが、ほとんどできません。アルコール依存症の場合、退院してから3 カ月間以内に半数の人が飲んでしまうという数字が出ています。2 年経っても断酒を続けている人は20 %しかいません。これはどの統計を見ても揺るぎない傾向です。これを患者さんに説明するのですが、自分はたぐい稀なるやめることのできる人だと思いこんでいる人が多いのです。
 依存症という病気の中には「万能感」という心理があります。依存の対象となるものを支配したい、支配できると思っていることが、依存症を成立させる要因になります。「うまくコントロールするなんてできっこない」と認めれば、君子危うきに近寄らずで、つまり断酒ができるのですが、「自分はお酒をうまくコントロールできるから大丈夫」と思っていると、「ちょっとならいいや」という具合に言い訳したりすることにもなるのですね。「わかっちゃいるけれどやめられない」。そして病気は進み、自己破壊的になっていきます。ですから、アルコール依存症者には、治らないことを宣告しなければなりません。
・嗜癖の対象
 依存症になりやすい嗜癖の対象となるものは、アルコールの他にもたくさんあります。覚醒剤、たばこ、砂糖、下剤や鎮痛剤…。物質だけではなくて行為もあります。拒食、過食、ダイエット、ショッピング、仕事、ギャンブル、スポーツ、ゲーム、借金、電話、美容院、模様替え、掃除、カルト集団など、ありとあらゆる行為が依存になっていくわけです。
 たとえば電話依存。「そのような内容でしたら、いのちの電話などにご相談されるのもよいのでは」という具合に紹介して電話を切ろうとすると、「さっきまでそのいのちの電話にかけていたんです」と言う返事が返ってくることもあります。要は一人になれないわけです。自分自身で寂しさを抱えられないために、何かに依存しようとするわけです。
拒食症の場合は、自分が頑張れば頑張る分だけ体重が減る、体重計が自分のアイデンティティを認めてくれるからやめられない。最初の目標が50キロだったのが45 キロになり、40 キロ、38 キロになっていき、どんどん認知がずれていってしまいます。まわりの人は、38 キロを目標にするなんて絶対におかしいと思うのだけれども、本人にとっては真剣な話なのです。
こうした嗜癖になるものが繰り返されていって、依存というものが形成されていくのです。DV や虐待も、こうした依存の一つだと考えられると思います。


9.パワーゲーム
・機能不全家族*
 アルコール依存症の親のもとで子ども時代を過ごした人たちのことをACOA(アルコホーリックチルドレンAdult Children of Alcoholic)と言います。そこから派生して、アルコール依存症の親だけではなくて、家族が機能不全、うまく家族の役割を果たさない中で子ども時代を過ごした人たちのことをACOD(つまりA l c o h o l i c ではなくてD i s -functional family)と呼ぶようになりました。いまは「ACOD」を略して、「AC *」、「アダルトチルドレン」と呼んでいます。AC というのは、パッと見たところではいいお子さんが多いのです。たとえば、父親がアルコール依存で飲んだくれていて働かないと、子どもが代わりに働くこともありますし、お母さんがこれ以上殴られないように、お父さんの機嫌を損ねないよう極力いい子にして過ごすということもあります。また、きょうだいの一方が重い病気を患っていて、家族の関心が病気の子どもだけに集中して他の子どもは置き去りにされてしまっている場合などもこのケースに当てはまります。「本当にお兄ちゃんはかわいそうなのだから」とずっと言われ、次男は、迷惑をかけないようにとてもいい子でいるわけです。
 機能不全家族の間には、「パワーゲーム」が繰り広げられています。パワーゲームとは、「支配するか、支配されるか」「コントロールするか、されるか」そういった力の関係のことです。
 たとえば、アルコール依存症で暴力をふるっていた夫が寝たきりになってしまい妻と夫の力関係が逆転し、暴力を受けていた妻が今度は夫に暴言を吐いたり虐待するというような場合もありますが、いずれにしろ、この夫と妻の間には、支配と被支配の関係しかない。いつもパワーゲームしかないのです。こんな親のもとで育つ子どもは、どっちに転んでもつらいですね。
 そういった関係を断ち切りたければ、断ち切ればいいのだけれども、子どもが一人で生き抜けるだけの力を身につけないと出て行けない。それは虐待されている人も同じです。エンパワーメントしないと決して出ていけません。
・子どもの病気はSOS のサイン
 子ども時代、わがままを言ったり、甘えたり、挫折を繰り返しながら育っていくことがないと、大人になってからとても生きづらくなります。機能不全家族の中で育った子どもたちのなかには、依存症や病気になって精神科へ入院して来る人が数多くいます。
 拒食症になって入院してきた人の親から「もしかして自分たちの夫婦仲が悪いことが、この子の病気の原因ですか?」と聞かれることもあります。しかし、そのときに「いえ、夫婦仲が悪いなんていうものではなくて、あなたたちの関係はDV でしょう。DV は犯罪ですよ!」などとは言いません。なぜなら、保護者をここで苛立たせてしまったら、もう治療ができなくなってしまうかもしれないからです。150 センチで21 キロの人が来ているのに、親が私のことばに怒って引き取ってしまったら、その人は死んでしまうかもしれません。ですから、そこはじょうずに「そういうこともあるかもしれませんね」と言い、決してこの2 人を責めません。そうすると親たちが妙に勉強してきて、「私たちのことが、病気の原因の一つだったのですね」と自分たちから言い出したりすることもあるわけです。
 そこで「そうですか。そういうことにお気づきになるのは大変でしたでしょう」と言ったりします。子どもたちは、「やめて!やめて!」と信号を出しているわけです。親が子どものサインに気づて暴力が止まると、たいてい子どもの方の治療もうまくいくことが多いのですが、中にはうまくいかない場合もあります。たとえば、親の暴力がなくなったときに、子どもが「自分が病気でいると、親の暴力が止まる」と学習し、自分の病気を親の暴力を止めるために利用する場合などです。そうすると、子どもは病気からなかなか抜け出せず最悪の状態になってしまいます。ですから、安定しないうちに何とかやりくりしなければならない。安定してしまってから入院して来ると、かなり厳しいものがあります。
・世代間連鎖
 パワーゲームでしか、人間関係をもつことができない親を見て育った子どもたちの多くは、同じような人間関係しかつくれなくなってしまいます。支配と非支配の関係というのは端から見ればひどいと思うかもしれませんが、本人たちはそれで安定しているところがあります。当人たちにとって、何らかの都合のいい状況があるから依存が続くとも言えます。どの人も変化していくことに対しとても恐れがあるので、なかなかうまく変化することができないし、違うコミュニケーションの取り方を身につけることも難しいのです。
 たとえば、夫がアルコール依存症で入院したとします。ケースワーカーが、家族歴を聞き取ってみると、妻のお父さんもアルコール依存症者だったということはよくあることです。綿々と何世代も連なっている。これを「世代間連鎖」と呼んでいます。
「しつけ」と称して虐待をしているお母さん自身が、実は夫から殴られたり、虐待を受けて育ってきたということもよくあります。「アビューズ*ド・チェーン」と言われるように、虐待がずっーと鎖のように繋がっていくのです。ですから、世代間連鎖を断ち切るためには、どこかで「支配するか、支配されるか」「コントロールするか、されるか」「虐待するか、されるか」「暴力をふるうか、ふるわれるか」といった力の関係を捨て、心と心の交流があって、思索と思想を交錯しあう創造的なコミュニケーションのある関係を築くことが必要なのです。
 それでは、新たな関係をつくり直していくためのコミュニケーションのとりかたの練習をしていきましょう。


10.「相談のポイント」
 相談のポイントを見ながらロールプレイ*に入ります。
q「安全だと感じられるように、秘密の保持をする」
w「安全な状態かどうかを確認する」
e「時にオリエンテーションが必要」
r「相談は当事者のペースで」
t「ありのままを受け入れる」
y「感情の表出を遮らない」
u「衝動的に自傷行為をするのを防ぐ」
i「相手の言うことを信じる」
o「相手と一緒に考える」
!0「自分自身の倫理観が違っていてもそれを押しつけない、説教しない」
!1「勝手な想像をしない」
!2「当事者の承諾なしに行動をしない」
!3「他の被害者と比較しない」
!4「怒りを受けて立たない」
!5「援助者は自らの限界を把握しておく」
!6「援助者にとって不可能なことは約束しない」
!7「援助者ができないものはできないことを告げる」
!8「1度の相談ですべてを完結させることは無理」
!9「援助者は万能感に注意する」
 「安全の確保」というのは、皆さん自身の安全のことでもあるのです。すさまじい人はすさまじいですから、逃げられる場所で相談してください。いくら安全な場所が大事だからといって、奥まった静かなところや、逃げられない場所でやると大変なことになります。また、この相談機関はどこまでやるところかというオリエンテーションを最初にきっちりやっておくことは、とても大切なことです。暴力や虐待の相談は、ネットワーキングをとりながら進んでいく場合がほとんどですが、クライアントは、ワラをもつかむ思いで、最後の砦という気持ちでいらっしゃるので、オリエンテーションがないまま次の場所を紹介されたりすると、ものすごく不安になってしまいます。放り投げられたような気持ちになったり、自分はここでは受け入れてもらえなかったと絶望感が増したりしてしまうのです。
 衝動的な行為と感情の表出とは別です。殺したいという気持ちや、自殺したいという気持ちが出てくるのを止めることはできませんが、実際自殺してしまう衝動を統制する必要はあります。そこを区別しなければなりません。また、感情の表出と暴力も別ですので、そこの区別もつけておいてください。当然、相談の場所で暴力が出るようなことはストップです。
 共感ではなく、同情してしまった場合に起こりがちなのですが、「いいわ、やってあげるわ」と言ってしまうことですね。なかなか断るのはたいへんです。クライアントがうつの状態に入っているときは非常に断りづらいですね。うつの状態というのは、クライアントが悪いのではなく、うつの状態だから大変なのです。「オンブオバケ」が付いているわけです。ですから、クライアントを振り払うのではなく、そのオンブオバケを振り払う作業をしなければいけません。
 一度の相談ですべてを完結させることは無理です。人間はいろいろな人とのかかわりのなかで生きていくのです。そして、これから長い一生を生きていくわけですから、焦らずに、気負わずに援助していきましょう。
 カウンセラー役の人は、事柄と気持ちをきちんと区別して、つまり自分の自己満足でストーリーを成り立たせるために聞き出すというのはやめてください。相手の感情を引き出すカウンセラー役をしてください。
皆さんは、ご自分の仕事がエモーショナル(感情、情感の部分を受け止める)なカウンセリングをするのか、それともプラクティカル(情報提供、法的整備など、実際的な行動に関わるよう)なカウンセリングをするのか、両方やるのか、きょうはどっちにするのかということを意識して相談業務を行っていますか? その辺を意識的に区別して仕事をしてみてください。
 クライアントは、感情と事柄を区別されずにやって来ると思いますので、それを整理して道筋をたてることも皆さんの役割です。クライアントが自分で整理できるように援助するというのがいちばん理想的ですが、とてもそういう状況ではないときは、ことばを言い換えてあげたり、こういうお気持ちですかと聞いたり、まったく同じことをオウム返しにして言ったり、整理する援助をするわけです。


11.感情耐性
 人間の感情は自然にわいてくるものです。うれしい感情ならいいのですが、しんどい感情がわいてきて、あまりにもつらくてその感情を自分のなかにとどめておくことができないとき、人間は手首を切ったり、薬やお酒をたくさん飲んでしまったりすることがあります。死にたいと思うというより、しんどくて、しんどくてしようがないから、考えるのをストップするためにそういった行動をとるのです。
 感情耐性が保てないためにする、こういった衝動統制不全の行動というのは嗜癖、依存症に陥る恐れがあります。ですから反対に、感情耐性を身につけることによって、依存症にならないように予防したり、依存症の進行を止めることもできるのです。
 この感情耐性というのは、葛藤ということばでも言い換えられます。感情は一つではなくて、あれもこれもわいてきます。特に、両価性の感情、アンビバレンツな感情がわく場合、愛しているけれど憎たらしい。頼りにしたいけれども頼れないという両価性の感情をもつとき、とても悩み葛藤します。パワーやコントロールが支配しているDVや虐待関係の中では、よくこういった両価性の感情がわきおこってきます。
 ちょうど思春期というのは、1 つの対象が両価性の感情を抱えた対象だということに気がつく時期です。思春期の子どもの心的特性を理解するのに、この両価性を知っておくとよいと思います。まずは自立と依存。親から自立したいと思っているけれども、まだ一方では親に頼っていたいと思う。
 それから、愛しているけど憎らしいみたいなもの。今ふうのことばで言うと、「くっついていたいけど、うざったい」そういうのがありますね。その両価性の感情がそのまま行動になって現れたりすると、本当はすごく話を聞いてほしいのに、「別にーっ」と言ったり、ひどく攻撃的にダーっと一方的にまくしたててしまう。本当は、ゆっくりと心の交流をとりたいのに、裏腹な行動をしてしまうことがあります。
 1つのものに対して2 つの面があるのだということを、受け入れられるかどうか、それでいいんだという具合に思えるかどうかということです。このことが保てないのが精神分裂病という病気なのです。分裂病の患者さんには、ストレスに対して脆弱な人がいて、葛藤を抱えなければならない状況は、患者さんにとってはとても耐えがたいことがあります。思春期に分裂病の発病が多いというのもこの両価性の感情に直面化する時期だからでしょう。ですから、悩める、悩んでいられる、悩みを抱えられることは依存症に陥らない限りはとても健康だということです。
 十代というのはすごい万能観があるのですが、いろいろな挫折を繰り返すことによって、自分の分相応というのがわかってきて、自分自身に対する万能観と劣等感の間で大いに悩まなければならないわけです。この時期にどれだけ悩めるかが、感情耐性を身につけるためには大切ですから、思春期の子どもたちには、「悩んでいいのよ。悩むことは大事なことだからおおいに悩みなさい」と言いますが、いまの世の中は、悩みを紛らわすものであふれていたり、子どもが悩まないでいられる環境が整えられているので、葛藤に耐える力がつきにくいといえるのかもしれません。
・援助者の感情耐性
 クライアントのいろいろな話を聞いていると、陰性の感情をありのままに受けとめることがしんどくなって、援助者自身が感情耐性を保ち得ないということがあります。そうすると、相手の話を否認したり、相手の感情にふたをしてしまうといったことが生じるわけです。「早く元気を出して」とか、「いつまでもくよくよしないで」といった禁句のひとことがポロッと出たりして、いままでのいい関係が一度に崩れてしまったという経験はありませんか? 
 援助者がクライアントの話をありのまま聞くことができると、クライアントは、援助者に対して安心感をもてるようになります。陰性の感情にもありのままを受け入れてもらえたという経験が信頼感をもたらすからです。「私はありのままでいいのだ」という感覚は、クライアントの自己肯定感をも育てていくことになります。ですから、クライアントを援助していくうえで、援助者が自分自身の感情耐性を高めるように努める必要があるのです。
 しかし、ありのままを受けとめるというのは、好き勝手をさせていい、衝動統制不全のままでよいということとは違います。親子関係の中ではここを勘違いする人が多いのです。たとえば、「どのように子どもとつきあえばいいですか」と親御さんが聞いたときに、「ありのままを受け止めるのですよ」とカウンセラーが言ったりすると、子どもが爆発するのをそのままにしていて、家の中は滅茶苦茶、親はこの1 カ月車の中で過ごしています、なんてことがあるのです。しかし、それは違います。そんなことをしていると、へたをすると親は殺されてしまいます。
・感情耐性を身につけるために
 では、感情耐性を身につけるためにはどうすればいいのでしょうか。
 第1に、自分自身のセルフケア、ストレスマネージメントをするということです。それがうまくいっていないと、調子の悪いときにボロが出ます。寝不足やいくつもの件数を抱え過ぎている場合は気をつけましょう。
 それから皆さん自身がDV や児童虐待勉強依存症になっている場合。どんなに遠くのワークショップでも行ってしまうというのは、かなり危ないですね。きょうも日曜日ですが、休みの日でも出かけて行くわけです。休むときには休むようにしてください。気がついたら見るテレビはDV の番組。読む本はDV の本。また、車に乗っているときもDV のテープを流しているという人もいます。そうならないようにしてください。全然関係ないことをやったり、ゲームをしたりということはとても大切なのです。
私は自分の医局の机に万華鏡を置いてあって、眺めてボーっとしています。そういう具合にリフレッシュすることは大事です。ただ、それが依存を形成しやすいものでないことを願います。たばこを吸う人は立派なニコチン依存症という病気なのです。そうは言っても完璧な人間はいませんから、何かしらみんな嗜癖はありますね。


12.「危機介入*とネットワーキング」
・危機介入モデル
 図1 は、徳永雅子さんという東京都世田谷区の保健所の保健婦さんが、保健婦活動のなかでの危機介入として、ネットワークをとっている社会資源の図を書いたものです。このように、ネットワーク先がたくさんあって、それが有効に機能していることが望ましいですね。実際に皆さんがご自分の地域で活動していくときに、このような図や自分たちの地域で使える社会資源はどういうものがあるか、連絡先や相談時間といったものの一覧表を自分たちの職場専用につくっておくと便利だと思います。
 図2 は、私が日本公衆衛生学会で危機介入のモデルをつくって発表したものです。まず事前対策としては法的整備、広報、啓発活動、社会資源の情報収集が必要です。ケースの把握(一次介入)をする相談窓口はどの機関でもいいですが、なるべく間口が広いほうが把握しやすいと思います。そしてそこで記録文を作成します。ケースカンファレンスをして、まず緊急度と実際に介入するかどうかということを決めます。
《手段の選定と計画の立案》
 そして手段の選定と計画を立てる。手段の選定というのは、電話での危機介入を続けていくのか、それとも実際に訪問をするのか、どこかに紹介するのかというような手段の選定です。そのあと役割分担をする。利害が対立する人を1 人で扱うのは無理なので、たとえば、当事者に対しては医者がカウンセリングをし、当事者の親に対しては、ケースワーカーが対応するという具合に役割分担をして相談に入るわけです。加害者からも被害者からも両方いっぺんに相談があったら、どっちか選択せざるを得ないかもしれないですね。
《実行と管理》
 実際に実行に移すというのは訪問に行ったり、電話をかけたり、他機関への出動要請、たとえば児童相談所に通報をするというようなことをする。もし治療が必要であったら、紹介をし治療をしてもらう。治療継続が必要な場合はその支援をする。長期フォローアップに入る時点から介入は二次的な介入になってくるわけです。長期のフォローアップが必要になる場合は、治療を整えるような環境の整備をしていきます。
 当然記録簿の整理をしますし、管理もしなければなりません。保健婦さんであれば、異動することがありますから、そのときは引き継ぎをする。それから当事者を介護している人たちがいるとしたら、その介護者への支援をどのようにするのかということも考えていく。こういうなかでケースカンファレンスを何度も行うことになると思います。その範囲も、ちょっと職場で上司と同僚と話しをする簡単なものから、他機関も入ったネットワーキングのカンファレンスまで、いろいろあります。
 ですから、役所でこういう仕事をするときは上司を大事にしなければならないわけです。縦割り社会のなかで横の機関にネットをとっていくときには、自分の上司にいかにこのことを理解してもらうのか、上司を説得する力も必要になってくるわけです。すべて完璧にこなすのは絶対無理なので、優先順位が高いのはどれかということも自分自身のなかで常に整理をしていなければいけません。
《事後対策》
 事後対策というのは、社会的ニーズにしたがって展開をしていく必要があります。社会資源の開発支援をする。そして自助グループ*などと連携をとっていくといったことです。また、私たちにはネットワークをつなげていく役割もあるわけですが、そのことだけを目標にして、当事者を置き去りにしてはいけません。どうしても援助者はきれいな図を描くことだけを考えてしまいがちですが、あるべき姿を勝手に思い描いてしまうと、自分の描いたシミュレーションのとおりになってくれるのはグッドなサバイバー、そうでないとバッドなサバイバーになってしまいます。ここは、非常に気をつけなければならないことだと思います。常に自分自身のなかでそういう構造が生まれてないかどうかをチェックしてください。自分のなかにそういう気持ちが生じたときに、「ああ、これは当事者のペースじゃないな」ということに気づくことが必要だからです。
・私のネットワークづくりの経緯
 私がネットワークをどのようにしてつくっていったかをお話します。
 保健所でエイズの相談をやっていた時分のことです。当時の保健所にはエイズの検査をするという仕事がありました。医者は職務としてエイズの検査結果を伝える役割を担っていたのです。万が一、感染しているということになったら、どうやって伝えたらいいのだろうと非常に悩んだわけです。いまはHIV の薬もかなり開発されてきましたが、当時は感染したら死んでしまうと信じられていた時代でしたから、非常に深刻だったのです。ただ単に検査結果を伝えるというのはまずいだろうと思い、カウンセリングの勉強を始めました。医者というのは問診の勉強はしますが、カウンセリングは習わない、それが実情です。最近やっと、カウンセリングを医学教育のなかに取り入れようという動きがありますが、私は卒業してから勉強を始めたわけです。
 その保健所のある場所は、在日の外国人の多いところで、人身売買同然で日本に連れてこられた人からエイズの相談を受けることもよくありました。兄弟姉妹が多く、貧しい家の10 代の女性が、一家の担い手になってお金を稼ごうとし、だまされて日本に連れてこられているわけです。「日本に行けば儲かるよ、いい仕事があるよ」「工場で働くのだよ」と言われ、日本に来てみると、1 つの部屋に入れられて、やる仕事は売春だったということです。「パスポートをつくるのにお金がかかるけれど、日本に行けばそんなものすぐに返せるから大丈夫だ」と言われて、借金を背負わされて来るわけです。聞いた話と違っていて、工員ではなくて売春だということがわかっても、パスポートは取り上げられ、どこにいるのか場所もわからない、ことばもわからないので働かざるを得ない。とにかく借金を返したら、こんな仕事はやめて帰れるのだと思っているのですが、利子がついて、10 万円の借金がいつの間にか300 万円くらいになっているわけです。
 カウンセリングの勉強をする前は、そういった女性からエイズの相談を受けても、だまって顔も見ずに採血して「何でもなくてよかったね」で帰していました。ところが、カウンセリングを勉強してから相談にのると裏側が見えてきます。たずねていることは以前と同じなのですが、相手のほうからよくしゃべってくれるようになったのです。保健所にたどり着くまでに、非常に長い長いストーリーがあって、検査にやっとの思いでやって来ているのだということがわかってきたのでした。
そういった関係で、徐々に在日の外国の女性たちを支える支援グループと仕事上の付き合いが増えてきました。「もうこのまま逃げてしまいたい」と言う人がいれば、「こういうグループがあるから電話をしてみたら」と番号を渡したり、「実はこういう女性が来たけれど、そちらのグループの相談番号を教えていい?」「どうぞ」と言ったり、本国に帰りたいというと帰る手伝いをしてくれるのです。
 そういうかたちで、東京近郊の4 つ5 つのグループと私とのあいだに細々としたラインがつながりはじめました。こうしてつくってきたネットワークが、暴力や虐待の被害者を支援するときにも役立っているのです。あるとき、保健所で非常にシビアな性虐待のケースに出会ったときも、エイズでできあがっていたネットワークにものすごく助けられました。
・自分の地域での危機介入システムづくり
 皆さんも、自分の地域で危機介入システムをつくってみてください。皆さんが、これからそれぞれに地域の核になってネットワークをつくっていってほしいのです。そのとき、まずやることは自分から「声かけ」をすることです。私も最初はまったく何も知りませんでした。本やパンフレットの相談リストを見て「すみませんが…」と言って電話をしたわけです。
 DV の被害者がシェルターに入りたいといった場合など、まったく離れたところでもいいです。そこに電話をかけると必ず助けてくれる人がいます。いろいろ教えてくれますよ。だって、逃げてくるのは全国版ですからね。どこでDV や虐待が起ころうと、その地域のシェルターでなければいけないなんてことはありません。だから「○○県ですけれどもいいですか?」なんて遠慮することはないのです。ただ、考えなければならないことは、現実的かどうかということです。たとえば、小学校6年生の女の子が東京から北海道に逃げるといっても、お金がなければ現実的ではありませんからね。シェルターに入るか入らないかということに関しての重要なポイントは、当事者がシェルターに入ることに納得しているかどうかということです。納得していないのに無理やり入れても家へ帰ってしまいます。要するに、新しいシェルターでの生活、新しい将来というものが、今よりいいものになるという希望がないと人間は行動しないということです。
 子どもだって、虐待されても、「この父ちゃんの元にいないと食っていけないし、しようがないんだ」と思っているうちは、いくら説得したって逃げません。殴られ続ける可能性が大いにあります。ですから、子どもが納得しなくても、無理やり子どもを救うというときは、それはもう親元には帰さないぐらいの覚悟が必要です。児童相談所は危機介入に関してそういう緊急時の介入ができるところです。親が親権を振りかざして「会わせろ」と言って来ても「これは緊急避難ですから」と言って、児童相談所の所長が会わせないようにすることができます。
 児童相談所が動かないとき、そのときは皆さんが言うわけです。「児童相談所は緊急避難所ではないのですか? 死にますよ」と。「加害者の側の虐待は果てしないですよ。進行しますから、ぐずぐずしていると死にますよ」。子どもの代弁者になるにはそのぐらい言わないといけません。「この子どものいのちを守る責任の一端を児童相談所が担う必要があるでしょう」ぐらいね。「ちょっと私は気が弱くてそんなふうには言えないわ」というのであれば、気の強い人をいっしょに連れていくわけですね。私など、そういうのがすごく得意ですから、ボンボン言いに行くわけです。そういう役割が得意な人を見つけるためにもネットワークが必要ですね。自分にいま必要な人をネットすることがいちばん大事なことなのです。
 シェルターが満員で断られることもあります。そういう場合は公的機関がいいかもしれませんね。ただ、行政機関に連絡をとったとき、その機関がけんもほろろの対応をすることも十分あり得ます。十分あり得るのですが、連絡をとることが大事なのです。役所はニーズがないと動きませんから、しつこく、まさにストーカーのごとく電話すると、ようやく動くようになります。
私は臨床の場に居て、凄まじい虐待を受けていた人たちと会っています。その人たちから「唯一救いだったのは、学校の保健の先生がね、自分の話を聞いてくれたことなんだ」といったことを何度も聞いています。「あなたのことを聞いていますよ」「あなたのことを信じていますよ」という皆さんの心のこもったメッセージが虐待を受けた人にとって大きな力になるのだということを、ぜひお伝えしたいと思います。


13.ワーク「つまり誰が何に困っているのか」
 事例になるストーリーと家系図(ファミリーツリー)を各グループでつくってください。そして、誰が何に困っているのかというのを整理する作業をしてください。
 各グループが発表したあと、私がその職場のものわかりの悪い上司になりますので反論をしてくださいね。
【グループA】
<事例の概要>
 私たちは女性センターの相談員です。相談者は40 代の女性。夫は50 代で自営業。子どもは3 人。相談者は家の仕事も手伝いながら家事をしています。いま、不定愁訴でからだの調子を崩していますが、20 年近く続いている夫の暴力が最近ますますひどくなってきたので、離婚をしたほうがいいか迷っているようです。最低限の生活費しか渡してくれない、交際範囲も限定され人間関係も自由にもてないといったことも不満のようです。離婚を躊躇している原因は、自分自身の体力に不安があり外で働いてお金を稼ぐ自信がないこと。15 歳になる長男が最近非行を繰り返していること。子どもを連れて家を出て行きたいけれど経済的に無理なこと。つまり、自律できないということです。
暴力をふるわれたとき電話をした警察や婦人相談所で「夫とよく話し合いなさい」と言われ、期待していた対応をしてもらえなかったことで不信感がつのっているようです。離婚して子どもといっしょに自立した生活がしたいが、経済的に不安だということです。
<どういう社会資源がほしいか>
 私たちの話し合いの結果、とにかく混乱状態にある人なので、落ち着いて考えられる場所がほしいということになりました。無料もしくは安い宿泊所、宿泊相談所、ケアができる場所を確保したい。妻の側だけに関わっていることの限界を感じる人もいて、夫のほうに対して何らかのはたらきかけはできないのかという意見も出ました。また、警察が素っ気なく帰ってしまうのではなく、定期的にパトロールをしたり家庭訪問をするような対応ができないものかという話も出ました。各機関の担当者の知識や技術の向上のために教育、研修、スーパーバイズのようなものを整備してほしいというのは全員一致した意見でした。
 相談者の相談をきちんと受け止められる場所につなげる必要があるので、民間の融通の利くシェルターを紹介する。また、精神科のある病院につないでいく。直接病院に行ってしまうと窓口で切れてしまうことがあるので、病院のソーシャルワーカーをとおして、相談者が病院に行きやすいようにつなげたらいいのではないかという意見もありました。以上です。
★ものわかりの悪い上司
それで何をしたいわけ、君たちは。自立、自立と言っているけれど、なんのかんの言っても別れて出て行かないんだから、自立する気なんてないんじゃないの。
■発表者
この相談者の場合には、自分がいまいちばんどうしたいのか、何を望んでいるのか、何から逃れたくて何を得たいのかということが十分に整理できる心理状態ではないし、いますぐに別れる気があるのかどうかを外側から見て正確に判断できる段階ではないので、まず第1 に、先のことを冷静に考えられる時間と場所を提供したいと思います。
★ものわかりの悪い上司
子どもがいるのだから、家を出てきてしまうわけにはいかないじゃないか。だから迷ってるんでしょ。
■発表者
いますぐに家をでて来させるというのではありません。DV についての情報を提供したり、いつでも逃げられるように民間のシェルターの所在地を教えたりすることと並行して、彼女自身が心を整理するための援助をしていきたいと思います。
★ものわかりの悪い上司
実は僕ね、その旦那と知り合いなんだよ。あいつはそういうやつに見えないけどね。子煩悩でいい奴だよ。
■発表者
そのように見えないというのがDV 加害者の特徴のひとつなのです。外面はよくても、家で妻を殴っているということがあるのです。課長もDV のことについて少し勉強してください。
★ものわかりの悪い上司
そうか、ここに異動したばかりで、DV のことはよくわからないからな。今度ね、またあいつと会うんだけどさ、そのときにちょっと喝を入れておこうか。
■発表者
急激にそのようなことをすると、むしろ反発される危険性も高いかなと思います。ちょっと距離をおいたところで、友人として見守ってくだされば、課長はもうそれだけで結構です。
★ものわかりの悪い上司
じゃあわかった。きょうのところは見守っておくことにしよう。
自己保身と言いたい放題で、ちっとも理解をしない上司を演じようとしましたが、結構ものわかりのいい課長さんになってしまいました。皆さんの職場は大丈夫ですか? 皆さんは、十分エンパワーメントされていて、たたかっていけそうですね!


14.「回復ということ」
・回復とは
 まず、「回復する」とはどういうことか。
 受けたトラウマ(心的外傷)というのは、火傷の傷のようなもので跡形もなく消えてしまうことはありません。受けた傷がすっかりきれいに治るという可能性は非常に低いけれど、傷を一生抱えながらも自分の人生を再構築しながら生きていくということです。「治癒」ではなく「回復」と言うのは、そういう意味合いです。
 トラウマになるようなショックな出来事に出会うと、どの人も同じような心の動きをしていくと言われています。
 最初は、ショックな出来事を否認する。そんなことが自分に起こるはずはない。何かの間違いかもしれないというようなかたちで、自らが認めないということが起こってきます。そしてしばらくたつと、悲しみや怒りや不安といった感情がわき出てくる。そういった過程のあと「適応をしていく」、それを「うまく乗り切っていこうとする」、そして「再起する」という流れがあるわけです。
 しかし、否認という過程がない人もいます。この否認がなくて、悲しみや怒りや不安といった感情が噴き出てくる人ももちろんいるわけです。ずっと否認したまま、一生否認しつづける人もいるかもしれません。順序が混同したり、それぞれの期間に関してもとても個人差が大きいので、この「ショックからの回復の過程」は、ひとつの目安としてください。
 こういった流れを修飾する要素のひとつに、ショックの強さというものがあります。思春期では、必ず思春期の挫折というのがありますが、このような通常の誰しも通る道なのか、それとも心的外傷(トラウマ)としてのショックだったのか見極める目が必要です。
 それから脆弱性も考慮する必要があります。その人がショックな出来事の前からもっている病気や身体的な状況はどうなのかということも考えなくてはなりません。
 援助者は、回復過程のなかの、どの段階の人に出会うかわからないですし、どういう状況であるかというのもわからない。しかし、この回復のどの段階において出会ったとしても、当事者を受容し、あくまでも当事者のペースにあわせながら援助していかなければならない。つまり、回復の道筋を急がしてはならないわけです。
・当事者のペースにあわせる
 心的外傷というのは思春期の発達上の傷とはまったく違って、心もからだも動揺の程度が非常に激しいので、治療のなかで、「ショックを受けたときどんな感じだったか」とか、「いまどんな雰囲気か」というようなイメージの増幅を安易に試みてはならないという鉄則があります。ですから、治療していくなかで、前のことを思い出して、ふたたび時間の流れを一本化していくというようなことを試みるときは、慎重にやらなければなりません。脆弱な患者さんに無理をさせてしまうと、解離して、元に戻らなくなってしまうという非常に危険な状況になることもあるからです。再構築の作業というのは、特に当事者のペースにあわせてやらなければなりません。
 どうしても援助者は、きれいに終わるということを望みがちなので、焦るわけですね。自分の思い描いたファンタジーのごとくに流れがいかないと、援助者としての自分がいけないのではないかと焦ったり、逆に当事者の責任にしてしまったりするのですが、あくまでも当事者のペースにあわせることが大事なのです。
・回復のプロセス
 ジュディス・ハーマンという人がいますが、彼女は治療の原則に関して次のように述べています。
 「回復というのは援助者と当事者の共同作業である」。要するに「援助者は伴走者のようなもので、回復の主体はあくまでも患者である。治療者の役割は、承認であり、コンサルトして味方になることである」ということです。
 もう1 つ大事なこととして、治療者の安全の必要性をあげています。つまり、治療者の安全が確保されていないのに、「あなたの安全は確保します」とは言えないわけですから、治療者の安全の確保はとても大事なことだというのです。どんな段階を経て回復していくのかということについては3 つの段階があると言っています。
<回復の第1 段階>
 1 にも、2 にも、3 にも、とにかくいちばん大事なことは安全を確保するということです。ですから、介入していくときにもいちばん頭におかなければいけないことは安全が守られているかどうかということです。このままでは殺されてしまうというようなとき、または、自傷行為の恐れがある場合など、非常に緊急度が高いときは、本人の意思に逆らって強制的な措置が必要かもしれません。殴られない、殺されないということはもちろん大事ですが、もう一つ忘れてはならないのが、当事者が自分自身のからだのケアとコントロールができるかどうか、つまり、きちんと食べて、寝て、出すもの出してということができるだろうかを見ていかなければいけないでしょう。
 安全の確保ができたら、認知療法、要するにずれていった認知というものを、元に戻していくという作業が始まっていくわけです。まず、安全という認知からしてずれている可能性があります。本当は7 日間殴られていないのが普通なのに、6 日間殴られていて1 日殴られていなければ安全だという人もあるからです。
<回復の第2 段階>
 トラウマの再構成をするという時期です。思い出して語る作業というのは一歩ずつ進めなければなりません。その作業の最中に、新たに甦った記憶が強い悲しみを呼び起こし、涙が出たり、いろんな感情がわいてきます。当事者がものすごいうつ状態に入っていく可能性が十分あります。しかし、目的は統合であり、カタルシスではありません。つまり、この先どうやって生きていくのかが大事なのであって、全部吐き出して、ワーッと泣いて、「全部言えてよかったね」で終わりではいけないということです。思い出や経験を語ったあとがとても大事なのです。自分に起きたことはとてもつらいことではあったけれども、自分自身にとってどういう意味をもつものなのか、意味づけが必要になってくるのです。
<回復の第3 段階>
 回復の第3 段階は「再結合」です。本来の意味での親密な対人関係を取り戻すことです。再統合の作業をとおして家族はバラバラになってしまうかもしれません。夫や子どもと別れ、友だちとの関係も失い、新しい場所で新しい人間関係を発展させていかなければならないかもしれません。しかし、真に親密な関係や家族との関係について、もう一度考え直すことによって、いまを生きる自分と、これからを生きていく自分の中で、トラウマの体験の再結合がなされていくのです。新たな“いま”を生きる自分に出会うということが「回復」なんですね。ですから、果てしなき道程みちのりがあるわけです。皆さんはその果てしなき道程の伴走者として、その第一歩を踏み出すためにここにいらしたわけです。これをよい機会に、おたがいに助け合っていけるゆるやかなネットワークをつくっていきましょう。




もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患
FC2 Blog Ranking
   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【「”積極的傾聴””啓発・情報提供”エクササイズを手がかりとしたドメスティック・バイオレンス援助」 園田雅代(創価大学教授・臨床心理士)】へ
  • 【心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準(DSM-Ⅳ)】へ