あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患

児童虐待の心理的タイプと保護者援助  北九州市児童相談所相談第一係長・安部計彦

 
 性暴力と学校-その現状と課題-(杉村直美) トラウマ記憶理論の児童養護施設における処遇への適用(琉球大学・本村真)
みなさん、こんにちは。
少し自己紹介をさせていただきます。私は北九州市児童相談所の心理判定員を11 年間し、それから福祉事務所を経て児童相談所の判定係長を9年したあと、現在は相談係長になって2年目です。今日は児童虐待の一般的な話ではなく、現場で出会った事例を通して最近私が考えていることをお話したいと思います。
まず虐待の種類に「身体虐待」「心理的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」があることはご存じだと思います。しかし心理学を学んだ人間として、どのようなメカニズムで身体的虐待が起こるのか、心理的虐待を受けた子どもにどのような影響があるか、などを考えていくと、この四分類ではよく分からない。そこで私は別の概念で考えています(図1参照)。

乱用(濫用)型虐待
そもそも日本語では「虐待」と言いますが、英語ではAbuse and Neglect です。よく考えてみるとこの二つは違う概念だと思うようになりました。聞いた話ですがabuse はabnormal とusually から来ていて、「普通ではない、程度がひどい」という意味ですが、drug abuse という使い方もあるらしい。drug abuse が薬を使って自分の快楽を得るのと同じように、子どもを使って自分の快楽を得ることがchild abuse。例えばイライラしたら子どもを殴るのは身体的な虐待です。子どもを使って自分の性的な満足を得るのは性虐待。寂しくなったら子どもをかまって、自分が他のことに熱中すると放ったらかす。子どもがいなくなると寂しいから手放さないが、面倒くさいと食事も作らないというのはネグレクトです。自分本位で子どもを振り回してしまうのが「乱用(濫用)型」の虐待です。現れ方は身体的虐待だったり、心理的虐待だったり、ネグレクトだったり、性的虐待だったりするのですが、大人が自分の気持ちや都合で子どもを振
り回してしまうのが虐待の一つの本質ではないかと思います。
こういう親から育てられた子どもはどうなるか。親の方にルールはなく、気分や感情や都合によって言動が変わるため、子どもは大人の顔色を見て態度を変えるようになる。もし子どもが「自分はこうしたい」と意見を言ったり、親に「この前、こう言ったのに」などと言うと『生意気な』と叩かれる。つまり親の気分に瞬時に合わせて自分の気分や態度を変えていくことが身に着きますから、「一貫した自分」や「自分の本当の気持ち」を持てず、成長すると気分がコロコロ変わったり、大泣きした後にすぐケロリとするような「デジタル人間」になっていくように思います。そして、こういう子どもが大人になると同じことを繰り返すような気がします。人格障害の人を見ると、このような育てられ方をされてきたのではないかと想像します。

しつけと支配
もう一つのアビューズは「支配型」ですが、そこで問題になるのが「しつけ」です。
ところでそもそも「しつけ」とは何かというと、心理学事典にも載っていない。そこで私の定義は、「しつけ」とは「子どもが自分の力で自分の行動や感情をコントロールできるように育てること」。なぜそう思うかというと、「支配型の虐待」では、決めるのは大人です。大人が決めて子どもに押しつける。押し付け方の一つは暴力で、大人の言うことを聞かないと叩く、力(や権力)で子どもを支配(コントロール)するのが身体的虐待です。二つ目は、言葉で脅すなど子どもを恐怖心でコントロールする方法で、これは心理的虐待です。三つ目は「あなたのためにこうした方がいい。あなたはこの方が幸せよ」と「愛情」で、結果的に子どもをコントロールする方法です。「あなたのため」と言いながら大人がレールを引いて従わせる。大人はつい心配が先に立って、結果的には子ども自身に考えさせることをせず、子どもをロボットにして、言われた通りに行動することが期待されます。
「最近の子どもは考えようとしない。やる気がない」と言われますが当たり前で、子どもは「無気力」や「指示待ち」となります。逆に自分ではがまんをすることができず、すぐに切れてしまうこともあるように思います。「子どもが自分の力で考えて、自分で行動をコントロールする」ために重要なのは「試行錯誤」です。自分でやってみると当然のことですが、失敗する、遅い、きたない、危ない、間違える。しかし逆に言えば「間違える権利」というものもありそうです。自分で工夫して、やってみて失敗して考える。そこで学ぶわけです。大人が「こうしたらいいよ」と教えるのは安全なんです。速いし、成功する。
大人としては安全を確保したい。成功して『よかったね』と言いたい。すべてを準備して「うまくいったね」とほめたい。最近では学校でも保育園でも「安全」を強く言われます。子どもが怪我をしたり、物を壊したりすると責任問題が出てきますから、ついつい「管理」してしまいがちです。
では「教育」とは何かが問題になります。大人は何もせずに放ったらかしでいいのか。例えば「非行」の子どもがシンナーを吸ったりテレクラをしている。その子たちは「誰にも迷惑かけんのだからいいやんか、俺のこと構わんといて」と言う。それを放ったらかしにするのは一種のネグレクトだと思います、大人として。物事やいのちの大切さを子どもに教えたり、関わっていくことが必要です。
「子どもの権利条約」で子どもは一つの人格だといっても、子どもは自分勝手に何でもしていいとはならない。
そうすると「教育と支配」とは何が違うか。私は「こういうやり方があるよ」と提案することが教育だと考えています。子どもはまだ知識や経験が足りませんから、それを教えていくことは必要です。それを大人が押しつけるのか、子どもが自分で考え、選んでいくのかは大きな違いです。私たち大人が関わる時、どうしても管理してしまうことが多いのではないかと反省しています。どこまでしつけで、どこからが虐待か、一概には言えませんが、「支配型の虐待」の後遺症で苦しんでいる人は、かなり多いように思います。

暴力の世代間連鎖
話は少しズレますが「暴力の世代間連鎖」について少し考えたいと思います。両親と兄がいる3歳の女の子が母親から虐待されていました。理由は「女だから」と「グズグズする、できることをわざとにしない」ことです。だから「叩いてでも教えるのが親の務めだ」とその母親は言っていました。よくあるように母親は、その母親である祖母からかなり厳しく育てられていました。つまりお母さん自身は叩かれて育ったのですが、父親はそのことを知っていました。そのため「あんただって、親から叩かれた時は嫌だっただろう。それなのになぜ自分の子に叩くのか」と問い詰めます。すると母親は「子どもの頃は嫌だったけれども、今考えると叩いてでも教えるのが親の愛情だ。今では叩かれたことに感謝している」と言います。ところでお母さんは「お兄ちゃんは可愛い。この子は女だから嫌い」と最初の面接の時に言っていました。それを聞くと、お母さんは自分が女として生まれたことを良かったと思えていない。つまり女性性に問題があると思いましたが、そのこととは別に「子どもを叩いてでも教えるのが親の愛情だ」と思っています。
なぜ叩くのでしょうか。
理由の一つは、この母親は、「叩く以外の方法」を知らないためです。子どもが失敗したり、言うことを聞かない時、自分が叩かれて育ってきたので、叩く以外のしつけ方を知らないのです。どんな時にどんなタイミングで褒めたらいいかも分からない。このような保護者には、子どもの褒め方や叱り方などを具体的に教えることも大切です。このことについては後で詳しく述べます。
もう一つは、お母さんは自分の母親から叩かれていた。自分が叩かれた時、「自分が嫌われている」から叩かれると思うか、「親は愛情があった、自分が悪かった」から叩かれたのか。みなさんならどっちだと思いたいですか?私なら自分が嫌われていると思いたくない。小さい子どもにとっては、世の中は親なしには生きていけません。「親は、本当は自分のことを愛してくれている。自分が悪いから自分のためを思って叩いているのだ」と思いたい。そう思うことで子どもは「見捨てられ不安」から開放されますが、そこで「愛情と暴力」が結びつく。ここがDV(ドメスティック・バイオレンス=親密な関係の中の暴力)の被害者にも共通しているように思います。DV 被害者も加害者も多くはたぶん、小さい頃に親から叩かれていたのではないでしょうか。このお母さんも「自分が悪かったから親から叩かれるのだ」と思っていました。叩かれるのは嫌だったけど、親は愛しているからこそ叩くのだと考えることで自分を納得させ、親の愛情を確認して安心しているように思います。つまり子どもを叩いて、「自分は子どもを愛している」と強調しながら、一方で「自分が親から愛されていた」ことを確認しているのかもしれません。
このケースでは関係機関が関わっても母親の認識は変わらないし、母親はイライラすると子どもを叩くことは続きました。そのことで周りからも責められ、ますます孤立していました。そのため私は、夫婦関係を改善することを目的に家族療法を選択しました。夫婦と家族がどのようにして生活していくか、夫婦で話をしてもらうことを中心に10 回シリーズでスタートし、8回目で基本的には夫婦関係が改善したことで終わりました。暴力の世代間連鎖は根が深いと思います。

ネグレクトの世代間連鎖
次にネグレクトについてです。ネグレクトというのは例えば衣食住を十分に与えない、風呂に入れない、病気になっても医者に連れて行かないなどですが、ある事例に出会ってからネグレクトも世代間連鎖をするなと思いました。お母さんと小学生と幼稚園の男の子の三人家族でした。お母さんには借金があったのだろうと思いますが、昼間も夜も働いて夜中も帰ってこない。つまり1日中お母さんはいない状態です。母親は朝来て、お金を渡したり弁当を渡してから仕事に行く。どうもパチンコに行ったり男がいるんじゃないかという噂もありました。そんな状態なので、子どもたちは学校にもあまり行かない。しかも食事も
十分ではなかったので、学校の先生が家に迎えに行き、給食で食事を保障していました。夏休み中は誰か交代勤務でいますから「学校に出ておいで」と言って何か手伝いをさせて、ご褒美として食事を出していた。そんなふうに学校が世話をしていたのですが、正月は6日間誰も勤務しない。その間、子どもたちが食事をせずにいたら死んでしまうのではないかと学校が心配して、11 月頃から児童相談所も入ってお母さんと何回か面接をしたのですが、状況が変わらないので立ち入り調査の上、職権で子ども達を一時保護をしました。その時の家の中はゴミ捨て場状態で、その中で子どもたちはずっとお母さんの帰りを待っていました。「寒い。おなかすいた。お母さん帰ってこないかな」と言いながら…。寒いけど、「子ども
だけだから火を使ってはダメ」と言われているため、猫を抱いて寝ていました。このようにひどい状態でした。
そのような状態の中にいる子ども達の気持ちを想像すると、一番思うのは無力感です。「努力したら何とかなる、頑張ったら褒めてもらう。自分が生きている意味がある」と思えない。死んでも誰にも分からない。自分が生きていることを誰も喜んでくれない。子どもは、頑張ってテストでいい点とるとか、悪いことをして叱られるとか、そういう親や周りの大人のリアクションで自分を確認するわけです。しかし何をしても誰も助けてくれない、「寒い、おなか減った、お母さん帰ってこないかな」と言っても何も起こらない日々がずっと続くと、無力感、絶望感を心の底から持ってしまう。
身体的なアビューズは命が危ないのですが、ネグレクトは人間の心の屋台骨を壊す、心を蝕んでいきます。アビューズはひどい目にあいながらでも直接の親子の関わりはあるけれど、ネグレクトは人との関わりが希薄なため、心のエネルギーが枯渇し、長期的に深刻な影響を残します。西澤哲先生も「ネグレクトの方が自殺率が高い」と言っています。
私の印象ではこのような状態でも、子ども達は小学校3、4年生までは頑張る。お兄ちゃんが弟の世話をしたり、学校でも「よく頑張るよな」と褒められる。しかし小学校6年生くらいになると非行や引きこもりに走る子が多いように思います。女の子は性非行ですね。覚醒剤や暴走族に走る子もいる。「そんなことをしていたら死ぬよ」と言っても、生きている意味が感じられない、死んだような毎日ですから、「死ぬ」という言葉が歯止めにならない。一瞬の今を生きている感じ。今が楽しければいい、暴走している時だけが生きている実感がある。性非行は難しいですね。今まで放ったらかしにされていた子ども達が売春行為で、一瞬でもやさしくされる。お金がもらえ、服を買ってもらえる。声をかけられ、自分の話を聞いてくれる。相手をしてもらえるから非行に走るという面も大きい。
ところがそういう子どもが親になった時、パチンコとか酒を飲んだり。ちょっとでも金があると、借金を返したり、計画的に使えばいいのに、あればあるだけ使ってしまう。小さい頃から努力したら何とかなるということが身についていませんから、家の中はぐちゃぐちゃです。借金がどっさりあって、借金取りからは「お金を返せ」と言われる。学校や近所の人から「子どものことをちゃんとみろ」とか「親らしくしなさい」などと言われる。だからいつもその場限りの口約束をしてしまい、「うそつき」と言われ、ますます誰からも信用されなくなる。
つまり親は「自分のことで精一杯で、子どもどころではない」状態なのです。小さい頃から圧倒的な現実に押し潰されて、自分が努力したら何とかなるとか、少しずつ片づけていったら最後は到達するとか、頑張ったら認められるということを学んでいない。しかも「自分だって同じことをしてきたのだから、子どもだってできるはずだ。自分はもっと厳しかった。誰も助けてくれないのにやれたのだから、この子もできるはず。」と言い、改善の意欲は全く見られません。このようにネグレクトには、絶望感、自己破壊行動、自殺、慢性的な自殺、無気力などを生む、身体的虐待とは違う世代間連鎖があるように思います。

心理的ネグレクト
ネグレクトにはもう一つ「心理的ネグレクト」と呼べるものがあると考えています。普通のネグレクトは、例えば衣食住が十分与えられないけれど、心理的ネグレクトでは食事などは保障されているけれど、安定した愛情がない。しかし愛情は全くないわけではない。例えば子どもにご飯はつくるけど会話が全然ないような「愛情や気持ちのネグレクト」。そのため子どもは一見「自分のことを愛してくれているのかな」という気持ちにさせながら、何か違うというダブルバインド(相反する二重のメッセージ)を受けるから混乱する。ニコニコ笑いながら冷たい。顔の表情と態度が違う。一見普通の家庭で、経済的にも困窮していない。両親も揃って愛情があるように見えるけど、「でも私、この子、嫌いなんです」と言う親御さんに育てられる。本当は子どものことが嫌いだけど、親の義務として子育てをしている。子どもの誕生日は祝ってもらえたり、何かあったら声をかけてくれる。子どもは「自分のことを愛してくれているのだろうな」と思うけど、冷たい。「お祝いよ」と言うけど表情が全然うれしそうじゃない。母の日にプレゼントしても、妹の時はうれしそうに受け取るのに、自分の時はそっけない。友達に話しても「あんたの気のせいよ、いい親じゃない」と言われるけど、子ども自身にはそう思えないし、気持ちが満たされていない。衣食住は十分あるし、親としての義務は果している。しかし愛情につながっていない。
例えば心身症や不登校になる子どもたちの中には、こういう家庭の中で育てられたのではないかと思う子どもがいます。相談として上がってきた時、誰もこのことに気づいていなかったり、家族が話題にしないことも多いので、こういうケースは分かりにくい。本人自身も心身症の原因を親子関係と思ってないかもしれない。
こういう家族関係が「心理的ネグレクト」と言われるタイプにあるのではないかと思います。

虐待する保護者の種類
後半は虐待をする保護者について考えたいと思います。
「虐待をする保護者への援助」が最近、大きな問題になっています。虐待が起こった時、危険度が高ければ子どもを分離したり保護するのは当然ですが、その後に保護者の認識や態度が変わらない限り家に子どもを返せない。そのため保護者への関わりが大切になってきます。
しかしこの問題を考えるとき、「虐待する保護者」を一括りにはできないように思います。そこで私は、援助するときのスタンスの違いから、虐待する保護者のタイプを4つに分けて考えています。
一番目は「衝動的な暴力」を振るう保護者。日常的に暴力が起こっているのではなく、たまたま暴力を起こしてしまうタイプです。ある事例で、3歳の女の子をお母さんが虐待した。トイレットトレーニングで「時間だからおしっこ行きなさい」と誘うと子どもは「ない」と言う。「もう時間よ」「ないったらないよ」というやり取りの中でお母さんもカチンときた。その直後にジャーと漏らしたので「さっき、あんなに言ったのに」とカッとなって叩く。それでも気が済まなくて大腿骨骨折をさせた。このように日常的な身体的虐待がなくても日々のストレスの積み重ねの中で突然切れて、衝動的な暴力を起こす人がいます。
このタイプの保護者は、知的、情緒的に未熟だったり、ストレスが溜まり溜まって切れてしまう。どうしていいかわからない自分の混乱を、暴力の形で子どもにぶつけてしまうのです。ですからこのような人には「子育て支援」が大切です。例えば育児ストレスを解消するために話し相手になるとか、子どもを預かってあげる。また日常的な相談相手を見つけて、何かあったら相談に乗る。子どもがギャンギャン泣いたら「その時はこんなふうにしたらいいよ」とちょっと教えることで、保護者自身がパニックにならずに済むわけです。
二番目は「アディクション」タイプで、自分の行動が虐待だと分かっているけど繰り返します。悪いという自覚はあるので、電話で相談したり自分から援助を求める人ですが、逆に非難されたり、指摘されるのを避けるため発覚を極端に恐れる人もいます。電話相談は匿名なので安全ですが、それでも児童相談所に「虐待をしてしまっている。子育てがつらくて限界です」と電話がかかってくる場合もあります。保護者が自分から訴えますので、こちらの関わり方としては受容です。受け入れて、「きつかったらちょっと預かりましょう」「子育ては大変よね」とサポートしていく。しかしこの前、子どもを預かった人は、「気がついたら子どもの首を締めていた、子どもが怪我をしていた」ということがありました。虐待の自覚はあっても、解離症状があったり、カッとなったら歯止めが利かない。そのため「何とかしなきゃ」と思って相談所に来たのです。保護者が自分で分かっている、自分から援助を求めているからといっても、必ずしも子どもは安全ではないことは覚えておく必要があります。
三つ目は「責任転嫁型」で、「(自分がやったことは虐待ではないが)子どもが万引きを繰り返す。子どもがウソをつく。言うことを聞かないから困っている」という人。「困る」というのがキーワードですね。「子どもが悪いことをして、親のしつけが悪いと言われるから困る」という人も含みます。周囲の関わり方としては、保護者の養育態度が原因と推測されても、子どもの問題を中心にして「何度も繰り返すから一度専門機関に行きましょう」と勧めることです。私たちは「大変でしたね。この子いろいろ問題があるし、今まで繰り返しているから放っておけませんよね。親御さんが困ったり、心配するのは当たり前ですよね」と、保護者の愛情や「良くなってほしいという気持ち」を強調しながら、「今までのやり方を少し変えてみませんか」と関わり方の改善を提案する。保護者を中心に連携を組んで、子どもにちょっと悪者になってもらい、親子ともサポートしながら関わるわけです。
四つ目は、今までと違って対応がむずかしい「確信犯」とも呼べる人です。「自分のやっていることはしつけで、この子が悪いから叩いている。甘えるのでいらんこと口を出さないでください」と周囲からの関わりを拒否するタイプの人で、私の印象としては虐待する保護者の6割くらいいるな、と思います。
すでに述べましたが最初の三つのタイプはサポートでいい。しかし「確信犯」タイプは人との関わりを拒否し、社会的にも孤立している。中には近隣の人とトラブルが絶えない人もいます。そのため地域の人や関係機関も援助的な態度で近づくことができず、虐待がひどければ児童相談所などによる介入など、権力的な対応が必要になってきます。
このように虐待する保護者として一括りするのではなく、タイプによってアプローチを変えないといけないと思います。これから「確信犯」タイプの保護者援助を中心に考えていきましょう。

保護者カウンセリング
虐待をする保護者へのカウンセリングの必要性が最近特に強く言われるようになりましたが、その前提があるのではないかと最近考えています。(図2参照)
一番基礎にあるのは「社会的なルールを守る」ということ。虐待する保護者の中には「確信犯タイプ」のように、近所に怒鳴り込んで行ったり、夜中に児童相談所に電話してきたり、約束の面会時間が守れなかったりなど、社会的ルールが守れない人が多い。だから「ルールを守る」という、援助の枠組みを作ることから関わりが始まります。児童相談所職員の苦労の大半はこの部分で、押したり引いたりしながら徐々に約束を守り、常識的な社会的な枠組みの中で対応できるように関わっていきます。それでもダメなら職権による子どもの保護や家庭裁判所への申し立てなどの介入により、強制的に枠をはめることになります。そのようにして「話し合いの場」作りが始まります。
その次に「人を信用する」こと。できれば児童相談所の職員を信用してほしいのですが、その人自身が誰かを信用できるようになって、初めてカウンセリングが成り立つのではないかと思います。

(図2)保護者カウンセリングの前提
カウンセリングで自分自身のことを振り返り、今までの親子関係や今後について考えていきますが、その前提として以上のようなことがあるように思えてきました。特にケースワークの仕事をするようになって、社会的なルールに乗せ、私たちを信用してもらうように関わっていく作業が大切で、援助者側の話を落ち着いて聞き、カウンセリングに乗ったらしめたもの、ゴール間近という気になっています。
ネグレクトにしてもアビューズにしても、虐待された子どもは大人を信用していないし、虐待する保護者は社会的ルールを無視しており、人を信用できずに社会的に孤立しています。「自分自身を見つめる、親子関係を振り返る」というカウンセリング以前に、一緒に話をしている人(援助者)を信用することが大切です。逆に言えば、虐待をする保護者や虐待された子どもに対しては「人を信頼すること」をカウンセリングの中心課題として取り組む必要性があると思います。
カウンセリング􀀀
人を信用する􀀀
社会的ルールを守る􀀀

保護者支援の中身
また「虐待する親支援」もよく言われることですが、その内容は3つあると思います。
一つ目は「養育技術」を伝えることです。食事の作り方やミルクの与え方、洗濯の仕方、子どもの遊ばせ方、子どもの叱り方などの具体的な家事や育児の技術を、ネグレクトの保護者はほとんど持っていません。またアビューズの保護者たちも、子どもが悪いことをした時や間違った時に叩く以外の方法を知りません。
このような人たちに適切な養育技術(テクニック)を伝えていくことは、カウンセリングとは別に必要です。この分野では、保育士や保健師、トレーニングされた育児ボランティアなどの援助が可能です。
二つ目が「生活補助」。経済的困窮は虐待発生の大きな要素です。金がなくなってくるとイライラし、殺伐とした気分になって喧嘩をしたり、酒を飲んだり、パチンコに行ってさらにお金がなくなります。生活保護だけではなく、手当てを含めて生活補助や経済的自立を援助することも必要です。またお金の使い方や公共交通機関の使い方、生活費を節約するコツなどの社会的な生活技術を教えることも、見落とされがちですが大切です。
三つ目が「子どもの視点に立つこと」。これがなかなか難しい。いわゆるカウンセリングだけでなく、「あの時に子どもさんはどんな顔をしていました?」「あの時に子どもはどんな気持ちだったでしょうね」など子どもの視点を持たせる。虐待の本質の一つが、保護者が自分勝手に子どもを振り回すことですので、子どもの立場になって考えられるようになってくると、当然のことですが、自分に少し距離をおいて振り返るというカウンセリングもよくなってくる気がします。
このように「保護者援助はカウンセリング」だと思われがちですが、前二者も大切な部分で、このような関わりの中で信頼関係を結べることも多く、また心理以外の人の手を借りることができます。

強制的にカウンセリングを受けさせる方法
さて一番難しいのは、「関わりを拒否する保護者をカウンセリングにどうやって乗せていくか」ということです。特に「確信型」の保護者は周囲からの関わりに対して「しつけだ。虐待でない。誰からも援助を受けない」と言って社会的に孤立しています。また子どもを保護しても怒鳴り込んできたり、冷静な話し合いは困難な場合が多いのです。
そういう保護者をどうカウンセリングするか。これは児童相談所にしかできないだろうと思います。なぜかというと児童相談所には子どもを職権で保護する特別な権限があります。児童福祉法第33 条の「一時保護」では、児童相談所長が必要と判断すれば、保護者の同意もなく職権で子どもを保護することができます。
また児童福祉法第29 条の「立入調査」は、虐待が疑われる場合に家に入ることが可能です。強制的に保護者にカウンセリングを受けさせる方法は、これらの児童相談所の権限を利用して子どもを家庭から分離してからでないと始まりません。
親子が一緒に住んでいる場合には、親に「カウンセリングに来なさい」と指示し、県知事の催告ができるようになりましたが、それ以上の強制力はありません。次に手紙を出す。口頭でも説明しますが、例えばなかなか理解してくれないとか、電話で話をしても後になって「聞いてない」と言ったり、間違って伝えられたりする場合に手紙を書きます。裁判になるとその手紙は相手方から証拠に使われるかもしれませんが、虐待を疑う理由や改善の方向性を明記します。例えば、「子どもに暴力を振るっている」とか、「夜遅くまで子ども達だけで放ったらかしにしている」など一時保護した理由だけでなく、「家の中を片付けること、精神科を受診すること」など改善の方向性も示し、「こんなふうにしてください。こんなふうになったら返しますよ」ということを明示します。
それに納得すれば約束をして、しばらくの間は実行を確認し、改善が安定していることが確認できれば子どもを保護者に返します。約束をして実行しなかったら児童福祉法28 条で、親権者が反対しても子どもを施設に入所させることの承認を家庭裁判所に請求することができます。
児童相談所の目的は、「子どもの安全を守る」ことと、「虐待のない親子関係を作る」ことですから、家庭環境を整え、家族システムを変えるための行動を、保護者に具体的に提示していくことが必要です。その中に精神科受診や児童相談所での面接などの保護者へのカウンセリングも入ります。この児童相談所からの「援助プログラムの提案」を保護者が受け入れなければ、子どもを家庭に引き取らせるわけにはいきません。保護者が変わらない限り家庭内で虐待は続くのですから。

家庭復帰プログラム
このように職権で一時保護したり、児童福祉法第28 条審判で施設入所した子どもの保護者が「いつになったら返してくれるか」とか「自分がどうすれば子どもを返してくれるか」と迫り、児童相談所職員が苦慮する場合があります。
その時先ほどの手紙の中で提案として示した、精神科の受診や児童相談所でのカウンセリング、保護者の就労、健康保険書の加入、住居の確保、住居の清掃、保育所の申し込みなど、改善してほしいことを実行してもらい、その実績を確認するのが家庭復帰の前提になります。
その中で家庭復帰の条件を点数化して復帰時期を調整した事例があります。この事例では、精神科の受診が2週間に1回行ったら1点、児童相談所のカウンセリングに2週に1回来たら1点。精神科でのグループミーティングに行ったら1回1点として、合計点数が20 点で面会、40 点で1泊2日の外泊許可、60 点で2泊3日、80 点で1週間の外泊、100 点で家庭復帰というスケジュールを作りました。
それはケースワーカーが「このケースは将来的には返せるが、今はまだ早い。もう少し先に伸ばしたい」と言っていたので、翌年3月に100 点になるように点数を考えました。ところが保護者はそれまで拒否していた精神科でのグループカウンセリングに行きだし、アッという間に点数が溜まっていきました。どうしようかと精神科の先生に相談したら「最初に言ったのだから約束を守った方がいい」と言われたので、半年繰り上がって夏休み明けに家庭復帰しました。
最初の頃は、保護者は子どもを返してほしいからイヤイヤ面接に行っていたのですが、グループカウンセリングにはいろんな人が来ていて、心理士とケースワーカーも入って、その場で思いついたことを何でも話していい。それを60 回くらい行くと、結果としていろいろな人の話を聞いて、内面の変化が出てきたように思いました。時々会う親御さんの顔が変わってきました。「怒りや恐怖」がなくなってきたように感じましたし、「自分の小さい頃のことを思い出しました」と言います。子どもの引き取りの日が近づくということもあるのですが。強制的に精神科を受診させる、児童相談所でカウンセリングを受けさせることが、イヤイヤの参加であっても、結果的に変わってくること、効果はあることを学びました。た
だこれは将来返せるケースに限ります。
しかし絶対に返せないという例もあります。ある事例では、保護者は面接を最初は拒否していましたが、今では児童相談所に来てカウンセリングを受けているし、精神科も行っています。しかし基本的な考え方が変わらないで、「いかに熱心に取り組んでいるか」をアピールする姿勢にしか見えません。これでは点数化して「何点になったら子どもを返す」と約束をするのはちょっと難しい。虐待が深刻で、親御さんの様子をみながら親子関係の再生を図りたいという事例では点数化は危険です。親は「いつまで続けるのか、どうしたらいいか」と言いますが、回数は効果を保障しませんから、まだゴールは遠いと思います。
話が戻りますが、先程の点数化した人は、子ども二人を強制的に保護したケースでした。しかし今では母親は児童福祉司に対して、自分の実のおばあちゃんと同じような関係を結んでいます。子どもを守るために職権保護をしたり、家庭裁判所に申し立てをして対立した過去もあるのだけど、今では何かあったら児童相談所に相談にやってきます。先ほどの「人を信頼する」ことができた例とも言えます。でもこの間3年くらいかかりました。
繰り返しますが、虐待をする保護者に対して強制的にカウンセリングを受けさせる方法は、「子どもの職権保護」から始めるしかないだろうと思います。保護者としては「カウンセリングを受けに行かなければ子どもは帰ってこない。自分が変わり、子どもとの関係を考え直すしか、子どもを取り戻す方法がない」。それを自覚した時に初めて保護者カウンセリングが始まるわけです。
先ほども言いましたが、子どもの安全を確保するのが前提ですが、親子を分離するのが目的ではなく、虐待のない親子関係を作ることを目的に援助していくのが児童相談所の役割です。
(注)虐待発見後に関係機関や身近な人ができる親子への援助については、以下の拙著をお読みください。
安部計彦編著『ストップ・ザ・児童虐待―発見後の援助―』、ぎょうせい、2001 年

付記
安部さんとの「箱庭研究会」のこと
2001 年の夏に、応用人間科学研究科の院生が非言語療法の勉強会を立ち上げました。かねてから、箱庭療法を学びたいと思っていたからです。しかし、箱庭療法の勉強会をするとなると、実践を含めた勉強会の形態も作っていかねばなりませんし、悪戯な解釈に陥らないためにもスーパーバイズしてくださる方が必要になります。学部生のころに北九州児童相談所で体験した箱庭の勉強会でご指導いただいた、当時の心理判定係長である安部先生に助言をいただこうと思い連絡をしました。
研究会は北九州市児童相談所の安部計彦先生を講師にお迎えして、2001 年の10月より約2ヶ月に1回のペースで、行われてきました。安部流箱庭研究会の特徴としては、ユングの理論や象徴の知識をベースとはせずに、(フッサールを中心とした)現象学的な見方、考え方をベースに箱庭表現を理解していくということにあります。
研究会の内容としては、午前と午後の部に分かれており、午前は主に描画等のワークショップを行い、午後からは希望者が制作した実際の箱庭作品を見ることと、写真記録による系列的な箱庭作品の見方を学んでいます。箱庭の研究会なので、箱庭表現をメインとはしますが、その他の内容は臨機応変にその時々に必要なものを学んでいます。何れを通しても「表現されたものから心を推測するということ、物事の見方と理解の仕方を学ぶ」というテーマが本研究会の主軸としてあるように感じています。何回か毎に、まとめとしての講義を挟むことはありますが、実際に自らが経験することによって学ぶことに重きをおいた研究会となっています。
描画テストの時間の目的は、まず第1に自らが経験することにあると思われます。クライエントを理解するにあたって、まずは自分が被験者を経験しないことにはクライエントの気持ちは見えてきません。どういうところに緊張感や不快感、戸惑いを感じるのかを自らが経験しているか否かではクライエントへの配慮、理解に雲泥の差があると思われます。また、心理臨床家になるにあたっての自己理解の場でもあるように思います。表出されたもの(絵)からその人の理解をはかるという難しさと面白さを体感しています。
研究会は、事前に作成してもらった箱庭作品の実物をその場でじっくりと味わい、まずは制作者が説明を行い、続いて質疑応答の時間が設けられます。その後1回目は印象・感想。間に制作者の補足を挟み、2回目は作品からの理解・解釈を全員が述べます。最後に先生に感じたことや解釈をするにあたっての助言をいただくという形で箱庭の前半は終了します。
後半の系列的な箱庭の見方は、継続的な箱庭作品を並べて、流れの中で見ていくという解釈の実際を先生にレクチャーしていただきます。基本的に前半と見方は同じなのですが、流れの中でその前後関係や、途中でおきる変化などを見ていくことで、より細かな気づき、心理的理解へのトレーニングができるように思います。
前述した様に、研究会全体を通しての根底に流れているテーマとして、表現されたものから心を推察すると言う事はどういう事なのか?なぜ解釈するのか?人を援助すると言うのはどういうことなのか?ということがあるように思います。
その問いに対する自分なりの答えを見出すため、心理臨床家になるにあたっての基本的なものの見方、解釈の仕方、姿勢について学んでいく場がこの研究会であると私は考えています。
本研究会が開催した公開研究会の記録をもとにして文章化していただいたのが本報告です。

小田 裕子(立命館大学大学院応用人間科学研究科修士課程)




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