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[Ⅵ-A] 臨床現場からのレポート(1) DV・児童虐待。暴力と精神疾患

トラウマ記憶理論の児童養護施設における処遇への適用(琉球大学・本村真)

 
 児童虐待の心理的タイプと保護者援助  北九州市児童相談所相談第一係長・安部計彦 <西日本新聞>幼い脳、悲しい防衛本能 性的虐待、言葉の暴力で萎縮
はじめに
 児童養護施設(以下、施設と記す)に入所してくる児童において、親からの虐待等のトラウマを残すような体験を経験した後に入所してくる児童数が増加し、それにともなって処遇が難しくなっており、これまでとは異なる児童への処遇が必要であると言われてきている(西潔,2000)。筆者自身も施設にて心理療法士として子どもたちと接する機会を得ているが、虐待を受けて入所してくる子どもたちの処遇には、やはり個々の子どもたちの特徴に配慮した関わりが必要になると感じている。
 子どもたちへの処遇が難しくなっているということは、これまでの施設の処遇の中心であった保育士や生活指導員など、日常的に子どもたちへのケアを行う職員によって実施される、子どもの不適切な問題行動への生活指導の効果が上がらなくなっているということを意味する。筆者自身、現場の職員からの声として、「厳しく注意したばかりの行動を、数時間後には繰り返す」「指導の場面で鍼黙になり、指導にならない」「指導場面での反抗的な態度だけが目立ち、反省している様子がみられない」といったものを聞いている。
また、そのような指導の難しさを受けてのことだと判断されるが、東京都の民間施設職員に対する調査(862名からの有効回答)においても、日頃感じているストレスに関する26項目について集計した結果、高い頻度で感じているという回答が最も多かったのは、「より良い指導の仕方はないかと悩む」という項目で、「ほぼ毎日」(20.0%)、「週に何度か」(34.5%)、両選択肢の合計54.5%であり(それ以外の選択肢への回答は「過去何度か」36.1%、「感じない」9.4%)、次に高い「忙しくて休養を十分とれていない」という項目の「ほぼ毎日」(17.7%)、「週に何度か」(181%)、両選択肢の合計35.8%(同「過去何度か」31.6%、「感じない」326%)や、「仕事量が多くてやりたいことができず不満」という項目の「ほぼ毎日」(166%)、「週に何度か」(18.496)、両選択肢の合計35.0%(同「過去何度か」38.5%、「感じない」36.6%)の1.5倍高い割合となっている(東京都社会福祉協議会児童部会調査部,1999,pp23-24)。
被虐待児への処遇の難しさへの対策として厚生労働省は、一定以上の割合で被虐待児が入所している施設において非常勤の心理療法士を配置する措置を講じているが、筆者としては、被虐待児への施設における処遇で最も重要な柱は、やはり日常生活場面における保育士や生活指導員などによる基本的ニーズの充足及び生活指導だと考える。
 本論では、保育士や生活指導員など日常的に子どもたちのケアを行う職員によって不定期に実施される、日常生活上の児童の不適切な問題行動改善のための処遇を生活指導とし、この生活指導をより効果的に実施していくための基本方針を、トラウマ記憶理論を適用することで考えていきたい。

1.トラウマ記憶の定義及びその特徴
 トラウマ記憶を考察する際に重要なことは、それは四六時中影響を与えるわけではなく、過去にトラウマ記憶を残すような体験を持つ人であっても、
心理社会的に日常生活において適応的な行動をとっている時間もあるということである。しかしある特定の条件では、過去のトラウマ記憶により日常生活に様々な影響が生じてくることになる(VanDerKolk,中山訳,1996b,p、183)。ここで述べられている日常生活上生じてくる様々なトラウマの影響が、虐待を受けて施設に入所してくる子どもたちの問題行動の大きな原因になっているといえ、トラウマ記憶によって生じる問題行動の発生メカニズムどう理解し、その行動に変化を及ぼすにはどのような関わり方が有効なのかを明らかにすることが重要となる。
(1)トラウマ記憶とは
 まず論を、トラウマ記憶とは何かということから述べることにしたい。岡野はトラウマについて以下のように述べている。精神的外傷(トラウマ)とは「精神にとっての圧倒的な体験、すなわち人間の心がある強い衝撃を受けて、その心の働きに半ば不可逆的な変化を被ってしまう」ことをいう(岡野,1995.p、11).ここで岡野が述べているように、過去の圧倒的な体験が、過去の過ぎ去った出来事であるにもかかわらず引き続き影響を及ぼす(心の働きに不可逆的な変化が生じる)ためには、何らかの記憶のメカニズムが働いていると考えられる。
 ここで、記憶という人間の脳の機能についてであるが、日々の生活の中で生じる出来事の意味を理解し、適切な対処方法を選択していく上で過去の体験を参照するということは、過去の体験を活かし同じ過ちを繰り返さないために必要なことである。記憶とは、このように人間個人や人間社会が発展するために必要な脳の機能である。しかし、「精神にとっての圧倒的な体験」に関する記憶の場合、すなわちトラウマ記憶の場合、独特な記憶の活用のされ方があるようであり、その記憶が活用されている場面では、個人が記憶を参照しているというよりも、記憶が個人の行動を制限しているという風に理解できるような現象が生じてくる。結果、適応的というよりも「問題行動」とされる行動につながる。
 また、ここで述べられている「圧倒的な体験」についてであるが、田中は乳幼児は身体的にも心理的にも圧倒されやすく、大人にとって小さなできごとでも乳幼児にとってはトラウマとして受け止められるほどの圧倒的体験になりうるとし、その理由を子どもの神経系統が未熟であることと、子どもの具体的で自己中心的な思考の傾向の2点を上げている(田中,2001,pp5-6).本論でもこの田中の考えを取り入れ、これから論じていくトラウマ記憶を形成する体験は、児童虐待や大きな事故・事件への遭遇などの出来事のみでなく、日常的に生じる小さな出来事も含めて個人にとって圧倒的な体験によって形成され、それが以下にみるような特徴を含み、現在の個人の行動にも大きな影響を与える記憶として残されるものとしてとらえていく。

(2)トラウマ記憶の特徴
 ここでは、トラウマ記憶がどのように個人の生活へ影響を及ぼしていくのかを理解するために、トラウマ記憶の特徴に関する、実際に臨床を行っている研究者の考えをまとめていきたい。
1)「瞬間冷凍」されている記憶
 子どもの頃に受ける虐待のような、個人の対処能力をはるかに超える過酷な刺激を体験する時、人の心はその体験から自らを保護するために、そのような外部からの刺激を瞬間的に冷凍してしまうのだと考えられている。瞬間冷凍することによって、過酷な外部からの刺激、たとえば視覚や聴覚などの諸感覚刺激、情緒や感情、その際に抱いた考えや思考などはとりあえずひとかたまりとなって閉じ込められ、心の他の領域に影響を及ぼさなくなるとするのである(西澤,1999,pp、42-43)。これは瞬間冷凍という比喰を用いた説明であるが、この理解は次に述べるような、トラウマ記憶が時間の経過とともに変化しないという臨床上の知見から導き出された理解である。
 生きていく上で、人はいろいろなつらい体験をすることも少なくないが、そのような通常の出来事の体験記憶、つまり、ある一定以下の衝撃しか心にもたらさないような体験記憶の場合、個人はその記憶を何度となく思い出したり、他者に繰り返し話したりするなどの再体験を繰り返していくうちに、次第にそうしたショックの度合いや感情が薄れていく。つまり、繰り返しの想起を重ねることによって、当初に経験した強烈な情緒的反応は和らいでいく(西澤哲,1999,p40)。これは、その体験が過去のことであり、そのことによる脅威はもう存在しないということ等が、個人の認識として統合されることによって生じると考えられる。しかし、トラウマ記憶の場合、通常の体験記憶の場合とは異なり、時間の経過とともに変化することはない、という特徴がある。フラッシュバックといった、過去の過酷な体験が現在に生々しく再体験される場合がその典型である。このような現象を理解するために、氷河の中に閉じ込められた過去の遺物がその元型をそのまま残しているように、過酷な体験を瞬間的に冷凍保存するような何らかの記憶のメカニズムがるのではないかという仮説がたてられている。
 この瞬間冷凍機能は、人間が生得的に持っている自己催眠能力と関連があると考えられている。人が催眠状態(トランス状態)にある時、時間を短縮して感じたり、感覚の麻庫や無痛状態になるとされるが(OoHanlon,Martin,宮田訳,2001,p,96)、これらの内的状態を虐待など過酷な状況を体験している場で作り出すことができれば、身体的・精神的苦痛による圧倒的体験を乗り切る上で有効になる。ミルトン・エリクソンの長年の弟子であるDr,Cheek,Dは自身の数多くの臨床経験から、深刻なストレスは必ず心の変容状態をもたらすが、その状態は一種の自然催眠状態であるとし、その状態は類似の刺激によって再現される特別な心身の状態を記憶している、という理論をつくり上げた(Rossi,伊藤訳,19991p66)。この自然催眠状態時に記憶が形成されるという条件によって、ここで瞬間冷凍として説明されるトラウマ記憶の特徴が形成されると考えられる。
 田中はこの瞬間冷凍機能によって保存される記憶内容として、痛みなどの身体感覚刺激やその場に存在した視覚刺激、聴覚刺激、嗅覚刺激、その時の恐怖心などの感情と同時に、その体験によって形成された信じ込み(Beliefsystem)も含まれるとし、治療上はこの信じ込みに変化が生じることが重要であると述べている(田中,1999,p31)。例えば、幼い子どもが親からの身体的虐待を体験する場合、親のそのような行動をやめさせる能力は子どもにはなく、「自分は無力である」と感じる。また同時に、「自分が悪いから、親は自分に痛い思いをさせるのだ」という信じ込みも形成される。そのような信じ込みも、親の「鬼のような表情」や「怒鳴り声」「血のにおい」等の諸感覚や、恐怖感、怒りといった感情とともに、瞬間的に冷凍され、記憶されるとするのである。
 既に述べたように、田中は「幼い子どもが『あまりにも過酷』と感じる体験は、大人が考えている以上に些細なことの場合もある」と主張する。そして、自分が抱いて欲しいときに抱いてもらえなかったことが、大人になってからのうつ状態の原因であった、という解釈が治療者との間でなされた事例についてとりあげている(田中,1999,p21)。トラウマ記憶を考える上では、児童虐待等の一般的に過酷と考えられる体験のみがトラウマ記憶を形成するのではなく、どのような体験が「過酷」となるのかは、その個人の周囲との関係や生物的特徴も含めて様々な要因が絡んでくる、という視点をもつことが大切になってくる。
 施設における子どもたちへの処遇を考える上でも、この視点は重要となる。職員にとっては些細なことに感じられる事柄に対して、過剰な反応を示す子どもたち。そのような反応が生じるのは、それと類似の些細な出来事が過去にもあり、日頃から十分にニーズを満たされていなかったその子にとっては、それが非常に圧倒的な体験として感じられ、トラウマ記憶が形成されている、という理解が可能になるからである。例えば、愛情欲求や承認欲求を親に満たしてもらえる数少ない機会の一つが、たまに親に買ってもらえるお菓子であるような子どもの場合、そのお菓子を親のかんしゃくで投げ捨てられるという体験は、非常に圧倒的な体験となりうるのである。
 しかし、以上みてきたような瞬間冷凍という理解だけでは子どもたちの問題行動を説明することはできない。様々な要素がトラウマ記憶には閉じ込められているとされるが、どのような内容が閉じ込められているにせよ、それが閉じ込められているだけであるならば日常生活に影響を与えることはない。それが、問題行動につながるには、更に以下のようなトラウマ記憶の特徴があるからである。

2)類似の刺激により再現される
 これは、特にトラウマ記憶にのみ特徴的な記憶のメカニズムというわけではなく、「状態に依存する記憶」として通常の体験記憶の想起過程における場合も含めて、過去20~30年間にわたって科学的根拠が集められているものである。状態に依存する記憶という考え方は、記憶の再生あるいは再活性化は、記憶が形成された時の状況に関連した刺激により生じるとする考え方である。例えば、フィッシャーは、経験とは状態束縛的なものであり、そのため、特定のレベルの興奮(イメージ、メロディー、味覚等)を与えることでよび起こすことができるとした。また、ある研究グループの酩酊者に対する意味のない音節の羅列を記憶させる実験では、酔いがさめた時、ボランティアの被験者たちは記憶したことを思い出すのに苦労したが、再び酒に酔うとはるかによく思い出すことができた(Rossi,伊藤訳,1999,p67)。パウアーの研究では、人が子供時代の記憶を想起するさいに情動が大きく影響し、幸福な気分にあると、被験者は子供時代の幸福な記憶を多く思い出し、悲しい気分だと悲しい記憶を思い出すことが多いとされた(Rossi,伊藤訳,1999,pp、109-110)。
 この記憶の状態に依存して再生されるという特徴は、トラウマ記憶にも当てはまり、日常生活において個人に生じる外的刺激や感情、その状況の個人にとっての意味付けが、もともとのトラウマ記憶が形成されたときに存在していた刺激、感情、意味に似ていればいるほど、再現の可能性はそれだけ高くなる(VanDerKolk,中山訳Ⅲ1996b,pl83)とされる。田中は、そのようなトラウマ記憶を再現させる刺激として言語や聴覚刺激、視覚刺激、感情、体感等(田中,2001,pp22-23)に加え、先述した信じ込みをあげている。
 また、このトラウマ記憶の再現に関しては、トラウマ記憶のホログラム的特徴が指摘されている。田中は、同僚であるBrentBaumの考え及び自身の臨床経験より次のように述べている。ホログラムの特徴は、一片があれば全体像がそこから再生されるという点であり、人間の記憶もホログラムの形態をとっており、過去の記憶の破片を使えば意図的に全像、つまり、トラウマ体験が記憶された時点での全状況を蘇らせ、知ることができる。また、日常生活においては、自然発生的にそのような記憶の再現が起こっており、自分では「どうしてあんなに反応して怒ってしまったのか」と後になって理解しがたい個人の行動も、この記憶のホログラム的特徴が影響しているとする(田中,2001,pp33-34)。
 つまり、瞬間冷凍されている様々な記憶内容のうちのどれか一つとでも類似する刺激を受けると、トラウマ記憶全体が想起される可能性があるとする理解である。例えば、先に例としてあげたお菓子を親に投げ捨てられたことに関するトラウマ記憶を持っている子どもの場合、機嫌の悪い幼児がたまたま手の届くところにおかれていたその子のお菓子を投げすてたとする。この場合、その「お菓子を投げ捨てられる」という類似刺激により、過去のトラウマ記憶が再現される可能性が出てくるのである。再現が起これば、親にお菓子を投げ捨てられた時の、非常に激しい悲しみや怒りの感情も再現されることになり、職員からみると「何で小さい子がお菓子を投げただけで、こんなに怒るのだろうか」と、理解しがたい反応が繰り広げられることになる。

3)過去の子どもの自我状態が主導権をとる状態
 トラウマ記憶が類似の刺激により再現される時の特徴とそれが問題行動につながる理由を理解するためには、トラウマ記憶全体の再現という事象をさらに詳しくみていく必要がある。その上で、Watkinsらが提唱している「子どもの自我状態」という概念が有効となる。Watkinsらの理解では、トラウマ記憶が再現される時には、現在のその人の「中心的な自己」ではなく、そのトラウマを体験した当時の「過去の子どもの自我状態」が主導権をとるという事態が生じ、それが不適切な行動につながるとする。まず、この「子どもの自我状態」についてWatkinsらが述べている特徴についてみていく(Watkins&Watkins,1997,p、28-29)。
 第1に、子どもの自我状態はそれが形成された時点における発達年齢段階の子どもの論理でものを考える。子どもの自我状態が主導権をとっていても、多くの場合は大人の言葉を用いて話をしているのでそれと認識することが難しいかもしれないが、話しの展開において大人の論理は通用せず、幼児期特有の論理が用いられる。
 第2に、子どもの自我状態が用いる対処手段は、今現在ではなく過去のそれが形成された時点(トラウマを体験した時点)の状況に適応するためには有効であったものであるが、今現在の状況では不適切なものとなることが多い。
 第3に、その自我状態は困難な状況にうまく適応するために形成され、その後もそれと類似の困難な状況においては、その自我状態が繰り返し主導権をとり、困難を乗り越えるための対処手段を発展させてきていると考えられる。よって、個人にとってある状況が困難な状況と判断されるならば、例えば、教師との関係や職員、セラピストとの関係が困難状況と判断されるならば、過去においてその困難な状況に対処してきた子どもの自我状態が再活性化されて出現し、これまでと同じような対処手段を繰り返すと考えられる。
 第4に、子どもの自我状態は、それが一度形成されると何としても継続して存続し続けようとする特質を持っている。故に、セラピストが現在の状況には不適切な行動をとるある特定の過去の子どもの自我状態を取り除こうとすると、そのような介入に対する子どもの自我状態からの抵抗が生じて、セラピーが進展しないといった事態が生じる。
 この子どもの自我状態を考える上で、Watkinsらが同時に想定しているのは「中心的な自己(CoreSelf)」という概念であり、通常はこの中心的な自己が主導権をとっている状態であるとされ(Watkins&Watkins,1997,p26-28)、これが主導権をとっている間は、トラウマ記憶を持っていてもその影響は少なく、中心的な自己の発達に応じた適応的な生活を過ごすことができるとする。Watkinsらはこの現在の中心的な自己と過去の子どもの自我状態との情報のやりとりの程度によって、適応的な状態から多重人格(MultiplePersonality)までの範囲を考えている。つまり、中心的な自己とある特定の子どもの自我状態との情報のやりとりがまったくなく、中心的な自己が主導権をとっている時に、ある特定の過去の子どもの自我状態が主導権をとっている状態での行動の記憶が全くなけば、それを多重人格の状態とするのである(Watkins&Watkins,1997,p、32)。
 次に子どもの自我状態が主導権をとるということがどういうことなのかを、田中の考えをもとにもう少し詳しくみていきたい。田中はWatkinsらが過去の子どもの自我状態が主導権をとっている状態として述べている以上のような変化を「自我状態の退行」として次のように説明している。「これらの体験の記憶が引き戻された時、クライエントの身体状態も気持ちも-番初めにトラウマを体験した時まで後戻りさせられることになるのです。その結果、…過去の体験があたかも今現在も継続して起こっているようにクライエントに感じさせるのです。そこでクライエントは、退行した自我状態でその状況に反応してしまうのです。多くの場合クライエントは、自分の退行現象に気づいていません。そして、どうしてそんな風に反応してしまったのかをいぶかしがったり、あるいは『そんな風に反応してはいけない』と分かっていたのに止められなかった自分自身に対して自己嫌悪を感じたりしているのです。このような事項の例として、『ある出来事に対して大した理由もないのに過剰に反応し、怒り狂ってしまう』、ということがあげられると思います。」(田中,1999,p、21)以上のような理解を用いると、以下のような不適切な行動への説明が可能になる。幼い頃に親からの身体的虐待を受けていたことによるトラウマ記憶をもつ者の場合、他者との人間関係における何らかの類似刺激(例えば怒鳴り声といった聴覚刺激)によってそのトラウマ記憶全体が再現されると、その時感じていた体の緊張といった体感や、恐怖感といった感情、そしてその幼い頃に抱いていた無力感もすべて丸ごと、その人の中で再現されることになる。つまり、その人はその困難な状況を目の前にして、瞬間的に幼い頃の自分が感じていたと同じ緊張、恐怖感、無力感を実感することになり、時間と空間の認識が瞬時に過去に引き戻され、過去の過酷な状況が目の前で繰り広げられているかのような感覚に陥るのである。まるでその人の中で、20才のその人は背後に隠れてしまい、幼い子どもの自分が主役として前面にでてきているかのような状態になる。これが、過去の子どもの自我状態が主導権をとるという現象である。その幼い子どもの自分として、しかも、恐ろしかった体験が目の前で繰り広げられていると感じている幼い子どもとして、その場で行動してしまうので、例えば、怒鳴り声をあげる人の前では何もできずに、ただただ震え上がり、じっと縮こまってしまうという対処手段を繰り返す事になるのである。
 しかし、客観的にみれば、身体的暴力が生じる可能性はなく、20才の女性が震え上がる程の事象はその場では起こってはいないわけであるから、そのような「子どものような」恐怖感や震え上がり、じっと縮こまるという対処手段を他者は理解できない。同じように本人自身にしてみても、時間が経過してトラウマ記憶の再現から抜け出し、20才の自分が前面に戻ってきたとき(中心的な自己が主導権を取り戻した時)には、子どもの自我状態が主導権をとっているいる時の自分の行動は理解が出来ず、「何故だかはわからないが、その場になるとそうなってしまう」という感じをもつことになるのである。
 次章において、以上述べてきたトラウマ記憶の特徴からみると、施設における虐待等によりトラウマ記憶が形成されている子ども達への処遇の難しさはどのように説明ができるのかを述べていきたいと思う。


2.生活指導場面において現れるトラウマ記憶の影響
 以上みてきたようなトラウマ記憶の特徴は、施設に入所している子どもたちの示す様々な問題行動の理解にも役立つ。それらの問題行動は、年齢不相応であったり、同じことの繰り返しであったりするが、それは、現在の生活における困難な状況に対して、過去の虐待等の困難な状況において形成されたトラウマ記憶の再現が生じ、過去のトラウマ記憶が形成された時点での子ども自我状態が主導権をとり対処しようとするので、年齢不相応(中心的な自己の発達が活かされていない)となり、現時点ではその対処手段によって事態は改善せず、かえって職員から指導を受ける等の不利益をこうむるにもかかわらず、同じような状況に対しては、同じ行動を繰り返してしまうことになってしまっている、と理解できるのである。
今述べたような子どもの問題行動のパターンは、他の入所児童との関係のみで生じるわけではなく、施設職員との関係、特に生活指導場面での職員との関係においても生じ、このことが虐待等を体験している子どもたちへの処遇困難につながっていると考えられる。
 この章ではまず、何故、生活指導場面においてトラウマ記憶の再現が生じるのかに関して述べ、次に、それが再現されることがどうして生活指導を難しくするのかという点について述べていきたい。

(1)生活指導場面においてトラウマ記憶が再現される理由
 前章で述べたトラウマ記憶の特徴からすると、その記憶が形成されていた時点に存在していた皮膚刺激、視覚刺激、聴覚刺激等の外的刺激や、子ども自身の感情や体感、信じ込みのいずれかと類似するものが生活指導場面において存在すれば、トラウマ記憶が再現される可能性が高いということになる。
 この類似性については、細かくみていくと個々の子どもの状況によって無数にあると考えられるが、ここでは代表的なものを述べながら生活指導場面においてはトラウマ記憶が再現されやすいということを説明していきたい。
 まず外的刺激であるが、特に類似することが多いと考えられるのは職員の「怒鳴り声」や「高い大きな声」という聴覚刺激や、「つりあがった目」という視覚刺激である。これらの刺激は身体的虐待や心理的虐待がなされた場面においても存在する可能性が高いものである。同時にこれらは、日本において多くの親が「しつけ」を行う場合に用いており、施設職員も意識してこれらを避けなければ、生活指導場面において自然とそのような刺激を子どもに与えることになり、記憶の再現が生じることになる。
 次に感情についてであるが、生活指導場面において感じる感情は子どもにより分かれるが、「恐怖」や「怒り」が特に多いと考えられる。これらの感情は虐待場面においても子どもが感じていた感情であり、指導場面に直面した時に子ども自身が感じる感情面での類似性でも記憶の再現は生じることになる。
 次に信じ込みに関してであるが、これは生活指導を受けることに対する子どもの意味付けが、子どもが虐待を受けた時に形成された信じ込みと類似してくることを意味する。子どもは何か問題行動を行った場合に生活指導を受けることになるが、その行動は「悪いこと」であり、「そういう悪いことをする自分は悪い子だ」と感じやすい。職員がはっきりとそう言うこともあるし、そうでなくても、虐待を受けている子どもの多くは自分は悪い子だという信じ込みを持っていることが多く、自然と自分自身でそう感じることになる。となると、多くの虐待を受けている子どもが下す結論である「自分が悪いから、お母さんやお父さんから愛されないのだ」「自分が悪い子だから、叩かれたり、無視されたりするのだ」という信じ込みと類似刺激を感じることになり、「自分が悪い子だからそういうめに会う」と子どもが意味付けた困難な状況に対処するために、これまで行っていた対処手段が職員との間でも繰り返されることになる。
 このように、様々な面において生活指導場面はトラウマ記憶に含まれる内容と類似する可能性が高く、その場においてトラウマ記憶の再現が起こりやすくなる。
 次の説では、このトラウマ記憶の再現が生じると、何故に指導が困難になるのかという点に関してみていくことにする。

(2)トラウマ記憶が再現されることによる影響
 生活指導場面においてトラウマ記憶が再現されるということは、前章で述べたように、記憶の再現が起こり過去の子どもの自我状態が主導権をとった上で職員とのやりとりを行うことを意味する。そして、この過去の子どもの自我状態にとっては、過去の虐待体験等と同様、生活指導場面は回避不能な不快な出来事として感じらる。結果として、自分の行った行為を振りかえり、「これから自分の行動をどう変えていけばいいのかを考える」ではなく、「この場をどうやり過ごすか」ということがその場の一番の目的になってしまう。そして、これまで同じような困難な状況において何度も用いてきた対処パターンを繰り返すことになる。子どもによってはただひたすら黙って時間が過ぎるのを待つことであるかもしれないし、強烈な反抗という行動や、職員へ媚びへつらうという行動かもしれない。いずれにせよ、「一時凌ぎ」になってしまい、生活指導の効果はあがらないことになる。
 生活指導の効果があがる場合の子どもの「振りかえり」とは、中心的な自己によるものといえる。つまり、職員が自分のことを可愛がってくれたり、自分にとって嬉しいことがあったときに一緒に喜んでくれたりしたことの記憶をもち、故に、職員が自分の行った悪い行動で哀しんだり困ったりすることに心を痛め、そのような事が繰り返されないように新しい行動を身につけようとするのは、日常生活全般の記憶を用いながら活動を行っていく中心的な自己による作業となる。トラウマ記憶の再現が起き、中心的な自己とのやりとりが行われない状況では、そのような振りかえりが生じて行動が変化することは非常に難しくなる。
加えて、トラウマ記憶の再現という理解がないと、指導の効果があがらないことに加え、指導後の二次的な弊害が生じる可能性も高くなってくる。
 職員としてはある程度信頼関係も形成され、「分かってくれるはずだ」と思って生活指導を行う。実際に、職員の日常的なケアにより、子どもの中心的な自己との間ではそのような信頼関係は形成されはじめていることも多く、職員のその感触は的を得たものである。にもかかわらず生じる、このような生活指導場面における子どもの反応や、指導後も問題行動が繰り返されるという事態に直面すると、その子どもに対する信頼が大きければ大きいほど職員としても大きな心の痛手を負い、専門家としての自信をなくする。その結果、心の痛手から身を守る-つの方法である、相手を責めるという方法がとられる場合も生じてくる。つまり、職員が子どもに対するマイナスのイメージを持ち、「わがまま」「何を考えているかわからない」「反抗的」「ずる賢い」等のレッテルを子どもに貼ってしまうのである。そうなってしまうと、生活指導の場面だけでなくそれ以外の日常生活における子どもへの処遇においても弊害が生じてくる。つまり、そのようなマイナスのイメージを持った職員によって、常に「何か問題を起こすのではないか」という目で見られ続けたり、あるいは適切な行動を行った時にも十分な承認を得られなかったりすることになると、日常生活における中心的な自己の成長にもマイナスの影響を及ぼすことになるのである。そして、「自分は悪い子だ」あるいは「自分は誰からも愛されない」という子どもの信じ込みの強化が職員との関係でも起こる。結果、そのような信じ込みが強い子どもは、「悪い子だ」「愛したくない」という思いを周りの者から引き出すような行動や態度をますますとるようになり、生活指導もさらに難しくなるという悪循環に陥ってしまう。
 このように、子どもがもつトラウマ記憶の特徴により、通常行われている気づきや振りかえりを促す方法での生活指導は難しくなると同時に、この特徴を職員が理解していない場合には、マイナスのイメージを子どもに対して抱きやすくなり、他の日常生活場面での子どもとのかかわりにおいても悪いパターンが繰り返される可能性が出てくるのである。
 次章では、以上述べたようなトラウマ記憶の特徴に配慮した生活指導の基本方針に関して述べていきたい。


3.トラウマ記憶の特徴に配慮した生活指導の基本方針
 この章では、以上述べてきたようなトラウマ記憶の特徴を踏まえた上で、生活指導において重要になると考えられるいくつかの基本方針を示していきたい。

(1)過去の子どもの自我状態のケアも行う
 トラウマ記憶の特徴を考慮した処遇方針の一つは、生活指導の場面において、過去の子どもの自我状態のケアを行うということである。つまり、実際の年齢はすでに10歳をこえていたとしても、2~3歳の傷ついた子どもが、その小さい子どもなりに生き延びる方法として用いた対処手段を今も同じパターンで繰り返しているので、現時点では問題行動につながっているという理解のもとに、たとえば、かんしゃくを起こして他の子に暴力を振るっている子どもに対して、「他の子を傷つけたいと思うくらい、つらい思いをしているんだね」「とても腹がたっているんだよね」と過去の傷ついた小さな子どもに直接語りかけ、その小さな子どものつらさや怒り、悲しさを受けとめるつもりで語りかけるのである。この時理解しておかなければならないのは、Watkinsらの子どもの自我状態の説明で述べられていた、子どもの自我状態が主導権をとっている時であっても、表面上は大人の言葉を用いるという点である.実際上の体格が大きくなっていても、話される言葉の中に子どもっぽさが含まれておれば、より容易に上記のような優しい言葉かけもできるが、様々な理屈をつけて自分を正当化したり、場合によっては職員を兆発するような言葉が子どもから出てくると、「傷ついている子ども」という理解や対応は難しくなってくる。
 このような子どもの特徴に職員がうまく対処するためには、神田橋が指摘している「『能力』というコトバをくっつける遊び」(神田橋,1990,pl20)が役に立つと考えられる。神田橋は心理療法家がクライエントを理解する上でのセンスを育てるために、「患者の示す特徴に片っ端から『能力」というコトバをくっつけて味わってみる遊び」を提唱している。いま述べたような子どもの特徴にあてはめると、「他者を傷つける能力」「自分を正当化する能力」「職員を兆発する能力」などとして、そこから連想を広げていくのである。神田橋によると、この遊びにより、援助をする上で不可欠である「困っている他者に対して何とかしてあげたい」という援助者の「利他の本能パターン」が活かされやすくなるという。Watkinsらが述べているように、過去の子どもの自我状態のとる対処手段は、それが形成された時点では有効な対処手段であった。そこから考えると、「他者を傷つける能力」や「自分を正当化する能力」の形成が行われ始めた時は、その子が非常に困っている状態だったということになり、その困った子どもが何とかしてその場に対処しようと工夫する中で身についてきたのが、この能力であるということになる。「能力」というコトバをくっつけながら、このようにこれまでの子どもの生い立ちに職員が思いを広げ、子どもの困っていた状態に対する理解が深まれば、目の前の、体格は大きくなっている子どもの中の、傷ついた子どもをイメージしやすくなるし、自然といたわる言葉かけを行いやすくなる。このようないたわりのある職員の理解や態度が、今まで無視され続けてきた過去の子どもの自我状態のケアにつながると考えられる。
 他者への暴力を止めさせるための指導もそうであるが、「他者を思いやる心を身につける」という課題は生活指導の中でも中心的なものである。そのようないたわりは自分自身も困っている時にいたわられることで身につくのである。子どもの問題行動が生じる場面とは、過去の子どもの自我状態が再現されている場面であり、つまりは、子どもが最も助けを必要としていた場面が再現されているということになり、絶好のケアの場面となる可能性をもつものであるという理解ができるのである。

(2)中心的な自己との共同をめざす
 二つめの基本方針は、前節で述べたような過去の子どもの自我状態へのケアがある程度行われた後になると考えられるが、生活指導の場面において中心的な自己との共同を目指す働きかけを行うということである。別の表現を用いれば、トラウマ記憶の再現が生じないような状態で生活指導を行うということになり、なるべく子どもの過去のトラウマ記憶の内容と類似する刺激を与えないようにするという工夫が必要になる。
 具体的には、職員自身の声の調子や顔つきなどを意識して穏やかなものにする工夫を行うことができる。すでに述べたように、「しつけ」においてとられる大きな声や怒った顔つきなどは、一般家庭においても大人の真剣さを伝えるための手段として用いられる場合も多く、職員自身がそのようなしつけを受けている場合、生活指導の場面で同じような方法を用いることになる。
 また、深刻なトラウマ記憶の影響がない子どもの場合、その方法で効果を上げる場合も多いであろう。しかし、通常の生活指導では効果があがらないような子どもへの生活指導においては、そのようなトラウマ記憶の再現につながりそうな刺激を意識して避けるのである。
 次に、生活指導を過去のその子がうまくいった場面を持ち出すことから始めることで、子ども自身が感じやすい「自分は悪い子だ」という信じ込みを感じにくくする工夫をすることもできる。たとえば、「おとつい、あなたが幼児さんたちと一緒に遊んでくれて、先生とても嬉しかったんだけど、覚えている?」というような、その子の適切な行動をとった時の話題から会話を始めてみるのである。
 また、問題行動を「癖」という表現を用いて話し合うことも一つの工夫となる。癖という表現を用いると、無意識にやってしまうという意味あいが強くなり、その問題行動の責任をその子の中心的な自己から引き離して見やすくなり、中心的な自己を責める雰囲気が減るからである。また実際、すでに述べたようにトラウマ記憶の再現は類似の刺激があれば自動的に起こるものであり、それが生じている時の中心的な自己の果たす役割は、特に中心的な自己が発達の途中にある児童期の場合、極めて少ないといえる。
 以上のような工夫により、過去の子ども自我状態が再現されずに、加えて、責められない穏やかな雰囲気を感じることによって、中心的な自己の中に職員と共同するための余裕が生じるのである。
 この結果、共同して癖を見なおしていくという関係ができれば、次はその癖を一緒に詳しく研究・分析する段階に入り、「どのような時に癖が出やすいのか」「同じような時でも、、癖が出なかった時はどういう時か」「癖が出る前に意識して行える行動はどういうことか」といった話題を一緒に話しあっていくのである。この段階における子どもへのかかわり方に関しては、解決志向アプローチの技法(DejongBerg,玉真訳,1998)が特に有効になる。

(3)中心的な自己をくじけさせない配慮を行う
 三つ目の基本方針は、生活指導後の配慮になるが、現在の子どもの中心的な自己をくじけさせないような配慮を行うということであり、これは、前章の第2節のトラウマ記憶が再現されることの影響に関するところで述べた、二次的な弊害を起こさせないようにするということである。
 トラウマ記憶の再現という現象による子どもの問題行動はすぐには解決しない場合が多い。たとえ前節で述べたような工夫がうまくいき、子どもの中心的な自己との共同作業が始まった場合であっても、問題行動が繰り返されることもありうる。中心的な自己との共同作業は主として知的な作業であるが、すでにみたようにトラウマ記憶の再現は中心的な自己が知的に対処しようとしてもその再現を防げない場合も多いほど、強力な現象である。一端トラウマ記憶が再現されると過去の子どもの自我状態が主導権をとることになり、職員との話し合いにより「こういう場面ではこういう行動をしなければいけない」と理解している中心的な自己がいたとしても、その行動への影響は非常に限られてくるのである。我々成人の日常生活においても、先に示した怒鳴り声により必要以上の恐怖心を感じてしまう例など、「わかってはいるけど止められない感情や行動」というものはいくつもある。虐待等によるトラウマ記憶をもつ子どもが起こす問題行動の場合、まだ中心的な自己が成長途中であるということもあり、大人以上に「何が何だかわからないが、そうしてしまっている」という状態だと考えられる。
 子どもの問題行動の改善、あるいはトラウマ記憶の克服や統合のためには多くの場合、過去の子どもの自我状態に対する心理療法的なアプローチも含めて、長期的な展望を持つことが必要となるのである。
よって、中心的な自己の日々の成長に常に注目し、その成長している部分をその子の核となる部分と理解し、その部分が成長し大きくなることで、過去の子どもの自我状態による癖へのその子なりの対処方法が見つかっていくという理解が必要となってくる。
 あまりにも問題行動の改善に目がいきすぎてしまうと、中心的な自己に期待する課題としては大きくなりすぎてしまい、職員との信頼関係ができ、職員の期待に応えようとすればするほど、子どもは「駄目な自分」「悪い自分jを意識してしまうことになる。すでに述べたように、虐待等の体験をもつ子どもは「自分は悪い子」という信じ込みを持つ場合が多く、職員の配慮がなければ、「やはり自分は駄目なんだ」「悪い自分が本当の自分なんだ」とくじけてしまう可能性が高い。それに追い討ちをかけるような、職員からのマイナスのイメージによる悪循環はすでに述べた通りである。黒川はケアワークの個別処遇プログラムにおける、達成可能な課題を設定することの重要性を指摘している。利用者が成功し、職員に認められる機会を作るために日常的な課題を与えるとするのである(黒川,1989,pp112-l33).トラウマ記憶の再現による問題行動をもつ子どもへの援助においても、この視点は重要である。場合によっては、達成しない方が難しいような課題をユーモアを交えながら共に設定するという工夫も、子どもの状態によっては必要となるであろう。


まとめ
 虐待を受けて施設に入所してきた児童に対する生活指導の困難さを、トラウマ記憶の特徴から考察し、日常生活上の生活指導場面がそのような子どもにとっては、過去の虐待体験と同様のものと認知され、結果、これまで用いられてきた指導方法では効果があがらない場合が出てくるということを示した。そして、過去の子ども自我状態のケアを行い、現在の中心的な自己と共同するという指導の基本方針を示した。
 とはいえ、筆者自身の施設における非常勤心理療法士をさせてもらっている経験からもいえることであるが、深刻なトラウマ記憶が幾重にも重なっている子どもの場合、なかなか中心的自己との共同作業に入れなかったり、面接の効果が現れにくかったりすることも実感している。効果が現れるまでには時間がかかり、焦りは禁物と頭では理解しているつもりでも、退所までの残された時間との間で焦りは大きくなる。
 だが、日常生活への処遇とは異なり、子どもたちと少し距離のある心理療法士という立場にあって感じることは、ケアワークという援助活動の子どもたちへの大きな影響である。子ども自身の成長する力という側面も大きいのであろうが、どの子も入所した頃と比較して確実に中心的な自己の成長は見られる。問題行動が多いといわれる子どもにおいても同様である。この点を常に保育士や生活指導員などの日常生活処遇を行う職員に伝えていくことも心理療法士の役割として重要なのかもしれないと感じる。
 今後も、過去の子どもの自我状態への働きかけを行うことで、問題行動の改善を目指す心理療法的な技法と同時に、すでに現れているケアワークの効果、つまり中心的な自己の成長を、更に促進するための施設における心理療法士の役割に関してもひき続き研究していきたいと思う。

引用・参考文献
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謝辞
以前より持ちつづけていた本テーマを更に深く研究する機会を与えて下さった、施設職員の方々、そして子ども達に感謝申し上げます。



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