あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

DV被害支援室poco a poco 庄司薫のコラム

和をもって尊しとなす..。お互いさまの心。

 
 <産経新聞>女児が意識不明も5時間放置し、TVゲーム 虐待の母、内縁の夫 快晴の体育の日。菜根譚から..
 和をもって尊しとなす。さからうことなきを宗とせよ。人皆党(たむら)あり、また達(さと)れる者少し。
 人はいろいろな人々との出会いの縁によって支えられ、生かされている。そうした縁の重なり合い、絡み合いによって育っている。
 「和」は、因と縁がプラスされ、その結果、お互いに努力して、縁を生かし縁を育てていく。つまり、お互いの持ち味を皆がだしていく。さらに、持ち味を互いが尊重していく。そうやって、それぞれの持ち味が十分にでたものが、結合されたひとつの味になっていく。それには、それぞれの意見をだして認め合う。互いに寄り合ってひとつの味をつくりあげていく。
 「さからう」は、縁起の法則に逆らってはいけない。「党あり」は、自分の利益を中心として、離合集散していく。つまり、利益でくっつくと利益で離れていくという意で、このことを理解しているものは少なく、嘆かわしい・・と。この考えを聖徳太子(574~622)は、日本人の精神、思考の礎にしようと「十七条憲法」の冒頭に掲げた。
 互いが互いの立場を尊重し合い、上下の関係(奉仕)ではなく、同じ横の立場で<世話>をし合っていく。そこには、お互いが心を合わせ、力を合わせる<和>があり、ひとつのことを成し遂げていこうという<志>が育まれていく。
 <尊い行い>として、子どもたちには、「ちょっと手を貸しましょうか」という自然な行為、つまり、世話をする、というお互いさまの心を身につけていって欲しい、と切に願う。
 その前に、大人が、親がその背中で、子どもたちの見本にならないといけない。

 心理学で、こういう実験がある。軽トラックで大きな荷物、たとえばソファーを荷台から、一人で降ろして、運ばなくてはならない。その場を通る見ず知らずの人に、①お金をあげるから、手伝ってという。②ひとりで困っているから手伝って欲しいとお願いをする。この場合に、人はどういう行動をとるか?
 たいがいは、<私はお金が欲しくて手伝った>と思われたくないから、①にケースは断る。
 人は褒美が欲しくてやるのではなくて、喜ばれることをできたという達成感で動く。人に喜ばれるからという心を失ったとき、人は人じゃなくなる。つまり、人の心を失ったされる。
 ホモサピエンスジャポニカは、<人を殺す人>という意味である。祖先とされるクロマニヨン人が、死者を弔い、埋葬の儀式をしていたといわれるネアンデルタール人を凌駕していったのは、その殺戮本能にあったといわれている。同じ流れを汲むチンパンジーは、ときに集団リンチを行い、殺し、その肉を食う。ネアンデルタールの流れを汲むゴリラ、オラウータンは草食で、殺し合うことは一切しない。その殺戮本能を抑える目的ではじまったのが、古代オリンピックである。スポーツは、やるのも、見て興奮するのも人間本来がもつ殺戮、暴力本能を制御する、発散させる役割りを担っているのである。
 それともうひとつ、人はことばの発達させてきた。殺し合い、殴り合い、パワーで奪い取る(略奪)ことなく、話合いで民族を、家族を生き続けてこさせることを長い年月をかけ、少しずつ学んでいった。ことばを共通の文字にしていくことで、約束ごとを決め、集団生活の秩序を保とうとしていったのである。今でも、国富と富めるために経済活動があり、より有利に運ぼうと、自国の、自社の、自身のための営みが、生活のベースになっている。国際法には、国家間での話合いで解決できない場合には、戦争行為は合憲と明記されている。その抑止となっているのが、国連である。
 現代でも、民族紛争が何世代にもわたって繰り返される地区がある。いったん、民族紛争が起り、長びいてしまうと、その殺戮、殺し合う中で育つ子どもは、暴力、殺しあうことが解決の唯一の方法だとすり込み、学んでしまう。感情の爆発させる扁桃体のコントロールができなくなってしまう。領土問題は国富、国家利益の問題であり、国家も抑制がきかなくなり、幾度も戦争が繰り返されている。戦争、民族紛争といった殺し合い、殴り合うのが常態化しているその環境は、前頭葉の発達を妨げてしまうのである。ここでは、人に喜ばれるから、お互いさまを尊いと思う心は育まれない。人を殺してでも、民族が、同志が勝つ、生き延びれればいいのである。いや、大義名分などなく、自分がよければ、人を殺すこともいとわない。

 DV環境、虐待環境で暮らす妻と子どもの抱えるストレスは、戦争の帰還兵が抱えるストレスと同レベルのものだといわれている。わが子が目の前で死んでも悲しむ心も残っていない、ただ戦火の中を逃げ回ることで精一杯だった沖縄戦、仲間が撃たれ、バタバタと命を絶たれていく中、必死に銃撃を繰り返し、ジャングルの中を飢えと死の恐怖をさ迷っていた戦地となんら変わらない。これがDV環境であり、虐待環境なのである。それが、どういう状況なのか、考えてみて欲しい。戦争や紛争は、あなたひとりで解決できますか? 大きな力は働かないと、その環境にいる人たちは助けられない。
 そう、その理不尽な暴力が繰り返される中で、心を保つことなど誰にもできない。異常な環境下での正常な反応でしかない。だから、あなたは絶対に悪くない。
 あなたが相手を思いやる心を取り戻す、子どもにお互いさまの心を身につけさせることは、暴力に晒されているDV環境のもとでは難しい。いま、あなたがしないといけない選択は、その環境から、逃れることでしかない。自分の命、心を命を大切にして欲しい。相手を思いやるのは、時間をかけて、あなたの心をしっかりケアし、癒やしてからでいい。



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