あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-4]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ

13.人類の暴力性。中毒化した脳が暴走、規定や規範は無力

 
 14.トラウマと脳 12.脳と子どもの発達
*新版3訂編集中(2017.12.17)

多くの人は、犯罪や暴力事件がおきるとその原因や理由を解明しようと努めます。
それは、平和な状態こそが人間にとってあたり前(自然)で、犯罪や事件は異常な状態だという認識を持っているからです。
しかし、この認識は本当に正しいのでしょうか?
人を殺したり傷つけたりすること(殺人・障害・暴行・強姦など)、嘘や偽りの話で人を騙したり、力づくで人のものを奪ったり、のしあがったり、牛耳ったり(略奪・搾取、権力・支配)すること、異なるものをとり除こうとしたり(差別・排除)することといった人の行為の捉え方について、自ら「賢い人」「知恵のある人」という意味のホモサピエンスと名づけた人類は、進化の過程で、“人を殺す人”として幾つもの原型種を滅ぼしたり、交配*-7したりして凌駕・駆逐したりしながら歩んできました。
同生物種の他の個体による致死的暴力が死因となったケースの割合を詳細に調べた調査結果によると、「同生物間での殺害は、ほ乳類1024種全体で約0.3%であるのに対し、霊長類とツバイの共通祖先では、その割合が2.3%にあがり、人類の共通祖先が登場する20万-16万年前ころに、その割合は約2%となった。」とされています。
人類は、「土地を耕すために定住したのに伴って所有の概念が発生し、それとともに戦争が起きるようになった」ことが知られていますが、人類の集団虐殺として確認されているもっとも古いものが、ケニアのナタルクで、「男性と女性と子どもの小集団が別のグループに捕えられ、縄で縛られた揚げ句に、矢で射られたりこん棒で殴られたりして殺された人骨12体」が発掘されたものです。
これは、狩猟採集民として遊牧生活をしていた時代の末期、農業革命がおきる前の約1万年前とされています。
この発見により、定住型の社会が形成される前の時代、村落や共同墓地が築かれる前の時代の人類が、集団間で闘争をおこない、捕らえた者を残虐な手段で殺害していた事実が示されました。
また、フランス東部のアルザス地方では、6千年前に「石斧とみられるもので激しく殴打するなど、集団で虐殺したあと、穀物や他の食物を保存するために使われていた古代のサイロに投げ込こんだ人骨」が発見されました。
この虐殺は、「勇猛な儀式主義の戦士たちの手によって実行された」と考えられています。
こうした「人類の歴史観」と、人類の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられるという「脳の発達論」の見地から、この問題の本質を提示しておくことは重要です。
「人類の歴史観」や「脳の発達論」を理解することの重要性は、第1に、「人が人を殺す」、「人が人を傷つける暴力(戦争などを含む)という行為が、いつ、どのような状況で生まれ、その結果、人の脳に多くの影響を及ぼしてきたことです。
そして、第2に、明治維新、日清日露・第1次世界大戦を経て第2次世界大戦に突入し、本土空襲、沖縄戦、広島と長崎への原爆投下を経て終戦を迎えた日本は、戦後の70年で産業構造は激変し、この40-20年で「情報化」、「飽食化」が著しく進むなど、人類史上いまだ体験したことがないほど、社会に中毒性のある物質(食品や薬品)や刺激(機器)が溢れかえり、そのことが、人類の脳に異常な状況をもたらしていることです。
*-7 ホモサピエンスのゲノム(全遺伝情報)の中に、ネアンデルタール人由来の遺伝子(皮膚、毛髪、爪に弾力や硬さをもたらす繊維性タンパク質「ケラチン」の生成に影響するもの)の存在が確認されています。
このことは、ホモサピエンスとネアンデルタール人が交配していた事実を示しています。
8-4万年前、ホモサピエンスは、ネアンデルタール人との交配によって、厚みのある皮膚を獲得し、欧州の寒冷な気候への適応に役立てることができ、現在の欧州人と東アジア人に受け継がれました。
アフリカの人類は、欧州やアジアに住んでいたネアンデルタール人と混血しなかったことから、ネアンデルタール人のDNAを持っていないとされています。
ネアンデルタール人との交配で得た遺伝子が、男性の繁殖力を脅かす(睾丸やX染色体の機能)ことになった、
つまり、ある種の遺伝子は、人類にとって不利益を及ぼすものだったことから、自然淘汰の過程で強制的にとり除かれたとされています。
一方で、ネアンデルタール人由来の遺伝子は、2型糖尿病やクローン病などの病気のリスクをもたらしたとされています。
(民族で異なるインスリン分泌能とインスリン感受性)
「糖尿病」は、インスリン作用不足により慢性の高血糖状態がひきおこされる代謝症候群で、「インスリン分泌能の低下」と「インスリン抵抗性の増大」という2つの生理機能障害を主徴とし、2015年、糖尿病有病者数は年々増加傾向にあり、2015年、4億1,500万人にのぼり、有効な対策を施さないと25年後の2040年には、6億4,200万人に達すると予測されています。
日本の患者数は、316万6.000人となり、過去最高となっています。
糖尿病の発症、もしくは、2次障害とかかわる「高血圧性疾患」が1,010万8,000人、「高脂血症」が206万2,000人、「心疾患」が172万9,000人、「脳血管疾患」が117万9,000人で、延べ1824万4,000人となり、人口(1億2,708万3,000人)比で、14.36%に相当します。
アフリカ系はインスリン感受性が低い傾向があり、インスリン分泌の増加によりインスリン作用を補うことで正常な血糖を維持し、コーカソイド系は、アフリカ系と東アジア系の中間の特性を持っているとされ、主食として米を栽培してきた農耕民であった日本人を含む東アジア系民族は、インスリン感受性は良好である一方で、インスリン分泌能は低い傾向があるとされています。
そのため、コーカソイド系(白色人種)における「標準体重」であっても糖尿病発症率が高いことから、肥満はアジア系にとっては糖尿病発症の重要な因子ではなく、アジア系の人は各民族の標準体重をわずかに超過しただけでインスリン感受性が低下し、2型糖尿病発症の危険性が著しく上昇するとされています。
そして、米国に移住したアジア系、太平洋諸島系の人々の間で糖尿病が急増しており、約10%のアジア系アメリカ人が糖尿病を発症し、うち90-95%は2型糖尿病で、米国に住んでいる日系アメリカ人の方が、日本に住んでいる日本人より糖尿病の比率が高くなっています。
このアジア系のインスリン分泌能が低いことが、食後に血糖値急上昇しその後標準値に落ち着くなど血糖値の乱高下が激しい「血糖値スパイク(グルコーススパイク)」をひきおこします。
この「血糖値スパイク」が放置されると、高血糖(糖尿病)と同様に、体内の重要な血管が傷つき、脳梗塞や心筋梗塞などによる突然死のリスクが高まることがわかっています。
1万年前にはじまった農耕(小麦などの栽培)は、人類の発展に寄与してきました。
そして、農耕や家畜化により、多くの食物を口にしてきた人類は、味覚を発達させ、大航海時代が契機となり多様性のある食文化を築き広めてきましたが、一方で、戦後の数十年の間で訪れた飽食時代は、炭水化物(ブドウ糖=糖質)をはじめとした食の過剰摂取を招くなど、人類史上における食の崩壊ともいえる今日、アジア系の各民族に糖尿病の発症リスクが高まるなど、身体に異常をきたす危機を招くことになりました。
いま、過食であることをコントロールできない人類の状況は、中毒症状を招く物質(食品や薬品)に対して、人の脳はいかに脆弱であるかを示すものです。
そして、糖尿病発症後、罹病期間の長さに比例して細小血管障害が進行し、合併症としての糖尿病網膜症、糖尿病腎症、糖尿病神経障害に至ること、細小血管障害が脳梗塞や脳出血を誘発し脳血管性認知症の一因となることは知られていますが、それだけでなく、糖尿病は、罹病期間の長さに比例して海馬が萎縮しアルツハイマー型認知症を発症させます。


(1) 人類の定住化が、集団での略奪・殺戮を推進
① 7万年前の堺に脳の構造が変わる
人類(ホモサピエンス)の長い歴史をふり返ってみると、人は生き延び、種を繋げるために、人を殺し、人のもの(領土、食料、人など)を奪い、異なる人種やコミュニティ、そして、異なる考えを排除してきました。
15万年ほど前に東アフリカで細々と捕食者(肉食獣)に怯えながら暮らしていたサピエンスは、7万年ほど前になると、地球上のあらゆる場所に進出し、他の人類を絶滅に追い込んでいきました。
解剖学的には、太古のサピエンスと現代の人間には大きな違いはなく、7万年前を境にサピエンスの“認知的能力”に劇的な変化が生じ、脳の構造が変わったと推察されています。
その認知的能力とは、想像的にものごとを認知し、仲間に伝え、行動に移す力のことです。
例えば、「気をつけろ、ライオンだ!」ということばを操れる人類は他にもいましたが、「ライオンは、わが部族の守護霊だ。」と話すことができる人類は、サピエンスだけでした。
つまり、サピエンスは、自然とのつながりを対象に、崇拝・信仰するという概念を想像したのです。
関連性を想像するといった認知的能力を備えた脳の構造に変化したことにより、サピエンスは、複雑な社会を形成することが可能になったと考えられています。
そして、1万年ほど前に植物の栽培と動物の家畜化がはじまり、人類は定住生活をするようになり、土地や地域を所有する概念が生まれました。
とはいっても、狩猟採集民は1日わずか数時間の労働で十分な食料を手にできるなど自然の様々な食材を手にできましたが、一方の初期の農耕民は、単一、あるいは、少ない種類の作物に依存していたため、飢饉にみまわれるなど劣悪な生活環境でした。
農耕民は、長い歴史の多くの期間を飢饉の恐怖と栄養不足、そして、重労働という苦みに直面し続けなければなりませんでした。
温暖な気候で、農耕に適していた日本では、この「農耕=定住生活」という概念は、土地の所有に対するこだわり、農耕民としての重労働という習慣は、勤勉で長時間労働を美徳とする考えとして脈々を息づいています。
しかし、生存率があがり、コニュニティの拡大、つまり、多くの人口を賄い、コミュニティを安定させ、維持していくためには、植物の栽培と動物の家畜化は必要不可欠でした。
このとき、重大な役割を担ったのが、中東のごく限られた地域に自生する弱い立場の草にしかすぎなかった「小麦」の栽培でした。

② 炭水化物(ブドウ糖=糖質)とコカインは、快感中枢に働く
人類は、ドングリなど木の実に加え、果物やハチミツなどの一糖類、稗や粟、蕎麦、そして、小麦や米の栽培(農耕)により、脳の新たなエネルギー源であるブドウ糖(多糖類)の日常的な摂取を獲得したことにより、人類の大脳を劇的に発展させました。
小麦は、いうまでもなく「炭水化物(ブドウ糖=糖質)」で、糖は脳の唯一のエネルギー源です。
しかし、この炭水化物(ブドウ糖=糖質)は、コカイン*-8が作用する脳の同じ部位に刺激を与える物質です。
脳には、側坐核や腹側被蓋野の部位に快楽(幸せを感じる)を司る中枢(脳内報酬系)が存在します。
ここでドーパミン放出を促し快感が生じると、それが刺激となり、依存症や中毒状態となります。
そして、この糖質の甘さの方が、そのコカインよりも脳内報酬系を刺激するのです。
糖質(炭水化物)は、コカインよりも中毒性が高い物質なのです。
 糖質(炭水化物)の摂取は、快感中枢が刺激することから、快感を求めて無意識に炭水化物(ブドウ糖=糖質)を求めることになりました。
つまり、糖質(炭水化物)の摂取が途切れると、イライラ感や無力感などの禁断症状を示す脳ができあがったのです。
このことは、第1に、コニュニティを維持するために、小麦の安定供給を求めて、力でもって、他の農耕地や生産物の奪い合い(略奪、殺戮)を加速させていきました。
このことが、人類が、狩りの方法や技能を戦いに生かし、守りを固める防御の技能を高める要因となりました。
そして、第2に、より効果的に体内にとり込もうとする(少しでも早くブドウ糖に転換し血糖値をあげ、脳に多幸感を与えようとする)中毒性のある欲求は、石器で砕いたり、焼いたりするなど、加工して食べるといった“精製技術”を劇的に向上させることになりました。
この“中毒性のある欲求”は、「モチベーション(動機)」「向上心」と呼び方を替えて、意志にもとづいているように解釈しています。
現在では、精製技術の発達により、「白米」や「白砂糖(二糖類;黒砂糖を精製したもので、食品ではなく薬品分類)」が使われた加工食品などが大量に供給されています。
口に入れた瞬間に甘さを感じ、瞬時に「おいしい」と多幸感に満たされる状況がつくられました。
本来、赤道直下の熱帯地域で栽培されるサトウキビ(黒砂糖)やタロイモなどは、体を冷やす物質です。
本来生息していない寒冷地域や温暖地域で生活する人にとって、食物の摂取による冷えは、体にとって危機(危険のシグナル)であることから、アドレナリンを放出させ、一方で、カロリー過多を生じさせます。
逆に、寒冷地域で生活する人は、多くのエネルギー(熱量)が必要となることから肉や乳製品など動物性タンパクを必要としますが、温暖地域や熱帯地域で生活するには、寒冷地域ほどのエネルギー(熱量)は必要ないことからカロリー過多となり、肥満を生みだします。
この状況が巷に溢れている今日、脳は、快楽を司る中枢が常に激しく刺激され中毒状態、つまり、「脳が多幸感と渇望感を繰り返す(加えて、アドレナリンにより危機と安定を繰り返す)=精神的にアンバランスな状態になる=感情の起伏が激しくなる状態」になりました。
「精神(脳)の安定」には、多幸感と渇望感の差(ふり幅)を小さく留めること、つまり、できるだけ時間をかけて、ゆっくり糖が吸収することが望ましいのです。
それは、元来あるミネラルやビタミン、食物繊維などが精製(精白)されず、浸透性の遅い食品を供給することです。
「ミネラルやビタミン、食物繊維などが精製(精白)されず」とは、例えば、米であれば、玄米の状態のことです。
粉製品(加工を含む)に精製された食品以上に、「いち早く血液にとり込まれる浸透性の高い白砂糖が大量に含まれた食品」は、炭酸飲料(500mlの炭酸飲料には角砂糖7個分に相当する大量の白砂糖が使用)、ジュース、ジャム、生クリームなどです。

③ 白砂糖、体内のビタミンやミネラルのバランスを崩し、精神の不安定を招く
人の身体は、血糖値が上昇すると、インスリンが分泌され血糖値を下げます。
例えば、「ペットボトル症候群」による「低血糖症」は、浸透性の高く、血糖値を急上昇させる炭酸飲料やジュースなどを大量に摂取すると、インシュリンを大量に分泌させ血糖値を下げ、血糖値が下がると炭酸飲料やジュースなどを飲みたくなり、そして、血糖値が急上昇させることを繰り返すうちに、インスリンは出っ放しになり、炭酸飲料やジュースなどを大量に摂取しているにもかかわらず血糖値は低いまま(インスリンの過剰分泌)になってしまっている状態です。
しかも、白砂糖の燃焼時には、ビタミンB群、カルシウムを大量に消費します。
ビタミンB群、カルシウムが欠乏すると、ますますイライラ、ムカムカを募らせることになり“キレやすくなる”のです。
飽食となった現在、カロリー過多になりやすい食生活にもかかわらず、ビタミンA、カルシウム、ビタミンB1などの栄養素が不足しています。
ビタミンAは、細胞組織が新しく生まれ変わるのを助け、不足すると風邪をひきやすくなり、体調を崩しやすくなります。
カルシウムは、心臓を動かすために必要な栄養素で、ビタミンB1は、糖質をエネルギーに変えるときに使われ、不足すると、「疲れやすい」「日中眠くなる」などの症状が現れ、ストレス耐性が弱くなります。
そして、「不足している」のなら「補充すればいい」と不足している栄養素が多く含まれている食品を摂ったり、サプリメントを服用したりする考え方が一般的になっていますが、それ以上に、黒砂糖からミネラルなどを精製した白砂糖を含んだ食品を大量に摂取していることが、体内からビタミンB群やカルシウムを奪っていることに目を向けることが重要です。
このカルシウムなどのミネラルやビタミン不足になっている問題は、貧血、脳出血、肺炎、結核などが増加している要因となっている「飽食である中での低栄養(栄養失調)状態」の問題と絡んできます。
カルシウムや亜鉛などの微量元素や脂肪酸、酵素、ホルモンなどと結合することで安定度が高まる「アルブミン」は、肝細胞のみでつくられ血液中に存在するアミノ酸からできた小さなタンパク質で、不足するとエネルギーが運搬されなくなるため、血圧低下や栄養失調などの症状をひきおこし、抵抗力が低下させることから、「血清アルブミン量」は栄養状態を示すなどの指標となっています。
現在、「血清アルブミンの量が低下し、低栄養(栄養失調)とみなされる人が増大している原因」は、黒砂糖からミネラルなどを精製した白砂糖を含んだ食品を大量に摂取し、体内からビタミンB群やカルシウムを奪っているからです。
そして、「低血糖症」は、心の病を解く鍵のひとつとされているものです。
その症状は、主に、a)身体の細胞がエネルギー不足に陥ることでもたらされるものと、b)低血糖時に分泌されるホルモンの変動に影響されてもたらされるものの2つに大別されます。
「身体の細胞がエネルギー不足に陥ることでもたらされるもの」の主な症状は、異常な疲労感、起きられない、眠たい、集中力がない、めまい、ふらつき、物忘れがひどい、目のかすみ、呼吸が浅い、目が眩しい、甘いものが無性に食べたい、胃腸が弱い、ため息をつく、生あくび、偏頭痛などです。
一方、「低血糖時に分泌されるホルモンの変動に影響されてもたらされるもの」の症状は、精神症状と身体症状に分けられます。
精神症状としては、睨んでいるような表情、暴力をふるったり奇声をあげたりする、考え方がバランスを欠いている、うつ症状をおこす、幻覚をおこす、不眠に陥る、怒りだすと止まらないなどです。
身体症状は、手足の冷え、目の奥の痛み、動悸、頻脈、狭心痛、偏頭痛、筋肉の麻痺、発汗、体重減少、便秘、立眩みなどです。
これらの低血糖症の症状と精神疾患の症状は、どこが違うというのだろうかと思うほど似通っています。
実は、精神疾患ではなく、ADHDでもなく、低血糖症(ペットボトル症候群などの中毒症状)であることを見逃していることが少なくないのです。
ドーパミンが過剰に放出されると、過覚醒の状態になり、統合失調症(精神分裂病)の幻覚や興奮などの症状をひきおこしますが、低血糖は、ドーパミンの放出を促します。
ドーパミンの放出は、アドレナリンやノルアドレナリンを放出し、アドレノクロムをつくりだして幻覚症状をおこします。
また、脳内組織のリン脂質のアセチルコリン(K.リゾレシチン)が不足すると、正常なものの考え方や判断、感情や言語などを司る前頭葉に障害でてきます。
なぜなら、神経細胞からでている神経線維の鞘は、アセチルコリンによって保護されているからです。
アセチルコリンが不足してしまうと神経が疲れ、集中力や記憶力、学習意欲が減退してイライラしてきます。
精神を患う人の脳内細胞のアセチルコリン濃度は、患っていない人の50%程度しかないとされています。
逆に、副交感神経の神経伝達物質アルチルコリンに満たされていると心が落ち着き、穏やかになり、集中力は増し、よく眠れるようになり、食欲もでて、気分も爽快になります。
脳内組織のリン脂質成分(アセチルコリン)が不足したり、ビタミンやミネラル不足からくる栄養バランスが欠如したりすると、ホルモンの代謝が異常をおこし、イライラしたり、怒りっぽくなったり、キレたり暴れたり、「どうにでもなれ」といった自暴自棄になったり、死にたくなったりするのです。
つまり、人類が小麦や米、そして、(黒)砂糖などの“精製技術”を向上させ、より効果的に体内にとり込もうとする(少しでも早くブドウ糖に転換したり、直接糖を摂取したりすることで血糖値をあげ、脳に多幸感を与える)欲求が、今日では、精製され、浸透性の高い食品を次々と生みだし、その結果、さまざまな神経伝達物質を過剰に分泌させたり、体内のビタミンやミネラルのバランスを崩すことになったのです。
*-8 コカインは、粘膜の麻酔に効力があることから局所麻酔薬として用いられるなど、 医療用医薬品としては安定な塩酸塩として流通している「麻薬及び向精神薬取締法」における麻薬です。
コカインを摂取すると、中枢神経興奮作用によって快感を得て一時的に爽快な気分になるなど、中枢神経に作用して、精神を高揚させる働きがあります。
その依存性は極めて高く、主に精神依存であり身体依存は弱いとされ、作用が強烈で短時間の作用という特性があります。
そのため、「連用につながりやすい」とされています。


(2) 残虐性、人類の持つ特性
約400万年前に分化し、人類と遺伝子の99%を同じくし、果物や種子などを主食とする一方で、他の哺乳類(捕獲量の80%はアカコロブスというサル)を集団で襲うなど5%の肉を食し、肉食獣と同じく猛獣と分類されるチンパンジーは、仲間と食料を分かち合う一方で、グループ内での権力争いや他のグループとのテリトリー争いでは、300kgに達する握力と発達した犬歯を武器に戦うだけでなく、棒など道具を用いて「集団リンチ」で撲殺し、その肉を食らう“残虐性”を持ち合わせています。
新たにボスの座に就いたオスは、前のボスの子どもを殺し血脈を断ち、時に殺害した子どもを食します。
それより前の約1000万年前に、人類の祖先は、ゴリラから分化したとされていますが、森の王者と称えられてきたベジタリアンのゴリラは、胸を叩いて威嚇して力を誇示し合うことで雄同士の争い、つまり、殺し合うという行為を避けてきました。
それは、“種”を絶やさないための自制に他ならず、ゴリラが数百万年もの時を経て今日まで生き延びることができた大きな要因となっています。
人のゲノム(全遺伝情報)の15%は、チンパンジーのものよりもゴリラのDNAに近く、チンパンジーのゲノムも、その15%は人よりゴリラに近かいことがわかっています。
このことは、霊長類は長い期間をかけ、緩やかな段階を経て分岐していったことを示唆するものです。
人類は、チンパンジーのように多種や同種を殺傷する、つまり、「人を殺す人」としての“残虐性”に加え、ゴリラのように種を絶やさないために自制する“術”を持ち合わせていることになります。
人類の種を絶やさないための自制する“術”は、法やルール(規制)であり、倫理・道徳観といった規範、つまり、文明の発達によるものということになります。

① 人間の本性は邪悪
ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724年-1804年)は、「人間の本性は邪悪で、戦争すること自体が人間の本性だから、特別な原因がなくても戦争はおこる」、「戦争は、相手が自分に対してなんらかの利害対立や敵意を持つからこそおこるのではなく、戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない」としています。
そのカントが生きた18世紀のヨーロッパでは、多くの国が王権や資源を巡る争いや植民地獲得のための競争に明け暮れていました。
現代においても、コミュニティ・国家間のパワー関係をあらわす経済活動、つまり、コミュニティ・国を豊かにするためには、他のコミュニティや他国を滅ぼすこと、他のコミュニティや他国を犠牲にすることを余儀なしとしています。
つまり、国際法では国同士の争いごとの最終決着として、戦争を<合憲>としています。
戦争という行為がいけないというのは、倫理上、道徳上、人道上の問題であって、現代の国連加盟国での経済活動のもとでは、「戦争をしてはいけない」とは法制化(規制)されていないのです。
その中で、日本国憲法第9条*-9において、「戦争の放棄(第2章)」としているのは、世界で唯一のものです。
近代以前(中世)のヨーロッパや日本の人びとは、年がら年中、戦争を繰り返していました。
当時はまだ国家というものが形成されていないので、部族同士、村同士といった小さな単位でも戦争をし、殺し合いをしていました。
民族間の殺し合い、異宗教間での殺し合いは、異なる者を排除しようとする人の殺戮本能を根底にした征服・支配欲にもとづく行為です。
戦わなければ殺される状況の中で、自分の身を守るためには集団ごとに武器を持ち、戦い、殺し合ったのです。
しかし、現代に生きる私たちは、武器を持たずに人ごみの中を無防備に歩くことができます。
それは、法の支配が確立されているからであって、実は見ず知らずの人びとの中を丸腰で歩けることのほうが歴史的にみれば奇跡的な状態なのです。
現在も多くの紛争地では、武器を持たずに無防備で歩くことができないことは承知の通りです。
法秩序が存在しない自然状態では、人間は常に自分の利益だけを考えて行動します。
放っておくと戦争をひきおこしたり、コミュニティを破壊したり、自国を滅ぼしたりする暴挙に巻き込まれると、生存や存続さえ危うくなってしまうことから、命や一定の権利を守るために、人間は相互にルールを守るという契約を結ぶことになりました。
それが、国家(政府)になっていったわけです。
しかし、人は、どのような高度な教育を受けていても、いまだに法やルール(規制)、誰かに見られている他人の目(監視)、つまり、道徳観・倫理観(モラル)といった規範といった自己規制が働かない状況下では、途端にズルを働いたり、嘘をついたり、騙したり、欺いたりして、自分だけの利益(有利)を得ようとします。
それが、人の本性です。
現代社会では、法やルールによる他者規制と道徳観・倫理観(モラル)といった規範にもとづく自己抑制により「やりたい」「欲しい」という欲求は、コントロールされることになります。
一方で、他者規制を自己抑制でコントロールできなくなった状態のとき、つまり、個々人の脳が中毒状態に陥り暴走したときには、他者規制は意味を持たず無力です。
それは、親子、兄弟、配偶者同士など「親族間」の殺人が、検挙件数858件のうち473件(55.13%、平成25年)に及ぶことで明らかなように、脳が暴走したときには、法やルールによる規制、道徳・倫理感(モラル)といった規範だけでなく、血を分けた者の絆もまた無力です。
平成25年の「親族間の殺人」は、実父母130件(27.48%)、実子111件(23.47%)、配偶者153件(32.35%、夫106件(69.28%)・妻49件(32.03%))、兄弟姉妹42件(8.88%)、その他の親族37件(7.82%)となっています。
例えば、警察官や教員といった立場にある者がわいせつ行為で(性暴力の加害者として)逮捕されたり、学校でいじめにあった児童が自殺したりすると、新聞などのメディアでとりあげられ、警察署長や学校長、教育委員会が謝罪会見を開き、「2度とこのような事件をおこさないように指導を周知徹底していきたい。」と頭を下げる機会をよく目にしますが、先に記している通り、指導や教育では対処できる問題ではないのです。
「指導や教育で対処できる」との考えは、驕りであるとともに、問題の本質を覆い隠してしまうのです。
問題は、戦争・紛争下で育った子どもたちは、戦争・紛争を継続していく担い手になっていきますし、人を殺すこと、暴力で傷つけること、レイプすること、人の財産などを奪うことなどに対する罪悪感は希薄になっていくということです。
なぜなら、人の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられるからです。
つまり、暴力のある環境では、暴力をすり込み、学習し、人とのかかわりとしての暴力を身につけるだけで、暴力のない環境で生きる“術(すべ)”は身につけられないのです。
カントの「人間の本性は邪悪である」という指摘は、戦争という行為だけでなく、ローマ時代コロッセオでおこなわれていた格闘、つまり、奴隷を戦わせ、殺し合うのを見て<狂喜>し、男の奴隷が入れられている折の中に女の奴隷を入れ、集団で犯す、犯されるのを見て<狂喜>してきた事実に認められます。
これらのおこないは、弱いものを脅したり、暴行・リンチを加えたり、レイプしたり、からかいひやかしたりして、悲鳴をあげたり、怯えたり、痛みで苦悶の表情を見せたり、謝らせ許しを請わせたり、嫌がったり困ったりする姿や表情、声、態度に対し、面白がり、優越感に浸る、つまり、<歓喜(このうえない高揚感に浸る)>するのと同じです。
こうした人の残虐性は、現代まで脈々とひき継がれています。
人は、殺戮本能、征服・支配欲をコントロールできずに暴力に及ぶとき、“狩りのセオリー”として、他のコミュニティに属する者、傷ついた者、老いた者、幼い者(子ども)、力(立場を含む)の弱い者をターゲット(標的)にします。
そして、殺戮本能、征服・支配欲が満たされるとき、高揚感・恍惚感・優越感に浸ることになります。
強い者や立場が上の者が、弱い者や立場が弱い者という構図(関係性)のもとで、力(パワー)が行使される、つまり、虐待、DV、いじめ、差別、体罰、パワーハラスメント、セクシャルハラスメントなどの暴力には、人類の残虐性、サディスティックなふるまいに快感を覚える(優越感に浸る)という側面があります。
人は、人を屈服させること、つまり、自分の力を誇示することで、渇望感が満たされる(承認欲求が満たされる)のです。
なぜなら、優越感に浸ることで、自尊感情や自己肯定感を高めることができるからです。
暴力により得られる高揚感・恍惚感・優越感は、“快楽”を司る中枢(脳内報酬系)が刺激される中毒性を伴うものであることが、暴力をエスカレートさせていく原因となります。
このことが、暴力の強烈な刺激欲求に対しては、「人とどうかかわるかといった“認知の歪み(考え方の癖)”に対するアプローチ(加害者更生プログラム)」だけでは対応できない要因となっています*-10。
*-9 列強国のアジア進出(植民地化)に対する怖れや懸念が明治維新を促すひとつのきっかけとなり、以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦を経て、大東亜経済圏の構築を持って列強諸国に対抗するとの目論見で、東南アジア・東アジアへの進出し、第二次世界大戦に突入しました。
その結果、敗戦国となった日本の「日本国憲法」では、第9条第1項で「戦争の放棄」、同条第2項前段で「戦力の不保持」、同条同項後段で「交戦権の否認」の3つを規範的要素として構成しています。
*-10 加害者更生プログラムについては、「Ⅳ-32.DV加害者更生プログラム。「ケアリングダッド」を実施するうえでの原則」で、加えて、プログラムの受講による成果については、「Ⅰ-10-(9)「危険な「きっと、加害者更生プログラムを受ければ変わってくれる」との考え」において詳しく説明しています。

② 競い、闘い、権力を握る。承認欲求、それが、人のエネルギーの源
古代オリンピックがおこなわれていた時代とは違うものの、その競技(学力や演奏など含む)で一番は誰かを競い、その一番の者はどこの国かを誇らかに自慢する(優越感に浸る)ことは、仲間意識(国家、民族、主義)を高める、つまり、「士気高揚」ということばの通り、一体感や団結心を強化する役割を担っているわけです。
「戦いを好む種」「戦いに歓喜する種」である人類は、怒りや不満の感情を「筋肉を動かすことによるエネルギーの消費」や「戦いに歓喜する」ことによって解放します。
書物、映画などの映像で、「正義と悪」「グループとグループ」という構図で戦うのを読んだり、見たり、あるいは、戦わせたり、競わせたりゲームで遊んだり、囲碁などで戦うことは重要な役割を担ってきました。
そして、直接体を動かす、つまり、筋肉を動かす農作業や家事、スポーツは「苛立ち」「怒り」のエネルギーの解消には不可欠です。
例えば、骨折や障害、疾病によりからだが不自由になったとき、これまでできたことが思うようにできなくなったとき、イライラが募り、大声をあげたり(声帯の筋肉を動かす)、物を投げたり、叩いたり、蹴ったりするのは、筋肉を動かすこと(射精行為も含まれます)ことで、怒りのエネルギーを放出するためです。
この理解は、「なぜ、人は殺し合うのか」ではなく、「どうすれば、人は人を殺し合わなくなるか」「どうすれば、人は人を傷つけなくなるか」という視点、つまり、「殺戮本能、征服・支配欲に満ちた人間の本性をどうしたら抑制・抑止することができるか」、「どういう状況下で、人は人間の本性が抑制・抑止できなくなるのか」という視点・考え方に通じるものです。
それは、第1に、「文明」として、コミュニティの中での秩序をもたらすための「ルール」「法」をつくること、第2に、人類の殺戮闘争本能を抑制するための「歓喜することができる楽しみ(スポーツ、観劇などの娯楽)」を造りだし、提供することでした。
ルールや法(規制)は、破った者、つまり、コミュニティを危機にさらす者、危険を招く者として罰するためにつくられていきました。
本来、効果的に狩猟をおこなうための道具として発達させてきたナイフ、槍、弓といった武器は、同時に、ルールを破った者を罰する道具となっていきました。
20人、50人、200人と統治できるコミュニティの大きさ(人数)は、逃げだそうとするルール破りの者に対してナイフや槍を投げつける、弓を飛ばすという行為に比例したのです。
つまり、人類が武器を発達させてきた歴史は、狩りで負傷するリスクを軽減させ、効果的に狩りを成功させるためだけでなく、コミュニティの統治としても必要不可欠なものだったのです。
そして、人類は、鉄砲、大砲、ロケット爆弾、そして、原子爆弾を開発していきました。
そして、コニュニティを危機にさらす者、危険を招く者とは、人を殺したり傷つけた(殺人・障害・暴行・強姦)者、嘘や偽りの話で人を騙したり、力づくで人のものを奪った(略奪・搾取)者、そして、働かない者や働けなくなった者などです。
一方で、この法やルール(規制)、監視は、人にとって大きな抑圧(ストレス・危機)になるわけですが、なければ秩序のない無法と化すわけです。
他者規制が強すぎると個人レベルでは反発、集団・コミュニティレベルでは暴動や反乱を招くことは、過去の歴史が示しています。
コミュニティ・国家の安定・治安の維持という視点では、抑圧となる規制のころ合い、つまり、取り締まる範囲(幅)と許容(深さ)によります*-11。
問題は、その時代、その国家、統治者で、規制は異なるということです。
規範に収まらない者、もしくは、従わない者は、反乱者、犯罪者、異常者というレッテルを張られることになります。
しかし、その規制、規範もまた、第2次世界大戦前(戦中を含む)と戦後では激変したように、治める(統治する)者*-12の意図が色濃く反映されるもので、実に危うく、儚いものです。
例えば、1993年、南アフリカのアパルトヘイト(1948年、人種差別思考のうえに成り立つ様々な差別立法を背景に確立された政策方針)の撤廃に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ(大統領、ミドルネームのホリシャシャはコーサ語で「トラブルメーカー」の意味)は、反アパルトヘイト運動に身を投じてきたことから、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、1990年に釈放されるまでの27年間、獄中生活を余儀なくされてきたことはよく知られています。
人間社会では、古今東西、時代が変わったり、治める者が変わったりしたとき、英雄が一転して犯罪者として処刑されたり、犯罪者が一転して英雄になったりすることを繰り返してきました。
過激であっても高揚感が得られる(心地よく快感を覚える)ことばに惹きつけられ、先導され、英雄をつくりだし、一方で、自分たちがつくりあげた英雄が虚像であったと気づいたとき、過激で高揚感が得られることばや行為を伴ってひきずりおろしたり、処刑したりするのも人の特性です。
*-11 法やルール(規制)や道徳観・倫理観(モラル)といった規範は、小さな違反行為が見逃される(緩くなる=放置される)と、次の違反行為が見逃されることになります。
この状況を説明するのが「割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論)」です。
「割れ窓理論」とは、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案したもので、割れた窓を放置していると、“誰も注意を払っていないという象徴”となり、次いで別の窓が破られ、あるいは他の違反行為を誘発するというように、小さな違反行為を放置しておくと、次第に無秩序感が醸成され、それが大きな治安の悪化につながるというものです。
窓が割れた車、自転車のかご、空き地に捨てられたひとつのゴミが放置されると、次々とゴミが捨てられていくのをよく見かけると思います。
この「割れ窓理論」にもとづく対策を採用し、地下鉄構内、街中の落書き消しを徹底し、無賃乗車などの軽犯罪や違反行為を厳しく取り締ったのが、ニューヨーク市のジュリアーニ市長です。
その結果、ニューヨーク市は、1994年から2001年の7年間で、犯罪件数を57%、殺人件数を66%減少させ、治安を劇的に改善することに成功したのです。
この考え方は、組織におけるコンプライアンス、法令遵守の問題も同じように考えることができます。組織として、ひとりひとりが切手1枚、ボールペン1本ぐらい私用で使ってもいいだろうという気の緩みが、不正な経理処理、そして、横領事件、商品の不正表示や偽装事件へと発展させてしまうことになります。
加えて、家庭内での子どもとのかかわり、学校での教師の生徒への対応、そして、家庭内での夫婦の関係もまったく同じです。
つまり、「こんなことはいわなくてもわかっているだろう」と口にだして確認せずうやむやにしてしまったり、「このぐらいなら許されるだろう!」と自己規制を緩めてしまったりすると、次々と問題の火種が大きくなっていくことになるのです。
*-12 コミュニティを治める(統治する)者とは、国家、地域(日本では都道府県、地区町村、加えて、文化・風習による区分を含む)、学校や職場(企業)、親族、家族、そして、親となっていきます。
そのコミュニティでの意思決定(判断)は、親の意志、家族の意志がもっとも尊重されるなど、“関係性”の密接度に強く影響を受けます。
当然、子どもにとって、その影響は絶対的なものになります。
国家としての法・ルール(規制)や道徳観・倫理観といった規範よりも、家庭内のルール、親のルールが優先されます。
「暴力で人を傷つけること」は、法やルール(規制)、道徳観・倫理観(モラル)といった規範として、“してはいけない行為”、“間違った行為”とされていても、親が暴力を家族の統治に使っているときには、家族という枠組みに従わなければ生きていくことができない幼い子どもたちにとって、法やルール(規制)、道徳観・倫理観(モラル)といった規範に対する“障壁”は存在しなかったり、低くなったりすることになります。

③ 快感中枢、βエルドルフィン(脳内モルヒネ)の働き
人の高揚感や多幸感は、第1に、自己利益のために人を殺したり、富を奪ったり、力を誇示したりすることで得られ、第2に、想像的にものごとを認知し、それを仲間に伝え、行動に移す能力によって農耕や飼育の生産性を飛躍的に高めることができ、結果としての“報酬”を獲得したとき、新しい技術を生みだしたり、工夫や改善をしたり、中心的な役割を担ったりするなど貢献したことで得られます。
つまり、自分の力を自分自身で確認できたときと、自分の力を周りの者やコミュニティが認めることで確認できたときに、人は多幸感を覚えるわけです。
ゲノムでは、チンパンジーよりもゴリラに近く、7万年前に想像的にものごとを認知し、仲間に伝え、行動に移す力を獲得するなど脳の構造を劇的に変化させた人類の祖先は、その後、一定の権利を守るために、ルールをつくり、相互にルールを守ることで、種を滅ぼす争いを避けてきました。
しかし同時に、小麦の栽培をはじめ農耕の発達、食への追及は、特定の物質(食品や薬物)や刺激に対して中毒症状を示してしまう脳の構造をつくりあげました。
その結果、人類は、小麦の栽培に適した土地を、人を殺したり、騙したりして奪い、または、生産性を高める工夫と努力をして増やしてきました。
このとき、快楽(幸せを感じる)を司る中枢(脳内報酬系)が、炭水化物(ブドウ糖=糖質)の摂取により刺激され、常用されることで、より炭水化物(ブドウ糖=糖質)の摂取を求めた脳の働きは、神経伝達物質のβエルドルフィンが大きな役割を担ってきました。
そこで、神経伝達物質βエルドルフィンと中毒性のある物質(食品や薬物)や刺激との関連性について、少し理解しておく必要があります。
βエルドルフィンは、内在性鎮痛系にかかわり、多幸感をもたらす神経伝達物質で、脳内の「報酬系」に多く分布するものです。
つまり、“快楽”の神経伝達物質として働いています。
そして、βエルドルフィンは、麻薬のモルヒネ同様の作用を示すことから、「脳内モルヒネ(脳内麻薬)」といわれています。
βエルドルフィンには、強直な鎮痛作用の他、抗ストレス作用、忍耐力増強、免疫増強などの効果があります。
体内に大きな病気があると、脳は快楽物質であるβエンドルフィンを大量に放出してストレスを和らげようとします。
モルヒネは“身体依存”に陥らせることから、依存した状態で薬物を中断すると、呼吸停止や痙攣を含めた激しい禁断症状が現れます。
この不快な禁断症状から回避・離脱するために、再び、薬物(モルヒネ)の摂取を試みるようになり、脳に依存が形成されます。
つまり、人類は、小麦の栽培により、常用的に炭水化物(ブドウ糖=糖質)を摂取するようになったことで炭水化物中毒になり、同時に、βエルドルフィンの分泌により、炭水化物(ブドウ糖=糖質)の摂取が不足すると禁断症状がみられるようになったわけです。
この禁断症状にみまわれる人類の脳は、以降、より強い刺激(快楽)を追い求め続けてきました。
βエルドルフィンは、おいしいものを食べたときや性行為のとき、そして、肉体的な痛み、疲労感の高まりなど脳内でストレスを感じるとき、脳下垂体から分泌されます。
つまり、人の脳は、心地よさ(快感・多幸感)を感じるとβエルドルフィンが分泌され、快感・多幸感を高めますが、一方で、過剰なストレスを受け、ノルアドレナリンが暴走したとき、βエルドルフィンを分泌して体を守ろうとします。
例えば、ギャンブル、リストカット、過食嘔吐、車の暴走などの自傷行為でもβエルドルフィンは分泌され、やめられない要因となっています。
マラソンなどのスポーツで、苦しい状態が一定時間以上続くと、脳内でそのストレスを軽減するためにβエルドルフィンが分泌されます。
苦しいあと爽快感(快感)や陶酔感を覚える「ランナーズハイ」は、βエルドルフィンの分泌によるものです。
つまり、「苦しんだあとの達成感は、危険(ストレス)を感じた脳がβエルドルフィンを分泌させた」ことによるものです。
そして、「過剰なストレス(危険)から体を守るためにβエルドルフィンが分泌され、快楽(報酬系)が刺激されることから病みつきになり、止められなくなり、依存していく」ことになるのです。
からだが外的(危険)を察知したとき、脳内物質のドーパミンが分泌されますが、その直後、麻薬物質のβエルドルフィンが分泌されます。
「戦い(争い)に挑むことは、死に直面することから、人類は、死の恐怖を緩和するために、麻薬物質のβエルドルフィを分泌します。
戦いやスポーツによる激しいぶつかり合いなどで負傷したとき、強い痛みを感じずに戦いやスポーツを続けられるのも、ドーパミンやアドレナリンの分泌よるものでなく、モルヒネの6.5倍の鎮痛効果があるβエルドルフィンの作用によるものです。
βエルドルフィンの働きの特性は、生存(身を守る)のために危害を及ぼす者を排除(殺害、略奪など)したときにも快感(多幸感)を与え、「報酬」による快楽が大きければ大きいほど、再び「報酬」による快楽を求めることです。

(恋愛脳、コカイン中毒者と同じ脳の働き)
「性行為」により得られる“快感”は、中毒性のある刺激です。
古今東西、暴力による支配のある関係性では、逃れなくする“術”としてセックスによる強烈な刺激が用いられ、時には、薬物が併用されてきました。
この「手引き」は、デートDV・DVをテーマとしていることから、ここでは、生殖活動(性交)のはじまりとなる「恋愛脳」が、コカイン中毒者と同じ脳の働きになり、人を見極める判断を誤らせるひとつの原因となっていることを説明しておきたいと思います。
人は恋愛しているとき、脳内ホルモンをコントロールする「HPA(フェニールエチルアミン)アクシス」という重要な領域とも直接つながっている「前頭眼窩皮質」が活性化します。
HPAアクシスから快感や幸福感を味わい、気分を高揚させるオキシトシン、ドーパミン、βエンドルフィン、テストステロンといった「恋愛ホルモン」が分泌されます。
つまり、恋愛中の脳は、コカイン中毒者の脳とほとんど同じ状態になります。
「テストステロン」は、男性を支配する性ホルモンで、男性的な肉体をつくり、男らしさを演出するとともに攻撃的な性行動をひきおこします。
そのため、テストステロンの数値が高いほど、多くの異性と関係を持とうとし、一方で、闘争本能や競争意識をかきたてる働きがあることから、社会的な成功を収めたりします。
「テストステロン」によりひきおこされる男性の攻撃的な性行動は、男性がどのような女性のヌードを見ても瞳孔を30%程度拡大させることに表れます。
 対して、女性は、男性のヌードを見ても瞳孔は開かないなど、男女差に大きな違いがあります。
女性が瞳孔を開かせるのは、赤ちゃんを見ているとき、そして、男性が、仕事やスポーツ、考えごとをしているなど、一生懸命になにかに打ち込んでいるのを見ているときです。
しかし、女性の瞳孔を拡大させるのは、男性が一生懸命に打ち込んでいる姿に対しであって、その男性に対し特別な恋愛感情を持っているわけではありません。
また、女性を支配する性ホルモン「エストロゲン」は、性衝動を受動的にする働きがあることから、女性は、本来積極的に他の異性と関係を持とうとしないのです。
ところが、恋愛中の男性は、視覚に関係する「島皮質」の活動が活発になるという特性があります。
そのため、男性の脳は、瞳孔の開いた女性を見ると、その女性は、自分に興味を持っている、好意を持っていると認識(錯覚)してしまうのです。
たとえ錯覚であっても「行為を持たれている」と認識(錯覚)した男性の脳は、性行動をひきおこします。
この錯覚が、ときに、上司から部下に対するセクシャルハラスメント、教師から生徒に対するセクシャルハラスメント、利用する店舗の店員によるストーカー行為を招くことになります。
女性が望まない性行為を強いられたと認識した行為に対し、加害行為に及んだ男性は、「合意され、行為に及んだ」と異を訴える(主張する)のは、こうした理由があるからです。
対して、女性の脳は、「帯状回」の活動が活発になります。
帯状回は、「記憶」を司ることから、なにを約束して、果たしてくれたのか、自分と子どもを守ってくれるためにどのような約束をしてくれたのかを見極めるなど、男性が責任を持って、自分を大切にしてくれるかどうかを判断しようとします。
こうした男女の脳の働きの違いは、長い狩猟採集時代につくられたもので、無意識下で深く根ざしています*-13。
また、失恋した人が、この世の終わりのごとく泣き狂ったりするのは、麻薬を断った薬物中毒者が禁断症状に苦しむのと同じ状態に陥っていることを示すものです。
つまり、脳の活動にフォーカスすると、恋愛にも中毒性があることになります。
ドーパミンの大量分泌で快楽や悦びが感じられると、「扁桃体・頭頂側頭結合部」の動きを鈍化させることから、批判や正確な判断ができなくなります。
これが、「恋は盲目」という状態です*-14。
また、失恋した現実を受け入れることができなかったり、恋愛状態になっていないにもかかわらず、妄想下で疑似恋愛状態に陥っているとき、思いが報われないと勝手に思い込んでしまうと、その対象者に“つきまとう”というストーキングに走ったりする行為も、脳が薬物中毒状態に陥り、正確な判断ができなくなるのがひとつの要因となっています。
したがって、こうした状況に陥っている者には、ことばで話して問題が解決することはなく、「薬物を抜く(恋愛幻想から目覚めさせる)プロセス」、つまり、治療が必要になります。
いまの人たちの問題は、自分の意志で、脳をコントロールできると信じ込んでいる、つまり、うぬぼれていることを自覚できていないことです。
恋愛初期、PEA(フェニール・エチル・アミン)が大量に分泌されると、食欲が落ちて、判断力が低下し、一方で、性欲が極端に高ぶります。
その後、PETは徐々に減少し、βエルドルフィンの分泌が増加することから、ドキドキ感はなくなるものの、一緒にいると安心する、落ち着くといった気持ちになり、「この人とこの先も一緒にいたい」と思うようになります。
βエルドルフィンの効果により、魅力的な異性がいても、「自分にはこの人しかいない!」と感じ、恋愛を長続きさせます。
しかし、PEAからβエルドルフィンに移行する前に、脳が、PEAによる快感を欲しがってしまう(安定安心ではなく、ドキドキ感を求めてしまう)と、次の相手、つまり、初期のPEA大量分泌の状態を求めてしまうことになります。
βエルドルフィンの働きによるひとりの特定した異性との一緒にいて安心する生活よりも、PEAによる緊迫したドキドキ感を他の異性に求めてしまう脳は、麻薬中毒に等しい状況にあるわけですが、このことは、性的虐待などの暴力による危機的な状況にさらされていた家庭環境で育っていたことを暗示するものです。
なぜなら、人の脳が、生存している環境に合った脳の機能がつくられる、つまり、脳の働きが、安定よりも強い刺激を好む脳、理性よりも本能優位になっている脳がつくられているからです。
特に、女性ホルモン「エストロゲン」の働きにより性衝動は受動的で、本来、積極的に他の異性と関係を持とうとしたりしない女性のケースでは、脳がβエルドルフィンよりもPEAを優先させている脳の状態であることから、生育期になんからのトラブルを抱え、心のケアが必要な状況にあると読みとることができます。
*-13 男女の脳の働きの違いについては、「Ⅱ-12-(8)男性と女性の脳の違い」で詳しく説明しています。
*-14 この恋愛中の中毒状態(恋愛幻想)下では、快楽刺激が優先されることから、デートDVによるツラい体験よりも“優しくされた瞬間の記憶”を留めるなど、被害者が加害者への思いを燻らせて別れられない要因となっていることについては、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」でとりあげている「事例116(分析研究11)」の中で、「“恋愛幻想”下でのデートDV」「快楽刺激とトラウマティック・ボンディング」「思考混乱、考えるということ」において詳しく説明しています。


(3) 養育環境で、快感中枢が慢性的な渇望状態に陥るリスク
人の脳は、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激によって多幸感を感じたり(正の強化効果)、不安や苦痛から解放されたり(負の強化効果)すると、再び、その物質(食品や薬物)の摂取や刺激を探し求めます(薬物探索行動)。
つまり、人の脳は、ある種の物質(食品や薬物)や刺激がもたらす正の強化効果や負の強化効果を求めはじめると、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激の要求には、自分の意志でコントロールすることができないのです(自己抑制の破綻)。
結果として、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激の獲得を繰り返すことになるのです。
そして、常用(連用)するにしたがい、ある種の物質(食品や薬物)の摂取や刺激に対する欲求はますます激しくなり“強迫的な使用(精神依存)”へと拍車がかかってきます。
ここでいう“刺激”には、乳幼児が養育者(親など)に守られる安全で、安心感にあふれた心地よさが含まれます。
もし、乳幼児期、養育者に守られる安全で、安心感にあふれた心地よさという“快感”を味わうことができなければ、脳は、この“心地よさ(快感)”に対して、常に渇望状態になり、満たされなかった心地よさを求め続ける、つまり、強烈な承認欲求を満たそうと試みることになります。
思春期後期-青年期前期になると、親から得られなかった「守られ、大切にされる心地よさ(快感)」を、自分が乳幼児だったころ親の年代の異性や大人に対し、やり直しを求めるようになるのは、強烈な承認欲求を満たす試みです。
乳幼児期に満たされず、思い残しが燻る「心地よさ(快感)」や「承認される」といった“欲求(刺激)”の追及は、自分の意志でコントロールできるものではなく、心の底からマグマが噴きあがってくるかのような激しいものです。
そして、乳幼児期に、この承認欲求が満たされない、つまり、存在を認められない、受け入れられなかった「見捨てられ不安」として、生存している限り、果てがないもので決して尽きることはないものです。
小麦を栽培し常用する術を手に入れた人類の脳は、コカイン中毒者と同様に、小麦が得られないとき、快楽を求める渇望(中毒症状)をひきおこしてしまうことになりました。
その結果、コニュニティの安定をはかり、維持していくためには、小麦を栽培する農地を拡大し、生産量を増やさなければならなくなくなったことから、人類は、豊かな土地を求めたり、農地改良や品種改良、そして、精製技術の発達に必死にとり組んだりするようになったのです。
これが、人類が「より豊かな生活を求める」「より楽に手に入れる方法を求める」という欲求の原型です。
今日では、この欲求を満たすプロセスに対して惜しまない努力のことを“向上心”と呼びます。

① 小麦の栽培以降、人類の脳は脆弱に
しかし、人が薬物やアルコールなどの物質(食品や薬物)に対し依存(中毒)になりやすいのは、1万年前に小麦の栽培(農耕)をはじめて以降、人間の脳は、似たように働く物質(食品や薬物)に対し“快感”を覚えるようになった、つまり、「極めて脆弱(もろくて弱い)になった」のです。
グルメ(食通、美食)であること、つまり、あくなき食への欲求、食への追及という行為は、特定の物質に中毒症状になりやすい“脳の脆弱性”を示すものです。
中毒症状として“快感”を覚えるという行為は、ツラいことや哀しいことに耐え切れなくなったときに、その出来事を忘れる(その出来事から逃げる、回避する)ため、中毒性のある物質や刺激を求めることにつながります。
その結果、一時でも楽になることができる体験をすることで、同じ状況になったときに、同じ行為をすればいいということになります。
したがって、疲れたときや嫌なことがあったとき、薬物分類の白砂糖を大量に使った食品、つまり、ケーキなどの甘いものを摂りたくなるのは、脳がそのことで楽になれることを体験しているからです。
問題は、親の食習慣や味覚は、子どもに継承されるということです。
「子どもに継承される」というのは、子どもは、親が「こういったときには、こういうふうにしている」ことを見て、聞いて、覚える、つまり、学習し、思考・行動パターンとして身につけ、似通った状況のときに、「こういったときには、こういうふうにすればいい」と実行していくわけです。
喉が渇いたときには、なにをどのようにして飲めばいいのか、お腹がすいたときには、なにをどのようにして飲めばいいのか、困ったときにはどうしたらいいのか、仲良くしたいときにはどうしたらいいのか、暴力を受けたときにはどうしたらいいのかなど、子どもは、あらゆることを親から学びます。
したがって、家庭内に、中毒性の高い物質や刺激が多く含まれていれば、子どもは、中毒性の高い物質や刺激にさらされて育つことになります。
お茶や水代わりにジュースや炭酸飲料を与えられ、食事が菓子パン、インスタントラーメンやカップ麺、揚げ物、スナック菓子となっているなど、親に与えられた食習慣や味覚は、大人になっても引き継がれ、子どもに引き継がれていくことになります。
それは、食習慣に留まらず、アルコールやタバコなどの嗜好品、パチンコや競馬、演劇観賞、読書(書籍、新聞や雑誌、漫画など)、ゲーム、ポルノやセックス、そして、親の会話、親と子どもの会話に至るまで、子どもの脳にとって刺激となるものすべてが、その後の子どもの嗜好・行動として引き継がれていくことになります。

② 快楽を求める渇望(中毒症状)
この「人の脳が、一度覚えた中毒性のある物質や刺激を得られなくなると快楽を求める渇望(中毒症状)をひきおこす」という特性は、乳幼児期(胎児期を含む)の子どもに対し、親や社会が子どもにどのような物質(食品や薬物)を与えてきたか、親や社会が子どもにどのような刺激を与えてきたかという問題にかかわるということです。
イギリスでは、1日に3人、1週間で約20人の赤ちゃんが薬物依存症を持って生まれ、アメリカでは、過去10年間で13万人の赤ちゃんが薬物依存症で生まれていると報告があるように、薬物依存症の母親の妊娠・出産は、生まれながら手足が震えるなどの「薬物依存」症状を抱えさせることになります。
手足が震える中毒症状を持った赤ちゃんは、当然、脳の働きも弱く、脳のトラブルが表れやすくなります。
また、コカインや覚せい剤、大麻などの薬物ではないにしても、嗜好品とされるタバコやアルコールなどの物質は、「胎盤を通して、解毒機能が備わっていない胎児にそのまま吸収される」ことになります。
「妊娠している」とわかったことを契機に、喫煙や禁酒をしたとしても、それ以前に、胎盤を通して胎児に吸収されるということです。
薬物やアルコール、ギャンブル依存という問題だけでなく、昭和36年の貿易自由化以降、白砂糖(精製された白砂糖は食品分類ではなく薬品に分類される)を大量に使った食品(炭酸飲料やジュース、ジャム、ケーキ、菓子など)を摂取するようになりました。
高度成長を経て「飽食」の時代を迎え、「口寂しい」と煎餅や饅頭を常食したり、炭水化物(ブドウ糖=糖質)の食品である丼物や麺類など「大食い」したりするようになるなど、先進国では飢餓の怖れや戦時中のひもじさはなく、「人類の歴史=粗食」は終わり、食欲を抑制することは不可能になっています。
また、過剰な刺激を好む「激辛な食品」の嗜好も同じ範疇に含まれます。
そこで、「食」を切り口にして虐待のサインを読み取ることができるとして、「Ⅰ-1-(5)子どものSOS(発信するサイン)を見逃さない」の中で、「6つこ食」「白砂糖の過剰摂取(ペットボトル症候群)と低血糖症」などをとりあげています。

③ 快楽刺激を優先させる脳
人の脳が「快楽を求める渇望(中毒症状)をひきおこしてしまう」ことは、「ツラいことは忘れ、楽しいことを覚えている」という人の“記憶”のあり方にも大きくかかわっています。
このことは、デートDVやDV被害者が交際相手や配偶者との楽しい思い出や優しかった瞬間の記憶にすがりつき、思いを断ち切れず、交際相手や配偶者に対する思いが燻り続ける大きな要因となることから、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」でとりあげている「事例116(分析研究11)」の中で、「“恋愛幻想”下でのデートDV」「快楽刺激とトラウマティック・ボンディング」「思考混乱、考えるということ」において詳しく説明しています。
この人の脳が快楽刺激を優先する、つまり、ツラいことを忘れ、楽しい世界に没頭しやすい特性は、人がツラく耐え難い現実に直面することになったとき、現実逃避、つまり、「回避」行動をとりやすいことを説明するものです。
例えば、虐待(過干渉・過保護、 (教育的虐待)を含む)や面前DVなどツラい体験をしていたり、親がスマートフォンやゲーム、パチンコなどに没頭し、親に相手にされていない体験をしていたり、家庭内の醜い争いを見聞きしていたりしている子どもたちが、受け入れたくないツラい現実から逃れ、楽しい世界に入り込むために、ゲームに没頭したり、ファンタジー性の高い本を読み、空想の世界に思いを馳せたりする行動につながります。
それだけでなく、その現実がツラければツラいほど、こんなにツラく苦しい思いをしているのは“本当のわたし”ではないと、“もうひとりのわたし”をつくりだす傾向が高くなります。
この状態は「解離」を招き、複数の別人格が固着すると多重人格(解離性同一性障害)を発症することになります。
幼児期の子どもは、「自己と他の境界線が曖昧である(母子分離ができていない)」ことから、もともと現実と虚像の世界の区別がつき難いことから、幼児期や学童期の子どもの度の過ぎた回避行動は、自分でつくりあげてしまった虚像の世界に入り込み、自らの意志では、そこから抜けだすことができなくなる大きな危険性をはらむものです。
 道教の観察法のひとつに、坐禅を組み、「内観」という自らの意識体験を自ら観察するというおこないがあります。
内観では、自分の心の中に深く深く入り込んでしまい、自分の意志ででてくることができなくなってしまう事態を防ぐために、必ず、師が付き添い、「警策(曹洞宗:きょうさく、臨済宗:けいさく)」でパシッと肩を叩きます。
これは、深く入り込んだ自意識から現実の世界にきちんと戻りなさいという合図です。
つまり、自らの意識体験に深く入り込んでいく「内観」は、“命がけ”の修行としておこなわれてきたわけです。
 幼児期や学童期の子どもが「虚像」の世界に深く深く入り込んでしまうと、現実の世界に戻ってくることができなくなるという意味で、まさに“命がけ”の危険なおこないということになります。
しかし問題は、幼児期や学童期の子どもは無自覚で、しかも、師の付き添いもなく無防備な条件下で“命がけ”の危険なおこないにのめり込んでいくということです。

④ 仮想現実(VR)に合う脳がつくられるリスク
こうした中で、「仮想現実(バーチャルリアリティ:Virtual Reality;VR)」と呼ばれる五感を含む感覚を刺激する技術を利用した「VRゲーム」が、最新技術として注目されていますが、これまでのゲーム以上に、現実と虚像の世界の区別ができなくなる危険性をはらんでいることに対し、いまの私たちはあまりにも無警戒です。
なぜなら、「人の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられる」、つまり、「人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させない」からです。
「乳幼児期にある特定の入力(インプット)が欠けていると、そのインプットに関連する情報を感じ、気づき、理解し、判断し、それに従って行動するという脳のシステムの発達に異常(問題)が生じることになる」ということです。
ここで、重要な理解は、人類は、脳や身体を進化させてきた一方で、必要のなくなった機能は捨て去る、つまり、退化したり、失ったり、異常を示したりすることがあるということです。
人類は、便利な道具をつくりだし、飛躍的に人類の文化・科学を発展させてきましたが、一方で、数万年の歳月を費やして獲得してきた能力を、急激に進んだ機器の普及により、日々失い、退化させています。
例えば、1960年-70年代のアメリカで、ハイハイをあまりさせず、自分で移動できる車がついた歩行器が流行りました。
その数年後、アメリカで、学習障害児といわれる子どもたちの増加が目立つことになりました。
文字がさかさまに見えたり、目で見たものを写生することができないので、かんしゃくを起こしたりして学校が嫌いになる子どもたちが増えたのです。
その原因は、「歩行器」が、ハイハイ期の乳児からハイハイを奪ったことでした。
生後9ヶ月ころにはじまる乳児の「ハイハイ」は、右手と左足を、左手と右足を一対にして、これを交互に動かす最初の動作で、歩行の基礎をつくるとともに、右脳と左脳をつなぐ脳梁を発達させ、左右の脳の“統合(同時に機能させること)”を強化させるという脳の発達には欠かせない重要な手順です。
しかし、「歩行器」を利用した乳児は、脳梁を発達させ、強化させることができず、左右の脳の統合を損なうことになりました。
その結果、多くの学習障害児を生みだしてしまったのです。
そして、「人類の歴史」にはなかったテレビ(映像)やゲーム機を通して、乳幼児に強烈な“光の刺激”を脳に与えることなども、「人の脳が、一度覚えた中毒性のある物質や刺激を得られなくなると快楽を求める渇望(中毒症状)をひきおこす」ことにだけでなく、テレビ(映像)やゲーム機に合った脳がつくられるということです。
スマートフォンなどのマルチタスクをずっと続けていると、人の脳は環境に順応してしまうので、脳は、常に新たな情報という刺激を求めるようになってしまい、依存状態がつくられます。
また、スマートフォンが提供するさまざまなコンテンツに脳が刺激されていると、脳は興奮状態になることから、寝つきが悪くなったり、眠りが浅くなり、目が醒めやすくなったり(断眠)するなど、睡眠障害を招くリスクが高くなります。 
断眠を伴う睡眠障害は、ADHDなどの発達障害を発症させる原因となります。
また、スマートフォン上で、マルチタスクで忙しく画面を替えていると、能動的(主体的)に情報を集めているような気分になりますが、自分がブックマークしたウェブサイトやSNSでの友人の発言を見るなど、ルーチンのように決まった場所を巡回していたり、ネット上で調べものをするときも、検索したあとは、検索結果やそこから入って行った先のサイトに貼られたリンクをクリックしていたりするなど、実際は、与えられたものをひたすらクリックし続けているだけです。
つまり、これらの行為は、行動そのものは受け身になっている(受動的なふるまい)わけです。
スマートフォンのゲームに熱中している状態も、能動的にゲームをしているわけではなく、実際は、与えられたルールの範囲の中で一生懸命やっているだけです。
常に受け身で情報を与えられるのに慣れてしまうと、行動全般にその影響がでる、つまり、行動や判断が遅くなることになります。
なぜなら、人の脳は環境に順応するからです。
そして、与えられたルールの範囲の中で、受動的(受け身)な行動習慣が身につくことは、本を読んだり、ものごとを考えたりするとき、「浅く」なります。
“深く”本を読んだり、“深く”ものごとを考えたりするとは、「単に受動的に知識を吸収するだけではなく、内容や状況をしっかり理解し、既に蓄えられている知識や経験と結びつけて新たな洞察を生みだす行為」を指します。
一方の“浅く”本を読んだり、“浅く”ものごとを考えたりすることは、「ザァーと表面的に中身を理解する行為」です。
スマートフォンで画面を忙しくスクロールしながら読んでいる状態は、まさに「ザァーと表面的に中身を理解する」ための読み方をしているということです。
“浅い”本読みは、短期記憶を司る海馬に読んだ内容が納められるだけで、いずれその内容を忘れてしまことになるのに対し、“深い”本読みは、読んだ内容(短期記憶)と蓄えられた記憶と結びつけられていることから、そのまま短期記憶ではなく長期記憶を司る部位に移行されことになります。
つまり、“深い”本読みは、同時進行で“深く”ものごとを考える行為そのものであることから、その人にとっての知識として蓄積されていきます。
スマートフォンで浅い読み方が習慣になっていると、脳はその状況(環境)に順応してしまうことから、本を読む(勉強する)ときも同じように浅い本読み、すなわち、ものごとを浅く考えることになるわけです。
このように、スマートフォンでマルチタスクを利用するなど、人の脳はその環境(状況)に順応してつくられるわけですから、日常的に「VRゲーム」を行うようになると、人は、「VR(仮想現実)」に順応した脳をつくってしまうということです。

⑤ 意思決定、「遅いシステム」の未習熟が招く悲劇
ポピュリズムで、大衆を操作するとき、不満を募らせていたり、利得を求めていたりする大衆に対し、「短く、わかりやすく、力強いことば」で訴えることで、聴衆の心を捉えることだけにフォーカスします。
なぜなら、葛藤、悩み、苦しみ、哀しみ、不満、憎しみ、怒りなどの思い(感情)を秘めている人は、そのメッセージが心に響きやすいからです。
重要なことは、正しいことを選択する理性よりも、気持ち(感情)に響き共感できる、つまり、承認欲求が満たされることが優先されるということです。
その訴えの内容や実現のための方法が正しいかどうかは問題ではなく、大衆の欲望に沿うことができれば、聴衆の心を捉えることができるわけです。
短くわかりやすいメッセージ(ことば)は、大衆に対してではなく、特定(特別)のひとりに対しても有効であることから、新興宗教やカルト教団の勧誘、詐欺師の接近、DV加害者との出会いでは、コントロールを仕掛ける者は、甘く優しいことばで囁き、独自の考えを雄弁に語ります。
その人に惹かれるかどうか、魅力ある人物かを見分けるとき、アタッチメントを損ない、渇望感を抱えている人たちにとっては、その人物の言動やふるまいは正しいかどうかではなく、自尊心が擽られるか(承認欲求が満たされるか)、夢(空想)を膨らますことができるか(ツラい現実から逃避できるか)が優先されることになります。
また、一瞬で、第三者に魅力ある人物と認識させることができるのは、サイコパス(精神病質者、反社会性人格障害) だけだとされています。
脳には、二重の意思決定回路があります。
ひとつは、「速いシステム=直感的に解を導きだす」もので、普通は目の前の情報に対して、迅速に対応するため「速いシステム」がメインに働きます。
しかし、「速いシステム」は、迅速に対応するがゆえに粗っぽく、間違いを検出する作業は不得意です。
“直感”というのは、単なる脳の習性にもとづく判断でしかないことから、基本的に粗っぽいものです。
その“感覚”には、そこに矛盾があっても、迅速なシステムによって一度は受け入れるという性質があることから、確信に満ちた人の態度を見ると、一度は納得して受け入れてしまうことになります。
一度納得して受け入れたのちに、もうひとつの論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」が発動します。
「あれ? なにかおかしいな?」、「よく考えるとなんか変だぞ!」という感覚は、「遅いシステム」が、一度納得して受け入れたものを「遅れて」検証をして、警告を発したものなのです。
したがって、自分の話に巻き込むことに手慣れた者、そして、マインドコントロールを仕掛けるカルト集団の指導者や詐欺師に騙されないためには、論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」を働かせることが重要になります。
なぜなら、直ぐにその気になったり、騙されたりしないためには、「遅いシステム」が発動するのを待って、判断を下すこと、つまり、心を落ちつけて、自分を内省する時間を持つことが必要だからです。
そこで、重要なことは、「遅いシステム」を発動させるには、子どものときから、忍耐力の必要な問題にとり組んだり、粘り強さが必要になる課題にチャレンジしたりすることを習慣づけていなければならないということです。
しかし、戦争や紛争地で暮らす子どもたち、飢餓や貧困のある地域で暮らす子どもたち、そして、暴力のある家庭で暮らす子どもたちは、論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」を発動させることなく、体験に裏づけられた“直感”という「迅速なシステム」で、すべてを受け入れてしまう傾向が顕著です。
この状態は、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を身につけることができないことを意味します。
人が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識することを「メタ認知」といい、それをおこなう能力を「メタ認知能力(Metacognitive Ability)」といいますが、上記の状況で暮らす子どもたちは、メタ認知能力を身につけ難いのです。
そのため、こうした人たちは、カルト集団や新興宗教、テロリスト集団を先導する者が発する過激であっても高揚感が得られる(心地よく快感を覚える)ことばに惹きつけられ、示される過激な思想に陶酔しやすいのです。
つまり、こうした人たちが抱える不平不満、憤りや怒りを利用して、自己利益だけ満足させようと試みる者が、ときに英雄となってきたのが、人類の歴史です。
そして、狙いを定めた特定の人物にとっての“絶対君主”、“英雄”になろうとするのが、DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者たちです。
霊感商法など詐欺行為をおこなう占い師や詐欺師たちと同様に、DV加害者たちが、狙いを定めた特定の人物に対して、最初に見せる優しいことばや夢を厚く語ることばは、魅力的で、高揚感が得られる(心地よく快感を覚える)ものです。
そのため、狙いを定められた特定の人物、つまり、被害者は、一緒にいると楽しいと感じます。
その“夢物語”に強く惹かれ、共感し、傾倒しやすい状況がつくられていきます。
しかし、DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者たちは、“絶対君主”“英雄”になる力量を持ち合せていないことから、上辺だけ(虚像)の力量を見破られないために、本来対等の関係に、上下の関係性、支配後従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を行使しなければならないわけです。
そして、DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者たちは、パワーの行使の一環として、被害者に対し、自分への永遠の忠誠を誓わせる意図を持った独自の法やルール、つまり、家庭内のしきたりを定めます。
しかし、「家庭内のしきたり」は、絶対無二である一方で、加害者のそのときの気分やそのときに都合のいい状況にするための解釈で罪状や裁量が決まることがあります。
そのため、他の者には琴線に触れる基準がわからず、混乱します。思考混乱は、不安をもたらし、次第にその不安は、心の中で姿の見えない強大な存在として君臨するようになります。
その状態は、被害者にとって、得体のしれない者に対しての恐怖となり、常に、怯える存在となり続けます。
その結果、常に顔色をうかがい、意に反しないように先々に気を配るなど、意に添うようにふるまい、少しでも琴線に触れないように緊張した生活を強いられることになります。
人は、暴力のある環境では、暴力を学び、すり込み、人とのかかわりとしての暴力を身につけるか、自分は、その暴力にはあらがえない(逆らえない、抵抗できない、従わざるをえない)無力な存在と屈服することを身につけるかどちらかです。
このことは、“暴力のない環境”で生きる“術(すべ)”を身につけることができない、つまり、論理的、理性的に判断し検証する「遅いシステム」を発動させることなく、体験に裏づけられた“直感”という「迅速なシステム」で行動してしまうことを意味します。
その結果、人とのかかわりにおいて、トラブルを起こしたり、トラブルに巻き込まれたり、あらゆる人とのかかわりを避けてしまったりするなど、葛藤、悩み、苦しみ、哀しみ、不満、憎しみ、怒りなどの思い(感情)をコントロールできず、生き難さを抱えた人生を歩まなければならなくなります。
また、個々人が感じた抑圧、報われない感(不満)は、強い渇望感を心に残すことになり、“承認欲求(自分の存在を確認する)”を強く求めてバランスをとろうとします。
その結果、少しでも優越感を得られる行為に及ぼうとします。
優越感を得られる行為とは、征服・支配欲を満たす行為ということです。
特に、乳幼児期に、親に守られて安全で、安心感にあふれた心地よさ(快感)という承認欲求が満たされず、渇望感を抱えている人たち、つまり、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっている人は、ちょっとした抑圧(ストレス、危機)、報われない感に対し、自己のコントロールできず、衝動的に人を貶めたり、罵ったり、嫌がらせをしたり、困らせたり、辱めたり、騙したり、奪ったりして優越感に浸ろう(征服・支配欲を満たそう)とする傾向があります。
加えて、そうした行為に及んだとき、「このくらいでいい」「このくらいで止めておこう」といった“程度(ころ合い、いい加減)”という感覚を獲得していないことから、その行為をエスカレートさせていくという特徴があります。
したがって、危機的状況下(強いストレスを感じたとき)では、「承認欲求を満たし、心の安定をはからなければならなくなる」という意味では、痴漢したり、盗撮したり、体液をかけたり、レイプしたりする性暴力と、万引き、いじめ、差別(ママカーストなど含む)、ネット内での誹謗中傷などの行為も同じです。
なぜなら、その瞬間、その人を支配している感覚に浸れるからです。
違うのは、快感を伴う優越感を“なに”で得ようとするかの「対象(者、物、行為)」です。

⑥ 「人が人を傷つけない」ために、いま、できること
日本社会で深刻な問題になっているストーカー殺人事件、そして、監禁事件、凄惨な無差別殺人事件をおこした加害者像は、「暴力のある家庭環境で育ったことによって心を蝕まれ、人格の歪み、認知の歪みにもとづいたふるまい」=「脳機能の獲得に支障が生じ、現代のコミュニティで、安全で安心できる生活環境を脅かすリスクを回避する法・ルール(規制)や道徳・倫理観といった規範を獲得できなかった者によるふるまい」、あるいは、「法やルール(規制)や道徳・倫理観といった規範は理解しているものの、ある刺激に対して脳が暴走しコントロールができない者によるふるまい」と認識することができれば、デートDV・DVやパワーハラスメントに及ぶ加害者は、“同じグループ(範疇)に属する”ことを理解できると思います。
デートDV・DV、虐待、殺人、レイプ、監禁、いじめ、差別、体罰、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントなどの暴力行為に及び加害者の根底にあるものは、暴力による関係性を成り立たせることにより、承認欲求が満たされ、心が安定できるということです。
つまり、上記の加害者に共通しているのは、殺戮・征服・支配欲に満ちた本能を抑制・抑止する脳機能を損なっているということです。
虐待やDVの目撃など、日常的に恐怖にさらされ、親に守られていないと、自分で自分を守ろうとすることから、恐怖、危険から逃れるためのその場限りの反射的行動が主になってしまいます。
このことは、「コミュニケーション能力」や「感情のコントロール」を司る前頭葉の機能の発達が損なわれているなど、脳機能の獲得に多くの障害が及んでいることを意味しています。
多くの人は、人は「こういうふるまいをしたら、どのような事態を招くことになる」といった判断ができる、つまり、理性的にふるまうことができると信じ、理性で本能をコントロールできない者を弱いとか、異常と認識し、自分たちとは異なる者と区別して安心しようとします。
しかし、上記の通り、「こういうふるまいをしたら、どのような事態を招くことになる」といった抑止となる考え方(思考パターン)は、社会や家族環境のもとで獲得しなければ、身につけることができないのです。
なぜなら、人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達するからです。
人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させないのです。
つまり、暴力のある環境に合った脳の機能がつくられることから、承認欲求を満たし、心の安定を求めるために、暴力による関係性を成り立たせようとすることになります。
「人の脳は、生存したその環境に適応するために必要とされる機能が発達する」わけですから、現代社会において、私たちが、人類の脳の暴走を防ぐ主な手段は、戦争や紛争をおこなったり、巻き込まれたり、暴力のある家庭環境や社会環境に子どもを留めたりして脳に傷(神経伝達物質の分泌に異常をおこしたり、萎縮させたり、PTSDを発症させたりすること)を残さないこと、そして、血液脳関門で守られている脳の血管を通過する中毒性のある物質(食品や薬物)、環境汚染をもたらす農薬、ダイオキシンやPCB、PM2.5などの有害な化学物質をこれ以上体内にとり込まないことです。
 この中で、いま私たちが、私たちの意志で、直ぐにとり組むことができるのが、虐待とDVの早期発見にとり組むことであり、適切に介入し支援することです。


** ①-a)DV・デートDV・性被害に関する相談、-b)家庭裁判所への「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停の申立て、地方裁判所への保護命令の申立て、警察への被害届の提出に向けての支援依頼、②DV被害の状況をまとめるためのWord文書フォーマット(DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート;「Ⅲ-3.暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ)添付資料:ワークシート」の中の「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」)の送付依頼、③カテゴリー〔Ⅲ1-9〕掲載『暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(3部5章42節)*』のPDFファイル送付依頼については、カテゴリー〔Ⅰ-I〕の中の「<DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。http://629143marine.blog118.fc2.com/blog-entry-501.html」をご確認いただければと思います。


2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/24 「第2章(Ⅱ(8-15))」の「改訂2版」を差し替え掲載



もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅲ-4]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ
FC2 Blog Ranking
   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【14.トラウマと脳】へ
  • 【12.脳と子どもの発達】へ