あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-5]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ

14.パラフィリア(性的倒錯)

 
 15.ACという考え方と人格障害(パーソナリティ障害) 13.PTSDとC-PTSD、解離性障害
* 現在、この「手引き」は、第3次改訂の編集をおこなっています。編集終了後、差し替えていきます。

Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。-暴力のある家庭環境で暮らす、育つということ-
-基礎編-
8.虐待の発見。DV家庭における子ども
(1) 子どもが最大の被害者
(2) 子どもは心を傷めている
  ・事例106
(3) 子どもの複雑の思いを理解する
(4) 子どもに表れる影響
 ・事例107-128
(5) 子どものSOS(発信するサイン)を見逃さない
・6つのこ食
 ・「食べてよい」、すなわち「おいしい」
  ・味は必要、危険のシグナル
  ・おいしさは食欲を刺激する
  ・おいしさは生命維持のために備わった快感
・砂糖の過剰摂取(ペットボトル症候群)と低血糖症
・心身の健康にはミネラルが欠かせない
  ・情緒不安や体調不良。見逃しがちな気象変化

9.脳と子どもの発達
(1) 脳の仕組み
(2) 脳の発達(乳児期:0-1歳)
(3) 脳の発達(幼児期早期:1-3歳)
(4) 脳の発達(幼児期後期:3-6歳)
(5) 脳の発達の臨界期(感受期)
(6) 学童期(6-12歳)
(7) 思春期(10-15歳)と青年期(15-22歳)
(8) 男性と女性の脳の違い

10.トラウマと脳
(1) トラウマ(心的外傷)になりうるできごとに直面すると
(2) 単回性トラウマの子どもに見られる行動
(3) 慢性反復的トラウマがひきおこす7つの問題

11.慢性反復的トラウマの種類(児童虐待分類)と発達の障害
(1) ネグレクト(育児放棄)
<ネグレクトによる発達の障害>
(2) 身体的虐待
<身体的虐待による発達の障害>
(3) 心理的(精神的・情緒的)虐待
<精神的虐待による発達の障害>
(4) 性的虐待
<児童期性的虐待の基準(ハーマン著「父-娘 近親姦」抜粋)>
<性的虐待による発達の障害>

-応用編-
12.暴力のある家庭で育った子ども。発達段階で見られる傾向
(1) 乳児期。既に、母親と父親との関係性を理解している
 ・乳児部屋のおばけ
  ・産後うつ
(2) 発達の遅れ
 ・睡眠不足症候群(ISS)
  ・小児慢性疲労症候群(OCFS)
(3) ツラさを体調不良で訴える
 ・子どもの心身症
  ・子どもの気分障害
(4) ファンタジー色の強い子どもの解離
(5) 子どもが“ズル”をする深層心理
(6) 学童期(小学校低学年)にみられる被虐待児童たちの行動特徴
(7) 暴力を受けて育った子どもの脳では、なにがおきているか
(8) 反応性愛着障害(RAD)
(9) 失感情言語症(アレキシサイミア)と高次神経系トラブル
(10) 危機とPTSD
(11) 自己正当化型ADHDとAC
(12) 思春期・青年期の訪れとともに
 ・がまんさせられること、抑圧されることはなにをもたらすか
  ・父母の不和と暴力は、子どもの心の土台になる安心感と愛着を揺さぶる
 ・家族間の信頼関係を損なった子どもたち
  ・親に配慮しなければならない状況は、子どもに緊張を強いている
  ・子どもにとっての緊張とは
・親にとって都合のいい従順な子は、ありのままの私を認めて欲しいと訴える
  ・周りが輝いて見えるとき、人とのかかわりを避ける
  ・子どものために、“しつけ”と銘うった暴力が、子どもを従順な子にさせる
 ・思春期、男の子は14歳が母子間におけるターニングポイントになる
  ・女の子は、自分の命が大切だからこそ、傷つける価値があると思う
(13) 問題行動としての“依存”
  ・事例129-130
(14) 子どもに手をあげる背景。幼児期に抑圧された怒り
  ・事例131-136
(15) 回避的な意味を持つ子どもの「非行」
 ・事例137(事件研究22:広島県16歳少女集団暴行死事件(平成25年6月))
  ・事例138(事件研究23:大阪2児餓死事件(平成20年7月))
(16) 「キレる17歳」、理由なき犯罪世代
 ・事例139(事件研究24:栃木女性教師刺殺事件(平成10年1月))
 ・事例140(事件研究25:豊川主婦刺殺事件(平成12年5月))
  ・事例141(事件研究26:西鉄バスジャック事件(平成12年5月))
 ・事例142(事件研究27:岡山県金属バット母親殺害事件(平成12年6月))
  ・事例143(事件研究28:会津若松母親殺害事件(平成19年5月))
 ・事例144(事件研究29:八戸母子殺害放火事件(平成20年1月))
(17) アタッチメントを損ない、抑圧がもたらした凄惨な殺害事件
  ・事例145(事件研究30:東大浪人生父親殺害事件(平成7年4月))
 ・事例146(事件研究31:光市母子殺害事件(平成11年4月))
  ・事例147(事件研究32:音羽幼女殺害事件(平成11年11月))
 ・事例148(事件研究33:佐世保小6女児同級生殺害事件(平成16年6月))
  ・事例149(事件研究34:宇治学習塾小6女児殺害事件(平成17年12月))
 ・事例150(事件研究35:奈良自宅放火母子3人殺害事件(平成18年6月))
  ・事例151(事件研究36:秋葉原無差別殺傷事件(平成20年6月8日))
 ・事例152(事件研究37:柏市連続通り魔殺傷事件(平成26年3月))
  ・事例153(事件研究38:北海道南幌町母祖母殺害事件(平成26年9月))

13.PTSDとC-PTSD、解離性障害
(1) PTSDになると、どうなるか?
(2) PTSDの主要症状
(3) C-PTSDの主要症状
(4) C-PTSDと不安障害、人格障害
(5) 性暴力被害と解離性障害
  ・事例154-182
 ・皮膚から心地よい安心感をとり組む女性が、性的虐待を受ける残酷さ
  ・「レイプ神話」という間違った考え
  ・セックスをどう捉えるかは、思春期までに受けた親の影響
 ・事例183(事件研究39)
(6) 摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)
 ・事例184-185
(7) 解離性障害とアルコールや薬物依存症
  ・事例186(分析研究15)
  ・アルコール依存とギャンブル依存の相関
 ・事例187-189

14.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)
(1) 精神疾患としてのパラフィリア(性嗜好障害)
(2) フェティシズム
  ・事例190(事件研究40:宝塚市窃盗・少女強姦事件(平成25年12月))
(3) 露出症・窃視症
(4) 性的マゾヒズムと性的サディズム
  ・窒息プレイ
 ・事例191(事件研究41:京都連続強盗・強姦事件(平成22年7月-10月))
(5) 性的サディズムを示す刻印という“儀式”
(6) 小児性愛(ペドファリア)
 ・日本のロリコン事情と児童ポルノ
  ・女の子は母親と父親に興味を示し、男女関係、夫婦関係を学ぶ
  ・事例192(事件研究42:奈良小1女児誘拐殺人遺棄事件(平成16年11月))
 ・事例193(事件研究43:倉敷市女児監禁事件(平成26年7月))
(7) パラフィリア(性的倒錯)の夫との性生活
  ・事例194-195
(8) 性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力
 ・事例196(分析研究16)
(9) 性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁・殺傷事件
  ・事例197(事件研究44:新潟少女監禁事件(平成2年11月(発覚:平成12年1月)))
 ・事例198(事件研究45:北海道・東京連続少女監禁事件(平成13年-平成17年))
  ・事例199(事件研究46:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(昭和63年8月-平成元年7月))
 ・事例200(事件研究47:大分県一家6人殺傷事件(平成12年8月))
  ・事例201(事件研究48:大阪姉妹殺害事件(平成17年11月))
 ・事例202(事件研究49:自殺サイト連続殺人事件(平成17月2月-))
  ・事例203(事件研究50:付属池田小児童殺傷事件(平成13年6月))
 ・事例204(事件研究51:神戸連続児童殺傷事件(平成9年2月))
  ・事例205(事件研究52:佐世保同級生殺害事件(平成26年7月))
 ・事例206(事件研究53:名古屋大生殺害事件(平成27年1月))
(10) 福祉と医療、教育。行為障害、反抗挑戦性障害者のサポート

15.ACという考え方と人格障害(パーソナリティ障害)
(1) ACという考え方
(2) どうして、ACになってしまうのか?
(3) 時に、ACは母親がつくる
 ・事例207
(4) ACと人格障害、そして、ACの破綻
(5) ACのカウンセリング、認知の修正
(6) ACに“共依存”の傾向がみられるとき
(7) 共依存からの回復
(8) 仮面うつ病(非定型うつ病・新型うつ病)
(9) 人格障害と呼ぶ前に..
(10) 人格障害(パーソナリティ障害)とは
(11) 人格障害の治療
(12) 児童虐待やDVといった暴力も依存症のひとつという考え方

第1部の結びとして


パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)は、再発性の(常習的で)強い性的興奮をもたらす空想、強い衝動、または行動で、苦痛や障害を伴い、無生物、小児、その他合意の成立していない成人を巻き込み、または自分自身や相手に苦痛や屈辱をもたらすものです。
重要なことは、「性的興奮のパターンは思春期前の幼児期・学童期、つまり、10歳前に発達し、いったん確立されると、その多くは一生続く」ということです。
性欲は、女性ではエストロゲンの分泌増大に伴い、男性ではテストステロンの分泌上昇に伴い、視床下部などの中枢神経で発生する欲求ですが、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感による性的な刺激、または、自分の脳内からやってくるイマジネーションや空想などによる性的な刺激によっても、活性化されるものです。
 性欲の障害は、さまざまな精神疾患や身体疾患により性欲・性行動の異常が現れ、時に、交際相手間や配偶者間のコミュニケーションの障害として問題となることがあり、性欲の異常としては、「性欲の量の異常(性欲の亢進・性欲の低下)」と「性欲の質の異常(パラフィリア)」があります。
 性欲亢進(過常性欲)とは、性欲が過常に亢進している状態で、気分障害の一種である双極性障害(躁うつ病)の躁状態*-64両側側頭葉障害からのクリューバー・ビューシー症候群*-65、側頭葉てんかん*-66などの精神疾患や身体疾患、ある種の薬物の影響下で性欲が亢進することがあります。
また、認知症の初期でも性欲が亢進することがあります。
性衝動を押さえられない抑制の欠如による性的活動の問題は、双極性障害の躁状態、認知症、知的障害に見られます。
 性欲の異常亢進の症状を色情症といい、相手から根拠もなく愛されていると錯覚したり、主張したりする好訴妄想(妄想観念)型、性機能障害による性欲の抑制欠如が原因と考えられる異常性欲型などがあります。
異常性欲型は、男性なら「サチリアジス」、女性なら「ニンフォマニア」と呼ばれ、量的に過剰な性交(不特定多数の異性と性交を繰り返す)を求めたり、オナニーを何度繰り返しても満足しなかったりするような症状が見られます*-67。
また、強迫的・衝動的に性的活動をしないと不安・緊張感がとれないケースがあり、中でも、罪悪感にとらわれながらも衝動的な性行為を押さえられないケースでは、性交依存症(セックス依存症)*-68と診断されます。
一方で、 性感覚(生殖器などの性感帯を性的に刺激することで発生する感覚)の低下を示す疾患としては、アルコール依存症、肝硬変、うつ病、糖尿病などがあります。
 性嗜好障害(パラフィリア)における“異常な性行動”は、小児性愛、窃視症(のぞき)、窃触症(さわり魔、痴漢)、露出症など、他人に被害を及ぼす、子どもを巻き込む、本人が悩むという状況下にあれば、異常・障害ということになります。
 パラフィリアが見せる性的興奮のパターンの発達には、①不安または早期の心的外傷が正常な精神性的発達を妨げていたり、②性的虐待を受けるなど、本人の性的快楽体験を強化する強烈な性体験に早期にさらされることにより、性的興奮の標準的パターンが他のものに置き換わっていたりし、さらに、③性的興奮のパターンとして、性的好奇心、欲望、興奮と偶然に結びつくことによって、そのフェティッシュが選択されたりするなど、しばしば象徴的な条件づけの要素を獲得していたりするといった3つのプロセスが関係しているとされています。
つまり、暴力による抑圧が繰り返される家庭環境で育ったことが、パラフィリア(性的倒錯)として特定の対象に対して性的興奮をみせる高いリスクを持つことになるのです。
ここにも、児童虐待・面前DVのある環境下で暮らしている児童を早期発見し、適切なサポートが必要であることの意味があるのです。
重要なことは、小学校2-3生のころには、既に性的興奮のパターンが発達していて、そのサインは、学校生活の幾つかの機会で垣間見えているということです。
したがって、「子どもの性的な傾向は、第二次性徴(思春期)以降に発達するもの*-69」との認識であれば、それは、間違った認識であり、誤りを正さなければならないということです。
小学校の「性教育」は、小学校3年生で「健康とはどういう状態か、健康な生活について、清潔や環境について」学ばせるところからはじまります。
プログラムとしての「性教育」は、子どもに伝えるための知識であって、DVや虐待の被害者支援に携わる者(小学校の教職員、自治体の女性相談員や担当職員をはじめ、保健師、保育士、民間の支援者、子どもシェルターを運営している弁護士など)が身につけておかなければならない知識とはまったく違うということを理解しなければならないのです。
子どもたち向けのプログラムとしての「性教育」の知識は、性的虐待を受けている子どもたちの早期発見を妨げるものでしかないのです。
DVのある家庭で、母親が留守のときに、オシメのとれない乳児のときから父親に抱かかえられ、パソコンの画面に打ちしだされる裏ビデオ画像を見せられ続けた2歳の男の子が、母親だけでなく、保育園の保育士や他の母親の胸元にハッハッと鼻息が荒くなり興奮したり、ドラム式の洗濯機から洗濯物をとりだそうとしてお尻をつきだすような姿勢をしている母親の臀部におちんちんを押しつけ、腰をふるような行為に及んだり、しかも、その2歳の男の子のおちんちんは固くなっていることなど、教科書に書かれていない事実を受け入れることが、性的虐待を受けている子どもたちの早期発見につながると信じています。
この第14節(Ⅱ-14.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害))では「小児性愛(ペドファリア)」を扱っていますが、戦災孤児の中には、寺院、(江戸時代になると)芝居小屋などにひきとられ(人身売買を含む)、小児性愛者や贔屓筋(後家さんを含む)の慰み者になってきたわけです。
「役者崩れ」ということばは、慰め者の役割を担わされてきた少年に、大人になる兆候が現れる、つまり、第二次性徴がはじまり、髭や腋毛、性毛などが生えてくるまえにお役目ごめんになった者に使われていたことばです。
いまの小学校5年生-中学校1年生の男の子は、既に性行為の対象外にされることになったのです。
バチカンをはじめ、児童ポルノ大国のアメリカ、韓国、日本、イギリスなど、過去の問題ではなく、いまの問題です。
*-65 「双極性障害」は、躁病の極とうつ病の極の両方をもつ気分障害で、躁病相が中等症以上であるときⅠ型、軽躁であるときⅡ型に分けられます。
発症原因はまだ解明されていませんが、うつ病と同様、疾患脆弱性(病気になりやすい性質)をもつ人に身体的あるいは心理的負荷がかかり、脳の機能のバランスがとれなくなると発病するとされています。疾患脆弱性を規定する因子は複雑で、遺伝と環境要因の両方で規定されると考えられています。
躁病相では、気分の高揚、気力と活動性の亢進、著しい健康感と心身両面の好調感、社交性の増大、多弁、過度ななれなれしさ、性的活動の亢進、睡眠欲求の減少、妄想と幻覚といった症状を示し、うつ病相では、大項目として、抑うつ気分、興味と喜びの喪失、疲労感の増大と活動性の減少、小項目として、集中力と注意力の減退、自己評価と自身のなさ、罪悪感と無価値感、自傷あるいは自殺の観念や行為、睡眠障害、食欲不振と性欲の減退といった症状を示します。
そして、未治療のとき、躁病相、うつ病相合わせて生涯に10回以上の病相を繰り返し、繰り返すにつれて病相の持続期間は長くなる一方、病相と病相の間隔は短くなります。
中には、1年に4回以上病相を繰り返すケースもあり、これをラピッドサイクラーと呼びます。
双極性障害は、離婚率や自殺率が高いなど、結婚、職業、生活にしばしば深刻な影響を招く原因となります。
*-66「クリューバー・ビューシー症候群」とは、1939年、クリューバー博士とビューシー医師が報告した症候群で、人間以外の物に対しても性交を試みようとしたり、手にしたものを口に運んでしまったりする(口唇傾向)症状を示すもので、精神疾患に一種とされています。
2002年冬のカナダで起きた自動車事故で、車から降りた事故をおこした男性は、道路に全裸で踊りだし、さらに、男は勃起したペニスを車のフロントに挿入しようと試みたり、道路に寝転がって道路と性交しようと地面にペニスを擦りつけたりするなど奇妙な行動をとりました。
その後の裁判で、精神異常を理由に無罪を主張した男性に対し、医師は、典型的なクリューバー・ビューシー症候群の症例と分析をしています。
 ヘルペス脳炎、ピック病、アルツハイマー病、脳の外傷、脳血管障害と関係して現れることもこの症候群の特徴とされ、また、ハンティングトン舞踏病、低酸素症、低血糖症、くも膜下出血、神経遮断薬の摂取とも関係があるのではないかとの指摘があります。
多くのケースで、目に映る人や物が認識ができなくなってしまう視覚的失認症症状、あらゆるものを口に運んでしまう口唇傾向が認められ、他に、失語症、記憶喪失、認知症、極端な情動変化や鈍感化、ペットのように従順になったり、怒りやすくなったり、うつ症状が現れる場合があります。
*-67「側頭葉てんかん」は、本人が自覚のないままに無意識に行動する自動症が特徴です。側頭葉てんかんは高齢者のてんかんの大部分を占め、てんかんの中で最も看過できない発作型で、成人の代表的な難治てんかんのひとつです。難治てんかんとは、薬物療法で発作が止まらないてんかんを意味します。
側頭葉てんかんの原因としては、仮死分娩、脳炎・髄膜炎の後遺症、はしか、突発性発疹、先天性脳腫瘍、大脳皮質の形成障害、脳血管障害、頭部外傷など、非常に多岐にわたり、一方で、遺伝性のものは皆無に近いといえるものです。
側頭葉てんかんは、特異な発作症状以外に、記憶障害、性格変化、精神症状など、他のてんかん発作に見られない様々な随伴症状があります。
 側頭葉てんかんの発作症状は、複雑部分発作とよばれ、非常に特異な発作症状であることから、医師にヒステリー、ノイローゼなどの誤った診断を受けることも少なくありません。
最も一般的なタイプは、まず上腹部の不快感などの前兆があり、虚空を凝視したり、顔がチアノーゼで青くなったりする人もいます。口をペチャペチャさせたり、舌をツパッツパッと鳴らしたりする自動症が見られます。また、「はい、はい」などのその場と関係のないことばを反復したり、歩きだしたりする徘徊自動症を示したりすることもありあす。
発作の持続時間は1-2分で、その後、5-6分くらいもうろうとした状態が続いて、回復します。発作の前兆ともうろう状態の部分は記憶していますが、発作中のことはまったく覚えていない、熱い、冷たい、痛いなどの感覚がないのが特徴です。
名前を呼ぶと返事をすることがあるので、周囲の人は意識があるように錯覚しますが、本人は記憶していません。そして、発作中に熱湯が体にかかっても、発作が終わるまでは気づかないことから大やけどを負ったり、入浴中に発作がおき、風呂の湯を飲み続けて溺死したりするなど、生命に対する危険性が高い発作です。
そして、やっかいなことは、発作の前兆がないことが少なくないということです。
 側頭葉てんかんの焦点の首座は、記憶の出し入れに関係した海馬です。
記憶には、はるか過去の記憶(遠隔記憶)、最近の記憶(短期記憶)、直前の出来事の記憶(瞬時記憶)の3種類がありますが、側頭葉てんかんで最も障害されやすいのは、短期記憶です。2-3日前のことや、数時間前の出来事が忘れやすい傾向がみられます。
このような記憶を留める大脳の機能を記銘力と呼びます。
また、てんかん焦点が右にあるか左あるかによっても、記銘力障害のパターンが異なってきます。
左側の脳は、通常言語機能を営んでいるので、言語優位の半球であることから、左の海馬の障害では、言語性記銘力の低下が生じます。人の名前を忘れたり、ことばに関連する記憶が障害されたりしやすくなります。少しややこしい話が理解できなくなったり、抽象的な話をされたりするとついていくことができなくなります。
また、自分で話す場合でも、適切なことばが浮かんでこないので苦労することがあります。
これに対して、右側の海馬に焦点がある場合は、人の名前などは比較的記憶していますが、出来事、地理、人の顔などの記憶障害が目立ってきます。左側の場合は、言語性記銘力以外にも、右と同様な視覚性記銘力も同時に低下します。
つまり、焦点が左側に存在する方が、記憶障害の程度が強く表れます。
両側に焦点が存在する場合も、左側の焦点と同様に、言語性、視覚性の両方の記銘力が低下し、その程度はさらに強い傾向が認められます。
 側頭葉てんかんが他のてんかんと異なっている点は、発作以外にいろんな随伴症状を伴うことです。
記憶障害以外に、性格変化、精神症状などを伴うこともあります。
・性格変化
海馬は、辺縁系と呼ばれる脳の古い部分に属しています。人間でも動物でも共通に発達している部分で、人間の進化の過程で発達した大脳新皮質とは異なります。
この古い脳である海馬は、“怒り”“不安”などの原始的感情とも密接に関係しています。
てんかん発作は一種の電気現象であることから、発作前の状態は海馬が充電した興奮状態にあると例えられます。この状態になると、イライラが強くなったり、攻撃的になったりしがちです。同じことをいわれても、普段なら聞き流しておくようことでも、激しく反抗してきます。
些細な原因で、ひどく怒りだしたり、時には、暴力を使ったりすることもあります。
怒りの対象で最も多いのが、母親です。さらにエスカレートすると、対人関係もうまく保てなくなってきます。しかし、てんかん発作が起きて海馬に貯まった電気が放電されると、本来の穏やかな性格に戻ります。
•精神症状
側頭葉てんかんをもった人は、幻覚・妄想、うつ状態などの、精神症状を伴う割合が比較的高いことが知られています。妄想では、特に被害妄想が多く、「隣の人が自分の悪口をいっている」などのような妄想が突然出現してきます。
*-68「セックス依存症」は、「性欲が強すぎる」とは異なり、アルコールや薬物、ギャンブルなどへの依存症と同じように、自分で性衝動をコントロールできないものです。
そのため、セックス依存症患者の中には、風俗やホストクラブに夢中になってしまったり、暴力的なセックスを好むパートナーに貢いでしまったりするなど、アルコールや薬物、ギャンブル依存者と同様に、自己破産に追い込まれてしまうこともあります。
また、不貞行為を複数の相手や幾度も重ねてしまい離婚を招いてしまうケースもあります。
通常は「しない方がいい」という認識があれば、理性でそれをコントロールすることができますが、依存症では、そのコントロールができない、つまり、自分はダメだと思っているのにやめられないとか、したくないのにしてしまうという状態になるのが、依存症の特徴です。
このような状態でセックス行為をするため、セックス後に強い罪悪感を陥ったり、逆にしていないときに焦りや空虚感を抱いたりするなど、気持ちが不安定になりやすくなります。
また、そういったネガティブ感情から逃れるためにセックスをするといった悪循環に陥っていくケースもあります。
セックスをすることで開放感を感じたり、生きている実感を得られたりしていると、「悩みからの解放=セックス(すべての依存対象が該当)」という図式が成り立ち、セックスへの依存がはじまることになります。しかし、「悩みから解放された」わけではないわけです。
セックス依存症の中には、性的虐待や性暴力などの被害体験と向き合うことができず、リストカットや過食嘔吐、ODなどの自傷行為と同様に、性病や妊娠などのリスクをあえて負ってしまうようなセックスを望んだり、自分を汚すためのセックスに没頭したりする人がいます。
つまり、「自傷行為としてのセックス」に陥っているケースがあり、露出、SMなどパラフィリア(性嗜好障害)者の犠牲になることもあります。
*-69 第二次性徴とは、子どもから大人の体に変化していくことで、この徴候がみられ変化している期間を思春期(10歳-15歳)といいます。
第二次性徴がはじまるのは、男性は9歳-13歳(平均11歳6ヶ月)、女性は7歳7ヶ月-11歳11ヶ月(平均9歳9ヶ月)とされています。



(1) 精神疾患としてのパラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)
パラフィリア*-70を有する者は、パートナーとの間に愛情に満ちた相互的な、感情的および性的に親密な関係を築く能力が損なわれているか、あるいは欠けていることがあります。
そして、個人的、情緒的適応の他の側面も同様に障害されていることがあります。
異常と思われる性的嗜好は、単に異常だというだけではパラフィリアとはみなされることはなく、「この刺激なしには勃起やオルガスムがおこらない」など、「その興奮パターンが性的機能になくてはならないもの」になり、「不適切な相手(小児や合意の成立していない成人など)を巻き込み、顕著な苦痛や社会的、職業的、その他重要な機能領域に支障をもたらす」とき、そのパターンは病的とみなされます。
健全な成人の性的関係や空想において、性行為にある程度の個人差があるのはごく普通のことです。
愛情と思いやりのある関係の一環として、互いの合意の下に、体を傷つけないようにしながら一風変わった性的行為をおこなう場合もあります。
しかし、そういった行為が極端に走ると性的倒錯と呼ばれ、互いに情愛をわかち合う性的行為を大きく損ねる「性心理障害(精神疾患)」として扱われることになります。
精神疾患(性心理傷害)としての条件は、①当人が自分の性的嗜好によって、心的な葛藤や苦痛を持ち、健康な生活を送ることが困難であること、②当人の人生における困難に加えて、その周囲の人々、交際相手や所属する地域社会などにおいて、他の人々の健全な生活に対し問題を引き起こし、社会的に受け入れがたい行動等を抑制できないこととなっています。
したがって、精神疾患と認められるほどのパラフィリアを抱えるの人のパートナーは、自分がものとして扱われているように感じたり、その性的関係において自分は重要ではない、あるいは不必要な存在のように感じたりすることになります。
一方で、自身の性的倒錯(パラフィリア)が著しい苦痛の原因となったり、社会生活に支障をきしたりすることもあります。
なぜなら、周りの人々の反応、あるいは社会的に受け入れられないことをしているという罪悪感から苦痛が生じることもあるからです。
最も一般的なパラフィリアには、服装倒錯的フェティシズム、小児性愛、露出症、窃視症などがあります。その他にも性的マゾヒズム、性的サディズムなどがあります。
パラフィリアをもつ人の大半が男性で、多くは複数のタイプの倒錯を抱えています。パラフィリアを有する者のごく一部が法を犯し、性犯罪者となり、反社会性や自己愛性といった重度の人格障害を抱えていることが治療を困難にしています。
*-70 パラフィリアは、「性目標倒錯」と「生対象倒錯」に分類されます。「性目標倒錯」とは、最終目標が性交(セックス)ではなく、なんらかの嗜好や倒錯した行為が認められる症状をいい、「性対象倒錯」とは、最終目標は性交(セックス)にあり、その相手や対象、状況などになんらかの嗜好や倒錯の認められる症状をいいます。
「性目標倒錯」は、「性対象倒錯」と併発している場合も多く、厳密な区分は困難ですが、以下に列挙します。
①アクアフィリア(溺水性愛:海やプールなどの水辺や水中、溺水や水没への性的嗜好で、ハイドロフィリアともいい、ハイポクシフィリア(窒息性愛)との混同も見られる)、②アノレクタル(異物肛虐性愛:肛門や直腸に異物を挿入する性的嗜好)、③ウロフィリア(尿性愛:排尿行為や飲尿行為、尿そのものへの性的嗜好で、ウロラグニアともいい、広義にはスカトロジー(Scatology)やコプロフィリア(糞便性愛)に含まれる)、④エキシビショニズム(露出性愛:自分の裸体や性器を公衆の面前や第三者に晒す性的嗜好で、恋人などのパートナーを晒す性的嗜好はカンダウリズム(Candaulism)という。カンダウリズムの根底に潜んでいるのはマゾヒズムだが、それだけではかたづけられるものではない。コキュ幻想を抱く男性は、自分の恋人や妻が他の男から欲情され称賛されることによってしか、その美貌や魅力を確認できない。つまり、「他者の欲望」をかき立てるくらいでないと、愛の対象としての価値がないと考える。
「他者の欲望」によって触発されることで、はじめて自分自身も欲情する)、⑤エメトフィリア(嘔吐性愛:嘔吐行為や吐き気、吐瀉物への性的嗜好)、⑥エロトフォノフィリア(殺人性愛:殺人や殺害行為への性的嗜好で、快楽殺人(Lust murder)とほぼ同義に用いられる)、⑦カニバリズム(食人性愛:食人行為や人肉への性的嗜好で、アントロポファジーともいう)、⑧クリスマフィリア(浣腸性愛:浣腸行為や浣腸器具を用いた排泄行為、糞便への性的嗜好で、広義にはスカトロジー(Scatology)やコプロフィリア(糞便性愛)に含まれる)、⑨クレプトフィリア(窃盗性愛:窃盗行為への性的嗜好で、クレマスティストフィリアやペッカトフィリアともいう)、⑩コプロフィリア(糞便性愛:排便行為や食糞行為、糞便への性的嗜好で、コプロラグニアともいう。広義にはスカトロジー(Scatology)にも含まれる)、⑪サディズム(加虐性愛:性的虐待や性的暴力を与える性的嗜好で、対語はマゾヒズム(被虐性愛)、両面性のある場合はサドマゾヒズム(加虐被虐性愛)となる)、⑫サドマゾヒズム(加虐被虐性愛:同一人物にサディズムとマゾヒズムが共存あるいは混在する性的嗜好で、広義にはSM嗜好者が持つとされるサディズムとマゾヒズムの両面性も意味する。英語圏では一般的に、拘束や束縛を意味するボンデージ(Bondage)、調教や折檻を意味するディシプリン(Discipline)、加虐性愛のサディズム(Sadism)、被虐性愛のマゾヒズム(Masochism)の4つの単語から頭文字を採った総称でビー・ディー・エス・エム(BDSM)と呼ばれる)、⑬シトフィリア(食物性愛:食物や飲料の咀嚼行為や身体への塗布行為などの性的嗜好で、フード・プレイともいう)、⑭スコプトフィリア(窃視性愛:第三者の行動や性行為などを盗み見る(覗く)性的嗜好で、スコポフィリアともいう。一般には窃視行為の総称ボイヤリズム(Voyeurism)で知られる)、⑮ズー・サディズム(動物加虐性愛:動物に対して性的虐待や性的暴力を与える性的嗜好で、ビースティアル・サディズムともいう。広義には動物虐待の総称アニマル・アビューズ(Animal abuse)に含まれる)、⑯タナトフィリア(死性愛:首吊りや入水などの自殺(縊死)行為、殉死や切腹などの自傷行為への性的嗜好で、ネクロフィリア(屍体性愛)とは異なり、あくまでも「自分自身の死」に向かう性的嗜好である)、⑰タフェフィリア(埋葬性愛:葬儀や埋葬行為への性的嗜好で、タナトフィリア(死性愛)との混同も見られる)、⑱デンドロフィリア(樹木性愛:樹木や植物への性的嗜好)、⑲ハイブリストフィリア(犯罪性愛:犯罪行為や違法行為への性的嗜好で、ハーパクソフィリアともいう。快楽殺人(Lust murder)と異なり、必ずしも殺害行為は加わらないが、実用上は混同されている)、⑳ハイポクシフィリア(窒息性愛:首絞めやビニール袋などを用いた低酸素症や窒息行為への性的嗜好で、アスフィクシオフィリアやエロティック・アスフィケーションともいう)、㉑ピロフィリア(火炎性愛:火や炎、火事や放火行為への性的嗜好で、ピロラグニアやピロマニアともいう)、㉒フロツーリズム(接触性愛:相手の身体や衣服に自分の性器を接触させる性的嗜好で、厳密には、一般的な痴漢(Groping)行為には潜在的な最終目標として性行為が含まれるが、フロツーリズムには性行為が含まれない)、㉓ヘマトフィリア(血液性愛:血液への性的嗜好で、ヘモフィリアやハエモフィリアとも呼ばれる。なお、吸血行為への性的嗜好はバンパイアイズム(Vampirism)という)、㉔マゾヒズム(被虐性愛:相手から性的虐待や性的暴力を受ける性的嗜好で、対語はサディズム(加虐性愛)、両面性のある場合はサドマゾヒズム(加虐被虐性愛)である)、㉕マノフィリア(手淫性愛:手や腕への性的嗜好で、単独の自慰とは異なる)
 「性対象倒錯」は、前述の「性目標倒錯」と併発している場合も多く、厳密な区分は困難ですが、便宜的に「人物」「年齢」「物体」「状況」「その他」の5つに分類して、以下、列挙します。
(1)人物への性対象倒錯
主に人物、または身体の部位や状態に関連する性的嗜好を挙げます。一般的な総称としては、フェティシズム(Sexual fetishism)やフェティッシュ(Fetish)ということばが広く使われ、日本では俗語的な略称としてフェチということばがよく使われています。なお、身体の特定の部位(パーツ:Part)への性的嗜好は、広義にパーシャリズム(Partialism)といいます。
①アクロトモフィリア(身体欠損性愛:手や足などの四肢を欠損(破壊)しようとする行為への性的嗜好で、広義にはアポテムノフィリア(四肢欠損性愛)に含まれる)、②アコースティックフィリア(音響性愛:声や音への性的嗜好)、③アナスティーマフィリア(身長差性愛:極端な身長差への性的嗜好)、④アポテムノフィリア(四肢欠損性愛:手や足などの四肢が欠損した身体への性的嗜好である。自分自身の身体に違和感を覚え、自らの四肢を欠損しようと願う嗜好はスマトパラフィリア(四肢不一致症候群)と呼ばれる)、⑤アベイショフィリア(身体障害性愛:身体障害者、またはギプスや点滴などの医療器具を着用した負傷者への性的嗜好)、⑥アンドロミメトフィリア(男子性転換性愛:女性に性転換した男性への性的嗜好で、広義にトランスファン(性転換嗜好者)に含まれる)、⑦オキュロフィリア(眼球性愛:眼や瞼に対する性的嗜好で、涙への性的嗜好があるダクライフィリア(泣哭性愛)と混在する場合がある)、⑧オドントフィリア(歯牙性愛:歯や牙への性的嗜好)、⑨オルファクトフィリア(体臭性愛:汗や香水なども含めた体臭への性的嗜好で、オスフレジオラグニアともいう)、⑩グレイブラスネス(無毛性愛:腋毛や陰毛といった性毛の未発生状態や剃毛への性的嗜好で、パイパンや剃毛プレイなどを嗜好する)、⑪ジィネミメトフィリア(女子性転換性愛:男性に性転換した女性への性的嗜好で、広義にトランスファン(性転換嗜好者)に含まれる)、⑫ステノラグニア(筋肉性愛:筋肉質な体型への性的嗜好)、⑬ディスモーフォフィリア(奇形性愛:奇形(畸形)体型への性的嗜好で、ボディ・ディスモーフィック・ディソーダーともいう)、⑭デフロランティズム(処女性愛:処女や処女喪失への性的嗜好)、⑮トランスヴェストフィリア(性転換性愛:性転換への性的嗜好で、広義にはトランスセクシャリズム(Transsexualism)に含まれる)、⑯トリコフィリア(毛髪性愛:毛髪や散髪行為への性的嗜好で、ヘア・フェティシズムともいう)、⑰ネクロフィリア(屍体性愛:屍体(死体)への性的嗜好である。ネクロマニアともいう。また、屍体を演じる(真似る)性的嗜好はシュードネクロフィリア(Pseudonecrophilia)という)、⑱ノソフィリア(病症性愛:病気や病症状態の身体への性的嗜好)、⑲ノーズ・フェティシズム(鼻性愛:鼻や鼻孔への性的嗜好で、ナソフィリアともいう)、⑳ハイグロフィリア(分泌物性愛:汗や涎などの分泌物への性的嗜好)、㉑ピゴフィリア(臀部性愛:臀部(尻)への性的嗜好で、パイゴフィリアともいう)、㉒ファット・フェティシズム(肥満性愛:脂肪や肥満体形への性的嗜好)、㉓ファロフィリア(巨根性愛:大きな男性器や性機能の高い男性への性的嗜好で、ファルス(Phallus:巨根)信仰としても知られる)、㉔フォレスキン・フェティシズム(包皮性愛:男性器の亀頭や女性器の陰核などを包む包皮への性的嗜好)、㉕フート・フェティシズム(脚部性愛:太股やふくらはぎ(腓腹筋)など脚(足)への性的嗜好で、ポドフィリアともいう)、㉖ブレスト・フェティシズム(胸部性愛:乳房や乳首への性的嗜好。本来は形状に関係なく、胸部全般への嗜好を指す。ただし、一般的にはサイズによって区分されることも多い。大きい乳房への嗜好はマモフィリア(Mammophilia)といい、巨乳フェティシズム(巨乳フェチ)などとも呼ばれる。小さい乳房への嗜好は貧乳フェティシズム(貧乳フェチ)などと呼ばれる)、㉗メイシオフェリア(妊婦性愛:妊婦や妊娠への性的嗜好で、メイユーシオフィリアやプレグナンシー・フェティシズムともいう)、㉘メノフィリア(月経性愛:月経(生理)への性的嗜好)、㉙ラクトフィリア(母乳性愛:母乳や授乳行為への性的嗜好で、ラクタフィリアやガラクトフィリアともいい、広義にはエロティック・ラクテーション(Erotic lactation)に含まれる
(2)年齢への性対象倒錯
以下、主に年齢に関連する性的嗜好を挙げます。なお、特定の年齢の人物に対する性的嗜好の場合もあれば、年齢差そのものへの性的嗜好の場合もあります。また、年齢や性別の定義は医療機関によって多少の差異が存在します。
①インファノフィリア(幼児性愛:主に0歳から3歳頃の女子幼児への性的嗜好で、ネピオフィリアともいう)、②エフェボフィリア(青年性愛:成人男性による思春期の青年への性的嗜好)、③クロノフィリア(年齢差性愛:極端な年齢差への性的嗜好で、原則として性別は関係がない。アニリラグニアともいう)、④ジェロントフィリア(老人性愛: 老人や高齢者への性的嗜好で、原則として性別は関係がない。ジェラントフィリアともいう)、⑤ニンフォフィリア(児童性愛:主に4歳-11歳頃の女子児童への性的嗜好)、⑥ペドフィリア(小児性愛:主に11歳-13歳頃の少年や少女への性的嗜好で、現在では一般的に、年齢や性別を区分したインファノフィリア(幼児性愛)やニンフォフィリア(児童性愛)なども含む総称として普及している)、⑦ペデラスティ(少年性愛:成人男性によるエフェボフィリアよりも低年齢層の少年への性的嗜好)、⑧ヘフィリア(少年性愛:成人女性による青年や少年への性的嗜好)
(3)物体への性対象倒錯
以下、主に物体に関連する性的嗜好を挙げます。それらの物体を伴う(例えば、着用しているような)人物に対する性行為の場合もあれば、物体そのものに対する性行為の場合もあります。なお、物体そのものへの性的嗜好は、広義にオブジェクト・セクシャリティー(Object sexuality)という。
①アガルマトフィリア(偶像性愛:人形や彫刻への性的嗜好で、スタチューフィリアやペディオフィリアともいい、ピグマリオニズム(Pygmalionism)に含まれるが、日本では同義として和製英語のピグマリオン・コンプレックスとして知られている)、②アンダーウェア・フェティシズム(下着性愛:ブラジャーやパンティ、パンストやソックス、タイツなどの肌着や下着への性的嗜好)、③オートエロティシズム(機械性愛:自動車やバイクなどの機械や工業製品への性的嗜好)、④クロッシング・フェティシズム(衣服性愛: 毛皮やデニム、シルク素材などの布地や衣服への性的嗜好で、広義には皮革も含まれるが、一般的にはBDSM的ファッションとしてレザー・フェティシズムに区分されることも多い)、⑤サイダロドロモフィリア(列車性愛:機関車や電車などの機械や鉄道製品への性的嗜好)、⑥シュー・フェティシズム(靴性愛:ハイヒールやブーツなどの靴製品への性的嗜好)、⑦スモーキング・フェティシズム(喫煙性愛:煙草の喫煙行為への性的嗜好。非喫煙者が咳き込む状況なども含まれる)、⑧ティモフィリア(財産性愛:財産や財宝への性的嗜好)、⑨ミソフィリア(汚損性愛:着用して汚れた衣服や下着、使用済み生理用品などへの性的嗜好で、広義には、汗や垢、毛髪のフケなどの塩気を含む汚れへの性的嗜好の総称ソリロフィリア(Salirophilia)に含まれる)、⑩バルーン・フェティシズム(風船性愛:風船の膨張や弾力、破裂への性的嗜好)、⑪ピクトフィリア(画像性愛:写真やビデオなどの映像への性的嗜好で、広義にアダルトビデオなどの中毒症状を意味するポルノグラフィ・アディクション(Pornography addiction)に含まれる)、⑫ユニフォーム・フェティシズム(制服性愛:制服やスポーツウェアなどの衣服への性的嗜好)、⑬ラバー・フェティシズム(ゴム性愛:ラバー(ゴム)素材の衣服への性的嗜好。なお、海外では特定のラバー素材を冠してラテックス・フェティシズムやPVC(Polyvinyl chloride:ポリ塩化ビニ-ル)・フェティシズムともいう)、⑭レザー・フェティシズム(皮革性愛: 天然または人工のレザー(皮革)素材の衣服への性的嗜好で、毛皮を含む場合がある。ドーラフィリアともいう)
(4)状況への性対象倒錯
以下、主に状況や環境に関連する性的嗜好を挙げます。なお、それらの状況に遭遇した人物に対する性行為の場合もあれば、状況そのものに対する性行為の場合もあります。
①アムロフィリア(疑似盲目性愛:目隠しなどの疑似的な盲目状態への性的嗜好)、②アルゴラグニア(疼痛性愛:疼痛(とうつう、痛み)に遭遇するような悪条件環境や残虐な行為に遭遇する状況への性的嗜好)、③エンドソーマフィリア(体内進入性愛:体内に進入(侵入)する行為、または体内に存在する状況への性的嗜好で、人間や動物とは限らず、空想(妄想)上の怪物の場合もある。また、出入口は性器とは限らない。エンドソームフィリアともいう)、④オクロフィリア(群衆性愛:群衆や大人数への性的嗜好で、グループセックス(Group sex)や輪姦など)、⑤オートアサシノフィリア(恐怖性愛:殺人事件や強盗事件などに遭遇し、恐怖に慄く状況への性的嗜好)、⑥オートガイネフィリア(女性化自己暗示性愛:男性であれば「自分は女性だ」と空想(妄想)する性的嗜好で、オートアンドロフィリアともいう)、⑦オートネピオフィリア(幼児行動性愛:赤ん坊や幼児のようにふるまう状況への性的嗜好で、広義には、幼児のおむつやおしゃぶりへの嗜好なども指すパラフィック・インファンタリズム(Paraphilic infantilism)に含まれる)、⑧カトプトロノフィリア(鏡像投影性愛:鏡やモニターなどに投影される状況への性的嗜好で、エスペクトフィリアともいう)、⑨コーリオフィリア(舞踏性愛:柔軟な身体や躍動する舞踏行為への性的嗜好)、⑩コプロラリア(猥語性愛:猥褻な言葉や罵詈雑言への性的嗜好で、コプロラグニアともいう)、⑪シンフォフィリア(災害性愛:地震や台風などの自然災害への性的嗜好)、⑫スードゥズーフィリア(動物擬態性愛:耳や尻尾などで動物を真似る擬態行為への性的嗜好で、ペットや家畜として扱うヒューマン・アニマル・ロールプレイ(Animal roleplay)を嗜好する)、⑬ゼロフィリア(嫉妬性愛:第三者が介入する嫉妬行為への性的嗜好)、⑭ソムノフィリア(睡眠性愛:睡眠や昏睡、気絶した状況への性的嗜好で、サムノフィリアともいう)、⑮ダクライフィリア(泣哭性愛:泣くことや慟哭(どうこく)などの泣哭(きゅうこく)行為、涙などへの性的嗜好で、ダクライラグニアともいう)、⑯トランスヴェスティズム(異性装性愛:異性の服飾や衣服、アクセサリーなどへの性的嗜好。単独の変身行為の場合もあれば、相手の衣服との交換行為などが含まれる場合もある。男装や女装などの変身願望は総称としてクロス・ドレッシング(Cross dressing)という)、⑰トロイリズム(三者性愛:夫婦や恋人関係において、第三者が加わる状況への性的嗜好で、トリオリズムともいう。トロイリズムは第三者が認められている場合が多く、「寝取られ」の性的嗜好で知られるコキュ(cocue)は夫婦や恋人の片方が第三者を認めていない場合や嫉妬している場合などがある。パートナーを第三者へ晒す性的嗜好をカンダウリズム(Candaulism)という)、⑱ナレートフィリア(口述性愛:状況や行動を常に解説したり、口述(ナレーション)したりする性的嗜好で、猥褻な単語とは限らない。猥雑な単語への嗜好が強ければコプロラリア(猥語性愛)として区別される)、⑲バイストフィリア(強姦性愛:強姦(レイプ)や暴力行為への性的嗜好で、レプトフィリアともいう)、⑳ハーマトフィリア(失態性愛:なんらかの失敗や失態行為への性的嗜好)、㉑ヒエロフィリア(聖依性愛:宗教や聖書に関連する状況への性的嗜好で、テオフィリアともいう)、㉒ホメオヴェスティズム(同性装性愛:同性者の衣服やアクセサリーなどへの性的嗜好で、広義には変身嗜好の総称クロス・ドレッシング(Cross dressing)に含まれる)、㉓ボラレフィリア(丸呑性愛:相手の口内や胃袋に丸呑み(丸飲み)される性的嗜好で、人間や動物とは限らず、空想(妄想)上の怪物の場合もある。ファゴフィリアともいう)、㉔ポリテロフィリア(性行為連続性愛:多くの人数との連続する性行為や、何度も性行為を繰り返すことへの性的嗜好で、グループセックス(Group sex)や輪姦などを嗜好する)、㉕マクロフィリア(巨人性愛:大きな身体や、変身や突然変異などによってビル並みのサイズに巨大化する身体への性的嗜好)、㉖ミクロフィリア(矮人性愛:小さな身体や、変身や突然変異などによってミニチュア並みのサイズに矮小化する身体への性的嗜好)、㉗メディカル・フェティシズム(医療性愛:診察や治療などの医療行為への性的嗜好)
(5)その他の性対象倒錯
①アラクネフィリア(蜘蛛性愛:クモやムカデなどの節足動物への性的嗜好)、②ズー・セクシャリズム(動物性愛:異性愛や同性愛の概念と同様に、動物への性的指向で、性的嗜好ではない)、③スペクトロフィリア(霊体性愛:神や天使、幽霊や霊魂などへの性的嗜好)、④ズーフィリア(獣姦性愛:獣姦への性的嗜好で、厳密にはズー・セクシャリズム(動物性愛)と異なる)、⑤フォーミコフィリア(昆虫性愛:昆虫が衣服や皮膚などを這うことへの性的嗜好)、⑥ミクソピック・ズーフィリア(窃視獣姦性愛:動物の性行為を窃視する(覗き見る)性的嗜好)



(2) フェティシズム(Fetishism)
フェティシズムでは、性的興奮をもたらすための手段として、自分の好みの対象物(フェティッシュ)を使用します。フェティシズムの人は、他人の下着を身に着ける、ゴム製品や革製品を着用する、ハイヒールなどを抱きしめる、なでる、においをかぐといった行為で性的に興奮し、快楽をえます。
この障害のある人は、対象物がないと性的に機能できなくなることがあります。
フェティシズムの対象物は、パートナーとの通常の性行為の代用品となったり、パートナーの同意のうえで性行為に用いられたりすることがあります。
フェティシズムの主な対象は、①女性の足・脚に対する偏愛、②服装・外見への偏愛、③素材・道具への偏愛、④状態への偏愛があげられます。
パートナーとの間で合意されたうえで、性行為の補助としてちょっとしたフェティシズム的行動をとることは、苦痛、能力障害、そして重大な機能不全を招くことはないため障害とはみなされることはありませんが、より強く義務的なフェティシズム的興奮パターンを“強いる”ときには、パートナーとの性的関係に問題をもたらし、性暴力となります。
また、パートナーが非協力的な場合は、服装倒錯の人は、自分の女装の欲望に伴って不安、抑うつ、罪悪感、恥辱感を抱くことがあります。
・フェティシズム的服装倒錯症(Fetishistic transvestism)
主に性的興奮を得るために異性の衣服を着用することです。フェティシズムの対象となる物品や衣服を単に着用するというだけでなく、異性としての外観をつくりだすために着用するという点で、単なるフェティシズムから区別されます。
性欲喚起と明らかに結びついていることと、いったんオルガスムがおこり、性欲喚起が止めば、衣服を脱いでしまいたいという強い欲望がおこることによって、性転換願望症の服装倒錯とは区別されます。

-事例190(事件研究39:宝塚市窃盗・少女強姦事件)-
「宝塚市窃盗・少女強姦事件」とは、平成25年、靴フェティシズムの大分県佐伯市の木許智司(39歳、無職)が幼稚園などに忍び込んで靴や下着などを盗み、同年11月、民家に忍び込み物色していたところ16歳の少女の部屋にたどりつき、靴や下着40点を袋に詰めていたときに少女が目を覚ましたので強姦し、そのまま逃走した事件です。
木許は、平成25年11月、宝塚市の民家から女性用ブーツなど12点を盗み、同月16日夜から19日朝の間、宝塚市小林の市立良元幼稚園に侵入し、園児16人分の上履きと「想像をかき立てられるから」と、園児の顔写真付きの名札19人分の計35点を盗みました。3日後の20日には、「お嬢様学校」として名高い同市内の小林聖心女子学院で、門を乗り越えて 敷地内に忍び込み、小学校や高校の校舎から体育館シューズなど計18点を盗んでいます。
12月、木許は、宝塚市内の民家に侵入し、現金1800円と靴や下着など40点を盗もうとしたとして、兵庫県警宝塚署に逮捕されました。当時住んでいた同市内の木許の自宅を家宅捜査したところ、押し入れなどから上履きや靴、下着など100点が発見されました。コレクションのように保管されていた女性用のブーツやサンダル、上履きの中には、幼児が履くような小さなものも含まれていたことから、捜査員が追及すると、木許は上記犯行を認めました。逮捕された窃盗事件で木許は、いつものように民家に侵入したものの玄関に靴がなかったため、家の中を物色しているうちに少女(16歳)が寝ている部屋にたどり着き、靴や下着40点を袋に詰め込んでいるときに少女が目を覚ましたので、恥ずかしい思いをさせれば口封じになると考えて強姦し、そのまま逃走したのです。
このことから、木許は窃盗だけでなく、強姦の容疑で逮捕されることになりました。
同年8月26日と27日、神戸地方裁判所で裁判員裁判が開かれ、被告人質問で、木許は「靴の匂いを嗅ぐと興奮した。」、「盗んだ靴のにおいをかいで自慰をしていた。」、「事件の原因にフェチがあった。心の弱さから盗みを止められなかった。」と犯行理由を語り、「靴の数が大量になったため、匂いを嗅げればいいと、片足のみに絞って持ち去った。」、「初めて犯行に及んだのは(小林)聖心女子学院のときだった。それは、(平成)16-17年ころで、これまで3回侵入していた。」、「ブーツや長靴、バレエシューズ、ハイヒールなどを盗んだ民家では、この家の庭先で幼い女の子が乗るような自転車を見つけたことが、犯行に及んだきっかけになった。」と犯行時の状況を述べました。
16歳の少女を強姦した事件について、木許(犯行当時派遣社員だった)は、「コンピューター修理などの仕事を終えて、ビールや日本酒、ブランデーなどを飲んで酔っ払い、「靴を盗もう」と思いついた。そして、すでに靴を盗んだことがある少女が住む民家へと向かった。」、「物色を続けていたが、眠っていた少女が目を覚ましてしまったので、「やばい。恥ずかしい思いをさせれば口封じになる。逃げよう。」と思い、ベッドにあがり、少女を襲った。」と計画性のない突発的な犯行のように供述しました。しかし、検察は、「あらかじめ脅すためのカッターなどを用意していた。」と指摘し、「当初から少女を乱暴するつもりで侵入していた。」と主張しました。
同年8月30日、神戸地方裁判所は、いずれの犯行も認定し、増田耕児裁判長は「被告人の供述は信用できない。被害者に恐怖心や屈辱感を与える卑劣な犯行」と指弾し、懲役11年(求刑懲役15年)の判決を下しました。


(3) 露出症・窃視症
露出症は、性的興奮を得る目的で他人に性器を見せたり、性行為の最中に他人から見られたいという強い欲求を抱いたりするものです。
自分の性器を露出しながら、あるいは露出することを空想しながらマスターベーションをすることもあります。
露出症患者は主に男性ですが、通常なにも知らない人に不意に自分の性器を見せ、その行為によって性的に興奮します。
いやがる相手に対し、驚かせたい、ショックを与えたい、強い印象を与えたいといった自身の欲求を自覚しています。
被害者は通常そのほとんどが成人女性か、男児または女児です。
実際に性的接触を求めることはほとんどなく、露出症の人が強姦などの行為に走ることはめったにありません。
露出症の発症年齢は、通常20代半ばです。
大部分の露出症者は結婚していますが、しばしば結婚生活に問題を抱えています。
そして、逮捕される男性性犯罪者の約30%は露出症者です。露出症者は自分の行動に固執する傾向がみられ、50-20%が再逮捕されます。
女性では、見知らぬ人に不意に性器をさらして性的興奮を得るという行為はほとんど認められません。なぜなら、女性の場合は、挑発的な服装をするなど、他に自分自身を人目にさらす機会が存在するからです。
挑発的な服装が過激すぎるときには、多少咎められることはあっても、精神障害とみなされることはありません。
また、露出症を抱える人の中には、他人に自分の性行為を見てもらいたいという強い欲求を抱えていることがあります。
それは、見る人を驚かせたいというよりもむしろ、同意のうえの観客に見られたいという願望です。
このタイプの露出症患者は、ポルノ映画を製作したり、アダルト系のタレントになったり、ハプニングパブにでかけたり、グループセックスの会合を開いたりすることがあります。
このような人が自分の性的欲求に苦しむことは稀で、精神障害とはみなされることはありません。
窃視症は、人が服を脱いだり、裸でいたり、性的行為をしている姿をじっと見ることで性的に興奮するものです。
窃視症では、性的興奮をもたらすのは、観察している相手との性的行為ではなく、観察する(のぞき見する)という行為です。窃視症者は、観察の対象者との性的接触を求めません。
窃視症は通常、青年期から成人期初期にかけて発症します。
ある程度ののぞき見行為は、若い男性や成人男性にみられますが、最近は女性にも増えています。社会通念では、同意した成人同士の場合、軽度のぞき見行為は異常とはみなされることはありませんし、また、インターネット上で広く利用可能な、露骨なセックス関連の写真や動画などを個人的に閲覧することは窃視症とはみなされません。
なぜなら、窃視症の顕著な特徴としての秘密ののぞき見という要素が欠けているからです。
障害としての窃視症は、圧倒的に男性に多くみられます。
窃視症が高じると、のぞき見の機会を求めて多くの時間を費やすことになります。のぞき見が性的嗜好となり、長時間にわたってのぞき見を続けるようになります。通常、オルガスムに達するのは、窃視中または窃視後のマスターベーションによってです。
そして、窃視症者は、観察の対象との性的接触を求めることはありませんが、盗撮などは法を犯す犯罪行為です。


(4) 性的マゾヒズムと性的サディズム
性的マゾヒズムは、性的興奮を得るために、侮辱されたり、叩かれたり、縛られたり、その他虐待を受けることによって性的興奮を覚えます。
性的サディズムとは、性的興奮とオルガスムを刺激するために、「性的パートナーに肉体的または心理的な苦痛(屈辱、恐怖)を与える」ことによって性的な快感を覚えます。
 マゾヒスティックな行為は、性的興奮をもたらすための好みの方法である場合もあれば、唯一の方法である場合もあります。
人はそのマゾヒスティックな空想を自分自身で実行に移したり(自分で自分を縛る、自分の皮膚を刺す、電気ショックをあてる、自分で熱傷する)、あるいは性的サディストとなるパートナーを見つけだしたりすることがあります。
パートナーとの行為にはボンデージ、目隠し、尻を叩く、むち打ち、当人に向かって排尿したり、脱糞したりすることによる侮辱、異性の衣服を無理矢理着せる、レイプのまねなどがあります。
性的サディズムは、執拗で持続的な空想があり、その中で同意のあるなしによらずパートナーに苦痛を与えることで性的興奮がもたらされますが、セックスと力が混じり合ったレイプのような行動をとることはありません。
性的サディズムと診断されるレイプ犯は10%未満といわれています*-71。
そして、マゾヒスティックな行為は儀式化し、慢性化する傾向があります。
*-71 性的サディズムを起因とするレイプ事件については、当「Ⅰ-14-(4)性的マゾヒズムと性的サディズム」の項で、「京都連続強盗・強姦事件(平成22年7月-11月)」をとりあげています。
多少のサディズム的な、あるいはマゾヒズム的な行為は、しばしば気心の知れたパートナー同士で試されます。
例えば、拘束行為を装って相手を絹のハンカチで縛ったり、軽く叩いたりする行為についえは、合意しているパートナー同士が行っている限りは異常な行為とはいえず、サディズムやマゾヒズムではありません。
つまり、ほとんどのサディスティックな性行動は、合意したパートナー(多くは性的マゾヒズムの人)との間でおこります。
このような関係においては、侮辱行為や殴打は演技にすぎず、参加者はそれがゲームであることを知っており、実際の侮辱や傷害を慎重に避けています。往々にして完全な征服感と優越感を空想することが大切であることから、サディストは入念な方法で相手を縛ったり、さるぐつわをはめたりするなど、信頼関係にもとづいておこなわれます。
対照的に、「性的マゾヒズム障害」や「性的サディズム障害」の場合は、これらの行為がエスカレートして、危害を加える極限までおこなわれることになり、捕されるまで続くことが少なくありません。
つまり、相手が同意していないときには、性的サディズムは犯罪行為となります。
SMプレイ(窒息プレイ)における死亡事件では、相手(妻や交際相手を含む)が同意し、プレイ中に危険を知らせることができたかが争点となります。
大阪高等裁判所の判決文(昭和40年6月7日)には、「妻を自己の寝間着の紐で一回廻して交叉し両手の紐で両端を引っぱって、同女の首を絞めながら性交し、且つ同女の首を緊縛しつづけて同女を窒息死せしめた。」として、「傷害致死罪(刑法205条)に該当する」との判断をしています。
また、東京地方裁判所の判決文(昭和52年6月8日)には、「全裸の同女の前頸部から後ろに渡したロープでもって後手にとった同女の両手を緊縛した状態でさまざまな加被虐性性行為を行っていたことは明らかであり、当時被告人が覚せい剤を頻繁に使用することにより連日きわめて長時間にわたって右のようなきわめて異常な性行為を反復してゆく過程でその危険性に対する予見認識が次第に鈍麻し減退してきていたであろうことを併せ考えるとき、右のような行為はやはり同女の生命、身体に対する重大な危険をはらんでいたものという他なく、したがって、右所為が暴行の定型性を充分に具備しており、また、違法性をも有するものといわなくてはならない。」と「違法性阻却は認められず、傷害致死罪とする」判断がされています。
一方、大阪高等裁判所の判決文(昭和29年7月14日)では、「同意による暴行罪の違法性阻却を認め、過失致死罪とする」判断がされています。
夫婦の間や交際相手との間に暴力のある環境下、つまり、DVやデートDVがおこなわれている環境で、本人の意志とは関係なく暴力の恐怖によってSMプレイに応じざるを得ない(SMプレイを強いられている)状況がつくられていることは少なくありません。
したがって、妻や交際相手が同意しているかいないかではなく、恐怖によりSMプレイに応じざるを得ない(強いられている)状況下は、いうまでもなくDV加害者の性的サディズムを満たすための行為でしかなく、性暴力であり、犯罪行為であることになります。

(窒息プレイ)
マゾヒスティックな性的行為のうち窒息趣味(窒息プレイ)と呼ばれるものでは、パートナーまたは本人が自分で首に縄を巻くなどして部分的にのどを絞める行為などでは、精神的にも身体的にも重度の危険が生じたり、ときには死に至ったりする事態を招きます*-72。
注意をして実行したとしても危険であり、かなりの数の事故死が起こっています。アメリカでは、年間250-1000人ほどが死亡しているとされています。
窒息プレイは、いわゆる「デブ専」の圧迫プレイに通じ、デブ専の性癖を持つ者は「圧迫されて気を失うときの射精がいい」といいます。
こうした窒素行為は、オルガスムの頂点で脳への酸素供給を一時的に減少させて、性的な快感を高めようとするものですが、より強い刺激を欲し、歯止めがきかなくなり事故死となることがあります。
そして、一歩間違えば命にかかわる“窒息”プレイは、ひとりSMと呼ばれる危険な行為に陶酔する者も少なくないようです。
それは、「自ら首をタオルなどで締めて低酸素状態をつくりだし、薄れていく意識を楽しみつつ、ギリギリのところで昇天すると想像を絶する気持ちよさがある(頸動脈を絞めて意識が遠くなる瞬間と、射精感が合わさると想像を絶する快感が得られる)」とする“窒息オナニー”と呼ばれる行為で、加減がわからなくなり、危険な状態を脱することをより難しくします。
救急車で運ばれたり、家を全焼させてしまったりするケースは少なくなく、“窒息プレイ(ひとりSM)”による死亡事故は、日本国内で年間300件ほどおきているといいます。
窒息プレイは、性的興奮を得るために意図的に脳への酸素供給を停止させ仮死状態になる行為であり、自己発情窒息(AeA)、ハイポクシフィリア、ブレス・コントロール・プレイ(BCP)とも呼ばれ、性的興奮を意図しないものは失神ゲーム*-73と呼ばれます。
心臓から脳へ酸素の豊富な血液を運んでいる(首の両側にある)頸動脈が圧迫されると、絞殺や絞首刑のように脳への酸素供給が突然止まり、二酸化炭素が蓄積することでめまい、意識朦朧、喜びの感情を増大させ、そのすべてが自慰の興奮を高めます。
脳が酸素を奪われるとき、低酸素症と呼ばれる明確な“半幻覚状態”をひきおこし、それはオーガズムと結合されるのです。
そのラッシュは、コカインと同程度に強力であるといわれており、「非常に強い習慣性がある」とされています。
慢性的な低酸素症によってもたらされる幻覚状態は、登山者が高地で経験する幻覚と類似しているとの報告があります。
また、“窒息”以外にも、扇風機の羽に革ベルトをつけて鞭で打たれ続けているような状況にしたり、自分に手錠をかけロウソクや火を使ったりするプレイがあるといいます。
*-72 SMプレイ中に「首を絞めてくれ」との要請に応えて窒息死させてしまった事件の判例によると、「同意があれば、傷害罪は成立せず、ただその同意が、“社会的相当性”がなければ、その同意は無効であり、傷害罪の成立を妨げない。」としています。
したがって、SMクラブが、「同意書」や「女性からとるトラブルを一切自分で処理するとの念書」をとっていたとしても、被害者との関係では無意味ということになります。
*-73 「失神ゲーム」とは、他人または自己を意識的に失神させ、酩酊状態を観察したり、体験したりするもので、「気絶遊び」、「チョーキング・ゲーム」とも呼ばれているものです。
小・中学生を中心に、いじめの一環や罰ゲームなど遊び半分でおこなわれていますが、失神が原因で、障害や後遺症を負ったり、死亡事故となったりするケースがあとを絶たず、アメリカでは毎年40名前後が死亡しています。
意識的な行動で血中の灰分平衡を崩し、血圧を下げ、血流を抑制することで、脳を酸素不足・養分不足に至らしめ、意識消失や痙攣を発生させます。
脳は酸素不足や養分不足に最も弱い臓器であり、しばしば視聴覚や記憶に重大な後遺症が残ります。
3分以上継続したときには、脳死となります。
最近では、失神ゲームをスマートフォンなどで撮影し、インターネットの動画サイトに投稿するなど、リベンジポルノと同様に社会問題となっています。



-事例191(事件研究40:京都連続強盗・強姦事件)-
「京都連続強盗・強姦事件」とは、大津市の田中豊誠(51歳、無職)が、平成22年7月-10月にかけて、京都市内や京田辺市内に住む一人暮らしの18-23歳の女性4人を暴行し、現金を奪ったなどとして強盗強姦と住居侵入などの罪に問われた事件です。
田中は、マンション管理会社の関係者を装って女性を信用させ、水道点検などを装って部屋に入り込み、必ず流し台の下の配管の番号を確認させたあとで*-74、「ニュースでよく殺されたり、ケガしたりするやつおるやろ。いつでも殺せるんやぞ!」と脅し、被害女性の手をネクタイなどで縛り、目隠ししたうえで、マスクとゴム手袋姿で執拗にもてあそび続けたのです。
犯行は、最長で17時間にも及んでいました。
京都市左京区の女性(23歳)が被害を受けた3件目の事件では、田中は、約4ヶ月前から1週間に1度の頻度でマンション管理会社の関係者を名のり、接触して被害女性を信用させ、部屋に侵入していました。
平成22年9月24日18時過ぎ、被害女性宅にあがり込んだ田中は、「強盗殺人はなんでおこるかわかるか。強盗殺人は逃げるからおこるんや!」と脅し、被害女性の両手首をネクタイで縛り、両目に粘着テープなどをはり、視界を遮ったうえで、現金約7千円を強奪したあと、約4時間、2度にわたって乱暴していますう。
田中がおこした4件の強盗強姦事件には、以下のような共通的な特徴がありました。
第1は、入念に下見するなどの周到な計画性、マンション管理会社の関係者を装っていることです。
第2は、犯行時間の長さです。
田中が被害女性宅にあがり込んで一連の犯行を終えるまで、3件目の事件では約15時間、ほか3件の事件でも、犯行時間は3-17時間に及んでいます。
第3は、徹底的に女性をもてあそんだうえ、証拠を残さないようにマスクとゴム手袋姿で犯行に及び、自分と被害女性の携帯電話のカメラで、それぞれ犯行の様子を撮影して脅しの材料に使っていることです。
自分の携帯電話のカメラではあえて不鮮明な写真にし、証拠を残さないようにしているものの、目隠しをされた被害女性には、シャッター音からすべて撮られたと思い込ませることができました。
第4は、「ここで絞め殺してもいいんやぞ!」、「警察にいわないための保険としてこれ(携帯電話の写真)を撮ったから。」、「パニックになったら、暴力したりしてしまうから。騒ぐんやったら、覚悟して騒いで!」、「強盗殺人はな、逃げるからおこるんや!」、「もし、変な素振りをみせたら、この携帯から家族とかに写真を一斉に送る!」と脅し、さらに、被害女性の携帯電話をとりあげ、友人らのメールアドレスをメモしたうえで、携帯電話で撮影した被害女性の裸の画像を「知人にばらまく」と念を押すなど執拗に脅迫していることです。
第5は、犯行後には女性にシャワーを浴びさせたうえで、被害女性自身に服を洗濯させ、事前に用意した粘着テープ型の掃除用具で部屋の掃除をさせるなど被害女性自身に証拠隠滅をあたらせていたことです。
第6は、奪える現金が少ないことがわかると、被害女性に近くのコンビニエンスストアで「預金を下ろすように。」と命じ、去り際に、「警察にいくのはよく考えてからにしいや!」と威圧的に捨てぜりふを残していることです。
2件目の事件(同年9月6日、京田辺市内)では、乱暴され、恐怖で抵抗できない状態に陥った被害女性に対し、田中は裸の写真を示し、「これをどこかのサイトにばらまくこともできる!」と脅し、「キャッシングで10万円、銀行で預金を下ろして10万円、コンビニで下ろして10万円をつくれ! キャッシングできなければ預金を全部下ろして渡せ。金と携帯電話を交換してやる!」と命じ、実際にひきださせた27万円あまりを路上で受けとり、3件目の事件では、コンビニエンスストアで下させた約30万円を路上で受けとっています。
田中は、4件で約100万円を奪っていました。
田中が逮捕されたのは、平成22年10月1日に起こした4件目の事件の直後、警察官が現場マンションの敷地内でおこなった職務質問がきっかけでした。
田中が持っていた粘着テープの固まりやコンドーム、さらに、ゴム手袋から検出された残留物のDNA型は、被害女性のDNA型と一致し、掃除機の紙パックのなかで見つかったたばこの吸い殻からは、田中のDNA型と一致する唾液が検出されました。被害女性が「右袖が裂けたスーツを着ていた。」との証言と、田中の身なりが完全に一致したことから、逮捕に至ったのです。
*-74 「水道点検などを装って部屋に入り込み、必ず流し台の下の配管の番号を確認させた」という手口は、「東京・神奈川連続女児・女子生徒強姦事件(昭和54年-昭和63年8月)」をおこした元自衛隊員の守屋安善久(41歳)が、「水道メーターを一緒に見て」と声をかけて犯行に及んだ手口と同じです。
田中は、高校を卒業後、コックとしてホテルやケーキ店に勤務し、平成20年ごろから自宅で菓子教室を開くなどして生計を立てていました。犯行当時は無職で、収入も途絶えていたということです。
京都地方裁判所で開かれた裁判員裁判で、強盗強姦と住居侵入などの罪に問われた田中は全件で「無罪」を主張し、罪状認否では「特に申しあげることはありません。」と黙秘し、弁護側は「検察の立証しようとする証拠に見間違いや手法に誤りがないか見極める必要がある。」と無罪を主張したことから、公判で17人が証人に立ち、審理期間は30日に及び、裁判員裁判としては過去最長となりました。被害者参加制度を使って裁判に参加した被害女性の1人は、意見陳述で「誰の助けも呼べない中、恐怖と屈辱だった。被害を生涯忘れることはない。」と訴え、別の被害女性は「友人や彼氏、家族に申し訳ない気持ちでいっぱい。」とやるせない心情を文面で吐露しています。
同年9月24日の論告求刑で、検察は「被告は欲望のまま被害者をもてあそび、現金を奪った。」などと、長時間にわたって暴行や脅迫を加え続けた点などを挙げ、「犯行態様は卑劣かつ執拗で悪質極まりない。」として無期懲役を求刑しました。同年10月10日、京都地方裁判所の大法廷で、市川太志裁判長は、「合理的な疑いを容れる余地なく被告人が犯人である」と断定し、「犯行は卑劣で悪質」、「被害者が受けた恐怖感、屈辱感の精神的苦痛は計り知れない」、「刑事責任は極めて重く、相当長期の懲役刑をもって臨むべき」と述べ、懲役25年の判決を下しました。
判決文を読みあげた市川裁判長は、「犯した罪に正面から向き合い、償いの気持ちを胸に刻んで服役してください。」と述べましたが、田中はうつむいたままで、最後まで自ら真実を語ることも、被害女性たちに謝罪のことばを述べることもありませんでした。


(5) つねる、キスマーク。性的サディズムを示す刻印という“儀式”
人が嫌がるのを面白がって“つねる”のなら、その背景には、高いサディスティックさが潜んでいると考える必要があります。
「つねる」というおこないを、暴力として認識できていないことが少なくありませんが、この「つねる」というふるまいは、児童虐待・DVの本質が表れています。
重要なことは、子どものときに親からつねられたことのない人は、人をつねったりしないということです。
つまり、「つねる」というふるまいは、親からつねられて育った人にしかみられない特有のおこないということです。
幼児や児童が、周りの子どもにつねるふるまいが見られるときには、その家庭では、日常的につねるという虐待がおこなわれているということになります。
「つねる」という行為は、①気持ちを伝えることばを持たない精神年齢の幼い人たちが、かまって欲しいと“気を惹く”ためにおこなうものと、②憎たらしい思いに満ちた“罰・こらしめ”としてのおこなうものがあります。
つまり、乳幼児が気を惹くためのおこないとして「つねる」のは、親から学んだもので、悪いことをした“罰・こらしめ”としてつねられた体験を自身の価値観とすり込み、行動パターンとしていくわけです。
③「つねる」行為に怒りや罰・こらしめという意図ではなく、親が嫌がる姿や格好を見て、嫌がる声を聞いて喜ぶ(快感にふける)ことを目的としていた体験をしていると、同じように楽しむために「からかい」と「ひやかし」を伴った「つねる」行為をおこなうようになります。
DV被害者の方が、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を「ワークシート」に書き込むプロセスで、つねる、首を絞めるといった身体的な暴行について、よく「夫は笑みを浮かべながら、…」、「ふざけながら、…」と表現します。
そこには、「楽しんでいる」「面白がっている」と解釈できているけれども、「いたぶっている」と“サディスティック性(残虐性)さ”を示すものとは認識できていないことが、DV被害そのものを認識でき難くさせてしまっているのです。
同様に、幼児・児童に「つねる」行為が認められるときに、「なにふざけているんだ」と検討外れな指摘をして誤った指導をしてしまったり、「そんなことしていけない」と注意したり、叱責しておこないを改めるように指導したりするだけではなく、その行為がなにによってもたらされているのか(原因)、なにを意図しているものなのかまで思いを馳せておく必要があります。
特に、「止めて!」と訴えられても、止めようとしない児童が、うっすらと笑みを浮かべていたり、逆に、まったく無表情であったりしたときには注意が必要です。
なぜなら、そのふるまいは、嫌がる姿を見て、嫌がる声をからかったり、ひやかしたり、嘲(あざけ)ったりして“悦んでいる”ことに他ならず、サディスティック性(残虐性)そのものの行為であると認識する必要があるからです。
さらに、思春期や青年期になると、④交際相手に対し、つねって「痣をつける」という行為を伴うことがあります。
この行為には、お前は「俺(私)のモノ」といった刻印の儀式、マーキングの意味があります。
「束縛=愛情の証」と間違った認識を持ちやすい中学生や高校生の“恋愛幻想*-75”下、つまり、デートDV下では、「痕を残す」ことは、暴行の証拠を残すことになるわけですが、それよりも「俺(私)のモノ」としてマーキングすることが優先されるといった重要な意味を持つことになります。
刻印を刻むマーキングとしての行為は、他に、a)キスマークを意図的につけるおこない、b)線香やたばこの火を押しつけるおこない、c)刺青(タトゥ)を彫らせるおこない、d)陰毛を剃ることを強いるおこないがあります*-76。
中でも、b)c)d)の行為は、「根性焼き」などと表現されるように、根性をみせるといった目的を隠れ蓑とした、自分への「絶対忠誠を誓わせる」目的として、行為を強いるものです。
「俺のモノ」を示す刻印を刻むマーキングという行為の根底には、交際相手や配偶者、子どもを「思うようにいてもいい(暴力で怯えさせ、いうことをきかせる)」といった支配のための暴力(DV)を正当化している考えがあります。
一方で、こうした“俺のもの”であることを示すためのマーキングというおこないは、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっていることを起因とする“病的な嫉妬心”の表れでもあることから、厳しい詮索干渉を伴うことになります。
キスマークをつけたり、タトゥを彫らせたり、陰毛を剃らせたりするといった刻印の儀式には、他の男を近づけないようにする、つまり、不安を払拭し、“安心”を手に入れようとする意図があるのです。
こうした独占欲、支配欲、征服欲を根底とするおこないを決して軽視してはならないのです。
*-75 「恋愛幻想」については、「Ⅰ-5-(7)被害者に見られる傾向」でとりあげています「事例68(分析研究6)」の中で詳しく説明しています。
*-76 これら④a)b)の行為は、暴行・傷害罪に該当し、④c)d)の行為は、強要罪に該当するもので、身体的な暴行ということになります。つねられた痕、キスマークそのものは皮下出血をおこしているので、傷害罪に該当するものです。



(6) 小児性愛(ペドファリア)
小児性愛とは、幼い小児と性的関係をもちたいという嗜好です。
欧米社会では小児性愛は、「16歳以上の人が、13歳未満の思春期前の小児を、空想上の性的対象または実際の性的行為の対象とする」ことと定義されています。
小児性愛者は小児だけに性的関心を持ち、多くの場合、特定の年齢層や発達段階の小児だけに関心を示します。また、小児にも成人にも関心をもつ人もいます。
小児性愛では、男児、女児、あるいはその双方が関心の対象となりえますが、たいていの場合、異性の小児が好まれます。
一般に、成人の小児性愛者は、対象となる小児の知人であり、また、家族、義理の親、あるいは小児に対して権力をもつ人間(教師など)の場合もあります。性器への接触や性交よりも、眺めたり、ただ体に触れたりするのが一般的です。
小児性愛は女性よりも男性にはるかに多くみられます。
男児と女児のいずれも犠牲者になる怖れがありますが、女児が暴行されるケースが多く報告されています。
同性愛の男性の場合は、当該の小児とあまり面識をもっていないことが多く、徹底した小児愛者は、小児にしか魅力を感じません。
小児愛だけではないというタイプは成人にも惹かれます。ほとんどの場合、小児愛の成人は小児の知人であり、家族、義理の親、または小児に対して権力をもつ人間の場合も少なくありません。
小児性愛者は、性的行為の対象を自分自身の子どもや身近な近親者に限定している場合もあれば(近親姦)、近隣に住む小児がその犠牲になる場合もあります。
高圧的な小児愛者は、その多くが反社会性人格障害(サイコパス)を抱えています。
小児に対して力を行使し、もし小児が性的虐待を「他人に告げれば、本人やペットに物理的危害を加える」と脅し、口封じをすることが少なくありません。
小児愛の経過は慢性的であることから、物質乱用や物質依存、うつ病、夫婦の不和を生じることがあり、小児に対する性的虐待の多くは、物質乱用および広範な家族機能の不全の中で生じます。
そして、小児性犯罪者は犯行が明るみにでるまで犯罪を繰り返す傾向が強く、一人あたりの犯罪数が多くなります。
平成17年(2005年)の警察庁の調査によると、平成16年度(2004年度)に13歳未満の子どもを対象にした強姦など、暴力的な性犯罪者の逮捕者の4人に1人が性犯罪の前歴があることが判っています。
強姦、強制わいせつ、わいせつ目的略取・誘拐、強盗強姦の4罪種の逮捕者のうち、前歴があったのは4割を超える193人でした。そのうち、子どもを狙った同様の事件を起こしていたのは74人で、再犯率は15.9%にのぼっています。
また、女性から男児への性的虐待も存在し、虐待者は実母、代母、母親の友人などです。少年への性的虐待で女性が加害者である率はおよそ20%で、被害者の男女比は同程度であるという調査結果があります。
また、女性の虐待加害者の66%以上は、自らも性的虐待被害者です。
小児性愛者は、虐待を受けていた自身が児童であったときのイメージを、そのまま対象の児童に投影していたり、被虐待体験による脳が萎縮(欠損)していたりすることによる脳の機能障害が主な原因とされています。つまり、暴力のある家庭環境など、機能不全に陥った家族の出身であることが多いということが知られています。

(日本のロリコン事情と児童ポルノ)
日本ではロリータコンプレックスがマジョリティー(多数派)になっているといわれていますが、日本の男性に最も売れている「アダルトグッズ」が“幼女の女性器”を模した「スジマン」、「初々しい妹」というオナニーホールで、月にそれぞれ数万個の販売をあげ、都内のダッチワイフ専門店では一体数10万円もするシリコン製で身長140cmの幼児体型のダッチワイフが年間数百体も売れていることを考えると、日本男性の精神的な未発達さは猶予できない状況にあると思います*-77。
なぜなら、第二次性徴前の幼女を性的対象にできるということ、つまり、小児性愛の傾向が見られる男性が非常に多く、しかも、年々増加傾向にあることを意味しているからです。
問題はそれだけでなく、私たちの社会が、「児童ポルノ*-78にしか見えない商品が普通に陳列され、大量に売られている」ということをさほど問題視していない事実です。
国連で問題視されているように、日本の児童ポルノに対しての感覚は、グローバルスタンダードとはかけ離れているのが実情です。
例えば、ジュニアアイドルの握手会などが頻繁におこなわれている東京の秋葉原では、毎週のように、小学校低学年の女児の撮影会やサイン会や、女子中学生の水着姿の撮影会がおこなわれています*-79。
ここでは、同じ嗜癖の仲間とともに女児を撮影させることで、参加者の罪悪感を薄れさせる効果をも狙っているとの指摘もされています。
しかも、一般の人たちの多くは、大人の性的欲望を満たすために、女児が性的搾取被害にあっていると問題視することはなく、懸命に大人の要求に応えている女児に対して、「頑張っている」とか、「かわいい」という印象を抱きながら素通りしています。
明らかに“ポルノ”として消費(性的搾取)されているのに、客だけでなく、多くの大人が“アイドル作品”であるかのようにふるまっているのです。
ジュニアアイドルのイベントに参加した男性たちが、「ペニスを触った手で握手」などと、楽しげにネットに流しています。
ジュニアアイドルのDVDには、「小学1年生です。好きな食べ物はたこ焼きです!」などと自己紹介する女児たちがソフトクリームを舐めていたり、縦笛を吹いていたり、ビキニ姿でシャワーを浴びたり、石けんまみれになったり、お尻をつきだして遊んだりする行為が録画されています。男性自身の欲望を巧妙に隠すために、まるでホームビデオのようなるつくりになっていますが、性的な妄想を刺激するには十分な映像です。
そして、女児の母親が撮影に熱心であることは珍しいことではないのです。
当然、家庭の中では、予行練習が繰り返されることになります。
つまり、親自身が子どもを商品として、性的搾取してしまっているのです。
DV被害者支援に携わり、被害者の成育状況が明らかになってくると、性的虐待を受けていた事実がでてきたり、ビキニの水着を着せらせ、ポーズをとらされて撮影会がおこなわれていた事実がでてきたりすることがあります。
写真撮影は、父親の性的嗜好を満足させるためのものですが、このとき、夫の意に添い、ご機嫌をとることが暴力を回避するための思考習慣となっている母親が、子どもに「こうしたらもっとかわいいよ」とポーズ指導をするなど、積極的にかかわっていることが少なくないのです。
これらの行為は、性暴力(性的虐待)、性的搾取(性の商業的利用)に他ならないのです。
*-77中高大学生向けの「デートDV講座」では、必ず「束縛と愛は違う」ということを教えます。
束縛を、「好きなら自分ともっといっしょにいるべきである(いなければならない)と、相手の行動を制限すること」と説明し、「愛情は相手の気持ちや考えを敬い、尊重することがベースになっているけれども、束縛は尊重がなく、敬ったりしない行為であることから、愛情とはまったく違うもの」と教えます。「私と仕事(学校や部活、塾、習いごと)のどっちが大切なの?」、「俺と家族のどっちが大事なんだよ」といった二者択一で選ばせる愛情の“試し”は、人の心を信じられないとアタッチメントを損なっている表れです。
この愛情の“試し”は、「俺を愛しているなら、そうしてくれ(そうするもんだろ)」といった自己中心的(自分本位、自分勝手)な世界観にもとづく考え方が根底にあり、主語は自分、一人称なのです。
そして、この愛情の“試し”は嫉妬心と統合して、相手の行動を詮索したり、干渉したり、制限したりすることになります。
ここには、相手の気持ちや考えを尊重する思いはありません。
したがって、束縛は一人称で考え、愛情は二人称・三人称で考えられることなのです。
そして、愛情の“試し”、すなわち、束縛・支配のためにパワー(暴力的なふるまい)を使って、コントロールしようとするふるまい、言動がDVということになるわけです。
 「主人」に対応することばは、「僕(しもべ)・下僕」「従じる者」ということになります。
夫のことを主人と呼ぶ夫婦関係は、ことばの意味そのまま適用すると、「主たる者(支配する者)」と「従じる者(支配される者)」という関係を示すことになります。
つまり、夫婦の関係に主従、上下と立場を受け入れている、認めてしまっている言動ということになるのです。
夫のことを主人がといい、「私は夫の下僕です。」、「私は夫の僕(しもべ)です。」、「私は夫に絶対服従している者です。」といい表したり、自己紹介したりしないわけです。
また、似通ったものに「旦那」という呼称があります。
「旦那」とはサンスクリット語の仏教語ダーナに由来し、“与える”“贈る”といった「ほどこし」「布施」を意味し、もともと僧侶に用いられてきたことばです。その後、一般にも広がり、「パトロン」のように“生活の面倒をみる人”“お金をだしてくれる人”という意味として用いられるようになりました。お妾や生活の面倒を見てくれる人のことを旦那様と呼び、奉公人が生活の面倒を見てくれる人、住み込みで仕事を与えてくれる人のことを旦那様、ご主人様と呼ぶようになっていったのです。
その妾や奉公人が使っていた呼称を、夫婦間の呼称として使っていることは、嫁という概念や妻という立場が、家庭の中、夫婦の間でそれ同等の解釈(扱い)のもとで成り立っていることを意味します。
*-78 「児童ポルノ」とは、「18歳未満による性(的)行為を表現したもの、ヌード、またはヌードに近い児童の姿が「性欲を興奮させ又は刺激するもの」と定義されています(児童ポルノ禁止法)が、「ビキニを着た幼児に、一般成人男性は性欲を喚起されない」という“前提”のもとで、上記のようなロリコングッツや撮影会は児童ポルノにあたらないとされていました。
「児童ポルノ禁止法」は、平成8年(1996年)にストックホルムで開催された「第1回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」において、日本人によるアジアでの児童買春やヨーロッパ諸国で流通している児童ポルノの8割が日本製と指摘され、厳しい批判にあったこと、日本においては援助交際が社会問題化していたことから、平成11年11月1日に施行されました(平成16年、付則6条にもとづき改正案が成立しています)。
平成18年、「単純所持規制」と「創作物規制」の検討を盛り込んだ与党改正案が提出され、平成21年、「児童ポルノの定義の変更」および「取得罪」を盛り込んだ民主党案が提出されましたが、いずれも衆議院解散に伴い廃案となっています。それから5年後の平成26年6月、「単純所持禁止」を盛り込んだ改正案が衆議院で可決成立し、平成27年7月15日から適用されています。
 「児童ポルノ禁止法」は、性表現の規制というよりも、児童の保護や権利擁護を主目的としているものであることから、雑誌やビデオなどで、「18歳以上の者が18歳未満のように見える演技をしているもの」に関しては、この法律による摘発対象とはなりません。
平成14年6月の「児童ポルノ禁止法改正」では、児童ポルノの定義のひとつである「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」について、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」と定義を厳密化しています。
そして、繰り返し国連から改善を求められてきた性的搾取(性の商業的利用)については、国境を越えた組織的犯罪に対する「パレルモ条約」が、2000年(平成12年)11月15日、国際連合総会において提起されました。
パレルモ条約は、「人身取引」「密入国」「銃器」の三議定書からなり、女性と児童の人身取引を防止・抑制し、罰する規定は「人身取引に関する議定書」に明記されています。2015年(平成27年)4月現在、著名国147、締結国185の中、日本は、平成15年5月14日の国会において、「人身取引」「密入国」の2つの議定書について承認した(「銃器」は非承認)ものの、批准していません。
*-79 「Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス」の冒頭で、社会の女性や子どもへの暴力に対する無理解について、問題提起していますが、「児童ポルノの対象となるような女児の握手会や撮影会は、名の知れた大手企業がスポンサーになって開催されている」ことそのものが、一企業に留まらず、日本社会の無理解度の深刻さを示すものです。


(女の子は母親と父親に興味を示し、男女関係、夫婦関係を学ぶ)
ここでは、「日本男性の精神的な未発達さは猶予できない状況にある」としていますが、日本女性においても、「萌え文化」の象徴ともいえる「メイド喫茶」におけるやりとりには、デートDV被害にあいやすい要素が含まれています。
それは、メイド役として「お帰りなさいませ、ご主人様。」と迎え入れる行為です。
メイド役を仕事として割り切っている者だけでなく、精神的に入り込んでいる女性も少なからずいるということです。
先に記しているとおり、性的虐待など虐待を受けてきた被害女性が、パラフィリアの欲求を満たす場所となっているケースがあります。中には、秘められていたフェティシズムを抱える者としてコミュニティから疎外される傾向のあった少女たちが、市民権を得て社会とつながり、存在できる場所を見つけることができるという意味では、「オタク文化」とともに共存しているように見えます。
しかし、「主人と従属」という“関係性”の演出に心地よさを感じることは、本来対等であるはずの男女の関係性に、上下の関係、支配と従属の関係を“力(パワー、暴力)”を駆使して成り立たせることが、ドメスティック・バイオレンス(DV)の本質であることを踏まえると、簡単に容認することができないのです。
中には、「束縛されることを愛されている」と勘違い(認知の歪み)していて、「彼に束縛されたい。」と公言し、支配的なことばに「萌える」と妄想する少女たちも少なくないことから、やはり猶予できない状況にあると思います。
女の子は母親と父親に興味を示し、3-4歳になると、両親の夫婦関係を真似るようになります。両親がお互いに慈しみ、敬い、労り、思いやり、気遣い穏やかに過ごしているか、逆に、敵意をむきだしにいがみ合い、主導権争いのパワーゲームばかりをしているか、一方の支配関係が顕著で、罵り、侮蔑し、卑下することばで貶めたりしているかなどを見極め、その関係を社会のなり合い、ルールとしてすり込み、学び、身につけていきます。
と同時に、父親が自分にどのように接するのかを注視します。
なぜなら、父親に愛されていることが、実は、娘(女の子)にとって最大のステイタスだからです。
そのため、幼いころの女の子は、父親と母親に精神的に求めるものが違います。
父親とは、命を代えても自分を守ってくれる頼もしい男性であって欲しいのです。
下心なしで守ってくれる人、無償の愛を信じさせてくれることが大切となります。
娘(女の子)は父親に「守られるに値する自分」を感じ、自己受容できるようになるのです。
逆に、父親に愛されないと否定の方が強くなってしまいます。
人が自分をどう思っているかを確かめるもっとも確実な方法、それは、相手がもっとも嫌がることをしてみることです。
そのときの相手の反応を見れば、相手がどう思っているのか簡単に見抜けます。
女の子は、無意識に理不尽なわがままをいってみます。
3歳のころから女の子は、こういった“試し”を無数におこないます。
だからこそ、恋人や夫に対しても、愛されることに命をかけているからこそ、女性は満足するまで試しをやり続けるのです。
男の子よりも人の心を鋭く見抜ける能力があるからこそ、巧妙な試しを繰り返ります。特に、父親への“思い残し”を抱える女性は、父親と同じ男性を心の底から信じることができないために、執拗なまでの“試し”を繰り返すことになります。
一時的に安心することばをもらえても、心の奥では猜疑心は燻り続け、日々膨らんでいき、再び“試さず”にはいられなくなるのです。
無邪気な顔の裏には、天才的な観察力と直観力があります。
お母さんを大事にしながら、自分をもっと大事にしてくれることを女の子は願っているのです。
しかし、父親の歪んだ自己愛、自分の都合で愛する<溺愛(干渉し、詮索し、束縛すること)>は、娘(女の子)に対する愛情とはいいません。
女性にとっては「なにをしたか」が重要なのではなく、「どんな心でそれをしたか」が重要なのです。
心が込められていれば、女性の心は満たされます。
同じ行為であっても、心が込められていなければ、決して心が満たされることはありません。
女性が欲しいのは、口先だけ、上辺だけとり繕う嘘や偽りの愛情ではなく、真の愛情です。


-事例192(事件研究41:奈良小1女児誘拐殺人遺棄事件)-
「奈良小1女児誘拐殺人遺棄事件」とは、平成16年11月17日、奈良県奈良市で帰宅途中の小学校1年生の有山楓(7歳。以下、女児K)ちゃんが誘拐され、のちに、同県三郷町に住む毎日新聞販売店店員の小林薫(36歳)に殺害・遺棄された誘拐殺人事件です。
平成16年11月17日18時45分、奈良市学園大和町の会社員(30歳)の妻(28歳)が「長女で同立富雄北小学校1年生の女児Kが、学校から帰宅していない。」と警察に通報しました。その後、母親の携帯電話に「娘はもらった」というメールが、女児Kの画像が添付されてきました。
奈良県警は、すぐに誘拐事件として捜査を開始しました。携帯電話の発信場所は、奈良県平群、三郷、王寺町付近でした。
同月18日0時過ぎ、女児Kの遺体が、平群町菊美台の宅地造成地の道路側溝で見つかりました。遺体には別人の毛髪や体毛が付着し、女児と異なるB型の血液が検出さました。
同月17日14時ころ、女児Kが連れ去られるところを目撃した同じ小学校の児童2人は、「女児Kが自分から車に乗りこんだ。」と証言したことから、当初は顔見知りの犯行とみられました。児童2人は、女児Kが乗り込んだ車の色について、「黒か紺」、「白」と証言し、車種は日産「マーチ」とされました。しかし、別の通行人の男性が現場を行ったりきたりしていた不審な車両を目撃しており、その車は、ハッチバック式で緑色の「カローラ2」でした。この車両は、現場近くに設置された防犯カメラに複数回映っていいました。
さらに、同年12月14日1時過ぎ、女児Kの携帯電話から、父親の携帯電話に「今度は妹をもらう。」というメールが送られてきました。
この2度目の発信地域は河合、上牧町付近でした。ひとりの男が容疑者として浮上し、同年12月30日、三郷町の毎日新聞西大和ニュータウン販売所従業員の小林薫が逮捕されました。
小林には、平成元年(小林20歳)に大阪府箕面市で、幼女強制わいせつ容疑で送検、平成3年(小林22歳)に大阪市住吉区で、幼女の首を絞めたとして殺人未遂容疑で逮捕されるなど、2度の女児へのわいせつ行為の前科がありました*-80。
女児Kの母親に画像つきメールを送りつけた動機について、小林は「娘を連れ去ったことを、親に見せつけたかった。」、「女児の行方を捜しているはずの母親に犯行の成果を誇示し、満足感を得ていた。」と供述し、さらに、女児Kの父親に画像つきメールを送った理由については、「世間の注目度が低くなってきた状況の中で、再び家族を追い込む狙いだった。」と供述しています。
県警は、殺害現場である小林のマンション自室から、女児Kの携帯電話やランドセル、ジャンパーを見つけ、また、画像の背景に写っていたクッションを押収したところ血痕が付着してことから、女児を殺害後、写真撮影した現場と断定し、血痕については、小林が女児の顔を風呂の水に押さえつけ水死させたあと、遺体を傷つけたときに付着したとみています。
小林の自室からは、多数の幼女の服や下着、スクール水着など約80枚、幼児ポルノのビデオが約100本や雑誌、幼児体型のダッチワイフが見つかっています。
さらに、小林が普段使っていた知人名義の携帯電話の通信記録を捜査したところ、幼児ポルノ系アダルトサイトに頻繁にアクセスしていたことが明らかになり、小児性愛者と見られています。
小林は、昭和43年11月、大阪市住吉区で、父親がプロパンガスや灯油の販売業を営む家庭の長男として生まれました。
昭和45年に次男、昭和53年7月、小林が小学校4年生(10歳)のときに三男が生まれています。
小林は、父親からは暴力をふるわれていましたが、守ってくれていたのが母親でした。
「父は、母親が生きているときは教育しなかった。母親が死んでからは父によく怒られた。体罰もほとんど無口で、物を投げつけてきた。ゴルフクラブや金属バットで殴られた。血がでると止めた。」と述べています。また、弟が「父親には手だけでなく物でもどつかれた。」と証言しているように、兄弟は、父親から身体的な暴行(体罰)を受けています。
しかし小林は、「兄弟二人で同じ悪さをしても、長男やから自分だけどつかれた。」、「記憶の中で一学年下の弟が父親に殴られた場面はない。」と述べるなど、小林が弟に対して不公平感、劣等感を抱いていることが、事実を間違って認識させてしまっていることを物語っています。
小林は、中学校3年生の冬、弱視ではなかった右目の視力も低下して目がかすむようになり、父親に訴えていますが、父親は「勉強したくないだけやろ」ととり合おうとしませんでしたが、近所の病院で網膜剥離と診断され*-81、すぐに兵庫県西宮市の病院で手術することになり、1ヶ月あまり入院することになります。このことが「私の父との関係を決定的なものとした。」、「なにをいっても信じてもらえないことがはっきりした。」と供述しています。
父親からの暴力から守ろうとしてくれた母親は、三男を出産するときに出血多量でなくなっています(このとき生まれた弟(三男)には、障害が残りました)。小林が小学校4年生(10歳)のときです。
母親の死後、父方の祖母が同居するようになり、父親と祖母は障害のある弟(三男)につきっきりになります。
小林は、小学校の卒業文集には母親の死に触れて、「僕は5時間以上泣いた。」と書いています。小林は、被告人質問で好きな女性のタイプを訊かれ、「大人は胸が薄いほうがいい。母がそうだったのでその影響があるのかもしれない。」と応えているように、10歳の時に亡くなった母親、その後に同居した父方の祖母に対して、大きな執着を示しています。
一方で、「母が死んでから、父親に関してすべて嫌になった。」と述べています。
父親に対して、小林は「うっとうしい存在としか思っていない。口うるさい、えらそう、わが息子に対して信用がない」と公判でぼそぼそと話すものの、父親の嫌悪感を「自分は疎ましく思われていた。」、「感謝の気持ちより、恨みの気持ちの方が強いですから」などと口にするときには、声が大きくなりました。母親が亡くなったあと、小林が父親から体罰を受けているときに祖母が止めに入ると、父親が「自分の子どもだから、自分のしつけの方針に逆らうな!」と自分の母親(小林の祖母)を怒鳴りつけたといいます。息子に怒鳴りつけられた祖母は、以降、小林をかばうことはありませんでした。小林は、就職して家をでてからも「ばあちゃんの顔見たいなあ」と、時折ふらっと家に寄っていたといいます。小林は「家族は受け入れてくれず、他人という感じだったが、ばあちゃんは受け入れてくれた。」、「今でもおばあちゃんが好き。」と語っています。
小林は、母親が亡くなる前後の小学校4年生から万引きをするようになり、小学校5年生のころから煙草を吸ったりするようになります。
一方で、生まれつき左目が弱視であったことから、「人の顔を見て話せ」といわれ、「ロンパリ」とからかわれたり、暴力を伴ういじめを受けたりするようになります。
そのいじめは、幼稚園時代からはじまり、中学校では不良グループにターゲットにされていたといいます。
小林は、被告人質問で弁護士に「一番つらかったいじめは」と訊かれ、「学年全体から無視されるのが一番嫌だ。この世に存在していない、無のような感じだった。」、「それでも学校は、家にいるよりは楽しかった。」と応えています。
事件後、いじめにあっていたと訴えた小林は、小学校の卒業文集には、「いつか、お母さんのいる天国へ。お母さんとこんどあうときは人をいじめないようになってあおうと思う。」と、真逆のことを書いています。
小林は、不良グループ使いっぱしりをさせられていましたが、一方で、「弱い女の子の泣く姿に興奮した。」と述べていますので、「女の子を泣かしていた」ことを、「人をいじめないようになって」といい表していると思われます。
小林は、中学生のときに新聞配達のアルバイトをはじめ、「月約7万円の収入のうち5万円を父にわたし、2万円で雑誌やお菓子を買っていたが、2万円では足りなかったのでコンビニで万引をした。」と供述しています。
初めての性体験は中学校2年生で、「中2のころ、先輩に連れられて飛田新地に行き買春した。」、「中学卒業まで4回ほど飛田新地に行った。」と語っています。また、「好奇心から女性の裸を見ようと思った。」とマンションの風呂場を覗いたりし、「父親にバレ、どつかれた。」と述べています。
小林は、大阪府豊中市の私立履正社高校に進学し、高校2年生の7月、学校の先輩から「くりぃむれもん(モザイクのかかっていない裏ビデオ)」というロリコンアニメのビデオを譲り受けました。「小学生ぐらいの妹と高校生ぐらいの兄が両親の留守中にセックスする」という内容のもので、小林は、「大人にはまねできない純粋な感じ。こんな子でも感じるんだ、小さい子どもも大人と同じように、こういう風にできるんだ、と思って、子どもがいいと思うようになった。」、以降、「電車に乗っている女の子を見て、興奮するようになった。」と供述しています。
直後の写真部の夏合宿で鳥取砂丘に2泊3日ででかけた小林は、遂に、女児へのわいせつ行為に及ぶことになります。
小林は、公判で「夕方の自由時間に宿泊していた旅館近くを歩いていたら、スカートをはいた小学校3年生ぐらいの女児が学校から帰宅するところを見かけ、興奮した。マンションの階段をあがっているのを追いかけ、踊り場でうしろから女児に抱きついてスカートをめくり、下着の上から体を触った。」、「感覚は大人と違い、ものすごく興奮した。」、「興奮が抑えられず、別のマンションでも同じような年ごろの女児に抱きついたが、騒がれたので逃げた。」と証言しています。また、「高校時代は友人2-3人で女子高生をナンパして、うまくいけばホテルでセックスした。」、「高校3年間で20人ぐらい。」と語っています。
さらに、高校2年生のとき、小林は、同級生と一緒に中学生を恐喝し、逮捕され、保護観察処分を受けています。小林は見張り役でした。
一方で小林は、年少女児を対象にセックス等をする場面が描写されたコミック本やビデオを買い求めたり、インターネットのサイトから年少女児の裸の写真等をダウンロードして自己の携帯電話に保存したりして、年少女児とセックスなどをしている場面を想像しながら自慰行為にふけっていたといいます。
昭和62年3月、高校を卒業した小林は、大阪市の飲食店に就職しましたが、長続きせず退職し、小学生時代にもやっていた新聞配達の仕事をはじめます。しかし、小林は、新聞契約を捏造するなど、勤務態度の悪さから解雇されたり、現金を持ち逃げしたりして、奈良や滋賀の販売店を転々としています。小林が販売店を辞めたあと、退去した部屋の中から幼女の裸の本が残されていたこともありました。
平成元年4月、小林が20歳のとき、大阪府箕面市で新聞配達の途中、5歳の女の子2人に「服の汚れをとってあげる」と声をかけて服を脱がせ、胸や陰部を触り、自分の性器を女児の口に入れるなどのわいせつ行為で逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受けています。有罪判決を受けた小林は、運送会社でトラック運転手として働くようになります。
そこで、先輩に短大生の女性を紹介され、特定の女性と初めてつき合うようになります。
女性は「知り合って三日目にプロポーズされた。」と証言しています。
父親から日常的に身体的な暴行(体罰)を受けて心を歪めていった小林は、「家庭を持って落ち着きたかった。家に帰って電気のついた明るい部屋に戻りたかった。」と語っているように、母親を亡くした寂しさを抱え、温かい家庭に憧れていました。
しかし、その2年後の平成3年7月、トラック運転手をしていた小林は、大阪市住吉区の団地で、1人で遊んでいた5歳の女の子にわいせつ行為をしようと背後から抱きついたところ泣きだされたため、気絶させようと押し倒して手で幼女の首を絞めたところ、住人に目撃されて、殺人未遂容疑で逮捕されました。このとき、幼女は1週間のケガを負っています。
小林は執行猶予中に起こした事件であったことから、同年10月、強制わいせつ致傷で懲役3年の実刑判決を受け、あわせて5年間服役することになりました。
小林の自宅からは、ポルノコミックなどがたくさん見つかっていました。
刑務所生活では、小林は反省することはなく、仮釈放を得るためだけに、真面目に見えるように過ごしていたといいます。そのため、所内でも指導や教育は行なわれることはありませんでした。
平成7年11月9日、仮釈放され、小林は実家に戻りましたが、父親に「でて行け!」と石を投げつけられ、「恥さらし」と罵られ、塩をまかれています。
小林は、1ヶ月後に家をでて、中華料理店に住む込みで働き、平成8年7月23日、仮釈放期間が満了しました。
その後は、新聞販売店を転々としています。
平成16年初めから大阪市東住吉区の毎日新聞湯里販売所に勤務していましたが、同年4月、集金した新聞代約23万円を持ち逃げしました。この販売店に勤務していた間、小林は人目につきにくい朝刊を配達する未明の時間帯に、民家の物干しなどから女の子の体操着や下着類を物色し、盗んでいたといいます。
同年7月、小林は、女児Kが連れ去られた現場に近い奈良市西部地区を担当する河合町の毎日新聞西大和ニュータウン販売所で働きはじめ、新聞配達と集金を担当しています。同年9月、集金を持ち逃げされた湯里販売所長が、小林の居場所を知り、本人から毎月3万円の返済を受けることになりましたが、完済されていません。
同年9月26日、北葛城郡内で小学1年生の女児(6歳)に声をかけ、体を触るなどわいせつな行為をしたとして、強制わいせつ罪で起訴されました。
事件当日の同年11月17日、小林は仕事が休みで、知人から滋賀ナンバーのカローラ2を借りました。小林は、大阪府八尾市周辺へ赴き、連れ去る女の子を探しましたが見つからず、奈良市へ移動し、13時50分ころ、同市学園中5丁目の路上を1人で歩いていた下校途中の女児Kを見かけ、「家まで送ってあげる」と声をかけて車に乗せました。
女児Kを狙った理由について、小林は「1人で歩いている女の子なら、だれでもよかった。」と供述しています。
15時20分ころ、約11km離れた自宅に、女児Kを連れこみました。しばらく宿題などを手伝ったのち、風呂場でいたずらしようとしたものの、手をかまれカッとなり、浴槽にはった水に3分間顔をつけて動かなくなったのを見て、さらに全身を2分間沈めて水死させました。携帯電話で撮影したことについて、小林は「殺したことを親に知らせたかった。」と供述しています。
携帯電話のメールは、送信元と受信先双方の情報が携帯電話会社の通信記録に残るため、県警は女児の携帯電話の通信記録を分析し、画像が添付されたメールの受信先になっていた携帯電話は、小林の知人名義だったことが判明しました。事件後の同年11月下旬以降、小林は、販売店近くのスナックに頻繁に通うようになります。小林1人で来店し、カラオケを歌っていたということです。
同年12月下旬、小林は、店の女性従業員に「これ写真なんや。本人やで」と女児Kの遺体とみられる写真を見せていました。そして、小林は、入手先について「インターネット上で、どこからともなく送られてきたんや。」と話していたといいます。別の居酒屋で、小林は「B型でメガネ。同僚には疑われてるので、すごく腹が立つ。」、「事件の話を聞くと吐き気がする。」、「ほんまかわいそうや。早く捕まればいい。」と顔をくもらせながら話していたといいます。
また小林は、周囲に「別れた妻との間に娘がいる。娘は女児Kちゃんと同い年」、「内縁の女性との間には、高校生になる娘がいる。」と話していました。
小林は殺人、強制わいせつ致死、脅迫など8件の罪で起訴されました。これには、県内での別の女児への強制わいせつ(同年9月)、滋賀県内での子ども用を含む女性用衣類の窃盗罪も含まれています。
平成17年4月18日、奈良地方裁判所で初公判が開かれ、検察は、女児の両親の供述調書を提出し、母親は「どうやってあの子の側にいこうかと思った。」と自殺を考えたこともあったことを打ち明けています。さらに検察は、小林が「反省の気持ちも更生する自信もない。私は死刑に値する。早くこの世とおさらばして、第二の宮﨑勤(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の死刑囚)か、宅間守(付属池田小児童殺傷事件の死刑囚)として世間に名を残したい。」と語った供述調書を読みあげました。平成18年2月14日、小林の情状鑑定書が奈良地方裁判所に提出されました、
精神鑑定は、平成17年10月-12月、東京医科歯科大の山上皓教授(犯罪精神医学)らが面接などを通じて行ない、犯罪などを繰り返す「反社会性人格障害」「ペドフィリア(小児性愛)」と診断しています。
平成18年3月27日、第6回公判が開かれ、小林は「(情状鑑定で)どう応えれば、悪い印象を与えられるかを考えた。元から死刑を望んでいるので、減刑は望んでいない。」と述べました。同年5月25日、第8回公判が開かれ、女児Kの両親による意見陳述で「極刑になっても許せない。できることなら娘を返してほしい。」などと述べました。
同年6月5日、論告求刑公判が開かれ、検察は「自己の性欲、支配欲、自己顕示欲を満たすための計画的な犯行で卑劣かつ極悪、残虐極まりない。被害児童の両親の処罰感情も峻烈。被告人は真しな反省や謝罪の態度を示していないうえ、更生意欲が欠如しており、矯正はもはや不可能。」と指摘し、小林に死刑を求刑しました。同年6月26日、弁護側の最終弁論で、「(小林は)幼少のころから父親から暴力を受け、また幼稚園から中学時代までいじめの標的にされてきた。小学生時代には母も亡くしている。こうした経験から社会を憎悪する性質を持つようになった。また殺害についても計画的ではなく、女児が風呂場で『おっちゃんエッチ』といって、風呂からでようとした言動に驚き、とっさに殺意が生じて、殺害に及んだ。女児の母親にメールを送ったことについても、パニック状態に陥ったり、絶望や開き直りによるものである。」などとし、さらに旧西ドイツの元大統領ワイツゼッカーの「問題は過去を克服することではない。過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる。」という連邦議会での演説を持ちだしました。
同年9月26日、奈良地方裁判所の奥田哲也裁判長は「生命をもって罪を償わせるほかない。」として、求刑通り死刑判決を下しました。
判決を受けたあと、小林は、自席に戻りながら傍聴席に視線を向けて着席すると、にやりと笑って小さくガッツポーズをしたあと、目を閉じて何度かうなずいたといいます。同年10月10日、小林は控訴をとり下げ、死刑が確定しました。
同年10月30日、小林は遺族宛に「人として最低な行為で大切なお嬢さんの命を奪ってしまいました。」、「(両親の)意見陳述を聞いて涙が出ていたが、公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった。」、「お嬢さんが生き返るはずもなく、私への怒りは収まらないでしょうが、刑の執行をもって罪を償うしかない。」などと記した便箋2枚の手紙を書き、弁護士に託しますが、弁護士から県警の担当者を通じて遺族に渡してもらおうとはかりましたが、遺族は受け取りを拒否しました。
平成25年2月21日、大阪拘置所で、小林に対する死刑が執行されました。享年44歳でした。
小林に、日常的に身体的な暴行(体罰)を繰り返していた父親は、公判で「息子は社会的責任を果たさないといけない。極刑になることが、殺めた子どもへの償いになると考えます。」、「息子には正悪の区別を教え、厳しく叱り、育ててきた。」、「平成元年にわいせつなどで警察に捕まったとき、被害弁償は私がした。執行猶予判決を受けてでてきたが、20歳を超えており、親がいっても仕方がないと考え、息子とはことばを交わさなかった。平成3年に幼い子どもにわいせつ行為をして捕まったときには、親として肩身の狭い思いをした。しかし親としてはどうすることもできなかった。」と供述しています。
*-80 小林が逮捕・起訴されたとき、「過去に幼児への強制わいせつの前科があった」ことから、性犯罪者を登録、監視する米国の「ミーガン法(性犯罪者の情報をインターネットで公開している)」などにならった“前歴者への監視を強める”ことの必要性が議論されました。
ミーガン法とは、米国および他の一部の国で、性犯罪者による再犯を防ぐ目的で制定された法律です。
この法律により、執行猶予になった加害者や刑期を残して保釈された囚人だけでなく、刑期を満了して釈放された者も含めた「性犯罪の加害者」は、住所やその他の個人情報を登録することが義務づけられ、また、警察はそうした情報を加害者の住むコミュニティに告知するよう定められています。
ミーガン法は、1994年にニュージャージー州ハミルトンで7歳の少女ミーガン・カンカちゃんが近所に住んでいたジェシー・ティメンデュカスという人物に誘拐・殺害された事件をきっかけにニュージャージー州及び連邦議会で制定されることになったのです。
犯人のティメンデュカスはミーガンと顔見知りでしたが、「過去にも子どもへの性的虐待で二度の逮捕歴がある前科者である」とは周囲の誰も知らなかったのです。
米国には、この事件以前にも性犯罪者の登録を義務づける法律がありましたが、前科者についての情報は一般に公開されていませんでした。
事件後、被害者の両親を中心として性暴力加害者の情報公開を求める運動がおき、翌月、ニュージャージー州法として成立したのです。2年後、各州で、同等の州法をつくることを促す連邦法が提案され、圧倒的多数の賛成で成立しました。
ミーガン法と一口でいっても、その具体的な仕組みは州によって違った方法を採用しており、一様ではありません。まず、どの前科者を対象とするかという時点で、一定以上の刑罰を受けた性犯罪者を自動的に登録対象とする制度もあれば、個別に再犯の危険度を審査して登録を義務づけるかどうか決めるところもあります。
一般告知の方法としても、警察が率先してビラを撒いたり、集会を催したりして前科者の存在を周知させる地域、学校や病院など特定の公的施設に開示して注意を促す地域、報道機関向けに告知してあとはメディアに任せる地域、あるいは、知りたい人が警察所に出向くと前科者リストが開示される地域、インターネットにすべての情報を載せて、どこからでも閲覧可能にしている地域、個別の前科者の危険度に応じてどの程度の告知をするべきか決める制度を採用している地域もあります。
韓国では、平成25年6月、性犯罪関連6法の改正法が施行され、「親告罪」規定が撤廃されるなど性犯罪の厳格化が明確にされています。
これに先立ち同年3月には、性犯罪者に対する「化学的去勢」をめぐる法改正がおこなわれています。それは、「16歳未満を相手に性犯罪をおこない、再犯の恐れがある者に対し薬物治療を施す」というものでしたが、「被害者の年齢に関係なく、“性倒錯症”と認められるすべての加害者に対し、裁判所が去勢を命じる」ことが可能になったのです。
一方日本では、宮城県の村井嘉浩知事が、平成22年12月、大学教授らによる懇談会を発足させ、女性と子どもへの暴力的行為をなくす対策の検討を開始し、性犯罪の前歴者やドメスティック・バイオレンス(DV)の加害者に対し、「GPS(全地球測位システム)を常時携帯させて行動監視する」ことを対策のひとつとして提示し、条例制定の検討をはじめました。
しかし、一部の有識者が効果を疑問視したり、県議会においても人権上の観点から批判がでたりする中で発生した「東日本大震災(平成23年3月11日)からの復旧、復興が最優先課題。大変な人手と財源がかかるため、県として対応する体力がない。」として、平成25年5月18日、村井知事は、上記条例制定を見送る方針を表明し、同時に、性犯罪の逮捕者にDNA提出を義務づける対策の検討も中止する考えを示しました。
*-81「眼底出血(網膜剥離・出血)」は、殴られるなどの身体的な暴行、つまり、虐待の可能性を考えなければならない症状のひとつです。
したがって、父親から日常的に身体的な暴行(体罰)を受けている状況下で、網膜剥離を発症したわけですから当然虐待が疑われなければならかったわけです。
しかし、平成12年に「児童虐待の防止等に関する法律(いわゆる、児童虐待防止法)」が制定されていますが、「保健師や医療機関向け、教職員向けの虐待予防・発見マニュアル」が行政機関や教育委員会、医師会、歯科医師会などで作成されることになったのは、制定から10年後、平成22年3月、奈良県桜井市で発生した5歳児虐待死事件以降のことです。
つまり、小林が中学校3年生だった昭和57年には、児童虐待防止法も制定される前、当然、医療機関向けや教職員向けの虐待予防・発見マニュアルも作成されていませんでした。
こうしたことが、公判での供述時に、網膜剥離で手術がおこなわれることになったことと、身体的な暴行(体罰)の事実を結びつけられていない理由と考えられます。



-事例193(事件研究42:倉敷市女児監禁事件)-
「倉敷市女児監禁事件」とは、平成26年7月14日、少女アニメ好きの藤原武(49歳、無職)が、下校途中の小学5年生の森山咲良(11歳、以降、女児)ちゃんを連れ去り、自宅に監禁した事件です。
帰宅しなかった女児は、同年7月14日16時半ころ、小学校から約2キロ離れた自宅近くで、銀色の車に乗った男に話しかけているのを同級生に目撃されていたことから、翌15日、岡山県警は公開捜査に踏み切りました。
当初の手がかりは、女児の携帯電話のGPS(衛星利用測位システム)情報しかありませんでしたが、目撃されていた銀色の車は、同年4月下旬以降、女児の自宅周辺で少なくとも3回目撃されています。4月と6月、女児が不審な車につきまとわれ、4月、女児の母親が岡山県警に相談しています。女児の母親や近隣住民が、車のナンバープレートを覚えていました。特に、男が車のナンバープレートのようなものを外す不審な行動をするのを見ていて、その下から見えたナンバーの4桁の数字を、女児の母親が記憶しており、さらに、近隣住民の女性が、「地名」や「ひらがな」までも覚えていて、同月18日、岡山県警に伝えていました。
この車の絞り込みが、容疑者を特定することにつながりました。
5日後の同月19日22時10分、岡山県警の捜査員が、女児が行方不明になった現場から8km離れた岡山市北区にある藤原の自宅を訪れ、藤原を呼びだすために声をかけたり、ドアをノックしたりしたものの反応がないことから、10分後の22時20分に窓ガラスを割って室内に踏み込み、女児を保護することができました。
女児は、1階の洋室にあるテレビでアニメを見ていました。部屋のテレビの画面には、人気アニメの「BLEACH」が映しだされており、藤原は、白いパジャマ姿でそれを見ている女児の姿を近くで眺めていました。
「BLEACH」は、平成13年から「週刊少年ジャンプ(集英社)」で連載され、死神になった高校生とその仲間たちの活躍を描いた物語です。捜査員が踏み込んだとき、女児は「なに、なに?」と驚いていたということですが、捜査員が女児の名前を呼ぶと「はい」と応えたといいます。
捜査員に対して、女児を「私の妻です。」と応えた藤原は、特に抵抗することはなく、22時22分、藤原は監禁の疑いで逮捕されました。保護された女児に暴力がふるわれた形跡は認められませんでしたが、病院に搬送され、異常がないことが確認されました。
女児は「ずっと『いうことをきかないと殺す』と脅されていた。暴力はふるわれていないが、本当に怖くて、早く母の元に帰りたかった。」と監禁されていた状況を述べています。
同月19日、警察は、藤原のシルバーの車を押収し、同月20日、警察が未成年者誘拐の疑いで、岡山市北区の藤原の自宅を捜索した結果、女児が使っていたピンクのランドセル、学校の制服、靴などの所持品が見つかりましたが、女児が持っていたGPS機能付きの携帯電話は見つかりませんでした。
一方の逮捕された藤原は、「女児とは面識はなかった。自分の車に乗せて連れていった。」、「自分1人で連れ去り監禁した。」、「自宅近くの路上で連れ去るとき、カッターナイフを突きつけて殺すぞと脅した。」、「手錠の代わりに足錠をかけ、乗用車の後部座席に寝かせて布団で隠し連れ去った。」、「かわいいからずっと一緒にいたかった。」、「調教して自分好みの女性にして、18歳になったら結婚したかった。」などと供述しています。
その後、起訴された藤原がパソコンに入力していた日記やメモ類が押収され、その中には、「夫婦の時間を楽しんだ」、「長期的に女児を飼育していく」ことをうかがわせる一文など、おぞましい内容が記されていました。
女児がいた部屋は窓がなく、防音がされており、外からカギがかかるようになっていました。藤原は、監禁事件をおこす11ヶ月前の平成25年8月、自宅の裏にある空き地に離れを建てるため、県内の建築会社に「施設に入っている母親が夜中に奇声をあげるため、近所迷惑になるので母親用の部屋が欲しい。」と説明しています。
「施設に入っている母親が夜中に奇声をあげる」ことが、「近所迷惑になる」と論理が成り立っていません。
そして、建築会社の調査の結果、敷地は市街化調整区域にあたることから、建築できないことが判明し、それを藤原に伝えると、強い口調で「自宅でイラストレーターの仕事をしていて、騒音が気になるのでつくってほしい。」と、違う理由をあげたということです。
離れの建築が難しくなった藤原は、予定を変更して、自宅1階のリフォームに着手することになります。
リフォームにあたり5回ほど打ち合わせた工務店によると、「藤原の実家の1階のリビングは、住宅展示場のようにシンプルなつくりで、ほとんど家財道具がなく、2階には6畳の二間のうちのひと部屋も家財道具が一切なく、壁や床が黒い布で覆われ、隣のもう一部屋には、天井、壁、床に美少女アニメのポスターが10枚以上貼ってあり、ノートパソコンが1台だけ置かれていた。」といいます。同年12月、藤原は、約800万円をかけてリフォームを終えた部屋は、台所を改装して、壁を外側に約1.5メートル押しだした8畳の洋室でした。
ピアノの音を遮断できるほどの完全防音で、女児が大声で叫んでも外に漏れることのない完璧なつくり、そして、2階の“アニメ部屋”と同様に、部屋中を美少女ポスターで埋め尽くしていました。その美少女アニメのイラストに描かれていたのは、いわゆる“萌え系”で、目の大きい小学生くらいの少女でした。
一方で、藤原が逮捕される10時間ほど前の19日0時半ごろ、「藤原が買い物から帰ってきたときの姿を妻が見かけた。」と近所に住む男性が語っています。続けて、男性は「大量の商品が入ったスーパーマーケットの袋を自転車の前かごに積んだ藤原容疑者が家に入っていく姿を見たと妻から聞いた。ふだんはビールが入るようなコンビニエンスストアの袋を持っているのに、1人で食べる分としては多い量だと思った。」と語っています。スーパーマーケットの防犯カメラに、その様子が録画されていましたが、その行動は、藤原が誘拐を実行するまでは、車の後部座席とリアウインドーを黒いフィルムで覆い目隠しをしたり、防犯カメラに映らない逃走経路を入念に調べていたりしたことに比べ、あまりにも無防備です。
防犯カメラに映るリスクよりも、女児が好きそうな大量のお菓子を購入することを優先していた藤原の心境は、女児の気を惹くこと、そして、「夫婦生活を楽しんだ」と記しているとおり、女児との監禁生活を心から楽しんでいたことから周囲の目を気にする必要はなかったと思われます。
藤原は、岡山市内の関西高校を卒業後、法政大学に進学しました。大学で倫理を専攻した藤原は、ドイツの哲学者カントに心酔し、大阪大学の大学院の研究室で研究者を志しました。そして、研究者としての十分な語学力がありました。しかし、学友が順調に助手や教職に就きはじめる中で、藤原一人だけ就職先が見つからず、平成7年、単位を取得して退学しました。
大学院を退学したあと、藤原は家庭教師などの職を転々とし、平成8年‐平成11年、大阪府内の公立中学校で夜間に校内を見回る宿直員として働き、宿直室で寝泊まりしていました。
その後、藤原は、母親の介護のため実家のある岡山市に戻ることになります。
岡山市北区にある藤原の実家は、もともと証券会社に勤めていた父親と母親、姉、藤原の4人で暮らしていました。
藤原が事件をおこす5年ほど前に父親が自宅近所の用水路に転落して亡くなると、離婚し、実家に戻ってきていた姉が、高齢の母親が面倒をみるようになります。そこに、藤原が戻ってきて、母親と姉の3人で暮らすようになりますが、しばらくすると姉が家をでていき、母親と藤原の2人での生活になりました。
岡山市に戻ってきた藤原は、仕事をしていませんが、父親の遺産と、母親の実家が岡山県内の大地主で、母親がその多くを相続していたことから、藤原がお金に困ることはなかったといいます。
一方で、藤原は、女児をつきまといはじめた平成26年4月ころから、毎月2,000円の町内会費の支払いを拒むようになります。何度か訪問され支払った町内会費でしたが、数日後、藤原は、「自分は母の介護で週末しか帰ってこない。だから支払うのはおかしい。」といい、返金を求めたりするなど、近所つき合いをしなかったといいます。
そして、事件をおこす13ヶ月前の平成25年6月、認知症を発症していた母親は介護施設に入居することになります。藤原は、母親を月に数回訪れていました。母親に弁当をつくり、持参することもあったといいます。また、事件を起こす4ヶ月前の平成26年3月には、母親を車椅子に乗せ、母親の同窓会につき添っていました。しかし、藤原は、実家に1人暮らしで周囲から孤立状態だったといいます。
一方で、藤原の親族が、「武は30前後の時に結婚した。確か、アジアのどこかの国で結婚式を挙げたはずや。相手は日本人やけど、1年か1年半で離婚したそうや。子どもはいなかったと聞いている。結婚に失敗して、女嫌いになったんやと思うとった。」と語っています。
また、親族の女性は「何十年も前ですが、親戚の結婚式があった。そこへ招待されていないはずの武がふらりとやってきた。結婚式なので招待者の席は決まっているので、藤原の席も料理はなかったが、おめでたい場なので追い返したりはせず、とりあえず席だけ用意した。料理はなかったけど、武はビールをガンガン飲んで、帰った。ご祝儀もなく、記帳しただけで帰っていった武を、親族の中では、なんて非常識なんだとなった。」と述べているような一面があったことがわかっています。
岡山地方裁判所で開かれた初公判では、法廷で読みあげられた起訴内容に対し、藤原は女児を脅し、自宅に連れ帰ったことは認めたものの、わいせつ目的については「そのようなことをしようと思ったことはありません。」と否認し、「臆測が広がったために被害者が二次被害にあった。」と主張し、計画性についても明確に否定しました。一方で、藤原は女児や家族に対し、「被害者にどれほど悪いことをしたか、あらためて反省し、おわび申しあげたい。」と謝罪のことばを述べたあと、「小さな子どもを持つ全国の保護者にも迷惑をかけた。」と深々と頭を下げています。
検察は、藤原の証言について真っ向から対立し、パソコンに残されていた女児監禁計画を証拠として提出しています。
検察は、「母親が介護施設に入居した平成25年6月から、監禁の計画を練りはじめ、同年7月以降、その方法を計画書として事細かにパソコンに入力していた。」とし、さらに、「同年12月、自宅を監禁部屋として外から施錠できるように改造していることから計画性があった。」、「以前から10歳前後の少女に興味を持ち、同年5月、インターネットで手錠を入手していた。」、そして、「平成26年2月ころから3月にかけて、女児宅周辺を車で物色していた。」としています。
また藤原は、監禁当日の日記に「光源氏」というタイトルで、その心境をつづっています。そこには、連れ去った女児に食事をつくらせたかと思えば、事前に用意していた半ズボンに白いソックスを履かせて、足に頬ずりしていたこと、さらには、「夫婦のような時間を過ごした。」、「これから飼育していく。」という犯行の意思についても書かれていました。


(7) パラフィリア(性的倒錯)の夫との性生活
-事例194(DV47)-
夫Jとの交際中、Jはクリスマスを私のアパートで過ごし、私に膝枕を求めTVをみていました。すると、Jは、私に「スカートを脱ぐように。」といってきました。
私がことわると、Jは甘えたり、拗ねたりしながら、しつこくねだり続けました。
それでも応じずにいると、Jは不機嫌になり、苛立ってきたので、私は仕方なくスカートを脱ぎました。
Jは喜び、クリスマスプレゼントをくれました。
そして、Jは、私が嫌がっても無理に写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしました。
旅行先で、Jは、ミニスカートの女性を見つけ「たまらん」といい、ビデオでその女性のミニスカートのおしりと太ももをアップで隠し撮りし、家に帰ると撮影したビデオの編集をしていました。
私が「止めてほしい。」とお願いしても、Jは決して止めませんでした。
さらにJは、他の女性との性行為の状況をこと細かにリアルに話しました。
それだけでなく、Jは私の陰部にキュウリやナスを挿入して喜び、抜いたあとぽっかり開いた陰部を見て蔑むように大笑いしました。私が「止めて欲しい。」といくら訴えても、Jは「お前がおかしい!」と非難するだけでした。
私は不愉快で、しかも、私に失礼じゃないかを思いましたが、私がもっとスタイルがよくで魅力的だったら、Jは、こういうことをしないのかなとも思ってしまっていました。
私が妊娠したのを機に結婚しました。
Jは妊娠中の私に性行為を強要し、私が断ると執拗に責めました。
私は責められるのが嫌で、仕方なく性行為に応じるしかありませんでした。
お腹が張ってきたり、痛みを感じたりして、Jに「止めてほしい。」と訴えても、Jは自身の欲求を満たすだけでした。
育児休業制度を利用し休職していた私は、出産6ヶ月後に職場に復帰しました。
私は、育児と仕事の両立でヘトヘトに疲れていても、Jは性行為を求めてきました。
私が断ると何時間も執拗に非難し責め、ときには、Jは「浮気されても仕方ないぞ。」とか、「風俗に行くぞ。」と脅してきました。
私はJの顔色を伺い、キレる気配を感じると性行為に応じるしかありませんでした。
私の嫌な気持ちがあまりにもJに通じないので、私は大事にされていないと感じていました。
しかも、Jの性行為があまりにも自分本位なことに興ざめしていましたが、私にとって重要だったのは、Jの機嫌が悪くならない、機嫌を損ねないことが重要でした。
一方で私は、Jに対してなにをいっても無駄だと諦めるようになっていました。

-事例195(DV48)-
夫Pは「俺はださなくちゃだめなんだ!」、「眠れないからだしてれ。」、「外で大変な思いをして仕事をしているんだぞ!」とい、私(M。37歳)に性行為を強要してきました。
私が第1子を妊娠中、臨月まで週2回以上性行為を求め、出産後は産後6週間目から性行為を強要しました。そして、Pは、私が嫌がっているのを知りながらおとなの玩具を使うこと、排尿行為を見せることなど、変態的行為を求めました。
性行為後、Pが「顔がいやいやだった。」、「手でする時間が短い。」、「上でする時間が短い。」と非難し、その後の数日間にわたり、そのことに対するこらしめ・罰として無視することから、私はPの欲求を拒否することができませんでした。
私は、Pの性欲のはけ口されていると思いツラい日々でしたが、専業主婦の私は身体で稼いで生きていると受け入れるしかありませんでした。
Pは、休日に車で買い物に行くとき、遮断機が降り車を停車させると、私にキスを迫ってきたり、運転中、隣の私に「お前の局部や胸を触らせろ!」、「俺の局部を触っていろ!」、「手や口でしろ!」と命じてきたりしました。
私の実家やPの実家に帰省したとき、Pは、両親が同じ屋根のもとにいるにもかかわらず、必ず性行為を強要してきました。
また、子どもたちと一緒に入っている炬燵においても、Pは私の局部を触ってきたり、私にPの局部を触れたりすることを強要しました。
寛ぎの家族団欒の時間が、私にとっては、拷問としかいえない時間となっていました。
私は、Pに脅されて従わされる性行為、子どもたちや義父母、両親に知れるやも知れない状況下での性行為を強いられる度に、耐え切れない恥ずかしさに打ちのめされ、屈辱感と自尊心は打ち砕かれてきました。
Pは、2人の男の子が在宅しているときも、リビングで戦争映画の残虐な戦闘シーンや強姦シーンを大音響で見たり、リビングにアダルトビデオを並べたり、リビングに設置したパソコンにアダルト画面を写ったままに放置したり、アダルトグッズは寝室の机のひきだしに無造作に入れたりしていました。
そして、私が、Pの異常な性的欲求にこれ以上応じることができないと決意する事件がおきました。
それは、私とP、小学校6年生と1年生の2人の男の子とキャンプしに行ったときのことでした。
Pは、2人の男の子が後部座席にいるにもかかわらず、高速道路の車中で、私に「チャックをあけてしてくれ。」、「でないと運転しない。手を離すぞ!」と脅してきました。
私は、やむなく手を使ってPの欲望を満たしたものの、2人の男の子に気づかれたのではないかと思う恥ずかしさ、屈辱感でいっぱいになりました。
私が、Pの要求を拒むことができないのは、Pは気にいらないことがあったり、私が要求に応じない素振りをみせたりすると、家で飲酒をしていても、「車に乗って、運転してくるぞ! それでもいいのか?!」を脅すだけでなく、実際に、そのまま家をでて行くことがあったからです。
だから、本当に高速道路であっても運転中に手を離しかねないとの恐怖にかられ、応じるしかありませんでした。
それだけでなく、寝ずに運転し、スキーで疲れ果て、夜すぐに休みたくても、Pは、子どもたちと同室の中で、性行為を求めてきました。

「母親からの正しい愛情を受けることができなかった男の子は、セックスをすることでしか愛情表現ができなくなる」と記しているとおり、「成人した男性が配偶者(女性)とセックスができない」ことは、より深刻な問題(心の闇)を抱えていることを示していると考えられます。
なぜなら、親の性行為を見せられるなど、性的虐待を受けているといったトラウマとなるセックスにかかわる体験が、放尿を見ようとしたり、見せたり、乳幼児の性器を執拗に触ったり、写真に撮ったりする異常性癖などの要因になっているからです。
また、セックスレスの要因としては、思春期にセックスに対する罪悪感や嫌悪感を抱え込んでいることを想定しておく必要がでてきます。
射精という行為には、人を殴ったり、物を投げつけたり、大声で叫んだりするのと同じで、男性にとってイライラや怒りといったストレスを放出、解放する役割があります。
抑圧された生活(育った環境、親とのかかわり)は、のちに射精を伴うセックスというおこないを歪ませ、暴力と結びつくことになります。
射精は、夢精で射精するか、セックスとして膣内で射精するか、自慰として射精するか、第三者に手や口を使い射精を手伝ってもらうかです。
アダルトビデオなどで演出される跪いてフェラチオを強い、射精し、精液を顔にかけるおこないは、屈服させた満足に浸りきっている(サディスティックな思いを満たす)だけでなく、汚すことに満足する意味を持ち、女性そのものを侮蔑し、卑下している考え方を示すものです。
男性のそうした征服欲や支配欲を満足させる(悦な思いを満たす)ために、性風俗業で用いられるわけです。
こうしたアダルトビデオや性風俗業での“演出”を、現実の世界でもそうであるかのように、つまり、そうしたおこないを女性が望んでいる、女性が喜んでいると間違った認識をしてしまう人が増えてきているように感じます。
DV加害者の中には、演技性人格障害者のようにセックスを巧みに操り、セックスにより心をコントロールしてしまうだけでなく、「Ⅰ-7-(6)結婚詐欺師の言動・行動特性」の中で、結婚詐欺師の特徴として「一度、体の関係ができたあとは、次第にセックスを求めなくなったりします。」と記しているように、セックスをしたがらなかったり、セックスを求める妻を「汚らわしい」「淫乱」と非難したりするDV加害者もいるということです。
そこで、DV環境下にあるセックスレスについて考えたいと思います。
子どもを授かるためだけにセックスに応じるものの、セックスにおける射精という行為に対し、「触られていくのは負ける。自分でしているからいい。」といった発言を伴いセックスを拒むようなら、近年増加傾向にある「膣内射精障害」の可能性と、心の問題を想定しておかなければなりません。
海外から報告されず、日本特有の症状とされている「膣内射精障害」の原因のほとんどが、①布団に擦りつけたり、枕などにペニスを挟み体重をかけて圧迫したりするなど、自分の手以外のものを使ってマスターベーションをしている、②マスターベーションのとき、ペニスを握る力が強過ぎ、強く握り締め擦りつける刺激による射精に慣れてしまっている、③ひとりでない(他に人がいる)と射精できなくなっている、④マスターベーションのときの決まった姿勢でないと射精できなくなっているといった“習慣”にもとづいています。
一方で、心の問題としては、⑤遺伝性の病気・体質を持っていたり、⑥暴力のある家庭環境で育ってきたことから、「あんな親のようになりたくない」、「あんな親のもとで生まれ、育った俺は、親のようになってしまうに違いない」、「俺は“親になって(子孫を残して)はいけない”」との恐怖心に囚われていたりすることが原因になっていることもあります。
この場合、a)避妊具をつけているときは射精できるのに、避妊具をつけないと射精ができなくなる場合と、b)まったくセックスをしないか、異性とつき合う、接することさえ拒んでしまう場合に分かれます。
さらに、⑥親の性行為を見せられたことによって、セックスの生々しさに強い嫌悪感を抱いてしまっている、⑦DVのある環境で育ったことによって、男性性や女性性に対して認知の歪みが生じてしまったことによって、同性愛者であったり、小児性愛者、性的サディズムや性的マゾヒズム(SM)などの性癖(パラフィリア)を抱えていたりするために、夫婦間でのセックスが疎遠になったり、できなくなったり、同じ性的嗜好者に走ったりするようになっていることもあります。
先に、「性的興奮のパターンは思春期前(10歳前)にかなり発達し、いったん確立されると、その多くは一生続くことになります。」と記していますが、その後、思春期になると、身体的にも、精神的にも性的に変化しはじめ、性的なことがすごく気になってきます。
そして、自分自身に不完全さを感じたり、変身(青年、大人になる)に失敗してしまったりしたという“概念”ができあがります。
中学生や高校生は自分に不完全さを感じるので、逆に、完璧なものを求める傾向が強くなります。そのため、完璧主義者としての精神(マインド)が発達しやすくなります。
その一方で、この不完全さや変身に失敗してしまった概念は心の深いところに潜ってしまうことになります。
もし、心のどこかに自分は不完全で、醜い、美しくない、汚いと感じていたとすると、好きな人に近づくことができなかったり、好きな人にすべてをさらけだせなくなったりします。
そのため、好きな人とのセックスは楽しいものではなく、安心感とリラックス感に満ち溢れ心穏やかになれるものではないものになります。
なぜなら、なにか嫌な感じや違和感が心の中にあふれだしてしまうからです。
セックスは本来、パートナーとの気持ちが交わせ、契り感や絆感を深めるものです。気の交流としてのセックスは、コミュニケーションを深めます。
契り感や絆感が深まることで、慈しみ、愛しいという相手への心が満たされていきます。
ところが、セックスそのものに罪悪感を抱いてしまう人が少なくないのです。
それは、父親や母親にとって“従順ないい子でいなければならない”と強く思っていた幼子の感覚が心の深いところにあることが大きく関係します。
前述の通り、自我が芽生えはじめる思春期は性的に成長をはじめます。
その性的な成長をはじめた“わたし”を親にみられるのが嫌という思いが強く働きます。性的なことにかかわることを、両親に見られる(悟られる)こと、指摘(話題に)されることに嫌悪感を抱くのです。
同時に、両親のセックスを想像することも嫌悪感の対象になります。
両親を性的な対象として結びつけることに対しても、強い嫌悪感を示します。
問題は、セックスに関して罪悪感を抱いてしまう根柢には、性的なことに関心を持っている“わたし”は悪い子だという思いが働いていることが少なくないということです。
セックスが悪いことだと心のどこかで感じていると、無意識的に自分の中の性的な欲求を押さえ込んでしまうことになります。
こうした嫌悪感や罪悪感といった感覚が、セックスにかかわる問題をつくってしまうことが少なくないのです。
DV加害者である夫が、思春期までに自己投影となる親に対し嫌悪感を抱いてしまい、さらに、母親に対して穢れた存在との思いを抱えているときには、思春期を向かえ、完璧なものである自己と親そのものに対する嫌悪感は相当なレベルに達していると考えることができます。
逆に、母親に対して女神として神聖化してしまっている場合は、生々しい“生”の営みとなるセックスに対しての嫌悪感は、セックスそのものを否定していくようになります。
ところが、この生々しい“生”の営みであるセックスへの嫌悪感が、嫌がったり、痛がったりする姿や声に性的興奮を覚えるといった異常さ(性癖)として表れることがあります。
それは、嫌悪感を抱く穢れた存在を罰するために、徹底的に痛めつけることに快感を覚えるといった高いサディスティックさを示すものです。
サディスティックさは、俺の力を見せつけられた(嫌がる行為に応じさせるということは服従させたと自尊心がくすぐられる)満足感に浸ることができるおこないそのものに表れます。
女性を貶(おとし)めて、弄(もてあそ)び、辱(はずかし)めることで快感をえるのです。
それは、性的なおこないだけでなく、否定する、非難・批判する、侮蔑する(バカにする)、卑下する(見下す)ことばを伴って、自分が“優位である”と王様気分に浸るわけです。貶めて、弄び、辱めることで自らの存在感を示し、自尊心を高め、心のバランスを保とうとするのです。
つまり、a)裏切ったり、罠にはめたりして人を貶(おとし)めたり、辱しめたり、b)からかったり、ひやかすなど嫌がることをしてむきにさせたり、c)暴力やレイプによって怯えさせたりすることを楽しみ、快感をえるのです。
辱め、弄び楽しむことをセックスに持ち込むサディスティック(残虐)性は、見下した、卑下した女性を思うがままに犯すことがこのうえない喜び、快感だということを意味しています。
次に、セックスレスの原因を、強く性的興奮を覚える対象が、夫婦間のコミュニケーションとしてのセックスとは別にある可能性、つまり、先に記しているパラフィリア(性的倒錯)として、性的興奮を覚える「対象」と「状況・シュチュエーション」から想定される可能性を考えていきます。
「対象」ですが、a)女性を性の対象とせず、男性を性の対象としているか(同性愛)、稀に異性愛者のセックスにのみ性的興奮するか、b)成熟した(胸が膨らみ、陰毛が生え、体が大人になった)女性や同年代に近い女性に性的興奮がえられず、胸が含まらす、陰毛が生えていない女児(小児性愛)や、c)母親と年齢が同じくらいか、それ以上の女性にしか性的興奮を覚えないのか、そして、d)人同士のセックスではなく、動物との獣姦に異常な性的興奮を覚えるのかということです。
男性を性の対象とする場合では、先に記しているとおり、寺院や芝居小屋で面倒をみている孤児が性搾取の餌食になってきたわけですが、陰毛が生える大人になる前の男児が対象となったわけです。
次に、「状況・シュチュエーション」ですが、a)学生服とか白衣とか着させるとか、オムツをして、おしゃぶりを咥えてハイハイ(赤ちゃんプレイ)といったコスチュームプレイに性的興奮を覚えるのか、b)拘束・監禁・レイプ(集団レイプも含む)といった支配・征服欲そのものの、つまり、女性(男性)に首輪や足枷をつけ、奴隷扱いしたものや集団で女性(男性)をおもちゃにする行為や、レイプといった恐怖に慄き、悲鳴をあげ、絶望感にうちひしがれた表情に異常な性的興奮を覚えるか、c)女性を縄で縛り(緊縛)、苦痛と快楽の狭間で苦悶の表情に性的興奮を覚えるか、d)人の前での露出、排尿や排泄をさせ(スカトロ)、恥ずかしさを超越(抑圧からの開放)させるプロセスに異常な性的興奮を覚えるのか、e)親や子と のセックス(近親姦)に性的興奮を覚えるのかということです。それぞれ「a)→c)d)e)」と進むにつれ、生育期における心のダメージが重い、つまり、精神的に病んでいることになります。
緊縛などの行為には、相手に身を委ね、すべてを曝けだすことができるといった信頼感や安心感が必要なわけですが、もし伴っていないときには、つまり、望まないセックスを強いられるレイプや近親姦、獣姦被害者のように、自尊心がズタズタにされ、アイデンティティが崩壊したり、ひどい解離症状をみせたりする(解離性障害、解離性同一性障害を発症する)ことになります。
セックスによる射精によって“汚れる”ことに嫌悪感を抱いているときには、間逆のスカトロなどの行為に押し込められてきた“開放”を求める可能性も十分に考えられます。心の深いところに秘めている“開放”を求める思いが、夫が、妻が入っているトイレを開け、「放尿するのを見せるように」と強いることになります。
この行為は、DVの中の「性暴力」です。
性暴力の被害に合い、解離性障害や解離性同一性障害、重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)を抱える被害者には、惨いおこないに巻き込まれないように人や場所などのシュチュエーションを避けるといった「回避」という行動や、逆に、この人はどうだろう、今度はどうだろうと同じおこないを受ける状況に自ら飛び込んで行って再被害を繰り返すといった「再演」という行動がみられることが少なくありません。
記憶に残っている、残っていないにかかわらず、乳幼児期に受けた性暴力の心の傷が、「再演」として援助交際やレイプなどといった性暴力被害を繰り返し受けてしまうということがあるのです。
つまり、こうした特殊性のある、異常性のある性行為を嗜好する人たちや、性暴力の加害者においても、乳幼児期やそれ以降にどうような性暴力を受けていたり、親子のかかわり方で心が捩れ、屈折してしまうような環境で育たざるをえなかったりした人たちは、気が交じわう(心を通わせる)ことで契り感や絆感、そして、愛おしさを育んでいく男女の営みとしてのセックスができなくなるのです。


(8) 性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力
「Ⅱ-14-(5)性的サディズムと刻印という“儀式”」で、「サディスティックなふるまいとして、妻が嫌がる行為を強いるときには、DVとしての性暴力になります。」と記していますが、望まない行為を無理強いするふるまいは、暴力そのものです。
中には、嫌がる性行為に及ぶために、身体的な暴行を加えたり、ふるまいを否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下するなどことばの暴力を長時間にわたって浴びせ続けるなど、“力(パワー)で屈伏”させて応じさせたり、しかも、嫌がる性行為に応じさせるために、「意義さえ問わせない」、つまり、明確な「忠誠を誓わせる」意図が働いていることさえあります。
しかし一方で、多くのDV被害者が、子どもができたら変わってくれる、後継ぎの男の子が生まれたら変わってくれると間違った方向に期待を寄せてしまうことが少なくないのです。
そして、こうした根拠のない期待感は、真実を曇らせてしまい、性暴力被害を認識できなくさせてしまうのです。
中には、「セックスを求めれば、他の女性とはセッスクをしない」という期待感、そして、「子どもができたら」との思いで、「私の方が積極的にセックスを求めてきた」という思い(事実)があったり、「子どもが欲しいと、私の方から求めたのだから、嫌でも求められたら応じなければならない」、「応じなければ、他に男がいると責められ、ツラい思いをすることになる」との思いがあったりして、自身への性暴力被害を認識できなくさせてしまうことも少なくないのです。
それだけでなく、子どももたちとの異常な性的接触さえも、「うちは性に対して開放的」と“自分で納得できる”理由をつくりあげ、ツラく苦しい現実から目を背けて(回避させて)しまうこともあります。
なぜなら、母親として、子どもたちが父親の異常な性的嗜好の餌食になってきたことを受け入れることはなかなかできないからです。
たとえ夫婦間であってもセックスを強要されることは、レイプ被害者と同様に自尊心は傷つき、自己肯定感が損なわれます。
つまり、アイデンティティそのものがひどくダメージを受けることになります。
それは、“わたしそのもの”を失くしていくことになります。
“わたし”という感覚を失っていくことは、わたしはどうしなければいいかを考えたり、判断したりすることができ難くなっていることを意味します。
これ以上傷つかないように、惨めな思いをさせられた記憶よりも、ツラく苦しく哀しい思いをしないですむ「子ども欲しさに自ら求めた」と、性暴力被害の“記憶のすり替え”をおこなうことで、日常生活を成り立たせることができるのです。
DV環境下では、性暴力被害を認識でき難い、つまり、嫌な行為を強いられている感を抱き難い状況がつくられてしまいやすいのです。

ここでは、DV環境下から逃れたあと、性暴力被害者がみせる重篤な解離症状が表れるなど、夫の性的サディズムの犠牲となったDV被害者の事例をとりあげます。
DV加害者である夫Nが、自身の性的サディズムを満たすために、「愛する人の子どもを欲しい」という多くの女性が抱く心情につけ込んでいました。

-事例196(分析研究16)-
夫のNは、私に女性とのセックスをさせようと試みましたが、私は拒否しました。カップル同士とのセックスも、「そんなことは死んでもいやだ。Nが他の女とセックスするのを見たり、私の体が他の女に触られたり、他の女の陰部を舐めたりするなんて考えただけで吐き気がする。もしNが、他の女と寝るのを見たら、私は一生Nとセックスできなくなるかもしれない。」と、夫に求められるたびに強く拒否しました。
すると、Nは「子どもが欲しいなら、複数のセックス(グループセックス)を受け入れろ!」と脅すように、私に交換条件をだしてきました。
Nは、決して膣内で射精することはありませんでした。
私は自然に妊娠したかったのに、射精はいつも顔、頭、お腹、背中でした。
私が「子どもが欲しい」と訴えると、Nは「複数のセックスにイエスといわなければ受け入れない。」といいました。私が「イエス」と応じると、Nは優しくなりましたが、平成21年は『複数セックスの年』として、射精は体外のままでした。
いつも顔面にだされていましたが、結婚後、そういった内容のアダルトDVDを見せられてきたので、そういうものだと思っていました。
その後、膣内射精は、平成22年1月-6月の排卵日前後でした。
Nは職場から電話をしてきて、「今月の排卵日はいつだ?」、「それは確かか?」と訊き、私が「よくわからない、確実かどうか。」と応じると、夫は舌打ちをしました。

 この事例196の夫Nは、妻が誘うと「疲れた」「眠い」といい拒み、自身の性的サディズムを満たすセッスクに応じることだけを一方的に強いているわけですが、一方的に強いたおこないであっても、DV環境下でつくられる孤独さ、寂しさを埋めるために必要不可欠なものにすり替わってしまうのです。
夫とのコミュニケーションとしてのふれあいとして必要不可欠なものにすり替わってしまうのは、相反する拒絶と受容のふるまいであることから、マインドコントロールされてしまうからです。
サディクティックな傾向の強いDV加害者には、自身への絶対服従、忠誠を誓わせ、侮蔑し、卑下することで自尊心がくすぐられるタイプと、女性は自身の性的サディズムを満たすための性の捌け口でしかないとの考えで、応じられないのであれば次の相手を探せばいいと考えるタイプがあります。
前者のタイプは、女性に対する激しい憤り、怒りを秘めていることから、別れ話を切りだしたり、家をでたりした妻や交際相手に、復縁を求めて執拗につきまとうなどストーカー行為に及ぶことになります。
事例196の夫Nは、前者のタイプで、複数のセッスク(グループセックス)は“成熟した大人の行為である“のに、受け入れず、楽しもうとしないのは、妻が「繊細すぎる」、「わがまますぎる」、「大人になりきれていない」からであるとの考えで、妻の価値観を否定し、侮蔑し、卑下し、さらに、「両親を頼りすぎる」、「なにかがあるとすぐに電話して泣いて」、「感情をコントロールできない」と妻のふるまいを非難・批判することばを浴びせます。
そして、妻が自分の考えを伝えようとすると話を遮り、「お前はおかしい」、「恥ずかしい」と否定したあと、「夫婦間の間をよくしたいならセックスの内容を変える。夫婦のためだ。」と独自の考えを得々と述べます。
妻がアナルセックス、複数のセックスを拒否したり、嫌がったりすると、「セックスに対しタブーを持ち過ぎ」と非難し、妻が「穏やかなセックスがしたい」とお願いすると、「俺の気持ちはちっとも尊重しない!」と怒りだし、不機嫌になりました。
こうして、妻Hは、夫Nの意に反することは許されない状況がつくられていきました。
つまり、「Ⅰ-7.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」において説明している洗脳・マインドコントロールを仕掛ける者のパターン(型)にあてはまるわけです。
それは、①価値観の破壊(解凍)、②変革、③価値観の再統合(再凍結)というプロセス(型)に添って、妻の人格を「焦らず、確実に、変えて」いくということです。
事例105の夫Xにもこのパターン(型)があてはまり(感受性訓練に似通ったパターン)、この事例196の夫Nと通しているのは、「罰」としての身体的な暴行をふるい、その行為そのものを楽しんでいるということです。
一方で、両者の違いは、自身の絶対服従、忠誠を誓わせる約束手形に固執するかしないかです。
この事例196の夫Nは、性的サディズムにもとづくSMプレイは、成熟した大人の嗜みとして楽しもうとの揺るぎない考えが根底にあります。
①の価値観の破壊(解凍)には、破壊するだけの身体的な暴行が加えられたり、長時間にわたり大声で罵倒されたりする行為が欠かせません。このケースの夫Nは、「もう疲れた。何度も同じことの繰り返しだ。お前は、いつまで経っても同じで、ぜんぜん成熟しない」と妻を罵倒し、少しでも妻が口ごたえすると、妻の腕を強くつかみ床に押し倒し、倒れた妻の顔をビンタしたり、髪をひっぱったりしています。
その暴行は、翌朝、顔が腫れていたり、痣や傷が残っていたりするほどのものでした。
それだけでなく、夫Nは、日常的に妻の臀部や大腿部を手で叩いて赤くなると喜んでいます。
そして、妻Hが夫Nの気分を害したり、自信を損ねたりすることを口にすると家をでていき、帰宅すると、妻Hを裸にし、革のベルトで思いっきり叩いたのです。そして、妻Hの体に赤くみみず腫れができるのを見ると、夫Nは歓喜したのです。
革のベルトで妻を叩くという行為で、特別な意味のある以下のできごとが、ワークシートに書かれていました。
平成22年7月のある夜、私はNの運転する車で郊外の森に連れていかれ、子どもを寝かせると、Nは、私を木に縛りつけ、いつものように革のベルトで叩かれました。縛りつけられたまま、アナルセックスを強いられ、私は泣きました。
しかし、私は、Nに「同居してから、お前の態度が悪いせいだ」、「俺への感謝や愛情が足りない」といわれ続けていたので、その仕打ちだと思い、耐えました。車に戻ると一転して、Nは優しく甘いことばを囁き、私を優しく愛撫し、セックスを求めてきました。
このとき、やっぱり私が悪かったんだと思いました。
「このとき、やっぱり私が悪かったんだと思った」と述べているとおり、このケースの妻Hも、多くのDV被害者がそうであるように、暴力を受けるのは自分が悪いので仕方がないと暴力を受け入れて、いまの状況を生き延びようとする思考パターンに陥っています。
そして、妻Hが、夫Nの「子どもが欲しいなら、複数のセックスに」条件を受け入れると、夫Nは、笑いながら「私は売春婦、私は淫乱ということをいえ!」と強要するようになります。
妻Hがなにか間違いすると、夫Nは、事例105のように、誘導尋問するように「はい。私は淫乱なので、他の男と寝ます。」と口にするように持っていったのです。
この妻Hのことばは、「Ⅰ-7-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」で、『感受性訓練の要素を取り入れた「自己啓発セミナー」のやり口なのです。
「自己啓発セミナー」は、閉ざされた空間で課題(ゲーム)や自己告発(シェア)を繰り返して一体感や高揚感を煽りとり込んでいきます。
このプロセスが、マインドコントロールには欠かせないのです。』と記している“自己告発(シェア)”に該当するもので、その宣言(自己告発)した「ことば」を自身の心にとり込んでしまう危険な行為です。
そして、事例196の夫Nは、50歳代の女性や30歳代のカップルの女性の局部と顔の写真を妻Hに見せ、「どの人がいいか選べ!」と、妻Hの意志で複数セックス(グループセックス)の相手を選ばせるように仕向けていきます。
妻Hは、ワークシートに以下のように書き込んでいます。
 女は私、あとはNが選んだ既婚者の男2人、男3人、男4人、いろいろなパターンがありました。ハードSM系、顔面射精、膣+アナル+フェラチオ、鞭や手錠も使われたりしました。場所も夜の山であったり、木に縛られたり、昼の屋外だったりしました。ホテルでは、恥ずかしがる私に目隠しをしてから部屋に入り、コトをすませ、その様子をNがビデオに撮っていました。
 また、Nに「僕が他の男子3人とセックスするの、どう思う? イエスかノーか応えて。」、「ひとりの男(以前私とセックスした男)と同じ場所でセックスした。」、「もう一度やって欲しいか?」と訊かれ、私が「勝手にすれば」と応えると、Nは「その態度はなんだ! 心配しないのか? もう愛していないのか!」と非難しました。私が「じゃやらないで」と応えると、今度は、逆の結論のようなことをいってくるので、私は頭がパンパンになり、おかしくなっていきました。
さらに、夫Nは、複数セックスに飽き足らず、妻Hを他の男性に貸しだして(売春)いきます。
 Nに「お前に毎月10人くらいの既婚男性に送る。彼らの家、またはホテル、または一緒にお茶をする、そのあとはセックスをする。彼らは成功した人でお金があるし、お前のことを話したら1回ではなく、定期的にそういったことをやりたいといっている。お金は支払う。それを月に10回やればよい。ただし、そのお金は、お前が自分の服を飼うのもよいし、貯金するのもよい。お前が他の男とデートやセックスをすると、お前がきれいになり、自分もうれしい。それは最低でも1年続ける。さらに、お前一人に対し、3、4人の男とのグループセックスをする。」といわれ、私は拒否しましたが、Nは受け入れませんでした。
 正常な判断力を奪われていった妻Hは、夫Nの露出症、性的サディズムを満たすため性的行為を次々と命じられていくことになります。
Nが車を運転しているとき、同乗している子どもが寝ると、私にフェラチオを強いました。
しかもNは、横の斜線にバスが通って中が丸見えでも、下着を脱いで、局部に指を入れること、マスターベーションをすること強制しました。
また、Nは、友人の前でも抱きついてきて、ブラウスのボタンを開けて手を入れてきたり、レストランでも「(下着を履いていない)足を開け」と命じたりしました。
長男が2歳のとき、ミニスカートでフェリーに乗せられ、目の前に初老の男性が座ると、Nは「(下着をつけていない)脚を開け」「彼にスカートの中を見せろ」と命じ、脚を開き、片足を閉じないように押さえつけ、「彼の目と合わせろ」と命じ、耳元で「彼がお前のおまんこを見てるぞ」と卑猥なことばを囁き、喜んでいました。
 夫Nのこうした性的欲求は、「Ⅰ-14-(3)露出症・窃視症」で、「露出症を抱える人の中には、他人に自分の性行為を見てもらいたいという強い欲求を抱えていることがあります。それは、見る人を驚かせたいというよりもむしろ、同意のうえの観客に見られたいという願望です。このタイプの露出症患者は、ポルノ映画を製作したり、アダルト系のタレントになったり、ハプニングパブにでかけたり、グループセックスの会を開いたりすることがあります。このような人が自分の性的欲求に苦しむことは稀で、精神障害とはみなされることはありません。」と記しているとおり、「露出症」としてのふるまいです。
さらに、「Ⅱ-14-(2)フェティシズム」の「*」の中で、「④エキシビショニズム(露出性愛:自分の裸体や性器を公衆の面前や第三者に晒す性的嗜好で、恋人などのパートナーを晒す性的嗜好はカンダウリズム(Candaulism)という。カンダウリズムの根底に潜んでいるのはマゾヒズムだが、それだけではかたづけられるものではない。コキュ幻想を抱く男性は、自分の恋人や妻が他の男から欲情され称賛されることによってしか、その美貌や魅力を確認できない。つまり、「他者の欲望」をかき立てるくらいでないと、愛の対象としての価値がないと考える。「他者の欲望」によって触発されることで、はじめて自分自身も欲情する)」と記しているとおり、事例196の夫Nのこの「露出症」としての他人に自分の性行為を見てもらいたい強い欲求は、「複数のセックスに応じさせる」ことで満たそうと思いに表れています。
夫Nのエキシビショニズム(露出性愛)について、妻は「複数(セックス)でやっているとき、夫のことをチラッとみると、ビデオを構え、ニヤニヤしてマスターベーションをしていました。私を対等な人間と扱っていない顔でした。その光景が目に焼きついています。」と表現しています。
夫は、妻宛のメールに自身の勃起したペニス、その他大勢の男性の勃起したペニスの写真を添付して送りつけて、見た感想を強く求めています。
それだけでなく、妻の裸の写真や複数セックスの動画をネットに載せて楽しんでいます。
自分の恋人や妻が他の男から欲情され称賛されることによってしか、その美貌や魅力を確認できないエキシビショニズム(露出性愛)の場合、裸や性行為を写真や録画に収めるだけでなく、第三者の目に触れされるためにネットに投稿し、より多くの人の眼に触れること、つまり、拡散させることに性的興奮を覚えるわけです。
このケースでは、妻Hの顔は写っていないということですが、デジタルタトゥと呼ばれるこうした投稿写真や投稿映像は、夫と離婚したあともネットの中に残り続けることになります。
つまり、交際相手や夫と別れたあとも、どこかでグループセックスで性行為をおこなった相手と合うリスク、さらに、「画像や映像を見た」という第三者が表われるリスクがつきまとうことになるのです。
このDV被害者Hは、激しいPTSD症状、強く表れていた解離症状には、別人格が形成されていました。
そして、DV加害者の夫のもとから実家に逃げてきていたDV被害者Hは、都立高校の校長を務めた父親と中学校の教師を定年退職した母親に対し、泣き喚きながら、子どものころのおこないを激しく罵り、物を投げつけるなど暴行を加えることになります。


(9) 性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁殺害事件
性的サディズムは、特に、人格障害B群(反社会的人格障害(サイコパス))*-82と結びつくと危険です。
ここでは、起訴後に加害者に対しておこなわれた精神鑑定において、「分裂1病型人格障害や強迫性人格障害などの人格障害」とされた新潟少女監禁事件、「重症の小児期発症型行為障害」とされた大分県一家6人殺傷事件、「人格障害(非社会性人格障害、統合失調症質人格障害、性的サディズム)」とされた大阪姉妹殺害事件、「性的サディズムや(特定の物にこだわる)フェティシズム、人格障害の混合状態での犯行」とされた自殺サイト連続殺傷事件、「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害(人格障害)」とされた付属池田小児童殺傷事件、「未分化な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固なサディズム」「成人のパーソナリティ障害に該当する行為障害」とされた神戸連続児童殺傷事件、「重い共感性障害などASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)の特性のほか、素行障害」とされた佐世保同級生殺害事件、そして、名古屋大生殺害事件の8事案を検証してみたいと思います。
*-82「人格障害」については、次節「Ⅱ-15.ACという考え方と人格障害(パーソナリティ障害)」において、加えて、「反社会性人格障害(サイコパス)」、「境界性人格障害(ボーダーライン)」については、「Ⅰ-5-(5)DVでない暴力、DVそのものの暴力」の中で、詳しく説明しています。
人格障害は、A群、B群、C群の3つの群に分類されます。
A群は「奇妙で風変わりな行動」を特徴とし、妄想性人格障害、統合失調質人格障害(シゾイド)、統合失調型人格障害(スキゾタイバル)と該当し、B群は「演技的で移り気な行動」を特徴とし、演技性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害、ボーダーライン(境界性人格障害)と該当し、そして、C群は「不安や抑制を伴う行動」を特徴とし、回避性人格障害、依存性人格障害、強迫性人格障害が該当します。



-事例197(事件研究43:新潟少女監禁事件)-
「新潟少女監禁事件」とは、平成2年11月13日、新潟県三条市の行方不明になっていた(路上で誘拐された)当時9歳(発見時19歳)の少女が、平成12年1月28日、同県柏崎市の佐藤宣行(37歳)宅で発見され、発覚した誘拐監禁事件です。
平成2年11月13日(水)19時45分、新潟県三条市内にある駐在所に、近くの主婦が「小学4年生の次女が帰ってこないので、捜してください」と捜索願をだしました。これを受け、新潟県警察三条署と学校関係者100人以上、翌14日には200人以上が少女の捜索にあたりましたが、手掛かりさえ見つけることができず、15日から三条署内に県警機動隊、機動捜査隊など107名で構成された「女子小学生不明事案対策本部」が設置されました。以後、捜索範囲は周辺市町村へも拡大され、ヘリコプターによる空からの捜索や、空き家やコンテナボックスの内部なども捜索され、夜間検問も実施されました。捜索は、同年11月19日に人員が80人規模に縮小され、同年12月25日には地元消防団などによる捜索が打ち切られました。
少女を発見することができず、少女の行方はわからないまま月日だけが過ぎていきました。
それから9年2ヶ月経過した平成12年1月28日、柏崎市四谷にある佐藤宅を訪問した保健所の保健婦が、2階の佐藤の部屋にて毛布にくるまった女性(19歳)を発見し、すぐに保護されることになりました。
すると、その女性は、三条市で行方不明となっていた少女と判明したのです。
佐藤宣行は、昭和37年7月生まれで、両親が年老いてからできた子どもでした*-83 。両親に「ボクちゃん」と呼ばれ、溺愛されて育ちました(成人後も「ボクちゃん」と呼ばれていた)。
*-83 佐藤の父親は、東京の大きな会社の重役を送迎する運転手をしていましたが、帰郷し、柏崎市内でタクシー会社を設立しました。
61歳のときに再婚し、誕生した1人息子が佐藤宣行でした。
佐藤を溺愛していましたが、81歳のときに、佐藤に家を追いだされ、以降、異母姉の家に避難しています。その後、老人介護施設に入所していたが、少女が佐藤宅に連れてこられる前年の平成元年に亡くなっています。

母親は、若いころに心中騒動を起こしていました。35歳のとき、26歳年上の夫と結婚することになりました。保険外交員をしていた母親は、45歳のとき、息子を精神科に連れて行くために自動車免許を取得しました。
佐藤が小学1年のとき、父親は家を新築し、2階の十畳ほどの洋間を自室として与えました。中学1年のとき、佐藤は「怖くて学校に行けない」というようになり、精神科の診察を受け、不潔恐怖症と診断されました。
会社でタクシーの洗車を日常的にしていた佐藤の父親も、不潔恐怖症でした。佐藤は、虫を毛嫌いし、わずかな汚れを気にしていました。そして、70歳半ばを過ぎた父親は、中学生の佐藤にとって、薄汚れてみえる疎ましい存在でしかなく、「あんなのオヤジじゃない」と口にするようになります。
工業高校に進学した佐藤の身長は175センチほどでしたが、覇気がなく、なよなよした話し方であったことから、「オカマ」と呼ばれていました。
そして、自分の殻に閉じこもるようになり、家の中で、うっぷんをはらすように、障子や窓ガラスを破壊するようになっていきました。
高校を卒業した佐藤は、自動車部品製造会社に就職し、工員となりました。出勤する途中に立小便をしたときに、「クモの巣にかかって汚れた」と、家にひきかえしてしまうなどの奇行が続き、数ヶ月で退職することになりました。
以降、佐藤は仕事に就いていません。
昭和56年7月、19歳の佐藤は、81歳の父親を家から追いだします。そして、母親と口論となり、佐藤は、母親が「私もでて行く」と口にしたことに激昂し、家の仏壇に火をつけ、危うく火事になる事件を起こします。
佐藤は、良岡市の国立病院の精神科に連れていかれ、強迫神経症(不潔恐怖)と診断され、その日に入院し、向精神薬を投与されることになり、1ヶ月後に退院しました。
平成60年、23歳のなった佐藤は、母親に「僕もそろそろ自立しなければならない。お母さんにいつまでも甘えているわけにはいかないので、独立して生活できるように家を増築してほしい。」と願いでると、就職口を見つけて真面目に働くと思った母親は、直ちに700万円をかけて、家を増築しました。
しかし、佐藤は「他人が部屋に入ってくるのが嫌だ!」と、2階の自室を工事業者に踏み込まれるのを頑なに拒否したことで、増築は中途半端なまま中止となりました。そして、佐藤が就職するという約束も反固にされることになりました。
佐藤は、母親を、好きなアイドル歌手のレコードや、競馬新聞などを買いに行かせていました。
そのため、佐藤の母親は、商店の人たちの間で、ある種の有名人となっていました。佐藤が競馬場に行くときには、母親が車で送迎していました。レースが終わるまでベンチに腰かけて待っている母親の姿が、競馬場の常連の間でも知られています。佐藤が競馬に勝つと、母親になじみの寿司屋で極上のトロのにぎり10個、8000円分を買わせたたりしていました。
平成元年6月13日、27歳の佐藤は、いたずら目的で下校途中の小学四年生A子を空き地に連れ込もうとします。しかし、別の児童の通報により、学校事務員にとり押さえられています。同年9月19日、新潟地方裁判所長岡支部は、佐藤に対し懲役1年、執行猶予3年をいい渡し、同年10月5日、刑が確定しています。
裁判官は、佐藤の再犯の可能性は低いとして、保護観察処分ではなく、母親に監督・指導を任せました。
さらに、柏崎署と新潟県警本部は、強制わいせつで検挙した佐藤を「前歴者リスト」に登録せず、刑が確定したあとも登録漏れのまま放置していました。
強制わいせつ事件をおこしてから1年5ヶ月、執行猶予中の佐藤は、平成2年11月13日、佐藤は乗用車で単身移動中、市内の農道において下校途中の少女(小学4年生、9歳)を発見し、「女の子が可愛かったし、側に誰もいなかったので」誘拐を決意します。いったん少女を追い抜いてから目前で停車し、護身用に持ち歩いていた刃渡り約14センチのナイフ(サバイバルナイフ)を手に少女へ接近し、正面から胸付近にナイフを突きつけて「おとなしくしろ。声をだすな」と脅迫し、身動きできない少女の背後に回って車の後部に連行しました。
そして、車のトランクを開け、「入れ」と指示しますが、少女が入ろうとしなかったため、身体を抱えあげて押し込め、トランクを閉めたのち車を発進させました。
佐藤は、自宅で少女と一緒に生活しようと考え、自宅のある柏崎市方面へ向かいましたが、少女が暴れたり、自宅周囲を見わたしたりするのを怖れ、いったん停車し、車内清掃のため後部座席に常備していた粘着テープを使用して少女の両手首、両膝を縛ります。目隠しを施し、改めて自宅へ向かいました。少女は、「トランクを開けた男に対し、「三条市の家に帰れるの。お父さん、お母さんの家に帰れるの」と尋ねると、男は「だめだな。これからおれと一緒に暮らすんだ」と応えた」と供述しています。
自宅に到着した佐藤は、二人暮らしをしている母親に少女を見られないよう、母屋の正面玄関ではなく、家の増築部分の玄関前に停車させ、少女を抱えて自室のある2階に上がり少女を自室南側の窓枠に置きます。改めて正面玄関前に車を回し、普通に帰宅したように装いながら自室に赴き、窓枠に置いてあった少女を自室に入れ、少女の目隠しを外しました。
そして、少女に対し「この部屋からはでられないぞ。ずっとここで暮らすんだ。約束を守らなかったらお前なんか要らなくなる。山に埋めてやる。海に浮かべる。」と脅迫的なことばを浴びせ続け、監禁をはじめました。
佐藤は、少女に脅迫的な文言を繰り返し浴びせたり、ナイフを突きつけたり、顔面を数十回殴打したりするといった暴行を加えました。
最初の2-3ヶ月間、自身の外出や就寝時には、少女の両手足を縛り、身動きができないようにしていました。
その後、両手の緊縛は解かれたものの、両脚の緊縛については1年ほど続きました。
そして、少女の脱出意志を喪失させていきした。
佐藤は、少女に対し、「大声をださない」こと、「男が部屋を出入りするときには、顔を隠したり、毛布に潜ったりする」こと(家の構造を知られないため)、「自室のセミダブルベッドから許可なく降りない」こと、「暴れない」ことを命じ、これを破ったときには、暴行を加えました。
1-2年目(平成3-4年)には、暴行に母親に買ってこさせたスタンガンを使用しはじめます。
少女は「叫び声を上げたら刺されると思い、自分の身体や毛布を噛むなどして声をあげることなく耐えた。」と述べています。
佐藤の生活に関わる雑用を少女がこなさなかったり、プロレス技を掛けられ少女が苦痛に声をあげたりしたときにも、佐藤は「スタンガンの刑」と称し、暴行を加えました。
佐藤は、少女を監禁した9年2ヶ月で、「軽い殴打は700回程度、力を込めた殴打は200-300回程度に及んだ。」と供述しています。
少女はある時期から、目を殴られると失明すると思い、自ら頬を差しだしたり、スタンガンの痛みに慣れるため自らの身体に使用したりするといった行動をとるようになります。
さらに、暴行を受けている最中に「殴られているのは自分ではない」と第三者的立場を仮想し、防衛機制を働かせる解離性障害の症状もでるようになっていきました。
食事は、佐藤の母親が夜食用に用意していた重箱詰めの弁当が与えられていましたが、高齢であった母親の負担を考慮した佐藤が、自らコンビニエンスストアで売られている弁当に切り替えています。
さらに、平成8年ころ、佐藤は少女の足に痣ができているのを発見すると、これを高タンパク由来のものと考え、糖尿病に進行することを危惧し、運動をしない以上、減らすしかないと思い、少女の食事を1日1食に減らしました。
数ヶ月後、少女は体調を悪化させていきました。
男が計測すると、監禁をはじめた小学4年9歳とき46kgあった体重が、38kgまで減少しており、少女は失神を起こすようになっていました。
しかし、佐藤の対応は、弁当におにぎりを1つ足しただけでした。
長らくベッドのうえでおこなう脚部の屈伸が、少女に許されていた唯一の運動であり、その後、糖尿病予防のため床上での足踏みが許されていましたが、階下に母親がいるときには、存在にきづかれないために、それも禁止しました。
少女の筋肉は著しく萎縮し、佐藤の腕につかまってようやく立てる状態になっていきました。
発見後の検査では、著しい栄養不良に加え、両下肢筋力低下、骨粗鬆症、鉄欠乏性貧血などが認められ、通常歩行は不可能な状態でした。
また排泄は、潔癖症のためトイレが使えず、ビニール袋に排泄していた佐藤に倣わせ、排泄後の袋は部屋の外の廊下に放置されていました。
佐藤は、自分が部屋をでるときに少女に顔を覆わせていた理由について「廊下にビニール袋が並んでいるのを見られたくなかったから」とも述べています。
こうした環境下に置きながら、少女が監禁中に入浴したのは、ベッドから誤って落下し埃まみれになったときに、目隠しをしたままシャワーを浴びせられた1回だけでした。
 虐待の一方で、佐藤は、少女に漫画や新聞などを与え、テレビ、ラジオで流れるニュースなどの内容や、男の嗜好する事柄について少女と語り合うことを好んでいました。
時事についての議論は、「彼女の考えが子どものままでいないように」するためであったとし、「因数分解なんかは世の中では役に立たないけど、比例式は覚えた方がよいので教えました。」と供述しています。
少女が保護されたあとにおこなわれた検査では、少女には一般の同年代人と比較して知的レベルに目立った低下は見られず、知識量や語彙においても目立った遅れはないとされました。
裁判で佐藤の弁護人は、「この事実は、佐藤が少女に情報・知識を与えるよう努めたことが寄与している」として、酌量を求める材料のひとつとしました。
佐藤は、少女を「友達」と認識しており、裁判において、佐藤は「被害者は、私のいいつけを本当によく守るようになりました。これからはずっと、一緒に暮らしたいと思いました。競馬や自動車など、対等に話ができた。被害者のことは、基本的に好きだった。同世代の女性と思っていた。かケガえのない話し相手だったので、解放することはできませんでした」と供述しています。
また、初公判で読みあげられた少女の供述調書の内容に対し、佐藤は「自分はうまくやっていたと思っていたのに、実は恨まれていたんだとわかった。」と述べています。
一方で、佐藤の母親への暴力も日々激しくなっていました。佐藤のことを心底怖れるようになっていた母親は、500円で過ごすことができたことから、10時から16時まで「カンポの宿」で時間をつぶすことが多くなっていきます。
佐藤が少女を監禁しはじめて5年あまりたった平成8年1月、母親は、保健所に赴き、佐藤の家庭内暴力を訴えます。
職員は、家庭訪問を打診しましたが、母親は「息子が暴れる」と断ります。
そして、佐藤は、代替案として指示された精神病院に赴き、そこで向精神薬を処方され、服用します。
平成11年ころから、佐藤は、母親に対してもスタンガンを使用するようになり、同年12月、再び精神病院を訪れた母親は、「このところ息子の暴力がひどい。自分の意のままにならないと殴る蹴るのうえに、私を縛りつけて、トイレにさえ行かしてくれない。」と訴えます。
医師はこれ以上同居させておいては、母親の身が危険と判断し、医師は強制的手段として、医療保護入院(強制入院)を提案します。
母親は、この提案に同意しました。
平成12年1月19日、その是非を判断するため保健所職員と柏崎市職員が被疑者宅を訪れますが、佐藤は部屋に閉じこもっていたので、面会することはできませんでした。後日、精神病院、保健所、市役所のなどが協議をおこない、医療保護入院の実施日が決定され、それに向けて専門チームもつくられます。
そして、同年1月28日、医療保護入院措置の実施のため、医療関係者、保健所職員および市職員など7名が被疑者宅を訪れました。自宅前に2人を待機させ、5人が男の部屋がある2階に上がり、精神保健指定医が「お母さんの依頼で診察に参りました。」と告げ、返事を待たず部屋に入りました。
ベッドで寝ていた佐藤は、「なんで入ってくるんだ!」と抗議しますが、指定医が法律を説明し、「あなたは入院が必要であると認定されました。」と告知すると、佐藤は激しく暴れだしました。
警察の応援が必要であると判断され、事前に医療保護入院があることを通知していた柏崎警察署生活安全課に警官3名の派遣を要請しまいたが、「男性の課員が出払っているため、彼らに連絡を取ったのち折り返し電話する」と保健所職員に伝えられます。
なおも暴れる佐藤に対し、医師が鎮静剤を注射します。
効果が現れるまで佐藤は抵抗を続けましたが、やがて鎮静化し、眠りに落ちました。
その後、関係者の注意は、騒動の間にも動いていた毛布の塊に向けられました。市職員が毛布をハサミで切り開くと、中から異様に色白な短髪の少女が現れました。
市職員は「あなたは誰ですか。話をしてください」、「名前は? どこからきたの?」となげかけますが、少女は口ごもり、「気持ちの整理がつかないから…。」と応じるのがやっとでした。
要領を得ないため指定医が階下にいた佐藤の母親を呼びだし、「この女性は誰ですか?」と訊きましたが、母親は「知りません。顔を見たこともない。」と応えました。
指定医は、少女に「一緒にいた佐藤さんは入院することになったので、ここにはいつ帰ってくるかわかりません。あなたはどうしますか?」と訊くと、少女は母親に向けて「ここにいても、いいですか?」と応えました。
母親は了承しましたが、市職員らが「そういう問題じゃないでしょ。家の人に連絡しないとだめよ。」とたしなめると、少女は「私の家は、もうないかもしれない」と話しました。
裁判の母親の供述では、佐藤の母親が「あなたのお家はどこ?」と訊くと、少女は「ここかもね」と応じたとされています。
平成3年4月、64歳の母親は、佐藤に「スタンガンを買ってくるように」と指示され、柏崎市内のホームセンターで購入していますが、少女発見まで20年以上も息子の部屋には入っておらず、少女の存在を知らなかったということでした。
捜査の結果、佐藤の部屋を含む2階全体から母親の指紋が一切検出されなかったことや、少女が「母親が住んでいることさえ知らなかった。」と供述していたことから、母親のことばの裏づけがとれ、母親は立件されず、重要参考人となるに留まりました。
その後、佐藤ほか3名、母親と医師、少女ほか2名がそれぞれ車に分乗し、近郊の病院へ向かいました。
少女は、保健所職員などにつき添われて家をでようとしたとき、「靴はないの。外にでられないから。」とつぶやいたということです。
佐藤宅に残った職員の携帯電話には、柏崎署から折り返しの連絡が届き、「人員の都合がつかない。」と伝えられますが、職員は「佐藤が鎮静化し病院に向かったことと、同時に身元不明の女性が見つかった」ことを伝え、警察官の出動を改めて要請します、電話口の生活安全課係長は「そちらで住所、氏名をきいてくれ。そんなことまで押しつけないでくれ。もし家出人なら保護する」と応じ、事実上出動を拒否しました。
病院へ向かう車中で、病院職員が少女に改めて名前を訊くと、自身の名前と住所、生年月日、両親の名前などを応えました。その情報に覚えがあった職員は、三条市で行方不明となった少女に思いあたり、病院到着後に少女から聞いた番号へ電話をかけますが、呼びだし音が鳴ったものの誰もでませんでした。
職員は、柏崎署に連絡をとり、「家にいた女の人の名前がわかりました。三条で行方不明になった少女だと名乗っている。少女は「十年前に連れてこられて一歩も外にでていない」と話している。少女の家に電話をしたがでなかった。いま病院にいるので、すぐきてください」と要請しました。
これを受け、柏崎署から刑事課の捜査員3名が病院へ急行し、少女を伴い、再び柏崎署に戻ったのち指紋の照合がおこなわれ、発見された少女が三条市で行方不明になった少女と同一人物であることが確認されました。同日夜には、三条市から少女の母親が駆けつけ、9年2ヶ月ぶりの再会を果たすことができました。
一方、同じく病院に搬送された佐藤は、そのまま医療目的で収容されました。警察は早期の身柄引き渡しを要求しましたが、院長は、佐藤が医療保護入院の目的で投与された鎮静剤により昏睡中であることから、「医者は患者の生命と身体を守ることが目的で、継続している医療行為の責任を取らずに警察に身柄を引き渡すことはできない」との判断を下し、医療優先の方針を伝え、これを了承されました。
佐藤の覚醒後、突然の環境変化による精神的動揺、のちに発症した内科疾患がすべて治まるまでに10日間を要しました。平成12年2月11日、回復した佐藤は、警察車両に乗せられて病院の裏口から退院しました。「病院敷地内での逮捕は避けて欲しい」という院長の要請により、敷地からでた時点の14時54分、佐藤は逮捕されました。
佐藤の逮捕から22日後の同年3月4日、新潟地方検察庁は、佐藤を未成年者略取誘拐と逮捕監禁致傷の容疑で新潟地方裁判所に起訴しました。佐藤が少女に負わせた傷害のうち、起訴事実に盛り込まれたのは、両下肢筋力低下と骨量減少などで、診断されていた心的外傷後ストレス障害(PTSD)については、裁判の過程で予想される少女の精神的負担とプライバシー保護に配慮して起訴事実から除外されました。
公判は、同年5月23日からはじまりましたが、この中でも少女のプライバシーは保護され、通常おこなわれる起訴状での被害者名読みあげはおこなわれませんでした。
また、佐藤の弁護人も「私も人の親なので、法廷にまで連れてきて尋問したくないというのが本音にある。」と、少女を証人申請することはしませんでした。
逃げられなかったことについて、少女は「縛られなくなってからも、常に見えないガムテープで手足を縛られているような感覚でした。気力をなくし、生きるためにこの部屋からでない方がいいと思いました。男は気に入らないとナイフを突きつけるので、生きた心地がしませんでした。大声で泣きたかったけど、叫び声を押し殺しました。けっして男と一緒にいたかったわけではありません」と供述しています。また少女は母親に対して男を評して「憎いとか怖いとか、そんな感情を出すのがもったいないほど、最低の人だ。」と語っています。
公判前におこなわれた佐藤に対する簡易精神鑑定では、「被告人は自己愛性人格障害および強迫神経障害で、分裂症は認められない。」とされましたが、弁護人は、被告人が病的な潔癖症であることや、母親が事件発覚の数年前から被告人について精神科に相談していた事実などから「正常な感覚では理解できない、病的な一面がある。」、「精神状態は正常でなかったと思われる。」として本鑑定を要求しました。
また、佐藤は、第3回公判から、「亡父の姿や虫やヘビの類が見える、人の話し声や虫の羽音が聞こえる。」といった幻覚、幻聴の体験について供述をはじめています。第4回公判で、精神鑑定の実施が告知され、第6回公判で結果が公表されました。鑑定担当者については、地方裁判所から「これまで事件について評論したことがない精神科医から選ぶ」と告知され、犯罪心理学が専門である帝塚山学院大学教授の小田晋が選ばれました。
鑑定書では、被告人の精神病態について、「被告人には分裂病型人格障害や強迫性人格障害などの人格障害が認められるが、物事の筋道に従って行動する能力を失ったり、著しい障害を有する状態とは判定されない。他に自己愛性人格障害も認められる。また、被告人が訴えている幻覚や妄想などは拘禁生活の影響で誇張されたものであり、犯行には直接、影響していない。」、「被告人は狭義の精神病には罹患していない。拘禁には耐えうる。しかし、強迫性人格障害や分裂病型人格障害があることは明白であり、被告人の犯行に若干の影響を与えたことは考慮すべきであろう。」と書かれています。
これとは別に、事件直後に佐藤が収容された病院の副院長と、簡易鑑定を行った新潟大学付属病院の医師が診断した病名は、「分裂病質人格障害、強迫性障害、自己愛性人格障害、小児性愛」の4つでした。
弁護側は、小田の精神鑑定書の内容に同意しつつも「心神耗弱の主張は維持していく」と述べました。
平成13年11月30日、第7回公判において論告求刑がおこなわれました。検察は、被告人の犯行について「鬼畜に劣る悪行」、「非人道的で、血の通った人間の行為とは思えない。極悪非道である。」と厳しく糾弾したのち、被告人に対する懲役15年を求刑し、また「裁定未決拘置日数は、1日たりとも算入すべきでないことは、当然である。」と異例の進言をしました。一方、弁護側の最終答弁では、小田鑑定書で言及された「強迫性人格障害や分裂病型人格障害があることは明白であり、被告人の犯行に若干の影響を与えたことは考慮すべきであろう。」という部分を強調し、「被告人が少女の誘拐当時心神耗弱の状態にあった。」と改めて主張し、「略取誘拐罪は少女を支配下に置いた時点で完結しており、公訴時効により免訴されるべきである。」とし、被告人の犯行に計画性を裏付ける証拠がないこと、少女の監禁中に被告人が娯楽を与えようと配慮をしていたことなどを指摘したうえで、「起訴されている公訴事実を対象に、情状を考慮して、適正に判断していただきたい。被害者の気持ちは理解できるが、量刑の均等を取らなければならない。」と結びました。
平成14年1月22日、判決公判が開かれ、新潟地方裁判所の榊五十雄裁判長は、被告人に対して懲役14年の判決を下しました。検察が言及した未決拘置日数(350日)は刑に算入するとされました。
判決文では、未成年者略取と逮捕監禁致傷の両件について「動機・態様は極めて悪質で、その発生した被害結果などはあまりにも重大であり、刑法が構成要件として想定する犯行のなかでも、最悪の所為」とし、また窃盗については「監禁の犯行を継続し、その犯行に資するがために敢行されたもので、その動機および様態などは相当に悪質であって、未成年者略取および逮捕監禁致傷の犯状を、いっそう悪化させてい。る」と指摘し、14年という量刑について「逮捕監禁致傷の法定刑の範囲内では、とうてい適性妥当な量刑はできないものと思料し、同罪の刑に、法定の併合罪加重をした刑期の範囲内で、被告人を主文の刑に処することにした。」と説明しています。弁護側の主張のうち、略取誘拐の公訴時効については「本件は全体として一個の行為が略取罪と逮捕監禁という数個の罪名に触れる刑科上一罪としての観念的競合の関係にある。さらに、逮捕行為及び監禁行為は包括一罪となるから、被害者が解放された時点まで犯罪として継続したことになる。」として退けています。また心神耗弱についても「認められない」としました。
 判決翌日、弁護人が被告人に控訴の意志を問うと、被告人は「控訴します」と即答し、弁護人が確認するとやはり「控訴します」と応え、同年1月24日、控訴手続きがおこなわれました。一方、新潟地方検察庁は「判決の量刑が著しく軽きに失するとは断じがたい。」として控訴を断念し、二審以降の量刑は最高14年以下となることが確定しました。
同年12月10日、東京高等裁判所の山田利夫裁判長は一審判決を棄却し、被告人に対して懲役11年の判決を下しました。山田裁判長は、判決を読みあげたあと、被告人に向けて「判決は14年から11年に短縮されましたが、犯情がよいとか、情状酌量ということでは決してありません。一人の人間の人生を台無しにしたということを、十分に反省するよう、強く望みます。」と説諭しました。10日後の同年12月20日、東京高検は「高裁判決は法令の解釈に重大な誤りがあり、破棄しなければ著しく正義に反する。」として上告を決定しました。一方、控訴審より担当となった被告人の国選弁護人は判決を受け容れる方針であったが、被告人は「二審判決は、一審の新潟地方裁判所判決と同じように、事実誤認がある。また、二つの罪を合わせて懲役11年という判決も、不当に重いから不服である。」とする自筆の上告書を提出し、こちらも上告することになりました。
平成15年6月12日、最高裁判所第一法廷で上告審の弁論がおこなわれ、検察側、弁護側双方が併合罪の解釈について意見陳述がおこなわれ、検察は「複数の犯罪行為が一人の人間に対しておこなわれており、処断刑は犯罪行為と犯人の人格とを総合評価すべきもの」とし、懲役11年の高裁判決は軽すぎると主張しました。一方の弁護側は「検察側の主張では、恣意的、技術的に刑が加重される危険がある。」、「法治国家が長年培ってきた罪刑法定主義の原則に立つべき」と主張しました。同年7月10日、判決公判が開かれ、最高裁判所第一法廷の深沢武久裁判長は、二審判決を破棄して一審の懲役14年を支持し、被告人側の控訴を棄却する判決を下しました。
これにより被告人の刑は懲役14年で確定しました。
少女の保護から1年10ヶ月後、平成13年12月1日に新潟日報が報じた記事では、被害少女は事件後成人式に出席し、運転免許を取得し、家族と新潟スタジアムへサッカー観戦に赴いたり、家族旅行にでかけたりするなど、日常を取り戻しつつあると伝えられています。


-事例198(事件研究44:北海道・東京連続少女監禁事件)-
「北海道・東京連続少女監禁事件」は、平成13年から平成17年にかけて複数人の少女が、小林(現姓石島)泰剛(第二事件での逮捕当時24歳、無職)に監禁された事件です。
第一の事件は北海道でおきています。
平成13年、小林は北海道江別市に居住していましたが、同年9月、札幌市内で知り合った無職の女性(20歳)に、「精神科の医師」、「声優」と名乗り、同居するよう誘ったあと、自宅に連れ込み、「おれに無断で外にでたら、おまえを簡単に殺すこともできる。今日から俺の奴隷にしてやる。」と脅し、2週間にわたり監禁しました。
小林は、女性にペット用の首輪をつけたり、包丁で太ももを切りつけたり、手に熱湯をかけたりするなどの暴行を加え、「ご主人様」と呼ばせて性的な暴行も加えていたほか、竹刀やタバコの火を使った暴行を、日常的に加えていました。
さらに、女性には、「(自分を)裏切らない」「一生忠誠を誓う」という誓約書を書かせていました。
女性は、解放されたあとに警察へ被害届を提出したことから、平成14年4月16日、北海道警察(道警)は監禁致傷容疑で小林を逮捕しました。
また、小林は、別の少女(19歳)を監禁し、包丁で足を傷つけたり、熱湯を浴びせたりするなどの暴行を繰り返していたことは判明しました。
小林の弁護人は、「小林が中学時代から不登校になり、精神病院に通院し、高校時代には自殺を図ったこともある。」と主張しましたが、札幌地方裁判所は、「心神喪失状態にあらず、責任能力はある。」とし、平成15年8月、懲役3年執行猶予5年の判決が下されました。しかし、被害者との示談が判決前に成立しており、小林が控訴しなかったことから刑が確定しました。北海道の事件での弁護士は、「小林が母親役の人がいないと生きていけない、自分の自殺願望を止めてくれる人がほしいと語っていた」、「女性にご主人様といわせることで自信を持つ」性格が事件の背景にあるのではないか」とも語っています。
第二の事件は、小林が執行猶予期間中に転居した東京都でおきました*-84。
東京都へ転居した小林は、チャットに出入りし、そこで知り合った兵庫県出身の少女(18歳)と交際をはじめました。
小林は、出会い系チャットでは、小林は、女性名(小林香澄、碧(へきる))で知り合いをつくる作戦をとり、また「声優をやっている」と嘘をついていました。平成16年2月、小林は、少女を「東京へこい。こないとやくざを送り込んで家をつぶす」と脅して上京させ、賃貸契約を結んでいた東京都足立区綾瀬のマンションやホテルで4ヶ月にわたり、北海道での第一事件のときと同様にペット用の首輪をつけて監禁しました。
小林は、少女に対し「ご主人さまの命令」としていいなりになることを強要し、抵抗すると、お仕置きとして暴行を繰り返したのです。
同年6月、石島が電話をしているすきに、少女はマンションを脱出し、約100メートル離れた弁当店に飛び込み、助けを求めたことから事件が発覚しました。
保護された少女は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による衰弱が激しい状態でした。
監禁していた少女が自力で脱出後の秋に、小林は足立区綾瀬のマンションから、世田谷区喜多見のマンションに転居しました。
そして、都内の女性を世田谷区喜多見のマンションに監禁し、「もうひとり女を用意しろ」と命令し、命令された女性は、同年11月21日都内で開かれたコスプレのイベント会場で知り合った無職女性に「生活費の面倒を見る。一緒に住もう」といい 同マンションに誘い入れ、監禁したのです。
その間小林は、無職女性に「逃げたら殺す」と脅したり、首を絞めたりするなどの暴行を加えていました。
同年12月2日、小林の部屋からでてきたという女性が、同じマンションに住む夫婦の部屋のチャイムを鳴らし、泣きじゃくりながら「逃げたいんです」と助けを求めたのです。
助けを求められた夫婦が、「両親に連絡しなさい」とアドバイスすると、女性は「携帯電話が電池切れで使えない」と応えたことから、夫婦は、公衆電話をかけられるように女性に小銭をわたし、コンビニエンスストアの場所を教えたのです。
教えられたコンビニエンスストアに向かって走って女性は、逃れることができたのです。
無職女性が逃れたあと、小林は、「自分は統合失調症である。」と訴え、札幌市内の病院に通院し、同年12月と平成17年4月、「幻聴が聞こえる」と訴え、東京都内の病院で統合失調症の診断を受けています。
平成17年5月12日、警視庁綾瀬署は、小林を監禁致傷容疑で逮捕しました。
小林は、携帯電話のチャットなどで知り合った女性を呼びだし、暴行や脅迫で逃げだせない心理状態に追い込んでいました。
首輪で少女の自由を奪い、自分を「ご主人さま」と呼ばせ、女性を「メイド」「家畜」と呼び、殴る蹴るの暴行、さらに、性的虐待を加えていたのです。
こうしたふるまいを「しつけ」と称していた小林は、取調室でも自分自身に陶酔し、幻想の世界にどっぷりとはまっているかのような身勝手な言動を繰り返したといいます。
自らを「皇子」と名乗り、興味がある話題には冗舌に応じるものの、事件の話になると怒りだし、抗弁を用いて容疑を否認し続けたのです。
女性に対しての過剰な自信は、「(オウム真理教の)麻原彰晃のマインドコントロールなど比べ物にならないくらい(女性との関係は)強固なものになる」、「容姿に自信がある」、「皇子として現れる自分に女性が引き込まれるのは明白」、「自分が落とせない女性はいない」と自慢話となって表れます。
それだけでなく、小林は、①女性と出会った当初はメールやチャットでのやりとりで、「ごめんなさい」「お願いしますぅ」などの、「寂しがり屋」を示すキーワードを探す、②女性に、自らの性格をアニメのキャラクターなどで表現させ、どう認識しているか判断する、③機嫌が悪いふりをするなど強気にでたときに「ごめんなさい」など下手にでることばが見えたら 一気に「オレのいうことをきけ!」といってたたみかけ、服従させるなど、自らが見いだしたという“落としのテクニック”も披露し、捜査員をまた驚かせることになります。
一方で、小林は、取り調べの合間に「示談にならないかな」とつぶやいたといいます。
先の北海道での事件では、「根深い粗暴な性癖」や「常習性」を指摘されながらも、父親が、約1200万円の示談金を用意し、示談していたのです。
*-84 小林が東京都へ転居したとき、小林は青森保護観察所へ転居先の住所を届け出ていましたが、同観察所から東京保護観察所への転居事実確認を求めるファクシミリの送信が失敗していたことが、のちに判明しています。
この伝達情報ミスが、結果的に東京都での第二の事件を防ぐことができなかった原因のひとつとされています。

小林は、のちに、他にも平成15年12月から平成16年12月にかけ、17歳の少女を青森県五所川原市内などのホテルで約3日間監禁、女性(22歳)を東京都内のマンションに約4ヶ月間監禁、女性(23歳)を東京都内のマンションに約10日間監禁したとして再逮捕(計6人に対して監禁)されました。
東京地方検察庁は、そのうちの4人への監禁、さらに、女性3人が心的外傷後ストレス障害を負っていたことから傷害と認定し、起訴しました。
小林は、青森県五所川原市の資産家の家庭に生まれました。
父親は保育園、専門学校等をいくつも経営するなど、青森県内では名家として知られる一族の出身であったことから、小林は、高校時代に「王子様」のニックネームで呼ばれていたといいます。
このことから、事件発覚当初からインターネット上では、別名「監禁王子」ともいわれ、のちに大手メディアでも「監禁王子」という名称を使うようになっていますが、小林本人は、父系の血を嫌っていたため、「王子」ではなく「皇子」であると主張しています。
小林は、小学校時にはベンツで送り迎えをしたもらい、周囲から「王子」と呼ばれていましたが、愛や尊敬や親しみを込めて呼ばれていたわけではなく、むしろ、否定的な意味合いで、変わった子どもと見られていました。
小林は中学校で、セーラームーンのなりきり、気持ち悪がられていたといいます。
高校入試に失敗し、挫折と失敗を繰り返し、結局、「王子様」とニックネームで呼ばれていた高校は退学することになります。
小林は高校を退学後、裕福な家庭環境であったことから仕事に就くことはありませんでした。
監禁中、小林は、父親から月に数十万の仕送りを受けています。
その父親を、小林は嫌っていました。
小林の父親は金やおもちゃを握らせておけばというタイプで、小林の部屋にはおもちゃがあふれていたといいます。
また、酒好きで女好き、気に入った人妻の自宅前に、いきなり外車を横づけして”プレゼント”しようとしたこともあるといいます。
両親は、ケンカが絶えず、母親は、平成11年12月に首をつって自殺しています。
父親はその後、旧知の女性と再婚しました。
弁護士は、「小林が、母が死んでから人生が狂いはじめた。母が唯一の自分の理解者だったと語っていた」と述べています。
小林は、ネットの活動は活発であったものの、親しい友人や遊び仲間はおらず、実社会とのつながりはひきこんでいるように希薄だったといいます。
そして、アダルトゲームに熱中していました。小林の自宅マンションから発見されたアダルトゲームソフトのCD-ROMは、約1000点に及んでいます。
ゲームの中には女性を監禁し、暴行して服従させる「調教もの」と呼ばれるものも多数含まれており、特に、小林が気に入っていたアダルトゲームは、「エンドレス自慰対応鬼畜系調教アドベンチャーゲーム」で、小林の私生活にピタリと一致しているといいます。
小林の自宅からは、これらのゲームソフト以外に、セーラー服などのコスプレ衣装、アダルト系少女漫画や心理学の本が見つかっています。
そうした中で、小林は、母親を亡くしたことで大きな精神的ショックを受け、家出同然に実家を離れ一人暮らしをはじめています。
また、周囲には「ハーレムをつくる。」と話していたといいます。
小林は第一の事件後、入門した空手道場の道場主に無断で印鑑を借用し、養子縁組を届け出、名字を変えています。
小林は、執行猶予中に身につけた武道を暴力に替え、女性を脅し、恐怖で支配していったのです。
また、小林の祖父(元警察署長)は、テレビ朝日「サンデースクランブル」の取材で、「無実を信じている」、「本人のせいじゃなくて、最近は女性の肌の露出が多くなっているでしょ。着物の国(日本)で裸の女がおったら、誘っていると思われても仕方ない。」と驚くべき発言をしています。
さらに、小林のおじ(元衆議院議員・県知事)は、この事件の数年前にセクハラ問題を起こしてローカルニュースで取りあげられており、地元では本事件の発生後、「やっぱり」的な反応が多く聞かれています。
小林は、拘置中の同年8月、4度目となる結婚をし、10月に離婚しています。
小林は、最初の結婚相手の「石島」姓に改姓し、東京地裁初公判に出廷しています。
最初の結婚は、同様事件の被害者で、小林は、札幌地方裁判所で執行猶予付き有罪判決を受けています。拘置中に結婚した相手は、同年5月の逮捕直前まで札幌市の病院に入院したときの入院患者で、宮城県の女性(32歳)でした。
留置場から何度も手紙をだして結婚しましたが、東京拘置所移送後の10月に離婚しました。
小林は、保護観察中に結婚と離婚を繰り返していたことから、名字が逮捕時及び実家の名字と異なっており、チャットで使用していた女性名義のハンドルネームも存在するために裁判では様々な名前で呼ばれています。
小林への精神鑑定は却下され、法廷に臨むことになりました。
小林は、タートルネックのセーターの上にドレスシャツ、スーツ上下と“白装束”のいでたちで、うつむき加減で入廷し、傍聴席を見回すようにして被告席に着きました。小林は、逮捕時の長髪をそのまま伸ばしていましたが、その前髪をしきりにいじっていました。検察側が起訴状を朗読するとき、証言台の前で自分の意見陳述書を見直したり、両足の重心を変えて立ったりしていました。
そして、罪状認否では、突如、「そのような事実は一切ありません」、「従って不法に監禁しておりません」と歌うように罪状を否認しました。背中まで伸びた茶色の髪を何度も手で気にしながら、時には身ぶり手ぶりを交え、腰までクネクネさせていました。用意した文面をいい間違えると、「あ、失礼」と何度もいい直し、最後には公演を終えたスターのように「以上」といい、深々とお辞儀までしてみせたのです。
裁判で、小林は「私は10歳くらいからSMの世界にいる。相手が望まないことをSがすることはない。それがルールだ。」と述べるなど、監禁や暴行はSMプレイである主張しています。
平成19年10月19日、東京地方裁判所は、小林に対し「若い女性を脅迫して脱出困難な心理に陥れ、お仕置きと称した暴力や性的行為を繰り返した。被害者に絶望的な恐怖感と甚大な苦痛を与え、反省の姿勢もまったくうかがえない。」として、懲役14年(求刑懲役15年)の実刑判決を下しました。
小林は控訴しましたが、平成22年9月24日、東京高等裁判所は、「被害者をペットとして扱い、完全な主従関係を構築するゆがんだ目的で計画的に実行した。」と認定し、棄却しました。
一・二審判決では、小林は平成15年12月-平成16年12月、自宅があった青森県のホテルや都内のマンションなどで、当時17-23歳の4人を「逃げたら殺す」、「ご主人さまのいうことがきけないのか」と脅し、殴るなどして相次ぎ監禁し、包丁で手首を切らせたり、PTSDを負わせたりした認定されています。
小林は、更に最高裁判所へ上告し、「PTSDのような精神的な傷害は、刑法の傷害にはあたらない」と無罪を主張しました。
平成24年7月24日、最高裁判所第2小法廷の千葉勝美裁判長は、「暴行や脅迫などで生じさせたPTSDなどの精神的機能の障害についても、刑法の傷害にあたると解釈するのが相当」、「外形的な傷がなくても監禁致傷罪が成立するとした一、二審判決を妥当だ」と結論づけ、最高裁判所として初の判断を示したうえで、小林の上告を退けました。
これにより、小林の懲役14年の刑が確定しました。小林は、第一の事件での執行猶予が取り消され、懲役3年が追加されました。


-事例199(事件研究45:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)-
「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」とは、昭和63年から平成元年にかけて、東京都北西部および埼玉県南西部で発生した4歳から7歳という年齢の女児が被害者となり、宮崎勤(26歳)が逮捕された事件で、警察庁公式名称は「警察庁広域重要指定117号事件」、『現代用語の基礎知識』には「連続幼女誘拐殺人事件」の名で掲載されています。
この事件は、犯行声明を新聞社に送りつけたり、野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけたりするなど、極めて異常な行動を犯人がとったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較もおこなわれ、戦後日本犯罪史上、初めてプロファイリングの導入が検討されました。
第1の事件は、昭和63年8月22日、今野真理(4歳、幼稚園児。以下、女児A)ちゃんが誘拐・殺害されたものです。
宮崎は、殺害後しばらく経過して死後硬直で固くなった遺体にわいせつ行為をおこなう様子をビデオ撮影しています。
簡易鑑定の問診記録では、鑑定人に「どうして写真だけではすまなくなったか?」と訊かれ、第一次鑑定では「よくわかんない。」、最後の被告人質問では「急に子どものころが懐かしくなった。」と述べています。
第2の事件は、同年10月3日、小学1年生の吉沢正美(7歳、以下、女児B)ちゃんが誘拐・殺害されたものです。
第2の事件では、宮崎はすぐにわいせつ行為をしています。まだわずかに息があった模様で、宮崎は「足がピクピク動いていた。」と証言しています。動機について、宮崎は「なんともいえぬスリルがあった。」と供述しているものの、第一次鑑定では「よく覚えていない。」、「一番印象がない。」と述べています。
第3の事件は、同年12月9日、難波絵梨香(4歳、幼稚園児。以下、女児C)ちゃんを誘拐・殺害したものです。宮崎は、Cが失禁したことに焦り、被害女児を山林に投げ捨てています。同月15日、Cの全裸遺体が発見され、同月20日、C宅に葉書が届いています。女児の遺体が発見されたあと、テレビで被害女児の父親が「死んでいても見つかってよかった。」と発言するのを見た宮崎は、他の被害女児の遺体も送ることを計画しましたが、女児B(7歳)の遺体を発見することができませんでした。
そして、宮崎は山道に脱輪したまたま通った車に助けを求めたことから、「紺のラングレー」、「ナンバープレートが3桁」という目撃情報が浮上することになります。
平成元年2月6日、女児A(4歳)宅に、紙片と骨片などの入った段ボール箱が置かれ、同月10日、女児Aの事件の犯行声明が、「今田勇子」の名で朝日新聞東京本社に郵送されました。同月11日、同内容の犯行声明が女児A宅に届きます。さらに、同年3月11日、「今田勇子」名で、「女児Aを入間川に沈めて殺した。」などと“事実と異なるいきさつ”を記載した告発文が、朝日新聞東京本社と女児B宅に届くことになります。
この告発文で、宮崎は、平成63年に利根川河川敷で白骨化した遺体が発見された群馬小2女児殺害事件について触れています。
遺体の発見現場が河川敷だったこと、遺体の両腕の肘から先と両脚の膝がなかったことなど、宮崎が起こした事件との共通点があるものの、殺害時期が宮崎の第1の殺害事件から1年近く前であること、事件現場がやや離れていたこと、宮崎と結びつける証拠がみつからなかったことから、宮崎の犯行としては立件されることなく、平成14年9月15日、公訴時効が成立して未解決事件となっています。
さらに後日、この告発文とは別に、「告白文」と称する文章がマスコミ及び被害者宅に送りつけられました。
その告発文は、極端に角張った利き手と反対の手で書かれたとも思える筆跡が特徴であり、筆跡鑑定がおこなわれました。第4の事件は、同年6月6日、野本綾子(5歳、保育園児。以下、女児D)ちゃんが誘拐・殺害されたものです。宮崎は、女児Dの指をもぎ、醤油をかけて焼いて食べ、ビニール袋に溜まった血を飲んだといいます。同月11日、女児Dがバラバラにされた遺体が発見されました。
第5の事件は、同年7月23日、東京都八王子市で幼い姉妹を狙った猥褻事件でした。妹の全裸写真を撮影中に、姉の知らせを受けた父親が駆けつけ、宮崎をとり押さえたのでした。現行犯逮捕された宮崎に、姉妹の父親が「女児Dの事件の犯人もまだ捕まっていないのに」ととり押さえた宮﨑を非難しました。姉妹の父親は、「後日、それが連続殺人事件の犯人だと知って愕然とした。」と述べています。
同年8月9日、宮崎は女児D(5歳)の殺害を自供し、同月10日、女児Dの頭部が発見されましたことを受け、同月11日、女児Dの誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で、宮崎を再逮捕しました。同月13日、宮崎は、女児A(4歳)と女児C(4歳)に対する誘拐殺人を自供しました。
警察は家宅捜査で、宮崎が自室に所有していた5,763本の実写ドラマなどを撮影したビデオテープを押収し、これらを分析するために74名の捜査員と50台のビデオデッキを動員しました。
膨大なビデオテープの大半は「男どアホウ甲子園」「ドカベン」などアニメの録画テープで、いかがわいいビデオや幼児関連のビデオは44本でした。
警察は、週間の捜査によって、被害女児を殺害後に撮影したと見られる映像を発見しました。
そして、同月24日、東京地方検察庁は、宮崎に簡易精神鑑定を実施し、「精神分裂病(当時の呼称で、現在では統合失調症に改称)の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まる。」、「幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず、…幼児を対象としたことは代替である。」と診断されたことを受け、9月2日、検察は起訴に踏み切りました。
同年9月5日、宮崎は女児B(7歳)の殺害を自供し、同月6日、五日市町で女児Bの遺骨が発見され、同月13日、女児Aの遺体が発見されました。
宮崎は、「幼女を殺すたび、自宅に藁人形を置いて部屋を暗くし、頭に鉢巻きをして蝋燭を数本つけ、黒っぽい服を身につけ、手を上げ下ろし、祖父復活の儀式を執りおこなった。」と供述したのです。宮崎の祖父は、第1の事件を起こす3ヶ月前の同年5月16日に亡くなっています。
宮崎は、東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)にある地元の新聞会社(地域特定のローカル新聞社)を経営する、裕福な一家の長男として生まれました。
宮崎の曽祖父は村会議員、祖父は町会議員を務めており、地元の名士でした。
祖父、祖母、両親、妹2人の7人家族*-85で、祖父は引っ込み思案な宮崎を連れて歩き、可愛がっていたといいます。
一方で、両親は共働きで忙しかったため、生まれて間もなくして、30歳ぐらいの知的障害を持つ子守りの男性を住み込みで雇い入れています。幼い宮崎の世話のほとんどは、この男性と祖父がおこなうことになります。
また、宮崎は、手首を回せず手のひらをうえに向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症」という、当時150症例ほどしかない珍しい身体障害がありましたが、医者に「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。日常生活に支障がないなら、手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう。」と指摘され、両親は「勤は幼いときから掌が不自由なのを気にしており、うまくいかないことを、掌のせいと考えてきたようだ。4歳のときに手術も考えたが、もし手術して身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした。」と述べて、積極的な治療を受けさせていませんでした。
宮崎は、「幼稚園ではお遊戯や頂戴のポーズもできずに周囲からからかわれても、幼稚園の先生はなにも対応することなく、非常に辛かった。」と供述しています。
小学生時代の宮崎は、「怪獣博士」と呼ばれるほど怪獣に夢中になっていましたが、クラスの人気者というわけではなかったといいます。
中学校1-2年生のときには陸上部、3年生のときには将棋部に所属し、負けると異常に悔しがり、さまざまな攻略本を読み、負けた相手には必ず勝つまで勝利に執着したということです。
また、通信教育で空手を習い、空手の型を同級生に見せることがあったといいます。成績は上位で、「算数(数学)が得意」と語っており、また、宮崎の母親が「うちの子は英語が得意なの。」と自慢していたといいます。
しかし一方で、国語と社会科を苦手としていました。
平成53年、宮崎は、手の障害を気にし、自宅から片道2時間もかかる男子校であった明治大学付属中野高等学校へ進学しますが、両親は「英語教師になるために、わざわざ遠い高校へ進学した。」と思っていました。
高校時代は成績が徐々に落ち、本人は明治大学への推薦入学を希望していましたが、クラスでも下から数えたほうが早い成績で、その希望を果たすことはできませんでした。
高校卒業後の昭和56年4月、宮崎は、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学しました。
パズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されたりすることもありました。
平成58年4月、短大を卒業した宮崎は、おじの紹介で、小平市の印刷会社に就職し、印刷機オペレーターとして勤務することになりました。しかし、宮崎の勤務態度は極めて悪く、評判も非常に悪かく、昭和61年3月、依願退職という形で解雇されています。
両親が「家業を手伝うように。」と何度も声をかけますが、宮崎は自室にこもる生活が数ヶ月続いていたといいます。同年9月ごろから家業を手伝いはじめますが、広告原稿を受けとりに行く程度の簡単な手伝いでした。
同時期、宮崎はアニメの同人誌を発行していますが、仲間から嫌われ、1回だけの発行で終わっています。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換、収集するようになりますが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはありませんでした。
ビデオサークルでは、他の会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていたといいます。
初公判の罪状認否で、宮崎は「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか・・」と述べ、「ネズミ人間が現れた。」、「俺の車とビデオを返せ」など、不可解かつ身勝手な発言を繰り返すことになります。
公判開始後の平成2年12月、5人の精神科医と1人の臨床心理学者による精神鑑定が実施され、この鑑定では、動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされています。
平成4年3月31日、精神鑑定書が提出され、「人格障害」と診断しています。
精神鑑定医の保崎秀夫は、「彼は本来的な小児性愛者(ペドフィリア)や死体性愛などではなく、成人をあきらめてあくまで代替的に幼女を狙った。」と法廷証言で証言しています。
さらに、同年12月18日、弁護側の依頼により3人の鑑定医により再鑑定がおこなわれ、平成6年12月、鑑定書が提出されました。
鑑定で、1人は「精神分裂病(破爪型、現在は、統合失調症)」を、2人が「多重人格(解離性同一性障害)」と異なる鑑定結果をだし、「責任能力は不完全」としています。
平成9年4月14日、東京地方裁判所で第38回公判が開かれ、田尾裁判長は死刑判決を下しました。
「性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない。」とした保崎秀夫慶応大名誉教授の鑑定を採用し、責任能力を全面的に認めたうえで、「動機は性的欲求などであり、あさましいというほかない。人の尊厳を踏みにじる犯行には目を覆うものがあり、極刑を選択するしかない。」と判決理由を述べました。
平成13年6月28日、東京高等裁判所は1審の死刑判決を支持し、控訴を棄却しました。
ここで、「責任能力は不完全」とした2つの精神鑑定について、「信用できない被告の法廷供述をもとにしている。」、「被害妄想は逮捕後の拘禁反応と考えられる。」と疑問視する判断を示しています。
弁護側は、宮崎が東京拘置所で幻聴を訴え、継続的に投薬を受けていることなどをあげ、東京高等裁判所高裁に差し戻して再鑑定するよう求め上告しましたが、平成18年1月17日、最高裁判所の第3小法廷は、「性的欲求を満たすために4人の女児を殺害したもので、非道な動機に酌量の余地はない。」として、弁護側の上告を棄却し、同年2月1日付で、同小法廷は「判決の内容に誤りがあることを発見しない。」として、弁護側の申し立てを棄却する決定をし、死刑が確定しました。
この自身の死刑確定について、宮崎は著書の中で「あほかと思う。あの裁判官は後から泣くことになる。」と記しています。
また宮崎は、獄中で書いた手紙に、「絞首台から落下する瞬間は、どん底の恐怖に陥れられ、それは人権の侵害にあたる。」と記すなど、絞首刑に対する恐怖を訴え、アメリカでおこなわれるような薬殺刑を希望していました。さらに、著書の中で自身の最高裁判決が大きく報道されたことを「やっぱり私は人気者だ」と語り、殺害した被害者や遺族に対しての思いのほどを問われ「特にない。いいことができてよかったと思う。」と応えています。
平成20年6月17日、東京拘置所に於いて宮崎の死刑が執行されました。宮崎の口から遺族に対する謝罪、事件に関する反省の念が語られることはありませんでした。
*-85 週刊誌で暴露され、宮崎に対する人々の憎悪は、宮崎の家族へと波及することになりました。「お前達も死ね」、「殺してやる」といった手紙が大量に送られ、家族は、宮崎の逮捕から1年後に引越しを余儀なくされました。長女は職を辞め、2人の妹のうち、次女は結婚予定でしたが、自ら婚約を破棄しました。三女は看護学校へ通っていましたが退学しました。
 また、宮崎の父親の弟2人も仕事を退職したうえ、次男(父親の弟)は持っていた5つの会社の役員をすべて辞職し、妻の名義に変更し、三男は娘2人が宮崎姓を名乗ることの影響を考え、妻と離婚し、妻が娘2人をひきとっています。
さらに、宮崎の母親の兄の2人の子どものうちひとりは警察官で、もうひとりは高校の教諭をしていましたがどちらも退職しています。
事件から4年経過した平成6年、宮崎の父親は自宅の土地など財産をすべて処分し、その代金を被害者の遺族に支払う段取りをつけると、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降り、自殺しました。



-事例200(事件研究46:大分県一家6人殺傷事件)-
「大分県一家6人殺傷事件」とは、平成12年8月14日2時50分、大分県大野郡野津町(現:臼杵市)の岩崎萬正(65歳)さん宅に、燐家に住む高校1年生の少年(15歳)が、風呂場から侵入し、一家6人をサバイバルナイフ(刃渡り11センチ)で次々と切りつけました。岩崎さんの妻の澄子(66歳)さん、娘の智子(41歳)さん、智子さんの長男の潤也(13歳)君が亡くなりました。さらに、高校生の長女M(16歳)、次男S(11歳)に重傷を負わせ、岩崎さんも意識不明の重体となりました。
少年は、抵抗されたことによる軽傷を負っています。
少年は、県立高等学校の1年生で15歳でしたが、3世代、5人家族の次男で、“おとなしい”“真面目”“いい子”との評価を受けていました。
事件当時、少年の父は廃棄物処理会社、母は津久見市内のタクシー会社、兄は建設会社で働き、祖母は福祉施設に入所していました。
少年の一家が住んでいたのは、24戸しかない都原集落で、人々は家族のような連帯感を持っていました。
特に、少年宅と岩崎家の距離は200メートルほどで、少年の父親と岩崎さんは釣り仲間だったこともあり、特に両家は親密な仲でした。
少年自身も事件で切りつけた長女と小学生時代一緒に登校するなど仲がよく、殺害された長男の潤也君とは中学時代バスケットボール部の先輩後輩の間柄で、次男とも事件の1週間前まで一緒に遊んでいました。
少年が3-4歳のとき、母親はタクシー会社で働きはじめる以前の職場で、親しい男性ができて家をでています。
この間、父親は、務めてまもない廃棄物処理会社に少年を連れて行っていたということです。
このとき、少年が、会社で飼われていた猫をずいぶん手荒に扱うのを目撃されています。
廃棄物処理会社でダンプカーの運転手をしていた少年の父親は、家に不在であることが多かったといいます。少年の家は集落に1件しかない万屋(よろずや)で、就学前の少年は、夕暮れ時にインスタントラーメンを買って帰ることもあったということです。
1年ほどすると、母親が戻ってきて、一家の生活はなにごもとなかったかのように再開されることになります。
少年の父親は、水害で車が流されそうなときでもパチンコ台を立たなかったり、一方で、稲の刈り入れ時期には、作業しやすいように畦の手入れを入念にし過ぎて、毎年刈り入れの時期を大幅に遅らせてしまったり、なにごとにも極端に入れ込み過ぎ、本来の目的を見失ってしまっていました。
この地域では、父親は非常に感情の起伏の激しく、暴力をふるっていたことが、母親の家出の起因になっているのではないかと噂されていました。
父親は、少年に対し、身体が浮くほど蹴飛ばし、大声で怒鳴りつけるなど暴行を働くこともありました。
少年は、周りの人たちには「おとなしい」「真面目」「いい子」という印象を持たれていましたが、こうした暴力のある家庭環境で暮らすことで、実は“無感情”で、“無表情”になっていただけだったのです。
少年が小学校5年になると、アルバイトで新聞配達をはじめます。配達区域は、都原地区の24軒です。少年は、残虐なビデオやゲーム等を好んでいました。新聞配達でのアルバイト代は、少年の自宅から自転車で1時間かかる距離にあるレンタルビデオ店で、ホラービデオを借りる費用に使っていました。事件前日、少年は、レンタルビデオでホラー映画の「13日の金曜日」を借りています。
中学校では、バスケットボール部に入りました。勉強はさほど得意ではありませんでしたが、仲間と遊ぶときいは活発な一面も見せていました。小学校高学年から中学生の少年は、隣家で飼われている子犬を見に連日訪れていました。
少年子犬をよくかわいがり遊んでいましたが、一方で、ボールを投げつけたりするので、「かわいがっているのか、いじめているのかわからない」と隣家の人を困惑させています。
少年は、中学校の授業で習ったコンピューターグラフィックスに興味を持ち、専門学科の豊富な大分市内の県立高校に進学したいと考えましたが、親に反対され、平成12年4月、親の希望する地元の野津高校普通科に進学します。
 少年は、野球部に入部しましたが、同年4月中に退部しています。そして、10人ほどの不良グループと行動をともにしはじめます。
少年は前髪を染めたり、ピアスをしたりしていきます。同年5月末、じゃんけんで負けたほうが肩を拳で叩かれる「肩パン」という遊びが度を過ぎて、同級生に一方的に殴られるというトラブルがおきています。
少年はじゃんけんで勝っても強く殴れず、逆に負けると思いきり殴られていました。それは、少年がグループ内では“パシリ”的な扱いだったからでした。
このときは、双方の親が話し合い、仲直りさせています。
この時期、少年は「強さ」に対して強い憧れがあったことが、不良グループに入るきっかけとなります。不良グループと行動をともにすることで、自分が強くなれたような錯覚に浸ることができたのです。
しかし、同年代とのコミュニケーションが苦手な少年は、パシリ的な扱いを受けることになります。
唯一、少年が表すことのできた自己表現が、髪の毛を染めたり、ピアスをしたりすることでしたが、見た目は派手であっても、内面は以前と変わらないまま、親に従うことしかできないおとなしい少年でしかなかったのです。
同年6月、少年は、親を通じて担任に「学校を辞めたい。」と伝え、6月25日から1週間続けて学校を休みます。
この間、担任が少年宅を4度訪れています。
担任による最後の訪問となった7月20日、少年は「もう少しがんばってみる」と話し、そのまま夏休みを迎えることになりました。少年の1学期の欠席日数は16日でした。
少年は、新聞配達を終えると、集会場前の夏休みのラジオ体操をする5-6人の小学生に混じるのが日課でした。
ただし、ラジオ体操に参加するのではなく、ベンチに座って眺めているだけです。
1度、胸ポケットから煙草をとりだそうしたのを、子どもの保護者が「たばこを喫むなとはいわんけど、小さい子どもがいるここではいかんよね。」となげかけると、少年はコクンとうなずき、ふてくされるでもなく煙草をしまっています。そして、少年は、翌日以降、煙草をとりだそうとしていません。
少年は中学生、高校生となっても、近所の小学生相手によくキャッチボールやサッカーをして遊んでいました。
また、成長するにつれ、しだいに姿を見せなくなっていく他の遊び仲間とは違い、岩崎家への出入りも無遠慮のままでした。
少年には、「同年代の子と遊ぶことに抵抗があり、年下の子と遊ぶことでしかコミュニケーションがとれないなど、精神面が成長できていない部分があった。」とされています。
また、少年が高校を休むようになったのと期を同じくして、都原集落では女性の下着が盗まれる事件が相次いで起こっていました。
被害にあう家は決まって2件で、岩崎さんの家と、少年と顔見知りだった女子中学生のいる家でした。
そして、同年7月末、女子中学生の家の女子生徒の部屋で、下着を10枚ほど切り裂いて放置されている事件がおきます。
下着の盗難には目をつぶっていた女子中学生の両親は、被害届をだしました。
のちに、少年が、この部屋に出入りするための合鍵を盗んで所持していたことが判明しています。
また、岩崎さんの家でも繰り返し下着が消えていました。岩崎さんの家のすぐ前の道路周辺には、盗難物やポルノ雑誌が撒かれていることもありました。以降、岩崎さんの家では、夜間厳重に戸締りをするようになりました。
そうした中で、少年は、岩崎さん宅での侵入口にしていた風呂場の戸締りを防ぐ(閉まりきらないようにする)ために、深夜、窓に障害物を仕掛けとしているところを、岩崎さんに見られ、使っていた脚立を置いて一目散に逃げています。
8月初めのことです。
そして8月上旬、再び女子中学生宅では、たんすの中にあった女子生徒や母親の下着を取りだされ、刃物で切り裂かれる事件がおきます。
こうした中で、都原集落では、少年による下着盗難とポルノ雑誌の放置が公然の噂となっていきますが、昔ながらの家族的な雰囲気を残すこの集落では、これまでと変わりなく、この孤独な少年と接していきます。
この時期、20歳代の男性が仕事をしているとき、集落内の道路下で座りこんでいる少年を見かけています。
少年が片手に子猫を持ち用水路の水につけていたので、男性が声をかけると、少年はつまらなそうに猫を放しました。しかし、ぶるぶる震える猫が逃げだそうとするのを、少年は追いかけようとしました。男性が「もうやめろ!」と咎めると、少年は子猫を思いきり蹴飛ばしましたということです。
同年8月6日、岩崎さんは、家の風呂場にのぞきにくる少年を厳重に注意するために、少年の家を訪れます。
そして、岩崎さんは、「少年が風呂場をのぞいている証拠だ」として、岩崎さん宅の裏口に置き去りになっていた脚立の持ち主を問いただしていますが、少年の母親は、その場で知らぬふりで通しています。
その後、母親は少年を叱り飛ばしています。
少年は、新聞配達のアルバイトを休まずに続けていました。配達時に近所の人に会うと、「ご苦労さん」と声をかけてくれていましたが、一件以降、少年が挨拶しても、岩崎家の人々は、挨拶を返すことはなくなりました。
事件数日前、岩崎さんの妻の澄子さんと岩崎家の玄関口で立ち話をしていた近所の人が、新聞をこれ見よがしに邪険に放り投げる少年の態度に対し、「なんね、その態度は」と呼び留めます。ふりかえった少年の顔は、憎悪に歪み、睨んでいたということです。
当時、危機感を募らせた岩崎さんが、少年を激しく睨みつけるといったこともあったとのことです。
少年は、小動物を虐待したり、下着を盗んだり、家に入り込み下着を切り刻んだりすることでしか、精神のバランスを保つことができないほど大きくなり、心の中に秘めていた性的サディズムは、心の闇を隠し通すことができなくなっていたと考えられています。
そして、少年の性癖が集落内で噂になっていたことは、少年にとって、決して知られてはならない秘密が周りの人たちにバレてしまったことを意味しました。
これは、少年にとってあってはならないことでした。
そのため、その事実を消し去る必要がでてきたのです。
それは、少年にとって心の中に秘めていた性癖を見つけ、それを両親に強く咎めている岩崎さん一家を殺す(消し去る)ことでした。
事件前日の同年8月13日、岩崎さんは再び少年宅を訪れ、応対した母親に対し、少年のぞきの件を注意しています。2度目の訪問で、前回より厳しく問いただしていたということです。
この後、少年は、父親に工具の片づけを頼まれ、偶然入った自宅倉庫で、兄のサバイバルナイフ(刃渡り11センチ)を見つけ、ナイフと砥石を部屋に持ち込みます。砥いたナイフで、畳や柱を試し切りしています。
のちの取り調べで、少年は「この時、人を殺す不安や迷いがなくなった。」と供述しています。
夜になると、少年は「岩崎家暗殺計画」と題されたノートに簡単な覚え書きをはじめます。犯行に及ぶときの服装や凶器の購入を構想しますが、「金や手間がかかりすぎる」と断念し、少年は行動を移します。部屋でCDを聴き、マンガ本を読みながら過ごし、同年8月14日1時ごろに自宅をでて、岩崎さん宅へ向かいました。
岩崎さん宅の農機小屋で待機していた少年は、家の電気が消え、時計を見て2時になったのを確認してから、外にあった岩崎さん宅の脚立を使い、風呂場の窓を金づちで一気に割って侵入します。
岩崎さん宅は老夫婦が寝る母屋と、娘一家4人が住む離れがあり、家の中の階段で繋がっていました。長男の潤也君とは、中学時代のバスケットボール部の後輩で、日ごろは野球やテレビゲームで遊ぶなど仲のいい友だちであったことから、岩崎さん宅の家の間取りや寝室の位置を熟知していました。母家からの階段をかけ昇った少年は、長男の潤也の君をサバイバルナイフでメッタ刺しに切りつけたあと、次々と家人を切りつけ、帰り際に逃げおおせていた次男を見つけ、胸を一刺します。次男は一命を取り留めています。長男の潤也君を最初に襲ったのは、「弱い者から殺そう」と考えたからです。
事件現場となった室内は鮮血で染まり、ガラスが砕け、家財道具が散乱し、澄子さん、智子さん、潤也君の3人は即死でした。
少年は自宅に戻り、倉庫から油の入ったタンクを持ちだし、岩崎家に戻り、外から油をまき、火をつけ、再び自宅に戻っています。
岩崎さん宅では、背中を切りつけられた長女Mが警察に通報していました。
早朝、自宅を訪れた捜査員に対し、少年は「家におったよ。」と応じていましたが、三重署に向かう車の中で「犯人は僕です。」と犯行を認め、少年は、同日6時45分、殺人・殺人未遂の容疑で緊急逮捕されました。
長女と次男は、殺害された母親の智子さんの元夫、つまり、実の父親に引き取られました。実の父親は、智子さんと離婚後に再婚していました。事件を知ったとき2人を引き取る決心をしていましたが、家族にいいだすことができずにいたとき、妻に「お父さんが引きとらんでどうするん。」と切りだされたということです。
長女は、車椅子での生活を余儀なくされながらも大学入学を果たし、義母の介助を受けながら通学しました。次男は、刺されたナイフが心臓部を逸れており、10時間の手術を耐え、一命をとりとめることができました。普通に学校に通学し、運動を楽しむまでに回復しました。一時、事件当時のことを思いだし、動作やことば遣いが退行することがありましたが、カウンセリングや新しい家族の協力に支えられ、トラウマを少しずつ克服していきました。少年に激しく抵抗した岩崎さんは、サバイバルナイフの刃を素手で握ったため、指の関節の部分がえぐられ、病院に運ばれたとき、指先がかろうじて皮一枚で繋がっている状態でした。しかも、頬から刺しこまれたナイフの先が脳に達していたため、現在も寝たきりで、尿意を伝えるのが精一杯ということです。
同年9月4日、大分地方検察庁は「少年院送致が相当」との意見書をし、少年を大分家庭裁判所に送致しました。家庭裁判所では「観護措置」と決定し、少年は大分少年鑑別所に移されました。
同年12月26日、大分家庭裁判所の最終審判で、「社会に適応させるためには、最初から育て直すようにして少年の未熟な自我の発達を促しつつ命の尊さを教えることが不可欠であること。少年には、重症の小児期発症型行為障害があることから、相当長期間にわたり、専門的な治療と教育をおこなう必要があること。そのため、少年を医療少年院に送致すること」として、保護処分が決定しました。その後、平成14年10月、少年は医療的な措置を終え、関東地方の特別少年院に移送されました。
平成13年11月、遺族側は2億4000万円の賠償金などを求め、大分地方裁判所に訴訟を起こしましたが、遺族は経済的な事情から必要な印紙代(約83万円)を支払うことができず、訴訟は却下されることになり、簡易裁判所での即決和解の印紙代が1500円であることから、遺族側は、法廷を移して和解手続きを進めることになりました。
平成15年、遺族側は少年の更生状況を見極めたいとして、「少年の退院後の情報(35歳までの住所や職業、事件への反省状況)を報告する」、「毎月6万円の賠償金を、総額が2億4千万になるまで払い続ける」という条件を提示し、少年の両親が受け入れたことから、和解が成立しました。
少年は現在、社会にでて生活をしていますが、本人からの連絡は途絶えており、遺族側には、少年の両親が定期的に報告を行っています。しかし、それには現状の仕事先などは書かれておらず、約束は守られていない状況です。
玉井正明・玉井康之両氏は「少年の凶悪犯罪・問題行動はなぜおきるのか」で、本事件の動機と背景について、「①自分に都合の悪い情報の発生源を断とうとしたこと(証拠隠滅)、②異性が身につけていた物に性欲を感じるフェティシズムの徴候、③全国各地で多発している少年凶悪犯罪の影響(少年は新聞配達をしていた)、④ホラー(恐怖)ビデオの影響と動物虐待、⑤家庭において十分な愛情を受けていなかったこと、⑥対人関係の貧しさ」等と考察し、少年の精神鑑定の結果について、「重度の小児期発症型行為障害」と説明しています。そして、③に関連することとして、少年は「我が名はBLACK CAT。字を見ろ。」と指示し、「ヘンタイ」「スケベ」などのことばを使って、殺害した中学2年生の長男の潤也君を中傷していたことが報道されています。


-事例201(事件研究47:大阪姉妹殺害事件)-
「大阪姉妹殺害事件」とは、平成17年11月17日、大阪市浪速区のマンションで飲食店店員の姉妹が刺殺された事件ですが、加害者の男(山地悠紀夫)は、中学校卒業後の平成12年7月29日、山口市内の自宅アパートにおいて、金属バットで50歳の母親を殺害していたのです(山口母親殺害事件:事件当時16歳)。姉妹殺害事件の大阪地方検察庁検事に対し、母親殺害の状況について、「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた。」と述べています。
山地の父親は、建設作業員など様々な職に就いていましたが、酒癖が悪く、妻や山地に暴力をふるったりしていましたが、平成7年1月、肝硬変で死亡しています。父親が亡くなったあと、山地は母親と2人暮らしでした。
母親は実家とも疎遠で、親類が訪ねてくることもなく、また、隣接するアパートで1人暮らしをしていた祖母も、市内の老人福祉施設に入っています。
母親は自宅近くのスーパーに勤めていましたが、平成12年初め、借金を取り立てにきた男が、アパートの自宅ドアを蹴り、「なにをタヌキ寝入りしとるんじゃ!」と大声で騒ぐというできごとがおきています。
母親は近所の人からも数万円ずつ借金をしており、家賃や水道料金を滞納するなど、生活が苦しく、生活保護の申請をしたことがありますが、申請は認められず、受給を受けることができませんでした。
山地は、学校では目立たず、交遊関係も限られていました。中学では卓球部に所属していましたが、中学2年のころから不登校がちとなり、3年時には3分の2近くを欠席し、修学旅行などの行事にも参加していません。
卒業後の進路について、山地は「高校に行きたくない」と話し、中国地方の紡績会社の面接を受けていますが不合格になっています。就職先が見つからないまま、知人の紹介で、新聞販売店で働きはじめました。平成12年2月、新聞販売店を辞めていますが、同年4月から再び働きはじめています。仕事ぶりは真面目だったらしく、給料約9万円の半分を家におさめています。
しかし、事件直前の同年7月27日と28日、はじめて無断欠勤をしています。同僚が迎えにきて、28日途中から出勤しました。
その日の夕方、山地は、職場の母親と同じ年代の女性従業員に「母親が借金している。なにに使っているのか聞いても応えてくれない。もうどうしようもないところまできている。」と借金のことを相談しています。山地が母親の借金を知ったのは、その1ヶ月前6月のことで、その額については「びっくりするくらい」と話していたとのことでした。母親は、同年2月、別のスーパーに移っています。また、母親には再婚話があり、同僚には「僕は邪魔者だから家をでる。」と話し、その準備もしていました。勤務先には、「アパートを借りたいので、時給を上げてもらえないだろうか」と頼み、配達件数を増やすための中古のバイクも7月31日に届く予定となっていました。
こうした中で、山地は母親を殺害したのです。
近所の人は「母子関係はよかった」と話し、母親の給料日には決まってカツ丼を食べていたということです。
山地の母親への殺意は、交際したいと考えていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけたことがきっかけとされています。
山地は、母親にそのことを問いただしましたが、母親が認めなかったので、カッとなり、金属バットで殺害したということです。
審判での山地は、「裏切られるのが怖くて友だちができない。性格を変えたい。」、「母親との会話が少なく、自分の相手をしてくれれば違ったことになったかもしれない。」と語っています。
同年9月14日、山口家裁は「年齢的に見ても矯正は充分可能」として、山地を中等少年院送致とする保護処分の決定を下しました。その後、精神科医師は、男が「法律を守ろうとはそんなに思っていない。」と話していたことから、更生に疑問を抱く意見を提示していますが、岡山県公安委員会は許可を下し、山地は平成15年10月仮退院、よく平成16年3月に本退院となりました。
本退院となった山地は、平成17年2月ごろパチスロ機を不正操作しコインを盗むグループに加わり、同年3月、不正行為が発覚し、窃盗未遂容疑で逮捕されていますが、起訴猶予となっています。
そのグループが福岡から大阪に活動拠点を移した同年11月、仲間から「仕事ができない」と見捨てられつつあった山地は、「離脱したい」と仲間に伝え、グループの活動拠点のマンションをでています。
グループを離脱後、近くの境内や公園などに野宿をして過ごす中で、母親を殺害したときに感じた興奮と快楽を再び得たい衝動に駆られるようになっていきました。
山地は、事件直前の同年11月11日から現場のマンション6階の知人宅に身を寄せていましたが、14日に知人宅をでて、凶器の発見された倉庫の1階で寝泊りしていました。
そして、平成17年11月17日午前2時半ごろ、山地は、まず飲食店での仕事を終えて帰宅した姉(当時27歳)がドアを開けた瞬間に背後から襲撃し、ナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦し、跡を残さないための工作をおこないました。
約10分後には妹(当時19歳)が帰ってきたためナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦しました。
ベランダで煙草を吸ったあと、姉妹の胸を再び突き刺してとどめを刺し、室内に放火し現金5千円や小銭入れ、貯金箱などを奪ったうえで逃走しました。
2人は病院に運ばれましたが、搬送先で間もなく亡くなりました。
大阪府警は、同年12月5日、建造物侵入容疑で山地を逮捕、同年12月19日には強盗殺人容疑で再逮捕しました。
山地は、22歳になっていました。
この逮捕によって、加害者の男(山地)が少年時代に「山口母親殺害事件」を起こしていたことがメディアで取りあげられることになります。
警察の調べに対し山地は、「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった。」、「誰でもいいから殺そうと思った。」と供述、弁護士には「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行った。」と述べています。
そして、山地は住居侵入、強盗殺人、強盗強姦、銃砲刀剣類所持等取締法違反、建造物侵入、非現住建造物等放火の罪で起訴され、平成18年5月1日に大阪地方裁判所で初公判がおこなわれ、山地の供述が検察により読まれましたが、その内容は「刺す度に性的興奮が訪れた。」という内容でした。
同年5月12日の第2回公判では、被告人質問で山地は「人を殺すことと物を壊すことはまったく同じ」と述べています。
そして、同年6月9日から10月4日まで精神鑑定が実施され、同年10月23日に裁判長の並木正男は、「アスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していない」と判断し、検察側の「人格障害(非社会性人格障害、統合失調症質人格障害、性的サディズム)である。」とする完全な責任能力を認める精神鑑定書を証拠として採用し、同年11月10日結審しました。
被告人は自分の存在について、弁護人が差し入れたノートに「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい。」と記しています。
同年12月13日、死刑判決が下され、平成21年7月28日、25歳の山地は、大阪拘置所において死刑が執行されました。
25歳の山地に対する死刑が執行された同日、「自殺サイト連続殺人事件」の死刑囚前上博も死刑が執行されました。


-事例202(事件研究48:自殺サイト連続殺人事件)-
「自殺サイト連続殺人事件」とは、平成17年8月、大阪府堺市の派遣社員前上博(36歳)が、3人の男女を殺害していたことが発覚しました。被害者とはいずれも自殺サイトで知り合い、「ネット心中をしよう」と持ちかけ、落ち合っています。前上は、「人が窒息する表情を見て興奮する」という特殊な“性癖”の持ち主で、自殺をする気などはなく、自身が満足するためだけに被害者を襲っていたのです。
平成17年2月23日、若い女性の遺体が大阪府河内長野市加賀田川の砂防ダム付近で見つかりました。遺体は下着姿で、豊中市の長元美智子(無職、25歳)さんと判明しました。永元さんは同年2月19日から行方がわからなくなっていました。そして、同年8月5日、同府堺市の人材派遣会社員の前上博が殺人・死体遺棄の容疑で逮捕されました。
前上と永元さんとはある自殺サイトで知り合い、平成16年12月以降20回近くメールのやりとりをしていました。
そして、前上は、「練炭で自殺しよう」と永元さんを誘い、平成17年2月19日の夜に合流しました。そのとき前上は、永元さんにやりとりしていたメールを削除するように求め、証拠隠滅をはかっています。
そして、前上は、レンタカーのライトバンの後部座席で永元さんの手足を縛ったうえで、シンナーを嗅がせたり、鼻と口を手で押さえつけたりするなど数回にわたって苦しませたうえで、殺害したのです。
逮捕された前上の自宅からは、女性を縛ったうえで、口や鼻を圧迫して窒息させる映像が映った市販のわいせつビデオが、多数押収されました。
前上は、「男でも女でも、口をふさいで苦しむ姿に性的興奮を覚えた。苦しむ顔が見たかった。自分は自殺するつもりはなかった。」、「自殺サイトで知り合い、5月中旬に中学生(神戸市北区の中学3年生14歳X君)、6月上旬に若い男性(近畿大学3回生21歳Yさん)も殺した。大阪府南部の和歌山県境付近の2ヶ所で崖から落とした。」と供述しています。
「Xは手足を縛ったものの抵抗し、命乞いをしていたが、失神と覚醒を繰り返させて殺害した。」と供述しています。
そして、前上はすべての犯行を自供し終えると、「もう、すべて終わらせたい。自分で自分の欲望を止められないのなら、死刑になって、幕引きしたかった。」と話したとのことでした。
前上は昭和43年生まれ、4人家族の長男で、父親は元警察官でした。
大阪府堺市の高校から石川県の金沢工業大学に進んでいますが、1年で中退しています。性格はおとなしく、近所の人は「目立たなかった」と口を揃えて話します。
また、金沢工業大学に進学した前上は、「眠れない」と通院していました。
その後、地元の堺市に戻った前上は、タクシー運転手などの職を転々としたのち人材派遣会社に就職し、平成16年5月以降、カメラ製造会社に派遣されていましたが、ここでの評価も「おとなしい」、「真面目」といったものでした。
前上が異常な性癖に目覚めたのは、幼稚園のときです。
面会した東海女子大学教授長谷川博一氏に、「郵便局員のかぶった白いヘルメットに性的興奮を覚えた」と話し、「中学生になると、推理小説の挿絵に子どもが口を押さえられる様子が描かれているのを見て興奮した。」、「やがてそうした絵を見て自慰するようになった。」と話しています。
その後、前上は、高校を卒業するまでに、薬品を染み込ませたガーゼで近所の児童らの口を押さえ、窒息させるという犯行を何度も繰り返すようになります。
平成13年3-6月には、堺市の路上で通りがかりの女性ら2人に対し、ベンジンを染み込ませたタオルを押しあてるという事件を起こし、懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受けています。
執行猶予中の平成14年4月には、男子中学生の口をふさぐなどして、傷害・暴行罪で懲役10ヶ月の実刑判決を受けています。
そのとき、警察官だった父親が、退職金を児童に対する慰謝料に充てています。
前上は窒息の表情だけでなく、白いソックスにも異常な執着を示しています。中学生のとき、教育実習生がはいていた白いスクールソックスに興奮したのが目覚めだといいます。
そして、平成7年、郵便局で働いていた前上は、白ソックスを履いていた同僚男性に劣情を催し、スタンガンで襲って逮捕されています。
この事件では、元警官の父親が1千万円近い示談金を支払い、起訴猶予になっています。
白ソックスについては、後に殺害した3人の男女にも履かせていました、前上は、「性の対象は高齢者でなければ、男女どちらでもよかった。」と述べています。
また前上は、平成13年ころから自身のホームページを開設し、「直美はうめき声を上げながら、必死に首を左右にふろうとして抵抗する。その苦しんでいる姿を眼に焼き付けながら、俺は満足感に浸っていた。」などと、主人公が人を窒息死させるという内容の自作小説を掲載するようになります。
自身のブログでは「窒息王」と名乗っています。掲載された小説は、偽装工作をし、迷宮入りにする内容です。前上は、自宅向かいの白いプレハブ小屋で生活をし、ここには大量のビデオテープを保管し、「観賞部屋」にしていました。
事件発覚直後、「遺体をカメラなどで撮影し、観賞するため画像を保存していた。」との供述通り、パソコンには被害者が苦しむ様子を記録した画像や音声が「実行記録」として保存されていました。
さらに、前上は、大学3回生のYさんを殺害したあとも、ネットカフェで4人目の標的を探し、自殺サイトで知り合った数人とメール交換していました。
平成18年3月、前上に対する精神鑑定が開始され、同年12月22日、大阪地方裁判所水島和男裁判長は、事件当時の前上の責任能力について認めた慶応大医学部の作田勉専任講師(司法精神医学)作成の精神鑑定書を証拠として採用しました。
鑑定書では、「性的サディズムや(特定の物にこだわる)フェティシズム、人格障害の混合状態での犯行だった。」と指摘しており、出廷した作田講師は、「性的衝動による犯行で、行動制御能力はあった。」と述べています。
平成19年2月20日、検察側は「犯罪史上例をみない凶悪非道な犯行で、極刑がやむを得ないのは火を見るより明らか」と死刑を求刑し、同年3月28日、大阪地方裁判所水島和男裁判長は「犯行は冷酷で残虐非道。わずか4ヶ月間に3人を殺害するなど結果はあまりに重大。特異な性癖は根深く、改善の可能性は乏しい。」として、求刑通り死刑を下しました。
同年7月5日、前上は控訴を取り下げ、死刑が確定し、平成21年7月28日、大阪拘置所において、40歳の前上に対して死刑が執行されました。


-事例203(事件研究49:付属池田小児童殺傷事件)-
平成13年6月8日10時、大阪教育大学附属池田小学校は2時間目が終わり、休み時間に入る直前、刃物を持った男(宅間守、当時37歳)が乱入し、児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負うことになる事件がおきました。
 宅間は無施錠の自動車専用門から侵入、体育館の前を通り、南校舎1階の2年南組に入り、女児ばかり5人を無言で刺し(5人死亡)、続いて、テラスから隣の2年西組に移り児童8人を襲い(2人死亡、6人負傷)、さらに廊下にでて、その隣の2年東組に入り、ここで4人を襲いました(4人負傷)。宅間は、東組から外にでたところで、タックルしてきた1年南組の担任の胸を刺し、教師の「逃げろ!」という声に、中庭の方へ逃げていく児童たちを追いかけます。しばらく追いかけたところでひき返し、1年南組に入って黒板の傍にいた4人の児童を切りつけます(1人死亡、3人負傷)。そして、宅間は副校長と、2年南組担任によって取り押さえられました。
逮捕直後、宅間は「阪急池田駅のバス停付近で100人ぐらいメッタ切りにしてきた。」、「このところ、ずっと眠れなかった。小学校には行っていない。」と、おかしな言動を繰り返していましたが、のちに「刑を軽くするために偽装した。」と述べています。
宅間は昭和38年、池田市の西隣、伊丹市で生まれ、7歳違いの兄がひとりいます。
宅間の先祖は、旧薩摩藩の下級武士で、宅間の家系では事件発生前まで代々誇りにしていました。
宅間家の男子にも代々受け継がれ、法律や警察関係の仕事をおこなう者が多くいます。武士だった宅間の曽祖父は、明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、鹿児島県から奄美大島にわたったあと、大阪府河内長野市へ移住しました。
宅間の祖父は、宅間の父親が17歳になった年の春に死去していることから、宅間の父親は小学校で学歴を終え、宅間家一家の大黒柱として6人の家族を養うことになります。
宅間の父親は、“薩摩武士”であることに強烈なプライドを持ち、「(宅間家の男子は)真のサムライたれ」と、厳しい修身教育(道徳)教育を受けさせたといいます。
しかし、厳しいとは、家族全員に対して激しい暴力をふるうことでした。
道徳教育とはほど遠いふるまいです。
宅間は、暴力をふるう父親を憎悪し、「寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともある。」と述懐しています。
宅間が自衛隊を退職して非行に走るようになると、親子関係はさらに悪化し、とっ組み合いになり、父親が宅間を何度も石で殴打するできごともありました。
また、宅間の母親は、家事、育児が苦手で、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと指摘されています。
宅間を身ごもったとき母親は、父親に対し「これはあかん」、「おろしたい」と話し、出産後、母乳をあげることも嫌がっていたということです。
小学校6年生のとき、大阪教育大付属池田中学校の受験を希望していますが、模擬試験の結果が悪く、断念しています。
このとき、母親は、宅間に対し「お前なんか産まれてこなければよかった!」と罵詈雑言を浴びせています。
宅間が中学校に入ると家庭内暴力がはじまり、両親に対し、「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる!」、「死ぬまで苦しめてやる!」と罵声を浴びせるようになります。
宅間は、3歳のときに三輪車で国道の中心を走って渋滞させたりしています。
小学校では、自分より強い児童にはいじめられたりしていましたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめ、さらに、猫等の動物を新聞紙に包んで火をつけ殺害しています。
中学入学後、好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけたりしています。
また、小学生のころから自衛隊に強い関心を持っており、「将来は自衛隊入るぞ~!」と大声で叫んだり、ひとりで軍歌を大声で歌っていたり、高校生になると「俺は自衛隊入るからお前等とはあと少しのつき合いや」と話したりしています。
宅間は「俺はIQが高い。」と話していましたが、成績は中の下でした。工業高校に進学した宅間は、野球部に所属しますが、練習態度が悪いことなどから上級生からいじめにあっています。そして、2年で高校を中退しています。その後、定時制高校に編入学するも直ぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトをしています。
そして、宅間は不安感や体のだるさなどを訴えるようになり、伊丹市内の精神病院に入院しています。
昭和56年11月、宅間(18歳)は航空自衛隊に入隊します。しかし、パイロット志望だった宅間は整備の方に配属されます。
昭和58年1月、宅間は、家出した少女を泊まらせ性交渉したことで懲罰を受け、除隊されられることになります。
同年3月、宅間は父親の金で運送業をはじめますが失敗し、不動産会社に就職しています。そして、激しい暴力をふるっていた母親と、2人暮らしをはじめます。
昭和59年11月、(不動産会社)勤務中、管理する大阪市内のマンションで、集金を口実に女性宅にあがり込み、暴行を加え、強姦する事件を起こします。
宅間は逮捕を逃れるため精神病を装い、以前入院していた病院に再び入院しています。
このとき、宅間は「幻聴が聞こえる」と訴え5階から飛び降りて重傷を負ったりしたことから、精神分裂病(統合失調症)と診断されていますが、大阪地方検察庁に嘱託された医師は、「性格異常であるが理非弁能力はある。」と診断し、大阪地方検察庁は起訴しました。
そして、昭和60年7月31日、婦女暴行事件で大阪地方裁判所は、婦女暴行事件として宅間に懲役3年の実刑判決を下しました。
宅間が、のちに母親に宛てた手紙には、「入院したのは、警察から強姦事件で追及されるのを避けるためで、5階から飛び降りのは、親に嫌がらせをするためであった。」と記載されています。
平成元年8月に出所した宅間は、父親に勘当されました(父親が宅間の私物を下取りにだし、その金を本人に手渡しています)。
宅間は幼いときから、「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていました。
平成2年6月、医師と偽り、18歳年上の女性と結婚していますが、嘘がバレて3ヶ月で離婚し、その直後、小学校時代の恩師の19歳年上の女性と結婚しています。その女性の出身大学は、大阪教育大学でした。
平成5年、宅間は伊丹市交通局に路線バスの運転手として就職しましたが、車庫内で同僚と殴り合いの喧嘩をしたり、バス内で運転席後ろに座っていた女性客に「香水が臭いから、うしろの席に行ってくれ」といったり、問題を起こしています。
平成6年9月21日に2度目の離婚となり、平成7年11月27日、同じ職場の女性と養子縁組して名字を変えることになります。
しかし、1年余り経った平成9年1月、この縁組みは解消され、宅間姓に戻ることになります。
このとき、宅間は女性に対し、慰謝料200万円を支払うことを強要しています。
同年3月、当時39歳女性と3度目となる結婚をします。同年12月、女性が神戸地方裁判所姫路支部に離婚調停を申立て、平成10年6月、離婚が成立します。
宅間は、この女性に対しては復縁に執着し、この元妻の女性に対しストーカー行為を繰り返し、暴行を加え逮捕されます。
同時期、交際中の別の女性に暴行を加え、逮捕されています。
同年10月18日、暴行を加えていた交際中の女性と4度目となる結婚しますが、平成11年3月31日に離婚します。
平成11年、技能員として伊丹市内の小学校に勤務しはじめますが、同年3月、教諭4人に精神安定剤入りの茶を飲ませる事件を起こし、傷害容疑で逮捕されます。
ここで、宅間は簡易鑑定によって、「精神分裂病(統合失調症)の疑い」と診断され、西宮市内の精神病院へ措置入院となり、不起訴となっています。
宅間が、この事件を起こす前の同年3月2日、宅間の兄は、弟の守(宅間)との度重なる暴力と確執に加え、妻と離婚するなど心労が重なり、頸動脈を切り自殺をはかっています。
子どもを一人残しての自殺でした。
また、宅間の母親も長期にわたって心を病み、長らく精神病院に暮らしています。
同年9月7日、措置入院となり不起訴となった宅間は、以前養子縁組していた女性宅に侵入し逮捕されます。
平成12年10月14日、タクシー運転手をしていた宅間は、大阪市内のホテルでベルボーイと口論になり、暴行を加え、逮捕されます。
同年11月、宅間は、池田市内の建設資材販売会社に10tトラックの運転手として採用され、自身も池田市内のワンルームマンションに引っ越しました。平成13年2月、信号待ちをしていた宅間は、並んでいた車の女性に「目が合った」と因縁をつけ、つばを吐きかけるといった問題を起こし、解雇されています。
宅間は初犯の強姦事件を除き、すべて自身の精神障害の偽装を楯にして15犯にわたる前科は不起訴処分になっています。
同年5月上旬、自ら1日だけ以前入院していた精神病院に入院し、これまでの度重なるトラブルに対する腹いせとして、大量殺人を画策します。
宅間は、「日曜日に、大阪市内の繁華街をダンプカーで突っ込む」ということも考えますが、「逃げ足の遅い子どもを狙えば、多数を殺害できる」と考え、大阪教育大附属池田小を狙うことを計画したのです。
事件前日の同年6月7日夜、宅間は電話番号案内で知った池田小学校の電話番号をカーナビにセットして、床につきました。翌8日朝、車をだした宅間は、池田市内の刃物店で包丁を2本購入し、池田小学校向かったのです。
宅間は逮捕後、「詐病だった」という供述をしていたものの、多量の精神治療薬を服用していたことや、精神病院への通入院歴があるため、本当に責任能力はあるのかということが疑われましたが、2度の精神鑑定では、「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害(人格障害)は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない。」と診断されています。
また、宅間が飲んだとされる精神治療薬は、抗精神病薬「セロクエル」と抗鬱剤「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の3種類と判明し、宅間の供述通り「10回分服用しても、眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはない」とされました。さらに、逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されず、捜査員がその事実を告げると、宅間は「すみません。薬は飲んでいません。つくり話でした。」と偽証していたことを認めました。
大阪地方裁判所は、この精神鑑定結果を証拠として採用し、同年9月14日、宅間を殺人と殺人未遂罪などで起訴し、同年12月27日、初公判が開かれます。
公判で、宅間は、「交通事故で大勢の人が死んでいるのと自分の事件は変わりがない。」、「道連れは多い方がいいと思った。」、「勉強ができる子でも、いつ殺されるかわからないという不条理をわからせたかった。」、「幼稚園ならもっと殺せた。」、「(被害女児の義父に対して)こら、・・! お前、子どもと血ィつながっとらんやないか! おいこら、・・、なんとかいえや!」といった言動を繰り返します。平成15年5月、検察側は、宅間が矯正教育を受けたあとにこのような凶悪事件をひき起こしたことについて、「本件被害の惨状と多くの家族の悲痛な思いを見るとき、いわゆる死刑廃止論が、いかに被害者や遺族の立場、心情を無視した空疎なものであるかということを実感せざるをえない。」と述べ、死刑を求刑しました。
心神喪失、心神耗弱を主張した弁護団の最終弁論のあと、宅間は「死ぬことにはまったくビビっていません。」、「いままでさんざん不愉快な思いをさせられてきました。」、「しようもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかったのかもしれません。」と述べ、同年8月28日、判決公判が開かれます。
宅間は、「死刑になるんやろ。最後にいわしてくれ」と訴えますが、裁判長はそれを無視します。すると、宅間は「3枚ほどや! すぐ終わる! 最後にいわしてくれ! これまで、わし、おとなしくしてたやろ。どうせ、死刑になるんやさかい。」と大声をあげます。
裁判長は、宅間に対し退廷命令をだし、拘置所の職員が宅間を連れだしました。
宅間がいない中で、裁判長は「主文、被告人を死刑に処する。」と読みあげ、死刑を宣告しました。
続けて、「わが国犯罪史上例を見ない、空前の、そして願わくは絶後の、凶悪重大事犯である。」、「理不尽極まりない暴力によって、一瞬にうちに短すぎる人生を絶たれてしまったのである。その無念さに思いをいたすとき、深い哀惜も念を禁じえない。」と述べました。
同年9月10日、弁護団は控訴期限が迫るなか大阪高等裁判所に控訴しますが、同月26日、宅間が控訴をとり下げ、死刑が確定しました。
同年12月、宅間は、死刑廃止を訴えるアムネスティ・インターナショナルの活動に参加し、支援者のひとりとして弁護士を通して手紙のやり取りをしていた女性と5度目の結婚をしています。
女性によると、この結婚は、宅間と接見や文通の権利を得るという目的のほかに、宅間に対して遺族へ謝罪するよう説得する意図もあったということでした。そして、女性は猛反対をしていた家族に迷惑がかからないようにと自分の姓を変更し、宅間もこの姓を名乗ることになりました。
そして、刑確定から1年経過した平成16年9月14日の朝、40歳の宅間は大阪拘置所で死刑を執行されました。


続けて、性的サディズムを抱えるとされる少年少女が招いた凄惨な殺害事件として、「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」、「佐世保同級生殺害事件」、「名古屋大生殺害事件」をとりあげたいと思います。


-事例204(事件研究50:神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件))-
「神戸連続児童殺傷事件」は、平成9年、兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生による連続殺傷事件で、数ヶ月にわたり、複数の小学生が殺傷された事件で、通り魔的犯行や遺体の損壊が伴ったこと、特に被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれたこと、地元新聞社に「挑戦状」が郵送されたことなど、強い暴力性が伴う特異な事件でした。
第1の事件は、平成9年2月10日16時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1人が重傷を負ったものでした。
犯人がブレザー着用、学生鞄を所持していたと聞いた女児の父親は、近隣の中学校に対し「犯人がわかるかもしれないので、生徒の写真をみせてほしい」と要望しましたが、学校側は「警察を通して欲しい」と拒否したため、父親は兵庫県警察に被害届をだし、生徒写真の閲覧を再度要求しました。
しかし、結局、学校側から開示されることはありませんでした。
第2の事件は、同年3月16日12時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近にいた小学4年生の女児に「手を洗える場所はないか?」と訊き、学校に案内させたあと、「お礼をいいたいのでこっちを向いて下さい。」といい、ふり返った女児を八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけ、逃走したものでした。
女児は病院に運ばれましたが、7日後の同月23日に脳挫傷で亡くなりました。
逃走した少年は、約10分後の12時35分ごろ、別の小学3年生の女児の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺し、逃走しています。
この女児は、2週間のケガですみましたが、ナイフの刃先は胃を貫通し、背中の静脈の一歩手前にまで達するもので、もし静脈まで達していたら、救命は不可能だったというものでした。このときの手術で、18リットルの輸血を要しています。
第3の事件は、同年5月24日の午後、神戸市に住む男児を通称「タンク山」と呼ばれている近所の高台に誘いだし、殺害したものです。
少年は人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために、昼過ぎにママチャリに乗って家をでました。
町内を10分ほどブラブラしながら自転車を走らせ、その後、多井畑小学校の北側を東西に走っている道路の北側の歩道を、東から西に自転車を走らせていたところ、多井畑小学校の北側の歩道上に少年とは反対に、西から東に、1人で歩いてくる男児を偶然見つけました。男児は同地区に住む放射線科医師の次男で、当時11歳でした。男児は、「祖父の家に行く」といい、13時40分ごろに自宅をでています。男児は、少年の一番下の弟の同級生であったことから、少年の家に遊びにくることがあり、少年の家で飼っていたカメに男児が興味を示したことから、少年はカメが好きなことを知っていました。
咄嗟に「・・君なら、僕より小さいので殺せる」と思い、男児の方へ近づき、少年は、男児に対し「向うの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう。」とタンク山に誘いだしたのです。
少年は、男児をその場で絞殺し、遺体を隠しました。
殺そうとするが死なない男児に対し、少年は腹を立て、男児の顔や頭を踵で蹴ったり、顔を殴ったりしたあと、向けになった男児の腹部に馬乗りになり、靴紐を力一杯引きます。
このとき、少年の手には首の肉にギュッと食い込む手応えがあり、しばらく締め続けたところで呼吸音が止まったということでした。
少年は、児童が死んだかどうか確信が持てず、靴紐の端を施設のフェンスか桟に結びつけ、さらに締め続け、男児の左胸に右耳を当て心音を確認し、心音が聞こえなかったので、完全に死んだと確認しています。
同日20時50分、被害男児の家族は、須磨警察署に捜索願を提出しています。
翌25日、少年は10時から12時にかけて起床し、自分でパンを焼いて食べ、13時から15時の間に、男児の首を切るために自宅をでます。そのとき、少年は男児の頭部を入れるため、黒色のビニール袋2枚を準備しています。少年は、「現実に人間首を切っているんだなあと思うと、エキサイティングな気持ちになった」、「首を切断して射精した。」と供述しています。
そして、少年は、「警察は自分の学校に首を置くはずはないと思い、捜査の対象から逸れると考えた」と、友が丘中学校の正門前に男児の首を置くことを決めますが、ただ首を置くだけでは捜査が攪乱できるかどうかわからないと考え、「偽りの犯人像」を表現する手紙を咥えさせようと考えます。漫画「瑪羅門の家族」第3巻の目次から引用したり、別の本で覚えていたことばを組み合わせたりして、手紙を書きあげ、5月27日未明、中学校の校門前に遺棄したのです。酒鬼薔薇聖斗の名で、「汚い野菜共には血の制裁を」と記したメッセージを添えています。
そして、このとき、少年は「性的興奮は最高潮に達し、性器になんの刺激も与えてないのに、何回もイッてました。」と述べています。
そして、6月4日、神戸新聞社宛てに赤インクで書かれた第二の声明文が届くことになり、捜査線上に浮上していた少年の作文などを調べ、同一人物の筆致だと判明することになります。
最初の犯行声明の中で、「殺しをしている時だけは日頃の増悪から解放され、安らぎを得ることができる。」、「透明な存在であるボクを造り出しだ義務教育と義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいけない。」と書いています。
6月28日、現場近くに住む少年に朝から任意同行を求め、事情を聞いていたところで犯行を自供し、19時5分、殺人及び死体遺棄の容疑で少年を逮捕しました。同時に、少年は通り魔事件に関しても犯行を認めています。
少年への精神鑑定の結果、①脳のX線検査、脳波検査、CTやMRIによる脳の断層検査、染色体の検査、ホルモン検査に異常は認められない、②非行時、鑑定時とも精神疾患ではなく、意識は清明であり、年齢相応の知的能力がある、③非行時、鑑定時とも離人症状と解離傾性(意識と行為が一致しない状態)があるが、犯行時、鑑定時も解離性同一性障害(多重人格)ではなく、解離された人格による犯行ではない、④未分化な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固なサディズムがこの事件の重要な原因である、⑤直観像素質(瞬間的に見た映像をいつまでも明瞭に記憶できる)者であり、その素質はこの事件の原因のひとつである、⑥自己の価値を肯定する感情が低く、他者に対する共感能力が乏しく、その合理化・知性化としての虚無観や独善的な考え方がこの事件の原因のひとつである、といった人物特性が解明されています。
精神鑑定の結果は、少年に完全な責任能力はあるが、成人のパーソナリティ障害に相当する行為障害(18歳未満の場合は人格形成途上なので行為障害と表現する)があり、鑑定医の意見としては、行為障害の原因を除去して、少年の性格を矯正し、少年が更生するためには、長期間の医療的処置が必要(医療少年院への送致が最も適切な処遇)との提案がされました。
少年は、「小学校5年生以降、動物に対する殺害をはじめ、最初はなめくじやカエルが対象だったが、その後は猫が対象になった。友人に全部で20匹ぐらいの猫を殺したと話した。」と述べています。
小田晋氏は「神戸小学生殺害事件の心理分析」の中で、「猫を殺したのは動物性愛の裏返しである。すでにこのとき少年は快感を得て、性的興奮が少年のなかに条件づけられていたかもしれない。被害者となった少年を攻撃したのは小児性愛、それも同性愛的小児性愛と、さらに可逆性愛の傾向がみられる。衝動が幼女に向かった幼児性愛、そして、少年殺害に至っては死体愛、死体加虐愛へと段階を追って変化している。一つ一つの欲動の間に、仕切りがついていない。本来、大脳皮質が働くことによって欲動が仕切られるのだが、大脳皮質がそれをコントロールできずにこういった行動を重ねてしまうのである。」と考察しています。
つまり、標準的な人は、性的な発育がはじまる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されますが、少年は性的な発育がはじまった時点で、性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されることなく(鑑定医は、その状態を未分化な性衝動と攻撃性の結合と表現しています)、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していったのです。
性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、性欲を発散する対象として想像しながら自慰をして(または生身の女性と現実の性交をして)性欲を発散し、性的な経験を積み重ねながら肉体的・精神的な成長をしていきますが、少年は、動物を殺害し、遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺し、遺体を損壊するときに性的な興奮や快楽を感じ、性器が勃起し、射精しています。
こうした経緯を、『絶歌』の中で、以下のように書いています。
少年は、少年が思春期に入ると虜になっていたのが、映画「羊たちの沈黙(1991年、少年9歳)」、「週刊マーダーケースブック(1995年刊行で、第2号ではパリ人肉事件の佐川一政がとりあげられている、少年13歳)」、ロバート・K・レスラー(「FBI心理分析官~異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記~(1994年、少年12歳)」)やコリン・ウィルソンの著書でした。そして、「クラスの男子が好きなアイドルのプロフィールを覚えるように、僕はキャラの立った殺人鬼ひとりひとりの少年期のトラウマ、犯行の手口、死体の処理方法、逮捕されたきっかけ、裁判の経緯などを片っ端から頭に詰め込んだ。クラスの女子たちがジャニーズとのデートコースを何パターンも考えている間、僕は人を殺す方法を何パターンも考えた。」と書いています。
そして、少年が「原罪」と記しているこが、「祖母の死後しばらくして、祖母の位牌の前に正座し、祖母のことを想いながら、祖母の愛用していた電気按摩器を使って性器を刺激し、精通を経験した。」ことです。
10歳の少年が、「性」と「死」が「罪悪感」という接着剤でがっちりと結合した瞬間であり、その日以降、「冒涜の儀式」を繰り返すことになり、「その快楽のドラッグはあまりに中毒性が強く、もうそれなしでは生きていけなくなるほど僕の心と身体を蝕んだ。」と書いています。
そしてこの頃から、ナメクジ集めをはじめ、瓶に入れて懐中電灯をあてて眺めながら、「この愛らしい生き物のことをもっと知ってみたい」と思い、解剖をはじめます。そして、解剖について、「命に触れる喜びを感じた。殺したかったのではない。自分を惹きつけてやまない命に、ただ触れてみたかった」と書いています。
その年の冬、祖母の愛犬だったサスケガ死に、そして間もなく、最初の猫殺しが起こります。意を決した瞬間、少年の心身を支配したのが性衝動だったのです。「死を間近に感じないと性的に興奮できない身体になっていた。」と自ら明かしています。しかし、「快楽はドラッグと同じで耐性がある」と書き、同じ行為では十分なエクスタシーが得られなくなります。
中学に進級するころには飽きてしまいます。
そして、「自分と同じ人間を壊してみたい。その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい。」との思いに駆られ、そのことばかりを考えるようになっていったのです。
以上のように、少年は、その性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件をおこなったのです。
殺人の動機の類型としては、快楽殺人になります。
そして、少年は、鑑定医から被害者を殺害したことについて問われると、「自分以外は人間ではなく、野菜と同じだから切断や破砕をしてもいい、誰も悲しまないと思う。」と話しています。被害者の遺族の悲しみについて問われると、「あのとき、あの場所を通りかかった被害者が悪い、運が悪かったのだ。」と話し、女性に対する関心はあるかと問われて、「まったくない。」と応えています。
宮台真司氏は「透明な存在の不透明な悪意」で、少年が「寄生獣」という漫画を愛読していたことをヒントに、「考えてみれば、酒鬼薔薇聖斗には『バモイドオキ神』がいる。これはやはり酒鬼薔薇を支配しているわけではない。彼は自分の意思で聖なる儀式アングリをやる。あるいは、アングリで神名をもらうために、自分の意思で犯罪行為をする。それは自分の意思ではあるけれど、同時に神に捧げられたものだ。」、「人間が、弱い存在である人間が、自分に対して、さまざまな攻撃を仕掛けてくる環境、自分の行動にさまざまに防御し、あるいは、ノイズ(雑音)に満ち満ちた環境から身を守るためには、それはきわめて重要な知慧じゃないかと」、「ひるがえってみると、14歳程度の年若い少年が、これほど強力な防御スーツ、自己防衛ツールを発動したということは、諸情報を総合すると、それは特に母親のコミュニケーションが原因であったように推測できますが、はっきりしたことはいえない」等と考察しています。
また、高山文彦氏は「「少年A」14歳の肖像」で、「祖母の死後に少年が奇怪な友人(「エグリちゃん」という身長30-40センチの小さな女の子で、脳がはみ出し目はつぶされていて醜く空腹をおぼえると自分の腕を食べる)と、奇怪が動物(「ガルボス」といい、凶暴性を操る存在)を想像世界の中でつくりあげていたり、夢の中で「バモイドオキ神」(光の塊のようなもの)を見たことや、少年の作文「まかいの大ま王」「お母さんなしで生きてきた犬」「懲役13年」や、少年が精神鑑定などの中で描いた課画(落雷にまっぷたつに引き裂かれた樹木画と、殺害を終え、首を切り落とした直後の自画像)等と分析し、母親による虐待を大きな要因として指摘し、「彼が淳君を描いた絵は本当に清らかなんです。」、「頭部を切り落としたあと、彼は血を飲んだ。「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば清められると思った。」と、その理由を語った。あの子は淳君を殺したとき、自分も殺されていると思っていた。イメージとしては無理心中に限りなく近い行為ではなかったかと思うことがあります。」と考察しています。


-事例205(事件研究51:佐世保同級生殺害事件)-
平成26年、長崎県佐世保市でおきた同級生殺害事件は、15歳の女子生徒が、「ネコを解剖するうちに、人で試したくなった。」と供述し、性的サディズムの可能性が指摘される少女(16歳)に、背後から殴られ、倒れたところで首を絞められて窒息死したあと、遺体を切断した凄惨さに社会が震撼した事件です。
 約1週間前に加害者の少女に誘われた女子生徒は、平成26年7月26日15時ごろ、待ち合わせ場所で少女と会うために自宅をでました。2人はファストフード店に立ち寄り、少女が一人暮らしをしていたマンションの部屋に行きます。テレビを見たりするうち、がまんきなくなった少女が、事前に購入していたハンマーやのこぎりを使って、20-22時ごろ凶行に及んだのです。
翌27日3時20分ごろ、部屋を訪ねてきた捜査員に女子生徒の居場所を聞かれた少女は、「えっ、知らんけど。」ととぼけたということですが、任意同行された長崎県警佐世保署で、少女は「すべて私がやりました。」とあっけなく殺害を認め、緊急逮捕されました。女子生徒はあおむけにベッドに横たわった状態で、遺体となって発見されました。ハンマーはベッドの脇、のこぎりはベッドの上でそれぞれ見つかり、人体図を載せた医学書が部屋から押収されました。
逮捕後、少女は、「ネコを解剖したり、医学に関する本を読んだりしているうちに、人間で試したいと思うようになった。」、「中学生のころから人を殺したい欲求があった。」、「人体に興味があった。殺すために自分の部屋に2人で行った。遺体をバラバラにしたかった。」と供述しています。
確認されている少女の最初の異常行動は、小学6年生だった平成22年12月におきました。
少女は、クラスメートの女児と男児の給食に計5回、異物を混入させたのです。
最初の4回は、学習態度をめぐり口論になった女児への「憂さ晴らし」が動機で、水、ベンジン、液体漂白剤、靴用の洗濯洗剤を混入させたものでした。
最後の5回目は衣服用の洗濯洗剤を使いましたが、なぜ男児を狙ったのかは明らかになっていません。まるで実験するかのように毎回、薬剤を変える一方で、分量は0・3ミリリットルずつ同じ量を使うなど、混入を繰り返すうち、憂さ晴らしから人体への影響に関心が移り、女児から男児へ標的を変えた可能性が指摘されています。
問題が発覚後、中学受験を控えていた少女に対し、学校側は指導をおこない、問題行動はおさまったとされていましたが、進学先の中学校で、「少女が小動物の解剖をしている」との噂が広まることになります。
少女は、7-12歳の間、実母に連れられて何度か農場体験に行き、家畜の豚を食肉にする過程の説明を受けています。
家で孤独を感じ過ごしていた少女は、動物の内臓の画像に異様な興奮を覚えたり、解剖行為の空想をしたりしているうちに抑制がきかなくなり、中学生になるころには、猫の解剖をするまでにその衝動は高まっていったのです。
少女は、勉強ができ、中学3年のときには版画の作品で県知事賞を受けるなどの才能を発揮していました。
平成25年10月、中学校3年生となった少女は、実母を膵臓がんで亡くしました。
平成26年3月、再婚した父親を金属バットで殴り、重傷を負わせる事件を起こし、父親は、精神科医に「同じ家に寝ていると、命の危険がある。」と助言されます。
高校へ進学した同年4月、少女は、佐世保市内を一望する丘の上に建つ豪邸をでて、繁華街近くのタイル張りのマンションで一人暮らしをはじめることになりました。
事件前の同年6月10日、精神科医は、県の児童相談所に「このままいけば、人を殺しかねない。」と通報していましたが、児童相談所は、この相談を放置していたことが、事件後に発覚しています。
同年7月23日、精神科に向かう途中、少女が「ネコを殺すのが楽しい」とい継母に話したあと、「人を殺したい」と打ち明けたとことを受け、継母は、このことを精神科医にも伝えていますが、少女の犯行を防ぐことはできませんでした。
少女は約5ヶ月の精神鑑定を経て、殺人や死体損壊などの非行内容で平成27年1月に長崎家庭裁判所に送致され、同年2月に少年審判がはじまりましたが、再び長崎家庭裁判所が鑑定留置をおこなうなど約4ヶ月をかけ、同年7月13日、長崎家庭裁判所平井健一郎裁判長は、第3種(医療)少年院に送致する保護処分を決定しました。
少女の非行については、「残虐さ、非人間性には戦慄を禁じ得ない。」としたうえで、処分や刑罰が重くなる16歳の誕生日直前の非行だったことにも触れ、「計画性の高さ、殺意の強固さも際立っている。」と指摘しています。
一方で、少女には、「人の痛みや苦しみが理解できない」重い共感性障害などASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)の特性のほか、「素行障害がある。」と認定し、「決めたことは迷いなく遂行する」性格などが絡み合い、「ASDの中でも非常に特殊な例」と判断しています。
そのうえで、小学生時代に給食に異物を混入した事件で問題が発覚しながらも、周囲から適切な保護や対応がとられなかったことや、実母の死を体験したことで、人を殺したいという特異な関心を抑制できなくなったと非行に至る経緯を分析しています。
また、遺族に厳罰を望む感情がある中でも、検察官送致(逆送)を選択しなかったのは、「刑罰による抑止は効果がない。刑務所は特性に応じたプログラムが十分でなく、かえって症状が悪化する可能性がある。」と説明し、精神科医らによる長期の矯正教育と医療支援が必要と結論づけています。
医療少年院の収容期間は最長でおおむね26歳未満までで、生活指導や贖罪指導などの教育と並行し、精神療法やカウンセリングといった治療を受けることになります。
専門の教官らが両親の役などを務める「模擬家族」をつくり、生活をともににして育て直す特別なプログラムが組まれることになります。
少女については、長崎家庭裁判所と長崎地方検察庁佐世保支部はそれぞれ精神鑑定を実施し、地方検察庁は、「いまだに殺人欲求を抱き続けており、再犯の危険が大きい。」と分析したうえで、刑事責任能力があるとして「刑事処分相当」の意見をつけて家裁送致し、少女の父親(その後、自殺しています)も逆送による裁判員裁判を求めていましたが、長崎家庭裁判所は、不安定な少年を支える社会のあり方にも言及し、「今後も同様の問題を抱えた青少年が現れる可能性は否定できず、そのような少年の対応に取り組む体制を構築していくことも重要である。」と投げかけています。


-事例206(事件研究52:名古屋大生殺害事件)-
「名古屋大生殺害事件」は、平成27年1月27日9時40分ごろ、名古屋大学理学部の女子学生(19歳)が、女子大生に宗教を勧誘したことがきっかけで知り合った主婦の森外茂子(77歳)さんを斧で殺害した事件です。
事件当日も2人で宗教団体の集会に参加しています。
女子学生は平成26年12月8日から逮捕前日の平成27年1月26日までの約1ヶ月半、宮城県内の実家に帰省していましたが、森さんと最後に会ったとみられることから、愛知県警が連絡を取り、1月27日朝から事情を聴くことになりました。
女子大生が逮捕後、「人が死ぬ過程を見たかった」とその殺害動機を語り、また、高校生の時に級友に硫酸タリウムを含ませたり、大学入学後に他人の家に放火していたりしていたことで、世間の注目を集めました。
いずれの事件も「死を見てみたい」との衝動からおこなわれ、女子学生は「子供のころから人を殺してみたかった」と供述しています。
女子大生は、平成24年5-6月、宮城県内の高校在学中に、同級生ら2人に劇物の硫酸タリウムを飲ませて殺害しようとしたとして愛知、宮城両県警に殺人未遂容疑で再逮捕されましたが、その動機について、「タリウムを飲ませて、観察したかった。」と供述し、事件の経緯が明らかになるにつれ、危険薬品や凶悪事件に執着する特異な姿が浮かびあがっていくことになります。
女子学生は、高校時代の同級生の間では「変わった子」「事件や薬品に興味がある子」と認識され、中学時代の同級生だった大学生の女性は、「残酷な事件に興味があって、楽しそうに話してくれた。」、高校時代の同級生の女性は、「凶悪犯罪者が好きな変わった子と聞いていた。」と話しています。
女子大生は、トップクラスの成績で名古屋大学に進学しています。
女子学生が通った高校では、当時クラスメートだった男性(19歳)が、平成24年6月ごろから、体調を崩して両目の視力が著しく低下し、同年10月に入院することになります。
同年12月に相談を受けた宮城県警は鑑定から劇物のタリウム摂取による中毒症状の疑いもあると判断し、翌平成25年2月に被害届を受理し、高校の校長らから聞き取りをおこなうなど捜査をはじめます。
しかし、女子学生の情報は捜査線上に浮上することはありませんでした。
男性はその後、男性は両目の視力が著しく低下し、平成24年10月に入院し、退院後、特別支援学校に転校していますが、現在も日常生活に支障をきすほど障害が残っています。
その後の取り調べによって、女子大生は、中学時代の同級生の女性(19歳)にもタリウムを飲ませた疑いがあることが判明します。
女性は平成24年5月27日、仙台市内のカラオケ店に女子学生と訪れたあと、髪が抜ける、手足がしびれるなど症状を発症しますが、原因不明と診断され、被害届をだすことはありませんでした。現在、女性は多少の後遺症は残っているもののほぼ回復しているとのことです。
名古屋地方検察庁は、2月12日から5月12日まで女子学生の鑑定留置を実施し、勾留期限の5月15日、愛知、宮城両県警は合同捜査本部を設置し、女子学生を同級生2人にタリウムを摂取させ、殺そうとしたとして殺人未遂容疑で逮捕しました。
タリウムは法律で18歳未満への譲渡を禁止されていますが、女子学生は母親の実家のある山形県の薬局で年齢を偽り、事件に使用したタリウムを入手しています。また、大学入学直前には、実家近くの薬局でも大学からすでに渡されていた学生証を使い、タリウムを購入しています。
女子学生のTwitterには、平成26年11月、「ギ酸タリウムの妄想をして息が上がっていた高2の春」、「結局在庫がなくて硫酸タリウム買ったんだけどね」、「硫酸タリウムの半数致死量は1グラム(成人男性)だろ? で、未開封の硫酸タリウム瓶には25グラム」などの書き込みが残っています。女子大生が使用していたTwitterのアカウントは「thallium123」で、毒性の強いタリウムに、多くの犠牲者をだした日航機墜落事故(昭和60年)の便名である123をつけているように、タリウムへのこだわりは特別であることがわかります。
女子大学の平成26年7月3日のブログ(同年6月27日開設)には、「今日は本の紹介します。グレアム・ヤング毒殺日記 尊敬する人の伝記、彼は14歳で人を殺した。酒石酸アンチモンカリウムで、毒殺した」と記されています。また、同年9月23日のTwitterには、「グレアム・ヤング毒殺日記」という本の画像が載せられ、「実は読んだことがありまして笑笑」と書かれています。
「グレアム・ヤング毒殺日記(アンソニー・ホールデン著)」は、イギリスのグレアム・ヤングが14歳のときからはじめた継母などに対する連続毒物混入殺害事件の犯行の様子を綴った本で、1997年に邦訳されています。ヤングが用いた毒物の中にタリウムがあります。
また、女子学生は「平成17年におきたタリウムによる殺人未遂事件に興味を持っていた」と供述しています。
女子大生が興味を持っていた平成17年の事件は、静岡県伊豆の国市で発生したいわゆる「タリウム事件」です。
平成17年10月31日、高校1年の女子生徒(16歳)が、母親を殺害しようと酢酸タリウムを約3ヶ月にわたって摂取させ、意識不明の重体に陥らせたとして殺人未遂の疑いで逮捕されました。そして、少女は、自身のブログにタリウムを投与する経過や、衰弱していく母親の様子とみられる記録を公開していたのです。
彼女は、グレアム・ヤングの『毒殺日記』を愛読していました。
この事件は、社会に衝撃を与え、平成25年には「タリウム少女の毒殺日記」として映画化されています。さらに、女子学生のTwitterには、平成26年12月、「酒鬼薔薇君(平成9年に神戸市で連続児童殺傷事件を起こした元少年)もタリウム少女も大好きですよ。」と書き込みをしています。「毒殺日記」が日本で発売されたとき、伊豆の国市の女子高生は8歳でした。
彼女は、その後に本に接し、中学生になるころには、毒物・劇物への傾倒を示していました。
名古屋大の女子大生が伊豆の国市の事件報道に触れたのは、10歳のときです。
そして、「毒殺日記」の存在を知り、同じように読み耽り、傾倒していくことになります。そのグレアム・ヤングは、小学生のころから毒物が人体に与える影響に関心があったといわれています。
再逮捕後、女子学生は捜査本部の調べに対し「タリウムを飲ませて観察したかった。」、「誰でもよかった。2人に恨みはなかった。」と供述しています。
中学時代の同級生だった被害者の女性とは、別々の高校に進学後も親しくしており、2人でカラオケに行ったときに粉末状のタリウムを混入したとみられ、女性が体調を崩して入院したあと、女子学生は見舞いに訪れています。この見舞いは、中毒症状を観察する目的だったと考えるのが妥当だと思います。
女子学生は、平成27年6月5日、帰省していた平成26年12月13日3時25分ごろ、仙台市内の木造2階建て住宅を知人宅と誤認し、玄関扉の郵便受けに引火性の高いジエチルエーテルを流し込んでマッチで火をつけ、住人の女性(67歳)ら3人を殺害しようとしたとして、殺人未遂と現住建造物等放火の疑いで再逮捕されました。女子学生は調べに対し、「焼死体が見たかった。葬式で見れると思った」と話しています。
また、女子学生は「昨年(平成26年)8月、同じ家に灯油入りのペットボトルで放火したがうまくいかなかった。」と供述しています。
灯油を使った8月の放火に失敗した女子学生は、12月はより引火性の高いジエチルエーテルを使用したのです。
同年6月16日、名古屋地方検察庁地検は高齢女性の殺害事件や、高校の同級生らへの劇物投与事件などで逮捕された名古屋大の女子学生を、検察官送致(逆送)を求める「刑事処分相当」の意見をつけ、殺人や殺人未遂などの疑いで一括して家裁送致し、名古屋家庭裁判所は同日、2週間の観護措置を決めました。名古屋地方検察庁は、女子学生の供述の特異性や19歳という年齢を考慮し、鑑定留置を名古屋家庭裁判所に請求し、認められていました。
そして、精神鑑定の結果、「刑事責任能力がある。」と判断しました。

こうした少年事件は、①自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群など発達障害)、愛着障害、行為障害が指摘される傾向があり、それは、傍目には教育的な、ときに立派と称される家庭で、幼少期から厳しくしつけられたり、勉強や習いごと強いられたりする(いき過ぎた教育(教育的虐待)や過干渉)ことで、子どもらしく伸び伸びと過ごすことができずに育っていることを起因としている可能性が高いこと、②8-12歳の間に事件につながる強い刺激に曝されていることが、共通していることがわかります。
被支配的で抑圧的な生育環境で育ってきた少年たちは、親に怯えながらも、可能な範囲で期待に添おうとし、学習などで成果を残してきました。
この「やらされた人生」というのは、少年たちによって様々に表現され、例えば、タリウム事件の女子高生はネットの日記に「薇仕掛けの人形師」と題して二重のコントロール下に置かれた自分の姿を描写しています。
自覚されるコンプレックスの裏に抑圧された負の感情が、のちに事件行動のエネルギーのモチベーションとなっていきました。
そして、「静岡県タリウム事件(平成17年)」や「名古屋大生殺害事件(平成27年)」における「毒殺日記」、「佐世保小6女児同級生殺害事件(平成16年)」における「バトル・ロワイヤル(中学生同士が殺し合うゲームに巻き込まれるストーリーの映画)」、「佐世保市同級生殺害事件(平成26年)」の「食肉加工(解剖)」、平成15年7月1日に発生した「長崎男児誘拐殺害事件(8歳のときに友人から股間を強く蹴られたときに“へんな気持ち”になり、以降、男性性器に興味を持ち、高じて男児の性器へのいたずらを繰り返すようになっていった)」での「股間を蹴られたこと」など、衝撃的な事柄との出会いは、それがたとえ一回だったとしても、かなり固定的な執着に展開していくことがあります。
これは、「固着」と呼ばれる現象です。
固着は、その衝撃的体験によって脳が興奮して喜ぶ、つまり、快感ホルモンが大量に放出されるため、脳がその再現を求めて習慣化するという現象です。
先に記しているとおり、脳は快感刺激を優先する特性があります。
つまり、無意識下で働く脳の機能ですから、本人の意思や努力だけで制御するのは困難ということになります。
固着が、前思春期におきやすいのは、第二次性徴に由来する「はじめての性的快感」と、衝撃がもたらす快類似体験が結びついてしまうからです。
男の子の場合には、勃起や精通といった身体の変化として、自覚することができます。
一方の女の子にも類似した脳の反応が伴っていると考えられています。
男の子の固着は、相手の身体への攻撃を伴う場合には性的サディズムとして、幼児に向かう場合は小児性愛として、物に向かう場合にはフェティシズムとして認知されます。
女の子の場合は、初期の性的満足が明らかな身体的変化を伴っていないことから、同様のメカニズムであっても、本人による捉え方が男の子とはやや異なってきます。
名古屋大の女子学生は、殺害を実行したあとTwitterに「ついにやった」と書き、取調べでは「達成感があった」と述べています。
これは、渇望感を埋めることを目的とした欲求に対して、深い充足感を味わうことができたということです。
固着は、その対象を繰り返し想像させます。
この繰り返しが、想像をいっそう豊かで具体性のあるものに高めていき、やがて行動の段階へと移行していきます。
行動の繰り返しがさらに強い欲求充足を求め、ハードルを高みへと上げてしまうといった現象がおきるのです。
虫や小動物で試したあとで、人へ向かうプロセスを辿りやすいのは、脳が欲する快の水準があがっていってしまうからです。
先にとりあげていますが、平成27年6月、「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」の加害者であった少年は32歳になり、手記「絶歌(大田出版)」を出版したことで物議を醸すことになりました。
この手記によって、亡き祖母の部屋で経験した精通の快楽にとりつかれ、“冒涜の儀式”を繰り返し、やがて性的な衝動に突き動かされて猫を殺すようになり、猫殺しによる快楽では満足できず、人を殺害するに至ったことを書いていますが、精神鑑定で「性的サディズム」と診断されているように、典型的な性倒錯者であることがわかります。
こうした性倒錯者が「書かずにはいられない」のは、自己顕示欲や承認欲求だけでなく、活発な性幻想がモチベーションとなっていると考えるのが妥当です。
プロファイリングの創始者ロバート・レスラーは、「性的殺人の動機の根底に潜んでいるのは、幻想である。」と述べていますが、性的サディズムに起因する殺人や傷害事件は、“性幻想”に駆り立てられていることが多いわけです。
「絶歌」の後書きで、「家族の皆様へ」との見出しを立て、7ページにわたってお詫びのような文が載せられていますが、自己のおこないを正当化している内容でしかない、つまり、いい訳を綴っているだけです。しかも、書くことが、即ち、リアルな追体験をすることになることから、その空想(性幻想)に酔いしれている、書くことに固着していることを伺わせるものです。
本質はなにも変わっていないことは明らかです。
そして、あふれでてくる特異な性幻想をことばで表現し、そのことばに酔いしれている文章は、DV加害者が、家をでていった妻宛のメールや離婚調停に提出する陳述書などで書き綴る文章と瓜二つです。


(10) 福祉と医療、教育としての行為障害、反抗挑戦性障害者のサポート
気になる子どもの状態を愛着障害、そして、反社会性人格障害(サイコパス)と発展しやすい「行為障害」などの特性に照らし合わせてみることが必要になります。
DSMのような発達障害の精神医学概念を用いずに、これらの特徴を持つ子どもをいい表すときには、行為障害の少年は<非行少年(犯罪少年・触法少年・虞犯少年)>いわれることが多く、また、反抗挑戦性障害の少年は、危険な犯罪性はほとんどありませんが学級崩壊や授業の混乱をひきおこす<問題児>といわれることが多いのです。
「DVの世代間連鎖」といわれるように、子どもは親の暴力を子どものころからすり込み、学んでいきます。
青写真のように時間をかけ、瓜二つのコピーをつくりだしていきます。
逆説で考えると、暴力のある家庭で育った加害者も子どものころ同様な症状を伴っていたと類推することも十分可能です。
行為障害とは、反抗的で攻撃的な非行行為を繰り返す状態をいいます。
この非行行為は、年齢相応に必要な社会的規範や規則から著しく逸脱しています。
その非行行為をひきおこす原因としては脳の障害、精神的な障害、人格発達の歪み、家庭環境や社会的環境の影響などがあります。
そして、行為障害の主な症状としては、いじめ、喧嘩、強迫、その他人を傷つけるような行為や、ひったくりや強盗などの犯罪行為などがあります。
行為障害をひきおこす子どもは、上記のような行為を繰り返すために社会的に孤立しやすい状態となります。
発達障害(Developmental Disorder)とは、中枢神経系の成熟障害や神経伝達過程の異常によって発達早期に発症すると考えられてきていますが、発達障害の概念には、「医学的な障害(disorder)」という意味合いと同時に「社会的不利益(handicap)」が強く含意されています。
自閉症スペクトラムに代表される発達障害の多くは、生命の維持や身体の健康に直接関わるような症状を呈するのではなく、既存の社会環境(学校生活)や職業活動(経済生活)に適応できないために社会的・経済的な不利益を蒙りやすいという問題を抱えています。
発達障害を、医学的な治療を必要とする“developmental disorder”ではなく、社会福祉的支援を必要とする“developmental disability”と表記することがあるのはそのためです。
現在では社会福祉的な観点から、発達障害の児童にその障害の程度や子どもの個性、社会適応のためのニーズに合わせた総合的な療育をおこなうことで社会的不利益を軽減しようとするアプローチがとられることが多くなっています。
「障害者自立支援法」の成立と施行によって、発達障害者を含む心身障害者をとり巻く社会状況と福祉政策は大きな変化を迎えていますが、障害者の自己負担(受益者負担)の増加に見合うだけの公的な自立支援が為されているかというと現状ではまだまだ不十分です。療育によって回復可能な機能と回復不能な機能を明確にし、医学的に回復不能な障害を抱えた人の場合には、最低限の文化的生活に必要な生活保護(雇用保障)の一定の水準を守る必要があります。
心身障害者の公的支援の場合には、「その人に可能なレベルの自立」を前提にして福祉政策を組み立てていかなければなりませんが、基本的な衣食住と医療・介護・子どもの教育に不足がないようにしていくことが重要です。
発達障害としての“障害の程度”や“子どもの個性”に合わせた療育(特殊教育)では、「読み・書き・計算・お金の概念」という初等教育の基礎学力をしっかりと身につけさせることや「状況や場面に適合した言語的コミュニケーション」を体得して他人と良好な関係を持てるようになることが重視されています。
発達障害を持つ人の経済的自立を促進する援助では、授産施設(公的資金援助のある作業所)への就職斡旋がおこなわれたり、一般企業の障害者採用枠を増やしたりするとり組みがおこなわれていますが、日常生活には何の支障もない軽度発達障害の場合には、正式な発達障害の診断を受けていないために自助努力での就職活動を強いられる人も少なくないようです。
軽度発達障害の診断基準の枠組みは相当に広いので、他の学生と同様に高校・大学へと進学する学力を持っている人も多く、自分の性格や能力に合った一般企業に就職して業務内容にそれなりに適応していく人も相当数にのぼります。ことばの行き違いや噛み合わないコミュニケーションが多く、なぜか人間関係が上手くいかないという人が、大人になって発達障害の存在を知り、ADHDやアスペルガー症候群の診断基準を見てみると自分にすべてあてはまるという人も少なくありません。
アメリカの高校生の4人に1人が発達障害を抱えているとの報告もあります。
大人になって発達障害の自覚がでてきた場合でも、現在の家庭生活や経済活動に適応できているのであれば、特別な治療や対処が必要なレベルの発達障害ではなかった可能性が高いわけですが、本人にやる気があるのに就職活動で場違いな言動をして失敗したり、仕事に集中できない注意欠陥や多動の症状がでたり、頻繁に対人関係のトラブルをひきおこすコミュニケーションの問題があったりする場合には、愛着障害、広汎性発達障害やADHDに詳しい臨床家の治療的援助を受けることで社会適応やストレス状況が改善されることがあります。
愛着障害、発達障害の子どもに反抗的な攻撃性や暴力的な多動傾向が顕著な場合には、「情動・欲求を身体化して表現することの不利益さ」を適切に理解させることが必要になってきます。
行動の発現頻度を調節するオペラント条件づけ(回避行動)を応用した行動療法や非合理的な信念(irrational belief)を変容させる認知療法などで対処しますが、子どもの反抗や暴力を抑制するためには「暴力や反抗以外にも効果的な問題解決方法(自己主張行動)がある」という信念を子どもに教えてあげる粘り強い姿勢で臨んでいきます。
相手に対する自己主張のための反抗や拒絶は、大人の世界でも場合によっては必要ですし、目的達成のために有効なアプローチになることがあります。
しかし、「暴力・威圧・挑発・脅迫」を用いた強引な要求充足というのは、通常の社会生活では非適応的な行動パターンであることが多く、いき過ぎた威圧や脅迫をすれば法律に違反して罪に問われることもあります。
攻撃性や暴力行為が目立つケースでは、「暴力的な問題解決」から「対話的な問題解決」への転換が目標となります。
すなわち、ことばを用いてコミュニケーション(対話・交渉・議論)をおこない、お互いに納得のいく結論を導きだすロールプレイング的な練習を繰り返しおこなっていくことで、物理的な暴力で相手を威圧(屈服)する問題解決行動の発生頻度を減らしていきます。
精神分析療法では、抑圧された欲求や内面の葛藤を直接的な行動で表現することを「行動化(アクティング・アウト)」といいますが、アクティング・アウトは多くの場合、社会規範(常識的価値観)に違背する逸脱行動として表出します。
精神分析の概念としてのアクティング・アウト(acting out)にはマイナスの意味合いはありませんが、攻撃性が目立つ行為障害や非行問題の心理臨床では、アクティング・アウト(行動化)の原因となっている欲求や葛藤を洞察(insight)させ言語化していく方向で面接を進めていきます。
さまざまな相手や状況の中で形成される人間関係では、強行に自己主張することが有利に働くこともあれば、柔軟な姿勢で相手に譲歩することが有利に働くこともあります。
そういった場面や相手に合わせた適応的なコミュニケーションを発達させて共感的な人間関係を体験させることで「暴力的な行動パターン」を減らすことが、攻撃性(暴力性)の強い愛着障害、発達障害(行為障害)の子どもの教育支援になりますが、年齢が上がればが上がるほど行為障害の反社会的な行動の矯正は難しくなるといわれています。
行為障害の治療には、児童自立支援施設といわれる矯正施設で生活して、学校や職場に通う方法があります。
児童自立支援施設では生活習慣や社会的規範、価値規範などを学びながら、個人の成長を促す指導がおこなわれます。そのほかの治療法としては薬物療法がおこなわれることがあります。


2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/24 「第2章(Ⅱ(8-15))」の「改訂2版」を差し替え掲載




もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅲ-5]Ⅱ.児童虐待と面前DVの影響。暴力のある家庭で暮らす、育つということ
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