あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅶ-2]<DV(離婚後のストーカー行為含)>新聞事件簿。身近な女性を救おう!

<佐賀新聞>別れの決断【中】 言葉の暴力 耐えられず

 
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佐賀新聞 09年10月7日

 山代和美=仮名=は離婚前、「言葉の暴力」に苦しんだ。25年連れ添った邦彦=仮名=は不機嫌になったり、気にくわなかったりすると突然、頭ごなしに怒鳴りつけた。
 2008年の司法統計年報によると、離婚申し立ての動機は「性格が合わない」が最も多い(夫62・0%、妻44・2%)。妻側はそれに次いで、夫の「暴力」「異性関係」を動機に挙げている。ただ、背景は千差万別で、複雑な心情も絡み合う。  和美が大きなショックを受けたのは二十数年前、邦彦が海外留学をした時期だった。病気で一時帰国した後、復学するとき「一緒に来てほしい」と懇願され、子どもを連れて海を渡った。

言動を全否定
 ところが、やがて「騒がしいから出て行け」「先に帰国しろ」。論文がまとまらず、いら立ちをぶつけてきた。なだめても「うるさい」と聞く耳を持たない。和美は失意のまま帰国し、邦彦の実家に身を寄せた。
 就職後も、家庭でのそうした”ひょう変”ぶり、暴言は続いた。「体に危害は加えられなかったけれど、一つ反論すれば十は返ってきた」。料理や外出、家族旅行の計画など、和美の言動はたびたび全否定された。
 酒に酔うと、暴言はさらにエスカレートした。「ばかな頭で考えるな」「この飯炊き女」―。ののしられた和美は「言いようのない苦痛が胸の奥にたまっていった」。
 普段は優しい気遣いがあり、明るい家庭だった。和美が義母らの介護に追われる姿を心苦しく思ったのか、「お前を自由にしてやりたい」。邦彦から、そんな言葉をかけられたこともあった。「パートに出るようになったときは悩み事の相談にも乗ってくれた」

「針のむしろ」
 それでも子どもたちのいないところで突然、暴言を浴びせられた。「この人にとって、わたしって一体、何だろう」。和美は、邦彦のことが分からなくなっていった。
 「一生我慢して生きていくことに耐えられなくなった」と和美。折り合いがつかなくなり、2人で離婚届を提出した。
 離婚後も数カ月、邦彦が転居するまでの間、同居の状態が続いた。和美は病気を患ってもつらく当たられ、「針のむしろだった」。言葉が出なくなり、食が進まず、眠れない日も続いた。自殺場所を探すほど思い詰めたが、子どもたちの顔が浮かび、踏みとどまった。



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