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[Ⅶ-2]<DV(離婚後のストーカー行為含)>新聞事件簿。身近な女性を救おう!

<佐賀新聞>別れの決断【上】 苦楽を共にして離婚

 
 <佐賀新聞>別れの決断【中】 言葉の暴力 耐えられず DV防止法8年、まだまだ遅れてる日本の政策
佐賀新聞 09年10月6日

 いてつく冬の朝だった。山代和美=仮名=は4年前、夫の邦彦=仮名=と離婚届を出しに行った。2人は当時40代後半。和美は、役所の窓口で来意を告げる邦彦の声の大きさを気にしながら黙って座った。記入漏れがないか、チェックが終わるまでわずか数分。悩んだ末に提出した書類はあっけなく受理され、25年の夫婦関係は終わった。
 離婚も自然な選択肢になった現代。国の統計によると、2008年の全国の離婚件数は25万1136件。そのうち20年以上連れ添った夫婦の「熟年離婚」は3万8920件で、同居期間が不明なケースを除いた全体の16・5%を占める。1970年に比べると倍以上の割合になったが、決断するまでには、さまざまな心模様が交錯する。

娘授かり結婚
 和美は20代前半に邦彦と出会った。和美は佐賀県外の福祉施設に勤務し、3歳年下の邦彦は大学生だった。地域のボランティア活動で知り合い、バイクなど共通の趣味で意気投合した。
 交際をするうちに邦彦は「結婚」を口にするようになった。和美は「まだ学生でしょ」と断り続けたが、素朴な優しさには引かれていた。「おなかに娘を授かったことが結婚を決意するきっかけになった」と和美。夏真っ盛りの8月、1台の自転車に相乗りし、婚姻届を出しに行った。
 新婚当初は借家住まい。和美は産前産後の3カ月しか休めず、職場に復帰した。邦彦には学業があり、生活費は主に和美の給料でまかなった。生まれた娘は保育園に預けざるを得なかったが、週末は邦彦が世話。平日に風邪を引くと、大学を休んで看病をした。 介護もいとわず  邦彦は大学院に進学し、海外にも留学。その後、就職先の関係で全国を転々とした。和美は仕事を辞め、後に授かった子どもたちの育児や家事に専念しながら寄り添ったり、邦彦の九州の実家に身を寄せたりした。「わたしが彼を支える番」。その一心だった。
 老いていく義理の母や祖母の介護もいとわず、転居先に引き取った時期もあった。それぞれ認知症が進んだため、邦彦も気にかけて添い寝をしたり、排泄(はいせつ)を世話したり。夫婦で協力して乗り越えてきた。
 「苦楽を共にしてきて、結びつきは強くなるはずだけど…」と和美。邦彦の全く別の”一面”が耐えられなかった。



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