あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

DV被害支援室poco a poco 庄司薫のコラム

男女間の力関係のアンバランスが、DVの最も大きな要因のひとつ。DVは構造的な暴力 -暴力の車輪を回す、歪んだ社会構造-

 
 <朝日新聞>夫に殺意を抱く妻たち 心身にDV追い込まれて <AERA>虐待ママと「2人の父」
 夫婦というものはごく個人的な関係である。夫から妻への暴力の問題も“特殊な、ごく一部の個人間の問題”と扱われやすい。しかも、社会的な土壌のうえになり立っている部分も多いため、社会構造を見つめ直すことなしには、ドメスティック・バイオレンス(DV)の問題を考えることはできない。
 周知の事実として、結婚や妊娠によって社会的な女性の立場が弱くなり、劣位に置かれることが多くなることが少なくない。ここに、夫から妻への暴力を容認してしまう、暴力が繰り返される土台ができあがってしまう要因が潜んでいる。
 実際にDV被害にあっていない人には、「なぜ、夫から逃げないの?」「どうしてそこまで耐えるの?」という疑問をもつかも知れない。しかし、そもそも“夫から、家庭から逃げだせない”“その夫の暴力に耐えるしかない”という構造が、婚姻による“嫁”とか、“嫁ぐ”とことばに伴う“家(制度)”の背後にある。
 支配のための暴力・DVについては、“ことばの暴力”+身体的暴力、“ことばの暴力”+性暴力、“ことばの暴力”+経済的暴力と構造的に捉えなければならない。
 また、暴力が止まらず、回り続ける構造を説明すもので、「身体的暴力」の車輪が、「経済的暴力」「性暴力」などの要因によって、延々とまわされていくことを示した<パワーとコントロールの車輪>とよばれるものがある。車輪の内部が家庭の問題とすると、車輪の外側は社会の問題といえる。つまり、この車輪は決して内側の力だけによらず、外側の力によっても支えられ、回され続けていくとされる。家庭(車輪の内側)の中の理不尽な“モノサシ(判断基準や価値観)”が、社会(車輪の外側)の構造によっても正当化されてしまう怖ろしさを伴っているのである。

 女性が結婚して家庭に入ると、夫から“経済的な暴力”を受けやすい土壌がつくりあげられていく。
 結婚当初は共稼ぎを考えていたとしても、第一子、第二子と子どもができることにより、出産、育児とのかけもちができ難くなり、続けていけなくなってしまう。その結果、どうしても夫の経済力に頼ることになってしまうのである。たとえ、パートにでかけたとしても収入格差ができ、“夫に養われている”と意識が強くなってしまう。
 しかも、夫から「お前は家事をおろそかにしている! 子どもより仕事の方が大事なのか! 仕事なんか辞めろ」、「それとも、俺に甲斐性がないから、そのあてつけか」といわれる女性も少なくないのである。経済的な力(パワー)が弱くなることによって、気に入らないことがあると、夫から「誰のおかげで生活ができていると思っているんだ!」と怒鳴られ、さらに、「文句がある(いうことをきけない)なら、生活費を渡さない」と“脅し”を受けることさえでてくる。
 また、経済的に自立できない状況におかれている専業主婦の妻に対しては、「お前は何もできない。だから、子どもを抱えて離婚しても、生活できるわけがない」「離婚するなら、俺は養育費を払わないからな」と威圧的にいい放ち(脅し)、“離婚後の生活”を盾に横暴な態度をとる夫は少なくない。
 つまり、仕事を持つ女性の出産、育児などに対する社会的な取り組みの遅れが、女性を“経済的な暴力”にさらし、精神的に追い込んでいるのである。
 しかも、離婚したら“やっぱり母子家庭だから”といった偏見、色眼鏡で見られたりするのではないかという不安や、“経済的な理由で進学させられなかったり”と子どもの将来を悲観して考えてしまいやすい。その不安を、夫に指摘され(脅され)るだけではない。親や近親者、または家庭訪問で訪れる担任教師から「小さな子どもがいるのに、ひとりで育てられるのか? 子どもが学校でるまで我慢したらどうなの?」などと、不安感を煽られ、自信をなくされる“ことば”をいわれてしまうことさえある。その結果、夫の暴力から逃げだすという選択をできなくなってしまうことが少なくない。

 子どもがいても女性が安心して働ける社会、母子家庭への差別や不平等のない社会が実現すれば、社会の支えによって「暴力の車輪」を断ち切ることも不可能ではなくなると思う。しかし、いま夫からの暴力で苦しんでいる女性にとって、いつ実現できるかあてにならない状況の中で、その社会の実現などを“待つ”ことなどできない。
 暴力から逃げだせない女性が、精神的に弱いわけでは決してないのである。そのような決めつけはしないで欲しいと思う。暴力というのは、人を支配するための道具なのである。家庭内での力関係を、“妻は夫にしたがっていればいい”と都合よく考え、“愚かな妻をしつけ直している”と暴力そのものを正しい行い、間違った行いでないと解釈しているのである。
 こうした自分本位の考え方は、職場でのセクシャルハラスメントやパワーハラスメント、学校での体罰にもあてはまるものである。職場での上司と部下という力関係、学校での教師と生徒という力関係がアンバランスだから発生する問題である。
 たとえ、妻と夫が経済的に対等であったとしても、“(本来は男がそんなことをするべきではないのに、自分だけが)育児に協力させられている”という不満を抱えていると、妻に暴力をふるうこともある。それは、家事、育児は“女性がやるもの”と思い込んでいるそうした考え方、価値観が根底にあることを意味している。その考え、価値観こそが、“男は家事、育児をするべきではない”“男が家計を支え、女は男を支え、従うもの”という「社会通念」に他ならないのである。この社会通念が、閉ざされ密室ともいえる家の中でおこなわれている支配のための暴力・DVを“容認してしまう”要因となっている。
 夫から妻への支配のための暴力・DVには、こういった背景があることを知って欲しい。そして、どんな理由があっても女性や子どもに対しての“暴力(虐待)行為はいけない”、つまり、暴行罪や傷害罪、ときには強姦罪を問われる犯罪行為であるという認識にたって欲しいと思う。


※ DVの本質は、本来対等であるはずの男女(夫婦間、交際者間)の関係に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使することですから、”関係性”で理解する必要があるわけです。つまり、「上にたとう(支配しよう)とする者」と「下におかれる(支配され、従属させられる)者」という”関係性”であることから、①カテゴリー[Ⅲ-2]「Ⅰ-3.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか(1)-(6)」、②「Ⅲ-2」「Ⅰ-4-(2)デートDVから結婚に至る経緯」に目を通していただければ、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(配偶者暴力防止法、いわゆるDV防止法)」第二条の三にもとづいて作成される「都道府県(市町含む)基本計画」の中で「対象とする暴力として、身体的暴力、性(的)暴力、精神的暴力、経済的暴力がある」との記載が意味するものについて理解を深めていただけると思います。
 そのうえで、本記事のテーマ、相反する拒絶と受容のことばやふるまいを繰り返されることにより思考混乱をおこし、暴力の恐怖により機嫌を損ねないように意に添うようにふるまうなど、暴力に順応することで生活を続けざるをえなくなった、つまり、暴力のある環境で生活を続けること=マインドコントロール下におかれてきたのかを理解していただくには、加害者特性の理解、つまり、DV加害者がどのようにふるまうのかを理解すること、その支配するための暴力により、被害者はどのような“負”の思考パターンに陥っていくことになるのかを理解することが大切です。
 したがって、③カテゴリー[Ⅲ-6」「Ⅳ-24.DV加害者に共通する行動特性」に目を通していただき、その中で説明している「感受性訓練に似通った言動パターン」を頭に入れて、④カテゴリー「Ⅲ-2」「Ⅰ-5.被害者心理。暴力で支配、マインドコントロールされるということ」に目を通していただくことによって、“人との関係性”のいう捉え方でDVを認識することがいかに重要なことなのかを理解していただけると思います。


2010.9/29.14:59
2013.2/20 文体修正、カテゴリー変更
2013.11/30
2016.6/10 ブログ再構成・再編集にともない「※」の記述に加筆




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