あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-2]Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス

6.加害者属性により判断。暴力の後遺症によるDV -加害トラウマ。世代を超えてひきつがれる暴力-

 
 7.デートDV。別れられず、暴力が長期化する原理 5. DVでない暴力、DVそのものの暴力
*新版3訂(2017.12.17)
*「サイコパスや自己愛性人格障害、自己正当化型ADHD、アスペルガー症候群を患う夫と暮らす妻や子に与える深刻な影響」の本編に再編集。


子どもの問題を遡ると親世代の暴力(配偶者間のDV、子どもへの虐待)、もう1世代遡ると、戦争・紛争(戦争・紛争下、後の貧困を含む)という集団レベルの暴力に辿りつきます。
例えば、日本では、敗戦後、焼け野原となった日本を建て直すために、日本国民、特に、戦地から帰ってきた青年たちは、過去をふりかえる間もなく結婚し、昭和22年-24年に第1次ベビーブームが起き、この3年間の出生数は250万人を超え、延べ約800万人の子どもたちが生まれました。
昭和27年の269万6638人は、戦後の統計で過去最多で、平成19年の出生数106万2604人の2.54倍となっています。
のちに、この期間に生まれた世代は、団塊の世代と呼ばれています。
この世代が親になりはじめた昭和26年-49年に第2次ベビーブームが起きています。
戦地で、想像を絶する非人間的な経験を抱えて込んで帰還した青年たちは、どのような家族をつくってきたのでしょうか?
戦地から帰還した青年たちを迎え入れた一世代上の女性たちが「戦地から帰った兵隊は皆、家で暴力をふるっていたのよ。」と回顧し、その後生まれた子どもたちが「戦地から帰ってきた父は、毎晩のように悪夢にうなされていました。」と回顧するように、戦地から帰還し、家族を持った青年たちが抱えていたトラウマ(心的外傷)は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状の「再演(あるいは、攻撃防御の機能不全)」としての暴力行為として表れたり、再体験(侵入)、過覚醒(覚醒亢進)、回避、麻痺などの症状に苦しんだりすることになりました。
つまり、戦地から帰還した父親は、毎晩のように悪夢にうなされ、妻や子どもに暴力をふるい、一方で、家庭を顧みず仕事に邁進していく中で、その家庭で、次世代が育てられ、さらに、次の世代が育てられてきたわけです。
戦地から帰還した青年たちが、家庭を顧みず、過労死するまで働き続けるなど、家族と絆を結ぶことができなかったのは(戦後社会の社会病理のひとつ)、PTSDの回避、麻痺に他ならないのです。
朝鮮戦争による特需があったとはいえ高度成長を成し遂げ、世界第2位のGNP(国内総生産)を達成するなど奇跡的な経済復興を遂げる原動力になったのは、まさに、戦地から帰還した青年たちの過覚醒(覚醒亢進)に他ならないわけです。
1回の暴力は、想像を絶する破壊力を持ち、そして、過去と未来を大きく変えてしまいます。
そして、暴力が慢性反復的(日常的)におこるとき、暴力そのものが、人生の一部分を構成していきます。
当然、マスレベルでおこる戦争や紛争といった暴力は、コミュニティを破壊し、コミュニティのあり方そのものに否定的なインパクトを与えることになります。
戦後の日本のように、この状態が放置されてしまうと、そのインパクトは世代を超えてひきつがれ、社会全体が歪み、社会病理を抱え込んでいくことになるわけです。
  「トラウマ」ということばは、そもそも身体的損傷を指すものでしたが、1894年、ウィリアム・ジェームズが、「衝撃の残りが潜在意識に影を落とし、それは、“催眠”状態においてのみ確認できる。そこに留まったままだと、いわば、魂の中の“精神的トラウマ”の棘のような影響を与える。」と記述して以降、徐々に精神的意味を獲得していきました。
  リフトンによるナチ加害者の研究では、加害において、内的な解離状態が発生すると、一定の条件下で、「部分自分」が形成され、やがて、これが大きな部分を占めるようになり、自律的な自己として機能する、つまり、「二重化(doubling)」が起こるとしています。
  この「第二の自己」が形成されることにより、「普通であった人が、“悪”を成すことが可能になる」としました。
  加えて、その後、この「二重化された自己」を“再統合”する心理的作業がおこなわれないとき、「加害者は、解離の歪みを抱えたまま生きることになる」としています。
  ジェームズがいうように、「統合されないまま潜在意識にあり続け、否定的インパクトを与え続ける棘のようなもの」であるなら、「第二の自己」として加害者となっているときには、加害者の抱える状態もまたトラウマとなります。
 ここでは、これを「加害トラウマ」と表現し、被害者の抱えるトラウマと区別します。
  重要なことは、加害トラウマ、つまり、「トラウマ」を起因とする暴力は、世代を超えて受け継がれるという事実です。

(1) 発達障害などの“障害”の特性が、結果として暴力となる
大人の発達障害の家族、つまり、夫や妻、恋人、同居している親・兄弟・子どもたちは、多かれ少なかれ、発達障害の人の言動や行動にふりまわされることになります。
夫婦間不和、DV、児童虐待などが見られるケースも少なくありません。
問題は、そのほとんどが、大人の発達障害というハンディがあるということに本人も家族も気づいてはおらず、本人のわがままで、自己中心的な性格の問題として片づけ、「夫(妻)の言動にうんざりしている」、「夫(妻)は私のことを理解してくれない」、「物事をいつも自分流におこない、人の意見に聞く耳を持っていない」など、強い不満を抱いていることです。
発達障害の人も、自分の問題点に気づかず、自分の家族がなぜそんなに自分に不満を持っているのかさえ、気づいていないことがあります。
気づいていたとしても、自分ではどうすることもできない。発達障害の人がいる家庭では、夫婦関係や親子関係が悪化して、暴力や虐待に走ったり、離婚に至ったりすることも少なくないのです。
発達障害の人とそのパートナーは、さんざん口論を繰り返し、「口やかましい人と聞く耳を持たない人」という関係になっていることが少なくありません。
発達障害の人がいると、家族は次のような両極端のパターンになりがちです。
ひとつは、発達障害者に巻き込まれ、彼らの乱雑さや突発的な行動に家族全体が振り回され、その後始末に追われることです。
そのため、家族のニーズは後回しにされることになり、家族の不満がたまるというパターンです。
もうひとつは、家族全員が発達障害者のことをあきらめて、無視や放任状態になるパターンです。
家庭内では、自閉的特性を持った人のしつこさや自己主張の強さが原因となったトラブルや家庭不和の問題があります。
本人には自分勝手にしているつもりはなくても、結果的にそれで不和が生まれることにもなります。
比較的多く見られるのが、自閉的な特性が強い夫と気性が激しい妻という組み合わせです。
夫は、知的レベルの高い人が多く、幼少期から周囲とは異なっているという感覚は持っているけれども、本人の努力で、一定以上の社会適応性は身につけていますが、家庭では、本来の自分をさらけだすことから、妻が迷惑を被ることになります。
しかし、夫は、その問題を自覚していません。
無自覚であることが、結果として、DV行為と認識されることになります。
ただし、この「手引き」で重視しているのは、ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害を抱えている者が、暴力のある家庭環境で育つという2次被害を受けた者による暴力、つまり、発達障害の特性の結果としての暴力が際立っているということです。
] 例えば、ADHDでは、小児型ADHDと遅発型ADHDは発症経路が異なり、遅発型ADHDは、小児型ADHDに比べて遺伝的要因の可能性が低いということです。
遅発型ADHD=自己正当化型ADHDではありませんが、その特徴は、機能障害や他の精神疾患を示すなど、注意欠如、活動過剰、衝動的行動などの症状が、子どもでみられるよりも重度の症状を示すことが多く、不安神経症やうつ病、薬物やアルコールの依存症などの罹患率が高くなり、そして、交通事故や犯罪行動などの増加を伴う傾向がみられるということです。

① 自己正当化型ADHD**
** 「自己正当化型ADHD」の傾向については、「Ⅱ-21-(8)自己正当化型ADHDとAC」で詳述しています。
 自己正当化型ADHDは、注意欠陥などADHDと同じ特徴を持っているものの、ものごとの捉え方や考え方が異常に表面的で、合理的な話が通じません。
極端な学歴至上主義で、工事現場の作業員や清掃員などのブルーカラーに対して差別的です。
周囲の人を侮蔑し卑下する一方で他者をけっして褒めることはなく、自分の価値観がすべて正しいと考え、周囲に対し、自己主張をしつこく繰り返します。
なぜなら、自分の価値観以外が存在すること自体を理解できないからです。

-事例70(偏見・差別)-
夫は、ISやLGBTのニュースを聞くたびに、「イスラム教の人間は全員死ねばいい。女も子どもも老人も皆死ねばよい。」、「ゲイやレズは信じられない。きたない。自然じゃない。」と否定し、侮蔑し、卑下します。
また、自分の評価にこだわります。

間違った判断や行動をしたとしても、自分が間違えたことを認めず、根拠のないいい訳を繰り返したり、責任を押しつけたりします。
こうした他者を侮蔑したり、卑下したり、否定したり、批判したりする行動特性が、他者にとって、DVやハラスメントとなります。
常に自分を正当化し、他者に自分の思想信条を押しつける自己正当化型ADHDは、自己愛性人格障害*-62、強迫性人格障害*-63、アレキシサイミア(失感情言語症)*-64などともオーバーラップします。
そして、自己正当化型ADHDは、強い依存傾向が認められます。
不可能なことを可能にし、惜しみなく与え、方向を導いてくれる「神」に守られているような安全を求めることから、「神」からでたことばであれば、絶対に安全だと考えます。
  例えば、「自分は正しい。自分のことを後回しにして、いつもみんなのためを思っている。自分はいいことをしているんだ。人から感謝されたり、ほめられたりしないと不愉快になるんだ。」などと口にします。
世のため、人のためといいながら、事実は、自分のためです。
問題は、賞賛や賛美を欲していることを、本人は自覚していないことです。
また、「すべては神の御心です。神は優しいだけではありません、時に、厳しく裁きます。すべて神の御心です。児童虐待や飢餓、虐殺など…人道的に非道なふるまいもすべて神の計らいのひとつであり、それを通して、われわれになにかを教えようとしているのです。」と解釈します。
不幸なできごとは、その人の「罪」の故と考えることから、悩んだり、困ったりしている人は、否定され、非難されている感じを与え、結果として罪悪感を抱かせます。
カルトや新興宗教に対する傾倒は、「アディクション」ですが、当人は、宗教の水を受けた自分たちは、そうでないものよりも人格として優れていると思い込んでいることから、そうでない「罪」にまみれた人々を救済しようと懸命になります。
救済とは、自分たちの宗教に勧誘することです。
集会に誘い、同じ活動をさせることです。
自分たちの受け入れている概念が唯一正しい、素晴らしい概念であると信じているのです。
  人にはそれぞれ、違う神、違う信仰を持つ自由があるといってもわかりません。
それは、悪魔の化身であり、それを信じるものは、穢れたもの、劣ったものと扱います。
  こうした考え方に立つ人のパートナーシップは、共依存になりがちです。
この依存を断つのは、困難です。
なぜなら、自分自身の心から目を背けるからです。
  尊大な態度をとるのが、自己正当化型ADHDの特徴です。
そのため、ひとたび思い通りにいかないことがあると、死に物狂いで自分を正当化しようとします。
自分の中にある感情も、都合の悪いことは、すべて「否認」します。
狂気とも思える懸命さで、いろいろな理屈を考え、強情に、しつこくいい張ります。
*-62.63 「自己愛性人格障害」「強迫性人格障害」の傾向、診断基準については、「Ⅱ-22-(11)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で詳述しています。
*-64 「アレキシサイミア(失感情言語症)」については、「Ⅱ-16-(8)失感情言語症(アレキシサイミア)と高次神経系トラブル」で説明しています。


② アスペルガー症候群**
** 「アスペルガー症候群」の傾向、診断基準については、「Ⅱ-21-(8)自己正当化型ADHDとAC」で詳述しています。
アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラム障害の中では、他の発達障害とはやや特徴が異なり、言語の発達の遅れはほとんどありません。
  アスペルガー症候群の子どもは、ことばの発達が早いこともあり、知的にも高いことから、乳幼児健診などで発見されることは稀で、他者とのかかわりが増える幼稚園や保育園、小学校では、周りの人が、「ちょっと変わった子」と思われているものの、個性の範囲内と捉えられて、何の介入もないまま成人に至っていることが少なくありません。
大人のアスペルガー症候群の特徴は、
・時間や空間の理解や把握が苦手(年月日の記憶違いなど)
・知覚過敏がある場合と、逆に身体感覚を感じにくい人の両方がいる
・自分と他人の境界線があいまい(自分が何者であり、どんな感情や思考を持つかが捉えにくい)
・想像力に乏しく、抽象的な概念の理解が苦手
・計画的・構造的に行動することが難しい(思いついたことをパッと口にしたり、行動したりするところがある)
・変化を極端に嫌う(日常生活のルーチン化、第三者が急に予定を変更するとパニックを起こすなど)
・他人の感情や周囲の状況を理解するのが苦手
・あいまいさの理解が極めて困難(ものごとには例外があることを受け入れにくい)
・複雑な人間関係の理解が難しい(結果として、対人緊張が極めて高い)
・細部への極端なこだわりから、全体像を把握するのが苦手
・感情のコントロールが苦手(爆発型と抑制型の2つに分かれる)
・ことばは流ちょうでむしろ雄弁だが、相互的なコミュニケーションが成立しにくい(会話が一方的、独善的になりやすい)
・自分のやっていることを途中で妨げられることに、強い抵抗を示す
・待つことが苦手
・内省(できごとをふりかえり、反省する能力)に乏しく、同じ失敗を繰り返しやすい。自分の非を認めるのも難しい。
・気分が変わりやすい(周囲には気まぐれと思われてしまう)
・かなり早期から、慢性的な睡眠障害(眠りが浅い)を持っていることが多い
 これらの特徴の幾つかは、境界型人格障害(BPD)と共通し、対人関係の難しさやあいまいさの理解が難しいなどの特徴は、統合失調症(精神分裂病)にも見られます。
統合失調症との違いは、主症状の幻聴・幻覚や妄想がないことです。
一方で、生育歴を聴きとると、高い割合で小中高等学校のどこかで不登校の体験があり、社会不安障害(SAD)、強迫性障害(OCD)などの不安障害の合併率が極めて高く、原因の特定されない身体の症状(心身症)を抱えているとされています。
LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)との合併例や誤診断が極めて多いこと、そして、虐待の被害者が少なくないことがわかってきています。
DV事件で、被害女性から夫の成育歴を聴きとるとき、重要なことは、家庭内での父親と母親の役割です。
つまり、夫の両親の関係性、それぞれの親と夫との関係性です。
なぜなら、変化に対応することが苦手なアスペルガー症候群の人は、生まれ育った家庭環境の関係性を、自身の家庭にも求めるからです。
「良妻賢母」、「内助の功」といった女性や母親の役割(ジェンダー観)なども、生まれ育った家庭環境の価値観もそのまま受け継ぎます。
例えば、自分の母親は、夫に外で働きにでることを許されずにずっと専業主婦で、「妻は内助の功で夫を支えるべきだ」という考え方をする夫の暴力的なふるまいにも耐え、従順にふるまい、加えて、アスペルガー症候群の子どもに対しても、過干渉・過保護的に献身的に尽くしてきたとします。
こうした関係性にある母親は、夫や子どもが不機嫌になり、暴れることを避けるために、家事を一生懸命にやることが行動習慣となっています。
そして、妻に従順であることを求める父親は、たとえ、言動や行動が伴わくとも、妻や子どもに敬われ、尊敬されることを強く求める権威思考の高い人物ということになります。
つまり、家事能力が高い妻であり、母親であり、絶対君主的な父親であることになります。
こうした家庭環境で育ってきたアスペルガー症候群の夫は、外に働きにでず専業主婦として、自分に献身的に尽くし、家事を完璧にこなしてきた母親と同じこと、そして、父親のように敬い、崇め、絶対服従であることを、交際相手や配偶者に求めることになります。
「家事を完ぺきにこなしてきた母親と同じこと」とは、母親の家事のやり方、手順、そして、味つけなどすべてが同じであることが基準ということです。
同時に、父親の暴力的なふるまいにも耐え、従順にふるまってきた母親同様に、交際相手や配偶者に対しても、文句をいわず、従順にふるまうことを求めます。
結婚する前、帰宅する時間に合わせて、母親が夕食を用意して待っていたとき、結婚後、共稼ぎの妻が、20時に帰宅し、座る暇もなく台所に立って夕食の準備をはじめたとしても、不満なのです。
たとえ、仕事をしながら、家事も一生懸命にやったとしても、子どもを保育園に預けていることが、不満です。
不満は、暴力の火種です。
したがって、交際相手や配偶者が、母親のように献身的ではなく、母親のように家事能力が高くないと、不満は極限に達し、怒りとなって、物を投げつけたり、暴言を吐いたりするなど暴力的な行為に及びます。
一方で、自身の暴力的な行為に、交際相手や配偶者は不満をあらわにせず、黙って耐えることを強く求めます。

人とのかかわりにおけるコミュニケーションのほとんどは、非言語によるコミュニケーションで、言語によるコミュニケーションはごく一部にすぎません。
アスペルガー症候群を抱える人の“自閉的特性”は、非言語によるコミュニケーションに属する「暗黙の了解」が不十分です。
そのため、コミュニケーション全体が不十分で、スムーズではなくなります。
アスペルガー症候群を抱える人の行動は、一見薄情に見えますが、それは、心の理論(Theory of Mind)がないからです。
他の人の考えや気持ちがわからないのです。
自分の視点からしか状況を読みとることができず、判断することもできません。
悪意があるわけではなく、相手が傷つくという感情そのものがわからないのです。
アスペルガー症候群を抱える人にとって、人の気持ちの変化に対応するためには、感情を論理的に転換して理解することが必要になります。
しかし、直感の助けがなく、行間を読むことができないので、人とのやりとりがとても難しくなるのです。
また、アスペルガー症候群を抱える人は、間違ったことを口にして、人と衝突することを極度に怖れることから、交際相手や配偶者であっても、コミュニケーションをとりたがらなかったり、意見を口にするのを避けたりする傾向があります。
一方で、交際相手や配偶者との衝突を避けるためなら、問題があることそのものを否定したり、2人の違いを無視したりします。
また、自分とは違う交際相手や配偶者の考えや価値観を理解することができない人もいます。
これらの行為が、交際相手や配偶者の女性にとっては、暴力的な行為となるわけです。
しかし、こうした行為が、交際相手や配偶者の女性が、愛されず、受け止めてくれないことに傷つき、葛藤し、それが苛立ちや怒りの原因になっていることに思いを馳せることはできません。
なぜなら、人の思い・気持ちという感情は、非言語だからです。
交際相手や配偶者がアスペルガー症候群を抱えていることを理解し、その障害の特性を学び、その障害の特性への対応方法などを習得しない女性は、アスペルガー症候群を抱えている交際相手や配偶者が、人の感情を読みとることが難しいということがわからないまま、傷つき、葛藤し、苛立ちや怒りの感情を持ち続けていることになります。
このような状況では、状況を改善しようと試みる話し合いは成り立ちません。
なぜなら、アスペルガー症候群を抱えている交際相手や配偶者は、問題があるとは認識していないからです。
アスペルガー症候群を抱えている人は、自分の視点からしか考えられないので、自分とは違う意見を受け入れることができず、自分が悪いことをしていると認めることはありません。
そのため、女性が「私がどんな思いをして、…」と私の気持ちをわかってよ!と感情的になり、改善を強く求めるほど、アスペルガー症候群を抱えている男性は、距離を置くようになります。
感情(思いや気持ち)にかかわる話し合いは成り立つことはないので、関係性は表面的で、距離が生じます。
アスペルガー症候群を抱える人は、衝突を回避し、問題を未解決のままにしようとする、つまり、解決そのものを「先送り」してしまおうとします。
この問題の先送りする行動ことが問題の本質であり、問題を深刻化させていきます。
関係性の変化に対応することができないアスペルガー症候群を抱えている男性が結婚すると、結婚前の恋人同士の関係性を維持しようとするか、一転して、態度が変わるかに別れます。
その違いは、夫(男性)が、女性をどのように捉えているかにもとづきます。
前者のケースでは、妻が妊娠し、出産すると問題が生じます。
なぜなら、夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないからです。
夫は、恋人である妻を子どもに奪われたことにショックを受け、妻に裏切りを感じます。そして、子どもに対して、嫉妬し、ライバル視することになります。
夫は、妊娠期を含めて、子どもに愛情を注ぐ妻のことを快く思わず、子育ての手伝いをしないだけでなく、妻が子どもに世話をすることさえ批判し、制限しようとします。
妻は、夫に否定されたり、非難されたりすることから、ひとり孤独の中で、子育てを強いられることになります。
もう一方の後者のケースでは、「結婚した妻を他人と認識する」ことから、これまでしてきたことやいってきたことをまったくしなくなります。
他人となった妻とは、気を遣い疲れるだけの会話には必要性を感じなくなることから、ひとりで部屋にこもってゲームをしたり、DVDを見たりして過ごすようになります。
夫に無視されていると感じる妻は、孤独に陥ります。
しかも、周囲からは、「自分が選んだのだから」、「そこが好きだったのでしょう」と応じられてしまい、妻は、ひとり孤立していきます。
他者に共感するということは、目的化することではありません。
しかし、アスペルガー症候群を抱える人たちには、目的にならなければ、積極的に行動をするための動機にならないのです。
アスペルガー症候群を抱える人には、社会から要請される目標や課題は理解しやすくても、結婚後、妻との間で必要になる気配りや配慮は、目的や課題にはなり難いのです。
アスペルガー症候群を抱える男性は、無意味なこと、無目的なことをすることが苦手です。家事や子育てを手伝い、妻が喜ぶことは、アスペルガー症候群を抱える男性には、動機づけにはならないのです。
子育てを継続的におこなうには、「手伝うことには得がある」「自分でやる方が得だ」といった経済的なメリットを確信していたり、病院や学校園で、医師、保育士や教師から褒められ、評価されたりするメリットが必要になります。
つまり、その行為が、社会的に評価されることが重要なのです。
アスペルガー症候群を抱えている者は、自分自身が何者であるかを捉え難さの結果として、境界性人格障害(ボーダーライン)と同様に、常に、空しさや無力感を感じています。
他人の気持ちや状況がうまく理解できない一方で、他人が自分をどう考えているかについては非常に敏感なことから、嫌われること、見捨てられることを極度に怖れ、不安定な関係にしがみつく傾向があります。
この傾向は、ブラック企業(ブラックバイト)と表現されるような非常に条件の悪い仕事をひき受け、辞められずにいたり、いじめや犯罪に巻き込まれやすかったり、DV被害を受けて、その暴力に支配される関係性に依存してしまったりすることにつながります。
そして、ハラスメント、いじめ、DVなどの被害を受け、PTSDを合併していることがあります。
つまり、自己正当化型ADHDは、DVやハラスメントの加害者だけでなく、被害者にもなりうるわけです。
  そして、自閉症スペクトラム障害は、高次脳機能の障害ともいわれ、アスペルガー症候群は、眼窩前頭皮質(思考や行動をコントロールする中枢)や帯状回(社会性の中枢)などの機能がうまく働かないことによる障害ではないかと考えられています。
これは、PTSD(心的外傷後ストレス証が)による障害と共通し、交通事故などにより後天的にこの部分の機能障害が起こっても、同じような認知・行動上の問題が起こります。
アスペルガー症候群では、感情自体は複雑に発達しているものの、それを認識したり、コントロールしたりする部分に障害があることから、気分が変わりやすく、感情のコントロールが難しいと考えられています。
  PTSDの症状とアスペルガー症候群などの自閉症スペクトラムや後天的な高次脳機能障害の違いは、介入はある程度の効果をもたらすものの、障害が完全になくなることはないことです。

以下、事例71-78の夫は、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群の重複した発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっていると考えられるケースです。

-事例71(DV39、精神的暴力2)-
(ことばの暴力、否定・侮蔑・卑下)
  夫は、私の友人や親の前でも、気にすることなく、私のことを「こいつホント馬鹿なんだわ!」、「ひとりじゃなにもできん。」「あいつはほんとにトロい。」と侮蔑し、卑下することばを発します。
また、夫と買い物などにでかけると、「もういいだろ!早くしろ!」、「おい! 何やっとるんだ」と大きな声で怒鳴りつけます。
  公衆の面前で、怒鳴り声をあげられると本当に恥ずかしいです。

-事例72(DV40・精神的暴力3)-
(精神的暴力、否定・侮蔑、卑下。社会的隔離)
  夫は、日ごろから「お前のカアやんは、バカだと思う。」、「家族の中で、誰も大学でてる人がおらんだろ!」と、私の実家を侮蔑し、卑下していました*1。
私の実家の家は古く、母や妹は、父に、ずっと「家をリフォームしたい」と訴えていましたが、大工で、頑固な父は、なかなか「OK」をだしませんでした。
すると、夫は「信じられやん。」、「俺なら金をだしてても、きれいにするぞ!」、「よくあれで平気だな?!」と父を非難しました*2。
そして、夫は、ことあるごとに、「家が汚いところまで、実家のマネをしなくてええんや!」と非難し、侮蔑するようになりました*3。
*1.6 ことばの暴力(精神的暴力)です。

-事例73(DV41・精神的暴力4)-
(精神的暴力、否定・侮蔑・卑下。社会的隔離)
夫は、「お前になにができるの?!」と私の仕事を否定する*1だけでなく、「お前の周りはアホばかり!」と職場の上司や同僚のこと侮蔑し、卑下します*2。
その夫は、私の両親のことを「お前えんちはアホだ!」、「世間体とか気にするくせに、なにもわかってない!」と侮蔑します*3。
妹は、私のことを「M子」と名前で呼ぶので、夫は、「妹からもなめられているダメな長女や!」と侮蔑し、卑下します*1。
  楽しく話していても、夫に次々と否定され、批判されると、会社での話、友人たちとの話、家族の話もできなくなっていきました*4。
*1.6 ことばの暴力(精神的暴力)です。

-事例74(DV42・精神的暴力5)-
(精神的暴力、非難・侮蔑・卑下。社会的隔離)
 夫は、私が好んで見ているテレビ番組に対し、夫は「しょーもない番組みて!」と非難したり*1、読んでいる自己啓発本を指し、「どんな悟り、開いてるんか知らんけど!」と侮蔑したりします*2。
  その夫は、わたしだけでなく、地方公務員(高校教師)の私の両親に対しても、「ほんま公務員やな! 普通の会社では通用せんちゃうか?!」と侮蔑し、卑下します*3。
*1.6 ことばの暴力(精神的暴力)です。

-事例75(DV33・精神的暴力6)-
(精神的暴力、非難・責任転嫁)
 夫Fは、ことあるごとに「俺が稼いできているんだから。」といい*1、都合の悪いことは、すべて「お前のせいだ!」と非難して責任転嫁をします*2。
また、夫は「ガキじゃないんだから、それくらいわかるでしょ。」などと、ことあるごとに、私を侮蔑し、卑下しました*3。
  買い物をしたとき、果物や菓子パンが買ってあるというだけで、「贅沢だ!」、「お前のせいで、預金ができない。」と非難し、責めます*4。
  子どもが熱をだし、予定していた旅行に行けなくなると、「お前のせいだ!」と非難し、責めました*5。
*1 精神的暴力です。
*2.3.4.5 ことばの暴力(精神的暴力)です。


-事例76(DV34・精神的暴力7)-
(精神的暴力、非難・責任転嫁)
夫と私、4歳の子どもの3人は、夫の運転する車で外出しました。
運転していた夫が、ガソリン給油ランプが点いたことに気づくとキレて、「オイオイオイオイオイ!! ガソリンなくなったらどうすんのよ! お前のせいだ!」、「普通は ガソリン入れておくべきだろう!」と大声で怒鳴り散らしました。
その夫は、携帯電話を利用して馬券を購入していました。
日帰り温泉に行ったときには、夫は「あんたがお風呂からでるのが遅いから、馬券を買い逃した。」、「買ってたら、30万あたっていたのに! 逃した!」と非難し、責任を押しつけてきました。
夫が、馬券を購入できなかったのは、温泉のある場所は、電波が入らないからでした。
私は、なにかにつけて、訳のわからないいいがかりをつけてく元夫の言動を理解できません。

-事例77(DV35・経済的暴力2)-
(経済的暴力、労働の強要)
  私が、出産4ヶ月後で職場に復帰したものの体調を崩し、退職することになった。
そして、失業保険をもらいながら職業訓練校に通っていると、夫は「なにのんきにしとるんだ! はよ働けよ!」、「資格をとって、なにになるの?! スーパーのレジでもなんでもやれよ!」と侮辱し、働くことを強いた。
  私は、子どもにはきょうだいがいる方がいいと思っていました。
  そして私は、子どもが4歳になったころ、体調がよくなってきました。
そこで、私は、夫に「2人が欲しい」と訴えました。
  すると、夫は、「なにいうてるの。妊娠したら、お前が働けんくなるじゃろ。俺に頼るな!」とひどいことばを発しました。

-事例78(DV36・経済的暴力3)-
(詮索干渉・束縛。経済的暴力)
  夫Tと同居して2ヶ月、Tは、私の財布の中に溜まっているレシートをチェックするようになりました*1。
  私はひとりで買い物に行ったとき、時々おやつに50円の饅頭や菓子パンが食べたいと買って帰り、家で食べていました。
レシートをチェックしたTは、「自分だけ買って〇〇食べたのか?!」と非難しました*2。
夫は1日に1食(夕食)しかまともに食事をしませんでした。
週2回、外食(ファミレス、焼肉、回転寿司)にでかけ、店で買ってくる惣菜、ファーストフード、スナック菓子やチョコレート菓子、清涼飲料を好んで飲食し、それらでお腹を満たしていました。
私が、それらの準備を怠ると、Tは「自分だけ食べたんでしょ?!」と非難しました*3。
外食と夫の嗜好品の買い物が多く、食費を圧迫しました。
一方で、野菜を買って帰ると、Tは「また、野菜を買ってきて、金の無駄遣いだ!」と非難しました*4。
私は、Tからの「自分だけ買って!」、「無駄遣いをして!」ということばに心が痛み、生活費の財布の他に、私の結婚前に貯めた預金を切り崩した自分の財布を持ち歩いていました。
スーパーでの会計後、あとで自分の財布から生活費の財布へお金を戻していました*5。
たった50円の饅頭を食べるのもそうやっていました。
  妊娠し、洋服が合わなくなり、Tに、マタニティ用品が必要になったことを伝えると、生活費から買ってもらえることになりました。
しかし、家に帰ると、Tは「自分だけ服を買って!」と非難しました*6。
私は、そのことばが嫌で、出産準備もすべて自分の預金の中から工面しました*7。
Tにお金の話をすると、「金はない」「自分で働けば?」と応じられました*8。
しかも、Tから「妊娠中は、妊娠しないから、風俗でいい稼ぎができるよ。」と信じられないことばが返ってきました*9。
*1 詮索干渉による束縛(支配)です。
*2.3.4.6 ことばの暴力(経済的暴力)です。
*5.7.8.9 経済的暴力です。
「*9」は「こうしたら」というなげかけだけですが、無理やり風俗で働かせる行為は、性暴力となります。


-事例79(DV37・精神的暴力8)-
(ことばの暴力、否定・侮蔑・卑下)
夫は怒ったあと、なにもなかったかのようにふるまいます。
例えば、夫の友人の家に遊びに行ったとき、面白おかしく夫と私の話をしました。
帰るとき、車に乗った夫は「よく人のことペラペラと人に話しするな!」、「よう恥かかせたな! 全然面白くないし、相手も迷惑してたわ。ほんまむかつくんじゃ!」と大声で怒鳴りつけ、罵倒しました。
家に帰る前に立ち寄ることになっていたスーパーに着くと、夫は、なにごともなかったように、優しい声で「S(私)、行こ。」といってきました。

-事例80(DV38・精神的暴力9)-
(ことばの暴力、批判・侮蔑・卑下。身体的暴力、物をなげつける)
  コミュニティサイトで知り合ったMの海外勤務が決まり、私は、Mと結婚し、いっしょに渡米することになりました。
  新居の鍵を受けとった日、家を見に行く車の中で、Mは、私に、大声で「おまえは馬鹿だ、ダメな女だ。そんなこともできないのか。このバカ女!」、「なんでもかんでも人に頼るんじゃねー!」、「なんのためにここにきたんだ! なんのためにきたのか、それもわからないのか!」、「俺の仕事の邪魔になるなら、日本に帰れ!」と大声で罵倒し、「俺は仕事をするためにここにきたたんだ! お前が好きかってに楽しむためにきたんじゃない!」、「俺の気持ちもわからないのか!」と否定し、非難し、侮蔑し、卑下することばで怒鳴りつけました*1。
  これが、私は、Mから大声で罵倒され、怒鳴りつけられましたが、なぜ、大声で怒鳴りつけられたのかわからないまま、ただ怯え、ただ哀しく、泣く日々となりました。
私は、はじめての海外生活のため、ことばのわかるMを頼らなければならないのに、私が、Mに「どうしたらいい?」となげかけるだけで、Mは、大声で「お前は文句をいってるだけでいいが、俺はいろいろやらなきゃならないことがあって大変なんだ!」、「お前は一人じゃなにもできない癖に、文句ばかりいって、結局は全部俺がやらされるんだろ!」と非難し、侮蔑しました*2。
  Mの生活リズムは決まっていて、この時間にはシャワー、この時間に寝るといった“こだわり”がありました。
Mは、今日はこのネクタイピンを使うと決めていると、そのネクタイピンが見つからなかったとしても、「代わりものですます」ことができません*3。
私の「家計簿をうまくつけることができない」「お金を多く入れた財布を持ち歩く」「スーパーで買う物のリストを忘れる」「カップひとつの洗い物をしないまま、でかける」「ご飯を炊くのに、高速炊きにした」といった行動は、Mの“こだわり”の琴線に触れ、私を大声で怒鳴りつけます*4。
Mが頭の中で思い描いている通りにコトが運ばないと、Mは、その原因は私にあると非難し、「あなたは毎日暇だからいいけど、俺は明日も仕事なの! なんでそれがわからないんだ」と罵声を浴びせました*5。
  Mのこだわりの中でも、特徴的なものがあります。
それは、Mはなにより車が汚れるのを嫌い、特に雨に濡れるのを嫌うことです。
雨が降りそうで、午後からの予定があり外出しなければならないときには、Mは、私に「俺が早目に帰宅するから、俺の車ででかけて。」といいました。
雪が降りそうな日には、Mは、私に「誰かに乗せて行ってもらえないか?」といいました*6。
  また、Mは、毎週末になると「今週の予定は?」と私に訊くので、私は「~に行きたい。」とMに提案しなければなりませんでした。
私が、その目的地をなかなか見つけられずにいると、Mは「ちゃんと調べてこないからこうなるんだ!」、「あなたはいつもそう適当だ!」とところ構わずに大声で怒鳴りだし、非難し、責めました*7。
Mはどこに行っても、行った先で予定通り(計画通り)にちゃんと進まないと、必ず怒りだしました*8。
ある夜、お酒に酔った夫Mが、廊下で寝てしまいました。私は、何度かMに「そこで寝るの? 大丈夫?」と声をかけたものの反応もないので、先にシャワーをし、寝てはいけないとベッドで本を読みながら、Mが起きるのを待っていると、起きてきたMがベッドにあったコロコロ(粘着テープ)を思いっきり壁に投げつけました*9。
私が「ねぇ、どうしたの? どうしたの?」と訊いても、Mは応えず、私が「投げた物が、猫にあたったらどうするの? なんでそんなことをするの?」と優しくなげかけると、Mは「俺のことより猫のことかよ! なんで、俺の寝るところに置いておくんだ!」と大声で怒鳴りつけました*10。
私が「わざとじゃないよ」と応えると、Mは「わざとじゃなければいいのか?」と大声で怒鳴りつけ*11、激怒したまま車ででかけて行きました。
数十分後に戻ってきたMは、なにもいわずに寝てしまいました。
ところが、翌日、「旦那を外にでて行かせてしまう女房なんてどうなんだ!」と蒸し返し、大声で怒鳴りつけ、罵倒したのです*12。
私はもう耐えられない、限界と感じ、泣きながら実家へ電話しました。そして、友人の一人に話すと「モラハラ(モラルハラスメント)・DVじゃないの?」と指摘されました。
*1.2.4.5.7.10.11.12 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*3.6.8 こだわりは、アスペルガー症候群の典型的な障害の特性のひとつです。「*1.2.4.5.7.10.11.12」「*9」の行為は、「障害の特性」が暴力行為になっているものです。
*9 「物をなげつける」のは身体的暴力です。


-事例81(DV39・社会的隔離1)-
(詮索干渉・束縛。ことばの暴力、非難・侮蔑・卑下)
 ストレッチ教室のあと、私は、友人の家で18時近くまで少し長居をし、夫Mへの連絡を怠ってしまいました。
私が帰宅すると、Mは、「連絡もなしに、いままでなにしてたんだ!」、「今後こんなことをしたら本当に怒るからな!」と大声で怒鳴りつけた*1。
しばらくして、私は、友人の家で集まりに参加しました。
帰路につく前に、私は、ちゃんとMにメールしました。
ところが、私が帰宅すると、Mは激怒し、「なぜ、同じことを繰り返す。理由をいってみろ!」と大声で怒鳴りつけました*2。
ちゃんとメールをしたのに、なぜ、Mが激怒したのかがわからず、混乱しました。
その夜、私は、Mの夜食をつくったあと、貧血で倒れました。
すると、Mは、「しょうがないな」と文句をいいながらも、氷で冷やしたタオルを眼にあててくれました。
しかし、Mの表情は冷ややかでした。
翌日、Mは、私に「怒られると、眼が痛い、貧血、あそこが痛い。ここが痛いなんて、もうあなたにはうんざりだ!」、「俺の脚を引っ張るようなら帰れ!」と大声で怒鳴り、罵倒しました*3。
数日後、私が「些細なことで、少し怒られたことがあった。」と口にすると、Mの顔つきがみるみると変わり、大声で怒鳴りだした*4。
私は、Mから離れようと自分の部屋へ逃げました。
すると、Mは大声で、「まだ話は終わってないだろう!」と追いかけてきました*5。
そしてMは、機関銃のように次々と、「おまえは駄目な女だ! ただ飯をつくっていればいいのか。」、「こんなに頭の悪い女だとはわからなかったよ!」、「仕事もしてないのに、家の最低限のこともできないで!」、「俺は、(テーブルを指でなぞり)部屋が汚れているとかいわないだろう。」、「お金も渡して自由にやらせているだろ! なのに、あなたはあれが欲しいとか、これが必要というばかりで、自分のことばかりじゃないか!」と非難することばを浴びせました*6。
続けて、Mは「駐在妻はいいよなー。俺も今度は駐在妻になりたいよ!」と卑下し、非難しました*7。
  また、コトあるごとに、Mは「あれは幾らした? そんなものはいらないだろう」と私を批判し*8、私がMに「これ買っていい?」と伺いをたてると、私は「どうせ財布は一緒だからな!」と応じくれるものの、仕事を辞めて、Mとともに渡米していた私は、収入のないことで、常にMに引け目を感じていました。
*1.2.3 詮索干渉による束縛(支配)です。
*4.5 精神的暴力です。
*6.7.8 ことばの暴力(精神的暴力)です。


-事例82(DV40・精神的暴力10)-
(ことばの暴力、非難・責任転嫁)
 夫Wは帰宅後、話すのを嫌がり、ひとり部屋に閉じこもりゲームをしています*1。
Wがひとりで食事をしているときに、私が相談ごとをすると、私にはわからないなにかがWの琴線触れ、「いつも俺が食事中に怒らせる! どうなっとるんだ!」と激怒します*2。
夫Wは、散々怒鳴り散らしたあとも、「俺が悪いんか!」、「全部俺のせいか!」、「怒らせたのはお前だ!」、「お前がそういう話をしたのがきっかけだろ!」、「お前がいいだしたせいで、俺を怒らせたんだ!」、「テメエ、バカヤロー! お前がもともとの原因だろが! この怒りをどうしてくれるんだ!」、「お前が余計なことをいって、俺を怒らせたんだぞ! お前が悪い!」と機関銃のように非難することばを続けます*3。
Wは「俺が悪いか、お前が悪いかの二つにひとつしかない。」というものの、自分が悪いとは認めることはないので、ことを収めるためには、私が「私のせい」を認めるしかありません。
しかし、一度私に責任があると認めてしまうと、Wは、寝首をとったかのように得意げに、悪態を浴びせ続けます*4。
そして、私が「昨日のことだけど、…」と話を切りだすと、Wは「お前それ以上いうと、どうなるかわっとるんか!」、「そこ掘りおこすのか! それ以上いうと、知らんぞ!」と怒鳴り散らします*5。
Wは些細なことで、「お前の顔をみるとむかつく! 下で寝ろ! 気持ち悪い!」と侮蔑し、「さげまん! 結婚するんじゃなかった。お前に騙された。」と非難します*6。
私は、Wがヒートアップするのが怖くて、相談したいことがあっても、「昨日のことだけど、…」と口にすることができなくなりました。
*1「話すのを嫌がり、ひとり部屋に閉じこもりゲームをする」のは、アスペルガー症候群を抱える者によく見られる傾向のひとつです。
したがって、ことばの暴力(精神的暴力)の「*2.3.4.5.6」の行為は、ゲームを中断されるといった予定外のできごとにパニックアタックをおこしたもの、つまり、アスペルガー症候群の“障害の特性”によるものです。


-事例83(DV41・経済的暴力4)-
(経済的暴力。詮索干渉、束縛)
同居をはじめた当初は、私が家計簿を書いていましたが、結婚すると、夫Oが、お金の管理をするようになりました*1。
Oは、ひと月(Oと私の給料を合わせたもの)のお金の使い道の表をつくり、「美容院に何ヶ月おきに行くのか? また1回いくらするのか?」、「化粧品代はいくらかかるのか?」などこと細かく訊き、貯金・食費の配分をひとりで決めていきました*2。
Oは、毎月それらがいくらかかるのか把握できていない私を、「そんなこともわからないの?!」、「そんな人にお金は任せられない」と非難し、侮蔑しました*3。
お金を管理され、こと細かく詮索干渉されるにつれて、私は自分が買いたい物であっても、その都度、Oに許可を得ねばならなくなっていきました*4。
納豆(Oは納豆がそんなに好きじゃない)に卵を入れれば、Oは「もったいない」といい、ガス代がかさむからとお風呂をお湯で洗うことを禁じました*5。
私がお菓子を食べると、Oは「それは先に家に帰ってきて、ご飯をつくる人しか食べちゃダメなんだ。*6」と非難しました*7。
私は、家で、お菓子さえも食べにくくなりました。
私が「服が買えない」とOに訴えると、Oは「いいじゃん、昔(独身時代)のお金で買えば、別に買えばいいんだよ。」と応じました*8。
私が「じゃあ、もし子どもができたりしたら、もうずっと服は買えないね。」というと、Oは「そんな甘い考えでよく結婚したよね。覚悟がなかったんじゃないの!」、「なんで子ども欲しいなんていうの? そんなにお金使いたいなら、子どもなんて無理でしょ。」、「そんな考えの人は、子ども欲しいなんていうな」、「そうやって、いまでも家事も全部俺がやって、子どもできても全部俺が子育てもするんだわ。」とひどいことばで非難し、侮蔑しました*9。
*1.2.4 詮索干渉、束縛(支配)です。
*3.7.9 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*5.6.8 アスペルガー症候群の“障害の特性”のひとつの“こだわり”と解釈すると、「*1.2.4.」「*3.7.9」の行為についても、“障害の特性”にもとづくものということになります。「*9」のOの子どもに対する言動は、「夫と妻という家族の関係性が、子どもができることに対する変化」に強い拒否反応(子どもができることを、妻の裏切り行為と認識)を示しているという意味で、アスペルガー症候群の“障害の特性”にもとづく典型的な言動と捉えることができます。


-事例84(DV42・経済的暴力5)-
(ことばの暴力、否定・非難・侮蔑・卑下。身体的暴力、物をなげつける)
私は、夫Mのあまりにひどいふるまいに、もう耐えられないと思い、私の実家に帰りました。
私が実家に帰った2日後、Mは私の実家を訪れ、私の両親を交えて話し合うことになりました。
私は、私の実家に帰ったものの両親に経緯をどう話すか心の整理ができずにいる中でのできごとであったため、私の父の「1-2ヶ月冷却期間をおいたらどうか」との提案を受け入れて帰るMを黙って送りだすしかありませんでした。
  数日後、荷物をとりに、Mのマンションを訪れました。
片づけの途中、私は、Mと話し合うことになりましたが、私が話そうとすると、Mは「ほろ、ほらそういうだろ。いっつもそうなんだよ。」、「だから、もう止めよ!」、「はい、はい。わかった。わかった。」と話を遮り*1、いつものように最後まで話をすることを許しませんでした。
しかも、私が「怒鳴られ続けた」「DVをされた」ことを口にすると、Mは「だから、止めましょ。」、「はい、わかった。」、「ほら、そうでしょ。ほら、蒸し返すでしょ。」と話を遮り*2、非難し*3、「だから、別れましょうよ。」、「調停でも、裁判でもやりましょうよ。」と結論づけました。
そして、Mは、私に対し「ほら、もう帰ってくれ! もうムリだよ。お前なんかじゃ、俺の助けにならん。絶対ムリ、早く帰ってくれ!」と怒鳴りつける*4だけでなく、物を叩き*5、食器を棚から落とし*6、大声を張りあげました*7。
  私が、もう耐えらないと家をでるきっかけとなったMが大声を張りあげ、罵倒し続けたことについて、Mは、「人が一晩中探しているのに、チャチャを入れるような女なんてダメだよ!」、「お前は、怒鳴る前を全然考えないでしょ、なんで怒鳴ったかって。君、いっつも怒鳴ったところからスタートしてるの。でも、違うの! 俺にとっては怒鳴る前がスタートなの!」と理由があるのだから怒鳴るのは許されること、どこに問題があるのかと、理由さえあれば暴力は容認されるといった主張を繰り返しました*8。
ところが一方で、Mは、私に「覚えていないよ! そんなのいちいち。」と怒りを表し、私が「覚えていないことぐらいのことで…。」と口にすると、Mは「覚えていなけりゃいけねえのかよ! 覚えていなくても怒ることはいくらだってあるよ!」と大声を張りあげ、怒鳴りつけました*9。
Mが、なにをもって私を怒鳴りつけることになるかは、Mがチャチャを入れられたと感じたとか、俺のいうことに素直に従おうとしなかったといったMのそのときの気分しだい、受け止め方次第でした。
そのため、私は、婚姻生活をスタートさせてからずっと、なぜ怒鳴られなければならないのかを理解することはできませんでした。
  私は、Mが怒鳴ることを止めてくれる可能性が残されているのかを探るために、意を決して、Mに「じゃ、ほんとに治る、治そうと私に思わせてくれたり…。」となげかけると、Mは「ムリ、ムリ、ムリ、お前じゃムリ、お前じゃムリ、お前じゃムリ、お前じゃもう絶対ムリ。」と大声を張りあげるだけでした*10。
再度、私が「でも、がまんできないから怒鳴る?」となげかけると、Mは「うん。がまんできない。君じゃムリ!」と大声を張りあげるだけでした*11。
そのため、私は、Mが変わることができないことを思い知りました。
私にとって、Mの暴言の限りを尽くして否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下するふるまいが治ることがないことは、即ち、それは、婚姻生活を続けることができないと決心しなければならないことを意味していました。
46歳でのMとの再婚を決め、仕事を辞め、マンションを解約し、あとにひけない強い覚悟のもとでの渡米し、2年5ヶ月後に帰国した私は、Mの暴力の原因が、渡米し、仕事のストレスによるものだと、これからの日本での生活、リフォームを終えた真新しい新居での生活により、いい方向に進むのではないかと僅かな望みを託していました。
Mの大声で怒鳴り散らすのを聞きながら、僅かな希望が木端微塵に叩き壊されていく瞬間を、私は、なかなか受け入れることはできませんでした。
  しかし、Mは私に対し「1万円やるからでてけよ! タクシー代やるからでてけ! 拾え、1万円やる。」と、私に向けて、1万円を投げ捨てました*12。
続けて、Mは「あとはテメエだせ。なあ、でてけ、いま直ぐでてけ! めぐんでやる、1万円めぐんでやる。ほどこしだ!」*13とヤクザのようないい方で、信じられないような侮蔑し、卑下するひどいことばを吐き捨てたのです。
*1.2 ここでの「話を遮り、話をさせない」行為は、「相手に、自分とは違う考えや意志があることは認められない」というアスペルガー症候群の“障害の特性”によるものです。
*3.4.9 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*5.6.7 「*4.5」は、身体的暴力に該当しますが、このケースでは、アスペルガー症候群の障害の特性、つまり、「パニックアタックの症状」が暴力行為となっています。
*8.10.11.12.13 アスペルガー症候群の“障害の特性”による言動です。「*12.13」のように、差別的な考え方で、極端に見下す行為も、典型的な“障害の特性”にもとづくものです。



(2) ボーダーライン(境界性人格障害)**
** 「ボーダーライン(境界性人格障害)」の傾向、診断基準については、「Ⅱ-21-(11)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で詳述しています。
 境界性人格障害(ボーダーライン)は、女性に多く、「自己のイメージ」、「気分」、「行動」、「対人関係」が“不安定”です。
サイコパス(反社会性人格障害)に比べて、「思考過程に乱れ」がみられ、その「攻撃的な感情」は、リストカットや過食嘔吐などの自傷行為として、しばしば自分自身に対して向けられます。
演技性人格障害*-65の人よりも怒りっぽく、衝動的で、自分のアイデンティティ(自己同一性)に混乱がみられます。
成人期初期にはっきりと現れてきますが、年齢とともに罹患率は低下します。
A群の人格障害と比べ、対人関係がはるかにドラマティックで、強烈です。
深い自己否定や見捨てられ不安の背景には、虐待を受けていたり、性的虐待を受けていたり、愛情を奪われたり、見捨てられたりする体験にもとづく心に深い傷を抱えています。
最近の研究により、性的虐待を受けた場合、83%がボーダーライン、もしくは、解離性障害に罹患するといわれているように、小児期に養育者による養育の放棄や虐待を経験していることが発症の原因とされています。
その結果、被虐待者の典型的な特徴である「虚無感」、「怒り」、「愛情への飢餓感」を抱えています。
*-65 「演技性人格障害」の傾向、診断基準については、「Ⅱ-22-(11)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で詳述しています。

-事例85(判断が難しいDV1)-
妊娠中、私と夫がいい合いになったとき、私は、夫のシャツを引っ張ると、夫は、妊婦の私をソファーに押し倒しました*A1。
その日の夜、私は、夫に「あれはひどいから謝って!」と強く訴えましたが、夫は、まったく聞き入れようとしませんでした。
私は悔しくて、夫の胸を叩きました*B1。
そのとき、夫は、私の手首を強く握り締めました*A2。
私は、2日ほど手の痣が残りました*A3。
  夫がパソコンの置いてある机の椅子に座り、私がなにをいっても無視し続けました。
私は「聞いてるの! 答えて! 謝ってよ!」いいながら、夫の着ていたTシャツをおもいっきり引っ張りました*B2。
それでも、夫は無視し続けました*A4。
それから立ち上がった夫のTシャツを、再び引っ張ったとき、Tシャツが破けました*B3。
夫はものすごい形相で、やくざのように威圧して「いい加減にしろよ! あぁ~何やってくれてんねん!」と怒鳴りながら*A5、腕をつかみ、私の体を吊り上げるように持ちあげました*A6。
私の体が持ちあがりました。

-事例86(判断が難しいDV2)-
結婚後、残業で遅くなることもある私は、夫に「家事が疎かになっている」と非難されてきました*A1。
そのたびにいい合いになり、最後は「共働きでやっていこう」と落ちついきます。
しかし、夫は、いい合いになるたびに、「家のことが疎かになっている」という話を持ちだしてきます*A2。
ある夜、残業で遅くなった私は、夫の非難することばに我慢することができなくなり、夫に向かっていき、夫の胸を叩きました*B1。
しかし、夫に両肩を強くつかまれ、押さえつけられました*A3。
私は必死に逃れようとしましたが、夫の力には勝てませんでした。
夫は、私に馬乗りになり、私の頭を床に力いっぱい押しつけました*A4。
私は「ああもう終わりだ」と思い力が抜け、放心状態でなり、しばらく床に寝たままの状態でいました。
シャーと食器を洗っている音が聞こえ、我に返った私が起きあがると、夫は、私が洗い残していた食器を洗っていました。
放心状態になっている私を放っておいて、なにごともなかったかのように食器を洗っている夫に対し、私は、いつもの無言の非難を感じました。
再び、込みあげてきた怒りの感情を抑えきれなくなった私は、床にしゃもじを投げつけました*B2。
すると夫は、床に投げつけられたしゃもじを拾い、私に「なんで家を汚すの?! 大事にしないの?!」と非難しました*A5。
私に馬乗りになり、頭を床に力いっぱい押しつけ、放心状態になっている私のことよりも、夫にとっては床の方が大切であることがショックでした。

  事例85-86に共通しているのは、夫婦の双方に身体的暴力行為が存在していることです。
  つまり、それぞれが「自分の方がDV被害者です」と主張できる可能性があるということです。
  夫側の見方をすると、感情的になり、叩いてくる妻から身を守るために、妻を押さえつけなければならなかった、つまり、妻への暴行行為は、「防御的な対応」で、必要不可欠な行為であったと主張することが可能です。
  一方で、妻側の見方をすると、夫に非難され続けていて、我慢の限界に達し、向かっていったけれども、あそこまでひどい暴力を加えなくてもいいと思う、ひどすぎるという主張です。
  つまり、双方が、相手のその時々の言動やふるまいについて、どのように感じてきたのかにより、“譲れない一線がある”わけですから、話し合いは平行線になりやすいことから、事例のタイトルに「判断が難しいDV」としています。
  実は、双方に譲れない一線ができあがるのには、理由があります。
  それは、事例85-86の夫は、ともに、アスペルガー症候群と自己正当化型ADHDの重複で、一方の妻は、ともに、軽度のボーダーライン(境界性人格障害)という組み合わせによる、つまり、それぞれの“特性”に原因があるということです。
  別の見方をすると、この2つの事例では、双方のパワーバランス(力の関係)に大きな不均衡が生じていないということです。
  そのため、双方がDV被害者になりうるわけです。
  しかし、同じ組み合わせであっても、どちらか一方にパワーが集中し、不均衡が生じることになると、一方が加害者で、もう一方が被害者という顕著な構図ができあがることになります。
  つまり、ボーダーラインを抱える妻にパワー(力)の行使が顕著になるとき、妻(女性)がDVの加害者で、夫(男性)が被害者という状況が生まれるわけです。
  では、ボーダーライン(境界性人格障害)の特徴を見ていきたいと思います。

① 目まぐるしく変化する感情
ボーダーライン(境界性人格障害)の症状の機軸となるものは、不安定な思考や感情、行動、及び、それに伴うコミュニケーションの障害です。
具体的には、衝動的行動、二極思考、対人関係の障害、慢性的な空虚感、自己同一性障害、薬物やアルコール依存、自傷行為や自殺企図などの自己破壊行動があげられます。
また、激しい怒り、空しさや寂しさ、見捨てられ不安と高い自己否定感がざわめきはじめると、感情がめまぐるしく変化します。
混在する感情の調節が困難であり、不安や葛藤を自分で処理することが苦手です。
 衝動的行為としては、性的放縦、ギャンブルや買い物での多額の浪費、より顕著な行為としては、アルコールや薬物の乱用があります。
さらに、自己破壊的な性質を帯びたものとして、過食嘔吐や不食などの摂食障害があります。
自己破壊的行為で最も重いものは自殺ですが、その他にも、リストカットなどの自傷行為、自殺企図(薬物の過量服薬(OD)等)により、実際に死に至ることもあります。
自己破壊的行為は、不安や混乱、葛藤などの不快な感情の迅速な解消手段となります。
環境や自分の内で生じたストレスを、行動によって軽減させることをコーピング(coping)といいます。
同じ境界性人格障害でも、抑うつ、衝動性、精神病症状のどれかが持だっていたり、気分障害、他の人格障害、器質性障害、非定型性精神病などが併存していたりするときそれぞれの差となって表れるなど、1人ひとり違って見えます。

-事例87(DV52、乱暴な運転1)-
夫は、腹立つ運転の車を見つけると、イライラし、煽ったりします。
私が「怖いから止めて」と訴えても、夫は無視します。
夫は、1歳に満たない息子が乗っていても、すごいスピードで、頻繁に右に左に車線を変えるなど荒い運転をします。
子どもは揺られる車の中で、じっと我慢していますが、どんなに怖い思いをしているだろうと思います。

-事例88(DV53、乱暴な運転2)-
夫が気に入らないと感じる車をみかけると、なにがなんでも割り込ませない運転をしたり、道路を走る自転車に対しても、「邪魔だ!」と暴言を吐きながら、わざと近づきギリギリを走る危険な運転をしたりします。
夫は工事現場で誘導している人にも苛立ち、わざと急発進し、スピードをだしてすれすれに通ったりしていた。

ADHDの基本症状が不注意・多動・衝動性であること、しかも、空間把握が弱く、方向音痴な人も多いことから、ADHDの人は、車の運転で事故を起こしやすいと指摘されています。
  しかし、上記の事例87-88は、非常に衝動的で、危険行為に及んでいることから、サイコパス(反社会性人格障害)とボーダーライン(境界性人格障害)が合併している者、あるいは、サイコパスの「危険を覚悟しているタイプ」による危険運転と考えるのが妥当です。
  サイコパスが優先となっているときには、危険に身をさらしてスリルを楽しむことが快感となっていますが、悪い行為に徹することができないときには、ボーダーラインが合併していて、後者が優先となっていると考えることができます。
  いずれにしても、幼少期に愛情剥離や不認証体験をしています。
親や権威のある人に対しての強い失望感が、逆に、反社会的なスタイルをとることでアイデンティティを確立しようとさせます。
破天荒な言動とは裏腹に、繊細で傷つきやすい気まぐれな心を持っています。
周囲からは、なにをしでかすか分からない危険人物だと思われていることが少なくありません。
そのため、人が寄りつかなくなり、孤立してしまうことから、行動が悪化しやすくなります。
そして、危険な車の運転に及ぶなど、危険な行為は、薬物やアルコールの濫用と結びつきやすく、これらの危険な行為がエスカレートし、命を落としてしまうこともあります。

② 深い抑うつの波
 境界性人格障害の抑うつには、特有の構造が見られます。
それは、見捨てられることに関連する特殊な感情反応にもとづく、マーガレット・マーラーが、憤怒、空虚感、絶望、寄る辺のない不安、孤立無援感、抑うつ、自暴自棄の感情と表現した破壊的な感情です。
  この破壊的な感情について、ジョン・ボウルビィは、母親に置き去りにされた子どもの観察をもとにした研究で、境界性人格障害の人の破壊的な感情について、『母親に置き去りにされた子どもは周囲を探索し、いないとわかると淋しくなり、悲しくなり、不安になり、しくしくと泣きはじめる。それでも帰ってこないと、恨みと怒りから大声で泣きだし、やがて泣き止むが、最後には孤立無援感、空虚感、寄る辺のない不安から遂には無気力状態に陥る。境界性人格障害に共通する感情は、こうした見捨てられるということによって生じる感情体験そのものであり、これら言語成立以前に端を発する衝動が、過食、性的逸脱、リストカット、過剰服薬、アルコール依存などの行動化として表現される。』と説明しました。
境界性人格障害の人には、こうした抑うつの嵐が次々と、あるいは、一挙に襲ってくるという特殊な構造が見られます。
その深い抑うつの波は、「穴に吸い込まれる」「落ち込む」と表現され、伝統的なうつ病(内因性うつ病)で示す抑うつとは異なります。
  また、境界性人格障害の症状として、一過性の精神病症状があります。
この精神病症状は、強いストレス下においてより顕著になり、解離、非現実感、離人感、パラノイア(偏執病、被愛妄想)などが出現したり、現実検討力が著しく低下したりする事態を生むことがあります。

③ 特有の対人様式
大人の恋愛関係における愛着行動のパターンは、乳幼児期の愛着行動の特性をひきつぎます。
境界性人格障害の人は、根底に他者と親密な関係を持つことへの葛藤を抱えていることから、特有の対人様式が顕著に表れます。
その特有の対人様式は、対人関係を構築していくうえで、ときに障害となるものです。
対人障害は、主に2種類あります。
ひとつは、他者を巻き込み混乱を招くもので、もうひとつは、対人恐怖・過敏性が強く、深い交流を避ける、つまり、回避的になるものです。
  境界性人格障害の人は、幼少時から分離不安のある者が多く、依存できる関係を求める傾向が顕著です。
相手の悪い部分を認識すると混乱をおこしてしまうことがあることから、相手を過度に理想化する傾向があります。一方で、傷つきやすい自己愛を持ち、他者の感情に敏感であることから、なにかのできごとをきっかけに失望することが多くなります。
そうしたとき、自分が混乱しないように、自身の中にある相手の評価を下げることで、心を守ろう(防衛しよう)とします。
境界性人格障害の人は、この心を守ろうとするあり方が極端です。
このことが、社会的機能が低下することにつながり、対人関係において“障害”となるのです。
境界性人格障害の人、つまり、当事者とっては、依存は自覚がなく、無意識的なものです。
しかし、自身の混乱や葛藤により、人を追い払ったり(排除したり)、ひき戻したり(接近したり、つきまとったり)することで、対人関係が激しく短期的なものになりやすいのです。
そのため、周囲の人は、境界性人格障害の人のこうした行動を“操作的”“意図的”と否定的、批判的に受けとることがあります。
  依存や混乱の著しい境界性人格障害の人は、他者を巻き込みやすく、人との摩擦を生じさせやすいのです。
しかし、境界性人格障害の対人様式にまつわる特有のパーソナリティ構造は、内的表層などのパーソナリティの深い部分にあるとされていることから、特有の対人様式が顕著に表れるのは、ある程度関係が深まり、その人物が、境界性人格障害の人の深い層にある感情や願望に触れた場合です。
「ある程度関係が深まり、深い層にある感情や願望に触れる」ことになるのは、親友と呼ばれるような友人関係、交際関係、夫婦関係において、特有の対人様式が顕著になるということです。
つまり、親友と呼ばれるような友人関係にある者、交際関係にある者、夫婦関係にある者は、境界性人格障害の人が示す抑うつの嵐に巻き込まれることになります。
一方、対人恐怖・過敏性が強いときには、摩擦を生じることはない一方で、人との交流を避けることから、社会的機能は低下します。
境界性人格障害の人の特有の対人様式のあり方は、分裂や投影性同一視などの「防衛機制」が不適切に使用されることに関係しています。
防衛機制とは、心の安定をはかるために、不快な体験を弱めたり、避けたりしようとする心理機能のことで、本来、心の均衡を保つために必要な健全な機能です。
不安が強くなると、この防衛機制は強く働きますが、境界性人格障害の人は、なにかのきっかけで強烈な不安に襲われ、防衛機制が過剰に反応してしまうことから、社会生活の中で、不適応を起こしてしまうのです。
社会生活における不適応は、境界性人格障害の人の人生そのものが阻害されることを意味します。
境界性人格障害の人がよく用いる防衛機能は、分裂、投影、投影性同一視、否認、原始的理想化、万能感、脱価値化です。
これらの防衛機制の極端な表れは、人生で起こりうるさまざまな問題に対する適応力の発達を妨げ、漠然とした不安感や抑うつ、衝動統制の困難さ、あるいは、一過性の精神病症状を招きます。
例えば、「同一の対象に肯定的、否定的な感情を同時に認識できない」という分裂思考は、対人関係の障害だけでなく、自分に対しても自己同一性障害(多重人格)として現れ、自己像の不安定さ、慢性的な虚無感、社会的機能の低下の原因となるものです。
  その結果、周りの人は、境界性人格障害の人の特有の症状に巻き込まれ、さまざまな被害を受けることになります。
境界性人格障害の女性は、愛情をかけてもらっていると感じると、寂しげでよるべのない様子を見せ、過去の虐待経験、うつ病、薬物などの乱用、摂食障害からの救いや助けを求めます。
しかし一旦、愛情をかけてもらっている人や思いやりを持って接してくれている人から、“見捨てられる”ことへの恐怖感に駆られると、気分が一転して激怒し、しばしば異常な激しさで怒りを表すことになります。
「愛情をかけてもらっている人や思いやりを持って接してくれている人」とは、親やきょうだい、関係が深まった友人や教師、同僚、上司、そして、交際相手や配偶者が該当します。
交際相手や配偶者に内在している怒りが向けられると、デートDV・DVということになるわけです。
つまり、境界性人格障害は女性が多いことから、女性から男性へのデートDV・DVは、境界性人格障害を抱える女性の“障害”の特性による暴力行為ということになります。

④ 根底にある感情的問題が招くトラブル
境界性人格障害を抱える女性は、気分の変化とともに、周囲の世界、自分自身、他者に対する見方も極端に変化し、すべては「黒か白」、「善か悪か」で、その中間は存在しない、つまり、二元論でものごとを捉え、考えます。
「見捨てられた」と感じ、「孤独感にさいなまれる」と、自分が本当に存在しているのかどうかわからなくなり、「現実感を失う」ことがあります。
絶望的なほど衝動的になり、「見境のないセックス」、「乱交」や「薬物などの乱用」にふけることがあります。ときに、あまりにも現実から遊離してしまい、軽度の精神病性思考、妄想、幻覚が生じることがあります。
境界性人格障害の根底にある感情的問題は、「見捨てられ不安」、「自己肯定間の欠如」、「孤独耐性の低さ」などです。
家族や友人、交際相手、配偶者に対し、批判的、攻撃的になりやすいことから、常にトラブルが発生します。なぜなら、根本的な安心感が乏しいため、些細なことがきっかけで、気持ちが揺れてしまうからです。
ニコニコ上機嫌だと思うと、ちょっとしたことから、「やっぱり私なんか・・」、「もうどうでもいい」、「生きているのが虚しい」というように、すべてを否定するいい方をし、別人のようにふさぎ込んでしまいます。
最初、相手を過度に理想化し、素晴らしい人に出会ったと思いますが、少しでもアラが見えてくると、急に気持ちが冷めて、「最悪のヤツだ!」「ろくでもない!」と、“こきおろし”ます。
境界性人格障害の人は、心の中に深い自己否定感や愛情飢餓感を抱えているため、極端で自暴自棄な行動に走りにやすいのです。
アルコールや薬物に頼ることも少なくありませんが、中でも、周囲が肝を冷やすのは、突発的に自傷したり自殺しようとしたりすることです。
しかも、そうしたことは、一度おきると、繰り返しおきることが少なくありません。
些細なことで、心が傷ついてしまうと、また同じことをしてしまいます。
自殺関連行動で入院した患者の53.8%が境界性人格障害と診断され(重複診断を含む、一度でも自傷行為を行ったことがある患者では75%に達しているように、自殺願望を口にしたり、実際に死のうとしたりして、周囲を慌てさせることも、境界性人格障害の人の顕著な特徴です。
周囲の人は、本人の機嫌を損ねると大変なことになるとの思いで、本人が不安定にならないように、薄氷を覆む思いで神経を使うことになります。いつしか、いわれるがままに合わせるのがあたり前になってしまいます。
境界性人格障害の人は、見捨てられ不安による愛情の確認、つまり、“試し”行動によって、周囲をコントロールし、思い通りに暮らすようになるのです。
境界性人格障害の人は、心の中に強い空虚感を抱えていることから、自己愛性に劣らず、関心や愛情を求め、「自分も主役でいたい」という思いを抱えています。
身を捧げた相手に、見返りとして愛を得ようとし、やがてその見返りがえられないことに気づきます。
心が砂漠のように枯れ果てたとき、今度は、愛を奪い続けた相手に対し怒りを抱くようになります。
しかし、見捨てられ不安や空虚感(人生の無意味感)が非常に強いので、ひとりで過ごす時間(誰ともかかわらずに過ごす時間)、つまり、孤独感に耐えることはできません。
こうした心の動きが、当人にとって無自覚で、無意識的な「依存」で、対人障害を招きます。
つまり、自身の混乱や葛藤により、人を追い払ったり(排除したり)、ひき戻したり(接近したり、つきまとったり)することで、対人関係が激しく短期的なものになりやすいのです。

⑤ 認知・思考の7パターン
境界性人格障害を抱える女性の認知・思考は、次の「7パターン」に分類することができます。
a) ものごとや人物を「白(善)」か「黒(悪)」かの二元論的思考で認識し、判断します。
そのため、一人の人物の“よい部分”と“悪い部分”を現実的に認識することができず、「完全によい人か、完全に悪い人か」という“両極端な評価”になって、人間関係で衝突が起こりやすくなるのです。
その衝突は、激しい暴力的な行為を伴うことになります。
b) 相手を「理想化」して“ほめ称える”か、「無価値化」して“こき下ろす”かといった極端な対人評価をします。
少し前まで相手のことを高く評価していたのに、少しでも自分の思い通りにならなかったり、相手の嫌いな部分が目についたりすると、途端に態度を一転させ、否定し、非難し、侮蔑し、卑下するなど、激しく人格を攻撃したり、罵倒したりすることになります。
そのため、安定した人間関係をつくり難くなります。
c) 完全主義思考が強いため、自分自身に対する評価は「完全な成功している人間か」、「脱落したなんのとりえない人間か」という極端な自己評価になりやすくなります。
悪い方向に自分を評価すると、とことん気分が落ち込んでしまい、自己否定的な認知や悲観的な将来予測ばかりを持つようになります。
カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、空虚感、そして、底なし沼のような寂しさにのみ込まれそうになったとき、リストカットや過食嘔吐などの自傷行為で承認欲求を満たすときがあります。
  その承認欲求を満たす自傷行為に、周りの人が心配し、気遣ってくれるなど愛されていると実感できる体験をしていると、周りの人が、自分を心配し、気遣ってくれる=愛されていると実感できるためには、リストカットや過食嘔吐などの自傷行為は、有力な術(手段)となります。
  そして、愛情を“試す”ためのリストカットや過食嘔吐などの自傷行為を試み、気を惹こうとします。
 承認欲求を満たすリストカットや過食嘔吐などの自傷行為は、快楽中枢を刺激することから中毒性(依存性)のあることから、周期的に繰り返し、しかも、より強い刺激を求める傾向があります。
  そのため、気を惹こうとする“試し”としての自傷行為は、リストカットや過食嘔吐に留まらず、過量服薬(OD)を試みることがあります。
過量服薬(OD)は、致死量を超えてしまうリスクのある行為で、明確な死を意識して、大量出血を意図としたリストカットと同様に、自殺をはかった(自殺企図)と認識されます。
  こうした状況下にあるとき、境界性人格障害の人の「死にたい」ということばは、周りの人にとって大きな不安(恐怖)材料となるものです。
つまり、気を惹くための試しのことばが、相手への脅しのことばとなるわけです。
そのため、依存傾向のある境界性人格障害の人が、交際相手や配偶者から「別れ」を切りだされたとき、しがみつこうとする強い思いは、復縁を求める(関係の修復を求める)つきまといとなり(ストーカー行為)、自殺をほのめかす「死にたい」ということばで、気を惹こうとします。
d) 他人の行動、発言、態度をみたときに、自分にとって「味方」か「敵」かという視点で相手を単純に分類してしまいます。
味方に分類した相手に対しては好意的、誘惑的に接近して依存的な態度をとりやすく、敵と分類した相手に対しては、攻撃的、拒絶的な態度をとって、怒りの感情を露わにすることもあります。
e) 自分の置かれている状況を「理想的な幸福、安心」か「絶望的な不幸、孤独」かのどちらかに偏って認知する傾向があります。
自分の生活状況や対人関係をポジティブに理想的なものとして認識しているときには、ある程度、現実適応能力が高くなります。
しかし、いったん自分自身を不幸な存在としてネガティブに認知しはじめると、気分の落ち込みや自暴自棄な衝動性が激しくなり、現実的な社会生活、対人状況への適応が難しくなってしまいます。
f) 自分の失敗や不幸、怒りの原因を、「自分以外の他者(外的要因)に転嫁する」傾向が見られることがあります(他罰傾向)。
逆に、自分の失敗や不幸、怒りの原因を、「すべて自分自身に求めて自分を責め過ぎたり、自己否定的になったりする」ことがあります(自罰傾向)。
他罰傾向が強くみられるときには、自分の発言、行動、態度が他人に与える影響を推測することができなくなり、相手を攻撃して傷つけてしまいます。
g) 「客観的事実にもとづいて、他者状況を的確に認知することが苦手」であり、「主観的感情によって他者、状況を認知しやすい」ので、どうしても“思い込み”、“決めつけ”、“事実誤認”などの問題が起こりやすくなります。
相手の反応のことばを“偏った色眼鏡”を通してみてしまうと、「相手は自分を否定(非難)している、相手の態度は自分を嫌っている証拠だ」というような思い込みに陥ることがあります。


(3) サイコパス(精神病質者、反社会人格障害)**
小さい文字** 「サイコパス(精神病質者、反社会性人格障害」の傾向、診断基準については、「Ⅱ-21-(11)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で詳しく説明しています。
「サイコパス(psychopath)」とは、精神病質者(その人格のために、本人や社会が悩む、正常とされる人格から逸脱している者)のことで、反社会的人格の一種を意味する精神病質(psychopathy;サイコパシー)、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われています。
サイコパスは異常であるものの、ほとんどの人々が通常の社会生活を営んでいるため、病気(いわゆる精神病)ではなく、日本では、反社会性人格障害(パーソナリティ障害)とされているものです。
5歳未満の子どもに、“まるでDV加害者のようなふるまい(やり口)”で、人をコントロールする特性が見受けられるときには、対人障害としての「反応性愛着障害=RAD(Reactive attachment disorder)」が疑われ、成長するに伴い、地下からマグマが吹きあがってくるような激しい衝動的で、歯止めがきかない絶え間ない攻撃性を伴った怒りは、思春期以降、反社会的な行動と走ることになると「行為障害」が疑われ、青年期後期には、「反社会性人格障害」と診断されます。
つまり、根底には「反応性愛着障害」が存在し、成長に伴い「行為障害」「反社会性人格障害」と進展していくものです。
  また、「反応性愛着障害」の特性は、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群の“障害の特性”と類似していることから、明確な診断は難しいとされていることから、サイコパスの人の特性は、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群の“障害の特性”と似通ったものです。

①サイコパスの特徴
サイコパスは、アスペルガー症候群と同様に、その多くが男性で、脳の共感性を司る部分の働きが弱く、健常者の脳波とはまるで違う脳波を見せるとされています。
アメリカでは25人に1人(約4%)とされ、アメリカ国内の刑務所に収監されている受刑者のうち、15%はサイコパスだと考えられています。
  犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは、良心が異常に欠如している、他者に冷淡で共感しない、慢性的に平然と嘘をつく、行動に対する責任がまったくとれない、罪悪感が皆無、自尊心が過大で自己中心的、口が達者で表面は魅力的と特徴を述べています。
また、オクスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンは、サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ、無慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義であるとしています。
つまり、他人に対する思いやりにまったく欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなようにふるまう人物ということです。
エミール・クレペリンは、サイコパスのひとつに「空想虚言者」という類型があると述べています。
それは、①想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する、一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである、②弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい、好んで難解な外来語や人を驚かす言説をなす、③人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている、自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さないというものです。
つまり、自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまうのです。
  一方で、多くがビジネスリーダーとして成功を収めています。
サイコパスを抱えるビジネスリーダーの特徴は、以下のような5つにまとめることができます。
第1に、「魅力的である」ということです。
第一印象は悪くなく、少なくとも初対面のときには、好感を持たれます。雑談にも快く応じ、いつでも当意即妙の発言をできる人に感じます。
なぜなら、頭の回転が速く、人の心を惹きつけるような話ができるからです。
それだけでなく、人の信頼を得る(意に添うようにコントロールする)ために、お世辞をいったり、称賛したりします。
第2に、「他人に共感しない」ということです。
自分の家族のことであっても興味はなく、自分以外の人のことを気にすることはありません。
顔色ひとつ変えずに誰かを傷つけることがありますが、良心が痛むことはありません。
「傷つけられた」とパワーハラスメントやセクシャルハラスメント被害を訴えてくる人がいても、「自分には責任はない」といい放ちます。
そのため、傷つけられた人は、サイコパスのこうした言動やふるまいによって、さらに傷つくことになります。
第3に、「人の気持ちを食い物にする」ということです。
サイコパスは、知的レベルにおいては(教科書的な知識としては)、人の感情を理解していますが、その知識は一方的です。
それは、自分だけに都合のいい解釈で、人を利用したり、貶めたり、逆に、人の同情を惹こうとします。
つまり、罪悪感をくすぐったり、お世辞をいったりすることで、相手が、通常ならとることがないであろう行動に導こうとしたり、騙して支援や援助を得ようとしたり、心配をしてもらうために、自分は被害者だと訴えたりします。
第4は、「良心がない」ということです。
サイコパスはためらうことなく嘘をつき、だまし、盗みを働きます。
自身の行動の誤りを指摘されたり、問題行動を非難され、問い詰められたりすることがあったとしても、決して自分の非を認めることはなく、延々といい訳を独特の論理(持論)で述べ続ける中で、人のせいにするために、相手の過去のミスや過ちを蒸し返し徹底的に糾弾するなど反撃に転じます。
目的を達成するためにはあらゆる手段を駆使し、他人に害を及ぼすことになっても、決して後悔することはありません。
そして、仲間の誰かが、第三者から不当な扱いを受けることになったとして、それは、その人自身に責任があると考え、見放したり、冷酷に切り捨てたりします。
第5に、「自分を過大評価する」ということです。
ナルシスト(自己愛性人格障害)と同様に、サイコパスは自分には通常のルールがあてはまらない特別な存在と考えます。
サイコパスの多くが、捕らえられることへの恐怖心を持たずに犯罪行為に走る傾向があるのはこのためです。
自分は他の者たちよりも優れていると考え、なにをしても許されると思い込んでいます。自信過剰で、自分は世界中の誰よりも優れ、価値のある人間だと信じているのです。
 したがって、サイコパスを抱えている者が、ビジネスリーダーとして成功を収められるのは、自己利益を満たすためには、嘘をついたり、欺いたりするなどあらゆる手段を駆使して他人を利用したり、意に添わない相手や批判的な相手には徹底的に糾弾したり、不利益になると思えば非常に切り捨てたりすることができるからです。
つまり、5つの特性からわかるように、サイコパスのすべてが残忍な犯罪者になるわけではありませんが、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメントの加害者、そして、家庭では、DVの加害者になり得ることがわかると思います。

②被害者の多くが認識している加害者の特徴、サイコパスの特徴と合致
パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、DV(デートDVを含む)の被害者の多くが認識している加害者の特徴は、
・外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである
・恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える
・多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり、危険と判断して手をださないようなことにも、躊躇なく平然としておこなったりすることから、挑戦的で勇気があるように見える
・お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のようなとり巻きがいたりする
・常習的にウソをつき、話を盛るなど偽りの話を真実のように話したり、主張をコロコロと変えたりする
・自分をよく(強く)見せようと、表面的な格好よさにこだわる
・ビッグマウスである一方で、飽きっぽく、物事を継続したり、最後までやり遂げたりすることは苦手である
・傲慢で尊大であり、批判されても折れない、懲りない
・交際関係や友人関係は長続きせず、つきあいがなくなった人のことを徹底的にこき下ろす
・人あたりはいいが、他者に対する共感性そのものが低い
とまとめられます。
 これらの加害者の特性は、サイコパスの特性と合致するものです。
サイコパスの人物に対し、飢餓に苦しむ人などの悲惨な画像を見せても、感情と関連する部分の脳は活性化しないことがわかっています。
このことは、「共感性が低い」ことを示すものです。
  サイコパスの人物は、他者の悲しみを目のあたりにしたとき、自律神経(循環器、消化器、呼吸器などの活動を調整するために、24時間働き続けている神経)の反応が、サイコパスでない人と比べて弱いという報告があります。
また、表情や音声から他者の感情を読みとる実験では、「怒り」「喜び」「驚き」といった感情については、サイコパスでない人と同程度に読みとることができる一方で、「恐怖」「悲しみ」を察する能力には欠けていることがわかっています。
共感性が低いにもかかわらず、サイコパスの人物が、他者を騙して利用したり、詐欺を働いたりすることができるのは、相手の目つきや表情から、その人が置かれている状況を読みとる才能が際立っているからです。
重要なことは、「Ⅰ-5.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」の中で、人を洗脳やマインドコントロールするためのやり口、つまり、典型的な「型」を詳述していますが、サイコパスの人物は、人の弱みにつけこみ、コントロールする技術に長けているということです。
例えば、お金で困っていたら、お金を工面したり、人脈で困っていたら、人脈を提供したりします。頼まれていなくても、親切にします。
関係の初期段階では、とにかく「この人はいい人だ」、「自分を助けてくれて、本当にありがたい」と思わせます。
ところが、ある程度の信頼関係ができたところで、脈絡なく、あるいは非常に些末なことでキレます。
「あんなによくしてくれた人が怒ったということは、自分は何か悪いことしたのかな?」と、本当は謝る理由はないのに、関係を維持するために謝っておこうと思います。
こうしたことを繰り返し、相手が、下手にでてきたところで、いいがかりともいえる難癖をつけて、「あんなによくしてあげたのに、どういうこと?!」と恩をきせながら、批判し、責めます。
一般的に、恩を感じている人を怒らせたくない、機嫌を損ねて嫌われたくないと思うので、自分が悪いわけではないと感じていても、謝罪してしまいます。
すると、態度を一転させて、すんなりと謝罪を受け入れます。
「そうやって素直に謝ることができるのは、あなただけですよ。」と特別なこと、相手の自尊心をくすぐり、優越感を覚えるようなことばで持ちあげます。
相反する拒絶と受容の言動やふるまいを繰り返すことで、思考を混乱させ、正常な判断力を奪うことで、感情優先の思考に持ち込むことができると、人の「怒られたくない」、「嫌われたくない」という“罰”を回避する感情、「ほめられたい」「また、いい思いをしたい」という承認欲求を満たす刺激を巧みに利用します。
恩を感じている人には、なにかお返しをしなければならないという「好意の返報性」を悪用することにより、上下関係、支配と従属関係を完成させていきます。
サイコパスの人は、こうした人をオトす術(テクニック)を駆使して、人を操作していきます。
重要なことは、ハイハイ商法や結婚詐欺などの詐欺師と同様に、“カモ(ターゲット)”の目や表情から心情の揺れ動きを冷静に読みとり、ここまではいじめて大丈夫、ビクビクしたところで相手のここを持ちあげれば“オチる”といった見極め、判断を、ごく自然にやってのけるということです。
100人に1人がサイコパスといわれていますが、サイコパスの人には、「捕まりにくいサイコパス(成功したサイコパス、勝ち組みのサイコパス)」と、「捕まりやすいサイコパス(成功していないサイコパス、負け組みのサイコパス)」が存在します。
後者は、危険な存在ではあるものの、ためらいなく犯罪をおかしてしまうので、悪事が発覚しやすい(捕まりやすい)のが特徴です。
問題は、職場、学校、家庭など身近なコミュニティの中に潜んでいる「勝ち組みのサイコパス」です。
なぜなら、彼らこそが、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、DV(デートDVを含む)の加害者となるからです。
つまり、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、DV(デートDVを含む)の加害者の一部は、その背景に、反応性愛着障害の特性を有した「捕まりにくいサイコパス(成功したサイコパス、勝ち組みのサイコパス)」ということになります。
アメリカ・ルイジアナ州立大学法科大学院教授のケン・リーヴィは、サイコパスに刑事責任を科すべきか否かを問うています。
なぜなら、サイコパスは理性的には善悪の区別がつくのに、情動のレベルでは犯罪行為が道徳的に間違いであることがわからないからです。
「反省できない人もいる」、「罰をおそれない人もいる」という事実を、人はなかなか認めることができません。
しかし、これは事実です。
“罰”を怖れず、倫理観や道徳観といった規範を「くそくらえ!」と気にも留めないサイコパスの人から見ると、反社会的な行為を抑制するためにつくられたルールや法といった規制は、ほとんど無意味です。
そして、サイコパスの人が最も危険なのは、事実をねじ曲げ、自分の空想と一致するような“もうひとつの事実(嘘・つくり話)”を創りあげてしまうことです。


(4) MNPD(悪性の自己愛性人格障害)**
** 「自己愛性人格障害」の傾向、診断基準については、「Ⅱ-21-(11)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で詳述しています。
また一方で、社会や人に認められたい、ほめられたいという承認を満たす欲求が強すぎて、自分を批判する人を激しく攻撃する傾向が顕著なとき、「自己愛性人格障害(NPD;Narcissistic Personality Disorder)」が疑われます。
自己愛性人格障害の人の特徴は、誇大妄想症、過剰な賞賛欲求、共感性の欠如、実績や才能の誇張、衝動的な怒りの爆発などです。
アメリカ精神医学会(APA)の定めた「精神障害の診断と統計の手引き(DSM-Ⅳ-TR)」では、上記の9項目のうち、5項目以上があてはまると、自己愛性人格障害に相当するとしています。
・無限の成功、権力、才能などの空想にとらわれている
・自分は「特別」であると信じている
・過剰な賞賛を求める
・特権意識をもち、特別な取り計らいを期待する
・対人関係で相手を不当に利用する
・共感性の欠如
・よく他人を妬み、または他人が自分を嫉妬していると思い込む
・傲慢で横柄な行動や態度を示す
米国精神医学会では、多くの人は「自己愛性」の特徴を持っているものの、そのうち、自己愛性人格障害と診断される人は1%程度としています。
  アメリカ合衆国の人口は3億1038万人ですから、その1%は、310,380人となり、人口10万人あたり100人、つまり、1000人に1人になります。
  一方で、100人に1人とされるサイコパスは、3,103,800人となります。
DV被害者が綴るブログなどでは、「モラルハラスメントの背景には、自己愛性人格障害がある」と“DV加害者=自己愛性人格障害”かのように限定的に記載されていることがあります。
しかし、先の数字を、日本の人口1億2653万人にあてはめると、自己愛性人格障害者は126,530人となります。
一方で、内閣府と警察の調査では、男性から身体的な暴行を受けたことのある女性の割合は約4人に1人、継続的で執拗な暴行を受けたことのある女性の割合は約10人に1人、殺されそうな暴行を受けたことのある女性の割合は約20人に1人となっています。
15歳以上の女性を約5,300万人と考えると、一生涯(これまで)のうちに、男性から身体的な暴行を受けたことのある女性は1,325万人となり、継続的で執拗な暴行を受けたことのある女性は530万人となります。
つまり、DV行為が身体的な暴行に限られているなど、比較対象が一定ではないものの、13,250,000人の女性が、一生涯のうちに、男性から身体的な暴行を受けると想定されている中で、自己愛性人格障害を抱えていると想定される126,530人との比率を見ると、僅か0.95%に過ぎないことになります。
この数値は、仮に、アメリカ精神医学会(APA)の定めた「精神障害の診断と統計の手引き(DSM-Ⅳ-TR)」の9項目のうち5項目が該当するなど、自己愛性人格障害の特性として示された内容に合致することが多く認められたとしても、実際に、自己愛性人格障害と診断に至るのは1000人に1人(発症率1%)とされている実情とも合致するものです。
  一方で、100人に1人とされるサイコパスは、1,265,300人となり、10.47%となります。
したがって、男性から女性へのDVでは、加害者の多くは、①10人に1人とされるADHD(特に、暴力のある家庭環境で育ち2次障害となっている者)、20-60人に1人とされるアスペルガー症候群、②100人に1人とされるサイコパス(サイコパスを基軸に、一部の自己愛性人格障害の特性を併せ持つ)と考えられ、一方の女性から男性へのDVでは、加害者の多くは、③境界性人格障害(ボーダーライン)と考えられます。
つまり、それぞれ、加害者が、自己愛性人格障害であるケースはごく少数であることになります。
ただし、意図的に混乱をつくりだし、人を傷つけることに喜びを感じるという非常に稀で、深刻な「悪性の自己愛性人格障害(MNPD;Malignant Narcissistic Personality Disorder)」が存在します。
MNPDは、自己愛性人格障害よりはるかに病的です。
パラノイドで、反社会的で、妄想的で、現実と空想の区別ができないことから、非常に危険、つまり、もっとも危険な人格ということです。
この「手引き」では、ナルシシズム(自己愛性)、パラノイア(偏執病、被愛妄想)、反社会性、サディズム(他人を傷つけて喜ぶ)の4つの要素を持っているMNPDに着目しています。
  MNPD的で、捕まりやすいサイコパス(成功していないサイコパス、負け組みのサイコパス)に類する人がおこなう犯罪行為について、この「手引き」では、「Ⅰ-6.デートDVとストーカー殺人事件」、「Ⅰ-7-(2)学習した無力感」、「同-(3)ミルグラムのアイヒマン実験」「同-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」、「同-(5)霊感商法、対人認知の心理」「同-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」、「Ⅱ-12-(16)「キレる17歳」、理由なき犯罪世代」、「Ⅱ-14-(2)フェティシズム」「同-(4)性的マゾヒズムと性的サディズム」「同-(6)小児性愛(ペドファリア)」「同-(7)パラフィリア(性的倒錯)の夫との性生活」「同-(8)性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力」「同-(9)性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁・殺傷事件」の事件研究、分析研究でとり扱っています。

  では、MNPD的で、サイコパスに類する人がおこなうDV行為について、事例89-90(分析研究4-5)で見ていきたいと思います。

-事例89(DV54、分析研究4)-
※ 現在、掲載にあたり、本人の承認待ちです。

 この事例89は、…。
*-66 「Ⅰ-7-(6)結婚詐欺師の言動・行動特性」で詳しく説明しています。
*-67 「Ⅰ-8-(2)学習された無力感、囚人実験」で詳しく説明しています。
*-68 「Ⅰ-3.DVとは、どのような暴力をいうのか」、「Ⅰ-5.DVでない暴力、DVそのものの暴力」、「Ⅰ-6.加害者属性による判断。暴力の後遺症によるDV」において詳しく説明しています。

 …。
  このときのUの心理こそが、「Ⅰ-7-(3)ミルグラムのアイヒマン実験」に記している「権威者に服従した状態」であり、連合赤軍山岳ベースリンチ事件の森恒夫や永田洋子、尼崎連続変死事件の角田美代子、そして、北九州連続監禁殺人事件の松永太の意に添い、用済みになった家族を殺害していったふるまいと同じであることがわかります。
つまり、ターゲットを仲間で長時間にわたり糾弾していくふるまいと同じです。
その「糾弾」に加わらなければならない状況は、命令に従わなかったり、逆らったりしたときには、矛先は自分に向けられるわけですから、恐怖に心が支配されている状況下にあってはじめて成り立つものです。
この事例89(分析研究4)のケースでは、集団の中で疑心暗鬼になる、猜疑心いっぱいになる心理を巧みに操られるという要素はなく、Z一個人からの恐怖によって、Uの母親を「糾弾」したり、悪くいったりしなければならなくなっていたことになります。
  したがって、…。
  Uは、『私がそこから察し、先回りし、Zの意に添うように行動し、建前として「私が選んだ」、「私が決めた」となっていなければなりませんでした。』と述べていますが、これは、「Ⅰ-8-(2)学習された無力感、囚人実験」でとりあげている「北九州連続監禁殺人事件」の主犯の松永が、犯行に際して指示をほとんどだしていないのと同じ状況です。
「口のきき方が悪い」とか、「態度が悪い」といった些細な理由で誰かひとりに難癖をつけ、「どうすべきか家族で話し合え」と下駄を預けるのです。
この下駄を預けるとは、結論までいわず、相手に決めさせることです。
このことを「結論保留」「結果保留」といい、「こうしろ」と命じないやり口こそ、マインドコントロール手法なのです*-69。
したがって、Uの場合には、群像心理・集団心理ではなく、ひとりの夫のふるまいに翻弄され、マインドコントロールされていることから、暴力による恐怖は相当なものであったことになります。
連合赤軍山岳ベースリンチ事件や伊予市17歳少女殺人事件、尼崎連続変死事件、北九州連続監禁殺人事件のように、「自分も加害者にならなければ、ひどい思いをする」とUの母親を糾弾し、退職に追い込んでいることから、このときのUの心理状態は、残忍な手段による「暴力」や「死」の目撃者や被害者となり情動麻痺・感覚鈍麻が起きていたと考えられます。
つまり、Uは、「生きているという感覚(実感)が失われている状態」といえます。
そして、Uは、『Zの「職場への嫌がらせの方が困るだろう。直接、危害を加えるよりもそういうやり方がよさそうだ」といった脅しのことばが心底怖かった。私が「別れる」などと口にしたら、職場への嫌がらせやお金の要求をされたりすると思いました。私は、ただそのことを怖れるようになり、増々自分の考えや意見を口にすることができなくなっていきました。そして、私はともかくZの気がすむまでひたすら話しに賛同して、…』と述べているように、Uは、Zに「職場への嫌がらせの方が…」と脅されています。
Uにとっての職場とは、・・であり、・・としてのキャリアそのものです。
嫌がらせは、Uへの誹謗中傷ということになることから、Uがこれまで築いてきたキャリア、信頼、信用が土台からすべて奪われる怖れがあるということです。
Uが失うものに比べ、なにも失うものなどないZとでは、最初から勝負がついています。
あとは怒りをかわないように、意に添うようにふるまうしかなかったのです。
まさしく、Uは、Zに弱み(急所)につけ込まれ、ハイエナのように食い尽くされていったのです。
  意に反することを口にしたりすることができなくされているUは、…。
  …。しかし、Uはここで、「私だけで対処できなくなり、他人にも迷惑がかかる。私だけががまんすればいいという問題ではない。」と思うことができました。
とはいっても、Uは、離婚調停がおこなわれている中で、「なぜ自分はZに従うしかなかったのか」については、まだ整理ができていませんでした。
  その原因のひとつは、上記のことを認識できていなかったことに加え、自分が購入した家をでて実家に身を寄せ、離婚調停を申立てる前に、弁護士に依頼し、事実経過を整理することなく、保護命令の申立てをおこなっていたことです。
  Uが、地方裁判所に保護命令を申立てたのは、妻が家に帰ってこなくて、ローンを組ませて金をえようとしていた予定(目論見)がくるったZが、Uの勤務先の病院の駐車場で待ち伏せをし、車に乗り込んだUに対し、窓を叩き続け「早く窓を開けて!」、「開けないなら窓を割ればいいの?」と声を荒げるなどの行為を働いたストーカー事件を踏まえてのことでした。
このとき、Uは警察を呼び、駆けつけた警察官がZを静止しました。
警察官の車を発車するようとの指示に従い、Uが車を発車させると、Zは車の下部に足を突っ込み、「車輪で足をひかれた!」と騒ぎはじめました。
警察官がその状況をすべて見ていたことから、が故意におこなったものととり合わず、Zを静止することになりました。
Uが警察に通報せず、警察官が駆けつけていない中で、同様の事態が起き、その後、Zが、診断書を添えて、「Uの運転する車で、足をひかれた」と警察署に被害を訴えたときには、Uは、傷害、あるいは、殺人未遂事件でとり調べを受け、場合によっては、逮捕(身柄を拘束)される可能性もあったわけです。
Uが、躊躇せず、警察に通報し、警察官が駆けつけていたことが幸いしたことになります。
その後、Uは警察署に行き、「つきまとい行為」に対する被害届を提出します。
そこで、対応した警察官から「警察が動きやすいように、裁判所から保護命令をだしてもらうように。」と勧められました。
Uは、警察官の勧めに従い、直ぐに、弁護士に依頼し、保護命令を地方裁判所に申立てました。
このとき、Uは、Zが「危険な人物である」ことを示すために、4ヶ月前に、「車の中で激怒したZに、ストールで首を絞められた。」ことを軸に申立てをおこなっています。
そして、保護命令が発令され、Zは、Uへの接近を禁止されることになりました。
続けてUは、家庭裁判所に離婚調停の申立てをし、調停に臨むことになったわけです。
このときの離婚理由は、「婚姻破綻の原因は、ZのDVにある」でしたが、ZのDV行為は、先の保護命令を申立てたときに準じ、どのような状況でDV行為がおこなわれたのかを説明するとき、「これ以上、金銭の工面に応じられない(躊躇したを含む)との言動がきっかけとなった」と記載されました。
そのため、…、高学歴で、…という職業についているUが、高校中退で、傷害の前科があり、上半身に刺青が入っているZと、なぜ結婚することになったのかなど、誰もが抱く疑問に応えることができていませんでした。
  問題は、Uがその必要性を理解していなかったことでした。
  なぜなら、Uは、「…だから、そのことは問題ではない」と自分自身を納得させてきた(いいきかせてきた)からです。
  この自分自身を納得させるUの考え、言動は、Zを交際相手、結婚相手として選択した判断は間違っていないと、自身の行為を正当化するうえで必要なことでした。
この自身の心が傷つかないための考え方は、回避行動に他なりません。
この認知は、Uの心に深く刻み込まれていました。
そのため、依頼している弁護士も、このDV事件の全容を把握できずにいました。
  つまり、Uは、無意識下で、絶対服従を誓う支配下にある生活を受け入れることがあまりにもツラいことから、回避行動として、自分が納得できる理由をつくりだし、記憶を置き換えることで、Zとの結婚生活を続けることができたと考えることができます。
このことは、一方で、恐怖に対して鈍感(感覚鈍麻)にさせ、正常な判断力を封じ込めてしまうことになりました。それは、…。
  …。なんの根拠もないほとんどが与太話、嘘に塗り固められた話だということを、聡明な・・のUは、真実かどうかを考えるまでもなく、そのまま真実と受け入れてしまっていたのです。
  この事実が示しているのは、第1に、結婚前にUは、既に、誰でもおかしい、嘘とわかるようなことさえ判断できない精神状態に追い込まれていたということです。
  第2に、結婚後、Zの与太話、嘘で塗り固められた話を改めて疑うことは、Zと結婚したUの判断そのものを、自分自身で否定し、批判することになることから、過去の言動に思いを巡らす、つまり、考えることから逃げ続けてきた(回避)ということです。
このことは、結婚を前にしたUは、Zの話を聞くときには、ただその場をやり過ごす、聞き流すのが基本的思考パターンに陥っていたことを意味します。
そして、Uがなにかいっても無駄、なにも変わらないと無力さを散々味わされ、なにも考えないと無気力になったところを、Zは巧みについてきたということです。
そのため、Uは、Zの求めるままに、…することになったのです。
  …、顕在意識の中に“恐怖心”を植えつけ、「なにか怒らせることをしてしまったらなにをされるかわからない、どんなひどいことをされるかわからない」、「俺にたてついたら、どうなるかわかっているだろうな!」とイメージを描かせることができれば、目的は達せられるのです。
つまり、Uは、Zにより、「いうことをきかなかったら、どんな思いをするかわかっているな!」と“暗黙の了解”を植えつけられるのです。
この暗黙の了解は、逆らうこと、拒むこと、逃げることに要するエネルギーを奪い去り、ただ従順に従うこと意味します。
多くのDV被害者がそうであるように、Uは、交際以降ずっと、いつZの琴線に触れ、キレて感情を爆発させ、大声で怒鳴りつけられるかわからず、Zの顔色を常にうかがい、機嫌を損ねないようにビクビク怯えながら生活をしなければならない状況であったわけです。
恐怖に支配され絶対服従を余儀なくされるUの日常は、Zの意に反した言動やふるまいを避け、ひたすら従順になって尽くす(行動の回避)ことを求められていたことになります。
意に反することがなく、従順に尽くすように徹底的に叩き込まれる、つまり、しつけられるのが、DVです。
  そして、暴力のある環境に順応して生き延びようとするのが、人間の性(本能)です。
  もうひとつの原因は、多くのDV被害者に共通するものです。
先に記しているとおり、Uは、家をでて13日経ったGW明け、Uが仕事を終え、勤務先の…の駐車場で車に乗ったところに、Zがきて「早く窓を開けて!」と車の窓を叩き続けられたとき、直ぐに警察に通報し、警察官が駆けつけたことから、無事に車を走らせることができました。
それは、保護命令を申立てるきっかけとなる恐怖体験でした。
その後、Uは、家をでてから恐怖のあまり仕事以外では家から一歩のでることができず、外から見られるのではないかと部屋のカーテンを遮光のものに替えています。
恐怖と不安感から神経が昂り、寝ても直ぐに目が醒める断眠に悩まされる日々でした。
5ヶ月経った9月、Uの弟が家に荷物を持ってきてくれたときに、インターホンの音に「Zだったらどうしよう」との思いが脳裏を駆け巡った瞬間、Uは激しい動悸に襲われ、頭は真っ白になり、発汗し顔面蒼白となり、激しい頭痛に襲われることになりました。
翌日、Uの弟に「本当に大丈夫なのか。顔色が異常だった。」と指摘されたほどでした。
この状況は、家をでた直後に感じている恐怖、少し落ち着きをとり戻したころにあるできごとをきっかけとして強く感じる恐怖をよく表しています。
つまり、家をでた直後にあとASD(急性ストレス障害)を発症し、その状態が1-2ヶ月継続し、さらに、3-4ヶ月後に突然強い症状にみられるのがPTSD(心的外傷後ストレス障害)の典型的な症状です。
PTSDの厄介なところは、数年、数十年経ってもあるきっかけにより突然症状が表れることがあるということです。
晩発性PTSDと呼ばれる症状です。
PTSDの症状が強く表れている状況は、日常生活を成り立たせるために、人生で最も凄惨でつらい日々を「こんなつらい生活はなかったことにしてしまいたい」と封印していることをいまします。
つまり、“なにをされてきたのか”“どういう状況におかれてきたのか”を思いだしたり、口にしたりすることを避ける(回避)ように、強く心が働いている状況です。
この回避行動については、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」でとりあげている事例116(分析研究11)の「快楽刺激とトラウマティック・ボンディング」の中で、次のように記しています。
『事例116のケースで、DV被害を正確に把握することが難しかったのも、DV被害と向き合うことは、快楽刺激を優先する脳の働きとは“真逆”の働きを求める行為となることから、脳は「ツラい苦しいからもう止めろ!」と指令をだし続けるからです。
しかも、自分の安全も危険も加害者である夫に握られている状況の中では、被害者は、加害者の手の中にある自分を安全にする力にしがみついていこうとする「トラウマティック・ボンディング」の状況に陥りやすいのです。』と記しているとおり、多くのDV被害者にとって避けようのないことといえます。
そして、この事例89(分析研究4)のケースにおいても、離婚調停を不調にし、裁判に移行したあと、「陳述書(現在の心情と現在に至る事実経過)」によって、「誰もが抱く疑問に応える(行間を埋める)」ことが必要になりました。
*-69 「マインドコントロール手法」については、「Ⅰ-8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で詳述しています。


-事例90(DV55、分析研究5)-
※ 現在、掲載にあたり、本人の承認待ちです。

Xは、「束縛と愛情は違う」ということが理解できず、「僕だけのもの」と絶対服従させ、支配しようと試みていることがわかります。
アタッチメントを損ない、自己と他者との分離ができずにいる状態、つまり、精神的に大人になりきれていません。
その支配欲・独占欲は異常に強いものであることから、強く抑圧されて育っていることがうかがわれます。
乳幼児にとって愛着対象の母親(養育者)は、“僕(私)だけの絶対的な存在”です。
この事例90(分析研究5)のケースは、父親によるいき過ぎた教育(教育的虐待)と、夫(父親)の思いを支える妻(母親)からの過干渉・過保護という支配のための暴力を受け、日本有数の進学校に進学したXが、アタッチメントの再獲得を求め、“僕だけのもの絶対に離さない”と絶対服従を強く求めたものです。
Xが、日本有数の進学校に進学した背景にあったのは、絶対服従を強いる親の要求に対し、従順に応えることでした。
つまり、親の期待に応えることが、親の愛情を得ること、つまり、承認欲求を満たすことだったわけです。
XのDV行為の背景には、「俺は、親の愛に応えてきた=絶対服従で、親の期待に応えてきた=親は、僕に愛情を示すために絶対服従を求めてきた。だから、お前が俺の愛に応えることは、俺に絶対服従であることだ=もし、お前が、俺の期待に応えることができなければ、お前が、俺に絶対服従するように、しつけ直しをする=それは、俺のお前の愛情を示すものだ」というXの考え方があります。
異常なほどの執着、激しい身体的な暴行、何時間にも及ぶことばの暴力は、“僕(俺)”がこんなに妻のことを思って頑張っているのだから、こんなに妻のことを愛しているのにといった“一人称の理屈(自分本位の考え)”によるものです。
その自分本位の考えにもとづいて、「だから、お前は、俺に尽くすのがあたり前。それなのにお前はどうして俺の気持ちに応えない!」と報われない激しい怒りをぶつけるものです。
力づくで支配(絶対服従)を勝ちとり、安心したい行為、つまり、常に不安に怯えている状態です。
不安が猜疑心を生み、恐怖が暴力を生んでいるわけです。
こうした歪んだ思考・考え方の癖は、これ以外の愛情の示し方を見たり、聞いたり、接してこなかったことを意味しています。
一般論として、最初の恋愛が16-18歳だと仮定すると、ここまで(自分と出会うまで)の18-20年、妻は自分の知らない恋愛をし、生活をし、人間関係をつくってきたことになります。
そうした積み重ねてきた体験もまたその人となりなのですが、アタッチメントを損ない、幼児とかわらず「自(己)」と「他(者)」の境界線があやふやなままである(一人称しか獲得できていない)人にとっては、交際相手や妻=自分の一部であるわけですから、妻が自分と出会うまで歩んで人生のついてもコントロールしなければならないことになります。
しかし、過去をコントロールすることはできないので、妻がどう過ごしてきたのか、どう考えてきたのかなど詳細にしろうとします。
当然、それは、過去の交際相手に及び、その交際相手とどこで、どう過ごしてきたのかは必要不可欠な情報です。
特に、愛の営みとしてのセックスに対しては、完全に把握しておきたいことなのです。
しかし、過去を知ったことで、過去の交際相手と過ごしていた時間、過去の交際相手との愛の営みとしてのセックスよりも自分と過ごしている時間を楽しみ喜びに満ちているのか、セックスの時間に満足しているのかに異常に囚われ、頭の中を支配してしまうことになります。
なぜなら、アタッチメントを損なっていると、人を信じることを身につけていないので、なにを信じていいのかわからないと疑心暗鬼に向かわせるからです。
過去をコントロールできない焦燥感は、不安感や恐怖心を目覚めさせることになります。
なぜ、これほどまでに自分は苦しまなければならないのか、葛藤していくのです。
その葛藤をうち消すためには、妻の恋愛観、仕事観、人生観をすべて否定し、俺の価値観を教え込まなければならなくなる(学び直させなければならなくなる、しつけ直さなければならなくなる)のです。
自分の価値観を教え込むには、俺の考えに異を唱えず、素直に従うこと、つまり、絶対服従が必要不可欠ということになります。
「Ⅰ-7-(2)学習された無力感、囚人実験」の中で、『マインドコントロールや洗脳するには、マインドコントロールや洗脳を仕掛ける者たちだけに都合のいい新たな価値観を植えつける必要があります。
そのためには、①いままで培ってきた価値観や思考パターンを徹底的に破壊(解凍)することが必要不可欠です。その準備となるのが、徹底的に心身を弱らせることです。睡眠をさせず、慢性的な睡眠不足状態にし、食事を制限し、栄養不足・飢餓状態に追い込んでいくことで、考えることを奪い、プライバシーを奪い、苦痛を与え続けます。こうした極限状態におくことで、いままでの価値観を叩き壊す土台固めをしていきます。』と記しているとおり、Xは、Yがいままで培ってきた価値観や思考パターンを徹底的に破壊するために、凄惨な暴行による恐怖を与えたのです。
Xの価値観を教え込むには、Yに絶対服従を誓わせなければなりません。
そのためには、「わたしのここが悪い。これからは、わたしはこうしていきます」と意図的に思い込まれたメッセージを声高々に宣言(自己告発)させ、心にとり込ませ、自己変革をさせていくプロセスが必要不可欠になってきます。
それが、母親と同一視した幼稚性さと性奴隷化を試みる支配欲征服欲の高さが共存している「毎日やることリスト」でした。
この「毎日やることリスト」は、職場でパワーハラスメントの加害者が、できなかったこと(期待通りの成果をあげられなかったこと)、失敗・ミスをしたことに対し激しく叱責し、懲罰的に「反省文」を書かせる行為と同じものです。
Xは自身の葛藤を打ち消すために、Yがいままで培ってきた価値観や思考パターンを徹底的には合いするために、凄惨な暴行による恐怖を与えなければなりませんでした。
一方で、Xは、Yの“これまで”の人生もすべてコントロールしようと、過去の交際相手との性行為について詳細に話させるように誘導していくプロセスにサディスティックな性的興奮が抑えられず、レイプするように犯します。
Xにとって、激しく嫉妬心を煽られ葛藤されつつも、サディスティックな征服欲が満たされる“至福のとき”ということになります。

  以上のように、暴言や暴行がある一定期間継続されるものであっても、本来の意味としてのDVの場合もあるし、DVとはいえない場合もあり、どちらが加害者なのか、被害者なのか判断が難しい場合もあるということです。
  同じ近しい者に対するDV行為であっても、①脳の発達段階として、感情をコントロールする脳機能を身につけることができなかった者による暴力、②サイコパス的な特質を持つ者(愛着障害を含む)による支配性の高い暴力、③自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群、境界性人格障害(ボーダーライン)を抱える者の“障害”の特性が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力があり、さらに、④紛争地や震災地で、DVや児童虐待、レイプが増加するように、PTSDの症状(攻撃防御の機能不全)に端を発した暴力があり、それだけでなく、⑤交通事故などの後遺症の脳高次機能障害、レビー小体型認知症やレム睡眠行動障害などの疾病を起因とする暴力、⑥薬物やアルコールだけでなく、農薬、ダイオキシンやPCBなどの汚染された化学物質を起因とする暴力があるわけです。
④⑤⑥については、暴力行為にフォーカスすると、DV行為に該当するものの、「本来、対等な関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使する」というDVの本質にフォーカスすると、DVにそぐわない暴力ということになります。
そして、DV加害者の属性という観点では、暴力行為の背景となるサイコパス(反社会性)、境界性、自己愛性といった人格障害、ADHD、そして、一部のアスペルガー症候群の発症には、「暴力のある家庭環境で育ってきている」という“成育歴”が関係していることを理解することが重要です。
特に、ADHDやアスペルガー症候群を抱えている者が、すべて加害者になるわけでなく、「暴力のある家庭環境が育ってきている」という“2次障害”が加害者の属性を生みだして視点が不可欠です。
つまり、「乳幼児期に、暴力のある家庭環境に順応するために身につけてしまった間違った考え方の癖(認知の歪み)や、暴力でダメージを受けた障害の特性にもとづく思考・行動パターン」が、交際相手や配偶者に対し、パワー(力)を行使して支配したり、逆に、パワー(力)を行使されて支配されたりすることになるということです。
また、④については、阪神淡路大震災や東日本大震災のように、事故や火災、地震、津波などの単回性トラウマ体験でPTSDを発症し、喪失感や無力感を抱えた人が、その哀しみや苦しさを吐きださず、内に秘め続けると衝動的な暴力欲求をコントロールできなくなるケースと、想像を絶する緊張と恐怖にさらされ続ける戦地や紛争地から帰還した兵士が重篤なPTSDを発症し、感情のコントロールが効かなくなり(攻撃防御の機能不全)、衝動的な暴力行為を繰り返すケースがあります。
また、同じ慢性反復的な恐怖体験であっても、④の後者では、「PTSDを発症し、感情のコントロールが効かなくなり(攻撃防御の機能不全)衝動的な暴力行為を繰り返す」のに対し、②のサイコパス(愛着障害を含む)では、「本来、対等な関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使する」という「DVの本質」そのものであり、③の境界性人格障害(ボーダーライン)と自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群では、“障害”の特性が結果として暴力行為となるというように、暴力という行為に及ぶ起因は違います。
例えば、家事のやり方や家計簿の書き方などこと細かなことに口出しをし、非難・批判したり、侮蔑したりすることばの暴力(精神的暴力)が、DV行為の主であるときには、「こういうやり方・進め方でなければならない」という“強いこだわり”、つまり、アスペルガー症候群などの“障害の特性”が背景にあり、自分の考えや意見を口にすることを許さず、激しく人格を否定し、非難し、侮蔑し、卑下することばを浴びせ続け、徹底的に叩きのめす(精神的暴力)など、DV行為の主が“絶対服従を誓わせる”ときには、サイコパス(自己愛性の特性を併せ持つ反社会性人格障害)が背景にあると考えることができます。
DV被害者にとっては、同じ精神的暴力であっても、加害行為の背景は異なることがあるということです。

このことは、同時に、④の前者のケース、後者のケース、そして、①②③のケースで、被害者の暴力行為の感じ方や認識のあり方が違ってくることを意味します。
慢性反復的(日常的)な暴力被害であっても、乳幼児期に親(養育者)から虐待を受けたケース、交際相手や配偶者からDVを受けたケース、そして、虐待体験のある者が、再び、交際相手や配偶者から暴力被害を受けるケースで、被害者の暴力行為の感じ方や認識のあり方は違ってきます。
そして、乳幼児期に親(養育者)から虐待を受けたケース(機能不全家庭で、不適切な養育を受けた)では、被害者の特性を踏まえて「発達性トラウマ症候群」、「被虐待症候群」、総称としての「アダルトチルドレン(AC)」と呼んだり、被害者を女性に特定し、交際相手や配偶者からのDVを受けたケースでは、被害者の特性や傾向を「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)」と呼んだり、アスペルガー症候群を抱える男性を配偶者としている妻が、陥りやすい傾向を「カサンドラ症候群」と呼んだりするなど、どの立ち位置で、被害者の抱える苦悩や葛藤、生き難さ、うつ症状やパニックアタック(パニック発作)を捉えるかによって違ってきます。
加害行為に及ぶ者の背景になにがあるのかという見極めを誤ることは、①別れを切りだしたことがきっかけとなるストーカーリスクの判断、②加害者の暴力を断ち切るための一時保護や保護命令を求める判断は有効かどうかの判断、③加療を要する傷害を負い、刑事事件として立件をする判断、④暴力行為を認めないなど、話し合いで離婚できず、「婚姻破綻の原因はDVにある」として離婚調停を申立てる判断などの「DV対策」に対する適切な対応を誤ることに通じます。
また同時に、慢性反復的(日常的)な暴力被害を受けている者の背景になにがあるのかという見極めを誤ることは、⑤暴力行為で傷つき、一方で、暴力のある環境に順応するために身につけてしまった考え方の癖(認知の歪み)を抱える被害者に対する適切な対応を誤ることに通じるものです。
そして、この見極めと対応の誤りは、ときに、暴力のある家庭環境での生活を余儀なくされる子ども(面前DV=精神的虐待被害下にある子ども)の早期発見・早期支援の障害となります。暴力被害を受けている者の多くが、「いかなる理由があっても、配偶者間に暴力があれば、それは同時に、子どもにとって精神的虐待を与えている」という事実を認識していないわけです。
このことも、慢性反復的(日常的)な暴力被害を受けている被害者の背景にあるもの、つまり、どのような家庭環境で育ってきたのかという成育歴が影響しています。
また、近しい人による支えや医療機関による適切な治療によって改善できる機会を逸したり、効果が期待できない者に「DV加害者更生プログラムを受ければ、改善できるかもしれない」と期待を抱かせたりすることになりますので、個々の状況を正確に見極めることが重要です。


(5) パラノイア(偏執病、被愛妄想)
「極端に疑い深く」、「嫉妬心の強い」性格で、他人の動機を「悪意あるものと解釈」し、「自分が迫害されている」と感じ、何かがあると「直ぐに感情を爆発」させる特徴があるのが「妄想性人格障害」です。
妄想性人格障害は、自分の周りの人々に、自分の「超自我(自分の自由な思いに対して“そんなことしてはダメだ”という自分の<内なる声>のもとになる心の部分)」のイメージを映し込み、「周囲が自分を責めている」、「自分は迫害されている」と思い込みます。
そのため、その迫害していると感じる人に、激しい攻撃をしかけるわけです。
妄想性人格障害が示す特徴は、親や周囲から「責められ」、「あら探し」ばかりされることが多かったなど、小さいころの養育や教育が大きく関係しています。
信じていた人に裏切られたり、虐げられたり、仲間外れにされたりするなどのトラウマ体験も深くかかわっています。
その結果、「人は自分の欠点ばかりをほじくり返して、攻撃してくるもの」という思い込みがつくられていきます。
また、その経過、予後が悪いケースでは、「統合失調症」や「パラノイア」、「気分障害(うつ病など)」へ発展することがあります。
 「パラノイア(偏執病、被愛妄想)」とは、精神病のひとつで、体系だった妄想を抱くものをさします。
自らを特殊な人間であると信じるとか、「妻が浮気している」、「隣人に攻撃を受けている」などといった異常な妄想に囚われているか、強い妄想を抱いているという以外では、人格的に常人とたいして変わらないところが特徴です。
主な症状は、①挫折・侮辱・拒絶に過剰に反応し、他人への根強い猜疑心を示し、一方で、自分は特別で、常に何者かに監視されている要注意人物と認識する「被害妄想」、②超人、超越者、絶対者という存在へと発展させる「誇大妄想」、③誹謗中傷など、弱肉強食というような考えで、弱者に対して攻撃的になる「激しい攻撃性」、④自分が世界の中心にある絶対者な存在であるで思い込む「自己中心的性格(ナルシシズム)」、⑤支配欲は多数から100%、つまり、すべての人に向かうという独裁者的な妄想を伴う「異常な支配欲」、⑥悪魔的なものに美しさを見いだす「悪魔主義(サタニズム)」に示されます。
また、パラノイア、あるいは、妄想性人格障害は、「Ⅰ-6-(4)ストーカー行為。復縁を求めるものか、一方的な思慕か」の中で「妄想(パラノイア)系ストーカーの特徴」と示しているように、ストーカー行為に及ぶ可能性があります。

-事例91(DV56・身体的暴力8、精神的暴力11)-
(身体的暴力、殴る。精神的暴力)
私が寝ていると、夫がいきなり私のことを殴りました。
私が眼を開け、夫を見ると、「夢で、他の男とお前が寝とる夢を見た!」、「夢で、お前が他の男と浮気して別れるといった夢を見た!」いい、続けて、「それが現実なら、相手はボコボコだわな。タダじゃすまんわな!」と怒鳴りつけました。

-事例92(DV57・身体的暴力9)-
(詮索干渉。身体的暴力、首を絞める)
パソコンを持って部屋に入ってきたJは、私にパソコンの画面を見るように促しました。
そのパソコンの画面には、夫と知り合う前につき合っていた彼のSNSがでていました*1。
Jは「私は触らないから、君が自分で見せてよ。」と命じ、私がクリックすると、彼のSNSに書き込んだ記事が幾つもでてきました*2。
そして、Jは怒りを爆発させました。
Jは、最初に居間にあるペンたてからペン(ボールペンか鉛筆)とり、自分の胸に向けて突刺す素振りを見せました*3。
私は、必死にJの手を押さえて止めました。
少し落ちついたとき、再び、Jは「殺してやる! 死にたい。」と散々口にしたあと、「疲れた、眠りたい。一緒に寝よう。」といってきました。
私は怖ろしかったけれども、断ることはできず、Jに添い寝をしました。
すると、Jは「君の首をタオルで締めるからさ、少しの間でいいから、眠っててくれない? 20分くらいでいいから。」といい、Jは、私の首をタオルで絞めました*4。
私は、「助けて!」と泣きながら叫び、必死でふりほどこうとしました。
やっと玄関のドアのところまで辿りつくと、Jは、「静かにして! 誰かに聞こえたら、殺すよ!」といいながら、私の髪をひっぱり*5、居間にひきずっていき*6、鍵をかけ、部屋に閉じ込めました*7。
*1 詮索干渉、束縛(支配)の典型的なふるまいです。アタッチメントを損なっている人は、人を信じることができないことから、強い不安感を抱え、その不安感が疑心暗鬼に陥らせたり、強迫観念を導いたりすることになります。
交際相手の過去の交際歴などをしらみつぶしに調べて、知った事実に嫉妬するだけではなく、自分への裏切りと受けとり、激しい憎しみに昇華させてしまうのが特徴です。
*2 マインドコントロール下におくための「自己告白」させるふるまいです。
*3 自傷、あるいは、自殺を伺わせる行為で、俺を裏切ったら「俺は死ぬよ」と脅す意味と、必死に止めてもらうことで、自己の存在を高める(承認欲求を満たす)意味があります。
*4 身体的暴力(暴行)であり、殺人未遂も問われかねない重篤な状況です。
*5.6 身体的暴力(暴行)です。
*7 監禁行為です。
* デートDVやDVでは、別れ話に端を発して殺害したあとに、自分も自殺する事件がおこることがありますが、当事例には、そのリスクの高さが表れています。
過酷な虐待体験をしてきた夫Jは、“認知の歪み”が人格に及び、その状態が、既に破綻していると考えられます。
その破綻の原因は、躁うつ病、統合失調症(精神分裂病)などの精神疾患の発症にある可能性もあります。


-事例93(DV58・社会的隔離2)-
(詮索干渉、束縛。ことばの暴力、非難)
 夫は、私が家にいるときでも、友人の家に遊びに行っているときでも、しょっちゅう電話をかけてきたり、メールを送ってきたりしました。
子どもの小学校の同級生でママ友の家に、子どもと一緒に遊びに行ったときにも、夫は、いいがかりをふっかけ、ケンカを売ってきているような内容のメールが何度も届きます。
いずれにしても、夫が不機嫌でイライラし、怒っていることがわかります。
何度も送られてくるメールが気になるだけでなく、帰宅したとき、また大声で怒鳴りつけられると不安になり、全然楽しめることができません。
  また、私は、子どもが仲よくしている友人の母親Kのことを尊敬していました。
  私が、その友人の母親のことをほめる内容の話をすると、夫は「Kさんのいうことはきいて、俺のいうことはきけないのか!」、「お前は、俺のいうことをきいていればいいんだ!」と大声で怒鳴りつけました。

-事例94(DV59・社会的隔離3)-
(詮索干渉・監視)
  私が、買い物にでかけたり、子どもの学校のPTA会合にでかけたりして、しばらくすると、夫から「いまどこにいるんだ!」、「なにをしているんだ!」、「何時に帰ってくるんだ!」と何度も電話がかかってきます*1。
私が、話し中ででないと、「楽しく話し中*2、申し訳ないが・・を買ってきてくれ。」と夫からメールが入っています。
30分後、私が、急いで家に帰ると、夫は、「買い物に何時間かかっているの?」とネチネチ非難し、責めてきます*3。
部屋で充電していた携帯電話を開いたところに、まるで見張っていたかのようなタイミングで、突然、夫が入ってきました。
そして、夫は「子どものことを見ないで携帯かよ。子どもたちもママはいつも携帯しているといっているぞ!」と声を荒げ、非難してきました*4。
夫が仕事に行っている間、夫は、「ママがどうしていたのか」を常に子どもたち確認しています*5。
私は、夫の目となり、耳となっている子どもたちに監視されて、いまの生活は息がつまりそうです。
*1.2.3.4.5 詮索干渉・監視による束縛(支配)です。

-事例95(DV60・社会的隔離4)-
(詮索干渉・監視。経済的暴力)
夫Tは、私を「どうせお前なんか」と侮蔑し*1、「お前のいうことは間違っている」と否定し*2、「俺のいうことだけきいていればいい。正しいのは俺だ!」と絶対服従することを強いました*3。
Tは、私に「男性の連絡先をすべて消せ!」と命じ*4、女性の友だちであっても飲みに行くことを禁止し*5、「親ともかかわるな!」といい*6、社会的に隔離するようになりました。
食品や生活用品など以外の物を買いに行くときは、常にTが一緒でした*7。
服など欲しいと思うものがあれば、必ず、Tに「買っていい?」と伺いを立て、許可を得なければなりませんでした*8。
値段によっては、嫌な顔をされて買えなかったり、Tの趣味に合わせなければならなかったりして、自分好みの服を買わせてもらえないことがありました*9。
そして、私は買ったあと、Tになにをいわれるかが気になり、「買っていい?」と訊くことができず、買うのを躊躇ったり、買うのを諦めたりしました*10。
それだけでなく、Tは、美容院や友だちの結婚式など、私が一人ででかける用事のときには、必ずTが私の送迎をし*11、監視していました。
また、私が携帯電話を触っていると、Tは不機嫌になるので*12、友人や親にメールをすることもし難くなっていきました。
*1.2 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*3 精神的暴力です。「絶対服従」させるためには、暴力による恐怖を植えつける必要があります。
*4.5.6.9.11.12 詮索干渉、監視で、束縛(支配)行為です。
*8.10 「許可をえなければ、買いたいものが買えない」状況は、恐怖に縛られていることになります。そして、その状況が、夫の意に添うように、あるいは、機嫌を損ねないように、許可を得ることさえ諦める状況に至っていること、つまり、恐怖による支配がいっそう進んでいることを示しています。


-事例96(DV61、社会的隔離5)-
(詮索干渉。ことばの暴力、否定・非難・侮蔑・卑下)
同居をはじめた夫は、私のフェイスタイムやメッセージをチェックするようになりました。
夫は、「フェイスブックの友人の数がおかしい。」、「昨日より1人減ってる、増えてる。」、「この男はなに?」と執拗に詮索しました。
友人のブログにある私の写真を見つけると、「この男とも関係があるんでしょ!」と問い詰め、「君は一体何人と寝たの? この変態!!」とひどいことばで侮蔑し、否定しました*9。
そして、夫は「悔しい、どうしてそんなことしたの? どうして、私を待っててくれなかったの?」、「君の中はもう2人の男でメチャクチャだ。セックスも気持ちよくない。」と激しく非難し、否定し、侮蔑した*10。
夫は、妄想に支配されると、突然豹変し、いきなり怒りを爆発させます。
そのときの夫は、目が吊り上がり、黒目が小さく(白目の部分が多く)なり、普段ソフトで穏やかな口調が声のトーンまで変わります。


(6) 性的サディズムを示す刻印という“儀式”
人が嫌がるのを面白がって“つねる”とき、その背景には、高いサディスティックさが潜んでいます。
「つねる」というおこないを、暴力として認識できていないことが少なくありませんが、紛れまない「身体的暴力(暴行)」です。
しかも、「つねる」という行為により、鬱血痕(皮下出血痕)が表れているときには、「傷害を負った」ことになります。
そして、この「つねる」という行為は、児童虐待・DVの本質が表れています。
重要なことは、幼児期に、親からつねられたことのない人は、人をつねる行為に及ばないということです。
つまり、「つねる」という行為は、親からつねられて育った人にしかみられない特有のおこないということです。
幼児に、周りの子どもにつねるふるまいが見られるときには、その家庭では、日常的につねるという虐待がおこなわれているということになります。
ここでは、4つの「つねる」という行為について、説明していきたいと思います。
第1に、気持ちを伝えることばを持たない精神年齢の幼い人たちが、かまって欲しいと“気を惹く”ためにおこなう行為と、第2に、憎たらしい思いに満ちた“罰・こらしめ”としてのおこなう行為です。
これらの行為は、いずれも親から学んだものです。
親につねられた体験を自身の価値観とすり込み、自身の行動パターンとしていくわけです。
また、悪いことをした“罰・こらしめ”という意図を持っておこなわれきた行為は、「自分を罰する(自分を大切にしない)」という自傷行為(摂食障害、アルコールや薬物の濫用など)、自殺企図に通じることになります。
第3に、「つねる」行為に怒りや罰・こらしめという意図ではなく、親が嫌がる姿や格好を見て、嫌がる声を聞いて喜ぶ(快感にふける)ことを目的としておこなわれていた体験をしていると、同じように楽しむための行為として、つねることになります。
つまり、つねる行為が、サディスティックさと結びつく行為となるわけです。
DV被害者の方に、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を「ワークシート」に書き込むプロセスで、つねる、首を絞めるといった身体的な暴行について、よく「夫は笑みを浮かべながら、…」、「ふざけながら、…」との表現を伴って書き込まれます。
つまり、被害者は「楽しんでいる」「面白がっている」と解釈できているけれども、「いたぶっている」と“サディスティック性(残虐性)な行為”とは認識できていないわけです。
このことが、DV被害そのものを認識でき難くさせてしまうひとつの要因となっています。
同様に、子どもに「つねる」行為が認められるときに、つねられた子どもが「止めて!」と訴えても、止めようとしない子どもが、うっすらと笑みを浮かべていたり、逆に、まったく無表情であったりしたときには注意が必要です。
なぜなら、そのふるまいは、嫌がる姿を見て、嫌がる声をからかったり、ひやかしたり、嘲(あざけ)ったりして“悦んでいる”ことに他ならず、サディスティック性(残虐性)そのものの行為であると認識する必要があるからです。
さらに、思春期や青年期になると、第4に、交際相手に対し、つねって「痣をつける」という行為を及ぶことがあります。
この行為には、お前は「俺(私)のモノ」といった刻印の儀式、マーキングの意味があります。
「束縛=愛情の証」と間違った認識を持ちやすい中学生や高校生の“恋愛幻想*-70”下、つまり、デートDV下では、「痕を残す」ことは、暴行の証拠を残すことになること以上に、「俺(私)のモノ」として示すことを優先するという重要な意味があるわけです。
刻印を刻むマーキングとしての行為は、他に、a)キスマークを意図的につける行為、b)線香やたばこの火を押しつける行為に加え、c)刺青(タトゥー)を彫らせる行為、d)陰毛を剃ることを強いる行為も含まれます*-71。
b)の行為は、「根性焼き」と表現されますが、c)d)の行為とともに、命じた者に対し、その行為を持って、「絶対服従・忠誠を誓う」わけです。
こうした“俺のもの”であることを示すためのマーキングという行為の背景には、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっていることを起因とする不安感・恐怖心があります。
つまり、「見捨てられ不安」を抱えているのです。
キスマークをつけたり、タトゥーを彫らせたり、陰毛を剃らせたりするという刻印の儀式には、他の男を近づけないようにする、つまり、不安を払拭し、“安心”を手に入れようとする意図があるのです。
こうした独占欲、支配欲、征服欲を根底とする行為を、決して軽視してはならないのです。
なぜなら、“病的な嫉妬心”の表れでもあることから、執拗な詮索・干渉、束縛という行為を伴うからです。
そして、別れ話を切りだされたり、同居していた家をでていったりしたとき、執拗なつきまとい・ストーカー行為に及ぶ可能性が高いからです。
*-70 「恋愛幻想」については、「Ⅰ-7-(1)デートDVの特徴としての“恋愛幻想”」、「同-(3)2事例で検証するなぜ、別れられないのか?」」でとりあげている「事例116(分析研究11)」の中で詳しく説明しています。
*-71 これら④a)b)の行為は、暴行・傷害罪に該当し、④c)d)の行為は、強要罪に該当するもので、身体的な暴行ということになります。
つねられた痕、キスマークそのものは皮下出血をおこしているので、傷害罪に該当するものです。


-事例97(DV62・身体的暴力9・身体的虐待1)-
(身体的暴力、つねる・でこぴん。子どもへの身体的虐待)
いい合いになると、夫Wは、私を押し倒したり*1、引っ張ったり*2、突き飛ばしたりします*3。
それ以外にも、「お前が、嫌がるのが面白い。」といい、日常的に、私のでこに「でこぴん」をしたり*4、太腿や二の腕をつねったりします*5。
Wは、「でこぴん」をするように指をはじいて、「すごい音だろ」と見せつけてきます。
私がお風呂で体を洗ったりしていると、Wは、私の体にバチン!とでこぴんをし、痛がっている私を見て、「俺はドSだ!」といい、喜んでいます*6。
しかも、一度やりだすとしつこく、私の嫌がり方を見て、激怒することもあります。
Wは、子どもにもでこぴんをします*7。
翌朝になっても、子どものおでこは赤くなったままです。
  Wは、「俺の握力は凄いぞ!」といい、手を力いっぱい握ってきます*8。
私が「手が折れそう! 痛い!」というと、Wは「お前なんか簡単につぶせる。」と凄んで見せます。
*1.2.3.4.5.6.8 身体的暴力(暴行)です。
*7 子どもへの身体的虐待(暴行)です。赤くなるなど暴行痕が残っていることから、傷害行為となります。


-事例98(DV63・身体的暴力10)-
(身体的暴力、キスマークをつける)
夫Tは、交際時、隠せないような首の上の方にたくさんのキスマークをつけました*1。
私が「目立つから止めて」とお願いしても、Tは止めてくれませんでした。
また、Tは、私の足を固めて動けないようにして*1くすぐったり、動けないように顔を押えつけ*1、鼻を舐め回したりするなど、私が嫌がることを執拗におこないます。
Tは、私が「止めて!」と嫌がる姿を見て楽しんでいるようでした。
*1 キスマークは「吸引性皮下出血痕」といい、傷害行為です。

-事例99(DV64・性暴力11)-
(性暴力、望まない性行為の強要)
夫Nは、「自分の精子が気持ち悪くて、自分の精液も触れない。」という一方で、私にアナルセックスを強要しました*1。
また、Nは嫌がる私に、バイブなど大人の玩具を使いました*2。
そして、Nは「見ている所でおしっこして。」といいましたが、私にはできませんでした。
Nは、「世の中のほとんどの男はその方が好きなはずだ。」、「外人は剃るのが普通、」といい、私に陰毛を剃ることを強要しました*3。
Nは、居間でテレビを見ているときなど、しょっちゅう触って陰毛が剃られていることを確認してきました。
まるで、Nに監視されているようでした。
私が手を抜けいて処理を滞らせると、直ぐにNにバレてしまい、Nが不機嫌になり、数時間にわたり罵倒されることになるので、嫌でも頻繁に処理をしなければなりませんでした。
虚しく、苦痛で、屈辱的でした。
*1.2.3 性暴力です。


(7) パラフィリア(性的倒錯)の夫による性暴力
母親からの正しい愛情を受けることができなかった男の子の傾向のひとつが、「セックスをすることでしか愛情表現できない」ということです。
このとき、相手の意志を尊重することなく、自分本位に「愛情表現だから」という理屈で性行為に及ぶとき、その行為は、性暴力になるわけです。
DV加害者の中には、演技性人格障害者のように、セックスを巧みに操り、セックスにより心をコントロールする者、パラフィリア(性的倒錯)を抱えて、その性的嗜癖を強いる者がいる一方で、セックスをしたがらない者、セックスを求める妻を「汚らわしい」「淫乱」と非難する者もいます。
パラフィリア(性的倒錯)を抱える者の性的嗜癖(異常性癖)、つまり、放尿を見ようとしたり、見せたり、乳幼児の性器を執拗に触ったり、写真に撮ったりする行為の背景には、親の性行為を見せられるなどの性的虐待を受け、セックスとかかわるトラウマ体験が存在します。
そして、「成人した男性が、交際相手や配偶者(以上、女性)とセックスができない」ことは、より深刻な問題(心の闇)を抱えていることを示しています。
また、セックスレスの要因には、思春期にセックスに対する罪悪感や嫌悪感を抱え込むトラウマ体験をしている可能性があります。

-事例100(DV65・性暴力12)-
(性暴力、セックスの強要。精神的暴力、無責任で守られない約束)
私は、夫Dにとって、セックスだけの存在なのかもしれません。
私は、結婚前に卵巣嚢腫を患い、手術の日程が決まっていました。
最近、お腹が張る症状がでていたので、そのことをDに伝えていました。
長女Y(9歳)と次女A(6歳)が寝室、私は長男T(2歳)と別の部屋に寝ています。
その部屋に、Dがそぉ~と入ってきました。
Dが近づいてくる気配に、きたらどうしようと怖くて、怖くて仕方がありませんでした。お願いだからこないで、きたらどうしよう、と思っているとDの手が肩に触れてきました。
そして、マッサージをはじめました。
徐々にセックスを求める雰囲気になってきたので、私は、Dに「止めて!」「悪性だったらどうしようと思ったら、精神的に無理だから。」というと、Dは「お前は変わった、変わった!」と繰り返し非難し、「セックスに応じない!」と責めはじめました*1。
やがて、Dは「じゃ、生理はいつ?」といいだし、私が「先月が6月12日だったから7月8日-10日くらい。」と応えると、「それまではできないのかよ!」と声を荒げ、非難しました*2。
私が「それから検査だから、その後も・・。」と応えると、Dは「そんなの無理だ。そうなったら俺にも考えがある。離婚だ!*3」と大声で罵倒しはじめました*4。
そして、私は病院に行き、診察を受けました。
すると、卵巣嚢腫が再発していました。
検査から帰ると、Dは「医者は絶対安静といっていたか?」と訊いてきました。私が「いっていないよ。家のこととか全部しているじゃない」と応えると、Dは「ならしよう」とセックスを求めてきました*5。
私は、Dのいう絶対安静をそのままの意味と解釈し、「いっていない」と応えましたが、Dの意図する絶対安静は、「子宮が、膣が絶対安静か?」という意味だったようです。
私が「やめようよ。しばらくは怖いし、無理だよ。」と応えると、Dは「いつまでできないんだ! 半年か、1年か」と声を荒げ、挙句には、「他でやってきているから、応じられないんだろう!」と罵倒しました*6。
Dの罵倒は、まるで拷問のように連日3時間、4時間と明け方まで続くことになりました*7。
*1.5 性暴力です。
*2.4.6.7 ことばの暴力(精神的暴力)です。「*7」の深夜に何時間も及び否定し、非難し、侮蔑し、卑下することばを浴びせて責め立てる行為は、相手の睡眠を奪いこと、つまり、気力と思考を奪う行為で、意のままに人の心をコントロールするうえで重要なファクター(要素)です。
*3「~に応じなければ、…するぞ!」と交換条件を提示する“脅し”の行為です。


-事例101(DV66・性暴力13)-
(性暴力、性行為の強要)
夫Tは、私が寝ているときでも、無理やり起こして、性行為を強いました*1。
Tは頻繁に性行為を求め、オーラルセックスを強いました*2。
私が応じないと不機嫌になり、「してくれないのなら、他の人にやってもらうだけだ!」と脅しました。
また、Tは、私に尿を飲ませした*3。
尿を飲ませられるなんて、本当に嫌でした。
過去の人とのセックスの話では、Tはスカトロなどの行為をしているようでした。
*1.2.3 性暴力です。なお、「*3」は、身体的暴力(暴行)にも該当する行為です。

-事例102(DV67・性暴力14、性的虐待4)-
(性暴力、性行為の強要)
 夫Fは「俺はださなくちゃダメなんだ。」、「眠れないからだしてくれ。」、「外で大変な思いをして仕事しているだぞ!」といい、週に2回、私の思い如何にかかわらず性行為を強要しました*1。
長男が3歳になるまでは、Fは、長男が起きているときには、その横で性行為に及びました*2。
  また、Fは、私が嫌がっているのを知りながら、バイブレーションやローターなどの大人の玩具を使う*3ことや、排尿行為を見せる*4など、変態的行為を強いました。
*1.2.3.4 性暴力です。「*2」は、子どもに対する「性的虐待」行為です。

-事例103(DV68、性暴力15)-
(性暴力、望まない性行為の強要)
夫Jとの交際中、Jはクリスマスを私のアパートで過ごし、私に膝枕を求めTVをみていました。
すると、Jは、私に「スカートを脱ぐように。」といってきました。
私が断ると、Jは甘えたり、拗ねたりしながら、しつこくねだり続けました。
それでも応じずにいると、Jは不機嫌になり、苛立ってきたので、私は仕方なくスカートを脱ぎました*1。
Jは喜び、クリスマスプレゼントをくれました。
そして、Jは、私が嫌がっても無理に写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしました*2。
旅行先で、Jは、ミニスカートの女性を見つけ「たまらん」といい、ビデオでその女性のミニスカートのおしりと太ももをアップで隠し撮り*3し、家に帰ると撮影したビデオの編集をしていました。
私が「止めてほしい。」とお願いしても、Jは決して止めませんでした。
さらにJは、他の女性との性行為の状況をこと細かにリアルに話しました*4。
それだけでなく、Jは私の陰部にキュウリやナスを挿入して喜び*5、抜いたあとぽっかり開いた陰部を見て蔑むように大笑いしました*6。
私が「止めて欲しい。」といくら訴えても、Jは「お前がおかしい!」と非難するだけでした。
私は不愉快で、しかも、私に失礼じゃないかを思いましたが、私がもっとスタイルがよくで魅力的だったら、Jは、こういうことをしないのかなとも思ってしまっていました。
私が妊娠したのを機に結婚しました。
Jは妊娠中の私に性行為を強要し、私が断ると執拗に責めました。
私は責められるのが嫌で、仕方なく性行為に応じるしかありませんでした。
お腹が張ってきたり、痛みを感じたりして、Jに「止めてほしい。」と訴えても、Jは自身の欲求を満たすだけでした。
育児休業制度を利用し休職していた私は、出産6ヶ月後に職場に復帰しました。
私は、育児と仕事の両立でヘトヘトに疲れていても、Jは性行為を求めてきました*7。
私が断ると何時間も執拗に非難し責め、ときには、Jは「浮気されても仕方ないぞ。」とか、「風俗に行くぞ。」と脅してきました*8。
私はJの顔色を伺い、キレる気配を感じると性行為に応じるしかありませんでした。
私の嫌な気持ちがあまりにもJに通じないので、私は大事にされていないと感じていました。
しかも、Jの性行為があまりにも自分本位なことに興ざめしていましたが、私にとって重要だったのは、Jの機嫌が悪くならない、機嫌を損ねないことが重要でした。
一方で私は、Jに対してなにをいっても無駄だと諦めるようになっていました。
*1.2.3.4.5.6 性暴力であり、この夫Fは、パラフィリア(性的倒錯、性嗜好障害)を抱えている可能性が高いと考えられます。

-事例104(DV69、性暴力16)-
(性暴力、望まない性行為の強要)
夫Pは「俺はださなくちゃだめなんだ!」、「眠れないからだしてくれ。」、「外で大変な思いをして仕事をしているんだぞ!」といい、私(M。37歳)に性行為を強要してきました*1。
私が第1子を妊娠中、臨月まで週2回以上性行為を求め、出産後は産後6週間目から性行為を強要しました*2。
そして、Pは、私が嫌がっているのを知りながらおとなの玩具を使う*3こと、排尿行為を見せる*4ことなど、変態的行為を求めました。
性行為後、Pが「顔がいやいやだった。」、「手でする時間が短い。」、「上でする時間が短い。」と非難しました*5。
そして、その後の数日間にわたり、そのことに対するこらしめ・罰として無視する*6ことから、私はPの欲求を拒否することができませんでした。
私は、Pの性欲のはけ口されていると思いツラい日々でしたが、専業主婦の私は身体で稼いで生きていると受け入れるしかありませんでした。
Pは、休日に車で買い物に行くとき、遮断機が降り車を停車させると、私に無理やりキスを迫ってきたり*7、運転中、隣の私に「お前の局部や胸を触らせろ!」、「俺の局部を触っていろ!」、「手や口でしろ!」と命じてきたりしました*8。
私の実家やPの実家に帰省したとき、Pは、両親が同じ屋根のもとにいるにもかかわらず、必ず性行為を強要してきました*9。
また、子どもたちと一緒に入っている炬燵でも、Pは私の局部を触ってきたり、私にPの局部を触れたりすることを強要しました*10。
寛ぎの家族団欒の時間が、私にとっては、拷問としかいえない時間となっていました。
私は、Pに脅されて従わされる性行為、子どもたちや義父母、両親に知れるやも知れない状況下での性行為を強いられる度に、耐え切れない恥ずかしさに打ちのめされ、屈辱感と自尊心は打ち砕かれてきました。
Pは、2人の男の子が在宅しているときも、リビングで戦争映画の残虐な戦闘シーンや強姦シーンを大音響で見たり*11、リビングにアダルトビデオを並べたり*12、リビングに設置したパソコンにアダルト画面を写ったままに放置したり*13、アダルトグッズは寝室の机のひきだしに無造作に入れたりしていました*14。
そして、私が、Pの異常な性的欲求にこれ以上応じることができないと決意する事件がおきました。
それは、私とP、小学校6年生と1年生の2人の男の子とキャンプしに行ったときのことでした。
Pは、2人の男の子が後部座席にいるにもかかわらず、高速道路の車中で、私に「チャックをあけてしてくれ。」、「でないと運転しない。手を離すぞ!」と脅してきました*15。
私は、やむなく手を使ってPの欲望を満たしたものの、2人の男の子に気づかれたのではないかと思う恥ずかしさ、屈辱感でいっぱいになりました。
私が、Pの要求を拒むことができないのは、Pは気にいらないことがあったり、私が要求に応じない素振りをみせたりすると、家で飲酒をしていても、「車に乗って、運転してくるぞ! それでもいいのか?!」を脅す*16だけでなく、実際に、そのまま家をでて行くことがあった*17からです。
だから、本当に高速道路であっても、運転中に手を離しかねないとの恐怖にかられ、応じるしかありませんでした。
キャンプで疲れ果て、夜すぐに休みたくても、Pは、子どもたちが横に寝ているのテントの中で、性行為を求めてきました*18。
*1.2.3.4.5.6 性暴力であり、この夫Fは、パラフィリア(性的倒錯、性嗜好障害)を抱えている可能性が高いと考えられます。

-事例105(DV70・性暴力17)-
(性暴力、望まない性行為の強要)
 結婚式の準備に意外とお金がかかることがわかり、私は、夫Fに「明日ブライダルプランの毛ぞりに行くんだけど、1万5千円もするんだよ!」と伝えました。
すると、Fは「俺が剃ってやるよ。腋毛からマンコの毛まで全部つるつるに剃ってあげるよ。全身つるつるにして嘗め回してやりたい。興奮する。やらせてよ。」と予想だにしないことばが返ってきました*1。
私が「冗談でしょ?」と訊き返すと、Fは、「俺は、汚いところ、臭いところ、俺が嘗め回して綺麗にする行為に興奮するんだ。」*2、続けて、「俺は変態だから。」と開き直りました。
そして、「俺の嫁だから、Rも変態になれるよ。」といい放ったのです*3。
私は、ゾっとしました。
おぞましく、なんとも気持ちの悪い話でした。
結婚式をあげる直前で、私は、Fに近づくことが嫌になりました。
Fの変態性は、それだけでありませんでした。
それは、Fが、披露宴後、Fの男友だち2人を家に泊める約束をしていたことでした。
その2人は、会社の同期入社の友人で、私とも友人関係にありました。
Fは、私に「2人に俺らのセックスが見せられるよ。その夜は複数でできるし、楽しいはずだよ。」といい放ったのです*3。
Fの目論見は、友人2人に、性行為を見せつけ、複数セックスに持ち込もうというものでした。
私には、そのようなおぞましい行為を受け入れられるわけがありませんでした。
私は、Fに内緒で、Fの友人たちに「2人が家に泊まるなら、私はホテルに泊まるから、ゆっくり家で楽しんでね。」と遠回しに断りを入れました。
2人の友人たちは話がわかり、家には来ませんでした。
その後もFは、私に「何とか複数でセックスがやりたい。」、「誰かに見てもらおう。」といい続けました*4。
  Fは、昼間に、性行為を強要したあと*5、私に「今日はパンツを履かないで、1日いたら?」、「スカートの下はノーパンで買い物に行こう。」、「もっと短いスカートはないのか?」といいました*6。
*1.2.3.4.5.6 性暴力であり、この夫Fは、パラフィリア(性的倒錯、性嗜好障害)を抱えている可能性が高いと考えられます。

① 性欲異常の背景に双極性障害の躁状態
 性欲の障害は、さまざまな精神疾患や身体疾患により性欲・性行動の異常が現れ、時に、交際相手間や配偶者間のコミュニケーションの障害として問題となることがあり、性欲の異常としては、「性欲の量の異常(性欲の亢進・性欲の低下)」と「性欲の質の異常(パラフィリア)」があります。
 性欲亢進(過常性欲)とは、性欲が過常に亢進している状態で、気分障害の一種である双極性障害(躁うつ病)の躁状態*-72、両側側頭葉障害からのクリューバー・ビューシー症候群*-73、側頭葉てんかん*-74などの精神疾患や身体疾患、ある種の薬物の影響下で性欲が亢進することがあります。
また、認知症の初期でも性欲が亢進することがあります。
性衝動を押さえられない抑制の欠如による性的活動の問題は、双極性障害の躁状態、認知症、知的障害に見られます。
  性欲の異常亢進の症状を色情症といい、相手から根拠もなく愛されていると錯覚したり、主張したりする好訴妄想(妄想観念)型、性機能障害による性欲の抑制欠如が原因と考えられる異常性欲型などがあります。
異常性欲型は、男性なら「サチリアジス」、女性なら「ニンフォマニア」と呼ばれ、量的に過剰な性交(不特定多数の異性と性交を繰り返す)を求めたり、オナニーを何度繰り返しても満足しなかったりするような症状が見られます*-75。
また、強迫的・衝動的に性的活動をしないと不安・緊張感がとれないケースがあり、中でも、罪悪感にとらわれながらも衝動的な性行為を押さえられないケースでは、性交依存症(セックス依存症)*-76と診断されます。
一方で、性感覚(生殖器などの性感帯を性的に刺激することで発生する感覚)の低下を示す疾患としては、アルコール依存症、肝硬変、うつ病、糖尿病などがあります。
  性嗜好障害(パラフィリア)における“異常な性行動”は、小児性愛、窃視症(のぞき)、窃触症(さわり魔、痴漢)、露出症など、他人に被害を及ぼす、子どもを巻き込む、本人が悩むという状況下にあれば、異常・障害ということになります。
  パラフィリアが見せる性的興奮のパターンの発達には、①不安または早期の心的外傷が正常な精神性的発達を妨げていたり、②性的虐待を受けるなど、本人の性的快楽体験を強化する強烈な性体験に早期にさらされることにより、性的興奮の標準的パターンが他のものに置き換わっていたりし、さらに、③性的興奮のパターンとして、性的好奇心、欲望、興奮と偶然に結びつくことによって、そのフェティッシュが選択されたりするなど、しばしば象徴的な条件づけの要素を獲得していたりするといった3つのプロセスが関係しているとされています。
つまり、暴力による抑圧が繰り返される家庭環境で育ったことが、パラフィリア(性的倒錯)として特定の対象に対して性的興奮をみせる高いリスクを持つことになるのです。
ここにも、児童虐待・面前DVのある環境下で暮らしている児童を早期発見し、適切なサポートが必要であることの意味があるのです。
重要なことは、小学校2-3生のころには、既に性的興奮のパターンが発達していて、そのサインは、学校生活の幾つかの機会で垣間見えているということです。
*-72.73.74.75.76 「双極性障害(躁うつ病)の躁状態」、「両側側頭葉障害からのクリューバー・ビューシー症候群」、「側頭葉てんかん」、「異常性欲の「サチリアジス」、「ニンフォマニア」、「性交依存症(セックス依存症)」については、「Ⅱ-21-(1)精神疾患としてのパラフィリア(性嗜好障害)」で説明しています。

② パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)
親の性行為を見せられるなどの性的虐待を受け、セックスとかかわるトラウマ体験、暴力のある家庭環境で育ち、抑圧されるというトラウマ体験を抱えていることを起因として、男性性や女性性に対する認知の歪みが生じることがあります。
「男性性や女性性に対する認知の歪み」は、同性愛者、小児性愛、性的サディズムや性的マゾヒズム(SM)などの性癖をもたらします。
こうした性癖は、「Ⅱ-14.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」の冒頭で、『性的興奮のパターンは思春期前(10歳前)にかなり発達し、いったん確立されると、その多くは一生続くことになります。』と述べているとおり、6-9歳(就学前から小学校3・4年生)のころには、既に、性癖の核の部分は構築されています。
そこで、性的興奮を覚える「対象」と「状況・シュチュエーション」から想定される可能性を考えていきます。
「対象」ですが、a)女性を性の対象とせず、男性を性の対象としているか(同性愛)、異性愛者のセックスにのみ性的興奮するか、b)成熟した(胸が膨らみ、陰毛が生え、体が大人になった)女性や同年代に近い女性に性的興奮がえられず、胸が含まらす、陰毛が生えていない女児(小児性愛)か、c)逆に、母親や父親と年齢が同じくらいか、それ以上の女性か男性にしか性的興奮を覚えないのか、d)人同士のセックスではなく、動物との獣姦に異常な性的興奮を覚えるのかということです。
次に、「状況・シュチュエーション」ですが、a)学生服とか白衣とか着させるなど、コスチュームプレイに性的興奮を覚えるのか、b)拘束・監禁・レイプ(集団レイプも含む)といった支配・征服欲そのものの、つまり、女性(男性)に首輪や足枷をつけ、奴隷扱いしたものや集団で女性(男性)をおもちゃにする行為や、レイプといった恐怖に慄き、悲鳴をあげ、絶望感にうちひしがれた表情に異常な性的興奮を覚えるか、c)女性を縄で縛り(緊縛)、苦痛と快楽の狭間で苦悶の表情に性的興奮を覚えるか、d)人の前での露出、排尿や排泄をさせ(スカトロ)、恥ずかしさを超越(抑圧からの開放)させるプロセスに異常な性的興奮を覚えるのか、e)親や子とのセックス(近親姦)に性的興奮を覚えるのか、f) オムツをして、おしゃぶりを咥えてハイハイするなど赤ちゃんプレイに性的興奮を覚えるのかということです。
 それぞれ「a)→c)d)e)f)」と進むにつれ、生育期における心のダメージが重い、つまり、心の闇が深いことになります。
パラフィリアで考える状況については、例えば、セックスによる射精によって“汚れる”ことに嫌悪感を抱いているときには、間逆のスカトロなどの行為に押し込められてきた“開放”を求める可能性が考えられるように、嫌悪感の根底にある抑圧、その抑圧からの開放という切り口で捉えることが重要です。
これらの性的倒錯が、抑圧されてきた心の抱える闇を開放する行為であっても、交際相手や配偶者に強いることになると、DVとしての性暴力に他ならないわけです。
そして、望まないセックスを強いられるレイプや近親姦、獣姦などの性暴力被害を被ったとき、被害者は、自尊心がズタズタにされ、アイデンティティが崩壊したり、ひどい解離症状をみせたりする(解離性障害、解離性同一性障害を発症する)など、深刻なダメージを受けることになります。
慢性反復的な性暴力の被害に合うと、「Ⅰ-4-(3)暴力の後遺症としてのPTSD」で詳述しているような症状、つまり、解離性障害や解離性同一性障害、重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)、C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)などの障害を発症するリスクが高くなりますが、ダメージの深刻さを示すのが、再被害を繰り返すといった「再演」という行動です。
それは、この人はどうだろう、今度はどうだろうと同じおこないを受ける状況に自ら飛び込んで行ってしまう行動です。
また、記憶に残っている、残っていないにかかわらず、乳幼児期に受けた性暴力の心の傷が、「再演」という行為として顕著に表れるのが、小児性愛です。

-事例106(DV71・性暴力18)-
(性暴力、望まない性行為の強要)
私と夫のセックスは、夫が早く終わるように私が入る体制になると、すぐに入れて射精して終わるという感じです。
前戯がほとんどなく、「してほしい」というと、面倒くさそうにします。
夫は射精するとき、ひどく擦らないと射精できないようです。
そのため、私は、いつも血が滲むほど擦られ、夫が射精するまで、痛いのを我慢して耐えています。
夫が後ろから羽交い絞めにし、私の両足を引っつけて閉じ、膣を閉める感じにしないとなかなか射精できません。
正常位でも、私が足を開いた状態では射精できません。
膣の入り口あたりで、マスターベーションをするように擦っているのだと思います。

-事例107(DV72・性暴力19)-
(性暴力、セックスを拒む、望まない性行為の強要)
私と夫Lは、遠距離交際するようになり、2ヶ月に1回程度、私が、Lのところに泊まりに行きました。
しかし、結婚前、セックスはほとんどありませでした。
私が、Lに「長い時間一緒にいたい」、「抱きしめて欲しい」とお願いすると、Lは私を抱きしめてくれました。
Lは、私が「痛い!」と声をあげるほどの力の抱きしめ、しかも、Lは「3回までね」と応えました。
さらに、Lは「キスは気持ち悪い」といい、キスは、交際期間・結婚後と数えるほどしかしていません。
  私が、Lに泊まりに行くと伝えると、Lは「発情期?」とからかいました。
  同棲をはじめると、セックスレスになりました。
Lが自分の手を使い、私に対しても手で触ることはありましたが、挿入することはありませんでした。
Lは「触られてイクのは負けることだ!」、「自分で腰を使うのは自分でしてるからいい。」といい、私がLの性器を触ることを拒みますが、一方で、着替えをするときや入浴後、Lは、性器を私の顔や頭に無理やり押しつけてきます。
私が、「嫌だ、やめて!」と顔を手で隠して拒否しても、Lは、笑いながら無理やり顔や頭に性器を押しつけてきました。
  私は、子どもが欲しかったので、結婚後、Lに排卵日を伝え、月に2回、セックスに応じてもらいました。
3ヶ月後、妊娠がわかってからは、セックスはなくなりました。
  一方で、Lは、私がトイレに入ると、無理やりドアを開けて入ってきて、「放尿を見たい。」といいます。
私は「絶対嫌だ。」と応じました。
それでも、Lは、毎日のようにトイレのドアを開けて入ってこようとするので、私は、ドアを開けられないよう必死で押さえなければなりませんでした。
また、強い力で、私を身動きがとれないようし、下着のうえから陰部を触ってくることの多いLは、私が入浴しているとき、突然入ってきて、私が「嫌だ!」と訴えても、無理やり陰部を触ってきました。
そのLの行為は、私が嫌がるのを数分間楽しむと満足するのか、一気に冷めたように止めて、その場から立ち去ります。

-事例108(DV73・性暴力20)-
(性暴力、望まない性行為の強要・レイプ)
夫Jは、性欲が異常に強い一方で、射精できないことがあります*1。
射精できないときのJは、パニックになり、「君が悪い。私ははじめてなのに、君の中が広いから、君がたくさんの男と自由に寝ていたから!(妄想)」と散々侮蔑したあと*2、再び、性行為を強いました*3。
疲れ切っている私に、Jは激昂し、「君、私にいま触られたくない。触るなこの豚!と思ってるでしょ?」といい、「もともと性欲もないでしょ?!」、「ああ、なんでこんな女を選んでしまったんだ!」と侮蔑し*4、「なんで、私がこんな思いをしなきゃいけないんだ!」と責任転嫁をすることばを浴びせ、暴力的に犯しました*5。
またJは、「お尻に入れたい。」、「そこは、誰も入ってないところだから、私のものだ!」といい、アナルセックスを強いました*6。
アナルセックスはおぞましく、気持ち悪く、セックスが恐怖です。
*1 「膣内射精障害」については、「Ⅱ-12-(12)思春期・青年期の訪れとともに」の中で、詳しく説明しています。
*2.4 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*3.5.6 性暴力です。


③ 膣内射精障害
抑圧された生活(育った環境、親とのかかわり)は、のちに射精を伴うセックスというおこないを歪ませ、暴力と結びつくことになります。
a)「射精」という行為
「射精」という行為には、人を殴ったり、物を投げつけたり、大声で叫んだりするのと同じで、男性にとってイライラや怒りといったストレスを放出、解放する役割があります。
射精は、主に、a)夢精で射精するか、b)セックスとして膣内外で射精するか、c)自慰として射精するか、d)第三者に手や口を使い射精を手伝ってもらうかの方法を経ます。
アダルトビデオなどで演出される跪いてフェラチオを強い、射精し、精液を顔にかけるおこないは、屈服させた満足に浸りきっている(サディスティックな思いを満たす)だけでなく、汚すこと、穢すことに満足する行為です。
つまり、こうした行為を好む男性は、女性そのものを侮蔑し、卑下している考え方を示し、場合によっては、人(女性)ではなく物であると認識していることを示します。
「射精を伴う行為」に女性がかかわるとき、征服欲や支配欲を満たす意図、つまり、自身の存在を示す、つまり、承認欲求を満たす意図が少なからず存在します。
そして、自分本位で、これらの意図を満たそうとするとき、それは、性暴力となり、その暴力的な性行為は、より快楽中枢を刺激し、サディスティック的な高揚感を及ぼします*-77。
つまり、暴力的な性行為には、中毒(依存)性があるということです。
*-77 「電車・バス内、歩行中に、女性に体液(精液など)を着衣にかける(付着させる)行為」は、「強制わいせつ罪(刑法177条)」が適用される(わいせつ性が認められる)行為で、他に、暴行罪(同208条)、器物損壊罪(261条)の適用が考えられます。
暴行とは、程度を問わず、人の身体に対する“有形力の行使”をいうことから、物を投げつけるような行為、他人の着衣に体液を付着させる行為も該当します。
器物損壊罪は、物理的にモノを壊すだけでなく、飲食店の食器に放尿する行為など、心理的にモノの効用を侵害する場合も含むことから、体液をかけられた着衣を着るのが苦痛だという点をとらえれば、“損壊”と評価されるわけです。

b) 膣内射精障害
一方で、子どもを授かるためだけにセックスに応じるものの、セックスにおける射精という行為に対し、「触られていくのは負ける。自分でしているからいい。」といった発言を伴いセックスを拒むときには、近年増加傾向にある「膣内射精障害」の可能性があります。
ここでは、遺伝性の病気・体質を持っていて、子どもを持つことに躊躇していることが、射精を伴うセックスを拒む原因となっている心の問題は触れず、海外では報告例がなく、日本特有の症状とされている「膣内射精障害」について見ていきたいと思います。
「膣内射精障害」の原因の多くは、a)布団に擦りつけたり、枕などにペニスを挟み体重をかけて圧迫したりするなど、自分の手以外のものを使ってマスターベーションをしている、b)マスターベーションのとき、ペニスを握る力が強過ぎ、強く握り締め擦りつける刺激による射精に慣れてしまっている、c)ひとりでない(パートナーがいる)と射精できなくなっている、d)マスターベーションのときの決まった姿勢でないと射精できなくなっているといった“習慣”にもとづいています。
さらに、e)より強い刺激を求めるポルノ中毒になり、現実の女性との性行為ができなくなっている(ポルノED)という問題も考える必要があります。

④ ポルノ中毒
2014年、医学雑誌「JAMA Psychiatry」に、定期的にポルノを見ることは性的興奮への反応を鈍らせるという研究結果が掲載されました。
セックスをすることとポルノを見ることは、どちらも快楽と喜びの原因となる神経伝達物質であるドーパミンをだします。
一方で、定期的にポルノを見て繰り返しこの高まりが起こることで、脳は無感覚に陥ります。
なぜなら、“ハイな状態”を感じるため、脳がより多くのドーパミンを必要とすると主張するからです。
つまり、ドーパミンをだすために、より性的な刺激をますます必要とし、視覚的にたくさんの生々しい映像に遭遇することによって無感覚になり、通常では興奮できなくなっていうわけです。
それだけでなく、モチベーションや報酬系の反応と直結する脳内の線条体領域が、ポルノをたくさん見る人の方がより縮んでいる(委縮している)ことが実験結果から明らかになっています。
「報酬系」とは、脳において欲求が満たされたときに活性化して、快感を与える神経系のことです。
報酬系がいつも活性化され続けると機能が少しずつ低下していき、報酬を感じにくく、快感が得られにくくなります。
2013年、ケンブリッジ大学が発表した研究結果では、ポルノ中毒者がポルノを見たときの脳をスキャンで見ると、ドラッグやアルコール中毒者が欲求を満たされたときアクティブになる同じ線条体領域が反応していることが明らかになりました。
つまり、裸を見ても性的に興奮できなくなり、より刺激的なものを求めるようになっているときには、既にアルコールや薬物中毒者と同じような脳内の働きになっているということです。
性行為は、脳の「報酬系」を活性化させます。
報酬系の活性は、頑張ってなにかを成しえたときに感じる爽快さなどで、さらに頑張ろうという意欲がわくと好循環を生みだしますが、覚醒剤やギャンブルでも同じような感覚を生みだします。
この特性が、依存症(中毒症状)に至らせるわけです。
性的虐待を受ける環境にある、つまり、幼いころから日常的にポルノや両親のセックスと接する機会が多く、幼いころから性的な刺激を求める(早期のマスターベーション体験)ことがあります。
中には、より強い性的刺激を求める習慣ができ、不必要に性欲が増長され、ポルノ中毒、1日に5-6回もマスターベーションを繰り返すなど中毒症状をみせることがあります。
日に日に、より刺激的なものでないと満足できなくなるといった悪循環に陥っていきます。
パラフィリア(性的倒錯)に類しない夫婦や交際相手とのセックスは、覚醒剤やギャンブルほど強い刺激ではないことから、依存症にはなり難いけれども、ビデオやDVD、パソコンやスマートフォンを利用し、インターネットなどで見るポルノは、脳の報酬系を強く刺激することから、見すぎると耐性がつき、現実の性行為に反応し難くなります。
いままでの性的刺激では興奮しないことから、より過激な性的刺激をポルノに求め続けるのです。
つまり、「セックスよりもポルノを見ての自慰行為を好んでいる」ことが、現実の女性とのセックスを困難にさせているわけではなく、より過激な性的刺激をポルノに求め続けた結果、現実の異性に興味がなくなってしまうのです。
それだけでなく、画面越しの裸の人間(インターネットなどを利用したポルノ鑑賞)を見すぎたことで、周りにいる現実の人々を、“人”ではなく“単なる性的な物体”にしか見えなくなっていくことになります。
「性的サディズム」を起因とした殺人を犯す者は、“人”という感覚はなく“単なる物”としか認識していません。詳細は、「Ⅰ-20.パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」において説明しています。
重要なことは、「性的興奮のパターンは、思春期前の幼児期・学童期、つまり、10歳前に発達し、いったん確立されると、その多くは一生続く」ように、性的嗜癖・性嗜好障害(パラフィリア)の発症原因となる「親や祖父母、きょうだいなどの親族により、乳幼児の性器に強い刺激を与える(性的虐待)」ことも、“中毒性のある刺激”と理解することが必要です。
「乳幼児の性器に強い刺激を与える行為」には、過度(執拗)に性器を洗う行為、そして、おねしょを繰り返す男児のおちんちんを輪ゴムで縛るなどの行為も含まれます。
性器に与えられる強い刺激を快楽中枢が覚えてしまうだけでなく、「おねしょ=悪いこと=罰いを受ける=強いストレスを受ける」という認知が刻み込まれ(思考パターンが構築され)、その結果、「強いストレスを受ける=自ら罰を受ける行為に及ぶ」という行動パターン(中毒性のある刺激を強く求める)をつくりあげることになります。
それが、自ら罰を受ける行為として、人に見せるかの有無は別として、ペニスを露出するなどの行為につながっていくことになります。
性的虐待を受けた者の80%以上が抱えることになるといわれる解離性障害、そして、強い性的刺激を求め続けてしまうセックス依存やポルノ中毒などの症状、変態行為とみなされるような性的嗜癖は、乳幼児期に刺激的な性的体験を受けて育った2次被害、つまり、後遺症と考えることができるということです。

⑤ 性暴力。自尊心を回復するための承認欲求を満たすための行為
快感を伴う優越感を性暴力で満たそうとするパラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)たちは、再発性の(常習的で)強い性的興奮をもたらす空想、強い衝動、または行動で、苦痛や障害を伴い、無生物、小児、その他合意の成立していない成人を巻き込み、または自分自身や相手に苦痛や屈辱をもたらすわけですが、重要なことは、「性的興奮のパターンは思春期前の幼児期・学童期、つまり、10歳前に発達し、いったん確立されると、その多くは一生続く」ということです。
痴漢や盗撮、露出、小児性愛、そして、盗んだ下着などを収集するフェティシズム、自身の体液をかけるなど、パラフィリアを有する人たちの異常と思われる性的嗜好は、単に異常だというだけでは、パラフィリアとはみなされることなく、「この刺激なしには勃起やオルガスムがおこらない」など、「その興奮パターンが性的機能になくてはならないもの」になり、「不適切な相手(小児や合意の成立していない成人など)を巻き込み、顕著な苦痛や社会的、職業的、その他重要な機能領域に支障をもたらす」とき、そのパターンは病的(性嗜好障害)とみなされることになります。
  これらの行為は、「ある特定の刺激を求める行為」にフォーカスすることによって、「自分に危害を加えないであろう者を支配している快感に浸る行為」、つまり、「自尊心を回復するための承認欲求を満たす行為」であると捉えることができます。
そして、承認欲求を満たす行為は、“快感中枢”を刺激することから、中毒性がある行為、つまり、繰り返しその刺激を求める特性があるわけです。
 人が「自尊心を回復するための承認欲求を満たしたい」との衝動がおきるときは、家庭や学校、職場といったコミュニティの中で、自尊心が満たされていないときです。
つまり、親や教師、同級生(上級生や下級生を含む)、上司や同僚から禁止や否定のことばで侮蔑されたり(バカにされたり)、卑下されたり(見下されたり)、無視されたりして、「自分の居場所はどこにもない」と孤独感にみまわれたり、不当な扱いを受けるなど「自分は報われない」と不満感を募らせたりしているとき、つまり、強いストレス(危機)を感じる環境にあり、「自分は、この環境から逃れる(脱する)ことができない」と無力感に苛まれているときです。
無力感が絶望感にまで発展してしまうと、自殺に至るリスクが高まります。そのため、人は、その前に、“承認欲求(自分の存在を確認する)”を強く求めてバランスをとろうとします。
その結果、少しでも優越感を得られる行為に及ぼうとします。
優越感を得られる行為とは、征服・支配欲を満たす行為ということです。
痴漢や盗撮、体液をかけたりする性暴力(もっとも高い優劣感が得られるのがレイプです)、万引き、いじめ、差別(ママカーストなど含む)、ネット内での誹謗中傷、井戸端会議で愚痴や噂話、職場でのパワーハラスメントやセクシャルハラスメント、そして、DVや児童虐待という暴力行為によって、“承認欲求”を満たし、心の安定をはかろうとします。
子どもの万引きは、渇望感を満たす“承認欲求”であるだけでなく、「わたしはここにいる」ことを確認する気を惹くための“承認欲求”としての「試し」の意図を持つものです。
女の子が3歳ころになるとき、異性である父親に対し、ここまでやるかというくらいわがままなふるまいを繰り返すのは、異性である父親にとって、自分はどれだけ大切な存在であるかを確認する行為、つまり、「試し」です。
どこまでもわがままなふるまいをしても、異性である父親に受け入れてもらえている安心感で心を満たすことができなかった女の子は、思春期・青年期前期になると、渇望感を満たすための行為を繰り返りおこなうようになります。
乳幼児期に“承認欲求”が満たされていなかった者が、“承認欲求(心地よさ=快感)”を得るために脳が暴走したときには、法やルールによる規制だけでなく、道徳・倫理感(モラル)といった規範、そして、血を分けた者の絆もまた無力です。

⑥ 性への嫌悪感
a)完璧主義者としての精神
思春期になると、身体的にも、精神的にも性的に変化しはじめ、性的なことがすごく気になってきます。
自分自身に不完全さを感じたり、変身(青年、大人になる)に失敗してしまったりしたという“概念”ができあがります。
中学生や高校生の時期(思春期後期-青年期)は、自分に不完全さを感じることから、逆に、完璧なものを求める傾向が強くなります。
そのため、完璧主義者としての精神(マインド)が発達しやすくなります。
一方で、不完全さや変身に失敗してしまうと、その概念は、心の深いところに潜ってしまいます。
心のどこかで、自分は不完全で、醜い、美しくない、汚いと感じているときには、好きな人に近づくことができなかったり、好きな人にすべてをさらけだせなくなったりします。
そのため、好きな人とのセックスであっても、安心感とリラックス感に満ち溢れ、心穏やかになれるものではなく、楽しいものではないものになります。
ないにか嫌な感じや違和感が心の中にあふれだしてきます。
セックスは本来、パートナーとの気持ちが交わせ、契り感や絆感を深めるものです。
気の交流としてのセックスは、コミュニケーションを深めます。
契り感や絆感が深まることで、慈しみ、愛しいという相手への心が満たされていきます。
ところが、セックスそのものに罪悪感を抱いてしまう人がいます。
この問題に大きく関係しているのは、心の奥深いところにある「父親や母親にとって、従順ないい子でいなければならない」と強く思っていた幼子の感覚です。
自我が芽生えはじめる思春期は、性的に成長をはじめます。
その性的な成長をはじめた“わたし”を親に見られるが嫌という思いが強く働きます。
性にかかわることを両親に見られ(悟られ)たり、指摘(話題に)されたりすることに嫌悪感を抱きます。
嫌悪感の対象は、両親のセックスを想像することも含まれます。
両親を性的な対象として結びつけることに対しても、強い嫌悪感を示します。
セックスに関して罪悪感を抱いてしまう根柢には、「性的なことに関心を持っている“わたし”は悪い子だ」という思いが働いているということです。
したがって、心のどこかで、「セックスは悪いことだ」と感じていると、無意識的に、自分の中の性的な欲求を押さえ込んでしまうのです。
こうしたセックスへの嫌悪感や罪悪感といった感覚が、セックスにかかわる問題をつくってしまうわけです。
b) 性への嫌悪感がサディスティックを生みだす
男性のセックスにかかわる問題は、第1に、自己投影となる父親、穢れた存在の母親への嫌悪感として、第2に、母親を女神と神聖化する存在と美化する形で表面化します。
生々しい“生”の営みとなるセックスに対しての嫌悪感は、セックスそのものを否定していくようになります。
一方で、この嫌悪感を抱く穢れた存在である母親と同姓の女性を罰する行為、つまり、暴力行為に及ぶことで、嫌悪感を払拭しようとすることがあります。
この穢れた存在の女性を罰するための暴力行為により、これまで感じたことのない高揚感を味わう体験、つまり、嫌がったり、痛がったりする“姿”や“声”に、強烈な性的興奮を覚える(快感中枢が強く刺激される)体験を通じて、サディスティックさが表面化してきます。
穢れた存在の女性を罰するために、徹底的に痛めつけることに快感を覚えるようになるのです。
  このサディスティックさは、俺には、嫌がる行為に応じさせる(絶対服従させられる)だけの力があることを確認でき、自尊心はくすぐられ、満足感に浸ることができるおこないそのものです。
  つまり、女性を貶(おとし)めて、弄(もてあそ)び、辱(はずかし)めることで快感をえるのです。
否定する、非難・批判する、侮蔑する(バカにする)、卑下する(見下す)ことばを伴って王様気分に浸ることができます。
つまり、a)裏切ったり、罠にはめたりして人を貶(おとし)めたり、辱しめたり、b)からかったり、ひやかすなど嫌がることをしてむきにさせたり、c)暴力やレイプによって怯えさせたりすることを楽しみ、快感をえるのです。
辱め、弄び楽しむことをセックスに持ち込むサディスティック(残虐)性は、見下した、卑下した女性を思うがままに犯すことがこのうえない喜び、快感だということを意味しています。
一方で、サディスティックさは、貶(おとし)めて、弄(もてあそ)び、辱(はずかし)めることでしか、自らの存在感を示し、自尊心を高めることができない、ずつまり、心のバランスを保つことができないという心の闇の深さを示しています。


(7) 性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力
「Ⅰ-3-(9)性的サディズムと刻印という“儀式”」で、「サディスティックなふるまいとして、妻が嫌がる行為を強いるときには、DVとしての性暴力になります。」と記していますが、望まない行為を無理強いするふるまいは、暴力そのものです。
中には、嫌がる性行為に及ぶために、身体的な暴行を加えたり、ふるまいを否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下するなどことばの暴力を長時間にわたって浴びせ続けるなど、“力(パワー)で屈伏”させて応じさせたり、しかも、嫌がる性行為に応じさせるために、「意義さえ問わせない」、つまり、明確な「絶対服従・忠誠を誓わせる」意図が働いていることさえあります。
しかし一方で、多くのDV被害者が、子どもができたら変わってくれる、後継ぎの男の子が生まれたら変わってくれると間違った方向に期待を寄せてしまうことが少なくないのです。
そして、こうした根拠のない期待感は、真実を曇らせてしまい、性暴力被害を認識できなくさせてしまうのです。
中には、「セックスを求めれば、他の女性とはセッスクをしない」という期待感、そして、「子どもができたら」との思いで、「私の方が積極的にセックスを求めてきた」という思い(事実)があったり、「子どもが欲しいと、私の方から求めたのだから、嫌でも求められたら応じなければならない」、「応じなければ、他に男がいると責められ、ツラい思いをすることになる」との思いがあったりして、自身への性暴力被害を認識できなくさせてしまうことも少なくないのです。
それだけでなく、子どももたちとの異常な性的接触さえも、「うちは性に対して開放的」と“自分で納得できる”理由をつくりあげ、ツラく苦しい現実から目を背けて(回避させて)しまうこともあります。
なぜなら、母親として、子どもたちが父親の異常な性的嗜好の餌食になってきたことを受け入れることはなかなかできないからです。
たとえ夫婦間であってもセックスを強要されることは、レイプ被害者と同様に自尊心は傷つき、自己肯定感が損なわれます。
つまり、アイデンティティそのものがひどくダメージを受けることになります。
それは、“わたしそのもの”を失くしていくことになります。
“わたし”という感覚を失っていくことは、わたしはどうしなければいいかを考えたり、判断したりすることができ難くなっていることを意味します。
これ以上傷つかないように、惨めな思いをさせられた記憶よりも、ツラく苦しく哀しい思いをしないですむ「子ども欲しさに自ら求めた」と、性暴力被害の“記憶のすり替え”をおこなうことで、日常生活を成り立たせることができるのです。
DV環境下では、性暴力被害を認識でき難い、つまり、嫌な行為を強いられている感を抱き難い状況がつくられてしまいやすいのです。

ここでは、DV環境下から逃れたあと、性暴力被害者がみせる重篤な解離症状が表れるなど、夫の性的サディズムの犠牲となったDV被害者の事例をとりあげます。
DV加害者である夫Nが、自身の性的サディズムを満たすために、「愛する人の子どもを欲しい」という多くの女性が抱く心情につけ込んでいました。

-事例109(DV74、分析研究6)-
夫のNは、私に女性とのセックスをさせようと試みましたが、私は拒否しました。
カップル同士とのセックスも、「そんなことは死んでもいやだ。Nが他の女とセックスするのを見たり、私の体が他の女に触られたり、他の女の陰部を舐めたりするなんて考えただけで吐き気がする。もしNが、他の女と寝るのを見たら、私は一生Nとセックスできなくなるかもしれない。」と、Nに求められるたびに強く拒否しました。
すると、Nは「子どもが欲しいなら、複数のセックス(グループセックス)を受け入れろ!」と脅すように、子どもが欲しいと思っていた私に対して、交換条件をだしてきました。
Nは、決して膣内で射精することはありませんでした。
私は自然に妊娠したかったのに、射精はいつも顔、頭、お腹、背中でした。
私が「子どもが欲しい」と訴えると、Nは「複数のセックスにイエスといわなければ受け入れない。」といいました。
私が「イエス」と応じると、Nは優しくなりましたが、平成21年は『複数セックスの年』として、射精は体外のままでした。
いつも顔面にだされていましたが、結婚後、そういった内容のアダルトDVDを見せられてきたので、そういうものだと思っていました。
その後、膣内射精は、平成22年1月-6月の排卵日前後でした。
Nは職場から電話をしてきて、「今月の排卵日はいつだ?」、「それは確かか?」と訊き、私が「よくわからない、確実かどうか。」と応じると、夫は舌打ちをしました。

 この事例109の夫Nは、妻が誘うと「疲れた」「眠い」といい拒み、自身の性的サディズムを満たすセッスクに応じることだけを一方的に強いていました。
一方的に強いられる性行為であっても、Nの妻にとって、DV環境下でつくられる孤独さ、寂しさを埋めるために必要不可欠なものにすり替わってしまうのです。
この状況は、

夫とのコミュニケーションとしてのふれあいとして必要不可欠なものにすり替わってしまうのは、相反する拒絶と受容のふるまいであることから、マインドコントロールされてしまうからです。
サディクティックな傾向の強いDV加害者には、自身への絶対服従・忠誠を誓わせ、侮蔑し、卑下することで自尊心がくすぐられるタイプと、女性は自身の性的サディズムを満たすための性の捌け口でしかないとの考えで、応じられないのであれば次の相手を探せばいいと考えるタイプがあります。
前者のタイプは、女性に対する激しい憤り、怒りを秘めていることから、別れ話を切りだしたり、家をでたりした妻や交際相手に、復縁を求めて執拗につきまとうなどストーカー行為に及ぶことになります。
事例109の夫Nは、前者のタイプで、複数のセッスク(グループセックス)は“成熟した大人の行為である“のに、受け入れず、楽しもうとしないのは、妻が「繊細すぎる」、「わがまますぎる」、「大人になりきれていない」からであるとの考えで、妻の価値観を否定し、侮蔑し、卑下し、さらに、「両親を頼りすぎる」、「なにかがあるとすぐに電話して泣いて」、「感情をコントロールできない」と妻のふるまいを非難・批判することばを浴びせます。
そして、妻が自分の考えを伝えようとすると話を遮り、「お前はおかしい」、「恥ずかしい」と否定したあと、「夫婦間の間をよくしたいならセックスの内容を変える。夫婦のためだ。」と独自の考えを得々と述べます。
妻がアナルセックス、複数のセックスを拒否したり、嫌がったりすると、「セックスに対しタブーを持ち過ぎ」と非難し、妻が「穏やかなセックスがしたい」とお願いすると、「俺の気持ちはちっとも尊重しない!」と怒りだし、不機嫌になりました。
こうして、妻Hは、夫Nの意に反することは許されない状況がつくられていきました。
つまり、夫Nのふるまいは、「Ⅰ-7.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」において説明している洗脳・マインドコントロールを仕掛ける者のパターン(型)にあてはまるわけです。
それは、①価値観の破壊(解凍)、②変革、③価値観の再統合(再凍結)というプロセス(型)に添って、妻の「人格を焦らず、確実に、変えていく」ということです。
事例90(分析研究5)の夫Xにもこのパターン(型)があてはまり(感受性訓練に似通ったパターン)、この事例109の夫Nと共通しているのは、「罰」としての身体的な暴行をふるい、その行為そのものを楽しんでいるということです。
一方で、両者の違いは、自身の絶対服従・忠誠を誓わせる約束手形に固執するかしないかです。
この事例109の夫Nは、性的サディズムにもとづくSMプレイは、成熟した大人の嗜みとして楽しもうとの揺るぎない考えが根底にあります。
①の価値観の破壊(解凍)には、破壊するだけの身体的な暴行が加えられたり、長時間にわたり大声で罵倒されたりする行為が欠かせません。
このケースの夫Nは、「もう疲れた。何度も同じことの繰り返しだ。お前は、いつまで経っても同じで、ぜんぜん成熟しない」と妻を罵倒し、少しでも妻が口ごたえすると、妻の腕を強くつかみ床に押し倒し、倒れた妻の顔をビンタしたり、髪をひっぱったりしています。
その暴行は、翌朝、顔が腫れていたり、痣や傷が残っていたりするほどのものでした。
それだけでなく、夫Nは、日常的に妻の臀部や大腿部を手で叩いて赤くなると喜んでいます。
そして、妻Hが夫Nの気分を害したり、自信を損ねたりすることを口にすると家をでていき、帰宅すると、妻Hを裸にし、革のベルトで思いっきり叩いたのです。
夫Nは、妻Hの体に赤くみみず腫れができるのを見ると歓喜したのです。
革のベルトで妻を叩くという行為で、特別な意味のある以下のできごとが、ワークシートに書かれていました。

平成22年7月のある夜、私はNの運転する車で郊外の森に連れていかれ、子どもを寝かせると、Nは、私を木に縛りつけ、いつものように革のベルトで叩かれました。
縛りつけられたまま、アナルセックスを強いられ、私は泣きました。
しかし、私は、Nに「同居してから、お前の態度が悪いせいだ」、「俺への感謝や愛情が足りない」といわれ続けていたので、その仕打ちだと思い、耐えました。
車に戻ると一転して、Nは優しく甘いことばを囁き、私を優しく愛撫し、セックスを求めてきました。
このとき、やっぱり私が悪かったんだと思いました。

「このとき、やっぱり私が悪かったんだと思った」と述べているとおり、このケースの妻Hも、多くのDV被害者がそうであるように、暴力を受けるのは自分が悪いので仕方がないと暴力を受け入れて、いまの状況を生き延びようとする思考パターンに陥っています。
そして、妻Hが、夫Nの「子どもが欲しいなら、複数のセックスに」条件を受け入れると、夫Nは、笑いながら「私は売春婦、私は淫乱ということをいえ!」と強要するようになります。
妻Hがなにか間違いすると、夫Nは、事例90の夫Zの誘導尋問するように「はい。私は淫乱なので、他の男と寝ます。」と自ら口にするように持っていったのです。
この妻Hのことばは、「Ⅰ-8-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」で、『感受性訓練の要素を取り入れた「自己啓発セミナー」のやり口なのです。
「自己啓発セミナー」は、閉ざされた空間で課題(ゲーム)や自己告発(シェア)を繰り返して一体感や高揚感を煽りとり込んでいきます。
このプロセスが、マインドコントロールには欠かせないのです。』と記している“自己告発(シェア)”に該当するもので、その宣言(自己告発)した「ことば」を自身の心にとり込んでしまう危険な行為です。
そして、事例109の夫Nは、50歳代の女性や30歳代のカップルの女性の局部と顔の写真を妻Hに見せ、「どの人がいいか選べ!」と、妻Hの意志で複数セックス(グループセックス)の相手を選ばせるように仕向けていきます。

妻Hは、ワークシートに、『女は私、あとはNが選んだ既婚者の男2人、男3人、男4人、いろいろなパターンがありました。ハードSM系、顔面射精、膣+アナル+フェラチオ、鞭や手錠も使われたりしました。場所も夜の山であったり、木に縛られたり、昼の屋外だったりしました。ホテルでは、恥ずかしがる私に目隠しをしてから部屋に入り、コトをすませ、その様子をNがビデオに撮っていました。
  また、Nに「僕が他の男子3人とセックスするの、どう思う? イエスかノーか応えて。」、「ひとりの男(以前私とセックスした男)と同じ場所でセックスした。」、「もう一度やって欲しいか?」と訊かれ、私が「勝手にすれば」と応えると、Nは「その態度はなんだ! 心配しないのか? もう愛していないのか!」と非難しました。私が「じゃやらないで」と応えると、今度は、逆の結論のようなことをいってくるので、私は頭がパンパンになり、おかしくなっていきました。』と書き込んでいます。
さらに、夫Nは、複数セックスに飽き足らず、妻Hを他の男性に貸しだして(売春)いきます。
続けて、Hは、『私は、Nに「お前に毎月10人くらいの既婚男性に送る。彼らの家、またはホテル、または一緒にお茶をする、そのあとはセックスをする。彼らは成功した人でお金があるし、お前のことを話したら1回ではなく、定期的にそういったことをやりたいといっている。お金は支払う。それを月に10回やればよい。ただし、そのお金は、お前が自分の服を飼うのもよいし、貯金するのもよい。お前が他の男とデートやセックスをすると、お前がきれいになり、自分もうれしい。それは最低でも1年続ける。さらに、お前一人に対し、3、4人の男とのグループセックスをする。」といわれ、私は拒否しましたが、Nは受け入れませんでした。』と書き込んでいます。
  正常な判断力を奪われていった妻Hは、夫Nの露出症、性的サディズムを満たすため性的行為を次々と命じられていくことになります。
 そして、Hは『Nが車を運転しているとき、同乗している子どもが寝ると、私にフェラチオを強いました。
しかもNは、横の斜線にバスが通って中が丸見えでも、下着を脱いで、局部に指を入れること、マスターベーションをすること強制しました。
また、Nは、友人の前でも抱きついてきて、ブラウスのボタンを開けて手を入れてきたり、レストランでも「(下着を履いていない)足を開け」と命じたりしました。
長男が2歳のとき、ミニスカートでフェリーに乗せられ、目の前に初老の男性が座ると、Nは「(下着をつけていない)脚を開け」「彼にスカートの中を見せろ」と命じ、脚を開き、片足を閉じないように押さえつけ、「彼の目と合わせろ」と命じ、耳元で「彼がお前のおまんこを見てるぞ」と卑猥なことばを囁き、喜んでいました。』と書き込んでいます。
  夫Nのこうした性的欲求は、「Ⅱ-14-(3)露出症・窃視症」で、『露出症を抱える人の中には、他人に自分の性行為を見てもらいたいという強い欲求を抱えていることがあります。それは、見る人を驚かせたいというよりもむしろ、同意のうえの観客に見られたいという願望です。このタイプの露出症患者は、ポルノ映画を製作したり、アダルト系のタレントになったり、ハプニングパブにでかけたり、グループセックスの会を開いたりすることがあります。このような人が自分の性的欲求に苦しむことは稀で、精神障害とはみなされることはありません。』と記しているとおり、「露出症」としてのふるまいです。
さらに、「Ⅱ-14-(2)フェティシズム」の「*」の中で、『④エキシビショニズム(露出性愛:自分の裸体や性器を公衆の面前や第三者に晒す性的嗜好で、恋人などのパートナーを晒す性的嗜好はカンダウリズム(Candaulism)という。カンダウリズムの根底に潜んでいるのはマゾヒズムだが、それだけではかたづけられるものではない。コキュ幻想を抱く男性は、自分の恋人や妻が他の男から欲情され称賛されることによってしか、その美貌や魅力を確認できない。つまり、「他者の欲望」をかき立てるくらいでないと、愛の対象としての価値がないと考える。「他者の欲望」によって触発されることで、はじめて自分自身も欲情する)』と記しているとおり、事例109の夫Nのこの「露出症」としての他人に自分の性行為を見てもらいたい強い欲求は、「複数のセックスに応じさせる」ことで満たそうと思いに表れています。
夫Nのエキシビショニズム(露出性愛)について、妻は「複数(セックス)でやっているとき、夫のことをチラッとみると、ビデオを構え、ニヤニヤしてマスターベーションをしていました。私を対等な人間と扱っていない顔でした。その光景が目に焼きついています。」と表現しています。
夫は、妻宛のメールに自身の勃起したペニス、その他大勢の男性の勃起したペニスの写真を添付して送りつけて、見た感想を強く求めています。
それだけでなく、妻の裸の写真や複数セックスの動画をネットに載せて楽しんでいます。
自分の恋人や妻が他の男から欲情され称賛されることによってしか、その美貌や魅力を確認できないエキシビショニズム(露出性愛)の場合、裸や性行為を写真や録画に収めるだけでなく、第三者の目に触れされるためにネットに投稿し、より多くの人の眼に触れること、つまり、拡散させることに性的興奮を覚えるわけです。
このケースでは、妻Hの顔は写っていないということですが、デジタルタトゥーと呼ばれるこうした投稿写真や投稿映像は、夫と離婚したあともネットの中に残り続けることになります。
つまり、交際相手や夫と別れたあとも、どこかでグループセックスで性行為をおこなった相手と合うリスク、さらに、「画像や映像を見た」という第三者が表われるリスクがつきまとうことになるのです。
このDV被害者Hは、激しいPTSD症状、強く表れていた解離症状には、別人格が形成されていました。
そして、DV加害者の夫のもとから実家に逃げてきていたDV被害者Hは、高校の校長を務めた父親と中学校の教師を定年退職した母親に対し、泣き喚きながら、子どものころのおこないを激しく罵り、物を投げつけるなど暴行を加えることになります。


** ①-a)DV・デートDV・性被害に関する相談、-b)家庭裁判所への「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停の申立て、地方裁判所への保護命令の申立て、警察への被害届の提出に向けての支援依頼、②DV被害の状況をまとめるためのWord文書フォーマット(DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート;「Ⅲ-3.暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ)添付資料:ワークシート」の中の「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」)の送付依頼、③カテゴリー〔Ⅲ1-9〕掲載『暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(3部5章42節)*』のPDFファイル送付依頼については、カテゴリー〔Ⅰ-I〕の中の「<DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。http://629143marine.blog118.fc2.com/blog-entry-501.html」をご確認いただければと思います。


2010.10/2
2013.2/20 文体修正、カテゴリー変更
2013.4/24 ブログ再構成・再編集にともない掲載場所を移動
2015.7/27 ブログ再構成・再編集にともない「※」の記述を変更
2016.6/3 ブログ再構成・再編集にともない「※」の記述を変更
2016.10/10 カテゴリー「Ⅲ(暴力の影響を「事例」で学ぶ。DVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き)」の「Ⅲ-1(「はじめに」など)」「Ⅲ-2(プロローグ(1-4))」、「Ⅲ-3(Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス)(5-7)」の「改訂2版」を差し替え掲載に伴い、本文を差し替え



もくじ   3kaku_s_L.png   [Ⅲ-2]Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス
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~ Comment ~

自己愛性人格障害 

'12.12/27 まあこ

自己愛性人格障害
はじめまして。私は結婚してまだ9ヶ月の者です。夫の暴言が酷く、いわゆるキレる人です。色々調べてみたらモラルハラスメントにとても該当し、自己愛性人格障害までたどりつき、このブログを読ませていただきました。
驚くほど私の夫と似ていて、驚くほどあなた様に私がそっくりなんです。きっと彼は自己愛性人格障害なのだと受け止めました。
誰にも相談出来ずに一人悩んでいます。
もしよろしかったらアドバイスいただければ嬉しいです。
と言っても、ずいぶん前のブログのようなので返信というよりも同じ気持ちの方がいらっしゃったことに涙が出るほど嬉しかったのでコメントを書かせてもらいます。
つい先ほども、結婚式のつまらないことでもめてしまいました。
自営の仕事が忙しいのはわかっているので私一人で全て打ち合わせをしているのですが、『引き出物をカタログにしたよ。色々選べるからその方がいいよね?』
の一言に大激怒でした。
彼曰く、『勝手に決めるな。カタログで注文しないやつがいたらお金は返してもらえるのか?』
でした。『結婚式の引き出物だから相場か4000円くらいで、返してもらうとかそんな損得のものじゃないよ。』
と意見を言うと、全く話し合いにならないくらいの怒鳴りようで『お前が悪い。イラつく。頭悪い。』等々、毎回聞き飽きるくらいの怒鳴り具合です。
このままじゃ精神的に参ってしまいます。実際に持病のバセドウ病が悪化してしまいましたが、症状を訴えるとまた逆ギレされるので言えないままです。
キレたあとは暴言をすっかり忘れ、いつも通りです。頭がおかしくなります。
その度に逃げようか考え荷物をまとめています。
お互いの両親に悲しませたくないという気持ちで離婚や家出を躊躇しています。
マイホームを買ったばかりですが、出来ることなら離婚したいです。
ただ、こんな夫ですが、落ち着いてるときには好きなところもあります。
夫は私のことを、心から愛しているのもわかります。
自己愛性人格障害の人にうまく対応出来る方法があるのであれば知りたいです。
もし上手な対応を知っているのなら教えていただけないでしょうか。

自己愛性人格障害、今日知った言葉なので勉強不足ですみません。
また本も読んでみたいと思います。


ブログのコメントを拝見しました。庄司薫です。
 閉ざされた密室ともいえる家庭で、夫からの心ない暴言(否定され、批判・非難され、侮蔑され、卑下される)に耐え続ける苦しさ、やるせなさ、そして、”なぜ”私が罵倒されなければならないのと答えの見つからない自問自答を繰り返す日々、ひとりで抱え込んで、誰にも相談できず、苦しかったと思います。
 さて、検索で「モラルハラスメント」を知り、そして、「自己愛性人格障害」にたどりつき、ブログ記事「自己愛性人格障害を患う夫と暮らす妻に与える深刻な影響」をお読みになり、コメントを残されたのか、幾つか勘違いされているようです。驚くほど記述上の私に似ていると受けとられたようですが、私はあなたと同じ被害者ではなく、ブログのタイトルに記している通り、DV被害者支援としてのメールによる相談対応の他、暴力立証のためのレポート作成、DV・支配のための暴力にさらされ続けたことによる認知の歪みに対してのケアを行っているものです。
 厳しい指摘ですから、受け入れ難いことかも知れませんが、まずあなたには、「モラルハラスメント(精神的暴力)」については、支配のための暴力、つまり、「ドメスティック・バイオレンス(DV)の中の「精神的(ことばの)暴力である」と正しく認識して欲しいのです。つまり、いま、あなたは夫から”DVを受けている”という”事実”を正しく理解することからはじめることが大切だと思います。そして、同じ屋根のもとで暮らす配偶者を支配するために徹底的に罵倒する(否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下する)のは、配偶者である妻に”わたし”があってはならないからです。あなたには、”わたし”というアイデンティティがあってはならないのです。つまり、支配者に重々しく使える忠実な僕(しもべ)であることだけを求めるからです。あなたは、あなたの”考え”や”意見”だけでなく、”意志”を持つことも許されないのです。”俺に”尽くす僕である妻が体調が悪い、具合が悪いことはあってはならないことなのです。それが、主語が”俺が””俺は”の一人称で、自分は特別の存在で、自分中心に世(家)の中がまわっていると認知してしまっている「自己愛性人格障害」を配偶者とした場合の生活に待っている悲劇です。
 暴力のあと、人が変わったように優しくなったり、なにごともなかったかのようにふるまわれると混乱します。人は、この相反する<拒絶と受容>を繰り返されると「どちらが本当の夫(彼)なの?」と応えを求め、思考混乱に陥り、やがて、暴力をふるっていないときを”いつもは優しい””ふだんは優しい”からと自分自身に強くいいきかせ、夫の暴力を「きっと仕事でストレスを抱えている(嫌なことがあった)から」と暴力を正当化してしまうようになります。ブログに記しているとおり、相反する<拒絶と受容>を繰り返す行為は、警察などが犯人を落とす(罪を告白させる)典型的な手口であるように、人を落とすやり口なのです。つまり、思考混乱をおこさせることによって、自己の考えや思考に傾倒させる(マインドコントロール下におく)ことができるのです。夫の考えや思考を取り込まさることによって、妻や恋人に別れたいとか、逃げだそうとの思い(心のエンジン)を奪うことができるのです。交際時に暴力によって支配する傾向が見られていた場合には、「結婚したら変わってくれるかも知れない」と自分自身にいいきかせ、結婚に踏み切ってしまうことも少なくありませんし、別れよう、逃げようと思っていた矢先に妊娠がわかった場合には、「子どもができ父親になったらきっと変わってくれるに違いない」「生まれてくる子どもに父親がいない思いをさせたくない」とまた自分自身にいいかせ、踏みとどまってしまうことも少なくありません。結婚して”俺もモノ”になることは、本格的に僕への教育( 徹底的に痛めつけ、躾け直し)のゴングとなり、子どもを妊娠し、出産し、育児に生活の主が移ることは、”俺だけの世話をしていればいい!”ではなくなることを意味し、親からのアタッチメント(愛着形成)を失敗している彼らの”嫉妬心”が燃え盛り、かまってくれないことへの罰・こらしめとしての暴力が酷くなることを意味します。「変わってくれるかも知れない」といい聞かせ、支配のための暴力・DVのある環境に留まることは、更なる暴力を生みだすことになるのです。
 そして、「夫は私のことを、心から愛しているのもわかる」ですが、その解釈は間違っています。心から愛しているのなら、愛しい人の”心を踏みにじる”ような行いは決してしません。いい方を代えると、親に正しく愛されたことがないので、正しく愛することができない人たちだということです。人格障害というのは、家庭内で、親のもとで人格を正しく育むことができず(健全な脳の発達ができず)に育ったということです。ですから、彼らの世界では心から愛しているのだと思いますが、彼らの世界を共有し、同化しない限り、それは、正しい愛し方ではないのです。彼らの世界の愛し方は”お互いに与え合う”ではなく、”一方的に愛される(尽くされる)”ことでしかありません。それは、親からのアタッチメントの失敗によって、乳幼児が親から受ける無償の愛(世話)を求め続けるからです。”わたし”を持った、つまり、心の成長を果した人は、この無償の世話(愛)という欲求に応えることはできません。生活する時間が長くなればなるほど、心が破壊されるだけです。
 ですから、「自己愛性人格障害の人にうまく対応できる方法があるのであれば知りたい。もし、上手な対応を知っているのなら教えて欲しい」ですが、自己愛性人格障害と思われる人たち、しかも、妻や子ども、親にいたるまで近しい人を従わせようと、いうことをきかせようとする傾向が強い人との生活は、翻弄され、疲弊し、やがて心がズタズタに(破壊)されてしまいますから、”かかわらない”こととしかいえません。結婚して、同じ屋根のもとで暮らしはじめて、その凄惨さを思い知る(ここまで酷いことをするとは思わなかった)ことになることがほとんどだと思います。やはり、その場合は、かかわりを断つしか方法はありません。かかわりを断つとは、同じ屋根のもとで生活をしないということです。あなたの心を揺さぶり、コントロールし直すために、「もう二度と哀しい思いはさせない。だから、戻ってくてくれ」といってきたとしても、戻ってはいけません。支配する対象が側にいる限り、「俺のいうことをきけ!」「俺に従っていればいいんだ!」とあなたの”わたし”を奪おうとし続けます。「この前は逃げだされて失敗したから、今度はうまくやらんといかんな」と躾け直しという暴力が酷くなるだけです。
 さらに、日々「お前が悪い(いたらない)から怒鳴るんだ!」といわれ続けることによって、”わたしが悪い(いたらない)から”暴力を受けても仕方がないと、夫の暴力を正当化してしまうようになります。こうした状況のもとで、親に迷惑をかけるとか、結婚したばかりで離婚をしたら世間にどう思われるだろうかと、別れたくない思いが根底にあると、”わたし”の心を偽り、心に嘘をついて、暴力のある生活に留まろうとしてしまうのです。
 こうした被害者の方たちの夫から受ける暴力に対しての認識、暴力を受け続けてしまう”わたし”の考え方の解釈に大きな偏りがおきていることを、甘んじて暴力を受け続けた、暴力を耐え続けたことによる”認知の歪み”といいます。支配のための暴力のある生活を甘んじて受け入れ、耐え忍ぶ日々をどれだけ過ごしたか、暴力の凄惨さがどういったものか、被害者が暴力のある家庭で育ってきたかといった生育環境などによって、この”認知の歪み”の重さは深刻さは違ってきます。
 わたしへの相談案件の多くは、結婚時、妊娠・出産時の逃れる、別れるタイミングを失い、「子どもの手のかからなくなるまで、わたしひとりががまんすればいい、耐え続ければいい」と自分にいいきかせ、耐え忍んできたものの心がもう耐えられないと悲鳴をあげ、実家に逃げ帰ったり、行政の緊急一時保護(母子寮:シェルター)に保護されたり、離婚調停で親権や子との面会交渉で相手方との泥仕合になった拗れた事案がほとんどです。
 支配のための暴力・DVを甘んじて受ける環境に長く留まってしまったことによって、上記のような認知の歪みが自分の考え、思いをきちんと伝えられなくなっていたり、辛いこと、耐え難いことは(脳の自己防衛として)記憶から消し去ってしまっていたり、「出社するまでがまんすればいい」といいきかせ、耐え、出社後、リセットボタンを押してしまうことによって、記憶がつながらないといった記憶の障害(解離性健忘)によって、受け続けた暴力を思いだせずに、依頼する弁護士や暴力に怯えながら臨む離婚調停の場で正しく暴力の状況を伝えられなかったり、自分の考えをまとめられなかったりし、被害者であるはずなのに不利な状況に陥ってしまうことも少なくありません。
 そういった意味でも、支配のための暴力・DVのある生活は、一日でも短い方が、あなたの心を守ることになります。もし、”これから”あなたが子どもを授かったとしたら、子どもの前で暴言・暴力が繰り返されることになるのです。子どもの心身の健やかな健康を育むうえで大きな支障になることは、下記に記したブログ記事を読んでいただけるとわかると思います。また、親の暴力を見て、聞いて、感じて育つことを余儀なくされる子どもたちは、児童虐待防止法の中では、直接身体的な暴力を受けていなくとも、精神的虐待を受けていることとされるのです。
 DV被害支援をしている立場でコメントさせていただくと、いま、結婚して9ヶ月、お子さんのいない状況ならば、最もかかわりを断つことができやすい状況にあることを理解していただけたらと思います。
 家をでるか、でないか、離婚に向けて行使するか、しないかは別の問題として、「DV・夫からの暴力チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」に、あなたが受けてきた暴力をまとめあげ、あなたがなにをされ、相手方(あなたの夫)がなにをしてきたのかという事実を正しく理解することを第一に考えてみませんか? そして、いざ行使するとなったとき、あなたのご両親にどう伝え、支配のための暴力・DVのことをいかに理解してもらうかが問題になってきます。あなたの”これから”の生き方をどう考えるのか、そして、ご両親への対応をどうしていったらいいのかなど、一緒に考えていきませんか?
 できれば、ブログの<はじめに>からブログの礎となっている3つのレポートをお読みいただき、カテゴリー「DV被害支援室 poco a poco 薫のコラム」「加害者の暴力を論証する DV被害支援室poco a poco の考え方」に目を通していただき、やっぱり話を聴いてもらいたい、相談にのってもらいたい、”これから”のことを一緒に考えて欲しいと思われるのなら、遠慮なく、いつでも、指定のメールアドレス(poco_a_poco_marine_s@yahoo.co.jp)宛にメールをお送りいただければと思います。
 最後に、ブログ冒頭記事「はじめに」の中の<コメント記載に関するお願い>では、
 「ブログを訪問し、投稿記事を読まれる方の中には、「コメント」を通じて、さまざまな人の考えに触れたり、活動の輪を広げたりできることから、それを楽しみにしている方も多くいらっしゃると思います。しかし、当ブログは、夫からの暴力・DVにかかわる情報を提供し、いま、苦しんでいるDV被害者の方を支援するためのブログです。と同時に、DV加害者からの検索・アクセスもあります。
 そこで、コメントの残された方に対しての中傷・非難するといった接触を防ぐ意味合いから、投稿記事へのコメントは、必ず「管理者のみ閲覧」で書き込んでいただきたいと思います。
 上記の理由から、コメントを残していただいた場合であっても、コメント欄内で、返答することは極力控えています。返答を望まれ場合には、下記「yahooのフリーメールアドレス」宛に送っていただきたいと思います。
 なお、返答を特にお求めにならない場合のコメントやご意見、または、“こういったことを載せて欲しい”などのご要望については、「管理者のみ閲覧」として書込みをいただければと思います。
 訪問者間同士のコメントのやり取りができないこと、DV被害者支援のためのブログという事情を察しいただきければと思います。」と記しています。
 そこで、大変僭越で申し訳ないのですが、ご記入いただいたコメントから直接メールが送られる状態なので、新たに私の方で、あなたのコメントに続けて、当返信メールに記した文面を表示する(いったん削除し、差替え)というように手を加えされていただきました。何卒、ご承知いただきたいと思います。

2012.12/27
DV被害支援室poco a poco 庄司薫

離婚を決意しました。 

夫は、会社を設立し、お店を開こうとしてます。

それに併せて、離婚を突きつけられました。 
結婚生活10年で、全くかみ合うことがなく、喧嘩もエスカレートして、暴力もありましたし、私が手を出したこともあります。

一つ一つのこと、が自分中心であり、特別視されること、自己顕示欲がすごく、人を見下していて、チェック項目に当てはまります。

親への感謝の気持ちは無くはないようですが、
否定されたりすることに、物凄く激高し、罵倒したおします。。

旦那の家は、おじいさんの代では、有力者と知られています。古い家です。

義父母は、仕事一筋で生きてきました。

おじいさんは、旦那を可愛がり大事にしていたそうです。もちろん、バブルでいい時代だったので、与えられるもの全て手にしていたようです。

私も旦那とは三人の子供がいます。まだ7才5才4才です。

それを捨ててまで起業する俺は、カブキモノで特別で、すごいことをするんだ、


そんな感じです。


ただ、現実としては、私は、離婚を決意しているし、彼が失敗したとしても、助ける気持ちにはなれない。

私は、新しい家族までもう期待しています。

彼が破綻するのが怖いです。



 

自己愛と思われる 夫と2人の子供と暮らしおます。自己愛の事も、原因も、特徴も調べ共依存
も理解してるつもりですが、子供の事を考え
この先、離婚は考えていません
何か良い方法が有れば教えてください


コメントを拝見しました。庄司薫です。 

 ブログの基本記事を一通り目を通していただいていると、私のDV被害に携わる私の立ち位置が「支配のための暴力・DVのある家庭環境で暮らす子ども」に向けられていることを理解していただいていることと思います。この立ち位置で、コメントをさせていただきたいと思います。
 子どもが、支配のための暴力・DVのある家庭環境の中で暮らす。それは、子どもは父親と母親の暴力的なかかわりを見て、聞いて育ち、父親と“わたし”、母親と“わたし”のかかわりを日々の体験として育つことを意味します。その結果、そうした家庭環境の中での生活に順応するために身につけなければならなかった“考え方の癖(認知の歪み)”や、獲得できなかったアタッチメント(愛着形成)を起因とする「受け入れて欲しい」「認めて欲しい」「愛して欲しい」“渇望感”、なにをしても、求めても満たされない“寂しさ”や“空虚感”に、成長するに伴って悩まされ続けることになります。
私は、子どもたちがこういった重い十字架を背負う人生を歩むことのないことを願って、DV被害者支援に携わっているわけです。
 いま私が、あなたにお伝えできることは、「離婚しない」ありきでこの問題を考えるのではなく、まず最初に、①自己愛性人格障害を抱えていると思われているあなたの夫(父親)が、あなたや2人のお子さんに“どのようにかかわっているのか”、そして、そのかかわりによって、“どういう状況におかれているのか”を詳細に、ありのままにことばにし、文字にしてみるところからはじめて欲しいということです(「DV・夫からの暴力チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」に、詳細にありのままに書きだしていく)。次に、②文中の「共依存」が、仮に、あなたがあなたの夫とのかかわりを「共依存関係」にあるということであれば、①の作業の中で、あなたの生い立ち、あなたの夫の生い立ちを詳細に、ありのままにことばにし、文字にしてみて欲しいのです。
 ①②を通じて、夫とのかかわり、子どものときからの親とのかかわりをありのままに文字にすることができたなら、直ぐに、a)「共依存」を専門とする治療機関で治療を開始することです。次に、b)2人のお子さんたちの日々の成長に伴い、幾つかのブログ記事に書かれているような変化や症状がみられた場合には、直ちに、子どもの心の問題を専門とする治療機関での治療(カウンセリングなど)を開始することです。
こうした中で、原因となっている自己愛性人格障害を抱えていると思われる父親のもとで、治療ができるか、できないのかということが明らかになってくると思います。ブログにも記していますが、支配のための暴力・DVがある家庭環境に暮している子どもは、虐待を受けていることになるわけですが、子どもの成長とともに問題行動があらわれはじめ、なんとかしたい思いで児童相談所に相談しにいくと、「お子さんたちの心のケアは、まず家をでてからですね」と応じられることになります。心の問題を生じるにいたる原因となっている父親と同じ屋根のもとで暮らしている限り、子どもの心のケアに取り組むことができないのです。もし、2人のお子さんの成長に伴って変化や症状がでたとき、あなたがしなければならないことは、母親として逃げずに(問題回避をせずに)受け入れ、きちん向き合っていけるように勉強していくということだと思います。
きっと、あなたの求めている回答とは違う、そんなことを聞きたいんじゃないと思われたのではないでしょうか・・。DV加害者支援に携わるひとりの解釈(願い)だと思っていただけたらと思います。もし、あなたが“どういうかかわりなのか”をありのままに文字にしていこうと思われてときには、いつでも作成のお手伝いをさせていただきます。

DV被害支援室 poco a poco 庄司薫

NoTitle 

こんにちわ

ブログを読ませていただきました。

面白いですね~

更新を楽しみにしています


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あなたのダイエット法、ホントにあなたに合っていますか

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NoTitle 

こんにちわ

ブログを読ませていただきました。

面白いですね~

更新を楽しみにしています


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一ヶ月で効果が出るダイエット方法
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全く同じです。 

(※)アドレスがオープンになっているため、ブログ記事「はじめに」に記している理由からコメントは削除し、同じ文面をコピー貼りつけをし、コメントとさせていただきました。
 なお、コメントへの返信は、直接添付アドレス宛にさせていただきます。ただし、現在、出張中のため、返信は水曜('13.10/23)以降になります。

DV被害支援室poco a poco 庄司薫



13.10/21 0:00

出会ってからは16年、結婚して8年目、子どもは7才6才2才です。

ずっと自分が悪いんだと思って生きてきました。一緒に居ないときは正しく判断できるのに、彼と話すとだんだんわからなくなりました。

彼が自己愛だと気付いたらとても楽になれました、私は。ですが、彼は父親として模範的ではないけれど都合の良いときだけいい父親になります。そんなパパを子どもたちは大好きなんです。

でも冷たいんです。見てて可愛そうになります。子どもたちが普通の考えをできる子なのであればいづれ気づくでしょう。私は今どうしたら良いのかわかりません。 離婚はできる状況です。どういう選択をしたらよいのでしょうか? 私がしっかりりていればこのままの状況で子どもに悪い影響はでないのでしょうか。

直ることはないと思います。 彼に何ものぞんでいません。

モペコ

ブログ・コメントを拝見しました。 庄司薫 

 交際期間を含め16年もの長い月日、自己愛性人格障害者の方とかかわり続け、その心労ははかり知れないものだと思います。「大丈夫です。いまのままで大丈夫です」とのことばを期待しているのなら、残念ながら期待にそう返答を差しあげることはできません。逆に、「離婚に向けて、家をでる背中を押して欲しい」ということなら、その役割は少し果たせるかも知れません。ただし、予想外に厳しい話を聞かされ心が傷ついたと感じられるかも知れません。

 さて、「夫が自己愛性人格障害(パーソナリティ障害)と気づいた」あります。この意味が、a)本人の意志のもとで診断を受け、専門医師のもとで治療にとり組み、家族としてどうかかわっていくかの指導を受けているのか、それとも、b)ネットのチェックリストなどにあてはめてみたら多くが該当したので、そう解釈しているレベルのものなのか、また、c)あなたの夫が自己愛性人格障害者であったとして、あなたと夫の間で、支配のための暴力・DVの状況がどのようなものかによって、回答のあり方、コメントのポイントが違ってきます。
 しかし、メールでの相談ではなく、ブログ・コメントに残されたものですので、なげかけたあと返答をいただけないと、回答・コメントそのものができずに終わってしまうので、DV被害者支援に携る者としての一般的な回答・コメントとさせていただきます。

 まず、「ずっと自分が悪いんだと思って、生きてきた」と書かれていますが、「自分が悪い」という”思い込み”は、自己肯定感と自尊心が損なわれるような「否定される、非難・批判される、侮蔑される(バカにされる)、卑下される(見下される)」といった数々のことばの暴力を浴びせ続けられていることを示しています。この状態は、例えあなたの夫が自己愛性人格障害者だからとその原因がわかったからといって、損なわれた(奪われた)自己肯定感と自尊心は直ぐに回復できるものではありません。と同時に、そうした支配のための暴力・DVのある状況の中で「生きてきた」ということは、その環境に”順応する”ために身につけてしまった”考え方の癖(認知の歪み)”、その考え方の癖をもとにしたふるまいが”習慣”になっていることを意味します。
 実は、支配のための暴力・DVのある環境に長く留まる(長く暮らす)ことによる後遺症、つまり、被虐待症候群、もしくは被虐待女性症候群(バタードウーマンシンドローム)の症状として長く苦しんだり、悩んだりするのは、暴力のある環境の中で生き延びるために自衛本能として身に着けてしまった考え方の癖(認知の歪み)、その考え方の癖をもとにしたふふまいが習慣になっていることなのです(私は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受けていない(受けられない)方の後遺症としての症状を表現するものとして、「自虐待女性症候群」を用いています)。
 「ふとしたきっかけで、突然、夫は不機嫌になり、怒鳴りつける。そのふとしたきっかけは、夫のそのときの気分、どう解釈したか加減で統一性がない」、つまり、夫の頭の中で描ている(想定している)通りにものごとが順調に進まなければ、妻がどれほど夫の顔色を伺い(ご機嫌伺い)、媚を売っても意味をなさないわけです。例え、夫から「どうする?」「どうしたい?」となげかけられたとしても、夫が想定している(期待している)回答でなければ、「お前は何様のつもりだ!」「テメエになにがわかるんだ!」「あんたの考えをきいているじゃない!」と大声で怒鳴りつけられ、そのあと、罵倒され続けることになります。夫を主君として敬い、尊敬し、夫のための行いに徹することと誓うことを求める訳ですから、自分の意志、考えを持たずに人形でなければならないのです。それは、母親が乳幼児に無償の愛を与えるように夫にただ尽くすことだけを求めるコトを意味します。

 ここで、親が子にどうかかわるかにとって、子の心身の健全な発育にどう影響を及ぼすのかを少し説明します。
 子どもが親や養育者のもとで育つという意味は、体の発達だけを示すのではなく、脳の発達そのものであるということです。親に抱かれ身を守り、安心を心に刻み、トイレ習慣、入浴し身を清潔に保つ、道具を使って食べ物を食べる、気候にあった衣服で体温調節をはかるといった親のもとで身につける生活習慣は、社会ルールや道徳感、倫理観そのものです。子どもが、これらの生活習慣を親のもとでどう身につけるかは、ものごとをどう捉え、考えるかそのものになります(価値観(人生観・夫婦観・職業観)、行動(善悪など)の判断基準)。親が子にどう接してきたのか、どういうこごばを使い、どういうふるまいをしてきたのかからしか学び、身につけることはできないのです。多くの方々は、親と子のかかわり方に目が向きますが、父親と母親のかかわり方、父親や母親が兄弟姉妹や近親者、そして、近所の人たち、社会コミュニティの中でのかかわり方や接し方、どういうことばを使っているかを見て、聴いて、肌で感じて心(脳)の中にとり込んでいくのです。つまり、親のもとで、人としてどう生きるか(生活するか)、そのために、社会の中で人とどうかかわるのかのすべてを身につける訳です。
 そういった意味で、あなたの夫がどういう家庭環境で育ってきたのかを明らかにすることは大きな意味を持ちます。と同時に、その環境に長く留まり続けたあなたが育った家庭環境を見直すことも重要なことです。
 つまり、親の子への不適切な接し方によって、脳の健全な発達、行動習慣は損なわれることになります。ですから、自己愛性、妄想性、反社会性、演技性、依存性などの人格障害(パーソナリティ障害)は、親の子への不適切なかかわり方が生みだしてしまうものなのです。「アタッチメント(愛着形成)」獲得に問題があったことが、人格を歪めていく根柢にあるわけです。脳の発達からみると、2歳10ヶ月までに、親のもとで適切な人とのかかわりを見て、聴いて、肌で感じて育っているかどうかが重要になります。
 親同士の不適切なかかわり方、親の子への不適切なかかわり方を別のことばで表現すると、それは、暴力のある家庭環境、機能不全家庭であるわけです。暴力のある家庭環境では、当然、乳幼児期にアタッチメント獲得ができていないケースが多くなります。それは、親に受け入れられなかった、認められなかった、愛されなかったということを意味し、その”渇望感”、”空虚感”を抱えたまま成長し、大人になり、親になるのです。私は、このような幼児期時代に無邪気な子どもを生きることを許されず、親にとって都合のいい従順ないい子だった思い(過去に身につけてしまった習慣としての生き難さ)を心に宿したまま大人になった人たち(AC(アダルトチルドレン))を、「底なし沼のような決して満たされることのない強烈な寂しさを抱えている」「地に足がついていないふわふわした危うさを抱えている」と表現しています。
 こうした人たちに共通しているのは、①親からえられなかった“無償の愛(至れり尽くされる)”と尊敬さ、従順さを妻子に求め、親には必死に認めてもらおうと躍起になるということです。そして、②暴力のある中で育つことによって、「自(己)」と「他(他人、他人のもの)」に健全な境界線をひけなくなりやすい(区別できない)ので、親の代わりとして自分に至れり尽くす妻や子には同質化することを強く求めるわけです。そして、自己と他者の境界線をひけないことは、思春期前に身につけはじめる「あなた」「私たち、あなたたち」といった二人称や三人称を獲得できないまま大人になってしまうことを意味します。そのために、人とどう距離をとったらいいのか、どこに自分の立ち位置を持っていったらわからなくなり、人とのかかわり方に悩み、苦しむことになります。暴力的なふるまい、力を誇示して人と接するのも、人と接する、かかわるのが怖くて極力避けるようになりひきこもるのも、「自」と「他」の境界線がわからないことを起因とする、「人のことがわからない」「相手がなにを、どう考えているのかわからない」といった強烈な不安感、恐怖感に心が支配されてしまっているからです。猜疑心いっぱい、疑心暗鬼になり、人の行いは悪意のあるもの、裏のあるものとしか考えられなくなってしまうのです。
 つまり、俺しか信じない、俺は、俺がしかないわけです。
 別ないい方をすると、乳幼児が自分中心にものごと(世界)が回っていると思い、それに、準じたふるまいや覚えたてのことばを使うわけです。気を惹き、注目を集め、かまってもらうために、笑い、泣き、ものを投げ、髪をひっぱり、叩いたり、蹴ったり、拗ねたりします。そして、我を通す(親や大人、兄弟姉妹といった近親者をコントロールする)ために、駄々をこね、癇癪をおこすわけです。自己と他者の区別が不鮮明で、一人称しか身につけられなかった人たちは、こうした幼児そのもののふるまいでしか人とかかわることができないのです。幼児と違うのは、”かけひき”に延髄刺激、つまり、麻薬効果のあるセックスを使うということろです。
 主語を一人称しか獲得できていない人と、あたり前のコトとして二人称、三人称を身につけている(獲得している)人がかかわりを持ってしまった場合、話し合いがなりたつことはありません。ですから、離婚について、夫婦間や両親や近親者を交えての話し合いをしてはいけないのです。不毛なやり取りに疲弊するだけです。
 なぜなら、主語が一人称の人は、人がどう思ったり、感じたりするのかといった能力(共感性)は獲得できていませんから、当然、自分本位の考え方しかできません(第三者には自分勝手と映ります)し、自分の思い(我)だけを押し通すことしかできないからです。
 にもかかわらず、多くの人たちは、夫も二人称や三人称をあたり前のように獲得していると思って、会話をしたり、やり取りをしたりしてしまいます。その結果、「えっ、どうしてそう受け取るの?」「えっ、どうしてそれと、これが結びつくの?」と、特に、乳児がなにを求めているのか表情や仕草から読みとり、コミュニティで子どもを守り、育ててきたためにことばやコミュニケーション能力、その場の空気を読みとることを発達(言語野が発達)させてきた女性は、二人称・三人称の会話がなりたっている前提のもとで、その不可解な考え方の理由(解、本意)を必死に探し求めてしまうことになります。そして、「わけがわからない」と思考は混乱してしまうのです。さらに、怒鳴りつけたと思ったら、なにごともなかったかのように接してきたり、罵倒し散々心を傷つけておきながら、優しくしてきたり、セックスを求めてきたりといった「相反する拒絶と受容を繰り返される」ことによって、思考混乱から思考コントロールされることになります。この時点で、「いっても無駄」「なにをしても状況は変わらない」と無力感に叩きのめされています。さらに、幼児のように拗ねたり、黙り込んだり(無視)されることによって、主体的に取り繕ったり、ご機嫌取りをしたりするようになり、一方で、否定され、批判され、侮蔑され、卑下され続けることで「自分が悪いから怒鳴られるは仕方がない」とここに留まるのを正当化してしまうのです。複雑に絡んだ糸のようになり、なかなか逃れられなくなります。
 あなたが常識的なものの考え方をすればするほど、「一緒に居ないときは正しく判断できても、彼と話すとだんだんわからなくなった」となってしまうのです。
 
 ブログの主要記事を読まれ、そして、このコメントをここまで読まれ、既に、気づかれているかも知れませんが、 支配のための暴力・DVのある家庭環境で暮らすことになる子どもは、虐待を受けている(直接、暴力を受けていなくとも、殴られるのを見たり、罵倒されている声を聞いたり、察したりしていれば精神的虐待を受けている)ことになります。
 厳しい指摘になりますが、3人の子を持つ母親として、事実として受け止めて欲しいのですが、あなたが夫からひどいことばの暴力を浴びせられてきたのなら、あなたのお子さんたちも虐待を受けていることになります。そして、あなたが「都合のよいときだけいい父親になるパパを子どもたちは大好き」と感じている親子関係は、支配のための暴力・DVのある「機能不全家庭」にある限り、私には、ことば通りに受けとることはできません。なぜなら、暴力でできあがった夫婦関係をみて、聞いて、感じて暮らさなければならない子どもは、残念ながら、健全な親子関係はなりたっていない、構築されていないと考えなければならないからです。
 ですから、「私がしっかりしていれば、このままの状況で子どもに悪い影響はでないのでしょうか」への回答は、既に人とのかかわり方など将来に影響を及ぼしかねない多くの因子をとり込みながら成長してきていると考えなければなりません。そのうえで、専門機関の助けを借りるといった適切な指導のもとで、お子さんたちが間違って身につけてしまった考え方の癖(認知の歪み)、その考えにもとづく行いを”正して”いく必要になります。
 お子さんたちは、あなたのお腹にいるときからずっと、母親であるあなたと父親とのやり取り、かかわり方を聴いて、見て、感じてきたわけです。父親が母親であるあなたを慈しみ、思いやり、敬い、気遣うことば、ふるまいをしてきているのであれば、お子さんたちは心豊かに育っている、健全に発育しているといえます。しかし、そうでないなら、つまり、子どもにとっての父親が、母親にひどいことばを浴びせ、心ないふるまいをしている存在でしかないのなら、健全に心を育める環境でないことは明らかです。
 支配のための暴力・DVのある家庭環境で暮らすということは、乳幼児にとって“生(命)”を脅かされる危険な場所でしかないのです。その危険な場所で生きていかなければならない子どもは、母親が父親にどう接しているかを見て、聴いて、肌で察しながら母親の生きながらえるための処世術をすり込み・学び、身につけていきます。しかも、幼い子どもながらに、父親と母親との間でどういう役割を担うことが父親に喜ばれるのか、母親のためになるのかをその都度、判断を求められ続けます。そして、その役割を健気に果たそうとします。それは、愚痴聞き役の長女であったり、親の仲介役や世話役として、無邪気な子どもを生きるよりも、なによりも親の役に立つことを優先させてしまうのです。暴力のある家庭で暮らさざるをえない子どもたちに共通してみられる特徴です。父親が子どもと遊ぶとき、子どもが心から楽しめるように子ども本意に考え、ふるまっているのか、逆に、子どもが父親を喜ばす道具になっているのをわかってでも、からかわれ、冷やかされ、泣かせられながらも、必死にかまってもらおうとしているのか、その様子を見れば一目瞭然です。子どもは生きるために必死に存在を受け入れてもらいたい、認められたい、嫌われたくないだけなのです。嫌われたくないから、「好き」というのです。愛されたいから、「愛している」というのです。その根底にあるのは、受け入れられない=捨てられる恐怖感と不安感です。
 といっても、やがて子どもの成長とともに、”わたし”そのものの存在を認められることもなく、ただご機嫌とりをしていたに過ぎないことに気づきはじめることになります。こうした役割を過度に担い過ぎ、無邪気な子どもを生きられずに思春期を迎え、青年期を迎えることになると、心のバランスを崩し、さまざまな問題を抱えることになるのです。
 子どもにとって、暴力のある家庭環境、母親が父親から怒鳴られ、罵倒されるのを見たり、聴いたり、肌で感じたりしなければならないのは、自分の存在が認められない、受け入れられない、愛されていないと受け取るのです。それは、前述した通り、乳幼児は「自己」と「親」との境界線ができていないからです。母親が父親から受け入れられていない(暴力を受けている)のは、自分自身も父親から受け入れられていない(暴力を受けている)と認識してしまうのです。ですから、あなたが夫から受けてきた暴力は、お子さんたちもまた同じ暴力を受けていることになるのです。そして、その暴力のダメージは、脳の成長した(成人の)あなたが受けるものより、脳の発達過程にあるお子さんたちはより深刻だということです。
 ですから、母親としてはつらいことであっても、7歳と6歳、2歳のお子さんたちが受けてきた暴力についても、正しく認識しなければならないのです。そして、あなたとともにお子さんたちの暴力によって傷ついた心のケアにとり組むことの必要性と、重要性についても認識して欲しいと思います。
 ここで問題になるのは、支配のための暴力・DVの加害者となる夫と同じ屋根のもとで生活を続けながら、暴力で傷ついた心のケアは残念ながらできないということです。思春期を迎え、子どもに情緒が不安定であったり、衝動のコントロールがつけられなかったり、不登校やひきこもり、万引きなどの諸問題が見られ、児童相談所を相談に訪れると、「まずは、お子さんを連れて家をでることを考えましょう。お子さんの心のケアはそれからです」と応じられることになります。父親がDV加害者更生プログラムを受けることになったとしても、加害者と被害者が同じ家に暮らしながらでは、どちらの治療も進まないのです。
 あなたが、あなた自身を大切に思い、そして、母親として、3人のお子さんたちの健全な心の発達のために1日も早く心のケアにとり組む必要があると思うなら、生活の場を離れることと、あなた自身の心のケアにとり組みはじめることが必要となります。
 「離婚の成立」には、あなたの夫が応じるか、応じないかといった相手の意志が大きなウエイトを占めます。また、あなたの夫が離婚に応じても、子との面会交流を望まれ、いっさいのかかわりを断ち切ることを拒まれ、あなたやお子さんたちの心のケアの妨げになるといった問題をどうするかについても考えていかなければなりません。ですから、用意周到な準備をして、まず、「家をでる」ことです。そして、調停の場以外、いっさい話し合いなどの接触を持ってはいけません。ここが、婚姻破綻の原因が、不貞行為や性格の不一致などとするものと、DVを原因とするものの違いです。例え、戻った実家になんど訪れようとも、電話やメールの着信音が鳴り響いても、弁護士が決まるまで、電話にはです、メールを返答してもいけません。依頼した弁護士から夫宛にメールか、手紙で、「離婚に向けて、調停を申立てる準備をしていますので、直接電話、メールのやり取りは控え、以降は、弁護士宛にお願いします」と伝えてもらうようにします(詳細は、ブログ主要記事の方で再度ご確認をお願いいたします)。
 前述していますが、自己愛性人格障害者である夫とは、夫婦として離婚について話し合うことは、疲弊し心がボロボロになってしまいます。家をでる前に用意周到な準備を欠かさないことです。そして、夫婦関係調整(離婚)調停に臨んだとしても、あなたの夫が「暴力などふるっていない。子どもの私のことを慕っている。だから、離婚なんて考えられない」と終始主張し続け、調停が不調に終わり、裁判に移行することになったとしても、重要なのは、あなたの夫の主張を覆すだけの書面(申立書=陳述書=訴状)をつくりあげることです。

 “これから”あなたとお子さんが、“わたし”を大切に生きるために、どうしたらいいのか考えていって欲しいと思います。
 そのためには、あなたと3人のお子さんたちが”なにをされてきたのか””どういう状況におかれてきたのか”をことばにし、文字にしていくことが必要になります。そして、そのことばにし、文字にしたものを、暴力のある環境に順応するために身につけてきた考え方の癖(認知の歪み)がどのように表れているのかを指摘されながら、”これまで”の現実を受け止め、”これから”をどう生きるかと向き合うことによって、夫に囚われ、縛られ続けたおぞましい過去と断ち切る覚悟を決めることがなにより重要だと思います。
 多くのDV被害者の方たちは、夫にされてきた凄惨でつらい日々を「こんなつらい生活はなかったことにしてしまいたい」と封印にすることで、”これまで”を生きることができたと思っています。つらかった地獄の毎日に蓋をしてしまうことで、ようやく生活することがなりたっていた人も少なくないわけです。
 例えば、私のもとで、”なにをされてきたのか””どのような状況におかれてきたのか”をことばにし、文字にしてきた方々の中には、「1~2ヶ月に及ぶこのことばにし、文字にする作業は、非常に苦しく、哀しく、ときには、自分がどうにかなってしまうのではないかと思うほど過酷なものだった」とそのときの苦しみを表現しながらも、「私と子どもたちの”これから”のために、行政に相談するとき、弁護士に依頼するとき、離婚調停で自分のことばできちんと話せるようになるために、必死に自分自身と向き合う必要があった。でも、本当につらかった」とも話します。
 そして、その方々が求めるなら、その魂を込めて書きあげていただいた「DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」をもとに、夫婦関係調整(離婚)調停の申立書に添える「陳述書」を書きあげています。この陳述書は、調停が不調になり裁判に移行するときには、「申立人を原告、相手方を被告(逆の場合もありますが)」と表記を書き直すことで、ほぼそのまま「訴状」とできるレベルに仕上げています。
 
 手前味噌になってしまいますが、ブログの主要記事で、a)離婚に向けて家をでるときにはなにを、どうしておかなければならないのか、b)離婚調停に臨むにはどういう考え方をしたらいいのかなど、再度、確認していただ蹴ればと思います。そして、c)私がかかわり、手を入れるか、助言をするかどうかはまったく別のコトとして、「DV・夫からの暴力、子への虐待チェック・ワークシートにもとづく「DV被害状況書」」に”なにをされてきたのか””どのような状況におかれてきたのか”をことばにし、文字にし、書き込んでいくところからはじめられたらどうでしょうか?


DV被害支援室poco a poco 庄司薫
  • #63 DV被害支援室poco a poco 庄司薫 
  • URL 
  • 2013.10/23 18:53 
  •  ▲EntryTop 

やっぱりとガッカリ 

15/10/12
ぴーこ
やっぱりとガッカリ

 内容見てびっくりしました、私の主人ほぼ該当しています、薄々そうじゃないかと思っていましたが余りにも当てはまり過ぎて確信しました、と同時にもう我慢しなくて良いんだ、と思えました、今まで自分を責めてきましたが今は主人の事も自分の事も責める気持ちも無くただ子供たちと前に進んで行こうという希望が出てきました、主人は不倫中ですがもうそれもどうでもいい、今あるのは自分と子供たちの安定と安心のある幸せな未来を作るという目標が出来ました、

(※)アドレスがオープンになっていましたので、ブログ記事「はじめに」の中で、下記の通り<コメント記載に関してお願い>に記している理由から、一度コメントは削除させていただいたうえで、同じ文面を貼りつけ、コメントとさせていただきました。
 なお、いただいたコメントに対して、10月13日17:30、添付されていましたメールアドレスの方に、yahooメールから返信させていただきましたので、確認いただければと思います。
DV被害支援室poco a poco 庄司薫

<コメント記載に関するお願い>
 ブログを訪問し、投稿記事を読まれる方の中には、「コメント」を通じて、さまざまな人の考えに触れたり、活動の輪を広げたりできることから、コメント内でのやり取りを楽しみにしている方も多くいらっしゃると思います。
 当ブログは、配偶者(特に、夫)からの暴力・DVにかかわる情報を提供し、いま、苦しんでいるDV被害者の方を支援することを目的としたブログです。しかし、DV加害者からの検索・アクセスを防ぐことはできません。そのため、DV加害者にも情報を提供することになりますし、コメントに残した記述が自分の妻ではないかと探ったりする可能性もあります。
したがって、“返信用のアドレスを載せたコメントを残す”ことによって身元が割れてしまうことがないように、また、コメントを残された方に対しての中傷・非難するといった接触がないように細心の注意を払っていただく必要があります。こうした理由から、投稿記事へのコメントは、必ず『管理者のみ閲覧』で書き込んでいただくようにお願いします。
 そのため、コメントを残していただいた場合であっても、コメント欄内で、返答することは極力控えています。お聞きになりたいこと、確認したいことなど返答を望まれるときには、相談・問合せ用の「メールアドレス poco_a_poco_marine_s@yahoo.co.jp」にお送りいただきたいと思います。なお、返答を特にお求めにならない場合のコメントやご意見、または、“こういったことを載せて欲しい”などのご要望についても、「管理者のみ閲覧」として書込みをいただければと思います。
 訪問者間同士のコメントのやり取りができないこと、DV被害者支援のためのブログという事情を察しいただきければと思います。
管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

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