あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-3]Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス

(5) DVでない暴力、DVそのものの暴力

 
 6.デートDV。別れ話が発端となるストーカー事件 5.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか
* 現在、この「手引き」は、第3次改訂の編集をおこなっています。編集終了後、差し替えていきます。

第1部
Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス
-DV事件等のデータ-

5.DVは、夫婦の関係、親子の関係になにをもたらすか
  ・事例15
 ・事例16-17(分析研究1-2)

(1) 暴力のある環境に順応するということ
(2) DVの本質。暴力で支配されるということ
  ・事例18 同棲した男からのDV被害は、つきまとい・ストーカー行為からはじまった
  ・事例19 暴力の連鎖。暴力のある家庭環境で育った夫によるDV、息子をかばう義母の暴言
  ・事例20 たとえ一度の暴力でも、その後、心が凍るほどの恐怖に支配される
  ・事例21 暴力と知りながら、助けてくれない人たち
  ・事例22 離婚の決意。凄惨なDV被害よりも愛人をつくったことに思いが
  ・事例23 夫の暴力から逃げる難しさ
  ・事例24-26(分析研究3-5)
(3) DVとは、どのような暴力をいうのか
  ・離婚調停申立書の「動機欄」とDVの相関性
  ・暴力にかかわる用語の説明
  ・DV行為の具体例
(事例27-53)
(4) DV被害者にとって、区別し難い解釈
(5) DVでない暴力、DVそのものの暴力
・事例54
・“障害の特性”が結果として暴力になる(自己正当化型ADHD、アスペルガー症候群)
  (事例55-59)
・境界性人格障害(ボーダーライン)
・サイコパス
(6) 被害者に見られる傾向
  ・レノア・E・ウォーカーの「暴力のサイクル理論」と「被虐待女性症候群」
  (事例60-61)
・暴力の後遺症としてのPTSD
  (事例62-64)
  ・被虐待体験による後遺症
  ・カサンドラ症候群
  (事例65-67)
  ・事例68(分析研究6)
   (“恋愛幻想”下でのデートDV)
   (別れる決意、恐怖のストーカー体験)
   (再び別れ話を切りだし、酷くなる暴力)
   (DV環境下で育ってきた子どもの状況)
   (快楽刺激とトラウマティック・ボンディング)
   (感覚鈍磨と誤認)
   (退行願望)
   (トラウマティック・ボンディングとできない理由づくり)
   (別れることの障壁)
   (思考混乱、考えるということ)
  ・事例69(分析研究7)
   (「見捨てられ不安」と無視・無反応)
  (暴力の世代間連鎖、低い暴力への障壁)
   (暴力から逃れたあと、「共依存」へのアプローチ)
   (加害者の生い立ちに共感)
   (暴力のある家庭環境で育ったことを起因とする精神的脆弱さ)
  (被害者の空虚感、渇望感を埋める加害者の夢と財)
 ・暴力をエスカレートさせないために..「脅し」を含んだことばには、まず「ノー」という


① 病気や事故による喪失感、絶望感を起因とする暴言や暴行
「お前のせいで、~。」とか、「俺は~だから、お前が~するのはあたり前だ。」などと、責任を押しつけたり、責任転嫁したり、自己のふるまいを正当化する言動が認められるかどうかが判断のポイントになります。
例えば、「俺は、重度の糖尿病で低血糖になるとイライラを押さえられない。俺は病気で苦しんでいるんだ。それがなんだ! お前は、・・」と怒鳴りつけたとします。
「俺は、…いるんだ。」までは、症状に苦しんでいることを訴えているわけですから、ここで終われば、ことばの暴力(DV)とはいえず、症状に苦しんでいることを訴えていることになります。
しかし、「それがなんだ! お前は、・・」と一転して非難・批判することばが続くことになり、その前の訴えのことばは、自身のふるまいを正当化するための文言になってしまうわけです。
この言動は、思い通りにことが進んでいなかったりする苛立ちを、妻や子どもにあたり散らしているに過ぎない典型的なパターン、つまり、ことばの暴力(DV)そのものということになります。
被害者が「暴力は、病気が原因だから仕方のない。暴力をふるわないときは優しいし、…」と思い込んでいる(自分で納得できる理由づくりをしてしまう)ときには、インシュリン投与による低血糖が、暴言や暴行そのものの隠れ蓑に使われ、しかも、加害者にとって都合のいい考え方を信じ込ませてきているということになります。
糖尿病治療薬(インシュリンや経口血糖降下薬)による低血糖の症状は、血糖値70mg/dL以下になると急激に、空腹、発汗、震え、動悸などの自律神経症状、眠気、集中力の散漫、頭痛、目の霞や複視、おかしな行動、発語困難、意識の混乱、けいれん、昏睡などの中枢神経症状が表れ、速やかにブドウ糖(飴など)を摂取して血糖値を正常値にコントロールしなければなりません。
つまり、糖尿病治療における低血糖の症状は、緊急を要する状態に至っていることから、暴言や暴行に及ぶ余裕はないのです。
 そして、「Ⅰ-1-(5) 子どものSOS(発信するサイン)を見逃さない」の中の「砂糖の過剰摂取(ペットボトル症候群)と低血糖症」でとりあげているペットボトル症候群などが発症原因となる「低血糖症」と、糖尿病治療における低血糖の症状とは異なるものです。
 したがって、ある日突然、病気や事故でからだに重篤な障害を抱えることになったり、仕事や熱中していた部活や習いごとを続けられなくなったりした哀しみや苛立ちといった感情のコントロールができず、近しい人にあたってしまうことがあります。
こうした暴言や暴行は、適切な心のケアによって現実を受け入れられることによって収まる方向に向かう可能性があることから、支配のための暴力としてのDVとは別のものと考えます。

-事例53(DV34)-
夫Fがめまいを訴えたので、耳鼻科で紹介された大きな病院に行き、MRI検査を受けることになりました。
Fは、私に「つき添って欲しい。」といいました。しかし、私が「仕事もあるし、…」と渋ると、Fは、大声で「俺はついていってやった!」、「俺はいわなくとも、自分からつき添うというのが女房だろ! お前は本当にひどい女だ!」、「あんな狭いところで、俺は閉所恐怖症だ!」、「お前に俺の気持ちがわかるか!」、「俺は本当に苦しんどるんだぞ!」と非難しました。
 しばらくして、Fは「めまいが治らない」といい、メンタルクリニックへ通院することにしました。
すると、帰宅したFは「俺は本当に自殺ぎりぎりだった。」と訴えました。
しかしFは、お酒を減らすことはありませんでした。
何かにつけて、Fは「お前は俺を理解していない。お前じゃダメだ。」、「お前なんかいらん。死ね!」といい放ち、「ぶっ殺すぞ! 顔面グーで殴ったろか!」、「F家を敵に廻すと怖いぞ。D家なんかあっという間だ!」と脅し、「俺の病院につき添ったことが一度でもあるか? ないくせに! 俺のことを文句いうな!」と非難し、しつこく絡みます。
子どもと義母が入浴をしていたとき、浴室の真上にある2階のトイレにいたFが、ダダダッと階段を駆け下り、浴室を開け、「いま、パパのめまいが何とかって、替え歌かしらんがバカにして笑とっただろ! パパがどれだけ辛いかわかっとるのか! ふざけとる!」と怒鳴り散らしました。
子どもは、涙ポロポロ「ごめんなさい。」と謝りましたが、Fの怒りは収まらず、「お前らが俺のことを理解してないから、子どももわからんのだ! お前らが悪い! 一緒に風呂に入っとるお前(義母)は、何一緒に笑っとるんだ!」、「俺がどんだけ辛いかわかっとるんか! 俺は行きたくもない病院へたった一人で行ってだな、自律神経失調症、軽いうつ、過敏性腸炎、強迫性障害といわれたんだぞ!」、「見た目は普通に見えるかもしれんが、俺は病気なんだぞ! いたわれ! 理解しろ!」と声を荒げ、非難し続けました。

 この事例53のケースでは、「めまい」の症状をきっかけに、メンタルクリニックに通院することになり、医師は、Fに対する面談による訴えにより、「自律神経失調症、軽いうつ、過敏性腸炎、強迫性障害」と診断し、精神治療薬を処方していますが、Fの妻や同居する妻の母親と面談はおこなわれていません。
 したがって、Fの訴える不具合や不安にフォーカスされ、妻や子ども、義母に対する暴力的な行為などには、ほとんどフォーカスされていないことから、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害が疑われず、うつ症状にしても、大うつ病ではなく、仮面うつ病(非定型うつ病、新型うつ病)にフォーカスしていないなど、正確な診断はでき難いわけです。
 そこで、重要になってくるのは、Fの妻や同居している妻の母親との面談による情報と詳細なFの成育歴です。それによって、愛着障害や行為障害の有無を見極めることができます。
 ここに記されている情報だけでは、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害を基軸に、不安障害(強迫性障害)、あるいは、仮面うつ病などの症状が重複していて、妻や家族に対する暴力的な行為は、“障害の特性”によるものと考えるのが妥当です。

② 高次脳機能障害、ジストニアなどを起因とする暴言や暴行
 また、交通事故や脳卒中などのあとで、記憶障害、注意障害(半側空間無視を含む)、遂行機能障害、社会的行動傷害、自己認識の低下(病識欠如)、失行症、失認症、失語症、片麻痺、運動失調などの症状がみられるときには、高次脳機能傷害と診断されることになります。
そして、行動や感情をその時々の状況に合わせて適切にコントロールすることができなくなる社会的行動障害がでているときには、すぐ怒ったり、笑ったり、感情のコントロールができなかったり、欲求を抑えられなくなったりします。
また、脳(主に大脳基底核)や神経系統のなんらかの障害により、持続的または不随意的に筋肉が収縮したり固くなったりする難治性の疾患として「ジストニア」という病気があります。
筋肉が自分の意思通りに動かなくなり、異常な動作や姿勢になり、重度の場合は継続的に、軽度の場合でも平常な装いを強いるほど肉体的に大変つらい状態となり、それにより精神的苦痛も伴うことから、発病後の早い段階においては、ストレスや情緒により悪化し、感情のコントロールができなくなったり、欲求を押さえられなくなったりして暴力的なふるまいがおこなわれることがあります。
この状況を、「本質論としてのDV」と認識するのは無理があります。
ここで、「本質論としてのDVと認識するのは無理がある」としているのは、「婚姻破綻の原因はDVにある」として離婚を求めるとき、その行為だけをもって、民法770条に定める離婚事由に該当させることが難しいという意味です。
「その行為だけを持って」というのがキーワードです。
なぜなら、結婚という制度では、お互いに助け合う(扶助)義務があるとされていることから、治療にとり組むなど「手を尽くせることはすべてやった」事実を示すことが必要だからです。
その事実を示したうえで、民法770条1項5項の「その他、婚姻を継続し難い重大な理由がある」とする中の「配偶者からの暴力・暴言、その他の虐待行為を受けた」に該当するのかどうか、司法の判断に委ねることができれば、離婚事由と判断されると考えることができます。
なお、「民法770条に定める離婚事由」については、「Ⅳ-25-(1)民法770条に定める離婚事由」で説明しています。
 ただし、行為自体は暴力・DVであるわけですから、ひとりで耐え続けるということではなく、適切な治療を受け、同時に、保健センターや福祉事務所などの行政機関に相談し、できる限りのサポートを受けることが必要です。

③ レビー小体型認知症、レム睡眠行動障害などを起因とする暴言や暴行
 認知症の症状がではじめたとき、「部屋の隅に人がいる」など幻覚(幻視や幻聴)を示したり、妄想を伴う異常行動として大声で怒鳴り声をあげたり、暴行がふるわれているときには、「レビー小体型認知症」が疑われます。
また、悪夢にうなされ、大声で寝言をいったり、殴ったり、蹴ったり、素早い暴力的動作がみられるときには「レム睡眠行動障害」が疑われます。
レム睡眠行動障害は、レム睡眠中に見ている夢の内容に反応して異常行動が生じるもので、脳幹の障害、脳の加齢が原因されています。
これらは、医療機関において診断を受け、適切な治療をおこなうことが必要になるものです。
レム睡眠行動障害の発症の原因とされる“脳幹の障害”は、乳幼児期(胎児期を含む)に受けた虐待体験が影響しているとされています。また、乳幼児期に受けた虐待体験は、コルチゾールの分泌による海馬の委縮など、アルツハイマー型認知症の発症原因にもなります。
したがって、日々の生活において、もともと支配のための暴力としてのDV(特に、ことばの暴力)があったけれども、ことばの暴力をDVとは認識できず、黙って耐えてきていた中で、50-60歳代になり、突然、睡眠中に殴られたり、蹴られたりすることになったケースもあります。
当然、適切な治療が必要になりますが、そのままDVのある生活に留まるのかという問題が残ります。
 被害者が無自覚なまま見過ごされてきたDVが根底にあり、アルツハイマー型認知症を発症したことをきっかけに身体的暴力がはじまったとしても、認知症の診断を受ける前(発症初期)であるならば、通常のDV事件として民法770条第1項5号の適用によって、離婚を求めることには問題はないことになります。
ところが、レビー小体型認知症やレム睡眠行動障害などによる暴行や暴力は、明らかな異常行動として治療が進められることになるため、民法770条第1項4号で離婚事由としなければならなくなると、「回復の見込みのない精神病やレビー小体型認知症、レム睡眠行動障害などの発症が暴力の原因であるとして、治療にとり組むなど手を尽くせることはすべてやった」事実が必要になり、併せて、同法1項5号を離婚事由とできるかは難しいと考えます。
なぜなら、「認知症を発症したので離婚したい」という論理になってしまうと、子どもや年老いた両親や親族などを養育する、扶養する、つまり、「扶養の義務」に反する行為になってしまうからです。
 とはいっても、行為自体は暴力であるわけですから、ひとりで耐え続けるということではなく、適切な治療を受け、同時に、保健センターや福祉事務所などの行政機関に相談し、できる限りのサポートを受けることが必要です。

④ 農薬、除草剤の散布、ダイオキシンやPCBによる神経障害によるもの
 散布される農薬や家材から薬剤、さらには、偏西風によって運ばれる(黄砂)ダイオキシンやPCB、PM2.5などの化学物質は、甲状線ホルモンを撹乱したり、血液脳関門で守られた脳の血管を通過してしまうことで、神経伝達組織を撹乱させたりします。
その結果、多動性障害などのさまざまな障害をひき起こすことになります。予後が好ましくない疾病や障害を抱えることによるストレスとともに、農薬などの化学物質を吸引することが、暴力の原因となっていることがあります。
 黄砂は、オルドス、ゴビ砂漠から偏西風を通じて日本に到着します。その黄砂には、硝酸イオンや硫酸イオン、アンモニウムイオンなどの大気汚染物質を身にまとい、日本で観測されるSOx(硫黄酸化物)の49%が中国起源のものです。北九州地域で頻繁に観測される光化学スモッグも、SOxNOx(窒素酸化物)が原因とされています。NOxや炭化水素(揮発性有機化合物)が、日光に含まれる紫外線の影響で光化学反応がおこり生成される有害な光化学オキシダント(オゾンやアルデヒトなど)やエアロゾルが空中に停留し、スモッグ状になっています。
陽射が強く、風の弱い日が特に発生しやすくなります。
西日本の日本海沿岸での森林における樹木の立枯れも、偏西風が運んでくる黄砂に付着した硝酸や硫酸による酸性雨が原因です。
昭和58年(1983年)以降、日本全国の平均はph4.7とヨーロッパを超える酸性雨(ph5.6以下)の状況で、日本海沿岸は全国平均より高く、降りはじめのパラパラ雨では、ph3.9を記録するほど高い水準になっています。
 環境公害として知られるPCB*-33、ダイオキシンなどの化学物質は、甲状線ホルモンを撹乱したり、「血液脳関門」で守られている脳の血管を通過してしまうことで神経伝達組織を撹乱させたりします。
*-33 有毒な化学物質「ポリ塩化ビフェニール(PCB)」の血中濃度が高いと、「環境ホルモン」に影響を及ぼし男性の精子を減少させます。同時に、精子が少ない男性の70%近くにメチル化異常が認められ、その結果、不妊の原因になっています。
 1972年にPCBの製造は禁止されていますが、「自然界では分解されにくく、体内に少しずつ蓄積されることから、生まれてくる子どもの健康に影響する可能性がある」と指摘されています。

その結果、多動性障害などのさまざまな障害をひきおこす一因にもなっています。
全身の1/5という大量の血液が流れている大脳では、脳に害をもたらす薬物が簡単に入り込めないように、脳の血管は、「血液脳関門」でブロックしていますが、低分子、しかも脂溶性で電荷のない物質、つまり、PCBやダイオキシン、アルコールやニコチンにカフェイン、覚醒剤、砂糖などが通過することができます。
「Ⅱ-8-(5)子どものSOS(発信するサイン)を見逃さない」の「砂糖の過剰摂取と低血糖症(ペットボトル症候群)」の中で述べているとおり、人工(精製加工品を含む)のあらゆる化学物質は、そもそも人体にとって異物、毒物でしかなく、微量でも体内に侵入すると、身体は毒物が入ったことを強烈なストレスとして感知します。
その結果、アドレナリンが分泌され、敵を排除しようとし、イライラ感や不快感といった症状を表すことになります。このイライラ感や不快感をぶつけてしまうと暴力になります。
また、血液脳関門で守られた脳の血管を通過する薬、つまり、頭痛薬にはカフェイン、精神治療薬には覚醒剤の“類似した分子構造”を似させたものが使われています。なぜなら、類似した分子構造にしないと血液脳関門を通過しないからです。
昨今、問題になっている「脱法ハーブ(脱法ドラッグ・危険ドラッグ)」についても、覚醒剤や大麻などの成分と“類似した分子構造”をしたものをハーブに沁み込ませたものです。覚醒剤と類似した分子構造の精神治療薬についても、分子構造をちょっと変えることで効果を改良し、新薬として販売し、処方され、継続して使用されることになるのです。
血液脳関門を通過させる必要のある頭痛薬も同じです。
 内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)は、20年前のシシリー宣言(1995年11月5日-10日))で、「子宮内で暴露した胎児の神経学的、行動発達と、それにもとづく潜在能力を損なう」と報告しているように、環境ホルモンは、脳や行動上の発達障害や脳性まひ、精神遅滞、学習障害、注意力散漫、多動症などをおこすと警告され続けてきました。
現在、人工化学物質は10万種を超え、環境ホルモン作用のあるものは2000種ではきかないとされ、女性ホルモンと一部構造が酷似しているため生体が誤認し、オスのメス化を生じさせ生殖能力を失うなど生殖系を侵すものです。
また、脳や神経の発達をも脅かし、暴力など異常行動を発生させます。化学物質過敏症をひきおこす原因物質は、化学建材、食品添加物、歯科金属、合成洗剤、車の排気ガスなどで、建築に使われている化学物資は450種類に及びます。
残留農薬や食品添加物、環境ホルモンなどの化学物質を体内に摂り込むと、生体細胞は活性酸素(フリーラジカル)やストレスの影響を受けます。活性酸素やストレス受けた細胞は傷つき、呼吸困難に陥り、いくつかの細胞が壊死します。
中でも、神経細胞に与える影響は大きく、シンナー、マリファナや睡眠薬、覚醒剤等の薬物を摂るのと同様に正常な判断力を失い、精神障害をおこします。なぜなら、有害物質を摂ると、脳内の酸素量が減少してしまうからです。極端に減ると死にいたります。
活性酸素は、体内に侵入してきた異物(殺菌、ウイルス)を撃破する働きもある一方で、残留農薬や食品添加物などの化学物質、農薬や除草剤の散布など汚染された空気を吸収することで、悪玉の活性酸素が大量につくられます。その結果、細胞は健康を疎外され、生活習慣病などを誘発するなどの悪さをします。
ネズミのお腹に合成洗剤を1週間かけ続けると内臓まで溶かすといわれていますが、食器洗いなどで使われている合成洗剤は、サリンなどとともにナチスドイツによってつくられたものです。
建物内でのペンキ塗りやワックスがけに遭遇したり、いつもより多めの合成洗剤を使ったりする大掃除のときなど、目の痛み、頭痛、灼熱感、めまい、吐き気、嘔吐、(意識喪失)などは、度々経験することあると思いますが、それは中枢神経系への影響が表れたものです。
近年、合成洗剤が自殺に使われたことからその危険性を知る機会は増えてきました。
 したがって、化学物質が甲状線ホルモンを撹乱したり、血液脳関門を通過してしまったりすることで、神経伝達組織を撹乱させてしまうことが暴力の原因になっているときには、生活環境を変えるとか、適切な治療を受けることによって、暴言や暴行をコントロールできる可能性がでてきます。
したがって、支配のための暴力としてのDVとは分けて対策を考えることが必要です。
もちろん、アルコール依存、薬物依存に陥り、幻視(幻覚や幻聴)症状がでて、錯乱による暴行がおこなわれているようなときには、既に回復は困難な状況にあるとの判断が必要になります。

 このように、暴言や暴行がある一定期間継続されるものであっても、本来の意味としてのDVの場合もあるし、DVとはいえない場合もあるということになります。
しかも、同じ近しい者に対するDV行為であっても、①脳の発達段階として、感情をコントロールする脳機能を身につけることができなかった者による暴力、②サイコパス的な特質を持つ者(愛着障害を含む)による支配性の高い暴力、③自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群、境界性人格障害(ボーダーライン)を抱える者の“障害の特性”が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力があり、一方で、④紛争地や震災地で、DVや児童虐待、レイプが増加するように、PTSDの症状(攻撃防御の機能不全)に端を発した暴力、⑤交通事故などの後遺症の脳高次機能障害、レビー小体型認知症やレム睡眠行動障害などの疾病を起因とする暴力、⑥薬物やアルコールだけでなく、農薬、ダイオキシンやPCBなどの化学物質を起因とする暴力があり、それは、「本来、対等な関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使する」というDVの本質にそぐわない暴力が存在します。
上記①②③では、暴力行為の背景となるサイコパス(反社会性)、境界性、自己愛性といった人格障害、自己正当化型ADHD、そして、一部のアスペルガー症候群の発症には、暴力のある家庭環境で育ってきているという成育歴が関係していることを理解することが重要です。
「乳幼児期に、暴力のある家庭環境に順応するために身につけた考え方の癖(認知の歪み)や、暴力でダメージを受けた障害の特性にもとづく思考・行動パターン」が、交際相手や配偶者をパワー(力)を行使して支配したり、逆に、パワー(力)を行使されて支配されたりすることになります。
④については、阪神淡路大震災や東日本大震災のように、事故や火災、地震、津波などの単回性トラウマ体験でPTSDを発症し、喪失感や無力感を抱えた人が、その哀しみや苦しさを吐きださず、内に秘め続けると衝動的な暴力欲求をコントロールできなくなるケースと、想像を絶する緊張と恐怖にさらされ続ける戦地や紛争地から帰還した兵士が重篤なPTSDを発症し、感情のコントロールが効かなくなり(攻撃防御の機能不全)、衝動的な暴力行為を繰り返すケースがあります。
また、同じ慢性反復的な恐怖体験であっても、④の後者では、「PTSDを発症し、感情のコントロールが効かなくなり(攻撃防御の機能不全)衝動的な暴力行為を繰り返す」のに対し、②のサイコパス(愛着障害を含む)では、「本来、対等な関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使する」という「DVの本質」そのものであり、③の境界性人格障害(ボーダーライン)と自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群では、“障害の特性”が結果として暴力行為となるというように、暴力という行為に及ぶ起因は違います。
このことは、同時に、④の前者のケース、後者のケース、そして、①②③のケースで、被害者の暴力行為の感じ方や認識のあり方は違うということです。
慢性反復的(日常的)な暴力被害であっても、乳幼児期に親(養育者)から虐待を受けたケース、交際相手や配偶者からDVを受けたケース、そして、虐待体験のある者が、再び、交際相手や配偶者から暴力被害を受けるケースで、被害者の暴力行為の感じ方や認識のあり方は違ってきます。
そして、乳幼児期に親(養育者)から虐待を受けたケース(機能不全家庭で、不適切な養育を受けたを含む)では、被害者の特性を踏まえて「発達性トラウマ症候群」、「被虐待症候群」、総称としての「アダルトチルドレン(AC)」と呼んだり、被害者を女性に特定し、交際相手や配偶者からのDVを受けたケースでは、被害者の特性や傾向を「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)」と呼んだり、アスペルガー症候群を抱える男性を配偶者としている妻が、陥りやすい傾向を「カサンドラ症候群」と呼んだりするなど、どの立ち位置で、被害者の抱える苦悩や葛藤、生き難さ、うつ症状やパニックアタック(パニック発作)を捉えるかによって違ってきます。
加害行為に及ぶ者の背景になにがあるのかという見極めを誤ることは、①別れを切りだしたことがきっかけとなるストーカーリスクの判断、②加害者の暴力を断ち切るための一時保護や保護命令を求める判断は有効かどうかの判断、③加療を要する傷害を負い、刑事事件として立件をする判断、④暴力行為を認めないなど、話し合いで離婚できず、「婚姻破綻の原因はDVにある」として離婚調停を申立てる判断などの「DV対策」に対する適切な対応を誤ることに通じます。
また同時に、慢性反復的(日常的)な暴力被害を受けている者の背景になにがあるのかという見極めを誤ることは、⑤暴力行為で傷つき、一方で、暴力のある環境に順応するために身につけてしまった考え方の癖(認知の歪み)を抱える被害者に対する適切な対応を誤ることに通じるものです。
そして、この見極めと対応の誤りは、ときに、暴力のある家庭環境での生活を余儀なくされる子ども(面前DV=精神的虐待被害下にある子ども)の早期発見・早期支援の障害となります。暴力被害を受けている者の多くが、「いかなる理由があっても、配偶者間に暴力があれば、それは同時に、子どもにとって精神的虐待を与えている」という事実を認識していないわけです。このことも、慢性反復的(日常的)な暴力被害を受けている被害者の背景にあるもの、つまり、どのような家庭環境で育ってきたのかという成育歴が影響しています。
また、近しい人による支えや医療機関による適切な治療によって改善できる機会を逸したり、効果が期待できない者に「DV加害者更生プログラムを受ければ、改善できるかもしれない」と期待を抱かせたりすることになりますので、個々の状況を正確に見極めることが重要です。

⑤“障害の特性”が結果として暴力となる
大人の発達障害の家族、つまり、夫や妻、恋人、同居している親・兄弟・子どもたちは、多かれ少なかれ、発達障害の人の言動や行動にふりまわされることになります。
夫婦間不和、DV、児童虐待などが見られるケースも少なくありません。
問題は、そのほとんどが、大人の発達障害というハンディがあるということに本人も家族も気づいてはおらず、本人のわがままで、自己中心的な性格の問題として片づけ、「夫(妻)の言動にうんざりしている」、「夫(妻)は私のことを理解してくれない」、「物事をいつも自分流におこない、人の意見に聞く耳を持っていない」など、強い不満を抱いていることです。
発達障害の人自身も、自分の問題点に気づかず、自分の家族がなぜそんなに自分に不満を持っているのかさえ、気づいていないことがあります。
気づいていたとしても、自分ではどうすることもできない。発達障害の人がいる家庭では、夫婦関係や親子関係が悪化して、暴力や虐待に走ったり、離婚に至ったりすることも少なくないのです。
発達障害の人とそのパートナーは、さんざん口論を繰り返し、「口やかましい人と聞く耳を持たない人」という関係になっていることが少なくありません。
発達障害の人がいると、家族は次のような両極端のパターンになりがちです。
ひとつは、発達障害者に巻き込まれ、彼らの乱雑さや突発的な行動に家族全体が振り回され、その後始末に追われることです。家族のニーズは後回しにされるため、家族の不満がたまるというパターンです。
もうひとつは、家族全員が発達障害者のことをあきらめて、無視や放任状態になるパターンです。
家庭内では、自閉的特性を持った人のしつこさや自己主張の強さが原因となったトラブルや、家庭不和の問題がある。本人には自分勝手にしているつもりはなくても、結果的にそれで不和が生まれることにもなります。
比較的多く見られるのが、自閉的な特性が強い夫と気性が激しい妻という組み合わせです。
夫は、知的レベルの高い人が多く、幼少期から周囲とは異なっているという感覚は持っているけれども、本人の努力で、一定以上の社会適応性は身につけていますが、家庭では、本来の自分をさらけだすことから、妻が迷惑を被ることになります。
しかし、夫は、その問題を自覚していません。無自覚であることが、結果として、DV行為と認識されることになります。

(自己正当化型ADHD)
自己正当化型ADHDは、注意欠陥などADHDと同じ特徴を持っているものの、ものごとの捉え方や考え方が異常に表面的で、合理的な話が通じません。
極端な学歴至上主義で、工事現場の作業員や清掃員などのブルーカラーに対して差別的です。周囲の人を侮蔑し卑下する一方で他者をけっして褒めることはなく、自分の価値観がすべて正しいと考え、周囲に対し、自己主張をしつこく繰り返します。
なぜなら、自分の価値観以外が存在すること自体を理解できないからです。
また、自分の評価にこだわります。間違った判断や行動をしたとしても、自分が間違えたことを認めず、根拠のないいい訳を繰り返したり、責任を押しつけたりします。
こうした他者を侮蔑したり、卑下したり、否定したり、批判したりする行動特性が、他者にとって、DVやハラスメント、児童虐待となるわけです。
常に自分を正当化し、他者に自分の思想信条を押しつける自己正当化型ADHDは、自己愛性人格障害や強迫性人格障害、アレキシサイミア(失感情言語症)などともオーバーラップします。
そして、自己正当化型ADHDは、強い依存傾向があります。
不可能なことを可能にし、惜しみなく与え、方向を導いてくれる「神」に守られているような安全を求めることから、「神」からでたことばなら、絶対に安全だと考えます。
 例えば、「自分は正しい。自分のことを後回しにして、いつもみんなのためを思っている。自分はいいことをしているんだ。人から感謝されたり、ほめられたりしないと不愉快になるんだ。」などと口にします。世のため、人のためといいながら、事実は、自分のためです。賞賛や賛美が欲しいことを、本人は自覚していません。
また、「すべては神の御心です。神は優しいだけではありません、時に、厳しく裁きます。すべて神の御心です。児童虐待や飢餓、虐殺など…人道的に非道なふるまいもすべて神の計らいのひとつであり、それを通して、われわれになにかを教えようとしているのです。」と解釈します。不幸なできごとは、その人の「罪」の故と考えることから、悩んだり、困ったりしている人は、否定され、非難されている感じを与え、結果として罪悪感を抱かせてしまいます。
カルトや新興宗教に対する傾倒は、アディクションですが、当人は、宗教の水を受けた自分たちは、そうでないものよりも人格として優れていると思い込んでいることから、そうでない「罪」にまみれた人々を救済しようと懸命になります。救済とは、自分たちの宗教に勧誘することです。集会に誘い、同じ活動をさせることです。自分たちの受け入れている概念が唯一正しい、素晴らしい概念であると信じているのです。
 人にはそれぞれ、違う神、違う信仰を持つ自由があるといってもわからないのです。それは、悪魔の化身であり、それを信じるものは、穢れたもの、劣ったものなのです。
 こうした考え方に立つ人のパートナーシップは、共依存になりがちです。
この依存を断つのは、困難です。なぜなら、自分自身の心から目を背けるからです。
 尊大な態度をとる自己正当化型ADHDですが、ひとたび思い通りにいかないことがあると、死に物狂いで自分を正当化しようとします。自分の中にある感情も、都合の悪いことは、すべて「否認」します。狂気とも思える懸命さで、いろいろな理屈を考え、強情に、しつこくいい張ります。


(アスペルガー症候群)
アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラム障害の中では、他の発達障害とはやや特徴が異なり、言語の発達の遅れはほとんどありません。
 アスペルガー症候群の子どもは、ことばの発達が早いこともあり、知的にも高いことから、乳幼児健診などで発見されることは稀で、他者とのかかわりが増える幼稚園や保育園、小学校では、周りの人が、「ちょっと変わった子」と思われているものの、個性の範囲内と捉えられて、何の介入もないまま成人に至っていることが少なくありません。
大人のアスペルガー症候群の特徴は、
・時間や空間の理解や把握が苦手(年月日の記憶違いなど)
・知覚過敏がある場合と、逆に身体感覚を感じにくい人の両方がいる
・自分と他人の境界線があいまい(自分が何者であり、どんな感情や思考を持つかが捉えにくい)
・想像力に乏しく、抽象的な概念の理解が苦手
・計画的・構造的に行動することが難しい((思いついたことをパッと口にしたり、行動したりするところがある)
・変化を極端に嫌う(日常生活のルーチン化、第三者が急に予定を変更するとパニックを起こすなど)
・他人の感情や周囲の状況を理解するのが苦手
・あいまいさの理解が極めて困難(ものごとには例外があることを受け入れにくい)
・複雑な人間関係の理解が難しい(結果として、対人緊張が極めて高い)
・細部への極端なこだわりから、全体像を把握するのが苦手
・感情のコントロールが苦手(爆発型と抑制型の2つに分かれる)
・ことばは流ちょうでむしろ雄弁だが、相互的なコミュニケーションが成立しにくい(会話が一方的、独善的になりやすい)
・自分のやっていることを途中で妨げられることに、強い抵抗を示す
・待つことが苦手
・内省(できごとをふりかえり、反省する能力)に乏しく、同じ失敗を繰り返しやすい。自分の非を認めるのも難しい。
・気分が変わりやすい(周囲には気まぐれと思われてしまう)
・かなり早期から、慢性的な睡眠障害(眠りが浅い)を持っていることが多い
 これらの特徴の幾つかは、境界型人格障害(BPD)と共通し、対人関係の難しさやあいまいさの理解が難しいなどの特徴は、統合失調症(精神分裂病)にも見られます。統合失調症との違いは、主症状の幻聴・幻覚や妄想がないことです。
一方で、生育歴を聴きとると、高い割合で小中高等学校のどこかで不登校の体験があり、社会不安障害(SAD)、強迫性障害(OCD)などの不安障害の合併率が極めて高く、原因の特定されない身体の症状(心身症)を抱えているとされています。LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)との合併例や誤診断が極めて多いこと、そして、虐待の被害者が少なくないことがわかってきています。
DV事件で、被害女性から夫の成育歴を聴きとるとき、重要なことは、家庭内での父親と母親の役割です。
つまり、夫の両親の関係性、それぞれの親と夫との関係性です。
なぜなら、変化に対応することが苦手なアスペルガー症候群の人は、生まれ育った家庭環境の関係性を、自身の家庭にも求めるからです。「良妻賢母」、「内助の功」といった女性や母親の役割(ジェンダー観)なども、生まれ育った家庭環境の価値観もそのまま受け継ぎます。
例えば、自分の母親は、夫に外で働きにでることを許されずにずっと専業主婦で、「妻は内助の功で夫を支えるべきだ」という考え方をする夫の暴力的なふるまいにも耐え、従順にふるまい、加えて、アスペルガー症候群の子どもに対しても、過干渉・過保護的に献身的に尽くしてきたとします。
こうした関係性にある母親は、夫や子どもが不機嫌になり、暴れることを避けるために、家事を一生懸命にやることが行動習慣となっています。そして、妻に従順であることを求める父親は、たとえ、言動や行動が伴わくとも、妻や子どもに敬われ、尊敬されることを強く求める権威思考の高い人物ということになります。
つまり、家事能力が高い妻であり、母親であり、絶対君主的な父親であることになります。
こうした家庭環境で育ってきたアスペルガー症候群の夫は、外に働きにでず専業主婦として、自分に献身的に尽くし、家事を完璧にこなしてきた母親と同じこと、そして、父親のように敬い、崇め、絶対服従であることを、交際相手や配偶者に求めることになります。
「家事を完ぺきにこなしてきた母親と同じこと」とは、母親の家事のやり方、手順、そして、味つけなどすべてが同じであることが基準ということです。
同時に、父親の暴力的なふるまいにも耐え、従順にふるまってきた母親同様に、交際相手や配偶者に対しても、文句をいわず、従順にふるまうことを求めます。
結婚する前、帰宅する時間に合わせて、母親が夕食を用意して待っていたとき、結婚後、共稼ぎの妻が、20時に帰宅し、座る暇もなく台所に立って夕食の準備をはじめたとしても、不満なのです。たとえ、仕事をしながら、家事も一生懸命にやったとしても、子どもを保育園に預けていることが、不満です。
不満は、暴力の火種です。
したがって、交際相手や配偶者が、母親のように献身的ではなく、母親のように家事能力が高くないと、不満は極限に達し、怒りとなって、物を投げつけたり、暴言を吐いたりするなど暴力的な行為に及びます。一方で、自身の暴力的な行為に、交際相手や配偶者は不満をあらわにせず、黙って耐えることを強く求めます。

人とのかかわりにおけるコミュニケーションのほとんどは、非言語によるコミュニケーションで、言語によるコミュニケーションはごく一部にすぎません。
アスペルガー症候群を抱える人の“自閉的特性”は、非言語によるコミュニケーションに属する「暗黙の了解」が不十分です。そのため、コミュニケーション全体が不十分で、スムーズではなくなります。
アスペルガー症候群を抱える人の行動は、一見薄情に見えますが、それは、心の理論(Theory of Mind)がないからです。他の人の考えや気持ちがわからないのです。自分の視点からしか状況を読みとることができず、判断することもできません。悪意があるわけではなく、相手が傷つくという感情そのものがわからないのです。
アスペルガー症候群を抱える人にとって、人の気持ちの変化に対応するためには、感情を論理的に転換して理解することが必要になります。しかし、直感の助けがなく、行間を読むことができないので、人とのやりとりがとても難しくなるのです。
また、アスペルガー症候群を抱える人は、間違ったことを口にして、人と衝突することを極度に怖れることから、交際相手や配偶者であっても、コミュニケーションをとりたがらなかったり、意見を口にするのを避けたりする傾向があります。
一方で、交際相手や配偶者との衝突を避けるためなら、問題があることそのものを否定したり、2人の違いを無視したりします。
また、自分とは違う交際相手や配偶者の考えや価値観を理解することができない人もいます。
これらの行為が、交際相手や配偶者の女性にとっては、暴力的な行為となるわけです。
しかし、こうした行為が、交際相手や配偶者の女性が、愛されず、受け止めてくれないことに傷つき、葛藤し、それが苛立ちや怒りの原因になっていることに思いを馳せることはできません。
なぜなら、人の思い・気持ちという感情は、非言語だからです。
交際相手や配偶者がアスペルガー症候群を抱えていることを理解し、その障害の特性を学び、その障害の特性への対応方法などを習得しない女性は、アスペルガー症候群を抱えている交際相手や配偶者が、人の感情を読みとることが難しいということがわからないまま、傷つき、葛藤し、苛立ちや怒りの感情を持ち続けていることになります。
このような状況では、状況を改善しようと試みる話し合いは成り立ちません。
なぜなら、アスペルガー症候群を抱えている交際相手や配偶者は、問題があるとは認識していないからです。
アスペルガー症候群を抱えている人は、自分の視点からしか考えられないので、自分とは違う意見を受け入れることができず、自分が悪いことをしていると認めることはありません。
そのため、女性が「私がどんな思いをして、…」と私の気持ちをわかってよ!と感情的になり、改善を強く求めるほど、アスペルガー症候群を抱えている男性は、距離を置くようになります。
感情(思いや気持ち)にかかわる話し合いは成り立つことはないことから、関係性は表面的で、距離が生じます。
アスペルガー症候群を抱える人は、衝突を回避し、問題を未解決のままにしようとする、つまり、解決そのものを「先送り」してしまおうとします。
この問題の先送りする行動ことが問題の本質であり、問題を深刻化させていきます。
関係性の変化に対応することができないアスペルガー症候群を抱えている男性が結婚すると、結婚前の恋人同士の関係性を維持しようとするか、一転して、態度が変わるかに別れます。
その違いは、夫(男性)が、女性をどのように捉えているかにもとづきます。
前者のケースでは、妻が妊娠し、出産すると問題が生じます。
なぜなら、夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないからです。夫は、恋人である妻を子どもに奪われたことにショックを受け、妻に裏切りを感じます。そして、子どもに対して、嫉妬し、ライバル視することになります。
夫は、妊娠期を含めて、子どもに愛情を注ぐ妻のことを快く思わず、子育ての手伝いをしないだけでなく、妻が子どもに世話をすることさえ批判し、制限しようとします。
妻は、夫に否定されたり、非難されたりすることから、ひとり孤独の中で、子育てを強いられることになります。
もう一方の後者のケースでは、「結婚した妻を他人と認識する」ことから、これまでしてきたことやいってきたことをまったくしなくなります。
他人となった妻とは、気を遣い疲れるだけの会話には必要性を感じなくなることから、ひとりで部屋にこもってゲームをしたり、DVDを見たりして過ごすようになります。
夫に無視されていると感じる妻は、孤独に陥ります。しかも、周囲からは、「自分が選んだのだから」、「そこが好きだったのでしょう」と応じられてしまい、妻は、ひとり孤立していきます。
他者に共感するということは、目的化することではありません。しかし、アスペルガー症候群を抱える人たちには、目的にならなければ、積極的に行動をするための動機にならないのです。
アスペルガー症候群を抱える人には、社会から要請される目標や課題は理解しやすくても、結婚後、妻との間で必要になる気配りや配慮は、目的や課題にはなり難いのです。
アスペルガー症候群を抱える男性は、無意味なこと、無目的なことをすることが苦手です。家事や子育てを手伝い、妻が喜ぶことは、アスペルガー症候群を抱える男性には、動機づけにはならないのです。子育てを継続的におこなうには、「手伝うことには得がある」「自分でやる方が得だ」といった経済的なメリットを確信していたり、病院や学校園で、医師、保育士や教師から褒められ、評価されたりするメリットが必要になります。
つまり、その行為が、社会的に評価されることが重要なのです。

-事例54(DV35・身体的暴力5)-
(身体的暴力、馬乗り・床に顔を押しつける)
私は、結婚後も仕事を続けています。そして、夫Oに「全然家事しない」と非難され続けてきました*1。そのたびに、Oと口論になりました。最後は「共働きでやっていこう」と落ちつきますが、Oは気に入らないことがあると、常に、「全然家事をしない」という話を持ちだしてきました*2。
そして、またOが同じことが繰り返してきたので、私はがまんができなくなって、O熊に向かっていきました。
しかし、Oに両肩を強くつかまれ、押さえつけられました*3。私は必死に逃れようとしましたが、Oの力には勝てませんでした。Oは私に馬乗りになり*4、私の頭を床に力いっぱい押しつけました*5。
私は「ああもう終わりだ」と思い力が抜け、放心状態になりました。
私が放心状態になってしばらくすると、Oは、既に私が洗っていた食器を、さもまだ汚れが落ちていないと非難するかのように洗いはじめていました。
無言の非難を続けるOに対し、私は、たまらずしゃもじを床に投げつけました。すると、Oは「なんで家を汚すの?! 大事にしないの?!」と怒鳴りつけました*6。
私に馬乗りになり、頭を床に力いっぱい押しつけ、放心状態にさせて私のことよりも、Oにとっては、床のことの方が大切であることを知りショックを受けました*7。
一方で、Oの怒鳴り声を聴き、私は、再び身体的暴力を受けるかもしれない恐怖にかられ、身を守るために、トイレに駆け込みました。
泣きながらトイレにこもっている私に、Oは「K、ごめん、でてきて。」と優しい口調で声をかけてきました*8。私が「もう怒ってないから(悲しくなったので)、いってらっしゃい。」と応じると、Oは「こんな気持ちじゃ行けないよ。仲直りしようよ。」といってきました*9。
*1.6 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*2 ことあるごとに過去の話を持ちだして(話を蒸し返して)、否定し、非難し、侮蔑し、卑下する行為に及び、相手の士気を損なわせたり、戦意を喪失させたりするのは、加害者の特徴です。
*3.4.5 身体的暴力(暴行)です。
*6.7 典型的なアスペルガー症候群の特徴で、妻がどういう気持ちで、自分に向かってきたのかを感じとることはできないので、「*3.4.5」の行為は、暴れている妻を押さえ落ち着かせるためと認識しています。
つまり、暴れている妻が事実であり、その行為で、床が汚れることが事実と認識している行為です。一方で、いま、抑え込まれた妻がどのような気持ちでいるかは感じとることができないわけです。
*8 ここの「優しい」ことばのなげかけは、暴力のあとの優しく甘いことば、つまり、相反する拒絶と受容のふるまいとしてのコントロール性の高い行為ではなく、暴れている妻を落ちつかせるためのことばをなげかけているものです。
*9 ここで、重要なことは、幼児期の子どもが、きょうだいや友だちと口論となり、ふてくされている相手と「仲直りする」かのようなふるまい、つまり、問題解決のあり方として、画一的な幼さを読みとることです。対人関係は、仲がいいか、悪いかで成り立っているという概念しか備わっていない者の特徴です。

* この夫Mは、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群が統合された発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっているケースです。

-事例55(DV36・精神的暴力2)-
(ことばの暴力、批判・侮蔑・卑下。身体的暴力、物をなげつける)
 コミュニティサイトで知り合ったMの海外勤務が決まり、私は、Mと結婚し、いっしょに渡米することになりました。
 新居の鍵を受けとった日、家を見に行く車の中で、Mは、私に、大声で「おまえは馬鹿だ、ダメな女だ。そんなこともできないのか。このバカ女!」、「なんでもかんでも人に頼るんじゃねー!」、「なんのためにここにきたんだ! なんのためにきたのか、それもわからないのか!」、「俺の仕事の邪魔になるなら、日本に帰れ!」と大声で罵倒し、「俺は仕事をするためにここにきたたんだ! お前が好きかってに楽しむためにきたんじゃない!」、「俺の気持ちもわからないのか!」と否定し、非難し、侮蔑し、卑下することばで怒鳴りつけました*1。
 これが、私は、Mから大声で罵倒され、怒鳴りつけられましたが、なぜ、大声で怒鳴りつけられたのかわからないまま、ただ怯え、ただ哀しく、泣く日々となりました。
私は、はじめての海外生活のため、ことばのわかるMを頼らなければならないのに、私が、Mに「どうしたらいい?」となげかけるだけで、Mは、大声で「お前は文句をいってるだけでいいが、俺はいろいろやらなきゃならないことがあって大変なんだ!」、「お前は一人じゃなにもできない癖に、文句ばかりいって、結局は全部俺がやらされるんだろ!」と非難し、侮蔑しました*2。
 Mの生活リズムは決まっていて、この時間にはシャワー、この時間に寝るといった“こだわり”がありました。
Mは、今日はこのネクタイピンを使うと決めていると、そのネクタイピンが見つからなかったとしても、「代わりものですます」ことができません*3。
私の「家計簿をうまくつけることができない」「お金を多く入れた財布を持ち歩く」「スーパーで買う物のリストを忘れる」「カップひとつの洗い物をしないまま、でかける」「ご飯を炊くのに、高速炊きにした」といった行動は、Mの“こだわり”の琴線に触れ、私を大声で怒鳴りつけます*4。
Mが頭の中で思い描いている通りにコトが運ばないと、Mは、その原因は私にあると非難し、「あなたは毎日暇だからいいけど、俺は明日も仕事なの! なんでそれがわからないんだ」と罵声を浴びせました*5。
 Mのこだわりの中でも、特徴的なものがあります。
それは、Mはなにより車が汚れるのを嫌い、特に雨に濡れるのを嫌うことです。雨が降りそうで、午後からの予定があり外出しなければならないときには、Mは、私に「俺が早目に帰宅するから、俺の車ででかけて。」といいました。雪が降りそうな日には、Mは、私に「誰かに乗せて行ってもらえないか?」といいました*6。
 また、Mは、毎週末になると「今週の予定は?」と私に訊くので、私は「~に行きたい。」とMに提案しなければなりませんでした。私が、その目的地をなかなか見つけられずにいると、Mは「ちゃんと調べてこないからこうなるんだ!」、「あなたはいつもそう適当だ!」とところ構わずに大声で怒鳴りだし、非難し、責めました*7。
Mはどこに行っても、行った先で予定通り(計画通り)にちゃんと進まないと、必ず怒りだしました*8。
ある夜、お酒に酔った夫Mが、廊下で寝てしまいました。私は、何度かMに「そこで寝るの? 大丈夫?」と声をかけたものの反応もないので、先にシャワーをし、寝てはいけないとベッドで本を読みながら、Mが起きるのを待っていると、起きてきたMがベッドにあったコロコロ(粘着テープ)を思いっきり壁に投げつけました*9。
私が「ねぇ、どうしたの? どうしたの?」と訊いても、Mは応えず、私が「投げた物が、猫にあたったらどうするの? なんでそんなことをするの?」と優しくなげかけると、Mは「俺のことより猫のことかよ! なんで、俺の寝るところに置いておくんだ!」と大声で怒鳴りつけました*10。
私が「わざとじゃないよ」と応えると、Mは「わざとじゃなければいいのか?」と大声で怒鳴りつけ*11、激怒したまま車ででかけて行きました。
数十分後に戻ってきたMは、なにもいわずに寝てしまいました。
ところが、翌日、「旦那を外にでて行かせてしまう女房なんてどうなんだ!」と蒸し返し、大声で怒鳴りつけ、罵倒したのです*12。
私はもう耐えられない、限界と感じ、泣きながら実家へ電話しました。そして、友人の一人に話すと「モラハラ(モラルハラスメント)・DVじゃないの?」と指摘されました。
*1.2.4.5.7.10.11.12 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*3.6.8 こだわりは、アスペルガー症候群の典型的な障害の特性のひとつです。「*1.2.4.5.7.10.11.12」「*9」の行為は、「障害の特性」が暴力行為になっているものです。
*9 「物をなげつける」のは身体的暴力です。

* この夫Mは、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群が統合された発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっているケースです。

-事例56(DV37・社会的隔離2)-
(詮索干渉・束縛。ことばの暴力、非難・侮蔑・卑下)
 ストレッチ教室のあと、私は、友人の家で18時近くまで少し長居をし、夫Mへの連絡を怠ってしまいました。
私が帰宅すると、Mは、「連絡もなしに、いままでなにしてたんだ!」、「今後こんなことをしたら本当に怒るからな!」と大声で怒鳴りつけた*1。
しばらくして、私は、友人の家で集まりに参加しました。帰路につく前に、私は、ちゃんとMにメールしました。
ところが、私が帰宅すると、Mは激怒し、「なぜ、同じことを繰り返す。理由をいってみろ!」と大声で怒鳴りつけました*2。ちゃんとメールをしたのに、なぜ、Mが激怒したのかがわからず、混乱しました。
その夜、私は、Mの夜食をつくったあと、貧血で倒れました。
すると、Mは、「しょうがないな」と文句をいいながらも、氷で冷やしたタオルを眼にあててくれました。しかし、Mの表情は冷ややかでした。
翌日、Mは、私に「怒られると、眼が痛い、貧血、あそこが痛い。ここが痛いなんて、もうあなたにはうんざりだ!」、「俺の脚を引っ張るようなら帰れ!」と大声で怒鳴り、罵倒しました*3。
数日後、私が「些細なことで、少し怒られたことがあった。」と口にすると、Mの顔つきがみるみると変わり、大声で怒鳴りだした*4。
私は、Mから離れようと自分の部屋へ逃げました。
すると、Mは大声で、「まだ話は終わってないだろう!」と追いかけてきて*5、「おまえは駄目な女だ! ただ飯をつくっていればいいのか。」、「こんなに頭の悪い女だとはわからなかったよ!」、「仕事もしてないのに、家の最低限のこともできないで!」、「俺は、(テーブルを指でなぞり)部屋が汚れているとかいわないだろう。」、「お金も渡して自由にやらせているだろ! なのに、あなたはあれが欲しいとか、これが必要というばかりで、自分のことばかりじゃないか!」と機関銃のように次々と非難することばを浴びせました*6。
続けて、Mは「駐在妻はいいよなー。俺も今度は駐在妻になりたいよ!」と卑下し、非難しました*7。
 また、コトあるごとに、Mは「あれは幾らした? そんなものはいらないだろう」と私を批判し*8、私がMに「これ買っていい?」と伺いをたてると、私は「どうせ財布は一緒だからな!」と応じくれるものの、私は、仕事を辞め、Mとともに渡米しために収入のないことから、常にMに引け目を感じていました。
*1.2.3 詮索干渉による束縛(支配)です。
*4.5 精神的暴力です。
*6.7.8 ことばの暴力(精神的暴力)です。

* この夫Mは、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群が統合された発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっているケースです。

-事例57(DV38・精神的暴力3)-
(ことばの暴力、非難・責任転嫁)
 夫Wは帰宅後、話すのを嫌がり、ひとり部屋に閉じこもりゲームをしています*1。Wがひとりで食事をしているときに、私が相談ごとをすると、私にはわからないなにかがWの琴線触れ、「いつも俺が食事中に怒らせる! どうなっとるんだ!」と激怒します*2。
夫Wは、散々怒鳴り散らしたあとも、「俺が悪いんか!」、「全部俺のせいか!」、「怒らせたのはお前だ!」、「お前がそういう話をしたのがきっかけだろ!」、「お前がいいだしたせいで、俺を怒らせたんだ!」、「テメエ、バカヤロー! お前がもともとの原因だろが! この怒りをどうしてくれるんだ!」、「お前が余計なことをいって、俺を怒らせたんだぞ! お前が悪い!」と機関銃のように非難することばを続けます*3。
Wは「俺が悪いか、お前が悪いかの二つにひとつしかない。」というものの、自分が悪いとは認めることはないので、ことを収めるためには、私が「私のせい」を認めるしかありません。
しかし、一度私に責任があると認めてしまうと、Wは、寝首をとったかのように得意げに、悪態を浴びせ続けます*4。
そして、私が「昨日のことだけど、…」と話を切りだすと、Wは「お前それ以上いうと、どうなるかわっとるんか!」、「そこ掘りおこすのか! それ以上いうと、知らんぞ!」と怒鳴り散らします*5。
Wは些細なことで、「お前の顔をみるとむかつく! 下で寝ろ! 気持ち悪い!」と侮蔑し、「さげまん! 結婚するんじゃなかった。お前に騙された。」と非難します*6。
私は、Wがヒートアップするのが怖くて、相談したいことがあっても、「昨日のことだけど、…」と口にすることができなくなりました。
*1「話すのを嫌がり、ひとり部屋に閉じこもりゲームをする」のは、アスペルガー症候群を抱える者によく見られる傾向のひとつです。
したがって、ことばの暴力(精神的暴力)の「*2.3.4.5.6」の行為は、ゲームを中断されるといった予定外のできごとにパニックアタックをおこしたもの、つまり、アスペルガー症候群の“障害の特性”によるものです。

* この夫Mは、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群が統合された発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっているケースです。

-事例58(DV39・経済的暴力3)-
(経済的暴力。詮索干渉、束縛)
同居をはじめた当初は、私が家計簿を書いていましたが、結婚すると、夫Oが、お金の管理をするようになりました*1。
Oは、ひと月(Oと私の給料を合わせたもの)のお金の使い道の表をつくり、「美容院に何ヶ月おきに行くのか? また1回いくらするのか?」、「化粧品代はいくらかかるのか?」などこと細かく訊き、貯金・食費の配分をひとりで決めていきました*2。Oは、毎月それらがいくらかかるのか把握できていない私を、「そんなこともわからないの?!」、「そんな人にお金は任せられない」と非難し、侮蔑しました*3。
お金を管理され、こと細かく詮索干渉されるにつれて、私は自分が買いたい物であっても、その都度、Oに許可を得ねばならなくなっていきました*4。
納豆(Oは納豆がそんなに好きじゃない)に卵を入れれば、Oは「もったいない」といい、ガス代がかさむからとお風呂をお湯で洗うことを禁じました*5。
私がお菓子を食べると、Oは「それは先に家に帰ってきて、ご飯をつくる人しか食べちゃダメなんだ。*6」と非難しました*7。
私は、家で、お菓子さえも食べにくくなりました。
私が「服が買えない」とOに訴えると、Oは「いいじゃん、昔(独身時代)のお金で買えば、別に買えばいいんだよ。」と応じました*8。
私が「じゃあ、もし子どもができたりしたら、もうずっと服は買えないね。」というと、Oは「そんな甘い考えでよく結婚したよね。覚悟がなかったんじゃないの!」、「なんで子ども欲しいなんていうの? そんなにお金使いたいなら、子どもなんて無理でしょ。」、「そんな考えの人は、子ども欲しいなんていうな」、「そうやって、いまでも家事も全部俺がやって、子どもできても全部俺が子育てもするんだわ。」とひどいことばで非難し、侮蔑しました*9。
*1.2.4 詮索干渉、束縛(支配)です。
*3.7.9 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*5.6.8 アスペルガー症候群の“障害の特性”のひとつの“こだわり”と解釈すると、「*1.2.4.」「*3.7.9」の行為についても、“障害の特性”にもとづくものということになります。「*9」のOの子どもに対する言動は、「夫と妻という家族の関係性が、子どもができることに対する変化」に強い拒否反応(子どもができることを、妻の裏切り行為と認識)を示しているという意味で、アスペルガー症候群の“障害の特性”にもとづく典型的な言動と捉えることができます。

* この夫Oは、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群が統合された発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっているケースです。

-事例59(DV40・経済的暴力4)-
(ことばの暴力、否定・非難・侮蔑・卑下。身体的暴力、物をなげつける)
私は、夫Mのあまりにひどいふるまいに、もう耐えられないと思い、私の実家に帰りました。
私が実家に帰った2日後、Mは私の実家を訪れ、私の両親を交えて話し合うことになりました。
私は、私の実家に帰ったものの両親に経緯をどう話すか心の整理ができずにいる中でのできごとであったため、私の父の「1-2ヶ月冷却期間をおいたらどうか」との提案を受け入れて帰るMを黙って送りだすしかありませんでした。
 数日後、荷物をとりに、Mのマンションを訪れました。
片づけの途中、私は、Mと話し合うことになりましたが、私が話そうとすると、Mは「ほろ、ほらそういうだろ。いっつもそうなんだよ。」、「だから、もう止めよ!」、「はい、はい。わかった。わかった。」と話を遮り*1、いつものように最後まで話をすることを許しませんでした。
しかも、私が「怒鳴られ続けた」「DVをされた」ことを口にすると、Mは「だから、止めましょ。」、「はい、わかった。」、「ほら、そうでしょ。ほら、蒸し返すでしょ。」と話を遮り*2、非難し*3、「だから、別れましょうよ。」、「調停でも、裁判でもやりましょうよ。」と結論づけました。
そして、Mは、私に対し「ほら、もう帰ってくれ! もうムリだよ。お前なんかじゃ、俺の助けにならん。絶対ムリ、早く帰ってくれ!」と怒鳴りつける*4だけでなく、物を叩き*5、食器を棚から落とし*6、大声を張りあげました*7。
 私が、もう耐えらないと家をでるきっかけとなったMが大声を張りあげ、罵倒し続けたことについて、Mは、「人が一晩中探しているのに、チャチャを入れるような女なんてダメだよ!」、「お前は、怒鳴る前を全然考えないでしょ、なんで怒鳴ったかって。君、いっつも怒鳴ったところからスタートしてるの。でも、違うの! 俺にとっては怒鳴る前がスタートなの!」と理由があるのだから怒鳴るのは許されること、どこに問題があるのかと、理由さえあれば暴力は容認されるといった主張を繰り返しました*8。
ところが一方で、Mは、私に「覚えていないよ! そんなのいちいち。」と怒りを表し、私が「覚えていないことぐらいのことで…。」と口にすると、Mは「覚えていなけりゃいけねえのかよ! 覚えていなくても怒ることはいくらだってあるよ!」と大声を張りあげ、怒鳴りつけました*9。
Mが、なにをもって私を怒鳴りつけることになるかは、Mがチャチャを入れられたと感じたとか、俺のいうことに素直に従おうとしなかったといったMのそのときの気分しだい、受け止め方次第でした。
そのため、私は、婚姻生活をスタートさせてからずっと、なぜ怒鳴られなければならないのかを理解することはできませんでした。
 私は、Mが怒鳴ることを止めてくれる可能性が残されているのかを探るために、意を決して、Mに「じゃ、ほんとに治る、治そうと私に思わせてくれたり…。」となげかけると、Mは「ムリ、ムリ、ムリ、お前じゃムリ、お前じゃムリ、お前じゃムリ、お前じゃもう絶対ムリ。」と大声を張りあげるだけでした*10。再度、私が「でも、がまんできないから怒鳴る?」となげかけると、Mは「うん。がまんできない。君じゃムリ!」と大声を張りあげるだけでした*11。
そのため、私は、Mが変わることができないことを思い知りました。
私にとって、Mの暴言の限りを尽くして否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下するふるまいが治ることがないことは、即ち、それは、婚姻生活を続けることができないと決心しなければならないことを意味していました。
46歳でのMとの再婚を決め、仕事を辞め、マンションを解約し、あとにひけない強い覚悟のもとでの渡米し、2年5ヶ月後に帰国した私は、Mの暴力の原因が、渡米し、仕事のストレスによるものだと、これからの日本での生活、リフォームを終えた真新しい新居での生活により、いい方向に進むのではないかと僅かな望みを託していました。
Mの大声で怒鳴り散らすのを聞きながら、僅かな希望が木端微塵に叩き壊されていく瞬間を、私は、なかなか受け入れることはできませんでした。
 しかし、Mは私に対し「1万円やるからでてけよ! タクシー代やるからでてけ! 拾え、1万円やる。」と、私に向けて、1万円を投げ捨てました*12。続けて、Mは「あとはテメエだせ。なあ、でてけ、いま直ぐでてけ! めぐんでやる、1万円めぐんでやる。ほどこしだ!」*13とヤクザのようないい方で、信じられないような侮蔑し、卑下するひどいことばを吐き捨てたのです。
*1.2 ここでの「話を遮り、話をさせない」行為は、「相手に、自分とは違う考えや意志があることは認められない」というアスペルガー症候群の“障害の特性”によるものです。
*3.4.9 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*5.6.7 「*4.5」は、身体的暴力に該当しますが、このケースでは、アスペルガー症候群の障害の特性、つまり、「パニックアタックの症状」が暴力行為となっています。
*8.10.11.12.13 アスペルガー症候群の“障害の特性”による言動です。「*12.13」のように、差別的な考え方で、極端に見下す行為も、典型的な“障害の特性”にもとづくものです。

* この夫Mは、自己正当化型ADHDとアスペルガー症候群が統合された発達障害を抱える“障害の特性”が、DV行為になっているケースです。

自分自身が何者であるかを捉えにくさの結果として、境界性人格障害と同様に、常に、空しさや無力感を感じています。
なぜなら、他人の気持ちや状況がうまく理解できない一方で、他人が自分をどう考えているかについては非常に敏感なことから、嫌われること、見捨てられることを極度に怖れ、不安定な関係にしがみつく傾向があるからです。
この傾向は、ブラック企業(ブラックバイト)と表現されるような非常に条件の悪い仕事をひき受け、辞められずにいたり、いじめや犯罪に巻き込まれやすかったり、DV被害を受けて、その暴力に支配される関係性に依存してしまったりすることにつながります。そして、ハラスメント、いじめ、DVなどの被害を受け、PTSDを合併していることがあります。
つまり、自己正当化型ADHDは、DVやハラスメントの加害者だけでなく、被害者にもなりうるわけです。
 そして、自閉症スペクトラム障害は、高次脳機能の障害ともいわれ、アスペルガー症候群は、眼窩前頭皮質(思考や行動をコントロールする中枢)や帯状回(社会性の中枢)などの機能がうまく働かないことによる障害ではないかと考えられています。
これは、PTSD(心的外傷後ストレス証が)による障害と共通し、交通事故などにより後天的にこの部分の機能障害が起こっても、同じような認知・行動上の問題が起こります。アスペルガー症候群では、感情自体は複雑に発達しているものの、それを認識したり、コントロールしたりする部分に障害があることから、気分が変わりやすく、感情のコントロールが難しいと考えられています。
 PTSDの症状とアスペルガー症候群などの自閉症スペクトラムや後天的な高次脳機能障害の違いは、介入はある程度の効果をもたらすものの、障害が完全になくなることはないことです。

⑥ ボーダーライン(境界性人格障害)
 境界性人格障害(ボーダーライン)は、女性に多く、「自己のイメージ」、「気分」、「行動」、「対人関係」が“不安定”です。サイコパス(反社会性人格障害)に比べて、「思考過程に乱れ」がみられ、その「攻撃的な感情」は、リストカットや過食嘔吐などの自傷行為として、しばしば自分自身に対して向けられます。演技性人格障害の人よりも怒りっぽく、衝動的で、自分のアイデンティティ(自己同一性)に混乱がみられます。
成人期初期にはっきりと現れてきますが、年齢とともに罹患率は低下します。
最近の研究により、性的虐待を受けた場合、83%がボーダーライン、もしくは、解離性障害に罹患するといわれているように、小児期に養育者による養育の放棄や虐待を経験していることが少なくありません。
その結果、「虚無感」、「怒り」、「愛情への飢餓感」があるのです。
A群の人格障害と比べ、対人関係がはるかにドラマチックで強烈です。
深い自己否定や見捨てられ不安の背景には、虐待を受けていたり、性的虐待を受けていたり、愛情を奪われたり、見捨てられたりする体験にもとづく心に深い傷を抱えています。

ボーダーライン(境界性人格障害)の症状の機軸となるものは、不安定な思考や感情、行動、及び、それに伴うコミュニケーションの障害です。
具体的には、衝動的行動、二極思考、対人関係の障害、慢性的な空虚感、自己同一性障害、薬物やアルコール依存、自傷行為や自殺企図などの自己破壊行動があげられます。また、激しい怒り、空しさや寂しさ、見捨てられ不安と高い自己否定感がざわめきはじめると、感情がめまぐるしく変化します。
混在する感情の調節が困難であり、不安や葛藤を自分で処理することが苦手です。
 衝動的行為としては、性的放縦、ギャンブルや買い物での多額の浪費、より顕著な行為としては、アルコールや薬物の乱用があります。さらに、自己破壊的な性質を帯びたものとして、過食嘔吐や不食などの摂食障害があります。
自己破壊的行為で最も重いものは自殺ですが、その他にも、リストカットなどの自傷行為、自殺企図(薬物の過量服薬(OD)等)により、実際に死に至ることもあります。
自己破壊的行為は、不安や混乱、葛藤などの不快な感情の迅速な解消手段となります。環境や自分の内で生じたストレスを、行動によって軽減させることをコーピング(coping)といいます。
同じ境界性人格障害でも、抑うつ、衝動性、精神病症状のどれかが持だっていたり、気分障害、他の人格障害、器質性障害、非定型性精神病などが併存しているときそれぞれの差となって表れるなど、1人ひとり違って見えます。
 境界性人格障害の抑うつには、特有の構造が見られます。
それは、見捨てられることに関連する特殊な感情反応にもとづく、マーガレット・マーラーが、憤怒、空虚感、絶望、寄る辺のない不安、孤立無援感、抑うつ、自暴自棄の感情と表現した破壊的な感情です。
 この破壊的な感情について、ジョン・ボウルビィは、母親に置き去りにされた子どもを観察をもとにした研究で、境界性人格障害の人の破壊的な感情について、「母親に置き去りにされた子どもは周囲を探索し、いないとわかると淋しくなり、悲しくなり、不安になり、しくしくと泣きはじめる。それでも帰ってこないと、恨みと怒りから大声で泣きだし、やがて泣き止むが、最後には孤立無援感、空虚感、寄る辺のない不安から遂には無気力状態に陥る。境界性人格障害に共通する感情は、こうした見捨てられるということによって生じる感情体験そのものであり、これら言語成立以前に端を発する衝動が、過食、性的逸脱、リストカット、過剰服薬、アルコール依存などの行動化として表現される。」と説明しました。
境界性人格障害の人には、こうした抑うつの嵐が次々と、あるいは、一挙に襲ってくるという特殊な構造が見られます。
その深い抑うつの波は、「穴に吸い込まれる」「落ち込む」と表現され、伝統的なうつ病(内因性うつ病)で示す抑うつとは異なります。
 また、境界性人格障害の症状として、一過性の精神病症状があります。
この精神病症状は、強いストレス下においてより顕著になり、解離、非現実感、離人感、パラノイアなどが出現したり、現実検討力が著しく低下する事態を生むことがあります。

大人の恋愛関係における愛着行動のパターンは、乳幼児期の愛着行動の特性をひきつぎます。
境界性人格障害の人は、根底に他者と親密な関係を持つことへの葛藤を抱えていることから、特有の対人様式が顕著に表れます。
その特有の対人様式は、対人関係を構築していくうえで、ときに障害となるものです。
対人障害は、主に2種類あります。
ひとつは、他者を巻き込み混乱を招くもので、もうひとつは、対人恐怖・過敏性が強く、深い交流を避ける、つまり、回避的になるものです。
 境界性人格障害の人は、幼少時から分離不安のある者が多く、依存できる関係を求める傾向が顕著です。
相手の悪い部分を認識すると混乱をおこしてしまうことがあることから、相手を過度に理想化する傾向があります。一方で、傷つきやすい自己愛を持ち、他者の感情に敏感であることから、なにかのできごとをきっかけに失望することが多くなります。
そうしたとき、自分が混乱しないように、自身の中にある相手の評価を下げることで、心を守ろう(防衛しよう)とします。
境界性人格障害の人は、この心を守ろうとするあり方が極端です。このことが、社会的機能が低下することにつながり、対人関係において“障害”となるのです。
境界性人格障害の人、つまり、当事者とっては、依存は自覚がなく、無意識的なものです。
しかし、自身の混乱や葛藤により、人を追い払ったり(排除したり)、ひき戻したり(接近したり、つきまとったり)することで、対人関係が激しく短期的なものになりやすいのです。
そのため、周囲の人は、境界性人格障害の人のこうした行動を“操作的”“意図的”と否定的、批判的に受けとることがあります。
 依存や混乱の著しい境界性人格障害の人は、他者を巻き込みやすく、人との摩擦を生じさせやすいのです。
しかし、境界性人格障害の対人様式にまつわる特有のパーソナリティ構造は、内的表層などのパーソナリティの深い部分にあるとされていることから、特有の対人様式が顕著に表れるのは、ある程度関係が深まり、その人物が、境界性人格障害の人の深い層にある感情や願望に触れた場合です。
「ある程度関係が深まり、深い層にある感情や願望に触れる」ことになるのは、親友と呼ばれるような友人関係、交際関係、夫婦関係において、特有の対人様式が顕著になるということです。
つまり、親友と呼ばれるような友人関係にある者、交際関係にある者、夫婦関係にある者は、境界性人格障害の人が示す抑うつの嵐に巻き込まれることになります。
一方、対人恐怖・過敏性が強いときには、摩擦を生じることはない一方で、人との交流を避けることから、社会的機能は低下します。
境界性人格障害の人の特有の対人様式のあり方は、分裂や投影性同一視などの「防衛機制」が不適切に使用されることに関係しています。
防衛機制とは、心の安定をはかるために、不快な体験を弱めたり、避けたりしようとする心理機能のことで、本来、心の均衡を保つために必要な健全な機能です。
不安が強くなると、この防衛機制は強く働きますが、境界性人格障害の人は、なにかのきっかけで強烈な不安に襲われ、防衛機制が過剰に反応してしまうことから、社会生活の中で、不適応を起こしてしまうのです。
社会生活における不適応は、境界性人格障害の人の人生そのものが阻害されることを意味します。
境界性人格障害の人がよく用いる防衛機能は、分裂、投影、投影性同一視、否認、原始的理想化、万能感、脱価値化です。
これらの防衛機制の極端な表れは、人生で起こりうるさまざまな問題に対する適応力の発達を妨げ、漠然とした不安感や抑うつ、衝動統制の困難さ、あるいは、一過性の精神病症状を招きます。
例えば、「同一の対象に肯定的、否定的な感情を同時に認識できない」という分裂思考は、対人関係の障害だけでなく、自分に対しても自己同一性障害(多重人格)として現れ、自己像の不安定さ、慢性的な虚無感、社会的機能の低下の原因となるものです。
 その結果、周りの人は、境界性人格障害の人の特有の症状に巻き込まれ、さまざまな被害を受けることになります。

境界性人格障害の女性は、愛情をかけてもらっていると感じると、寂しげでよるべのない様子を見せ、過去の虐待経験、うつ病、薬物などの乱用、摂食障害からの救いや助けを求めます。
しかし一旦、愛情をかけてもらっている人や思いやりを持って接してくれている人から、“見捨てられる”ことへの恐怖感に駆られると、気分が一転して激怒し、しばしば異常な激しさで怒りを表すことになります。
「愛情をかけてもらっている人や思いやりを持って接してくれている人」とは、親やきょうだい、関係が深まった友人や教師、同僚、上司、そして、交際相手や配偶者が該当します。
交際相手や配偶者に内在している怒りが向けられると、デートDV・DVということになるわけです。
つまり、境界性人格障害は女性が多いことから、女性から男性へのデートDV・DVは、境界性人格障害を抱える女性の“障害の特性”による暴力行為ということになります。

境界性人格障害を抱える女性は、気分の変化とともに、周囲の世界、自分自身、他者に対する見方も極端に変化し、すべては「黒か白」、「善か悪か」で、その中間は存在しないと考えます。
「見捨てられた」と感じ、「孤独感にさいなまれる」と、自分が本当に存在しているのかどうかわからなくなり、「現実感を失う」ことがあります。
絶望的なほど衝動的になり、「見境のないセックス」、「乱交」や「薬物などの乱用」にふけることがあります。ときに、あまりにも現実から遊離してしまい、軽度の精神病性思考、妄想、幻覚が生じることがあります。
境界性人格障害の根底にある感情的問題は、「見捨てられ不安」、「自己肯定間の欠如」、「孤独耐性の低さ」などです。
家族や友人、交際相手、配偶者に対し、批判的、攻撃的になりやすいことから、常にトラブルが発生します。なぜなら、根本的な安心感が乏しいため、些細なことがきっかけで、気持ちが揺れてしまうからです。
ニコニコ上機嫌だと思うと、ちょっとしたことから、「やっぱり私なんか・・」、「もうどうでもいい」、「生きているのが虚しい」というように、すべてを否定するいい方をし、別人のようにふさぎ込んでしまいます。
最初、相手を過度に理想化し、素晴らしい人に出会ったと思いますが、少しでもアラが見えてくると、急に気持ちが冷めて、「最悪のヤツだ!」「ろくでもない!」と、“こきおろし”ます。
境界性人格障害の人は、心の中に深い自己否定感や愛情飢餓感を抱えているため、極端で自暴自棄な行動に走りにやすいのです。
アルコールや薬物に頼ることも少なくありませんが、中でも、周囲が肝を冷やすのは、突発的に自傷したり自殺しようとしたりすることです。しかも、そうしたことは、一度おきると、繰り返しおきることが少なくありません。些細なことで、心が傷ついてしまうと、また同じことをしてしまいます。
自殺関連行動で入院した患者の53.8%が境界性人格障害と診断され(重複診断を含む、一度でも自傷行為を行ったことがある患者では75%に達しているように、自殺願望を口にしたり、実際に死のうとしたりして、周囲を慌てさせることも、境界性人格障害の人の顕著な特徴です。
周囲の人は、本人の機嫌を損ねると大変なことになるとの思いで、本人が不安定にならないように、薄氷を覆む思いで神経を使うことになります。いつしか、いわれるがままに合わせるのがあたり前になってしまいます。
境界性人格障害の人は、見捨てられ不安による愛情の確認、つまり、“試し”行動によって、周囲をコントロールし、思い通りに暮らすようになるのです。
境界性人格障害の人は、心の中に強い空虚感を抱えていることから、自己愛性に劣らず、関心や愛情を求め、「自分も主役でいたい」という思いを抱えています。
身を捧げた相手に、見返りとして愛を得ようとし、やがてその見返りがえられないことに気づきます。
心が砂漠のように枯れ果てたとき、今度は、愛を奪い続けた相手に対し怒りを抱くようになります。
しかし、見捨てられ不安や空虚感(人生の無意味感)が非常に強いので、ひとりで過ごす時間(誰ともかかわらずに過ごす時間)、つまり、孤独感に耐えることはできません。
こうした心の動きが、当人にとって無自覚で、無意識的な「依存」で、対人障害を招きます。
つまり、自身の混乱や葛藤により、人を追い払ったり(排除したり)、ひき戻したり(接近したり、つきまとったり)することで、対人関係が激しく短期的なものになりやすいのです。

境界性人格障害を抱える女性の認知・思考は、次の「7パターン」に分類することができます。
a) ものごとや人物を「白(善)」か「黒(悪)」かの二元論的思考で認識し、判断します。
そのため、一人の人物の“よい部分”と“悪い部分”を現実的に認識することができず、「完全によい人か、完全に悪い人か」という“両極端な評価”になって、人間関係で衝突が起こりやすくなるのです。
その衝突は、激しい暴力的な行為を伴うことになります。
b) 相手を「理想化」して“ほめ称える”か、「無価値化」して“こき下ろす”かといった極端な対人評価をします。
少し前まで相手のことを高く評価していたのに、少しでも自分の思い通りにならなかったり、相手の嫌いな部分が目についたりすると、途端に態度を一転させ、否定し、非難し、侮蔑し、卑下するなど、激しく人格を攻撃したり、罵倒したりすることになります。
そのため、安定した人間関係をつくり難くなります。
c) 完全主義思考が強いため、自分自身に対する評価は「完全な成功している人間か」、「脱落したなんのとりえない人間か」という極端な自己評価になりやすくなります。
悪い方向に自分を評価すると、とことん気分が落ち込んでしまい、自己否定的な認知や悲観的な将来予測ばかりを持つようになります。
カラカラに乾いたスポンジのような渇望感、空虚感、そして、底なし沼のような寂しさにのみ込まれそうになったとき、リストカットや過食嘔吐などの自傷行為で承認欲求を満たすときがあります。
 その承認欲求を満たす自傷行為に、周りの人が心配し、気遣ってくれるなど愛されていると実感できる体験をしていると、周りの人が、自分を心配し、気遣ってくれる=愛されていると実感できるためには、リストカットや過食嘔吐などの自傷行為は、有力な術(手段)となります。
 そして、愛情を“試す”ためのリストカットや過食嘔吐などの自傷行為を試み、気を惹こうとします。
 承認欲求を満たすリストカットや過食嘔吐などの自傷行為は、快楽中枢を刺激することから中毒性(依存性)のあることから、周期的に繰り返し、しかも、より強い刺激を求める傾向があります。
 そのため、気を惹こうとする“試し”としての自傷行為は、リストカットや過食嘔吐に留まらず、過量服薬(OD)を試みることがあります。過量服薬(OD)は、致死量を超えてしまうリスクのある行為で、明確な死を意識して、大量出血を意図としたリストカットと同様に、自殺をはかった(自殺企図)と認識されます。
 こうした状況下にあるとき、境界性人格障害の人の「死にたい」ということばは、周りの人にとって大きな不安(恐怖)材料となるものです。
つまり、気を惹くための試しのことばが、相手への脅しのことばとなるわけです。
そのため、依存傾向のある境界性人格障害の人が、交際相手や配偶者から「別れ」を切りだされたとき、しがみつこうとする強い思いは、復縁を求める(関係の修復を求める)つきまといとなり(ストーカー行為)、自殺をほのめかす「死にたい」ということばで、気を惹こうとします。
d) 他人の行動、発言、態度をみたときに、自分にとって「味方」か「敵」かという視点で相手を単純に分類してしまいます。
味方に分類した相手に対しては好意的、誘惑的に接近して依存的な態度をとりやすく、敵と分類した相手に対しては、攻撃的、拒絶的な態度をとって、怒りの感情を露わにすることもあります。
e) 自分の置かれている状況を「理想的な幸福、安心」か「絶望的な不幸、孤独」かのどちらかに偏って認知する傾向があります。
自分の生活状況や対人関係をポジティブに理想的なものとして認識しているときには、ある程度、現実適応能力が高くなります。
しかし、いったん自分自身を不幸な存在としてネガティブに認知しはじめると、気分の落ち込みや自暴自棄な衝動性が激しくなり、現実的な社会生活、対人状況への適応が難しくなってしまいます。
f) 自分の失敗や不幸、怒りの原因を、「自分以外の他者(外的要因)に転嫁する」傾向が見られることがあります(他罰傾向)。
逆に、自分の失敗や不幸、怒りの原因を、「すべて自分自身に求めて自分を責め過ぎたり、自己否定的になったりする」ことがあります(自罰傾向)。
他罰傾向が強くみられるときには、自分の発言、行動、態度が他人に与える影響を推測することができなくなり、相手を攻撃して傷つけてしまいます。
g) 「客観的事実にもとづいて、他者状況を的確に認知することが苦手」であり、「主観的感情によって他者、状況を認知しやすい」ので、どうしても“思い込み”、“決めつけ”、“事実誤認”などの問題が起こりやすくなります。
相手の反応のことばを“偏った色眼鏡”を通してみてしまうと、「相手は自分を否定(非難)している、相手の態度は自分を嫌っている証拠だ」というような思い込みに陥ることがあります。

⑦ サイコパス
 「サイコパス(psychopath)」とは、精神病質者(その人格のために、本人や社会が悩む、正常とされる人格から逸脱している者)のことで、反社会的人格の一種を意味する精神病質(psychopathy;サイコパシー)、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われています。
サイコパスは異常であるものの、ほとんどの人々が通常の社会生活を営んでいるため、病気(いわゆる精神病)ではなく、日本では、反社会性人格障害(パーソナリティ障害)とされているものです。
ほどんどが男性で、脳の共感性を司る部分の働きが弱く、健常者の脳波とはまるで違う脳波を見せるとされています。
アメリカでは25人に1人(約4%)とされ、アメリカ国内の刑務所に収監されている受刑者のうち、15%はサイコパスだと考えられています。ただし、東アジアの国々では反社会性人格障害者の割合は極めて低くおよそ0.1%前後とされています。反社会性人格障害については、「Ⅱ-12-(10)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で詳しく説明しています。
 犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは、良心が異常に欠如している、他者に冷淡で共感しない、慢性的に平然と嘘をつく、行動に対する責任がまったくとれない、罪悪感が皆無、自尊心が過大で自己中心的、口が達者で表面は魅力的と特徴を述べています。
また、オクスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンは、サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ、無慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義であるとしています。
つまり、他人に対する思いやりにまったく欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなようにふるまう人物ということです。
エミール・クレペリンは、サイコパスのひとつに「空想虚言者」という類型があると述べています。
それは、①想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する、一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである、②弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい、 好んで難解な外来語や人を驚かす言説をなす、③人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている、自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さないというものです。
つまり、自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまうのです。
 一方で、多くがビジネスリーダーとして成功を収めています。
サイコパスを抱えるビジネスリーダーの特徴は、以下のような5つにまとめることができます。
第1に、「魅力的である」ということです。
第一印象は悪くなく、少なくとも初対面のときには、好感を持たれます。雑談にも快く応じ、いつでも当意即妙の発言をできる人に感じます。なぜなら、頭の回転が速く、人の心を惹きつけるような話ができるからです。それだけでなく、人の信頼を得る(意に添うようにコントロールする)ために、お世辞をいったり、称賛したりします。
第2に、「他人に共感しない」ということです。
自分の家族のことであっても興味はなく、自分以外の人のことを気にすることはありません。顔色ひとつ変えずに誰かを傷つけることがありますが、良心が痛むことはありません。「傷つけられた」とパワーハラスメントやセクシャルハラスメント被害を訴えてくる人がいても、「自分には責任はない」といい放ちます。そのため、傷つけられた人は、サイコパスのこうした言動やふるまいによって、さらに傷つくことになります。
第3に、「人の気持ちを食い物にする」ということです。
サイコパスは、知的レベルにおいては(教科書的な知識としては)、人の感情を理解していますが、その知識は一方的です。それは、自分だけに都合のいい解釈で、人を利用したり、貶めたり、逆に、人の同情を惹こうとします。
つまり、罪悪感をくすぐったり、お世辞をいったりすることで、相手が、通常ならとることがないであろう行動に導こうとしたり、騙して支援や援助を得ようとしたり、心配をしてもらうために、自分は被害者だと訴えたりします。
第4は、「良心がない」ということです。
サイコパスはためらうことなく嘘をつき、だまし、盗みを働きます。
自身の行動の誤りを指摘されたり、問題行動を非難され、問い詰められたりすることがあったとしても、決して自分の非を認めることはなく、延々といい訳を独特の論理(持論)で述べ続ける中で、人のせいにするために、相手の過去のミスや過ちを蒸し返し徹底的に糾弾するなど反撃に転じます。
目的を達成するためにはあらゆる手段を駆使し、他人に害を及ぼすことになっても、決して後悔することはありません。そして、仲間の誰かが、第三者から不当な扱いを受けることになったとして、それは、その人自身に責任があると考え、見放したり、冷酷に切り捨てたりします。
第5に、「自分を過大評価する」ということです。
ナルシスト(自己愛性人格障害)と同様に、サイコパスは自分には通常のルールがあてはまらない特別な存在と考えます。
サイコパスの多くが、捕らえられることへの恐怖心を持たずに犯罪行為に走る傾向があるのはこのためです。
自分は他の者たちよりも優れていると考え、なにをしても許されると思い込んでいます。自信過剰で、自分は世界中の誰よりも優れ、価値のある人間だと信じているのです。
 したがって、サイコパスを抱えている者が、ビジネスリーダーとして成功を収められるのは、自己利益を満たすためには、嘘をついたり、欺いたりするなどあらゆる手段を駆使して他人を利用したり、意に添わない相手や批判的な相手には徹底的に糾弾したり、不利益になると思えば非常に切り捨てたりすることができるからです。
つまり、5つの特性からわかるように、サイコパスのすべてが残忍な犯罪者になるわけではありませんが、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメントの加害者、そして、家庭では、DVの加害者になり得ることがわかると思います。

パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、DV(デートDVを含む)の被害者の多くが認識している加害者の特徴は、
・外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである
・恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える
・多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり、危険と判断して手をださないようなことにも、躊躇なく平然としておこなったりすることから、挑戦的で勇気があるように見える
・お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のようなとり巻きがいたりする
・常習的にウソをつき、話を盛るなど偽りの話を真実のように話したり、主張をコロコロと変えたりする
・自分をよく(強く)見せようと、表面的な格好よさにこだわる
・ビッグマウスである一方で、飽きっぽく、物事を継続したり、最後までやり遂げたりすることは苦手である
・傲慢で尊大であり、批判されても折れない、懲りない
・交際関係や友人関係は長続きせず、つきあいがなくなった人のことを徹底的にこき下ろす
・人あたりはいいが、他者に対する共感性そのものが低い
とまとめられます。
 これらの加害者の特性は、サイコパスの特性と合致するものです。
サイコパスの人物に対し、飢餓に苦しむ人などの悲惨な画像を見せても、感情と関連する部分の脳は活性化しないことがわかっています。
このことは、「共感性が低い」ことを示すものです。
 サイコパスの人物は、他者の悲しみを目のあたりにしたとき、自律神経(循環器、消化器、呼吸器などの活動を調整するために、24時間働き続けている神経)の反応が、サイコパスでない人と比べて弱いという報告があります。
また、表情や音声から他者の感情を読みとる実験では、「怒り」「喜び」「驚き」といった感情については、サイコパスでない人と同程度に読みとることができる一方で、「恐怖」「悲しみ」を察する能力には欠けていることがわかっています。
共感性が低いにもかかわらず、サイコパスの人物が、他者を騙して利用したり、詐欺を働いたりすることができるのは、相手の目つきや表情から、その人が置かれている状況を読みとる才能が際立っているからです。
重要なことは、「Ⅰ-7.被害者新地。暴力でマインドコントロールされるということ」の中で、人を洗脳やマインドコントロールするためのやり口、つまり、典型的な「型」を詳述していますが、サイコパスの人物は、人の弱みにつけこみ、コントロールする技術に長けているということです。
例えば、お金で困っていたら、お金を工面したり、人脈で困っていたら、人脈を提供したりします。頼まれていなくても、親切にします。
関係の初期段階では、とにかく「この人はいい人だ」、「自分を助けてくれて、本当にありがたい」と思わせます。
ところが、ある程度の信頼関係ができたところで、脈絡なく、あるいは非常に些末なことでキレます。
「あんなによくしてくれた人が怒ったということは、自分は何か悪いことしたのかな?」と、本当は謝る理由はないのに、関係を維持するために謝っておこうと思います。
こうしたことを繰り返し、相手が、下手にでてきたところで、いいがかりともいえる難癖をつけて、「あんなによくしてあげたのに、どういうこと?!」と恩をきせながら、批判し、責めます。
一般的に、恩を感じている人を怒らせたくない、機嫌を損ねて嫌われたくないと思うので、自分が悪いわけではないと感じていても、謝罪してしまいます。
すると、態度を一転させて、すんなりと謝罪を受け入れます。
「そうやって素直に謝ることができるのは、あなただけですよ。」と特別なこと、相手の自尊心をくすぐり、優越感を覚えるようなことばで持ちあげます。
相反する拒絶と受容の言動やふるまいを繰り返すことで、思考を混乱させ、正常な判断力を奪うことで、感情優先の思考に持ち込むことができると、人の「怒られたくない」、「嫌われたくない」という“罰”を回避する感情、「ほめられたい」「また、いい思いをしたい」という承認欲求を満たす刺激を巧みに利用します。
恩を感じている人には、なにかお返しをしなければならないという「好意の返報性」を悪用することにより、上下関係、支配と従属関係を完成させていきます。
サイコパスの人は、こうした人をオトす術(テクニック)を駆使して、人を操作していきます。
重要なことは、ハイハイ商法や結婚詐欺などの詐欺師と同様に、“カモ(ターゲット)”の目や表情から心情の揺れ動きを冷静に読みとり、ここまではいじめて大丈夫、ビクビクしたところで相手のここを持ちあげれば“オチる”といった見極め、判断を、ごく自然にやってのけるということです。
100人に1人がサイコパスといわれていますが、サイコパスの人には、「捕まりにくいサイコパス(成功したサイコパス、勝ち組みのサイコパス)」と、「捕まりやすいサイコパス(成功していないサイコパス、負け組みのサイコパス)」が存在します。
後者は、危険な存在ではあるものの、ためらいなく犯罪をおかしてしまうので、悪事が発覚しやすい(捕まりやすい)のが特徴です。
問題は、職場、学校、家庭など身近なコミュニティの中に潜んでいる「勝ち組みのサイコパス」です。
なぜなら、彼らこそが、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、DV(デートDVを含む)の加害者となるからです。

アメリカ・ルイジアナ州立大学法科大学院教授のケン・リーヴィは、サイコパスに刑事責任を科すべきか否かを問うています。
なぜなら、サイコパスは理性的には善悪の区別がつくのに、情動のレベルでは犯罪行為が道徳的に間違いであることがわからないからです。
「反省できない人もいる」、「罰をおそれない人もいる」という事実を、人はなかなか認めることができません。
しかし、これは事実です。
“罰”を怖れず、倫理観や道徳観といった規範を「くそくらえ」と気にも留めないサイコパスの人から見ると、反社会的な行為を抑制するためにつくられたルールや法といった規制は、ほとんど無意味です。
そして、サイコパスの人が最も危険なのは、事実をねじ曲げ、自分の空想と一致するような“もうひとつの事実(嘘・つくり話)”を創りあげてしまうことです。
 また一方で、社会や人に認められたい、ほめられたいという承認を満たす欲求が強すぎて、自分を批判する人を激しく攻撃する傾向が顕著なとき、「自己愛性人格障害(NPD;Narcissistic Personality Disorder)」が疑われます。
自己愛性人格障害の人の特徴は、誇大妄想症、過剰な賞賛欲求、共感性の欠如、実績や才能の誇張、衝動的な怒りの爆発などです。
アメリカ精神医学会(APA)の定めた「精神障害の診断と統計の手引き(DSM-Ⅳ-TR)」では、上記の9項目のうち、5項目以上があてはまると、自己愛性人格障害に相当するとしています。
・無限の成功、権力、才能などの空想にとらわれている
・自分は「特別」であると信じている
・過剰な賞賛を求める
・特権意識をもち、特別な取り計らいを期待する
・対人関係で相手を不当に利用する
・共感性の欠如
・よく他人を妬み、または他人が自分を嫉妬していると思い込む
・傲慢で横柄な行動や態度を示す
しかし、米国精神医学会では、多くの人は「自己愛性」の特徴を持っているものの、そのうち、自己愛性人格障害と診断される人は1%程度としています。
アメリカ合衆国の人口3億1038万人の中の1%は、310,380人となり、人口10万人あたり100人、つまり、1000人に1人になります。
この数字を日本の人口1億2653万人にあてはめると、126,530人となります。
したがって、DV被害者が綴るブログなどでは、よく「モラルハラスメントの背景には、自己愛性人格障害がある」と“DV加害者=自己愛性人格障害”かのように限定的に記載されていることがあります。
しかし、アメリカ精神医学会(APA)の定めた「精神障害の診断と統計の手引き(DSM-Ⅳ-TR)」の9項目のうち5項目が該当するなど、自己愛性人格障害の特性として示された内容に合致することが多く認められたとしても、実際に、自己愛性人格障害と診断に至るのは1000人に1人(発症率1%)とされています。
つまり、自己愛性人格障害と診断されるほど人格の歪みが深刻で、しかも、DV、パワーハラスメント、セクシャルハラスメントなどの加害者となっているケースは、100人に1人とされるサイコパス(反社会性人格障害)に比べて、圧倒的に少数ということになります。
したがって、男性から女性へのDVでは、加害者の多くは、10人に1人とされるADHD、20-60人に1人とされるアスペルガー症候群、100人に1人とされるサイコパス(サイコパスを基軸に、一部の自己愛性人格障害の特性を併せ持つ)と考えられ、女性から男性へのDVでは、加害者の多くは、境界性人格障害(ボーダーライン)と考えられ、それぞれ、DV加害者が自己愛性人格障害であるケースはごく少数であることになります。
 一方で、意図的に混乱をつくりだし、人を傷つけることに喜びを感じるという非常に稀で、深刻な「悪性の自己愛性人格障害(MNPD;Malignant Narcissistic Personality Disorder)」が存在します。
MNPDは、主にナルシシズム(自己愛性)、パラノイア(偏執病)、反社会性、サディズム(他人を傷つけて喜ぶ)の4つの要素を持っている人物です。
MNPDは、自己愛性人格障害よりはるかに病的です。
パラノイドで、反社会的で、妄想的で、現実と空想の区別ができないことから、非常に危険、つまり、もっとも危険な人格ということです。
 MNPD的で、捕まりやすいサイコパス(成功していないサイコパス、負け組みのサイコパス)に類する人がおこなう犯罪行為について、この「手引き」では、「Ⅰ-6.デートDVとストーカー殺人事件」、「Ⅰ-7-(2)学習した無力感」、「同-(3)ミルグラムのアイヒマン実験」「同-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」、「同-(5)霊感商法、対人認知の心理」「同-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」、「Ⅱ-12-(16)「キレる17歳」、理由なき犯罪世代」、「Ⅱ-14-(2)フェティシズム」「同-(4)性的マゾヒズムと性的サディズム」「同-(6)小児性愛(ペドファリア)」「同-(7)パラフィリア(性的倒錯)の夫との性生活」「同-(8)性的サディズム、露出性愛者の夫による性暴力」「同-(9)性的サディズムと人格障害などが結びついた誘拐監禁・殺傷事件」の事件研究、分析研究でとり扱っています。
 そして、この「手引き」では、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、DV(デートDVを含む)の加害者は、背景に、反応性愛着障害の特性を有した「捕まりにくいサイコパス(成功したサイコパス、勝ち組みのサイコパス)」と捉えています。


(6) 被害者にみられる傾向
 暴力をふるわれたら、逃げる、あるいは抵抗する、闘うといったことを、私たちはふつうに考えます。
しかし、現実的に妻が夫の暴力から逃げたり、離婚をするとなったときに、よりひどい暴力がふるわれたり、また、徹底的に離婚を拒まれたりすることが少なくありません。DVに苦しむ女性たちの多くは、“逃れられない”という状況に陥ってしまいます。
 心理学者のレノア・E・ウォーカーの「暴力のサイクル理論*-34」で、被害者がなぜ逃れられなくなるのかの心理を説明しています。
*-34 レノア・E・ウォーカーの「暴力のサイクル理論」は、地方自治体が作成している「DV被害者支援マニュアル」の中でよく引用されています。
しかし、アスペルガー症候群の“障害の特性”が結果的に暴力になるケースなど、「暴力のサイクル理論」が、すべてのDVのパターンを説明するものではありません。
したがって、「このパターンに該当しないからといって、私たち夫婦の関係はDVではない」と判断してしまうのではなく、それぞれの暴力の状況や加害者の人物特性などを踏まえて、どのタイプのDVなのかを見極めることが重要です。


① レノア・E・ウォーカーの「暴力のサイクル理論」と「被虐待女性症候群」
 ウォーカーは、暴力を第一相から三相に分類しています。
 第一相では緊張が高まり、ちょっとした暴力事件がおきます。
しかし、多くの被害者は「仕事(学校)でなにかあったのかも」、「家で(親との間で)なにかあったのかも」、「飲み過ぎかも」、「疲れているのかも」、「味つけがよくなかったのも」、「料理が気にいらなかったのかも」などと、自分で納得できる“事柄のせい”にしてしまおうとします。
なぜなら、些細なことに怒りを感じたり、傷ついたりせずにすむからです。
 第二相では、「加害者は抑制が利かなくなり、徹底的な暴力がおこなわれます。
しかし、第三相では「二度としない」と悔い、優しさを見せたり、セックスに持ち込んだりします。すると被害者は「本当はいい人」、「優しく愛してくれた」と思い込もうとします(人間の脳は、ツラく哀しいことよりも、楽しいこと、嬉しいこと(快楽刺激)を優先して反応するからです)。
特に、第二相の後、被害者は心理的な虚脱状態が続き、時には抑鬱(よくうつ)状態になってしまっているので、謝られ、優しくされると天にも昇るような気持ちになり、感謝さえし、すがってしまったりします。
ところが、いつしか再び第一相に切り替わっていくのです。…」と、ウォーカーは、こうしたことが繰り返されるうち、被害者は無力(無気力)状態になっていくとしています。
 「暴力のサイクル理論」以外に、子どもを妊娠したり、出産後に暴力がひどくなったりする場合があります。
それは、「お前は、子どもの世話ばかりで、俺に尽くさない」との思いにかられるからです。親からのアタッチメント(愛着獲得)に失敗していると、心の中に空いた大きな穴の空虚感を埋めるために、交際相手や結婚相手に、乳幼児が受ける親からのやり直しとしての“無償の愛”を求めるのです。
つまり、自分のために幼子の世話をするがごとく、ただただ尽くし続けることだけを求めるのです。「いつまでたっても、(俺の母親代わりなのに)お前はどうしでわからないんだ!」、「(俺の母親代わりなのに)なんどいったらわかるんだ!」との“苛立ち”が暴力に発展します。
 それは、親から受けるはずだった無償の愛、俺だけに尽くすことがいつまでたってもできてないことに対し、徹底的に「しつけし直してやる!」、「それができるのは俺しかいない」、「俺にはその資格がある」と支配のための暴力を正当化してしまう(ある意味、神のような神聖な存在として)考えが根底にあります。
こうした考え方は“認知の歪み(考え方の癖)”と捉えられ、暴力のある環境で、父親と母親とのかかわり方を見て、聞いて、察して学び、身につけてきたものです。
 「暴力のサイクル理論」では、暴力が慢性反復的におこなわれることによって、被害者は心理的な虚脱状態が続き、時には、抑うつ状態になっている中で、謝られ、優しくされると天に昇るような気持ちになり、感謝し、すがったりするようになるとしています。
つまり、DVのある夫婦の関係性の中に、相反する受容と拒絶のふるまいが大きくかかわっていることを理解しなければならないわけです。
 先に記しているとおり、夫婦や親子の関係に、上下の関係、支配の関係を成り立たせるために行使される力(パワー)が、DVという問題の本質です。
本来対等である夫婦間に、上下、支配と従属の関係を成り立たせるうえで、ウォーカーが指摘するように、心理的な虚脱状態や抑うつ状態、つまり、相反する受容と拒絶のふるまいによる思考混乱状態がつくられ、恐怖で家に縛られている状態がつくられます。
被害者が加害者から逃げだすことができない状態は、被害者が、①逆らったらなにをされるかわからないという恐怖心を植えつけられ、②相反する受容と拒絶のことばやふるまいを巧みに繰り返され思考混乱下におかれ、③ふるまいを徹底的に糾弾され(否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下する)、自己変革を求められ、そして、④「悪いのはお前だ」、「怒らせる(暴力をふるわせる)お前が悪い」と心に刻み込まれ、自己肯定感を損なわれ、自尊心を奪われていることによって成り立つものです。
さらに、ウォーカーは、「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)」と称し、生活上支配的な立場にある男性から一定期間にわたり身体的・精神的(ことば)・性的に虐待された女性に共通することが多いとされる行動的・情緒的な特徴群を明らかにしています。
特徴的な症状や兆候として、ウォーカーは、①感情的距離(人との心理的な距離感、かかわり方がわからない)、②被った暴力は自分自身の過失(自分が悪いから、自分がいたらないからだ)だと思い込む、または、暴力の責任をよそに転嫁できない、③低い自尊心、低い自己肯定感、④強烈な不安感、⑤強烈な恐怖感、⑥極度な敏感さ、極度な感覚鈍麻(強烈な不安感や恐怖心から敏感に反応する一方で、つらく苦しい体験などを感じないように感覚が鈍感であるといった“相反する状態”が共存する)、⑦身体的接触、または一定期間、極度の集中(覚醒)状態後、虚脱状態に陥る、⑧性欲の低下、性的機能不全などをあげています。
したがって、DV被害を訴えている者に、こうした特徴的な症状や兆候が認められるときには、生活上支配的な立場にある男性から一定期間にわたり身体的・精神的(ことば)・性的に虐待されていた女性であることが示されることになります。
ここでいうその男性は、被害者の交際相手や夫、もしくは、被害者の父親(養育者としての祖父、叔父、マムズ・ボーイフレンド(シングルマザーの交際相手)を含む)ということになります。
 一方のDV加害者は、①自分は配偶者を自分に従順で、忠誠(服従)を誓わせ、意に反しなしないように「しつけ直す」おこないができる“特別な存在である”と信じ、②自分だけに都合のよい関係性を成り立たせるためには、徹底して非情になることができます。

-事例60(DV41、社会的隔離4)-
(精神的暴力、否定・非難。社会的隔離)
 子どもが幼稚園に通うようになると、私は、子どものママさんと話すようになりました。こんな考えもあるんだと新鮮さと驚きの日々でした。
 しかし、家に帰ってきた夫に、その話をすると、「俺の考えとは違う!」と応じられました*1。
子どものことで、私の考えを口にいすると、夫は「俺はそうは思わない。俺の考えとは違う。」と否定し*2、「俺のやり方に文句をいうな!」と怒鳴りつけます*3。それだけでなく、「誰がそんなことをいっているんだ! お前がそんなことを考えられるわけがない。誰かに入れ知恵されたのか!」と否定し、罵倒することもあります*4。
夫は、「お前のために思っていうんだぞ。あの人とつき合うのはよくない。」、「あの人のいう考えは、俺の考えと違うから、つき合うな。」、「もらい物をするな。弱みにつけこまれる。」、「仲良くするな! 家のことがバレるだろう。」といい、私の両親やきょうだい、子どもたちの幼稚園や保育園、小学校のママさんたちとつながりを持つことを嫌がりました*5。
だから、私は、ずっと口をつぐんで黙るしかありませんでした。
 私は、「夫には、なにをいっても話を聞いてもらえない」「この人には、なにをいっても無駄だ」「夫には、私の気持ちなんかわかってもらえない」と諦めるようになり、無力さを感じました。
そして、私は、夫に「お前は常識がない。俺がいないと何もできない!」と侮蔑し、非難され*6、「自分の考えを持ってはいけない。俺のやり方に文句をいうな!」、「いまの生活を続けたければ、黙って俺のいうことをきけ! 従え!」といわれ続け*7、「自分は欠点ばかり、嫌な面ばかりの人間だ」、「自分にはいいところなど、ひとつもない」と思うようになりました。
 「お前が悪い」「お前に責任がある」「お前がケンカを売ってきた」と夫がいうように、夫を怒らせて怒鳴られたり、罵られたりするのは、私に原因がある、私が悪いからと思うようになり、「私がいたらないから、夫に申し訳ない」「私のせいで、夫を不幸にさせてしまっている」と罪悪感を抱くようになっていきました*8。
そして、私の周りから誰もいなくなり、どんどんひとりぼっちになってしまうのは、夫のいう通り、「私に原因がある。だから、友だちがいなくなる。私が悪いんだ。」と感じています*9。
*1.2.3.4.6.7 ことばの暴力(精神的暴力)です。
*5 詮索干渉、束縛(支配)による社会的隔離です。
*8.9 慢性反復的(日常的)な暴力被害により、自尊心と自己肯定感が奪われている状態、つまり、典型的な被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)の傾向です。


-事例61(DV42・DV環境下、児童虐待と密接な関係11)-
(子どもへの身体的暴力とことばの暴力)
 夜、長女が買ってもらったおもちゃを、夫に「やるなよ」といわれていたのにつくっていたのが見つかりました。「見ていただけ」と応えていた長女は、夫に「てめえ何やっているんだよ! 直ぐにバレる嘘をいっているんじゃないよ!」と怒鳴られて泣いていました。
長女とお風呂に入ったとき、私に「拳骨で殴られた。どのくらい痛いのかわかるでしょ」といってきました。
お風呂からあがって、私が夫にそのことを指摘すると、Dは、「叩いていない」としらを切りました。しかし、私が「長女Yは、嘘をついていない。」と詰め寄ると、Dは、「強く叩いていない。泣くようなことじゃない!」といい放ってきました。私が「殴るんじゃなくて、ことばでいえばいいじゃない。」とおこないを咎めると、Dは「テメー、誰にむかっていっているんだ! ケンカ売ってるのか!」と怒鳴りつけ*2、「コイツはやられないとわからない!」、「お前が、ちゃんとしていないからいけないんじゃないか!」と声を荒げ、非難しました*3。
そしてDは、子どもたちに向かって、凄い形相で「ここ(家)にいたいんだったら、俺のいうことをきけ!」と怒鳴りつけました*4。
怒り沸騰のDは、「お前は、俺がお前を責め、でて行け!というように仕組んでいる。」といいだし、長女Yに「お前のせいでこうなる。お前が本当のことをいわないから、お父さんとお母さんがいい合いになった!」と、形相を変えて迫っていきました*5。
長女Yはびっくり。怖れをなし、私の後ろにとっさに隠れ、ことなきをえました。
 数時間後、長女Yは、父親のご機嫌をとろうと「パパ~」と甘い声をだし、すり寄っていきました*6。
 このようなことが毎日のように繰り返されても、長女Yは、私に「絶対に離婚はしないで! 私にはパパとママが一緒じゃない(揃っていない)といけないの」といい張ります*7。
父親Dが怒鳴り散らしたあと、長女Yは、父親になびいてべったりになります。そういうときに父親Dに媚びると、なにかを買ってもらえるとわかっているから、すり寄っていきます。そして、Dは、得意げに「なっ、俺のいうことの方が正しいということだろ!」とやじり、「お前は、子どもたちにいうことをきかせられないじゃないか!」と非難します*8。
そうした光景を何度もまのあたりにして、私が長女Yのことをどんなに心配しても、父親Dになびいていくと、長女Yへの失望感は深まっていきます。と同時に、私には子どもを守れない、何もできない無力感を思い知らされます*9。
*1 子どもへの身体的虐待です。
*2.3 ことばの暴力(精神的暴力)です。同時に、DV環境下での子どもを利用した精神的暴力です。
*4.5 子どもへの精神的虐待です。
*6 長女Yの行動は、父親の機嫌を損なわないように媚びを売り、ご機嫌を伺うふるまいであると同時に、そのことで褒美をもらうことで、自己存在を確認する(承認欲求を満たす)行為です。
*7 長女Yの言動は、DV環境下で育ってきた子どもにとって、「なにをいまさら」という段階に入っていることを示すと同時に、「両親が離婚した私」のことを、同級生や友だちがどう思うだろうかに囚われ、その恐怖心を回避する(不安を払拭する)ためのものです。
*8 DV環境下での子どもを利用した精神的暴力です。
*9 慢性反復的(日常的)な暴力被害下にあり、同時に、夫(父親)の暴力(虐待)から子どもを守れない無力感は、心を深く傷つけます。なにもできないという無力さを思い知らされることは、絶望につながる危険な状況にあるということです。



② 暴力の後遺症としての「PTSD」
ASD(急性ストレス障害)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、被虐待体験(面前DV含む)、いじめられ体験、学校や習いごとでの体罰、DV、パワーハラスメント、セクシャルハラスメント被害などの危機に直面することで発症します。
危機(crisis)とは、「人が通常もっている事態に打ち克つ作用がうまく機能しなくなり、ホメオスタシス(恒常性)が急激に失われ、苦痛と機能不全が明らかに認められる状態のことです。他に、自然災害(地震、津波、噴火、台風、水害など)や人為的災害(火災、自動車事故、航空機事故、爆発事故)、戦争や暴力(戦争、テロ、殺人、レイプ、虐待)など、この偶発的な危機の中で、生命の危機が脅かされるような惨事に遭遇しておきるストレスを惨事ストレスといいます。
トラウマ(心的外傷)体験となる危機に遭遇すると、脳は、ⅰ)「視床」は危険の情報をキャッチし、ⅱ)「扁桃体」が危険信号をだします。そして、ⅲ)「視床下部」でCRFホルモンが脳下垂体を刺激し、ⅳ)「脳下垂体」は副腎を刺激し、緊張ホルモンを分泌させます。その結果、ⅴ)「脳幹」が血圧を上げ、心拍を早くし、血糖値を上げます。
CRF(cortictropin releasing factor:副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)は、視床下部から分泌されるペプチドホルモンのひとつで、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)の放出を刺激します。CRFが分泌され、前頭連合分野に伝達されると不安が生じます。その不安を抑えるために、抑制性の神経伝達物質セロトニンの分泌を亢進させ、抑制性の神経伝達を亢進させることで、前頭連合野の興奮を抑制することができると不安が解消されます。
慢性的なストレス刺激は、扁桃体を異常に興奮させることになるので、CRFの分泌が異常に促進し、不安が強まります。セロトニンがその不安を抑制することができないと、理由のわからない不安感に苛まれることになります。
コルチゾールやアドレナリンなどの緊張ホルモンが脳や体内に回って、危険と立ち向かう超人的な力をださせたり、物凄い勢いで逃げたり、気絶したりするなどの反応をおこさせます。
このことを「HPA機能」といいます。
その結果、ⅵ)前頭葉とことばをだすブローカー野は機能を停止させます。予期できないできごとは、恐怖が拡大し、扁桃体の興奮が続くと「ストレス障害」になります。
ストレス障害には、①できごとに対する苦痛な夢をみる、おきているときに、できごとがいまおこっているような感覚に陥る、恐怖から逃げだそうとする、怒りを表す、怖くて固まるなどの「侵入(再体験(フラッシュバック))」、②眠れない、直ぐに目覚める、過度に警戒するなどの「過覚醒」、③なにも感じられない、考えられない「麻痺」、④トラウマ的できごとを思いださせる場所、人、もの、活動、刺激を怖がり、それを避けようとする「回避」といった症状がみられます。
したがって、トラウマは、「急性ストレス障害」や「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」をひきおこすことがあります。
ASDは、症状が2-4週間以内に静まるのに対し、PTSDは、4週間以上継続するか、なにかがきっかけとなって後に表れます(後発性PTSD)。急性ストレス障害とは、怖ろしいできごとを体験したあとにおこります。
そのできごとを頭の中で繰り返し再体験し、それを思いださせるものを避けようとし、不安が増します。
ASDでは、①感覚の麻痺、外界との分離感、感情的な反応性の欠如、②周囲のものごとへの注意力の低下(ぼんやりしているなど)、③ものごとが現実ではないという感覚、④自分自身が現実でないという感覚、⑤トラウマ体験の核心部分の記憶の喪失といった症状のうち3つ以上がみられます。
PTSDは、ストレス事態が去り、一定期間を過ぎても(3ヶ月程度を目途にする場合が多い)、ストレス症状が強くみられるものです。
阪神淡路大震災では、震災から4年経過したあとも、9%がPTSDと診断されています。
PTSDは、外傷的なできごとの直後からはじまり、その後、継続する場合が多くみられます。
ASDからPTSDに移行していくことが多いものの、すべてがそのように進むわけではなく、心的な外傷を受けあと遅れて症状が生じることもあります(遅延性PTSD)。
重い症状がみられるときには、ストレスにであったことを忘れてしまったり(解離性健忘)、前触れもなく突然、つらかった記憶やそのときの感覚に陥るフラッシュバックにみまわれたりします(自動再生)。
その結果、周囲の状況とは無関係な行動をとってしまったり(行動の自動化)、苦痛の感覚と感情を隔離してしまったり(切り離し)するなどの症状がみられます。
また、半数程度に、PTSDの症状に加えて、深刻な解離性症状を示します。
解離性症状として、ア)麻痺した、孤立した、感情がないという感覚、イ)ぼうっとしているなど周囲への注意の減弱、ウ)現実感消失、エ)夢の中にいるような感じになる離人症、オ)トラウマの追想が不能となる解離性健忘があげられますが、外傷的なできごとへの耐え難い情動反応が一種の変性意識をひきおこすものです。
健康な人であっても、強いストレス下にあるとき、一時的に自分の心理状態を平衡に保つために生じる防衛反応です。
しかし、ASDやPTSDの症状が深刻になると、心の傷を受けた記憶を思いだしたくなくても、繰り返し思いだすようになります。
そして、自分の身を守ろうとして解離症状を示すようになり、その結果、恐怖の「固定観念」に支配されるようになります。

(PTSDになると、どうなるか?)
a) 基本的信頼感の喪失
圧倒的な外傷を経験し、孤立無援感に打ちのめされると、人は基本的信頼感を失ってしまいます。これは、「この世はOK、私もOK」という、人が信頼関係を築くときに最も必要になる感覚です。
しかし、心的外傷体験後は、その信頼感はもろくも崩れ去り、「この世はNO、私もNO」という感覚に支配されてしまいます。
無意識のうちに、世界を警戒し続け、著しい緊張状態が続くようになるのです。
そして、他人はおろか自分自身さえ信じられず、常に怯えるようになります。
b) 自己防衛システムの断片化
人は脅威を察知すると、まず交感神経系が活性化しアドレナリン等の興奮ホルモンの分泌によって気分が高騰し、「警戒待機状態」に入ります。
また、直面している状況にだけ注意を「集中」させます。
ひとつのことに集中すると、人は飢えや渇き、痛みといった知覚まで麻痺させます。なぜなら、そうした知覚は危機的状況を切り抜けるためには、不必要どころか邪魔なものだからです。
そして、大きな危機は、怒りと恐怖という「強烈な感情」をおこさせます。
これらは正常な反応で、この反応が「脅威と闘うか」、「脅威から逃走するか」のどちらかに人を駆り立てます。
こうした自己防衛システムによって、危機的状況下にあると、人はほんの少しの刺激でも驚くほど瞬間的に、そして正確に行動します。自分の命や身体を守るための判断、敵と闘うための行動、逃走のリスク、それらを瞬間に判断し、危機的状況下に適応します。
しかし、闘うこともできない、逃走することもできない圧倒的な脅威にさらされると、この自己防衛システムは圧倒されて壊れてしまいます。
ほんの少しの刺激で直ぐに警戒待機状態に入り、興奮ホルモンの過度の分泌によってめまいがしたり、息切れしたりします。あるいは、警戒待機状態が「普通の状態」になっても、なぜだかわからないけれどもいつも警戒し、緊張し、焦っている状態が長く続くようになります。
ときに、なんの脈絡もなく急に強烈な感情がわきあがってきて爆発します。
記憶が細切れになり、いつも無意識のうちに「あの瞬間」に集中していることから、ほかのことに意識が集中できなくなってしまうのです。また、常に興奮し続けるため、交換神経の副交換神経を司る自律神経が失調してしまうことになります。
c) 自己統合能力の無力化
通常は、「感情」「知識」「記憶」、これらすべては自分のものという自己同一性を保持しています。
しかし、生命の危機やあまりに衝撃的なできごとがおきると、人は「感情を感じていた」としても、その状態を切り抜けなくなります。
そのような判断を脳が下すと、生命の保全を最優先するために、感情を遮断してしまうことになります。
「なにも感じない」ことによって、食事をとったり、あるいはパニックをおこしたりして加害者(あるいは犯人)を刺激しないことで、命を維持できるようになります。
そして、その危機的状況下では、苦痛が大幅に軽減されることになります。なぜなら、殴られても恐怖感、屈辱感を感じなければ、殴られることは「なんともない」ことになるからです。
殴られている最中は冷静に行動できていても、終わった瞬間にへなへなと腰砕けになり放心状態に陥ります。なぜなら、殴られている最中は、恐怖という感情をシャットアウトしているからです。
また危機的状況下で、自分の肉体に対して加えられる危害を実感していたら、心が耐え切れなくなる場合もあります。
その場合も、感情という情報だけでなく、「この肉体は自分のものである」という「知識」からも自分を切り離してしまいます。なぜなら、「殴られているのは自分の体ではない」と思うことで、痛みも、苦しみも大幅に軽減されるからです。
危機的状況下の「記憶」はどうなるのでしょうか?
本来記憶は、「自分の経験」を記録していきますが、正確に再現することができません。
多くの記憶は、うる覚えであったり、過去の体験を編集した物語になっていたりします。時が経るにしたがって整理が進み、記憶が編集されていくのが、記憶の性質です。
日常的な記憶は時間経過とともに刻々と変わり、いわば編集されたドキュメンタリーフィルムのように、都合の悪い部分はカットされ、都合のいいプロットや他の場面が挿入されて編集保存されていくことから「物語記憶」と呼ばれます。
しかし、トラウマ性の記憶はそうならずに、同じ映像がいつまでも変わらぬ臨場感でフラッシュバックするのです。
編集されないので強烈で、物語性が加工されることもありません。これが、PTSD症状のひとつの「再体験(侵入)」です。
そして、トラウマ性の強い記憶を「外傷記憶」といいます。
危機的状況下では、感情や知識と自分を切り離した結果、「体験していること」は自分の体験ではなくなってしまいます。
そのため、記憶は正常なふつうの記憶、身にしみついた経験としては記録されず、どこにも属さない異常な状態で「瞬間冷凍」したようなかたちで記録されることになります。
そして、危機的状況が終息し、記憶が通常の状態に戻ったとき、異常な形態の記憶は意識から排除され、いつまでも風化せずに瞬間冷凍された状態で、どこかに残り続けるのです。
これらの自分から自分を切り離すことを「解離」といいます。
自己同一性の正常な結びつきが切り離されてしまうのは、外傷体験における激烈な感情反応の結果であり、「強烈な感情の持つ融解作用」が心の「統合的機能」を無力化し、事件の記憶を自分の意識に統合する能力を失わせてしまうからです。

(PTSDの主要症状)
a) 過覚醒(覚醒亢進)
「過覚醒(覚醒亢進)」で、感覚がやたら研ぎ澄まされてしまったりするのもPTSD症状のひとつです。
トラウマが再現(再体験)されるのを過剰に警戒して身構えていることから、わずかな刺激に対して激しいトラウマ反応をひきおこします。
あのときと同じ危険が、いまこの瞬間、次の瞬間にでも襲ってくるんじゃないか・・という感覚に苛まれます。誰が敵か、どこから敵が現れるか、あの瞬間がいつおこるか、常に緊張体勢にあり、不意の刺激に対して極端に驚きます。症状としては、知覚過敏、睡眠障害、過呼吸発作、パニック発作、感情の抑制不能などがあげられます。
自己防衛システムが粉砕されたために、ほんの少しの刺激で爆発的な怒り、攻撃や恐怖、逃走に走ります。なぜなら、常に興奮し続けているため、興奮を抑制するホルモンが枯渇に近い状態になってしまうからです。
ささいな恐怖や怒りも抑えることができず、興奮ホルモン(アドレナリン)の過剰分泌によって、過呼吸発作やパニックアタック(パニック発作)とよばれる恐慌状態(パニック状態:突発的な不安や恐怖による混乱した状態)がひきおこされます。
この状態は、眠っている間も続くため、睡眠障害の原因になります。過覚醒状態の人はなかなか寝つくことができず、ささいな刺激で直ぐに目覚めてしまいます。
そして、外傷的体験を思いおこすような行動、できごと、音、におい、光、ことば、光景にあうと、外傷体験当時のような著しい反応をおこすことになります。
一方で、PTSDを発症すると、感情や知覚が鈍感(感覚鈍麻)になるのも特徴で、それは、苦痛に対してだけでなく喜怒哀楽といった感情すべてに表れます。
「配偶者暴力防止法」にもとづく“一時保護”として緊急一時保護施設(シェルター、母子棟)に入居してくるDV被害者の方の中には、能面のような無表情な方たちも少なくありません。なぜなら、苦痛だけでなく、喜怒哀楽といった感情すべてを鈍麻させることで、暴力のある家庭環境を生き延びてきたからです。
b) 侵入(再体験)
危機的状況下で記憶された、瞬間冷凍された記憶は、ふつうの記憶に組み込まれようとして、何度も何度も意識にのぼってこようとします。
これが、「侵入」という症状です。
症状としては、睡眠障害(悪魔)、フラッシュバック(侵入的想起)、幻聴、幻覚、再体験(再演)、強迫行動などがあげられます。
目覚めているときはフラッシュバック(突然、事件の映像や音声、感覚の一部あるいはすべてが蘇る)、不意のつぶやき、寝ているときは悪夢としてあらわれます。
これらは無意識の作業であって、自分ではコントロールできません。そして記憶として、ことばとして思いだせない記憶をなんとか正常な記憶に組み込もうと、あのときの圧倒的は敗北に再び挑戦し、次こそ勝利をおさめて胸を張ろうという無意識の、あるいは意識的な選択によってトラウマの原因となった事件を再び犯そうとします。
戦地や紛争地の前線にあるキャンプ地で、兵士たちは「一度戦場に足を踏み入れた者は必ずそこへ戻ってくる」、「戻りたいという衝動に体が侵されていく。中毒のような症状だ」と語り、戦場に戻っていったり、レイプ後、生存者が男性にケンカをふっかけたりするなどが例にあげられます。
それらは自分が望んで、楽しむために選んでいるのはなく、「そうすることでしか、自分の有力さを確認することができない」という悲痛で、強迫的な選択なのです。
c) 回避
人は、「状況回避」と呼ばれる行動習慣として、怪しい人物を避けたり、ちょっとした危険を察知したり、事故のおこりやすいところには近寄らなかったりします。
また、「回避行為」として、苦痛がもたらされそうなことや不得手なこと、苦手なことから思わず逃げたくなる感情を持っています。
この「回避行為」が、トラウマ的な体験に過剰に反応してしまうのもPTSD症状の特徴です。
アフガンなどの戦地(紛争地)から帰還した兵士たち、ナチスのユダヤ人の虐殺から国を捨て逃れた人たち、沖縄で地上戦に巻き込まれた人たち、そして、淡路阪神大震災や東日本大震災で被災した人たちのように、トラウマ的な体験となったできごとを黙して語らないようにしたり、それに類する場所に決して近づこうとしなかったりするのも回避行為です。
d) 狭窄
完全に無力化され、どんな抵抗も無駄だと思い知らされたとき、人は「完全降伏」の状態になります。
怒りも、恐怖も、歎きも通り越して、一種超然とした静けさが心にもたらされます。
症状としては、無感覚、感情鈍化、離人症、意欲喪失、将来の想像が不能になるなどをあげることができます。
スローモーションのサイレント映画を脇から眺めているような感覚、加えられている危害は自分にされているのではなく、自分の抜け殻が受けているのだろうという感覚、奇妙に現実感がないからこれは悪い夢で、もうすぐ夢から覚めるんだろうというような感覚になります。
意識はその一点に集中し、他のことに関して向けられなくなります。
自己像は小さくなり、完全に受身の態勢がとられます。
その体験が終わったあとも、そのような意識の狭まりは続き、周囲や自分に対して無関心となり、将来や未来についてなにも考えられなくなり、なにも感じなくなってしまいます。
以上のような「覚醒亢進(過覚醒)」「再体験(侵入)」「回避」「狭窄」といったPTSDの主症状は、自己防衛反応です。
危険を避けるための回避、危険を察知するための覚醒は、身を守るには必要な反応行為です。つまり、「異常な状況に対する正常な反応」ということになります。

(PTSD症状としての「身体化の障害」)
DV被害者が抱えるストレスは、紛争地や戦地から帰還する兵士が抱えるストレスに匹敵するとされていますが、PTSDによる症状は、上記のような主症状の精神的な症例の他に、心身症と呼ばれる身体的な疾患として表れることが少なくありません。
その「PTSDによる身体化の障害」は、消化器系の炎症、潰瘍など、慢性的な頭痛、皮膚疾患、喘息や加換気症候群、歩行障害、起立調整障害、どもりや失語などの転換症状、性的不能や不感症、あるいは性欲動の昂進に悩まされるものです。
身体疾患に罹患しやすくなるのは、継続的に長期間にわたりコルチゾール(副腎皮質から分泌されるストレスホルモン)が分泌されると、脳に海馬や視床下部などにダメージを与えるだけでなく、免疫力の低下がおこると潰瘍や消化器系の炎症をひきおこすからです。
また、虐待を受けた子どもや高齢者は、正常な内臓も攻撃してしまう白血球の一種「好中球」の増加により、肺や肝臓などの臓器にも障害を生じさせていることが、暴力を受けて亡くなった生後2ヶ月-8歳の子ども13人と66-84歳の高齢者11人を司法解剖し、心臓、肺、肝臓、腎臓を調べた結果、子どもは、すべての臓器で好中球の数が虐待死でない場合に比べ、1.7倍-7.6倍増加し、高齢者では、肺や肝臓で1.9倍-4.8倍増えていたという調査報告があります。
このことによって、仮に外傷の痕跡が目立たない場合でも、司法解剖により内臓を調べることで虐待死を発見することができることになりました。
つまり、強烈なストレスは脳にダメージを与えるだけでなく、内臓にもダメージを与えるわけです。
「好中球」は「白血球」のひとつで、白血球は好中球・好酸球・好塩基球・リンパ球・単球で構成され、血液中の白血球の約半数は顆粒球です。その大部分が中性の色素でよく染まる好中球で、酸性色素で染まる好酸球、塩基性色素で染まる好塩基球に分けられます。好中球は細菌などの異物を処理し、生体を外敵から防ぐ働きをしています、
つまり、生体に交感神経が優位になりアドレナリンが分泌されると好中球は増加します。
ストレスは、薬物(薬品分類としての白砂糖)などと同様に体内に入ると毒蛇の2倍の毒素をもつアドレナリンが分泌されることになります。
好中球の増加と関連する疾患として、細菌感染・血管炎、梗塞など組織の炎症や壊死を伴う疾患、尿毒症、がん・リンパ腫などの腫瘍、急性出血・溶血があげられます。
また、好酸球は、顆粒から特殊な蛋白を放出して寄生虫やその虫卵を傷害したり、喘息や薬物アレルギーなどのアレルギー反応をひきおこしたりします。好塩基球の増加により、骨髄増殖性疾患、潰瘍性大腸炎をひきおこします。
さらに、白血球には顆粒球以外にリンパ球と単球がありますが、リンパ球は、外敵の侵入からからだを守る免疫機能を担い、副交感神経が優位になると増加します。
以上のとおり、人の体は強いストレスにさらされ交換神経が優位になると、好中球は増加し、リンパ球は減少することになるわけです。

-事例62(DV43・DV被害者として抱える後遺症1)-
私は、同居して間もなく、夫Kを怒らせたらなにをされるかわからない恐怖を感じて過ごしてきましたが、Kから暴行を受けてから、本当に、Kが怖ろしくなりました。
夜も眠れなくなり、Kから責められている夢を見て、飛び起きたりしました。
Kがお風呂からでて扉を閉める音、帰宅し玄関が開く音にも緊張し、心臓が締めつけられるように感じます。Kに「ねえちょっと」と声をかけられると、「またなにかやってしまった」「怒鳴られる」と怯え、なにかミスをしてないか必死に考えはじめると、激しい動悸が襲ってきました。
キッチンに立つことも、スーパーに買い物に行くことも、Kにこと細かに詮索干渉され、繰り返し非難されたことが思いだされ、手が震えたりしました。気づいたら4時間くらい外をずっと見ていることもあり、突然涙が溢れてきて、なにをやっても楽しくなくなりました。
仕事からの帰宅道中は胃が痛く、帰宅が怖く、先にKが帰っていると家に入ることができず、外でしばらくどうしようか迷うようになりました。
仕事中にも立っていられなくなることもあり、食欲もなくなり、私はKと同居してわずか1年で7キロ痩せました。
 そして、Kから暴行を受けてから1ヶ月後、私は、家に迎えにきた母と姉に連れられて実家に帰り、Kと別居することになりました。そのとき、どうやって家にたどり着けたのか、私は、いまだに記憶をとり戻してはいません。

-事例63(DV44・DV被害者として抱える後遺症2)-
私は、夫Nに首を絞められてからは、Nが隣に座っているだけで息が苦しくなり、手に汗をかくようになりました。ちょっとしたことで、動悸がして、胸がしめつけられ、喉が詰まった感じになり、頭が重く気持ち悪くなりました。
離婚を決意し、私の実家に戻ってからは、Nに抱く強烈な恐怖心と不安感で、夜中に何度も目が醒めました。そして、仕事以外では、家から一歩もでられなくなりました。
仕事の休みの日は、昼間に体を起こすのさえツラいほど怠くなり、診察を受けた医師に、「甲状腺ホルモンや成長ホルモンが低下している。」と診断を受けました。
夫Nと別居し5ヶ月、事前に知らされている弟が、実家を訪れインターホーンを鳴らした瞬間に、「Nかも知れない」との思いが脳裏をかすめ、血の気がひき、激しい動悸にみまわれ、発汗し、フラッシュバックの強い反応がでました。
一方で、どれだけひどいふるまいをされてきたのか、どこか他人ごとのように感じたままになっています。
私がいまも、仕事を続けられているのは、DV被害が自分のことではないかのような感覚でいられるからだと思います。

-事例64(DV45・DV被害者として抱える後遺症3)-
私は、夫Oと別居して9ヶ月になりますが、強いPTSDの症状に苦しんでいます。
バスで商業施設の側を通ったとき、この症状施設で買ったワンピースを思いだいし、強烈な吐き気に襲われました。
私は、Oと同居していたときに購入して着ていたワンピースを見たり、ワンピースを着ていたりした状況が頭をよぎると、Oの欲望を満たすだけの望まない性行為を強いられ続けた記憶と結びつき、恐怖・屈辱感が蘇って強烈な吐き気に襲われます。また、私の父が運転する車に乗ると、車の中で、Oに意識が遠くなるほどの力で首を絞められた記憶が込みあげてきて、激しい動悸に襲われてしまうことから、車に乗ることができなくなりました。
私は、Oとの結婚生活で体験した暴行・性暴力にとるトラウマが、フラッシュバック、パニックアタックをひきおこし、冷静になることができなくなることがあります。


③ 被虐待体験による後遺症
 人は、危機的な状況に遭遇すると、脳の大脳辺縁系(海馬や扁桃体)が恐怖感を抱いて反応し、危機が度重なると、過剰な反応が繰り返され大脳辺縁系は常に過敏状態になり、ほんの些細なことでも、激しい恐怖感を抱いたり、攻撃的になったりすることになります。
この「危機的な状況」は、子どもにとって、虐待であり、面前DV、そして、貧困、差別、いじめということになります。
慢性反復的な危機的な状況下で、子ども(妊娠している母体を含む)は強烈なストレスを受け続けることになります。このとき、副腎皮質からストレスホルモンのコルチゾールが継続的に長期間にわたり分泌されることで、下垂体、視床下部がダメージを受けます。
つまり、脳の一部の発達を阻害し、脳自体の機能や神経構造に永続的にダメージを与えます。
その永続的なダメージは、子どもの脳の発達段階に準じてゆっくりと致命的なダメージを与えながら、思春期を前にした8-9歳で顕著に姿を現しはじめます。
脳の発達は、胎児期に最初に脳幹を形成し、2歳10ヶ月までに90%の脳機能を形成し発達させていくことになることから、暴力のある家庭環境、つまり、慢性反復的な危機的状況下で母親が受ける強烈なストレスは、胎児期の脳に大きな影響を及ぼすことになります(視覚野が拡大し、側頭葉などが萎縮します)。
脳幹の形成期に強いストレスにさらされると、脳(心)の安定に欠かせないセロトニンやドーパミンなどの脳内伝達物質の分泌・調整、自律神経の働きなど、生存そのものに影響がでることになります。
セロトニン不足は、「うつ病」を誘発し、副交感神経の働き(リラックスする)を損ない、交感神経と副交感神経のバランスを崩します。自律神経の不調は、呼吸、消化、体温調節、ホルモン分泌などさまざまな機能に影響を及ぼし、体調不調を招きます。
そして、恐怖や不安のコントロールが効かなくなり混乱を招き、動悸や呼吸困難などの身体症状をみせる「パニック障害」をひきおこします。
注意力散漫で多動、感情をコントロールしにくいなどの症状をみせるADHD(注意欠陥多動性障害)もセロトニン不足が発症原因のひとつとされています。
「怒りのホルモン」といわれ、「意欲」「不安」「恐怖」「緊張」といった感情・精神状態と深い関係があるノルアドレナリンは、多くの動物に分泌されている原始的な物質(生物の生存本能の源泉)で、危険(ストレス)を察知すると、交感神経を刺激し、心拍数や血圧を上昇させ、覚醒、集中、判断力の向上、痛覚の遮蔽などの効果をもたらし、脅威(外敵など)に対抗する働き(闘争か逃走)を促します。
また、「性格形成のホルモン」ともいわれ、ノルアドレナリンの分泌バランスがとれていると、ストレスへの耐性が強く(がまん強く)、物事の判断力に優れ、危機に立ち向かう率先した行動をとることができます。
「ドーパミン→ノルアドレナリン→アドレナリン」の順序で生成され、ノルアドレナリンが不足すると、仕事や学習の効率低下、注意力の散漫、外部からの刺激に鈍くなることで、意欲や判断力が低下、無気力、無関心となり、いわゆる抑うつ状態の症状が現れ、うつ病をはじめとする精神疾患を発症させます。
一方で、ノルアドレナリンが過剰に分泌されると神経が昂り、イライラしやすく、落ち着きがなくなり、キレたり攻撃的になりやすくなります。
そして、ストレスによりノルアドレナリンの分泌量が慢性的に過剰になると、次第にノルアドレナリンは減少し、枯渇することになり、その結果、ストレス耐性が下がり、パニックをおこしたり、キレやすくなったり、消極的な感情(恐怖感、自殺観念、強迫観念、不安感など)をひきおこす原因にもなります。
ノルアドレナリンと同じく、ストレスに反応して分泌されるストレスホルモンであるコルチゾールは、過剰に分泌され続けることで脳細胞を破壊して死滅させてしまいアルツハイマー型認知症を発症させます。
血圧や血糖などを上げる作用があるノルアドレナリンが、慢性的な過剰状態は高血圧や糖尿病の発症要因となります。
ドーパミンの過剰分泌は「統合失調症(精神分裂病)」の発症原因とされ、幻聴や幻視を招きます。
ドーパミンが過剰に分泌され続けると、以前と同じ刺激ではドーパミンによる快感が得られなくなってしまうために、麻薬のように、さらなる刺激(快感)を求めてエスカレートして依存行為に走ってしまうことになります。
逆に、ドーパミン不足は、手足の震え、手足の関節が固くなったり、身体のバランスが悪くなったり、動きがぎこちなくなったりするといった症状を見せる「パーキンソン病」、足がむずむずと火照ったように感じられ、気持ちの悪い不快感を覚える「むずむず足症候群」の発症原因となっています。
さらに、手洗いや確認など特定の行為に執着して繰り返さずにはいられない「強迫性障害」は、セロトニンとともにドーパミンの分泌量が低下しておきる症状です。
そして、強いストレスの脳への影響は、コルチゾールの過剰な分泌だけでなく、ビタミンB6、ビタミンB12、葉酸を減少させ、必須アミノ酸であるホモステインが「ホモシステイン酸」に変化するのを助長し、脳内で「アミロイドβ」の蓄積を加速させてしまいます。
アミロイドβは、非常に有害な物質で、脳内に蓄積すると脳の神経細胞を殺してしまいアルツハイマー型認知症を発症させます。
認知機能低下、人格の変化を主な症状とするアルツハイマー型認知症は、認知症の60-70%を占めるものです。
また、うつ病の発症は、本来、守ってくれるはずの親から否定と禁止のメッセージが込められた虐待を受けることによって、心に深い傷を負い、心の平穏が失われ、また虐待がいつおこなわれるか不安と緊張の連続といった子ども時代の体験が脳の発達に強く影響していることがわかってきています。
全うつ病の30-40%、または半数近くを占めるといわれている「仮面うつ病(非定型うつ病・新型うつ病;うつ病(気分障害)としての精神疾患名ではなく総称)」は、養育歴から、手のかからないおとなしい子どもで、学校の成績も優秀で、周囲からの評判もよい子ども、ただし、家庭には暴力があった子ども時代を過ごしてきたことがわかっています。
いわゆる、暴力のある家庭環境に順応するために、「大人にとって都合のいい従順なよい子」だった人が多いのです。
このように、脳幹形成期の胎児が強いストレスにさらされると生存そのものに影響がでる、つまり、出生後の人生に大きな影響が及ぶことになるのです。
そして、出産後の発達過程に負った不適切な養育による心の傷は、認知や情緒面の発達に深く影響を及ぼすだけでなく、脳自体の機能や精神構造に永続的なダメージを与えます。
子どもの脳では分子レベルの神経生物学的な反応が幾つもおこり、それが神経の発達に不可逆的な影響を及ぼします。不適切な養育によるストレスは、認知機能の発達を阻害し、知的障害・学習障害のような様相を示したり、記憶や情動を適切に制御する力を損なうことで落ち着きのなさや多動傾向・衝動的な傾向を示したり(注意欠陥多動性障害:ADHDなどの発達障害)、フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり記憶が欠落するといったような解離症状を示すことがあります。
子どもが幼少時期に安心して生活することができず、いつも不安や恐怖に脅え、自分を大切な存在であると感じることができずに育つと、良好な自己像を形成することが難しくなります。
「自分は愛される価値のないだめな人間だ」と感じ、自己肯定感を育むことができず、対人関係の築き方にも障害をきたしてしまいます。怒りや恐怖などの感情をコントロールすることができず、不適切なところで急に爆発させてパニックになったり、衝動的、攻撃的な行動に走ってしまったりすることもあります。
その結果、対等な対人関係を築いたり、円滑な集団生活を送るためのルールを身につけたりすることが困難になり、年齢相応の社会性の発達は阻害されていくことになります。
抑うつに陥りやすかったり、ささいなことで不安を強めたり、無気力や自己嫌悪から自傷・自殺企図などを示したり、かつての心的外傷(トラウマ)体験の影響を心身に色濃く残し、不眠や悪夢、パニック発作、解離性障害や身体化障害、独特の対人関係の問題、薬物・アルコール依存等の嗜癖行動等の情緒的、行動的問題を抱え続けることなります。
さらに、子どもの心と脳に大きな傷跡を残し、青年期、成人期になってからも精神的後遺症となって残る、つまり、トラウマが固定化し、愛着障害、発達障害、人格障害(パーソナリティ障害)のかたちをとったり、ヒステリー(解離性障害)や身体化障害、疼痛や不定愁訴などの症状も認められたりします。
身体疾患に罹患しやすくなるのは、長期的にコルチゾールが分泌されると、免疫力の低下がおこるからです。虐待経験者の怒り、恥辱、絶望が内に向かう場合には、抑うつ、不安、自殺企図、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を生じ、虐待の影響が外に向かう場合、攻撃性や衝動性が高まり、非行につながります。
アルコール依存や薬物依存は、C-PTSD(慢性反復的なトラウマ体験を起因とする「複雑性心的外傷後ストレス障害」)の過覚醒状態における自己投薬ともいわれています。

④ カサンドラ症候群
 ことばなどの遅れがないので、見た目ではわかり難い発達障害のひとつが、アスペルガー症候群*-35です。
アスペルガー症候群の特性が、文字を文字通りとしか受け入れることができない、つまり、行間を読みとることができないことです。そのため、他者からは、その場の空気が読めない、融通が利かない、冗談が通じない、ルールを厳格に守ると認識されます。
こうした特性は、適切な距離を保って、直接深くかかわらない限り、それほど大きな影響を受けることはありません。
しかし、直接深くかかわる関係、つまり、日常生活をともにする配偶者や交際相手では、その状況は一転して深刻な影響を受けることになります。
それは、外からは見え難い“困る状況”が、日常生活の中であらゆる機会で起こります。
結婚する前は、男女の違いや生家の文化の違いがあるから仕方がないとか、あるいは、夫はちょっと変わっている人と認識しているので、コミュニケーションの問題は、それほど意識されることなく過ごすことができます。
ところが、妻が「普通」に期待する、人を気遣ったり、心配したり、思いやったりすることばを口にしないこと、妻が意図したこととまったく違う意味で物事を捉えていることが、小さな驚きや不満ともに妻の心に積もっていきます。
そして、結婚することが決まると、夫婦として一緒に考えなければならないライフイベント(転居、生活費の割りあて、妊娠や出産など、結婚生活(人生)でおこる変化やできごと)がおきます。
これをきっかけに、二人の気持ちの擦れ違いやコミュニケーションの難しさが顕在化してきます。
このときが、夫婦の間に共通の枠組み(妻から見ての「常識」)がないことに気づく瞬間です。
アスペルガー症候群を抱える夫と生活をともにする妻におきる葛藤の多くは、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)の人が持つ、社会性の未熟さ、共感性の欠如、コミュニケーションの苦手さ、想像することの苦手さという特徴からくる葛藤です。
それは、夫とのコミュニケーションがうまくいかない、夫に気持ちが伝わらない、夫に子育ての不安や悩みなどを共有してもらえない、夫の言動や態度に傷つくなど*-36、妻にとっては日常的で継続的なものです。
アスペルガー症候群を抱える夫との結婚生活をしなければわからない理不尽さやストレスが、精神に変調を及ぼし、それはやがて、数々の肉体的な症状にも発展させていくのです。夫との情緒的交流がうまくいかないことが、妻の無力感、孤独感、絶望感につながり、抑うつ状態を招きます。
こうしたアスペルガー症候群を抱える夫との結婚生活で、妻に生じる身体的・精神的症状や傾向を「カサンドラ症候群」、あるいは、「カサンドラ愛情剥奪症候群」といいます。
また、カサンドラ症候群を心的外傷状態と理解することもできることから、「進行中の心的外傷体験に関連した症候群」と考えることもできます。この視点に立つと、「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)」と似通った心身に表れる症状や傾向と認識することができます。
その共通性は、①人に対して不信感、被害感を強く持ち、攻撃的になることもある、②自分を悪い人と認識(誤解)してしまいやすい、③満たされない愛情欲求に苦しみ、相手との距離が適切にとれず、困っているのに、周囲に援助を求めることもできない、④素直に自己表現ができず、感情コントロールが難しい、⑤配偶者に現実的でない期待を抱きやすいなどの傾向に見られます。
*-35 夫が、アスペルガー症候群の「受動型」であるときには、「沈黙のナイフ」となって、妻を傷つけます。また、夫が、アスペルガー症候群の「積極奇異型」であるときには、身体的暴力(暴行)やことばの暴力、いわゆるDVで妻を傷つけます。
*-36 現在のDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)などでは、疾病としては認められていない概念です。

カサンドラ症候群の第1の問題は、妻は、夫がアスペルガー症候群であると認識できていないことから、第三者に窮状を訴えると、それは、単なる愚痴になってしまったり、世間的には問題なく見えるアスペルガー症候群の夫への不満を口にしても、人々から信じてもらうことができなかったりすることが、葛藤を生む原因となっていることです。
アスペルガー症候群を抱えている人は、「一見ちょっと変わっているけど、感じがいい人」です。そのため、アスペルガー症候群の特性を理解していない人に相談してしまうと、「そういう人っているよね」と“よくあるある話”となったり、「あの人がそんなことするなんて、信じられない」と問題は“あなたの方にあるんじゃない”と、逆に批判されてしまったりしかねないのです。
アスペルガー症候群を抱える者と生活をともにしたことのない者にとって、その場の空気が読めない、融通が利かない、冗談が通じない、ルールを厳格に守るという特性、つまり、本人の頭の中だけに存在している厳格な手順、つまり、一つひとつに番号がつけられていて、その番号通りにものごとが進まないことは、決して許されないことが、日常生活をともにする妻にとって、どれだけ苦しいことなのかは理解できないのです。
 そのため、単なる愚痴に過ぎないと受け止められてしまうと、「あなたが、わがままをいうからなんじゃない」とか、「そのぐらいがまんしなきゃ」と気にし過ぎと事態を軽く受けとられてしまい、解決の糸口を見いだすことができずに終わります。
 周囲に理解してもらえない、誰にもわかってもらえないという悩み、哀しみ、ツラさ、苦しみは、心の悲鳴となって、偏頭痛、体重の増加または減少、自己評価の低下、パニック障害、抑うつ、無気力など、心身の異常となって表れるのです。
第2の問題は、うつ状態が重症化するなど、カサンドラ症候群の症状がでているときが、「子育て期」と密接にかかわるということです。
重要なことは、「どうして、わかってくれないのだろう?」と自問することで、アスペルガー症候群を抱える夫や交際相手に思いを馳せる、つまり、「いつか理解できる日がくる」と向き合う行為は、なにも問題を解決しないということを知ることです。なぜなら、その“葛藤”は、一生治すことのできない夫、あるいは、交際相手の「障害」が原因となっているからです。
「いつか理解できる日がくる」という根拠のない思いは、5年、10年、30年と長い年月を代償とすることから、いま、自分を大切にできる方法はなにかに頭を切り替えることが必要です。
カサンドラ症候群の症状が表れているのであれば、その方法は、アスペルガー症候群を抱える夫と離れて生活することです。

-事例65(カサンドラ症候群1)-
夫は、いえば、家事をしてくれるけれど、いわないとしてくれません。私が、体調不良でふらふらになりながら家事をしているのに、夫は、その様子を気にかけることなく、テレビを見ていて、「手伝おうか?」と声をかけることもなく、テレビを見ています。
 また、夫はこだわりがあるのか、洗濯物の干し方やたたみ方、家計簿の書き方などをこと細かく指定してきます。その夫が、掃除をすると雑で、私がやり直さなければならなくなるのが、ストレスです。
私が頼めば、家事などをやってくれるので、協力的な人だとは思います。
 家事のやり方などで考え方が違い、自分が気になったことだけに強いこだわりを見せる夫とは、最近では、「感覚が合わない」と不満を感じる私の方がおかしいのかもしれないと考えるようになってきました。

-事例66(カサンドラ症候群2)-
夫に注意欠陥・多動性障害(ADHD)を伴うアスペルガー症候群が疑われ、夫婦で相談機関に相談したことがあります。しかし、「仕事があり、家族を養っている人に対して、できる支援はない。」と応じられてしまいました。
40歳代の私は、心身の健康が優れず、抑うつ状態、じんましん、月経前症候群など、心身の不調が続いています。実家の親やきょうだいには理解してもらえません。傷つく覚悟なしに、肉親とは会えなくなってしまいました。
現在、夫は発達障害の二次障害の抑うつ状態です。
しかし、私は、この問題に、一緒に対処するための共通認識を持つことができません。

-事例67(カサンドラ症候群3)-
私は、結婚してからの40年間は、地獄のような日々でした。なぜなら、ずっと夫と姑からのことばの暴力に傷つけられてきたからです。
私の夫は大学院卒で、姑は元教師です。世間的には、立派に見えるかもしれませんが、夫と姑はそっくりで、思ったことを直ぐに口にだします。姑の存在は、私を苦しめました。
 第1子に軽い障害があるとわかると、夫は「こんな心配な子は、俺の子どもじゃない!」、姑は「うちの家系にこんな体質はいない」と否定することばで傷つけました。
夫と意思疎通ができない私は、常にイライラし、精神的に追い込まれていきました。そして、精神科に通うようになりました。
一方で、夫自身もずっと「自分は、どこか人と違う」と悩んでいました。その夫は、専門書を購入したり、ネットで調べたりしたあと、医療機関を受診しました。そして、アスペルガー症候群と診断され、カウンセリングを受けるようになりました。
いま、60歳代の私は、結婚して40年経ち、やっと「障害なら仕方ない」と思えるまでになりました。

 アスペルガー症候群を抱える人との結婚生活が、ツラく苦しい日々を強いられることになる原因は、お互いに“支え合う”という概念が存在していないことから、常に、一方的な消耗を強いられる関係だからです。
カサンドラ症候群を発症しない関係性は、女性がアスペルガー症候群の知識を持ち、男性がアスペルガー症候群を自覚していることが前提となります。
つまり、交際に至るときには、お互いの違いを理解していることが重要なのです。
私たちのコミュニケーションでは、7割以上が非言語的な態度や表情、しぐさなどで成り立っています。
しかし、アスペルガー症候群を抱える人たちは、非言語的な情報の処理が苦手で、ほぼすべて言語的なコミュニケーションに頼っています。喜怒哀楽といった基本的な感情の理解には問題はなくても、複雑な気持ちを表情から読みとることが苦手です。
そのため、アスペルガー症候群の男性と心を通わせるには、結果の見通しを明確に伝えることが重要で、言語化や情報化がポイントになります。なぜなら、突然を嫌うアスペルガー症候群を抱える男性にとって、話の内容を把握し、将来の見通しがつくことは、物事を正確に捉えるうえで重要だからです。
重要なことは、アスペルガー症候群を抱える男性に対して、「どうしてやってくれないの?! 何回もいったじゃない!」と非難することばで責めたり、「なんで、あなたはそうなの?」と曖昧な表現で疑問をなげかけたり、反対意見を述べたりしてはいけないということです。なぜなら、アスペルガー症候群を抱える夫は、妻が意図していなくとも、妻の要求、妻の考えや意見は、自分の考えや意見を否定し、非難したと受けとるからです。
自分が、周囲からマイナスに評価されたと解釈するのです。
したがって、感情を含まない無機質の情報として伝えること重要なのです。
こうしたコミュニケーションのとり方を学び、さらに、感情表現・愛情の示し方のよりよい方法を見つけるために、双方がカウンセリングを受けるなど、協力することができれば、2人の関係はうまくいく可能性があります。
しかし、アスペルガー症候群を抱えている本人、そして、周囲もアスペルガー症候群を抱えていることに気づくことなく、大人になり、交際に至っていることから、カサンドラ症候群を発症してしまうわけです。
したがって、カサンドラ症候群の症状が表れている状況下では、既に、上記の前提は成り立たない状況にあることになります。
つまり、この前提が成り立っていない関係性のもとでは、アスペルガー症候群を抱える人と結婚した者は、カサンドラ症候群などの症状に苦しみ続けることになります。

発達障害の特性が、人によってさまざまなように、カサンドラ症候群を発症した女性の抱える苦悩も、一人ひとり違います。
夫からのことばによる暴力により、妻は、長年の生活で人格を否定されるような精神的苦痛を抱えている妻がいたり、夫は優秀で、会社でも家でも優しく、なんでも受け入れてくれるものの、妻は、深い情緒的な交流がまったくないことに対して、孤独を陥っていたりします。
後者のケースでは、夫が社会的にも高い評価を受けていることから、カサンドラ症候群を発症した妻が、悩み、葛藤すること自体に罪悪感を抱いてしまうことがあります。
その罪悪感を自分でも受け入れることができず、なにがおきているかわからないまま抑うつ状態に陥ることがあることから、その苦しさは軽いものではありません。
一方で、一方が発達障害を抱えている夫婦では、共依存的な関係が習慣になってしまう危険性があります。それは、それぞれの自立や責任を犠牲にしてまで、相手に関心を注いでいる状態です。
例えば、発達障害の人は、自分が起こした問題はすべてをパートナーのせいにしたり、状況のせいにしたりします。「お前が悪い」「お前の責任だ」と非難され、責められ続けるパートナーは、すべて自分が悪い、すべて責任は私にあると思い込むようになり、トラブルの後始末もひとりでひき受けることが習慣になっていきます。
このような関係に陥っているときには、離れることで、自立することが重要です。
カサンドラ症候群を発症した妻の悩みは、一つひとつ違い、それぞれ異なる種類の深刻さを持っているのです。


(8) 被害者の夫への思いを断ち切れない複雑な心理
 では、長く生活をともにしたDV加害者の交際(同棲)相手や配偶者と別れるのは、なぜ難しいのかを事例68(分析研究6)と69(分析研究7)を通じてみていきたいと思います。

-事例68(分析研究6)**-
** 事例68(分析研究6)でとりあげるDV事案は、平成22年8月、「DV被害状況レポート」として、(Ⅰ)DV環境下、被害者は加害者にいかに心をコントロールされ、心身を蝕まれたか-DV加害者から家に縛られる。脅され、卑下、侮蔑されて11年、被害者の傷ついた心(被虐待女性症候群)を理解する-、(Ⅱ)暴力の何が悪いのかがわかれない加害者心理を知る-暴力で心が壊れた被虐待者がDV・虐待加害者に..。暴力を生みだす心の闇、歪んだ感情が妻を支配する、その性格特性を明らかにする-、(Ⅲ)面前DV・虐待環境が子どもの心身の発育にどのような影響を及ぼすか-対象児童の心のケアのために..面前DV・虐待によるトラウマが脳の発育に与える影響を学ぶ-の3部をまとめています。
そして、今回、当「児童虐待・面前DVの早期発見。事例で学ぶ、児童虐待と面前DV。その影響とケアのあり方の手引き」の編集にあたり、レポート(Ⅲ)は、当「手引き」の第2章(Ⅱ.児童虐待・面前DV。暴力のある家庭環境で暮らし、育つということ)に加筆、再編集するとともに、「DV被害状況レポート」は、「DV被害者を支援した1年間の記録。ドキュメントDV被害者。恐怖で家に縛られ、卑下・侮蔑された11年」として再編集しました。


(出会いと再会。“恋愛幻想”下でのデートDV)
 DV被害者R(42歳、看護学校卒)と夫D(43歳、大学中退)は、中学校の同級生でした。Dは、世界的に名の知れた一部上場企業の人事部に勤務する父親*-37の転勤で、中学校2年生のとき、Rが通う中学校によって転校してきました。父親に殴られ、帽子を深く被り登校しているDに、Rが「どうしたの?」と話しかけたことをきっかけに、仲がよくなっていきます。
その後Rは、地元の看護専門学校に進学し、地元の九州で看護師として働いていました。
Dは県外の高校に進学し、東京都内の仏教系大学を中退し、東京都内の寺の総代(檀家のとりまとめ)となり、23歳のとき、「そっちに行くので会わないか」とRに連絡を入れました。
看護専門学校に進学したRと隣県の高校に進学したDが交際していたのをRの母親に「学業に専念するように」と反対され、交際を終えていた中で、6年ぶりに再会し、そして、遠距離交際がはじまりました。
*-37 Dが中学卒業、高校進学の年にDの父親は東京に転勤になり、Dは近県に住む叔父の家から進学した高校に通学することになります。また、Dの父親は、妻(Dの母親)やDに暴行を加えるDV加害者ですが、勤めていた会社を早期退職すると、「心理カウンセラー」として働き、現在は、翻訳を生業としています。「事例50」では、DV被害女性の父親が、心理カウンセラーで、妻(被害女性の母親)へのDV加害者であり、被害女性への虐待加害者であるケースをとりあつかっています。
 RとDの再会は、元同級生、元同僚と“偶然(たまたま)再会を果たして”いるかのように装われている「典型的なストーカー行為」にもとづくものです。
そして、無自覚であっても、典型的な「デートDV被害」の状況を示しているという意味で重要です。
 デートDVの一番の特徴は、“恋愛幻想”にはまってしまうということです。
ひとりは寂しい、支えて欲しい、守って欲しい、結婚したい、幸せな家庭を築きたいといった思いが強い恋愛期には、なにかおかしなことをされても、「私は愛されている」と感じてしまい、深みにはまってしまいやすいのです。
いったん関係ができると、2人の境界線はなくなり、他の人を好きになってはいけない、この関係が永遠に続くことが望ましいといった考えに疑いを持ち難くなります。なぜなら、そこには「優しく、誠実であらねばならない」という倫理観や道徳観にもとづいた“約束”という契約関係が存在するからです。
その2人の関係を大切にしないおこないがあったりしたら、裏切り、不誠実、人の道に外れていると非難されるといった無意識下の“暗黙のルール”が存在します。
しかも、恋愛関係になれば、「交際相手の好みに合わせなければならない」、「デートしなければならない」、「セックスには応じなければならない」、「2人の間に秘密があってはならない」、「嫉妬したりされるのはあたり前のこと」などと考えてしまったりします。
それだけでなく、結婚に至った恋愛は素晴らしく、成功者とか、勝ち組とか考えたりする“偏った考え方”をしてしまうこともあります。
 このような恋愛観では、「別れないため、結婚を勝ちとるために、嫉妬心から必要以上に詮索し、干渉し、束縛することは許されるし、嫌がることを強いることをしても許される」という考え方を容認することになります。
しかも、子どもができて結婚へ至っているときには、あれだけひどい暴力をふるわれていたにもかかわらず、「結婚してくれたのだから、遊びじゃなかったんだ」という好意的に受け入れようとしてしまいます。
なぜなら、人の脳は、つらく哀しいこと(記憶)より、楽しく嬉しいこと(記憶)を優先させる(快楽刺激を優先させる)特徴があるからです。
そのため、楽しかった思い出や嬉しかったできごとを繰り返し思いだし、その記憶にすがって“別れない”理由づけをしてしまうことがあるのです。
また、恋愛関係にあるときには、デートのときにセックスを強いられたとしても、受け入れやすい心理が働きます。
なぜなら、嫌な思いはデートのときだけのことで、毎日強要されるわけではないからです。
交際相手が嫉妬心から詮索し、干渉し、束縛されることを受け入れやすいのも、同居していないので、お互いに離れている時間が長いことから、「そのときだけ」と容認してしまいやすいのです。
 ところが、一緒に暮らしはじめると、その状況は一転します。DV加害者は、嘘・偽り、虚像がバレずに、支配したい女性の居場所と時間、セックスを独占できるようになったと安心し、安堵することによって、露骨に上下関係にあることを認識させ、支配(コントロール)を強め、支配を維持するために暴力を駆使するようになります。
一方の被害者は、「一緒にいるとき(デートのとき)だけ」と自分にいいきかせてきたことばは、「朝に夫が出勤するまで」と置き換わることになります。
そして、この暴力を容認するサイクルは短くなり、比べられないほど頻度は高くなり、日々の生活にとり込まれていくことになります。
 成人の女性であっても、上記のような“恋愛妄想の罠”にはまりやすいわけですから、中学・高校生、大学生、そして、社会人になって間もないときの恋愛は、若いやゆえに経験が少なく、だまされやすく、急速にのめりこみやすくなります。
職場で男女差別や夫婦間での育児や家事の分担の不平等など、世間の理不尽さを思い知らされる機会はほとんどありません。
そのため、この年代は、ジェンダー(性差)に対しての無理解からくる無批判になりがちで、人の狡さや汚さ、ダメさ、弱さなどと向き合う機会も少なく、詮索し、干渉し、束縛するといったふるまい、独占したい思いを強いるおこないが、支配のための暴力、つまり、DVにあたるという概念は構築されていないといった特徴があります。
その結果、支配されやすく、いま自分が経験していることがなんなのか理解できず、嫌なこと、つらいことがあったとしても、「自分が被害者である」ことを認められず、誰にも話さない傾向もあります。
親に、「同級生からに虐められている」、「交際相手から暴力(デートDV)をふるわれている」と話すことができないのは、親を失望させたくない、期待を裏切っていることを知られたくない思いがあるからです。
青年期(15歳-22・24歳)までの子どもたちには、親に認めてもらおうと、期待に応えようと一生懸命なために、いじめにあっている、暴力をふるわれている被害者であることを受け入れたくないとの心の壁が立ちふさがります。
 また、青年期までの子どもたちは、愛をドラマチックにとらえがちです。「2人でいれば幸せになれる」という歌の歌詞や、「絶対に君を幸せにする」などと恋人がいってハッピーエンドになるドラマや漫画などを現実の世界にあてはめてしまいやすいのです。
愛をよい意味でしかとらえず、そこに、危険性、支配、暴力、嘘、虚像などがあることを知りません。
 したがって、絶対に幸せにできる人はどこにもいない、幸せになるための力は一人ひとりの中にあって、その力を育てていくのは自分であるということを知ることが大切です。
現実は違うと気づき、考える力が備わっていない時期に、「愛しているからだから」とか、「誰でもやっていることだよ」といわれると、他を知らないのでそのまま受け入れてしまうことになります。
暴力のある家庭環境で育ってきているなら、恐怖が先立ち、機嫌を損ねないように顔色をうかがいながら時間を過ごそうとします。
しかも、ちょっと背伸びをして大人ぶりたい時期なので、年上の男性から格好のいい話を聞かされたり、理屈っぽい話をされたりすると、大人として扱われている感じがして自尊心がくすぐられ、同年代の男性にはない頼りになる存在として認識してしまいやすいのです。
そのため、その人の考えに傾倒したり、コントロールされやすくなったりします。
別れの経験も少なく、別れる力も未熟なために、泣いてすがってきたり、謝ってきたり、優しくしたりしてくるとどうしていいかわからなくなり、簡単に許してしまったりします。
こうした「別れる機会を失う」ことを繰り返していくうちに、深刻なデートDV被害に発展していきます。
暴力のある家庭環境で育っていると、異性とつき合うとき、束縛されるのは嫌だとは思わずに、自分のことを気にかけてくれているかを確認する(試す)ために、率先して束縛されることを受け入れてしまうこともあります。
頻繁に届くメールは、24時間私のことを考えてくれている愛情の証し、友人にもうらやましがられたりすることから、「相手に気にかけてもらいたい。それがちょっと束縛っぽくてもいい」、「気にかけてもらえないと愛されている気がしない」と考えてしまうのです。そして、「私も24時間あなたのことを考えている」と示すのが愛情だと、ロマンティックな恋愛幻想に酔いしれてしまいます。
束縛されることを愛されていると認識して受け入れてしまう女性には、「ことばの暴力を止めて欲しい」と口にすることができない、つまり、暴力に抵抗できないという特徴があります。
しかも、怒鳴られたり、叩かれたりするのは、私が悪いから、私がいたらないから、私に非があるから仕方がないと思ってしまっています。
このように、デートDV被害を認識するには、高いハードルを超えなければならないのです。
Rは、23歳のときに、Dから「そっちに行くので会わないか」との連絡がはいるまでの経緯、つまり、Dが定期的にRの女性の友人たちからDの近況などの情報をえていたことなどを、Rは「Dのストーカー行為である」ことを認識することができなかったのは、多くのデートDV被害者のように“恋愛幻想”に浸ってしまったからでした。

(別れる決意、恐怖のストーカー体験) *
*「事例83」引用
6年ぶりの再会、7年に及ぶ遠距離交際を続け結婚を意識していたRは、30歳になるのを前に意を決し、勤務先の病院を退職したうえで上京します。
上京してみると、Dから聞かされていた話が嘘偽りでしかなかったことを思い知らされることになり、“恋愛幻想”から目が覚める瞬間が訪れます。
病院の夜勤中に家探しをされ、大切にしていた思い出の品々を勝手に捨てられていたり、友人からの手紙は読まれたり、持ち帰られたり、名刺や手帳に書かれている住所録はコピーをとられたりしていました。
ストーカーが「俺はお前のことすべてを知っているからな!」という意志を伝えることを意図とした“痕跡”を残していました。
Rは「なにをされるかわからない。怖い。もうダメだ! 別れる」とアパートを飛びでて、同郷の知人のマンションに身を寄せました。
デートDV被害(なんらかの恐怖体験)を自覚し、別れ話を切りだされたり、友人や知人宅に身を寄せたり、実家に帰ったりされたとき、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっていることを起因とする「見捨てられ不安」を抱えているデートDV加害者は、執拗につきまとうストーカーに変貌を遂げます。
Rの携帯電話は、Dの着信で一晩中鳴りっぱなしです。
夜勤明け、着替えをとりにアパートに戻ると、Dが帰りを待ち伏せしていました。
デートDVの加害者が、別れ話を切りだされたときの常套句「今後どうしたいのか、話し合いたい」、「お前がいないと生きていけないから、話し合いたい」とDは繰り返します。
Rは夜勤明けで眠いし、アパートの前で大騒ぎされたくないと思い、警察に通報することなく、部屋に通してしまいます。
Dに「今後どうするのか」と訊かれ、Rが「もう無理だから。病院は勤めたばかりだから直ぐに辞めれない。1年経ったら九州に帰る」と応えると、「それは絶対に許さない! (婚約などしていないが)俺とお前は婚約している」と凄み、ただ身を寄せてかくまってもらっていた知人を恋愛関係にあると妄想し、嫉妬に狂いはじめます*。
Dは「(一部上場企業に勤務している)あいつに危害を加えてやる。社会的な立場をなくしてやる」と脅しはじめます。
息をつく間もなく、Dは「どうするんだ!」、「どうするつもりなんだ!」と繰り返し、繰り返し問い詰めてきます。Dに気持ちを収めるために「別れる」と応えると、Dは「ただ別れるだけではダメだ。信用できない! あいつをここに呼べ! 俺は押入れに隠れている。きたら半殺しをしてやる。そしてお前も一緒にやれ!」と声を荒げ、責め続けます。
寺敷地内、現在飲食店がある場所の立退きを進めるのに、中国人に金をつかませて嫌がらせをさせ追いだしたとき、ヤクザとのつき合いができていることを知らされていました。背いたら、なにをされるかわからないとの恐怖心でいっぱいになったとき、Dに「やれるな!」と訊かれ、「やれる」と応え、「自分が悪いことをしました」と土下座して謝ります。
それでも、Dの気持ちは収まらず、「その証拠をみせろ! 線香を自分で押しあてろ! 本当に別れられるならできるな!」と迫られ、Rは自分で線香を両手に押しあてました。
そして、Dの知り合いの家への転居を強要されることになりました。
Rは無自覚でしたが、Dが用意した転居は、2度の逃げだそうとしないように見張られた結婚までの軟禁生活に他ならないのです。
Rは、Dの意に反するふるまいをしたことで、意識が遠のくほどの力でこめかみを殴られ、息ができないほどの力でみぞおちを殴られるといった2度の身体的な暴行被害を受けます。
 女性センターや男女平等参画センターなどの専門機関であっても、「復縁を求めてしつこくつきまとわれている」と相談に訪れたデートDV被害者に対し、「力づくで話し合おうとするのを防ぐために、男性の上司や同僚に間に入ってもらったらどうでしょうか」と“間違った助言(対応)”をしてしまっていることがあります。
助言通りに男性の上司に話し合いに同席してもらった結果、「新しい男ができたから別れ話を切りだしてきた」と被害妄想にとりつかれ、激しい怒りをあらわにされストーカー行為がひどくなったり、間に入った上司や同僚が攻撃の標的になったり、さらに、他の男にわたすくらいなら殺して永遠に俺のモノにしてやると負の思考に入り込まれたりする事態を招くことがあります。
デートDVやDVの加害者に対し、別れ話を切りだしたとき一気に緊張が高まることになることから、加害者がどのような考え方(価値観)をし、こういったときにはこういった行動をするなどといった情報を正確に把握したうえで、これからの対応のあり方を検討し、助言していく必要があります。

(結婚13年、再び別れ話を切りだす) *
*「事例48」引用
 Rは、恋愛幻想から目が覚め、別れることを決意し逃げたものの、今度は「実態のあるストーカー行為」による恐怖を体験し、Dからは絶対に逃げられないことを思い知らされます。
そして、Dの機嫌を損ねないように、従順になり、恐怖体験に蓋をして結婚することになりました。
 婚姻13年で3人の子ども設け、既に第一子(長女)は10歳、第二子(次女)は6歳、第三子(長男)は2歳と成長した平成21年4月26日の早朝、これまでの結婚生活で、「俺は3人の子どもは望んでいない。お前が勝手に産んだ。俺は子どもの面倒なんてみたくないんだ。3人を連れて九州に帰れ!」と散々いい放ってきたDに対し、Rが「家裁調停に持ち込んでも離婚する。子どもは渡さない。養育費は払ってもらう。」と再び、別れ話を切りだします。
すると、Dはこれまでの言動を一転させ、「親権は渡さない! どんなことをしても子どもたちは渡さない!」と怒鳴り散らし、荒れまくります。
そして、3人の子どもの目の前で、Rの首に手をかけたのです。
 13年間の結婚生活は、3人の子どもたちを、面前DV(精神的虐待)の被害者にさせ、同時に、父親Dによる直接身体的虐待、性的虐待、精神的虐待、経済的虐待の被害者にさせていました。
しかし、恐怖体験に蓋をして逃げることを諦めざるをえなかったRでしたが、Dの女性関係だけは許すことができず、家庭内での不和は、Dの女性関係をめぐるパワーゲームとなっていきます。
「男の甲斐性は金と女だろ」公言する男性が、DV加害者であるケースでは、DV環境下であることよりも女性問題が優先されていることが少なくありません。「夫の女性問題が解決するなら、多少の暴力はがまんできる」という価値判断がなされています。
そのため、こうした構造下では、夫の妻であることを優先し、母親としてDV環境で子どもを育てていることに思いを馳せることができなくなっています。
そして、13年間の結婚生活で、DV環境で子どもを育てていることに気づくことができずにいる間に、Rだけでなく、3人の子どもに対しても恐怖による絶対服従体制をつくりあげられていました。
 この結婚前の2回の身体的な暴行以来の暴行後、Rは、DV被害を専門機関に相談することになります。
 「Ⅴ-34.DV加害者プログラム。「ケアリングダット」を実施するうえでの原則」の中で、「万一、加害者男性がプログラムを途中で中断したときには、速やかに、加害者男性をリファーしてきた機関に連絡をしなければなりません。なぜなら、中断した状態でパートナーや子どもと接触することは、リスクが高いからです。このようなリスクの高い情報は、母親や子どもの援助機関とも共有しなければならないことです。子どもの安全確保には、関連機関とのオープンなコミュニケーションと協力が不可欠なのです。」と記しているとおり、加害者、被害者ともに、なんらかの状況の“変化”は緊張を生みだします。
そのひとつが、「家庭内の秘密ごと」を第三者に話す(口外する、バラす)こと、つまり、自身へのDV被害や子どもへの虐待被害を女性センターや保健センター、児童相談所、専門の支援機関に相談することです。それは、DV加害者にとって、許すことができない裏切り行為であり、一方で、裏切りを許すのは絶対君主でなくなりつつある危機が迫っていることであり、その危機は、「見捨てられ不安」が煽られる恐怖であるわけです。
 DV被害者が、「なんとかしなければならない」との思いで専門の第三者に相談をはじめると、被害者である妻の夫に対する言動や態度が明らかに変わっていきます。
それだけでなく、子どもに対する言動や態度も変わっていきます。
暴力の子どもたちへの影響を意識しはじめた被害者は、母親として、子どもたちをなんとかしないといけない、将来大変なことになるとの思いが強くなり、「子どもたちに暴力をふるわないで!」と夫の子どもたちへの暴力の盾となったり、盾となることに対する反発(夫に逆らうことになるので)の矢面にされることになったりしながらも、必死に子どもを守ろうとします。
すると、「俺の教育方針だから口をだすな!」、「俺のやり方に従え!」と恫喝され、「お前ひとりで3人の子どもを育てられるのか! ひもじい思いをさせたら許さないからな!」と否定し、侮蔑することばを浴びせます。
また、子どもが就学前後に成長しているときには、絶対君主の俺を裏切ることがいかに愚かなことなのかを思い知らせるために、「Ⅰ-5-(3)DVとは、どのような暴力をいうのか」の中で「子どもを利用した精神的暴力(ことばの暴力)」にあげているようなふるまい(パワーゲーム)が繰り広げられていきます。
 父親が母親を否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下するのをずっと見たり、聞いたりしてきて育ってきた子どもは、無意識下で、母親を見下し、自分の世話をするのがあたり前と思うようになっているので、「子どもを利用したことばの暴力」の効果は絶大です。
なぜなら、暴力は怖いけれども、母親のいうことに従い父親に反旗を翻すことは、身の危険にさらすことになるだけですから、母親が改めようとする頑張りよりも、暴力のある環境に順応するために身につけてきた考え方の癖、思考・行動習慣のままの方が安全であり、楽だからです。
その結果、母親が八方ふさがりになり、焦りが苛立ちを生み、子どもの非を改めさせるために言動は厳しくなり、声を荒げたり、手をあげたりする事態を招きます。
DV被害者でありながら、子どもには虐待の加害者になってしまうことになります。
こうした状況が続くと、被害者は、無力さを思い知らされ、絶望感にうちひしがれることになります。
暴力のある家庭環境で育ち、再び配偶者から暴力を受けているDV被害者は、“直ぐに結果(成果があがること)を求めたがる”傾向があります。なぜなら、親や配偶者の怒りをかわない、つまり、機嫌を損ねないふるまいには、いったん立ち止まって考えてみることは許されてこなかったからです。
自分の意志や意見を持たずに、ただ意に添うように直ぐに行動することだけが、暴力のある環境に順応する“術”です。直ぐに目に見える変化(改善)がみられないと、「やっぱり、やってもダメだ」と直ぐに諦めてしまう思考パターンが習慣化にしています。
そのため、相当の覚悟で臨んだものの早く結果ができることを期待し、直ぐに完璧な結果が表われないと極度の不安に陥り、焦りばかりが先立ってしまい、結果として、ことを仕損じてしまいやすいのです。

(DV環境下で育ってきた子どもの状況)
 長女Yは、幼稚園のときにはゲームで負けそうになるとぐちゃぐちゃにして終わらせてしまうなど感情のコントロールができず、ちょっと変わった子として同級生から敬遠されがちでした。
家に遊びにくる友だちに優しくふるまう父親Dのことを、Yは「友だちには優しいのに、私には怖い。パパはわたしのこと嫌いなの?」となげかけたといいます。
また、Yは「周りの子がしているままごと遊びはあほらしくてやったことがない」、「小学校1-2年生のときには保健室の常連だった」と述べています。
Yが、小学校2年生のとき、同級生の子どもが振ったカバンがあたったことで、父親DがRを連れて小学校に怒鳴り込んでいます。
Dは、こうした事態を招いた責任を糾弾するとき、学級担任の出身大学を訊き、「程度が低い」と徹底的に貶める発言を繰り返したことから、校長、副校長にモンスターペアレントと認識されることになります。
そして、Rが専門の第三者に相談をはじめたとき、小学校4年生に進級していたYは、自分だけが注目され特別扱いされることが重要になっていました。
小学校では、思い通りにコトが運ばないと感情をコントロールすることができず癇癪をおこしたり、拗ねたりすることから、気持ちが落ち着くまで、担任から席を離れているようにと指導を受けていました(モンスターペアレントと認識されていたこともあり、母親に対し、学校側が安全基地を用意していることは知らされていませんでした)。
女の価値はお金とセックスアピール、服や文房具はブランド物でなければ恥ずかしい思い、一方で、女性は男性に従うだけの存在といった父親の価値観をそのまま学習し、父親Dが母親Rを怯えさせコントロールする方法、つまり、その時々の状況に応じて、自身の感情を表すことばとしての暴力や気を惹く(試し)アクションを駆使し、RやきょうだいA(次女6-7歳)T(長男2歳)を、友だち、担任をもコントロールするようになっていました。
母親Rには、父親Dがしてきたように、絶対服従させて自分の身の世話をさせる“条件”を交渉の手段として巧みに使い分けていました。
母親Rが従順に自分の世話をすることが、自分(Y)への愛情を示すことと認識していました。
DV被害者の多くが、「父親(夫)そっくりのいい方をする子どものことが怖い」と訴えるように、Rも、長女Yがキレて収集がつかなくなることを怖れ、琴線に触れないようにビクビク接するようになっていました。
 Rは、長女Yと次女Aに「家をでて、引っ越しを考えている」ことを伝えます。
8月に7歳になった小学校1年生の次女Aに、「家をでて、新しいお家に引っ越したら、もう怖い思いをしないですむ? (弟の)Tも(殴られて)ケガをしないですむ?」と訊かれ、Rは「うん、もう怖い思いはしないですむよ。」と応じます。
次女Aが、日々暴力にさらされている家庭環境に、ずっと心を傷めてきた思いを溜め込んできたやるせない思いをはじめて口にした瞬間でした。
以降、次女Aは「お姉ちゃん(3学年違いの長女Y)には、勉強で絶対負けない!」と敵対心を表すことばを口にするようになっていきます。
 それからの3ヶ月、Rは、「いま通っている小学校を卒業したい。」という長女Yの希望をかなえるため、私と行政のDV相談の担当者から「同じ区内では、保護命令を申立てることはできないし、子どもたちとの接触し連れ戻される危険性も高い。」と指摘されながらも、同じ学区内でアパートを探し続けることに固執します。
しかし、不動産仲介会社で希望に添う物件を見つけ、「1年分の家賃を前払いで払いますから」と預金通帳を見せながら必死にお願いしても、「パート収入では、滞納が心配だね。」とか、「小さいお子さんが3人いるんじゃね。」などと理由をつけられ、断られ続けます。
不動産仲介会社がOKでも、大家がNOということもありました。
DV被害者が家をでるとき、なかなか家を借りることができない厳しい現実があります。
3ヶ月探し続けた平成22年3月上旬、やっと「いいよ」といってくれるオーナーが表れます。Rは、九州の実家で両親と住まいを一緒にしている兄に連帯保証人になってもらい、引越しの日程を決めます。
ところが、契約日の前日、4月に小学校5年に進級するY(12月に誕生日を迎え11歳)は、「なんでいま、引越しなんかしなきゃいけねぇんだよ!」とRにつっかかりました。
長女Yにとって、母親とともに、父親からの暴力から逃れるために家をでる(転居する)ことは、両親が離婚し片親になったとき、友だちにどのように思われるかといった強烈な不安が重くのしかかることを意味していました。
「母親が父親から暴力を受けるのは、母親が父親に対して従順でなく、意に添うようにふるまわないのが悪い。私のためにというなら、父親に従順なって、服従し、仲よくしてくれればいいじゃないか!」という考え方をするようになっていた長女Yは、「お母さんが、専門の人にいくら相談しても(夫婦関係は)よくならなかったじゃないか! 家を引っ越して、離婚したなんて、学校の友だちにバレたら恥ずかしい。」と、既に“納得していたはず”の話をぶり返してきたのです。
Rは、ここまできて、Yが「一緒に家をでるのが嫌だ!」といってくるなんて思ってもいなかったため、その瞬間、「もう疲れた。もう、いいや。」と緊張の糸がプツンと切れ、Rは、3人の子どもを連れて家をでることを諦めました。
 思春期(10-15歳)に入ると、親やきょうだいとの関係性だけでなく、友だちとの関係性、部活や習いごと、塾などコミュニティとの関係性は広く深くなっていきます。
それは、家のことよりも優先したいことが次々とでてくることを意味します。
もはや親と一心同体(自己と他の境界線があいまい)であった乳幼児や小学校1~2年生ではなくなっています。と同時に、暴力のある家庭環境での日常はツラく苦しく、哀しくて仕方がなく、幾度となく「助けて!」というメッセージをだしてきたものの、誰ひとり助けてくれる大人はいないことを学んできてしまっています。
家でおきているうっとうしいできごとなどどうでもよく、家に帰るのが嫌で、同じ環境にある仲間たちと深夜まで騒いでいたり、各々勝手にゲームをしたり、友人や知人の家を泊まり歩いたりする方がツラい現実と向き合わなくてすみます。家の問題と向き合って傷つくことを避けたい(回避したい)のです。
 DV被害者が、子どものためにがまんしようと暴力に耐え続けてきたことが、子どもを追い詰め、しかも、「もはや、いまさら」の状態を招いてしまうのです。

 この事例68は、DVという行為が道義的や倫理的に許されない行為であっても、DV被害者の心(情)が揺れる要因はなにか、強いこだわり(譲れないもの)はなにかといった重要なキーワードに対し、被害者自身が落としどころをみつけることができない限り(決別することができないと)、DV問題を解決できないことを教えてくれます。
 Rのケースでは、夫Dに対する思いにフォーカスしてしまい、DV被害そのもの、子どもの虐待被害そのものにフォーカスすることができず、暴力に支配される関係性を断ち切るという意味で、なにを優先させなければならないのか(プライオリティ:優先順位)、つまり、重要度が高いものはなにか、緊急性が高いものはなにかを見極め、判断することができませんでした。
ここに、DV被害者がDV加害者の夫のかかわりを断ち切り、夫婦の関係を終わらせることの難しさを示す本質がありのです。
DV被害者の多くに、優先順位を見失ってしまう精神状態に陥ってしまっているという事実があり、そのことが、夫婦という関係性におけるDV加害者である夫とのかかわりを断ち切ることを難しくさせているのです。

(快楽刺激とトラウマティック・ボンディング)
 Rは、Dに対して、ア)中学校のときの同級生で、同じ暴力のある家庭環境に共感し、好感を持っていたということ、イ)23歳で再会し遠距離交際が7年に及び30歳を目前に結婚を意識しはじめて、親の反対を押し切り上京していたという思いがありました。
ア)については、先にデートDV被害にあっていることを自覚できなくさせる要因として、“恋愛幻想”をとりあげ説明しますので、ここでは、あれだけひどいふるまいをされていても、夫の優しい瞬間に想いを馳せてしまうのかを説明したいと思います。
 それは、人の脳は、“快楽刺激”を優先させるように働くようにできているからです。
人の脳は、嫌なできごとやツラく、苦しく、哀しいできごとの記憶よりも、楽しかったできごと、嬉しかったできごとを記憶として留め、思いだすようにできています。
嫌なことやツラく、苦しく、哀しいことから逃れるためにアルコールや薬物に頼ること、つまり、ツラく耐え難い体験により情緒不安定になったり、恐怖体験が繰り返されるのではないかと神経が過敏になり眠れなくなったり(過覚醒による断眠)して、処方された精神安定剤や睡眠導入剤、アルコール、覚醒剤や危険ドラック、セックスに頼り切るようになったりするのも、もとは人の脳が“快楽刺激”を優先するようになっているからです*-38。
“快楽刺激”を優先するというのは、先々のことよりも目の前にある楽しいこと、楽になれることに手をだすということです。
親や祖父母が、幼児に駄々を捏ねられる鬱陶しさを回避するために物を買い与えて育てている(過保護という支配下で育てている)と、快楽刺激を抑制し、自我を制御する術(脳機能)を身につけることができ難くなります。損なっているアタッチメント(空虚感や寂しさ)を物や金で埋めようと、快楽刺激を制御することができないのです。
脳が“快楽刺激”を優先することを制御できなくなると、収入をえたとき、次の収入があるときまで自制をしてやり繰りすることよりも、目の前にあるギャンブル、買い物、食べ物などにその収入の多くを費やし、残りの日々をひもじい思いで過ごしていても、同じことを繰り返してしまうわけです。
将来得られる利益よりも目の前の利益に目が眩んでしまい詐欺被害にあってしまうのも、人の脳が“快楽刺激”を優先してしまうからです。
 DV加害者であるけれども、交際に至る経緯の中で「夫のことを好きだった思い」が強いほど、「別れなければならない」状況になったときに、楽しかったこと、嬉しかったことに思いを馳せ、その思いにすがりつく(囚われる)ことになります。
「見捨てられ不安」という恐怖、嫌なこと、ツラく苦しく哀しい記憶と向き合い苦痛を感じるとりも、“快楽刺激”を優先させた方が楽だからです。
つまり、DV被害者がこの状況にあるとき、DV被害そのものにフォーカスすることはできないのです。
 事例68(分析研究6)のケースで、DV被害を正確に把握することが難しかったのも、DV被害と向き合うことは、快楽刺激を優先する脳の働きとは“真逆”の働きを求める行為となることから、脳は「ツラい苦しいからもう止めろ!」と指令をだし続けるからです。
しかも、自分の安全も危険も加害者である夫に握られている状況の中では、被害者は、加害者の手の中にある自分を安全にする力にしがみついていこうとする「トラウマティック・ボンディング」の状況に陥りやすいのです*-39。
 Rが、DV被害そのものにフォーカスすることができ難かったのは、上記の“思い(前提)”に加え、ウ)上京後、嘘偽りで塗り固められていた事実を知り(“恋愛幻想”状態から目覚め)、恐怖を感じ知人宅に身を寄せたものの、ストーカー行為により別れることが許されなかった恐怖体験があったからです。
心が凍るほどの恐怖を一度でも体験していると、そのときの恐怖が別れる行動に歯止めをかけることになります*-40。
*-38 暴力のある家庭環境、つまり、機能不全家庭で育ちアタッチメントを損なったことを起因として、「アルコール、覚醒剤や危険ドラック、セックスに頼り切る」依存については、「Ⅱ-12-(13)問題行動としての“依存”」、「Ⅱ-13-(6)摂食障害とクレプトマニア(窃盗癖)」、「Ⅱ-13-(7)解離性障害とアルコールや薬物依存症」にて詳しく説明しています。
*-39 「トラウマティック・ボンディング」については、「Ⅰ-5-(7)被害者に見られる傾向」の事例68(分析研究6)でとり扱い、説明しています。
*-40 「恐怖が別れる行動に歯止めをかけることになる」については、「Ⅰ-7-(1)ストックホルム症候群」、「Ⅰ-7-(2)学習された無力感」、「Ⅰ-7-(3)ミルグラムのアイヒマン実験」、「Ⅰ-7-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」、「Ⅰ-7-(7)自己啓発セミナー。それは、カルト活動の隠れ蓑」において、“DV被害者の心理”を詳しく説明しています。


(感覚鈍麻と誤認)
 次に、エ)暴力のある家庭環境で育っていることで、暴力そのものに対しての認識が間違っていたということです。
Rは暴力ある家庭環境で育ち、長く夫D(交際相手)から再びDV被害を受けたとき、ことばの暴力(精神的暴力)ぐらいならがまんできるとか、この程度ならたいしたことがないと暴力に鈍感(感覚鈍麻)でした。
暴力に対する考え方(受けとり方)が間違っていることに気づかずにいるのが、暴力のある家庭環境で育ってきた人たちの特徴なのです。
一方で、暴力に対して鈍感であるけれども、体調不調という症状で心がツラいとメッセージをだしています*-41。
そして、暴力のある家庭環境で育ち、暴力に対する耐性が高く、暴力に鈍感で容認してしまいやすい被害者が、夫婦関係において陥りやすいのは、夫が他の女性に目を向けることに対し、「見捨てられ不安」が強く反応し、強く執着してしまうことです。
このアタッチメントを損なっていることを起因とする「見捨てられ不安(執着)」は、“嫉妬心”とつながり、その人に思いがあると誤認させてしまいます。
誤認としているのは、「見捨てられ不安」にもとづく執着は、自分がひとりになることに対する恐怖を回避するための行為だからです。
 Rは、オ)DV被害よりも他の女性との交際に気持ちが囚われ、証拠をとっても見つけだされ処分され「証拠がないだろ!」といわれ続け、「悔しい。必ず証拠をとってやる」との思いを持ち続けていました。
嘘をつかれ、騙され、それでも、信じようとして裏切られた“悔しい”という感情が、逆に執着してしまうことになっていました。
その結果、「他の女性との交際は性暴力となる」わけですが、Rは、身体への暴行や日常的な精神的暴力(ことばの暴力)といったことよりも、「浮気の証拠をつかんで、突きつけてやる」ことの方に高いプライオリティをおくことになったのです。
Rは、暴力のある家庭環境で育ち、暴力に対する耐性が強かったことに加え、7年に及ぶ遠距離交際を経て上京してみると、他に交際している女性がいて二股をかけられていた事実を知ることになりました。
以降、Rは、なによりもDに“裏切られる”ことに対し強く反応するようになっていたのです。
 こうした状況下で、Rは、多くのDV被害者がそうであるように、カ)「子どもができたら変わってくれる」、「後継ぎの男の子が生まれたら変わってくれる」と間違った方向に期待を寄せてしまうことになります。
「セックスを求めれば、他の女性とはセッスクをしない」という期待感、そして、「子どもができたら」との思いで、「私の方が積極的にセックスを求めてきた」という思い(事実)があるために、「あのとき私の方から求めたのだから、嫌でも求められたら応じなければならない」、「応じなければ、他に男がいると責められ、ツラい思いをすることになる」との思いが、自身への性暴力被害を認識できなくさせていました。
それだけでなく、Dの子どもたちとの異常な性的接触さえも、「うちは性に対して開放的」と“自分で納得できる”理由をつくりあげ、ツラく苦しい現実から目を背けて(回避させて)きていました。
なぜなら、母親として、子どもたちが父親の異常な性的嗜好の餌食になってきたことを受け入れることはできないからです。
たとえ夫婦間であってもセックスを強要されることは、レイプ被害者と同様に自尊心は傷つき、自己肯定感が損なわれます。
つまり、アイデンティティそのものがひどくダメージを受けることになります。
それは、“わたしそのもの”を失くしていくことになります。“わたし”という感覚を失っていくことは、わたしはどうしなければいいかを考えたり、判断したりすることができにくくなっていることを意味します。
これ以上傷つかないように、惨めな思いをさせられた記憶よりも、ツラく苦しく哀しい思いをしないですむ「子ども欲しさに自ら求めた」と、性暴力被害の“記憶のすり替え”をおこなうことで、日常生活を成り立たせてしまうのです。
*-41 日常的に暴力のある環境で育っていたり、暮らしたりしていることで、いま夫からDVを受けていることを受け入れられないことと似通った状況として、暴力が原因となる心身の不調について「心身症」などの病名がつけられることに強い拒否反応を示すことがあります。
心身症については、「Ⅱ-12-(3)ツラさを体調不良で訴える」の「①子どもの心身症」の中で、詳しく説明しています。


(退行願望)
 DV被害者の方たちが、“長く”思い悩んできた「ツラく苦しい」日々について、「夫は妻や子どもに暴力をふるう人物であり、この関係を断ち切るには、夫との関係を終わらせるしかない」といった“本当の問題”に悩んでいる(向き合っている)ことは稀です。
なぜなら、「暴力を受けるのは愛情がないからである=愛されていない(大切にされていない)」、つまり、「夫に愛されていない(大切にされていない)ことがツラく苦しい」、「どうしたら夫に愛してもらえる(大切にしてもらえる)のか」と思い悩んでいることが少なくないからです。
この状態の思い悩みは、「夫とのかかわりを断ち切る(夫との関係を終わらせる)ことを考えることは、できるだけ避けたい。なら、ほかにどういう方法が考えられるか」にフォーカスされていることになります。
つまり、「いまの環境に留まり、自分のおかれている環境を変えることを無意識に拒否している」、「この状態に留まるために、“退行願望”にしがみついている」ということを意味しているのです。
 人は、「ツラく苦しい」と思い悩むことを通して、無意識に蓄積されてきた憤りや怒り、哀しみを放出していこうとします。
思い悩んでいることそのものが心の安定になり、安らぎになるのです。
DV加害者の夫に、「暴力をふるわれて、私はツラく苦しい。もうやめて!」と騒ぎ、「私の気持ちをわかってよ。」とどれだけ自分が不幸なのかと嘆くことでしか(自己憐憫*-42)、蓄積された憤りや怒り、哀しみを表現できないのです。
ただし、無意識の必要性を満たそうとしてしまうので、DV加害者とのかかわりを断ち切る(関係を終わらせる)のではなく、逆に、しがみつくことになってしまうのです。
「夫は暴力で妻や子どもを支配する人物である」という現実を受け入れることよりも、「ツラく苦しい」と嘆いていることが安らぎになり、精神的に楽、癒しなのです。安らぎ、癒しとしての嘆きなのですから、依存症状のように“この状況”から抜けることができないのです。
しかし、妻に「ツラく苦しい」と嘆きを訴えられるDV加害者である夫には、うっとうしいこと(嫌なこと)でしかないので、大声で罵られ、怒鳴りつけられたり、手をあげられ暴行を受けたりすることになります。
問題は、自己憐憫する人は、自分が自己憐憫していることの目的に気がついていないことです。
そのため、同じことを繰り返すことになります。
 人は成長するためには安心感が必要です。
安心感とは、恐怖感がないことです。
恐怖感があると、退行欲求と成長欲求との葛藤の中で、退行欲求にしがみつこうとする力が強く働きます。
退行欲求とは、「過去のある時点に戻って、やり直したい願望」のことです。
知り合って間もないときのあの優しく甘いことばをなげかけてくれた瞬間に戻りたいと強く願うのです。
さらに、暴力のある環境で育ったり、権威主義的な親のもとで成長したりした人は、子どものときには恐怖心と不安感に苦しんでいます。
つまり、安心感を心に育んでいないことになります。
そのため、大人になっても強い退行欲求を抱え込んでいます。それは、高齢になっても消えることはありません。
なぜなら、人の退行欲求には時効がなく、何十年経っても驚くほどしつこく残ってしまうからです。
この退行欲求と、成長欲求の葛藤を自分の中で意識化することができないと、本人が「嘆いていてもどうしようもない」とわかりつつ、嘆き続けることになります。
現実がいかにツラく、苦しくとも、退行欲求にしたがって生きている方が心理的には居心地がよいので、変わりたくない力の方が強く働きます。
つまり、現実の困難に対して、夫(あるいは親)との関係を終わらせ、生活の再建をはかっていくために自分を変えるということを、無意識に拒否してしまおうとするのです。
なぜなら、自分を変えずに嘆きながらそこに留まることが、無意識下で安らぎとなり、癒しとなっているからです。
暴力のある夫(親)とのかかわりを断つ、夫婦(親子)の関係を終わらせるためには、心理的な居心地のよさから離れなければならないわけです。
居心地のよさから離れなければならないとは、いまの夫婦の関係、いまの家庭生活すべてを捨て去るということです。
*-42 自己憐憫(じこれんびん)の「憐憫」とは、自分のことを“あわれむ”ことで、哀しんだり、落ち込んだリ、鬱っぽくなったりするとは違います。
「自分はなんて不幸なんだろう」、「なんで自分ばかりこんな目に合うんだろう」、「なんてみじめな人生なんだろう」、「自分は哀れな人間だ」と、自分で自分のことを「気の毒に」「かわいそうに」などと思うことですが、一方で、自分のことを“かまって欲しい”“自分を守って欲しい”という気持ちが根底にあります。
 自己賛美するナルシシズム(自己愛)も、自分に酔いしれる自己陶酔も、自己憐憫と類似していますが、自己憐憫が「かわいそうに」という自己認識に対し、自己愛や自分陶酔は「素敵だ」という自己認識であるという意味で異なるものです。
ただし、自己憐憫も自己愛もその程度が進むと、実態無視・現実無視という方向でバランスを欠くことになり、「哀れむ感情を嗜好する」、「賛美している気分を嗜好する」ようになります。
また、自己憐憫と自己愛、自己陶酔に共通しているのは、自分自身では“自覚していない”ということです。そのため、理屈ではよくないこととわかっていても止められず、反対にそんな自分を憐れみ、「こんなに自分は辛いのだからこれくらいのことをしても仕方がない」と自分を許してしまうのです。
なぜなら、母親に十分甘えられなかったり、父親に冷たくされたり、厳しくされたりしてきた成育史を抱えていて、「自分のことは自分で守るしかない」というイメージを持っているからです。
そして、自己憐憫度が強いほど、ストレスホルモン(副腎皮質ホルモン)のコルチゾールの分泌が高いことがわかっています。
このことは、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なってきたことが、自己憐憫の背景にあるということを示すものです。
したがって、自身の成育史、育った環境がどのようなものだったのかといった“事実”と向き合い、「どうして私ばっかり、こんな目にあうの」、「あいつのせいで、なにもかもメチャクチャ」、「どうせ誰もわかってくれない」、「結局、みんな裏切るんでしょ」、「私はいつも仲間はずれにされてしまう」といった“感情”と真正面から向き合うことが必要になります。そのためには、自己憐憫とはどういう思いなのかを知ることが必要不可欠です。


(トラウマティック・ボンディングとできない理由づくり)
 暴力のある家庭環境で育ってきた人たちは、アタッチメントを損ない、決して満たされることのない渇望感や強烈な寂しさを起因とする「見捨てられ不安」を抱えているため、たとえツラく苦しく哀しい生活の日々であっても、別れる(ひとりになる)ことを決断することがなかなかできません。
さらに、幼いときから嫌なできごと、ツラく苦しく哀しいできごとから“回避する(避ける)”ことを習慣化することで、自分(心)が傷つくことから守ってきていたことから、再び、交際相手や配偶者から暴力被害を受けることになったとき、嫌なこと、ツラく苦しく哀しいことは記憶の奥に追いやり、楽しかったことや嬉しかった記憶にしがみついて、“いまこのとき”を過ごしてきています。
しかも、記憶のように自身の思惑でコントロールできないのが、トラウマ反応としての恐怖心や不安感です。
トラウマ反応としての恐怖心や不安感は、「トラウマティック・ボンディング」と呼ばれる状況に陥らせてしまいます。
トラウマティック・ボンディングとは、自分の安全も危険も相手に握られている状況の中で、相手の手の中にある自分を安全にする力にしがみついていこうとする心理のことです。
つまり、DV被害者は、「この関係の中でなんとかうまくやっていかなければならない」、「この関係から逃げることなどかなわない」と思っていくようになってしまっているのです。
このトラウマ反応(トラウマティック・ボンディングの状態)が、いまの環境に留まらざるを得ないと判断をさせてしまう要因になっています。
このことは、DV被害者が「私は暴力のある夫とのかかわりを断つ、夫婦の関係を終わらせる決心ができずに、問題と向き合うことを避け、嘆き続けてきた」ことを“意識化”することが重要であることを示しています。
つまり、「なぜ、嘆き続けるだけだったのか」を理解しなければならないのです。
DV被害者が「自分はなぜこんなにまで嘆き続けているのか?」ということを理解することができれば、“自分から成長能力を奪った人が見えてくる”ことになります。
それが見えてきたら、次には生きる方向が見えてくることになります。
「自分から成長能力を奪ったのは、暴力で支配をしようとするDV加害者の夫である」こと、「自分から成長能力を奪い、大人になったいまも対人関係に悩み苦しむことになったのは、暴力で支配し育ててきた親である」ことを見極めることができれば、「その夫とのかかわりを断つ(関係と終わらせる」、「その親とのかかわりを断つ(距離を置き、かかわらないように努める)」と、“これから”の生きる方向を明確にすることができわけです。
 ところが、暴力によって、自己肯定感が損なわれ、自尊心を奪われてきた被害者の人たちは、「自信がないから、~できない。」といういい方をよくします。
それは、「暴力に耐える日々はツラく苦しい。でも、いまの環境を変えられない。」と嘆き続けている被害者の人たちが抱える低い自己評価、つまり、低い自己肯定感(高い自己否定感)が、「ここに留まなければ(~を頼らなければ)生きていけない」と思わせてしまっているのです。
「私はできる」という“自信”は、例えば、乳幼児がハイハイをするようになり、立ちあがり、つたい歩きができるようになり、歩き、走ることができるようになるように、うまくいかなかった失敗体験から学び、うまくいったときの成功体験へと結びつけていく積み重ねによってもたらされてきたものです。
つまり、先に行動してみて、「やってみて、できた」という積み重ねで得られるものが“自信”です。
「自信ができたので、行動に移すことができる」ことではないのです。
問題は、この“自信”の獲得には、親(養護者)にできたことをほめられ、自尊心を育まれてきた体験が欠かせないということです。
暴力のある家庭環境で育ってきていると、この体験をしてきていないことから、新しいこと、未知のできごとにチャレンジすることにしり込みしてしまったり、そもそもチャレンジする意欲がなかったりしてしまいます。
「自信をつける」とはどういうことかという正しく理解できても、“できない理由”としての「できない」と口にしてきた習慣が大きな障壁となって立ち塞がることになります。
 したがって、暴力のある環境で生き延びてきた(順応してきた)思考パターンを向き合い、学び直す必要がでてきます。
子どものときに、「ほら、できたよ」と得意顔で達成感やうれしさを表現したときに、親やきょうだいなど直接かかわる人たちに、きちんと自信になるように接してもらうことができていなかったり、否定と禁止のメッセージを含むことばばかりを浴びせられ、「自分はできる」という“自信”となる体験を積み重ねていなかったりしているので、肯定のことばがけをしてもらう体験を積み重ねていく必要があるのです。
親が子どもの自己肯定感を高められるように接してきたのか、それとも、自己否定感を持ってしまうように接してきたのかは、どのように子どもが育つかという意味で、まったく違った結果を生みだしていくことになります。同じものごとであっても、まったく違って見えることになるのです。
 こうした成育史を踏まえて、ことばの意味、解釈を正確に理解することができた瞬間に、“これまで”の私は、退行願望にしがみつこうとしてきたことに気づくことができ、“これから”なにをしなければならないのかを考える機会が増えていきます。
「私の自己評価(自己肯定感)はなぜ低いのか?」、なぜなら、「夫(あるいは親)から否定され、非難・批判され、侮蔑され、卑下されることばを浴びせられたり(ことばの暴力)、殴られたり、蹴られたり、髪をひっぱられたり(身体的暴力)、私の気持ちを無視して性行為を強要されたり(性暴力)してきたからである」と、夫(あるいは親)の暴力と関連づけて認識できるようになることが大切なのです。

(別れることの障壁)
 それでも、DV被害者には、必ず、「もう耐えることができない」と意を決し別れる決意をする瞬間が訪れます。このとき、障壁になるのが、両親や親戚、友人・知人、上司や同僚、子どもの担任の言動です。
 実家に子どもを連れて帰ると、母親に「お前にもいたらないところがあるんだから、・・だけに責任があるわけではないだろう。」、「もう一度、2人でよく話し合いなさい。」と、DV加害者である夫の待つ家に帰らざるを得ない状況がつくられ、別れる機会を逸してしまうことがあります。
母親の発言には、“父親(母親からみて夫)が不機嫌になるのを避ける”ために、「夫(被害者からみて父親)はきっとこうすることを望んでいるだろう」と思いを馳せ、どう対応するのが“夫の意に添う”ことになるのかを考えている背景があります。
加えて、「子どもがいて、離婚後の生活はどうするの?! これからが教育費とかお金がかかるのよ」、「子どもにとっては父親なんだから、子どものために多少のことはがまんしないとね。」、「子どもには父親が必要じゃないの?!」といわれ、“母親として子どものことを第一に考えなくちゃ”と思い直して、子どもの手が離れるまでがまんしようと決心し、家をでる時期を先延ばしてしまうこともあります。
 このとき、離婚に踏み切れない理由として、「離婚によって、子どもが情緒不安定になったりしたらかわいそうで、離婚を躊躇してしまう。」と両親の離婚による子どもへの影響を心配していることをあげることがあります。
しかし、離婚後に、子どもが情緒不安定になったとしても、それは、離婚そのもの(離婚した事実)によってもたらされるものではなく、離婚に至る“これまで”の家庭環境によってもたらされる心の反応なのです。
つまり、“これまで”の暴力のある家庭生活で、傷ついてきた子どもの心の問題をそのままに(放置)してきた結果によって生じることなのです。
母親とともに、家をでて、離婚が成立したあと、子どもがひきこもりがちで不登校になったり、転校先の学校でちょっかいをだしたり、大声をだしたり、叩いたり、逆に、クラスにとけ込むことができず孤立していたりするなど対人関係でトラブルをおこしたり、万引きしたり、喫煙したり、家出や援助交際したりするなど非行的なおこないがみられるようになったりしても、それらの問題行動は、離婚そのものが原因ではなく、また、父親がいない母親(片親)だけで育てていることが原因ではなく、家をでるまで、暴力のある家庭環境で暮らしていたことが原因になっているのです。
 また、Rのように、DV加害者である父親が暴力による恐怖によって妻だけでなく、子どもをも絶対服従体制をつくりあげている家庭では、母親が叱ったり、怒鳴ったりする程度ではいうことをきかせることができなくなっている状況がつくられてしまうため、キ)どうしても子どもに手をあげてしまうことが多くなっていきます。
叩かれ慣れている子どもにとって、母親には、父親に対するような恐怖を感じていないため、少しぐらい叩いてもいうことをきかなくなっています。
この状況は、子どもに見くびられている私は「母親として失格」、だから、「子どもは父親と一緒に生活した方が幸せなんだ」との自己否定感を強めていく事態を招いていきます。
しかも、多くのDV加害者と同様に、Rは、夫Dに「お前も怒鳴ったり、叩いたりしてるじゃないか!」と同等に扱われています。
その結果、夫Dの子どもへの虐待行為という“非”と咎めることができなくなり、同時に、私も夫Dと同じように子どもに手をあげてしまったりしているとの思いが心に重くのしかかることになります。
こうした多くのDV被害者が抱える“後ろめたさ”は、“なにが本質の問題なのか”を見失わせ、肝心なところで、第三者機関(女性センターや保健センター、児童相談所)に相談することを躊躇させてしまうことになります。
 そして、Rのケースでは、夫Dとの生活にピリオドをつけ、家をでることを阻害することになった決定的な要因は、ク)子どもたちが成長していく間に、長女Yにとっていまの生活を捨てることはできない状態、つまり、“いまさら”になっていたこと、ケ)ひとりで3人の子どもたちを育てるのは無理との考えで、生活の再建を「実家」に委ねるといった限定的な考え方に固執し、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメント損なっている被虐待者の典型的な思考パターンの「実家に帰られなければ、いまの家に留まるしかない」という“二元論(二者択一)”が判断基準になっていたことでした。
つまり、できないことを正当化するために、自身を納得させる理由をつくりあげてしまったのです。
 このように、DV被害者の育った環境、心(情)が揺れる要因が多く、そして、こだわり(譲れないもの)が強いほど、加害者に心の隙をつけ込まれやすく*-43、また、逃れる(別れる)決断を鈍らせることになるのです。
*-43 「心の隙をつけ込まれやすい」ことが、マインドコントロールや洗脳を仕掛けるうえで必要不可欠な要因となるわけですが、「Ⅰ-8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で詳しく説明しています。

(思考混乱、考えるということ)
 先に記したとおり、人の脳は“快楽刺激”を優先させるように働くので、楽しかった記憶、嬉しかった記憶を思いだし、それに伴う感情が湧きあがってきてしまいます。
そのため、嫌な記憶、ツラく苦しく哀しい記憶でしかない“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”という事実と向き合うことが疎かになってしまいやすい、つまり、避けよう(回避)とするのです。
多くのDV被害者の方たちは、家をでるべきか、離婚するべきか考えはじめると、「頭がぐるぐるするだけでなにも考えられない。」と話します。
 「(頭で)考える」とは、脳に記憶(蓄積)されていることば(知識)を探しだし、関係することばを組み合わせ、ひとつの解を導きだすことをいいます。
したがって、「これからどうやっていけばいいか」に関するひきだしとなることばを持っていない(蓄積された知識を持っていない)限り、自らの力ではことばを組み合わせることができず、解を導くことはできないのです。
つまり、人の脳は、考えることはできないのです。
ことばが蓄積されていない中で解を探そうとすると、多くのDV被害者の方たちが「頭がぐるぐるするだけで、なにも考えられない」と表現する“思考混乱”を起こした状態に陥ります。
思考混乱をおこしてしまうDV被害者の方たちのひきだしには、“これまで”暴力のある環境に順応する(従順になり、意に添うようにふるまう)ために身につけてきた考え方しか入っていないのです。
そのため、暴力のある環境に順応するためのことばの組み合わせの中で考え続けることになります。この状態を「思考が混乱している」といいます。
この“これから”どうしたらいいのかを考えらえず、思考混乱をおこしているとき、人はさまざまな感情があふれてきて、「感情>思考(考える、判断する)」という状態になります。
 「幸せ」「驚き」「怖れ」「哀しみ」「怒り」「嫌悪」といった6つの感情表現の中で、“快楽刺激”を優先させるように働く人の脳は、「幸せだった」「楽しかった」記憶にすがりつこうとします。
なぜなら、先に記しているとおり、人の脳は、嫌なできごとやツラく、苦しく、哀しいできごとの記憶よりも、楽しかったできごと、嬉しかったできごとを記憶として留め、思いだそうとするからです。
そのため、ひどい身体的な暴行を受けたあとであっても、DV加害者である夫に優しく甘いことばをなげかけられると、「本当は優しい人」、「もしかしたら、変わってくれるかもしれない」と心が揺れることになるのです。
そもそも、交際期間を含めると多くの時間をともにしてきた夫婦です。夫婦という関係性は、多くの時間をともにしていることから、いろいろな思い(感情)がでてきてしまい、“考え”をまとめることはできにくくなるのです。
 問題は、“なにも考えられなく”なってぐるぐるしている状態、心が揺れているときに、夫が離婚調停や事例34のように監護権指定の審判を家庭裁判所に申立てるなど、夫に先に動かれてしまうことです。
なぜなら、心が揺れているDV被害者は、冷静に、客観的に暴力被害の事実を認識することができ難くなっていることから、被害者であるにもかかわらず、窮地に追い込まれてしまうことになるからです。
なんの犠牲を伴わず、暴力の事実を認めないDV加害者たちは、暴力の事実を否定すればいいだけです。
一方の暴力を立証しなければならないDV被害者側は、用意周到な準備、そして、DV被害者特有の心理状態を知り(学び)ケアを受けるなど、多くの時間と労力を必要とします。
そのため、夫が先に動いてしまうと、夫のペースで進んでしまい、後手後手の対応をさせられることになるのです。
それは、DV被害者にとって大きなリスクです。
 大切なのは、子どもの将来のこととか、子どもの学校のこととか、離婚後の生活や仕事のこととか、家のこととか、“これからどうするか”ばかりを考え、あげだしたらきりのない懸案事項のすべてに対し理想的な結論をだしてから動こうとしないことです。
理想的な結論を経験値のない中で考え続ける前に、いざというときに備えて準備する(動く)、つまり、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”という暴力の事実そのものにフォーカスすることだけに専念することです。
“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”といった暴力そのものにフォーカスした「事実認識」ができれば、おのずとDV加害者である夫がどういう人物であるかがあぶりだされることになります。
そのとき、DV加害者には常識で考えたり、根拠のない期待を抱いたりすることなく、懸案事項と向き合うことができることになります。


-事例69(分析研究7)-
 家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)調停を申立ててから1年2ヶ月、第10回離婚調停で、私(F。35歳、高校卒)は、待合室に戻ってきた代理人の弁護士に「本日、離婚成立しました。
財産分与、養育費、すべてこちら側の提示通りでいいそうです。」と、聞かされました。続けて、「審判官が来次第、夫同席で調書を読みあげます。夫Sも代理人がいますし、調停委員もいるので、同席しても大丈夫ですよね?」と訊かれました。
少し緊張しましたが、最後なので「大丈夫」と応え、それから調停室へ移動しました。
弁護士から「離婚成立」と聞き、やっと終わったという思いと、こんなにスッキリした気持ちになるとは自分でもびっくりするくらい、本当に嬉しかったです。
調停室で、審判官が調書を読みあげ、最後にみんなで挨拶をして終わりました。
部屋をでようとしたとき、S(37歳、高校中退)が「ちょっといいですか? 少し話をしたいんですけど?」といってきました。
私はちょっとびっくりしましたが、「いいですよ」と応えました。
すると、Sは「今日で、夫婦としての形は終わったけど、これからも5人の子どもたちの親であることは変わりないから・・」といい、泣いていました。
Sの話は、あまり耳に入ってきませんでした。離婚が決まった嬉しさで、テンションがあがっていたからだと思います。
私は「こちらこそ、これからも子どもたちをよろしくお願いします」と応え、帰路につきました。
しばらくすると、私は、Sの泣いた姿を思いだし、嬉しい気持ちと、罪悪感が入り交じった複雑な気持ちになりました。
そして、帰宅後、Sから「さっき、いいそびれたからメールします。5人の子ども産んでくれたこと感謝してるよ。あしかけ20年いろんなことがあったけど ありがとう」といった内容のメールが送られてきました。
私は、さらに複雑な気持ちになりました。
実は、私が幸せを壊してしまったのではないか?との思いがあふれでてきました。自分がなにか悪いことをしているような、私はなにかひどいことをしたような気分になりました。
そして、Sの泣く姿、Sのことばが頭に焼きついて離れなくなりました。
Sは、本当は優しい人だったのではないか?私が悪かったのか?離婚までして、もうとり返しのつかない間違いをして、幸せまで壊して・・と、わからなくなりました。

 この事例69(分析研究7)は、最後の最後で、夫Sの“受容”のことばを聞かされ、涙を流す姿を見せられたことで、暴力のある家庭で育ち、アタッチメント獲得に問題を抱え「見捨てられ不安」が強いFは、心が揺らぐことになったケースです。
何度も別れるタイミングがあっても、別れるタイミングを逸してきたのは、事例68(分析研究6)のケースと同様に、F自身の生い立ちとSの生い立ちが重なり、共感し、強い仲間意識を持っていたからです。

(「見捨てられ不安」と無視、無反応)
FはSが病気になったりし、弱い姿を見せられると「私がなんとか支えてあげよう」と一生懸命に尽くしてきました。
よく「母性本能がくすぐられる(刺激された)」と誤った認識を持ち、尽くすことを容認(正当化)してしまっている女性がいますが、その両者に、暴力による上下・支配と従属の関係性が成り立っているときには、その考え、ふるまいは間違っています。
なぜなら、「私が、夫のことをなんとか支えてあげよう」、「私だけが、夫のことをわかってあげられる」、「私が夫を変えてあげられる」といった思考パターンは、“見捨てられ不安”が根底にあるからです。
アタッチメントを損なっているので確固たる“わたし”がない(存在しない)ことから、“わたし”の存在価値(存在感)をみいだすための行動なのです。
先の事例68のRは、別れ話を切りだしていこう暴力がひどくなっていく状況で、「最近、私、この環境から逃れたら廃人になるだろうって思う。いい争って、自分の存在を確認しているようなところがある。」と述べていますが、長くDVのある環境で生活を強いられていると、つまり、慢性反復的なトラウマ体験をしていると、親から凄惨な虐待を受けている幼い子どもたちのように、“わたし”の存在価値を殴られたり、罵られたりすることに見いだすようになっていくことさえあるのです。
人とのかかわりには、肯定(受容)されるかかわりと、否定(拒絶)されるかかわりがあります。そして、肯定も否定もされない、つまり、かかわりそのものを拒絶されるのが「無視」「無反応」です。
無視、無反応は、もっともひどい拒絶ともいえます。
虐待され、親に受け入れてもられない子どもたちは、少しでもかかわって欲しくて、わざと殴られたり、罵られたりするように仕掛けていきます。
暴力のある家庭環境で育つ中、ゲームに没頭することで、その現実のツラさから逃れてきた(回避)DV加害者は、結婚後もひとりで部屋に閉じこもりゲームに没頭し、夫婦間のかかわりが、暴力的な性行為のときだけということがあります。
この状況もまた、無視され続けるよりもツラい思いをしてでも暴力的な性行為を受け入れてしまう構造がつくられていることが少なくありません。
特に、支配をされる者(被害を受ける者)が、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損ない強い「見捨てられ不安」を抱えているとき、無視される、反応されないことが一番心を揺さぶります。
なぜなら、カラカラに乾いた渇望感、底なし沼のような寂しさが強烈に刺激され、マグマが噴きでてくるような恐怖に苛まされることになるからです。
無視され、反応がないことは、自分の存在感を味わえないので苦痛という感覚ではなく、強烈な不安感、そして、強烈な恐怖心につながっていきます。
そして、その状況に耐えきれず、自分の方から話しかけ、関係修復に努めていくことになります。
つまり、機嫌を損なわないように、自ら率先して意に添うようにふるまい、喜ばせ、役に立つ存在であることを必死にアピールしていくのです。
こうしたふるまいの根底には、同じ状況下のとき、父親に母親がどうふるまうのかを見て、聞いて、察して、自身の行動パターンとして身につけてきたということがあります。
男の子は父親のやり口を身につけ、女の子は母親のやり口を身につけていくことになります。
こうして父親と母親の関係性を教科書にして学んだ思考・行動パターンが、次の世代にひき継がれていく(世代間連鎖)ことになるわけです。

(暴力の世代間連鎖、低い暴力への障壁)
Fは、「ワークシート(C-3)*」に、『また、父の父親(祖父)はつまらない理由で、私たち姉妹に暴力をふるった。「冷蔵庫に閉まっていた自分(祖父)の物を勝手にとって食べた」と怒鳴りつけ、モップを持って追いかけ叩いた。また、「チャンネルを変えたのが悪い」と怒鳴りつけた。わが家では、食事の席が男性・女性と別れていて、子どものときに、男性側で食べようとしたら、ものすごく怒鳴られた。いい思い出より、嫌な思い出ばかりしかない。』と書き込んでいます。
したがって、Fの家系は、「曾(高)祖父母→祖父母→父母→子」と、少なくとも3世代にわたり暴力が繰り返されてきたことになります。
* 「ワークシート」とは、DV被害支援室poco a pocoが、DV被害者支援の一環としてDV被害の状況を正確に把握するために、(A)16項目、(B)29項目、(C)12項目の問いにワークシート形式(Word文書のフォーマット)で、“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”をことばにして書き込んでもらうものです。
「(A)(B)の45項目」は、被害者(配偶者とその子ども)が受けた被害状況を時期・経緯を踏まえて、具体的なやり取りを詳細に書き込んでいただくもので、「(C)の12項目」は、子どもの心身の状況、被害者と親やきょうだいとの関係性など成育歴などを詳細に書き込んでいただく構成になっています。
そして、「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停(もしくは裁判)で、DVの事実を立証する必要のある案件に対しては、「現在に至る事実経過(証拠となる事実を報告書としてまとめた陳述書)」のベースとなるものです。
この「手引き」では、『DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート(Word文書フォーマット)』のことを指しています。なお、当ワークシートは、第1章(Ⅰ.児童虐待とドメスティック・バイオレンス)の最後に、添付資料として掲載しています。

そして、Fは、「C-1」に『夫に尽くすことが妻の勤め…、結婚したらそう思っていました。母がずっとそうだった。あんなにひどいことをされても、結局父親の世話をしていた。父親に従っていたらよかった。そんな母親が嫌いだったのに、私は同じことをしている。母のように完璧じゃないけど、似たことをしている。夫に尽くしていれば、上手くいくと思ってしまっていた。いま離婚調停中であるが、その決心ができるまで、ずっと夫が歳をとるまでのがまんだと、子どもたちのために、がまんすることが一番だと思っていた。なぜなら、私は自立ができない、子どもたちを養っていく自信がなかった。不安だった。』と書き込んでいます。
「C-3」には、『私の父はマザコンで、酒乱だった。お酒が入ると、顔つきが変わり、怒鳴り声をあげ、物を投げ、母を殴り、髪の毛をひっぱるなどの暴力を母にふるっていた。母は、なんども私たち4人姉妹を連れて家をでたが、その度に父に見つかり、家に連れ戻されていた。私たち姉妹が寝ているとき、父は家中の物や窓などすべてを壊して暴れていることもあった。「お前たちにはなにもしないから、寝ていろ」といっていたが、私は怖くて、妹と二人で、隙をみて、隣の家へ逃げ込んでいた。母親と姉二人がどうなったのか心配だったが、次の日に、会うことができた。先に逃げていたようだった。私は何度も家出をしては、家に戻るといったことが繰り返された生活が嫌だった。父が母をみつけると、決まってセックスをしていた。本当に嫌な記憶となっている。あるとき、父に見つかり、母が「父と話をしてくる」といい、父の車へ行った。車は少し離れたところにあった。その日は、吹雪のように雪が降っていた。母がなかなか帰ってこないが心配になり、私たちは、こっそり車を見に行った。そこで父と母がセックスしているのを目撃した。母は、父とのセックスが嫌だったのだと思うが、よく私たちの部屋で寝ることがあった。そこへ父がきて、私たちが寝ていると思ったのかセックスをしていた。こんなことは何度もあった。母のことをかわいそうだと思うが、母も度々浮気をし、私たち姉妹は、何度か交際相手の男性に会わされることもあった。これも嫌な記憶となっている。』と書いています。
Fは、18年間の結婚生活で、母親と同じ行動、つまり、なんども家をでて、その都度、Sのもとに戻っています。
この「嫌だと思っていた」母親のふるまいを、F自身が繰り返すことになったのは、嫌なことであっても逆らうことはできない、意に反することはしてはいけないことを母親のふるまいを見て学習し、すり込んでしまっていたからです。
その結果、「Sに尽くしていれば、上手くいくと思ってしまっていた」という考え方の癖(認知の歪み)がつくられていったのです。
また、「家をでていった母親が、父親に連れ戻されるとセックスを強いられていた」と書いています。
これは、暴力のあと、「セックスに持ち込む」、「謝り、もうしないと許しを請う」、「優しいことばをなげかける」、「プレゼントやお土産を買ってくる」、「外食にでかける」、「旅行に連れていく」といった“相反する受容と拒絶”のふるまいで、支配の関係性を続けていくためにおこなわれるDV加害者の典型的なふるまいです。
Fは、交際するきっかけとなった姉に誘われ草野球を見に行き、うちあげでSの家に行き、そのまま泊まることになり、その日に関係(性行為)を持つことになりました。
これは、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっている人たちによく認められるパターンですが、ここには、断ったらどう思われる、嫌われたりしないだろうかとい強迫観念(見捨てられ不安にもとづく恐怖)に加え、両親の関係性で身につけてしまった性的接触に関する防御性の低さ、つまり、自分を大切にすることを第一にできないといった背景があります。
そして、「C-5」で、DV被害について、『父には一度も話したことがない。母が生きているとき、何度か相談をした。近くに住んでいないために、いい争いのいきさつ、暴力のことなどを電話で相談した。「どうしたらいいのか? どうしようもないから、暴力はやめてもらえるように、Sの実家に話してほしい」ともいったことがある。母は私の電話にいつも迷惑そうだった。相談しても、「結婚したら、旦那に従うのが当然だ。がまんするしかない」との応えしか返ってこなかった。母は、一度だけSの母親に電話をしたが、義母は「うちの息子はそんな子じゃない。殴られるまで怒らせるFさんが悪いんだ。うちの息子の仕事は、危険な仕事だから、怒らせたりして気分を悪くして仕事に行かせないでほしい」と応じた。そして母は、私に「がまんして、夫のいうことをきくように」といった。母は、自分自身の問題(父との離婚問題)と、父以外の男性のことで頭がいっぱいだった。これ以降は、電話をして相談しても迷惑そうで、母の近くに男性がいるときは、特に迷惑そうだった。』と書き込んでいます。
そのFの母親が「母も度々浮気をした」というのは、母親がFに「がまんして、夫のいうことをきくように」といったように、夫の暴力は仕方がないことと諦めているものの、一方で、「誰かに苦しいツラいといった思いを聞いて欲しい」、「誰かに必要とされたい」との強い思いに起因してのふるまいと考えるのが妥当です。
なぜなら、父親への思い残し症候群が援助交際のモチベーションになるのと同じで、カラカラに乾いた渇望感、底なし沼のような寂しさを埋めるためのふるまいだからです。
アタッチメントの獲得ができず渇望感、寂しさが強ければ強いほど、再び、暴力を受けることになったツラい現実から一時でも忘れたい、逃れたい(回避)思いがモチベーションになり、職場や習いごと、飲み屋で知り合った男性や出会い系サイト(コミュニティサイト)で出会った男性に夢中になったりします。
そこに待ち受けているのは、同じように暴力で支配しようとしたりする男性か、40-50歳代の女性たちをオトして楽しむ(餌食にする)連中であったりします。
餌食にするとは、デリバリーヘルスなど風俗のスカウトにコミュニティサイトが利用されているからです。
同様に、中学1年生-高校2年生の夏休みに多くなる家出をした子どもたちもターゲットに誘い込みといった、性風俗(性的搾取)のリクルートに利用されているわけです*-44。
そこには、レイプ被害だけでなく、画像や映像を撮られるというリスク、性病を罹患するリスク、妊娠するリスク、金銭を要求されるリスク、性風俗で働くことを強要されるリスク、覚醒剤など薬物を使われるリスクなど、多くリスクが待っています。
性風俗などのスカウティング・リクーティングは、新興宗教やカルトの勧誘システムと同じ手口で、アタッチメント獲得に問題を抱える“地に足のついていないふわふわした危うさ”を見せる女性たちをターゲットにし、落とします。
また、夫のDVから逃れ、お酒をだす店で働きはじめ、接客した男性に親身になって身の上話を聴いてもらううちに、「結婚しようか?」となげかけられ、その話を信じて(真に受けて)関係を持ち、一緒に暮らしはじめた途端に、再び暴力被害を受けることになってしまうのも同じです。
身の上話にただ耳を傾け、優しいことばをなげかけて懐の大きいところを見せ、大きな夢を語り、そして、「その夢は君といっしょにかなえたい」、「君の嫌な、ツラい思い出は僕が消してあげる(引き受ける)から」、「君を幸せにしたい」と甘いことばで囁いてオトしたあとは、「結婚したいんだけど、実は困ったことがあって、…」となげかけ、ちょっとひいたりすると、一瞬恐怖を与えたり、泣き尽して罪悪感を刺激したりして、意のままにコントロールするのが、結婚詐欺のパターンです。
カルトや詐欺商法、そして、DV加害者は、ただ耳を傾けることで収集した身の上話の中から弱みや泣きどころを把握し、徹底的に突いて、逃れられなくしていくわけです。デートDV被害から結婚に至るケースも、似通ったパターンでオトされていることが少なくないのです*-45。
*-44 「中学校1年生-高校2年生の夏休みに多くなる家出」によるリスクについては、「Ⅱ-9-(15)回避的な意味を持つ「非行」」において詳しく説明し、また、性風俗のスカウティング・リクルーティングは「Ⅰ-7-(4)暴力、洗脳、マインドコントロール」で、説明しています。
*-45 「Ⅰ-5-(6)結婚詐欺師の言動・行動特性」、「Ⅰ-7-(7)自己啓発セミナー。それはカルト活動の隠れ蓑」で詳しく説明しています。
加えて、Fの母親は、「電話をして相談しても迷惑そうで、近くに男性がいるときは、特に迷惑そうだった。」と書いていますから、アタッチメントを損なっていることを起因とする一人称で考える人で、自分のことだけが大切であることがわかります。


(暴力のある家庭環境で育ったことを起因とする精神的脆弱さ)
また、「C-5」で、4姉妹の関係性について、Fは『姉妹の中でも、長女は特別だったかも知れない。父も母も甘やかしていた。私たち姉妹は、よく喧嘩をしていた。長女対次女・私・妹という組み合わせで喧嘩をした。よく思いだせないが、私は長女に押されて、頭をストーブの角にぶつけ、血が出た記憶がある。わがままで、暴力的な長女のことを、私は幼いことから大嫌いだった。また母が、姉ばかりひいきしていると感じていた。大人になってから、父親が「N子(長女)は、小さいころから腫れ物にさわるように接してきたな」といっていた。その姉(長女)は、子どもを産んでから精神状態が悪くなり、自殺未遂をし、うつ病と診断された。浮気もし、(妹の)夫のことを馬鹿にしていた。その後、離婚し、いまどうしているのかは知らない。「離婚後、万引きを繰り返し、捕まり、刑務所に2年入っていた」と妹から聞かされた。次女は一人浮いていたように思う。子どものときのことも思いだせない。中学のときに、母親の浮気相手と関係してしまい、妊娠、中絶をしていたことは覚えている。次女は家が大嫌いで、家族が嫌いで、距離があった。私は、長女とは5歳、次女とは3歳くらい、妹とは2歳離れているが、長女と次女との仲はよくなく、妹と遊ぶことが多かった。次女は結婚し、子どもが一人いる。私は、もう16年くらいつき合いはないので、いまはどうしているのかわからない。私は、2人の姉からは嫌われていると感じてきたので、距離ができたのだと思う。妹は小さいころ、悪夢をみていたのか?必ず寝ぼけて、家を飛びだして行った。それをみんなで追いかけていたが、そのことを妹は覚えていない。妹は、結婚しているが、子どもはいない。私は、母にわがままをいうことが多かった。長女ばかり贔屓していると思っていた。子どものころはどうだったか覚えていないが、いま思うと、親戚とかによく見られたかったのだと思う。私は自分の家が貧乏で、それが嫌だったのか? なにが嫌だったのか? 夜寝るときに、夢をみるようにしていた。「本当は、自分はこんな家じゃなくて、どこかからもらわれてきた子で、本当の親が迎えにくる」というような夢。幸せな夢をみるようにしていた。子どものころ、私は姉妹に、「告げ口女」と呼ばれていた。すぐに親に告げ口をして、姉に嫌われていたような気がする。姉妹に共通しているのは、父親に似たような男性と一緒になってしまっているということだ。私たちは、あんな父親みたいなのは・・とか、あんな家のような暮らしは・・とか思っていたのに、似たような暮らしをしている。甥や姪は、小さいころにしかあったことがなく、わからない。』と書き込んでいます。
三女のFが「長女は特別だったかも知れない。父も母も甘やかしていた」と感じていたわけですが、長女は、暴力のある環境で長女が担う役割としての愚痴聞き役、仲介役、世話役をしてきた状況が読みとることができます。
つまり、長女は、必死に親にとって都合のいい従順な子を演じてきたわけですが、三女のFには、そう見えていないわけです。
長女の家庭内における親にとって都合のいい従順な子の役割は、いうまでもなく、妹たちの親代わりをするということです。
小さなもうひとりの親として妹たちの世話をすることです。と同時に、長女にとって、幼い妹たちは、無邪気な子どもであることを許されない、抑圧され続けるストレスを発散するターゲットであったわけです。
この構図は、夫から暴力を受け続けるDV被害者である妻が、幼い子どもにそのストレスを向けてしまい虐待を繰り返したり、思い通りにするために詮索干渉し、束縛していったりするのと同じです。
それは、妹たちを詮索干渉することになり、からかいひやかし、罵倒し、手をあげて泣かすふるまいに通じるわけです。
したがって、次女ひとりで被っていた被害に対抗するために、三女、四女と連合で挑んでいくことになったことが、「長女対次女・私・妹という組み合わせでケンカをした」という構図ということになります。
その長女は、『子どもを産んでから精神状態が悪くなり、自殺未遂をし、うつ病と診断された。浮気もし、(妹の)夫のことを馬鹿にしていた。その後、離婚し、いまどうしているのかは知らない。「離婚後、万引きを繰り返し、捕まり、刑務所に2年入っていた」と妹から聞いた』と書かれています。
暴力で抑圧され、親に都合のいい従順な子を必死に演じ切り、“わたし”を生きられなかったことが自殺未遂といった方法で表れたわけです。
うつ病は、幼児期の虐待体験が影響している病気のひとつです。それだけ、禁止と否定(拒絶)のことばを浴びせられていることを示しています。
また、「離婚後に万引きを繰り返した」については、“私のことを見て”と気を惹くためのおこないです。
そして、女性受刑者の約8割が窃盗(万引き)と覚せい剤取締法違反で締められています。
刑期を終え更生施設で社会復帰を目指す人には、虐待を受け保護され児童養護施設で生活している児童と同様に、根気がない、協調性に欠ける、学力が低いという傾向がみられます。
その原因のひとつが、育ってきた環境にハンデがあるということであり、もうひとつが、特に覚醒剤に手を染めることになったのは、交際相手や婚姻関係にある男性による影響です。
育ってきた環境のハンデとは、暴力のある家庭環境で、情操が育つ文化的な教育を受ける機会が少なく親からの愛情を十分に受けられなかったということです。親からの暴力(虐待)被害は、男性よりも女性の方がダメージを受けやすく、精神的に脆弱さが依存を高めていく要因になっています。

(暴力から逃れるあと、「共依存」へのアプローチ)
Fのように、離婚後も元夫の暴力から離れられず、共依存的な関係に陥っているケースも依存に含まれます。
DV被害者がなぜ別れられないのかが説明されるとき、「共依存」ということばが使われることがありますが、暴力被害の状況を正確に把握するうえでは、暴力のある家庭環境で育ってきたことによるトラウマ反応としての“共依存”の傾向が認められるとしても、共依存にフォーカスするのではなく、相反する受容と拒絶の行動パターンにより思考混乱をおこされ、“マインドコントロール(洗脳)下におかれてしまう”ことにフォーカスすることが重要と考えています。
つまり、DV被害を認識し、DVから逃れるうえでは、共依存だから逃れられないと捉えるのではなく、暴力の恐怖によるマインドコントロール下におかれていたと捉えることが必要なのです。
その一方で、DV被害から逃れたあとのケアにおいては、暴力のある家庭環境で育ってきているかどうか、その程度はどのようなものなのかなどのファクターがとても重要になります。
つまり、どのような親に育てられてきたのか、学び身につけてしまっている認知の歪み(考え方の癖としての思考・行動パターン)の程度はどうなのかなどの情報にもとづいて、C-PTSD、被虐待女性症候群に対してアプローチを試みるときに、はじめて「共依存性」を問うことが必要になると考えています。
この事例69のケースでは、成育歴や3姉妹の関係性、さらに、離婚後も元夫との関係性を断ち切ることができていない状況の中で、暴力で傷ついたケアを考えるうえでは、ACを抱えるFには、共依存の傾向があるとしての対応が必要となります。
つまり、「婚姻破綻の原因はDVである」として離婚を求めるうえで、DV被害を立証するために“なにをされてきたのか”“どのような状況におかれてきたのか”を正確に把握する段階では、マインドコントロール下にあったと認識し、その後、暴力で傷ついた心のケア、そして、暴力のある環境に順応するために身につけてしまった考え方の癖(認知の歪み)に対してアプローチする段階では、DVによるマインドコントロールを解くことと、暴力のある家庭環境で育ちアタッチメントを損なっていることに対するアプローチ、つまり、長い年月をかけて学び直しをしていくことになります。
しかし、その道のりは、薬物やアルコール依存者と同様に過酷で、決して生易しいものではありません。
(薬物)依存は、普通であれば誘われても断るところを男性に依存してしまう弱さや相手に去られて孤独になってしまうことへの不安や恐怖が根底にあります。
そこをのり超えられない力の弱さは、やはり育ってきた家庭でアタッチメントが損なわれていることが原因となっています。
Fの心のあり方を示すものが、Fが、Sとの同居後におこした事件です。
Fは、ワークシートに『私は寂しくて、大酒を飲んで、心配をかけてやろうと思い、腕に針で傷をつけた。救急車で運ばれ、急性アルコール中毒で入院し、医師に「心療内科に行くように」といわれた。』と書き込んでいます。
この自傷行為は、気を惹くための試しと意味で重要です。自傷行為をしてまで心の渇きを満たそうとするFの心は、1年2ヶ月もの調停を経て、 離婚が成立した直後に「Sの泣く姿、Sのことばが頭に焼きついて、離れない。本当は優しい人だったのではないか? 私が悪かったのか? 離婚までして、もうとり返しのつかない間違いをして、幸せまで壊して・・と、わからなくなる。」と自分の心にさえ疑心暗鬼になっていく要因になっています。
それは、Fがひどい暴力を受けて育ち、カラカラに乾いた渇望感、底なし沼のような強烈な寂しさを抱えていることを示しています。

(加害者の生い立ちに共感)
次に、「A-9」で、Sの成育歴について、Fは『私は平成4年、夫の親に会う前に「父親と母親は毎日のように喧嘩をしていた」、「父親がよく物を投げたり、壊したりしていた」と、夫から聞かされていた。そして、夫は「親が喧嘩をしているから」といい、よく義母に呼びだされて実家に行っていた。そういったとき、夫の姉2人と弟、子ども全員が実家に集まっていた。私は、大人になってまで、親の喧嘩に、なぜ子どもたちが集合までしなければならないのかが不思議だった。「どうして行くのか」と訊く前に、「義父が暴れている。喧嘩をしている」という電話をかけてくる義母、「どうするか?」という話を電話でし合っている姉弟。その後、必ずでかけて行くので、あえて聞かなかった。それに、私が夫の実家に対してなにかいえば、また夫は「お前は俺の親のことを悪くいった」などと怒鳴り声をあげられるので、黙っていた。夫は、「子どものころ、母親からはたきの棒で叩かれた」といっていた。夫は「幼稚園の頃のお弁当は、おかずがまったくない、でっかい白いおにぎりだけだったから、友だちのおかずを取って食べていた」、「小さいころからそのへんの奴(近所の子ども)と喧嘩ばっかりしていた。勝たなきゃいけないと思って生きてきた」、「俺んちは貧乏だったから、いまでもはっきり覚えてて、忘れられないけど、体操服の上の服の首のところが、すごく開いたやつを着せられてた」、「小学校、中学校は、喧嘩も強く、勉強もスポーツもできて、女にももてていた」、「中学校では、有名(喧嘩などで)で、学校も荒れてて、TVにもでたことがある。お袋もよく学校に呼びだされてたよ。制服のズボンをかっこよくしてたのに、お袋が怒ってビリビリに切ってたよ」といっていた。私が「お母さんにズボンを切られたりして怒らなかったの?」と訊くと、「怒らなかった」と応えた。中学のときからか、卒業してからなのか、はっきり覚えていないが、夫は「暴走族で総長をしていた」と自慢していた。とにかく、小さいころから喧嘩の話が多く、強くてなんでもできる自分のように話していた。私と一緒になってからも、夫は、自分の自慢話をよくしていた。自分以外の人は(自分に近い人以外)、「一般人・貧乏人」といい、見下していた。もちろん、私や私の両親、姉妹は、この「一般人・貧乏人」だった。夫は、なにか自分を特別に思っている。また、夫が義母に叩かれたりしたのは、小さいころからあったらしい。「なにか自分が悪いことをすると、罰として叩かれた」といっていた。義母は夫のことを、「反抗期はなかった」といい、「Yは、小さいころから手のかからないおとなしい子(いい子)だった」と話した。その夫は、30歳過ぎまで熱をだすと、「必ず耳元でお袋の怒鳴り声と、なぜか夏みかんが見えるんだ」と話していた。夫は「俺が風邪をひいて熱をだしたときに、お前は俺を部屋に閉じ込めた。子どもにうつるから、ここからでてくるなっていった」、「俺は家に帰るのが嫌だった。あーー、また今日もお前の機嫌が悪いのか?と思うと、帰りたくなかった。なんでかっていうと、俺は子どものころに親が毎日のように喧嘩してて、嫌な思いしたから、だから嫌なんだよ」、「お前の顔色をみて生活するのが嫌なんだよ」というようになった。後々になって、これは子どものときの気持ちと混ざっているのではないかと思った。夫の家は、「両親が喧嘩をして、嫌な思いをしていた。」というところが私の家と似ているような感じがした』と書き込んでいます。
Sの母親が話した「手のかからないおとなしい子どもだった」は、DV家庭で子どもを育ててきた母親が口を揃えたようにいうことばです。
子どもは、暴力から身を守る(暴力を招きよせない)ためにおとなしく過ごし、親の手を煩わせないようにするしかなかったわけです。
しかし、母親は自身が暴力被害を受けていますから、そうしてくれる子どもがいると助かります。
また、夫の帰宅を意識し、夫の暴力をどう防ぐかで頭がいっぱい、気もそそろ、ぼぉーと他のことを考えながら子どもと過ごしています(解離している状態です)。そのため、子どものことを見ていない(視界に入っていない)ので、覚えていないのです。
その結果、手がかからなかった子どもだった、おとなしい子どもだったと錯覚した(書き換えられた)記憶が残ることになります。
Fは、自分の生い立ちと境遇にSの生い立ちと境遇を重ね合わせて“共感”しています。
この共感と、暴力のある環境で育ちアタッチメントを損なっていると、カラカラに乾いた渇望感、底なし沼のような寂しさを“埋める”共通の目的を見つけたとき、ものごとを判断するときのプライオリティ(優先順位)が代わっていきます。
暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっているので、自己と他者の境界線があいまいであることから、「わたし=S」と一体化させてしまいます。

(被害者の空虚感、渇望感を埋める加害者の夢と財)
一方で、渇望感や寂しさを埋め、手放すことができなくなる(執着する)のが、「財」です。
つまり、会社(仕事)、家、金、そして、家系としての家(ここに跡取りとしての子どもが入ります)で、渇望感や寂しさ“埋めてしまう”と、暴力にさらされている“わたし”を守る(大切にする)ことよりも優先させてしまうのです。
渇望感や寂しさが深ければ深いほど、埋めようとする思い(執着する気持ち)も大きくなります。
別のいい方をすると、ひどい暴力を受けてきているほど、満たされてこなかった思い(愛情・愛着)を埋めようと躍起になり、同時に、手放そうとはせず、執着します。
また、自分が抜けたあとに、他の女性が入ることが許せないと執着する場合もあります。
この事例69のケースは、Sが自営業者であることが、Fがなかなか別れることができなかった大きな要因のひとつになっています。
それは、有限会社、株式会社と会社も大きくすることができたのは、私がSを支えてきたからの“自負心”があるからです。
「わたし=夫」という一体感(共通認識、共通目的)のもとで、夫を支えて会社をいっしょに大きくしてきた(成長させてきた)思いは、子どものころから受けてきた同じ暴力よりも、渇望感や寂しさを満足させるに値するものです。
そのため、自営業を営む家庭におけるDV事案では、暴力に耐えられないと思いながら、離婚したらその会社も失うとの思いが頭をもたげる(執着する)ことになり、別れる決断ができないままに子どもが成長し、独立し、子ども(孫)ができるという状況が少なくありません。
また、一人息子が成人し、会社の跡取りと成長していた55歳の被害女性のケースでは、夫のDVに耐える一方で、会社を大きくしてきたのは内助の功があってこそとの強い自負がありました。
離婚によって、唯一、自己の存在価値を感じられる会社を失う(会社に関わることができなくなる)ことを受け入れられず、離婚を決断することができませんでした。
この被害者は、ひどく罵られると実家に逃げ帰る一方で、ゲームサイトで知り合った一回り歳の離れた男性を会い優しく甘いひとときを過ごすことに心の拠り所を求めていきました(回避行動)。
「財」をつくりあげてきたプロセスと自身の生きてきた歩みを重ね合わせ、暴力から逃れることによって、「財」という仮面の裏に隠れた自己の存在価値を捨て去ることはできないとの想いに囚われてしまうのです。
そして、現状のツラく苦しい生活を維持するにはあまりにもやるせないことから、DV被害者の中には、この被害者やFの母親のように、ツラく耐え難い日々を忘れさせてくれる優しく甘いひとときを与えてくれる男性に逃げ込むでしまうことは、決して珍しいことではありません。
F本人は無自覚ですが、多くの自営業を営む夫からDV被害を受ける被害者がそうであるように、Fは、Sが営む会社を一緒に切り盛りする、支えることに自身の存在価値をみいだしていたと考えられます。
なぜなら、Fは、無理難題を押しつけられたと“どうして私が”という思いを抱きながらも、できなかったワープロやパソコンを覚え、工事の写真整理ができるようになり、経理など事務仕事をすべておこなうようになっているからです。
それは、FがSに認めてもらうために健気に期待に応え、「私がいないと困る」という絶対的な役割をみつけてきたことを意味しています。
「19年11ヶ月生活をともにしたあと離婚することになっているので、別れる決断をできている」わけではありません。
確かに、法律上は離婚することになりましたが、Sだけでなく、Fも“心の(精神的な)つながり”を断ち切ることができていないのです。
精神的なつながりが残り火のように燻り続けている限り、地に足がついていないふわふわした危うい状態(心の隙)は、巧みなことば、あるいはストレートな行動によって突かれやすいのです。
この関係性が、DV事件を複雑にし、解決が難しい要因になっています。

(暴力をエスカレートさせないために..「脅し」を含んだことばには、まず「ノー」という)
交際相手や配偶者からの暴力は、“なにかのきっかけ”で、突然はじまります。
その暴力は、被害女性には、なぜ暴力がふるわれることになったのか理由がわからず、理不尽なものです。
そして、その暴力は少しずつエスカレートしながら、あるとき一気に沸点に到達したような激しいものになります。
「なにかのきっかけ」による最初の暴力は、殴ったり、蹴ったりする“身体的な暴行”とは限りません。
交際相手や配偶者が、威圧的な嫌な顔をしたり、雰囲気をかもしだしたり、「チェッ、勝手にしろ!」と舌打ちして突き放すようなことばを口にしたり、「テメエは…」、「お前は…」などと名前を呼ばなくなったり、大きな音を立ててドアを閉めたり、物を投げたり、ゴミ箱やいすを蹴ったり、ドスをきかせた威圧的ないい方をしてきたり、「どうなるかわかっているんだろうな!」脅すようないい方をしてきたり、あからさまに無視したり、「俺と・・のどっちが大切なんだ!(「・・」は家族、友人、仕事、部活や習いごとなど)」と選ばせたり、友人や家族と過ごすことに詮索干渉したり、職場や学校の終業時間に近くに迎えにきていたりするようになったりするなど、交際相手や配偶者を尊重し、敬い、労る気持ちがあれば、できないようなことを気にすることもなく口にすることができたり、ふるまうことができたりする人物であるとき、以降、“DV行為がひどくなる兆候”と解釈することが必要になります。
なぜなら、第一に、「DV行為」と記しているとおり、これらのふるまいは、すべて「精神的な暴力(モラルハラスメント)」に該当するからです。
つまり、既に、交際相手間、夫婦(配偶者)間にDVがおこなわれているということになります。
第二に、こうした言動やふるまい(態度)をしたとき、相手がどのように反応するかを確認している(試している)からです。
「試し(確認)」と記しているとおり、ひとつの行為に「No!」のサインがなければ、この行為は受け入れる(しても問題ない)と認識することになることから、暴力のレベルを一段ずつ確認していく、つまり、少しずつ暴力がエスカレートしていくことになるのです。
重要な確認作業となるのが、「俺の嫁が…」、「俺の女が…」といったいい方を受け入れるのか、受け入れないのかを見極めることです。
なぜなら、「俺の嫁が…」、「俺の女が…」といういい方は、家意識が高く、男性が上で女性が下という価値観を持っている、つまり、ジェンダー観(性差)が表れていることばだからです。
こうしたいい方に「No!」をつきつけない相手は、「家意識」、「ジェンダー観(性差)」に似通った感覚を持っている、つまり、似通った考え方の家庭環境で育ってきていることを意味しているからです。
このことは、男性が上で女性が下という上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるためにパワー(力)を使いやすいことを意味します。
「パワー(力)を使いやすい」ことは、「パワー(力)を受け入れやすい」と認識したということです。
それは、この人物はパワー(力)に恐怖心を感じやすく、パワー(力)に屈しやすい、つまり、この人物は支配できると確証することになるのです。
一方、思わずビクッとしてしまうような、そういう態度を交際相手や配偶者にとられたとき、「わたしになにか落ち度があったのだろうか」、「仕事でなにか嫌なことがあったのだろうか」と考えてしまうことがあります。
しかし、交際相手や配偶者が、そういう態度をとることを“肯定してしまう”ことは、いいことではありません。間違いは間違いであって、誤りに気づき、反省すればいいわけですが、恫喝や脅しのようないい方をされれば誰だって不愉快です。
そうしたやり方は、そもそも対等な関係ではありえないことです。
したがって、交際相手や配偶者がこうした態度をとったときには、「嫌だから止めて。」とはっきりいわなければならないのです。
もし、「もしかしたら、私がいけなかったから(いたらなかったから、悪かったから)」と口をつぐみ、「私は嫌だ」との思いを「いってもしょうがない」、「いっても無駄だから」と口にすることができずにいると、先に記しているとおり、交際相手や配偶者は、それでいいと思ってしまうことになるのです。その結果、どんどん横暴な態度、要求がエスカレートしていくことになるのです。
先に、似通った「家意識」「ジェンダー観」を持っていると、似通った考え方の家庭で育ってきていると記していますが、“DV行為がひどくなる兆候”としてあげた例は、DV行為そのものであるわけですから、仮に被害女性がこうした暴力を暴力と認識できなかったとき、程度は別にして、なんらかの暴力のある家庭環境で育ってきていることになります。
そのため、「暴力をふるうのは、それなりの理由があるからに違いない」、「夫婦(交際相手)のことだから、暴力をふるわれても仕方がない」と暴力を容認して(受け入れて)しまいやすい傾向があります。
その結果、子どものときのように、「家庭内に暴力があることは、誰にも知られてはいけない」と隠そうとしたり、「きっと知られていると思うけど、私は大丈夫、そんなこと気にしていないとふるまえばいい」と気丈にふるまおうとしたりすることが少なくありません。
中には、「暴力を受けること=自分が悪いから」という考え方の癖ができていると、「自分が欠陥品(恋人や妻として失格の烙印を押されてしまった)」であるかのような認知が構成されやすいため、「自分のことを恥ずかしい」という思い(恐怖感情)を抱いていることがあります。
そのため、「恥ずかしい自分をさらいたくない」と、暴力被害を口にすることを避けようとします(回避)。
それでも、交際相手や配偶者の理不尽な“力による支配”は、決して許してはいけないのです。“脅し”を含んだ言動には、はっきりと「No!」といわなければならないのです。
「お前の家事のやり方がノロノロしていて気に入らない!」、「顔を見ていると腹が立つ!」などの理由で暴力に訴える行為は、「後ろの車がクラクションを鳴らしてうるさかったから」という理由で、他人を殴るのと同じなのです。恋人同士のことだから、夫婦間のことだから、家の中のことだからと自分自身にオトシマエをつけてはいけないのです。
このような言動や行動が“許容されてしまう”ことによって、次の暴力につながっていき、その結果、家庭が、暴力で支配された無法遅滞と化してしまうことになるのです。
かつてニューヨーク市のジュリアーニ市長は、「割れ窓理論」にもとづく対策を採用し、地下鉄構内、街中の落書き消しを徹底し、無賃乗車などの軽犯罪や違反行為を厳しく取り締まることで、1994年から2001年の7年間で、犯罪件数を57%、殺人件数を66%減少させ、治安を劇的に改善することに成功しました。
「割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論)」とは、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案したもので、割れた窓を放置していると、“誰も注意を払っていないという象徴”となり、次いで別の窓が破られ、あるいは他の違反行為を誘発するというように、小さな違反行為を放置しておくと、次第に無秩序感が醸成され、それが大きな治安の悪化につながるというものです。
窓が割れた車、自転車のかご、空き地に捨てられたひとつのゴミが放置されると、次々とゴミが捨てられていくのをよく見かけると思います。
この考え方は、組織におけるコンプライアンス、法的遵守の問題も同じように考えることができます。
組織として、ひとりひとりが切手1枚、ボールペン1本ぐらい私用で使ってもいいだろうという気の緩みが、不正な経理処理、そして、横領事件、商品の不正表示や偽装事件へと発展させてしまうことになります。
家庭内での子どもとのかかわり、学校での教師の生徒への対応、そして、家庭内での夫婦の関係もまったく同じなのです。
つまり、DV行為をひどくさせないためには、「このぐらいなら許されるだろう!」と思わせないことがなにより大切のことなのです。
重要なことは、第一に、「暴力は間違っている」、「私は暴力をふるわれたくない」と考えや意見を口にした(意思表示をした)ことによって、激怒され、「テメエ誰に口きいてやがるんだ!」、「お前の考えなど聞いていねえんだ!」、「いつからそんなに偉くなったんだ!」と大声で怒鳴りつけたり、殴られたりしたときには、別れる(離婚する)決意を固め、躊躇することなく家をでることです。
他の選択肢はないのです。
これらの行為は悪いことではなく、正しい行為で、自分を大切にすることに他ならないことを理解することが必要です。
第二に、「ずっといい続けたら、いつかきっとわかってくれる」とわずかな期待感を思ってはいけないということです。
「暴力をふるう夫とはいえ、子どものこともあるし、いまはまだ離婚までは考えられない。だから、コトを荒立てたくないし、近所に家庭の事情を知られるのも困る・・」との思いが錯綜してしまい、躊躇なく警察に通報したり、家をでたり、離婚したりする決心がつかない被害者は少なくありません。
また、母親が「子どもには父親が必要だから、子どもの手がかからなくなるまで、私ひとりががまんすればいい」と口を閉ざし、耐え続けたり、「子どもが成人するまで、父親としての義務を果たして欲しい」、「暴力をふるったり、外に女をつくったりしても、私が本妻なんだから、絶対に別れない!」との思いが強く、婚姻関係に固執し続けたりするケースもあります。
 こうした状況下にあるとき、子どもは、精神的虐待を受け続けることになります。
つまり、母親ががまんし、耐え続ける中で、慢性反復的に繰り返される「暴力」は、子どもに計り知れない影響を与えることになります。
どれだけツラく苦しくとも、母親として、この事実と真正面から向き合わなければならないのです。



2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/16 「第1章(プロローグ(1-4)・Ⅰ(5-7)」の「改訂2版」を差し替え掲載




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