あなたは、夫の暴力・DVを容認していませんか? 暴力のある家庭環境で暮らす子どもの心を守ることを忘れていませんか?

[Ⅲ-2]Ⅰ.密接な関係。児童虐待とドメスティック・バイオレンス

2.DVの本質。暴力で支配するということ

 
 3.DVとは、どのような暴力をいうのか -「配偶者暴力防止法」によるDVの規定- 1.女性と子どもの人権解釈
*新版3訂(2017.12.17)

次節、「Ⅰ-3.DVとは、どのような暴力をいうのか -「配偶者暴力防止法」によるDVの規定-」で見てきた“暴力”の規定は、「どのような行為が暴力、つまり、DV行為に該当するのか」を理解するうえで欠かせないものです。
しかし、DVの“本質”を理解するためには、“関係性”の理解と、“構造的”な理解をすることが特に重要になります。
“構造的”な理解は、“関係性”の理解との補完関係にあります。
  “関係性”で考えると、DVの本質とは、「本来対等であるはずの男女(夫婦間、交際者間)の関係に、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使すること」です。
つまり、「上にたとう(支配しよう)とする者」と「下におかれる(支配され、従属させられる)者」という“関係性”でおこなわれる暴力ということです。
したがって、一方の配偶者や交際相手に対して、上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)を行使しようとする者は、「男女の関係は対等である」という概念(考え方)を持ち合せていないということになります。
そして、「男女の関係性は対等でない」という概念(考え方)は、生まれ育った家庭環境(国やコミュニティを含む)で構築されるものです。
つまり、生まれ育った家庭環境(国やコミュニティを含む)で、「男女の関係は対等でない」という概念(考え方)を学び、身につけてきたということです。
この考え方は、「人の脳は、生存している環境に合った脳の機能がつくられる」、つまり、「人は、育つ家庭環境やコミュニティで生存するために必要な脳の機能を発達させ、必要ない脳の機能は発達させない」という事実にもとづくものです*-18。
したがって、子どもが、暴力(いき過ぎた教育、過干渉・過保護、厳しいしつけを含む)のある家庭環境で育つことは、子どもに暴力的な行為や暴力的な行為の防ぎ方(さまざまな回避の仕方)を学び、身につけさせてしまうということです。
次に、“構造的”な理解には、主に2つの視点が必要です。
ひとつの視点は、身体的な暴力(暴行)や性暴力は、大声で怒鳴りつけたり、否定や批判したり、侮蔑したり(バカにしたり)、卑下したり(見下したり)、脅したりすることばの暴力を浴びせられる中でおこなわれているように、暴力には複合的な要素が絡んでいる、つまり、構造的であるということです。
暴力の複合的、構造的な理解に役立つのが、ミネソタ州ドゥルース市では地域社会の裁判所や警察、福祉機関など9つの機関が集まり「DV介入プロジェクト(DAIP)」を組織し、1984年、被害女性たちの声をもと、暴力を理解する理論的枠組みとしてつくられた「パワーとコントロールの車輪」です。
被害女性の体験から明らかになったのは、第1に、暴力は突発的な出来事でもなければ、積りつもった怒りや欲求不満、傷ついた感情の爆発でもなく、あるパターン化した行動の一部分だということ、第2に、暴力には明確な意図があり、車輪の中心にある「パワーとコントロール」が車輪を動かす原動力となるということでした*-19。
そして、暴行や性暴力の前後に浴びせられている“ことば”が、どのような趣旨(意味)を持つものなのかによって、同じ殴る行為であっても、その意図は違ってきます。
暴行や性暴力に及んだ人物のことばに、被害者を否定したり、批判し責任を押しつけたり(責任転嫁をはかろうとしたり)、侮蔑したり、卑下したりすることばが含まれていれば、その人物は、本来対等である男女の関係性に上下や支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使しようとする人物であることになります。
このとき、重要になるのが、その暴行や性暴力の前に、どのようなことばのやり取りがおこなわれていたのかということです。
“前のやり取り”には、暴力的な行為の直前のやり取りだけでなく、出会い、交際以降の“これまで”のやり取りが含まれます。
なぜなら、出会い以降、積み重ねられてきたやり取りにこそ、“関係性”が明確に表れているからです。
もうひとつの視点は、慢性反復的(日常的)な暴力という行為がどのような結果を導くことになるのか、つまり、加害者はなにを手に入れ、被害者はなにを失うのか(どのような状況に追い込まれるのか)ということを理解することです。
そして、この理解なしには、「なぜ、被害者は暴力(加害者)から逃げられなくなるのか(暴力のある家庭環境に留まるのか)」を理解することはできません*-20。
被害者が、暴力によりなにを失うのか(どのような状況に追い込まれるのか)ということを理解するには、「暴力により、恐怖心を植えつけ、心と行動を支配する」という関係性、連鎖性を理解することに他なりません。
心理学者のレノア・E・ウォーカーは、慢性反復的(日常的)な暴力を受け続けた女性に共通する特性を「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)*-21」と唱えていますが、被害女性がその状態に至るプロセス、つまり、暴力から逃れられなくなっていく状況を「暴力のサイクル理論」としてまとめています*-22。
一方で、自己正当型ADHDやアスペルガー症候群などの「コミュニケーション・社会性の障害」による“特性”*-23が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力のように、これらの「パワーとコントロールの車輪」「暴力のサイクル理論」で説明される関係性(状況)、つまり、例えば、暴力のあとに謝ったり、優しくしたりする相反する拒絶と受容のふるまいが繰り返されない、つまり、ハネムーン期が存在しないなど、関係性で説明できないケースがでてきます。
この「コミュニケーション・社会性の障害」による“特性”が、暴力行為になってしまうとしても、被害者にとっては、慢性反復的(日常的)に暴力を受けることには違いはないわけです。
そのため、アスペルガー症候群を抱える配偶者を持つ者に見られる共通した傾向は、「カサンドラ症候群*-24」と呼ばれ、先の「被虐待女性症候群」と似通った症状に悩み、苦しむことになります。
したがって、暴力行為は、いかなる理由があろうと、暴力を加えた者(加害者)に非があり、暴力被害を受けた者には非はないという理解は重要です。
暴力に及んだふるまいには、いかなる理由があっても正当性は認められないのです。
一方で、暴力行為に及ぶ者、ならびに、被害を受けた者への対応・対策は、暴力行為が、自己正当型ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害の“特性”によるものなのか、そうでないのかにより異なることから、この違いを見極めることは重要です。
*-18 「脳の発育は出生前の胎児期からはじまる」ことから、精神疾患、発達障害などの発症原因もまた、妊娠期の女性がおかれている環境に影響を受けることになります。
  精神疾患、発達障害などを発症させうる胎児期の脳の発育に影響を与える環境因子となるものは、血液脳関門で守られている脳の血管をすり抜けことができる大気汚染などの化学物質(農薬や除草剤、たばこなどを含む)、妊娠している女性が暴力を受ける強いストレスなどです。
*-19.22 暴力の構造性の説明では、「暴力のサイクル理論」「パワーとコントロールの車輪」がよく引用されています。
 両理論については、「Ⅰ-9-(1)「暴力のサイクル理論」と「暴力の車輪理論」」で詳しく説明しています。
*-20 「なぜ、被害者は暴力(加害者)から逃げられなくなるのか(暴力のある環境に留まるのか)」を理解できたとしても、日本の社会保障制度の多くは、“家族”に対するものです。
そのため、命を守るために家をでたり、暴力から逃れるために離婚したりするなど、被害者が“家族から離れる選択をする”と、「なぜ、被害者だけが、仕事を辞め、身を隠して生活しなければならないのか」、「なぜ、被害者だけが、不自由な生活を強いられるのか」など、依然として、理不尽な状況に追い込まれる事実も存在しています。
  現実問題として、戦後に構築された「家族にフォーカスした社会保障制度」が根底から見直されない限り、特に女性の被害者だけが理不尽な状況におかれてしまうことになります。
*-21 「被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)の傾向」は、「暴力のサイクル理論」を唱えた心理学者のレノア・E・ウォーカーにより提唱されたもので、「Ⅰ-9-(2) 被虐待女性症候群(バタードウーマン・シンドローム)」で詳しく説明しています。
*-24 「カサンドラ症候群」については、「Ⅰ-9-(4)」で、また、カサンドラ症候群を生じさせるアスペルガー症候群の“傷害”の特性による加害行為(*-23)については、「Ⅰ-6-(1)発達障害などの“障害”の特性が、結果として暴力となる」で、また、「Ⅱ-21-(8)自己正当化型ADHDとAC」で詳しく説明しています。
  なお、ADHDやLD(学習障害)と愛着障害の判断は専門医であっても難しいことから、合せて「Ⅱ-16-(7)反応性愛着障害(RAD)」で理解を深めていただきたいと思います。



(1) DVは、人と人との関係性で理解する
DVは、殴ったり蹴ったり、怒鳴りつけたり、侮蔑したりするなどの行為(ふるまい)にフォーカスするのではなく、その本質は、「本来、対等な関係である夫婦の関係や交際相手との関係に、上下の関係性、支配と従属の関係性を成り立たせるために、パワー(力)を行使することである」ということです。
つまり、“人と人との関係性”で認識することです。
加えて、人と人の関係性にパワー(力)を持ち込む傾向の強い人物特性については、次の3点を理解することが重要です。
第1に、その加害(暴力)行為が衝動的であるときには、扁桃体を前頭葉でコントロールすることができないという脳の発達・機能上の問題であるということ、第2に、強烈な支配欲・独占欲は、裏返せば、低い自尊心を補う承認欲求を満たさなければ、その基盤が脅かされてしまうという強烈な恐怖心に他ならないこと、第3に、その加害(暴力)行為が、長時間に及び、しかも過去のできごとを持ちだすなど執拗であるときには、低い自己肯定感(自尊感情)を補う(承認欲求を満たす)ことで高揚感・恍惚感・優越感を味わうことが無意識下の動機となっている、つまり、暴力による強烈な刺激が、大脳の快楽中枢が繰り返し求める中毒性の行為になっていることです*-25。
人と人の関係性にパワー(力)を持ち込む加害者の基本行動は、自己の利益、つまり、自分が心地いい(気分のいい)状態になることだけを目的(動機)に、人を「利用」し、人を「操作」しようとすることです。
このことは、主語が一人称、つまり、自己中心的な考え(世界観)しか持っていないということを示すものです。
「自己中心的な人物の世界観」は、自分が絶対的な存在でなければならず、しかも、ものごとの捉え方が、敵か味方か、好きか嫌いかといった二元論(二者択一)であることから、俺に従わない者(絶対服従を誓わない者)、俺に屈しない者、俺に媚びを売らない者、つまり、自分に心地よい(気分のいい)状態に反する行為をした者に対しては、「俺の敵」、「奴は嫌い」と認識し、徹底的にこきおろし、誹謗中傷し、叩きのめすなど冷徹に排除したり、パワー(力)を行使し屈服させ、絶対服従を誓わせたりします。
なぜなら、そうしなければ、いつ危害が加えられる(裏切られたり、逃げられたりする行為も含む)かわからず、不安(恐怖)だからです。
したがって、人とのかかわり方、つまり、心が安定できるのは、べったりと極端に近いか、まったく近づかず極端に遠いかのどちらかです。
自己中心的な人物は、自身に不利益が及ぶできごとが発生したとき、その原因が自身にあったとしても認めることはなく、その責任の原因は、「アイツが悪い」「会社(上司や部下)が悪い」「あの国が悪い」と周りの人たちや社会・国にある責任転換しようと試みます。
なぜなら、絶対的な存在である自分は間違いを犯すことがあってはならないので、「自己のふるまいはすべて正しい」と正当化しなければならないからです。
この自己正当化を試みる行為は、黒を白と認めさせなければならないわけですから、パワー(力)の行使が必要になります。
行動は自己利益にもとづく、つまり、自分の利益になるかどうかが判断基準であることから、「謝る」こと、「下手にでる」こと、「一時、甘く優しいふるまいをする」ことも、自分の利益するための行為ということになります。
謝ったり、下手にでたり、甘く優しいふるまいをしたりするのは、いまの困った状況を打開するための“術(すべ)”に過ぎないのです。
つまり、自分の手元にとり戻す(連れ帰す)ことが目的だからです。
したがって、困った状況を打開するために約束したことは、決して守られることはありません。
とり戻すことができれば、再び、パワー(力)を行使して、その関係性の維持に努めることになります。
つまり、これまで通りに、自己利益のために、人をことばで騙(だま)し、貶(おとし)め、辱(はずかし)め、ことばで足りなければ、力で傷めつけ、力で脅し、力で怯えさせ、力で奪い、力で屈服させ、力で絶対服従を誓わせることになります。
以上のような加害者の特性は、のちに詳述する自己正当型ADHDやアスペルガー症候群などの「コミュニケーション・社会性の障害」による“特性”が、結果として、DVやハラスメントとなる暴力に及ぶ加害者には、該当しないのです。
また、統合失調症(精神分裂病)や双極性障害(躁うつ病。特に躁状態下)を抱える者に暴力行為とも異なるものです。
つまり、以上のような加害者の特性は、自己愛と反社会性が高いサイコパス的な特質を持つ者(愛着障害を含む)、境界性人格障害(ボーダーライン)*-26、自己正当化型ADHD(後発性、あるいは、2次障害としての)を抱える者のDV行為ということになります。
これらの違いの見極めは、関係性を理解したり、加害者対策を考えたり*-27、被害者のケアを考えたりするうえで重要です*-28。
*-25「暴力による強烈な刺激が、大脳の快楽中枢が繰り返し求める中毒性の行為になっている」については、「Ⅱ-19.人の脳の仕組みから人類の“暴力性”を考える」で詳しく説明しています。
*-26 「境界性人格障害(ボーダーライン)」は、演技性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害と同様に人格障害のB群に含まれますが、「脳梁」の発達に障害が及ぶことが重要な発症原因のひとつとなっていることから、この「手引き」では、自己正当化型ADHDやアスペルガー症候群など発達障害を抱えている者の“障害の特性”が、近しい人にとっては暴力行為になると考えています。
*-27 「DV加害者対策」として、被害者支援の一環としての「加害者更生プログラム」の受講が注目されつつあります。
ただし、人と人の関係性にパワー(力)を持ち込む傾向の強い人物特性としてとりあげた3点に加え、ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害の“特性”の視点に立つと、「加害者更生プログラム」でおこなわれる“認知の歪み”に対するアプローチだけでは限界がある、つまり、対応できないことも理解する必要があります。
 つまり、「DV加害者更生プログラム」で効果が期待できるのは、①自ら認知の歪みによる暴力性を認識し、②薬物依存治療と同様に、パワーを行使してしまう“対象”としての交際相手や配偶者、子どもと離れなければならないことを受け入れ(一生、生活を別にする覚悟が必要)、③自らの強い意志で、暴力行為を正当化してしまう認知の歪みを少しでも改善したいと強く願い続けることができる人物です。
それは、暴力行為を正当化してしまう認知の歪みが軽度なごく限られた人物ということになります。
なお、「自己愛と反社会性が高い」人物の特性については、「Ⅱ-15-(10)人格障害(パーソナリティ障害)とは」で、「サイコパス」については、「Ⅰ-8-(4)ミルグラムのアイヒマン実験」の中の「サイコパス」で詳しく説明しています。
また、「自己正当化型ADHD」「アスペルガー症候群」については、「Ⅰ-(6)被害者に見られる傾向、加害者が持つ特性」、「Ⅱ-12-(11)自己正当化型ADHD・アスペルガー症候群とAC」で詳しく説明しています。
*-28 「暴力による被害者の傷ついた心のケア」については、「 」で詳しく説明しています。


① 密室下のDV、夫婦の関係性は日常の会話に表れる
DVの本質を理解するためには、殴った、怒鳴りつけた、罵ったといった行為にフォーカスするだけはなく、夫婦の関係に、上下、支配と従属の関係性を成り立たせるために力(暴力)を使うということ、つまり、関係性にフォーカスする必要があるということです。
そして、その関係性に、“恐怖”に裏づけられた言動・行動パターンが認められるかが重要になります。
つまり、「こういった関係性や恐怖がなければ、こういったやり取りやこういった状況はおきない(成り立たない)」という着眼点に立つことによって、暴力の構造(存在そのもの)を読みとることができるということです。
 しかし、この関係性や恐怖を判断する着眼点、つまり、モノサシ(判断基準)こそが“主観”の影響を受けやすいのです。
しかも、その主観は、生まれ育ってきた家庭環境のあり方そのものが表れることになります。
つまり、DVの判断は、この主観に委ねられてしまうことになります。
そのため、「婚姻破綻の原因はDVにある」として夫婦関係調整(離婚)調停を申立てた家庭裁判所で、信じられないような事態が発生しまうのです。
それは、大声で怒鳴りつけ、ものを叩きつける音がちゃんと入っている音源データがあるにもかかわらず、弁護士に「殴っているところが録音されているわけではないので証拠として使えない。」と判断されてしまったり、調停委員に「旦那さんは、DVはなかったっていってるんですよ。」とDVを否定されてしまったり、裁判官からは、「録音するために、ワザと怒らせているかもしれないしね。」、「夫婦のいざこざに子どもを巻き込んでいただけでしょ。」と非難されてしまったりすることです。
  こうしたDVの本質を理解していない第3者に対しては、暴力だけにフォーカスするのではなく、夫婦関係に上下、支配と従属の関係性を論理だって(因果関係にもとづいて)説明することが必要になります。
当然、DV被害者支援に携わる者にも、同じような視点で、DV被害者が認識できていない可能性のある「DVとはなにか」を伝えなければならないことになります。
  ここまで、DVの本質を理解するための重要な考え方として、パワーハラスメントやセクシャルハラスメント事件と同様に暴力がおこなわれる関係性、そして、恐怖心、嫌悪感、羞恥心にフォーカスする必要があるということを説明してきました。
この考え方は、各行政機関(教育委員会)が行っているデートDV講座で、中高校生や大学生に「DVとはなにか」、「愛と束縛は違う」ということを理解してもらううえでもっとも基本となるものであるとともに、DV対策として法整備され、デートDV被害や性暴力被害の防止のための啓蒙活動に力を入れている国々ではスタンダードとなっているものです。
加えて、重要なことは、平成25年7月23日に「ストーカー行為等規制法」の一部法改正がおこなわれ、「電子メールを送信する行為の規制」が加わる中で、加害者が被害者宛に送るメールに書かれている文章やことばの使い方、表現など、いくつかの点を総合的に判断するようになっているとことにも通じるものです。
  平成23年に逗子市でおきた離婚後の凄惨なストーカー事件以降、相談対応にあたる警察では、メールの件数そのものよりも、メールを送られた相手が、そのメールに恐怖や脅威を感じているかどうかに重きをおくようになってきました。
つまり、ストーカー対策やDV対策においても、企業のコンプライアンスのあり方が問われるパワーハラスメント訴訟やセクシャルハラスメント訴訟、そして、学校等におけるいじめ事件(訴訟、検証委員会)と同様に、言動やふるまいによって嫌な思いやツラい思い、哀しい思い、恥ずかしい思いをさせられたり、送りつけられたメールに恐怖や脅威を感じたりしている事実に添った訴えであれば、メールを送った者、ことばやふるまいをおこなった者が、「そんなつもりでいったのではない(送ったわけではない)。」、「そういう意図で触ったのではない。」と訴えたとしても、こうしたいい分は通用しないのがスタンダードであるということです。
密室ともいえる家庭内で加えられる暴力による夫婦の関係性は、夫婦間の日常的な、何気ない会話に顕著に表れます。
夫婦間の会話のやり取りを時系列に見ていくと、夫婦間に上下の関係性、支配と従属の関係性があるのか、ないのかが明らかになります。
夫婦間でやり取りされたメールやLINEなどに書かれていることばや文体、録音されている会話で、使われていることばの内容、声の状態など分析し、幾つかの点を点をつなぎ合わせることで、暴力の存在を総合的に判断することができます。
そのベースとなるのが、「Ⅰ-11.断ち切るために必要。加害者に共通する行動特性の理解」に示すような、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)にもとづく言動・行動分析です。
元配偶者や元交際相手に対する凄惨なストーカー事件が繰り返し発生していることから、加害者に対してのアプローチ(加害者更生)のあり方が注目されていますが、そのアプローチもまた、人とどうかかわるかといった認知、つまり、“認知の歪み(間違った考え方の癖)”に対しておこなわれるものです。
加害者とされる人の言動や行動に、「Ⅰ-11.断ち切るために必要。加害者に共通する行動特性の理解」に示されるような“認知の歪み(間違った考え方の癖)”を示す言動・行動パターンが認められるときには、加害行為に及ぶ者である特性を満たしている、つまり、加害者であると示す論拠が揃っていると考えることができるわけです。

② 夫婦のメールのやり取りから読みとれるDVの存在
 では、ここで、「離婚調停で、夫のDVを立証できなくて困っています。」と支援を求められた被害者Kにお願いし、夫婦間のメールのやり取りをまとめていただいたメール文の幾つかを見ていただきたいと思います。
  以下のメールのやり取りには、本来対等であるはずの夫婦関係に、上下の関係、支配の従属の関係を成り立たせるためにパワー(力)が行使されてきた夫婦の関係性、つまり、DVの本質が示されています。
  では、最初の事例10のメールのやり取りのどこに、この夫婦間に、上下の関係、支配と従属の関係が示されているのかを考えてみてください。

-事例10(DV6、分析研究1:夫婦間のメールのやり取り①)-
(8月3日)
13:31 K→O宛  お疲れさまー!14日Hちゃんと会ってもいいかなあ?
19:06 K→O宛  14日お昼とかだけだからいいかなあって思っちゃった…ごめんなさい断るから。40分くらいに着くよ。
19:53 O→K宛  おつかれさん これから帰るね
19:57 K→O宛  気をつけてね 9時過ぎくらい?
19:59 O→K宛  かなあ?ありがとね

  さて、この8月3日のやりとりに、この夫婦間に、上下関係、支配と従属の関係性が成り立っている可能性を読みとることができましたか?
  「わからない」と思っても、それは、当然かもしれません。
なぜなら、DV被害の当事者、あるいは、暴力のある家庭環境で育ってきた人たちでなければわからない可能性があるからです。
それは、DV被害者支援に携わっている専門機関の担当者、DVに詳しいとされている弁護士の方々も読みとることができず、仮に、家庭裁判所が開催されている離婚調停で、このメールのやり取りをDVの証拠として提出したとしても、調停委員には、この夫婦間にはDVがあると認識できない可能性があることを意味しています。
  DVの可能性を疑うことができるか、疑わずに流してしまうのかは、「暴力は、ある意図を持って、人と人との関係性の中で発生するものと認識することができているか?」という問題にかかっています。
また、慢性反復的(日常的)に暴力被害を受けてきたDV被害者(当事者)の中には、あまりにも日常的なことであることから、このメールのやり取りに、「DVの可能性が残されている」と認識できていないこともあります。
したがって、このメールのやり取りの中にDVの可能性を疑うことができないすべての人に対しては、以下のように、このメールのやり取りのどこにDVがあるのかを説明する必要があるのです。
  この事例10のメールの文面には、「Ⅰ-3.DVとは、どのような暴力をいうのか-「配偶者暴力防止法」によるDVの規定-」で示している身体的な暴行、精神的暴力、性的暴力、社会的隔離、経済的暴力に該当する記述(ことば)を見つけることができません。
そこで重要になってくるのは、被害者が、暴力に順応するために身につけてしまった間違った考え方の癖(認知の歪み)、つまり、被害者の言動・行動に表れる特徴に、このメールのやり取り(情報)を照し合せるということです。
この事例10のメールのやり取りには、妻Kが、慢性反復的(日常的)な暴力から学んだ身を守る術として、①なにかするにしても、夫Oに、お伺いを立てる(了解を得る)ことが日常になっている、②夫Oの顔色をうかがい(その時々の状況を見て)、不機嫌か、キレそうかを見極めることが習慣になっている、つまり、「夫Oは、きっと、こう考えている(感じている、こう応じることを望んでいる)に違いない」と先読みをして、ご機嫌をうかがい、気分を害させないように配慮することで、危険(怒り、暴力)を回避することが習慣になっている、③妻Kは、なにも悪いことをしていないのにもかかわらず、夫Oに対し、事態が深刻になる前に、先んじて「ごめんなさい。」と謝ったり、やりたいことはがまんして諦めたりすることが習慣(癖)になっているといったDV被害者に共通する特徴は傾向を読みとることができます。
こうした妻KのようなDV被害者に共通する言動特性は、妻Kが、夫Oに対して強い恐怖心を感じていなければあり得ないものです。
事例10のメールのやり取りには、夫Oから暴力による恐怖体験を積み重ねてきた結果、夫Oの詮索干渉、管理(以上、支配・束縛)に対しても、妻Kは、既に「夫Oに対しては、なにをしても、なにをいってもムダだ!」と思い知らされている状況、つまり、夫婦の関係性が明確に示されているのです。
ここまでの情報を読みとったあと、DV被害者に共通する傾向に照らし合わせた推察が正しいのか、被害者から“裏”をとる必要があります。
つまり、このメールのやり取りの行間を埋めるため、被害者に対して、疑問点などを詳細に聞きとる必要があります。
以下、Kへの“聞きとり”から得られた状況を踏まえて説明していきます。
 13:31の文面は、妻Kが、夫Oに「8月14日(木)に友人と会っていいか」のうかがいを立てているものでした。
8月14日はお盆休暇中ですが、KとOの実家は車で10分、15分で行ける距離にあり、遠方に帰省するわけではありませんでした。
プロポーズを受けて同居をはじめると、結婚後もKが仕事を続けることを了解していたはずのOは、Kが残業で遅くなるたびに、「家事を全然しない!」と非難するようになり、やがて、Kがしている仕事そのものを否定するようになっていきました。
結婚後、最初の夏を前に、Oは「お盆休みにどこか旅行にでかけたい。」といっていました。
しかし、同時期、Kの残業で帰宅が遅くなることで、KとOのいい合いが激しくなっていきました。
そして、このメールのやり取りがおこなわれた8日前の7月26日、OがKの両肩を強くつかみ、強い力で床に押さえつけたあと馬乗りになり、頭を床に力いっぱい押しつけるという身体的な暴行を加えるという事件がおきました。
そのため、Kは、お盆休みにOと一緒に旅行にでかけることなど考えられる状況ではなくなっていました。
一方のOは、暴行後もいつものように「仲直りしよう」と平然と口にしていました。
しかし同時に、Oは、Kが明確にどこに行きたいと希望を述べないことが気に入らない雰囲気も見せていました。
Kは、仕事で土日や祝日に出勤することが多く、友人の休みも不定期であったことから、お盆休みは、Kにも友人にも滅多にない機会だったわけです。
次は、このメールのやり取りの重要なポイントなる「Kが、O宛に送った19:06のメール」についての確認です。
この19:06のメールが、なぜ、重要なポイントとなのでしょうか?
それは、Kが、O宛に送った最初のメール、つまり、13:31のメールから“5時間半”経過したあとに、「…。…ごめんなさい断るから。…」という内容のメールと送っているからです。
したがって、この「5時間半」、Kがどのような心境で過ごしていたのか、どのような思いで19:06のメールを送ったのかを確認する必要があるわけです。
Kによると、「Oが勝手に予定を入れたと怒っていると思い(察し)、なにかいわれる前に謝った。」ということでした。
整理してみます。
 13:31の「お疲れさまー!14日Hちゃんと会ってもいいかなあ?」のKのメールは、Kが「Oに許可を求めた」内容です。
したがって、着目するのは、Oは、Kに対して、どのタイミングで、どのような返信をするかです。
Oは、Kの許可申請に対し、5時間半にわたり返信していません。
この5時間半にわたり返信しないのがいつものことなのか、それとも、気に入らないことだから、無視し、放置しているのか、まだ判断はできません。
そして、5時間半後の「19:06」、KからO宛にメールを送ることになりました。
そのメールは、「14日お昼とかだけだからいいかなあって思っちゃった…ごめんなさい 断るから。40分くらいに着くよ。」というものです。
この文面は、Kが、Oの思いを汲んで(Oの意に添うように)、「ごめんなさい」と謝っていると解釈できます。
そうなると、この「返信のない5時間半」は、大きな意味を持つことになります。
なぜなら、Oは、Kになげかけられた(許可を求められた)ものの、「いちいち応えなくともわかっているでしょ」と暗黙のルールが存在しているように、Kのメールを“無視”していることになるからです。
このメールの行間を読みとると、DVのある夫婦関係、つまり、上下、支配と従属の関係性を示す重要なキーワードが詰まっていることがわかります。
そのキーワードは、a)「妻は、夫に許可を求める(ご意見伺いをする)」、b)「夫は気に入らなければ、こらしめ(罰)として、妻を無視する(反応しない)」、c)「妻は、夫の機嫌を損ねないように、意に添う(思いを汲んだ)発言をする」とともに「謝る」といったものです。
  その後、Kが、Oとのメールのやり取り整理してくれたA4版30頁に及ぶ「暴行事件後、私とOとの2ヶ月半のメールのやり取り」を見ると、Oのメールの返信は、通常、「Kの送信後2分-5分以内」と早いものでした。
しかし、DV加害者の多くがそうであるように、この事例10では、Oは自分の意に添わないこと、都合の悪いことに対しては、無視し、返信をしていませんでした。
この行為は、DV環境下では、返信しないことで、「俺は気に入らない」、「俺は怒っている」、「俺は許さない(許可しない)」といった意思を示し、家の“主人”の意に添うこと、詫びることを暗黙裡に求めているという意味を持ちます。
つまり、DV環境下でのメールを無視する、返信しないという行為には、俺からメッセージの真意を読みとることを怠ったときには、“どうなるのかわかっているな!”と脅しの意味が込められているのです。
DV環境下で暮らすということは、こうしたことが繰り返され、散々痛い目を味わい(身体的な痛みだけでなく、心の痛みを含む)、回避するふるまいを身につけることになるのです。
「ミスを犯せば痛い目に合う」、それが、DV環境下で暮らすということなのです。
こうした状況を、Kは、『私が残業の話に触れると、Oはことばにだして怒りだし、徹底的に非難し、責めることになりました。また、私がその話に触れなくても、忘れたころに、なにか別のことでいい合いになったとき、「俺だってガマンしてんだ!」、「俺はあのとき黙ってやっていたのに!」と堰を切ったように罵ってきたり、ひどいことをしてきたりするのがいつものパターンでした。だから、私の方からOに謝って歩み寄り、機嫌を損ねないように意に添うようにふるまってきました。そして、この日、私が帰宅すると、案の定、Oは明らかに怒っている態度を示していました。』と述べています。

 次は、3日後の同年8月6日のメールです。
このメールのやり取りには、仕事で遅くなることでOが不機嫌になり、Kが怒りをかうのを怖れ、繰り返し謝る状況などが示されています。

-事例11(DV7、分析研究2:夫婦間のメールのやり取り②)-
(8月6日)
17:52 O→K宛  おつかれさん お風呂のマットってひとつ捨てた?
19:56 K→O宛  ごめんなさい!今日遅くなりそう まだ終わらない、、わたしもマットOが捨てたと思ってた!飛んでったのかな
19:58 O→K宛  うそー ボロボロだからKが捨てたと思った。どっかいっちゃったね どれくらいになりそう?
21:48 K→O宛  ごめんなさい 今終わりました、、また時間わかったら連絡します! 急いで帰るから〜
21:50 O→K宛  おつかれさん。おそいねえ。
21:52 K→O宛  ごめんなさい 色々トラブルがあって、、ごめんね
21:53 O→K宛  気をつけてね
22:14 K→O宛  45分くらいに着きます 申し訳ないです
22:15 O→K宛  はいよ

 19:56の「ごめんなさい!今日遅くなりそう まだ終わらない」という文面が、「まだ終わらないので、今日遅くなります。」という文面であれば、どこの共稼ぎ世帯でもあるものです。
しかし、この「19:56」のメールは、OがK宛に送った最初のメール(17:52)から既に2時間が経過しています。
KとOは、Kが結婚後も残業で遅くなる仕事を続けることを合意しているものの、残業で遅くなったKが、O宛に送った4通のメールで「ごめんなさい」など謝ることばを5回書いています。
しかも、21:48の「ごめんなさい 今終わりました」のあと、Oの「おそいねえ(21:50)」のひとことで、21:52「ごめんなさい 色々トラブルがあって、、ごめんね」と謝っています。
ここには、Kがかなり焦っている、動揺している様を読みとることができます。
それは、Oの「おそいねぇ」のひとことが、Kにとって、そのあとに控えている「非難のことばで延々と責められる時間」を連想させ、恐怖でしかないことを示しています。
Kはなんとかこれ以上Oの機嫌が悪くならないことを願い、22:14のメールで、Oのご機嫌を損ねないように「申し訳ないです」とことばを添えています。
それは、仕事でミスを犯し上司に謝っているようです。
Oはメールの中で、Kを直接非難し、責めることばを書いているわけではありませんが、KはOの考えに思いを巡らし、機嫌を損ねないように意を汲むことだけで頭がいっぱいになっています。
これは、暴力のある環境で暮らさざるをえないDV被害者に共通した心理であり、その状態が明確に表れているのが、「ごめんなさい」とメールの文面が謝ることばからはじまっていることです。

  翌7日、Kは、母にはじめてOとのことを話し、その夜、Oに、「Oとの結婚生活はもう限界」と離婚の意志を伝えました。
翌8日の朝、Kは、Oと顔を合わせずに出勤しました。
そして、出勤中にOからメールが届きました。
そのOのメールには、Oのふるまいが精神的暴力であること、そして、Oの精神的暴力によってどれだけ傷つき、苦しんできたのかを訴えたことに対し、Oが自身のふるまいを認めることばが書かれています。
一方でOは、夫婦がいまどれだけ深刻な状況になっているかを理解できず、仲直りでき、やり直せると思い込んでいる状況が示されています。
DV加害者に共通しているのは、「自分がどう変わり、具体的になにを、どう直していくのかを具体的に示すことができない」ということです。
なぜなら、DV加害者のほとんどは、暴力(過干渉・過保護、いき過ぎた教育、厳しいしつけを含む)のある家庭環境で育っていることからです。

-事例12(DV8、分析研究3:夫婦間のメールのやり取り③)-
(8月8日)
6:11 O→K宛  今までいっぱいごめんね*。こんなふうになるまで全然わかってあげられてなかったね*。Kのことずっと大好きだし、これまでもいっぱいケンカもあった*けど、いっぱい仲直りして、これからもずっと一緒に楽しく笑って暮らしていきたいよ。これから楽しいこといっぱいあるのに*こんなの嫌だよ。もっとKのこと大事にするし*、また俺のこと好きって思ってもらえるように努力するから、また一緒に頑張ろ*。また帰ったら話しようね。
6:13 K→O宛  わかりました。話します。でも、自分でも驚く程気持ちはないから。一緒に頑張るつもりはない*。
6:16 O→K宛  また元に戻れるように俺が頑張るから、一緒にいてほしい*。
6:28 K→O宛  わたしはずっと伝えてきたつもりだった。でもいつも聞いてくれなかった。わたしは何回も何回も昨日のあなたのように落ち込んでました。さらにそれを伝えようと話しても逆ギレ、自分の思いだけをぶつけてきたと感じてました。仲直り出来てないわたしが悪いと今思いだしても泣けてくることばかり、楽しかった気持ちはどこかにいきました。また夜に話しましょう
6:34 O→K宛  そうだね*。そういう気持ち全然わかってあげられてなかったね*。ごめん。また帰ったら話しよ。

  Oは「これまでもいっぱいケンカもあった(6:11、第2文中段)」と記していることから、DV行為をケンカと認識しているものの、Kの心を傷つけるふるまいをしてきたことを認めています。
したがって、Kが訴えることばの暴力(精神的暴力)や経済的暴力などがおこなわれていた事実は明らかになります。
そのうえで、Oが記した「また元に戻れるように(6:16)」、「もっとKのこと大事にする(6:11、第5文前段)」という状況は、Kにとって、Oにこと細かく詮索干渉され、ことあるごとに仕事で帰りが遅くなることを非難され、家事を全然しないと糾弾される生活が続くことを意味します。
つまり、Kが「もう耐えられない、限界」と訴えた暴力の状況を、Oは「大事にしてきた」と認識し、そのうえで、これからは“もっと”と表現していることになります。
しかも、Kが、前夜に訴えた「もう耐えられない、限界」、「離婚して欲しい」と考えを、Oに対し、再度「一緒に頑張るつもりはない(6:13、第4文)」と自身(K)の気持ちを伝えています。
しかし、Oは、Kの気持ちを無視し、「また元に戻れるように俺が頑張るから、一緒にいてほしい(6:16、第1文)」と自分本位の思いだけを押しつけています。
さらに、Oは、元に戻った生活を「これから楽しいこといっぱいあるのに(6:11、第4文)」と、なにごとのなかったかのように平然と述べています。
つまり、Oの文脈(論理)は、Kの立場では、「Kを日々の暴力で大事にしてきたが、Kが不満であるなら、もっと“暴力の日々”で、大事にしていけるように頑張る。だから、これから楽しいことがまっているよ」ということになります。
Oは、自身のK宛のメールが、上記のような文脈(論理)になっていることにすら、気づいていないのです。
  したがって、Oの「今までいっぱいごめんね(6:11、第1文)」、「こんなふうになるまで全然わかってあげられてなかったね(6:11、第2文)」と謝ることばは、OのKへの暴力的な言動やふるまいに対して述べていないことになります。
  つまり、O自身には、悪いことをしている自覚はないけれども、別れたくないので、感情的になっている妻の気持ちを落ち着かせるために、ここは下手にでて謝っておけば、いまの状況を打開できるという安易さが示されています。
そして、その時々で、頭に浮かんだことばを口にしている(文字にしている)ので、論理が成り立たない文面がつづられています。
  こうしたDV加害者の自分本位な自己主張を押し通そうとするがゆえに、論理が成り立たなくなっていく言語特性は、アタッチメント獲得に問題を抱え、自己と他の境界線があいまいなまま成長している、つまり、一人称しか獲得できていない(自己と他の分離ができていない)ことに起因しています。
このことは、自身のふるまいで配偶者が、これまでどのようなツラい思いをさせられてきたのかに思いを馳せることはできない(理解することができない=共感することができない)ことを意味しています。
また、Oのように、成育環境を起因として、家庭内、あるいは、夫婦間の事態の深刻さを理解する(受け入れる)ことができないケースでは、人とのかかわりはじめた初期、つまり、幼児期に覚えさせられた「仲直り」ということばを使います。
この「仲直り」ということばには、幼児期から今日に至るまで、自身が悪いことをした認めた行為であるとは認識していません。
単なる、困った状況を打開する“術”、“世渡り術”として、上辺だけ、表面的なものでしかないのです。
一方で、「謝って、仲直りする」という概念は、関係修復(問題解決)のために、互いに歩み寄るという高度なコミュニケーションです。
自ら“悪いことをした”こと認める必要であることを学んできた者にとっては、意思疎通の齟齬が生じることになります。
しかし、DV加害者になる者は、自身の言動やふるまいが、こうした意思疎通の齟齬を生じさせることさえ認識することができないのです。
そのため、これまでのように、妻を思うがままにコントロールして、思い通りに仲直りでき、やり直せると信じて疑うことがない主張を繰り返すわけです。
こうしたDV加害者に共通する「自分にだけ都合よく考え、その考えを押しつける主張」は、DV被害者は、なにをいいたいのかわからないと混乱させます。
そして、押しつけられ続けると、この人には、なにをいっても話が通じないと絶望的な気持ちになっていきます。
  こうした考え方を踏まえて、このメールのやり取りを見てみると、Oの「今までいっぱいごめんね(6:11、第1文)」、「こんなふうになるまで全然わかってあげられてなかったね(6:11、第2文)」は、Oにとっては、その場をとり繕うためだけの甘い(優しい)ことばに過ぎないことがわかります。
さらに、Kの「いつも聞いてくれなかった(6:28、第2文)」、「それを伝えようと話しても逆ギレ、自分の思いだけをぶつけてきた(6:28、第3文)」との訴えに対して、Oの「そうだね。(6:34、第1文)」、「そういう気持ち全然わかってあげられていなかったね。(6:34、第2文)」といったことばも、その場をとり繕うための表面的で上辺だけの“同意”に過ぎないことがわかります。
つまり、こうした状況下で、DV加害者の「謝る」行為には、相手に詫びるという意味、あるいは、意志は微塵も存在せず、自身の困った状況を打開するための術(策)でしかないわけです。
  もしOが、心の底から悪いことをしていると自覚したうえで謝っているのであれば、その後のOの言動やふるまいは変わっていくことになります。
しかし、多くのDV加害者がそうであるように、このメールを送った以降のOの言動やふるまいがなにひとつ変わることがありませんでした。
以降、“これまで”なにひとつ間違った言動やふるまいをしてきていないと認識しているOの暴力的な言動やふるまいは、“これまで以上”にひどくなり、Kを追い詰めることになります。
それは、このメールのやり取りから4日後の同月12日、17日におこなわれたKの母とOとの話合いを経て、19日のKとOとの話合いに顕著に表れています。
Kが「私が許すと思うの?」と訊いたとき、Oは「許してもらえるようにしようと思っとるからそうしとるんじゃん。なんでそれまでそんなにいわれないかんの! 意味わからんわ、それこそ! なんで俺の気持ちまでそういうふうに変えられなかんの!」と、Kの言動に対して強く非難したのです。
このOの言動は、わずか11日前のメール文、つまり、Oの第5文後段「もっとKのこと大事にするし、また俺のこと好きって思ってもらえるように努力するから、」との記述について、Oは、「大事にする」、「努力する」ということばが、「どのような行動を伴わなければならないのか」を認識(獲得)できていないことを裏づけるものです。
つまり、暴力のある家庭環境でアタッチメント獲得を損ない、自己と他の境界線があいまいなまま育ってきたDV加害者は、教科書に書かれているような「ことば」を、ことばとして表面的には使うことができても、そのことばの意味することを行動で示すことはできないのです。
自分だけに都合のいい解釈に添った行動しかできないDV加害者には、相手に都合のいい解釈に添った行動(相手が望む行動)をするという考え方(概念)そのものが存在していません。
「自分だけに都合のいい解釈に添った行動」とは、自分の思い通りにことを運ぼうとする(コントロールしようとする)行動ということです。
それは、絶対的(特別)な存在である自分の言動やふるまいは正しいと認識していることから、自分はなにも悪いことはしていないという確固たる思いを背景に、自己のふるまいを正当化しようと目論むわけです。
この目論見は、Oのメール文のように、自分だけに都合のいい解釈にもとづく独特な論理で展開されます。
ここに、DV加害者が、暴力で配偶者を支配することが、配偶者を苦しめることになっていても、自身はなにも悪いことをしていないとしか認識できていない真実が示されています。
  このメールから21日後の同月29日、Kは、深夜に迎えにきた母と姉につき添われ、家をでることになりました。


(2) DVの本質を理解するうえでの問題点
① 日常生活の中での抑圧体験

 DVで問題なのは、“日常性の中に潜む暴力性”です。
つまり、日常生活に埋め込まれた「権力作用」に敏感にならない限り、いつ生じてしまうかわからないということです。
選び合って幸せにみえる二者関係の中で、背後にある力関係を反映し、「男らしく強くありたい」、「俺のものにしておきたい」、「力づくでもいうことをきかせたい」との身勝手な思いが、力の行使に向かわせてしまいます。
DVの本質は、本来対等であるはずの夫婦関係に上下の関係、支配と従属の関係を成り立たせるために力(パワー)が行使されるということです。
この力関係は、意識しようと意識すまいと個々の夫婦の関係にも影を落としていきます。

② 許されてきた暴力
  DV加害者は、「一発ぐらい殴ってなにが悪い」とよく開き直ります。
罪意識のなさは、一部の加害者に限ったことではありません。
多くの加害者だけでなく、暴力について見聞きする社会の中にもこのような風潮は蔓延しています。
事例1で問いかけたとおり、「夫婦ゲンカなのだから手がでても仕方がない」という人も決して少なくありません。
しかし、DVは間違いなく人権侵害であり、犯罪行為です。
そして、男性から女性に対してのDV行為の多くは、女性に対する差別が要因となっています。
密室である家庭内での暴力について、「これまで許されてきた行為である」といった発言の数々は、暴力をふるう側の身勝手な論理に過ぎないということです。
ここには、「Ⅰ-1-(2)共通する性暴力への問題意識の低さ、暴力を容認する考え方」の中で、『また、「私も、親から叩かれるなど厳しく育てられたし、家庭内での妻や子どもに対する多少の暴力は、どこの家庭でもおこなわれている」と認識し、家庭内での暴力を容認(正当化)せざるをえなかった人たちの中には、この問題を受け入れることは、自身の価値観(倫理観や道徳観)が覆されてしまうことから、心が抵抗し、拒絶(反発)する力が働いていることも少なくありません。』と述べていますが、「自身の体験(生育環境)から否応がなく暴力を容認せざるをえない人たち」の中には、配偶者から暴力被害を訴え、助けを求める数少ない対象である被害者の親が含まれます。
中でも、自身が配偶者からDV被害にあってきた母親が、助けを求めてきた娘に対し、暴力のある環境に留まるように背中を押し続ける、つまり、助けを求める足枷になるケースが数多く存在します。

-事例13(DV9、頼ることのできない実家1)-
私が、母に電話をして「暴力が原因で別れたい。」と話をすると、母は「大丈夫?」、「すぐ帰ってきなさい!」といわず、「離婚したら、子どもがかわいそうだ。」、「離婚したら、生活が大変になるよ。」と離婚に否定的で、思い留まらせようとしました。
しかも、電話の最後に、母は「お父(私の父親)さんに話すと、お前がちゃんと育てないから、わがままなことをいうんだと怒りだして大変なことになるから、このことは話さないからね。」と、自身に災いが向かないように念を押す始末でした。

-事例14(DV10、頼ることのできない実家2)-
私(H)が両親に、家庭内のことをすべてのことを話すと、母は「Hにも至らぬところがあるんじゃないの? パパ(夫)のいってることもわかるし。」と応えます。
私の話に、母は「そうそう。」、「わかる。」と応じていますが、それは、母が、私の苦しい胸の内に共感するものではなく、なぁなぁにことを流していれば、時間が解決するという考えだからです。
  私が「離婚」ということばを発すると、母は、違う話を切りだしてきて話をすり替えて、本題の話には、耳を傾けようとしません。
  父は「話し合いなさい。話し合うしかない。」と応じます。
私が「できない。」、「夫とは話し合いは成り立たない。」と訴えると、父は、「お前が成り立たすように会話を心がけないからじゃないか?!」、「お前の話の仕方が悪いんじゃないか?!」と非難し、“非”は女の私にあるとなってしまいます。
父の「とことん話するしかない」ということばには、自分の妻のように、女は、子どものために夫と一緒に暮らすのがあたり前で、子どもの母親は、多少の暴力沙汰は、我慢し、耐えるのがあたり前であるから、お前が夫を立てて謝り、許してもらって、家に帰りなさいという考えにもとづいているのがありありです。

-事例15(DV11、頼ることのできない実家3)-
 夫の暴力に耐え切れなくなり、子どもを連れて実家に帰りました。
  今回で3回目です。
  しかし、私は、実家の両親に、なにがあったのかなどのすべてを話すことはできませんでした。
実家に逃げ帰ってきたにもかかわらず、家庭裁判所に離婚(夫婦関係調整)調停を申立てない私を見て、母は「あんたに未練がある。いま離婚しても後悔するから、ズルズル別居するよりさっさと戻りなさい。」、「それで、やっぱりダメだと思ったら、吹っ切れるでしょ。」、「それでやり直せると思えば、それでいいし、…」といいました。
  母は「向こうの親もどういうつもりだろうね?!」と口にするものの、「あの子(夫)も、ああいう家庭で育って、かわいそうな子だわ。」と夫を気遣う話をしはじめて、結局、「まあ、子どももいるし、よく考えなさい。」といい、話を打ち切ってしまいます。
私が「でも、怖くて、帰れない。」と口にすると、母は、まるで離婚の決意を思い留まらせるかのように、「やれるだけのことはすべてやったの?」、「もうやるだけのことはすべてやったと思うなら、きっぱり離婚できる。」と同じ話を繰り返しました。
母にそう指摘されると、私は、料理や家事をもっと頑張ればよかったかもしれないと反省し、「まだ、やれることをすべてやっていない」と母のことばに背中を押されて、今回も、夫のもとに戻ってしまいました。

-事例16(DV12、頼ることのできない実家4)-
私(Y)が「夫に暴力をふるわれている。」と、初めて聞かされた母は「ビックリした。だって、Yは、まったくそんな素振りを見せていなかったじゃない。」と応じました。
その母を交えて、夫と3人で話し合うことになりました。
夫から一通り話を聞き終えた母は、私に「こうやって反省してるから、もう一度考えたら?」といってきました。
私が、母はなにをいっているんだろうと事態をのみ込めず、唖然としている一方で、夫は、母のことばを聞き、とても気分がよさそうに帰っていきました。
夫がひとりで帰ったあと、母は、「夫の異常性はわかるけど、でもだからといって、そんなすぐに離婚しろっていえないわよ。やっぱり親だから。」といいました。
私が「えっ、なにそれッ?!」と絶句していると、母は「死にたいでしょう? 毎日泣いてるでしょう? すごい不幸だと思うでしょう?」、「でも、楽しいこと考えて! 生きるしかないの!」といいました。
私は、「もっと我慢する?? 嘘でしょ。」、「ずっとがまんしてきたのに、死ぬまで我慢しろというの?」、「お母さんだって、あんなに苦しんできたじゃない。娘が同じようになってもいいの?」との思いが溢れてきました。
夫の味方と化した母を頼ることができないと思い知らされ、私は、絶望的になりました。

-事例17(DV13、頼ることのできない実家5)-
2人の子どもを連れ、私は実家に帰ってきました。
母が「ここに、子どもたちと住むん?」と訊いてきました。
すると、父が「無理して住まんでもいい!」と口を挟んできました。
  父母と1時間ほど話すと、お願いすれば、住まわせてもらえる?という感じになりました。
しかし、父には、たとえ暴力が原因であっても、私が夫になにも話さず、2人の子どもを連れて家をでてきたことを理解できないようでした。
その父が、突然、お前は、母親に育ててもらった覚えはない!といった。」と、私が、実家に帰ってくる数日前に話したことをぶり返してきました。
  両親は、ともに中学校の教師で忙しく、私は、ずっと寂しい思いをしてきました。
一方で、両親の期待に必死に応えようと頑張ってきた私は、中学校の一時期、不登校になりました。
大学に進学し、ひとり暮らしをはじめた私は、パニック障害を発症し、卒業することができず、実家に帰って就職していました。
私が「夫からの暴力に耐えられない、子どもを連れて帰っていいか?」と電話で連絡したとき、突然、これまで溜めてきた感情が爆発して、母に「ちゃんと愛情を貰えていなかった。ずっと認めて欲しかった。愛して欲しかった。」と泣きながら訴えてしまったのです。
  続けて、父は「そういう考えなのであれば、一緒に住むことは無理やろう。」、「俺たちが、愛情をもって育てていないっていうのなら、一緒にいても仕方がないじゃないか。そんなこと思いながら、どうやって一緒に暮らせる。」、「そういうことをいってしまったら、どうしようもない。子どもを育てるというのは長い時間をかけて育てていくことで、このときにこうやったから愛情を与えられて、このときにこう!っていうのではなく、そのとき、そのときではなく、長い時間をかけて育てていくものじゃないのか。」、「そういうことをいまになって親にいうこと、いうことではないだろう。そういう考えなら一緒に住めないやろう。」といいました。
  父にとっては、夫からの暴力に耐えきれず、2人の子どもを連れて帰ってきたことよりも、娘に、自分たちの子育てを否定されたことが許せなかったのだと思います。
 私は、実家に頼るのはもう無理だなと思いました。

-事例18(DV14、頼ることのできない実家6)-
私には、いま、高校1年生になる娘がいます。
そして、5年前に再婚した夫Zから暴力を受けています。
Zは、私の父と同じ教師で、父の教師仲間から紹介され結婚しました。
Zは、私を殴ったり、蹴ったり、物を投げつけたり、私がつくった料理を捨てたりします。
また、「死ね、バカ女!」「精神病」「サル」と侮蔑し、卑下するひどいことばで私を傷つけます。
夜になり、Zが帰ってくると思うと、動悸が激しくなり、大きな岩に押しつぶされてしまうように体が重くなります。
Zの帰宅後は、なるべく怒らせないように、なるべく接触しないようしています。常に、Zの顔色をうかがう時間は、神経がすり減ってしまいます。
  Zは、Zの父親が母親に暴力をふるうのを見て育ち、「母親が、父親に口ごたえをするから、殴られんだ。」といい、妻に暴力をふるうことが悪いことをしているという認識はありません。
気に入らないことがあると、Zは、家の鍵や車の鍵を隠す、子どもじみた嫌がらせをしてきます。
そして、Zは、私の気持ちは関係なく、性行為を強います。
Zは、「風俗はスポーツと一緒」といい、頻繁にソープランドに行きます。
  Zは金銭感覚がなく、お金がなくなると私の財布からお金を抜きとります。私が抵抗すると殴ります。
私は納得がいかず、家計簿を見せながらお金がない状況を説明すると、Zは「お前が働かないから、わが家は貧乏なんだ!」と非難します。
  私が、私の実家の母に、そのことを話すと、母は、「自分たちが、お金はある程度援助するから、Zにはお金をわたしなさい。」と応じました。
「Zは、いままで甘やかされて育ったので、もう変わらない。だから、あなたが気持ちを切り替えて、あなたが変わりなさい。」、「Zの暴行や暴力もがまんして、Zのしたいようにさせなさい。」、「昔の女性は、皆そうやって耐えてきたのよ。」と、泣きながら私の背中をさすり、説得を試みます。
そして、「この話は、心配させるといけないから、お父さん(母親の夫)には話さないでおくからね。」と、母の心に留めておくというかたちで、私が、Zから暴力をふるわれているという事実は封じ込められてしまいました。

-事例19(DV15、頼ることのできない実家7)-
  私は、27歳のときに結婚し、直ぐに、長女を授かりましたが、娘が3歳のときに離婚しました。
離婚原因は、Zからの暴力です。
そして、5年前、娘が小学校6年生11歳のとき、知人の紹介で、夫Zと再婚しました。
  そして、私は、再婚したZから、再び、暴力をふるわれて、頻繁にパニック発作をおこすようになり、精神科で処方された精神治療薬を飲んでいます。
治療を受けている医師に、「環境を変えた方がいい。」と助言されています。
しかし、私は、小学校高学年から高校生まで、父親から性的虐待を受けていました。
高校生のとき、父の弟(叔父)からホテルに連れ込まれ、レイプされたこともありました。
そして、離婚をして、一時、実家に身を寄せていたとき、父親から嫌らしいことばをいわれ、再び、体を求められていたことから、実家に帰ることはできません。
母は、私が性的虐待を受けていたことを知りません。
母は、何かあると直ぐに動揺してパニックになり、泣いたり、怒鳴ったりするので、父とのことを知られるわけにはいきません。
離婚後に就職した会社で、私は、職場の同僚からストーカー被害を受けました。
大学への進学を機に、家をでた私は、新入生歓迎コンパの帰りにレイプされました。
以降、男性が前から走ってきたり、うしろから速足で近づいてくる足音が聞こえたりすると怖くて、激しい動悸と震えに襲われます。
  そのこともあり、つきまとわれることは恐怖でした。
上司に相談すると、上司は「あなたが警察に通報すると、自分たちが減給になるからやめてくれ。」と応じました。
同僚の中には、「そんなこと関係ないよ。なにかあってからじゃ遅いんだから、早く警察へ行って、相談しなよ。」といってくれる人がいましたが、結局、社長から圧力をかけられ、泣き寝入りするしかありませんでした。
このことが原因で、半年ほど休職したあと、7年務めた会社を退職することになりました。
  このとき、母は、「あなたは、なぜ、いつも男性につきまとわれるの? あなた自身に、なにか問題があるんじゃないの?!」と、私に責任があるかのように非難したのです。
その母に、「Zから暴力をふるわれている」と相談しても、「あなたに問題があるんじゃないの?!」と非難されるに決まっています。
一時期、精神的に不安定になっていた娘は、「いまは、学校が楽しい。」、「去年、新築した家が気に入ってし、転校して、友だちと離れたくない。」、「私たちは悪くないのに、どうして家をでないといけないの?」といい、Zと離婚して、家をでることに反対です。
両親に頼ることもできず、なにをどうしていいのかわからず、考えると胸が苦しくなり、パニックになります。

事例13-19では、暴力に耐え切れず、実家に帰ったものの、実家の親から加害者の待つ家に帰るように促され、実家の親を頼ることができないことを思い知らされたりする現実が示されてします。
次の事例20-21で明らかな問題は、夫から暴力をふるわれている被害者の妻が、自身の親ではなく、DV加害者である夫の親にその窮状を訴えたり、問題を解決するための助言を受けようとしたりしているということです。

-事例20(DV16、相談してはいけない加害者側の家族1)-
私Sは、義母は、女性の視点で私たちのことを見てくれると感じ、これまで、いろいろと相談していました。
夫から苛烈な暴行を受け、マンションから飛びだしてきた私は、義母が、夫Tをうまく説得してくれるかもしれないと思いました。
そして私は、義母に電話をして、この2日間のことを話しました。
義母は、「Tと話をしてみる。」といい、電話を切りました。
しばらくすると、義母から着信があり、義母は「Tは、暴力なんてふるっていないといっていたわよ。」と告げました。
私は驚き、ことばを失いました。
それでも、私は、しばらく義母と話を続けました。
その間、夫が何度か義母に電話をかけてきたので、何度か話は中断しました。
その度に、義母は、私に夫のいい分を伝えました。
そして、義母が「Tは、Sさんに結婚を止めるか、戻って謝罪するかどうするか決めろといっているわよ。」と話しました。
私は、義母に「いま、決められない。」と伝えると、義母は「こっちに来なさい。話をしましょう。」といってくれたので、私は、義母の待つ夫の実家に向かいました。
  私が、夫の実家に着くと、義母は優しく迎えてくれました。
私はもう一度、この2日間のことを話しました。
義母は「どうしたらいいのかしら、…。」と一緒に考えてくれました。
私は、義母に「Tは小さいとき、暴力を受けたことなどあるのですか?」と訊くと、義母は「そういったことはなかった。」と応えました。
少し沈黙の時間が続いたあと、義母は「以前、つき合っていた女の子に、Tが、彼女の過去をしつこく聞いたことに、彼女が怒って、Tからの連絡を一切無視するようになったことがあったわ。そこで、Tは、彼女の家までお詫びに行ったのよ。」と過去のエピソードを話してくれました。
  私は、夫の異常な嫉妬深さは昔からなのだなと感じました。
そして、義母は「もしかしたらTは、精神的にストレスを抱えている可能性があるので、一度やんわりと心療内科を受診するようにいってみる。」といいました。
そういえば、入籍後、義母は、私に「Tはパニック障害かもしれない。」と話していたことを思いだしました。
  義母と「今後、Tが怒ったときにどうしたらいいか」などを話し合っているとき、私は、義母に「そういえば、昨日、Tが私の携帯電話を見ていました。」と伝えると、義母は「これ以上、Tを刺激してはいけない。」といい、今後、私と義母とのやり取りは、直ぐに消去することになりました。
  そして、Tに「洋服などを処分するようにといわれた」ことに対して、義母は「昔は嫁ぐときには、使っていたものや古いものは一切持って行かなかったものよ。Tのいうとおり、洋服等、すべて捨ててしまったら?」と応じ、続けて、「そうしたら、Tもなにもいわないだろうし…。Tに新しいのを買ってしまえばいいじゃない。」と話しました。
私も、夫の怒りを収めるためには、夫のいうとおりに従うことも有効かもしれないと思い、義母に「そうします。」と応じました。

-事例21(DV17、相談してはいけない加害者側の家族2)-
夫Rは、突然不機嫌になるので、私は、地雷がどこにあるのかビクビクしながら過ごしていました。
夫は、同じことをいっても怒るときと怒らないときがあるので、私にはその違いがわかりませんでした。
漠然と、夫のそのときの気分次第なんだろうと思っていました。
夫は、一度怒りだすと、なにをいっても「俺のいうことがおかしいのか!」、「拳のふりおろしどころを、どうしてくれる!」と迫ってきました。
夫は、なにをしたらよいとか、どこをどうしたらよいとか、具体的な話はなにもしないので、私はどうしたらいいか見当もつかず、途方にくれるしかありませんでした。
夫は一度そういった状態になると、私がどうのこうのではなく、夫の気がすむまで何時間でも怒鳴り続けました。
しかも、私が夫の意に反することを口にしてしまうと、さらにその状態が続いてしまいました。
私はただその状態を早く終わらせるために、夫のいうことに「そうだよね。」と同調するしかありませんでした。
なぜなら、結婚して間もない2年ほど前、夫の暴力に困り果てた私が、夫の姉に「夫がどうしようもなく怒鳴りだしたとき、どうしたらいいだろうか?」と相談したとき、義姉に「こうするのが一番いいよ。」とアドバイスされたからです。
義姉のアドバイスは、①男のプライドをつぶさないように気をつけ、②夫が怒りだしたらまず、夫以上に相手(できごと)のことをひどく罵ってみる、③ひたすら同意してみる、そして、④機嫌のよいときにうまく話をもっていくというものでした。
そして、義姉は、夫が、①昔、知り合いの家に腹を立てて怒鳴り込んだり、②中学生のころ、他の生徒に呼びだされたとき、バットを持って殴りに行ったりしたエピソードの数々を教えてくれました。
エピソードを聞き、夫が怒りでコントロール不能になったら、もっとひどい暴力を受けるかもしれないと思いました。
そして、夫のことがさらに怖くなりました。
以降、そうすることで、夫の気がすみ、その状態が一刻でも早く収まるならと思い、そうやって場をやり過ごしてきました。
  その義姉も、「Rは怒らせると、なにをするかわからないから」と怖れているみたいでした。
  最近知ったことは、これまで、義姉や義父母は「最低の男だね…信じられない。」といい、私のツラい思いをわかってくれるようなことばをかけてくれていましたが、実は、夫が実家に戻ってくることを嫌がっていて、面倒なのをひき受けてくれて助かった、ともかくそっちでうまくやって欲しいと思っているということでした。

なぜ、被害者である妻が、DV加害者である夫の親に窮状を訴えたり、問題を解決するための助言を求めなければならないのか、その背景には、被害者が、自分の親に窮状を訴えたり、助けを求めたりできないという事情があります。
それでも、交際相手や配偶者に暴力をふるう加害者のほとんどが、暴力のある家庭環境で育っているという事実を踏まえると、暴力の根本原因である加害者の親やその家族に、暴力被害を相談することは愚の骨頂なわけです。
  では、なぜ、被害者は、加害者の親やその家族に窮状を訴えたり、問題解決のアドバイスを求めたりするのでしょうか?
  それは、お互い、暴力のある家庭環境で順応するために身につけてきた考え方の癖(思考パターン、認知の歪み)が似通っているからです。
  似通った思考パターは、最初、窮状や痛みに共感し合います。
  窮状や痛みを「わかってもらえた」と解釈をした被害者は、加害者の親やその家族を信頼し、頼りにします。
そして、その助言に耳を傾け、実践します。
しかし、実践した助言や暴力をひどくしないための“術(すべ)”でしかありません。
  その助言は、夫の機嫌を損ねず、意に反しないように細心の注意を心がけなさいというものです。
この助言の背景には、妻は夫に従順でなければならず、絶対服従で尽くしなさいという価値観があります。
結果として、息子の嫁として、暴力を我慢し、耐えることを強いることになります。

  次の事例22は、事例20の母親や事例21の義姉が、息子や兄が暴力的なふるまいを及ぶ事実を認識し、たとえ表面的なものであっても、その窮状に思いを馳せてくれているのとは異なり、家庭内(夫婦内)での暴力を容認する考え方であることから、話がかみ合わなくなっています。

-事例22(DV18、相談してはいけない加害者側の家族3)-
私Mは、夫の話を聞いてもらいたいとの思いで、娘を連れて、夫の実家に行きました。
いい難いことでしたが、私は、夫の暴力のことを話しました。
  私が、「家であらゆることまで文句ばかり、私にひどいことばかりいいます。」、「優しいのはお母さんたちにだけで、私にはまったく優しさがありません。ぼろかすです。」と話すと、義父は「一人で育てていくんは、そら大変や。いっぱい話聞くけど、ほんまに所得も少ない。」と応じました。
続けて、私が「ただのケンカではなく、暴力をふるうんです。」と切りだすと、義父は「そうか。…」といい、その後、口を閉ざしました。
  すかさず義母が、話に割って入って、「そんなことないわ! 気にしすぎよ!」、「だって、M、Mっていつもいってるで。」、「これ、Mが好きやから持って帰るわといってるで。」といいました。
続けて、義母は「家建てて、借金したばっかりやから、わかってあげて!」、「お惣菜買ってきても、そのままだしたりしないとか。そんなので愛情は伝わる。」といいました。
  義父母は、息子がすまないことをしたと詫びることもなく、所得が少ないからとか、家を建てて借金したばかりとか、お惣菜でも盛り方で愛情は伝わるとか、話をすり替えてしまいました。
私は、馬鹿にされたと感じました。
  黙って義母の話を聞いていた義父が、「これだけはいわせてくれ。」と話を切りだしました。
義父は「実家にたまに帰ってもいいけど、息子が、会社から帰ってくるときには絶対に家にいてやってくれ! あれほど寂しいことはない。」といってきました。
私が度々実家に帰らなければならないのは、夫から渡される生活費が少なく、親が購入してくれた食材や子どもの服などを受けとりに行くからです。
夫から渡される生活費が少ないのは、夫が自由に使えるお金(こずかい)を10万円としているからです。
私が「夫がいったんですか?」と訊くと、義父は「いや、聞いてないけどわかる。」と応えました。
 義父母には、なにをいってもわかってもらえないと思いました。

 義父のいう「一人で育てていく」とは、離婚してひとりで子どもを育てていくことは大変だぞと、暴力を受けて大変だからと窮状を受け止めての発言ではなく、「息子ひとりの所得で、家族を養っていく」という意味です。
  つまり、義父は「稼ぎが少ないかもしれないが、家族を養っている息子(男)の大変さを理解し、我慢して生活して欲しい」ということ、さらに、「これだけはいわせてくれ」に続く義父の言動は、「妻は夫を敬い、立てなさい。それが、まだできていない」ということを伝えたいわけです。
  一方の義母は、「そうか。…」といい、口を閉ざした夫の間に割って入り、“うまくやる秘訣”を伝授する話にすり替えます。
  息子の妻が発した「暴力をふるう」ということばを、義母が「そんなことないわ! 気にしすぎよ!」と否定したのは、その場だけでなく、嫁が帰ったあと、夫(義父)が不機嫌になり、怒りを爆発させるなど、とばっちりを食うことを避けるために、義母は必死にとり繕う必要があったからです。
  ここには、義母にとって、息子の妻が訴える暴力行為を認め、息子の妻が訴える窮状を受けとめてしまうと、それは、夫(義父)の暴力行為を非難することにつながるという“真意”が絡んでいます。
  それは、自分(義母)を窮地に追い込むわけです。

  次の事例23-24は、もう暴力に耐えられないと家をでた被害者とDV加害者である夫の母親との会話です。

-事例23(DV19、相談してはいけない加害者側の家族4)-
(被害者と加害者の母親との会話①)**
** 以下、「婚姻破綻の原因は配偶者のDVにある」として、家庭裁判所に離婚(夫婦関係調整)調停を申立て、DVの証拠として、録音された音源とともに、文字起こししたものを証拠として提出したものです。
 そのため、文体は「である調」で記載します。

1 義母が『もうねぇ、気が気じゃないのよ、本当に』と話す。
2 私が「二人で話すと平行線になってしまうので、ちょっと無理なんです。彼の方としては、今年中に、本当は答を出したい感じ」と話すと、義母が『自分勝手をしていて、答もないじゃない。とにかく人の話を聞きなさいというの! そういう耳をもっていないの』と応じた。
3 私が「そうですね。本当に申し訳ないんですけど」といい難そうにしていると、義母が『いいの、遠慮なくいって。私の方はわかっているから』となげかけてくれたので、「いつもカッーとなると怒鳴ってばかりで、話そうとしても…」と口にすると、義母が『わかります』とあいづちをうつ。
4 私が続けて、「話すタイミングができなくて、話しても平行線になっちゃうし…。私が家をでたのは「勝手にでやがって」というんですね」と話すと、義母が私の話を遮り『でも、勝手にといっても、そうさせたのは誰?! 原因はなんなの!っていってあげればいい』と応じたので、私は「そういっても、ぜんぜんわかってくれない、なので…」と話しはじめると、義母が話を遮り『だから、もうねぇ、そういう性格が治ったら帰るわといえばいい。弱っぽいところをみせるとそこをついてくるですよね』といった。
5 意を決して、私が「前の奥さまはどうしたのかな、どうだったのかなと思って」と切りだすと、義母は『泊めてあげたことがあった。あんまり気の毒で。凄いんだよね。凄いのよね』と応えた。
6 私は「やっぱり」とかみしめるように口にしていると、義母がたたみかけるように『でもね、おやじがそうだったみたいなこというでしょ。そんなことないのよ。根元には愛情があるのよ。凄く怒鳴りますよ、ここのお父さんも怒鳴るわよ。怒鳴るというか怖いわよ。おおもとにはそういうのがあるのよ。だから、がまんもできたし』と暴力を正当化してしまうと、突然、話を切り替え『でね、ここのお母さんは本当によいお母さんだったの。ケンカしたことがないのよ、お母さんと。「お母さんと結婚したみたいね」といったことがある』と話した。
7 私が「なんか、おやじいやだいやだと怒鳴ってばかりいたと…」と口にすると、義母は話を遮り『いえいえ、そこばかりみているからよ! 誰のおかげで、車の運転ができるようになったと思って!』と声を荒げ、『月に、何週間に1回、事故を起こしていたの。いうと怒るからいわないでいいわよ…』(録音が切れる)

-事例24(DV20、相談してはいけない加害者側の家族5)-
(被害者と加害者の母親との会話②) )**
** 以下、「婚姻破綻の原因は配偶者のDVにある」として、家庭裁判所に離婚(夫婦関係調整)調停を申立て、DVの証拠として、録音された音源とともに、文字起こししたものを証拠として提出したものです。
 そのため、文体は「である調」で記載します。

1 義母が『あのほら、自分がちょっと多感なときにやられたじゃない』と話す。
2 私が「ことばだけじゃなく、でちゃったんですか?」と訊くと、義母は『うん、私だって年中ですよ。車屋さんがくるでしょ。「テメエのとこは」というでしょ…。パパがトイレに立ったとき「よくがまんできますね」って。「気持ちサービスしておきます」というと、「気持ちなんかいらねぇよ」』と話した。
3 「でも、大変」と私が呟くと、義母が『もう、E子さんの気持ちでいいですよ』と応じた。
4 私は「まだ、ことばでいうのは…、ちょっと怖いから」と話しだすと、義母が『そう目つきが怖い』と話を遮ったが、私は続けて「自分の母親の首に手をかけることは」と話すと、再び話を遮り『そういうことはいわないでよ、絶対に。殺されちゃうから。なに余計なこといったんだった!って』というと、突然、話を切り替え、『3回目のこともいってなかったんだって?』と訊いてきた。
5 私は「聞いています。忘れちゃったんですかね」と応えると、義母は『(聞きとれない)~のことだけでいいの』というので、私は「でも、それがあると、どんどんエスカレートして、自分が止められなくなると、手がでたら怖いと思って。ないとはいえないから、思っちゃう」と話した。
6 すると、義母が『私も知らなかったわよ、DVなんて』となげかけてきたので、私は「いまは、法が改正されて」と応じると、義母が『一緒に寝ているじゃない。同じ布団じゃないわよ。かかとでドンと叩くんですよ。ちょうど筋肉のあるじゃない? 1週間ぐらい痛い』と話してきた。私が「なんで? 寝てるときに?」と訊くと、義母は『わからない』と応じた。また突然、義母は話を切り替え、『で、昔はね、広かったでしょ。洗濯物に虫がいっぱいついたの』と話しはじめた。(録音が切れる)

  事例23-24は、事例22とは違い、義父は同席していない中での会話であることから、夫(義父)からの暴力もひどかったことを認めている一方で、息子の暴力とは違い、夫(義父)の暴力には「愛情があった」と夫からの暴力行為を正当化しています。
  そして、ここでも、事例22の義母と同様に、暴力の本質の部分になると、話題を避けるように、違う話にすり替えてしまっています。
  そのため、夫の暴力に耐え続けてきた義母と夫の暴力に耐え切れなくなった被害者との会話は、かみ合っていません。

(してはいけない! 当事者間、近親者を交えた話し合い)
DVが原因となる離婚事件は、親やきょうだいが間に入って話し合ったり、仲介に入ったりすることが、返って問題の解決を困難にしてしまうことが少なくありません。
したがって、家をでる(転居する)前後にかかわらず、「親やきょうだい、近親者を交えた話し合いは決しておこなわない」のが“原則”です。
被害者が、暴力(いき過ぎた教育、過干渉や過保護、厳しいしつけを含む)のある家庭環境で育っているときには、先の事例のように、相談をした母親が、暴力のある環境に順応する思考パターン(間違った考え方の癖)でしか考えられないことから、心配しているようなことばを使いながら、実は足をひっぱり、足枷をはめてしまうことが少なくありません。
母親は、母親にとっての絶対君主である夫(娘にとっては父親)が、暴力に耐えられないと家に帰ってきた娘のこと、娘の夫の実家のこと、そして、娘が離婚するという世間体のことをどう感じているのかに気を回し、同時に、自身に夫の苛立ちが向かないようにするために、「そろそろ向こうに帰って、謝りなさい。」、「夫婦のことなんだから、二人で話し合いなさい。」、「向こうの親御さんに顔向けができない。あなたは嫁に行ったのだからね。立場をわきまえなきゃダメよ!」と夫のもとに帰るように促されます。
それだけでなく、「黙って、夫のいうことに従っていればいい。」と加害者の暴力を容認し、正当化してしまうことをいわれ、実家に逃げ帰る道が閉ざされていくこともあります。
加えて、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントにトラブルを抱えているDV加害者は、自己と他の境界線があいまいなまま成長している、つまり、一人称しか獲得できていないので、相手の気持ちを思いやる、相手のことを考えるという共感性は持ち合わせていません。
そのため、あなたやあなたの家族が、どんなに「気持ちをわかって欲しい」と訴えたところで、夫の心に通じることは決してないのです。
「お願いですから、別れてください。」と訴えても、自分に原因があると認識することはないので、妻に原因がある、妻が心変わりをしたと解釈することになります。
その結果、「他に男ができたんだろう。でなければ、別れるなどといいだすわけがない!」と暴力がひどくなったり、事態が悪くなったりするわけです。
こうした思考回路でものごとを考えることから、親やきょうだい、友人が仲介に入ろうとすると、「あなた方が、妻を唆しているのでしょう」といいがかりをいってきます。
また、親きょうだいの“情け心”につけ込めると汲んでいるときには、「もう二度と暴力をふるったりしない」、「(いかに愚かなおこないをしたのかと)深く反省している」と必死に訴え、「子どものことを考えると辛くて、哀しくて仕方ありません」とうちひしがれている弱々しさを見せるなど、被害者の親やきょうだいの心を巧みに操り、「あんなに反省しているのだから、許してあげたら。」という誘導します。
DV加害者の中には、詐欺師*-29のように、弱々しい自分を見せることで周りから同情されるなど、人の心の隙に入り込み、困った状況を打開するための“術”を身につけていることが少なくありません。
つくりだすことに、自分がそのストーリーをコントロールできている(人の心を操る)ことに悦に浸ることができる人たちがいるのです。
こうしたことから、DVや虐待を原因とする離婚の場合、「当事者間、近親者を交えた話し合い、合意のもとで離婚する」という考え方は捨て去る必要があります。
*-29 「詐欺師」が、どのように人の心の隙を突くのかについては、「Ⅰ-8-(6)結婚詐欺師の言動・行動特性」などで詳しく説明しています。

③ 権力者にとって都合の悪いこと
 「婚姻破綻の原因はDVにある」とする夫婦関係調整(離婚)調停では、加害者が、自らの暴力行為の事実や婚姻破綻に至った責任を認めないことが少なくありません。
a)暴力行為の存在自体を認めなかったり、b)暴力の程度や頻度を矮小化し、また、暴力の影響を過小評価して存在自体を認めなかったりするだけでなく、c)「俺を怒らせた妻が悪い」、「あいつが挑発するから手をだしたんだ」、「女房を殴るのはしつけのうちじゃないか。どこが悪いんだ」、「あいつがいうことをきいてさえいれば、暴力をふるわなくてもすんだんだ」と、“一定の条件下”では、妻への暴力行為は許されるという考えにもとづき、暴力をふるった原因を加害者自身にとって都合のいいように合理化(正当化)しようと試みたり、d)逆に、「俺の方が、被害者だ」と妻を貶めようとしたりします。
自分の身を守るために嘘をつき、“暴力なんかふるっていない”といい張る場合と、そもそも自らの暴力行為の“どこが悪いんだ”と責任をまったく感じていないことが多いのです。
 残念ながら、事例1でなげかけたように、“一定の条件下”では暴力を容認する、つまり、夫から妻へのDV行為を正当化していまう社会的風潮も残っているのが現実です。
そのため、医療・福祉行政・司法の場においてもDV被害が理解され難く、時として、被害者が援助を得にくい状況がみられます。
幾つかの証拠から暴力があったことが明らかであっても、家庭裁判所での離婚調停において、暴力をふるわれた妻を「あなたにも非があったのでは?!」と非難し責めたり、事例22の義父のように、「辛抱しなさい」と離婚を思い留まらせる発言をしたりすることがあるのです。
こうした一定の意志決定力(権力)を持つ者(判断者・仲裁者)の頭の中に、このような構図がつくられていると、被害女性が必死に訴えることばは、“わがまま”“ヒステリー*-30”などと、女性を非難する特定のニュアンスで片づけられてしまうことになります。
ここに、社会の一部に潜む女性への差別構造を垣間見ることができます。
また、このような女性への差別構造は、子どもに対する性的虐待における“蘇った記憶”の問題にもあらわれます。
カウンセリングによって、過去に受けた性的虐待の被害体験が蘇ることが少なくありませんが、「そのような記憶は、カウンセリングにより“誘導的にひきだされた虚偽の記憶であることが多い」との見解さえまかり通ってきました。
子ども時代に受けた虐待の記憶の信頼性の高さが証明され、こうした見解は否定されているにもかかわらず、子どもが虐待を訴える現場では、いまだにこうした状況が生みだされています。
ここには、女性や子どもの発言を、「単に発言者が女性や子どもであるというだけの理由で信用できない」として封じ込めてしまう差別的心理が働いています。
*-30 「ヒステリー」は、本来「解離性障害」のことで、間違った意として使われています。

④ ことばによる暴力
  暴力を身体的な暴行に限定的に捉えてしまうと、その構造が見え難くなります。
しかも、そればかりか、深刻な結果が生じるまで暴力を防ぐことができなくなってしまいます。
「暴力とはなにか」を、a)被害を受けた人がどのような影響を受けるのか、b)暴力がどのような目的で行使されるのか、c)暴力が社会においてどのような機能を有しているのかという視点で捉えてみると、「暴力とは、相手の人間的尊厳を侵害するような強制力の行使」と捉えることができます。
  つまり、DV行為には、「交際相手や配偶者を自分の意に沿わせようとする、コントロールしようとする考えがベースにある」ことになります。
配偶者の人格を否定するような卑下したり、侮蔑したりする“ことば”は、ときに、身体的な暴行よりも影響が大きくなります。
対人関係において、相手をどう呼ぶかということは、とても大切です。
「お前」「おい」「テメー」にはじまり、「この役立たず」「クズだな」「淫乱」、さらには、文字にできないような相手を卑下することばは、配偶者の自尊心を著しく低下させます。
自分の存在そのものを尊重されない呼ばれ方は、“わたし”が何者かわからなくなるほどの深刻なダメージを与えるものです。
  また、「誰のおかげで食べられるかわかっているのか!」という表現は、配偶者に対する経済的優位を背景とした“支配意識”を明確に反映したものです。
たかが名前ではなく、名前は、人格そのものです。
こうした人格を貶めることばの暴力が常態化するDVの本質は、相手に対する“支配意識”にあります。
そこで、夫婦間でよく使われる3つの“呼称”について、触れておきたいと思います。
第1は、「主人」という呼称です。
「主人」に対応することばは、「僕(しもべ)・下僕」「従じる者」ということになります。
夫のことを主人と呼ぶ夫婦関係は、ことばの意味そのまま適用すると、「主たる者(支配する者)」と「従じる者(支配される者)」という関係を示すことになります。
つまり、夫婦の関係に主従、上下と立場を受け入れている、認めてしまっている言動ということになるのです。
夫のことを主人がといい、「私は夫の下僕です。」、「私は夫の僕(しもべ)です。」、「私は夫に絶対服従している者です。」といい表したり、自己紹介したりしないわけです。
第2は、「旦那」という呼称です。
「旦那」とはサンスクリット語の仏教語ダーナに由来し、“与える”“贈る”といった「ほどこし」「布施」を意味し、もともと僧侶に用いられてきたことばです。
その後、一般にも広がり、「パトロン」のように“生活の面倒をみる人”“お金をだしてくれる人”という意味として用いられるようになりました。
お妾や生活の面倒を見てくれる人のことを旦那様と呼び、奉公人が生活の面倒を見てくれる人、住み込みで仕事を与えてくれる人のことを旦那様、ご主人様と呼ぶようになっていったのです。
その妾や奉公人が使っていた呼称を、夫婦間の呼称として使っていることは、嫁という概念や妻という立場が、家庭の中、夫婦の間でそれ同等の解釈(扱い)のもとで成り立っていることを意味します。
  第3は、“支配意識”下での呼称とは趣が異なりますが、子どものいる夫婦で、夫のことを「パパ」、妻のことを「ママ」と呼ぶ呼称です。
  いうまでもなく、「パパ=父親」、「ママ=母親」は、子どもから見た、つまり、子どもが使用する呼称です。
この日本社会特有な現象は、日本の高いセックスレスの問題と関係していると思います。
なぜなら、実際は血のつながりはないとしても、「パパ」と呼ぶ男性、「ママ」と呼ぶ女性との性行為は、近親姦になることから、疑似的な性行為を避けていると考えられるからです。
 一方で、意図的に、「パパ」「ママ」と子どもという疑似的な関係性を演出し、性行為に及ぶ行為は、疑似的な近親姦を望んでいることから、パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)*-31が絡んできます。
*-31 「パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」については、「Ⅱ-21-パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)」で詳しく説明し、交際相手や配偶者との間での性暴力とパラフィリアの関係性については、「Ⅰ-6-(7)パラフィリア(性的倒錯・性嗜好障害)の夫による性暴力」で、事例を交えて説明しています。

⑤ 孤立させる暴力、無視する暴力
 “無視”という行為は、交際相手や配偶者への人格に対する積極的な攻撃です。
しかも、その行為は、「生きている価値がある人間として認めない」というメッセージを含んでいることから、そのダメージは深いものです。
かつて“村八分”として、その家族を追詰めていったことはよく知られていることです。
イジメとして学校で、職場でおこなわれる“無視・シカト”は、最後は死に至らせることもあるほどのダメージを与えるものです。
“無視・シカト”という行為が、なぜ、死に至らせるほどのダメージを与えるかについて、「無反応」と「反応」という相対性で説明したいと思います。
「反応」には、a)「ほめる」などのその人の存在を肯定する言動やふるまいとb)暴力的な言動やふるまいで傷つけるなど、その人の存在そのものを否定する(認めない、受け入れない)言動やふるまいがあります。
「無反応」は、a)にもb)にも含まれない、つまり、存在そのものが存在しない者として扱われることです。
社会・コミュニティ、家族という関係性で生きる人にとって、存在しない者として扱われる「無反応」状態は、“精神(存在)の死”を示していることから、人は、本能的に、a)あるいは、b)の反応を求めることになります。
つまり、社会・コニュニティ、家族の中で、既に「無反応」状態にあるとき、a)の反応は望むことができないことから、敢えて、b)の暴力的な反応を求めた言動やふるまいに及びます。
しかし、b)の暴力的な反応さえも得られない状態が「無反応」、つまり、「無視・シカト」という状態です。
つまり、誰からも反応されない、つまり、「無視・シカト」される自分は、この世(社会・コミュニティ、家族)に存在しない存在であることを思い知らされ、そして、絶望します。
絶望は、死と直結します。
なぜなら、「存在しない存在である=死の状態である」からです。
子どもへの虐待において、無視による悪影響は、死に直結するものですが、成人もまた“無視される”ということは、死に結びつきやすいことから、軽視してはならないものです。

⑥ 家族における性暴力の構造
  女性は結婚を拒否できますし、交際相手や配偶者の性行為の欲求に対しても拒絶する権利を有しています。
しかし、「セックスの強要とセックスの拒否に対する暴力」、「暴力に対する和解の強要としてのセックス」があとを絶つことはありません。

-事例25(DV21・性暴力1)-
(性暴力、和解による性行為の強要)
  夫Sは、交際直後から口論後には、仲直りの儀式として、私にオーラルセックスで、Sを満足させることを強いてきました。
  屈辱的で、情けない思いになりますが、Sが不機嫌にさせたり、怒らせたりして、殴られて痛い思いとするなら、口で射精させるまでの一時をがまんすればいいといいきかせてきました*1。
*1 不機嫌になったり、機嫌を損ねたり、嫌われたり、別れを告げられたりすることを“避ける(回避する)”ふるまいには、相手の意に添うために自ら率先しておこなうという「暴力のある環境に順応した考え方の癖(認知の歪み)」にもとづく思考・行動パターンが存在しています。
  問題は、相手の意に添うために、その行為を自ら率先しておこなっていることから、自ら望んでいると認識し、無理強いされていると認識できていない、つまり、性暴力被害にあっていると認識できていないということです。
暴力のある環境に順応した考え方の癖(認知の歪み)にもとづく慢性反復的な(常態化した)ふるまいが、さらなる“認知の歪み”を生んでしまっていることから、そのダメージは、より深く刻まれていることになります。


ここには、女性がセックスに同意するかどうかにかかわらず、就寝していても、病気で寝込んでいても、疲労困憊であっても、夫の当然の権利・義務としてセックスを強要する男性がとても多いという事実があります。
要求を拒めば、怒鳴ったり、不機嫌になったりして暴力をふるい、無理やりセックスを強要することになります。
夫婦間で、性暴力被害を受けた女性は、他のあらゆる形態の暴力も多く経験するなど、問題は根深くなります。
  DVという本質が、男性の力(パワー)による女性に対する支配であるという点で、「強姦・レイプ」という名の性暴力は、その本質は共通のものです。
婚姻や親密な結びつきは、愛情と支配の二面性を持っています。
レイプの実態からみた核心は、暗い夜道で見知らぬ暴漢にいきなり襲われるというものではなく、親密な関係にある男性から女性に対する支配であるということが解明されています。
  配偶者からの強姦やその他のDVは、二者間の支配関係が他者から監視されたり、咎められたりすることなく、直接的に影響する夫婦間だからこそ生じるものです。
これらのふるまいは、被害女性の人間としての尊厳を侵害する暴力以外のなにものでもありません。
にもかかわらず、日本の古典的な刑法の立場には、性暴力を暴力ではなく、「性行為のカテゴリー」の下の「性犯罪のカテゴリー」として捉えてしまっています。
「いわゆる正常でない性行為を処罰の対象とし、夫婦間での性行為は正常なものゆえに処罰されない」というトリックが持ち込まれているのです。
性行為という枠組みで捉えることによって、その暴力性をはぐらかし、夫婦間の強姦の問題性を見え難くしてしまっているのです。

(「レイプ神話」という間違った考え)
「レイプ神話」は、「家族における性暴力」が容認される背景にもなっています。
女性は結婚を拒否できますし、夫(交際相手)の性行為の欲求に対しても拒絶する権利を有しています。
しかし、「セックスの強要とセックスの拒否に対する暴力」、「暴力に対する和解の強要としてのセックス」があとを絶たないのが現実です。
女性がセックスに同意するかどうかにかかわらず、就寝していても、病気で寝込んでいても、疲労困憊であっても、子どもが側にいても、当然の権利・義務として、セックスを強要する男性が後を絶たないのです。
要求を拒めば、夫は怒鳴ったり不機嫌になったりして暴力をふるい、無理やりセックスを強要します。
性暴力の被害を受けた女性は、他のあらゆる形態の暴力も多く経験するなど、問題は根深いものです。
男性の力による女性に対する支配であるという点で、強姦・レイプという性暴力は、本質はDVに共通するものです。
婚姻や親密な結びつきは、愛情と支配の二面性を持っています。
レイプの実態からみた核心は、暗い夜道で見知らぬ暴漢にいきなり襲われるというものではなく、親密な関係にある男性から女性に対する支配ということです。
そして、こうした「家族における性暴力の構造」は、交際相手との間、夫婦間だけの問題ではなく、親子間においてもあてはまるものです。
交際相手や夫からのレイプ、その他のDV、そして、親子間など近親者からのレイプは、二者間の支配関係が他者から監視されたり、咎められたりすることなく直接的に影響する夫婦間、親子間、近親者間だからこそ生じるものです。
レイプなどの性暴力は、被害を受けた女性の人間としての尊厳を侵害する以外のなにものでもない卑劣な行為です。
にもかかわらず、日本の古典的な刑法の立場には、性暴力を暴力ではなく、「性行為のカテゴリー」の下の「性犯罪のカテゴリー」として捉えてしまっているのです。
「いわゆる正常でない性行為を処罰の対象とし、夫婦間での性行為は正常なものゆえに処罰されない」というトリックがあります。
性行為という枠組みで捉えることによって、その暴力性をはぐらかし、夫婦間のレイプの問題性を見えにくくしてしまっているのです。
親子間、近親者との間におけるレイプについては、よりその問題性は見えにくくなります。
ブラウンミラーは、「強姦とは、あらゆる男性があらゆる女性を恐怖の状態にとどめ置くための意識的な威嚇の過程である」と定義しています。
そして、多くの研究からレイプの発生には、a)加害者によるレイプ神話(迷信)の信仰、b)加害者の支配意識、c)女性に対する敵意などが関係していることが明らかになっています。
次にあげるレイプ神話は、結果としてレイプを合理化することにつながる誤った信念であり、態度であることを理解しておかなければなりません。
ア) 性的欲求不満..男性は女性に比べはるかに強くまた抑えがたい性的欲望を持っている。だから、強姦はやむをえないことである
イ) 衝動行為..強姦は一時の欲情によるものだから厳しくとがめられるべきではない
ウ) 女性の性的挑発..女性の性的魅力に圧倒されて強姦に走った。だから、女性の性的挑発も原因の一部である
エ) 暴力的性の容認..女性は男性から暴力的に扱われることで、性的満足を得るものである
オ) 女性の被強姦願望..女性は無意識のうちに、強姦されることを願望している。本当に嫌いだったら最後まで抵抗できるはずである
カ) 女性のスキ..行動や服装に乱れたところがあり、自ら強姦される危険をつくりだしている女性は被害にあっても仕方がない。被害を受けた人に責任、“落ち度、軽率、挑発”がある
キ) 捏造..強姦事件の中には、女性が都合の悪いことを隠したり、男性に恨みをはらしたりするために捏造したものが多い
  このようなレイプへの迷信は同時に、被害女性は軽率であり、素行が悪いという偏見を生みだし、被害女性が、不合理にも自分を責めてしまう要因になっています。
その自責感は、世間の目という権力に迎合せざるをやむなくさせます。
それは、被害女性の人権を傷つけ、精神的治療の妨げになるものです。
それだけでなく、加害者には自分の行為の責任を回避する便法として使われてしまいます。
それはやむをえないことと、社会が加害者に寛容になり、レイプがおこなわれやすい社会的雰囲気さえもつくりだしてしまうものです。
レイプとストーキング(ストーカー行為)、DVの本質が同じであることから、こういった神話の存在を容認し、加害者に寛容となる社会的雰囲気をもつりだしてしまうことは、児童虐待やDVにもあてはまるものです。
加害者は、被害を受けた女性が、身体と意識のコントロールを奪われ、ときにはそのショックによるPTSDにより長期間苦しみ、心理的ケア・援助などを要するということについて、無知で、鈍感で、無責任です。
 強姦加害者のタイプについて、少し補足しておきたいと思います。
そのタイプは、ⅰ)パワー型、ⅱ)怒りによる報復型、ⅲ)サディスト型の3つに分類されます。
ⅰ)のパワー型はもっとも多く、夫から妻に対するレイプです。
これは、誰が主人かを示すもの、ケンカのあとのセックスのように相手を狼狽(不意のできごとに、あわててうろたえる)させないために強いるもの、対立のあとに妻を再所有するためなど、妻を支配するために用いられます。
印象操作、強制、自尊心の維持をベースにしている状況下では、その目的が非常にはっきりしています。
加害者は、性的満足よりも女性に対する支配欲や征服欲を満足させ、それを通じて自分の男らしさを顕示するために女性を暴力的に屈服させようとするのです。
ⅱ)の怒りによる報復型は、女性(母親を投影する存在として)に対する敵意が根底にあります。
そのため、激しい怒りと言語的虐待と性交目的以外にもさまざまな暴力を伴うことが多くなります。
「母親のおこないを女性に投影する」というのは、「危ないから、~をしてはいけない」、「いうことをきいて、~をしなさい」などと、否定と禁止のことばで子どもを支配する(縛りつける)過干渉・過保護だった母親、DVをふるい、子どもに手をあげる父親にいうなりの母親に対すて抱いていた激しい怒りを、母親と同じ女性に向けるという意味です。
ⅲ)のサディスト型は、性的攻撃的空想をベースとする病的な残虐性があり、重度の外傷や殺害の危険性を有するものです。
その原因は、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっているということです。

⑦ 配慮、尊重、責任、理解(知)と暴力
  では、DV加害者となる交際相手や配偶者は、本来対等であるはずの夫婦の関係、愛しているはずの妻に対して“徹底して非情”になることができるのでしょうか?
  ドイツ出身の精神分析学で心理学者のエーリッヒ・フロムは、「愛するということ(1956年)」の中で、人を愛するのに必要な能動的性質として、「配慮」「尊重」「責任」「理解(知)」の4つをあげています。
  最初の「配慮」とは、相手の気持ちや立場を考えること、つまり、他人に対する気遣いのことで、人間関係を成り立たせるためには欠かせないものです。
有効な対人関係を築くには、相手がなにをすれば喜んでくれるのかとか、なにをすれば嫌がられるのかを配慮することが不可欠です。
しかし、自己愛が強すぎるDV加害者は、人の気持ちに思いを馳せることができません。
優しく感じたり、気遣っていたりするように見えるDV加害者のおこないは、優しくされ、気遣われていい気分になっている相手の姿や言動に対し、自らの影響力に酔いしれているに過ぎないのです。
つまり、自分が満足を得る(承認欲求を満たす)ためのふるまいでしかないということです。
次に、「尊重」とは、“お互い”に相手の気持ちや意志を大切にし、相手もひとりの人間であり、自分と平等に価値のある大切な存在であると認めることです。
お互いに配慮し合い、お互いを敬い、お互いを慈しむ気持ちがあれば、気持ちのいき違いや多少の対立があったとしても、それを乗り超えることができます。
しかし、「お互いを尊重する」という考えは、詮索・干渉し、束縛し、意に反するふるまいを決して許さないDV加害者が求める夫婦の関係性には存在しません。
三番目の「責任」は、お互いに支え合うために、前もって心構えをしておき、相手の求めに応じておこなう姿勢そのものを指します。
お互いに困ったときには助け合う、つまり、親子や夫婦の間での「扶助義務」という考えは、この責任という行為にもとづくものです。
自分のおこないだけを正当化し、他人に責任を押しつけ、非を逃れることしか考えないDV加害者は、責任を果たさなければならないとか、約束を守らなければならないという概念を持ち合わせていません。
  最後の「理解(知)」は、相手を理解するということだけではなく、相手を知ることによって自分自身を知るという意味を含んでいます。
「他人は自分を映す鏡」ということばがありますが、向かい合った人の瞳には、必ず自分の姿が映っています。
人は、自分のことをわかっているように思っていても、実は、まるでわかっていないということが少なくないのです。
私たちは他人とのかかわりの中で、はじめて自分自身のことが見えてきたり、気づかされたりすることがあります。
人は、他人の仕草や表情、ふるまいを通して、その根拠を探ろうとします。
そして、それを自分自身に投影することで、自分の欠点や長所を知る手がかりにします。
しかし、自己と他の境界線があいまいな(分離ができていない)DV加害者は、自分の描いている理想の世界観、夫婦観と異なる概念、そして、意に反するふるまいを受け入れることができないのです。
つまり、アタッチメントの獲得に問題を抱えるDV加害者は、自分のふるまいはどこも悪くない、悪いのは相手(社会)であるとしか認識していません。
したがって、他人のふるまいを見て、我がふるまいを考えたり、直そうしたりする必要があることを認識することができないのです。
  このように、DV加害者は、人を愛するのに必要な能動的性質として、フロムが述べている「配慮」「尊重」「責任」「理解(知)」の4つすべてを持ち合わせていないのです。
その原因は、暴力のある家庭環境では、父親と母親の関係性、両親と自分(子ども)の関係性に「配慮」「尊重」「責任」「理解(知)」を見いだせることができないからです。
その結果、思考・行動習慣として獲得する(身につける)ことができないのです。
つまり、脳の発達する時期にどのような家庭環境で育ったのかという“認知”の問題が根底あるということです。
上下、支配と従属の関係性を成り立たたせてきた家庭環境で育っていることは、上下、支配と従属の関係性でしか、人とかかることができない、つまり、支配(束縛)することでしか愛することができないことを意味しています。
  したがって、こうした「配慮」「尊重」「責任」「理解(知)」と獲得できていない人たちの行動特性、つまり、DV加害者が、夫婦間など、人とどうかかわるかといった言動や行動パターンは似通ったものになるのです。
  昨今、凄惨なストーカー事件が繰り返し発生していることから、加害者に対してのアプローチ(加害者更生プログラムの実施など)のあり方*-32が注目されていますが、それは、人とどうかかわるかといった認知(考え方の癖)に対しておこなわれるものです。
つまり、夫に認知(考え方の癖)にもとづく共通する言動・行動パターンが認められるときには、DV加害者と似通った特性を持ち合わせていることが示されることになります。
そこで、調停や裁判において立証の難しいとされる「ことばの暴力(精神的暴力)」や「性的暴力」であっても、加害者の言動・行動パターンを分析し、検証することで、夫婦間に上下、支配と従属の関係性が構築されていたことを示すことができます。
それは、夫婦間にDVがあったことが裏づけられる、つまり、DVを立証できることを意味します。
*-32 「DV加害者に対してのアプローチ(DV加害者更生プログラムの実施など)のあり方」については、「Ⅳ-33.DV加害者プログラム。「ケアリングダッド」を実施するうえでの原則」で詳しく説明し、加害行為に及ぶ者のすべてに対し「加害者更生プログラム」が有効であり、暴力行為の改善が見込めるかについては、「Ⅰ-10-(9)危険な「きっと、加害者更生プログラムで変わってくれる」との考え」で詳しく説明しています。


(3) 6つのケースで、DV問題を考える
① 出会い直後にはじまったつきまとい。結婚して本性があらわに

-事例26(DV22)-
 歯科技工士として働く私(A。35歳)は、離婚し、ひとり娘は実家に預け、クリニックで働いていました。
会社員のN(37歳)とコミュニティ(出会い系)サイトで知り合い、結婚を前提に同棲をはじめました。
しかし、Nには妻がいて、Nの暴力で実家に逃げ、離婚調停中であることをあとになって知ることになりました。
  当初、Nは、電話で優しい口調で誘ってきていましたが、しだいに誘いが強引で執拗になっていきました。
しばらくすると、携帯電話が30分に1回くらいの頻度で着信音が鳴るようになりました。
仕事ができないのでたまらずに電源を切ると、Nは職場にまで電話をかけてきて、「どうして電話にでないのか!」、「どうして誘いに応じないのか!」と怒鳴りつけるようになりました。
夕方になると、Nは、私が勤務するクリニックの駐車場で何時間も待ち、退勤後の私を尾行しました*4。
私は住まいがわかってしまうので、もうこれ以上避けきれないと思いました。
そして、私は、会ってどんな男性なのか確かめようと思ってしまい、食事の誘いに応じ、つき合いがはじまりました。
  Nは、普段はおとなしいものの、話していて、なにかのひとことが気に入らないとすぐにキレて、私を怒鳴りつけ、殴りました。
Nの「Aと結婚したい。」ということばを信じて、私は、交際1ヶ月でNの部屋で同棲をはじめることになりました。
私は、Nの監視グセ、電話魔的なことが気にかかっていましたが、結婚したら、詮索も治るだろうと思っていました。
Nは、交際中、私の前で酒を飲むことはありませんでしたが、実は酒乱でした。
私は、内心“騙された”と悔やみましたが、別れを切りだす勇気がありませんでした。
そして、私は、Nから凄まじい身体的な暴行を受けるようになりました。
Nは、酒を飲みはじめると形相が変わりました。ちょっとしたひとことが気に入らないと顔面蒼白になり、爆発的に怒り、怒鳴りつけました。
私が怖くて黙っていると、「なにが気に入らなくて黙っている!」と更に怒鳴りつけました。
その怒り方は、いままでに体験したことのない凄まじいもので、私は一方的に殴られました。
しかも、「お前が、前夫と離婚してからの男性遍歴を話せ!」と告白を迫られ、交際した男性の話をしていると逆上し、髪の毛をひきちぎられ、殴られ、蹴られるといった狂気のような暴行を受けました。
Nに職場の話や男性の顧客の話をすると、「その技工士が好きなのか!」とか、「その客と昼時間遊んでいるんだろう!」と執拗に詮索しました。
Nは、私が出勤しているかどうか確認の電話を入れ、退社後には私の勤務するクリニックにきて、「いつもお世話になります。妻は何時に帰りましたか?」と毎日退勤時間も確認していました。
  私は、Nから日常的に殴られ、体中アザだらけで生傷が絶えなくなっていきました。
まさに、生き地獄のような日々でした。
Nは、私が逃げるような素振りを感じとると「お前の娘が年頃になったら必ず襲ってやる。」と脅しました。
子どもを人質にされているようで、逃げる気持ちも失せて、無力感にさいなまれました。
私が逃げても、実家に預けている娘や父母が殺されると思うようになっていきました。
そして、私は、私が殺されるか、Nを殺してしまうか、ぎりぎりのところへ追いつめられていきました。
そのNは、狂人のように暴行し、暴言を繰り返しても、そのあと「俺を一人にしないでくれ。」と、別人のように泣いて詫びました。
本当に同じ人なの?と、その落差が信じられず、最初は、「心が弱いだけ、ほんとうはやさしい人」と暴行を受けても許せる気持ちがありました。
しかし、いまでは「この男の人格は絶対に治らない」と確信しています。もうこの生活から抜けだしたいと思っています。

② 暴力の連鎖。DVを繰り返す息子をかばう義母からの暴言
-事例27(DV23)-
  夫Pは車の走行中ウインカーを故意に点灯しないで急ハンドルを切って、右折や左折をします。
また、なにか気に入らないことがあると突然猛スピードをだし、信号無視など無謀運転を何度も繰り返えすなど自制心がなくなります。
  家でも、レストランでも止めなければきりがないほどの暴飲暴食をします。
Pに、私が生活上の悩みを相談すると、一切無視し、逆に持論の主張を延々と述べました。
私が同調しないと、Pは突然激高し「素直に聞いていない。返事がない。」と明け方まで説教を続けます。
Pは、自分は“偉い”という自意識が過剰で、常に私を見下していました。
私が残業で疲れて帰宅しても、まったく家事を手伝うことはありませんでした。
Pは、不機嫌な態度で、酒を飲みながらテレビを見て夕食を待ち続けているだけです。
  一方的に非難され続けたとき、私は電話で泣きながら義母に相談しました。
すると、義母は、私の考えをまったく無視し、Pの言動を正当化しました。
また、Pの実家に行くと、息子自慢を何度も繰り返すので、私がうんざりして相槌を打たないと母子で怒りをあらわにしました。
義母は、私に挨拶の仕方、服装、口紅の色などに口うるさく干渉しました。
  結婚して1年2年と経過すると、Pの自己中心的な冷酷さ、陰険で執念深さを思い知らされてきました。
Pは理屈屋で、怒りっぽく、私の失言や家事のこと、義母との会話の些細なことに揚げ足をとって怒りました。
しかも、同じ内容を執拗に繰り返します。
感情が不安定で、イライラ感が強く、些細なことでも爆発的な怒り方をしました。
そして、母親に対する依存心が強く、なんでも母に報告していました。
自立できないのに自尊心ばかりが高く、露骨に私と実家を見下した態度をとりました。
Pの横暴がひどすぎるので、Pの伯父に相談しました。
そのことが義母に伝わり、「余計なこというな!」と電話口に怒鳴られました。
私の考えを口にすると、義母は「お前は、何時からそのような口をきくようになったのか?!」とヒステリックに怒鳴り、一方的に電話を切りました。
  Pに殴られ、泣きながら私の実家に電話をしました。
するとPは、電話線をひき抜き、電話機を隠し、私に襲いかかって首を絞めました。手足にアザができるほど部屋中をひきずり回れました。
首や頭、体を押さえつけられるような暴行はたびたび受けてきました。
私が殴られて、泣き叫ぶと、台所へひきずっていきガスの元栓を開き、私が恐怖で静かになるまでガスを放出しました。
凍てつく冬の夜中、部屋からひきずりだされ、正座をさせられ「今後俺に絶対服従するか!」と迫られたり、「実家に帰れ!」と怒鳴られたり、3時間にわたって責められ続けたこともありました。
  Pから繰り返し暴力を受けているうちに、私は「私には性格的に強い面があるからPを怒らせてしまっている」と考えるようになっていきました。
私は、ある夜の話合いでPに謝罪し、「これからも結婚生活を継続させてほしい。」とお願いすると、「では、今晩のうちに俺の両親のところへ行って、「これから一生あなた方のお世話をさせて下さい」と頼むこと」、「両親と和解できたら、ただちに両親と同居すること」、「しかしそうなっても、俺はお前に愛情はまったくないから、家のため奴隷のように働いて、親戚一同に認められなければならない」と条件を突きつけてきました。
到底、私は受け入れることはできず、態度を保留しました。
そして、私は、私の実家に帰り、別居生活をはじめました。
  私がPと義父母に恭順し、離婚を避けるかどうかを迷い、Pに「とにかくこのような(別居)になったことをお互いの両親に謝ろう。」となげかけると、「冗談じゃねえ! お前と両親が俺と親のところに頭を下げにくるべきだ。俺はもう自分の親が一番大事で、お前に愛情のかけらもない。」、「お前は、俺が一生を台なしにする価値もない。そばにいるだけで身の毛もよだつ。」、“長男なのに、親戚や近所に取り返しのつかないことをした。早く離婚しろ”と親も離婚を促しているんだ!」と、離婚しかありえない態度でした。
Pは、別居中の私を再三呼びだし、離婚届の用紙に記入署名・押印して私に投げつけ、傲慢な態度で「何度お前が破り捨てても、また持ってくるからな!」と冷笑していい、帰っていきました。
私は、確かに、冷酷なPに恐怖を抱いています。
しかし私は、理不尽なPの離婚請求に同意することはできませんでした。

  事例27は、コニュニティ(出会い系)で知り合った男性につきまとわれるストーカー被害にあい、このままでは家がわかってしまう怖れを抱く一方で、どのような男性なのかに興味を抱き食事の誘いに応じたことから、交際に至り、同棲後、デートDV被害を受けることになったケースです。
  こうしたケースは、次節「Ⅰ-7-(2)デートDVから結婚に至る経緯」でとりあげている「事例111-114(分析研究7-10)」のように、多くのDV事件に携わっていると、交際前に、つきまとわれるなどのストーカー行為に恐怖を抱いていながらも、なにかのきっかけで、相手に抱いていた違和感や不信感、恐怖心が、一転して、一緒にいると楽しいと“好意”を感じたり、頼りになると“信頼”を寄せたりするようになり、その後、交際に至り、同居や結婚を機に、凄惨なDV被害を受けるケースは少なくないことに気づきます。
 また、同居の有無にかかわらず、交際時にデートDV被害にあいながら、「結婚したら変わってくれる」、「子どもができたらきっとかわってくれる」と“根拠のない期待感”を持ち込んで、結婚に至るケースも少なくないわけです。
この“根拠のない期待感”は、暴力から逃げることができない(関係を断ち切ることができない)現状を肯定する(正当化する)ための“問題のすり替え”の意図があります。
“根拠のない期待感”、つまり、“願望(願い)”による「問題のすり替え」は、自分が傷つかないための理由探しであり、理由づくりの役割を果たします。
ここには、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」でとりあげている「事例116-117(分析研究11-12)」で詳細に説明しているとおり、“恋愛幻想”など交際特有の問題に加え、被害者の“生い立ちに共感”するという心の問題が存在しています。
また、暴力が繰り返されている状況下での暴力行為のあとに「泣いて詫びる」行為には、被害者に対して「申し訳ないことをした」という思い(感情)を伴った謝罪という意図はなく、被害者が愛想をつかして別れを告げたり、暴力が怖くて逃げだしたりする加害者にとって困った状況を打開するための“術”としてのことばに過ぎません。
「泣いて詫びれば、許してもらえる(誤った行為はなかったことにしてもらえる)」という“成功体験”にもとづく、思考・行動特性でしかないのです。
次の事例28は、夫Pの暴力を容認する考え方の癖(認知の歪み)の背景には、Pの絶対服従を誓わせる言動、義母の言動や詮索干渉のふるまいから、成育歴(生い立ち、どのような家庭環境で育ってきたのか)がかかわっていることが明らかになっているケースです。
この「手引き」では、加害行為に及ぶ者の成育歴、つまり、生い立ち、どのような家庭環境で育ってきたのかを知ることの重要性を問うていますが、その切り口で見ると、同じ行為であっても、違う結果(態度や言動)を導くことに気づくことができるという例を見ていただきたいと思います。

-事例28(DV24)-
  夫は、私と普通に楽しく喋って、笑っていたかと思うと、急に態度が豹変し、人格が変わったように怒りだします。
なにがきっかけで、夫が怒りを爆発させるのか、私にはずっとわかりませんでした。
“ため息”がでたとき、夫の人格が変わる瞬間だとわかりました。
態度が豹変したときの夫は、まったく別人のように、顔色が曇り、目つきが変わり、ふてぶてしい顔つきになります。
  一方で、夫が、自分の父母(両親)といるときにでる“ため息”のあとは、私に見せるふてぶてしい顔つきとは違い、気だるい感じになります。
夫は、自分の両親と皆で会うことになると、体調の不調を訴えます。
また、私や子どもたちとの会話で、夫の両親の話がでると、夫は息遣いが荒くなり、様子が一転します。
よく殴り、厳しかった両親のことを、夫は、異常なくらい褒め称えます。
両親の誕生日、父の日、母の日には、必ずプレゼントを用意して食事をともにします。
  帰宅すると、夫は、「疲れた。」といい、早く床につきます。

③ たとえ一度の暴力でも、その後、心が凍るほどの恐怖に支配される
-事例29(DV25)-
 私(Y。26歳)は、自宅を兼用した理容店を自営している夫W(34歳)と、妊娠を機に22歳で結婚しました。
一日中、立ち通しの仕事に加え、なれない家事も重なり、体調を崩し寝込んでしまいました。
お腹は張るし、足もむくんで、どうにも立っていれなくなりました。
朝、Wに「今日だけは休んでいい?」と訊くと、「まあしょうがない。いいよ。」と応じてもらえました。
Wのことばに、私は安心して夕方までぐっすり寝ていると、突然、“ガツン”とこめかみあたりに衝撃が走りました。
驚いて目を開けると、枕元に物凄い形相をしたWが仁王立ちしていていました。
私は、なにがおきたのかわかりませんでした。
ただならぬ事態にあわてて立ちあがると、Wに襟首をつかまれ、頭をグルグルと揺すりながら、顔や頭に拳が飛んできました。
  私は、なにがどうなっているのかわからず、ただ怖くて、這いずりながら逃げようとすると、「俺がこんなに働いているのに、のんきに寝てんじゃねぇよ!」、「ろくに働きもいないで!」と罵りながら、お腹に子どもがいるのに背中や足を蹴りつけ、踏みつけてきました。
私は、なんとかWの気持ちを収めようと、「ごめんなさい。これからは絶対に休まないから。」とお願いすると、Wは「土下座して約束しろ!」といい放ちました。
私はただ怖くて、土下座し、頭を畳にこすりつけながら「二度とお店を休みません。一生懸命働きます」と約束しました。

  事例29のYさんが、Wから殴る、蹴るといった身体的暴力を受けたのは、この1度だけです。
しかし、受けた驚愕や恐怖、土下座させられ、半強制的に働かされるという屈辱感は深いものでした。
そして、Yは、Wの命令に従わなければ、これからなにをされるかわからない、“怖い”との強迫的な感情にさいなまれていくことになりました。
“たった1度”の激しい身体的な暴行によってYは、Wへの絶対的な服従心を植えつけられてしまいました。
「Ⅰ-8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」で詳しく説明している通り、たった1度の暴行被害であっても、強烈な恐怖心が被害者の心のあり方にどのような影響を及ぼすのかについて理解することが、特に、DV事件では重要です。
Wは、外向きはとても愛想がいい人です。
YがWのいうことをきいて、Wは、Yがせっせと働けば機嫌はよく、客の前でYをほめます。
しかしYは、もしWの期待どおりのことができなかったらなにをされるかわからないと、常に緊張し、心は怯えていました。
Yは、Wに何度か泣いていて訴えましたが、さらに何倍にもなってワァワァ怒鳴りつけられました。
結局、Yは謝って収めるようになり、土下座するのはあたり前のことになっていったのです。
  店の売上げはすべてWが管理し、Yは、その一部を生活費としてわたされていました。
しかし、生活費自体が、Wの機嫌に左右されました。
生活費がわたされなかったとき、Yが思い切って催促すると、『金は十分に渡してあるだろう。それを勝手に使ったのはお前のせいだ! 死ぬ気で謝れ! 責任をとれ!と凄まれた。』と話します。
殴られたり、蹴られたりしなくても、幼い子どもがいる中で、お金がもらえないことは食べていけなくなること、つまり、母親として幼い子どもの生存が脅かされる本当の怖ろしさを思い知らされることを意味します。
  そして、Yは、『いまはがまんのときかなと思う。もう少し子どもが大きくなってからとか、もう少しお金を貯めてからとやっぱり考えてしまいます。ただそれまで私の精神状態が持つかなぁという不安はあります。夫の機嫌にあわせて、ハラハラしたり、ペコペコしたりして、精神的には夫の奴隷のような気分になります。お店のこと、家事や子どもの世話で、それでなくとも疲れ、毎日自分がすり切れていくのがわかります。そのうえ、夫のいうことややることに逆らえないから、だんだん自分がダメになるような気がします。
このごろは夫に土下座することにも、なにも感じなくなってきました。魂が抜けたような感じで、ただ機械的に頭を下げているから、何十回やってもなんとも思わなくなりました。
ああ、これでなんとかおさまってくれますようにという感じしかしません。
でも本当は、そういうふうに自分の感覚がなくなっていくのは、凄く怖いことなのかも知れないんですが…。』と語りました。
  精神的な暴力や経済的な暴力は、外側からなかなか人目につきません。
はっきりとしたケガや痣が残るわけでもありません。
家計費うんぬんということになれば、それぞれの家庭の事情ということで、第三者が介入していくことはさらに難しくなります。
“たった一度”の殴る、蹴るといった身体的な暴行であっても、それは妻に十分な恐怖や服従心を植えつけることになります。
そして、深く大きな傷を残します。

④ 暴力と知りながら、助けてくれない人たち
-事例30(DV26)-
 商社に勤務する夫C(38歳)と都心のマンションに暮す私(K。35歳)は、外からは何不自由ない幸せな妻に見えると思いますが、悲惨な状況に陥っています。
1年に3回、ゴールデンウィーク、お盆と正月、Cの実家に帰省したあと、決まってCからひどく殴られたり、蹴られたりしてきました。
Cは、いまだに実家の母親に頭があがりません。
帰省すると、義母に「子どもができないのは、K(嫁の私)がダメな女だからだ」みたいなことを散々嫌味っぽくいわれます。
耐えかねて、義母に楯突いたのが最初の暴力のきっかけになりました。
それまでCは、「子どもがいなくてもいいんだ。」といってくれていたのに、いきなり私の顔を殴りつけ、「なんで(義母に)素直に謝れないんだ!」と怒鳴りつけました。
私は、とにかくびっくりして、なにがどうなっているのかわかりませんでした。
この人、いったいどうしちゃったんだろう、頭がおかしくなっちゃったの?と思いました。
  私がCとの結婚を決めたのは、優しい性格に信頼を置いたからでした。
子どもを産むことがかなわなくなったときにも、Cは変わらない優しさで励ましてくれました。
だから、実家でのCの豹変ぶりはあまりにも信じがたいことでした。
私は混乱しながらも、その場は、Cと義母に対して、自分がとった反抗的な態度を謝りました。
しかし、ショックは尾をひき、自宅に戻ってからも数日間、口をきくこともできないほどふさぎ込みました。
数日後、Cは高価なアクセサリーを買ってきて、母親のいったことや実家で自分がとった態度を許して欲しいと頭を下げたのでした。
私は、まるで狐につままれたような心境でしたが、Cの実家という、ある意味非日常的な場所でおこったできごとだったことから、Cにふるわれた暴力を“例外的”と感じてしまいました。
私は、優しい性格だと思って結婚したCだし、入院していたときもやっぱり優しかった人だから、どこか身体の調子でも悪かったのかなぁ、ちょうど仕事も忙しい時期だったし、よほど疲れがたまっていたのかなぁとか、私がとった反抗的な態度も悪かったのかなぁとすごくいい意味に置き換えてしまいました。
そして、実家であんなことがあったのは悪い夢だったなどと思うようにしました。
  ところが、また実家に帰省したときに同じことがおきました。
実家から自宅に戻ると、Cは「なんで母親のいうとおりのことができないんだ!」、「わざと俺に恥をかかせやがって」と罵りだしたのです。
私が「もう二度とあなたの実家には行かない。」と応じると、その暴力は最初の何倍ものひどさになって返ってきました。
Cは食卓の椅子を持ち、私に投げつけてきました。
なんとか身をかわすと、今度は身体を壁に押さえつけてお腹や足に膝蹴りをしてきました。
息が詰まって床に倒れ込むと、馬乗りになり、体中をボコボコと音がするような勢いで殴り続けました。
私は肋骨と手の甲にヒビが入り、病院に通院するほどひどい状態となりました。
  私は体中痣だらけで、とにかくひどい状況の中、藁にもすがるような思いで病院に行きました。
診察時、医者の「どうしましたか?」の問いに、私が「夫から殴られたんですけど、どうしたらいいでしょうか?」と訊くと、「ああ、そうですか。」と応じ、続けて、「まあ、ケンカはほどほどにして、仲よくしたほうがいいですよ。」と冷たくあしらわれてしまいました。
全身から力が抜けるような気持ちでした。
ほかの頼りにならないような人からいわれるのならともかく、医者というのは人助けしてくれるとイメージがありました。
そういう人から冷たくあしらわれてしまい、これはもうダメだという心境に陥ってしまいました。
それからは、Cに身体的な暴行を受けても一度も病院には行っていません。
Cからひどく殴られたうえに、頼った医者からも見放されたようなことをいわれ、徹底的に傷めつけられました。
そして、自分の身は自分で守るしかないのかと思い知らされ、絶望的になりまりた。
  しばらくして、私は、Cの暴力に周期があることに気づきました。
私は自分の身を守り、Cの暴力を最小限に食い止めるために、たとえ暴力をふるわれるとわかっていても、いまでもCと一緒に実家に行っています。
なぜなら、行かないといったら、今度こそなにをされるかわからないという、あまりに大きい恐怖心があるからです。
  他人が考えたら、「殴られるとわかっていて、のこのこ実家に行くなんてバカじゃない」と思うんじゃないでしょうか? しかし、行かなければ、もっとひどいことをされると思います。
もしかしたら、死ぬような目にあうんじゃないかとも思います。
だから、年に3回の暴力を私ががまんすれば、あとの日々は、Cはふつうどころか、花束を買って帰ってきたり、おいしいものを食べに連れて行ってくれたり、とても優しいのです。
まるで、二重人格みたいです。
  子どもがいない私は、いままで数え切れないくらい離婚を考えました。仕事を探して、少しでも自活しようともしました。
しかし、Cに「働いてみたい」と話したとき、たちまちCの顔色が変わりました。
夫の顔を見て、私は慌てて「冗談よ、冗談。私みたいにバカで世間知らずの女には、仕事なんてできるわけないわよ。」と自分を卑下してみせました。
すると、Cは「あたり前だ。これ以上恥になるようなことをしないで、お前は家でおとなしくしていればいいんだ!」と声を荒げらて侮蔑しました。
仕事をすることがままならないとなれば、どうしても経済的にはCに依存し続けることになります。
そのため、私は、自活や離婚もまた、現実的に厳しさを増して、離婚できないでいます。

  この事例30には、2つのDV問題が述べられています。
  ひとつは、第3者の無関心(他人のことには興味・関心がない)、面倒なことに巻き込まれたくないとの思いで見てみぬふりする姿勢(態度)、「夫が妻を叩いたり、殴ったりすることは、どこの家庭でもあること」といったジェンダー観(性のあり方)にもとづく暴力を容認する考え方が、被害者を絶望に陥らせてしまう現実です。
 被害者Kの診察・治療にあたった医師の言動・ふるまいは、面倒がことに巻き込まれたくないというものではなく、「どこの家庭でもあること」といった暴力を容認する考え方にもとづくものです。
もうひとつは、ジェンダー観(性のあり方)にもとづく「夫は妻に敬われ、奉(たてまつ)られ、尽くされていなければならない」という考え方の癖(認知の歪み)が、“恥をかかせた妻に対するしつけ直しをする名目”としての暴力を常態化させる背景となっているという事実です。
  事例30で示される夫Cの間違った考え方の癖(認知の歪み)は、一人前の家庭を持った夫であることを示すために、妻に敬われ、奉(たてまつ)られ、尽くされている姿を自分の両親に見せることが、両親に認められる(承認欲求を満たす)ことになっていることです。
この考え方の癖は、「家に嫁いできた嫁は、夫の両親に対しても絶対服従の姿勢で尽くすもの」という価値観(夫婦観)にもとづいています。
  そして、この価値観(夫婦観)は、夫Cが、両親からすり込み、学び、身につけたものです。

⑤ 離婚の決意。DV被害よりも愛人をつくられた嫉妬心が勝る複雑な思い
-事例31(DV27)-
 私(O。57歳)が、離婚裁判をおこすような気持ちになったのは、自営業を営む夫K(60歳)と愛人の存在でした。
これまでずっと、私はKの女性関係で悩み続けてきました。
私は休みなく働き通し、汗と涙の人生でしたので、「なにをりいまさら離婚なんてできない」とまったく離婚は考えていませんでした。
しかし、Kと愛人が、新築の家で暮らしていることを知人から知らされました。
若いときからの女狂いも老いれば家庭に戻ってくると望みをかけて待っていたのに、もろくもその望みは崩れ去りました。
  私とKは、借金を元手に食料品店をはじめました。
朝から夜遅くまで、1年中休みなく身を粉にして働きずくめの毎日でした。そのかいあって、Kは独立し、工務店と食料品店を開業することができました。
高度成長期の波に乗り、工務店と食料品店は繁盛し、蓄えもできました。
Kは蓄財に優れた能力があり、これまでに5ヶ所の土地と3棟の貸しアパートを所有しました。
しかし、仕事は順調でも、家庭生活は逆で、私はKの女狂いと、暴力、暴言に泣かされ続けてきました。
朝帰りが続くので調べると、Kはアパートに女を囲っていました。
Kは40歳代、50歳代のとき3回女を囲ってきました。
止まらない暴力と女性問題に堪忍袋の緒が切れて、私は幾度となく家をでて、離婚の準備をしました。
そのたびにKは飛んできてへたへたと崩れ落ち、男泣きしながら詫びました。
私はそのKの姿を見て、つい心を許し「こんどこそ反省したか」と期待してしまいました。
しかし、それも束の間のことで、約束ごとなど無視し、暴力と罵詈雑言を繰り返されてきました。
  Kは執念深く、10年、20年、30年前のいさかいを持ちだしてきて、何時間も責めたてます。
実家と行き来しないように詮索、監視され続けてきました。
古い家に住んでいた当時、独身者用に「間貸し」していました。
その家は一部屋ずつ施錠できるつくりで、私は、この部屋にたびたび監禁されました。
個室には窓があり、平屋の古いつくりなのでガラス戸を破って逃げだしました。
家に戻ると、家具類はズタズタに傷だらけにされ、タンスの中をグジャグジャに、室内いっぱいに放り投げられていました。
そして、Kは、私の軽自動車のタイヤの空気を抜き、勤めに行けないようにしていました。
代わりにKの車を使うと、「罰金な。1万円払え!」と怒鳴りつけ、お金をとられました。
覚えがないのに、「ドアの鍵を壊したと1万円」を請求されたこともありました。
布団が古くなったから「打ち返して新しくする」とうかがいをたてていたのに、「いまどき布団を打ち返すバカがどこにいる! 買った方が安い。お前は金使いだ、どこにそんなお金がある。勝手につくりやがって!」と怒り、布団代を支払おうとしませんでした。
Kの嫌がらせに堪えかねて抗議すると、「家の主人に向かって、その態度はなんだ! 許さない!」と激高されました。
そんなときは罰(こらしめ)として、生活費をもらえませんでした。
懇願すると殴られるので、生活費は諦めました。
  Kは、愛人に「モーニングコール」をさせていました。
深夜にかかってきた電話に、私が苦情をいうと、Kは受話器をおいて殴りつけ、「ババァが生意気なこというから殴ってやった!」と笑いながら侮蔑し、卑下しました。「役立たずのババァが、やきもち焼いてそばで聞いてやがる。」とか、耳をふさぎたくなるような会話に息子もたまりかね、「おやじ、いいかげんにやめな。」と口を挟むと、「誰に口をきいているんだ! お前は俺に指図するのか!」とけんか腰で怒鳴りつけました。
もはやKの横暴は、家族の誰もが止めることができませんでした。
Kは、愛人がつくったおかず、餅、赤飯などを冷蔵保管して小出しに食べ、弁当をこれ見よがしに食べました。
 そしてKは、テレビ、冷蔵庫、扇風機などの後ろ配線を切断して使えないようにしたり、リモコンを隠したり、電話の元線をひき抜いたり、ガスの点火用電池を抜きとっておいたり、私が使えないように洗濯機に作業着と洗剤を入れておいたりしました。
わざと、愛人と暮らすための世帯道具を購入したときの家具店の見積書を台所において置いていました。
台所にある器具類に傷をつけ、毎日のようにヤカン、ナベを空炊きして変形させて使用不能にしたり、蒸し器の中の蒸し板を抜きとって捨てたり、コタツの電気コードの見えない部分をカミソリで切断したり、洗濯機のホースをカミソリでスパスパ切り、無数に穴を開けて漏水させたり、梅漬けに塩を数倍入れて塩辛くて食べられなくしたりしました。
旅行カバン、洋服、電気毛布がなくなりました。
電気器具の差込コードは隠されました。
洋服の大事なところのボタンがとられ、袖口がほずれ、スカートの裾の糸が抜かれ、ネッカチーフの四隅がほずれ、靴下がカミソリで切られていました。
また、ブレーカーを切断して、浴場を暗くしドアを開けて一歩踏み入れるところに濡れた洗面器を置いて、滑って転ぶように工作しておくこともありました。
私は、Kにありとあらゆる嫌がらせをされてきました。
  一方で、「花火を屋上から見よう」と優しいことばで誘ってきたこともありました。
また、「いまヤクザにとり囲まれている。二人で旅にでよう、しばらくの間姿を隠そう、身の回りのものを用意しておけ、迎えに行くから・・。」と、なにかに囚われたかのように電話してきたこともありました。
そして、Kの言動に身の危険を感じるようになり、知人に、「私が突然いなくなったらすぐ警察に知らせて欲しい。」、「不審な死に方も調べて欲しい。」と頼んでおいたこともありました。
  私は、Kから繰り返されてきた精神的な揺さぶりに、ノイローゼになって精神科に通院したこともあります。
私には2人の子どもがいます。
私は2人の子どもの子育てをしながら、自営の工務店や飲食店を手伝ってきましたが、給料はもらっておらず、生活力も財産もなく、がまんするしかありませんでした。
Kに「誰のおかげで生活していると思っているんだ! 文句があるならいつでもでて行け!」とコトあるごとに暴言を吐かれてきました。
それでも、「私ががまんすれば、子どもは守れる」と、自分にいいきかせて耐えてきました。
Kは子ども抱いたこともなく、育児も手伝わず、子どもは虐待されて育ちました。
小学から中学まで剣道場に通う子どもに、気に入らないと竹刀で殴りつけたり、「反抗的な態度だ!」といって怒り、冬の寒空の中、戸外に立たせ続けたりしたことがありました。
成長した子どもは、いつしか「親父をぶっ殺してやる!」が口癖になっていました。
子どもは、父親を憎悪しています。
私はいま、子どものために自分を犠牲にしてきたのに、父親に反目している子どもを見ると後悔ばかりしています。
  私は離婚を決意し、離婚調停で「私は夫の暴力・暴言に耐え、子どもを犠牲にし、あかぎれと寒風に耐え、身をすり減らして蓄財した土地を夫は処分し、愛人との新居をつくった。夫は土地を処分したお金、工務店の収入、貸しマンションの家賃、地代の収入など一切の所得を握って、豊富な資金で愛人と余生を送ろうとしている。今日まで夫婦共同で蓄財したものなので、権利として相応な財産分与を求めたい。」と訴えました。
しかし、私が「婚姻破綻の原因は夫のDVにある」ことを主にせず、「愛人との新居をつくった」ことを主して臨んだ離婚調停は、Kが離婚に応じようとしなかったことから、調停は不調に終わりました。

  事例31では、夫Kの固執的(こだわり)な行動からアスペルガー症候群が疑われるものの、生い立ちを踏まえると、Kの背景には、愛着障害・行為障害の存在が考えられることから、妻Oへの“嫌がらせ”は、愛着のやり直しの対象者である妻Oに対する“試し行動(リミットテスティング)”と捉えることもできます。
  また、夫Kの強迫観念・妄想とKの固執的(こだわり)な行動はつながっていて、それが、妻にとっては嫌がらせとなっているとも考えられることから、妄想性人格障害と演技性人格障害の特性以上に、統合失調症(精神分裂病)の可能性が考えられます。
  一方の妻Oのノイローゼは、暴力への“恐怖”を根底したPTSDではなく、「精神的なゆさぶられてきた」ということから、アスペルガー症候群の夫と生活をともにする妻に見られる傾向としての「カサンドラ症候群」と捉えることもできます。
妻Oは、夫Kの思い(アスペルガー症候群の特徴として、感情を伴うやり取りが欠落する)を感じとることができない夫婦生活、つまり、“愛情”を感じることができない夫婦生活において、自己の承認欲求が満たされなかったことが、夫Kと愛人との関係性に固執する要因となっています。
  加えて、「Ⅰ-7-(3)2事例で検証する「なぜ、別れられないのか?」」でとりあげている「事例116(分析研究11)」の中で「被害者の空虚感、渇望感を埋める加害者の夢と財」で説明している通り、妻Oは、夫Kから感じられなかった愛情を埋める承認欲求は、夫の仕事を支えて得てきた“財”に向けられていることから、妻Oの“生い立ち”を検証することは重要です。

⑥ 夫の暴力から逃げる難しさ
-事例32(DV28)-
私(M。32歳)は、同じ年の夫Qとの10年間の結婚生活に終止符をうちました。
離婚調停を重ね、弁護士に相談をし、DV被害者支援機関のサポート受けたり、数回は友人宅に身を隠したりしながら、ようやく離婚することができました。
  私とQは高校の同級生でした。
高校生のときは、特につき合いはありませんでしたが、卒業してから就職した会社に、Qが、別の会社の営業で通ってくるようになりました。
この行為が、Qのストーカー行為による仕組まれた出会いで、デートDVにあたることは、DV被害者専門の相談機関で指摘されるまでわかっていませんでした。
20歳のときから同棲し、一緒に暮しはじめて1年ほどで子どもができて結婚しました。
最初の暴力は、子どもが産まれて直ぐでした。
いまでも、なにが暴力のきっかけとなったのかわかりません。
食事の最中にいきなりQが怒りだしたかと思ったら、あっという間に手がでて、足がでたという感じでした。
わけもわからずに、子どもを抱いて隣の部屋に逃げると、Qはいきなり「ごめん、どうかしてた。もう子どもがいるのに、俺はバカなことをした。ごめんな、ごめんな。」と繰り返し謝り続けました。
Qの暴力はあまりにも突然で、理由もわからず、大きな衝撃でした。しかし、泣きださんばかりに謝るQをみると、若くして結婚し、父親になったQの“若気の至り”とも思えてきて、結局そのときQを許してしまいました。
すると、Qは、いきなりセックスを迫ってきました。
ほんの数十分前、自分を殴ったり蹴ったりしたQが、また突然態度を変えセックスを求めてくるという事態にひどく混乱させられました。
  これ以降、セックスが先かあとになるかという違いはありましたが、Qはいつもそうでした。
セックスを求めてきて、応じないと殴るか、殴ったあとでセックスを求めるかでした。
若いんだから仕方がないと思い込もうと努めましたが、本当に辛かったです。
寒気がして、吐きそうになったりしました。
Qは自分の性的欲求を果たすと、たちまち機嫌がよくなりました。
一時期、これはQの病気と思ってあきらめ、もう少し経って、年齢的に落ち着けば、少しはよくなるだろうと考えました。
実際、2児の父親になったQは、あれほど強要していたセックスも、私の意思を尊重してくれるようになりました。
そして、なによりもQは、二人の子どもを可愛がりました。
経済的な理由から、私は、子どもを保育所に預け、近所の会社で事務の仕事をはじめました。
1年後、Qが労災にあって会社を休むことになりました。
私が仕事から帰ってくると、Qは食事のしたくとか、掃除とか、いちいち難癖をつけるようになってきました。
Qを怒らせたくないので、仕事で疲れていても、ひとときも休むことでできませんでした。
家事や育児に追われ、夜になるともうクタクタで、子どもを寝かせながら一緒に寝てしまうようになりました。
すると、Qは再び強引にセックスを迫るようになりました。
Qは、寝ている私を殴っておこしたり、「足を開け!」と蹴りあげたりしました。
私は、再びはじまったQの暴力やセックスの強要に深い絶望を感じました。
しかし一方では、また時期がくればおさまってきて、平和な暮らしがくるのではないかという期待を捨てることができずにいました。
仕事を休んでいるという焦る気持ちが暴力の原因だと思うようにしました。
しばらくして、Qは復職しましたが、Qの暴力やセックスの強要が収まることはありませんでした。
  私が逃げるような気持ちで早めに仕事にでかけたり、その反対に少し遅く帰ったりすると、Qはますます理不尽な怒りをぶつけてきました。
「子どもの面倒もろくにみないでなにをやってるんだ!」、「そんなに仕事があるわけない。本当は男がいるんだろう」と怒りだし、「身体検査をするから、服を脱げ!」と私を裸にして、セックスしてきた痕跡がないか体の隅々までチェックしたあと、レイプするようにセックスをしました。
耐え難い屈辱でした。
精一杯頑張っているのに、あまりにもバカらしいいいぐさなので、「そんなことはしていない。」と口にすると、Qは気が狂ったように殴り、そして、レイプするようにセックスをしました。
もう耐えられないと、私は子どもを連れ、会社の同僚の家に泊まらせてもらいました。
すると、Qは「やっぱり男がいるんだ!」と荒れました。
私が実家や友人宅に逃げていると、Qは必ず追いかけてきて、あれほど可愛がっていた子どもたちの前でも殴りつけるようになりました。
私は、いったいどうやってQから逃げたらいいんだろう、離婚なんて無理じゃないか、死ぬしかないと思いつめていきました。
  しかし、幸運なことに、働いていた会社の先輩が弁護士を紹介してくれました。
弁護士に相談し、家庭裁判所で離婚調停することになりました。
しかし、調停の場で、Qが「子どもがかわいい。子どものためにもどうしてもやり直したい。」とボロボロ泣いて訴えると、調停委員は「これだけ反省しているんだから、もう少し頑張ってみる気はありませんか?」と促す始末でした。
「わかってくれないな」と思い、DV被害者支援機関のサポートを受けることにしました。
あきらめずに踏ん張れたのは、とにかく自分でなにか行動して、いまの状況を変えなければならないと強い思いを持てたからだと思います。
それまでは、もう少しがまんしようとか、なにをやっても私はもうダメだとか、とにかく先のことに絶望してきました。
しかし、離婚へと踏みだしたのだから、先へ進もう、もう戻っちゃダメだという気持ちを持ち続けました。
  Qは「なにがあっても俺は絶対に別れない。」と離婚を拒み続け、弁護士を紹介してくれた会社の先輩の家まで押しかけては、ボロボロと泣いて“いい夫”のふりを演じました。
また、離婚調停開始と同時に家をでて、子どもたちと実家に身を寄せていましたが、Qは子どもたちを実家から連れだし、2日間も会社を休んで“行方不明”となるような騒ぎまでおこしました。
最終的に、こういったQの行動が、Qにとって裏目にでました。
Qの周りの人たちが、あまりの行動にみかねて、私の味方になってくれて、Qに強く離婚を勧めてくれたり、説得にあたってくれたりしたのです。
遂に、Qの母親が離婚届を持ってきました。
そこにQの名前とハンコが押してあるのをみたとき、私は力が抜けました。
  しかし、離婚が確定して半年ぐらいは、突然、Qが家に押しかけてきて、家具を倒したり、殴ったり、無理やりセックスを求めてきたりして、とても安心できるような状態ではありませんでした。
一人暮らしをしていた弟に頼んで、用心棒みたいな感じで実家に戻ってもらったりしました。
そして、Qの暴力とレイプから逃れるために、仕事を辞め、親戚の住む遠方にアパートを借り、引っ越し、2人の子どもと暮らしはじめました。
幸い新しい仕事に就くことができましたが、これからの生活、経済的なことや子どもたちの将来などを考えると不安でいっぱいです。

  事例32の夫Qのように、妻が妊娠したり、出産したりしたのを“きっかけ”に暴力がはじまったり、ひどくなったりすることはよくあることです。
  その理由としては、2つが考えられます。
  ひとつは、“関係性の変化”に戸惑い、対応できないアスペルガー症候群の“障害の特性”が原因となっているケースで、もうひとつは、成育歴としてアタッチメント(愛着形成)を損なっていて、子どもに妻の愛情が奪われたと感じ、それに伴う失望、怒り、嫉妬という感情が爆発することが原因となっているケースです。
  そして、この事例32で、夫Qは、暴力のあと、一方的な仲直りの儀式としてのセックスに持ち込んでいるのが特徴です。
  “一方的”というのは、暴力後に心を交合わせるセックスに及ぶ行為を理解できない被害者にとっては、混乱を招くふるまいでしかないからです。
  そして、暴力後のセックスという行為の意味・意図には、顕著な“男女差”が表れるものです。
  男性が暴力をふるい、そのままセックスに及ぶときには、女性への愛情表現はセックスと認知しているケースと、レイプと同様に、苛立ちや怒りの感情を吐きだす役割を担う“射精”することを目的としているケースがあります。
いずれにしても、セックスという行為で征服欲・支配欲を満たしているということです。
次に、男性が暴力をふるい、女性が男性の機嫌を収め、怒りを鎮めるために自ら率先してセックスに及ぶケースです。
  ここには、これ以上ひどい暴力をふるわれないようにする(暴力を回避する)ためという目的があることから、望んでいなくても、意図的に男性の征服欲・支配欲を満たし、喜ばせる行為に及ばざるを得ないという2次被害に至っていることが少なくありません。
 また、親から虐待を受けている子どものように、「暴力をふるわれるのは、私が悪い(至らない)から」と考え、しかも、「見擦れられ不安」を抱えているときには、“嫌われたくない(捨てられたくない、別れを切りだされたくない)思い”から、望んでいなくてもセックスに応じたり、喜ばせる行為に及んでいたりすることがあります。
中には、「他の女性とセックスされるのは嫌」と女性がセックスを求めていることもありますが、暴力行為に及び男性は、こうした行為を“刺激的”と楽しんでいます。
このとき、嫌がっている姿を装うのも、相手に罪悪感を抱かせ、同時に、「お前の方が、…」と責任転嫁したり、「あのとき…」と恥ずかしめ、貶めることばでからかったりして“刺激”を楽しみ、征服欲・支配欲を満たしているのです。

  以上、事例26-32において、妻が夫に対して、自分の考えを口にしたり、反論したり、仕事をはじめたりしたことが、暴力がはじまったり、ひどくなったりするきっかけになっていることがわかります。
このことが、DVの本質を理解するうえで重要なキーワードとなります。
つまり、夫婦の関係性で、夫が自分の思いどおりにことを運びたいとき、妻が“自分の考えを持ち、自分の考えを口にしたり、仕事をしはじめ収入をえたりすることは、その思いを遂げる障害でしかないのです。
そこで、妻が口ごたえをしないようにする必要がでてきます。
そのために使われるのがパワー(暴力)です。
そのパワーを二人の関係性に持ち込み、コントロール(支配)しようと試みるわけです。
また、暴力のある家庭環境で育ち、アタッチメントを損なっているとき、“人を信じる”という概念を獲得していないことから、家計を助けるために仕事にでた妻に対し、「男ができて、家をでていくのではないか」と疑心暗鬼になり、病的な被害妄想にとりつかれることなります。
その見捨てられ不安(強烈な恐怖心)を消し去るために、徹底的に糾弾したり、激しい暴力をふるったり、他の男にはわたさないと妊娠させることを意図としたセックスを強いることになるのです。
  DVとは、本来対等であるはずの夫婦関係に、上下、支配と従属の関係を成り立たせるためのパワー(暴力)の行使ということです。
DVの本質は、人を叩いたり、殴ったり(身体的暴力)、人を怒鳴りつけたり、罵ったり(否定し、非難・批判し、侮蔑し、卑下することばの暴力を浴びせる)、セックスを無理強いしたり(性暴力)、生活費をわたさなかったり奪ったりする(経済的暴力)ことで、その対象となる被害者(妻や子ども)との関係性に力(パワー)を持込み、支配(コントロール)し、従属させる明確な意図が働いているという“関係性”の問題です。
相手を支配するという明確な意図の“根底”にあるものは、アタッチメントを損なってきた被虐待者が、アタッチメントのやり直しを妻や交際相手、ときには自分の子どもに求めているということです。
そのため、アタッチメントのやり直し対象である妻や交際相手との別れは、再び捨てられることになることから「見擦れられ不安(恐怖)」がモチベーションとなり、病的な嫉妬心を見せたり、詮索干渉し、束縛し、執拗に執着したりすることになるわけです。
つまり、DV行為は、慢性的であり、反復的であるといった「状況」と、上下関係、支配と従属関係といった「関係性」、そして、逃れ難さという「構造」で捉える必要があるのです。
  この上下、支配と従属の関係は徐々に固定化していきますが、被害者は、自身がコントロールされていることになかなか気づくことができません。
その理由のひとつは、同じ屋根のもとで、同じ釜の飯を食べる軟禁生活ともいえる状況が、加害者のいい分や主張(価値観や生き方そのもの)に共感し、同質化が促進される「ストックホルム症候群*-33」がひきおこされる状況に酷似していることです。
支配のための暴力を受け続け、マインドコンロールされた被害者は、恐怖に支配されながらも、同時に加害者の考えに共感し、同質化していきます。
この考えに共感し、同質化していくことこそ、「夫がどうするかを先回りして考え(どうしたいかと思いを馳せ)、自ら率先してふるまう」ことなのです。
同質化(マインドコントロール)されているからこそ、気づくことができないのです。
そのため、「力と支配」の関係性がいったん構築されると、加害者から被害者に対する支配がますます強化されていくことになります。
  また、加害者は、妻が自分の判断で物事を決定することを制限するために、執拗に詮索し、干渉したり、「愛しているから」といって監視したり、一方で無視したりし、妻の感情を揺さぶって自分の思い通りにしようとします。
加害者が暴力をふるっても、その後、「二度としない」と謝り、反省した態度をとると、被害者は、加害者が「行動を改めてくれる」のではと期待したり、時おり「やさしく」されたりすると、いままでのことを許してあげようという気持ちになることもあります*-34。
一方的に、「お前が悪いからだ」と繰り返しいわれ続けると、被害者も「自分が悪かった」ような気がしてきます。
そのため、暴力被害を受け続けても、なかなか自分自身のことを“被害者”であると認識することができないのです。そして、加害者の気分次第で、いつ「緊張した関係」が「激しい暴力」に変わるかわからず、被害者はビクビクしながら暮らし、加害者との生活そのものがストレスとなっています。
被害者がビクビクしながら生活しているというのは、“常に加害者の顔色をうかがい、意に反するふるまいをしない”ように緊張の連続の日々を過ごしていくということです。
  そうしているうちに、長い期間にわたって繰り返し暴力に怯え、支配されるようになっていきます。
人はそのような状況におかれると、自分は「なにもできない、価値のない存在だ」と思うようになる傾向があります。そして、自分に暴力の責任や原因があると思い、加害者から離れる気力を失い、無力感や孤独感を持つようになっていくといわれています。
強制的な、避けられない不快な経験をすると、自分ではもうこの状況を改善することはできないという“あきらめ”に支配されるようになるのです。
こうした心理状態は、「学習された無力感*-35」と呼ばれています。
*-33 「ストックホルムシンドローム」については、「Ⅰ-5-(2)ストックホルム症候群」で詳しく説明していますが、少し補足しておきたいと思います。
 私たちは皆、心に「情」というものを持ち、特に日本人の心には、文化として培われてきた価値観として、「人を信じたい」思い、「人を悪くいいたくない」思いを強く持っています。
そのため、「性善説」でものごとを捉え、判断する傾向が強いといった特徴があります。
暴力をふるった夫が、「ごめん、二度としない。」と涙ながらに謝る姿に絆され、夫のその場をとり繕うだけのことばを「こんどこそは変わってくれる」という根拠のない期待感で許してしまったりします。
この「根拠のない期待感」こそが、人を信じたいとの思い、願望です。
しかし、暴力のある家庭環境で暮らしていたり、または、暴力のある家庭環境で育ってきていたりすると、この人を信じたい思いは、実は裏づけ(根拠)のない“夢物語”という期待感でしかないのです。
“夢物語”という期待感は、暴力のある家庭環境では、“こうでなかったら”という思いが、“こうであったら(理想の家庭像)”との思い置き換えてしまう思考習慣を身につけてしまうのです。
これは、ツラい思い(記憶)を心に残さないための幼い子どものころに刻み込まれた思考習慣です。
人を騙してコントロールするという詐欺商法を仕掛けてくる人物(カルトの教祖を含む)と同じ思考特性を持っているDV加害者は、人の情を巧みに操る術を少なからず持っています。
人の情に働きかけるときに、涙を流している人を放っておけないという心理を利用し、「涙」を流すこともあります。
重要なことは、心をコントロールするには、「人の情に働きかけ、心を揺さぶることができればいい」ということです。
なぜなら、心が揺さぶられている状態こそが、心につけ入りやすいからです。
人の心にある「情」や人を信じる気持ちを巧みに操る(まず、心を揺さぶる)、それが、マインドコントロールを仕掛ける者のやることです。暴力のあとに優しく甘いことばをかける、暴力のあとに泣いて詫びる、つまり、相反する拒絶と受容のふるまいによって心が揺さぶる(思考混乱に陥らせる)ことができれば、「あとの祭り」にすることができるということです。
*-34 暴力後に謝ったり、優しくしたりする行為は、“飴と鞭”と比喩される「相反する拒絶と受容の言動やふるまい」として、相手に対して、思考混乱(動揺)下での感情の隙を突き、自身の立ち位置を優位に置こう(コントロール下に置こう)とするための常套手段で、「Ⅰ-8.被害者心理。暴力でマインドコントロールされるということ」、「Ⅰ-9-(1)「パワーとコントロールの車輪」と「暴力のサイクル理論」」、「Ⅰ-11.断ち切るために必要。加害者に共通する行動特性の理解」などで、詳しく説明しています。
*-35 「学習された無力感」については、「Ⅰ-8-(2)学習された無力感」で詳しく説明しています。


** ①-a)DV・デートDV・性被害に関する相談、-b)家庭裁判所への「婚姻破綻の原因はDVにある」とする離婚調停の申立て、地方裁判所への保護命令の申立て、警察への被害届の提出に向けての支援依頼、②DV被害の状況をまとめるためのWord文書フォーマット(DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート;「Ⅲ-3.暴力の影響を「事例」で学ぶ。(Ⅰ)添付資料:ワークシート」の中の「DV・夫の暴力、子への虐待チェック・ワークシート」)の送付依頼、③カテゴリー〔Ⅲ1-9〕掲載『暴力の影響を「事例」で学ぶ。虐待とDVの早期発見・支援。母と子どもが暴力から脱するための手引き(3部5章42節)*』のPDFファイル送付依頼については、カテゴリー〔Ⅰ-I〕の中の「<DV・性暴力被害相談。メール・電話、面談>..問合せ・相談、サポートの依頼。最初に確認ください。http://629143marine.blog118.fc2.com/blog-entry-501.html」をご確認いただければと思います。


2016.3/4 ブログ再編成(第3次改訂)に伴い、主記事として掲載
2017.4/16 「プロローグ(1-4」「第1章(Ⅰ(5-7))」の「改訂2版」を差し替え掲載



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